金 日 成

アラブ連合共和国のダル・アル・タフリル出版社
アブデル・ハミド・アフメド・ハムルシュ総局長の質問にたいする回答
-1969年7月1日-


 問 首相同志、私が朝鮮を訪問して学んだことのうちで最も重要なことは自力更生の革命精神です。私は朝鮮に滞在するあいだ、自力更生の革命精神が貴国の対内外政策のすべての分野に立派に具現されているのを見てとりました。特に、自力更生の原則が国内で具体的に、どのように貫かれているかをつぶさに見ることができました。しかし、短い期間に私がすべてのことを十分に理解したとはいえません。それで、首相同志から、これについてもう少し説明していただくわけにはいかないでしょうか?


 答 我が国の実情については労働新聞社の主筆である記者同盟中央委員会委員長が、すでにあなたに話したことと思います。

 あなたもご覧になったと思いますが、我々はこれまで新しい社会、新しい生活を創造する事業で少なからぬ成果をおさめました。これまで我々が成果をおさめることができたのは、もっぱら我が党と政府の正しい政策とその賢明な指導があり、党の政策を実行するために、人民がふるいたって勇敢にたたかったからです。

 革命闘争と建設事業を指導するうえで、我が党はチュチェ思想を確固不動の指導指針としてきたし、党のチュチェ思想で武装した朝鮮人民は自力更生の革命精神をもって、不撓不屈の闘争をくりひろげてきました。

 我々は、朝鮮革命を遂行しています。朝鮮革命については、だれよりも朝鮮人がよく知っています。朝鮮革命の主人は朝鮮人民であり、朝鮮革命の勝利の決定的な要因も我々自身の力であります。朝鮮の革命について、ある他の国の人が、ああせよこうせよと処方をあたえることはできず、他の国の人が、我々にかわって朝鮮革命をやってくれるわけにもいきません。朝鮮革命を立派におこなうためには、主人である朝鮮人自身が、自分の頭を働かせなければならないし、提起されるすべての問題を自力で解決し、朝鮮革命の利益にそうように処理していかなければならないのです。

 それで、我々は解放された当初から、革命と建設のすべての分野で主体性を確立する問題を最も重要な課題として提起してたたかってきました。

 主体性を確立するということは、簡単にいえば他人に盲目的に従ったり他人の力に頼って生きていこうとするのではなくて、自分の信念をもち自分の力で生き、何ごとも自分の実情に即して、また自国の革命のためになるように処理していく立場を堅持することを意味します。

 我々は、思想において主体をしっかりとうちたて、それを政治、経済、軍事の各分野にわたって具現しました。思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛、これが我が党の一貫した立場です。

 我が党は、これまで革命と建設のすべての問題を自主的に、我が国の実情にあうように、そして主に自力で解決していく主体的な立場を堅持してきたし、全人民は、他国への依頼心をすてて自分の力と自国の資源で我が国の革命を完遂し、社会主義・共産主義を建設しなければならないという自力更生の革命精神をもってたたかってきました。

 主体性を確立して自力更生した結果、我々は我が国の革命を最短コースで前進させることができたし、おり重なる難関と試練にうちかって勝利と成果をおさめることができました。主体と自力更生、これは我々のすべての成果の基本的な保障です。

 あなたは停戦直後に撮った我が国の映画をご覧になったかもしれませんが、戦争によって我が国では実に多くのものが破壊されました。すべてが焼きつくされ、破壊され、都市と農村に残されたのは灰じんのみでした。平壌市をとってみても、戦争のあとに残ったのは幾つかの建物だけでしたが、それさえもみな壊れたものでした。実に、そのときの我が国の状態は非常に苦しく、困難は1つや2つではありませんでした。

 しかし、我々は少しも気を落としませんでした。我々は党があり、主権があり、人民があり、領土がある以上、いかに困難な条件のもとでも再び立ち上がることができるという確固とした信念をもって、戦後の復興建設に取り組みました。我が党は、人民に、戦争によってすべてのものがほとんど破壊されたとしても、自力更生するならば廃墟のなかからでも再起できるという信念を与え、かれらを戦後復興建設の壮大な闘争に力強く奮起させました。党は我が国の各階層人民に、社会主義祖国を建設する聖なる偉業に力のある人は力を、知恵のある人は知恵を、技術のある人は技術を発揮せよと呼びかけました。

 我が国の全人民は、我が党の呼びかけに力強くこたえてこぞって立ち上がり、力と知恵と技術をことごとく発揮してめざましい闘争をくりひろげました。我が国の勤労者は、ないものはつくりだし、足りないものは探しだして自分の力で機械をつくり、工場を建て直しました。また、新しい科学上の発明や技術革新、創意考案などをおこなって、我が国で懸案となっていた問題や困難な問題を自力で解決していきました。特に、我が国の愛国的インテリが大きな貢献をしました。

 幾つか、例をあげてみましょう。

 日本帝国主義の支配当時、我が国の北半部には紡織工業というものはほとんどありませんでした。紡錘は数千錘にすぎず、織物は一人当たりやっと14センチメートルそこそこゆきわたる状態でした。解放後にも、人民の衣料問題を解決することはそれほど簡単なことではありませんでした。我が国では、夏季に雨量が多いため綿がよくできないので、繊維問題は依然として困難な問題として残っていました。

 我が国の科学者は、自力更生の精神を発揮して、この困難な問題を円滑に解決していきました。ある科学者は、我が国に豊富な石灰石からビナロンをとる方法を考えだし、またある科学者は、我が国に多い芦から繊維をとる方法を見つけだしました。こうして、我々は人民の衣料問題を、我が国の科学者の力と国内原料で完全に解決できるようになりました。

 かつて、我が国では製鉄工業にも多くの難題がありました。我が国ではコークス用炭が産出されないため、外国から輸入して鉄を生産しなければなりませんでした。だが、我が国の科学者が、国内に無尽蔵な無煙炭を利用する製鉄法に成功したので、我々には国内の原料で鉄を生産できる展望が開かれました。これは、国の自立的経済土台の強化にとっていま一つの大きな寄与となります。

 今、一部の国では、水を電解して肥料を生産しています。しかし、この方法は電力の消費が多すぎるので我々には適しません。それで我が国の科学者は、国内産の石炭をガス化して肥料を生産する方法を考えだしました。

 このほかにも、我が国にはないとされていた各種の鉱物を数多く発見して工業の急速な発展をはかり、農村の水利化でも、他の国にはない形式を創案して多くの仕事をなし遂げました。建設事業も、国内の原料と資材をもちいておこなったため、早く進捗させることができたのです。

 チュチェ思想と自力更生の精神は、教育、文化の分野にも立派に具現されました。

 我が国の幹部と人民は、自力更生の習慣がつき、非常に勇敢になりました。党がどんな問題をうちだしても、少しもしりごみせず直ちに受け入れ、いかに困難で骨のおれることでも、必ず自分の力と知恵でやりとおします。

 停戦直後、我々が溶鉱炉を復旧建設するとき、我々には技術者もいなかったし、設備や資材も不足していました。たやすい方法でやろうとすれば、技術者も外国から招聘し、設備も外国から輸入しなければなりませんでした。しかし当時、我々にはそうするほどの資金がありませんでした。そこで我々は大胆な措置をとりました。我々は、工業大学3学年の学生たちを繰り上げて仮卒業させ、設計をして溶鉱炉を建設するようにさせました。200名ほどの学生を仮卒業させましたが、かれらは寝ることも忘れてたたかいつづけ、1年余りのあいだに立派な溶鉱炉をみごとに建設しました。

 もしも、外国の力をかりて溶鉱炉を建設したとすれば、資金だけでなく、時間も多くかかったことでしょう。設計に1年、設備の製作に1年、またその搬入に少なからぬ時間を要したはずであり、結局、溶鉱炉の建設を完成するまでには少なくとも4、5年はかかったことでしょう。

 外国に頼れば、溶鉱炉を1つ建設するにも、このように多くの資金を使ううえに、長い日にちをかけなければなりませんが、自分の力でやれば1年という短い期間に、立派な溶鉱炉が建設できるのですから、自力更生するということはすばらしいことではありませんか。

 電気機関車のようなものも、外国から輸入するとすれば、多くの資金をかけなければなりません。我々は、我が国に必要な多くの電気機関車を外国から輸入してくるわけにはいきませんでした。それで我々は、大学生や技術者に自力で設計して機関車をつくる課題を与えました。こうして、今、我が国の技術者は、自分の技術と力で立派な電気機関車をつくっており、自分でつくった電気機関車で国の鉄道をほとんど電化しています。

 我々は、よい機械を1つ手に入れれば、それを手本にしていたるところで機械の子生み運動をくりひろげ、国の機械工業を発展させました。今、我々は自力で自動車もつくり、トラクターもつくり、いろいろな兵器もつくっており、我々に必要なものはほとんどみな国内で生産しています。

 我々は、このように自力更生して、国の自立的民族経済の土台を強固に築き、国の防衛力を鉄壁のようにかため、人民の衣食住の問題を立派に解決することができました。

 今日、我が国の建設場では、国産の近代的機械で作業をしており、田野では我々の手でつくったトラクターが田畑を耕しており、我が国の道路には自力更生号自動車が列をなして走っています。人民軍の勇士は、我が国の労働者階級が生産した武器で祖国の防衛線を鉄壁のように守っています。もちろん、我が国では、発達した国々に比べて人民生活がまだそれほど豊かではありません。しかし、我々はよその国から穀物を買い入れずに、我が国で生産した穀物でみな十分に食べており、我々が建てた家に住み、我が国で生産した織物でつくった服を着、自力でつくった日用品を使いながら、よそにひけをとらない暮らしをしています。

 主体性を確立し自力更生した結果、我々は極めて短い期間に、立ち後れた植民地農業国であった我が国を、このように発展した社会主義工業・農業国に変えました。今日、朝鮮人民は、何ぴともあえて侵すことのできない尊厳のある民族となりました。

 一部の人は、小さい国では総合的に発達した工業をもつ必要はないともいい、またある人たちは、自国で使うものの一部分だけを自力で生産し、残りはよその国から買い入れた方がよいともいっています。もちろん、生産力発展の所与の段階で、自国で生産されないか、または需要の少ないものは外国から買い入れることもできます。しかし基本は、あくまでも自分の力と自国の資源で、自立的な民族工業を建設することを原則とすべきです。特に、国内で需要の多いものと重要な原料、資材は、必ず自力で生産して使うことです。そうしてこそ、民族経済の自立性を保障することができるのです。

 チュチェ思想と自力更生の精神は、けっして民族主義ではありません。我々が主体性を確立し自力更生するのは、社会主義・共産主義をより早く、より立派に建設するためです。朝鮮人は、朝鮮で社会主義・共産主義を建設し、朝鮮で暮らすべきであって、自分の国をすてて、どこかよその国に行って暮らすわけにはいかないではありませんか。我々が自力更生して朝鮮で社会主義・共産主義を立派に建設すれば、我々の民族的任務を果たすことになると同時に、それはとりもなおさず国際的任務にも忠実なことになり、世界革命の発展にも貢献することになるで⊥よう。

 我々が主体性を確立し、自力更生するからといって、国際的連帯を拒否するものではなく、兄弟諸国間の相互協力と援助を排除して、すべてを自分で解決するということではけっしてありません。我々は、兄弟諸国間の国際的連帯をいっそう強化することを一貫して主張してきたし、互いに協力し援助しあうことが必要であると認めています。

 我々は、戦後復興建設の困難な時期に、社会主義諸国と世界の平和愛好人民から積極的な支持と声援をうけました。我々は、兄弟的社会主義諸国から援助も少なからずうけました。我が国の戦後復興建設の成果のなかには、兄弟諸国人民からさしのべられた援助も含まれています。我々は、これに感謝しており、忘れていません。

 我々は、他の国の先進的なものは学んでおり、他の国のよい経験は受け入れています。また我々は、我々がやり方を知らないもの、我々がはじめてやってみることについては、他の国の援助をうけており、我が国にないものは他の国から買い入れもします。我々は、火力発電所をソ連技術者の援助をうけて建設しました。我が国ではまだ石油が産出されないため、石油精製工場もソ連技術者の援助で建設しています。もちろん、このつぎからは、火力発電所も石油精製工場もみな、我々の技術者の力で建設することになるでしょう。

 我々は、兄弟諸国の間で互いに協力し援助しあうことが必要であると認めており、他国の援助もうけますが、それを基本とみなしてはいません。我々は、戦後の復興建設の時期にも、あくまで自力更生を基本としてかかげたのであって、他国の援助を重要なものとしてかかげはしませんでした。今日においてはなおさらそうです。他国の援助は、いかに誠意あるものであっても限界があり、民族経済の建設において補助的な役割しか果たせません。他国の援助をもってしては、みずからの要求を適時に、円滑にみたすことはできません。他国の援助を強調しすぎたり、もっぱら他国にのみ依存しようとすれば、人民が自分の力を信じなくなり、自国の内部源泉を動員しようともせず、頭から他国に頼り、他国のものばかり真似ようとします。こうなれば結局、自主独立国家を立派に建設することはできません。あなたは文筆家ですが、文章も他人のものをそのまま真似たり、他人の文章をそのまま書き写したりしたのではよい文章にはならないし、文章が上達しません。文章も自分の頭で考えて書いてこそ、よい文章が書けるし、文才ものびるというものです。

 我々の経験は、主体性を確立し、自力更生を基本にしてはじめて、自立的民族経済を成功裏に建設することができ、国の富強発展をもたらすことができることを示しています。

 あなたは我が国の社会主義建設の成果について大いに称賛していますが、我々がおさめた成果はまだ初歩的なものにすぎません。我々はこれまでの成果に少しも自己満足してはいません。

 我々には、なすべきことが多いのです。我々はまだ国を統一していません。祖国の南半部の国土は、依然として世界帝国主義のかしらであるアメリカに占領されています。祖国の領土からアメリカ帝国主義者を追い出し、国の統一を達成するのは、朝鮮民族の至上の革命課題であります。

 分断された祖国を統一し、革命の全国的勝利を早めるために、我々は共和国北半部で社会主義建設をいっそう立派におこない、我々の革命力量を政治、経済、軍事のすべての面にわたってさらに強化しなければなりません。特に、国の工業を急速に発展させ、民族経済の自立的土台をいっそうしっかりとうちかためる問題が重要な課題として提起されています。

 もちろん、我々の前途には多くの難関と障害が横たわっています。しかしこれは、座ってもたつく困難でも、後退する難関でもなく、前進途上の困難であり難関であります。

 困難をまえに失望することも、難関に屈することも知らず、新しい勝利に向かって継続革新、継続前進するのは朝鮮人民の革命的気概であります。我々はこれまでと同様、今後ともひきつづき社会生活のすべての分野で主体性を確立し、自力更生の革命精神を高く発揮して、あらゆる困難と障害を勇敢に切り開いて進み、我々に負わされた民族的および国際的任務を立派になし遂げていくでしょう。


 問 首相同志は、貴共和国創建20周年記念慶祝大会でおこなった報告のなかで、社会主義陣営内に意見の相違があるということは胸の痛むことであり、それは克服されなければならないと述べられました。あなたは、1968年9月以後、社会主義陣営内の意見の相違がさらに深刻になったとお考えでしょうか?


 答 我々が以前にも話したし、いまも話していますが、社会主義諸国間には意見の相違があり、我々はけっしてこれを隠そうとはしません。しかし、社会主義諸国間の意見の相違を、帝国主義列強間の矛盾や、社会主義諸国と帝国主義諸国との異なる国家社会制度間の矛盾のようにみなしてはなりません。すべての社会主義国では、主権が労働者階級の手に握られており、生産手段にたいする社会的所有が確立され、人間による人間の搾取と抑圧が一掃されました。したがって社会主義諸国のあいだには、互いに敵対する階級間の根本的に異なる利害関係を反映するような矛盾はありえません。

 社会主義諸国間の意見の相違は、あくまでも共通の目的をめざしてたたかう兄弟諸国間の意見の相違です。社会主義諸国間に意見の相違があるとすれば、それは主に、帝国主義にたいする評価と反帝闘争の戦略・戦術問題における意見の相違です。一部の人は、帝国主義、特に、アメリカ帝国主義の力を過大評価し、帝国主義者が原子爆弾を爆発させれば、あたかも世界が全滅するかのように考えて、積極的な反帝反米闘争をくりひろげていませんが、我々はこれに賛成することができません。

 もちろん、帝国主義を過小評価してはなりませんが、過大評価してもなりません。帝国主義、まずアメリカ帝国主義は、既に下り坂を転げおちています。

 アメリカ帝国主義者が下り坂を転げおちていないならば、なぜ朝鮮戦争で敗北を喫したのでしょうか。また、アメリカ帝国主義者が西山落日の運命におかれていないならば、なぜ南ベトナムで壊滅の状態にあるのでしょうか。これは、アメリカ帝国主義の運命が、既に尽きようとしていることを物語っています。

 帝国主義のくびきから解放されて新しい生活創造の道に入ったアラブ連合共和国の人民が、ナセル大統領の指導のもとにスエズ運河を国有化したときも、帝国主義者はあえて戦争を引き起こすことができませんでした。

 アルジェリア人民は、フランス帝国主義者と勇敢にたたかって独立をかちとり、アフリカの他の多くの国も、帝国主義のくびきからぬけだして新しい生活創造の道に入りました。アフリカ大陸における帝国主義の植民地支配体制は、音をたてて崩壊しつつあります。

 では、ラテンアメリカは静かでしょうか。けっして静かではありません。アメリカの「静かな裏庭」と呼ばれてきたラテンアメリカでも、人民の反米反独裁のたたかいが力強くくりひろげられており、アメリカ帝国主義は力つき、打ちのめされています。革命的キューバ人民は、アメリカ帝国主義のすぐ鼻の先で勇敢に社会主義を建設しています。最近、ニクソンの「特使」がラテンアメリカ諸国で、怒とうのような人民の反米抗争の洗礼をうけ、ついに門前ばらいをくわされてしまいました。

 帝国主義は外からだけでなく内からも攻撃をうけており、深刻な危機に直面しています。アメリカ国内では、人種差別に反対し、自由と民主的権利をめざす黒人の闘争をはじめ、人民大衆の反戦運動が広範にくりひろげられており、フランスでも、労働者階級をはじめ、広範な人民大衆が立ち上がってたたかった結果、ドゴール独裁政権を退陣せざるをえなくさせました。

 これらのことは、帝国主義が下り坂にさしかかっているきざしであります。

 このように、社会主義諸国間には、帝国主義をどのように評価すべきかについて、また、これとともに帝国主義に反対していかにたたかい、人民の解放運動をどのように支持すべきかについて意見の相違があります。

 例えていえば、社会主義諸国間における意見の相違は、一家庭内の一時的な意見衝突に似たようなものです。1つの家庭のなかでも兄弟同士で、一時いいあらそうことがあるのに、まして兄弟諸国のあいだに意見の合わない、いろいろな問題が全くないということはありえないではありませんか。

 これが社会主義諸国間の意見の相違に関連する我々の見解です。ところで、あなたが関心をもっているのは、このような社会主義諸国間の意見の相違が最近、さらに激しくなったのではないかということですが、我々はけっしてそのようには見ていません。

 もちろん、社会主義諸国間の意見相違の問題が、まだ解決されずにいるので、時によっては言い争いがもっと多くなることも、少なくなることもありえますが、だからといって意見の相違がもっと激しくなったというものではなく、まして社会主義諸国が互いに完全に分裂したとみることはできません。もし社会主義諸国のなかのある国が、完全に帝国主義の側についたのならいざ知らず、意見の相違が発生して以来、まだ社会主義国のどの一国も帝国主義の側についたことはないし、またそうすることもありえない条件のもとで、社会主義諸国が互いに完全に分裂したとみることはできません。すべての社会主義国人民は、ひとしく自由で幸せな社会主義・共産主義社会の建設をめざす共通の目的を達成するためにたたかっており、社会主義諸国は、世界帝国主義と植民地主義に反対する闘争で勝利した国際労働者階級の階級的団結の要求によって、一つの同盟体に結合されています。したがって、社会主義諸国の人民はけっして互いに分裂しません。

 社会主義諸国は、究極においては意見相違を克服し、同じ見解をもって帝国主義に反対し、社会主義・共産主義の勝利をめざしてともにたたかっていくことでしょう。

 社会主義諸国間の離間と分裂を策する帝国主義者のいかなる試みも、惨敗をまぬがれないでしょう。


 問 貴党が、このたびモスクワで招集された共産党および労働者党の国際会議に参加しなかった理由が、まさに社会主義陣営内の意見の相違にたいするあなたのこのような分析に基づいていると認識してよいでしょうか?


 答 我が党は、共産党および労働者党の国際会議に原則的に反対しません。兄弟党が一堂に会して、国際共産主義運動と労働運動を発展させるための重要な問題を同志的に討議して共同の闘争課題を規定し、行動の統一を期するのは必要なことであり、よいことです。このような会議は、世界革命の発展に寄与し、団結の偉業に貢献するでありましょう。

 しかし、兄弟党の国際会議が所期の目的を達成するためには、十分な準備のもとにすべての条件が成熟してから招集されなければなりません。今日の条件のもとで国際会議が招集されるならば、兄弟党間の意見の相違を、敵のまえにいっそうさらけだすことになりかねず、そうなれば結局、団結の偉業にも利益にならないでしょう。

 我が党は、すべての兄弟党の団結の念願から出発し、また、朝鮮革命の利益と国際革命運動の利益から出発して、すべての条件が熟していない今日の条件のもとでおこなわれる、兄弟党のいかなる国際会議にも参加することをさしひかえています。これは、我が党の一貫した立場であります。


 問 首相同志はダル・アル・タフリル出版社の新聞をつうじて、アラブ連合共和国人民に伝えるお言葉はありませんか?


 答 アラブ連合共和国人民は、ナセル大統領の指導のもとに、アメリカをかしらとする帝国主義者とその手先イスラエル侵略者に反対し、民族の独立を守るために勇敢にたたかっており、新しい社会を建設するたたかいで大きな成果をおさめています。

 朝鮮人民は、アラブ連合共和国人民がおさめている成果を心から喜んでおり、かれらの正義のたたかいに全面的な支持と声援を送ります。朝鮮人民は、アラブ連合共和国人民の反帝反植民地主義闘争を、我々の祖国統一偉業にたいする支援とみなしています。

 朝鮮人民は、アラブ連合共和国人民のような戦友をもっていることをうれしく思い、アメリカをはじめとする帝国主義に反対する共同闘争において、アラブ連合共和国人民と常に肩をならべてともに進むでありましょう。

 私は、この機会に、イスラエル侵略者を占領地城から追い出してアラブ民族の尊厳を守り、国の繁栄を達成するためのアラブ連合共和国人民のたたかいに、新たな成果があるよう心から祈ります。

出典:「金日成著作集」 24巻

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