金 日 成

総聯教育活動家の任務について
 ―在日朝鮮教育活動家祖国訪問団および朝鮮大学校
音楽・体育部祖国訪問団におこなった演説―
1973年8月31日 

 私はまず、党中央委員会と共和国政府および私自身の名において、海外で民族教育事業の発展のため積極的に努力している総聯教育活動家の皆さんの祖国訪問を熱烈に祝います。

 祖国を訪れた皆さんともっと早く会うべきでしたが、地方の指導からきのう帰ってきたので、きょうようやくお会いできたしだいです。少々遅くなりましたが、祖国で元気にすごしている皆さんに会えてほんとうにうれしく思います。

 いましがた団長同志が、訪問団を代表して私と祖国に対して述べたあたたかい言葉に謝意を表します。

 祖国の実情については祖国の幹部から聞いたり、直接見たりしたことでしょうから、ことさらふれようとは思いません。

 私はきょう、皆さんに総聯教育活動家のいくつかの任務について簡単に述べたいと思います。

 教育活動家は、伸びゆく新しい世代を革命の継承者に育てあげる誇らしい仕事にたずさわっています。人間は、おのずと革命家になるものではありません。革命家は、必ず革命闘争と革命的教育をつうじて育成されるものです。それで、私はすでに以前から教育事業は、生活費をかせぐための職業ではなく、革命の継承者を育てる栄えある革命事業であり、教員は月給取りではなく職業革命家であるといってきました。

 革命の前途は、革命の代をつぐ継承者をいかに育成するかに大きくかかっています。

 周知のように、社会主義・共産主義をめざすたたかいは複雑で長期性をおびています。個々の国々の社会主義の完全な勝利と世界革命の最終的勝利が達成されるまでには相当の年月を要します。

 マルクスは、イギリスのように資本主義が高度に発達した国で活動し、そのような国の状況を念頭において社会主義革命の問題を考察しました。したがって彼は、労働者階級が権力を握れば直ちに共産主義社会になるものと予想し、世界革命も主要な資本主義諸国でプロレタリア革命がほとんど同時に連続的に起こって、比較的早く勝利するものと考えたのです。それでマルクスは、資本主義から共産主義への過渡期を短くとらえたのでした。

 レーニンは、発達した資本主義国ではなく、立ち後れた資本主義国であるロシアで革命活動をおこないました。レーニンはロシアの具体的な現実をふまえて、資本主義から共産主義へ移行する過渡期をマルクスのように短く見ないで比較的長くとらえました。

 社会主義革命は、マルクスが革命理論を展開するうえで念頭においた高度に発達した資本主義国で先に起きたのではなく、搾取と抑圧が極度に達した後れた資本主義国や植民地、あるいは半植民地国で先に起こり勝利しました。こういった国々の経済は、農業が支配的で工業はとるにたらず、労働者階級と農民の階級的差が甚だしく、農民が住民の絶対多数をしめ、文化も非常に立ち後れた状態にありました。それで、これらの国では、労働者階級が権力を握ったのち、社会主義を建設する期間が相当に長びかざるをえないのです。

 労働者階級が権力を握った国での社会主義建設と世界革命が長期性をおびるにともない、マルクス・レーニン主義とは無縁のさまざまな日和見主義的思想潮流があらわれて、社会主義諸国の革命闘争と建設事業に弊害を及ぼし、資本主義国の労働者階級の革命意識を巧妙な手口で麻痺させています。そのため、社会主義諸国における革命と建設はますます長期性と複雑さをおび、資本主義諸国の労働者階級の革命闘争も依然として長期性をおびています。

 わが国の革命も長期性をおびています。我々の父親の代は日本帝国主義を打倒するために反日闘争をおこないましたが、彼らは日本帝国主義を打倒することができませんでした。革命は我々の代に引きつがれ、我々の代になってはじめて日本帝国主義を打倒し祖国の解放を達成しました。日本帝国主義者が敗北し祖国が解放されると、アメリカ帝国主義者が南朝鮮を占領し、全朝鮮を植民地にしようと共和国北半部に対する武力侵攻を強行しました。こうして、朝鮮人民はアメリカ帝国主義侵略者を相手に戦うことになりました。アメリカ帝国主義は朝鮮人民から手痛い打撃をこうむって下り坂をたどりはじめましたが、まだ滅びずに侵略と戦争の元凶として残っています。敗北した日本軍国主義も復活し、危険な侵略勢力として登場しています。我々の世代だけでなく、我々の息子や孫の代になっても帝国主義者とひきつづきたたかうことになるかも知れません。

 社会主義労働青年同盟第6回大会でも述べたことですが、革命の標的は変わっていないのに、世代は絶え間なくかわっています。言いかえれば、朝鮮人民の不倶戴天の敵米日帝国主義は完全に滅びていないのに、世代はかわって解放後成長した新しい世代がすでに国の主人として登場しています。我々が米日帝国主義を完全に滅ぼすためには、まだまだ長いあいだたたかわなくてはなりません。

 このように、個々の国の社会主義革命と世界革命が長期性をおびているので、代をついで革命をつづけることは極めて重要であります。特に、わが国の場合、革命の最終的勝利をかちとるまで、代をついで革命をつづけることがことさら重要な問題となっています。

 代をついで革命をつづけるためには、革命の継承者をしっかり育成しなければなりません。革命の継承者を育成する問題は、革命が長期にわたればわたるほどさらに重要な問題として提起されるのです。

 革命の継承者を育成するためには、新しい世代に対する教育を立派におこなって、彼らを真の革命家、熱烈な共産主義者につくりあげなければなりません。我々が立派にたたかってすべての勤労者を革命化し、育ちゆく新しい世代をすべて不屈の革命家に育てるならば、例え我々の代に革命偉業が完遂できなくても、次の世代がそれを引きついでいくことでしょう。このようにして、わが国の革命が困難で長期性をおびているとはいえ、必ず最後の勝利をかちとるでしょう。

 世界革命についても同じことがいえます。いま世界革命は厳しい試練に直面していますが、それぞれの民族が自国の革命を責任をもってあくまで遂行するというかたい決意をもって、すべての勤労者を革命化し、新しい世代を真の革命家に育て、代をついで断固たたかうならば、世界革命はより早く完遂できるでしょう。

 育ちゆく新しい世代を革命の頼もしい継承者に育成することは、革命の前途にかかわる極めて重要な問題であります。したがって、わが党と共和国政府は、創建当初から一貫して新しい世代の教育に深い関心を払ってきました。

 わが党と共和国政府の正しい教育政策によって、学校教育事業では大きな成果が達成されました。こんにちわが国には誰もが学べる最も進んだ教育制度が確立され、教育事業に社会主義教育学の原理が具現されています。

 祖国では、国家の負担で全般的10年制高等中学義務教育が実施されており、新しい世代の教育のためにすべてを惜しみなくささげています。わが国の学生・生徒は、一文の金もかけずに無料で勉強しているばかりでなく、季節ごとに国から安い値段で学生服の供給をうけています。昨年、国では全国のすべての子どもと学生・生徒にタフタ織の綿入れを作って着せたのですが、その数は680万名以上になります。このように、全国の子どもと学生・生徒に一度に綿入れの上着を作って着せたのを見て、わが国に来ているある外国人は、世界の多くの国に行って見たが、朝鮮のように一度に数百万の学生・生徒に立派な服を作って着せる国ははじめてだといいました。

 わが国には、すべての子どもと学生・生徒を国家負担で教育できる十分な施設が整っています。白頭山の麓であれ平野部であれ、子どもと学生・生徒のいるところならどこにでも託児所や幼稚園、学校が立派に整っています。皆さんも見られたでしょうが、どこへ行ってもいちばん立派な建物は、託児所、幼稚園、学校なのです。わが国の子どもと学生・生徒は、いちばんめぐまれた環境のもとで幸せに育ち、思う存分学んでいます。

 新しい世代の教育で我々は実に大きな成果をおさめました。これは、朝鮮民族の大きな誇りであります。わが国の教育事業でおさめた成果について世界の多くの国の人々が感嘆しています。最近わが国を訪れた日本の大阪府知事に会ったのですが、そのとき彼は、朝鮮に来て青少年の顔が明るいのにいちばん感嘆したといいました。彼は、朝鮮の青少年は自分の希望や前途に確信をもっているので、瞳が星のように輝き顔も明るいが、腐敗しむしばまれている日本の社会では、青少年の前途が暗たんとしているため、彼らの顔には明るさが見られないといいました。彼はまた、日本でも朝鮮のように、青少年教育を立派におこなう必要があることを痛感したと語りました。

 わが国はいまのところまだそれほど豊かな状態ではありませんが、わが党と共和国政府はこれまでと同様、今後も新しい世代の教育にひきつづき大きな力をふりむけるでしょう。

 これまで総聯の教育事業でも大きな成果をおさめました。総聯の教育活動家は、日本という複雑で困難な環境のなかにあっても自分の仕事を名誉に思い、大きな誇りをいだいて新しい世代の教育に専念してきました。その結果、いま総聯管下のすべての学生・生徒は勉強に励み規律もよく守っており、民族的自負も非常に強くなりました。総聯の教育活動家はまた、立派な学校を建て几帳面に管理運営しています。そのほかにも総聯の教育活動家は、新しい世代の教育で誇るべき多くの業績をつみあげました。

 総聯の教育事業は、社会主義祖国での教育事業より何倍も困難な状況のもとでおこなわれています。

 社会主義祖国には、学生・生徒の世界観の形成に悪い思想的影響を与える要素がさほどありません。わが国には地主や資本家がいないばかりか、人をだまして金銭を詐取したり腐敗堕落した生活をしている人もいません。社会主義祖国ではすべての人が互いに助け導きあって、みなが幸福に暮らしています。人民の思想状態は極めて健全であり、その政治・意識水準も高いといえます。

 最近、江原道川内郡三和協同農場の指導に出向いたさい、女性たちと話しあってみようと、その農場で実習中の1人の女子大学生に会って、協同農場に立ち後れた女性がどれくらいいるかと尋ねてみたところ、彼女はわが国には立ち後れた女性などいないと答えるのでした。私は彼女の話を聞いて非常にうれしく思い、立ち後れた人間という言葉は、もうわが国では昔語りになってしまったのだと考えました。事実、その協同農場で働いているある女性と話しあってみたところ、彼女は党の政策に詳しいばかりでなく、資本主義社会の反動性と腐朽性も明確に認識しており、朝鮮革命の最終的勝利のためには、あらゆる難関を克服して革命をつづけなければならないこともよく知っていました。この一つの例からしても、祖国の人たちの思想・意識水準がどれほど高いかを十分に知ることができると思います。

 いうまでもなく、まだ一部の人には古い思想や古い生活因習が残っています。我々はこれを完全になくすために、思想革命、文化革命をつづけているのです。

 いま社会主義祖国で育っている学生・生徒の思想状態は極めて良好であり、彼らには金銭欲や物欲がありません。社会主義祖国で育っているこういう学生・生徒でさえ、革命的に教育するのはそうたやすいことではありません。それゆえ、日本のような複雑な社会環境で悪い思想の影響をうけながら育っている学生・生徒を革命的に教育するというのは、たいへん難しいことでしょう。

 日本の社会については我々よりも皆さんのほうがよく知っていると思いますが、日本は資本主義諸国のなかでも社会風潮が最も腐敗した国の一つです。最近、日本の劇映画を一つ見ましたが、そこにはなぐったり、奪ったり、みだらな行為をする実に醜悪な場面が何度も出てきます。それには、目をおおわずにはいられないほどでした。私はその映画を見て、日本の社会風潮はほんとうに腐るところまで腐っていると思いました。

 日本の社会は、搾取と抑圧、飢餓と貧困が支配しており、詐欺と不正、腐敗と堕落がはびこっています。日本では金のある人はよい暮らしができますが、金のない人は飢えと貧困に苦しまなければなりません。

 日本では人々の利己主義が極限に達し、人間関係がすべて金銭によって左右されています。日本では多くの人が個人の安逸と享楽のみを追求しており、金銭しか眼中にありません。

 朝鮮人は、昔から隣同士むつまじく暮らしてきました。朝鮮人はちょっとしたご馳走をつくっても隣近所と分かちあい、どこかの家で祝いごとがあると村中で助けあったものです。いま祖国の人たちは祝いごとをあまりはでにするので、たいへんな浪費をしています。そこで祖国では、はでな祝いごとに反対しています。だからといってなにも隣近所が仲よく暮らし、村中が集まって楽しく遊ぶことに反対するのではなく、虚飾虚礼に反対しているのです。

 利己主義が極限に達している日本の社会には、こうした良風美俗はありえません。日本の社会で利己主義にこりかたまった人たちは、隣の人が飢え死にしようが、凍え死にしようがおかまいなく、自分さえ財をなして楽に暮らせばよいと考えています。甚だしくは、金銭のためには親兄弟もかえりみず、妻さえ平気で売りとばす人がいるとのことです。

 現在南朝鮮の多くの人が、まさにこのようになっているのです。昨年、南北赤十字団体代表の本会談のさい、平壌に来た南朝鮮のある記者は、わが方の案内係りにむかって、ここに来て見ると国家がすべての人の生活を保障しているのはいいが、そのかわり人々に「自由」がないのが悪い、南朝鮮では働いて酒を飲みたければ飲み、遊びたければ遊べるのだからそれ以上いいことはないといったそうです。いま南朝鮮では、数多くの人が金がないばかりに飢え死にしているのに、他人はどうなろうと自分さえ満足に食べて楽をすればいいという、そのような者は利己主義の極限に達した者だというべきです。

 金銭がすべてを支配し、利己主義が極限に達している日本の社会的環境は、育ちゆく在日同胞の子弟に悪い影響を与えています。在日同胞の子弟は幼いときから日本社会の悪い影響をうけて、金銭欲や物欲にかられ、利己主義に毒されるようになります。

 日本の反動的な文学・芸術も在日同胞の子弟の世界観の形成に好ましくない影響を及ぼしています。いま日本の映画館やテレビ放送では軍国主義思想を吹きこむ「サムライ」映画や「ギャング」映画が大々的に上映されています。青年少年はそういう映画を見ればその真似をしたがるものです。私は、日本で育っている同胞の子弟がそれに染まらないようにするにはどうすればよいだろうかといつも考えています。現在総聯の各組織が同胞のあいだでテレビを見ない運動を起こしているそうですが、それはよいことです。しかし、日本で暮らしている以上、いくらテレビを見ない運動をやっても、子どもたちにテレビを全然見せないことはできないし、したがって日本の腐りきった文学・芸術が同胞の子弟に及ぼす悪い影響を完全に防ぐことはできません。

 総聯の教育活動家が教えている学生・生徒はこのように腐りはてた社会的環境のために、時々刻々あらゆる面からブルジョア思想に毒されており、両親からも古い思想の影響をうけています。したがって、在日同胞の子弟を教育し、革命的世界観で武装させるのは、決して生やさしい問題ではありません。

 私は、極めて困難で複雑な環境のなかで教育事業に社会主義教育学の原理を具現し、同胞子弟を社会主義的愛国主義思想で武装させるために力を尽くしている皆さんに、党中央委員会の名において深い謝意を表します。

 我々には、これまでなし遂げたことよりも、これからなすべきことのほうが多いのです。我々はいまなお、全朝鮮人民の最大の民族的悲願である祖国統一の偉業を完遂していません。祖国の南半部は、依然としてアメリカ帝国主義者の植民地支配のもとにあり、そこには、ごく少数の地主、買弁資本家や反動官僚層のための搾取制度が存在しています。南半部では、一握りの地主、買弁資本家や反動官僚層がのさばり、勤労者大衆を過酷に搾取してぜいたくに暮らしている反面、圧倒的多数の勤労人民は衣食にもこと欠いています。我々は、一日も早く南朝鮮からアメリカ帝国主義者を追い出し、その手先一味を打ち倒さなければなりません。こうして祖国の統一を達成し、共和国南半部を共和国北半部のようにすべての人が幸福に暮らせる社会に変えなければなりません。

 祖国を統一し、朝鮮革命の全国的勝利をかちとるためには、育ちゆくすべての新しい世代を真の革命家に育てあげなければなりません。

 教育活動家は、新しい世代を真の革命家に育てあげるべき誇らしく、かつ重い任務を担っています。総聯の教育活動家はすでにおさめた成果におごらず、各自に負わされた重大な革命任務を立派に果たすため積極的に努力しなければなりません。

 学生・生徒を革命家に育てるためには、まず教員自身が革命家にならなくてはなりません。

 教員が革命家にならなくては、学生・生徒を革命家に育てることはできません。特に、総聯の教育活動家は、腐りきった資本主義社会でブルジョア思想の影響を多くうけている学生・生徒を教育しているだけに、まず、みずから先に徹底した革命家にならなくては学生・生徒を真の革命家に育てることができません。

 もし、総聯の教育活動家が健全な思想をもたず、ブルジョア思想に染まっているとすれば、口先では社会主義・共産主義のスローガンを唱えても、実際にはブルジョア的な行為をするようになるでしょう。『圧延工』という朝鮮劇映画を見た人はわかるはずですが、わが国で私営商工業者を社会主義的に改造するさい、古い思想を完全に捨てきれなかった人たちは、社会主義的勤労者になってからも、昼は工場で働き夜は家で個人経営をしたものです。社会主義的改造の時期に一部の人が昼は社会主義をやり、夜は資本主義をやったというこっけいな話もこういうところから生まれたものです。これは、人間が古い思想を完全に捨てないかぎり、共産主義的に働き生活することができないということを物語っています。総聯の教育活動家がブルジョア思想に染まっていれば、学生・生徒に語って聞かせる話と自分の行動とが一致するわけがなく、実践的行動をもって手本を示すことはできません。こういうことでは、教員が絶対に学生・生徒を革命家に育てることはできません。

 現在、総聯の各級学校では4万名余りの学生・生徒が勉強しているそうですが、彼らを革命化する問題は、総聯の教育活動家が自分自身を革命化するかどうかにかかっています。総聯の教育活動家が、自分を徹底的に革命化すれば学生・生徒を革命化することができ、自分を革命化しなければ学生・生徒を革命化することができません。総聯の教育活動家は、革命に対して担っている重い責任を強く自覚し、自分自身を革命化するため積極的に努力しなければなりません。

 総聯の教育活動家は、わが党のチュチェ思想で武装しなければならず、マルクス・レーニン主義に精通していなくてはなりません。総聯の教育活動家は、資本主義社会の反動的本質とその腐朽性を明確に認識し、資本主義制度を強く憎み、共産主義偉業の勝利のために献身的にたたかう揺るぎない覚悟をもつべきです。総聯の教育活動家はまた、ブルジョア的生活様式に毒されることなく、共産主義者の品性に徹しなければなりません。一言でいえば、総聯の教育活動家は、革命的世界観で武装し、共産主義的品性を備えた不屈の革命家とならなければなりません。

 総聯の教育活動家が古い思想を根こそぎにして、わが党の革命思想、チュチェ思想で武装し、みずからを革命化、労働者階級化するためには、何よりもまず熱心に学習しなければなりません。

 いま祖国では、全党、全人民、全軍が学習しようというスローガンをかかげてすべての人が学習しています。特に幹部は、有給で1年に1カ月間各級の学校で義務的に勉強しています。大工場の支配人や技師長をはじめ、行政・経済幹部は人民経済大学にいって勉強し、党活動家と人民軍幹部は党学校にいって勉強しています。幹部は1カ月間、教育綱領にもとづいて講義をうけたのち、学んだ問題を中心に討論をおこない、自分の仕事と結びつけて自己批判もします。このように毎年1カ月間学校で集中的に学習する過程をつうじて、幹部は頭のなかの古い思想の残りかすをぬぐいさり、マルクス・レーニン主義とわが党の革命思想で武装しています。

 祖国では、毎週土曜日を幹部の学習日と定め、その日はすべての幹部が半日だけ仕事をし、あとの半日は学習をしています。

 また、毎週水曜日には幹部講演会があります。土曜学習と水曜講演会は、中央から厳格な規律のもとに徹底的におこなっており、これにはすべての幹部が参加します。幹部は、また一日の仕事を終えたのち、義務的に2時間ずつ学習してから家に帰ります。

 総聯の各組織でも祖国でのようにすべての人が学習する制度を設けて、学習をさらに強化しなければなりません。総聯でも教員が年に1カ月あるいは半月ずつ学習する制度を必ず設けるべきであります。これとあわせてすべての総聯幹部と教育活動家が毎日2時間ずつ学習し、土曜学習も欠かさずおこなうようにすべきです。こういうふうに日常的に学習する制度を設けてすべての教員が熱心に学習するならば、マルクス・レーニン主義とわが党のチュチェ思想で武装し、革命化の過程を早めることができます。

 次に総聯の教育活動家は、すべての同胞子弟を革命家に育成するためにたゆみなく努力しなければなりません。

 在日同胞の子弟のなかには、中小商工業者の子弟が少なくありません。商工業者の子弟を革命化するのは、労働者、農民の子弟を革命化するより難しいことです。だからといって、商工業者の子弟を革命化できないと考えてはなりません。労働者、農民の子弟でなければ革命化できないのではありません。出身階級の複雑な人もいくらでも革命家になれます。国際共産主義運動とわが国の革命闘争の経験がそれを示しています。

 国際共産主義運動と外国の革命闘争史をみると、革命闘争に参加したのは、労働者、農民の子弟だけではなく、裕福な家庭に生まれた人たちも少なくありません。我々がかつて日本帝国主義に抗して武装闘争をおこなった当時も、労働者、農民の子弟だけでなく、裕福な家庭で育った人たちも参加しました。

 抗日武装闘争に参加した人たちは、出身階級にはかかわりなくすべて不屈の革命家となって、最後まで立派にたたかいました。だから、労働者、農民出身の人だけが必ず革命家になれると考えるのは間違いです。問題は出身階級にあるのではなく、どのような世界観に立っているかにあるのです。出身階級の複雑な人であっても、当人が資本主義社会の矛盾を認識し、社会主義・共産主義に対する確固とした信念をもつならば、資本主義制度に反対する革命闘争に加われるし、革命家にもなれるのです。

 我々が改造して革命の側に十分獲得できる人々を教育しないで放置するならば、彼らは反動の道に転落してしまうでしょう。教育の力は、極めて大きいものです。中小商工業者の子弟もしっかり教育すれば革命化することができます。まして、わが党のチュチェ思想があり、わが党の明確な革命路線がある以上、商工業者の子弟を革命化するのは十分に可能なことです。

 総聯の教育活動家は、労働者、農民の子弟だけを革命化しようとせず、すべての同胞子弟を革命化するために努力すべきです。

 総聯の教育活動家は、親が企業を営もうと、商店をもっていようと、料理店を経営していようと、それにこだわることなく、すべての同胞子弟を革命家に育てあげなければなりません。商工業者の子弟をすべて革命化すれば、例え彼らが海外にいても、祖国の統一と朝鮮革命の全国的な勝利のために大きな役割を果たすようになるでしょう。

 すべての同胞子弟を革命家に育成するためには、彼らが社会主義・共産主義について正しい認識をもつように教育すべきです。総聯の教育活動家は、同胞子弟に対する共産主義教育を強化して、彼らが、搾取と抑圧が支配し、詐欺とペテンのはびこる資本主義社会を徹頭徹尾憎悪し、腐りきった資本主義制度に反対し、誰もがひとしく幸福に暮らせる社会主義・共産主義社会を建設するためにたたかうゆるぎない覚悟をもつようにしなくてはなりません。

 特に総聯の教育活動家は、同胞子弟に対する社会主義的愛国主義教育をさらに強化しなければなりません。こうして同胞子弟が、搾取と抑圧がなく、誰もが幸福に暮らしている社会主義祖国を熱烈に愛し、社会主義祖国を擁護、防衛するためにすべてをささげてたたかう革命的決意をいだくようにしなくてはなりません。

 それと同時に総聯の教育活動家は、学生・生徒のあいだで健全な生活気風をうち立てる教育活動を力強くくりひろげ、彼らがブルジョア的生活様式に毒されることなく、常に質素に生活するようにすべきです。

 次に、総聯の教育活動家は、父兄に対する活動を正しくおこなわなければなりません。

 父兄に対する活動を正しくおこなわなければ、総聯の民族教育事業を発展させ、さらには総聯組織を強化することができません。

 総聯の教育活動家は、父兄に対する活動を正しくおこなって、総聯の学校を愛護する運動に彼らを積極的に参加させなくてはなりません。父兄が自分の子弟のかよう総聯の学校を愛護するということ自体が民族愛につながるのです。なぜなら総聯の民族教育事業そのものが、とりもなおさず朝鮮民族をよみがえらせる運動であるからです。在日朝鮮同胞の子弟は、総聯の学校で母国の言葉や文字を学び、祖国の歴史を学んでいます。

 日本にいる朝鮮人が母国の言葉や文字を知らず、祖国の歴史を知らないならば、そのような人は朝鮮民族とはいえません。朝鮮人は、どこで暮らそうと必ず朝鮮の言葉や文字を知り、朝鮮の歴史を知らなければなりません。

 在日朝鮮人の父兄が自分の子弟のかよっている総聯学校の愛護運動を展開するのは、民族を守り、民族をとりもどす運動であり、非常に誇らしいことであります。総聯の教育活動家は、父兄を正しく教育して、彼らがすべて自分の子弟のかよう総聯の学校を心から愛護するようにさせるべきです。

 また父兄に対する活動を正しくおこなって、彼らを総聯組織にいっそう強く結集すべきであります。

 総聯は、南朝鮮の反動層をはじめ敵の破壊策動が絶え間なくつづいているなかで活動を進めています。総聯の革命任務が困難で、敵の破壊策動が悪辣になればなるほど総聯組織をさらに強化し、同胞を総聯組織にかたく結集することが必要です。総聯の教育活動家は、敵の破壊策動に対して常に警戒心を高め、総聯組織により多くの人をかたく結集し、いかなる敵といえども総聯の愛国事業を破壊できないようにしなければなりません。

 総聯の教育活動家が父兄に対する活動を正しくおこなえば、多くの人を総聯組織に結集することができます。総聯の事業は立派な事業であり、正当なことであるので多くの人が総聯を支持しています。ごく少数の悪質反動分子を除いては誰でも、正しいことをする人を積極的に支持し同情するものです。

 周知のように今度の金大中拉致事件で、日本の言論界など大勢の人々が憤慨し、南朝鮮当局者を厳しく糾弾しています。

 これは、日本人民も正しいことをする人は積極的に支持し、悪いことをする者には反対するということを示しています。

 総聯の教育活動家が父兄に対する活動を立派におこなうためには、5戸担当制をさらに強化することが必要です。5戸担当制は私が最初昌城郡の薬水中学校に行って、教員が5所帯ずつ受け持って農民をすべて中学卒業程度の水準に引き上げるよう任務を与えたときから始まったものです。昌城郡薬水中学校の教員は、農民のなかにはいって自分の受け持った人たちを1人残らず中学卒業程度の水準に立派に引き上げました。総聯でも教員の5戸担当制を強化すれば、大勢の父兄を教育することができ、彼らを総聯組織にさらに強く結集することができるでしょう。今後、総聯の教育活動家は、5戸担当制をいちだんと発展させるべきです。

 きょうこの席には、祖国の大学学長も一部参加していますが、教育活動家の任務が極めて重要であることを明確に認識すべきであります。祖国にいる教育活動家は、総聯の教育活動家に比べれば非常に恵まれた環境で活動しています。祖国の教育活動家は、腐りきった資本主義社会のまっただなかで革命家を育成している総聯の教員や、敵中でたたかっている総聯の教育活動家を積極的に助け、彼らと深い連係をもって経験も提供すべきであります。

 私は、すべての総聯の教育活動家が燃えるような祖国愛と民族的誇りをもって、朝鮮革命の代をついでいくべき革命家をより多く、より立派に育成するために、ひきつづき強くたたかうよう望むものであります。


<注>金大中拉致事件−1973年8月8日、アメリカ帝国主義の手先朴正煕かいらい一味が特務を使って、外国で亡命生活をおくつていた南朝鮮の民主人士金大中を東京のグランドパレスホテルで拉致し南朝鮮に強制連行した事件。
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』28巻 

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