金 日 成

教育と文学・芸術は人々の革命的世界観の
確立に貢献すべきである
 科学・教育および文学・芸術部門活動家協議会でおこなった演説
 −1970年2月17日−


 きょう、この席には、科学・教育部門と文学・芸術部門にたずさわっている活動家が多数参加しています。

 私はこの機会に、教育と文学・芸術部門に提起されるいくつかの課題について述べようと思います。

 こんにち、我々には、南朝鮮からアメリカ帝国主義侵略者を追い出して祖国を統一し、全朝鮮に社会主義・共産主義を建設すべき重要な革命任務が提起されています。この栄誉ある重大な革命任務を成功裏に遂行するためには、すべての勤労者と青少年を熱烈な革命家、真の共産主義者に育てあげなければなりません。

 勤労者と青少年を熱烈な革命家、真の共産主義者に育てあげるというのは、一言でいって、かれらを革命的世界観の確立した人間につくりあげることを意味します。

 人々は、革命的世界観が確立すれば、自然および社会にたいして科学的な認識をもつことができ、あらゆる事物と現象を労働者階級の立場から分析し判断し、労働者階級の利益を擁護してたたかうことができます。革命的世界観の確立した人間は、いかなる難関と試練にも屈することなく、地主・資本家階級と搾取社会をくつがえし、社会主義・共産主義を建設するためにすべてをささげてたたかうことができます。

 また、革命的世界観の確立した人間は、封建主義、資本主義、修正主義、事大主義などあらゆる不健全な思想の影響にもゆらぐことなく、それに反対して断固たたかうことができます。

 勤労者と青少年を革命的世界観で武装させる問題は、このように重要な意義をもっています。それゆえ、我々の教育と文学・芸術は、勤労者と青少年の革命的世界観の確立をその基本的課題とし、それに積極的に貢献しなければなりません。教育部門の活動家は、教育のすべての内容と方法が、学生・生徒の革命的世界観の確立を指向するようにすべきであり、作家、芸術家は、勤労者と青少年の世界観の確立に寄与できる革命的な文学・芸術作品の創作に筆鋒を向けなければなりません。

 革命的世界観を確立するのは、簡単なことではありません。人々の革命的世界観は、幾日かのあいだに、1、2回の教育によって確立されるものではありません。これは、たゆみない思想教育と実践闘争をとおしての意識発展の一定の段階をへて形成され、強固になり発展するものです。

 革命的世界観形成の第1段階は、認識の段階であります。人々の革命的世界観は、社会現象の本質にたいする認識から形成されはじめます。

 人々が革命的世界観を確立するというのは、旧社会を革命的に変革しようとする思想、すなわち、あらゆる搾取階級と搾取社会をくつがえし、社会主義・共産主義を建設しようという革命思想と観点で武装し、共産主義偉業の勝利のためにあくまでたたかおうとするかたい覚悟と意志をもつことを意味します。したがって、人々が革命的世界観を確立するためには、なによりもまず社会現象の本質をはっきりと認識しなければなりません。ここで、特に重要なのは、資本主義社会の反動的本質と腐敗相を正しく認識することであります。

 資本主義社会は、地主、資本家をはじめ、ごく少数の搾取階級が、絶対多数の勤労者大衆を抑圧し搾取する社会であります。資本主義社会では、国家のあらゆる権力と社会の財貨がことごとく少数の特権階級の手に握られており、勤労者大衆はなんの権利も財貨ももっていません。資本主義社会では、無為徒食する搾取階級はますます豪奮な生活をし富裕になっていくけれども、汗水流して働く勤労者大衆は、日とともにますます貧困にさいなまれるようになります。また資本主義社会では、虚偽と欺瞞、詐欺とペテンがばっこし、金がすべてを支配します。このように、資本主義は最も反動的な社会であり、腐敗し病みついた社会であります。こんにち、資本主義は、人類のあらゆる不幸と苦痛の禍根であり、社会の進歩をはばむ障害物であります。

 人々が、資本主義社会のこうした反動的本質と腐敗相を明確に認識してこそ、それを憎悪し、さらには、資本主義制度をくつがえして新しい社会を建設しようという、革命思想をもつことができます。資本主義社会が悪い社会であるということを認識しなくては、それを憎むことができず、資本主義制度を転覆しようという思想をもつこともできません。それゆえ、人々が革命的世界観を確立するためには、必ず、資本主義社会の反動的本質と腐敗相を認識する過程をへなければなりません。

 資本主義社会の反動的本質と腐敗相を認識したあとは、搾取階級と搾取社会を憎悪する思想をもたなければなりません。

 人々が地主、資本家をはじめ、搾取階級と搾取社会を憎悪する思想をつちかう過程を革命的世界観形成の第2段階だといえます。この段階では、資本主義社会の反動的本質にたいする認識にもとづき、搾取階級と搾取社会を憎悪する思想が芽ばえ、つちかわれる意識発展の過程、言いかえれば、階級的にめざめる過程が進行します。

 搾取階級と搾取社会を憎悪する思想が形成される過程は、認識過程と密接に結びついており、社会現象の本質にたいする認識にもとづいて進められる、思想・意識発展の連続的過程であります。だからといって、資本主義社会の反動的本質を認識すれば、搾取階級と搾取社会を憎悪する思想がひとりでに生まれるものではありません。搾取階級と搾取社会を憎悪する思想は、資本主義社会の反動的本質を認識することとあわせて、階級的教育をいっそう強化し、階級意識を高めてはじめて生まれるものです。

 人々が、地主・資本家階級を憎悪し、資本主義と帝国主義を憎悪する思想をもつようになれば、革命的世界観を形成するための準備と基礎が基本的にそなわるようになります。したがって、資本主義社会の反動的本質を認識する過程と、搾取階級と搾取社会を憎悪する思想をつちかう過程とを革命的世界観形成の準備過程だといえます。

 搾取階級と搾取社会を憎悪する思想をもつだけでは、まだ、革命的世界観が確立したとはいえません。搾取階級と搾取社会を憎悪する思想をもっただけでは敵に抗してたたかうことができず、したがって、革命家になることもできません。

 歴史をふりかえってみると、かつて多くの人々が、地主、資本家と搾取社会が悪いということを認識し、それを憎みはしたが、敵に抗してたたかおうとはせず、座して嘆いてばかりいたものです。日本帝国主義植民地支配の時期にも、多くの憂国の志士が亡国を痛嘆し、日本帝国主義侵略者を憎みはしたが、あえて闘争の道には踏み出せず、したがってかれらは、奪われた祖国をとりもどす闘争ではなんの役割も果たせませんでした。

 革命家となるためには、搾取階級と搾取社会を憎悪するばかりでなく、あらゆる敵をうち倒し、搾取と抑圧のない社会である社会主義・共産主義社会を建設するためにあくまでたたかうという、革命的覚悟をもたなければなりません。言いかえれば、革命をするという決心をもたなければなりません。このような革命的覚悟をもつ段階を、革命的世界観形成の第3段階だといえます。

 人々の革命的覚悟の内容は、それぞれの国のおかれている環境と条件によってあい異なるものです。帝国主義植民地支配下にある国の人民の場合には、まず、帝国主義侵略者をうち倒し、国の独立と自由をかちとろうという覚悟をもち、資本主義国の人民の場合には、資本家をはじめ、搾取階級を打倒し、搾取と抑圧のない新しい社会を建設するという覚悟をもつべきでしょう。社会主義国の人民の場合には、社会主義制度を侵害しようとする、転覆された搾取階級の残存分子と帝国主義侵略者の策動を徹底的に粉砕し、社会主義・共産主義建設をさらに促進し、ひいては、世界各国人民の革命闘争を積極的に支援して、世界革命を完遂するという覚悟をもたなければなりません。

 こんにち、我が国人民の場合には、敵の侵略と破壊・謀略策動から社会主義制度をゆるぎなく防衛し、社会主義建設を促進して、共和国北半部の革命基地をいっそうしっかりとうちかためるという覚悟をもつとともに、南朝鮮にたいするアメリカ帝国主義の植民地支配と、日本軍国主義者の再侵略策動を粉砕して祖国を統一し、全朝鮮に社会主義・共産主義を建設するという覚悟をもつことが重要であります。

 人々が革命的世界観を確立するためには、革命的覚悟とともに、いかなる難関にも屈することのない強い意志をもたなければならず、革命任務の遂行方途を知らなければなりません。また、祖国と人民を愛し、集団と同志を愛し、革命的組織規律を自発的に守るようにならなければなりません。一口にいって、革命家、共産主義者として身につけるべき思想的・精神的風格をすべてそなえなければなりません。こうしてはじめて、革命的世界観が完全に確立したということができます。

 人々の革命的世界観が、思想・意識発展のこうした過程をへて形成されるものだということは、我々の経験からもいえます。

 私は、幼いときから父や母から、日本帝国主義者と地主、資本家は悪者であり、植民地社会は悪い社会であるという教育をうけました。また、自分自身で直接、日本帝国主義者と地主、資本家が人民を無残にふみにじり、虐待するのを数多く目撃しました。このような過程をとおして、私はしだいに日本帝国主義者と地主、資本家が悪者であるという認識をもつようになりました。

 11歳の時、八道溝から平壌に戻って彰徳(チャンドク)学校に通ううちに、日本帝国主義植民地支配の腐敗相をいっそうはっきりと認識するようになりました。当時、平壌は、じつに息が詰まるほどのありさまでした。町にはこじきが群れをなし、人民は着の身着のままで飢えに苦しんでいました。そうかと思うと、金持ち連中と日本帝国主義者は、人民を過酷に抑圧し搾取してはぜいたくで放らつな生活をしていました。こうした平壌の惨たんたる現実を見て、私は、なぜ幾人かの金持ちだけがよい暮らしをし、絶対多数の人民は貧しい暮らしをするのか、なぜ日本帝国主義者は朝鮮にきて朝鮮人をいじめるのか、という問題について深く考えるようになりました。特に、父が再び日帝の警察に逮捕されたという知らせをきいて、日本帝国主義にたいする燃えるような憎悪心をより強くもつようになりました。

 その後私は、中国にいって勉強しながらも、日本帝国主義者と地主、資本家が、人民を虐待し、抑圧し搾取するのを無数に体験しました。一度は、学校の勉強を終えて友達といっしょに家に帰る途中、道端で二人の男が言い争っているのを見かけました。事情を聞いてみると、一人は車夫で、もう一人は資本家でしたが、人力車を雇った資本家が車夫に料金を十分払わなかったというのです。車夫は「民生」問題も少しは考えてくれるべきではないかと言って、もう少し払えと要求しましたが、資本家は金を出すどころか、かえって車夫を殴りつけるのでした。こういう光景を見て私たちは、我慢ができませんでした。そこで、私たち学生が資本家につめよって圧力を加え、車夫に金を払わせました。私は、こうした矛盾にみちた不公平な社会現象を無数に体験する過程で、資本主義社会の反動的本質をいっそうはっきりと認識するようになったばかりでなく、人民を抑圧し搾取する地主、資本家と、日本帝国主義侵略者を打倒しなければならないという決心をかためるようになりました。

 私の革命的世界観の形成において、革命的書籍は非常に大きな作用をしました。私は、幼い時から本をたくさん読みました。特に、革命をやらなければならないという決心をかためてからは、革命闘争の方法を見いだすため、マルクス・レーニン主義の書籍をはじめ、いろいろな政治書籍や革命的な文芸書籍をもっと多く読みました。私は、中学のときに、『共産党宣言』や『資本論』『剰余価値学説史』などのマルクス・レーニン主義古典を読みました。

 私は、マルクス・レーニン主義の古典や革命的な文芸作品を読む過程で、なんとしても革命をやらなくてはならないという決意をさらにかためるようになりました。こうして、各種の革命組織をつくり、学生運動をしなからしだいに闘争の道へと進むようになりました。その後、私は、労働者、農民のなかに入ってかれらを教育し、革命組織に結集する活動もし、地下闘争もおこないました。こうした過程をへて、私はついに手に武器をとって日本帝国主義侵略者とあくまでたたかおうという、並々ならぬ覚悟をかため、武力闘争の道に踏みだすようになりました。

 私の革命的世界観はこうして形成され、私は職業革命家になりました。

 革命的世界観が確立した後には、それをひきつづき強固にし、発展させることが重要です。あらゆる事物現象が変化するように、人間の思想・意識も変わります。人々の思想・意識は、どのような影響と教育をうけるかによって、よくもなり、悪くもなるものです。それゆえ、革命的世界観を確立することにとどまってはなりません。革命的世界観を確立した後には、実践闘争のなかでそれを強固にし、発展させるためにたゆまず努力しなければなりません。そうしてこそ、真の革命家となることができ、最期の瞬間までひたすら革命に忠実であることができます。

 私は、革命をやろうと決心して革命闘争の道に踏みだした後、闘争のなかで自分の革命的世界観をたえず強固にし、発展させてきました。

 私は、40年余りのあいだ革命闘争を進めながら、実に多くの波瀾と試練をへてきました。抗日武装闘争の時期は言うまでもなく、解放後にも、祖国解放戦争の後退の時期など、困難なときがしばしばありました。私は、難関と試練にぶつかるたびに、人民の力を信じ、人民に依拠してそれを乗り越えてきました。

 祖国解放戦争の時、私は、楽元(ラクウォン)機械工場に出かけて鋳物職場の党細胞会議に参加したことがあります。その時は、戦争がほぼ終わりに近づいていたころでしたが、すべてが破壊された廃墟のうえに工場を復旧することを思うと、ややおぼつかない感がしました。そこで、細胞会議に参加した党員たちに、戦争が間もなく終わりそうだが、戦争が終われば、我々の力で破壊された工場を復旧することができるだろうか、と聞いてみました。すると、一人の女性党員が立ちあがって「首相さま! 心配なさらないでください。私たちが戦争に勝ちさえすれば、復興建設は問題にもなりません。日本帝国主義者があんなに破壊していったのも、私たちが2、3年のあいだにすっかりたてなおして、幸せな暮らしをしたではありませんか。戦争が終われば、また復興して立派な暮らしができますから、あまり心配しないでください」と言いました。その女性の言葉を聞き、私はその夜ねむれませんでした。私はその女性のいうことが本当に正しいと思い、そこから新しい力と勇気をえました。

 戦後復興建設の時期も、我が国の状況は極めて困難でした。アメリカ帝国主義者と李承晩かいらい一味は「北侵」騒ぎに狂奔し、党内では分派分子が党に挑戦してきました。経済建設の分野でも、難関が一つや二つではありませんでした。原料や資材もとぼしく、資金も不足していました。人民の生活にしても、まだゆとりのあるものではありませんでした。我々はこのような時に、第1次5か年計画の遂行に着手したのですが、5か年計画を成功裏に遂行するためには、なによりもまず、多くの鋼材が必要でした。そこで私は、降仙製鋼所に出かけて行って、労働者に国の困難な事情を知らせて、鋼材をもっと多く生産することを訴えました。降仙製鋼所の労働者たちは党の呼びかけにこたえ、6万トン能力の分塊圧延機で9万トンの鋼材を生産することを決意しました。そして、かれらは私に、党の要求であればどんなことでもやり遂げるからあまり心配しないようにと言うのでした。ここで私は、いま一度大きな力をえました。

 人民大衆は、常に私に力と勇気をあたえ、勝利の信念をいだかせてくれました。人民大衆に依拠して艱難辛苦を克服しながら闘争する過程で、私は革命的な意志をいっそう鍛練し、革命的世界観をたえまなく強固にし発展させてきました。

 人々の革命的世界観は、このように意識発展の一定の過程をへて形成され、実践闘争のなかでひきつづき強固になり発展するものです。それゆえ、勤労者と青少年を革命的世界観の確立した人間につくりあげるためには、かれらの意識発展の過程に即して思想教育を正しくおこない、闘争をつうじてたえまなく鍛えなければなりません。

 勤労者と青少年を革命的世界観で武装させるためには、なによりもまず、学校教育事業を強化しなければなりません。

 学校教育は、人々の革命的世界観を確立するうえで極めて重要な作用をします。人々の世界観は、おおよそ学生時代、とりわけ中学時代に確立しはじめます。したがって、学校で正しい教育をおこなえば、我々の新しい世代をみな、革命的世界観の確立した熱烈な革命家、真の共産主義者に育てあげることができます。

 新しい世代を革命的世界観の確立した革命家に育てあげるためには、まずかれらが、資本主義社会の反動的本質と腐敗相をはっきりと認識し、地主・資本家階級と帝国主義侵略者を憎悪するように教育しなければなりません。

 ところが、こんにちの我が国の条件のもとでは、新しい世代が資本主義社会の反動的本質を認識し、搾取階級と搾取社会を憎悪するように教育するのは非常に難しいことです。我が国では、すでに久しい前に地主・資本家階級が一掃され、旧社会が残した社会悪もほとんどなくなりました。我が国には、最も先進的な社会主義制度が樹立されており、我が国の勤労者はすべて、国の堂々たる主人となって幸せな生活を営んでいます。特に、我々の新しい世代は、搾取と抑圧を知らずに幸福に育っており、なんの心配も気苦労もなく思う存分学んでいます。かれらは、搾取社会の辛い生活を体験したことがなく、地主や資本家を見たこともありません。こうした新しい世代に、資本主義社会の反動的本質を認識させ、搾取階級と搾取社会を憎悪させるというのは容易なことではありません。

 搾取社会の辛い生活をじかに体験し、搾取と抑圧をうけてきた人は、資本主義社会の反動的本質と腐敗相を比較的はやく認識し、階級的にめざめる過程もはやいものです。抗日武装闘争の時期、我々は行く先ざきで労働者、農民のなかにはいり、反動支配層と日本帝国主義侵略者の罪業を暴露する教育活動をおこないましたが、かれらは、搾取社会が悪い社会であり、日本帝国主義侵略者が悪者であるということをすぐさとりました。当時、我々は、いつも農村部落にたち寄り、農民を集めては、反動支配層が人民からかき集めていく税金の種類を一つひとつとりあげ、地主、資本家の搾取的本性と日本帝国主義者の侵略的罪業を暴露しました。そうすると、農民や青年たちは、敵がい心に燃えて革命をやると言ってたちあがりました。

 搾取と抑圧を直接うけた人は、このように搾取社会の反動的本質をはやく認識し、階級的にめざめる過程もはやいものですが、社会主義社会に生まれ育った新しい世代の場合は、事情が異なります。新しい世代は搾取と抑圧をうけていないので、かれらに1、2度の一般的な教育を与えただけでは、資本主義社会の反動的本質を深く認識させることができないし、かれらの階級的自覚を高めることもできません。したがって、学校では、学生・生徒にたいする階級的教育を生々しい資料にもとづいて、ねばり強くおこなわなければなりません。

 学校では、かつて地主、資本家が、労働者、農民を過酷に抑圧し搾取した生々しい資料で、学生・生徒を教育することによって、かれらに地主・資本家階級の搾取的本性と資本主義社会の反動的本質をはっきりと認識させなければなりません。

 特に、学生・生徒に南朝鮮社会の反動性と腐敗相をよく認識させなければなりません。南朝鮮の社会は、この世で最も反動的で最も腐敗した社会です。こんにち、南朝鮮はあらゆる民主的自由と権利が抹殺され、テロと虐殺の支配する暗黒の地に変わっています。南朝鮮では、一握りの反動官僚層と地主、買弁資本家は豪奢な暮らしをしているが、人民大衆は着の身着のままで飢えに苦しんでおり、かれらの境遇は日とともにますます困難なものになっています。いま、南朝鮮人民のあいだには、搾取と抑圧、貧困と飢えにさいなまれたあげく、世の中を呪って自殺する人の数が日をおって増えています。我々は、学生・生徒に、南朝鮮社会のこうした腐敗相をはっきりと認識させ、かれらが地主・資本家階級と搾取社会を徹底的に憎悪するようにしなければなりません。

 学校ではまた、米日帝国主義者を憎悪するよう学生・生徒を教育することに深い関心を払わなければなりません。

 米日帝国主義者は、歴史的に我が国を侵略してきた、朝鮮人民の血ぬられた仇敵であります。アメリカ帝国主義者は、すでに100余年前から我が国に侵略の触手をのばしはじめ、我が国が日本帝国主義の植民地支配から解放されたのちには、南朝鮮に押しいって民族を分裂させ、朝鮮人民にあらゆる苦痛と災難を強要しています。アメリカ帝国主義は、祖国解放戦争の時期、共和国北半部に侵入して多くの朝鮮人民を虐殺したばかりか、いまも南朝鮮で罪のない人民を手当たりしだいに逮捕、投獄し、虐殺しています。日本軍国主義者は、過去36年ものあいだ我が国を占領し、朝鮮人民を過酷に抑圧し搾取し、我が民族の多くの財貨を略奪していきました。こんにち、復活した日本軍国主義者は、再び我が国を侵略しようと機会をうかがっています。

 我々は学生・生徒に、米日帝国主義者のこうした侵略的本性と野獣的な蛮行をはっきりと認識させることによって、かれらが米日帝国主義者を憎悪し、それに反対して強くたたかうようにしなければなりません。

 新しい世代を革命的世界観の確立した革命家に育てあげるためにはまた、かれらが社会主義制度の優位性をはっきりと認識し、社会主義・共産主義にたいする強い信念をもつように教育しなければなりません。

 社会主義制度は、労働者階級をはじめ、広範な勤労者大衆の利益を徹底的に擁護する、最も先進的な社会制度であります。社会主義社会では、人民大衆が国の主人となっており、全人民が社会・政治生活に自由に参加しています。また社会主義社会では、搾取と抑圧から解放された人民が、各自の才能と能力に応じて思う存分働き、かつ学ぶことができ、誰もがみな幸せに暮らすことができます。

 搾取や抑圧を知らず、誰もがみな幸せに暮らせる社会主義・共産主義は、人類の理想であり目標であります。日を追って、世界のますます多くの人民が、社会主義・共産主義をめざして前進しており、その実現のためにたたかっています。世界各国人民の共同闘争によって、世界的規模で社会主義・共産主義が必ず勝利することは疑いありません。資本主義、帝国主義の滅亡は不可避であり、社会主義・共産主義の勝利は必然的であります。

 新しい世代が、社会主義制度の優位性を明確に認識し、社会主義・共産主義の勝利にたいする確固たる信念をもってはじめて、我が国に樹立された社会主義制度を積極的に擁護し、社会主義・共産主義建設を促進するために献身的にたたかうことができます。それゆえ、学校では学生・生徒に社会主義制度の優位性をはっきりと認識させ、かれらが社会主義・共産主義の勝利にたいし確固たる信念をもつように教育しなければなりません。

 新しい世代を革命的世界観の確立した革命家に育てあげるためには、かれらにたいする革命伝統教育を強めることが極めて重要です。

 日本帝国主義侵略者に反対する苦難にみちた抗日武装闘争の烈火のなかで、真の共産主義的革命家が数多く育成されました。抗日革命烈士の不屈の革命精神と英雄的な闘争は、こんにち、勤労者、特に新しい世代がいかに生き、たたかうべきかを教える手本となっています。

 我々は、革命伝統教育を強め、すべての学生・生徒が、抗日革命烈士の不屈の闘争精神、気高い革命家的品性を見習うようにしなければなりません。そうして、我々の新しい世代をみな熱烈な革命家、真の共産主義者に育てあげなければなりません。

 学生・生徒を革命的世界観の確立した人間に育成するためには、まず教員自身が、革命的世界観で武装しなければなりません。

 母親が共産主義者にならなくては、子弟を共産主義者に育てあげることができないのと同じように、教員が革命的世界観で武装することなくしては、学生・生徒を革命的世界観の確立した人間に育てることはできません。教員の思想状態と行動は、学生・生徒にそのままうつされます。教員の思想が健全でなければ、学生・生徒の思想も健全ではありえず、教員が品行方正でなければ、学生・生徒もまた品行方正であるはずがありません。それゆえ、学生・生徒を革命的世界観の確立した共産主義者に育てあげるためには、教員自身が共産主義思想と気高い革命家的品性を身につけた、立派な共産主義者にならなければなりません。

 教員は、誰よりも資本主義社会の反動的本質と腐敗相を明確に認識し、地主・資本家階級と米日帝国主義者を徹底的に憎み、社会主義・共産主義偉業の勝利をめざし、身を挺してたたかう強い革命的な心がまえをもたなければなりません。教員は、特に我が党のチュチェ思想でしっかりと武装し、マルクス・レーニン主義の原理に精通しなければなりません。また教員は、自然や社会にたいする豊富な知識をもち、社会主義的教育理論と方法を身につけなければなりません。こうして、教員の一言一句と一挙一動がことごとく学生・生徒の教育となり、手本となるようにしなければなりません。

 次に、勤労者と青少年学生を革命的世界観で武装させるためには、革命的な文学・芸術作品を多く創作しなければなりません。

 革命的世界観を確立するうえで、革命的文学・芸術作品の果たす教育的役割は極めて大きいものがあります。搾取社会の腐敗相を鋭く暴露した文学・芸術作品と、共産主義的革命家の典型を立派に形象化した文学・芸術作品は、人々に搾取社会の腐敗相をはっきりと認識させて、それを憎悪するようにし、革命にたいする意欲をもたせます。

 かつて私は、革命的な文学・芸術作品を読む過程で、革命にたいする意欲をさらに強くし、文学・芸術作品の肯定的な主人公の形象をつうじて多くのことを学びました。私は、吉林監獄に投獄されているときにも、革命的な小説をたくさん読みましたが、その時、『鉄の流れ』という小説を読んでうけた深い感銘は、長いあいだ脳裏にきざみつけられ、革命闘争の過程で困難にぶつかるたびに力と勇気をわきたたせてくれました。

 ゴーリキーや魯迅の作品が、広範な人民を革命闘争へとふるいたたせるうえで大きな作用をしたことは、よく知られているところです。ゴーリキーや魯迅の作品が、広範な人民を革命闘争へとふるい長たせる作用をすることができたのは、その作品が搾取社会の階級的矛盾を鋭く暴露し、人民の志向をリアルに描きだしているからです。ゴーリキーの作品は、帝政ロシアの腐敗相を暴露し、それに反対する革命家の典型を生き生きと描き出したからこそ、ロシア人民を社会主義革命へと鼓舞激励することができたのであり、魯迅の作品は、中国の封建支配制度の腐敗相を暴露し、自由と新しい生活を念願する人民の志向をリアルに描きだしたからこそ、中国人民を民主主義革命へとふるいたたせるうえで大きな役割を果たすことができたのです。

 抗日武装闘争の時期、我々は、踊りや歌、演劇などをつくって、しばしば人民の前で公演しましたが、それは人民をめざめさせ、反日民族解放闘争へとふるいたたせるうえで大きな作用をしました。

 一つの実例をあげましょう。

 抗日武装闘争の時期、我々は『血の海』という演劇をつくって、遊撃隊員の前でも上演し、人民の前でも公演しました。演劇『血の海』は、日本帝国主義者が朝鮮人民を手当たりしだいに虐殺する蛮行をあばきだし、主人公がしだいにめざめて革命闘争への道を踏みだすというのが基本内容となっています。一度は、ある農村にたち寄って人々の前でこの演劇を公演したところ、観衆は、演劇のなかで日本帝国主義者が老人や幼い子供をむごたらしく虐殺する場面をみて、怒りに身をふるわせました。そして、演劇が終わるや多くの青年が舞台にかけあがって、遊撃隊への入隊を嘆願しました。

 革命的な文学・芸術作品は、人々に搾取社会の腐敗相を認識させ、かれらの階級的自覚を高めるうえで、このように大きな作用をするのです。それゆえ、人々の革命的世界観を確立するうえで、文学・芸術は、一般的な政治・思想教育や教育事業に劣らず重要なものであるといえます。

 今後、作家、芸術家は、勤労者と青少年の革命的世界観の確立に貢献する革命的な文学・芸術作品をさらに多く創作するため、積極的に努力しなければなりません。

 まず、アメリカ帝国主義者の侵略的本性と野獣的蛮行を暴露する文学・芸術作品を多く創作しなければなりません。

 いま、アメリカ帝国主義者は、南朝鮮を軍事基地にかえています。かれらは、ゆくゆくは日本軍国主義者と南朝鮮の反動支配層をそそのかし、「勝共統一」のスローガンのもとに朝鮮人同士、またはアジア人同士でたたかわせようとしています。これは、アメリカ帝国主義者の腹黒い企みであります。アメリカ帝国主義と日本軍国主義は、朝鮮人民の不倶戴天の敵であります。アメリカ帝国主義者を我が祖国の領土から追い出し、日本軍国主義者の南朝鮮にたいする再侵略の魔手をうちくだくことなしには、南半部の人民を不幸と苦痛から救い出すことができず、祖国の統一も、革命の全国的勝利も達成することができません。いま、南朝鮮の革命家と愛国的人民は、アメリカ帝国主義者とその手先の過酷な弾圧と迫害にも屈せず、かれらに反対して勇敢にたたかっています。南朝鮮の革命家と愛国的人民の革命闘争を積極的に支援して、アメリカ帝国主義を追い出し、日本軍国主義の再侵略の魔手をくじき、その手先を打ち倒して祖国の統一をなし遂げることは、我が民族の最大の革命任務であります。

 作家、芸術家は、アメリカ帝国主義の侵略的本性と野獣的蛮行を余すところなく暴露する作品を多く創作して、全人民がアメリカ帝国主義者を憎悪し、かれらに反対して断固たたかうよう教育するうえに積極的に貢献しなければなりません。特に、アメリカ帝国主義者とその手先に反対する南朝鮮の革命家と愛国的人民の革命闘争を形象化した文学・芸術作品をたくさん創作して、かれらの闘争を鼓舞し、共和国北半部の人民が、南半部の人民の革命闘争を積極的に支援しようという心がまえをもつように教育しなければなりません。

 日本軍国主義の侵略的本性を暴露する作品もたくさん創作すべきであります。アメリカ帝国主義の庇護のもとに復活した日本軍国主義者は、アメリカ帝国主義を後ろ盾にして、海外侵略の道にのりだしています。日本軍国主義者は、すでに南朝鮮に浸透しはじめており、全朝鮮にたいする侵略戦争の準備を本格的にすすめています。このような状況のもとで、我々は、今後再び日本軍国主義者との対決を余儀なくされるかもしれません。それゆえ我々は、日本軍国主義者の侵略的本性を暴露する文学・芸術作品を数多く創作して、全人民が日本軍国主義を徹底的に憎悪し、常に警戒心を強めるよう教育しなければなりません。

 作家、芸術家は、地主・資本家階級の搾取的本性を暴露する作品もたくさん創作しなければなりません。

 我が国の南半部には、いまなお地主、資本家が、そのまま残っており、かれらはひきつづき労働者、農民をひどく搾取しています。共和国北半部では、すでに久しい前に地主・資本家階級が一掃されましたが、その残存分子はいまも残っています。転覆された搾取階級の残存分子は、社会主義制度にたいして不満をいだいており、かつての制度をとりもどそうという夢を捨てさってはいません。帝国主義の侵略的本性が変わらないのと同じように、地主・資本家階級の搾取的本性も変わるものではありません。

 作家、芸術家は、地主、資本家の悪らつな搾取的本性と搾取行為を暴露する映画や演劇などもつくり、小説もたくさん書かなければなりません。こうして、勤労者、とりわけ新しい世代に文学・芸術作品をつうじて、かつて地主、資本家が、労働者、農民をいかに過酷に抑圧し搾取したかをはっきりと認識させ、地主、資本家を憎悪する思想を植えつけるようにしなければなりません。

 革命伝統を主題とする作品を多く創作することは、こんにち、文学・芸術分野における最も重要な課題の一つであります。

 かつて、朝鮮のすぐれた息子や娘たちは、奪われた祖国をとりもどすため、銃を手にして15年ものあいだ、日本帝国主義に反対して血みどろの闘争を展開しました。この苦難にみちた抗日武装闘争の烈火のなかで輝かしい革命伝統がきずかれ、無数の真の共産主義的革命家が育成されました。抗日武装闘争の時期にきずかれた輝かしい革命伝統は、朝鮮革命の貴い財貨であり、人民を革命的に教育する貴重な資産であります。

 作家、芸術家は、抗日武装闘争の時期にきずきあげられた輝かしい革命伝統を主題とする文学・芸術作品をどしどし創作して、我が党の栄えある革命伝統を継承、発展させ、人民を革命的に教育するうえに積極的に寄与しなければなりません。

 社会主義建設の姿を描いた作品も多く創作すべきであります。

 社会主義建設は、こんにち、朝鮮人民に提起されている最も重要な革命課題であります。社会主義建設を立派におこなってこそ、人民生活を速やかに向上させ、社会主義制度の優位性をあますところなく発揮させることができます。また、我々が社会主義建設を立派におこなってこそ、南朝鮮人民の闘争を支援し、祖国の統一と革命の全国的勝利のための強固な基礎をかためることができます。

 こんにち、朝鮮人民は、社会主義建設を促進するため、燃えるような革命精神をもって勤労闘争をくりひろげており、チョンリマ(千里馬)の勢いで力強く前進しています。いま、全国は創造的情熱でわきたっており、いたるところで奇跡と革新がおこっています。作家、芸術家は、社会主義建設のこうした躍動する現実と人民の英雄的な闘争を描いた作品をたくさん創作するため積極的に努力しなければなりません。

 勤労者の革命化、労働者階級化の問題をあつかった文学・芸術作品もたくさん創作しなければなりません。

 我が党はすでに以前から、社会の全構成員を革命化、労働者階級化する方針をうちだしています。しかし、まだ少なからぬ働き手は、党のこの方針を明確に認識しておらず、人々を革命化、労働者階級化する方途についてもよく知っていません。

 いま、一部の活動家は、出身階級の複雑な人は革命化することはできないといってのけ者あつかいにしていますが、これはたいへんな誤りです。党の方針は、出身階級のよい人だけでなく、出身階級の複雑な人も含めて、社会の全構成員をのこらず革命化、労働者階級化することであります。出身階級のよい人でなくては革命化できないのではけっしてありません。出身階級が複雑な人であっても、十分革命化することができ、共産主義者になることができます。問題は、出身階級にあるのではなく、自分自身に残っている古い思想をとりのぞき、共産主義思想で武装するためいかに努力するかにかかっています。我々は、党の方針どおり、すべての勤労者を革命化し、各家庭を革命化し、ひいては居住人民班や作業班を革命化する方法で、全社会を革命化、労働者階級化していかなければなりません。

 ところでいま、革命化、労働者階級化の問題を取りあげた文学・芸術作品はわずかしかありません。革命化、労働者階級化の問題を掘りさげて描いた演劇や映画も少なく、小説もあまりありません。

 今後、作家、芸術家は、革命化、労働者階級化を主題とする文学・芸術作品の創作にもっと大きな力をそそがなければなりません。こうして、勤労者が、革命化、労働者階級化する過程を描いた作品もつくり、革命化の手本、言いかえれば革命化された人間の典型を描いた作品もたくさん創作するようにしなければなりません。

 革命的な文学・芸術作品を多く創作するためには、創作活動を大衆的運動としてくりひろげなければなりません。現在、我が国には、中卒や大卒の人がたいへんな数にのぼっています。我々は、かれらをはじめ、広範な大衆を文学・芸術の創作活動に積極的に引き入れ、革命的な小説を書き、演劇や映画もつくり、歌もつくるようにしなければなりません。

 私は、教育および文学・芸術分野の活動家のたゆみない努力によって、我が国の教育と文学・芸術が、勤労者と青少年の革命的世界観の確立に大いに寄与するものと確信します。

出典:『金日成著作集』25巻 


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