金 日 成

幼児を共産主義的に教育、育成するのは、
保育員、教養員の栄えある革命の任務
全国保育員・教養員大会でおこなった演説 
−1966年10月20日− 

 皆さん!

 我々はすでに以前から、保育員・教養員大会をもとうと思っていました。母親大会の後にも、また、女性同盟第3回大会の直後にも開こうとしました。ところが、いろいろな事情のため、今日ようやくこの大会が開かれるようになりました。

 私はまず、党中央委員会と共和国政府の名で、大会に参加した皆さんと、皆さんをつうじて、幼児の共産主義的教育、育成に大きな貢献をしている全国のすべての保育員、教養員に感謝の意を表するとともに、皆さんがより大きな成果をおさめるよう願ってやみません。

 保育員、教養員の任務については、報告に詳しく述べられているので、私はいくつかの問題についてだけ話そうと思います。

 保育員、教養員は、何よりもまず自分の仕事に大きな誇りをもつべきであります。

 保育員、教養員は、わが国の社会主義建設で非常に重要で責任の重い仕事を受けもっています。皆さんが保育している幼児は、祖国の未来であり、共産主義建設の後続部隊であり、革命偉業の継承者であります。

 わが国のあらゆる財貨と、我々が生産し建設するすべてのものは、我々の次代のためのものであります。我々が建設した住宅や劇場、文化施設もすべて次代のためのものであり、我々が節約し増産するために努力するのも、果樹園を立派に造成し田畑を丹念に手入れするのも、すべて次代に幸福な生活をさせるためであります。我々はこのように、祖国の限りない繁栄のために、次代にさらに立派な生活を譲り渡すためにたたかっているのです。ところで、その次代というのはまさに、皆さんが保育している託児所や幼稚園の子供たちであります。

 実にこんにち、保育員、教養員の仕事は、よその家の子守ではなく、共産主義建設の後続部隊、わが革命偉業の継承者を育てあげる光栄ある革命事業であり、祖国の未来にかかわる重要な仕事であります。党と国家は、このような栄誉ある重要な仕事を受けもっている保育員、教養員を心から尊敬しており、皆さんの仕事に大きな期待をかけています。したがって、保育員、教養員は当然、自分の仕事に大きな誇りと自負をもたなければなりません。

 ところが、一部の女性は、託児所や幼稚園の仕事がいかに重要なものであるかをよく理解していません。女性のなかには、よりによって他人の子守をする必要はないではないかと、保育員や教養員の仕事をつまらないことのように考えている人たちもいます。それで、一部の女性は、保育員や教養員として働くことをあまり好みません。普通教育省の報告によれば、いつも保育員学校と教養員学校の学生募集が一番難しいとのことです。ここには、ほかの学校に入れなかった人だけが仕方なしにやって来るそうです。

 私はある地方に行ったとき、そこの芸術サークル員の演劇を見たことがあります。それは、保育員、教養員の仕事が非常に重要だという内容のものでした。そのとき、道党委員長にどうしてこういう劇をつくったのかと聞いてみると、彼は、現在一部の女性が保育員や教養員の仕事を卑しいものと考え、保育員学校や教養員学校にはあまりいきたがらないからだというのでした。それを聞いて、私は大変残念に思いました。

 もちろん、教育事業はすべて重要ですが、そのうちでも幼児の保育にあたる保育員や教養員の仕事が最も重要であります。事実、人民学校の生徒を教える方が中学生を教えるよりも骨がおれるし、また、人民学校の教員より幼稚園の教養員や託児所の保育員の責任の方がいっそう重いといえます。それは、幼児ほど扱いにくく、幼児を扱う人ほど、老練で豊富な知識と多くの経験がなければならないからです。

 しかし、少なからぬ女性が、中学校や大学の教員になるのは喜んでも、人民学校の教員にはなりたがらないし、教養員や保育員になるのはそれ以上に嫌がっています。これは、確かにわが国の女性に次代の教育に対する正しくない態度があり、個人主義・利己主義とブルジョア的、または封建的思想の残りかすが多分にあることを示しています。

 もともと、女性には子供を育てる責任があります。それにもかかわらず、わが国革命の継承者であり、共産主義建設の後続部隊である幼児を保育するという、重要でしかも光栄ある仕事をつまらないことと考えるのは、共産主義をめざして進む我々の時代の女性がとるべき態度であるとはいえません。

 私は、わが国の女性のあいだにある古い思想の残りかすを一日も早く一掃し、女性が率先して保育員学校や教養員学校に入るよう、この席をかりていま一度呼びかけるものです。

 保育員や教養員、そして、人民学校の教員が同じところに長く勤めないのも、自分の仕事に誇りがもてないことと多分に関係があります。

 託児所や幼稚園でがんぜない幼児たちを立派に保育するのは大変難しいことであり、いたずらざかりの人民学校の生徒を教えるのも、非常に骨のおれることです。したがって、保育員や教養員、人民学校の教員は、知識も経験も豊富でなければならず、そのためには長いあいだ同じところで仕事をしなければなりません。

 ところが、現在保育員、教養員には勤続年限の長い人は極めて少なく、人民学校の教員にも年配の人はいくらもいません。幼稚園や人民学校の児童ほど、年のいった、教育経験も豊かで老練な教員が教えなければならないのに、そういう人は少なく、ほとんどが経験に乏しい人たちです。学校を卒業したばかりの人が配置されて来ても、何年もたたないうちに勤めきれないといって、よそへ行ってしまいます。党はこの問題について当該部門の幹部に何度も指摘しましたが、まだ十分に解決されていません。

 また、この問題と直接関係はありませんが、病院でもこれと同じような傾向が見られます。わが国の病院には、年配の看護婦は少なく、ほとんどが新しく入ってきた若い女性ばかりです。ある病院では看護婦が結婚すると退職させるそうですが、私にはそれが納得できません。看護婦も多くの経験と知識がなければ、その役目を十分果たすことはできません。

 保育員、教養員、人民学校の教員や看護婦に、なるべく同じところで長く働かせなければなりません。

 保育員や教養員、人民学校の教員が、自分の職業に誇りと自負をもつことができず、女性がこの部門にあまり進出したがらないのは、社会的に尊敬されず、また物質的に優遇されていないことにもある程度関係があります。

 党と政府は、国の事情に照らして、今後徐々に彼らの物質的処遇を改善することを考慮しています。

 しかし、物質的処遇を改善することだけでは問題が解決されません。皆さんの仕事が、賃金が多ければ栄誉あるものとなり、賃金が少なければ不名誉をものであると考えるならば、それは大きな間違いです。皆さんはいくばくかの金のために働く雇われ人になってはなりません。皆さんは、党と人民のために革命の新しい世代を育てる真の人民の保育員、教養員になり、真の革命家にならなければなりません。物質的処遇が他の人より少し劣るからといって、自分の仕事に栄誉と誇りがもてないような人は、人民のために働く真の革命家とはいえません。

 このたびの大会に参加した保育員、教養員は、誰よりも自分の仕事に大きな誇りと自負をもち、それをいっそう強く銘記しなければなりません。そして、持ち場に帰ったら、党と政府は、保育員、教養員に最も重要で骨のおれる仕事を任せており、党の信頼もそれだけ厚いということを全国のすべての保育員、教養員に伝え、誰もが自分の仕事に誇りと自負をもち、次代の保育、教育に全力を尽くすようにしなければなりません。

 それとともに、このたびの大会を契機に、保育員、教養員の仕事に大きな誇りをもたせるための社会的運動を広範に繰り広げなければなりません。党組織の指導のもとに女性同盟、社会主義労働青年同盟、職業同盟の各組織がこの仕事を掌握しておし進めるべきです。こうして、すべての保育員、教養員に、その責任を深く自覚させるとともに、彼女たちへの社会的認識も改めるようにしなければなりません。

 次に重要なのは、保育員、教養員の資質を向上させることであります。

 保育員、教養員が党の厚い信頼と期待にこたえ、各自の任務を立派に果たすためには、仕事に誇りをもつと同時に、その思想水準と専門知識水準をさらに向上させなければなりません。

 保育員、教養員は、何よりもまず共産主義思想で武装しなければなりません。自分の子供を共産主義者に育てるためには、母親自身が共産主義者にならなければならないのと同じように、わが国の子供を共雇主義建設の後続部隊に育てるためには、保育員や教養員自身が共産主義思想で武装し、気高い革命家の品性をそなえた立派な共産主義者とならなければなりません。

 党代表者会議で強調されたように、すべての勤労者を革命化、労働者階級化するのは、現在、わが党の最も重要な課題の一つとなっています。全社会を革命化、労働者階級化するためには、勤労者の意識のなかにある古い思想の残りかすを完全になくし、彼らをすべて労働者階級の革命思想共産主義思想で武装させ、真の共産主義者につくりあげなければなりません。

 共産主義者になるためには、まず利己主義思想を一掃し、集団主義思想を身につけなければなりません。利己主義思想は、共産主義思想とは絶対に相容れないものであります。共産主義者は、自分一個人の利益よりも、集団と社会全体の利益を尊重します。共産主義社会では、集団と社会の利益のなかにめいめいの勤労者の利益も含まれており、したがって、集団と社会の共同の利益は、とりもなおさず勤労者自身の利益でもあるのです。それゆえ、すべての人が「一人はみんなのために、みんなは一人のために」互いに助け合いながら働くことは、共産主義社会の基本的な要求であります。

 利己主義思想を捨てることなしには、共産主義者になれず、革命事業にも忠実でありえません。他人の子供を育てる保育員、教養員にとってはなおさらそうです。もちろん、他人の子供を育てるのは、直接的には、保育員、教養員自身のための仕事ではありません。それは、社会全体のための仕事であり、革命の未来のための仕事であります。そして、皆さんの受けもっている仕事は楽なものでもありません。こまごました仕事ではあるが、非常に骨がおれます。利己主義思想があっては、このように骨のおれる仕事が決してできるものではありません。幼児を育てる保育員、教養員自身が利己主義思想を捨て、集団生活に忠実であってこそ、幼児を集団主義思想で教育することができるのであり、また、保育員、教養員自身が思想的、道徳的に健全であってはじめて、革命の未来のための幼児保育事業にすべての情熱をささげることができます。

 人びとを共産主義思想で武装させる仕事は、決して一日や二日でなし遂げられるものではありません。それは、長い時日を要する困難な仕事です。まして、これを強制的な方法でおこなうことは到底できません。人びとの思想改造は、あくまでも日常不断の根気よい教育と解説、説得の方法によってのみ、成功裏におこなうことができます。

 保育員、教養員は、集団主義思想に反する利己主義的現象に対しては、それがさ細なものであっても原則的立場に立ってたたかい、自分自身にある古い思想の残りかすを一掃するための自己修養にたえず努めなければなりません。

 これとともに、すべての保育員、教養員は、マルクス・レーニン主義とわが党の政策を深く学習し、常に党の路線と政策を明確に認識し、それを行動の指針とすべきであり、共産主義社会がどのような社会であるかも、理論的によく知らなければなりません。こうして、皆さんが一人残らずマルクス・レーニン主義思想、わが党の思想で武装した立派な保育員、教養員にならなければなりません。

 保育員、教養員が徹底した共産主義者になってこそ、幼児を個々の家庭で育てるよりも、社会的、集団的に保育する方がすぐれているということを示すことができます。幼児を共産主義者に育てるには、家庭で育てるより集団的に育てる方がはるかにすぐれています。家庭というのは、個人所有の枠内にある社会の個別的単位です。したがって、家庭で育てられる子供には自由主義が容易に芽生え、利己主義が身につきやすいものです。また家庭では、たいてい、おばあさんが子供の面倒をみることになりますが、人一倍古い思想に毒されているおばあさんが新しい思想、共産主義思想で子供を立派に教育できないのは明らかなことです。おばあさんは、孫かわいさに、やたらにあまやかし、子供が悪さをしても正してやろうとしません。このように、家庭でわがままに育った子は、託児所、幼稚園で育った子より仕付けの面で多くの欠点をもっています。

 家庭で育った子は、集団生活をしたことがなく、わがままにふるまう癖がついているため集団生活を嫌い、気ままに行動し、大人の言うこともよく聞きません。また、家庭で気ままに育った子は、歌一つ満足に歌えず、あいさつの仕方も知りません。このような癖は、その子が学校に入ってからもしばらくは直しにくいものです。聞くところによると、家庭で育った子供は人民学校に入ってからも、しばらくは一番勉強ができず、言うことも一番よく聞かないそうですが、そうなるのは避けがたいことです。

 しかし、託児所や幼稚園で育てられた子供は、幼いときから集団生活をし、教育を受けているので、規律も守り、友達を愛し、あいさつの仕方もわきまえています。また、託児所や幼稚園で育った子供は、幼いときから多くのことを教わるので、学校に行ってからも勉強がよくできます。

 このように、託児所、幼稚園で幼児を集団的に育てるのは、幼いときから集団主義精神を養い、共産主義的品性を培ううえで非常に有益です。それゆえエンゲルスは、有名な小冊子『共産主義の原理』のなかで、母親の懐から離れたすべての子供を国家の施設で国家の費用で育てることを、極めて重要な共産主義的施策の一つとみなしたのです。

 わが党は、国家による幼児の養育にいつも大きな関心を寄せ、すでに少なからぬ成果をおさめました。いまわが国では、87万の幼児が託児所で幸せに育っており、79万の児童が幼稚園で思う存分遊びながら教育を受けています。これは、わが国の幼児全体の60〜70%が託児所と幼稚園で養育されていることを意味します。わが国はまだ、すべてのものが豊富ではありませんが、我々はすでに次代を共産主義的に育てるうえで、大きなことをなし遂げたことに誇りをもつことができます。

 もちろん、多くの幼児を社会的に育てるのは、国家にとって大きな負担であり、難しいことであります。しかし、我々はかわいい子供たちの未来のため、国家と民族の未来のため、必ずこれを実施しなければなりません。我々が革命と建設をおこなうのはすべて次代のためであるとすれば、我々が幼児を育てるのに何を惜しむことがありましょうか。わが国の現状では、すべての幼児をいますぐに託児所、幼稚園で育てることはできませんが、我々は国の経済状態がさらに好転するにつれて、徐々にすべての幼児を託児所、幼稚園で育てるようにしなければなりません。

 保育員、教養員は、共産主義思想で武装するだけでなく、各自の専門分野の知識に精通していなければなりません。そうしてこそ、幼児を科学的な方法で体も丈夫に、明朗に育てることができるし、共産主義建設の後続部隊として育てることができます。

 幼いときから子供たちを健康に育て、よい習慣をつけさせるのは非常に大切なことです。子供たちが幼いときに健康でないと、それが一生影響を及ぼすようになり、幼いときに悪い癖がつくと非常に改めにくいものです。それゆえ、保育員、教養員は、子供たちを幼いときから健康で明朗に育てなければならず、よい習慣をつけさせるために努力しなければなりません。

 そのためには、保育員、教養員が、幼児を文化的に育て、科学的に教育するための知識を身につけなければなりません。幼児を文化的に、科学的に育てるためにはいろいろな知識が必要です。保育員、教養員は、例えば、幼児に新鮮な空気を吸わせ、日光浴をさせることについても知っていなければならないし、栄養をとらせることや、周囲の環境を清潔にすることについても知らなければなりません。また、幼児の教育も、あくまでその年齢と心理的特性に合わせておこなわなければなりません。

 幼児を文化的、科学的に保育している託児所や幼稚園もありますが、そうでないところもあります。いまなお少なからぬ託児所、幼稚園では、幼児の面倒もよく見ず、環境も衛生的、文化的に整えていません。

 このような形式的な仕事の仕方は、古いブルジョア思想の残りかすのあらわれであります。こんにち、形式主義は、託児所や幼稚園の仕事に限らず、党活動や経済活動をはじめ、すべての活動において一つの共通の病弊となっています。それで私は、数日前に党中央委員会の活動家を集めて、形式主義を一掃することについて改めて強調しました。我々は、党活動、経済活動、文化・教育活動をはじめ、すべての分野において形式主義を一掃する思想闘争を力強く繰り広げなければなりません。

 託児所や幼稚園の仕事にあらわれれているこのような形式主義は、保育員、教養員が衛生にかんする常識や、その他幼児の保育に必要な知識を身につけていないことにも関係があります。もちろん、医療従事者が、託児所、幼稚園の幼児の健康について、責任をもって世話しなければなりません。診療所の医師は、毎日、託児所、幼稚園に出かけ、必要な治療・予防活動をおこなわなければなりません。しかし、幼児の保育を直接受け持つ保育員、教養員に衛生知識がなければ、幼児を健康に育てることはできません。それゆえ、保育員、教養員は、古い思想の残りかすを一掃する思想闘争を進めると同時に、衛生・文化知識をはじめ、専門分野の知識を身につけるため極力努力しなければなりません。

 保育員、教養員の専門知識水準を高めるためには、いろいろな方法があるでしょう。もちろん彼女たちをすべて学校へ送って勉強させればそれにこしたことはありませんが、13万人もの保育員、教養員全体にいつ学校教育を施すことができるというのでしょうか。一番よいのは、保育員、教養員が働きながら学ぶことであります。女性同盟と社会主義労働青年同盟が責任をもって、保育員、教養員に幼児保育の知識を普及する活動をおこなわなければなりません。郡や里を巡回しなから保育員、教養員のための巡回講習会をおこなうのもよいでしょう。

 中央では、保育員、教養員が幼児を立派に保育、教育できるよう、必要な参考資料をたくさんつくって与えなければなりません。わかりやすい教材もたくさんつくって与え、『朝鮮女性』『生活文化』などの雑誌にも、幼児の保育と教育に必要なよい読み物をたくさん載せて、すべての保育員、教養員が読めるようにしなければなりません。

 次に、託児所と幼稚園の物質的基礎をしっかり築き、それを立派に管理運営するよう国家的、社会的に積極的な援助を与えなければなりません。

 保育員、教養員の努力と熱意だけでは、幼児の保育を立派におこなうことはできません。託児所と幼稚園で幼児を立派に保育、教育するためには、保育員、教養員の熱意とあいまって、いろいろな物質的条件が備わっていなければなりません。清潔で整った建物と幼児の保育、教育に必要な一定の施設がなければならず、幼児に与えるよい飲食物もなければなりません。

 このような物質的基礎を整えるためには、必ず国家的・社会的援助を与えなければなりません。特に、国家機関、企業所や協同農場が責任をもってこれを保障しなければなりません。そうしないで、ただ社会的運動に訴えるだけでは、託児所や幼稚園の物質的基礎を十分に築くことはできません。社会的な運動では、せいぜい庭づくり、草とり、植樹ぐらいのことはできるにしても、それ以上大きな援助を与えることはできないでしょう。

 私の考えでは、工場、企業所や協同農場で、収入の一部をさいて託児所と幼稚園のための資金として別にとっておくのがよいと思います。どの工場、企業所や協同農場にしても、みな計画経済に組み込まれているので、計画的に一定の資金をとっておかない限り、金の出るところがありません。工場、企業所や協同農場では、このような資金で託児所と幼稚園をきれいにつくり、それに必要な施設も備えるようにしなければなりません。

 それと同時に、各工場、企業所、協同農場では、それぞれの託児所や幼稚園の幼児においしくて栄養価の高い食べ物をつくって与え、牛乳も供給できるように、資金と米のフォンドもさいてやり、乳牛やヤギも何頭か飼うようにすべきです。

党組織と大衆団体は、託児所と幼稚園の運営にさらに深い関心を払わなければなりません。特に、党組織は、国家的に、または社会的に託児所と幼稚園を十分援助するよう、常に指導し統制しなければなりません。

託児所、幼稚園に対する行政的な指導を強化しなければなりません。託児所に対する指導は保健省が担当していますが、十分になされていません。これに対する党中央委員会の批判があってから、保健省に託児所指導局が新たに設けられましたが、口先ばかりで、依然として具体的な指導はおこなっていません。保健省は、託児所の幼児たちの健康に深い関心を払うべきであり、特に小児病棟を増設し、さらに充実させなければなりません。小児病棟を整えてはじめて、婦人の広範な社会的進出を保障し、その出勤率も高めることができます。いま、子供の病気のために職場に出られない婦人がたくさんいます。子供が病気にかかると託児所や幼稚園では受け付けません。そのため、小児病棟のないところでは、子供が病気になると母親が欠勤するほかありません。

各郡、各労働者区ごとに小児病棟を必ず設けなければなりません。小児病棟をつくるのは、それほど難しいことではありません。農村の文化住宅を二様合わせたぐらいの建物をたて、そこにベッドを入れて医師を何人か配置すればよいでしょう。

このようにして、一人でも多くの婦人が社会に進出して、安心して働けるようにしなければなりません。婦人が家に閉じこもって子供の面倒ばかりみていたのでは進歩しません。社会に出て、党生活や大衆団体の生活に積極的に参加してこそ、婦人も男子と同様に革命事業に貢献することができ、その過程で自分自身も進歩することができます。したがって、託児所、幼稚園、小児病棟を立派に運営し、より多くの婦人を社会に進出させることは、婦人を労働者階級化、革命化し、その文化水準を高めるうえでも大きな意義があります。だからこそ、党は、託児所、幼稚園、小児病棟を立派に運営することに大きな関心を払っており、子持ちの婦人が社会に進出するのをわずらわしく思う誤った思想とたたかっているのです。

幼稚園を指導する責任は普通教育省が負っていますが、これもうまくいっていません。現在、普通教育省では、全国の幼稚園をなん人かの督学が担当して指導しているそうです。こんなことでは指導の成果は期待できません。現在のように、なん人かの督学にこの仕事を任せきりにしてはなりません。道人民委員会や他の機関でさほど必要でない機構を縮小してでも、普通教育省の幼稚園事業担当者を増やすべきであります。こうして、幼稚園に対する指導体系を改め、その指導を抜本的に改善するようにしなければなりません。

次に、保育員、教養員の隊列を、優秀な人でかためなければなりません。党と国家は、保育員、教養員に非常に重い責務を任せています。それだけに、保育員、教養員が党の期待に背くことなく自らの責任を全うできるよう、その隊列をしっかりとかためなければなりません。女性同盟や社会主義労働青年同盟の組織などでは、保育員、教養員の養成機関に思想が堅実で品性の立派な人を選抜しておくり、保育員、教養員の仕事と生活についてよく気をくばり、常に援助しなければなりません。

 終わりに私は、皆さんが今度の大会の趣旨をくみ取って、我々のかわいい子供たちを健康で明朗な、品性の正しい共産主義建設の後続部隊として育てる光栄ある事業において、新たな成果をおさめるよう期待します。
                                                
出典:『金日成著作集』20巻
 

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