金 日 成

当面の経済活動において革命的大高揚を起こし、
労働行政を改善、強化するために
朝鮮労働党中央委員会第4期第16回総会での結語 
−1967年7月3日− 


 1 党代表者会議の決定貫徹で新たな革命的大高揚を起こすために

 みなさんも承知のように、歴史的な我が党代表者会議は、全党と全人民に、当面の情勢の要求に即して社会主義建設の全般的事業を再編成し、特に、敵の侵略策動にそなえて国防力をさらに強化できるよう、経済建設と国防建設を並進させる重大な課題をうちだしました。これは我が党の新しい革命的路線であり、極めて重要な戦略的方針であります。

 経済建設と国防建設を並進させるというこの新しい革命的路線を貫くためには、第1に、すべての部門、すべての単位の幹部と勤労者が思想的準備を徹底的におこない、第2に、人民経済のすべての部門で消極性と保守主義、立ち後れと停滞を排撃して強くたたかい、これまでより数倍、数十倍の努力を傾けなければなりません。こうして、社会主義経済建設と国防建設のいずれの分野を問わず、すべての分野でチョンリマ(千里馬)の大進軍をつづけ、新たな革命的高揚を起こさなければなりません。

 しかし、党代表者会議以後9か月以上もへたこんにちの状態はどうでしょうか。いまだに、全党が党代表者会議決定の精神を正しく理解し、思想的準備を徹底的におこなっているとは言えません。特に、経済建設と国防建設を並進させるという党の新しい革命的路線を貫くためには、なによりもまず、戦争にたいする正しい観点をもってその備えを十分ととのえるべきなのですが、活動家たちには、これにたいする認識がまだ足りないようです。

 我々は、戦争を望みません。共産主義者で戦争を好む人は一人もいません。我々は戦争を望まないが、決して戦争を恐れはしません。ことに、国土が分断されて敵と直接対峙しており、アメリカ帝国主義者が銃と大砲とミサイルをかまえて、刻一刻と北半部への侵攻の機会を狙っている状況のもとで、戦争一般に反対したり、戦争を恐れたりしては絶対になりません。我々は戦争に反対したり恐れたりすべきではなく、逆に、敵があえて我々に武力で襲いかかってくるときには、これに立ち向かって勇敢に戦う覚悟をもたなければなりません。

 もし、明日にでも南朝鮮で革命が起こり、南朝鮮の兄弟が援助を求めてきた場合、我々が、この会場のような建物が破壊されるのを恐れて、援助の手をさしのべずに座視していられるでしょうか。我々は、決してそうするわけにはいきません。南朝鮮革命を完遂するのは、南朝鮮人民だけの課題ではありません。アメリカ帝国主義者を我が国土から追い払って南朝鮮革命を完遂し、祖国の統一を達成するのは、全朝鮮人民の崇高な民族的任務であります。我々は朝鮮革命に責任をもつ共産主義者として、南朝鮮からアメリカ帝国主義者を追い出して祖国を統一するために、いずれは必ず、かれらと解放戦争をしなければならないという覚悟をもたなければなりません。

 戦争を恐れるのは、ブルジョア平和主義のあらわれであり、修正主義の思潮であります。修正主義思想に染まると誰でも厭戦思想にとらわれ、帝国主義者に降伏しないとも限りません。歴史的経験は、これをはっきりと教えています。

 我々は、修正主義と妥協したり、帝国主義者とともに暮らすようなことはできません。我々は、革命をつづけなければならず、帝国主義とひきつづき断固たたかわなければなりません。これは我が党の一貫した立場であり、確固たる決意であります。

 我々が敵と戦う決意をかため、大事変の日を迎える備えをしっかりかためておけば、明日すぐに戦争が起きても恐れることはありません。したがって、すべての人が、いつなんどき敵が攻めてきても勝ちぬく万全の態勢をかためるべきだという思想的準備をしていなければなりません。このような思想的準備ができていてこそ、経済建設と国防建設を並進させる党の路線を貫くことができます。

 いまは、活動家のあいだで経済建設と国防建設を並進させる党の方針を正しく理解できず、思想的準備が徹底していないため、党代表者会議の決定を心から支持して政治、経済、文化の各分野で新たな革新と革命的大高揚を起こす積極的なたたかいが展開されていません。私は、このたび咸鏡南道と咸興地区を指導する過程で、このことをいっそう切実に感じました。

 我々は、すでに多くの経済的土台をきずきあげました。我々が建設した重工業基地や軽工業基地、社会主義農業は、大きな生産の潜在力をもっています。党代表者会議で強調したように、我々がすでにきずきあげたこの経済的土台を十分に整備補強して効果的に利用するならば、生産を現在の倍以上にのばし、製品の品質もいちだんと高めることができます。また、このようにさえすれば、現在の経済的土台をもってしても、人民経済と住民の需要を円滑にみたし、国防力をさらに強化することができます。しかし、現在、党代表者会議の方針に従って、人民経済各部門にあるこのような大きな予備と可能性を残らず引き出す活動も十分おこなっていません。これは、我が党内にまだ、党代表者会議の決定を貫くたたかいの火の手が上がっていないことを物語っています。

 党代表者会議の決定を実践し、特に経済建設と国防建設の膨大な課題を成功裏に遂行するためには、党内外において、必ず強力な思想闘争を展開しなければなりません。経済建設と国防建設の並進という党の新しい革命的路線がなんの闘争もなしに難なく、順調に実行されると信じるのは愚かな考えです。

 経済建設と国防建設を並進させる闘争は、朝鮮革命の勝利をめざす深刻なたたかいであります。

 革命は、闘争によって始まり闘争によって終わるのです。闘争をともなわない革命などありえません。革命の新しい前進は、古いもの、停滞したものとの、するどい闘争をつうじてのみなし遂げられます。これは、動かすことのできない革命発展の法則であります。

 経験は、党が新しい路線をうちだすたびに、その貫徹を妨げる動揺分子、消極分子、保守分子があらわれることを示しています。何事も最初始めるときには、必ず積極分子がいる反面に消極分子がおり、先進分子がいる反面に保守分子がいるものです。それゆえ、党の新しい路線を貫くためには、闘争をつうじて立ち後れたもの、保守的で消極的ないっさいのものを粉砕しなければなりません。

 戦後の復興建設の困難な時期に党の経済建設の基本路線を貫いたのも、また第1次5か年計画期間にチョンリマ運動をくりひろげて社会主義建設の大高揚を起こしたのも、消極性と保守主義、神秘主義をはじめ、いっさいの古いものとのするどい闘争をつうじてはじめて可能だったのです。停戦直後、我々が、重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業と農業を発展させるという党の経済建設の基本路線をうちだしたときにも、動揺分子や反対分子が非常に多かったではありませんか。かれらは、「なぜ、ガラス工場や機械工場のようなものばかり多く建てるのか、機械ばかりかじって生きていくつもりか」と言って、各方面から我が党の路線を誹謗し、我々の前進を阻もうとしました。また、1957年と1958年に我々がチョンリマの大高揚を起こしたときにも、我々の隊列内に、動揺分子、消極分子、保守分子が多くあらわれました。

 では、いまは、我々の隊列にそのような動揺分子や消極分子、保守分子がいないのでしょうか。決していないとは言えません。

 今年の春、内閣全員会議で、計画問題をもって、国家計画委員会、金属工業省、軽工業省、化学工業省などいくつかの重要な経済部門省の事業を検討したことがありますが、そのときすでに、経済幹部に消極性が極めて多いということが暴露されました。特に、我々は当時、国家計画委員会と金属工業省の責任幹部の消極性を厳しく批判し、強い打撃を与えました。

 鋼鉄を大量に生産してこそ、国防建設と経済建設をいっそう立派に進めることができることは、説明するまでもありません。ところが金属工業相は、大事変の日を迎える準備はする、また、祖国の統一もしなければならないなどと言いながらも、もっと多くできる鋼鉄の生産をできるだけ少なくしようとしました。

 非鉄金属の生産問題についても同じことが言えます。金をはじめ、非鉄金属を多く産出すればそれだけより多くの外貨を獲得して国防建設も、経済建設もいっそう立派に進めることができます。党は、この問題についてすでに何度も強調しました。それにもかかわらず、国家計画委員会や金属工業省の責任幹部は、どうして労働者たちがさらに多くしようとする金の採取をできるだけ抑えるのでしょうか。これは、革命の前進を阻む行為としか考えようがありません。

 我々はそのときすでに、これを教訓として消極性に反対する強力な思想闘争を全党的にくりひろげるべきでしたが、そうしなかったために、いまなお活動家たちのあいだには、依然として消極性と保守主義がなくなっていません。活動家たちのあいだにあらわれているこのような消極性と保守主義は、党代表者会議の決定貫徹を阻み、我々の前進運動を各方面から妨げています。

 党代表者会議の決定を成功裏に実践して新たな革命的大高揚を起こすためには、戦後、党の経済建設の基本路線を貫いた当時のように、また、1957年と1958年にチョンリマの大高揚を起こしたときのように、消極分子、保守分子、動揺分子との強力な思想闘争をくりひろげなければなりません。特に我々は、党内に残っている左右の日和見主義、事大主義、ブルジョア思想と封建的儒教思想、セクト主義、地方主義、家族主義などの諸要素、一言でいって、我々の前進運動を妨げるあらゆる不健全な思想要素とそのあらわれにたいして、妥協のない闘争を展開しなければなりません。ただ、党の路線と政策を断固として擁護し、貫徹するたたかいをとおしてのみ、また、党内にひそむさまざまな反革命的傾向と強力にたたかってのみ、継続革新、継続前進し、党代表者会議がうちだした革命課題を成功裏に遂行することができます。

 党代表者会議の決定を貫き、新たな革命的大高揚を起こすためには、チョンリマ作業班運動をいっそう力強く展開しなければなりもせん。

 チョンリマ作業班運動が、人民経済発展の強力な推進力であり、勤労者大衆の立派な共産主義の学校だということは、これまでの生活ではっきりと証明されました。しかし、この数年間チョンリマ作業班運動は、ブルジョア思想に染まった反党分派分子や消極分子らの影響によって少なからずおさえられてきました。

 我々は、チョンリマ作業班運動を早くもりあげていっそう発展させることに深い党的関心を払わなければなりません。社会主義建設のすべての分野でチョンリマ騎手の隊列を大いに拡大すべきであり、すべての職場と村を革命的集団につくりあげ、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という共産主義的原則のもとに、互いに助け、導き合いながら、いたるところで集団的革新の火の手を燃え上がらせなければなりません。

 社会主義建設でひきつづきチョンリマ運動を堅持し、新たな革命的高揚を起こすためには、すべての人を革命化、労働者階級化する活動をいっそう積極的にくりひろげなければなりません。

 人々を革命化するのは、こんにち、我々の活動のうちで最も重要な問題の一つとなっています。我が党は大分前から、この問題を重要な革命課題としてうちだしました。

 しかしながら、党の革命化、労働者階級化の方針は、いまなお満足に実行されていません。一部の人が、社会主義建設の進展過程で消極性と動揺性を露呈し、情熱と知恵のすべてを党と人民のために、労働者階級のためにささげられないでいるのも、結局は、かれらが革命化、労働者階級化されていないところに主な原因があります。

 革命化、労働者階級化は、農民だけに必要なのではありません。我々は、農民ばかりでなく、社会各階層の大衆とすべての活動家を革命化し、労働者階級化する闘争をくりひろげなければなりません。特に、インテリを革命化し、労働者階級化する問題は、こんにち、我々の差し迫った課題となっています。

 現在、活動家を革命化する闘争が展開されていないため、人民経済各部門に内在する多くの潜在力を引き出せない状態にあります。我々は今回の総会で数日間、労働行政の問題、建材生産の問題、果樹栽培業を発展させる問題などについて討議しましたが、検討してみると、これらの問題のうちでも多くは、活動家が努力さえすれば、いくらでも解決できる問題でした。

 会議の途中にも話しましたが、いま耐火レンガの品質を多少でも向上させれば、高熱を受ける焼成炉系統で大きな生産の余力が生じます。ところがみなさんは、操作も簡単だと言い、設備も我が国でいくらでもつくれると言いながら、どうして、こんにちまで積極的に取り組んでこの問題を解決しなかったのでしょうか。その主な原因は、消極分子、動揺分子が、党と人民のため、労働者階級のために献身的に働かなかったところにあり、結局は、かれらが党の思想、革命思想に徹していないところにあります。

 こんにち、我々にはこのような消極分子、動揺分子は不必要です。我々はこのような人たちに、革命のために働くつもりなら真剣にやり、働きたくなければやめるように、はっきり言わなければなりません。

 我々は、革命家であります。革命家が、革命をしたくないという人を無理に引きずっていくわけにはいきません。もちろん、革命を遂行するためには、多くの大衆を獲得して党のまわりに結集し、教育改造して共産主義社会まで導いていかなければなりません。これは、人民のために革命をおこなう人たちの神聖な義務です。だからといって、どうしても革命をしたくないという人たちを、無理やりに革命に引き入れるわけにいかないではありませんか。革命活動は、あくまでも自覚的な活動です。「卑怯者去らば去れ、革命がいやならやめよ、われらは革命のためにあくまで前進する」 これが、我々共産主義者の終始変わらぬ革命的信条です。我々は、このような強い革命的原則をもって全社会を革命化する闘争を進めなければならず、すべての人を教育改造しなければなりません。

 こんにち、我々には、党代表者会議の決定をかかげ、社会主義建設でいちだんと高い目標に到達し、南朝鮮革命を遂行して祖国の統一を実現すべき重大な革命任務が提起されています。この任務を成功裏になし遂げるためには、党の方針にそってすべての人を必ず革命化、労働者階級化しなければなりません。党内でも革命化をおこない、党外でも我々とともに進もうとする人たちをすべて革命化しなければなりません。こうして、党代表者会議がうちだした革命化、労働者階級化の方針をすべての部門で全面的に貫かなければなりません。

 経済建設と国防建設を並進させる党の新しい路線にたいする態度の問題、戦争にたいする観点の問題、チョンリマ運動にたいする態度の問題、そして、革命化の問題などは、いずれも党の思想体系に直接関連する問題であります。党の思想体系が確立されていない者、革命をしたくない者たちが、まさに戦争を恐れ、大事変の日を迎える準備に反対し、また、経済建設と国防建設を並進させる党の路線に反対し、チョンリマ運動にも反対しているのです。このような連中は、結局、ブルジョア思想に深く染まった修正主義分子であります。

 我々は、アメリカ帝国主義に反対し、朝鮮革命の勝利のためにたたかう共産主義者であります。すべての幹部と党員は、革命的大事変の日を主動的に迎える政治的・経済的・軍事的力量を全面的に強化するために全力をつくさなければなりません。そのためには、各級党組織がひきつづき党代表者会議の文献を深く討議し、党代表者会議の決定を貫く具体的対策をしっかりと立てなければなりません。こうして、党内に残っている左右の日和見主義思想、事大主義思想、ブルジョア思想、封建的儒教思想、セクト主義、地方主義、家族主義、そして、消極性、保守主義など、いっさいの古くて不健全で反革命的な思想の毒素を根こそぎにし、すべての人を革命化する闘争を強化し、チョンリマ運動をさらに力強くくりひろげて、党代表者会議の決定、特に、経済建設と国防建設を並進させる党の路線を徹底的に貫かなければなりません。

 困難に屈せず、勝利におごらず、新たな勝利をめざしてたえずたたかい、ひきつづき前進し、ひきつづき革新を起こすのは、革命家の崇高な品性であり、英雄的朝鮮人民の革命的な気概であります。我々は、すべての党員と勤労者が、チョンリマの手綱をしっかりと握りしめてひきつづき力強く前進し、歴史的な党代表者会議の決定貫徹において新たな革命的大高揚を起こすようにしなければなりません。


 2 労働行政を改善、強化するために

 労働行政の改善は、こんにちはじめて提起される問題ではありません。我が党は、人民政権を樹立して、経済建設に取り組んだ当初から労働行政を正しくおこなうことを強調し、一貫してこの問題に深い関心を払ってきました。

 労働行政は、社会主義経済管理の最も中心的な事業の一つであり、この改善、強化をはかるのは、社会主義・共産主義建設を早める重要な要因となります。

 周知のように、資本主義社会には多くの失業者がいますが、社会主義社会には失業者がいません。それゆえ、社会主義社会には余分の労働力というものはありえません。社会主義建設が進むにつれてたえまなく新しい工場が建設され、ひきつづき新しい生産部門が創設されるので、社会主義社会では常時労働力の不足をきたすのが一つの法則であると言えます。したがって労働行政を正しくおこなって、現有の労働力を最大限に、効果的に利用し、一人当たりの生産額を高めることは、社会主義建設の速いテンポを保障する決定的な裏づけとなります。我々は、社会主義建設に本格的に取り組んでからまだ10年余りしかたっていませんが、その過程でも社会主義建設の成果が結局、労働行政を正しくおこなうかどうかに大きくかかっているということを痛感しました。

 我が党は労働行政を正しくおこなうことを常に強調してきましたが、いまだにこの仕事には欠陥が多く、人民経済発展の現実的要求に比べて甚だしく立ち後れています。その原因は、第1に、労働者、農民出身の幹部が、社会主義経済建設にかんする十分な知識をもっておらず、社会主義経済を運営した経験が乏しいところにあり、第2に、幹部が、仕事のうえで大衆路線を貫かず、大衆の創意を十分に発揮させえなかったところにあります。

 党代表者会議の決定に従って我々の遂行すべき課題は実に膨大であるにもかかわらず、極めて緊張しているこんにちの労働力の事情は、いつにもまして労働行政を綿密におこなうことを切実に要求しています。今回の総会で、再び労働行政を改善、強化する問題を深刻に討議することになったのも、まさにこのためであります。このたびの総会を契機にして、労働行政上の欠陥を改め、現実の要求に即してそれを一日も早く改善しなければなりません。

 労働行政で最も重要なのは、労働を愛し、自発的に労働に参加するようすべての勤労者を教育することであります。

 労働行政を、人民経済の各部門に労働力を補充したり、作業基準量を決め、賃金を支払ったりするような技術的、実務的な仕事とばかり考えるのは間違いであります。

 社会主義社会での労働行政は、対人活動であり、主として、勤労者のあいだで労働にたいする共産主義的態度を培う活動であると言えます。それは、労働力の浪費をなくし、労働力を合理的に利用し、一人当たりの生産額を高める問題をはじめ、労働行政分野のすべての課題を解決するのが、結局、勤労者がどれほど自覚をもって労働に参加するか、言いかえれば労働にたいする正しい態度を身につけているかどうかに多くかかっているからであります。

 労働にたいする共産主義的態度をとるように勤労者を教育するのは、共産主義教育の最も重要な内容の一つであります。

 労働は、人間社会の富を創造し、我々のすべての幸福の源泉となります。労働は、まことに神聖で栄誉あるものであります。勤労者がみずからの労働で豊かな物質的富を創造することなしには、人民生活を向上させることもできなければ、各自の望みどおり衣食住のみちたりた生活をすることもできません。人民の福祉増進のための物質的富はひとりでに天から降ってくるものではなく、労働によってのみ創造されるものです。ことに、社会主義社会では、自分だけがよい暮らしをしようとするのではなくて、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という共産主義的原則のもとに、社会の全構成員がひとしく幸せに暮らせるようにしようとするのですから、誰もが、誠実に、勤勉に働かなければなりません。

 働くのを嫌い、他人を食い物にして生きようとするのは、搾取階級の思想であって、それは誰もがともに働き、ひとしく裕福な暮らしをしようという共産主義思想とは、全く緑もゆかりもないものです。

 労働にたいする共産主義的態度は、決してひとりでに培われるものではありません。それは、労働を好むことと嫌うこと、労働に自覚をもって参加することといやいやながら参加することとの思想闘争、一言でいえば、共産主義思想とブルジョア思想との長期にわたる、するどい闘争をつうじてのみ培われるものであります。

 働くのを嫌い、遊んで暮らそうとする思想を誰よりも多くもっているのは、かつての地主、資本家をはじめ、搾取階級と中産階級です。

 しかし、私がたびたび話したように、かつて貧しく暮らした人だからといって、誰もが労働を好むかというと、そうでもありません。労働者や勤労農民のなかにも、かつての資本主義社会であまりにも苦しい労働にさいなまれ、体力を消耗したため、労働を卑しみ、自分は労働をしていても、子供たちだけはなんとかして労働をせずに「官禄」でももらって暮らせたら、という間違った考えをもっている人が少なくありません。解放直後はいうまでもなく、その後も長いあいだ農民には、自分はたとえ生涯を百姓で終わっても、子供たちだけは農業をさせないで事務員にしようと考える人が大勢いました。

 また、労働者階級だからといって、現在、誰もが労働にたいする共産主義的態度を身につけているとみることはできません。もともと我が国には、曽祖父や祖父の代からの労働者がいくらもいないうえに、戦争中、前線と後方での敵との戦いで中核的な労働者たちが少なからず犠牲になり、一部の労働者は老齢のため職場をやめたので、直接、資本家に搾取されてきた革命性の強い労働者階級はいくらもいなくなりました。

 戦後、工業の急速な発展にともなって労働者階級の隊列は著しく拡大されましたが、そのなかには、農民出身および以前、商売や中小企業を営んでいた人たちをはじめ、いろいろな層の人が入ってくるようになりました。こういう人たちが工場で何年か労働したからといって、真に労働者階級の思想、革命的精神で徹底的に武装されたとは言えません。

 労働にたいする共産主義的態度を培うのは、ひとり過去に遊んで暮らしていた地主や資本家、そしてインテリをはじめ、中産階層の人たちにだけ必要なのではなく、労働者、農民をはじめ、社会の全構成員に切実に必要なことであります。

 これは、何人かの労働行政部門の活動家だけでなく、全党的に関心を払うべき重要な仕事であります。我々は労働を愛する精神で教育することを、こんにちの勤労者にたいする共産主義教育の第一の課題としてかかげ、これに全力を傾けなければなりません。

 次に、労働時間を厳守する強い規律と厳格な制度を立てなければなりません。すべての勤労者を労働に自発的に誠実に参加させるためには、思想教育活動が重要な役割を果たすのは確かですが、それだけでは、この問題を円滑に解決することができません。勤労者にたいする教育活動を力強く進める一方、誰もがみな480分の労働時間を守るよう、厳格な統制をおこなう必要があります。

 現在、労働省をはじめ、国家機関や企業所などで労働行政にたいする統制をおろそかにしているため、労働規律がゆるみ、労働の秩序はたいへん乱れています。

 いくつか例をあげてみましょう。

 いま、労働行政があまりにも乱れているため、一つの工場には籍だけをおき、他の工場にいって働きながら両方から給料をもらう人までいるそうです。

 労働行政機関が厳格な労働規律を確立して法秩序を守るように統制したならば、このような現象は決してあらわれなかったでしょう。

 党があれほど繰り返し強調したにもかかわらず、いまなお作業時間中に会議を開いたり、作業場から勝手に人を引き抜くような規律のない現象がなくなっていません。日に8時間働き、他の時間にいくらでも会議をもったり、学習をしたりすることができるはずなのに、なぜ作業時間中に頻繁に会議を開くのか、全く理解できません。

 8時間労働制は、労働法令によって定められた、誰も違反することのできない国のおきてであります。誰であろうと労働規律を破り、労働時間をおかしたときには国家規律と法に違反する犯罪行為として、それ相応の法的制裁を受けなければなりません。もし、工場、企業所の業務部長が、労働者に8時間働くだけの仕事を与えなかった場合は、かれが国家に責任を負い、支配人が労働者に8時間労働をさせず他の仕事に動員したとしたら、かれが国家と労働者に責任を負うようにしなければなりません。こうした強い規律と厳格な秩序を立てなければ、労働行政を改善することはできません。

 作業時間中に会議を開くような行為は、活動家が安逸にながれ、気がゆるんだためだと思われます。戦前に我々は、日曜日以外は会議をしてはならないと決めて労働時間を絶対におかさないようにしました。ところが近ごろでは、日曜日は休み、夕方か作業を済ましたあとの時間を利用して会議などをおこなうようにと指示したにもかかわらず、平然と党の決定や国家の法規を無視して、勝手に作業時間中に会議を開いています。こういったことが、これ以上つづいてはなりません。

 もともと8時間労働制は誰かによって考えだされたものではなく、労働者階級みずからがかかげたスローガンであります。労働者階級は労働運動が始まった当初から、他の革命的スローガンとともに8時間労働、8時間休息、8時間学習のスローガンをかかげました。朝鮮の労働者階級もこのスローガンを実現するために日本帝国主義との困難な闘争をくりひろげてきましたし、我が国が解放されるとすぐ、共和国北半部では労働法令によって8時間労働制が実施されるようになりました。

 労働者階級がみずからかかげたスローガンであり、労働者階級自身が血みどろのたたかいをとおしてかちとったこの8時間労働制を、労働者階級は当然、みずから自覚的に守るべきであります。誰もが480分間、誠実に働くことを公民の義務、当然の社会的職分としなければならず、すべての部門で8時間労働、8時間休息、8時間学習の制度を確立しなければなりません。

 すでに批判されたことですが、ひところ、文学・芸術部門では、「解放作家」と称して、事務室に出勤もせず、自宅で作品を書きたければ書くし、書きたくなければ布団に寝ころんでいる作家が少なくありませんでした。社会主義社会では、とうてい許されないこうした無規律な現象は、社会主義的労働規律がひどくゆるんだ結果生じたものとみなければなりません。もちろん党は、その後すぐに措置をとって作家、芸術家がたとえ精神労働をしていても、勤務時間には必ず一定の場所に出勤して仕事をし、休むときには自宅に帰って休む制度を実施するようにしました。

 現在、科学研究機関にも労働規律が確立されていません。それで、研究士たちが仕事をまじめにしてもしなくてもそれまでのことで、なんらの国家的統制も加えていません。

 このたび、科学院の咸興分院に行ったとき、分院の院長の話では、工場の労働者なら製品の生産高によってまじめに働いたかどうかをすぐに判断できるが、科学研究機関ではいつも室内で本を読み、実験室で研究しているとはいうが、ほんとうに勉強をしているのか、研究をしているのか知るすべがなく、これに一番困っているとのことでした。かれはまた、資本主義国では資本家が博士や修士たちと、1年なら1年、2年なら2年間にある問題を研究するという、きちんとした契約を結び、それを果たさなければ損害賠償をさせたり、追い出したりするが、我が社会主義制度のもとではそうすることもできず、ほんとうに困ったことだと話していました。科学院の咸興分院にも国家から博士や修士の月給はそれなりにもらい、いつもなにか研究をしているとはいうものの、何年たってもなんの成果もあげていない人が少なくないそうです。分院の院長は、研究士の仕事を統制しようと考えて、かれらに研究課題を与えてみたが、それもうまくいかないので、最近では集まって集団的に学習する制度をもうけたとのことです。それで私は、科学者のあいだで古いブルジョア思想の影響を一掃し、革命化するたたかいを強力にくりひろげて、みなが自発的に働くようにすべきであって、集団学習のような方法だけでは仕事に専心させることは難しいのではないかと言いました。科学研究部門の研究士の多くは、かつて比較的裕福に暮らしていた人たちであるだけに、かれらを革命化することはいっそう切実な問題となります。これとあわせて我々は、科学研究部門の人たちの仕事にたいし国家的統制と科学的・技術的統制を強化する措置をとらなければなりません。

 いま、研究士のうちには怠け者が多いようです。もちろん、そうした研究士本人が悪いは改めて言うまでもありませんが、同時に、なんの統制もしない当該国家機関の責任も大きいと言わなければなりません。研究士に、どんな本をいつまで読み、いつまでにどういう問題を研究するようにと研究課題を明確に与えて、期限になれば結果を報告させ、課題を果たせなかった場合には、国にたいし責任を負う、強い規律と厳格な秩序を確立しなければならないはずなのに、そのまま放任しているため、したければするし、したくなければしないといった無秩序な現象が生じるのです。

 我が国に失業者はいませんが、給料をもらいながら働かない怠け者は、まだ少なくありません。紡織・製紙工業省の衣服研究所などでは200人もの人員がいて、なにか研究しているとはいいますが、何年たってもこれといった新しい規格の服の一つも考案していません。私がキムチを工業的方法で漬ける課題を最初に与えたのは解放直後のことで、いまではキムチ研究所まで設けられているのに、20年たったこんにちまでこの問題が解決されていないため、5、6階建てのアパートでも、屋外にうめたキムチのかめから日に何回も持ち運ばなければならないようになっています。商業研究所も多くの研究士を擁していますが、商業・流通部門の事業改善に役立つようなよい意見は一つもだせず、方々の工場、企業所に設けられている数多くの研究所でも、とりたてて言うほどの研究成果をあげているところはほとんどありません。

 私の考えでは、党の当該部署と関係部門の幹部が行って科学研究部門の仕事の全般的な点検をおこない、何年もいながら研究もほとんどせず、いてもいなくてもいいような人は、みな労働現場に送って鍛えさせる必要があると思います。現場で生産をあげ、研究成果もあげれば、再び研究機関で働けるように推薦することもできるでしょう。今後、研究機関には労働で鍛えられ、労働現場で推薦された人たちが働くようにし、ただで給料をとる怠け者は一人もいないようにしなければなりません。

 周知のように、国家は独裁の機能を果たす権力機関であります。労働者階級が政権を掌握している社会主義国家は、転覆された階級の反抗を鎮圧するだけでなく、すべての公民が労働法令を厳守するように強く統制してこそ、その独裁機能を果たしていると言えます。

 働いても働かなくてもよく、勤務時間を守っても守らなくてもよいというようになんの統制も加えないのなら、国家機関はなんのために存在し、また、労働行政機関はなんのために必要なのでしょうか。

 我々は労働行政上の無秩序な現象を一日も早くなくし、労働行政にたいする厳格な国家的統制と日常的な監督をおこなわなければなりません。そして、肉体労働と精神労働とにかかわりなく、誰でも勤務時間を厳守するようにし、働かずに怠けている者は社会的に憎まれ、それ相応の法的制裁を受けるようにしなければなりません。

 次に、労働行政において重要なのは、労働力の配置を正しくおこない、社会主義的分配の原則を徹底的に守ることであります。

 労働行政機関と労働行政部門の活動家は、すべての勤労者が自己の能力を最大限に発揮できるよう性別、年齢、体質、技術熟練度を考慮に入れて、労働力を合理的に配置することに深い関心を払わなければなりません。

 これと同時に、勤労者が働いた分だけ、かせいだ分だけの正確な分配が受けられるよう、社会主義的分配の原則を徹底的に貫かなければなりません。すべての人に、働いた分より少しでも多かったり少なかったりすることがなく、労働の質と量に応じて正確に分配されるようにするのは、労働にたいする刺激を強め、労働規律を強化し、勤労者を誠実に、自発的に働かせるうえでも大きな意義をもちます。

 こんにち、労働行政において主に関心を払うべき問題は、技術革命を力強くおし進めることであります。

 技術革命はさしあたって国の労働力の緊張をほぐし、労働生産性を速やかに向上させ、勤労者を骨のおれる労働から解放する決定的な裏付けとなります。

 もともと技術革命は、共産主義者の栄誉ある革命任務であります。我々は共和国北半部において、すでに勤労者を、地主、資本家の抑圧と搾取から解放する任務を遂行しました。しかし、社会主義・共産主義を建設するためにはこれだけでは足りません。これとともに生産力を高い水準に引きあげ、重労働と軽労働との差、精神労働と肉体労働との差、工業労働と農業労働との差をなくさなければならず、そのためには必ず技術革命をおこなわなければなりません。地主と資本家階級を打倒して勤労者を搾取と従属から解放した後に、我々共産主義者に提起される最も栄誉ある神聖な任務は、勤労者を骨のおれる労働から解放することであり、また、これは共産主義者の果たすべき最後の革命任務であります。

 特に我が国のように、かつて長いあいだ植民地半封建社会であったため工業が発展せず、旧社会から極めて立ち後れた経済的土台を引き継いだ条件のもとでは、技術革命の課題はいっそう切実なものとして提起されます。

 しかし、活動家たちは、いまなお技術革命に正しい認識をもたず、これに消極的な態度でのぞんでおり、技術革命をおこなって少ない労働力でより多く生産しようとするのではなく、生産課題が増えると、まず、人の頭数から増やそうとする誤った考えを捨て去っていません。国の後続労働力の源泉はいくらもないのに、各省が要求している労働力はとてつもなく多いというこの一つの事実をみても、幹部たちが国の全般的な労働力事情についていかにうとく、技術革命についていかに無関心であるかを十分知ることができます。

 我が党第4回大会で、7か年計画期間を全面的技術革命の時期と決定しておきながらも、その遂行に積極的に取り組まないため、技術革命は前進するどころか、農業、建設、採掘工業をはじめ、少なからぬ部門はひきつづき停滞しています。ひところは機械化を唱えて大いに騒ぎましたが、近ごろでは、建設工事場でねこ車やトロッコのようなものも捨ててしまって、またしょいこを使っている始末です。岐陽(キヤン)潅漑工事をしていた当時は、我が国の機械工業が創設されたばかりのときでしたが、それでも少なからぬ仕事をコンベヤーでおこないました。ところが、いまは貯水池の工事の場合でもしょいこを使っています。男たちが背負って運ぶのはまだしも、女性がしょいこを背負うのはほんとうに見づらいものです。

 たしかに、労働者、農民出身の一部の幹部は、自分が苦労したかつての境遇をすっかり忘れて官僚化してしまい、勤労者を骨のおれる労働から解放することをほとんど考えていないようです。幹部自身が直接、技術革命をおこなうための発案をしないのも問題ですが、技術革命を提案する下からの創意的な意見まで受け入れないで、かえって、技術革命をうるさがり、妨害する現象まであらわれているのは許せないことであります。

 機械化をおこなわず、技術革命をしようとしない人は、そもそも共産主義者ではありません。しばらく前までは、継続革新、継続前進のスローガンをかかげて社会主義建設のすべての分野で、いたるところでわき返っていたものですが、このごろはみな『牧民心書』を読んだせいか、停滞して静まり返り、ひとところでもたついています。

 我々が農業委員会の活動に満足しないのも、農業委員会が農業を化学化、機械化して農民の骨のおれる労働を軽減するための研究に力を入れないからであります。

 外国では除草剤を用いて直播きをおこない草取りをしなくても1ヘクタール当たり5トンの米を収穫しているのに、我が国農業部門の活動家たちは、稲作は必ず田植えをし、手で草取りをしなければならないと固執しており、その場合でも1ヘクタール当たり5トン以上の収穫は難しいと言っています。人間の力には限度があるので、ひきつづきいまのように、手で田植えをし、草取りをする古い方法にたよっているならば、実際に、1ヘクタール当たり5トンの米を収穫することは難しいでしょう。

 農業部門の活動家たちが、労働力不足のため単位面積当たりの収量を高めることができないとしきりに泣き言をいうので、農村に労働力を送って農場員一人当たりの耕地面積を0.6ヘクタールにまでさげましたが、これは決して問題解決の根本的方法にはなりません。国の労働力事情が、ひきつづき農村に労働力を送れる状態でもないし、また、たとえ労働力を増やしてある程度収穫を高めることができるにしても、農民を骨のおれる労働から解放することはできません。最近、農民たちと話し合ってみましたが、かれらも草取りに骨がおれるから田植えをするのであって、草さえ生えないようにできるなら、田に直播きをしてもよいと言っていました。実際に、除草剤を用いて草が生えないようにさえできるならば、田植えをすることもないし、草取りをする必要もないはずです。

 また、いつまでもいまのように、毎年田植えどきや稲の刈り入れどきに、全国の学生や労働者、事務員をみな仕事を中断させて農村に動員するわけにもいかないではありませんか。一部の人は、あたかもそうすることが社会主義制度の優位性であるかのように考えていますが、それはあくまでも、技術革命ができていないためにやむをえずしているのであって、決して社会主義制度に固有の現象ではありません。

 前に農業部門の活動家との協議会でも話しましたが、ある国では肥料を多く施し、どんな農作物でも1ヘクタール当たり4トン以上の収穫をあげているとのことです。両江道の人たちは、いくら努力してもカラス麦は1ヘクタール当たり200〜300キログラムしか収穫できないと言っていますが、外国ではカラス麦も4トン、大麦も4トン、小麦も4トンと、どの作物も4トンをさがるものはありません。

 その国は人口や耕地面積からみても我が国に似ていますが、1ヘクタール当たりの収量が高いので100万ヘクタールにだけ穀物をつくっても、十分に食べて、なお数10万トンも輸出しており、残りの土地に牧草を植えて肉類も生産しています。

 我々も農村の技術革命、特に化学化を全面的に実施するならば、人なみに収穫高を高められないはずはなく、また、農民の労働を軽減できないわけもないでしょう。問題は、農業委員会や農業科学院をはじめ、農業部門の活動家が、農村の技術革命をおこなうため熱心に研究もせず、積極的に取り組まないところにあります。

 このたび咸鏡南道に行ったとき、私は科学院咸興分院の人たちに、現在、我が国の農村技術革命では、機械化より化学化の方が重要であるから、科学者が農業の化学化を積極的におし進めるための研究にいっそう力を入れるよう、課題を与えました。もしも、我が国でより多くのカリ肥料、燐酸肥料、窒素肥料を生産して田畑に施し、除草剤を用いて草をなくすならば、収量を大いに高めることができ、手労働で草取りをしなくてもすむでしょう。

 実際、手で草取りをして収量を高めるよりは、施肥量を増やし、除草剤を使って収量を高めた方が何倍も楽です。肥料工場に行ってみると、腰をまげて草取りをするほどつらい仕事をしている人は一人もなく、多くの人がじっと座って計器の動きだけを見ていました。除草剤工場もやはり化学工場ですから、肥料工場とあまり変わらないでしょう。

 我々が技術革命を立派におこない、機械化の可能な130万ヘクタールの耕地から1ヘクタール当たり4.5〜5トンの収穫をあげるならば、残りの数10万ヘクタールには牧草を植えてもよいでしょう。そうすれば、我々は食糧が自給できるし、肉類その他の畜産物もより多く勤労者に供給できるはずです。

 安州(アンジュ)炭鉱党委員会の責任書記は発言のなかで、円筒型採炭機を新しく考案して使用したところ発破をかける必要がなくなり、ほこりや煙もでなくなって有害労働が無害労働に変わり、生産性が数倍も高まったと言いましたが、これは実にすばらしいことです。すべての炭鉱が安州炭鉱のように作業を全部機械化し、オートメ化するならば、炭鉱で石炭を掘る仕事も、紡織工場で織物を織る仕事も、労働の面で大きな差はなくなるでしょう。

 安州炭鉱の人たちに、なにか特別に有利な条件があってそういう機械をつくりだしたのではありません。かれらは、党の方針にそって技術革新運動を積極的にくりひろげ、衆知を集めて、工作職場でその立派な機械をつくりだしたのです。決心して大衆を動かしさえすれば、なし遂げられないことはありません。

 先ごろ開かれた精密機械工業部門の活動家会議でも話したように、すべての部門、すべての工場、企業所では、今後およそ3年間は労働力の補充を受けようとせず、技術革命をおこなって7か年計画を遂行するたたかいをくりひろげなければなりません。みなさんが党と政府にたいし技術革新に必要な鋼材を供給してほしいという意見を出すならば、それは受けつけますが、労働力を増やしてほしいというのは受けつけられないし、また、そうしようにも労働力の源泉がありません。どこでもみな、労働力を増やさずに技術革新をおこなって、7か年計画を遂行することを原則としなければなりません。

 これに関連して、工場、企業所自体で技術革新のための機械設備がつくれるよう、鋼材など一定の資材フォンドを与える必要があると思います。

 我が国には、各種の非鉄金属と鉄鉱石が非常に豊富であり、したがって、金属工業と機械工業の発展に有利な条件がそなわっています。機械を大量に製作して、国内で使うだけでなく外国に多く輸出しても、これからさき何代にもわたって原料が不足するような心配は少しもありません。また、我が国には電力資源も豊富であり、石灰石や無煙炭も多いので、化学工業の展望も非常に明るいと言えます。したがって、我々には人民経済各部門にわたって機械化、電化、化学化を広く実施できるあらゆる条件がそなわっています。

 我々には、技術革命の遂行で障害となるような問題は一つもありません。それにもかかわらず、どうして技術革命の遂行に依然として消極的なのでしょうか。それは、活動家がまだ共産主義を正確に認識できず、勤労者を骨のおれる労働から解放して生活水準を向上させるという人民性、階級性に欠け、物質的富をより多く生産して社会主義の真の優位性を十分に発揮させるという強い闘志と、さらに早く前進しようとするかたい決意が足りないところに主な原因があります。そのため、技術革命を直接組織し指導すべき地位にある幹部たちも、党の技術革命の課題を遂行してもしなくてもよいといったように、強い要求を出しておらず、科学・技術の研究に従事する人たちも、革命精神に乏しいためぐずついているだけで、どれ一つとして問題を満足に解決したのがありません。

 我が国の科学者、技術者はすでに何年間も研究をつづけているそうですが、稲刈り機一つ満足なものをつくっていません。

 我々は、技術革命の遂行にあらわれるさまざまな消極的傾向と強い思想闘争をくりひろげなければなりません。

 技術革命の課題は、すべての人に立派な暮らしをさせようというものであるため、技術革命のためには誰を問わず知恵をかたむけなければなりません。

 また、科学者、技術者の資質を向上させるためにいっそう努力しなければなりません。討論を聞いてみると、科学者、技術者を思いきって生産現場に送って労働者階級の革命性を学ばせ、生産技術にいっそう精通させようという、以前からの党の決定が着実に実行されていないようです。我々は、党の方針どおり科学者、技術者を生産現場に送って生産者との創造的協力を強め、生産で難題となっている科学・技術上の問題の解決に力をそそぐようにしなければなりません。また、大学卒業生は、誰もが必ず現場に行って鍛えられ、ある程度生産の経験をつんだ後、研究機関に勤務させる厳格な制度をもうけなくてはなりません。

 これとあわせて、勤労者の技術熟練度の向上に深い関心を払わなければなりません。

 技術熟練度を向上させるためには、労働者に技術をよりよく教えるとともに、長期間かれらを定着させなければなりません。人民経済の各部門で職場長学校、作業班長学校、技能工学校などをいっそう立派に整備し着実に運営し、通信教育を受ける勤労者には学習条件をさらに十分保障しなければなりません。

 次に、非生産部門の労働力と管理部門の労働力および間接部門の労働力を極力減らさなければなりません。

 技術革命の課題や労働にたいする勤労者の自覚を高めることは1日や2日で解決される問題ではないので、当面の不足がちの労働力の問題を解決するためには、一方では労働規律を強化して勤務時間を完全に利用させ、他方では非生産部門の労働力と管理部門の労働力、間接部門の労働力を減らして生産部門や直接部門にまわすことが重要であります。

 これまでにも非生産的労働力と間接部門の労働力を減らすために努力してきましたが、いまなおこの部門には非常に多くの労働力があります。

 我が国の工場では全般的に、管理人員をはじめ、非生産的労働力が必要以上に増えたことは事実です。ここで、いくつかの工場の実例をあげてみることにします。勝湖里(スンホリ)セメント工場には職業同盟の活動家だけでも13人いるとのことですが、なんのためにそんなに多くの人員が必要なのでしょうか。スポーツや芸術サークルの指導員を別個におかなくても、働きながらいくらでも指導できます。スポーツや芸術に趣味をもつ人たち同士が集まってサークルをつくり、そのうちで一番すぐれている人を責任者にして、一緒に働きながら仕事が終わってからサークル活動をすればよいと思います。

 我々は、決してサークル活動に反対するものではありません。スポーツや芸術サークル活動は、文化生活の重要な部門なので当然おこなうべきであり、特に、青年にはこうしたサークル活動がさらに必要であります。我々が言うのは、サークル活動を広範な大衆的運動として進めるべきであって、これに専任の指導員を別におく必要がないということです。

 高原(コウォン)炭鉱クラブの人員をみると、クラブの主任が1人、文化指導員、スポーツ指導員、美術係がそれぞれ1人、管理員2人、直観物工作員5人、映写係員3人、合わせて14人です。私の考えでは、クラブ主任、映写係員、文化指導員兼図書管理員、合わせて3人ぐらいいれば十分だと思います。また、クラブの人員はできるだけ青壮年ではなく、戦傷栄誉軍人だとか、身体が不自由で人並みに生産労働のできない人たちを選んで採用するのがよいと思います。

 党活動家にしても、細胞書記の場合は専従活動家としておく必要がありません。いま、多くの工場、企業所では、細胞書記までも仕事から全く遊離した存在になっているとのことですが、細胞書記が党員たちと一緒に働かず遊離していて、どうして党活動ができるというのでしょうか。細胞書記は労働者と一緒に働いてこそ、かれらの事情をよく知り、かれらの悩みなども適時に解決してやれるし、また、横道にそれる傾向もすぐに正してやれるのです。生産から遊離すればなんといっても官僚化するおそれがありますが、党の末端活動家は決して官僚化してはなりません。党の末端活動家だけでなく、大衆団体の末端活動家も絶対に生産から遊離してはなりません。

 我々は党の方針にそって、管理機構をはじめ、非生産部門の労働力を全般的に大幅に減らさなければなりません。経済建設と国防建設の膨大な課題を遂行するには労働力が非常に緊張してくるのに、いまのようにこんなに多くの管理人員を抱えていてよいものでしょうか。私の意見としては、全国的に人民経済部門の工場、企業所の管理人員を、党活動家までふくめて、従業員総数の4%程度に減らすべきだと思います。同時に、生産部門でも各部門の特性に合うように間接部門、補助部門の労働力を減らして直接部門と基本生産部門により多くまわすようにすべきです。

 次に、労働の計画化を決定的に改善しなければなりません。

 労働計画は、労働の組織を合理的におこなって労働力を効果的に利用するための基礎であり、したがって、労働の計画化を正しくおこなうことは、労働行政を改善する基本的な保証であります。特に、こんにちのように労働力が極めて緊張している状況のもとでは、国の労働力の源泉を積極的に動員し、労働力を合理的に配置して労働生産性の向上がはかれるように、労働の計画化を綿密におこなうことは特別に重要な意義をもちます。

 労働の計画化をはじめ、全般的な計画化事業については以前にもしばしば話しましたし、特に青山里と大安電機工場を指導するさいに大分強調しました。こうして、なお不十分な点はあっても、物資や設備、資金は比較的計画的に使用されていますが、生産の最も重要な要素である労働力はまだ多くの場合、無計画的でおおざっぱに使われています。

 我が国で一人当たりの生産高が低く、労働力の浪費やよく働かない人が多く、企業所の労働の組織に混乱が生じるなど、労働行政上のさまざまな欠陥は、主に労働の計画化に欠点があることと関連しています。

 このたびの会議で、多くの人が労働行政について発言しましたが、労働の計画化に言及した人は一人もいません。そればかりか一部の人は、労働の計画化という言葉自体がどういう意味なのかよく理解していません。これは、活動家たちがこれまで労働行政をいかに形式的におこない、労働の計画化にどれほど無関心であったかをはっきり示すものです。

 いま労働計画化の仕事を担当している国家計画委員会は、ただ人民経済各部門に労働力を割り当てることをもってほとんど自分の仕事におきかえており、労働省はまた、計画に入っている人数むみたしてやることだけに没頭しています。

 労働の計画化が正しくおこなわれていない実例をいくつかあげてみましょう。

 いま、全国的に石炭事情は極めて緊張しており、石炭不足のため生産が正常におこなわれていません。こういう事情を考慮するとき、炭鉱でまだ機械化が十分おこなわれていない条件のもとで石炭を増産するためには、この部門の労働力をさらに増やさなければなりません。したがって、機械工場やその他の工場から労働力を引きぬいて石炭部門にまわしてでも、石炭を増産すべきであるのに、国家計画委員会や労働省がなんの対策も講じないため、石炭工業部門では労働力不足で採炭量を増やすことができず、他の部門では石炭がなくて工場を正常に操業できず、大勢の人を遊ばせています。

 いま、作業の特性や人々の体質なども考慮せずに、いい加減に労働力を配置するのは方々で見受けられる現象です。きのうの午後、大雨が降るので農作業にさしつかえはないかと心配になって青山里へ行ってくる途中見たことですが、道路工事をおこなっている人のほとんどが学校を出たばかりの女の子たちでした。私のみたところでは、青壮年にしかできそうにない力仕事があの女の子たちにはできそうもなかったし、国家で定めた基準量をとうていなし遂げられそうもありませんでした。このように、労働行政機関が人数を埋め合わせることだけに没頭して、人々の体質や技能水準も考慮せずいい加減に労働力を配置するので、自然に労働力を計画以上に使うことになり、建設費はかさみ、建設期間ものびるようになるのです。

 労働の計画化における欠陥は、労働力を勝手に増減することにもみられます。昨年、鋼材不足だからと龍城(リョンソン)機械工場から600人の労働力を減らし、今年はまたこの機械工場にそれだけの労働力を新たに配置しました。この工場では、よそへやるときには技能工を送りましたが、新たに補充を受けるときには技能工を送ってくれるところがなくて、無技能工の女の子たちを受け入れました。支配人の話によると、少なくとも3、4年機械工場に勤めないと一人前にならないため、それまでは工具もはめてやり、素材も運んでやらなければならないので、労働力の浪費が非常に多いとのことです。それに、現在、労働力の流動が激しいので、労働者の技術熟練度も高まらず、製品の品質も向上しないとのことでした。

 周知のように、龍城機械工場は、我が国の母体工場ともいうべき極めて重要な工場であります。鋼材がどうしても足りないのなら、他の工場をとめてでも、こういう工場には仕事の材料を十分に与えて労働力を定着させ、労働者の技術熟練度も高めるようにすべきであります。ところが、計画機関や労働行政機関ではなんの考慮もなしに一律にこの工場から何百人、あの工場からも何百人というように労働力を引きぬき、それをまた補充するときにもやはり同じ方法であちこちの工場に何人かずつ割り当てています。こうして、生産に混乱を引き起こし、労働力の浪費をまねいているだけです。

 一昨年だったか、農村に労働力を送る問題が提起されたときにも、労働省が仕事を正しく処理するためには、どの生産部門がより重要で、どの生産部門がさほど重要でないか、どこに間接部門の労働力が多いかといったことを具体的に検討したうえで、労働力の調整を計画的におこなうべきでした。ところが、行き当たりばったりに労働力を調整したため、少なからぬ混乱をまねきました。我々が岐陽トラクター工場に行ったとき、工場の幹部たちは、ふた月後には労働力を補充してもらわなければならない状態なのに、いまさしあたって労働力が少し余るというので、500人を減らして農村に送るようにと指示され困っているということでした。そこで私は、トラクターや部品をより多く生産して農村に送った方が500人の労働力を送るより効果的であろうから、労働力を減らさずに、そのかわり生産を増やすべきだと言いました。ふた月後に労働力を増やすべき工場の労働力を減らせというのは、生産に混乱を引き起こす行為としか考えられません。国家計画委員会や労働省の仕事ぶりはこういう具合であります。

 現在、国家計画委員会は数字を合わせることばかりやっていて、労働力を定着させ、その技術熟練度を高める問題についてはなんの関心も払っておらず、労働省は労働者を増減する労働紹介所の役割しか果たしていません。

 かりに、国家計画委員会が計画の作成を誤ったとしても、労働省が労働計画を正確に立てさえすれば、きょうはこの工場から労働力を引きぬいてあっちの工場に送りこみ、あすはまた他の工場から労働力を引きぬいてこっちの工場に埋め合わせるといったような、無秩序な現象はあらわれないはずです。

 ときには、国家的に資材が不足したり、外国から輸入する予定だった原材料が入らなくなったりして、工場に以前より少ない計画を与えることもあります。できるだけ計画は、常に平年の水準を保つか、またはそれより多く与えるべきですが、やむをえない事情によって計画課題を少なく与える場合にも、徳川(トクチョン)自動車工場や龍城機械工場、岐陽トラクター工場のような全人民経済的意義をもつ重要な工場の労働力は減らさずに、他の方法で余裕労働力を利用する対策を立てなければなりません。例えば、徳川自動車工場で昨年、3000台の自動車を生産したが、やむをえない事情で、今年は2000台か2500台しかつくれないとしましょう。こういう場合に、減らされた生産計画に見合う労働力を減らして他へまわすべきではなく、9か月なら9か月の間に生産計画を遂行して、残りの3か月間は炭鉱へ石炭採掘に行くとか、籍はそのまま工場において1年間に500人なら500人、余分の労働力は炭鉱に行って働き、帰ってきて翌年から増えた生産計画を遂行するようにさせればよいわけです。こうせずに、計画が減少したからといってやたらに技能工を他にやって、計画が増えるとまた新しい人を受け入れるとすれば、自動車やトラクターのような機械設備の品質を高めることはとうていできないし、労働者の技術熟練度を向上させることもできません。

 私の考えでは、これまで機械工場の労働力をいい加減に引きぬいたり追加したりしたのは、国家計画委員会や労働省にも誤りがあるし、適時に意見を出さなかった機械工業省や関係企業所にも責任があると思います。

 労働行政を改善するためには、労働の計画化を決定的に改めなければなりません。労働力を節約することのできる最大の余力もまさにここにあります。事実、労働の計画化を正しくおこなって、一人一人の勤労者に1年間の仕事と上半期の仕事、1か月や1週間の仕事、そして毎日の仕事を明確に与えるならば、誰もが自分の責任を果たすために努力することでしょう。こうなれば、自然に労働力の浪費も、怠ける人もなくなり、一人当たりの生産高もいちだんと向上するでしょう。我々が党の方針にそって労働の計画化を正しくおこないさえすれば、それだけでも、現有の労働力で生産高を現在の倍に高めることができるでしょう。したがって、国家計画委員会や労働省はもとより、他の省や道人民委員会をはじめ、各級人民委員会、各級経済機関でも労働計画化の仕事を一日も早く改善するよう、党の指導を強化しなければなりません。

 他のすべての仕事がそうであるように、労働の計画化を正しく進めるためには、まず綿密な調査にもとづく科学的な統計資料が必要であります。なんの科学的な統計資料もなしに、素手で現実性のある労働計画を立てることはできません。

 続計資料を得るのはさほど難しいことではありません。いまのように中央にいて資料を得ようとするから難しいのであって、党の指示どおり生産現場に出向いて直接労働者たちと話し合えば、どの作業班の誰それは何級工であり、体質はどうで、どういう長所と短所があるということまで知ることができます。

 また、詳しいデータが記録されている工場別カードさえもっていれば、足しげく現場へ行かなくてもすむでしょう。労働省は、当然それぞれの工場についてその生産品目はどんなものであり、生産量はどれほどか、労働力はどれほどあってそのうち1級工、2級工、3級工、4級工はそれぞれ何名いるか、男子は何名、女子は何名で、そのうち産前産後の休暇をとらなければならない婦人は何名か、直接部門の労働力と間接部門の労働力はどれほどで、その業種別構成はどうか、労働基準量はどうで、その遂行状況はどうかなどを詳しく調べて台帳に記録しておくべきです。我が国の大工場のカードさえ持っていれば、労働力の配置や調整などは十分計画的におこなえるはずです。詳しい調査にもとづいた工場別カードさえ持っていれば、労働力の調整問題がもち出されたときに、人民経済的にみて比較的重要でない部門と間接部門の労働力が多く一人当たり生産高の低い工場や企業所から労働力を引きぬいて、人民経済的にみてより重要かつ緊要な部門や企業所に労働力を補充する仕事を能動的におこなうことができます。こうすれば、工場や企業所にはなんの混乱も起こらないでしょう。

 先日、金属工業省の幹部たちにも話したことですが、成興(ソンフン)鉱山の一人当たり生産高は、大楡洞(テユドン)鉱山や香山(ヒャンサン)鉱山のそれに比べてはるかに高いものです。だとすれば、成興鉱山の方で労働力が足りないと言っていたとき、香山鉱山には保管労働力だけ残して、あとは当分の間、成興鉱山にまわす措置をいくらでもとることができたはずです。それゆえ、これから労働省をはじめ、労働行政機関や部署では、労働計画化事業の改善に深い関心を払わなければなりません。

 次に、労働行政において重要なのは給養活動であります。

 給養活動が一つの政治活動であるということは、我々が長いあいだの革命闘争をつうじて得た重要な結論であります。かつてのパルチザン闘争時期や祖国解放戦争のときの経験にてらしてみても、給養活動がスムーズにいっている部隊は戦闘力が強く、兵士の士気も旺盛ですが、給養活動がうまくいっていない部隊は戦闘力も弱く、兵士の士気も上がりませんでした。満足に食べられず、十分な休息もとれない人たちは気力がなく、勇敢に戦うことができないのは明らかなことです。人間の体力には限度があるもので、一定の栄養と休息が保障されないと肉体的にもちこたえられません。

 給養活動に関心のないのは、古いブルジョア思想観点のあらわれです。資本家は、労働者のための給養活動などにはいささかの関心も払いません。資本主義社会には失業者が多く、安価な労働力の源泉が多いので、資本家には、労働力がなくて企業が運営できなくなるというような心配は少しもありません。したがって、労働者を酷使し、労働者が処遇改善を要求すると、かえって働きたくなければやめろと高飛車に出ます。

 しかし、人民が国の真の主人となっている社会主義制度のもとでは、決してそうすることはできません。社会主義制度のもとでは、経済幹部や工場、企業所の管理幹部は、労働者を革命の同志として対すべきであり、かれらにたいする給養活動に深い関心を払わなければなりません。

 給養活動の改善について、私がこの演壇で強調しただけでも、数十回にもなると思います。しかし、いまなお給養活動にはこれといった改善がみられません。

 給養活動がうまくいかないのは、条件がととのっていないためでは決してありません。もちろん、勤労者にたいする給養活動において国家が解決すべき問題もありますが、地方自体で可能なことまでやっていないことが多くあります。みなさんは、いま勤労者に食用油を満足に供給していませんが、これも関心をもって仕事の手配を手際よくおこなえば、いくらでも解決できます。このあいだ、咸鏡南道興上(フンサン)郡のある協同農場に立ち寄ったことがありますが、そこでは昨年、農民に食用油を供給するために努力した結果、各戸にゴマを大ますで2斗ずつ分与したとのことです。大ますで2斗なら18〜19キログラムになりますが、これはたいへんな量です。こうして、そこの人たちはみな食用油をとっています。しかし、平安南道では給養活動がうまくいっていません。他の道、市、郡でも興上郡の模範に見習う必要があります。仕事の手配さえうまくおこなえば、農民にいくらでも食用油を供給することができます。

 一昨年、道・市・郡党委員長協議会で討議したとおりに、各農場、各作業班にゴマ栽培地として畑をひと区切りずつ当てたならば、農民に食用油を供給できたはずなのに、平安南道党委員会や道農業経営委員会、それに郡党委員会などではなんの仕事の手配もしませんでした。これで、いったいどこから食用油が得られるというのでしょうか。

 平安南道では、食用油だけでなく、勤労者に野菜も満足に供給していません。先日、黄海製鉄所の党責任書記に電話で給養活動について聞いてみたところ、かれは、平安南道へ移動作業に行っている黄海製鉄所の労働者たちは、松林(ソンリム)よりも高い値段で野菜を買うので不便を感じているとのことでした。平安南道党責任書記にこの点をたしかめてみると、道内に野菜があるにはあるが、それは輸送がうまくいかないためだと言い訳をしていました。いくら輸送がうまくいかないからといっても、他の地方より高い値段で野菜を供給したのでは勤労者の生活を向上させることができません。

 この原因は、幹部が、党性、階級性、人民性に欠け、人民生活の改善のために熱心に取り組まないところにあります。

 黄海製鉄所の党責任書記の発言にもあったように、黄海製鉄所では、党の指示どおり100ヘクタールの野菜畑に散水式潅漑システムをとり入れて労働者に野菜を十分供給してもなお余るようになり、数年前に送った乳牛40頭を180頭以上に増やして労働者と託児所の子供に牛乳をかかさず供給しています。いま、黄海製鉄所の給養基地は強固であり、遠からず肉類も十分に供給できるようになるでしょう。

 しかし、徳川自動車工場では140ヘクタールもの副業農場をもっており、輸送手段は自分の工場でつくるのでいくらでも解決できるし、機械化と潅漑システムの導入条件も十分にそなわっているのに、幹部が全く関心を払わず、仕事の手配をおこなわなかったために、いまだに給養活動は円滑にいっていません。もし、徳川自動車工場で40ヘクタールの土地に潅漑システムをとり入れて野菜をつくり、あとの100ヘクタールに栄養価が高く収量の多い飼料作物を植えるならば、労働者に野菜と肉類を十分供給できるはずです。

 咸興地区の各工場の給養活動も依然として改善されていませんが、ここでもその気になって工夫し、努力さえすればいくらでも立派におこなえます。咸興からそれほど遠くない永興(ヨンフン)へ行けば、芦畑に適した面積が700ヘクタールもありますが、そこに芦を植え、飼料作物を100ヘクタールほどつくるならば、乳牛を数千頭飼えるでしょう。

 一部の人は、鉱山や炭鉱などでは給養基地をつくるのが困難であるかのように言っていますが、決してそういうことはありません。剣徳(コムドク)鉱山などは特別によい条件をそなえているわけではありませんが、幹部が力を入れて取り組んだ結果、労働者への給養活動を非常に立派におこなっています。どこでも、その気になって取り組みさえすれば、いくらでも立派にやれます。

 私の考えでは、すべての大工場で栄養価が高く、収量の多い飼料作物を100ヘクタールぐらいずつ栽培する運動をくりひろげるのがよいと思います。こうして、労働者に野菜だけでなく、肉類を切らさず供給できるようにしなければなりません。

 給養活動を立派におこなえば、それだけ労働者たちは安定し、いっそう熱心に働き、仕事の能率もさらに上げるようになります。みなさんは、給養活動を労働行政の最も重要な部分と考え、これに深い党的関心を払わなければなりません。

 みなさんは、今回の総会で討議された問題を立派に解決するため、献身的に努力すべきであります。

 特に、経済建設と国防建設を並進させるという党代表者会議の決定を貫くために、人民経済のすべての部門で一大高揚を起こさなければなりません。我々は、我々の前進運動を阻む消極分子や動揺分子と断固たたかい、新たな勝利をめざしてひきつづき力強く前進しなければなりません。     
 出典:『金日成著作集』21巻


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