金 日 成

革命的映画創作における若干の問題について
映画人におこなった演説
−1968年11月1日−


 革命伝統をテーマにした映画を見るたびにいつも強調していることですが、革命的映画の創作においてなによりも重要な問題は、生活を正しく描きだすことです。生活を幅広く、掘り下げて描いた映画であってこそ実感があり、教育的価値もあります。

 劇映画撮影所で制作した劇映画『遊撃隊の五兄弟』1、2部は、生活描写が生き生きとしているため好評を受けています。この映画には、ある農村地下組織の青年たちの活動と、かれらが抗日遊撃隊員に成長し、武装闘争を展開する過程が克明に描かれており、抗日遊撃隊員が小都市や村落に駐屯して宣伝活動をおこない、人民とともに生活する姿など生活のあれこれが生き生きと描きだされています。この映画の3部も、努力すればよい映画になると思います。

 革命伝統をテーマにした映画のなかには、ときとして失敗作もあります。ある映画などは、内容に深みがなく、単純であり、主人公の具体的な生活が描かれていません。革命家の政治生活、軍事生活、人間生活を多様かつリアルに描くべきですが、そうなっていません。生活をリアルに描いていない映画は興味もわかず、見た後にも印象として残るものがなく、二度と見たい気が起こりません。

 最近つくられた劇映画『あつい戦友愛』を見ましたが、これといって学ぶべきところがありません。この映画は一人の遊撃隊員が飢えとたたかいながら薬草を求め、負傷した戦友の治療をするという内容なのですが、見た後にこれといって頭に残るものがありません。

 呉仲洽(オジュンフプ)同志をモデルにしてつくった劇映画『遊撃隊の五兄弟』も、最初は生活描写が不十分でした。呉仲洽同志に映画の題材となるべき生活がなかったのかといえば、そうではありません。かれには遊撃隊に入隊する以前の生活もあり、また入隊後の生活もありました。かれは戦闘にも多く参加し、遊撃区の人民にたいする教育活動もおこない、″苦難の行軍″の時には敵を討って村に入り、村人とともに生活しながら教育活動もしました。映画にはそのような生活が十分に描かれていませんでした。

 最近の革命伝統をテーマにした映画は、だいたいストーリーが似たりよったりです。概して南湖頭会議や祖国への進軍、あるいは特定の戦闘を取り扱っています。内容も極めて単調です。遊撃隊員と敵との激しい撃ち合い、厳しい行軍、敵「討伐隊」の追撃といったものしかありません。祖国解放戦争を題材にした映画もまた、若者たちの入隊の場面、戦闘や行軍の場面、敵が敗走する場面ばかりで、主人公の具体的な生活を生き生きと描いた場面は多くありません。

 抗日遊撃隊員の生活が敵との戦闘や雪を踏みわけての苦しい行軍しかなかったと考えるならば、それは誤っています。抗日遊撃隊員だからといって、そうした生活しかなかったわけではありません。もちろん、抗日遊撃隊員たちが極めて厳しい条件のもとで日本帝国主義者と困難な闘争をつづけたのは事実です。しかし、そうした苦難にみちた闘争のなかにも、かれらには多様な生活がありました。闘争のなかに生活があり、生活のなかに闘争があるものです。抗日遊撃隊員たちは山中で苦しい行軍をし、敵との激戦をまじえても、村落に行って、山中とは全く異なる環境で生活する場合が少なくありませんでした。かれらは村落に行けば各階層の人びとに会い、人民を教育して闘争に決起させ、組織に結集する活動もおこないました。

 私の率いる部隊が、豆満(トゥマン)江沿岸の涼水泉子に立ち寄ったときのことを一つ話しましょう。

 私は、部隊がこの村落に入るに先立って村落の内情を調べるため、山の中で部隊に休息命令をくだし、一般人の服装に着かえ、隊員一人をつれて村落におりていきました。村落の人びとの生活は、貧困このうないものでした。ふと大きな瓦ぶきの家が目についたので、どういう家か調べるためにその家の庭に入り、旅人だが一晩泊めてもらえないかと切り出しました。すると、顔を出した差配らしい男から、半里ほど先に旅館があるからそこに泊まるがいいと断られました。私は、かれの出方をみるために、もう一度繰り返して頼んでみました。それでも頑として聞き入れませんでした。後で知ったのですが、それは地主の家だったのです。その家を出て村落の様子をうかがってみると、一軒のみすぼらしい農家の庭で、家族がむしろに座って麦がゆをすすっているのが目につきました。かれらの身なりも話にならないほどみすぼらしいものでした。その家の庭に入り、一晩泊めてもらえないだろうかと頼むと、主人はむさくるしいところだが遠慮なくお入りなさい、麦がゆでも一緒に食事をしましょう、と勧めてくれました。あばら家で麦がゆをすする貧しい暮らしのなかでも、人情は地主とは天と地の差でした。

 私は村落の内情を確認した後、部隊に連絡して村におりてこさせました。村に部隊があらわれると、村中が総出で熱烈に歓迎してくれました。村人たちは、私が最初に立ち寄った家が地主の家であり、ユンドゥ牛(人にあずけて飼わせる牛)や「民会」の牛を持っていることも話してくれました。一方、地主は部隊が村にあらわれると真っ先に中隊長のところに駆けつけ、「旦那さま、どうか私どもの家でお泊まりください」ととりいり、家に戻ってはござをだせ、なにをだせと大声で指図をしました。私は中隊長に、50名ほどの隊員をつれて地主の家に泊まり、大いに食べてやれと言いました。そして地主にたいしては、同じ民族として農民を搾取してはならないと忠告を与え、一方では脅かしもしました。

 そのとき、我々はこの村落に数日間とどまりながら、人民のあいだで政治活動を活発におこないました。

 かつて、抗日遊撃隊員たちは各階層の人民を相手に、いろいろな方法で政治活動をくりひろげました。

 抗日遊撃隊員たちは労働者や農民に限らず、都市の小市民やインテリのあいだでも政治活動をおこなったものです。人びとを集めて演説をしたり、歌や演劇などを準備して公演もしました。抗日遊撃隊員たちは、自分で作詞、作曲し、演劇もつくりました。かれらの作品は芸術性には少々欠けていましたが、思想性は非常に高いものであり、大きな感化力をもっていました。それで、人びとは抗日遊撃隊員たちの公演に感動し、その場で入隊を志願することも少なくありませんでした。

 抗日遊撃隊員たちは、人民のあいだで極めて説得力のある解説談話もおこないました。かれらが大衆のあいだで解説談話をおこなうと、人びとは敵愾心に燃えて革命に参加する決意をかためて立ち上がったものです。

 映画人は、抗日遊撃隊員の闘争を描くさい、戦闘一面にかたよってはなりません。抗日武装闘争を題材にした映画では、戦闘場面は少々減らし、遊撃隊員の多様な生活を生き生きと描きだすべきです。

 革命家は、政治性だけでなく、人間性もそなえていなければなりません。したがって、革命的映画だからといって、主人公の政治性ばかり強調してはなりません。主人公の政治性一面だけを強調すれば作品の芸術性がそこなわれ、反対に主人公の人間性を強調しすぎると作品の思想性が弱くなるおそれがあります。映画では、主人公の政治性と人間性を正しく結びつけて巧みに描くべきです。これができなければ、高度の思想性と芸術性が結合された立派な映画になりません。

 抗日遊撃隊員の生活描写で重要なのは、かれらが革命家に成長する過程をリアルに描きだすことです。

 革命伝統をテーマにした映画を見ると、主人公の世界観の形成過程がリアルに描かれていないのが欠点です。

 人間の革命的世界観は短時日のうちに、簡単に形成されるものではありません。革命的な書籍を読み、また階級社会のいろいろな現象にたびたび直面しては社会の矛盾を認識するようになり、そういう過程をつうじてしだいに階級意識が高まり、労働者階級のためにたたかおうとする覚悟が生まれるようになるのです。私の経験にてらしても、そういうことができます。

 私は幼いころ、日本帝国主義や地主、資本家が、人民を抑圧、搾取するのをたくさん目撃しました。その過程で抑圧され搾取される人民のために抑圧者、搾取者を打倒しなければならないという決意をかためるようになりました。

 中学生のころ、ある日授業が終わって友人たちと家に帰る途中、通りで一人の資本家が車夫を殴っているのに出合いました。わけをきいてみると、資本家が車代を少ししかくれないので、車夫が労働者の生活も少しは考えてくれといって、車代をもう少し出すよう要求したというのです。資本豪はそれにこたえるかわりに、車夫を殴りつけたのでした。私はまだ年端のいかないころでしたが、この光景を見て憤激をおさえることができませんでした。それで資本家を少々こらしめてやろうと考え、学友たちと一緒にかれに抗議しました。すると、資本家は車夫にもう少し金を払って逃げてしまいました。私は車夫に、ああいう連中とはたたかうべきだといい聞かせました。

 人間は、階級社会の矛盾にみちた不公平な現象を数多く目撃し、体験する過程で、革命にたいする覚悟をもつようになるのです。映画でこの過程をリアルに描かなければなりません。

 革命伝統をテーマにした映画をつくるさい、いろいろな人の生活資料を集めて組立てる傾向はなくすべきであります。

 これまで映画人は、多くの人の活動内容や闘争資料を集めて組立て式に革命伝統をテーマにした映画をつくりましたが、これではいけません。同じ抗日遊撃隊員であっても、かれらが遊撃隊員として成長する過程は一様ではありません。労働者出身と農民出身の場合が異なり、インテリ出身の場合もまた異なります。抗日遊撃隊員の具体的な闘争の過程と内容もすべて各人各様です。また革命の道に踏みだすまでの過程も、それぞれ異なります。革命組織の教育と指導によって革命の道を歩みはじめる人もいれば、周囲環境の影響をうけて革命の道を選ぶ人もいます。

 ところが映画人は、いろいろな人の資料を総合して組立て式に映画をつくるため、1、2編の映画をつくってしまうと素材が底をつき、使い古した資料を繰りかえさざるをえなくなってしまうのです。このような方法で映画をつくったのでは、主人公の革命家としての成長過程をリアルに描くことはできません。それゆえ、映画の制作では、あくまで一人の闘争資料で一編の映画をつくるようにすべきであります。

 こんにち、映画人に提起されている重要な課題は、各階層の人びとの革命化に寄与する映画を多くつくることであります。

 我々は、党代表者会議の報告と共和国創建20周年記念報告などの各文献で、全社会の革命化、労働者階級化にかんする方針を明示しました。映画芸術は、党のこの方針の実現に大いに寄与すべきであります。

 映画芸術が全社会の革命化、労働者階級化に積極的に貢献するためには、往年の革命家にたいする映画だけでなく、各階層の人びとの革命化過程を描いた映画をたくさんつくらなければなりません。このような映画は、革命伝統をテーマにしてもつくり、現代物としてもつくるべきです。

 現在、劇映画撮影所では抗日武装闘争を題材にした映画ばかりつくっていますが、もちろんこれは結構なことであり、今後もそういう映画を大いにつくる必要があります。しかし、それだけではだめです。抗日武装闘争の烈火のなかで形成された革命伝統がこんにち、どのように継承され発展しており、その根元から新しい革命家がいかに育ちつつあるかを見せる映画もつくるべきです。そうしてこそ、人民を革命的にいっそう立派に教育して党中央委員会のまわりにかたく結集し、南朝鮮人民の革命闘争をさらに力強く励ますことができます。

 劇映画『戦士の誓い』を成功作として評価する理由は、抗日革命闘士が解放後、土地改革と人民武力建設に直接参加し、その影響下で、抑圧されさげすまれてきた青年たちが革命家に成長する過程をよく描きだしているからです。このような映画が多くなければならないのですが、いまのところそんなにありません。

 我が国が解放されて、はや20年も過ぎました。この間、朝鮮人民は実にいくたの困難なたたかいを体験し、その闘争のなかで多くの人びとが革命家に成長しました。映画人は、解放後、労働者、農民、勤労インテリなど各階層の人びとが革命化し、革命家に育った過程を掘りさげて描いた映画を多くつくるべきであります。

 我が国の労働者階級の隊列のなかには、以前の中小商工業者がかなりいます。かれらが労働者階級の隊列に加わって、既に10年も過ぎました。こんにちでは、かれらも革命闘争の過程で改造されたとみるべきです。労働者が革命闘争のなかで革命家に成長する過程、昨日の中小商工業者が労働者階級の隊列に加わって革命化される過程を描いた映画を立派につくらなければなりません。

 現在、農民が労働者階級化される過程と、革命家に育つ過程を描いた映画はほとんどありませんが、農民の生きた資料にもとづいて、そのような映画をつくる必要があります。

 特に、インテリの革命化過程を描いた映画を立派につくることが、極めて重要です。

 植民地半封建社会のインテリは、一定の革命性と進歩性をもっています。かれらは、外国帝国主義者の民族的抑圧と差別待遇を受けるため反帝思想をもっており、反封建思想ももっています。そのため、かれらは民族解放闘争や民主主義革命に参加し、社会主義革命や社会主義建設にも参加するのです。

 もちろん、インテリのなかには自己本来の二重性によって、進路を求めあぐねてさまよう人もおり、革命闘争の過程で動揺し変節する者もいます。しかし、かれらの大部分は革命闘争の過程で改造され、最後まで立派にたたかいます。インテリが革命にたいしどのような態度をとるかは、かれらの革命的世界観が確立されているか否かにかかっています。

 旧社会のインテリは裕福な家庭の出身ではありますが、革命的世界観が確立すれば革命のため立派にたたかうことができます。これは抗日革命闘争の経験からしても、また南朝鮮人民の闘争経験からしても、そういうことができます。

 私が革命活動を始めた初期、青年運動に参加した青年のなかに張蔚華というインテリ青年がいました。かれの父親は朝鮮人参(インサム)畑ももっており、私兵も数百名をかかえている大富豪でした。しかし、張蔚華は、我々の影響をうけて革命運動に共鳴しはじめ、しだいに社会主義を支持するにまでいたりました。我々が抗日武装闘争の決意をかためて山へ発つとき、かれも革命に参加すると言ってついてきました。私は、かれが困難に耐えられそうにないので帰しました。その後張蔚華と再会したとき、かれはどうたたかってよいのかわからない、闘争方法を教えてほしいと言いました。私は学校などに革命組織をつくり共産主義宣伝をおこなう一方、我々の革命闘争を極力援助すべきだと言いました。私と別れてから、かれは共産主義宣伝もおこない、我々の革命活動にも積極的な援助を寄せました。張蔚華は敵中で活動する一方、我々の連絡任務を積極的に果たし、必要な物資も調達してくれました。そうしているうちに裏切者の密告によって逮捕され、ひどい拷問をうけました。しかし、かれは組織の秘密をもらしませんでした。かれの父親が警察に賄賂を使って釈放させましたが、かれは秘密をあくまで守りぬくために写真現像液を飲んで自殺しました。張蔚華は裕福な家庭出身のインテリでしたが、このように改造され、革命の道で最後まで立派にたたかいました。

 抗日武装闘争に参加した青年のなかにも、インテリ出身で最後まで立派にたたかった人が少なくありません。そのような実例として、車光洙(チャゴワンス)同志をあげることができます。かれはインテリとして、私の初期革命闘争時期にともにたたかった同志です。抗日遊撃隊を組織したとき、打倒帝国主義同盟のメンバーが遊撃隊に大挙入隊しましたが、そのうちの一部は工作上の必要から家に帰し、また一部はソ連に留学させました。そのとき、私は車光洙同志に、遊撃闘争の過程に厳しい難関が予想されるので、それに耐える自信がなければ帰郷して闘争をつづけるようにと勧めました。しかし、かれは家には帰らず、遊撃隊で勇敢にたたかい戦死しました。

 現在、南朝鮮で革命闘争に立ち上がった人のなかにも、財産もあり、学識もある人が少なくありません。かれらは、闘争のなかで愛国主義者から共産主義者に成長しており、断頭台も恐れず勇敢にたたかっています。

 我々は、古くからのインテリの革命性を信じ、かれらとともに民主主義革命を遂行し、その後、社会主義革命を遂行しました。我々は、かれらを共産主義社会までつれていくつもりです。しかし、かれらには、いまなお古い思想の影響が濃厚に残っています。我々はインテリが古い思想の残りかすを一掃し、労働者階級の革命偉業に忠実に奉仕するよう、かれらを革命化、労働者階級化する方針をうちだし、その実現をめざしてたたかっています。

 党がインテリの革命化方針をうちだして既に久しいのですが、映画芸術部門ではその実現に寄与する映画をつくっていません。現在、我々には古くからのインテリが映画を見た後、自分は裕福な家庭出身のインテリだが革命家として認められている、党に従い共産主義社会までいきつかなければならないのだ、と実感させる映画がありません。古くからのインテリのなかには、いまなお自分の運命にたいし、疑問をいだいている人がいないとも限りません。もちろん、我が党はそのような人たちに既に解答を与えています。しかし、映画をつうじても解答を与える必要があります。

 現在、共和国北半部には、解放後南朝鮮からきたインテリが少なくありません。かれらは、我々が強制的に連れてきた人たちではありません。かれらは南朝鮮で大学教授の職につくこともできたのですが、民族文化と民族経済の発展、富強な自主独立国家の建設に貢献するため、みずからその道を選んだ人たちなのです。映画人は、このようなインテリに革命家としての自負と誇りをいだかせ、かれらの革命化に役立つよう、インテリの革命化過程を描いた映画をつくる必要があります。

 私は、『苦悩の中を行く』というソ連劇映画を幾度か見ました。もちろん、この映画には、朝鮮人の感情にそぐわない面も多くあります。ヨーロッパの映画には、三角関係を取り扱ったものが多いのですが、この映画にもそのような内容があります。三角関係は西洋人の好みには合うかも知れぬが、朝鮮人の好みには合わず、また我々の倫理道徳観にも反するものです。しかし、この映画は、古くからのインテリが革命闘争のなかで改造され、革命家として成長する過程を克明に描いています。映画の主人公であるチェレーギンとローシンはインテリです。チェレーギンは最初から先進的思想の影響を受けた技師であり、ローシンは帝国主義思想に深く毒された自衛軍の将校です。ローシンは、極めて複雑な過程をへて革命の側に加わります。かれは愛国主義思想から出発してしだいに革命的に目覚め、ついには革命家に改造されます。

 我が国のインテリのなかにも、そうした実例が少なくありません。過去の多くのインテリが、解放後、革命の各段階をへる過程で、しだいに革命家として改造されました。多くのインテリが解放直後からこんにちにいたるまで、いささかも動揺することなく、党に従って民主主義革命や社会主義革命に参加し、こんにちでは社会主義建設にも積極的に参加しています。かれらは自分自身の革命化のために、たゆみない努力をつづけています。こういう人たちを題材にすれば、すばらしい映画をつくることができると思います。

 我々のインテリのなかには、土地改革のとき農村に出かけて農民のあいだで宣伝活動をおこない、農民とともに地主に反対してたたかった人も少なくありません。土地改革の過程でインテリが革命家に成長した資料によっても、映画をつくることができるでしょう。

 社会・政治生活経緯の複雑な人の革命化過程を取り扱った映画もつくるべきです。

 祖国解放戦争の一時的後退期に「治安隊」に加担した人のなかには、勤労者階級出身も少なくありません。かれらは敵にだまされて「治安隊」に加担したのです。私は、かれらの問題を慎重に処理するよう再三強調しました。問題の処理を誤れば、多くの人を失うおそれがあります。これは抗日武装闘争時期の反「民生団」闘争の経験が如実に示しています。

 周知のように、反「民生団」闘争は最初、極左日和見主義者の策動によって険悪な雰囲気のなかで進められました。南湖頭会議後、部隊を引率して撫松に進出したさい、ある部隊に立ち寄ってみると、その大部分の隊員が「民生団」の嫌疑をうけ、戦闘隊列から除外されていました。

 我々が到着すると、部隊の政治幹部が書類包みを持ち出してきたのですが、そこには隊員たちの履歴書と「民生団」嫌疑者としての資料が入っていました。その資料によれば「民生団」でない人は一人もいませんでした。百名余りものかれらの資料をひとつひとつ確認するにも、確認のしようがありませんでした。そこで、かれらのうち一部の隊員を集めて会議を開きました。私は会議に参加した人たちに、「民生団」に加担したというのは事実かと尋ねました。かれらは長い沈黙の後、異口同音にそれは事実だと答えるのでした。無念にたえないとでも答えるなら再検討の余地があるのですが、ただ「民生団」に加担したとだけ答えるので理解できず、ではなぜ加担したのかと問い返しました。すると、だまされて入ったという返答がかえってきました。どうしてだまされたのかと再度質問すると、そのときになってはじめて、実は「民生団」に入ったことはない、強要に耐えられず虚偽の自供をしたというのでした。

 事実、数日にわたって会議を開き話し合ってみても、「民生団」に入ったか否かを確認する証拠はなにもつかめませんでした。それで私は、「民生団」嫌疑者のあつかいをされていた隊員を全員集め、みなさんのうち誰が「民生団」で、誰が「民生団」でないかを断定するのは困難だ、それは証拠がないからだ、私はみなさんにこれ以上問いただすつもりはないし、みなさんを「民生団」と認めたくもない、かりにみなさんが「民生団」の加担者であったとすれば家に帰って安楽に暮らそうとせず、なんのために山中で苦労する必要があるのか、私はここに集まったみなさんのうちには一人の「民生団」員もいないと宣言する、あるいは「民生団」の加担者がいたとしても問題視しない、もともと「民生団」に入っていなかった人は言うに及ばない、「民生団」に加担した人も、そうでない人も、きょうから再出発だ、これから立派に戦えばよい、このように話しました。そして伝令兵に命じて、かれらの面前で「民生団」書類の束を焼き払いました。

 私は、「民生団」の嫌疑がかかっていた隊員たちで部隊を再編成しました。この部隊は、その後、敵との戦闘で実に勇敢に戦いました。「民生団」の嫌疑を受けていた人たちのなかで、困難にまけて逃亡した人は一人もいませんでした。

 我々は反「民生団」闘争をつうじ、いわれもなく人を疑い、人びとの問題を軽率に処理すべきではない、ということを身にしみて体験しました。

 もちろん「治安隊」の加担者は、「民生団」嫌疑者とは事情が異なります。「治安隊」加担者は、意識的と無意識的とにかかわらず、銃を手にして敵に奉仕したのは事実です。だからといって、かれらを一律にとらえるのはよくありません。勤労者階級出身でありながら「治安隊」に加担した人の大部分は、かつて活動家の教育が不徹底であったため敵にだまされた人たちです。かれらのなかには自分の非を悟り、敵と戦って倒れた人もおり、祖国解放戦争で勇敢に戦って共和国英雄称号を授けられた人もおり、また現在、社会主義建設で労働の偉勲を立てている人もたくさんいます。我が党は、勤労者階級出身で「治安隊」に加担した人たちを思いきって信じ、包容して、すべて革命化するつもりです。そして、かれら自身と、かれらの子弟に前途を開いてやるつもりです。

 映画が人びとの教育に重要な役割を果たすだけに、勤労者階級出身で「治安隊」に加担し、その後、階級的に目覚めて祖国解放戦争の時期に立派に戦った人やこんにち社会主義建設で労働の偉勲を立てている人たちを典型化して映画をつくるならば、「治安隊」加担者やその子弟の教育に大いに役立つものと思います。

 また、日本からの帰国者の革命化過程を描いた映画をつくることが重要です。

 日本からの帰国者のなかには、中小企業を営んでいた人がかなりいます。日本で中小企業を経営したからといって、かれらをのけ者にするようなことがあってはなりません。かれらは、日本で総聯の指導のもとに民主主義的民族権利を守り、共和国を擁護するため立派にたたかったばかりでなく、帰国後は社会主義建設に積極的に参加しています。

 在日同胞の帰国が実現してはや10年近くなりますが、映画芸術部門では、いまなおかれらを題材にした映画を一編もつくっていません。こういうことからも、みなさんの仕事に手落ちの多いことがわかります。映画人は、日本からの帰国者のうち、社会主義建設に献身している人びとを典型化して映画をつくらなければなりません。

 よい映画をつくるためには、シナリオがすぐれていなければなりません。

 現在、我が国の映画に深みがなく、単純で名セリフが少ないのも、また事件の展開がスムーズでなく不自然なのも、結局はシナリオがよくないからです。

 シナリオを数日のうちに、安易に書きあげようとしてはなりません。会議でおこなう報告の作成にも相当な日数を要するのに、シナリオをどうして短時日内に簡単に仕上げることができるでしょうか。しかし、一部の作家は、新聞記事でも書くように、数日間で書きあげています。そのため、すぐれた作品が出てこないのです。

 作家のシナリオ創作で、名セリフがないのが最も大きな欠点です。作品にすぐれたセリフがなく、内容的にも深みが欠けているので、そうした作品をもとにつくったものが立派な映画にならないのは当然のことです。シナリオ作家は、少々時間をかけてでも思索を重ねて、立派な作品を書くべきです。

 すぐれた作品を書くためには、実際の資料を多く知っていなければならず、それにもとづいて生活を深く研究しなければなりません。これまで一部の作家の書いた革命伝統をテーマとした作品をみると、抗日武装闘争参加者の闘争資料を機械的に組み立てたものにすぎません。いくら資料がよいものであっても、単なる組み立てに終わったのでは、革命的な芸術作品にはなりえません。

 もともと、革命闘争を題材にした作品は、それに直接参加した人が書けば、実感のこもったものが書けます。外国の革命的な作品をみても、革命闘争参加者の書いたものがすぐれています。ソ連劇映画『チャパーエフ』の原作である長編小説『チャパーエフ』は、国内戦当時チャパーエフとともに戦った政治委員が書いたものです。ファデーエフも作家として革命闘争に直接参加したため、多くの革命的な作品を書くことができたのです。我が国でも抗日武装闘争の参加者たちが作品を書くべきだと思います。

 革命伝統をテーマにしたシナリオを立派に書くためには、数名のシナリオ作家に専門化させるほうがよさそうです。作品が完成すれば、それを広く合評すべきです。

 シナリオの執筆を難しく考える必要はありません。革命の各時期における我が党の路線と方針がすべて明確である以上、それにもとづいて実際の資料を駆使して人間関係を設定し、芸術的に巧みに形象化すればよいのです。

 欲をいえば、実際の資料にもとづいて直接シナリオを書くよりも、まず小説を書き、それをもとにしてシナリオを書くのが理想的です。それで、私は立派な小説が出るのを待っているのですが、なかなか出てきません。

 呉仲洽同志を形象化した映画をつくるためには、かれにかんする小説か伝記をまず書いてからシナリオを執筆すべきです。金策(キムチェク)、安吉(アンギル)、姜健(カンゴン)、趙正哲(チョジョンチョル)同志たちの場合も小説や伝記を先に書き、それにもとづいてシナリオを執筆し、映画を制作するならば、立派な映画になるでしょう。

 『ある女性の運命』という小説をシナリオ化することができると思います。この小説は、現在ある協同農場の管理委員長をつとめている女性をモデルにして書いたものです。彼女は解放前、実に多くの苦労を重ね、解放後には我が党と共和国政府の政策を支持し、その実現のため献身的に働きました。彼女は、現在も協同農場の管理委員長を立派に務めています。彼女のそうした生活の道のりが小説『ある女性の運命』に描かれています。この小説を脚色して映画化すれば、階級的教育に大きく役立つ映画になるものと思います。特に、育ちゆく新しい世代の教育に大いに役立つでしょう。

 シナリオ作家が実際の資料にもとづいて作品を書くうえで、資料の機械的な引き写しにとどまってはならず、作品に高度の思想性、芸術性を与えるため事件を巧みに処理しなければなりません。実際の資料の機械的な引き写しに終わるならば、作品の価値を損なう結果をまねきます。

 劇映画『ある支援隊の物語』で主人公の女性が敵の包囲に陥ったとき、服毒自殺をする描き方をしていますが、もちろん、抗日武装闘争当時にそのような事実がなかったわけではありません。しかし、かといって映画で必ずしもそれをそのまま再現しなければならないというものではありません。この映画では主人公の女性に自殺をさせず、窓ガラスを破って飛びおり、勇敢にたたかって最期を遂げるようにさせれば、いっそうよかったと思います。

 シナリオ作家は、作品創作において大作主義に走ってはなりません。

 もちろん、我々には革命的大作が必要です。革命的大作は、人びとに革命の発展過程を示し、革命闘争の方法を教える重要な働きをします。そのためシナリオ作家は、革命的大作の執筆に努力しなければなりません。しかし、断編的な作品を軽視し、すべての人が戦略的な問題を素材にして大作ばかり書こうとしてはなりません。

 革命の戦略的問題を素材にしてシナリオを書くというのは、非常に難しいことです。一部の作家は、祖国解放戦争を題材にした作品の創作で、戦争の全過程を一つの作品に盛り込もうとしていますが、そうする必要はありません。戦争の勃発と私の放送演説から始まり、戦争勝利までの全過程をどうして一編のの映画におさめることができるでしょうか。とうてい不可能なことです。抗日武装闘争を題材にした作品の場合も、15年にわたる武装闘争の過程にあった歴史的出来事を年代記式にまとめようとしてはなりません。そうすれば作品がどうしても組立て式になるほかありません。作品が大作となるには、形式よりも内容が大作にふさわしくなければなりません。

 シナリオ作家は『遊撃隊の五兄弟』の3部を完成した後、じっくりと構想をねって革命伝統にかんする大作をいま一つつくるべきです。また、古くからのインテリが土地改革をはじめ、平和的建設時期の闘争、祖国解放戦争、戦後の社会主義革命と社会主義建設の闘争をつうじて革命的に改造される過程を描いた大作を一つ書くべきだと思います。

 同時に、断編的な作品も大いに書くべきです。

 シナリオ作家は、これまでの闘争と生活のなかで、些細な事柄であっても意義のある素材であれば、見落とすことなく深みのある作品につくりあげる必要があります。小さな問題でもすぐれた断編的な映画をつくれば、人びとの教育に大きく寄与することができます。そういう意味で、劇映画『河は流れる』は、内容こそ簡単ですが、非常にすぐれた作品であると言えます。

 革命伝統をテーマにして、多くの断編的な映画をつくることができると思います。抗日武装闘争当時、各階層の人民が革命家に育つ過程や、抗日遊撃隊員の各階層人民との活動経験をもっても、映画をつくることができます。

 我々は南湖頭会議後、部隊を引率して長白県に進出し、各階層大衆との活動を活発におこないました。その結果、面長も革命組級に加わり、ひいては長白県天道教宗理院の院長までも、我々を援助してくれました。ところが、我々のシナリオ作家は、南湖頭会議でうちだした路線や祖国光復金十大綱領を宣伝する作品の執筆に偏重し、その路線が実生活にどのように具現されたかについては書こうとしていません。南湖頭会議の方針にもとづく抗日遊撃隊員の各階層大衆との活動経験を題材にした断編的な作品も書くべきです。

 抗日武装闘争時期の女性工作員の闘争にも典型的な事実が多くあります。抗日武装闘争時期に女性工作員たちは各地方に派遣され、すべてをささげて革命任務を立派に果たしました。そうした資料にもとづいて断編的な映画をつくれば、すばらしい作品ができるはずです。

 南朝鮮革命と関連する問題を素材にしても、断編的な作品を書くことができると思います。

 現状のもとでは、南朝鮮革命の戦略的・戦術的問題を取り扱った作品を書くことはできません。したがって、かつての我々の闘争経験にもとづいて作品を書き、南朝鮮人民がこれに見習うようにする必要があります。かつて、我々が遊撃根拠地を創設し、それに依拠して戦った経験なども作品にすることができると思います。

 抗日武装闘争時期の遊撃根拠地には各種の形態がありました。遊撃区もあり、半遊撃区もありました。遊撃区は敵の支配から完全に脱した解放地区であり、半遊撃区は形のうえでは敵の支配地域でしたが、実際は抗日遊撃隊の管轄下にある地域でした。羅子溝半遊撃区でした。羅子溝の人びとは日中は「満州国」の旗をかかげていましたが、夜になると抗日遊撃隊を助けて多くの仕事をしました。羅子溝の人民や青年は、夜になると敵の手先を捕え、尋問もし処断もしました。半遊撃区の人民は、いろいろな大衆的闘争も活発におこないました。食糧の調達、敵の手先との闘争や遊撃隊を援護する活動もおこないました。また、学校を運営し、演劇などもつくって公演しました。

 我々は実際の闘争をつうじて、遊撃区よりも半遊撃区を創設するほうが有利であることを知りました。遊撃区を創設するとなれば、人民の生活を保護しなければならないので、遊撃隊の負担も極めて大きいものがありました。我々が長白県に進出して白頭山(ぺクトゥサン山)根拠地を創設したときには、この経験を参考に、遊撃区形態ではなく半遊撃区形態の根拠地を創設しました。半遊撃区人民の闘争を克明に描けば、南朝鮮人民に闘争方法を教えるうえでも非常に有益だと思います。

 抗日武装闘争時期の敵軍瓦解工作方法、敵支配地区人民との活動経験、村落占領後の人民にたいする宣伝活動経験、部隊内での政治活動経験などを内容とする映画が見あたりませんが、そうした映画をよくつくれば南朝鮮の人民や革命家に多くのことを学ばせることができるでしょう。

 大作と断編的なものを適切にとりあわせて創作できるよう、シナリオ作家の陣容編成を改めるべきです。私の考えでは、作家を数名選出して大作の執筆に当たらせ、断編的な作品はほかの作家に担当させるのがよさそうです。

 革命的な映画を創作するためには、映画人自身がみずからを徹底的に革命化しなければなりません。

 映画俳優が革命化されなければ革命家の役を十分に演ずることができず、演出家が革命化されなければ革命的な映画を満足につくることができません。現在、革命家や党活動家の役を担当した俳優の演技がぎこちないのは、かれらに革命闘争と党活動の経験がないことともある程度関連しています。だからといって俳優たちに、いまから抗日遊撃隊の生活や党活動を体験させることも不可能なことです。ですから映画俳優は、革命家としての風格を身につけるために不断の努力を傾けなければなりません。演出家の場合も同じことが言えます。映画俳優や演出家は、革命小説をはじめ、革命的な書物を大いに読み、そこから革命家の生活を学び、また、日常生活も革命家らしく送らなければなりません。それでこそ、すぐれた俳優、演出家になることができ、革命的な映画をつくることができます。

 芸術家は、みずからの革命化のために人一倍の努力を傾けなければなりません。ほかの社会主義諸国の経験からしても、帝国主義者の思想的・文化的浸透に真っ先に毒され、思想的に変質をきたし、資本主義の泥沼にのめり込むのが芸術家です。それゆえ、芸術家は、みずからの革命化のために強くたたかい、ブルジョア思想に絶対に毒されないようにすべきです。

 みなさんは、解放後、我が党と共和国政府のふところで教育をうけた映画人です。映画人は、みずからの革命化を徹底させ、党と革命のため、社会主義・共産主義偉業の勝利のため献身的にたたかわなければなりません。それでこそ党の配慮と信頼に報いることができます。

 映画人のあいだで、その水準をさらに向上させる運動を展開すべきであります。

 映画人のあいだに、これまでの成果に自己満足する傾向があらわれないようにすべきです。特に、人民俳優や功労俳優になると自己満足に陥りがちですが、それでは絶対にいけません。人民俳優や功労俳優になればさらに仕事にうちこまなければならず、すべての俳優と映画人は自己の芸術的技量を高めるために積極的に努力しなければなりません。

 映画人が水準を高めるためには、熱心に学ばなければなりません。映画人は、みな日に2〜4時間学習する習性をつけるべきです。それが身につけば、どんなに忙しくても毎日2時間以上学習することができます。映画人のあいだで学習を怠る傾向と思想闘争を強力に展開し、誰もが学習する気風を確立すべきです。

 映画人の水準を高めるうえで、現実生活を十分に理解させることが極めて重要です。映画俳優や演出家は現実生活を深く理解してこそ、映画の演技水準を高めることができます。現実生活を知るためには大衆のなかに入る必要があります。なんぴとであれ、大衆を離れては現実生活を知ることができません。映画俳優や演出家は大衆のなかに入り、勤労者とともに生活しながら現実生活を体験すべきです。

 映画の質的水準が保障されるよう、映画の制作課題を適切に与える必要があります。

 現在、年間映画制作課題が多すぎるきらいがあります。そのため、質よりも量に重きがおかれているようです。我々は、決して営利を目的に映画をつくるのではありません。国家課題の遂行一面に偏重して映画をいい加減につくるならば、映画が商品化するおそれがあります。決して映画を商品化してはなりません。映画の制作本数を少々減らしてもかまいませんから、教育的価値のあるすぐれた映画をつくらなければなりません。そして多くの人に映画が見られるように、コピーの数を増やして提供すべきです。

 次に、文学・芸術部門にたいする指導の問題について簡単にふれておきましょう。

 文学・芸術部門にたいする指導を強化するうえで、文学芸術総同盟の役割を高めることが重要です。文学芸術総同盟は作家、芸術家を結集している大衆団体であります。したがって、文学芸術総同盟は、作家、芸術家にたいする思想教育活動とともに、かれらのあいだで党の文芸政策を実行するための組織指導活動をおこなわなければなりません。同時に作品の創作とその合評、経験交流会なども広く組織すべきです。

 党は、文学・芸術部門にたいする政策的指導をおこなわなければなりません。

 芸術家にたいする給養活動を改善しなければなりません。そして、かれらが生活上の不便を感じないようにすべきであります。

出典:「金日成著作集」23巻


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