金 日 成

勤労者団体の役割をいっそう高めるために
 職業同盟、農業勤労者同盟、社会主義労働青年同盟、
女性同盟中央委員会の活動家におこなった演説
−1968年10月11日− 


 私はきょうみなさんに、職業同盟、農業勤労者同盟、社会主義労働青年同盟、女性同盟各団体の活動をさらに改善する問題について述べたいと思います。


 1 勤労者団体の活動における基本的欠陥について

 勤労者団体の活動は、我が党の路線と政策の遂行において極めて重要な位置をしめています。なかでも、我が国労働者階級のすべてを擁する職業同盟と青年男女の結集体である社会主義労働青年同盟の活動は重要であります。ところが現在、両同盟をはじめ、勤労者団体の活動には多くの欠陥が内在しています。

 その主な欠陥は大別して2つだと言えます。

 その1つは、各級党組織が、勤労者団体を正しく指導しないために生じた欠陥です。もちろん、勤労者団体にたいする党の路線と方針は、すでに明確に示されています。しかし、党組織が党の路線と方針どおりに勤労者団体の活動を正しく指導しないため、これらの団体の活動には重大な欠陥があらわれています。

 勤労者団体にたいする指導は、地方党委員会の責任書記や組織部の活動家の場合も正しくおこなっていません。党中央の部署でもやはり同様です。党中央の部署でも幹部の登用承認を除いては、勤労者団体にたいする指導をこれといっておこなっていないと言えます。

 党組織は当然、外郭団体である職業同盟、農業勤労者同盟、社会主義労働青年同盟、女性同盟などの勤労者団体をつうじて、党の路線と政策を非党員大衆に浸透させ、これらの組織を動かして党の路線と政策を実行すべきです。これは、党活動の基本的原則の一つであり、我が党の伝統的な活動方法であります。ところが現在、党組織はこのような方法で活動していません。党組織は大衆のなかに入り、かれらを教育する活動などをすべて一手に引き受けようとするだけで、勤労者団体に担当させようとはしていません。

 このような傾向は、党の宣伝活動においてさらに濃厚です。党の宣伝活動において党員や幹部にたいする教育は党宣伝部が直接担当すべきですが、大衆を奮起させる扇動活動や大衆教育活動などは当然、勤労者団体をとおしておこなうべきです。ところが、党宣伝部の活動家はそうするのではなく、すべての仕事を一手にかかえこんでかけずり回っています。そのため党組織では、党機構の拡張を提起している反面、多くの勤労者団体の活動家にはこれといった仕事もさせずに遊ばせています。

 党の組織活動にも多くの欠陥があります。

 常々言っていることですが、党組織部は、党員の党生活を指導する党組織生活指導部です。党組織部は、党員の党生活と、幹部事業をつうじて勤労者団体を動かし、同盟員の組織生活を強化するよう指導しなければなりません。勤労者団体の組織生活が強化されれば、同盟員の思想改造も革命化もすべて順調に運び、党の路線と政策も立派に実行されます。

 しかし現在、党組織部が勤労者団体にたいする指導を正しくおこなっていないため、勤労者団体の同盟員が組織生活にまじめに参加していません。

 同盟員たちは、党員が党生活をするようには組織生活に誠実に参加しておらず、党員のように組織生活に参加するのを誇りとしていません。社労青員、職業同盟員、女性同盟員としての自覚も弱く、社会主義制度下では誰もが勤労者団体に加入するので入らないわけにいかないのだと考えて、加盟してはしんがりについてまわる人も多いとのことです。

 党組織は勤労者団体にたいする指導において、そこに結集している同盟員の組織生活を強化して思想的に鍛え改造し、また組織の推薦によって各同盟員の発展問題を解決し、懲罰処分の解除もおこない、大衆教育活動にも大いに参加させるべきです。そうしてこそ勤労者団体の同盟員に、自分が組織に加盟したかいがある、加盟したため大いに発展しているという自負をもたせることができます。ところがいまは、党組織がすべての仕事をかかえ込み、勤労者団体に任務の分担も満足におこなわず、同盟組織を動かそうとしないため、勤労者団体には仕事らしい仕事がなく、同盟員たちは組織生活に誇りをもつことができないでいます。

 勤労者団体の活動におけるいま一つ主な欠陥は、勤労者団体が党の路線と政策にもとづいて活動を独自に進めることができず、活動家たちが党の政策を実行するためにねばり強く取り組まないことであります。

 周知のように、勤労者団体は、広範な大衆にたいする思想教育団体であり、党の外郭団体であります。党の外郭団体であるというのは、たとえて言えば、桃の種子と果肉との関係における果肉であると言えます。桃の種子を党だとすれば、それをとりまく果肉は外郭団体と言えます。桃が大きくなっておいしく熟せば、中の種子もよく保護され着実に実るように、勤労者団体の仕事が順調に進めば、大衆を党のまわりにかたく結集し、党を強力な党につくりあげることができます。党の外郭団体である勤労者団体の役割はこのように大きいのです。

 過去の我々の闘争経験からしても、革命活動における大衆団体の役割は極めて大きいものがあります。以前、我々が地下闘争をおこなった当時、党組織はひそかに行動しておもてに出ず、大衆活動はすべて大衆団体をつうじておこないました。

 現在はもちろん当時とは事情が違います。あのころの党は非合法的党でしたが、いまは合法的党であり、権力を握った党であるので、当時と同じ方法で活動することはできません。しかし、現在も大衆活動は勤労者団体がおこなうべきであり、勤労者団体の意義と役割は少しも弱まっていません。

 それにもかかわらず、現在、勤労者団体は、党の外郭団体、大衆組織としての役割をまっとうしていません。そのため、いまなお、勤労者団体の活動家は自分の頭を働かせて仕事をしようとせず、自力で党政策を実行するために努力していません。

 こう言えば少々酷に聞こえるかも知れませんが、勤労者団体が党の路線と方針に従い、自分の力で仕事をするのをあまり見たことがありません。職業同盟、社会主義労働青年同盟もそうであり、農業勤労者同盟、女性同盟もまたそうであり、すべての勤労者団体が独自に動いていません。

 勤労者団体がこのように各自の役割を果たせないのは、なによりも勤労者団体の各中央委員会が自己の責務をまっとうしていないことと関連しています。

 勤労者団体の各中央委員会は当然、党の路線と政策を深く研究し、それに立脚して活動し、党の新しい路線がうちだされれば、そのつど受けとめて具体的な実行対策を立て、その実行へと全同盟員を奮起させるべきなのですが、そうしていません。勤労者団体の活動家は、党の政策を深く研究しておらず、進んで仕事を見つけだそうともしていません。党は常に新しい問題を提起しているのですが、勤労者団体は、それをそのつど受けとめて実行していません。

 現在、勤労者団体の仕事といえば、いくつかのキャンペーンぐらいです。キャンペーンにしても、社労青の場合は全社労青員が参加し、女性同盟の場合は全女性同盟員が参加するというのであれば別ですが、そうではなく、わずかの人員が参加して走りまわっているだけです。

 勤労者団体の活動家がかけずり回るばかりで成果がないのは、勤労者団体の機関紙を見てもうかがわれます。なにか成果があれば新聞にも大々的にのせるはずですが、現在そういうものは一つも見当たりません。社労青の機関紙にも職業同盟の機関紙にも目新しいものがありません。最近の勤労者団体の機関紙は、中央通信と『労働新聞(ロドンシンムン)』の記事を引き写しにしているだけで、独自に書いたものがありません。もちろん、『労働新聞』の重要な記事は勤労者団体の機関紙にも転載すべきですが、他の記事は自分で書くべきです。そうしなければ、勤労者団体の同盟員を各同盟の特性に即して教育することができません。しかし、これまで成果がなかったため記事のタネがなく、自分たちのことを書くことができないのが実情です。

 勤労者団体は、幹部事業も正しくおこなっていません。

 以前、勤労者団体には悪い連中がしのびこんで多くの害悪行為をはたらきましたが、なによりも幹部事業をいい加減にやりました。我々は、昨年から勤労者団体の幹部陣容にまぎれこんだ一部の不純分子を追い出し、幹部陣容を新しい幹部でかためることに着手し、それらの幹部陣容の強化に深い関心を払ってきました。私は、新しく勤労者団体の幹部を任命し、今後の活動方向を示すさいにも、幹部事業を掌握し、幹部陣容をかためることについて強調しました。

 しかし、いまだに勤労者団体の幹部事業は軌道にのっていません。幹部のポストに空席が多く、配置された幹部も職業革命家としての風格に欠けており、甚だしくは、気分主義的に活動する人もいます。多くの活動家が、革命家ならぬ月給取りになりさがっています。

 特に勤労者団体が、幹部教育、幹部養成事業を正しくおこなっていません。常々言っていることですが、幹部は厳しい思想闘争と批判をとおして教育されなければなりません。幹部にたいする思想教育は、甘やかす方法では決して解決できません。勤労者団体は当然、思想闘争を強化し、幹部を批判をとおして鍛え、教育すべきなのですが、そうせずに甘やかす一方で原則的な教育を与えていません。これまで、幹部を批判のなかで鍛えなかったため、一部の幹部は批判を恐れ、批判することをきらい、褒められさえすれば喜んでいます。一部の人たちは、少し批判を受けるとすぐにも首が飛ぶのではと青くなってふるえあがり、涙を流して泣く人までいます。批判されてふるえあがり泣きだすのは女性も男性もかわりなく、地方の人や中央の人も同じです。これは、幹部のあいだにまだ小ブルジョア思想が残っていることの明白なあらわれです。批判を受けたからといって、泣くほどのことはないでしょう。仕事の過程では誤りをおかすこともあり、そのときは批判を受けて直ちに是正しなければなりません。批判は不断におこなうべきであり、常に称賛ばかりするわけにはいきません。

 本来、党活動では、称賛が基本なのではありません。称賛や表彰は、戦時に勇敢にたたかった部隊や軍人を励まし、生産向上へと大衆を激励するうえで必要なものであって、党活動ではさほど必要ではありません。党活動では、思想闘争と批判の方法で幹部を思想的に教育することがなによりも重要です。勤労者団体でも、やはりこのような方法で幹部や活動家を教育すべきであるのは、改めていうまでもありません。

 これまで、勤労者団体が幹部の教育を原則的におこなわなかったため、堅実な幹部を多く育成することができませんでした。勤労者団体は、自力で自分たちに必要な幹部を育成するばかりでなく、堅実な幹部を大いに育成して党にも送るべきなのですが、それができていません。職業同盟にしても社労青にしてもそうであり、女性同盟もまた女性幹部を育成して党に送ったことがありません。それどころか、かえって幹部を送ってほしいと手を差しだしてばかりいます。

 勤労者団体では幹部事業ばかりでなく、大衆との活動も正しくおこなっていません。

 革命を遂行するためには、多くの大衆を党のまわりに結集しなければなりません。なんぴとであれ、革命を一人ですることは絶対に不可能です。もしそれが可能ならば、我々はすでに久しい前に朝鮮革命を遂行しており、明日にでもただちに共産主義を建設することができるはずです。

 革命は、多くの大衆を教育して党のまわりにかたく結集してこそ成功裏に遂行することができるのであり、社会主義・共産主義は、数百万勤労大衆の意識的な闘争によってはじめて建設することができるのです。

 それで我々は、大衆との活動、特に非党員大衆との活動を成功裏に進めるために勤労者団体を組織しました。各勤労者団体に中央委員会を設け、委員長、副委員長を置き、多くの機構を設置したのもすべて大衆との活動を順調に進めるためです。もし勤労者団体が、大衆との活動を正しくおこなえないなら、勤労者団体本来の使命をまっとうしえないことになり、大衆組織としての自己の役割を満足に果たせないことになります。非党員大衆を正しく教育して党のまわりにかたく結集し、党政策の貫徹へと力強く奮いたたせるのは勤労者団体の第一義的な革命課題であります。

 大衆との活動においては、特に社労青の役割が重要です。周知のように、社労青は、我が国のすべての青年を結集している我が党の後続隊であり、それだけに、社労青のなすべき仕事は極めて多いのです。社労青が青年との活動をいかに進めるかは、我が国、我が民族の明日の運命にかかわる極めて重要な問題であると言えます。社労青が青年大衆との活動を活発に進め、かれらを正しく教育してこそ朝鮮革命は今後も力強く前進することができます。

 しかし現在、社労青は、青年大衆との活動を円滑におこなっておらず、青年組織らしいところがなく、無気力です。社労青組織の活動が不十分であったため、青年たちを青年らしからぬ老人のようにつくりあげてしまいました。教育しだいでは、青年の闘争意欲をいくらでもかきたてることができます。ところが、みなさんの活動が拙劣なため、青年を生気のない人間にしてしまいました。もちろん、社労青が無気力なのは、現在の委員長のせいではありません。社労青は現在だけでなく、以前から無気力でした。青年にたいする革命的教育も拙劣であり、青年の特性と心理にふさわしい大衆政治活動の仕方も知りません。もし社労青の活動家が、青年突撃隊の一つでも組織すれば万事が解決されるかのように考えているならば、それは大きな誤りです。

 社労青は当然、青年を立派に教育して党員の後続隊を大いに育成し、かれらを最も組織力があり闘争意欲の強い党の戦闘部隊につくりあげるべきであります。ところが、このような活動が不十分であるため、一部の地方にはいまだに不良青年がいるとのことです。不良青年を分析してみると、地主や敵階級の出身ではなく、大部分が勤労者の子弟です。出身は悪くないのですが、社労青が革命的教育を怠り、青年大衆との活動に取り組まなかったために、かれらが不良青年になってしまったのです。

 職業同盟も大衆との活動を正しくおこなっていません。職業同盟は、機構も膨大です。各工場に専任の職業同盟活動家が数名ずつおり、一部の工場では党活動家よりもむしろ職業同盟の活動家が多いところもあります。このように、現在の職業同盟は大きな機構と多くの人員をかかえていますが、これといった仕事はしていません。

 農業勤労者同盟の活動も不活発です。下部に出向いてみると、組織が有名無実の状態にあります。

 女性同盟もまた女性大衆との活動、女性にたいする思想教育を活発におこなっていません。

 勤労者団体がこれまで大衆にたいする革命的教育に力を入れなかったため、党と革命のために一命を賭してたたかう覚悟をもった革命家を多く育成することができなかったばかりか、大衆のなかでの日常的な政治活動をおこなわなかったので、人々の準備程度の把握や評価さえもできないありさまです。

 勤労者団体が大衆にたいする革命的教育を地道におこない、かれらを日ごろから思想的に鍛え、断頭台に立たされてもあくまで革命的節操を守り、死を前にして「共和国万歳!」を叫ぶ覚悟のできた不屈の革命家に育成すべきなのですが、これまで、それができませんでした。

 勤労者団体の活動家はこれまでの怠慢にたいして責任を感ずるべきであり、当然批判を受けなければなりません。我々は、みなさんの怠慢を見すごすことはできません。元来、共産主義者は八方美人となるのを好まず、他人からお人好しと呼ばれるのを望みません。我々は、こんにちまで闘争のなかで生きてきましたし、今後もたたかいつづけるでしょう。我々は無為徒食をはじめ、不正と妥協してはなりません。あらわれた欠陥は、直ちに批判を加えて是正させるべきです。

 これまで勤労者団体の活動が思わしくなかったのは、党組織の指導上の落度ともある程度関連しています。

 各級の党組織は、勤労者団体にたいする指導上の欠陥を速やかに是正して実のある指導をすべきであり、勤労者団体の活動家を実質的に援助すべきです。しかし、党がいかに行きとどいた指導と援助をおこなっても、勤労者団体が独自に仕事ができなければ、どうしようもありません。

 党は、路線と政策を立て、勤労者団体がそれを正しく実行するよう監督し、勤労者団体の幹部事業をおこなえばよいのであって、その活動を肩がわりするわけにはいきません。

 党がすべき活動と勤労者団体のすべき活動は、明確に区別されています。正直のところ党中央委員会勤労者団体課のわずかな人員でもって、常時注意を与え、各勤労者団体の膨大な活動をことごとく具体的に指導することは不可能です。

 勤労者団体の活動は、あくまでも勤労者団体が責任をもっておこなうべきです。

 現在みなさんには、勤労者団体の活動を十分立派に進めることのできるすべての条件と可能性がととのっています。

 私も若いころ、青年活動を大いにおこなったものですが、当時はいまより活動条件が非常に困難でした。当時は、各地に散らばっている青年を一人一人尋ねまわり、教育し啓発して組織に結集しなければなりませんでした。それも警察の目を避けておこない、甚だしくは子弟の青年運動参加に反対する父母がいるときなど、その父母にも知られないようにしなければなりませんでした。青年たちを集めて講演をするにも、人の部屋を借りておこなったものですが、それも容易なことではありませんでした。

 いまは、当時とは事情が全く異なります。青年たちはすべて、組織に加盟して集団生活をしています。労働青年は工場で、学生青年は学校で集団生活をしており、農村の青年も協同農場で集団的に働き生活しています。全国どこへ行っても未組織の青年はおらず、集団を離れて一人で生活する青年もいません。いたるところに立派なクラブや学校があり、農村にも民主宣伝室、革命歴史研究室があるので、人の家を借りなくとも青年の集会場には事欠きません。また、青年活動家を逮捕しようとする者もいません。我が国の青年活動家は大手をふって歩き、仕事のできる堂々たる権利をもっているばかりか、乗用車まで利用して活動できるよう保障されています。少年団活動もほんとうに楽になりました。以前は学校がなくて学ぶことのできない少年相手の活動だけにたいへん苦労しましたが、いまは子供たちがみな学校に通っているので、少年団指導員を堅実な人でかためて具体的な講習を与え、生徒のなかから中核分子を数名育てれば、少年団活動は難なくできるようになっています。

 どの面からみても、いま条件が悪くて勤労者団体の活動がふるわないというべき理由はありません。むしろ、あまりにも条件がよく幸福すぎて、活動家が安逸に流れ、事務室にばかりとじこもっているのが欠点です。いま、みなさんはあんのんと事務室にとじこもり、尊大ぶって仕事をいい加減にしています。

 みなさんは今後、活動を根本的に改善しなければなりません。これまでの事務室的活動方法、事務員式の活動方法を一掃し、革命的方法で働くべきです。仕事の過程にあらわれた欠陥は直ちに是正し、わからないことは熱心に学ぶべきです。わからないからと腕をこまぬいていたのでは、いつまでたってもそのままで、発展することができません。わからないことがあれば学び、党政策の実行計画を綿密に立てて大衆のなかに入り、組織活動や思想教育活動もおこなわなければなりません。党がよく援助し、みなさんが積極的に取り組めば、勤労者団体の活動を速やかに発展させることができます。


 2 勤労者の革命化、労働者階級化をさらに実質的に進めるために

 こんにち我々には、共和国北半部で社会主義建設を立派に進めて国の政治的・経済的・軍事的威力をさらに強めると同時に南朝鮮革命を遂行して祖国を統一し、世界の革命的人民と力を合わせてアメリカ帝国主義の五体を切り取り、世界革命を遂行すべき重大な革命任務が提起されています。

 特に、南朝鮮からアメリカ帝国主義を追い出して祖国を統一する問題は、一日として遅らせることのできない我々の最大の革命課題であります。いま南朝鮮では、数多くの同胞がアメリカ帝国主義の虐政のもとで、あらゆるさげすみと侮辱を受け、飢えと貧困にあえいでいます。南朝鮮の都市には日を追って浮浪者が増え、連日、数多くの人民が非業の死を遂げています。我々は、南朝鮮の悲惨な現実を座視することはできず、一日たりとも貴重な時間を無駄にすることはできません。一日でも無為な時間を送れば、南朝鮮人民の苦痛はそれだけ深まり、数多くの同胞が生命を失うようになります。したがって我々は、南朝鮮の兄弟を救い出すためにいつにもまして緊張して働き、祖国統一のため、アメリカ人と一度は戦うという覚悟をもつべきです。

 このような重大な革命課題を成功裏に遂行するためには、なによりもまず、すべての勤労者を革命化、労働者階級化して、党のまわりにかたく結集し、我々の革命勢力をさらに強化しなければなりません。こんにち、勤労者の革命化、労働者階級化は、すべての党組織と勤労者団体に課されている最も重要な革命任務であります。

 勤労者の革命化、労働者階級化については、すでに党代表者会議の報告と共和国政府の十大政綱で具体的に示し、今回の共和国創建20周年記念報告でも重要な問題として強調しました。我々の発表した文献に革命化についての党の路線と方針がすべて明示されているので、それを十分に研究し、そのとおりに実行すればよいと思います。

 しかし現在、勤労者の革命化ははかばかしくありません。活動家は、口先では革命化、革命化と叫んでいるものの、実のところいまだに革命化とはなんであり、どうすることが革命化をのかをよく理解していません。多分、ここに参加している人たちのうちにも、革命化とはなにかという問題で試験をするならば、満足に答えられる人はいないかもしりません。党はみなさんをとおしてすべての勤労者を革命化しようとしているのに、みなさん自身がそれをよく知らないのですから、順調に進むはずがありません。

 幹部が革命化にかんする党の思想をよく理解していないため、新聞に革命化にかんする論文らしき論文も出ず、革命化の過程で得た経験についての資料も出していません。この一年間、社労青新聞にも、他の勤労者団体の機関紙にも、また女性同盟機関誌にもいまだ見るべき記事が出たことがありません。

 革命化にかんする党の方針がうちだされたのち、勤労者団体がこれまで何もしなかったとしても、今後の計画は立てておかなければならないのですが、それさえもあやふやです。社労青にも青年を革命化する対策についての案がなく、女性同盟にも女性の革命化を進める案がなく、職業同盟、農業勤労者同盟にも、労働者、農民、インテリの革命化についての明確な案が立っていません。みなさんは、革命化について演説をぶって歩き、口先では強調していますが、実際に具体策を立てて実践に移したことは一つもありません。勤労者の革命化では、社労青、職業同盟、農業勤労者同盟、女性同盟が当然重要な役割を果たすべきなのですが、みなさんが党の思想を知らず、今後の明確な対策案ももっていないありさまなのですから、全社会の革命化にかんする党の方針が満足に実行されるはずがありません。

 もちろん、党宣伝部が勤労者の革命化のための思想教育にあたっていますが、それも以前の形式主義的な古い枠から脱皮していません。党宣伝部の活動をみても、旧態依然としてテキストを作成して発送し講演会を催させ、学習網をつうじて学習をさせる程度にすぎません。これだけでは、全社会の革命化を成功裏に実現することはできません。結論的にいって、勤労者を革命化する活動はまだ深化されていないと言えます。

 それゆえ、党代表者会議で革命化にかんする路線がうちだされてすでに2年が過ぎたにもかかわらず、まだ、党の路線は路線としてそのままで、仕事もまた実績のないまま残されています。勤労者の革命意識は、以前もいまも大差なく、南朝鮮革命のためにもこれといったことはしていません。口先では常に、南朝鮮の兄弟を忘れるな、祖国統一をめざしてたたかおうと叫んでいますが、実際のところは成果らしきものはなく、あんのんと「太平楽」をうたい悦に入っています。

 そればかりでなく、不純分子は依然として残っていて、雑言をはき、我々をなじっています。もちろん、不純分子が我々にけちをつけるからといって、それを恐れる必要はありません。地主、資本家が、我々をなじるのは、当然のことというべきです。我々が、無為徒食していた地主、資本家の土地や工場を奪い取り、自分の労働で食べざるをえなくしたのですから、かれらが我々に好意を寄せるはずはありません。地主、資本家が、我々を憎悪し、なじるのは、我々が善人であることを意味し、もし、かれらが我々に好意を寄せるようなことになれば、それはすでに我々が変質をきたしていることを意味するものです。それゆえ、不純分子がけちをつけるのを少しも恐れることはありません。かれらの悪言に恐れをなすようでは、仕事もできません。

 我々が以前、日本帝国主義者とたたかった当時、かれらは我々にありとあらゆる雑言をあびせました。かれらは最初、我々を人民革命軍と呼んでいたのが「共産軍」となり、ついには「共産匪賊」と悪態をつきました。このように、日本帝国主義者の悪態の度が日を追って強くなったのは、我々が革命闘争において常に毅然として戦ったことを意味します。我々は、日本帝国主義者の悪口がつのるほど、強い信念に燃えていっそう勇敢にたたかい、革命の節操を守りぬきました。

 問題は、かつての地主や資本家が我々に悪言をあびせるところにあるのではなく、大衆がかれらに追随しないようにし、すべての勤労者を我々の側に獲得することであります。我々は、ごく少数の敵対分子と階級の敵を徹底的に孤立させる一方、すべての勤労者を革命化して党のまわりにかたく結集し、かれらがすべて共産主義を支持し、社会主義の完全な勝利をめざしてあくまでたたかう革命闘士になるようにすべきです。

 勤労者を革命化するためには、具体的な方途を一つ一つ考えだし、活動に具体的に取り組まなければなりません。

 一部の人は、革命化という言葉を難解このうえない哲学のように考えていますが、それほど難しく考える必要はありません。もちろん、これも一つの哲学には違いありませんが、それほど難解な問題ではありません。革命化とは、すべての人が社会主義・共産主義を支持し、その実現をめざして積極的にたたかい、革命のためにすべてをささげるように育てあげることを意味します。すなわち革命化とは、我が国の全勤労者が社会主義・共産主義のために積極的に働き、南朝鮮革命の完遂と祖国統一のために一身を投げうち、自分の子弟も革命のために献身するようにさせることであります。

 勤労者団体はなによりもまず、すべての勤労者が自分の仕事に励み、家計のきりもりはもちろん、設備、資材をはじめ、国家と社会のすべての財産を極力愛護し、国の経済管理をきちょうめんにするようにさせることから始めるべきであります。これが、革命化の基本的条件の一つです。このように教育が徹底すれば、誰もが革命家になることができます。

 勤労者を革命化する目的は、共和国北半部で社会主義・共産主義を成功裏に建設すると同時に、南朝鮮革命を遂行することにあります。それゆえ、みなさんは、共和国北半部で社会主義・共産主義建設に必要な有能な人材を育てあげるばかりでなく、南朝鮮革命を支援しうる革命家を育成するために大いに努力しなければなりません。

 すべての勤労者を革命化するためには、かれらにたいする思想教育活動をさらに活発に進めなければなりません。これまで幾度も述べたことですが、人々を革命化するということはとりもなおさず思想教育と思想闘争をおこなうことを意味します。思想闘争とは、四六時中人々を集めて批判ばかり加えることを意味するのではありません。もちろん、批判の対象になる人には批判を加えるべきですが、そうでない人たちは十分に説諭すべきです。このようにして勤労者を革命思想で不断に教育しなければなりません。我々の言う革命思想とは、言うまでもなく我が党の思想、我々の思想であります。

 勤労者にたいする思想教育を強化することなしには、革命をつづけることができません。他国の経験が、これを如実に物語っています。現在、一部の国における失敗の原因はどこにあるのでしょうか。それらの国が技術発展水準や人民生活水準の低さのためにしくじったのではありません。それはもっぱら、勤労者にたいする思想教育と思想革命をおこなわなかったせいです。

 それゆえ、勤労者にたいする思想教育はひきつづき強化すべきであり、ここで重要なのは修正主義思想を徹底的に一掃することです。我々は、勤労者にたいする思想教育を強化して、修正主義思想とその理論を徹底的に粉砕し、勤労者をすべて我が党の革命思想、我が党の革命理論で武装させるべきです。

 そのためには、学習を強化しなければなりません。学習では当然、思想教育を基本にすべきです。

 勤労者を革命化するためには、まず幹部が学習に励まなければなりません。みなさんは、無駄なことに時間を費やさず、学習に励んでみずからを革命家に鍛え、大衆を指導できるよう、水準を高めるためにたゆみなく努力すべきです。自分自身の水準を高めないことには他人を教育することができません。

 いま幹部たちは、学習を怠っています。日に1ページの本を読むこともなくすごす幹部が少なくありません。学習をしないため何も知っておらず、少々知っていることがあると無益な空論をもてあそんでいます。ときおり、幹部に会って話し合ってみると、情勢も知らず、世の中の推移もわかっていません。これは、かれらが通信も見ようとせず、学習もしていない証拠です。

 幹部たちは、重要な党文献の研究も怠っています。みなさんは、共和国政府の十大政綱をそらんじることができるでしょうか。勤労者団体の幹部は当然、十大政綱の各条項に精通していなければなりません。ところがみなさんは、口では偉大な十大政綱と言っていますが、その文献にざっと目をとおしただけにすぎません。十大政綱を理解させるために歌までつくったのですが、みなさんはそれも知らないありさまです。これでは、十大政綱の貫徹はとうてい不可能です。

 幹部はまた、共和国創建20周年記念報告の内容もよくつかんでいません。事実上、この報告は、こんにちの世界革命で切実に提起されている焦眉の問題を正しく分析し、その解決方途を明示したマルクス・レーニン主義的文献であります。報告には、過渡期とプロレタリアート独裁の問題、階級闘争の問題など、多くの重要な理論的、実践的諸問題にたいする科学的な解答が与えられています。ここには、こんにち敵が社会主義制度にたいする攻撃に熱を上げている状況のもとで、それをいかにして擁護し、強固にするかということも重要な問題として強調されています。特に、報告で言及されているプロレタリアート独裁と階級闘争にかんする問題は、みなさんの活動にとっても極めて切実な問題です。にもかかわらず、みなさんはこの文献を深く研究しようとしていません。もちろん、党宣伝部から学習せよと言われるので少しはしているのでしょうが、極めて形式的なものにすぎません。みなさんばかりでなく、多くの幹部がこの文献に一度目をとおし、それでいかにも内容に精通したかのように考え、深く研究していません。共和国創建20周年記念報告の学習が着実になされていないため、いまだにこの文献にかんする解説論文一つ発表されていません。文献にたいする研究がこのような状態では、我が党の革命思想で武装することも、修正主義と極左日和見主義に反対してたたかうこともできません。

 幹部は、新聞も満足に読んでいません。下部機関の人よりも中央機関の幹部がなおさらそうです。新聞を読むといっても、見出しに目をとおす程度です。我々は、新聞紙上をとおして党の路線と政策貫徹の方向、方途を示しているのですが、それも読もうとせずなにも知らないのでは、幹部として指導的地位でその責務を果たすことはできません。

 以前の革命闘争当時、我々は自分の手で発刊した『三・一月刊』やコミンテルンから入手した新聞をすみずみまでくまなく熟読しました。当時、コミンテルンからときおり新聞を一枚ずつもらってきたのですが、回し読みをして破れると糊ではってまで読んだものです。

 ところがいま、みなさんは新聞を自由に読むことができるのに、読もうとしません。一部の人は、新聞の発行部数が少ないと言いますが、決して少なくありません。現在の発行部数をもっても合理的に手配して利用すれば、すべての人が読むことができ、大いに学習することができます。

 我が国の新聞は、ブルジョア新聞とは根本的に異なります。ブルジョア新聞は、人々の興味をひくために嘘をつくりあげ、小さなことでも誇張して書きたてるものです。しかし、我々の新聞は、営利のためではなく、人々の教育を目的としています。それゆえ、我々の新聞は、人々の思想・意識水準の向上において、極めて重要な意義をもっています。ところが、みなさんは新聞も満足に読まないのですから、水準が早く向上するはずがありません。

 私は中央機関の幹部が集まるたびに、新聞を読み、学習に励むよう強調していますが、いまでは、みなマンネリに陥って実行しようとしません。もちろん、私の言葉をみなノートに書き取りはしますが、その実行計画は立てず、具体的な仕事の手配をしません。こういうことではいけません。

 今後、みなさんは学習に励むべきです。知ったかぶりをしないで、謙虚に学ばなければなりません。特に、共和国創建20周年記念報告を深く研究すべきです。今後、道党責任書記、相、副相をはじめ、幹部たちを呼びよせ、1週間程度ずつこの文献の学習をさせる予定です。そして、いかにすれば社会主義制度をかため、プロレタリアート独裁を強化することができるかを十分に理解させようと思います。

 みなさんは、みずから学習に励むばかりでなく、勤労者のあいだでの学習気風の確立につとめなければなりません。

 いまの青年や学生の読書嫌いには困ったものです。私は以前、中学生当時から読書に熱中し、さまざまの社会科学書籍も読みはじめたものです。ところが、最近の学生は読書に親しもうとしません。これは、我々の青少年活動に大きな欠陥があることを示しています。青年学生に多くの本を読ませるためには、それにともなう組織活動が必要なのですが、みなさんはそれをしていません。

 以前、私が吉林で学んだころの青年活動の経験を少し話しましょう。

 私は吉林と瀋陽、長春、ハルビン、敦化地方の朝鮮青年を反帝青年同盟に結集しました。最初は、共産主義意識の強い7、8名の同志を獲得したのち、かれらを中心に数十名の人員を集めて学友会を組織しました。会員たちは、毎週日曜日に吉林のある教会の掃除をするかわりに、そこで集会をもたせてもらいました。

 このようにして組織をつくったのち、青年たちに学習の方法から教えました。まず、学生同士で図書館を一つ設けました。当時、朝鮮人の学生は、みな貧しい家庭の子弟であり、裕福な家庭の子弟はいく人もいませんでした。お金がなかったので、日曜日に鉄道の枕木や砂利の運搬などのアルバイトをし、そのお金でたくさんの書籍を購入して、ささやかな図書館を設けたのです。図書館には、教会の近くにある精米所の主人の小さな事務室を利用したのですが、本棚を置いて本を並べました。本棚も朝鮮人の学生が四方から板をもち寄って作りました。

 私はこの図書館を利用して、青年学生に多くの本を読ませました。当時、土曜日の授業は午前中だけだったので、午後には図書館の管理を担当する学生が、本の貸し出しにあたりました。読書後には、ただ本を返すのではなく、必ず簡単な内容と感想を記し、本にはさんでもってくるようにさせました。そうしたところ、学生たちは必ず本を読んでから返すようになりました。

 図書館には学生たちを引きつけるため、いろいろな本を準備しておきました。いまでは、そんな必要はありませんが、当時は読書に興味をもたせるため、最初は恋愛小説も備えました。もちろん、それらの小説には改良主義的な傾向もありましたが、反面、社会にたいする不平不満をかきたてるのにある程度の影響を与える内容も含まれていました。恋愛小説ではあっても、それほど悪いものでもありませんでした。そういう本を備えておけば、読書に興味をもちはじめます。このように読書の習慣をつけたあと、社会科学書籍を徐々に読ませました。学生たちが、社会科学書籍を読み、しだいに教育され思想的にめざめたと思われたときには、秘密書庫から他の本を出して読ませたものです。

 我々は、このような本を隠して置いて、学生たちの思想が相当のレベルに達したのちに読ませました。中国で出版された進歩的な書物やソ連で翻訳した本も貸し出しました。当時、日本でも左翼的な社会科学書をいくらか売っていたので、そういう本も購入して読ませました。

 我々は、以前このような方法で青少年の学習気風をつちかい、多くの本を読ませました。みなさんもいろいろな方法を使って、青年学生や勤労者のあいだで学習気風を確立すべきです。

 人々に多くの本を読ませる一方、その本の内容を発表する集いなども活発におこなうべきです。

 我々は以前、学生が読書後にその内容を多くの人に伝えるため、読書発表会も活発におこないました。前もってある人に、どの本を読んで、どの日曜日に発表するよう指定しておき、その日に全員が集まり、発表者の話を聞いてから討論に移りました。発表者の観点によって話も異なってきますが、発表をとおして本の内容を十分に理解しているかどうかがわかり、またこれによって、人々の水準を評価することができます。

 このように我々は、発表会で多くの人が読後感を述べたあと、その本の長所と短所を結論づけました。我々は、このような活動をとおして多くの人を教育しました。

 勤労者団体では、いろいろな発表会を巧みに組織すべきです。各人に、きょうは誰がなにを準備して発表し、明日はまた誰がするといったふうに一つずつ任務を与え、学習熱意を高めるべきです。このような活動は、かりに、社労青であれば、学校の社労青や工場または里の社労青でもできるし、市や郡、区域の社労青でもおこなうことができます。綿密な計画のもとにいたるところで読書会、読書発表会を効果的に催せば、多くの大衆を教育することができるはずです。

 クラブなどを有効に利用して発表会をおこなえば、多くの人を参加させることができます。社労青や職業同盟、農業勤労者同盟、女性同盟が、計画を立て、いつ、どのクラブではどのような発表会があり、どのクラブではどういう討論会があると随所に広告文を張りだしておけば、各階層の大衆が集まるでしょう。このような集いをとおして多くの人を教育するばかりでなく、大衆の前に立たせて発表する訓練もさせるべきです。最近はこのような活動をしないため、演壇にのぼり他人の書いた原稿さえろくに読めない状態です。

 発表会は、多様な内容でおこなうことができます。党の文献も多く、抗日パルチザンの回想記類もたくさん出版されているので、それらを研究して発表させるのもよいでしょう。そのほか、我が国にはよい小説もあるのですから、それも読んで発表させ、また、科学討論会などを開くこともできます。このようにすれば、革命思想を学び、社会科学、文学、自然科学など各分野の知識を豊富に習得することができます。

 勤労者を革命化するためには、かれら自身が革命的な演劇をつくって出演するようにしなければなりません。もちろん、経験がないので芸術性の乏しい演劇を上演するかもしれません。しかし、それは大きな問題ではありません。

 私は青年活動をした当時、演劇もたびたびつくって上演しました。

 演劇で民族主義者を教育した実例を一つ話しましょう。以前、吉林で分派分子や民族主義者は、自分の派閥を押したてて喧嘩ばかりしていました。当時、「正義府」「参議府」「新民府」という3つの派がありましたが、この3派が三府統合という名目で吉林で会議を開きました。私は下校時にその会議場にしばしば立ち寄ってみたのですが、かれらはいつ見ても木枕をふりあげて口論ばかりしていました。よくよく考えてみると、あの人たちでは何もできそうにありませんでした。そこで、演劇をつくってかれらを教育する必要を感じ、三人が膝をつめよせて喧嘩をする簡単な演劇をつくりました。

 ある日、私がかれらを訪ねていき、最近先生がたは会議のためお疲れでしょうから、私たちのつくった演劇をひとつ、ご覧になってください、と言ったところ、「上海臨時政府」だの何だのといった各組織のそうそうたるメンバーがみなやってきました。はじめは、一般的な芸術作品を公演したので、かれらも喜んで拍手を送りました。次に、派閥争いのはてに国が滅びるという内容のだしものが出ると、かれらはみな退散してしまいました。そのとき、かれらは我々に、お前たちは面と向かってはなじれないのでこんな演劇を見せて意見しようとしたのだな、と言いました。そこで私は、演劇が気に入らないのなら、口争いはやめなさい、どうして口論ばかりしているのですか、と言ってやりました。かれらは演劇をみて憤慨しましたが、結局はそれが効果をあらわしました。かれらは数か月口論をつづけましたが、その演劇をみたのちは、形式的ではあっても「国民府」という名で統合が実現しました。

 遊撃闘争当時にも、青年たちに楽しみを与え、かつ教育するために演劇や歌劇をつくり、遊撃区と山中とを問わず、行く先ざきで公演しました。

 日本帝国主義の「討伐」が最も厳しかったときの六棵松と夾信子戦闘ののちにも、我々は人民の前で公演しました。この戦闘のさい数百名の労働者が食糧を山にまで運んでくれました。雪も深く、樹木も凍てつき、音をたてて割りさける厳寒の季節でした。山中のこととて家屋もありません。しかし、我々は、野外に舞台をつくって幕を張り、2週間くらい労働者たちの前で演劇や歌劇を上演し、講演もおこないました。

 以前は、あのような困難な条件のもとでも演劇をつくって人々を教育したのに、いまのような好条件のもとでそのような活動を組織できない理由はありません。みなさんに経験がなくてできないのではありません。問題は、みなさんがこのような活動に取り組まないところにあるのです。勤労者団体の活動家は、このような活動も立派に組織できなければなりません。

 青年たちに演劇などを自分で活発につくって上演させれば、かれらの水準が向上するでしょう。それに演劇などを大いにつくって公演すれば、勤労者をよりよく教育することができます。劇場での本職の俳優の公演だけでは、大衆を速やかに教育することができません。それゆえ、学生にも労働者にも公演活動をさせるべきです。

 青年たちで宣伝隊などを組織して、巡回公演もさせるべきです。俳優を一人ずつ含めて小さな移動公演隊を組織し、農村を巡回しながら公演すべきだと思います。

 以前我々は、巡回公演などもさかんにおこないました。当時、私がいた地域にいくつかの朝鮮人村落があったのですが、それらの村落をもれなく巡回しながら公演しました。

 みなさんも宣伝隊を組織して農村にたびたび派遣すべきです。現在、農村には、ときおり本職の俳優が公演に出かける程度で、他の人たちはそういうことを念頭にもおいていません。こんにち、我が国の農村がすべて啓蒙されたかといえばそうでもありません。労働者区も同様です。それゆえ、農村や労働者区にたいする啓蒙活動をつづけなければなりません。労働青年や学生青年のなかには、さまざまの才能をもった人たちが大勢いますから、かれらを動員すれば農村地域での巡回公演ができないわけはありません。

 いまでは、各種の発表会や演劇などをおこなう場所はいくらでもあります。立派な学生少年宮殿があり、いたるところにクラブや宣伝室があります。平壌市だけでも80余りのクラブがあるそうですが、そうしたクラブを利用しないで放置するという法はありません。クラブを有効に利用するよう平壌市党の幹部に意見を述べたところ、いまは少し活動をはじめたようですが、まだまだ不十分です。

 実際上、クラブや宣伝室を十分に利用するのは、さほど困難なことでもありません。みなさんが努力さえすれば、クラブをいくらでも効果的に利用することができます。私の考えでは、各クラブで週に3回くらいは読書発表会や講演会、公演などを催すことができると思います。可能であれば、公演は週に数回おこなうのが望ましいでしょう。工場の芸術サークルの公演などは、自分の工場のクラブで公演するばかりでなく、他の工場のクラブでもさせるべきです。例えば、紡織工場の芸術サークルなら、その工場のクラブばかりでなく、電気機関車工場のクラブに出かけて公演させることもできます。このようにすれば、勤労者たちは、多くの新しい芸術作品を観覧することができるでしょう。

 みなさんは、クラブを勤労者の格好の教育の場にしなければなりません。クラブで演劇、読書発表会、学術発表会、また、革命伝統講演会や歴史講演会、情勢講演会など、可能なすべての方法をつくして、クラブを活発に利用しなければなりません。

 勤労者を革命化するためには、歌の普及も活発におこなうべきです。

 以前我々は、遊撃闘争当時、革命的な歌を普及する活動から始めました。それは、歌そのものが革命的な内容を含んでいたからです。革命的な歌を広く普及したため、我々が東「満州」遊撃根拠地にいたときには、革命歌謡を知らない人がいませんでした。遊撃区内の児童と老人とを問わず、誰もが革命歌謡をうたうことができました。

 ところが、いまみなさんは歌の普及を活発におこなっていないため、勤労者は革命歌謡をよく知りません。もちろん、子供たちは少し知っていますが、大人たちは知りません。さらに大人たちの場合は、歌を習うのを恥ずかしいことと考えています。これは、非常に誤った傾向です。みなさんは、革命歌謡の普及が大衆の革命化にとって重要な意義をもつことを明確に認識し、歌の普及につとめなければなりません。

 既存の革命的な歌を広く普及すると同時に、我が党の革命思想をもりこんだ歌をたくさんつくって普及する活動も進めるべきです。

 遊撃闘争当時の経験によれば、政治教育活動のうえで革命的な内容のうたいやすい歌をつくって普及するのは非常に有効でした。きのう2.8映画撮影所で制作した映画を見ましたが、そのなかにも遊撃闘争当時の革命歌謡がでてきます。この映画は、農村へ行って夜学を組織し、女性たちのあいだで革命活動をおこなう一女性工作員の物語を内容としていますが、よくできています。

 革命的な歌は、内容が明確であるので、口ずさむだけでもその思想がうたう人の頭によくしみこみます。以前、我々は大抵、このような革命的な歌詞にうたいやすい曲調をつけた歌を普及して、青年たちに革命思想をうえつけました。

 こんにちの我が党の政策も歌にして普及するのがよいでしょう。作曲家は、そうした歌をうたいやすくつくるべきです。活動家たちの努力しだいで、どんな内容のものでもみな歌にして普及することができます。革命伝統にかんするもの、社会主義制度の優位性にかんするもの、社会主義建設にかんするもの、共産主義に進もうといったもの、南朝鮮の兄弟を支援するためにたたかおうというもの、社会主義的愛国主義にかんするもの、ひいては子弟教育を立派におこなおうといったことや家庭生活をきちょうめんにしようというものまで、すべてを歌に集約して普及することができます。

 例えば、子弟教育にかんするものであれば、私が全国母親大会で述べた内容を集約して歌をつくることができます。「子供を共産主義的に教育してこそ、立派な人間にすることができる。子供を共産主義者に育てるためには、母親自身が共産主義者にならなければならない。共産主義者になるためには利己主義をなくし集団主義思想で武装し、共同労働に積極的に参加しなければならない」、こういうふうに内容をまとめて歌にすればよいのです。

 また、社会主義制度の優位性にかんする問題であれば「社会主義がなぜよいのか。地主や資本家がおらず、抑圧と搾取がないからよいのだ。誰もが働き、働いただけの分配をうけてよい暮らしができ、同じように食べられる。家賃も出さず、子供をみな無料で勉強させられる。将来すべての人の文化水準が高まり、生活もさらに向上するからすばらしい」、こういうふうに簡単にまとめて歌をつくり普及すれば、そういう内容が人々の頭によく入ることでしょう。このような内容で講演テキストを作成して宣伝するなら、みんな日ごろから聞いていることだといって、よく聞こうとしないかもしれません。しかし、歌はそうではありません。

 南朝鮮革命にかんする歌もわかりやすくつくることができます。「なぜ南朝鮮革命を完遂しなければならないのか。南朝鮮人民は、我々と同じ血筋をひく同胞だ。それなのに、かれらがアメリカ人の軍靴のもとで倒れていくのをどうして黙って見ていられようか。絶対にそうはできない。我々は、南朝鮮革命を完遂しなければならない。アメリカ帝国主義者は、朝鮮人民の不倶戴天の敵だ。かれらは、南朝鮮で婦女をはずかしめ、同胞を虐殺している。アメリカ帝国主義者は、南朝鮮の財貨をことごとく奪いさっている。だから、我々はアメリカ帝国主義者とたたかわなければならない。アメリカの手先は誰か。地主、買弁資本家だ。かれらもことごとく打倒しなければならない。南朝鮮でも共和国北半部のように、人民が政権を握らなければならない」、このような内容で歌をつくれば、南朝鮮革命にかんする思想を十分に表現することができます。

 革命に必要な歌をわかりやすく、うたいやすく、たくさんつくらなければなりません。

 歌ばかりでなく、テキストも簡単明瞭に作成して講演すべきです。それでこそ、思想活動が大衆のなかによく浸透します。

 勤労者を革命化する問題は、スローガンを唱え、会議で決定書を採択することで万事解決されるものではありません。口先だけで革命化を云々しても決して実現するものではありません。革命化とは、人々の思想を改造し、かれらを革命家につくりあげる活動であるため、人々に革命の糧を与えなければなりません。革命の糧を与えず、闘争一本やりで革命化が達成されるものではありません。人々を革命化するためには、思想闘争を進める一方、歌の普及をはじめ文化教育など、多様な方法で教育活動をおこなわなければなりません。それでこそ、勤労者のなかから立派な社会主義建設者や南朝鮮革命を支援する人たちがたくさん出てくるでしょう。

 大衆を教育するためには、話上手な人が革命伝統小説などを興味深く語る形式で講演をするのもよいでしょう。

 以前、中国では、封建主義の宣伝を物語形式でおこないました。

 私が吉林で学校に通っていたころ、北山公園に行ってみると中国人が「講釈」というのをしていましたが、『三国志』や『西遊記』などの小説を語るのです。私は、その時はじめて「講釈」というのを見たのですが、中国人の盲人が小説の内容を完全に暗記し、みごとに語っていました。その盲人の話し方があまりにも上手なので、自分で小説を読むよりも面白いのです。「講釈」師たちは、小説の内容を面白く語り、名場面にいたると声を張りあげ、『三国志』などは窓をたたきながらうなるのです。そして、一番おもしろく、手に汗をにざるような場面ではたとやめ、さてその後は次回のお楽しみといって人々からお金をもらうのです。

 我々が青年活動をおこなったとき、このような方法も利用しました。当時、吉林の学生宣伝隊にこういう方法で宣伝活動をさせました。中国人の学生にも宣伝隊を多数組織させ随所で革命小説を語るようにさせたのですが、効果がありました。学生たちが革命小説を暗記し、公園などで大勢の人を集めて小説の内容を語ると、みんな興味をもって聞きいりました。警官たちは我々がこのような集いを組織しても、普通の中国人が「講釈」をしているのだと思いこみ、のぞきにも来ませんでした。そのため、社会制度にたいする不平不満を話しても、警官に知られないですみました。我々はこのような方法で、革命的な小説の内容を大いに宣伝しました。前もって、準備を手ぬかりなくおこなって小説を語って聞かせるのですが、大勢の人々はそれを聞いて喜び、どこでそのような話術を習ったのかと称賛したものです。こうして、たくさんのお金をためては苦学している人の学費の足しにしたり、我々の図書館の本を購入したりしました。古い方法もこのように大衆を革命思想で教育する活動に有効に利用すれば、成果をあげることができます。

 以前我が国にも「講釈」に似かよったものがありました。停戦直後に蒼光山に登ってみたことがありますが、そこに老人たちが20人余り集まっているので、なにをしているのかと聞いてみたところ、一人の老人が物語を語り、他の老人たちはそれを聞いているというのです。それで民主宣伝室やクラブを利用して、そのような話の集いを催して、革命思想の宣伝をおこなうのがよいと言ったことがあります。

 私は青年運動をしていた当時、農村に出かけ、人の家の部屋を借りて宣伝室のように利用し、啓蒙活動をおこなったこともあります。遊撃闘争当時には敵との戦闘のためにできませんでしたが、青年運動をしていたころは、人の家の部屋を借り、壁紙をきれいにはりかえ、物知りの老人を二人ほど選んで教育し、老人たちのあいだで宣伝活動をさせました。もちろん、民主宣伝室という看板はかけませんでしたが、事実上宣伝室でした。当時、一部の老人は、敵の弾圧に恐れをなし、青年たちの革命活動を快く思っていませんでした。それで、話上手な老人たちに小説の話などさせて、他の老人たちの啓蒙をはかりました。かれらは、日中は仕事をし、夜になると冬の夜長の退屈しのぎに話でも聞きに行こうといって、キセルを腰にさしこみ、我々が準備しておいた部屋に遊びにきました。すると、我々が準備させた老人がいろいろな物語をおもしろく話して聞かせたあと、終わりに15分ほど、いまの世の中は狂っている、この世の中をなおすには地主を残らず倒さなければならないという内容で、革命についての話をつけくわえてから帰しました。このように、老人たちの気分に合わせて教育活動をおこないました。こういう方法で啓蒙活動をしたので、日本帝国主義者もその内幕を知るすべがありませんでした。

 以前は、他人の部屋を借りてまでも宣伝活動を立派にしたのに、みなさんは、いますばらしいクラブや宣伝室をもっていながら、それを人々の教育によく利用できないでいます。現在、民主宣伝室は看板も大きく、内部に図録をかかげ、いろいろな装置も施してあるのに、人々はそこへあまり行こうとしません。これについて党宣伝部にも数回指摘したにもかかわらず、まだそれを軌道にのせる仕事の手配をおこなっていません。

 みなさんは、クラブや宣伝室で講演会や学習会ばかりしようとしてはなりません。勤労者を正しく教育するためには、眠気をもよおす堅苦しい宣伝ばかりせずに、多様な方法で宣伝活動をおこない、人々の興味を引くようにしなければなりません。そのためには、話の集いなども上手に運営しなければなりません。そうすれば、クラブや宣伝室に大勢の人が集まり、かれらを速やかに教育することができます。

 勤労者に革命思想をうえつけるためには、読書、発表会、演劇の公演、歌の普及、話の集いなどの方法や、講演会、学習会、談話など多様な方法を用いることができます。大衆を革命化するためには、勤労者団体がこのようにいろいろな方法で政治活動をおこない、人々を教育しなければなりません。

 共和国創建20周年記念報告でも指摘したように、社会主義制度樹立後の階級闘争は主として思想革命と文化革命をつうじて、人々の思想・意識水準を高める方法で進められます。それゆえ、思想革命と文化革命を強化すべきであり、そのためには文化機関や芸術団体の力だけでは不十分です。各勤労者団体がこぞって参加し、勤労者にたいする思想教育活動を積極的に進めなければなりません。

 勤労者にたいする思想教育の内容は、外国のものではなく、あくまでも我が国のものでおこなうべきです。我々が執筆した文献は少なくありません。勤労者にそれらの文献を深く研究させ、抗日革命闘争時期の闘争史や解放後の我が党の闘争史、また、社会主義建設における我が党の政策や南朝鮮革命にたいする方針などを深く学習させなければなりません。

 勤労者にたいする思想教育で重要なのは、内容を通俗化して学習させることです。すなわち、勤労者にたいする思想教育は、理解しやすい方法でおこなわなければなりません。

 いま活動家たちは、大衆のなかに入って思想活動を通俗的におこなう方法も、大衆のなかに深く入っていく活動方法も知りません。これは、活動家の大衆活動の経験が浅いためです。大衆のなかに深く入るためには、大衆の心理とレベルを知り、かれらがなにをどれほど消化できるかという能力を把握していなければなりません。ところがみなさんは、このようなことを知ろうともせず、しゃにむに押しつけています。

 いま活動家たちの思想活動の進め方をみると、内容を簡単明瞭にし、わかりやすい言葉で言えば誰もが理解できることも、大衆の理解できない難しい言葉を使っておこなっています。活動家のなかにはマルクスやレーニンの著作を読んだ人も多いのですが、かれらにマルクス・レーニン主義理論の解釈をさせると、わかりにくい難解な言葉をならべたてます。しかし実際は、当人自身、どういう意味なのかよく知っていないのです。かれらは、このように他人の理解できない言葉を使うのが有識者だと考えているのです。

 我々は、党の文献をわかりやすい言葉で書いて出版しています。ところが一部の学者は、やさしい言葉を使うのは学がないことであるかのように考えています。このような考え方は根本的に誤っています。党の文献は、言葉はわかりやすいが、その内容は深遠なものであります。

 思想活動は、あくまでも勤労者の水準に即しておこなわなければなりません。党文献の学習も一律に押しつけたのでは、よく浸透しません。いま、古くからのインテリや大学生のなかにも党の文献を正しく理解できず、往々にして理論的誤りをおかす人さえいるというのに、一般勤労者が党文献をそのとおりすべて理解できるとみなすことはできません。それゆえ、党の文献をいろいろな形式と方法で簡単明瞭に通俗化して勤労者に解説すべきです。党文献の核心部分を抜粋し、その基本内容で歌や演劇、歌劇をつくり、新聞にものせ、解説書も作成して下部に送る一方、談話、講演など多様な形式と方法をすべて利用して宣伝すべきです。もちろん、青年たちには少し異なった形式で教育する必要があります。しかし、職業同盟や農業勤労者同盟、女性同盟では、党の文献を大衆向きのものに作成して同盟員に解説すべきです。

 勤労者をたゆみなく教育し、その水準を一定ののレベルに高めてからなら批判を加えても効果があります。思想教育を受けてある程度の理解力をもつようになれば、誤りにたいする批判も甘受しますが、なにも教えずに頭から利己主義があると批判してもよく納得しないでしょう。教育を受けて利己主義が悪いということを理解したときにこそ、自分の誤りを心から悟ることができるのです。利己主義がなんであるかも理解できない人に、頭ごなしに利己主義があると批判するなら、なにをぬかすのか、おれが利己主義者だと、もう仕事なんかするものか、なにもかもお前一人でやれ、と不平を鳴らすでしょう。それゆえ、勤労者団体は、大衆のあいだで学習と思想教育を基本にしなければなりません。

 人々の革命化で重要なのは、勤労精神をつちかうことです。誰もが労働を愛し、労働に親しむようにしなければなりません。

 常々言っていることですが、共産主義教育で最も重要な問題の一つは、人々が労働を愛し、働くことを喜びとするように教育することです。物質的富をつくりだし、幸せに暮らすためには、必ず労働をしなければなりません。共産主義社会になっても労働はしなければならず、働かずしては生存することができません。したがって、労働をきらう古い思想と強くたたかい、将来、共産主義社会を建設したのちも、無為徒食しようとする思想とはひきつづきたたかわなければなりません。

 人々を労働を愛する精神で教育しなければ、社会主義・共産主義を成功裏に建設することができません。

 我々は、勤労者のあいだで労働を愛する問題を強く強調すべきです。

 特に、青年のあいだで労働をきらう怠け者根性を一掃しなければなりません。

 子供たちにも正しい教育を施して、幼いときから労働を好むようにしなければなりません。最近、社労青でつくった歌劇を見ると、私が全国青年総動員大会で話した、遊んで暮らすのは豚だけだという昔話を内容としていましたが、こういう形式で教育することも必要です。

 いま勤労者のなかにも一部、労働をきらう怠け者根性の持ち主がいます。かれらは、骨のおれる仕事はせずに楽な仕事ばかりしようとしています。炭鉱などでも、一部の人は、坑内に入りたがらず、坑外の間接部門の労働をしようとします。私は今年の夏、咸鏡北道へ行ったときにもそのような傾向を見ました。

 一部の人は、このような傾向があらわれるのは、賃金に格差のないせいだといっています。もちろん、社会主義的分配の原則に従って、直接部門と間接部門の労働のあいだには、賃金の格差がなければなりません。しかし、炭鉱で坑内の直接部門の労働と坑外の間接部門の労働の賃金が同じだからといって、同じことなら坑外で働いたほうがいい、なんのために坑内に入って働く必要があるのか、と考えるならばそれは正しくありません。これは、人々に政治活動はしないで、物質的刺激ばかり与えることを示しています。物質的刺激ばかりを喜ぶ傾向は、修正主義思想のあらわれです。

 かつて革命家たちには、そのような思想は全くみられませんでした。我々が山を渡り歩き、敵と戦いながら遊撃闘争を展開したのは、誰かから月給をもらったからでもなければ、高い地位を得るためでもありませんでした。革命家たちは、なにがしかの報酬のためではなく、ひたすら革命のためにあらゆる苦しみに耐えぬいて敵と戦ったのです。

 いま、一部の人が、報酬を先に考え、骨のおれる仕事をしようとしないのは、もちろん党組織の活動上の手落ちとも関連しますが、主には職業同盟組織が勤労者にたいする政治活動を怠ったためです。社労青の場合もやはり同様です。口先では困難な仕事は青年が引き受けるといっていますが、実際には炭鉱の坑内に入るのをいやがっています。「青年はみな困難な仕事を引き受けよう!」「青年は海へ、炭鉱へ、山林へ!」というスローガンのもとに決起すべきであるのに、骨のおれる仕事をするどころか、反対に楽な仕事をしようとしてよいものでしょうか。このような考えをもったということは、すでに思想観点が誤っていることを物語っています。青年がこんなことではいけません。職業同盟、社労青など勤労者団体は、勤労者の労働にたいする共産主義的態度をつちかうための教育活動をさらに強化すべきであります。

 我々は物質的刺激を全く無視するものではありませんが、人々を自発的に労働に参加させるためには、必ず政治的・道徳的刺激を優先させなければなりません。

 勤労者団体の重要な任務は、勤労者のあいだで政治活動を優先させ、労働にたいする政治的・道徳的刺激を強化することであります。賃金を引き上げ、物質的刺激を与える仕事はみなさんがしなくても、党の方針にもとづいて行政活動家がおこないます。勤労者団体は、勤労者を政治的、思想的に武装させ、かれらが労働に誠実に参加し、すべての人が困難な仕事の先頭に立つようにしなければなりません。

 みなさんは、女性との活動にも力を入れ、みな社会に進出して働くようにしむけなければなりません。

 勤労者が労働に誠実に参加し、女性もみな社会に進出して働くようにするのは、革命化のためばかりでなく、生活水準を向上させるためにも切実に必要なことです。すべての人が熱心に働き、女性まで社会に進出して働いてこそ、多くの製品を生産することができ、所帯当たりの収入もいちだんと高めることができます。

 現在、我が国には、人民生活の向上に必要な条件がすべてそなわっています。

 いま、人民の生活で少々不足しているのは、副食物、靴、冬服類です。しかし、すでに人民生活向上のための強固な土台をきずきあげたので、2、3年内には、これらの問題をすべて解決することができます。

 我々は現在、大きな毛紡織工場を建設し、良質の冬服地を生産しているので、2、3年のうちにはオーバーなど冬服の問題は解決されるものと思います。また最近、順川に立派な製靴工場を建設したので、今後、良質の靴も大量に生産されるでしょう。そうなれば、靴の問題も解決することができます。

 副食物も各地に養鶏工場を建設すれば解決できます。平壌市だけでも、多くの養鶏工場を建設しています。

 こうなると、今後購買力が問題になります。いくら生活必需品の生産を早く増やしても、住民の購買力が高くなければ、人民生活を高い水準に引き上げることができません。

 そこで国家では、7か年計画期間に、月40ウォン以下の低賃金をなくし、平均賃金を60ウォンに引き上げる予定です。事実、来年度の計画さえ立派に遂行すれば、平均35%の賃金引き上げは可能であり、そうなれば平均賃金は60ウォンになります。これは相当な賃金水準です。

 しかし、私がここ数日間計算してみたところによれば、一所帯で一人が働いたのでは、生産される副食物を全部買い入れることができません。したがって、人民の生活を向上させるためには、一所帯当たり少なくとも二人は働き、100ウォン以上の現金収入を得るようにすべきです。

 これは、もちろん可能なことです。我が国には、どこにでも働く条件がととのっています。ですから、働くことのできる人は、職を求めて働くべきです。女性に適当な職場のない場合は、家内作業班でも組織すべきです。そして、家内作業班でも、どんなことがあっても女性たちが40〜50ウォン程度の収入を得られるようにすべきです。

 国家が賃金を引き上げる一方、女性も働き、各家庭の収入が100ウォン以上になれば副食物も買うことができ、人民生活も全般的にいちだんと向上するはずです。

 職業同盟、農業勤労者同盟、社労青、女性同盟は、自己の特性に応じて勤労者を革命化、労働者階級化する活動を力強くくりひろげなければなりません。

 なによりもまず、社労青活動を強化しなければなりません。社労青は、我が党の後続隊であり、朝鮮革命の代をついでいく人たちを育成する組織体であります。それゆえ、社労青活動の強化は、党の強化と革命の継続前進にとって極めて重要な意義をもちます。

 社労青では、青少年にたいする思想教育活動に基本をおくべきです。社労青組織は、職業同盟や農業勤労者同盟の真似をしようとせず、自己の特性に応じて青少年にたいする思想教育活動を高い水準でおこなわなければなりません。社労青が青少年にたいする思想活動を職業同盟や農業勤労者同盟のようなやり方でおこなうならば、青少年は喜ばないでしょう。社労青は、中学生や大学生、それにある程度の水準にある人たちを相手にするだけに、そのレベルに応じた思想教育をおこなうべきです。

 特に社労青は、青少年学生を社会・政治活動をする生きた人間に育成しなければなりません。いま、みなさんは、青少年学生を生きた人間に育てるように教育していません。

 学生を例にとってみても、社会的運動や政治活動などは、ほとんどしていません。ただ学校で勉強をし、シャベルを肩に建設場に出かけて労働をしているだけです。これではいけません。社労青組織は、青年学生にいろいろな任務を与え、かれらを政治活動家に育てあげなければなりません。社労青の活動しだいで、青年学生は年間をつうじて不断に活動することができ、その過程で多くのことを学ぶことができます。

 私は以前、青年運動を大いにおこなった経験があります。地下闘争をしながらも、また遊撃区でもおこない、遊撃隊伍内でも青年活動を極力援助しました。我々が青年活動をしたときには、青年たちに常に任務を与え、不断に活動させました。ですから、手もちぶさたな青年は一人もいませんでした。

 私が吉林で学生運動をしたころにも、学生たちに次々と任務を与えたので、70〜80名の朝鮮人学生はみな忙しく走り回ったものです。かれらは、学校で授業を受け、家に帰って宿題をすませたのち、残りの時間は組織から与えられた任務の遂行に没頭し、悪さをする時間も、他のことを考える余裕もありませんでした。当時、私はその学生たちを中核にしていろいろな活動をおこないました。学期末の休みには、学生たちに周辺の農村を一つずつ担当させ、人民を革命化する任務も与えました。このようにして、吉林周辺の農村をことごとく革命化しました。私もいくつかの農村集落を直接担当し、それらを革命化しました。私は当時、農村に出かけ、学校を設けて学生に講義をさせたり、歌を教えさせたりしました。

 そのほかにも演劇の公演をはじめ多彩な活動をおこないましたが、青年学生たちに脚本を書かせたり、歌をつくらせたりする任務も与えました。そして、それができあがると全員が集まって、各作品の善し悪しを評価し合いました。もちろん、最初は脚本や歌の出来ばえがかんばしいものではありませんでしたが、いくども書き直し、討論をかさねる過程で、しだいに上達していきました。青年たちはこのような討論をかさねるなかに、多くの文学・芸術知識を習得していきました。こうした活動のほかにも、日曜日にはテニスなど各種の運動や娯楽も催し、青年たちの好奇心を引きつけました。

 このように、青年学生を積極的に組織し、活動させて、かれらを社会の改造者、社会の開拓者に育てあげました。

 青年活動に綿密に取り組めば、すべての青年を革命家に育てあげることができます。以前私と一緒に活動した人たちは大部分が革命に参加しましたし、また、直接革命闘争には参加しなかった人も悪いことはしませんでした。

 青年時代に正しい教育を施し、確固とした世界観をもたせるのは非常に重要なことです。それゆえ、みなさんは、青少年との活動に深い関心を払い、革命思想でしっかり教育しなければなりません。

 社労青組織は、特に労働青年、学生青年との活動に力を入れ、かれらがすべて社会・政治活動に習慣づけられるようにしなければなりません。随所にあるクラブや学校の講堂などは、すべて社労青組織の格好の活動舞台です。こうした手段を有効に利用して芸術公演や講演会、科学討論会、学術発表会など、各種形式の集いを催し、青年学生を積極的に活動させなければなりません。

 社労青組織は活動を綿密に組織し、各部門の青年をすべて活動させるべきです。青年突撃隊にたいする活動も強化しなければなりません。青年突撃隊に参加した青年のなかには、詩を書ける人、歌の上手な人などいろいろな才能をもった人が多いはずです。社労青組織は、かれらをすべて活動させるための組織・政治活動に力を入れなければなりません。青年は血気旺盛であるため一晩ぐっすり眠れば疲れがほぐれます。したがって、組織・政治活動しだいでは、建設でも多くの成果をあげることができます。

 青年学生を社会・政治活動に積極的に参加させれば、かれらは自分たちも社会の改造と社会の革命化に参加した一員であることを自覚して光栄に思い、社会の改造者、社会の建設恵としての高い自負をいだいて革命活動に献身するでしょう。

 職業同盟組織の役割を高めるべきであります。職業同盟は、ほぼ70万の人を対象としているとのことですが、かれらをすべて革命化するためには、この同盟の活動家がさらに奮闘しなければなりません。

 職業同盟の活動内容については、すでに具体的に述べてあります。この5月の第2回全国チョンリマ(千里馬)作業班運動先駆者大会では、3つの課題を明示しました。それは、対人活動、対設備・資材活動、対書籍活動ですが、対人活動とは勤労者にたいする教育活動に力を入れることであり、対設備活動とは設備を不断に改造する一方、新しい設備をつくりだすことであり、対書籍活動とは学習に精励するということです。この3つの課題は結局、職業同盟組織が、思想革命、技術革命、文化革命に力を入れるということです。

 職業同盟の活動家がこの課題を立派に遂行するためには、多くの仕事をしなければなりません。非党員にたいする思想教育を強化し、出身階級の複雑な人たちを改造する活動もおこなうべきです。これがとりもなおさずチョンリマ作業域運動の中心的課題です。このほかにも、技術革新発表会、技術革新者討論会、技術革命にかんする経験交流会など、職業同盟組織のなすべき仕事は山ほどあります。

 現在、クラブは各工場ごとにあるので、職業同盟が勤労者にたいする教育活動をするには非常に好都合です。職業同盟では、工場、企業所のクラブを遊ばせず、効果的に運営しなければなりません。

 職業同盟の活動でもやはり最も重要な課題は、勤労者を革命化する活動を立派におこなうことです。かねがね言っていることですが、生産向上の基本的環は対人活動を正しくおこなうことです。対人活動を活発に進めて勤労者を革命化すれば、生産も向上するものです。それゆえ、みなさんはいろいろな方法で政治活動を進め、勤労者の教育改造と革命化に積極的に取り組むべきです。

 次に、農業勤労者同盟組織の役割を高めなければなりません。

 いま他の組織に加入していないこの組織の同盟員は120万余りもいるそうですが、この同盟の活動対象も膨大なものです。農業勤労者同盟では、批判よりも教育活動に力を入れるべきです。党員でもない人に批判ばかり加えても、たいした成果を期待することはできません。

 農民が夏季に学習するというのは無理なことです。しかし、農民も冬と春、すなわち11月から翌年の4月にかけての6か月間は学習ができます。農業勤労者同盟では、この期間を有効に利用し、農民のあいだで学習を強化しなければなりません。この組織の機関紙の発行回教はさほど多くする必要がありません。現在、農業勤労者同盟新聞が1週間に一度発行されるそうですが、それぐらいが適当です。

 農業勤労者同盟は、民主宣伝室を内容的に充実させ、それを正しく運営しなければなりません。農村の民主宣伝室は暖房に留意すべきです。そして、椅子をそろえたりせず農村式にオンドルをおき、床紙をはったほうがよいでしょう。そして、火をくべて室内を暖かくし、老人たちも遊びに来るようにしなければなりません。さきほども述べたように、老人のなかから責任者を選び、よく準備させたうえで小説を読ませたり、簡単な講演資料の内容などを語らせれば成果をおさめることができます。民主宣伝室では、将棋などもさせるようにすべきです。将棋をさすときにも有益な話をさせ、人々の興味を引くようにしなければなりません。このような方法で人々を教育すべきであって、無理矢理に呼びつけてきて学習させようとするのでは、民主宣伝室を満足に運営することができません。

 次に、女性同盟の活動を強化すべきであります。現在、女性同盟の活動対象は50余万にも達するとのことですが、これも相当な数です。女性同盟では、家内作業班で働く女性もすべて活動対象に含めなければなりません。

 女性同盟では、母親学校の運営に力を入れるべきです。全国の母親学校数は11万2000校であり、それに参加する女性の数は217万とのことですが、女性同盟は母親学校を順調に運営するだけでも大仕事です。母親学校を効果的に運営すれば、女性たちは多くの知識を学び、この学校をとおして革命化することができます。

 母親学校は、女性教育の立派な根拠地であり、重要な教育拠点です。それゆえ、女性同盟組織は母親学校を単なる文字習得の場としてではなく、女性革命化の場として有効に利用しなければなりません。そのためには、母親学校の講師を有能な人でかため、たびたび講習をおこない、テキストも立派に作成して与えるべきです。

 母親学校では、歌の普及も活発におこなうべきです。すでにうたわれている歌を普及する一方、家をきれいにととのえる問題、子弟教育に力を入れる問題などの歌をつくり、母親たちに普及しなければなりません。いま歌の旋律を難しいものにしていますが、そんなことをせず簡単でうたいやすく作曲し、母親たちにも親しめるようにすべきです。


 3 勤労者団体の中核隊列をかためるために

 勤労者団体の活動を強化するうえでなによりも重要なのは、中核隊列をしっかりとかためることであります。中核分子がいなくては、革命闘争であれ建設事業であれ成果をおさめることができません。

 あらゆる生命体は、核があって形成され成長するものです。これは、生物有機体の発展法則であるといえます。果実も核である種子があって形成され生長します。

 党もやはりこのように組織されなければ、威力ある党となることができません。しかし、党の中核がいかに強固であっても、勤労者団体がもろければ用をなさず、勤労者団体をかためるためには、やはり中核が必要です。

 人民に卵を供給するためひよこで試験をはじめてから3年になりますが、卵の生産問題もまた、原種場をかためることなしには解決できないことを示しています。以前、人民に卵を供給するためいろいろ手をつくしたにもかかわらず、これといった成果がなかったのは、強固な原種場がなかったためです。もちろん、我々はここから直ちに教訓をくみとり、しっかりと手はずをととのえて取り組みました。そしてまず、核をかためることにし、原種場の建設にとりかかりました。

 なにごとも、まず中核をかためてこそ、順調に運ぶものです。

 解放直後の、党と国家、人民武力建設の経験をみても、中核隊列をかためることがいかに重要であるかを知ることができます。事実、解放直後の我が国の情勢は複雑を極めていました。当時の党内状況をみても「朴憲永(パクホンヨン)派」「呉淇燮(オギソプ)派」「延安派」「イルクーツク派」といった有象無象がとぐろをまいていましたが、かれらは、それぞれの主人を後ろ盾にして追従し、各派がそれぞれ高い地位にありつこうと狂奔しました。それで、我々は党の創立と人民政権樹立のさい非常に苦労しました。

 しかし当時我々には、困難な抗日革命闘争の過程で育った中核がいました。数のうえではさほど多くありませんでしたが、それでも、あらゆる艱難辛苦に耐え、革命闘争の嵐のなかで鍛えられた共産主義的中核があったため、自己の指導者を前面に押し立ててそのまわりにかたく結集し、直面した厳しい難局を勇敢に乗りきることができました。その後、革命の各時期におり重なる難関と試練を英雄的に克服し、革命の節操を固守して動揺することなく前進するごとができたのも、主には我が党と国家、そして人民武力が、抗日革命闘争のしっかりした根をふまえて育ち、抗日武装闘争の苦難にみちた試練のなかで育った共産主義的中核を根幹にしてかためられていたからです。

 勤労者団体も中核からかためてこそ成果を期待できるのであって、中核なくしては成果を望むことができません。

 中核という場合、まず幹部を中核とみるべきです。同時に、一般同盟員のなかからも堅実な人を選んで中核に育てあげるべきです。一般同盟員のなかに中核がいてこそ、1人が10人、10人が100人、100人が1000人を教育して全同盟員を党のまわりにかたく結集し、かれらを革命課題の遂行に向けて正しく組織動員することができます。勤労者団体の委員長や副委員長あるいは数名の部長の力だけでは、同盟員を教育し、党のまわりに結集させる組織・政治活動を担当することはとうてい不可能です。

 党の思想を教え、大衆の先頭に立って革命課題を遂行すべき中核がいなければ、悪質分子が奸策を弄するおそれがあります。かれらは、うわべでは「万歳」を高唱し仕事に励むふりをしますが、裏にまわると腹に一物をもって仕事をしようとしません。こうなると、党の路線と政策がいかに正しくても、それは実行されません。

 それゆえ、みなさんは、中核をかため、広範な大衆を党のまわりに結集する活動を力強くおし進めなければなりません。こうしなければ、党と革命にいかなる助力も与えることができません。

 いま活動家たちは、中核をかためる必要性については理論的にも知っており、論ずることはできますが、実践面では中核のかため方を知らず、党の意図とは大きく逸脱した行動をとっています。

 みなさん自身が全同盟員を直接担当して教育できない状況のもとで、市、郡や工場および学校の各勤労者団体幹部などの中核をしっかりとかため、かれらをつうじて広範な大衆を革命課題の遂行へと組織動員しないことには、活動で成果を達成することができません。

 実際のところ、みなさんが大学などで堅実な青年活動家を一つの学部に大勢でなくても20〜30名程度結集するなら、学部が勢いづいて仕事を進めることができるはずです。30名はいざしらず5、6名の中核分子がいても大きな仕事ができます。中学校の場合も同じです。中学校などでも生徒や教員のうち堅実な中核分子を10人余り掌握すれば、仕事を立派に進めることができます。

 ところがいまみなさんは、中核の育成に極めて無関心です。みなさんに、自分たちが対象としている大衆のうち中核分子はどれほどおり、どの工場、どの大学の青年のうち誰が中核分子であるかとたずねても、おそらく満足に答えられないと思います。みなさんの目には、一様に平凡な青年としか映らないのでしょう。みなさんのように、誰が中核分子であるかも知らず、その育成の仕方も知らないのでは、勤労者団体の活動を党が要求する方向で満足に進めることは決してできません。

 中核隊列をかためるうえでなによりも重要なのは、不純分子がまぎれこまないようにすることです。中核隊列に有象無象がまじりこむようなことがあっては決してなりません。中核隊列にはあくまで堅実な人を選んで組み入れるべきです。中核隊列は、徹頭徹尾、中核分子となりうる表徴をそなえた人たちでかためるのが原則です。みなさんが堅実な人たちで中核をかためれば、それからはその中核分子の作用によって卵が生まれます。このように、中核分子が卵を生めば、それをひなにかえし、こうして一人の中核分子が10人になり、10人が100人、100人が1000人となって隊列はしだいに拡大されていくのです。これが、我々の革命活動展開の方式です。

 中核をかためるにあたっては、まず、幹部陣容を実質的にかためる必要があります。幹部陣容がととのったあとは、かれらを十分に準備させ、かれらがまた中核分子をかためるようにしなければなりません。これは、私がきょうはじめてみなさんに話すことではありません。さる4月にも勤労者団体の責任幹部を集めて、この問題を強調しました。

 もちろん、幹部陣容をかためるときには、複雑な問題も生じます。しかし、革命のためには、幹部陣容の純潔を保たなければなりません。原種場に他の種子が入りこむのを警戒するように、幹部陣容にも不純分子がまぎれこまないよう強くたたかわなければなりません。これを誤ると、中核分子どころか、とんでもないしろ物がでかねません。

 中核隊列の純潔を保つためには、幹部陣容のなかから分派分子を一掃し、かれらとは妥協することなくたたかうべきです。

 分派分子は、幹部に登用されてもその本性を捨てようとはしません。分派分子は解放前、我が国労働運動と共産主義運動の発展に重大な弊害をおよぼしましたが、それでも改悛してまじめに働くものと考え、解放後、朝鮮革命をともに遂行しようと、ひところかれらを包容し、幹部にも登用しました。朴憲永とも一緒に活動しようと、かれに重要な幹部役職を任せました。党は、かれに外務相をさせ、副首相までさせました。金枓奉(キムトゥボン)や崔昌益(チェチャンイク)にもそのように処遇しました。

 ところが、分派分子らはそれに満足できず、いずれも腹に一物をもって、党と革命に反対し、陰謀を企みつづけました。このような革命の変節漢を放置しておくわけにはいかないではありませんか。なにもしない分派分子に、我々が先に攻撃をしかけたことは一度もありません。常に、かれらからしかけてきました。歴史的な経験は、かつての分派加担者たちを寛大に包容して幹部に登用しても、かれらは依然として懐中に刃をしのばせて党と革命に反対しつづけるということを示しています。それゆえ、党に反対し、革命に反対する者たちには、容赦のない打撃を加えるべきであります。ここには、いささかの譲歩も許されません。

 分派分子たちとは絶対に妥協してはならず、かれらが幹部陣容にまぎれこまないように警戒心を高めなければなりません。他方、かつて分派分子がひろめた毒素を一掃するために強くたたかうべきです。

 幹部陣容に不純分子がまぎれこむのを防ぐためには、人々を十分に把握しなければなりません。

 ところが、いまみなさんは、幹部にたいする理解を軽視しています。みなさんが新たに勤労者団体の活動に責任をもち、仕事に着手してからすでに1年以上たちましたが、その間、人々をどの程度理解したかをテストするなら、多分全員が返答につまると思います。

 みなさんは、人々を十分に把握しようとしないのが大きな欠点です。社労青を例にとってみても、活動家たちは目的もなく駆けずり回るばかりで、自分が担当する幹部たちを正確に把握しようとしていません。私のみたところでは、みなさんが道社労青委員長についてもよく知らないようであり、郡社労青委員長についてはほとんど把握のないまま仕事をしているようです。勤労者団体の中央クラスの幹部は、郡責任者までは全員把握していなければなりません。

 人々を具体的に把握するためには、常に人々と会って個別的な話し合いや教育、点検もおこなわなければなりません。そうせずに、年中、決定書を下部に送りつけ、執行委員会や総会を開いてばかりいたのでは人々を満足に把握することができません。こういう活動の仕方をしたのでは、うわべでは「万歳」を高唱し、腹に一物もっている異分子を摘出することができず、まかり間違えばそういう者を幹部に登用しかねません。

 党の唯一思想体系確立の問題と関連して誤りをおかした人を調べてみたところ、意識的な行動が少なくありません。それゆえ、これらのことを教訓とし、幹部を詳しく理解し、堅実な人でかためるべきです。うわべは堅実な人に見えても、腹に一物をもち面従腹背する人はいくらでもいるものです。もちろん、かといってむやみに人を疑えというのではありません。同志を信頼し、不断に任務を与え、いろいろな仕事をつうじて点検しなければなりません。点検せずしては人を理解することができません。同志を信頼して任務を与え、その遂行をつうじて点検するのが、常々私の強調している党活動の原則であります。

 職業同盟には、これまで堅実な人が幹部になった例がありません。そのため、かれらは公然と党に反対することはできませんでしたが、こそこそと鼠が布団をかじるように徐々に侵食して、革命活動に大きな弊害を及ぼしました。

 もちろん、だからといって職業同盟で働いた人をすべて締め出せというのではありません。思想鍛練と思想改造をおこなうとともに、堅実な人をより多く結集しなければなりません。

 みなさんが確かな目をもって幹部陣容を堅実な人でかためれば、修正主義も浸透することができません。こうしないと、外国でのように資本主義が息を吹きかえし、転覆された搾取階級の残存分子が頭をもたげるおそれがあります。

 勤労者団体では、幹部にたいする理解と配置を党に依存することなく、同盟自体で調査して党に提起しなければなりません。そうすれば、みなさんがさらに多くの幹部を把握することができ、幹部職の空席も速やかにうめることができます。

 幹部陣容を堅実な人でかためるだけでなく、かれらをたえず教育改造し、鍛えなければなりません。

 私が常々、言っていることですが、鉄も高炉から出てきたばかりの時はさびもせず強靭なのですが、手入れを怠り野外に放置しておくと酸素の作用によってさびがつき、腐食してついには使えなくなってしまいます。これと同じように、いかに堅実な人を幹部に登用しても、たゆみなく教育し鍛えなければ変質をきたし、幹部の職責をまっとうすることができなくなります。社労青の例をとってみても、正直のところ、社労青をこれまで我々が堅実な人でかためようと努力したのですが、多くの人が変質してしまいました。それは、幹部を配置するだけで、かれらに明確な任務も与えず、思想教育も怠ったことに起因しています。

 それゆえ、鉄がさびつくのを防ぐため、日ごろからみがき、油でふき、必要に応じては、ペンキをぬり、メッキをするように、幹部を常に教育、鍛練し、変質しないようにすべきです。

 各党組織は、勤労者団体が中核分子、特に幹部をかためる活動に実質的な援助を与えなければなりません。党内にいて勤労者団体の活動についてとやかく言うのは簡単ですが、直接組織活動をするのは難しいものです。それゆえ、私の考えでは、党活動家が勤労者団体の組織活動を誠心誠意援助すべきだと思います。

 出典:『金日成著作集』23巻


ページのトップ


inserted by FC2 system