金 日 成

教育において社会主義教育学の原理を
徹底的に具現するために
全国教員大会でおこなった演説
−1971年12月27日−


 同志のみなさん!

 私はまず党中央委員会と共和国政府の名で、党の教育政策を高くかかげて新しい世代を共産主義的に育成するため、教育部門で献身的にたたかっている大会参加者と我が国のすべての教育活動家に、熱烈な祝賀のあいさつと感謝の意をあらわします。

 党の忠実な革命戦士である教育活動家たちは、解放後、民主主義革命の時期からこんにちにいたるまで、革命の各段階において党が示した教育方針を立派に貫徹し、新しい世代の教育で大きな業績をつみあげました。我が党は、これまで、革命の後続隊を育成する誇りにみちた栄えある闘争において、教育活動家たちがきずきあげた大きな業績とその輝かしい偉勲を高く評価します。

全国教員大会で演説する金日成主席
1971年12月27日

 私はきょうみなさんに、社会主義教育学を完成し、教育において社会主義教育学の原理をいっそう徹底的に具現することについて述べたいと思います。

 こんにち、教育部門に提起されている最も重要な課題は、育ちゆく新しい世代を革命の継承者に、共産主義建設の頼もしい後続隊にしっかりと育成することであります。

 党の賢明な指導のもとに朝鮮人民は、苦難にみちた闘争をつうじて我が国に先進的な社会主義制度をうち立て、社会主義建設で輝かしい勝利をかちとりました。しかし、我々の革命偉業は、まだ終わっていません。我々には祖国を統一し、我が国に社会主義・共産主義を建設し、地球上から帝国主義を完全に一掃すべき革命任務が課されています。

 この誇らしい重大な革命任務をなし遂げるためには、革命をつづけ、革命の代を引きつぐ新しい世代を共産主義的革命家にしっかり育成しなければなりません。

 新しい世代を朝鮮革命の頼もしい継承者に育成するためには、幼いときから共産主義的に教育しなければなりません。社会主義制度が樹立されたからといって、人びとがおのずと共産主義者になるものではありません。新しい世代を幼稚園や学校時代から革命的に共産主義的に教育すれば、かれらは大人になって熱烈な革命家に、真の共産主義者になることができます。

 いかなる社会においても教育の基本的使命は、人間をその社会制度に忠実に奉仕するよう育成するところにあります。

 封建社会の教育は、人びとをして封建的秩序を尊重させることによって、封建制度の擁護に奉仕しました。資本主義社会の教育は、人びとに利己主義をうえつけ、資本家の搾取と抑圧にさからわない人間を育成することに奉仕しています。

 社会主義社会の教育の目的は、搾取社会とは根本的に異なります。社会主義社会の教育は、育ちゆく新しい世代に共産主義思想を身につけさせ、社会主義・共産主義の建設に必要な知識を与えて、かれらをして搾取制度に反対し、社会主義制度を擁護し、階級的差がなく、すべての人が幸福に暮らせる共産主義社会の建設をめざして献身的にたたかわせることに奉仕しなければなりません。したがって、社会主義社会における教育は、過去の社会とは根本的に異なった新しい教育理論と方法にもとづいておこない、教育の内容も全く新しいものとならなければなりません。社会主義社会の教育は、労働者階級と資本家階級、共産主義と資本主義との区分が明確な、革命的で共産主義的な教育とならなければなりません。

 もし社会主義国家が、青少年を革命的に、共産主義的に教育せず、社会主義的なものでも資本主義的なものでもない、どっちつかずの教育をおこなうならば、新しい世代を革命の継承者に、共産主義の建設者に育成することはできないでしょう。どっちつかずの教育をうけた人間は、どっちつかずの人間にしかなれません。共産主義的に教育されていない人間は、革命の代を引きつぐことも、人類の理想である共産主義社会を建設することもできません。

 現在、一部の社会主義国でさまざまな否定的現象があらわれ、社会主義・共産主義建設を成功裏に推進できずにいる事実をどう説明すべきでしょうか。もちろん、それにはいろいろ原因があるでしょうが、最も重要な原因の一つは、新しい世代を共産主義的に教育していないところにあるといえます。新しい世代が共産主義的教育をうけていないため、働くことをきらい、遊びほうけ、さらには革命の烈士たちが血をもってたたかいとった社会主義制度を愛することを知らず、革命をいやがるようにでもなれば、そのような国では革命の代が断ち切られ、社会主義・共産主義建設が成功裏に推進されないということは疑う余地がありません。

 大学やその他の学校で学生に『資本論』などマルクス・レーニン主義の古典や政治経済学、弁証法的唯物論、史的唯物論のようなマルクス・レーニン主義の一般原理を教えれば、それで社会主義教育が完成されたかのように考えるのは間違いです。まして、学校で学生に社会主義的なものと封建的なもの、資本主義的なものをいっしょにして教えるならば、それこそ、どっちつかずの教育となってしまうでしょう。

 いうまでもなく、過去の封建社会や資本主義社会の文学・芸術作品のなかには進歩的なものも多少あります。しかし、そういう作品を「古典的名作」だといって、学校の教科書にそのまま採用したり、革命的世界観がまだ確立していない幼い生徒にそのまま読ませてはならないと思います。

 例えば、プーシキンの『エブゲニー・オネーギン』や我が国の『春香(チュンヒャン)伝』のような作品は、その当時は進歩的なものであったといえます。だが、これらの作品には、いずれも時代的および階級的制約があり、したがって、それは現代の青少年の共産主義教育には役立ちません。

 『エブゲニー・オネーギン』は、貴族家門の青年たちが恋の嫉妬から拳銃で決闘するというのが筋書きになっています。この作品に進歩的な面があるとすれば、それは貴族階級を少し批判したことだといえよしょう。『春香伝』についていえば、この作品は、封建社会における両班(リャンパン)と常民の身分上の不平等を批判し、若い男女が財産や身分の相違にかかわりなく愛しあい、結婚もできるということを描いているだけに、その当時としてはもちろん進歩的なものでした。ところが、この作品で両班階級の身分的差別に反対する人間自体がほかならぬ両班の息子であり、この作品に描かれている人間の内面世界は、現代の青年のそれとはあまりにもかけはなれているのです。

 我々は、けっして現代の青年が『エブゲニー・オネーギン』や『春香伝』のような昔の作品を読んで、革命闘争への意欲や生産意欲を燃やすものと期待することはできません。むしろ、このような昔の作品に描かれている封建貴族や資本家のぜいたくで腐敗堕落した生活は、青少年を封建思想やブルジョア思想、ブルジョア的生活様式に染まらせる害毒作用をしかねません。現在、一部の社会主義国の青少年のあいだに腐敗した安逸な生活風潮がはびこり、資本主義制度とブルジョア的生活様式にあこがれる現象が見られますが、これはけっして偶然なことではありません。

 我々は他国の現実と我が国の経験から、青少年を共産主義的に教育せずにどっちつかずの教育をおこなうならば、新しい世代をどっちつかずの人間につくりあげ、ひいては全社会がどっちつかずの社会になるという深刻な教訓を酌み取りました。こうして我が党は、かつての古い教育理論と方法を大胆に捨て、共産主義建設の要求に即した新しい社会主義教育学を創造する方針をうちだしました。我が党は、既に社会主義教育学の基本原理を明確に示しており、教育においてそれを徹底的に具現するため積極的に努力しています。

 社会主義教育学の基本原理は、青少年を共産主義的に教育して革命化、労働者階級化することであります。

 人びとを革命化、労働者階級化することは、社会主義・共産主義建設の合法則的な要求であります。社会主義・共産主義社会を建設するためには、生産力を発展させて物質的要塞を占領するとともに、社会の全構成員を革命化、労働者階級化して思想的要塞を占領しなければなりません。

 マルクスとエンゲルスは、共産主義建設にかんする理論を示し、共産主義建設の経済的側面については多く強調したが、思想的側面についてはあまり多くふれていません。かれらは、労働者階級が政権を握った後、工場や鉄道、土地などの生産手段を資本家から収奪して国家の所有に変え、生産力をいま少し発展させるならば、各人が能力に応じて働き、必要に応じて分配をうける共産主義社会が実現するものとみました。

 しかし、我々はマルクスとエンゲルスの共産主義建設の理論を研究するにあたって、必ず考慮に入れなければならない点があります。それは、かれらが共産主義を建設してみたこともなしに共産主義理論を示したという点と、かれらが独占以前の資本主義時代に生き、資本主義の発達した国で活動しながら、それらの国の条件を念頭において、共産主義建設の問題を考察したという点であります。こうしたことから、マルクスとエンゲルスは、主要資本主義諸国でプロレタリア革命がほとんど同時に連続的に起こり、世界革命が比較的早く勝利するものと考えたのでした。また一国内においても、労働者階級が政権を握り生産手段を国有化しさえすれば、共産主義の物質的・技術的土台をきずくには、それほど長い時間がかからないものと考えました。したがって、かれらは資本主義から共産主義へ移行する過渡期を短いものとみなしたのでした。かれらは、人びとの頭に残っている古い思想の残りかすと、外部から浸透するブルジョア思想が共産主義建設に大きな支障となるということ、共産主義を建設する過程でさまざまな難関に遭遇しかねないことを十分に見通していませんでした。

 レーニンは、資本主義の発達が後れたロシアで革命をおこない、また社会主義建設を直接指導したため、資本主義から共産主義へ移行する過渡期を、マルクスやエンゲルスのようには短くみず、比較的長くなるものとみました。しかしレーニンも、資本主義から共産主義へ移行する過渡期に、プロレタリアート独裁国家が思想革命を徹底的に遂行しなければならないという問題については具体的にふれていません。

 レーニンは、共産主義建設にかんするみずからの思想を、ソビエト政権プラス全国の電化、これが共産主義である、という命題で定式化しました。レーニンのこの命題の電化という言葉は、技術革命をおこなって、すべての生産工程をオートメ化し、国の物質的土台を強固にきずきあげなければならない、という意味に解釈すべきだと思います。そして、ソビエト政権という言葉はプロレタリアート独裁をさしています。もちろん、この言葉をさらに展開するならば、労働者階級の国家は階級闘争と思想革命をおこなわなければならない、という意味に解釈することができます。しかしレーニンは、社会主義・共産主義を建設するためには思想革命をおこなって人びとを革命化、労働者階級化し、物質的要塞とともに思想的要塞を必ず占領すべきである、という思想を明らかにすることはできませんでした。

 労働者階級が政権を握り、国を電化したことだけで、共産主義建設が終わったとはいえません。いま我が国ではすべての里に電気がひかれ、すべての農家に電灯がともされており、農業生産にまで広く電気が使われて、国の電化が非常に高い水準に達しています。ソ連も、レーニンが提起した電化計画とは比較にならないほど、国の電化を実現しました。しかしまだ、能力に応じて働き、必要に応じて分配をうける共産主義の原則を実現するまでにはほど遠いのであります。たとえ、生産が高度にオートメ化され、物質的富を十分に生産できるようになったとしても、それだけで共産主義が建設されたとはいえません。

 共産主義的分配の原則を実現するためには、社会の物質的富を豊かにするとともに必ず思想革命をおこなって、人びとを共産主義的に教育改造しなければなりません。もちろん経済建設を立派におこない、物質的富を豊かにすれば、人民の生活を裕福にすることはできます。しかし、経済建設一面にかたより、思想革命をおろそかにして、人びとの思想・意識を共産主義的に改造しないならば、共産主義社会を建設することはできません。

 人びとの思想・意識が物質的環境の影響をうけるのは確かですが、経済が発展し物質的生活水準が高まるからといって、人びとの思想・意識がおのずと共産主義的に改造されるわけではありません。経済建設と思想革命を同時に力強くおし進めてはじめて、共産主義の物質的・技術的土台を強固にきずき、人びとの思想・意識を共産主義的に改造することができます。こうすることなしには、共産主義社会を成功裏に建設することができません。

 資本主義から共産主義へ移行する過渡的期間は、資本主義の発達した国とそうでない国とのあいだに、長短の差はありうるでしょう。しかし、どのような国の場合にも、社会主義国家はこの過渡的期間に、必ず人びとを革命化、労働者階級化する任務をなし遂げなければなりません。

 人びとを革命化、労働者階級化する闘争を立派におこなえば、かれらの頭に残っているブルジョア思想の毒素を根こそぎにすることができ、資本主義の復活を防ぐことができます。まして、世界に帝国主義がのこっており、社会主義諸国を内部から切りくずすための帝国主義者の思想的・文化的浸透がつづいている状況のもとで、労働者階級の党と国家が勤労者にたいする思想教育を力強くおし進めないならば、社会主義の獲得物をゆるぎなく守りぬくことはできません。

 勤労者にたいする思想教育を立派におこなえば、経済建設も順調に進めることができます。社会主義経済は、搾取と抑圧から解放され、国の主人となった勤労者の自発的で積極的な闘争によってのみ、たえず発展することができます。したがって、勤労者にたいする思想教育を強化し、かれらの革命的熱意を高めることは、社会主義経済建設を力強く推進する決定的な要因となります。

 人びとの頭にブルジョア思想の残りかすがくすぶっている状況のもとで、もしも、社会主義国家が勤労者にたいする思想教育を強化しないならば、かれらは働くことをきらい、遊んで暮らすことを好み、金銭と一個人の安楽のみを追い求める利己主義者になるおそれがあります。こうなれば、共産主義の物質的・技術的土台をきずく経済建設を速いテンポでおし進めることができず、社会主義・共産主義建設で、既にかちとった成果まで無にする結果をまねくでしょう。

 いま一部の人は、社会主義経済が一定の発展段階に達すれば、その成長テンポがしだいに低下するという理論をもちだしています。これは、勤労者を革命的に教育しないため、かれらが革命的積極性を失い、遊びほうけて仕事を怠けるところから、経済建設のテンポがにぶり、経済が伸びなやんでいるのを合理化するための詭弁にすぎません。

 我が国の経験は、勤労者のあいだで思想革命を強化して、集団的英雄主義と創意性を発揮させるならば、社会主義社会で経済をたえず速いテンポで発展させることができることをはっきりと示しています。我が国ではここ数年間、日照りがつづいて電力事情が非常に緊張し、またコークス用炭の輸入が順調にいかなかったため、工業生産の正常化が非常に困難でした。それに労働力も足りず、さらには、プエブロ号事件をはじめ、アメリカ帝国主義者のたえまない挑発策動によって、戦争が再発しかねない緊張した情勢がつくりだされた状況のもとで、国防力の強化に大きな力をふりむけなければなりませんでした。このように困難で複雑な問題がいろいろと提起されたにもかかわらず、我が党は勤労者にたいする政治活動を強化し、かれらの革命的熱意を呼び起こして、経済建設のあらゆる難関を成功裏に克服し、経済を毎年速いテンポで発展させました。

 我々は、これまでの社会主義革命と社会主義建設の経験から、共産主義社会の建設は経済建設だけでできるものではなく、必ず経済建設と人びとを革命化する闘争、言いかえれば、物質的要塞と思想的要塞を占領する闘争を同時におし進めるべきであるという結論を得るようになりました。

 思想革命を強くおし進めて人びとを革命化、労働者階級化することが共産主義建設の不可欠の要求であるだけに、我々は学校教育で当然、学生・生徒を革命化、労働者階級化する活動を第一にとりあげるべきであり、これがまさに、社会主義教育学の基本原理とならなければなりません。

 現在、我々には、社会主義教育学のこのような基本原理をふまえて、社会主義教育学を完成すべき課題が提起されています。これは一人や二人の力でできるものではなく、教育部門のすべての活動家が集団的に知恵を集めて、一つ一つ解決していかなければなりません。

 社会主義教育学については、まだ誰も完成した理論を出していません。また、我々が見習うべき社会主義教育学の手本をつくった国もありません。我々は、けっして社会主義と資本主義の区分のつかない、どっちつかずの教育学を再び我が国にもちこむわけにはいきません。まして、古くさい封建的、資本主義的教育理論や教育方法からなにかを見習おうとしてはなりません。搾取社会の教育学は、搾取制度を擁護する目的でつくられているため、我々はそこから継承すべきものはなに一つなく、それを根本的に否定し、社会主義教育学を新しく創造しなければなりません。

 我々は、ただマルクス・レーニン主義の原則と、我が国における革命と建設の経験にもとづいて、社会主義教育学を独創的に完成していかなければなりません。

 エンゲルスは『共産主義原理』という著作のなかで、労働者階級が政権を掌握した後、実施すべき教育施策として、すべての子供を母親が面倒をみなくてもすむ時期から国家の施設で国費によって教育し、教育を工場労働と結びつけておこなう問題を提起しました。我々は、ソビエト政権プラス全国の電化、これが共産主義である、というレーニンの命題を展開して共産主義建設の理論を発展させたように、エンゲルスのこの命題にもられている思想を正しく認識し、それを展開して社会主義教育学を発展させなければなりません。

 新しい世代の教育にかんするエンゲルスの命題を敷衍すれば、それは育ちゆく新しい世代が父母から古い思想の影響をうけることのないように国家施設で集団的に教育すべきであり、教育を生産労働と結びつけて、かれらに共産主義建設に役立つ知識を教えるべきである、という思想を含んでいるとみることができます。しかし、エンゲルスのこの命題には、子供を国家施設で国費によって育成する場合、どういう科目でどのような思想を教えるべきか、という問題についての解答は与えられていません。

 育ちゆく新しい世代を革命化、労働者階級化して、不屈の革命家、真の共産主義者に育成するためには、国家施設で育成するとともに、必ず共産主義的に教育する教育理論と方法がなければなりません。国家がいくら多くの託児所や幼稚園、学校を設けて義務教育をほどこすとしても、子供たちに正しい思想教育を与えないとすれば、子供たちを革命化、労働者階級化することはできず、国家的に育成するかいがないでしょう。

 現在、我々は9年制技術義務教育をおこなっており、遠からず10年制義務教育を実施することになります。10年制義務教育が全般的に実施されると、すべての子供が託児所をへて2年間幼稚園で生活した後、人民学校と中学校で10年間義務教育をうけるようになるでしょう。こうなれば、我が国の子供たちは、幼稚園から数えても12年間、国家の教育施設で集団生活をすることになります。この期間に、教育機関が生徒にたいする共産主義的思想・文化教育を立派にほどこすならば、新しい世代に共産主義的世界観を完成させることはできないにしても、共産主義的世界観の骨組みはつくりあげることができます。そして中学校を卒業した後、大学や人民軍、あるいは工場に入り5、6年間、社会主義労働青年同盟の組織生活をつうじて、ひきつづき教育され鍛えられるならば、かれらは革命的世界観の確立した人間になれるはずです。こうなれば、全社会の革命化、労働者階級化が成功裏に遂行されるでしょう。

 現在、我が国には、育ちゆく新しい世代の共産主義的教育に必要なあらゆる条件がそなわっています。要は、教育部門の活動家が教育において、我が党の示した社会主義教育学の原理を徹底的に具現することであります。

 社会主義教育学の原理を具現して、新しい世代を熱烈な革命家、真の共産主義者に育成するためには、なによりもまず共産主義にたいする信念をもつよう教育しなければなりません。

 共産主義にたいする信念は、共産主義者の気高い精神的風格の一つであります。共産主義者は人類の最高理想である共産主義の勝利をかたく信じ、そのためにすべてをささげてたたかう気高い品性を身につけています。

 周知のように、資本主義が滅亡し、共産主義が勝利するのは、歴史発展の法則であります。それぞれの国は、そのおかれている実情によって共産主義を建設する期間のうえで長短の差はあっても、すべての国が共産主義へ進むことは疑う余地がありません。だからといって、共産主義は闘争なしにおのずと実現するものではありません。資本主義の滅亡を促進し共産主義を早く建設するためには、すべての人が共産主義の勝利を確信し、そのために献身的にたたかわなければなりません。共産主義が勝利をおさめるためには、特に、育ちゆく新しい世代が共産主義にたいする信念をもつよう教育することが非常に重要であります。新しい世代が共産主義にたいする確固たる信念をもてば、たとえ我々が共産主義建設を完成できなくても、かれらが代をついで共産主義を建設していくことができます。

 我々がめざす共産主義は、科学的共産主義であります。したがって、共産主義にたいする信念は、人間が死んで「天国」や「極楽」に行けると説教する、宗教の教理を信ずることとは緑もゆかりもありません。昔から人間は、すべてともに働き、ひとしく幸福に暮らせる社会をあこがれました。しかし昔の人間は、この世には搾取と抑圧、ねたみと嫉妬、貧困と悲哀があるのみだと思いこみ、そうした社会悪を一掃して、この地上に誰もが幸福に暮らす社会を建設できるということは知らなかったのです。そのため、かれらは、死んで「天国」や「極楽」に行ってはじめて、安楽を享受できるというキリスト教や仏教の教理に耳を傾けるようになったのです。

 しかし、そのような「天国」や「極楽」はどこにもありません。現代の科学技術は、「天国」や「極楽」がないことを現実的に証明しています。現在、人間の宇宙飛行がたびたびおこなわれていますが、宇宙船に乗っていくら飛びまわってみても、そのような世界は見つかっていません。人間が死んだ後、「天国」や「極楽」に行けるというのは結局、人間は死んでから安楽になれるということなのです。しかし、死んだ後になんの楽がありえましょうか。

 人間が不幸と苦痛からぬけだし、幸福な生活を享受するためには、搾取社会を一掃し、能力に応じて働き、必要に応じて分配をうける共産主義社会を建設しなければなりません。そうすれば、人間が幾世紀ものあいだ念願してきた、真に幸福な社会をこの地上に現実のものとして建設することができます。

 いま一部の人たちは、共産主義は何百年か後に実現できるだろうといっていますが、これは、現代には共産主義を建設することができず、現代の人間がみな死んだ後でなければ共産主義は建設できないというのと同じことです。このような思想で人びとを教育してはなりません。共産主義社会が何百年か後でなければ実現できないというならば、人びとは共産主義にたいする信念をもつことができず、その勝利のために積極的にたたかおうとはしないでしょう。

 もちろん、共産主義を完全に建設するためには、長い時日を要するかもしれません。しかし、共産主義を実現するのはそれほど遠い先のことではありません。共産主義を早く建設するかどうかは、もっぱら、我々のたたかいにかかっています。全人民が力を合わせて奮闘するならば、共産主義社会を早く建設することができます。

 共産主義社会を早く建設することができるとしても、それを一挙に建設することはできません。我々は、条件の成熟にともなって、共産主義的施策を一つ一つ逐次実施していかなければなりません。きょうできるものはきょうおこない、明日できるものは明日おこなうというように、一つ一つ共産主義的施策を実施していくならば、やがては共産主義社会が完全に建設されるでしょう。

 現在、我が国で実施している無料治療制は、共産主義的施策の一つです。過去には、病気にかかっても病院で診察をうけるなど考えることさえできなかった朝鮮人民が、いまでは無料治療制のおかげで、一文の金もかけずに誰もが病院で治療をうけています。もっともまだ医者が多くなく、医薬品や医療施設も十分に備わっていないため、人民に医療上の援助を十分与えられない欠陥は多少あります。しかし、工業をさらに発展させ、各種の医薬品や医療器具を大々的に生産し、医者をさらに多く養成するならば、このような欠陥をなくし無料治療制の優位性を全面的に発揮させることができます。このような共産主義的施策を一つ一つ実施し、それを強固にしていくならば、我が国にすべての人が幸福に暮らせる共産主義社会を建設することができます。

 したがって、我々は学生・生徒に、資本主義は滅亡し社会主義・共産主義は必ず勝利するという信念をもつよう教育するとともに、資本主義を打倒した後、共産主義をいかに建設していくべきかについてもよく教えなければなりません。こうして、新しい世代が共産主義にたいする信念をもち、社会主義・共産主義の建設をめざして積極的にたたかうようにしなければなりません。

 次に、学生・生徒が、地主、資本家階級と搾取制度を憎悪するよう教育すべきであります。

 こんにち、我々は激しい階級闘争の時代に生きています。地主、資本家階級は、滅びゆくみずからの運命を救おうと必死になってあがいており、社会主義に挑戦しています。したがって、社会主義制度を強固にし、社会主義・共産主義を成功裏に建設するためには、搾取階級の反抗を徹底的に粉砕しなければなりません。

 こんにち我々は、階級闘争の時代、革命の時代に生きているだけに、地主、資本家階級と搾取制度を憎悪する思想で育ちゆく新しい世代を教育することが極めて重要であります。もし、育ちゆく新しい世代にこのような教育を十分にほどこさないならば、かれらは階級敵を忘れ、安逸な気分にとらわれて革命を忌避し、しまいには変質して堕落分子に転落することにもなりかねません。こうなれば、社会主義・共産主義を成功裏に建設できないばかりでなく、既にかちとった革命の獲得物までも危険にさらすおそれがあります。

 そのため、学校教育では、学生・生徒に地主、資本家階級の搾取的本性とその暴虐さ、資本主義社会の腐朽性とブルジョア民主主義の欺瞞性を明確に教えることに力を傾けなければなりません。そして、資本主義社会では、労働者階級をはじめ、勤労者大衆は人間らしい待遇をうけることができず、いくら働いても、報いられるものは貧困と悲哀しかないということを正しく教えなければなりません。

 特に、学生・生徒に南朝鮮社会の反動性と腐敗相を明確に教えるべきであります。いま南朝鮮の労働者、農民はいうまでもなく、中産階層までも南朝鮮の社会を呪って「富益富、貧益貧」といっていますが、これは、南朝鮮社会では富める者はますます財をなすが貧しい者はますます貧しくなるということです。事実上、こんにちの南朝鮮は、あらゆる民主主義的自由と権利が抹殺された暗黒の地と変わり、アメリカ帝国主義の植民地的略奪と地主、買弁資本家の過酷な搾取によって、南朝鮮人民の生活はいいようのない悲惨な状態におかれています。

 我々は、新しい世代に資本主義社会の本質と南朝鮮社会のこのような反動性をはっきり教え、かれらが地主、資本家階級と搾取制度を激しく憎悪し、それに反対して断固たたかうようにしなければなりません。

 これとともに、学生・生徒に資本主義にたいする社会主義の優位性をはっきり教えなければなりません。

 社会主義社会は、資本主義社会とは比べようもなくすぐれた社会であります。社会主義社会では、人民大衆が国の主人となっており、誰もがみな搾取と抑圧を知らずに心ゆくまで学び、働きながら幸福な生活を営んでいます。また社会主義社会では、重労働と軽労働の差、農業労働と工業労働の差、肉体労働と精神労働の差がしだいになくなるので、すべての勤労者が仕事は楽にしながらも、より豊かで文化的な生活を営むことができます。学校で新しい世代に社会主義社会のこのような優位性をはっきり認識させてこそ、かれらを、社会主義制度を強固にし、社会主義・共産主義を建設するため積極的にたたかう熱烈な革命家に育成することができます。

 育ちゆく新しい世代に資本主義にたいする社会主義の優位性を認識させるうえで、共和国の北半部と南半部とを対比して教育することが重要であります。

 こんにち共和国北半部の人民は、衣食住にたいする不自由を知らずに暮らしています。我が国の勤労者は、病気にかかって職場に出られない場合でも、国家から米やその他いろいろな生活条件の保障をうけています。いま、我が国の人民は、資本家のようにはでな服こそ着ていませんが、ぼろをまとっている人は一人もなく、住宅がなくて野宿をするような人もいません。共和国北半部の人民は、衣食住の心配がないばかりか、一文の金もかけずに息子や娘を大学にまであげて勉強させています。

 しかしこんにち、南朝鮮人民はなんらの生活条件の保障もうけられず、飢えと寒さに苦しんでいます。南朝鮮人民は、一日でも仕事にありつけないと、その翌日は飢えをたえしのぶほかなく、病気になっても薬一服のめず、子供を学校にあげて勉強させることもできない状態にあります。最近、南朝鮮の新聞に載った資料によれば、ある母親は子供の学費の工面に悩んだあげく、子供たちを道づれに心中したそうです。

 南北朝鮮の相反する現実は、共和国北半部にうち立てられた社会主義制度が、南朝鮮の社会制度とは比べようもなくすぐれていることを示しています。共和国北半部の社会主義制度がすぐれているということは、我が国を訪れる外国の友人たちも異口同音に語っています。我が国を訪れた多くの外国人は、自分の国に帰って共和国北半部の社会主義制度をたたえる記事を書いています。

 こんにち、南朝鮮のかいらい一味は、共和国北半部の社会主義制度が強化され、日増しにその優位性が明確になってくることにたいして非常な不安を感じており、南朝鮮人民に北半部の社会主義制度の影響が及ぶのを防ごうとやっきになっています。いま板門店(パンムンジョム)では、南北朝鮮赤十字団体代表が一同に会して、南北に離散した同胞の不幸を軽減する問題を討議していますが、南朝鮮側は、南北に離散した家族、親戚、親友を捜しだし、かれらの自由往来を実現する問題を本会談の議題に設定しようという我が方の正当な提案をうけいれていません。それは、南朝鮮の為政者たちも、南北のあいだに自由往来が実現し、南半部の人民が共和国北半部に来て、じかに社会主義制度に接し、その優位性を知るようになれば、かれらが祖国統一をめざす闘争にいっそう勇敢に立ち上がるにちがいないことをよく知っているからです。いま南朝鮮かいらい一味は、南北間に自由往来が実現すれば南朝鮮が「赤化」すると騒ぎたてていますが、これは、かれらが南朝鮮人民に共和国北半部の社会主義制度の影響が及ぶのをいかにおそれているかをよく物語っています。

 最近、南朝鮮かいらい一味は、南北間の接触と協商を破綻させ、南朝鮮人民の日増しに高まる共和国北半部へのあこがれと平和統一の機運をおさえるため、ありもしない「北からの南侵の脅威」を口実に「非常事態」を宣言しました。かれらは「非常事態」の宣言にひきつづき、毎日のようにさまざまなファッショ的悪法をつくりだしています。果ては、かれらは野党や広範な各界の反対にもかかわらず、本日未明3時に、泥棒猫のように自分たちだけで「国家防衛にかんする特別措置法」という前例のないファッショ悪法をつくりだしました。

 南朝鮮かいらい一味のこのような策動は、滅びゆく者の最後のあがきにすぎません。南朝鮮かいらい一味がいかにファッショ的弾圧騒ぎに狂奔しても、かれらはけっして共和国北半部にたいする南朝鮮人民のあこがれをおさえることも、祖国の平和統一をめざす人民の闘争を阻むこともできないでしょう。

 我々は、南北朝鮮の相反する現実をもって学生・生徒を教育し、かれらが共和国北半部の社会主義制度の優位性をより深く認識するようにしなければなりません。青少年学生が共和国北半部に樹立された社会主義制度の優位性をはっきり認識するようになれば、かれらは社会主義制度を積極的に擁護し、社会主義・共産主義偉業の勝利のためにいっそう強くたたかうようになるでしょう。

 新しい世代を頼もしい共産主義建設者に育成するうえで重要なのは、労働を愛する精神で教育することであります。

 共産主義は、社会の全構成員が労働を好み、労働に誠実に参加して、はじめて成功裏に建設されるものです。もし、育ちゆく新しい世代を労働愛好の精神で教育しないならば、社会主義・共産主義を成功裏に建設することはできません。

 社会が発達し生活が豊かになればなるほど、さらに熱心に働くべきであって遊んで暮らそうとすべきではありません。もし、共産主義社会になれば遊んで暮らせるものと考えるならば、それは誤っています。共産主義はけっして遊んで暮らす社会ではありません。もちろん、共産主義社会になれば人民の生活水準は最高度に達するであろうし、労働も非常に楽になるでしょう。しかしそのときでも、みなが働かなければならず、働かずして豊かな暮らしはできません。

 労働は人間の健康のためにも必要です。人間は常に適度に働いてこそ、体が丈夫になり長生きもできます。

 今後、すべての学生・生徒が、労働を最も神聖にして栄誉あるものと考え、労働を好み、労働規律を自発的に守り、働く習慣を身につけるよう教育しなければなりません。

 学生・生徒のあいだで労働にたいする共産主義的態度を培うには、真に労働を愛するすぐれた共産主義者の生きた実例をもって教育するのが効果的であります。こんにち我が国には、労働を愛し、働くことを好むすぐれた共産主義者が無数にいます。このようなすぐれた共産主義者の生きた実例は、学年・生徒の教育で大きな感化力をもつものです。

 既に『労働新聞(ロドンシンムン)』に紹介された在京(チェギョン)里の「共産主義的なおじいさん」の話は、学生・生徒のための立派な教育資料になると思います。かれは、もともと羅津(ラジン)で暮らしていました。その息子は総合大学を卒業して戦後、金策(キムチェク)工業大学の教員をつとめていましたが、父を平壌(ピョンヤン)に呼びよせて同居したことがあります。おじいさんが平壌に来てアパートの窓から街をながめたところ、方々でクレーンがせわしく動き新しい建物が立ち、青年たちは歌をうたいながら活気にみちて働いていました。このようにわきたつ現実を目のあたりにしたかれは、たとえ年はとったとはいえ再び農村に行って働くべきだと決心しました。こうしてかれは、在京里に行って再び協同農場員として働くことになりました。以前、在京里を訪ねたとき、私はかれに会いましたが、協同農場でいちばん模範的に働いていました。その晩会議に行ってみると、かれは発言も立派におこないました。かれは、こんな立派な制度のもとでは精をだして働くべきであって、働くのをいやがってはならないといって、熱心に働かない人を強く批判しました。

 一度は、平壌の嫁が義父の見舞いに行ったことがあったそうです。帰りに、義母が暮らしの足しにでもと嫁に米を少し持たせようとしたところ、それを知った義父が、いま我々の暮らしている制度がどんなに立派な制度であるか、国では食べていけるだけの米を供給してくれるのになにを余計にほしがるのか、その米はとっておいて人手の少ない戦没者の遺族や人民軍留守家族にわけてあげるのだから持たせるわけにはいかない、といって妻と嫁をたしなめたといいます。

 このようなおじいさんは、真に労働を愛するばかりでなく、生活体験をつうじて社会主義制度の優位性を深く感じとっており、みずからの労働によってこの制度をいっそう強化すべきであるということを自覚している人だといえます。

 みなさんもよく知っている馬東煕(マドンヒ)同志のお母さんも、共産主義的なお母さんであります。彼女は息子と娘、嫁、夫を革命にささげた革命家の遺族です。彼女は年が90に近いのですが、どうして手をこまねいて党の配慮だけに甘んじていられようかと、炊事を手伝ってくれる人をおくようにという党のすすめも聞き入れず、一人でけなげに暮らしており、まめに働いています。

 先ごろ、私は馬東煕同志のお母さんを訪ねました。そのとき、もう年もとってたいへんだろうから、ご飯でも炊いてくれる人を一人おいてはどうかと、もう一度すすめてみました。そうしたところ彼女は「私は、首相のお言葉ならなんでも聞きますが、それだけは聞き入れられません。私がもう年をとって国のためになるような仕事もできず、国のおかげでいまこのように暮らしているだけでも申し訳ないのに、どうして大事な人手をさいて私の家におけましょうか」というのでした。そこで私は、しかたなくある病院に勤めている看護婦を一人つけることにし、昼間は職場で働き、夕方職場がひけてからいっしょに寝泊りしながら、彼女の面倒を見るようにしました。

 馬東煕同志のお母さんは、年はとっていても女性同盟で進めているトウゴマ養蚕運動でも非常に模範的です。彼女は自宅の庭にトウゴマをいっぱい植え、それを手入れして女性同盟で飼育する蚕の飼料にあてています。

 現在、我が国の勤労者のなかにはこのほかにも、社会主義建設のために力と才能をささげて働いているかくれた英雄が数多くいると思います。我々は、このような立派な実例を多く見つけだし、それを手本にして、学生・生徒をさらに積極的に教育すべきであります。こうして、すべての青少年が肉体労働であれ、精神労働であれ、いつ、どこででも労働にたいする共産主義的態度をもって働き、生活するようにしなければなりません。

 新しい世代を頼もしい共産主義建設者に育成するためには、国家と社会の共同財産を愛護する精神で教育することがまた重要であります。

 社会主義社会において、国家と社会の財産は人民の共同所有になっています。工場や学校、病院などの財産はすべて、国を富強にし人民の幸福な生活を保障するための貴重な元手であります。したがって、社会主義社会において国家と社会の共同財産を愛護するのは、すべての勤労者の神聖な義務です。国家と社会の財産をよく管理し節約すればするほど、国はますます富強になり、人民の生活は早く向上するでしょう。

 しかし、いま一部の活動家は、共同財産を大事にせずずさんに管理しており、莫大な国家と社会の財産を浪費しています。

 建設部門の働き手たちは、細い鉄筋やパイプを使うべきところに太いものを使いかとおもえば、セメントの保管管理をよくしないため、それを吹きさらしにさせたり、雨ざらしにさせては使いものにならなくしています。建設現場でこうして浪費する鉄材やセメントだけでも非常な量にのぼります。織物の浪費も少なくありません。いま縫製品工場でつくった服を見ると、体裁のよいのはあまりありません。立派な織物で不格好に仕立てたのでは、織物を浪費するのと変わりありません。

 我々がまだ人民に魚類を十分に供給できないのも、漁獲高が少ないためではありません。我々は、年に魚を数十万トン水揚げしており、ときには一日にメンタイを1万6千トンも捕っています。ところが、働き手たちが捕った魚の保管をよくおこなわず、適時に運ばないため大量の魚を腐らせています。そのため、いまだに人民に魚類を十分に供給できずにいます。

 革命の継承者を育てるために多くの労働力と資金を費やして建てた学校も、管理がゆきとどかず使用にたえなくしています。

 このように、国家と社会の財産をいい加減に管理し浪費するならば、いかに多く生産し建設しても、人民の生活をすみやかに向上させることも、社会主義・共産主義社会を成功裏に建設することもできません。いま強固な経済的基礎をもっていながら、いまだにより豊かな暮らしができないのは、活動家たちが人民に奉仕する思想と、国家と社会の財産を愛護する精神に欠けているところから、国の経済管理を無責任におこない、多くの財産を浪費していることと関連しています。

 国家と社会の財産を浪費する現象をなくすためには、人びとを幼いときから国家と社会の共同財産を愛護する精神で教育しなければなりません。我々は、学生・生徒にたいする思想教育を強め、新しい世代が国家と社会の共同財産を愛護する精神を身につけるようにしなければなりません。

 次に、学生・生徒を集団主義思想で教育すべきであります。

 集団主義は、社会主義・共産主義の社会生活の基礎をなしています。社会主義・共産主義社会では、集団と社会の利益のなかに個々の勤労者の利益も含まれており、したがって、集団と社会の利益は、とりもなおさず勤労者自身の利益でもあります。したがって、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」すべての人が互いに助けあいながら働くのは、社会主義・共産主義社会の基本的要求であります。

 学生・生徒を集団主義思想で武装させるためには、まずかれらに、個人の力よりも集団の力が強く、個人英雄主義よりも集団的英雄主義がすぐれており、個人生活よりも組織生活と集団生活が重要であることを十分にさとらせなければなりません。こうして、学生・生徒が、幼いころから個人主義と利己主義に反対し、組織と集団を愛し、社会と人民の利益、党と革命の利益のために献身的にたたかうようにしなければなりません。

 そして、学生・生徒が勉強し科学と技術を学ぶ目的が、祖国と人民に奉仕するためであることを十分に自覚するよう教育しなければなりません。周知のように、科学と技術は、資本主義社会では個人の享楽と資本家階級の利益に奉仕するが、社会主義社会では労働者階級と全人民の利益に奉仕します。すなわち、社会主義社会において科学と技術は、金銭や個人の享楽のためではなく、勤労者を骨のおれる労働から解放し、国を富強にし、人民の生活を向上させるのに寄与するのです。

 かつて一部の人は、自分は無学なため骨のおれる野良仕事をしているが、息子たちにはなんとかして勉強をさせ、楽に暮らせる面事務所の書記か学校の教員にでもなってもらいたいと考えたものです。この会議に参加した人のなかでも少し年をとっている人は、このような思想の影響をうけているだろうと思います。

 我々は、育ちゆく新しい世代をこのように教育すべきではありません。新しい世代を、資本家が要求すれば資本家に奉仕し、金さえもらえればどこにでも売られていくような人間に育ててはなりません。こんにち我々の社会では、革命と労働者階級の利益に奉仕しない科学と技術はなんの役にも立ちません。学生・生徒に社会主義社会で科学と技術を学ぶ目的と意義を明確に教え、かれらが党と革命のために、労働者階級と全人民の利益のために、知識と才能をことごとくささげてたたかうようにしなければなりません。

 次に、新しい世代を真の共産主義者に育てるためには、古い社会の生活様式を捨て、新しい社会主義的生活様式に従って働き、生活するよう教育すべきであります。

 我々には、いまだに個人生活をはじめ、社会生活の各分野に、古い社会の生活様式がかなり残っています。祝いごとをおおげさにして浪費したり、弔いに香をたいたりするのは、すべて古い社会の生活様式であります。こんにち、社会主義を建設する我々には、このような虚飾虚礼や古い慣習は不必要です。

 我々が社会主義・共産主義を成功裏に建設しようとすれば、社会生活のあらゆる分野から古い社会の生活様式を一掃し、社会主義社会にふさわしい新しい生活様式を確立しなければなりません。古い社会の生活様式は、強制的な方法で一挙に全部なくすわけにはいかず、漸次的な方法でたゆみない教育と闘争をつうじてのみ一掃することができます。

 古い社会の生活様式を一掃し、社会主義的生活様式を確立するうえで重要なのは、育ちゆく新しい世代を社会主義的生活様式に従って生活し働くよう、教育することであります。育ちゆく新しい世代の誰もが、我々の社会の本性にかなった社会主義的生活規範や社会主義的行動準則に従って生活し行動するならば、将来社会のすべての分野であらゆる古い生活様式がなくなり、社会主義的生活様式が支配するようになるでしょう。したがって、我が国の学校では、育ちゆく新しい世代が社会主義的生活様式に従って生活し働くよう、教育することに深い関心を払わなければなりません。

 教育において社会主義教育学の原理を徹底的に具現するためには、社会主義社会にふさわしい児童心理学をつくり、それにもとづいて児童・生徒を教育しなければなりません。

 児童心理学は、児童・生徒の教育上極めて重要な意義をもっています。教員が児童・生徒の心理をよく知っていなければ、正しい教育ができません。家庭よりも幼稚園や学校で子供の教育が立派にできるのは、教員が児童の心理的特性に合わせて教えるからです。

 児童・生徒をその心理に合わせて教育するためには、児童心理学を立派に書きあげなければなりません。こんにち我が国の社会主義教育では、過去のブルジョア社会の児童心理学をそのまま使うわけにはいきません。

 いま一部の人は、子供の心理は社会制度に関係なく共通しているので、児童心理学はいかなる社会においてもすべて共通であるといっていますが、これは非常に間違った考えです。

 子供の心理も社会的環境と密接に関連しています。封建社会の子供の心理は封建社会の社会的環境を反映し、資本主義社会の子供の心理は資本主義社会の社会的環境を反映します。したがって、資本主義社会で育つ子供の心理と、社会主義社会で育つ子供の心理が共通しているはずがありません。私は近ごろ、資本主義社会から祖国に帰ったばかりの子供たちにしばしば会っていますが、その子供たちは既にお金が第一だと思いこんでおり、兄弟のあいだでもお金を別々にもとうとします。このようなことは、こんにち祖国で育った子供には見られないことです。資本主義社会で暮らして帰国した子供の心理がこのようになったのは、両親がそのように教育したからではなく、かれらの生まれ育った社会が黄金万能の社会であり、個人主義にもとづく資本主義社会だからであります。

 資本主義社会の子供の心理と社会主義社会の子供の心理が違うのだから、児童心理学も当然異ならなければなりません。

 ところが現在、師範教育部門で使っている児童心理学の教科書は、完全な社会主義的児童心理学の教科書であるとはいえません。児童心理学の教科書には、まだ古い社会の児童心理学のなごりが少なからず残っています。教育部門の活動家は、児童心理学の教材を集団的に検討し、そこにまだ残っているブルジョア的で修正主義的な要素を徹底的になくし、完全な社会主義的児童心理学を書きあげなければなりません。

 教育において社会主義教育学の原理を徹底的に具現するためにはまた、教員を革命化、労働者階級化しなければなりません。

 教育を直接担当している教員を革命化、労働者階級化することなしには、党の教育政策を徹底的に貫くことができず、教員が共産主義者にならずしては、学生・生徒を共産主義者に育てることができません。教員を革命化、労働者階級化することは、党の教育政策を徹底的に貫き、教育において社会主義教育学の原理を具現するための重要な裏付けであります。

 教員をはじめインテリを革命化、労働者階級化する問題は、かれらが主に精神労働に従事していることからしていっそう重要であります。いうまでもなく、教員などのインテリが精神労働に従事するからといって、楽な仕事をしているというのではありません。黒板に字を書きながら何時間も立って講義するのは、非常に骨のおれる仕事です。しかし、精神労働に従事するインテリは、労働者階級のように集団的な生産労働をつうじて鍛えられないため、集団と社会のためにすべてをささげる労働者階級の思想が欠けています。したがって我が党は、教員などインテリを革命化、労働者階級化することを重要な問題として提起しているのです。

 インテリを革命化、労働者階級化するからといって、必ずしも工場に行って労働しなければならないということではありません。要は、かれらの頭に残っている古い思想を一掃し、誰もが労働を愛し、党と革命のために、社会と集団のために献身的に働く共産主義思想をしっかり身につけるようにすることにあります。

 教員を革命化、労働者階級化する重要な方途は、革命的組織生活を強めることです。革命的組織生活を強めれば、人びとの頭に残っている古い思想を一掃し、かれらをたえず政治的、思想的に鍛えることができます。教員のあいだで党生活と勤労者団体の組織生活をいっそう強め、かれらがあらゆる不健全な思想に反対する強い思想闘争をくりひろげ、自分自身をたゆまず鍛えていくようにしなければなりません。

 教員を革命化、労働者階級化するためにはまた、教員にたいする再教育体系を確立し、かれらをねばり強く教育しなければなりません。特に、年に1度ずつおこなう1か月講習制度を強化し、すべての教員がどんなに忙しくても1か月講習には義務的に参加するようにしなければなりません。1か月講習では勉強もし、思想闘争もおこなわなければなりません。

 教員を革命化、労働者階級化するうえで、師範大学や教員大学など教員養成機関をしっかりととのえることが重要です。

 師範大学や教員大学をはじめ教員養成機関は、朝鮮革命の継承者を育成する「原種圃」ともいうべきものであります。教員を養成する学校で学生を立派に教育すれば、革命化、労働者階級化された教員が養成され、革命化、労働者階級化された教員が養成されてはじめて、すべての青少年学生を熱烈な革命家、共産主義者に育成することができます。

 しかし、これまで活動家は、師範教育部門に深い関心を払わず、教員養成機関をしっかりととのえる活動を正しくおこないませんでした。教育部門の活動家は当然、師範大学や教員大学、教養員大学に優秀な人を選んで入学させるべきでしたが、そのようにはせず、総合大学など、ほかの大学に優秀な人を選んで入れた後、その残りを師範教育部門の大学に入れました。もちろん、総合大学を立派にかためるのは重要なことです。しかし師範大学や教員大学、教養員大学を強化するのも総合大学の強化に劣らず重要です。師範大学や教員大学、教養員大学では、朝鮮革命の継承者を教育する教員を養成しています。今後、師範大学、教員大学、教養員大学には、人一倍党に忠実で革命性の強い人を選抜して入学させるべきです。

 これとあわせて、師範教育部門の教員陣容を党性、労働者階級性、人民性の強い人でかためなければなりません。師範教育部門の教員を党に忠実な人でかためるからといって、現在の教員を全部しめだしてはなりません。現在の教員をねばり強く教育して革命化、労働者階級化し、すべて共産主義者につくりあげるべきであります。

 師範教育を改善するためには、この部門の教科書を立派につくらなければなりません。教育部門の活動家は、現在この部門で使っている教科書を一つ一つ検討し、社会主義教育学の原理に合致しないものがあればすべて削除すべきです。こうして、師範教育部門のすべての大学で、労働者階級的線の明確な教科書によって学生を革命的に教育し、科学的で共産主義的な教育理論と方法を教えなければなりません。

 そして、師範教育部門にたいする党の指導を強化すべきであります。各級党組織は、師範教育事業を掌握してその指導を強め、特に党中央委員会の科学教育部と道党委員会の教育部では、師範教育部門の教員と学生を堅実な人でかため、教科書を検討する活動を正しく指導し援助しなければなりません。

 こんにち、教育部門の重要な課題の一つは、第5回党大会が提起した技術者、専門家の大集団、国のインテリ大集団をつくりあげる課題を成功裏に遂行することであります。

 我々は6か年計画期間に技術者、専門家を現在の倍以上に増やし、それを100万に達するようにしなければなりません。近い将来、技術者、専門家を100万以上に増やさなければ、現代技術で装備された人民経済を円滑に運営することも、技術革命と文化革命の課題を成功裏になし遂げることもできません。いま、我が国のいたるところで必要としているのは技術者、専門家であります。

 我々は今後、すべての里診療所を病院化する計画です。一つの里診療所を病院に切りかえようとすれば、少なくとも内科、外科、小児科、産婦人科に医師か準医師が1名ずつは必要でしょう。だから、我が国の里診療所をすべて病院化するためには、ほぼ2万人の医師が必要であり、都市に近代的な病院を増設するためにも多くの医師が要ります。

 我々は近い将来、10年制義務教育を実施する予定ですが、そのためには現在よりはるかに多くの教員が必要であります。

 農村で技術革命を実現し農業生産を高度に集約化するためには、機械、電気、化学、生物学部門の技術者、専門家が大量に必要とされます。一つの協同農場にこのような技術者、専門家を4名ずつ配置するとしても、ほぼ2万名の技術者、専門家が必要であります。

 また、6か年計画期間に多くの近代的な大工場の新設を予定していますが、今後これを円滑に運営するためにも多くの技術者、専門家が必要です。また現存の工場、企業所を拡張し、さらに発展させるためにも多くの技術者、専門家が必要です。

 このように、我々には多くの技術者、専門家が必要です。したがって我々は、ここ数年のうちに、さらに50万のインテリを養成しなければなりません。もちろん、短期間に50万のインテリを養成するというのは容易なことではありません。しかし活動家たちが、インテリの大集団を養成するという党の方針をかかげて積極的に闘争するならば、この課題は十分遂行することができます。

 国のインテリ大集団を養成するためには、なによりもまず現存の大学と高等技術学校の事業を改善強化し、新しい大学を増設しなければなりません。これとともに、働きながら学ぶ工場大学や工場高等技術学校を多く設け、大学の通信教育学部と夜間学部を拡張しなければなりません。

 新しい大学を設け、働きながら学ぶ各種形態の大学と高等技術学校を増やすためには、教員が多くなければなりません。今後、師範教育部門でさらに多くの教員を養成するとともに、現場で働いている技術者、専門家に教員を兼任させ、生産に参加しながら大学や高等技術学校の講義をうけもつようにさせるべきです。

 インテリの大集団を養成するためには、学生と勤労者に勉強できる条件を十分保障しなければなりません。大衆的運動で学校を増設し実験室を立派にととのえ、教科書や参考書も多く出版しなければなりません。

 そして、都市や労働者区をはじめ、各地に図書館を設け、それを拠点にして学生や勤労者が熱心に学習するようにしなければなりません。まだ、すべての学生と勤労者に必要な教科書や参考書を十分に供給できない状況のもとで、図書館を多く設けそれを広く利用させるべきです。煕川(ヒチョン)市のようなところに立派な図書館を一つ建て、そこに教科書や参考書を十分そろえておけば、学生や青年労働者をはじめ、市内の勤労者がなに不自由なく学習することができるでしょう。

 インテリの大集団を養成するためのこれらの課題を成功裏に遂行するには、仕事の手配を綿密におこなう必要があります。もし、仕事の手配を十分におこなわず積極的な闘争を展開しないならば、6か年計画期間にインテリの大集団を養成する課題を成功裏に遂行することはできません。すべての党組織と教育部門の活動家は、仕事の手配をぬかりなくおこない、技術者、専門家を100万以上に拡大する課題を必ず遂行しなければなりません。

 次に、教育部門の活動家は、10年制義務教育を実施するという党の方針を貫くため、積極的にたたかうべきであります。

 我が党は、今後10年制義務教育を実施する計画を立てています。10年制義務教育を実施する目的は、育ちゆく新しい世代に高い水準の中等一般教育を与えることにあります。育ちゆく新しい世代がすべて高い水準の中等一般知識を身につけるようになれば、工場で働くにせよ人民軍に服務するにせよ、うけもった仕事を立派に遂行することができ、大学にも進学することができます。高い水準の中等一般教育をうけた人なら、大学に行けない場合でも、自習して大学の課程を十分におさめることができるはずです。

 現在、我々は9年制技術義務教育を実施していますが、10年制義務教育を実施するためには、生徒をさらに一年間勉強させなければなりません。我々は、学校にあがる子供の年齢を現在より一年繰りあげ、6歳から入学させる方法で10年制義務教育を実施する予定です。

 党がこの問題をはじめてとりあげたとき、一部の人のあいだから、あまり幼い子供を学校にあげると、教えるのに骨がおれるだろうという意見も出てきました。だが、それは成長する子供たちの具体的な特性を十分理解していない人たちの言い分です。人間の知的発達は、4、5歳のときから始まるといえます。50歳をこした人が、4、5歳ころのことを記憶しているのをみてもそういえます。

 我々は、昨年からテストケースとして40余の学校で6歳の子供たちに授業をおこない、今年の秋にこれを総括しました。ここで我々は、幼稚園中級班修了前の数か月間に、子供たちの人民学校への入学準備をよくさせておけば、6歳の子供をいくらでも学校にあげて勉強させることができるという結論に達しました。ところで一つ隘路となる問題は、家が点在する山間部の子供たちの通学距離が遠いことです。特に、吹雪の激しい冬には通学に非常に苦労しています。したがって、山間部には分校を設けて運営するようにすべきです。以前、女性同盟が母親学校を建てたように、みながとりくんで分校を建てるならば、この問題もなんなく解決できると考えます。分校には、教員を一人ずつおいて子供たちを教えるようにすればよいでしょう。

 10年制義務教育を全国的に実施しようとすれば、学校も増設し、教員も大量に養成し、教科書や学用品の生産もさらに増やさなければなりません。したがって、10年制義務教育を一度に全部実施することはできません。我々は10年制義務教育を、まず都市から始める原則で毎年全国的に20%以上実施し、1976年まで全面的に実施するようにしなければなりません。

 同志のみなさん!

 このたびの教育者大会では、教育において社会主義教育学の原理を徹底的に具現するための、非常に重要な問題が討議されました。

 我々はこれまで社会主義教育学を創造し、それを教育に具現するうえで多くの成果をおさめました。しかし、我々は、既におさめた成果に満足するわけにはいきません。教育事業で達成した成果はまだ初歩的なものにすぎません。我々は、今後、社会主義教育学をいっそう完成し、それを教育に徹底的に具現しなければなりません。

 教員は、全社会を革命化、労働者階級化する活動の最初の工程をうけもっています。教員は、育ちゆく新しい世代を革命的世界観が確立し、科学技術を身につけた共産主義建設者に育成することによって、全社会を革命化、労働者階級化し、共産主義の思想的要塞と物質的要塞を占領する事業に積極的に寄与しています。それゆえ教員は、月給取りではなく革命家であります。

 私は、すべての教員が自分の仕事の重要性と栄誉を深く自覚し、党から与えられた重大な革命課題を立派に遂行するため積極的にたたかうよう望みます。

出典:「金日成著作集」26巻


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