金 日 成

1 朝鮮民主主義人民共和国の栄光に輝く20年


  同志のみなさん!

 権力にかんする問題は、革命における基本問題であり、革命の勝敗と建設事業の成果を左右する死活の問題であります。労働者階級は自己の手に権力を揺り、その機能と役割をたえず高め、プロレタリアート独裁を強化していくならば、完全な階級的および民族的解放をかちとり、社会主義・共産主義の偉業をなし遂げることができます。

 朝鮮の共産主義者は革命を指導する全過程において、一貫して権力問題に最大の関心を払い、その正しい解決のために全力をつくしてきました。

 朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮の共産主義者をはじめ、愛国的人民の栄光にみちた抗日武装闘争の輝かしい革命伝統を受け継いだ政権であり、我が党の指導のもとに朝鮮人民が内外の敵との苦難にみちたたたかいをつうじてかちとった革命の偉大な獲得物であります。

 朝鮮人民は長いあいだ、民族の独立と権力の獲得のために英雄的にたたかい、多くの血を流しました。労働者階級は、搾取階級の権力機構をくつがえし、自己の政治的支配を確立するためのたたかいで革命的暴力なしには勝利することができません。朝鮮における日本帝国主義植民地支配機構は、朝鮮人民にたいする過酷なファッショ的暴圧機構であり、したがって、革命的暴力によってのみ権力をかちとることができました。朝鮮の共産主義者と愛国者は、革命的暴力と革命的武力に大きな意義を与え、マルクス・レーニン主義思想を指針にして、祖国の解放と朝鮮人民の民族独立のために日本帝国主義に反対する先進的な労働者、農民、愛国青年で抗日遊撃隊を組織し、15年間にわたる英雄的武装闘争をくりひろげました。

 抗日武装闘争は、祖国の解放と権力獲得をめざす朝鮮人民の民族解放闘争を新たな高い段階に発展させ、人民政権を樹立するための強固な基礎をきずきあげました。朝鮮の共産主義者は、我が国における革命発展の合法則的要求から出発して、そして、民族的・階級的矛盾と社会経済的条件を科学的に分析した基礎のうえで、今後うち立てるべき政権は、労働者階級の指導する労農同盟にもとづき、広範な反日勢力の統一戦線に依拠する人民革命政府でなければならないという路線をうちだしました。この路線は、既に祖国解放闘争当時に祖国光復会の十大綱領によって定義づけられました。これとともに、苦難にみちた抗日武装闘争の試練のなかで、大衆との血のつながりをもち、人民のためにすべてをささげてたたかうことのできる、鍛練され、洗練された数多くの共産主義者が育成され、人民政権を創建するための革命的根幹が準備されました。

 解放後、朝鮮人民は、抗日武装闘争の時期に提起したまさにこのようなマルクス・レーニン主義的人民政権路線と貴重な活動経験にもとづいて、抗日武装闘争の過程で育成された共産主義者の正しい指導のもとに、内外の敵との激しいたたかいのなかで人民政権をうち立て、民主主義的な新しい祖国の建設に踏みだしました。

 日本帝国主義にかわって南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義者は、反動勢力をかきあつめて民主主義的自主独立国家の建設をめざす朝鮮人民の闘争を破綻させようと、策動のかぎりをつくしました。敵の破壊・謀略策動とともに、左右の日和見主義分子も人民政権の樹立をめざす朝鮮人民のたたかいに多くの難関をつくりだしました。解放直後、右傾降伏主義分子は、我が国にブルジョア共和国を立てるべきだと主張しました。かれらは、絶対多数の人民大衆の根本的利益にそむいて親日的な地主や資本家の利益を代弁しました。また極左分子は、解放直後から直ちに我が国にプロレタリアート独裁政権を立てて社会主義革命を遂行しなければならないと騒ぎたてました。かれらは、我が国の社会発展の客観的要求を無視し、民主主義革命の段階をとびこえようとしました。

 朝鮮人民は、共和国北半部に強力な民主基地を創設する党の正しい政治路線にもとづいて、民族および階級の敵と左右の日和見主義者の陰謀策動をそのつど粉砕し、広範な大衆的基盤をもつ真の人民政権を樹立するためにたたかいました。我々は新しい祖国の建設を志向する各党、各派、各階層の民主勢力との統一戦線をはり、広範な人民大衆を立ちあがらせて、日本帝国主義の旧植民地支配機構を徹底的に粉砕し、全国各地で人民委員会を組織し、それにもとづいて新しい型の政権である北朝鮮臨時人民委員会をうち立てました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、労働者階級の指導する労農同盟にもとづいて広範な反帝反封建的民主勢力を結集している民主主義民族統一戦線に依拠した人民政権として、人民民主主義独裁の機能を果たしました。

 この政権に提起された基本的課題は、祖国光復会の十大綱領と20か条の政綱を実現することによって、反帝反封建的民主主義革命の課題を完遂し、北半部に革命的民主基地を創設することでありました。

 民主改革を実施することは、我が国の社会経済発展の合法則的要求でありました。民主改革を実施してはじめて、地主、買弁資本家をはじめ、反動階級の経済的基礎をなくし、社会進歩のための道を大きく開くとともに、人民政権の社会経済的基盤をかため、北半部を強力な革命的民主基地に変えることができました。

 土地問題は、民主主義革命の段階においてまず第1に解決しなければならない焦眉の問題であります。土地問題の解決なしには、農村に根をおろした反動勢力の経済的基盤をなくし、農民を封建的搾取から解放して、かれらの政治的熱意を著しく高めることも、国の全般的な政治・経済・文化生活を民主化するための社会的・政治的基盤を強化することもできません。また土地改革を実施してこそ、農業生産力を封建的束縛から解放して速やかに発展させ、民族工業と全般的民族経済の復興発展を力強く推進することができます。土地問題の解決は、農民が人口の絶対多数をしめる立ち後れた植民地農業国であった我が国において、特に重要な意義をもっていました。

 我々の人民政権は、我が国農村の階級的な力関係と土地所有関係、土地にたいする農民の世紀的宿望を十分に考慮して土地没収の対象を規定し、地主の土地を無償で没収して、土地がないか、または少ない農民に無償で分け与える方法で、土地改革を徹底的に遂行しました。

 反帝反封建民主主義革命の課題を遂行するうえでいま一つ重要な問題は、植民地支配者と買弁資本家の所有であった重要な基幹工業、運輸、逓信、銀行、商業および対外貿易を国有化して、それが人民の利益のために利用されるようにすることです。帝国主義者と買弁資本家が経済の命脈を掘っているかぎり、かれらによる略奪と搾取をまぬがれることはできず、国の自主独立と隆盛発展を期待することはできません。外国独占資本家やかれらと結託した買弁資本家の所有を一掃し、経済の基本命脈を国家が直接握ることなしには、帝国主義者と国内反動の政治的・経済的基盤をなくすことができないし、国の重要な生産手段を民族経済の自主的発展と全人民の福祉増進に利用することも、社会主義経済の土台をきずくこともできません。

 我々は、土地改革につづいて日本帝国主義者と買弁資本家の所有であったすべての産業施設を没収して国有化しました。重要産業を国有化した結果、あらゆる社会的不幸を生みだした禍根が産業分野から基本的に取り除かれ、社会主義的生産関係が発生し、民族経済を計画的に発展させることのできる基盤がきずかれました。

 人民政権は経済改革を成功裏におこなうとともに、勤労者の民主的な自由と権利を全面的に保障するための労働法令、男女平等権法令などの民主諸改革をおこないました。労働法令と男女平等権法令が施行された結果、労働者階級にたいする無制限な搾取関係はなくなり、女性は封建的従属からぬけだして、社会生活のすべての分野で男子と全く同じ権利をもつようになりました。

 新しい社会を建設するうえで最も重要な問題の一つは、みずからの民族幹部の陣容を強固にきずきあげることです。特に、日本帝国主義の植民地的奴隷教育政策によって、民族インテリが極めて少なく、住民の絶対多数が現代技術の文明から遠くとりのこされていた我が国の状況において、この問題は、革命と建設の成果を左右するかなめの問題として提起されました。民族幹部の問題を解決するうえで、古くからのインテリを革命と建設に積極的に参加させることは極めて重要な意義をもっています。我々は、我が国の古くからのインテリの大部分が有産階級の出身として、過去にはやむをえず帝国主義や搾取階級に奉仕したとはいえ、植民地のインテリとして、外国帝国主義の抑圧と民族的差別待遇を受けたために反帝革命意識をもっていることと、勉強をし真理を把握しているという点では、社会発展の法則に従って、先進的な階級である労働者階級に奉仕できるということを考慮し、かれらをためらうことなく信じ教育改造して、新しい社会の建設に積極的に参加させる方針をとりました。これとともに、解放直後の困難な条件のもとでも教育を民主化し、労働者、農民出身の新しいインテリを大々的に育成するため、大学と専門学校をはじめ、各級学校を全国いたるところに広く創設する積極的な措置をとることによって、民族幹部養成事業で大きな成果をおさめました。

 我が党と人民政権は、北半部の民主基地を政治的、経済的に強化する一方、人民民主主義制度を敵の侵害から守る革命武力である朝鮮人民軍を創建しました。

 民主主義革命の課題が成功裏に遂行された結果、社会経済制度の植民地的・半封建的性格が完全に取り除かれ、北半部の社会経済関係は根本的に変わりました。共和国北半部の人民経済では、国営と協同経営からなる社会主義的経済形態が指導的地位をしめるようになり、そのほかに、個人農経営と都市の手工業経営からなる小商品経済形態と、都市の資本主義的私営商工業と農村の富農経営に局限されたわずかばかりの資本主義的経済形態が残るようになりました。

 このような新しい経済関係にもとづいて、我が国の社会の階級関係も根本的に変わりました。北半部で地主、買弁資本家、親日派、民族反逆者が一掃され、勤労人民が国の主人となり、労働者階級の指導的役割が高まり、労農同盟がさらに強化されました。

 こうして、北半部には人民民主主義制度が確立され、祖国統一のゆるぎない保証である強力な革命的民主基地がきずかれました。

 民主主義革命が完遂されるにつれて、北半部ではしだいに社会主義革命に移行しうる条件がととのえられました。そこで我が党は、革命の武器である人民政権を社会主義革命の任務の遂行にかなうようにいっそう発展させる課題を提起しました。こうして、歴史的な最初の民主選挙を実施し、北朝鮮人民委員会を創設しました。これは、我が国に生まれた最初のプロレタリアート独裁政権でありました。北朝鮮人民委員会は、社会主義革命と社会主義建設の強力な武器として、しだいに社会主義に移行する過渡期の任務を遂行し、人民経済を計画的に発展させるためにたたかいました。

 解放直後から1948年8月までの3年間の革命と建設でおさめたこれらの大きな成果によって、人民政権の社会経済的基礎は強固になりました。特に革命発展の各段階で、労働者階級の指導する労農同盟と人民大衆の政治的・道徳的団結をたえず強化し発展させてきた党の正しい方針によって、人民政権の政治的基盤はさらにかためられました。民主主義革命の課題を遂行するたたかいの過程で、数多くの中核分子と革命的根幹が育成され、広範な人民大衆がめざめ、全般的に我々の革命力量はさらに成長しました。こうして解放後3年間に、自主的で民主主義的な統一独立国家を建設するための強固な土台がきずかれました。

 朝鮮民主主義人民共和国は、北半部で達成された偉大な社会経済的変革にもとづいて、さらに露骨になるアメリカ帝国主義者とその手先の植民地従属化政策と民族分裂策動に反対する民族あげての闘争のなかで、全朝鮮人民の総意によって、1948年9月に創建されました。

 朝鮮民主主義人民共和国の創建は、祖国の自由と独立をかちとろうとする朝鮮民族の一致した念願の具現であり、朝鮮労働党の賢明な政策を心から支持してそのまわりにかたく団結し、富強な自主独立国家を建設するための誇りにみちたたたかいで朝鮮人民が達成した輝かしい勝利であり、社会主義・共産主義の輝かしい未来に向かって進む朝鮮人民の革命闘争において画期的な意義をもつ大きな出来事でありました。

 朝鮮民主主義人民共和国が創建された結果、朝鮮人民はかつて外国帝国主義者に国を奪われてあらゆる虐待とさげすみを受けてきた民族から、なにびとも、あえて侵すことのできない強力で尊厳のある民族に、権力を自己の手に握って自力で祖国を建設していく英知ある自主独立国家の人民となりました。共和国の創建によって、朝鮮人民は亡国の民のつらい運命から永遠にぬけだして、堂々たる独立国家の旗のもとに新しい歴史の舞台に登場し、長いあいだ世界地図の上で光を失っていた我が祖国は、世界の大小諸国と同等の権利をもって国際舞台に進出するようになりました。

 朝鮮民主主義人民共和国の創建によって、朝鮮人民は朝鮮における社会主義・共産主義偉業を徹底的に遂行することのできる、さらに強力な武器をもつことになりました。朝鮮人民は、社会主義的自主独立国家をもつようになった結果、全国的規模で反革命勢力にたいする革命勢力の決定的な優勢を保障しうるようになり、帝国主義者とあらゆる反動の策動を断固としてうち、しりぞけ、革命闘争と建設事業を成功裏におし進めていけるようになりました。

 共和国の創建は、自己の運命をみずからの手中におさめ、明るい新しい生活を創造し、分断された祖国を統一するための革命闘争に立ち上がった全朝鮮人民に限りない力と勇気を与え、国の主人となった朝鮮人民の民族的な誇りと自負心をさらに高めました。

 同志のみなさん!

 創建後20年間、我が共和国は、労働党の指導のもとに栄光にみちた勝利の道を歩み、社会主義革命と社会主義建設の武器としての役割を立派に果たしてきました。共和国政権は、創建当初からプロレタリアート独裁の機能をたえず強めるとともに、党が示した政治・経済・文化・軍事分野のすべての革命課題を立派に遂行してきました。

 戦前に共和国政権は、くつがえされた搾取階級の反抗を鎮圧する一方、経済分野で資本主義的発展を制限しつつ、国営部門の支配的地位を保障し、民族経済を計画的に発展させるためにたたかいました。共和国政府は、1947年と1948年の人民経済計画の遂行でおさめた成果にもとづいて、1949〜1950年の2か年人民経済計画を立て、人民大衆をその遂行へ積極的に奮起させることによって、生産関係の社会主義的改造を一歩一歩準備し、経済の植民地的跛行性を取り除き、自立的な民族経済の土台をきずくうえで大きな成果をおさめました。

 しかし、社会主義へ移行するための共和国政権の準備活動と朝鮮人民の平和的な労働は、アメリカ帝国主義者とその手先の強盗的な武力侵攻によって、一時中断しなければならなくなりました。

 アメリカ帝国主義者によって強いられた3年間にわたる戦争は、祖国の運命を左右する決戦であり、我が共和国と人民にとって、最も厳しい試練でありました。アメリカ帝国主義者は、共和国を幼少期に圧殺してしまおうと必死になって襲いかかってきました。しかし敵は、侵略者にたいする憎しみに燃えて正義の抗戦に一丸となって立ち上がった英雄的な朝鮮人民を屈服させることはできませんでした。

 我が党と共和国政府は、「すべてを戦争の勝利のために!」というスローガンのもとに、すべての活動を戦時体制に切りかえ、全人民を祖国の自由と独立と栄誉を守る英雄的闘争へ力強く呼び起こしました。

 朝鮮人民は、自分たちを搾取と抑圧から解放し、自由で幸せな新しい生活をもたらしてくれた、我が党と人民主権を守るために、前線と後方で高度の愛国的献身性と犠牲的精神を発揮し、水火をいとわず英雄的に戦いました。

 我が党によって教育され育成された勇敢な人民軍将兵は、党と祖国と人民の守り手としての気高い使命を深く自覚して、不屈の革命精神と集団的英雄主義を遺憾なく発揮しました。我が人民軍将兵は南半部地域を解放する苛烈な反撃戦のなかでも、また一時的な戦略的後退の厳しい試練のなかでも、再進撃と陣地防御の激しい戦闘のなかでも、常に勝利の信念もかたく、党と祖国のために、敵に敢然と立ち向かって戦いました。かれらは戦争史上かつてない新しい独創的な戦法を巧みに適用して、戦闘で常に主導権をかたく握り、いたるところで敵に壊滅的打撃を与え、祖国の一つ一つの高地と寸土を生命を賭して守りぬきました。

 戦争勝利をめざす朝鮮人民の英雄的な戦いは、前線だけでなく後方でも強くくりひろげられました。後方の労働者、農民、青年学生、老若男女を問わず全人民が敵の野蛮な爆撃のもとでも少しもひるむことなく、戦時生産と前線援護のために英雄的に戦い、一枚岩のようにかたく団結してあらゆる障害と難関を勇敢にはねのけ、前線の勝利を確固と保証しました。

 我々の偉業の正しさと我が党と共和国政府の積極的な対外活動により、祖国解放戦争において朝鮮人民は世界の多くの国と数億の人民の積極的な支持声援を受けました。ソ連をはじめ、社会主義諸国の人民は我々を物心両面から支援し、中国人民は志願軍を送って朝鮮人民の正義の戦いを血をもって援助しました。社会主義諸国とともに世界のすべての進歩的な国と人民は、一致してアメリカ帝国主義の侵略を糾弾し、朝鮮人民の戦いを積極的に支持しました。このような国際的な支持声援は、朝鮮人民の正義の戦いを力強く励ましました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮戦線に自国の陸軍の3分の1と空軍の5分の1、太平洋艦隊の大部分、そして、15の追随国の軍隊と南朝鮮かいらい軍を含む200余万の大兵力と、莫大な量にのぼる最新戦闘機材を動員し、戦争史上かつてその例をみない野蛮な戦争方法と手段までことごとく用いました。しかしかれらは、なにをもってしてもその苦境から救いだすことはできませんでした。敵は3年間の朝鮮戦争期間に、第2次世界大戦の4年間の太平洋戦争でうけた損失の約2.3倍にのぼる莫大な兵力と軍需機材の損失をこうむりました。

 朝鮮人民の祖国解放戦争は、アメリカ帝国主義をはじめとする国際反動の連合勢力に反対する激しい反帝反米闘争であり、人民の敵に反対する厳しい階級闘争でありました。朝鮮人民は、この偉大な闘争で党と共和国政府の正しい指導のもとに、一心同体となって決死の戦いをくりひろげることによって、戦争の厳しい試練に立派にうちかち、アメリカ帝国主義者とその手先に恥ずべき敗北を与え、歴史的な勝利をかちとりました。

 祖国解放戦争での歴史的勝利は、我が共和国と人民民主主義制度の底知れない生命力と国の主人となった朝鮮人民の不敗の力をはっきりと示しました。この勝利は、マルクス・レーニン主義党の指導のもとに、自己の運命をみずからの手にしっかり握って祖国の自由と独立と進歩のために立ち上がった人民は、いかなる力をもってしても征服することができないことを明らかに示しました。それはまた、戦争勝利の決定的な要因が、ある種の兵器や技術の優勢にあるのではなく、自己の偉業の正しさを深く自覚し、一枚岩のようにかたく団結した人民大衆の力にあるということを実証しました。

 朝鮮人民は祖国解放戦争で偉大な勝利をかちとることによって、世界「最強」を誇っていたアメリカ帝国主義者の鼻っ柱をへしおり、その「強大さ」にかんする神話を粉砕し、アメリカ帝国主義者に下り坂を歩ませる端緒を開きました。朝鮮人民は祖国解放戦争で、社会主義陣営諸国を脅かしていたアメリカ帝国主義者の侵略企図を破綻させて社会主義陣営の東方の前哨地をゆるぎなく守り、世界の平和と安全を守る事業に大きく寄与しました。

 戦争の厳しい試練をつうじて、朝鮮人民はさらにめざめ鍛えられ、我が人民軍は、政治的、思想的に、軍事技術的に洗練され、豊富な戦闘経験をもつ不敗の革命武力に成長しました。特に、戦争の烈火のなかで数十万の革命的根幹が新しく育ちました。苦難にみちた革命闘争のなかで育ったこの革命幹部は、我々が大事にし、愛すべき貴重な宝であり、朝鮮革命の勝利のための極めて大切な元手であります。

 祖国解放戦争で厳しい試練にうちかち、歴史的な勝利をかちとった我々には、破壊された人民経済を速やかに復旧し、零落した人民生活を短時日のうちに安定させるべきさし迫った課題が提起されました。我が国における戦争の被害は、形容しがたいほど甚だしいものでした。都市と農村が廃虚と化し、人民経済のすべての部門が余すところなく破壊され、人民は生活の土台すらほとんど失ってしまいました。

 このような状況のもとで、何からはじめてどう復旧すべきか見当がつかないほど、なすべき仕事は山積し、事情はあまりにも困難でした。

 しかし、我々は少しも失望しませんでした。人民があり、領土があり、党があり、人民政権がある以上、再び新しい生活を建設することができるという、確固とした信念をもって戦後の復興建設にとりかかりました。

 我が党と共和国政府は、重工業の優先的な発展を保障しながら、同時に軽工業と農業を発展させることを戦後の経済建設の基本路線として規定しました。これは復興建設の方向と順序を正しく定めて中心の環を正しくとらえ、それに力を集中することができるようにする最も賢明な方針でした。

 重工業を優先的に発展させずには、戦争によってひどく破壊された我が国の軽工業と農業を成功裏に復興、発展させることができず、人民生活を向上させうる強固な経済的土台をきずきあげることもできませんでした。人民経済の植民地的跛行性と技術的な立ち後れをなくし、民族経済の強固な自立的土台をきずきあげる問題は、ただ重工業を優先的に発展させることによってのみ解決することができました。

 だからといって、重工業にだけ力をそそぎ、軽工業と農業の発展を後回しにするわけにはいきませんでした。戦争によって零落した人民生活を速やかに向上させるためには、穀物と織物をはじめ、消費物資の生産を増大させなければならず、もともと農業と軽工業が非常に立ち後れていた我が国で自立的民族経済を建設するためにも、重工業とともに軽工業と農業を速やかに発展させなければなりませんでした。

 すべてが破壊され、不足している条件のもとで、この路線を貫くのは、非常に複雑で困難なことでした。しかし党と政府は、戦争をつうじて鍛えられ洗練され、党のまわりにかたく団結した人民を信頼し、人民大衆の力と国内のすべての資源を余すところなく動員し、兄弟諸国の援助を効果的に利用することを考慮にいれました。

 我が党が示した経済建設の基本路線は、我が国の経済発展の合法則的要求と現実的可能性を正しく考慮した唯一の正しい路線であり、マルクス・レーニン主義の拡大再生産理論を我が国の具体的な実情に合うように適用した創造的な路線であり、自力更生の革命精神にもとづいて自立的民族経済を早く建設しようとする党の確固たる立場をあらわした革命的な路線であります。

 共和国政府は、我が党が示した経済建設の基本路線にもとづいて、人民経済のすべての部門で戦前の水準を回復することを基本課題とする人民経済復興発展3か年計画を立て、その遂行へと全人民を奮い起こしました。

 我が党と共和国政府の正しい政策に励まされたすべての勤労者は、困苦欠乏にたえ悪戦苦闘しており重なる難関をのりこえ、戦後の3か年計画を成功裏に遂行しました。こうして3〜4年しかたたないうちに、工業と農業生産は戦前の水準を回復したばかりでなく、それをはるかに上回るようになりました。

 我々は戦後復興の困難な課題を成功裏に完遂し、第3回党大会が示した基本的な方向に従って、我が国で最初の長期的な展望計画である5か年計画を遂行する遠に入りました。

 5か年計画の基本課題は、我が国で社会主義の基礎をかため、人民の衣食住問題を基本的に解決することでありました。

 都市と農村で生産関係の社会主義的改造を完成し、社会主義制度を全面的に確立することは、5か年計画の期間になし遂げなければならない社会主義基礎建設における最も重要な課題でした。

 我が党と共和国政府は、発展する革命が切実に要求し、その遂行のためのすべての条件が成熟するにつれて、時を移さず農業協同化問題を提起し、農業の社会主義的改造を完成するために力強くたたかいました。

 我々は農業の社会主義的改造を進めるにあたって、マルクス・レーニン主義の一般的原則を我が国の具体的な実情にあうように創造的に適用して、農業協同化の発展段階と速度、協同経営の形態と規模を正しく規定し、レーニン的自発性の原則を厳格に守り、実践的模範をつうじて農民に協同経営の優位性を認識させたうえで、この運動を着実に発展させました。

 経験的段階で、農機具や役牛が不足し、やせ地をもった貧農だけで組織された農業協同組合を強化し、個人農経営にたいするその優位性を十分に発揮させるうえで、労働者階級の国家の支援は決定的な意義をもっていました。党と政府は、既にきずかれた工業の土台に依拠して、協同組合に化学肥料や農業機械、建設資材を優先的に供給し、食糧や種子用穀物を貸与し、資金の融資を優先的におこなうとともに、協同組合の現物税納入率を著しく引き下げ、重要な営農期ごとに労働支援をおこなうなど、全力をつくして国家的援助を与えました。このような国家的援助と農村の中核分子である組合員の献身的なたたかいによって、農業協同組合はしだいにその優位性をはっきり示しはじめました。協同経営の優位性が実物によって証明され、党の意図が広範な農民のなかに深く浸透すると、中農が協同化運動に参加するようになり、我が国における協同化運動は大衆的発展段階へ移行するようになりました。

 農民が大衆的に協同経営に参加するにつれて、特に協同経営の形態と生産手段の統合方式が重要な問題として提起されました。党と政府は、土地が農民の私的所有になっており、農民の経済状態と意識水準がそれぞれ異なる事情を考慮にいれて、作業を共同でおこなう固定的労働互助班、土地を統合して共同経営をおこない労働と土地によって分配をおこなう半社会主義的形態、土地をはじめ、基本的生産手段を統合し労働によってのみ分配をおこなう完全な社会主義形態という3つの形態を規定し、組合を組織するにあたっては、具体的な実情に応じてこのうちの1つの形態を選ばせるようにしました。組合員の役牛や農機具などの生産手段を統合する場合も機械的におこなわず、希望に応じて統合するか、または一定の時期まで、ひきつづき私的所有に残しておいて共同で利用するようにし、統合する場合は必ずその代価を支払うようにしました。農業協同経営のこのような3つの形態と生産手段の統合方式は、中農をして協同経営をたやすく受け入れられるようにし、協同化の過程で生じうるいろいろな弊害を事前に防ぐようにしました。

 農業協同化運動で我々は、自発性の原則を厳守しながらも、決してこの運動を自然成長性にまかせきりにはせず、農村における社会主義制度の発生と強化発展のために労働者階級の党および国家の指導と援助を強めました。

 我が党と国家は、さまざまな階層の農民を協同経営に引き入れるにあたって、貧農にしっかり依拠して中農との同盟を強化するとともに、富農は収奪し一掃するのではなく、我が国の実情に合うようにこれを制限し、しだいに改造する正しい階級政策を一貫して堅持しました。我が党の富農にたいする方針は、社会主義革命勢力が強大なのに反し富農自体の力が極めて弱く、都市と農村で社会主義的改造が非常に早く進み富農の搾取対象と基盤がなくなっていくにつれて、以前のような方式ではかれらがとうてい生きていけなくなった現実的条件を科学的に考慮した正しい措置でありました。

 我が党と共和国政府のこれらの賢明で創造的な方針に従って、我が国における農業の協同化は、着手してから4〜5年の短い期間に成功裏に完了しました。

 農業の協同化とともに、都市の手工業と資本主義的商工業の社会主義的改造は、社会主義革命の重要な構成部分であります。

 約半世紀にわたる日本帝国主義の植民地支配によって、かつて我が国の経済の重要な部門は日本帝国主義の資本が独占し、我が国における民族資本の発展が非常に制限され、民族資本家の経営はとるに足らないものでありました。解放後、日本帝国主義と買弁資本家の所有であった産業を国有化した結果、我が国の人民経済において社会主義的国営経済が指導的地位をしめるようになり、そのため、もともと微弱であった資本主義的商工業はますます第二義的な役割しか果たせなくなりました。こうした状況のもとで、我々は資本主義的商工業者をしだいに社会主義的に改造する方針をとりました。戦後、資本主義的商工業者の社会主義的改造はいっそう機の熟した要求として提起されました。戦争によって資本主義的商工業は、手工業とほとんど変わらないほどに零細化しました。そのため我が国の企業家と商人は、国家の積極的な援助に頼らずには、そして、自分らの労働力と資金を合同せずには経営をたてなおすことができず、生活を改善することもできない状態におかれていました。このような情勢のもとで、我々は資本主義的商工業者を手工業者とともにいろいろな形態の協同経営をつうじて社会主義的に改造しました。企業家と商人は、生産協同組合に入った結果、他人の労働によって生活していた過去の地位から完全にぬけだして、自分自身の労働によって物質的富を生産する社会主義的勤労者に改造されました。

 農業協同化の完成とともに個人手工業と資本主義的商工業が社会主義的に改造された結果、我が国の都市と農村では社会、主義的経済形態が全一的に支配するようになりました。これは、国の生産力を速やかに発展させるひろびろとした道を切り開き、数千年ものあいだつづいてきた搾取と貧困の根源を取り除き、人民の物質・文化生活を著しく高められるようにしました。

 5か年計画の期間における社会主義建設分野の基本課題は、社会主義的工業化の基礎をきずき、自立的民族経済の土台をつくることでありました。

 戦後の3か年計画が立派に遂行された結果、我が国は復興期から技術的改造期に入るようになりました。我が党と共和国政府は、5か年計画を技術的改造の第1段階と規定し、この期間に社会主義的工業化の基礎をきずくことによって、民族経済の自立的土台をさらに強化し、今後人民経済のすべての部門を最新技術で装備する条件をつくる課題を提起しました。

 社会主義経済建設の分野における5か年計画の課題は、生産を非常に速いテンポで成長させることを要求しましたが、我が国には資材も資金もいっさいのものがことごとく不足していました。ことにこの時期に、共和国北半部にたいするアメリカ帝国主義者とその手先の侵略策動と破壊活動がかつてなく激化し、党内では反党分派分子が革命を裏切って、我が党と政府の指導部を転覆する陰謀活動をおこないました。

 このような重大な時期に、我が党と共和国政府は、マルクス・レーニン主義の革命の旗を高くかかげて、人民を社会主義建設の一大高揚へと確固と導き、すべての勤労者に高度の創造的熱意と力を発揮してあらゆる難関をのりこえ、チョンリマの勢いで前進するよう呼びかけました。党に限りなく忠実な我が国のすべての勤労者は、党中央委員会を断固として支持、擁護し、党の革命的な呼びかけにこたえて、足りないものは探しだし、無いものはつくりだし、いっさいの古い基準と通常能力を打ち破り、新しい基準と奇跡をつくりだすことによって、社会主義建設のすべての分野で一大革新を引き起こしました。こうして、社会主義建設は非常に速いテンポで進み、朝鮮人民は膨大な5か年計画を工業総生産額のうえでは2年半で、現物指標のうえでは4年間で超過遂行するという驚異的な成果を達成しました。

 我が国におけるチョンリマ運動は、社会主義建設のこのような大高揚のなかではじまりました。チョンリマ運動は、我が党のまわりにかたく団結した朝鮮人民の偉大な創造力のあらわれであり、社会主義建設を最大限に早めるための全人民的な運動であります。チョンリマ運動は、経済・文化建設での集団的革新と勤労者を教育改造する活動とを有機的に結びつけた大衆的な運動であり、社会主義建設における我が党の総路線となりました。我が党と共和国政府は、チョンリマ運動をひきつづき深化発展させることによって、勤労者の政治的熱意と創造力を高度に発揮させ、経済と文化、思想と道徳のあらゆる分野で大きな革新をもたらしました。

 5か年計画が成功裏に遂行された結果、我が国の北半部における社会主義基礎建設の歴史的課題は成功裏に実現し、我が国は自立的民族経済の強固な土台をもつ社会主義的工業・農業国になりました。

 我が党第4回大会は、5か年計画の遂行でおさめた偉大な成果を総括し、社会主義建設をさらに前進させるための7か年計画の展望課題を示しました。7か年計画の基本課題は勝利した社会主義制度に依拠して、全面的な技術改造と文化革命を遂行し、人民生活を画期的に向上させることであります。ここにおいて、かつて産業革命をおこなえず、資本主義的発展段階を正常にへずに旧社会から立ち後れた生産力を引き継いだ我が国において、技術革命の遂行は特に重要な意義をもっていました。

 新しい社会の建設で輝かしい成果をおさめた我が国のすべての勤労者は、勝利者としての高い誇りと未来へのより大きな希望をいだいて、新たなひろびろとした展望を示した7か年計画の雄大な綱領を実現するために英雄的にたたかってきました。しかしこの数年間、アメリカ帝国主義者の侵略策動がさらに露骨になるにつれて、我々は国防力の強化に追加的により大きな力をふり向けなければならなくなり、これと関連して、我が国の経済の発展は予定よりある程度おくれるようになりました。経済の発展に一定の影響を与えても、国防力を鉄壁にうちかためてこそ、敵の侵害から社会主義の獲得物を守り、社会主義建設のための勤労者の平和的労働もしっかりと守ることができます。情勢の変化にともなって国防力をさらに強化するのは、我が国の革命と建設の根本的利益に全く合致するものです。そのため、党代表者会議は経済建設と国防建設を並進させる新しい革命的路線をうちだし、その貫徹へすべての勤労者を奮い立たせました。

 英雄的労働者階級をはじめすべての勤労者は、党代表者会議の決定を支持してチョンリマの意気込み、一当百の気勢で社会主義経済建設と国防建設の各分野で力強くたたかい、世人を驚嘆させる成果をあいついで達成しました。いま共和国創建20周年を迎えている我が国のすべての工場、企業所、鉱山、炭鉱、鉄道、港湾や協同農場では、ひきつづき革命的大高揚が起こっており、7か年計画の遂行で決定的意義をもつ今年度の計画は、期間をはるかに繰りあげて完遂されることが予定されています。我々は今年、石炭、化学肥料、主な非鉄金属、木材など一連の工業部門で7か年計画の生産目標を十分達成できるという確信をもつことができます。

 同志のみなさん!

 共和国創建後、こんにちにいたる20年間の革命と建設のための困難なたたかいをつうじて、政治、経済、文化のあらゆる面で偉大な成果が達成され、国の威力はかつてなく強化されました。

 我が国の工業は類例のない速いテンポで発展しました。1967年の工業生産は1948年に比べて22倍に成長しました。

 我が国の重工業は新しい技術で装備されており、国内の天然資源に依拠して発展しています。特に、機械製作工業が急速に発展し、1967年にその生産額は1948年に比べて100倍にのび、工業総生産額のなかで機械工業がしめる比重は、1948年の7.4%から1967年には31.4%に高まりました。こんにち、我が国の機械製作工業は、各種の近代的機械設備を大量に生産しており、機械設備にたいする国内の需要をほとんどすべて自力でみたしています。機械製作工業を中核とする我が国の重工業は、国の経済的自立性を強め、人民経済のすべての部門で技術革命を力強くおし進める強力な基地として、さらに大きな威力を発揮するようになり、軽工業と農業の発展によりよく奉仕するようになりました。

 一般消費物資の生産基地も強固にきずかれました。現在、我が国では国産品で人民の需要をみたしており、品質のよい各種の消費物資を今後さらに多く生産できる強固な基礎がきずきあげられました。軽工業の発展でおさめたこのような成果は、大規模の工場とともに中小規模の地方経営工場を並行して発展させるという党の賢明な方針を正確に貫いた結果であります。一般に、軽工業は全国いたるところに散在している各種の原料を加工し、すべての地方の勤労者の多様な需要をみたさなければなりません。大規模の中央直轄工業だけでは、このような生産を合理的に組織することができません。そこで我々は、中央直轄工業とともに、地方の原料と遊休労働力を積極的に利悶して地方経営工業を大々的に発展させ、初期には一般消費物資の生産で近代的技術とともに手工業的技術も広く利用しました。このような方針は、それほど国家投資をおこなわなくても一般消音物資の生産を画期的に発展させることができるようにしました。こんにち、我が国の地方経営工業は、全消費物資生産の半分をしめており、全般的な人民経済の発展を促進するうえで大きな役割を果たしています。

 我々は、農業の発展においても大きな成果をおさめました。我が国は昨年、類例のない洪水にみまわれましたが、穀物の生産は解放直後に比べて2.7倍に増大し、工芸作物、野菜、果物、畜産物の生産も急速に増大しました。我々は、既に食糧を自給自足しているだけでなく、相当な量の蓄えをもつようになり、農業のすべての部門をより高い水準に発展させることのできる強固な土台をきずきあげました。

 共和国創建後、教育・文化事業もかつてなく発展しました。こんにち、我が国の各級学校では人口の4分の1にあたる269万人の学生が無料で勉強しています。特に、全般的中等義務教育制をへて昨年から全般的9年制技術義務教育を実施することによって、新しい世代を全面的に発達した革命の頼もしい継承者に育て、すべての勤労者の技術・文化水準をさらに高めることができるようになりました。現在、人民経済の各部門では、停戦直後の19倍にあたる42万5700余名の技師、技手および専門家が働いており、かれらの力と知恵と努力によって近代的な工場、企業所が立派に建設され、管理運営されています。

 搾取と抑圧がなくなり、経済と文化が急速に発展するにつれて、人民の物質・文化生活水準はたえまなく向上しています。1967年の人口一人当たりの国民所得は、1946年の9倍、1949年に比べては4.4倍にのびました。こんにち、我が国には職がなくて路頭にさまよい、物乞いをする人もおらず、すべての勤労者は、衣食住や子弟の教育についても、病気の治療についても心配をする必要がなくなり、すべての人が心ゆくまで働き、学び、幸福に暮らせるようになりました。

 社会主義経済建設が強力におし進められ、帝国主義者の激化する侵略策動に備えて国防力をさらに強化するための党と政府の正しい方針が貫かれた結果、国の軍事的威力は比べようもなく強まりました。こんにち、我が国には全人民の確固たる政治的・思想的統一と強固な自立的民族経済にもとづく威力のある全人民的防衛体制が確立されています。こうして、帝国主義者のあらゆる狂気じみた策動を成功裏にうちしりぞけ、祖国と人民の安全をしっかり守れるようになりました。

 我が党と共和国政府の断固とした反帝反米的立場と、自主的で原則的な対外政策によって、共和国の国際的地位はたえず高まっています。こんにち、我が国は兄弟の社会主義諸国をはじめ、アジア、アフリカの多くの新興独立諸国と友好・協力関係を結んでいます。世界の多くの平和愛好人民と朝鮮人民との接触と交流も日増しにさかんになっており、かれらとの連係がさらに密接になっています。こうして、我々は世界のいたるところに数多くの友人をもつようになり、朝鮮革命の国際的連帯は日を追ってますます強まっています。

 同志のみなさん!

 これまでの20年間、社会主義革命と社会主義建設でおさめた偉大な成果によって、そして、我が国で起こった大きな社会経済的変革によって、人民政権はいっそう強化され、我々の国家社会制度は非常に強化発展しました。こんにち、我々の国家は、都市と農村で全一的支配を確立した社会主義的生産関係と、強固な自立的民族経済の土台をよりどころにしています。

 これとともに、我々の人民政権は、ゆるぎない政治的基盤をもつようになりました。生産関係の社会主義的改造が完成した結果、社会主義的土台のうえで労農同盟はさらに強化され、この同盟にもとづく全人民大衆の一枚岩のような政治的・思想的統一が実現しました。労働者階級と協同農民、勤労インテリが、社会主義経済体系に組み入れられて、党と革命のため、祖国と人民のため、社会と集団のため、自分自身の幸福のためにともに働き、互いに緊密に協力する同志的関係が全社会を支配しており、全人民が党と政府のまわりにかたく団結して、我が国の革命偉業の最終的勝利のために水火をいとわずたたかっています。

 革命と建設において人民政権がその機能と役割をたえず高めるためには、変化した新しい環境に即して、その活動体系と活動方法をひきつづき改め完威しなければなりません。

 生産関係の社会主義的改造が完成し、社会主義制度が確立されたのち、社会主義・共産主義を成功裏に建設しうるかどうかは、たえず発展する生産力に社会主義的生産関係をどのように適応させ完成させていくか、そして確立した土台に即して上部構造をどのように完成し、土台にたいする上部構造の作用をどのように強化するかに大きくかかっています。我が党と政府は、マルクス・レーニン主義の原理を創造的に適用し、我が国における革命と建設の実践的経験を一般化して、変化した新しい環境に合うように国家および経済機関の仕事を組みかえ、その活動家の指導水準を高めるための一連の重要な措置をとることによって、この分野で大きな成果をおさめました。

 とりわけ1960年2月の青山里(チョンサンリ)にたいする指導は、国家・経済機関の活動を革新する新たな契機となりました。青山里にたいする活動経験を一般化する過程で、国家・経済機関の活動には根本的な転換がもたらされました。指導が下部にさらに接近するようになり、上級機関が下級機関を助け、活動家が大衆のなかに深く入ってかれらを教育改造し、団結させ、大衆の革命的熱意と創意性を発揮させてすべての問題を解決していく、革命的な活動方法が確立されるようになりました。

 青山里にたいする指導がおこなわれたのち、我々は人民経済の管理と指導においてチョンサンリ(青山里)精神とチョンサンリ方法をより徹底的に貫くようにするために、工業の管理体系を改編するとともに、新しい農業指導体系をうち立てる画期的な措置をとりました。

 新しい工業管理体系であるテアン(大安)体系が取り入れられた結果、経済機関と企業所が、すべての活動を党委員会の集団指導のもとにおこない、政治活動を優先させ、大衆を奮い立たせて提起された革命課題を遂行し、上級機関が下級機関を援助し、上部の人が下部の人を助け、知っている人が知らない人を教え、すべての人が同志的に協力し、すべての職場、すべての工場、すべての部門が緊密に協力しあって連帯生産を発展させ、客観的な経済法則にもとづいて経済を科学的に、合理的に運営できるようになりました。我が党と共和国政府は、テアンの事業体系をうち立てるとともに、経済管理における民主集中制の規律を強め、我が国の経済をさらに計画的に、均衡的に発展させるために、計画化において一元化と細部化を実現するようにしました。計画の一元化と細部化が取り入れられた結果、国家機関の経済組織者的機能がさらに強まり、計画化において国家計画機関の主観主義と生産者の機関本位主義および地方本位主義をなくし、国家の意図と生産者の創意性を適切に結合して、真に現実的で科学的、動員的な計画を立てることができるようになりました。

 党と政府は、農業部門で郡協同農場経営委員会を基本とする新しい農業指導体系をうち立て、これに農業技術者と農業機械作業所、潅漑管理所をはじめ、農業に奉仕する国家企業所を集中させました。我々は新しい農業指導体系をうち立てることによって、農業をこれまでのように行政的方法ではなく、企業的方法で指導することができるようになり、協同農場にたいする国家の物質的・技術的援助をより効果的に実現し、協同的所有にたいする全人民的所有の指導的役割を決定的に強化できるようになりました。

 専門的な新しい農業指導体系の樹立は、地方政権機関の活動をも根本的に強化できるようにしました。道、市、郡の人民委員会は、国土管理、建設、商業、教育、文化、保健医療事業に力をそそぎ、この部門の活動をさらにもりたてることができるようになりました。

 こうして、社会主義建設のすべての分野で各級の国家・経済機関の機能と役割はさらに高まり、政権機関の活動家と人民大衆との血のかよったつながりがいちだんと強まり、広範な勤労者が国家活動に主人らしく参加できるようになりました。

 実にこの20年間、朝鮮人民は愛する祖国朝鮮民主主義人民共和国の旗のもとに勇敢に前進することによって、祖先たちが数千年かかってもなし遂げえなかった偉大な世紀的変革をなし遂げました。共和国の20年は栄光の20年であり、闘争と勝利の20年であり、創造と前進の20年であります。



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