金 日 成

思想革命、技術革命、文化革命遂行における
南浦市各党組織の課題について
南浦市党委員会総会でおこなった演説 
−1973年3月5日− 

 我々は今日、南浦市党委員会総会において、南浦地区に派遣されて活動している3大革命グループの活動報告を聴取しました。3大革命グループの活動報告をつうじて、我々は、工場、企業所と協同農場に3大革命グループを派遣して思想革命、技術革命、文化革命を力強くおし進めることにした党中央委員会の措置が極めて正しいものであることがわかります。もし、我々が3大革命グループを派遣しなかったならば、活動家の頭に残っている保守主義、要領主義、官僚主義、経験主義などあらゆる古い思想を一掃することも、活動を革命的に改善することもできなかったでしょう。

 3大革命の課題は、わが党がこんにちにいたってはじめて示したものではありません。わが党は、すでに久しい前に思想革命、技術革命、文化革命を力強くおし進める課題をうちだしています。しかし、これまで活動家は、3大革命についてスローガンを唱えるだけで、この課題を遂行するために力強く闘おうとせず、平穏な雰囲気のなかで活動してきました。闘争のない平穏な雰囲気のなかで活動するのは、革命的活動方法とはいえません。革命は必ず闘争を伴うものです。闘争のない革命などありえず、革命なくしては社会が発展しません。闘争をつうじてのみ、社会が発展し、革命の勝利が達成されます。

 一部の人は、古い支配機構を粉砕して搾取階級を一掃することのみを革命といっていますが、我々はそう考えません。革命には暴力革命とともに非暴力革命もあります。労働者階級が政権を握るために闘うときには、古い社会制度をくつがえし搾取階級を一掃する暴力革命が必要であります。しかし、労働者階級が政権を掌握したのちには、古い社会制度が転覆され、古い支配機構を維持する暴力手段が取り除かれた状況のもとで、暴力革命ではなく非暴力革命が要求されます。言いかえれば、労働者階級が政権を掌握する以前は古い社会制度をくつがえす革命をおこなったとすれば、政権を掌握したのちには、思想、技術、文化の各分野で古いものを一掃し、新しいものを創造する思想革命、技術革命、文化革命を進めなければなりません。

 では、なぜ思想、技術、文化の分野で古いものを一掃し、新しいものを創造することを革命というのでしょうか。それは、思想、技術、文化の分野で古いものを新しいものにかえるのも必ず闘争をつうじてのみ実現するからです。闘争そのものが革命なのです。いま一部の人は、思想、技術、文化の分野で古いものを新しいものにかえることを、革命という言葉のかわりに「改造」「革新」「啓蒙」という言葉で表現していますが、これでは問題が平穏すぎてあいまいになります。人びとの頭に残っている古い思想を根こそぎにし、共産主義思想で武装させる闘いを力強く繰り広げず、古い思想と強く闘うことなしには、社会主義・共産主義社会を成功裏に建設することができません。

 我々は、思想、技術、文化の分野で古いものを新しいものにかえることを思想革命、技術革命、文化革命と規定しました。問題をこのように提起したからといって、とやかくいう人はいないでしょう。

 党は久しい前に3大革命の課題を示しましたが、活動家がその遂行に積極的に取り組まず、平穏な雰囲気のなかで仕事をしてきたので、3大革命についての理論は理論として、スローガンはスローガンとしてとり残されています。いまなお人びとの頭には、利己主義、保守主義、官僚主義、事大主義などの古い思想が少なからず残っており、一部の人は闘うことを恐れています。なかには、少々批判されると顔を真っ赤にし、すぐにでも首が飛ぶのではないかとふるえだす人もいます。少し思想闘争をすると、ますます消極的になる人がおり、なかには仕事を放棄しようとする人さえいます。これは、これまで革命闘争のなかで鍛えられていないからです。

 現在、わが党の最も重要な課題は、思想革命、技術革命、文化革命を力強くおし進めることです。

 何よりもまず、思想革命を力強く推進しなければなりません。

 常々言っていることですが、社会主義・共産主義社会の建設において何よりも重要なのは、思想革命を力強く繰り広げることです。思想革命をおこなうことなく物質的土台をきずくだけでは、絶対に社会主義の完全な勝利を達成することも、共産主義社会を建設することもできません。

 思想革命を力強く繰り広げて人びとを共産主義思想で武装させ、たゆみなく革命的に鍛えないならば、党と革命のために献身していた人たちもブルジョア思想、修正主義思想などの古い思想に毒されて思想的に変質をきたします。鉄を長いあいだ磨かずに放置すれば錆がつき、食肉や果物などを長くそのままにしておくと雑菌が浸透して腐るのと同じように、人間の場合でも思想革命をおこなって常に思想的に鍛えなければ、悪い思想の影響をうけて頭に錆がつき、資本主義、修正主義、事大主義、保守主義、要領主義などさまざまな病菌が浸透して思想的に腐敗し病気になります。病菌が体内に浸透しないよう日ごろから身体を鍛え予防注射を打つなどすれば病気にかからないのと同じく、常に思想を鍛えるならば思想的な病気にかかりません。肉体的に健康な人には病菌が浸透できないのと同じく、思想的に健全な人には悪い思想がはいりこめません。肉体的に健康でない人は病菌に対する抵抗力が弱いため、病気にかかりやすいものです。若いときには病気にかからなかった人でも、年をとるとしばしば病気をわずらうようになりますが、これは病菌に対する抵抗力が弱くなるからです。これと同じく、わが党のチュチェ思想と共産主義思想で武装していない人間は、悪い思想の毒素を防ぐ抵抗力が弱いため、やすやすとそれに毒され、思想的に変質しやすいのです。

 思想革命を力強く進めて人びとをわが党の革命思想で武装させないことには、彼らは自分の頭にどういう思想がしみこんできたのかもわかりません。自分の頭にブルジョア思想、修正主義思想、事大主義思想がはいってきたのやら、要領主義の病菌がはいってきたのやら見分けがつかなくなれば、頭のなかにある悪い思想を根こそぎにすることができず、欠点を是正することもできません。

 我々は、頭に悪い思想毒素が浸透して思想的に腐敗しはじめた人たちを救いあげるためにも思想革命をさらに力強くおし進めなければなりません。我々がいま思想革命をするのは欠陥のある人の首をはねるためではありません。かえって欠陥のある人を救いあげ、すべての人を一つの思想、意志でかたく団結させるためなのです。それゆえ、党組織と党活動家は、思想革命をさらに力強くおし進め、欠陥のある人の頭に浸透した悪性の菌を取り除き、彼らを救いあげなくてはなりません。思想的に腐敗しはじめた人を適時に救いあげようとせずに放置するならば、彼らはすでに頭にしみこんだ悪い菌によって思想的に完全に腐敗するでしょう。そうなれば、彼らは我々と永別せざるをえなくなります。ここでいう永別というのは、例え、肉体は生きていても、思想的、精神的には死を意味するということです。

 私がいつも言っていることですが、人間にとっては肉体的生命よりも政治的生命のほうが貴いのです。政治的生命をもっていない人は人間とはいえません。我々の社会では、思想、意志のうえでかたく団結し、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という集団主義的原則にもとづき、互いに助け導きあいながら、社会と人民の利益のために闘わない人間は動物とかわるところがありません。

 資本主義社会には、動物界の動物のように生きては死ぬ人がたくさんいます。資本主義諸国では男子が女性のように髪の毛を長くのばして化粧をし、口紅をつける人がいるかと思うと、反対に女性が男子のように髪を短く刈りあげ、たばこをくわえて歩く人が少なくないとのことです。人間は例え一日を生きても健全な思想と道徳をそなえ、革命闘争に参加してこそ生きがいがあるのであって、同志や父母も眼中になく、いがみあい、踏みつけあうだけで、闘争にも参加せず、なすこともなく三度の食事にあずかるような暮らしをしたのでは生きがいがありません。

 我々は思想革命を力強くおし進め、すべての党員と勤労者を、党と革命のため、社会と人民の利益のために断固闘う熱烈な革命家、共産主義的人間にかえなければなりません。党組織と党活動家は、すべての活動で思想革命を最優先させて力強くおし進めなければなりません。

 思想革命を力強くおし進めるうえで何よりも重要なのは、党員と勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させることです。

 わが党のチュチェ思想は人びとに、事大主義と教条主義に反対して闘うばかりでなく、受け持った職場で全力をつくして主人らしく働こうとしない傾向とも闘うことを要求しています。今日の3大革命グループの報告によると、活動家のあいだにみられる主な欠陥は、課された革命課題の遂行において主人としての態度が欠けていること、言いかえれば、わが党のチュチェ思想の要求どおりに働いていないことです。

 チュチェ思想は、わが党の革命思想の真髄をなしています。チュチェ思想を身につけず、チュチェ思想の要求どおりに思考し行動しない人は朝鮮労働党の党員になる資格がなく、わが党の忠実な革命戦士になれません。それゆえ、党員と勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させるのは、思想革命の遂行で何よりも重要な問題として提起されます。各党組織と3大革命グループは、幹部と党員、そして、すべての勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させるため積極的に闘わなければなりません。

 党員と勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させるためには、彼らのあいだでチュチェ思想についての学習を強化しなければなりません。

 現在、党員と勤労者はいうまでもなく、幹部もチュチェ思想についての学習をよくしないため、チュチェ思想について明確な理解をもっていません。幹部はチュチェ思想について多く語り、うわべではよく知っているかのように見えますが、実際によく尋ねてみると、チュチェ思想の革命的本質がなんであるかを正確に把握していません。それゆえ党組織は、党員と勤労者のあいだでチュチェ思想についての学習を強化し、チュチェ思想の革命的本質を明確に理解するようにしなければなりません。

 3大革命グループは、まず自分自身がチュチェ思想の学習に励み、チュチェ思想を自己の血と肉とし、党員と勤労者のあいだにチュチェ思想を解説し浸透させる活動を着実におこなうべきです。

 すべての党員と勤労者にチュチェ思想についての学習を着実におこなわせるため、党中央委員会の関係部署では学習に必要な文献集を早急に出版、配布するようにしなければなりません。

 私はチュチェ思想について多くの演説をし文章も書きました。ここ数年のあいだにも、『読売新聞』記者の質問に対する回答と『毎日新聞』記者の質問に対する回答など多くの文献で、わが党のチュチェ思想について具体的に述べています。これまでの私の演説や文章は、すべてチュチェ思想にもとづいています。チュチェ思想を学ぶからといって、あの多くの文献にすべて精通することは不可能です。したがって、文献からチュチェ思想についての重要な命題を抜粋して文献集を出版し、それを学習させるべきです。チュチェ思想について明確な解釈もできずに、不必要な文句をいろいろとつけ加えて講演テキストなどをつくって下達するよりは、私の言葉をそのまま抜粋して文献集をつくり、それを学習させるほうがはるかにまさっています。

 学習に励ませるうえで非常に重要なのは、学習に対する統制と点検を強めることです。各級党組織では、幹部と党員の学習状況を常に統制、点検し、試験も実施しなければなりません。今日の会議には道党委員会の第2書記が全員参加していますが、後日党中央委員会に集めてチュチェ思想についての試験を一度実施するのかよいと思います。

 わが党のチュチェ思想についての学習とともに、社会主義憲法についての学習を強化し、またすべての党員と勤労者に、わが党と人民が革命と建設で達成した輝かしい成果を明確に認識させるべきです。

 こんにち我々は、共和国北半部に最も先進的な社会主義制度をうち立て、立ち後れた植民地農業国であったわが国を、近代的工業と発達した農業をもつ社会主義工業国にかえました。革命と建設でわが党と人民が達成した貴い成果と獲得物は天から降ってきたものではありません。これは数十年間、党の指導のもとに朝鮮人民が多くの血と汗を流し、刻苦奮闘した結果として得られたものです。党組織は、党員と勤労者に、わが党と人民がこれまで社会主義の物質的・技術的土台をきずくためいかに刻苦奮闘し、また党の唯一思想にもとづく全党と全人民の政治的・思想的統一と団結を強化するためいかに闘ってきたかを詳しく教えるべきです。党員と勤労者はこのようなことを明確に知ってこそ、わが党と人民が達成した貴い成果と獲得物を強化発展させるため、積極的に闘う決意をさらにかため、革命課題の遂行において主人としての態度を高度に発揮することができます。

 南浦ガラス工場一つをとってみても、この工場で板ガラスを生産するまでには、じつに我々の多くのエネルギーと献身的な努力がそそがれました。解放直後、我々が新しい朝鮮を建設するため闘ったとき、わが国にはガラス工場がありませんでした。我々は自力でガラス工場を一つ建設することを決心し、南浦市に金策同志を派遣しました。金策同志はガラス工場の建設場に行って建設者たちと寝食をともにしながら建設事業を指導し、板ガラス引上げ機を1台製作しました。ところが、技術をよく知らずに作ったせいか、ガラスが上がってきませんでした。それで引上げ機を分解したり組立てたりしてたいへん骨をおりました。まことに、ガラスの生産にはいるまで我々がいかに多くのエネルギーをそそぎ、ガラス生産の技術を得るためどんなに骨をおったかしれません。

 現在、南浦ガラス工場の幹部と労働者は、ガラス工場のこのような歴史をよく知っていません。そのため、いま生産の向上をはかれないばかりか、生産したガラスでさえかなりの量を破損させており、ガラスの生産供給が円滑でないばかりに人民経済の発展と人民生活に支障を与えています。幹部と労働者が、これまでガラス工場の建設に党中央委員会がいかに多くの関心を払い、人民がいかに刻苦奮闘したかを知るならば、現在のように生産が円滑にいかないはずはなく、生産したガラスを割ってしまうようなこともないでしょう。

 思想革命を強化し、党員と勤労者を各自の職場で主人らしく働かせるためには、党組織と党活動家が対人活動に力を入れなければなりません。

 周知のように、人間がすべてを決定します。良質の製品が生産されるか否かも、結局は人間にかかっています。党組織と党活動家が、対人活動を正しくおこなえば万事が順調にゆき、そうでなければすべてのことが順調にいきません。それで、私は党中央委員会の部長などの党幹部に、徹頭徹尾、党活動を対人活動に切りかえるよう、かねがね強調しています。しかし現在、党組織と党活動家は対人活動を正しくおこなっていません。党組織と党活動家がこれまで対人活動を正しくおこなっていたならば、南浦ガラス工場の技師長のように仕事をいい加減にする人があらわれなかったはずであり、ガラス工場が現在のようにゆゆしい状態にはいたらなかったはずです。

 南浦ガラス工場の技師長は、根からの悪い人ではありませんでした。この人は、わが党が養成した技術者であり、ひところは党の路線と政策を支持して仕事に励みました。ところが党組織は、彼をガラス工場の技師長に任命したのち、彼との活動を正しくおこないませんでした。彼を技師長に任命したのち、個別的な話し合いを1回もしませんでした。党中央委員会組織指導部と建設・運輸部から出向いていって1回も話し合いをしたことがなければ、道党や市党委員会の責任幹部もそれをしませんでした。それで、技師長はこれまで批判というものを一度もうけませんでした。技師長の欠陥に対しては当然、工場党委員会と党細胞会議で党員が批判すべきなのですが、まだ工場の党員のレベルが低いため、彼の欠陥を批判できませんでした。こうして、技師長は誰からも批判をうけなかったため、自分のすることはすべて正しいものと思いこむようになり、勉強をせず、先進技術を導入しようともしませんでした。我々が日常的に会って教育し批判を加える幹部のなかにも、ときには腐敗する人があらわれるというのに、まして誰一人面と向かって批判を加えなかったガラス工場の技師長が仕事を立派にするはずはありません。

 我々は、南浦ガラス工場の事態を偶然のこととは考えません。この世に純然たる偶然というものはありません。我々はすべてを弁証法的に考察し、判断しなければなりません。ガラス工場の技師長は、かつて仕事にまじめな人であったのに、党性、労働者階級性、人民性がなくなり、自己の職務に対する主人としての態度がなくなるようになった原因は、党組織と党活動家が彼との活動を正しくおこなわなかったところにあります。したがって、技師長の仕事の不手際については党中央委員会の当該部署の責任幹部と道党および市党委員会の責任幹部が責任を負うべきであり、工場党委員会と工場党書記も責任を負うべきです。仕事にまじめな人であっても党組織と党活動家が常に会って教育しようとせず放任しておくなら、悪い思想が浸透して腐敗するものです。

 党組織と党活動家は、常に下部に出向いて対人活動をおこない、彼らを革命的に教育し、下部から提起される問題を適時に解決してこそ、下部の幹部が変わることなく仕事に励むものです。このたび、南浦ガラス工場の技師長はだいぶ批判をうけましたが、今後、彼の活動には改善があるでしょう。技師長に、ガラスを割らないようにする方法はないものかと尋ねてみると、鋼材さえ少しもらえればケースのようなものをつくってガラスを入れることができるのだが、これまで鋼材をもらえなくてそれができなかったとのことです。そこで、なぜそういうことをいままで提起しなかったのかと彼を批判しました。

 ゆだねられた職務に対する主人としての態度が欠け、勉強もよくしない傾向は南浦ガラス工場の技師長にかぎったことではなく、他の科学者、技術者のあいだにも少なからず見うけられます。わが国の科学者、技術者がいかに不勉強であるかという例証として、養鶏工場の建設中にあった話をしましょう。

 我々が人民に卵を供給するため、養鶏工場の建設に着手したのは停戦直後からのことです。養鶏工場を建設するため、我々は停戦直後にある社会主義国の養鶏工場にも行ってみました。当時、その国の養鶏工場はかなり立ち後れていました。しかし、その国では、それなりに養鶏工場を建設し、工業的方法で卵を生産していました。我々も彼らのやり方どおりに、ケージに鶏を入れて飼育する養鶏工場を一つ大きく建設しましたが、これは失敗におわりました。その後、我々はしばらくのあいだ養鶏工場の建設を見合わせることにしました。

 しかし、農民は依然として鶏をよく飼おうとせず、市場では卵の値段が非常に高いありさまでした。事態がこうなので、我々は腕をこまぬいているわけにいかず、再び養鶏工場の建設にとりかかりました。我々はまず、養鶏方法に対する書物から読みはじめ、その過程で養鶏における科学技術上の問題を少なからず知るようになりました。書物を読む過程で、鶏に微量要素を与えれば紫外線にあたらなくてもすむので、鶏の屋内飼育が可能であるということを知りました。そこで、畜産部門の科学者と技術者、専門家を集め、書物によると養鶏には微量要素が要求される、微量要素を与えれば鶏の屋内飼育が可能で、紫外線にあたらなくてもすむということだが、微量要素について知っている人がいたら話してみるようにといいました。数多くの科学者、技術者、専門家が集まったというのに、微量要素に詳しい人はいませんでした。そのとき、そこに集まった科学者、技術者、専門家のほとんどは、我々が戦争の困難な状況にもかかわらず勉強をさせて養成した人たちでしたが、このように勉強をせず、人民に奉仕しようという考えももっていませんでした。

 このような状態であったため、養鶏工場の建設問題を我々が直接受け持って指導せざるをえませんでした。我々は潜在力を動員して多くの養鶏工場を建設したところ、卵が量産されるようになりました。ところが、ある日養鶏工場に行って調べてみると、人民に供給しようとあれほど力をそそいで生産した卵が運搬途中で少なからず割れてしまうとのことでした。我々はあきれてしまい、再び卵の配列ケースの研究にとりかかり、ビニール製の卵配列ケースをつくって使用するようにさせました。こうしてみると、せいぜい一箱あたり1、2個伸しか割れないとのことです。人民に奉仕しようとする自覚をもって取り組むなら、不可能なことはありません。

 わが国の科学者、技術者、専門家が勉強をせず頭をはたらかせないので、養鶏工場を建設し、卵の配列ケースをつくることまで我々が直接関心を払わなければならなくなってしまいました。党組織と党活動家が対人活動を正しくおこなって、科学者、技術者、専門家に人民に奉仕しようという心がまえをもたせ、頭をはたらかせていたならば、このようなことにはならなかったはずです。人間の頭ははたらかせてこそ発達し、はたらかさなければ鈍くなるものです。

 これから、党組織と党活動家は、徹頭徹尾党活動を対人活動に切りかえるべきです。党活動家は、日ごろから幹部と党員に会い、彼らに欠陥があれば諭して是正させ、彼らが社会と人民のため自発的熱意と創意を発揮し、仕事に励み、勉強にも励むように教育しなければなりません。

 対人活動は幾百万の大衆を対象とすることであるため、幾人かの責任幹部の力だけでスムーズにすすめることはできません。常々いっていることですが、対人活動は1人が10人を教育し、10人が100人、100人が1000人、1000人が1万人を教育する方法でおこなうべきです。そうしてこそ、幹部と党員、そしてすべての勤労者を教育することができます。

 人びとを教育するための話し合いは欠陥の多い人にかぎらず、さほど欠陥がなく仕事に励んでいる人ともおこなわなければなりません。欠陥の多い人とだけ会うようになれば、これといった欠陥がなく仕事にまじめな人は自分の仕事に自己満足し、思いあがるおそれがあります。彼らは、欠陥があれば話し合いの対象になるはずだが、対象にならないところをみると自分には欠陥がなく、自分のすることはすべて正しいのだと思いこみ、いい加減に仕事をしないともかぎりません。それゆえ、人を教育するための話し合いは欠陥の多い人ともおこない、これといった欠陥がなく仕事にまじめな人ともおこなうべきです。

 思想革命を強化し、すべての党員と勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させるためには、誰よりもまず、党活動家自身がチュチェ思想で武装しなければなりません。現在、思想活動、党員と勤労者をわが党のチュチェ思想で武装させる活動が不活発なのは、この活動を直接担当している党活動家自身がチュチェ思想をしっかりと身につけていないところに主な原因があります。したがって、すべての党活動家は人一倍わが党のチュチェ思想についての学習を強め、それを自分の血とし肉としなければなりません。

 南浦市の各党組織は、思想革命をさらに力強くおし進めなければなりません。

 思想革命はいかなるところでも力強くおし進めるべき重要な革命課題ではありますが、南浦市ではよそよりもこれをさらに活発におこなうべきです。南浦市にある工場はほとんどが重要な工場であり、そのなかにはわが国に一つしかない工場もあります。ガラス工場がそうであり、製錬所も電極工場も一つしかない工場です。もちろん、今後このような工場は増設する予定ですが、現在のところは唯一の工場であるため、ある一つの工場の生産に異常が生じても人民経済全般の発展に影響を及ぼすことになります。南浦市の工場は、人間に例えて言えば心臓にあたる重要な工場であります。人間には心臓が一つしかありませんが、心臓をわずらうと人体が衰えます。これと同じく、一つしかない工場が不完全操業をするようになれば、人民経済全般に支障をきたします。

 ガラス工場の幹部と労働者が主人らしく働かないためにガラスが円滑に生産されなければ、人民経済の発展と人民生活に大きな支障を与えます。南浦製錬所の場合にしても同じであります。製錬所の操業が正常化されなければ、.多くの鉱山を開発して鉱石を大量に採掘しても、銅など各種の非鉄金属を生産することができず、そうなれば人民経済の発展に大きな支障を与えます。銅の精錬ができなければ銅線を生産できず、銅線を生産できなければモーター工場が止まり、そうなれば人民経済の各部門に支障を与えます。モーターがなければ畜産業を発展させることもできません。我々がかつて「草を肉にかえよう」というスローガンをかかげ、畜産業を大衆あげての運動に発展させる闘いを繰り広げたとき、飼料粉砕機用のモーターがなくて支障をうけたことがあります。

 ところが、いままで党組織と党活動家は、南浦市にしかない工場の重要性を認識していませんでした。南浦市党委員会だけでなく、道党委員会でも、また党中央委員会でも認識していませんでした。もし、党組織と党活動家が南浦市にある工場の重要性を認識していたならば、責任幹部がたびたび出向いて工場の幹部と話し合い、党員と勤労者に対する思想教育活動も正しくおこなったはずです。党組織と党活動家がこのような活動を正しくおこなわなかったため、南浦市の工場、企業所では欠陥がつもりつもって、現在にいたってはそれを革命的方法で改めなくてはならなくなりました。

 今後、南浦市ではよそよりもいっそう思想革命を力強く繰り広げ、すべての党員と勤労者が各自の職場であらゆる創意性と自発的熱意を発揮し、主人らしく働くようにさせるべきです。

 南浦市で思想革命を力強く繰り広げるためには、南浦市党委員会の活動を改善強化しなければなりません。

 南浦市党委員会は、南浦市に現地駐在している朝鮮労働党の代表機関であります。南浦市が党の路線と政策を貫徹するか否かは、何よりも南浦市党委員会の活動いかんに大きくかかっています。しかし、これまで市党委員会は自己の役目を十分に果たしませんでした。南浦市にしかない工場が立ち後れた状態にあるのは、これまで市党委員会の活動が不満足であったことを意味します。市党委員会が党活動、対人活動を正しくおこない、思想革命を力強くおし進めていたならば、南浦市の工場、企業所が現在のような立ち後れた状況にはならなかったでしょう。南浦市党委員会は、これからでも気を入れかえて立派に活動しなければなりません。

 南浦市党委員会は、3大革命グループの活動を正しく指導し助力すべきです。市党委員会は3大革命グループの意見に耳を傾け、提起された問題を適時に党中央委員会に報告しなければなりません。そうして、上部で解決してもらうことは解決してもらい、自力で解決することは解決し、欠陥については思想闘争をとおして是正すべきです。

 市党委員会は、今日の会議で万歳を唱えるにとどまるのではなく、自己の活動全般を検討しなければなりません。これまで党から与えられた課題を一つひとつ検討して、遂行したこととしていないことを全面的に分析し総括しなければなりません。そして、これまで市党委員会が対人活動を正しくおこなわなかったことや、労働者階級のなかにはいらなかったことなど、いろいろな活動上の欠陥を深刻に批判し是正すべきです。

 党中央委員会の活動家ももっとしっかり仕事に取り組むべきです。党中央委員会の活動家は、3大革命グループが派遣されて活動しているので自分の活動がらくになったと考えてはなりません。3大革命グループが派遣されて活動する以上、多くの意見が提起されるはずであり、それを適時に一つひとつ解決するためには、さらに気を引きしめて活動しなければなりません。党中央委員会の各部署では3大革命グループからの活動報告があれば、直ちに現地に行って提起された問題を一つひとつ具体的に調べ、その解決策を講じなければなりません。こうして提起された問題を適時に解決してこそ、3大革命グループを派遣したかいがあるというものです。3大革命グループから提起された意見がいくら立派なものだとしても、それを解決せずに埋もらせてしまったのではなんの意味もありません。

 3大革命グループの活動報告は、客観的立場に立つものであるため、常に正確であります。政務院の委員会や省から出向いた幹部の活動報告は客観性に欠けています。彼らは、自分たちが生産に必要な資材などを円滑に供給していないという自己の欠陥のため、下部の状況をそのとおり報告できません。そのうえ、国家経済機関に保守主義、官僚主義、要領主義、形式主義のとりこになった人が少なからず居座って、あらわれた現象をそのとおり報告できなくしています。しかし、3大革命グループは、ある相や総局長に拘束されているわけでもないので、自分たちの目に映ったとおり報告します。このように我々は、すべてを見たとおり報告することを要求しています。そうしてこそ、大衆の声を正確に理解することができます。一部の幹部は、我々に心配をかけまいとして欠陥について報告しないとのことですが、真実の報告をしなければ心配が減るどころか、かえって大きくなります。

 次に、技術革命を力強くおし進めなければなりません。

 技術革命の遂行において第一義的に解決すべき問題は、生産の正常化であります。生産の正常化とは、工場がその能力をフルに発揮して生産を中断することなくつづけるとともに、工場らしい面目を完全にととのえることを意味します。機械が動き製品が生産されるとしても、工場が工場らしい面目をととのえていなくては生産が正常化されたとはいえません。南浦ガラス工場は工場らしくととのっておらず、生産が正常化されているとみなすことができません。この工場で生産されるガラスは、品質が劣るばかりか、割れる量が多くていくらも使えません。ガラス工場の生産が正常化されたといわれるようになるためには、少なくとも工場が休業することなく生産をつづけて計画を必ず遂行し、生産されたガラスの品質が高くて割れることもないようにしなければなりません。

 いうまでもなく、生産を正常化するためには、石炭や石油などの原料と燃料を国家計画に予定されたとおり円滑に供給することが重要です。しかし、原料や燃料が供給されさえすれば生産が正常化されるものと考えるのは誤りです。原料や燃料を計画どおり供給するとしても、保管、管理に不手際があり、備蓄を確保しなければ、それを切らさず使うことができません。石炭倉庫をきちんと建て、石油貯蔵庫も大きくつくり、石炭や石油が多く入荷したときには貯蔵し備蓄してこそ、年中切らさず使うことができます。特に、石油などは冬に輸入できないため、石油を利用する工場、企業所では石油貯蔵庫を大きくつくり、冬に使うものを前もって蓄えておかなければなりません。石油貯蔵庫などをつくるのはむすかしいことでもありません。燃料用石油の貯蔵庫などは、大きな穴を掘って底を粘土でよく固めるだけでも十分です。これについて、すでに再三強調しているにもかかわらず、南浦ガラス工場ではいまだに石油貯蔵庫をつくっていません。この工場では大きな石油貯蔵庫がないため、このごろは石炭はあっても石油を切らして生産が順調にいっていないとのことです。

 生産を正常化するためには、原料の供給とともに、原料倉庫から製品倉庫、製品の生産から輸送にいたるまで、生産と関連のある各部門、各工程で何が問題となり、どの部分が弱点となっているのかを見いだし、問題の解決と弱点の補強をはかるようにしなければなりません。

 技術革新運動を広く繰り広げて生産を正常化するためには、労働者の創意性を高度に発揮させなければなりません。労働者の創意性を発揮させ技術革新を起こす過程には思想闘争が伴うようになります。最近、党はすべての勤労者に劇映画、『圧延工』を鑑賞させていますが、この映画がよい例になるでしょう。この映画は、5か年計画遂行当時の降仙製鋼所における労働者たちのたたかいを描いたものです。

 第1次5か年計画の遂行当時、わが国には6万トン能力の分塊圧延機が降仙製鋼所に1台あるだけでした。それゆえ、鋼鉄をいくら大量生産しても、降仙製鋼所で分塊圧延をしなければ用をなしませんでした。そういう事態であったので、私は降仙製鋼所に行って、製鋼所の幹部に鋼材生産を9万トンまでのばせないだろうかと聞いてみたところ、一部の人はむずかしいというのでした。それで、私は労働者たちを集めて訴えました。我々はいまやっと破壊された経済を復旧したという状態であるのに、分派分子は党に反対して頭をもたげ、大国主義者は我々に圧力を加え、アメリカ帝国主義者と李承晩一味は「北進」騒ぎに狂奔している、だからといって我々が士気を落とし、革命と建設偉業に横たわる重大な難関のまえで尻ごみしてよいものだろうか、それではいけない、我々はただ朝鮮革命の主力部隊である労働者階級を信じており、あなたがたしか頼るところがない、だとすればわが党の直面したこの重大な難局をのりこえるため、あなたがたが気勢を上げ、奮発して生産を大いにのばし、建設も活発にすすめ、経済建設をさらに力強くおし進めるべきではないか、とアピールしました。

 このように政治活動をおこなったところ、降仙の労働者たちは党中央委員会を擁護して9万トンの鋼材を生産することを決意し、分派分子をよこしてくれれば電気炉に放りこんでやるといいました。降仙の労働者たちが積極的に立ち上がり、既存の機械設備に肉づけをし、問題点の解決につとめた結果、6万トンしか生産できないとされていた分塊圧延機から9万トンはおろか12万トンの鋼材を生産しました。現在にいたって降仙製鋼所では、分塊圧延職場の生産能力を50万トンの水準に引き上げています。

 6万トン能力の分塊圧延機でほぼ9倍に達する鋼材を生産できるようになったのは、この製鋼所の労働者たちが党の呼びかけに心から呼応し、意を決して技術革新運動を力強く繰り広げた結果であります。当時の降仙の労働者たちは、命をかけて党中央委員会を擁護しようというしっかりとした思想的準備ができていました。降仙の労働者をはじめ、全国の労働者階級が党中央委員会を積極的に擁護したため、我々は当時、党に挑戦してきた反党分派分子の策動を成功裏に粉砕し、「北進」を企んでいたアメリカ帝国主義者と李承晩一味の戦争挑発策動を阻止、破綻させることができました。

 労働者階級が党の呼びかけにこたえて思想的にふるいたつとき、その力はこのように強大なものになるのです。3大革命グループも、工場へ 企業所の党組織と力をあわせて、労働者をふるいおこすべきです。思想動員活動を正しくおこない、労働者の自発的熱意と創意性を高度に発揮させるなら、いたるところで技術革新が起こり、生産を正常化することができます。

 個々の立ち後れた人に対しては教育もし、批判も加えなければなりません。教育し批判して、一人でも立ち後れた人がなくなるようにみな改造すべきです。こうして、すべての人が団結して党中央委員会を擁護し、党から与えられた革命課題を遂行するため献身するようにさせなければなりません。我々が、保守主義、消極性、技術神秘主義とたたかい、技術革新運動に労働者階級を積極的に奮起させるならば、生産正常化の闘争で必ず成果をおさめることができます。

 生産を正常化すると同時に、技術革新運動を力強く繰り広げ、労働行政を手際よくおこなって労働力を節約しなければなりません。

 現在、わが国では労働力事情が非常に緊張しています。人手不足のため、すでに着工した工場の建設を早く終えることができず、新しい工場を適時に建設できないありさまです。金策製鉄所に熱間圧延職場を建設していますが、労働力不足で完工できない状態です。我々は、南興地区にポリエチレン工場、アクリル工場、尿素肥料工場など大規模化学工場の建設を予定していますが、労働力がなくて建設に着手できないままです。また、アルミニウム工場やベアリング工場も労働力が不足して建設にとりかかっていません。このほかにも大同江発電所のダム工事場と北倉火力発電所の建設場など、労働力の要求されるところが少なくありません。

 労働力が緊張しているからといって、人民軍を縮小するわけにはいきません。わが国はまだ分断されており、国土の半分はアメリカ帝国主義者に占領されています。我々には南朝鮮からアメリカ帝国主義侵略者を追い出し、分断された祖国を統一すべき課題が残されています。このような状況のもとで、緊張した労働力問題を解決する唯一の方途は、人民経済の各部門で技術革新運動を力強く繰り広げ、労働行政を手際よくおこなって労働力を大いに節約することです。

 現在、人民経済各部門には、労働力の潜在力がかなりあります。技術革新を積極的にすすめ、労働行政を手際よくおこなえば、多くの労働力を浮かせることができます。3大革命グループが現地へ行って労働力の節約運動をはじめたところでは、すでに労働力を出すといっているところが少なくありません。黄海製鉄所では3大革命グループが大活躍したわけでもなく、一部の生産工程をテレビ化したにすぎないのに、すすんで5千名の労働力を出す意向であり、年末までにはさらに多くの労働力を出せるとのことです。私の考えでは、南浦地区の工場、企業所にも労働力の潜在力は多いと思います。

 現在、なすべき仕事は膨大であるにもかかわらず、一部の幹部は機関本位主義に走って余裕労働力をよく出そうとしません。このような人は、労働力の浪費が党と革命にとって大きな罪悪であることをまだ認識していないのです。技術革新運動を広範に繰り広げ、労働行政を手際よくおこなって、一人でも多くの労働力を浮かさなければなりません。

 技術革新をおこない、労働行政を手際よくおこなって節約した労働力を転出させるうえでも、機関本位主義に走ってはなりません。機関本位主義に走って虚弱者を出そうとしては絶対になりません。骨のおれる建設場で働ける壮健な労働力を出すべきです。そうしてこそ、緊張した労働力問題を解決し、より多くの生産と建設を進め、人民経済を速やかに発展させることができます。

 労働力を節約するためには、幹部の活動方法も改めなければなりません。必要以上に多くの人員をおいて雑多な統計や文書いじりをする傾向を一掃しなければなりません。

 南浦港では、秩序の確立と港の近代化に取り組まなければなりません。

 わが国の対外貿易において、南浦港のしめる位置は非常に重要であります。わが国ではかつてソ連、中国をはじめ社会主義諸国とのみ対外貿易をおこないましたが、現在は社会主義諸国だけでなく資本主義諸国や新興独立諸国ともさかんに貿易をおこなっています。ところが、わが国は南北に分断されているため、多くの貨物が西海のコースで出入りしています。それゆえ、わが国の対外貿易を発展させるうえで、西海岸にある南浦港の位置は極めて重要であります。

 ところが現在、南浦港は無秩序で立ち後れた状態にあります。外国人はわが国に来てみて、朝鮮民主主義人民共和国はおしなべてすばらしいが、港だけは立ち後れているといいます。我々は立ち後れた港を早急にもりたてなければなりません。

 何よりもまず、南浦港では無秩序な現象を一掃し、活動秩序を確立すべきです。私の考えでは、党中央委員会建設・運輸部と運輸・逓信委員会、南浦市党委員会の三者が協議して、南浦港の運営を単一化するのが望ましいと思います。言いかえれば、港党委員会の役割を高めて関係機関のなわばり主義を防ぐ一方、各関係機関を統合して統一的に活動する体系を確立すべきです。いまは外国人との活動もそれぞれ機関別におこなっていますが、そうするのではなく、それらの機関をすべて南浦港に所属させ、港が統一的に活動するようにさせるべきです。

 南浦港を近代化し、機械化しなければなりません。港には貨物の積み下ろしに必要な高性能のクレーンを備えつけ、貨物保管用の倉庫や積載場のような建物や施設も近代化しなければなりません。南浦港は大同江をひかえているので、たゆみなくしゅんせつ作業をつづけなければなりません。以前外貨のゆとりがなかったにもかかわらず、南浦港建設のため外国からしゅんせつ船を買い入れたのですが、いまではそれも利用していません。しゅんせつ船をよく修理し、南浦港のしゅんせつを定期的につづけるべきです。

 思想革命、技術革命とともに、文化革命を力強くおし進めなければなりません。

 文化革命では、生産文化を確立することが重要であります。工場の生産文化を確立しないことには、製品の質を高めることができません。すべての工場、企業所では、生産文化の確立のため積極的に取り組まなければなりません。

 生活文化も確立すべきです。工場が宮殿のようにきれいで、工場従業員の身なりが端正でなくては、製品もきれいなものが生産されません。

 南浦市をきれいにすべきです。

 南浦市は、わが国首都への一番目の関門であります。ここには外国の船員も多く上陸します。ですから、南浦市を近代的に、きれいに整えることが大切です。南浦市をきれいにし、市民を正しく教育してこそ、わが国にくる外国人に、南浦港に降り立った最初の瞬間からよい印象を与えることができます。わが国を訪問する外国人によい印象を与えるべきであって、悪い印象を与えてはなりません。

 南浦港では外国人用の旅客船を一隻要求していますが、要求どおり提供すべきです。船を外国から買い入れることもできますが、そうする必要はないと思います。南浦造船所で外国の船よりすばらしい近代的な船を一隻建造すべきです。

 南浦市民を正しく教育しなければなりません。南浦市民が、街や自分の家をきれいに手入れし、身なりも端正にして出歩くようにすべきです。自動車も手入れのゆきとどいていないものは市内を勝手に往来できないようにしなければなりません。

 南浦市民に対する副食物の供給を円滑におこなうべきです。現在、養豚工場のようなものを建てても飼料や種豚が問題になるので、食肉を大量に生産することができません。それゆえ、南浦市では養豚工場を建てようとして労働力を浪費するのではなく、水産専業所を充実させ、魚をたくさん捕って市民に供給すべきです。南浦市の労働者はほとんどが重労働部門に従事しているため、彼らに一日200グラムの魚類を供給しなければなりません。これは、さほどむずかしいことではありません。魚の問題を解決するため、我々は南浦市で西部地区水産部門活動家会議まで開きました。しかし、いまだに南浦市では魚の問題が解決されていません。実際上、南浦市が漁獲に熱心に取り組むなら、平安南道に供給する魚まで解決することができます。南浦市では、中小漁業や小規模漁業を活発におこなって多くの魚を捕り、市内の魚類需要をみたさなければなりません。魚類とともに野菜を切らさず供給しなければなりません。南浦市周辺の協同農場では、何はともあれ、南浦市民の野菜需要をみたさなければなりません。このようにして、魚類と野菜、みそ・しよう油と食用油が供給されれば、副食物の問題は基本的に解決されます。

 南浦市で手配さえよくすれば、果物も切らすことなく供給することができるでしょう。市周辺には大きな果樹園が多く、果物の味も悪くありません。南浦市内の大きな工場、企業所では、1週間に1回ずつ農村を支援して協同農場員を手助けし、果樹園への堆肥の運搬なども手伝ってやるべきです。

 今後、南浦市党委員会は、今日の会議で示された課題を貫徹するため積極的に努力しなければなりません。南浦市内の工場、企業所の党委員会とすべての活動家は、3大革命グループと力をあわせ、彼らの助けをうけて活動に一大転換をもたらさなければなりません。そうして、党の示した思想革命、技術革命、文化革命の課題遂行で大きな成果をおさめるよう期待します。


<注釈>−金策(1903・8・14〜1951・1・31) 金日成主席にかぎりなく忠実な革命戦士として、党と革命のため、祖国と人民のためにすべてをささげて闘ったチュチェ型の共産主義革命闘士。
 金策同志は、金日成主席によって組織指導された抗日武装闘争に参加し、すぐれた政治・軍事指揮官として、祖国解放のために献身的に闘った。解放後には、朝鮮労働党の創立と人民政権の樹立、人民武力の建設とその強化発展のために精力的に闘い、朝鮮民主主義人民共和国内閣副首相兼産業相として活動した。そして、祖国解放戦争期には、軍事委員会委員・前線司令官として戦争勝利に大きく貢献した。党と政府は、彼の革命的生涯と闘争業績を高く評価して、咸鏡北道城津市を金策市に、清津製鉄所を金策製鉄所に、平壌工業大学を金策工業大学に改称した。
                                                
出典:『金日成著作集』28巻 

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