金 日 成

扇動員はすべての活動で率先垂範し、
大衆を奮起させなければならない
 ―全国扇動員および五戸担当宣伝員活動者大会でおこなった演説―
1971年3月9日 
 
 
演説する金日成主席(1971・3・9)

 私はまず党中央委員会の名で、これまでの活動で多大の功績をつみ、輝かしい勤労の偉勲を立ててこの大会に参加した扇動員と五戸担当宣伝員の皆さんに祝賀のあいさつを送ります。

 私はまた、今日発言した龍陽鉱山と亀城紡織工場および煕川工作機械工場の扇動員たちに党中央委員会の名で感謝を送ります。

 この3人は、真の労働党員らしく、党から与えられたすべての任務を遂行するため勇敢にたたかい、扇動員としての典型的なすぐれた模範を示しました。特に、亀城紡織工場と龍陽鉱山の扇動員は女性の身でありながら、党から与えられた任務を遂行するために粘り強く奮闘しました。彼女たちは、1度やってだめなら10度、10度でだめなら100度、100度でもだめなら1000度やってでもなし遂げる頑強な闘争精神を発揮し、扇動員としての任務を立派に遂行しました。まさに、こういう闘争精神が革命家的な精神なのであって、非常に立派で貴いものです。この人たちは、積極的にたたかい立派な発言をしました。積極的な闘争なくして、立派な発言ができるものではありません。

 私は、この大会に参加した扇動員の皆さんと全国の扇動員、そしてすべての労働党員が、この人たちの生きた模範に習って扇動活動も立派におこない、すべての活動で率先垂範して、すべての勤労者を感動させ奮起させる有能な扇動員になるよう望みます。

 私はこの機会をかりて、宣伝・扇動活動と関連するいくつかの問題について簡単に述べたいと思います。

 周知のように、我々は今年、6カ年人民経済計画の遂行をめざす初年度の突撃戦に入りました。

 いま人民経済の各部門では、新年早々から力強い闘争が繰り広げられています。特に、党中央委員会が呼びかけた「100日間戦闘」の課題をかかげて、全人民がこぞって立ち上がり、社会主義建設の各部門で世人を驚嘆させる奇跡的な成果をあげています。

 人民経済各部門での力強い闘争と、この闘争でおさめた大きな成果には、党の政策を支持して宣伝・扇動活動を活発に繰り広げ、大衆を大いに奮起させた扇動員たちの功績もこめられています。

 しかし、我々は6カ年人民経済計画を完遂すべき重大かつ栄誉ある任務をおびているため、これまでの成果に満足してその場にふみとどまるわけにはいきません。我々は、継続革新、継続前進しなくてはなりません。

 わが党第5回大会が示した6カ年人民経済計画の中心的課題は、一言でいって、経済建設分野では3大技術革命の課題を遂行することであり、思想革命分野では全社会の革命化、労働者階級化を促進することであります。同時に国防力を強化し、祖国を統一するための困難な闘争を進めなければなりません。

 6カ年人民経済計画の完遂をめざすこの困難な闘争で勝利するためには、扇動員と五戸担当宣伝員が宣伝・扇動活動を活発におこなうことも必要ですが、すべての分野で思想闘争をさらに強化しなければなりません。

 すべての革命が古いものとの闘争なしには勝利できないように、6カ年人民経済計画を遂行するためには、すべての分野で封建的儒教思想、ブルジョア思想、個人主義、修正主義、教条主義などいっさいの古い思想に反対する闘争を強力に繰り広げなければなりません。

 我々の経験は、思想闘争を活発におこない、大衆の知恵を積極的に呼び起こし、前進しようとする人を十分に援助して正しく奮起させるならば、いかに困難な革命課題でも必ず立派に遂行できるということを示しています。これは、最近あった事実を一つ分析してみてもよくわかります。

 周知のように、熙川工作機械工場の労働者たちは、来年の4月15日まで1万台の工作機械の生産を決議し、これに呼応するよう全国にアピールしました。

 わが党の示した6カ年人民経済計画の中心的課題である3大技術革命の遂行において不可欠なのは工作機械です。技術革命は口先だけでなされるものではなく、物質的な力、すなわち機械があってこそ遂行できるものです。

 我々がこれから新しい工場をたくさん建設し、トラクターや自動車の修理工場と部品工場を随所に設置するためには、さまざまな工作機械を大量に生産しなければなりません。

 工作機械さえあれば、技術革命に必要なほかの各種機械をいくらでもつくりだすことができます。

 それで党中央委員会は、工作機械の生産に大きな関心を払い、工作機械を最大限に量産することを要求しました。

 しかし、6カ年人民経済計画と今年度の計画作成にさいして、工作機械の生産指標は極めて消極的に立てられました。

 保守主義と消極性のとりこになった一部の計画担当者は、計画草案を作成するさい、わが国のすべての機械工場で生産される1年間の工作機械台数が全部合わせても9000台を若干上回るかどうかという程度なので、それ以上生産するのは不可能だと言い張りました。

 また、国家計画委員会と国家科学技術委員会の技術者や専門家たちは、「解剖学グループ」だの、何々グループだのといったものをたくさん組織して熙川工作機械工場を視察してきてからも、この工場では年間4000〜4500台の工作機械を生産するのが精一杯だといいました。

 彼らがこのようにしか考えられなかった主な原因は、何よりも彼らに事大主義や教条主義などの古い思想があったからだと思います。彼らは、自力でなし遂げようとするのではなく、まずある国の工場を思いうかべ、あの国でさえこういう設備でこれくらいしか生産できないのだから、我々もそれ以上は生産できないはずだと考えたのです。これは、すでに考え方からして事大主義的であることを示しています。そして、教条主義のとりこになった人たちは、外国人のやり方を真似ようとするばかりで、熙川の労働者のように革新ののろしを上げることなどは考えようとさえしませんでした。

 閣議と党中央委員会政治委員会では、計画担当者と技術者たちが、事大主義と教条主義、保守主義のとりこになって消極的な態度をとっていることを手厳しく批判しました。彼らは、こうして再三批判をうけてからやっと、1万台を若干上回る工作機械の年間生産計画を立てました。

 その後、事態はどうなったでしょうか。国家計画委員会が計画数字を示達してからいくらもたたないうちに、熙川工作機械工場の労働者たちは、自分らに課された工作機械生産計画は今年の8月15日までに遂行し、来年の4月15日までに1万台を生産するという決意を表明しました。

 熙川の労働者たちが党のアピールにこたえてすべての部門で保守主義をうちやぶり、こうした大胆な発起をしたというので、私は直接現地に出かけて彼らから報告を聞きました。彼らは、工作機械の生産でいちばん難しい工程である旋盤ベッドの加工作業をオートメ化して流れ作業式にかえ、一種類の部品生産のために工場全体の機械を動かさなければならなかった従来の方法を改め、それぞれの部品生産を専門化できるように工程を組みかえました。言いかえれば、生産工程をオートメ化、専門化したわけです。また、工夫をこらして鋳物職場の生産面積の不足をおぎないました。工作機械を生産するには鋳造工程が必要なのですが、鋳型に鉄湯を鋳こんだのち、それが冷えるまで工場内の面積を長時間利用できないので、鋳物職場の生産面積が足りなくてもっとできるはずの鋳こみ作業が不可能になります。そこで彼らは、鋳物職場のまん中から建物の外側を1周するレールを設置し、そのレールの上に鋳物台を乗せて鉄湯を流しこみ、それを屋外に引き出して回しながら冷却させ、最後に砂を落とせるようにして鋳物職場の生産面積を新たに得ました。

 私は彼らの報告が非常に興味深く、合理的なので、国家計画委員会委員長と資材供給委員会委員長をはじめ、関係部門の幹部たちを呼んでこの話を直接聞かせ、援助を与えるようにする一方、党中央委員会政治委員会でも、この大胆な発起を積極的に支持し援助することについて討議しました。

 熙川の労働者たちは我々に三つの要請事項を提起しました。第1に資材を適時に供給してほしいということであり、第2に今後新製品の生産に必要な労働力を多少補充してもらいたいということであり、第3には鍛造職場の生産能力を少々おぎなってほしいということでした。我々は、それを全部解決してやるつもりです。この三つの問題だけ解決されれば、彼らは必ず自分たちの決議どおり1万台の工作機械を生産するといっています。

 これは、6カ年人民経済計画の遂行をめざしてかかげた新たなのろしであり、1957年に降仙製鋼所が起こしたのと同様の大きな革新であり偉大な発起であります。

 熙川の労働者たちが新たな技術革新でかかげたこののろしは、なんの闘争もない平坦な路程で起こったものでは決してありません。工業の発達した他の国でもできないのだから、我々にはとうてい不可能だと考える事大主義者、私があの世に行く日も遠くない今日この日までできなかったのに、どうしておまえたちにできるというのか、という経験主義者と保守主義者たち、それに修正主義者、安逸をむさぼる堕落分子と断固たたかったからこそ、彼らはこのような革新ののろしをかかげることができたのです。

 保守主義と事大主義、教条主義のとりこになった人の頭では、創意的な考えがなかなか思いつかないものです。鋳物職場の生産面積が足りないときにレールを屋外にまでのばして鋳こむ方法も思いつかないし、旋盤ベッド加工をオートメ化して流れ作業式に加工する創意に富んだ考えもおよそ思いつかないはずです。また、それぞれの部品別に生産工程を専門化する方法も思いつかないはずです。

 ただ、わが党の唯一思想、チュチェ思想で武装し、党から与えられた革命課題をなんとしてでも自力で完遂しようとする確固とした自力更生の革命的自覚をもった熙川の労働者であったからこそ、現存の設備と面積で工作機械をより早く、より多く製作する方法を考えだすことができたのであり、あらゆる可能性を動員して大きな革新の火の手を上げることができたのであります。

 熙川の労働者たちが起こしたこの革新ののろしは今日、全国に激しく燃えさかっています。

 亀城工作機械工場では、熙川工作機械工場で1万台の工作機械を生産するというのに、我々だからと1万台が生産できないわけはないといって、自分たちも来年の4月15日まで工作機械を1万台生産すると呼応し、万景台、咸興、清津の各工作機械工場の労働者たちもあいついで呼応しています。

 もし、万景台、咸興、清津の三つの工作機械工場で1万台の工作機械が生産されるならば、来年の4月15日までに3万台の工作機械が生産されることになります。これは、我々が来年すでに6カ年人民経済計画末の工作機械生産水準に到達することを意味します。

 これでわかるように、6カ年人民経済計画を完遂するたたかいでひきつづき革新を起こすためには、事大主義、教条主義、保守主義、経験主義などいっさいの古い思想と積極的にたたかわなければなりません。古い思想に反対してたたかうのは、社会発展法則の一つであります。

 いまなお一部の人の頭のなかには、事大主義思想が残っているため、自分の力を信じようとせず他国のものに期待をかけ、愚かしい考え方をする傾向があります。こういう人は、口には出さなくてもそれとなく技術神秘主義にとらわれており、大胆さに欠け、常に消極的な態度で仕事にあたります。

 我々は、こうした傾向と強い思想闘争を繰り広げるべきです。

 思想闘争は、あくまでも思想的に教育する方法でおこなわなければなりません。行政的なやり方で思想闘争をおこなったのでは問題を正しく解決することができず、成果は期待できません。

 それで我々は、扇動員に行政的権限を与えないのであり、また扇動員は行政的権限をもつ必要もありません。

 扇動員は、大衆のあいだで常に模範となり、大衆を説得し教育し、繰りかえし説得し教育して、すべての人を党と革命のために積極的にたたかうようにしむけるべきです。

 今日発言した龍陽鉱山と亀城紡織工場の両扇動員の活動経験は、扇動員の立派な模範になると思います。彼女たちは、思想教育を1回でだめなら10回、10回でもだめなら100回やってでも最後まで大衆を教育するため忍耐強く努力しました。ことわざに、10回切りつけて倒れぬ木はないというのがあります。また、至誠天に通ずるというのもあります。これは、誠意をつくせば天にも通ずるという意味で、もちろん神秘的なニュアンスをもったことわざです。しかし我々は、いかに難しいことであってもそれに心をうちこみ熱意を発揮するならば、必ず成功するという立派な意味をここからくみ取ることができます。

 人を教育する活動にしても、忍耐強く繰りかえし説得し教育し、重ねて説得し教育するならば、必ず成果をおさめることができるのです。

 それゆえ、扇動員と五戸担当宣伝員は、説得と教育と闘争の方法で思想闘争を強め、勤労者がすべての部門で革新を起こしつづけるようにしむけなければなりません。

 次に、扇動員と宣伝員に提起される重要な課題は、勤労者に第5回党大会がうちだした課題をわかりやすい言葉でひきつづき解説し浸透させ、彼らの知恵と熱意を大いに引きだすことです。

 大衆を党のまわりにかたく結集し、彼らの知恵と熱意を高く発揚させるのは、革命と建設の成果を左右する根本的な問題です。

 我々は、困難な問題が提起されるたびに労働者階級を訪ねて相談しました。1957年に私が降仙製鋼所を訪れたときも非常に困難な時期でした。当時、降仙製鋼所の労働者は、鋼材をより多く生産しようという党の呼びかけにこたえて、6万トン能力の分塊圧延機で12万トンを生産して国の困難な鋼鉄問題を解決しました。また祖国解放戦争の困難な時期に、私は楽元へ行って楽元機械工場鋳物職場の10名の党員たちの党細胞総会に参加したことがあります。そのとき私は、工場がみんな破壊されてしまったが、どうしたらよいだろうかと尋ねました。すると1人の女性が「首相さま!心配なさらないでください。私たちが戦争に勝ちさえすれば復興建設は問題にもなりません。…戦争が終われば、また復興して立派な暮らしができますから、あまり心配しないでください」というのでした。

 この言葉を聞いて、私は労働者階級の偉大な力に大きな励ましをうけました。私は、その細胞総会に参加して夜ふけの2時に帰ってきたのですが、夜通し寝つくことができませんでした。車中でも寝つけず、家に帰ってからも眠れませんでした。

 このような強い意志をもった労働者階級には不可能なことがありません。戦争が終わって楽元機械工場ではその10名の党員たちが柱になって大きな機械工場をつくりあげたのですが、この工場は今日まで立派な業績をたくさん残しました。党が起重機といえば起重機をつくり、揚水機といえば揚水機をつくり、掘削機といえば掘削機をつくり、なんでもつくりだしています。

 経済建設と国防建設を並進させる党の路線をうちだしたときにも、私は楽元機械工場がこの新しい路線の貫徹でひとつモデルになるようにといいました。率直にいって、このときも一部の人たちは首をかしげ、果たしてそれが可能だろうかと疑問をいだいていました。

 しかし、労働者階級は、党の要求である以上必ず実行すると答え、あらゆる難関を克服して党から与えられた任務を立派に遂行しました。

 これは、実際にハンマーをふるって製品を生産する生産者大衆の知恵と熱意をふるいおこすならば、偉大な革新が起きることを示しています。

 もちろん、個々人の英雄性も必要ですが、社会主義制度のもとで生きる人びと、特に、共産主義者は一個人の英雄主義よりも集団的英雄主義を基本とするのです。なぜならば、集団的英雄主義は一個人の英雄主義とは比べようもなくすぐれており、大きな力を発揮するからです。

 まさに龍陽鉱山の扇動員が自分一人で革新を起こしたのではなく、自分がまず模範となり全小隊が英雄的に働くようにし、また全小隊を扇動員につくりあげたように、すべての扇動員は集団的な革新と英雄主義へと大衆をふるいおこさなければなりません。

 いうまでもなく大衆をリードするためには中核がいなければなりません。そうした中核の役割を扇動員が担当して遂行すべきです。

 そのためにはまず、扇動員がわが党第5回大会報告の内容を深く認識しなければなりません。ただ形式的にまる暗記するのではなく、一字一句、各文章を掘り下げて研究し、その真髄を明確に把握しなければなりません。そうしてこそ、大衆のあいだに党大会の報告を正しく宣伝し、その貫徹をめざす闘争の先頭に立つことができます。

 これと同時に、勤労者に対する革命伝統教育を強化しなければなりません。

 万事がそうであるように、大衆を教育するのにも手本が必要です。手本があってこそ、人びとがその模範に見習うようになり、自己の活動に対する確信をもって積極的に努力するようになります。

 扇動員は、党政策教育と革命伝統教育を密接に結びつけておこなうことにより、勤労者を党の思想で武装させ、彼らの知恵と熱意を大いに引きださなければなりません。

 次に、扇動員は、扇動活動をタイミングよくおこなわなくてはなりません。

 皆さんの報告や提起された資料をみると、扇動活動がタイミングをはずしているのが主な欠陥の一つとなっています。扇動活動は常にタイミングよく、必要な内容をもっておこなうべきです。

 扇動という言葉は、うちわをあおいで動かすという意味です。

 もし、人が勇気をなくして落胆しているとすれば、それに即した生き生きとした現実的な資料でタイムリーな扇動活動をおこなって、勇気をふるいおこし突撃戦を敢行できるようにしなければなりません。

 以前にも話したことがありますが、我々の軍隊生活の経験からしても、扇動活動は的確な内容でタイムリーにおこなってこそ、効力を発揮するものです。

 かりに今晩、突撃戦を敢行するとすれば、政治指導員は戦闘の性格と時間に応じて、不屈の英雄金進同志は命を惜しまず勇敢に弾雨のなかをくぐり敵の銃眼をその胸でふさいで部隊の突撃路を切り開いた、我々はこの金進英雄の模範に見習って今晩の突撃戦で勇敢に戦い、敵を掃滅して勝利をかちとろう、といったふうに生々しい事実をもってタイムリーな扇動活動をおこなうべきです。これとは逆に、わが故郷がどうの、どこがどうのといった的はずれの扇動活動をするなら、これといった効果はあらわれません。何事につけ、時と条件に即して生々しい内容をもって扇動活動をおこなってこそ、成果をおさめることができるのです。

 扇動活動については、すでに全国市・郡党委員会扇動員講習会と第5回党大会など各種の会議でいろいろと言及しているので、今日はこれくらいにしておきたいと思います。

 私は最後に、扇動員と五戸担当宣伝員の皆さんが、第5回党大会の示した社会主義建設の雄大な綱領を実現するための大衆政治活動で新たな転換をもたらすよう期待します。
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』26巻 

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