金 日 成

日本の学者一行との談話
-1975年11月6日-


 お元気ですか。

 緑川亨先生と安江良介先生もお元気ですか。私はいまでも、両先生とお会いしたときのことをはっきりと覚えています。

 安江良介先生の朝鮮訪問後、雑誌『世界』は、「韓国からの通信」という文章を毎号掲載し、南朝鮮社会の腐敗相とファッショの実態を暴露しています。これは、日本人民のみならず世界人民の闘争に大きく貢献するものです。私はこれを非常にうれしく思っています。

 世界に広く知られている岩波書店は、進歩的な書籍を数多く発行する出版社として、朝鮮人民と日本人民の友好のために積極的に努力しており、世界の平和と人民の自由と独立のために活躍しています。私はこれに対して、緑川亨先生と安江良介先生、そしてあなたがたに謝意を表します。このたび両先生から寄せられた手紙をうれしく拝見しました。帰国されたら、両先生に私からのあいさつをお伝えください。

 雑誌『世界』は、我々の知らない資料を多く載せています。『世界』に掲載される文章は興味深いので、私は毎号それを翻訳文で読んでいます。ときには、出版部門の活動家に『世界』に載っている文章をまとめて編集するよう指示することもあります。

 私は、南朝鮮のかいらい一味が幼児を外国へ売りとばしているという『世界』の文章を読んで、憤慨のあまりそれを我が党中央委員会の政治委員会で会読させました。

 さきごろアルジェリアへ行ってみると、南朝鮮から幼女を買いとって育てているフランス婦人がいました。子供は、いまでは大きくなって物心がつくようになりました。朝鮮から金日成主席が来るというので、その子が私に一度会ってみたいと養母に話したそうです。養母は子供に向かって、おまえのような子が金日成主席にお会いできるものか、金日成主席は忙しくて時間もないはずだし、それにアルジェリア政府もそれを許さないだろう、だから、あとで朝鮮大使館にでも一度訪ねてみるようにといったそうです。私はこの話を聞いて、あなたがたが出している『世界』を今一度思いおこしました。そのとき私は、我が民族の子供たちが世界のいたるところに売られ、異国人の家庭で暮らしていることに対し、たいへん悲痛な感にうたれました。

 朝鮮の多くの幼児が、フランス、イタリア、スウェーデン、デンマークなどヨーロッパの各国に売られていきました。南朝鮮に巣くつている無頼漢らのために、我が民族にこのような不幸がふりかかっているのです。民族の内部に売国奴がいると、こういうことになるのです。

 あなたがたの正義の声はたいへん立派なものです。私は、我が民族の不幸に同情し、正義感をもつて朝鮮人民の闘争に積極的な支持を寄せていることに対し、安江良介先生をはじめ『世界』雑誌社のみなさんに心から謝意を表します。

 あなたがたにお会いするのはきょうがはじめてですが、緑川亨先生や安江良介先生にお会いするような深い親しみをおぼえます。

 あなたがたは多くの問題について質問しましたが、それらの大部分は朝鮮労働党創立30周年記念大会の報告で述べている問題です。しかし、質問が出されましたので、もう一度かいつまんでお話しようと思います。

 まず、朝鮮労働党創立30周年を迎えて党の歩んできた闘争の道のりをふりかえり、最も印象深い問題はなんであったかについて話しましょう。

 この30年問我が党が歩んできた道は、一口にいって極めて正しい道であったと思います。

 我が党はチュチェ思想に基づき、常に人民大衆のなかに足をすえ、自国人民の力に依拠して革命と建設をおし進めてきました。これは、全く正しいことでした。我が党の闘争の歴史で最も重要なことはこのことです。

 我が党は最初から、人民大衆の力はつきせぬものであり、人民大衆がすべてを決定するという真理をかたく信じていました。この30年間、我が党が革命と建設で偉大な勝利をかちえたのは、まさに人民大衆の力を信じ、人民大衆に依拠してたたかったからです。もしも我が党が、これまで自国人民に依拠せずに外国に頼っていたならば、そうした成果はおさめられなかったであろうし、極めて複雑な道を歩まざるをえなかったでしょう。

 いかなる党も、人民大衆から離れていては絶対に闘争で成果をおさめることはできません。上層部だけでは問題が解決されません。人民大衆から遊離した党は、水に浮いた油のようなものです。そのような党は、自主性を堅持することができず、風の吹くがままに動くようになります。

 我が党はしっかりと人民大衆に依拠したため、自分の力に確信をもち、したがって自主性をゆるぎなく堅持することができました。

 我が党は路線と政策をうち立てるさい、常に人民大衆のかぎりない力と創意性を念頭におきました。そのため、我が党の路線と政策はすべてが正しいものでした。我々の経験は、人民大衆の知恵と意思を正しく反映した党の路線と政策は不敗であることを示しています。

 もちろん、我が党が自主的な路線と政策をうちだし、それを貫徹するというのは、容易なことではありませんでした。その過程には多くの困難もあり、外部の圧力もありました。しかし、我々は人民大衆と団結し、人民大衆の力にしっかりと依拠したため、いかなる困難にもうちかち、外部の圧力もすべてはねのけることができました。

 我々が党を創立するさい、党の階級構成の問題で多くの論議がかわされました。我々の主張は、労働者、農民、勤労インテリのなかから、先進分子を広く党に受け入れようというものでした。

 それまで他の党では、このような問題を提起しておらず、したがって教条主義者はインテリを党に受け入れることに反対しました。しかし、我々はインテリを信頼し、ためらうことなくかれらを党に受け入れました。

 歴史の創造者は人民大衆であり、インテリも人民大衆の一部分です。よその国の人たちの表現によれば、革命においてインテリは橋渡しの役目を果たすにすぎないとのことですが、そうだとばかりみることはできません。インテリは革命の全過程で重要な役割を果たします。我々は最初から、社会発展においてインテリが重要な役割を果たすと認め、それに基づいて、かれらを我が党に受け入れる方針をうちだしました。この方針の正しさは、これまでの実生活をとおしてはっきりと証明されました。

 我が党は、アメリカ帝国主義者との3年間にわたる戦争で勝利をおさめたのち、すべてが破壊され廃墟と化した状況のもとで、重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業と農業を発展させるという独創的な社会主義経済建設路線をうちだしました。

 そのときにも教条主義者は、歴史的にみて他の国でそのような路線を実施した経験がないのに、どうして我々にそれができるかといって反対しました。しかし我々は、この路線をゆるぎなく堅持しました。

 農業や軽工業はいずれも重工業と関連があります。重工業なしには、農業の発展も、軽工業の発展も期待できません。それゆえ我々は重工業を優先的に発展させたのであり、重工業のための重工業ではなく、軽工業と農業に奉仕する重工業を発展させました。これは全く正しいものでした。

 我が党は農業問題の解決においても、外国の経験を機械的にまねるようなことはしませんでした。

 外国の経験をみると、農業の技術改造で機械化を先に行ったのですが、我々は水利化を先に実施しました。農業の水利化を行えば、手工業的方法によっても農業生産を高めて、食糧の自給自足が可能になります。食糧の自給自足ができずに、外国から買い入れてまかなうようでは、工業も発展させることができません。近年は気候の変化が甚だしく、世界中が食糧難に直面していますが、我が国には食糧難などないばかりか、かえって食糧の蓄えをもっています。もし我々が工業と農業を同時に発展させず、また農業の技術改造で水利化を先に行わなかったならば、農業生産でこのような成果をおさめることはできなかったでしょう。

 我が国で農業を機械化するのは、たいへんむずかしいことです。それは、我が国に峡谷が多く、平地が少ないからです。我が国のような条件のもとでは、農作業に少々骨がおれても水利化をまず実現して安全に農業が営めるようにしたのち、徐々に耕地整理を行い、農業の機械化を実施する方がよいのです。我々は農業の機械化でも大きな成果をおさめました。今、我が国では、農業の総合的機械化の完成をめざし力強いたたかいが展開されています。

 我々は、新しい社会の建設で最も重要な問題である民族幹部の問題も創造的に解決し、既に100万の技術者、専門家の隊列をつくりあげました。これはすばらしい成果です。

 解放直後の我が国には、民族幹部が非常に不足していました。民族幹部がいたとすれば、抗日武装闘争に参加した人たちだけで、日本帝国主義植民地支配当時に大学を出た朝鮮人は幾人もいませんでした。解放後、日本や南朝鮮からインテリたちが我々のところへやってきました。日本で学んだ李升基博士も、そのころ祖国に帰ってきました。かれらは新しい祖国の建設で重要な役割を果たしましたが、いまではかれらもみな70をこえました。我が党はかれらを非常に貴重に思い、国の元老として大切にしています。

 このような実例は枚挙にいとまがありません。本にすれば、何十巻にもなるでしょう。

 これまで我が党がおさめたすべての成果は、党が正しい路線をうちだし、人民大衆に依拠してすべての問題を自主的に解決してきた結果であり、また人民大衆が党の路線を支持し、自己の運命を切り開くため革命の主人らしく積極的にたたかったたまものです。一言でいって、我が党のかちとったすべての成果は、チュチェ思想の輝かしい結実です。これまでの30年間我が党の歩んできた道は、栄えあるチュチェ思想の誇らしい勝利の道であったといえます。

 次に、6か年計画をくりあげて完遂する過程でどのような難関につきあたり、それをいかにのりこえたかについて話しましょう。

 6か年計画をくりあげて完遂するための朝鮮人民の闘争過程には多くの難関がありました。元々、革命闘争の過程には、さまざまの障害や難関があるものです。難関を伴わない革命闘争などありえません。

 6か年計画を遂行するうえでの最大の難関は、労働力の不足でした。

 我々は6か年計画を完遂するために多くの基本建設を行い、また大規模の炭鉱や鉱山を開発しなければなりませんでした。我々には多くの労働力が必要でしたが、国の労働力は非常に不足していました。

 ご存じのように、我々は世界帝国主義の頭目であるアメリカと直接対峙しているので、多くの青壮年を軍隊に送らざるをえませんでした。軍隊を減らせば労働力の不足を多少おぎなうことはできますが、アメリカ帝国主義侵略軍がひきつづき南朝鮮に居座り、敵の新たな戦争挑発策動が日ましに強まっている状況のもとでは、そうするわけにもいきませんでした。

 我が党は、労働力の不足を解決するうえでも人民大衆の力を信頼し、それに依拠しました。我々は人民大衆の力を信じ、かれらの革命的熱意とつきることのない創意を積極的に引きだして、労働力の不足をおぎない、6か年計画をくりあげて完遂するたたかいで新たな奇跡を創造することができました。

 我々は労働力の不足を解消するため、第5回党大会でうちだした三大技術革命を力強くおし進めました。我が党は、三大技術革命を力強くおし進めて2つの問題を解決しました。我々は三大技術革命をとおして、生産工程の機械化、半オートメ化、オートメ化を広く取り入れ、労働生産性を高めて当面の労働力問題を解決し、勤労者を骨のおれる労働から少なからず解放しました。特に、骨がおれ手間の多くかかる作業の最も多い炭鉱や鉱山などの採取工業部門と農業部門の勤労者が、骨のおれる労働からかなり解放されるようになりました。

 最近我が国の経済発展における難関の一つは、生産の急速な増大に輸送が追いつけないところから、生産と輸送のあいだに不均衡が生じたことです。

 生産と輸送のあいだの不均衡のため、特に対外貿易で困難が生じました。

 ここ数年間、世界の多くの国が食糧難のため、食糧輸入に多くの船をチャーターしました。特に、大きい国が食糧輸入に世界の貨物船のほとんどを独占するような事態になりました。そのため、用船料が2~3倍にはねあがったにもかかわらず、用船ができなくなりました。

 今、我が国の港には貨物が山と積まれていますが、運ぶ船がないのでそれを外国に売れずにいます。昨年我が国では、大量の米を外国に売ることにしましたが、大型貨物船がなくてそれを全部輸出することができませんでした。そこで我々は、大型貨物船を自力で建造しはじめました。もちろん、これまでにも船は建造しましたが、それは主に漁船であり、貨物船は3000トン級、5000トン級しかつくりませんでした。

 昨年から我が国では1万トン級、1万5000トン級、2万トン級の貨物船をたくさん建造しはじめましたが、それは今、成功裏に進められています。

 国内輸送でも難関がありました。例えば、石炭は大量に採掘したものの、貨車が足りなくてそれを円滑に運べないこともありました。

 我が党は、生産と輸送間の不均衡をなくし、輸送力の不足を解消するため、三化輸送方針をうちだし、輸送の空中ケーブル化、コンベヤー化、パイプライン化を広く取り入れるたたかいを力強く進めています。

 我が国の科学者や技術者、労働者はみずからの力と技術で、茂山鉱山から金策製鉄所にいたる98キロメートル区間に大型長距離精鉱輸送パイプラインの敷設工事を完成しました。現在試験輸送の最中ですが、極めて順調だとのことです。数日後には開通式をする予定です。

 社会主義経済は計画経済ですから、ある一部門に不均衡が生じても、他のすべての部門に影響を及ぼします。したがって我々は現在、経済部門間に生まれた一時的な不均衡をなくすことに大きな力をそそいでいます。元々、6か年計画期間は来年までです。来年1年間奮闘すれば、6か年計画の遂行過程に生じたこのような不均衡は完全になくなるでしょう。

 我が国の経済で、このほかにこれといって問題になるようなことはありません。

 我が党が6か年計画遂行過程の難関を成功裏に克服し、6か年計画を1年4か月もくりあげて完遂できたのは思想、技術、文化の三大革命を力強くおし進めたからです。

 三大革命の遂行で、三大革命グループが大きな役割を果たしました。

 我々は数年前から、三大革命をいっそう力強くおし進めるため、党活動家や国家・経済機関の活動家、現代科学技術知識を身につけた最終学年の大学生や大学教員、それに工場、企業所の技術者で三大革命グループを組織し、人民経済各部門に派遣しました。今、我が国では、数万にのぼる三大革命グループが工場、企業所、協同農場に出むいて思想革命、技術革命、文化革命を力強くおし進めています。

 三大革命グループは何よりも思想革命を強力にくりひろげ、多くの人々を教育改造しました。

 我が国での思想革命は反革命との闘争ではなく、主として保守主義、経験主義、事大主義、官僚主義、自己満足など、古い思想の残りかすを根こそぎにする思想教育と思想闘争です。現在我々の活動家のなかには、党創立当時からたたかってきた人もおり、アメリカ帝国主義に反対して祖国解放戦争に参加した人もたくさんいます。かれらの大部分は、党と革命のために長いあいだ献身的にたたかってきた立派な人たちですが、かつて学ぶことができず、また仕事に追われて学習できなかったため、現代科学技術知識を身につけておらず、保守主義や技術神秘主義、事大主義など古い思想に少なからず毒されています。また、長いあいだ幹部として働いてきた人のあいだには官僚主義が生まれ、これまでの活動の成果に自己満足し、思想的に老化した現象があらわれました。それで我々は、三大革命グループが出むいてかれらを教え、かれらの頭に残っている古い思想を一掃するようにしました。三大革命グループが展開している思想革命は、人々の首をはねたり、欠点のある活動家を解職するための闘争ではなく、かれらの頭に残っている古い思想を根こそぎにし、かれらがいっそう仕事に精を出すよう教育改造するための闘争です。いいかえれば、人々の頭にある錆をおとす闘争です。

 三大革命グループが活動家のあいだで思想教育と思想闘争を力強く進めた結果、古い思想がかなり克服され、活動家の革命的熱意と創意が大いに発揮されました。

 三大革命グループは、技術革命の遂行でも大きな役割を果たしました。現在、工場、企業所で働いている技術者のほとんどは、国内の大学で学んだ人たちです。しかし、かれらは大学を卒業してから、既に長い月日がたっており、仕事に追われてよく学習できないため、新しい技術の発展に敏感でなく、立ち後れています。我々は、現代科学技術に詳しい大学の教員や科学者、技術者、それに最終学年の大学生を三大革命グループに参加させて現場で働く技術者を助け、かれらに新しい技術を教え、三大革命グループと技術者が協力して技術革命を力強くおし進めるようにしました。三大革命グループと現場で働く技術者や労働者、そして工場、企業所の幹部が協力してたたかった結果、多くの新しい創意考案が生まれ、それが生産に取り入れられて、人民経済の各部門で難題となっていた技術上の問題が数多く解決されました。

 我が党は三大革命グループを派遣し、人民経済のすべての部門で三大革命を力強くおし進めることによって、6か年計画を1年4か月くりあげて完遂するという誇らしい勝利をかちとることができました。我々は最初、6か年計画はせいぜい半年ほどくりあげて完遂されるだろうと考えました。ところが、6か年計画は半年どころか、工業総生産額のうえで1年4か月もくりあげて完遂されました。

 工業部門で鋼鉄とセメントの生産目標はまだ達成していませんが、それは、先進技術を導入するため、外国から新しい工場を輸入しているからです。外国からプラント輸入する工場は、契約が満期になってはじめて完工することができます。しかし、自力更生の原則に基づき、みずからの力と技術で工場を建設した部門では、すべて6か年計画を完遂しました。

 6か年計画の遂行でおさめた成果は、我々の労働者階級と協同農民、勤労インテリと三大革命グループが三大革命の旗を高くかかげ、社会主義大建設戦闘を力強く展開したたまものであり、我が党がうちだした三大革命路線の正しさを立証するものです。

 次に、社会主義建設の十大展望目標の達成をめぎすたたかいをどうおし進めるかという問題について述べましょう。

 具体的なことは、来年1年たてば完全に確定するものと思います。我々は、今、大きな工場を幾つか建設していますが、その建設の進行いかんによって十大展望目標達成の見通しがはっきりします。

 今、進めている大型機械工場の建設が、来年にはほとんど竣工する見こみです。この大型機械工場が竣工すれば、我々は大型設備を外国に依存することなく、ほとんど自力で解決できるようになります。今は、一部の大型設備を外国から輸入していますが、それらの国では最近経済的困難のため、我々が注文した設備を適時によこしてくれません。大型機械工場が来年にはほとんどみな完工するはずであり、遅くても1977年の上半期までには問題なく完工するでしょう。それゆえ、十大展望目標の達成をめざすたたかいは、我々の計画どおり成功裏に進められるものと思います。

 社会主義建設の十大展望目標の達成をめざすたたかいと、今後の経済建設で我々が堅持すべき重要な方針は、自国の原料によって経済を発展させることです。これまでもそうでしたが、今後も我々はひきつづきこの方針を堅持するでしょう。

 現在、世界の多くの国が燃料難、原料難、食糧難に直面していますが、我々はそのような難関に直面していません。我々は、自国の原料によって経済を発展させる方針をゆるぎなく堅持しているため、現在だけでなくこれから先も、どのような世界的燃料難や原料難、食糧難の影響もうけることはないでしょう。

 我が国で6か年計画を遂行するさい、日本や他の国の経験にてらして建設速度のはやい原油発電所を建設する方針をとるほうがよいのではないかという意見が一部の学者たちから出されたことがあります。

 いうまでもなく、原油発電所を建設すれば建設速度ははやいでしょう。しかし、まだ我が国で石油が産出されない状態で原油発電所を建設すれば、原料を外国に依存することになるので、これでは経済的に外国に従属するのも同然です。これは極めて危険なことです。それに、原油を運んでくるのも問題です。我が国に原油を提供しようという国はたくさんあります。ソ連も中国も提供するといっており、アラブ諸国も我々に原油を提供するといっています。しかし、毎年何百万トンもの原油を外国から運搬するというのは容易なことではありません。

 それで我々は、この問題を党中央委員会政治委員会で討議し、学者たちの意見は、すべての工業部門で原料の70%以上を国内原料でみたすという党の方針に反するものとして、受け入れないことにしました。最近、世界中が燃料難に直面しているのを見て、その学者たちは、当時我が党のとった措置が全面的に正しかったといっています。

 我が国には石炭資源が無尽蔵であり、まだ未開発の水力資源も豊富です。だというのに、何のためにそれを開発せず外国の原料に依存する必要があるでしょうか。

 金大(金日成総合大学)の学生が私に寄こした意見書によれば、大同江だけで約100万KWの発電能力がつくりだせるとのことです。現在、大同江に発電所を建設中です。

 大同江の水力資源を調査する課題は、戦時中私が金大の教員と学生に与えたものです。かれらは、休暇中にも帰省せず長いあいだ探査を行って大同江の水力資源を調査し、その開発に関する意見書を作成しました。我々が開発できる水力資源は、このほかにもたくさんあります。清川江や礼成江も開発でき、その他東海沿岸にも開発できる河川がたくさんあります。鴨緑江もさらに開発できます。いまでも、金大の地理学部の学生は休暇のたびに、水力資源を開発するため調査に出かけています。

 我が国には、自国の資源で動力工業を発展させうる多くの可能性があります。我々は発電機も自力で製作し、ダム建設に必要なセメントや鋼材ももっています。ダムを一度建設しておけば、我が国では毎年1000ミリ以上の雨が降るので、それを溜めておいて一年中電力を生産することができます。

 セメント工業、製鋼業をはじめ、他の工業部門も、やはり国内原料をもとにして発展させる計画です。

 我が国のセメント工業の見通しは極めて有望です。我が国には、石灰石の資源が無尽蔵にあり、無煙炭も豊富です。石灰石は、何万年のあいだ掘っても使い切れないほどあります。石灰石と無煙炭さえあれば、セメントはいくらでも生産できます。

 製鋼業の見通しも極めて有望です。我が国には、高品位の鉄鉱石が豊富にあります。茂山鉱山一帯に鉱脈が伸びていますが、そこだけでも数十億トンの鉄鉱石が埋蔵されているといわれます。他の地方にも、鉄鉱石はたくさんあります。我が国には鉄鉱石を産出しない道がありません。

 我が国に埋蔵されている鉄鉱石は、いずれも貧鉱ではなく富鉱です。ある地方では、品位70%に及ぶ鉄鉱石が産出されています。このような鉄鉱石は、ただ団鉱をつくり、炉に入れ、酸素を吹きこむだけで鋼鉄になって出てきます。

 我が国では、まだ良質のコークス用炭が産出されていません。それで中国に鉄鉱石を提供し、そのかわりにコークス用炭を受け取っています。このように相互主義によって交流するのは、外国に依存することではありません。現在我々は、自国の燃料による製鉄法を積極的に開発しています。

 我々は十大展望目標の一つとして、1000万~1200万トンの鋼鉄生産目標をめざしていますが、近い将来に1000万トンの鋼鉄を生産するのは、さしてむずかしいことではないでしょう。

 製鋼業の発展で基本となるのは鉄鉱山の開発を先行させることであり、ここで重要なのは輸送問題を解決することです。このたび、98キロメートルに及ぶ茂山-清津間の大型長距離精鉱輸送パイプラインの建設が完成しましたが、今後このような方法を取り入れるなら、輸送問題で多くのことが解決されるでしょう。

 鋼鉄生産の目標も問題なく、セメント生産の目標も問題ありません。

 我々が製鋼業とセメント工業を発展させるのは、たんに我が国の経済発展のためばかりでなく、第三世界諸国との経済交流と協力のためにも必要です。今、第三世界諸国では建設がさかんに進められているので、鋼鉄とセメントをたくさん要求しています。

 1000万トンの穀物生産目標を達成するのも問題ありません。

 我が国は水利化が完成されています。まだ段々畑の水利化はできていませんが、今後段々畑もすべて水利化する計画です。そうなれば、穀物増産の潜在力はさらに増大するでしょう。

 現在でも、我が国で生産される穀物は国内需要をみたしても余裕があります。人口1人当たり300キログラムの食糧を与えるとしても、人口が1600万だから480万トンあれば足りるわけです。今後、1000万トンの穀物を生産すれば、食品工業をいっそう大々的に発展させることができます。

 次に、我が国の統一問題について話しましょう。

 我が国の統一問題については、朝鮮労働党創立30周年記念大会の報告で詳しく述べました。

 我が国の統一問題の解決で基本となるのは、全民族的統一戦線を結成することです。

 1つの民族を永久に2つの民族に分裂させることは絶対にできません。ある国では、社会体制がそれぞれ異なるからといって、1つの民族を社会主義的民族と資本主義的民族に分けていますが、我々はこれに賛成できません。思想と理念上の違いはあるとしても、民族はあくまでも1つの民族です。

 現在、我が国の北と南のあいだには思想と理念の違いがありますが、民族の統一を基本にして問題を設定するならば、ごく少数の売国分子を除いては、全民族がいくらでも団結することができます。それゆえ、朝鮮労働党は祖国統一の問題において全民族的統一戦線を結成する路線を一貫して堅持してきたし、これからもひきつづき堅持するでしょう。

 朝鮮人民が全民族的統一戦線を結成し、祖国を統一しようとするのを妨害する者もいます。アメリカ帝国主義者と日本の一部の反動層、そして一握りの南朝鮮の売国分子は、北と南が団結して統一することに反対しています。しかし、世界の人民は朝鮮の統一を支持しています。1つの民族を2つの民族に分裂させることに賛成する人は多くありません。

 ことし、国連総会での朝鮮問題に関する表決の結果をみると、我が方の決議案に対して棄権した国も多く、また敵側の「決議案」に対して棄権した国も多いのですが、それはアメリカ帝国主義者の圧力のためです。そのような圧力はしばらくのあいだは効果があるとしても、長続きするものではありません。圧力を加える方法で問題を解決することができないということは、歴史が証明しています。

 今、米日反動層は南朝鮮「政権」を支持していますが、日本人民とアメリカ人民の闘争と圧力が日ましに強まっている状況のもとで、それが長続きするものとは思えません。南朝鮮の反動「政権」は、日本とアメリカ反動層の支持さえなければ、いっときも維持できません。南朝鮮の反動「政権」は、南朝鮮人民の支持をうけていません。

 私は、日本の自民党代表団と会見したさい、南朝鮮「政権」というのは、例えていえば朝鮮の昔の冠のようなものだといいました。冠というのは、頭にかぶさってついているものではなく、頭の上に乗せてひもでくくられて維持されるものです。朴正煕「政権」は、人民大衆の支持によって維持されているのではなく、冠の2本のひもによって維持されているのです。片方のひもの役はアメリカ帝国主義者が果たし、他の一方のひもの役は日本の反動層が果たしています。2本のひものうち片方のひもが切れても、冠は頭についていません。

 私の話を聞いた自民党代表団の一人は、自分たちが南朝鮮「政権」を維持している冠の片方のひもをたち切ることができるといいました。すると他の一人は、そうするにはまだ少々力が足りない、しかし、しっかり取り組んでたたかえば、冠の片方のひもをゆるめることはできるといいました。冠のひもをゆるめておけば、風に揺られて冠がふらふらしますが、その程度でも結構です。

 もちろん、そこまでもっていくのは容易なことではありません。日本の反動層と南朝鮮の反動層は、「援助」の名目のもとに互いに金を横領する利害関係によって癒着しています。日本人の話によれば、日本が南朝鮮に与える「援助」は、日本の反動層が何10%か着服し、朴正煕が何10%か着服し、さらにまたその手先が何10%か着服してしまえば、しまいに残るのはいくらにもならないということです。このように南朝鮮の反動層と日本の反動層は密接にからみあっているので、日本の反動層が南朝鮮の反動層を支持できないようにするのは、容易なことでありません。

 しかし、日がたつにつれて、日本政府の政策の不当性は日本人民のあいだに認識されつつあります。

 今日、南朝鮮の民主勢力は、朴正煕ファシスト一味の過酷な弾圧をうけています。しかし、弾圧のあるところには抵抗があり、抵抗のあるところには必ず革命が起こるものです。奴隷制社会から封建制社会へ移行するときにもそうであったし、封建制社会から資本主義社会へ移行するときにもそうでした。朴正煕一味の過酷な弾圧があっても、南朝鮮の民主勢力は成長するでしょう。

 日本の人民と民主勢力が、日本の反動層に反対する闘争を強めて朴正煕「政権」の冠の片方のひもをゆるめ、南朝鮮の民主勢力がいっそう成長すれば、北半部の社会主義勢力と南朝鮮の民主勢力が団結して、祖国の平和的統一を実現することができるでしょう。

 次にあなたがたは、第三世界諸国を訪問したときの印象についてたずねましたが、それについて簡単に話しましょう。

 今日、第三世界は極めて重要な位置をしめています。それで私は、このたびの朝鮮労働党創立30周年記念大会の報告で、第三世界の問題について少なからずふれました。

 現在、発展途上諸国は、非同盟諸国を含めて100か国をこえます。

 私は第三世界諸国の国家元首をはじめ、多くの著名な人たちに合いましたが、現在これらの国の共通の志向は国の独立を守りぬくことです。国の独立を固守するには自主性が必要であり、自主性を堅持するには経済的自立が必要です。我々の経験からしても、経済的自立なくしては、自主性を堅持することができません。今日、我々が自分の意思を自由に発表し、政治問題でいかなる国にも盲従せずに自主性を堅持できるのは、我が国に自立的民族経済がしっかりと建設されているからです。第三世界諸国も経済的自立を求めています。

 今日、第三世界諸国は、自主性を堅持し、民族の独立を固守し、経済的自立をなし遂げることを基本的な闘争目標としてかかげています。第三世界諸国は民族の独立をかちとりましたが、帝国主義者は従来の経済秩序に基づいて、これらの国の資源をひきつづき搾取しようとしています。それゆえ第三世界諸国は、新国際経済秩序の確立を最も重要な問題としています。これらの国が新経済秩序を確立しようとするのは、資本主義と帝国主義の無制限な搾取を一掃しようというところに目的があります。

 新経済秩序を確立するためには、帝国主義者とたたかわなければなりません。第三世界諸国は、新国際経済秩序を確立するため、帝国主義者とのたたかいを力強く展開しています。今日、反帝闘争の力は第三世界にあります。それで我が国は、非同盟国家としてリマ会議に参加しました。我々は、来年スリランカで開かれる非同盟諸国首脳会議にも参加するつもりです。

 現在重要な問題は、第三世界諸国の団結を強化することです。帝国主儀者は離間・破壊策動によって、第三世界諸国の団結を妨げています。このような状況のもとで、第三世界諸国間の団結を強化することは極めて重要です。

 次に重要な問題は、発展途上諸国間の経済・技術協力を強化することです。発展途上国に属する100余か国が技術を一つずつ出しあうとしても、100種頬の技術を互いに交流し導入することができます。

 我々は第三世界諸国の人々に会うと、何よりもまず食糧問題から解決すべきだと話します。

 第三世界諸国が食糧問題を国内で解決せず、他国からの輸入にあおぐのはむずかしいことです。食糧を輸入する金も問題ですが、また売ってくれるところもありません。食糧は大きな国が全部買いしめるので、小さな国にはまわってきません。

 このたび第三世界諸国に行ってみると、食糧問題を自力で解決しようとする立場はどの国でもはっきりしていました。灌漑工事をしようという強い意欲もうかがわれました。第三世界の多くの国が農業を重視し、食糧問題を自力で解決しようと努力しており、どんなことがあっても経済的自立をなし遂げようとする意気もさかんなものでした。

 しかし、これらの国が経済的自立をなし遂げるには、少し時間をかけなければならないでしょう。それは民族幹部が不足しているからです。これらの国には、法学や文学を学んだ人はいますが、技術を身につけた人は多くありません。自国の実情に即して経済政策を立て、国の経済をすみやかに発展させるためには、技術者を含めた民族幹部を育てなければなりません。それゆえ第三世界諸国には、技術者をはじめ、民族幹部の養成が重要な問題として提起されています。

 アルジェリアにいってみると、この国では民族幹部養成事業を重要な問題としてうちだしていました。アルジェリアでは工業革命、農業革命、文化革命という三大革命のスローガンをかかげています。これはよいスローガンです。アルジェリア人は革命の伝統ももっており、フランス帝国主義者に反対して8年間もたたかった経験ももっています。アルジェリアの指導者たちの立場は確固としています。我々はまだ多くの国へ行ってないので、実情をよくは知りませんが、他の国々も自主性を堅持し、自立的民族経済を建設しようという立場はみな同じだろうと思います。

 我々は第三世界諸国との経済協力を強化しています。もちろん、我が国は小さい国なので、他の国に大きな経済援助を与えることはできません。しかし、第三世界諸国に対し、灌漑工事や水利化のようなものは援助を与えています。現在、我々の灌漑技術者たちはアフリカ各国に出むいています。灌漑工事は国によって試験的に、あるいは本格的に援助しています。我々の技術者は、その国に行って報酬もうけずに、その国の人たちと全く同じ条件で生活し働いています。それゆえ、我々の技術者は、それらの国の人たちの共感をうけています。

 第三世界諸国の展望についていえば、それは非常に有望だといえます。

 今後すべての第三世界諸国がそれぞれ自己の民族幹部を養成し、自立的に進むならば、世界帝国主義者の搾取対象はなくなってしまうでしょう。そうなれば、帝国主義国の人民も帝国主義者の侵略政策に反対し、いっそう勇敢にたたかうようになると思います。今日、アメリカ帝国主義者は分裂、離間、破壊・謀略策動を強めていますが、第三世界諸国人民の団結した力はひきつづき成長するでしょう。

 最後に、朝鮮と日本との関係について簡単に話しましょう。

 我々がいつもいっているように、朝・日両国間の関係が正常化されるかいなかは、全面的に日本政府の態度にかかっています。

 日本政府としては当然、隣の朝鮮半島が安定し、南北朝鮮が統一するよう力ぞえをすべきでしょう。しかし、日本政府は朝鮮の分断を永久化しようとする立場をとりつづけており、南朝鮮の反動的かいらい政権を「反共防波堤」とし、それがひきつづき維持されることを望んでいます。これは、我が国に対する日本政府の敵視政策のあらわれです。日本政府がこのような態度を改めないかぎり、朝・日両国間の関係は正常化されないでしょう。

 絶対多数の日本人民は朝鮮の統一を望んでいます。日本で朝鮮の統一に反対する者はごく少数の反動層だけです。朝鮮の分断を永久化しようとする日本反動層の策動は、日本人民のたたかいにより、長つづきしないでしょう。既に戦争を体験している日本人民は、だれよりも平和を愛し、日本軍国主義の復活を許そうとしていません。したがって、自覚した日本人民とごく少数の日本反動層との矛盾は、日を追っていっそう激化することでしょう。

 我々は、朝鮮人民と日本人民のたたかいによって、いずれは朝・日両国間の関係が必ず正常化されるものと思います。

 あなたがたの質問に対してこの程度にお答えしておきます。まだふれていない問題がありましたら、朝鮮労働党創立30周年記念大会で行った私の報告を参考にしてくださるよう望みます。

 私は、今一度『世界』雑誌社のみなさんに心からのあいさつを送り、あなたがたの我が国訪問に対して謝意を表します。

 長い時間講義をするような話し方になって申しわけありません。私の話を注意深く聞いてくださったことに感謝します。

出典:金日成著作集 30巻

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