金 日 成

革命的同志愛にもとづく団結は
 人民軍の不敗の力の源泉である
 ―英雄的朝鮮人民軍創建25周年祝賀宴でおこなった演説―
1973年2月8日 

 同志の皆さん!

 今日、我々は、わが党の革命的武装力である英雄的朝鮮人民軍の創建25周年を意義深く記念しています。

 私は、この機会をかりて、人民軍のあいだで革命的同志愛の伝統的美風をいっそう高度に発揮することについて簡単に述べたいと思います。

 革命闘争で最も重要なのは、組織と団結であります。革命は、決してひとりでできるものではありません。革命闘争で勝利するには、必ず志をともにする人たちでつくられた強力な革命組織がなければならず、その組織に加わっている人々の思想、意志の統一と団結が保たれなければなりません。

 革命組織の統一と団結は、組織に加わっているすべての人が同一の思想で武装し、互いに信頼し心から愛しあってこそ実現するものです。言いかえれば、革命組織の統一と団結は、革命組織の構成員のあいだの同志愛にもとづいて実現するのです。

 同志という言葉には、深い意味がこめられています。同志という言葉は志をともにする人、言いかえれば思想が同じ人だということです。同じ思想をもち同じ目的をめざしてたたかう人をさして同志と呼ぶのです。したがって、同志という言葉は、革命家のあいだで交わされる栄誉ある貴い称号であり、革命の戦友に対する信頼と愛情の表示であります。

 革命隊伍のなかには、にせの同志もありえます。にせの同志というのは、同じ革命隊伍のなかにいて、うわべでは革命のためにたたかっているふうに見せかけながら、腹に一物もっている人をさしていうのです。かりに、夫婦が同じ床でそれぞれ別のことを考えているとすれば、それは真の夫婦ではなく、彼らのあいだに真の夫婦愛はありえません。これと同様に、同じ革命隊伍内にありながら別の思想をもち、腹に一物もっている人は真の同志ではなく、にせの同志です。にせの同志のあいだには真の同志愛などありえません。

 人々のあいだの真の同志的関係や革命的同志愛は、決してひとりでに生まれるものではありません。それはただ、革命闘争の過程をつうじてのみ生まれ強められるものです。革命闘争を離れた革命的同志愛はありえません。革命闘争がなければ、革命の同志も革命的同志愛もなく、人々のあいだにはたんに友人、親友、兄弟のような親交があるだけでしょう。人々は、革命闘争の過程で同志として互いに信頼し、愛するようになり、同志愛をさらに深めていくのです。

 愛には、いろいろあります。夫婦愛もあれば、父と子の愛、母と子の愛もあり、兄弟愛、友情、同志愛などがあります。これらの愛のうちで最も価値のある貴い愛が革命的同志愛であります。父と子の愛や母と子の愛、夫婦愛が同志愛と結びついたとき、それはさらに深い愛となるでしょう。

 人がまだ幼いときには、父母の愛が大事です。しかし、革命闘争に加わってからは、父や母の愛よりも同志の愛がより貴いものとなります。革命家は、両親とは離れても生きられるが、革命の同志と離れては一瞬たりとも生きてゆけません。革命同志のあいだの愛は人々が政治的生命を保ち、栄えある革命隊伍のなかで最後までたたかえるようにします。

 私は、幼いときから今日までの革命闘争の過程をつうじて、父や母の愛よりも革命同志の愛がより貴重であることを身をもって体験しました。私は、父母の愛よりも同志たちの愛をより多くうけました。私が父からうけた愛は14歳のときまでで、その後はずっと同志たちの愛のなかで生きてきました。

 かつて、地下闘争や抗日武装闘争をおこなっていたとき、多くの同志が困難や危険をもかえりみず、私を助け守ってくれました。同志たちは私の健康を気遣って、自分たちはトウモロコシを粒のままで食べながらも、私のために粟を手に入れようと並々ならぬ苦労をし、誠心誠意私に気をくばってくれました。抗日遊撃隊員のなかには、敵から司令部の安全を守るために貴い命をささげた同志も多くいます。このように、私は同志たちの愛のなかで生きてきました。

 抗日遊撃隊には、常に革命的同志愛の気高い美風がみなぎっていました。抗日武装闘争は比類のない苦難のたたかいでありましたが、抗日遊撃隊員は革命的同志愛の共産主義的美風を大いに発揮し、一つの思想、一つの意志でかたく団結してたたかったために、あらゆる難関と試練を勇敢に克服して輝かしい勝利をおさめました。実に、抗日武装闘争の全過程は、抗日遊撃隊員が革命的同志愛の気高い美風を発揮してあらゆる艱難辛苦にうちかち、日本帝国主義とたたかって勝利した栄光に輝く闘争の路程でありました。

 もし、抗日遊撃隊に革命的同志愛にもとづく革命隊伍の鉄のような統一と団結が保たれていなかったならば、強大な日本帝国主義に抗する武装闘争を15年間もつづけることは不可能であったでしょう。革命の軍隊が革命的同志愛にもとづいてかたく団結すれば、15年はおろか、20年、100年でも敵と戦えるし、いかに困難で複雑な環境のもとでも勝利することができます。

 朝鮮人民軍は、抗日武装闘争の時期にきずかれた革命的同志愛の貴い伝統を受けつぎ、それをいっそう輝かせつつ25年のあいだ強化発展してきました。

 革命的同志愛にもとづく団結は、人民軍の不敗の力の源泉であります。人民軍の軍人は、兵士も将校も将官も、すべて革命のために銃を手にして戦う革命の戦士であり、敵との戦いでともに血を流し、生死苦楽をともにする革命の同志です。人民軍のすべての軍人が、革命的同志愛の気高い美風を大いに発揮し、隊伍の鉄のような統一と団結のために積極的に努力すれば、人民軍はいかなる難関をものりこえ、敵との戦いで常に勝利することができます。

 我々は、将兵一致、上下一致のスローガンをかかげていますが、これもすべての軍人が革命的同志愛の気高い美風を大いに発揮しなければ実現しません。革命的同志愛にもとづいてかたく団結してこそ、将校と兵士、上級と下級が真に一心同体になることができるのです。

 ここに集まった皆さんのなかには、我々と40年あまりのあいだ同志的関係を保っている人もいれば、25年、20年または15年間同志的関係を結んでいる人もいます。もちろん、抗日武装闘争期から我々とともにたたかった人は同志的関係がいっそう深いといえます。人民軍で25年、20年または15年間ともにたたかってきた人たちも、我々と志をともにする革命の同志であります。10年たてば山河も変わるといわれていますが、15年や20年は決して短い歳月ではありません。人民軍で15年以上も我々とともにたたかってきた人たちも、党によって点検された革命の同志だといえます。

 我々が人民軍を創建した当時、革命闘争で鍛えられた革命的根幹は数千名にすぎませんでした。しかしいまは、人民軍を創建するたたかいや、アメリカ帝国主義者の武力侵攻に抗する3年間の祖国解放戦争、戦後の社会主義革命の獲得物を守るたたかいをつうじて鍛えられた革命の同志が数万名に増えました。

 これは、朝鮮人民軍が革命的同志愛にもとづいて一つの思想、一つの意志でかたく団結した不敗の革命隊伍に成長したことを物語るものです。

 帝国主義侵略軍や植民地傭兵には、同志愛にもとづく団結などありえません。南朝鮮「国軍」を例にあげてみても、そこには同志的関係ではなく、たんなる金銭関係、階級による服従関係があるのみです。したがって、南朝鮮「国軍」は、不信と葛藤、矛盾にみちています。南朝鮮「国軍」内部の矛盾がいかに深刻であるかは、南朝鮮の執権者と軍団長との関係をみただけでもよくわかります。南朝鮮の執権者は、軍団長を3年もたたぬうちにしばしば更迭しています。彼らがそうするのは、軍団長を信頼できないからであり、軍団長がその地盤を築くのを恐れているからです。同志的に結ばれず団結していない軍隊は烏合の衆にすぎません。

 朝鮮人民軍は、全将兵が革命的同志愛によって結ばれており、一つの思想、一つの意志でかたく統一、団結しているがゆえに必勝不敗であります。

 いま我々には、人民軍を一当百、一騎当千の革命武力として、さらに強化すべき任務が提起されています。人民軍を強化するためには、軍人のあいだで革命的同志愛の伝統的美風をいっそう高く発揮させるべきであり、革命的同志愛にもとづいて全軍の鉄のような統一と団結を実現しなければなりません。

 革命的同志愛の伝統的美風を高く発揮し、同志的団結を強化するうえで重要なのは、軍人のあいだで革命的同志愛の思想教育を強化し、思想闘争を強力に繰り広げることです。

 同郷だからといって真の同志になれるのではなく、同志的団結が実現するものでもありません。革命に身をささげようとする思想、意志が互いに一致してこそ真の革命の同志となり、革命的団結が実現するものです。したがって、同志的団結がなされているか否かは、革命闘争をおこなおうという思想、意志が同じであるかどうか、つまり、同じ革命思想で武装しているかどうかを尺度にして評価すべきです。

 革命的同志愛にもとづく団結を強化するうえで最も重要な問題は、すべての軍人をわが党の唯一思想、チュチェ思想でしっかり武装させることです。すべての軍人が、わが党のチュチェ思想でしっかり武装し、チュチェ思想の要求どおりに考え、行動してこそ、革命的同志愛が大いに発揮され、革命的団結がいっそう強化されるものです。

 人民軍のあいだで革命的同志愛を発揮させ、同志的団結を強化するからといって、軍人が互いに過ちをかばったり批判を避けるようではいけません。同志だからといって褒めるばかりで、過ちに対して批判しないのは、決して同志を愛することではありません。同志の過ちに対して批判や処罰を加えるのは、革命の同志をわが党の革命思想、唯一思想でしっかり武装させて、我々とともに革命活動を最後までつづけられるようにする重要な方途であります。したがって、心から同志を愛するならば、同志の過ちに対して批判や処罰を加え、過ちをそのつど改めさせなければなりません。そうしてこそ、党の唯一思想にもとづく真の革命的団結が実現するのです。

 我々は、同志が過ちを犯したときには批判を加え、ときには処罰もします。もちろん、同志を処罰したあとは胸がうずきます。それで、我々は処罰された同志に電話をかけてみたり、直接会って活動上の過ちがなんであり、それを改めるにはどうすべきかを具体的に話して聞かせたりします。

 革命の同志を処罰するのが胸の痛むことだからといって、同志が過ちを犯しても処罰しないのは正しくありません。同志の過ちを正すためには批判を加え、必要な場合には処罰もしなければなりません。もちろん、軍隊で過ちを犯した軍人を処罰する場合でも、営倉に入れるといった強圧的な方法を用いてはなりません。強圧的な方法では軍人を正しく教育することも、部隊の革命的団結を強化することもできません。

 我々は久しい前に、人民軍の営倉制度を廃止しました。

 当時一部の人は、規律を強化するためには軍隊に営倉がなければならないと主張しました。営倉がなければ規律を強め、軍人を教育することができないというのは、革命的同志愛に欠け、軍人を教育する能力がないことを示すものです。一部の人は人民軍で営倉をなくせばたいへんなことになると思っていましたが、営倉をなくして思想教育を強化した結果、人民軍の規律と戦闘力はさらに強化されました。

 現実は、軍人のあいだで革命的同志愛の伝統的美風を高度に発揮させることが人民軍の威力を強化する重要な裏付けであることを証明しています。したがって私は、今日この意義深い席をかりて、同志の皆さんが、人民軍のあいだで党の唯一思想にもとづく革命的同志愛の気高い道徳的気風を高度に発揮させるために、ひきつづき努力することを切に願うものであります。

 英雄的朝鮮人民軍の創建25周年に際し、革命的同志愛にもとづく人民軍隊伍の不敗の統一と団結のために、我々と40年以上ともにたたかってきた同志たちの健康のために、我々と25年、20年、15年間ともにたたかってきた同志たちの健康のために、そして、新しく育った幹部とここに集まった同志の皆さんの健康のために乾杯しましょう。
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』28巻 

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