金 日 成

党活動において形式主義と官僚主義をなくし、
活動家を革命化することについて
 朝鮮労働党中央委員会組織指導部、宣伝扇動部の活動家におこなった演説
1966年10月18日

 私は、わが党の活動におけるいくつかの欠陥と、それを改めるための対策について述べようと思います。はじめは部長たちに話すつもりで準備したのですが、党の組織活動と思想活動を直接受けもっている組織部と宣伝部の活動家が全員集まったところで話してほしいという意見があったので、きょう同志たちに話すことにしました。


  1 党組織の経済活動に対する指導において形式主義をなくすことについて

 こんにち、党活動における最も基本的な欠陥の一つは、活動家の形式主義的活動作風が一掃されていないことです。

 活動家は、ひどい形式主義の病にとりつかれているため、仕事をしてもうわべだけ飾って深く掘りさげようとせず、問題一つ知るにしても、それをはっきりと具体的に極めようとせず、ただ表面をなでまわしているだけです。問題を分析するときは、スイカを割って赤いか白いかをはっきりと確かめるときのように、その内容を深く掘りさげ、本質を正確に把握すべきなのですが、活動家はそのようにしていません。

このように、活動家が仕事をいい加減におこない、問題を深く把握していないのが欠陥です。一見して、うわべだけ見れば何でも知っているようでも、いざ具体的に掘りさげて見ると何も知りません。どこかに出向いて提起された問題を調べるにしても、ただあらわれた現象をうわべだけなでまわし、内容を掘りさげて具体的に知ろうとしません。

人間一人を理解するにも、いろいろな角度から具体的に検討しなければならないのに、そうしないため、その人が真の革命家なのか、えせ革命家なのか、マルクス・レーニン主義をよく知っているのか知らないのか、およそ人に対する深い理解がありません。それで、幹部事業でもしばしば小さな欠陥を見て大げさに騒ぐ場合もあり、その反対に、さ細な問題のように見えても当然注意を払わなければならない重要な問題を、いい加減に処理してしまう場合もまれではありません。

 部長たちとのこの前の協議会でも話したことですが、いま党の隊列を強化する活動に少なからぬ欠陥があらわれています。組織部の活動家は、履歴書だけを見て、労働者出身でかためてあるから、もう我々の隊列は純潔だと考えているようです。

 これは間違った考えであります。もちろん、労働者階級はかつて資本家に最も多く抑圧され、したがって、誰よりも資本主義と帝国主義を憎み、革命性が強いのは確かです。マルクスが言っているように、労働者には私的所有がなく、革命によって失うのは鉄鎖だけです。労働者階級がよいというのはまた、彼らに強い組織力と団結力があるからです。

 しかし、労働者階級も資本主義社会で暮らしてきた以上、ブルジョア思想の影響から完全に脱することはできないのです。それに、もともと労働者階級のすべてが先祖代々からの労働者階級なのでもありません。言いかえれば、わが国の労働者階級は、祖父や曽祖父の代から労働者階級の思想を学んできたわけでもなく、また、彼らがブルジョア社会で暮らしてきた以上、彼らに小ブルジョア的・ブルジョア的思想観点が全くないとはいえません。

 まして、わが国のように、工業が短期間に速い速度で発展し、それに伴って労働者階級の隊列が急速に拡大した状況のもとで、労働者階級のなかには、昨日までの農民の出身や中小企業家または商人の出身も多くふくまれています。労働者階級のなかの農民出身や商人出身、または破産した中小企業家出身は、父母の階級的立場から受けた影響が非常に大きいといえます。

 労働者階級のなかにはまた、大きな製鉄所や製鋼所で働いてきた労働者とともに、日雇い労働をしてきた労働者も少なくありません。もちろん、その大部分が、かつては被搾取階級として抑圧された人たちであることは事実です。しかし、彼らの受けた社会的影響が互いに異なるので、それぞれ違った側面をもっています。

 労働者あがりだからといってすべて革命性が強く、組織性と服従性、団結力があるかといえば、決してそうでもありません。労働者であっても、革命化してこそ真の労働者階級になれるのであって、労働に従事したということだけで、おのずと革命化されるものでは決してありません。

 それゆえ、労働者階級出身で隊列をかためたからといって、問題がすべて解決されるわけではありません。ところがいまは、ただ履歴書だけを見て、労働者出身か労働者あがりの人さえ登用すれば、それですむかのように考えていますが、これがまさに組織活動における大きな欠陥です。もちろん、幹部隊列は一応労働者階級出身でかためられています。それでうわべはもっともらしく見えますが、実際にはその隊列にまだ小ブルジョア的な思想の残りかすが多いということを知らなければなりません。

 組織活動ばかりでなく、宣伝活動でもやはり形式主義が一掃されていません。いまは教育網も全部整っており、どのような問題でも党でいったん討議し決定されたものは、とどこおりなく下部におりてはいきます。それで、もう大丈夫だと考えているようです。いま、宣伝部の活動家は『扇動員手帳』や宣伝要綱をつくって配布すれば、任務を果たしたかのように思いこんでおり、それが党員と大衆のなかにどのように浸透しているのかについてはよく知らず、それに対する対策も講じていません。『扇動員手帳』をつくって配布したなら、宣伝部ではそれが党員と大衆のなかに正しく浸透しているのかどうか、党員の水準に適しているのかどうか、正しく認識しているのかどうかを確かめて見なければなりません。そうしてこそ、適時に対策を講じることができます。ところがいまは、形式的に『扇動員手帳』や宣伝要綱をつくって配布することにとどまっているので、宣伝活動がうまくゆくはずがありません。

 このようにすべて、うわべはもっともらしく見えますが、実際には形式主義が多分に残っています。党活動に形式主義が根づよく残っているため、革命化もはかどらず、党の組織活動もうまくいっていません。

 私は、どうすれば形式主義をなくすことができるかを何年も前から考えてきました。しかし、あれこれと試みても効果はなく、いろいろと苦心しても、やはり形式主義は形式主義としてひきつづき残っています。

 わが党の活動に残っている形式主義は、許カイ、朴昌玉らの反党分派分子が、党の指導的地位を悪用して長い期間にわたって植えつけたものです。当時、我々の革命的中核、すなわち長期にわたるパルチザン闘争の過程で鍛えられた革命の同志たちは、人民政権をうち立て、軍隊を創建する活動など、複雑な問題の解決に没頭していたため、党の内部活動にまで気を配る余裕がありませんでした。こうしたすきに乗じて、事大主義と教条主義に毒された彼らは、わが党内に外国の官僚主義と形式主義をもちこみました。その弊害は、祖国解放戦争の時期にはっきりとあらわれました。

 そこで我々は、そのときから事大主義と教条主義に反対し、主体性を確立する闘いをくりひろげました。ところが、その闘いは結局、朴憲永、朴一禹をはじめとするあれこれの異分子に対する反分派闘争になってしまいました。そのために、形式主義を根こそぎにすることができませんでした。その後も、総会などでは主に思想活動分野における教条主義と闘ったために、他のすべての活動にあらわれている形式主義との闘争は十分に進めることができず、結局、形式主義を一掃することができませんでした。こうして、活動家の形式主義は慢性的なものになりました。

 左ききを右ききに変えるのが難しいように、形式主義もいまでは慢性化し、習性となっているため、それを根絶するのは並大抵のことではありません。形式主義をなくそう、と誰もが口では言っていますが、実際にはその場かぎりで、すぐまた形式主義に陥ります。

 いま、相をはじめ多くの幹部は、上部のいうことはみな正しいといって受け入れてはいます。このようにみな受け入れて、それをノートに書きこんで、下部の活動家たちに、このたび首相同志はこれこれを重要な問題として提起し、しかじかの問題について強調したと伝えもします。しかし、それは伝達にとどまり、実行が伴いません。そのために、党のうちだした政策が具体化されていません。

 農業を例にとってみても、いまこの部門には潅漑調査表さえありません。それで、用水路の長さはどれほどで、どこから水が漏れるのか、構築物を建設して何年になるが、いつそれを改修すべきか、といったような見積りがありません。また、どの水田が水を多く吸いこみ、どの水田が少なく吸いこむのか、どの水田から水が何分間にどれだけ漏れるのかということなども知りません。ただあてずっぽうに、揚水量と貯水池の容量によって、1ヘクタール当たりほぼどれくらいの水が使用された、というふうにしか知っていません。用水の管理を手ぬかりなくおこなうようにと話したのはかなり以前のことですが、その間、用水の管理に関する講習会さえ一度も開いていません。

 農業部門で党の政策が正しく実行されていないのは、用水の管理だけではありません。党が、あれほど重要な問題としてかかげた土地の管理と改良、種子の選別と育成、その他の課題のうち、農業委員会が満足に実行したものは何一つありません。党中央委員会の農業部にも、種子貯蔵庫を建て、採種農場もつくるようにと指示してから大分たちますが、いまだにこの課題がよく実行されていません。

 農業だけでなく、他の部門も同様であります。

 なぜ、非鉄金属が大量に生産されないのでしょうか。非鉄金属を多く生産するためには、党の方針どおり探鉱を先行させなければなりません。ところがいま、その探鉱事業を十分おこなっていないのだから、非鉄金属が多く生産されるはずがありません。

 わが党は、基本建設はこれ以上おこなわずに、既存工場の生産面積を最大限に利用して生産を拡大するよう、一貫して強調してきました。しかし、党のこの方針も形式的にしか実行されていません。

 機械工業省管下工場での生産面積の利用状況を見ても、この部門で党の政策がいかに形式的に実行されているかがよくわかります。車輦館(チャリョングァン)鉱山機械工場は、かなり以前に建てられた工場です。この工場は道路の近くにあるので、私は車で新義州へ行くたびに、幾度か立ち寄ってみようと思いながらも、いろんな都合でつい立ち寄れませんでしたが、今度はじめて行ってみました。実際に行ってみると、工場は実に大きいのですが、機械は幾台もなく、中はがらんとしていました。私は支配人に、工場がこんなに広いのに、なぜ工作機械をもっと入れてボルトやナットをたくさん削らないのか、いま他の工場ではボルト、ナットがなくて万能千万で削っているのに、これだけの面積をもっていればいまの3倍は生産できるのではないか、と聞いてみました。すると彼は、3倍はむりかも知らないが、2倍は問題なさそうだといいました。いま、党では工場設備を入れるところがなくて苦慮しているのに、このように工場の面積を十分利用しないというのは極めて重大なことです。

 教育図書印刷工場の場合も同じです。もともと、この工場は機械工場として建てたものですが、学生の教科書をもっと多く印刷するのに必要だから譲ってもらいたいという関係部門の強い要望があったので移管したものです。ところが、この工場の建物は、教育図書印刷工場としてはあまりにも大きすぎるので、その面積を全部利用していません。実情がそうであるなら、平壌市では当然、工場の面積があまり広すぎることについて真剣に討議し、生産面積を合理的に利用する対策を立てるべきでした。平壌市には各省がもっている出版社がたくさんあります。これらの出版社を合同してその広い印刷工場に入れ、出版社として使っていたそれぞれの建物は、専門化された小さな機械工場なり地方産業工場にでもすればよいでしょう。そうすれば、国家にも多くの利益をもたらすことができます。教育図書印刷工場の生産面積の利用率が低いということがなんども政治委員会にもちだされるので、ある日、私が直接行ってみたところ、実際この工場では、生産面積のわずか4分の1ぐらいしか使っておらず、また工場内の規律や秩序も保たれていませんでした。

 活動家たちは、このように党の政策を研究もせずに、仕事を形式主義的におこなう癖がついてしまったため、考え方が鈍り、何か一つの問題を処理するにしても、軽率にいい加減にかたづけてしまいます。

 平壌市で仕事がいかに形式主義的におこなわれてきたか、もう一つ実例をあげましょう。平壌市に松の木を植えるように指示したところ、不承ぶしょう植えることは植えました。松の木を植えるようにという指示を受けたなら、ていねいに掘ってきて丹念に植え、よく手入れしなければならないはずです。にもかかわらず、多くのトラックと人手を動員して木を移植してからはよく管理しなかったため、みんな枯らしてしまいました。どうしても力が足りないのなら、むしろ能力に合わせて植え、適時に水をやり、一本でも多くの松を生かすべきであって、枯木をたくさん並べておいて何の役に立つでしょうか。平壌市の幹部は、多くのガソリンと労働力と資金をついやして植えた木を枯らしたにもかかわらず、心を痛めていません。

 人々にこのような癖がついてしまったので、どこかで水道の水が漏れるのを見ても平然としており、貴重な蒸気がどんどん漏れるのを見てもそ知らぬ顔をします。これは、実に我慢のならないことです。活動家がこのような仕事ぶりでは、どうして都市をよく管理し、国の経済を立派に運営していくことができるでしょうか。

 活動家たちが仕事を形式的におこなっている実例は、このほかにいくらでもあげることができます。

 このように、農業部門、工業部門、都市経営部門を問わず、どの部門にもみな形式主義が根強く残っており、党の政策を形式的に実行しています。

 現在、党の経済政策を実行するうえで多くの欠陥があらわれているのは、行政管理幹部の形式主義的活動作風とともに、各級党組織が経済活動に対する党的指導を形式的におこなっていることとも大いに関連があります。

 道党委員会の活動を見ても、道党責任書記が慢性的な形式主義病にかかっているため、中央にきてから帰ると総会を開いて、このたび党中央ではこれこれのことをうちだした、我々はこうこうしなければならないと、流ちょうに報告をおこない、決定書を採択するとそれですべてが終わります。

 党組織の活動における形式主義は、最近の党代表者会議の決定を実行する過程にもあらわれています。周知のように、我々は最近、党代表者会議を開き、重要な報告をおこないました。現情勢は複雑を極めており、緊張した闘争を要求しています。7か年計画の期間はあと何年も残っていないので、経済建設も国防建設も立派におこなわなければなりません。そのためには、党代表者会議の決定を高くかかげて、それを貫くための仕事の手配を綿密におこない、形式主義を決定的になくさなければなりません。

 ところが、皆さんは党代表者会議の決定の実行もまた、形式的におこなおうとしています。首相の演説を録音して聞かせたり、本にして配布すればそれですむと思っているのか、党代表者会議の報告の学習や討論さえ満足におこなわずに道党委員会総会を開こうとしています。それで、我々は総会を中止させました。いま、党員と幹部のなかに、党代表者会議の報告の内容を正しく理解している党員がどれほどいるのか、報告の趣旨を知りその実行に関する明確な構想をもっている人がどれくらいいるのか調べてみたでしょうか。私の見たところでは、調べてはいないようです。みなせわしく走りまわってばかりいますが、そういうことではいけません。いまからでも、活動家たちを厳格にしつけるようにすべきです。

 党活動における形式主義が、社会主義経済建設にどれほど重大を弊害をもたらしたかは、平安北道党組織の活動にはっきりと見ることができます。党代表者会議の結語でも述べたように、年に40万トン以上の稲わらをだしている平安北道で、4万トンの稲わらを供給できなくて、新義州パルプ工場の操業を中断させていました。龍川郡だけでも年に8万トンの稲わらがでるのに、4万トンの稲わらを供給できず、この緊張した時期に工場をとめるということは、実に我慢のならないことです。

 新義州パルプ工場で紙の生産がとまっているのはソーダが足りないからではありません。この工場ではソーダをいくらも使いません。また、この工場は歴史が古いため、設備の不備な点もありません。いままで、この工場が順調に操業できなかったのは、もっぱら原料が供給されなかったためです。平安北道の党組織はこの工場に関心を払わず、道内の勤労者のあいだで原料供給についての宣伝活動も満足におこなっていません。

 私は平安北道に行ったとき、そこの党員や協同農場員、学校の教員を集めて話し合ってみましたが、稲わらがなくて工場が休んでいる事情を彼らは全く知りませんでした。私が、党は農村で地主を一掃してあなたたちに土地を与え、現物税を免除し、文化住宅も無料で建ててやっているのに、何が惜しくて工場に稲わらも送らないのかと話したところ、彼らはいっせいに立ち上がって「私たちは本当に知りませんでした。わら代など、それこそとんでもないことです。ただで出してもかまいません!」と答えるのでした。これは、平安北道の党組織が、道内の住民に、いかに形式的に政治活動をおこなってきたかをはっきりと示しています。

 平壌市党委員会の活動にも、形式主義が甚だしくあらわれています。

 我々は、人民に鶏肉を供給するため養鶏場を建設中です。このたび私は報告書も書き、体も少し休めるために休養所に行ってきましたが、発つまえに平壌市党の責任幹部たちを呼んで、私が帰ってくるまでに養鶏場の建設を終えるようにと任務を与えました。ところが、ふた月ぶりに帰ってきて見ると、何一つはかどっていませんでした。

 我々は、この事実を一つ見ても、幹部の活動における形式主義がどの程度に及んでいるかを知ることができます。いまでは形式主義は、党の決定や指示をまともに実行しなくても何とも思わぬ程度にまでいたっています。

 地質探査部門に対する党の指導も、やはり正しくおこなわれていません。いま、活動家は探鉱部門に政治部指導員がいるのかどうかさえ知らないありさまなのですから、その部門に対する党の指導がいかに形式的におこなわれたかは、十分推しはかることができます。党の組織部で出かけていって、探鉱部門の働き手を集めて話し合ったり、活動報告を聞いてみたりしたことが一度でもあったでしょうか。宣伝部で出かけていって、講演をしたり講習をおこなったりしたことが果たしてあったでしょうか。このような活動は全くせずに、ただのんきに構えて探鉱活動がうまくいくことだけを待ち望んでいます。探鉱は、5、6人あるいは、10人ぐらいずつ一組になって、いつも個別的に山を歩きまわりながらする仕事ですが、彼らが探鉱を正しくおこなっているのか、しなくてもしたと偽りの報告をしているのか、知るすべがありません。

 活動家が形式主義を一掃していないため、うわべだけを見て内容が見られず、こちら側だけ見て向こう側は見ようとしません。そのため、活動家はどこへ行っても欠陥を見つけだすことができないのです。

 活動家が欠陥を見つけだせないのは、党の政策を深く理解していないところに主な原因があります。私がいつも言っていることですが、党の政策はいわば物差しのようなもので、常にこれを基準にして考え、行動しなければなりません。ところが、活動家は党の政策を理解していないため、仕事を手際よくおこなうことができず、どれが党の政策に反するものなのか見分けることもできません。工場面積の利用問題にしても、徹底した認識さえもっていたなら、工場に入ってみてすぐに、これは党の政策に反する、党では利用率を高めよといっているのに、なぜ機械を数台しか入れていないのか、と問題にしたはずです。ところが、そのようにできないのです。

 党の組織部と宣伝部の指導員は、党の政策に精通していなければなりません。それでこそ、どこへ行っても、何が党の政策に反しているのかをすぐに見分けることができます。しかし、いま同志たちがそれを見分けることができないところをみると、党の政策を深く研究しているとはいえません。

 こんにち、活動家たちの形式主義的活動作風によってつくりだされた状態は、非常に危険なところにまできています。形式主義を根こそぎにすることなしには、北半部における社会主義建設も、また南朝鮮の革命も立派になし遂げることができず、祖国統一の偉業を早めることもできません。

 それゆえ、このたび我々は、活動家に残っている形式主義を一掃するために、一大決心をして取り組みました。

 では、形式主義的活動作風をどこから改めるべきでしょうか。まず、党中央の活動家から形式主義的活動作風を徹底的になくさなければなりません。特に、組織部と宣伝部は、直接、人に接し、人を扱う部署ですから、絶対に形式主義に陥ってはならず、仕事に真実味がなければなりません。川上が清くてこそ川下も清いということわざどおり、まず中央で改めなければ、下部で改まるわけがありません。中央で形式主義的活動作風を改めないために、いまではその影響が生産にまで及び、使いみちのない、粗雑な製品がつくられています。内閣でも、副首相の活動作風からはじめて、すべて改めなければなりません。そして、幹部はあらゆる問題を深く掘りさげて研究し、一つの問題でもいったん取り組めば、最後までなし遂げる気風を身につけなければならず、常にそのような習慣を培わなければなりません。

 すべての幹部は、どんな問題でも、うわべだけをなでまわさずに、深く分析し、いかなる問題についても常に肯定的な面と否定的な面をそれぞれ考えてみなければなりません。さ細な問題を誇張して報告してもいけませんが、そうかといって、実際にある問題を隠してもいけません。一言でいえば、すべての問題をまじめに、深く掘りさげる態度でのぞまなければなりません。スイカなら、それを割って、中味が赤いか白いか、黒い種か白い種かを確かめて見るだけでなく、食べてみて甘いか苦いかということまで、はっきり知らなければなりません。このように、提起された問題の本質とその解決の方法をはっきり知った後には、それを中途で投げだすことなく、最後まで取り組んで解決するようにしなければなりません。


  2 思想革命を強化し、活動家を革命化するために

 我々は既に、社会主義農村問題に関するテーゼのなかで、思想革命を強化する課題を示しており、また、党中央委員会総会で各階層の大衆を革命化する問題を繰り返し強調してきました。このたびの党代表者会議の報告でもまた、党員と勤労者を革命化、労働者階級化することを重要な課題としてうち出しました。

 党員と勤労者を革命化、労働者階級化するのは、わが国革命発展の必然的な要求であります。社会主義・共産主義を建設する過程とは、労働者、農民、インテリをはじめ、社会の全構成員を革命化する過程であります。もし我々が、思想革命の問題、各階層の大衆を革命化する問題を立派に解決すれば、共産主義へ早く進むことができ、この問題を正しく解決できなければ、共産主義へ早く進むことができないでしょう。社会主義の物質的基礎を築くことは比較的容易ですが、人間の意識を変えることは非常に難しいことです。

 したがって、党員と勤労者を革命化する問題は、我々に課された極めて重要な課題であります。

 それでは、人々を革命化するうえで重要な闘争対象となるのは何でしょうか。それは、各人の頭にある利己主義、個人主義であります。利己主義、個人主義の思想は、農民、インテリをはじめ、小ブルジョア出身や労働者のうち、まだ革命化されていない人がもっています。人々を革命化するというのは、人々の頭から利己主義、個人主義などのブルジョア思想を抜ききり、個人の利益よりも集団と全体の利益を重んずる共産主義の思想・意識を高めることを意味します。言いかえると、革命化するというのは、個人の利益を捨てて党と革命のため、大衆のため、人民のために水火をもいとわず献身的に闘う強い意志をもった革命家につくりあげることを意味します。

 これは決して簡単な問題ではありません。人々を革命化することは、みずからの生命を革命のためにささげる決意をもつかどうか、個人の利益を犠牲にして組織の利益に服従する決心ができているかどうか、すなわち、革命的世界観をもつか否かに関わる重要な問題であります。

 すべてを革命の利益のためにささげると口先でいうのは簡単ですが、実際そのように行動することはやさしいことではありません。

 強い意志さえもっていれば、困難にぶつかっても克服していくことができます。意志が強いか、弱いかということは、革命的世界観を正しく確立したかどうかという問題ですが、口ではもっともらしいことを言っていても、いざ監獄に入ると変節し、戦闘では逃げだし降伏するものが少なくありません。

 我々は、そのような事実をたくさん見てきました。我々抗日パルチザンが非常に困難な状況におかれていたとき、日本帝国主義者は崔南善まで長春に派遣して懐柔工作にあたらせたり、ビラを撒いてありとあらゆる悪宣伝をおこなったりしました。彼らは、我々が「馬肉をかじっている」とか、「金日成について歩けばスターリンの生けにえにされるだけだ」などと言ったものです。当時、わが部隊の参謀長であった者も、長いあいだ革命に参加してきたという男ですが、逃亡してしまいました。

 あのころ、我々は実に苦しい試練を体験しました。私は、一緒にいた同志たちと私を護衛していた同志たちに、我々は10年以上もともに戦ってきたが、これから先またどれだけ戦わなければならないのか、前途はまだ遠い、我々が国の独立をかちとるためには長いあいだ闘争をつづけなければならない、戦いがいかに困難で長びこうとも勝利は必ず我々のものである、困難にうちかてないものは去れ、しかし逃げだすようなことはするな、トウモロコシをゆでて食べながら10年間も厳しい寒さや暑さにもめげず、苦労をともにして戦ってきた同志なのに、あいさつぐらいはして行け、去るからといって決して撃ち殺しはしない、このように話しました。すると、ある同志は泣きもし、またある同志は死んでも一緒に死ぬといいました。こんな悲壮なこともあったのです。それまで、我々の部隊では、他の部隊でのように指揮官を撃って逃げた者はいませんでしたが、逃亡者はたまにでました。しかし、この悲壮な一件があって以来逃亡者はなくなり、みんな強く、立派に戦いました。我々はこのように困難を乗り越えて進みました。強い意志さえもてば、どのような困難でも克服することができます。

 我々は、ほぼ40年のあいだ革命闘争をおこないながら、多くの嵐や試練を乗り越えてきました。地下闘争もおこない、パルチザン闘争もおこないましたが、そのあいだに、革命をつづけるか死を選ぶがという苦しい局面を数多く乗り越えました。解放後も、祖国解放戦争の後退の時期をはじめ、困難なときがしばしばありました。そのたびに、かつて革命に参加した人たちがどのように困難にうちかって革命をつづけたかを思いおこし、難関を必ず突破しなければならないという決意をかためました。このような長期的で苦難にみちた闘争のなかで、我々の革命的意志はさらに強固になりました。

 後退の時期のあの困難なときに、私は同志たちの団結の力から勇気を得ました。ある日、当時人民軍の指揮官だったある同志が、平泉の防衛戦闘で腕に負傷まで負い、かろうじて敵の包囲網を突破して私の所にきました。私はその同志と昼食をともにした後、一晩の休息も与えず、直ちに黄草嶺(ホワンチョリョン)へ向かうよう命令しました。

 私は、敵が黄草嶺に侵入してくるかも知れない、もし、そこで阻止できなければ江界まで入ってくる可能性があるから、どうしてもそこで敵をくい止めなければならない、予備軍はないから後退してくる軍隊を集め、そこにある6台の戦車をもって黄草嶺を守るようにと彼に命じました。彼は、いく日も食べるものも食べずに苦労してきたばかりか、負傷までして私のところへやってきたのに、一晩の休息もとらせず、すぐ発つように命令しましたが、何も言わずにその足で発っていきました。そのとき、わが国に来ていた外国人たちもこの光景を見て、あなたたちパルチザン闘争を戦った人たちがこんなに強いとは知らなかったと感動して泣きました。

 また、戦後の復興建設に着手したとき、我々はどんなに苦しい状態におかれていたことでしょう。最初我々は、すべてが破壊しつくされた状況のもとで、果たして復興できるかどうか、実際、少なからぬ疑問もありました。しかし、そのときも我々は、人民大衆から勇気を得て、復興が可能だという信念をもつようになりました。

 戦争中、私は楽元に出かけたとき、楽元機械工場鋳物職場の党細胞総会に参加したことがあります。そこには、2人の婦人党員がいましたが、そのうちの1人が私に「心配なさらないでください。私たちが戦争に勝ちさえすれば復興建設は問題ありません。日本帝国主義者があれほど破壊して逃げたときも、私たちは2、3年間ですっかり建て直して、幸せな暮らしをしたではありませんか。戦争が終われば、また復興して立派な暮らしができますから、あまり心配しないでください」といって、信念をもりたててくれました。その夜、私は眠れませんでした。私は、彼女の言葉を一生忘れないでしょう。帰り道、私は車中で、彼女の言ったことが本当に正しいと思いました。このような強い意志をもった労働者階級がいる以上、わが党は必ず勝利するという信念をさらに強めました。

 反分派闘争のときにあったことをもう一つ話しましょう。私が降仙製鋼所を訪ねたときのことでした。出発するときは、そこで簡単に課題を与えて帰るつもりでしたが、いざ着いて見ると、そのまま立ち去るわけにはいきませんでした。労働者たちが言うには、大国が我々を抑えつけ、李承晩も再侵攻を企んでいるというので、力がぬけて仕事が手につかないというのです。

 それで私は、倉庫として建てた建物に労働者を集めて演説をしました。いま、我々は非常に困難な状態におかれている、アメリカ侵略者はツツジが咲けばまた攻めて来るといったが、本当に攻めてくるかも知れない、ある国の人たちは自分たちの分派を後おしするし、またほかの国の人たちはその国の片棒をかついで我々を押えつけようとしている、国内の分派分子はそれぞれ自分の主人を後ろだてにして党に反対するし、李承晩はアメリカを頼りにして我々に襲いかかろうとしている、我々は誰に頼るべきか、諸君しか頼みにするところはない、にもかかわらず諸君が気を落としていていいものだろうか、事情が困難であればあるほと、我々は勇気を奮い起こして働かなければならない、このように、すべてのことをありのままに話してきかせました。すると、労働者たちは万歳を叫び、口ぐちにどんなに困難な課題でもなし遂げると決意を述べ、崔昌益のごとき分派分子は電気炉に放りこんでやるからここへよこしてくれというのでした。私は、ここでもう一度、力を得ました。

 それからしばらくして、私は選挙のために南浦へいく途中、江西郡台城里にちょっと立ち寄ったことがあります。そこで、人民軍連隊長だった息子を戦場で亡くしたというあるおばあさんに会いましたが、おばあさんは、孫をおぶって、選挙場でみんなが踊っているのを見物していました。そのおばあさんは私を見ると「首相さま! お顔がとてもやつれていらっしゃるようですが、あまりご心配なさらないでください。分派分子らが人民生活がどうのこうのと騒ぎたてても、もうみんなの暮らしはよくなっているのですから大丈夫です。なんといっても私たちが勝つにきまっています。分派分子が勝つわけがありません。心配なさらないでください。私たちは首相さまを支持します」と言いました。私は、このおばあさんの言うことを聞いて新たな勇気を得、分派分子を徹底的に粉砕しなければならないと考えました。

 このように、我々は常に人民大衆から力と信念を得、革命的意志を鍛え、革命的世界観をいっそうしっかりうちかためてきました。

 皆さんは、仕事の過程でしばしば難関に直面することもあり、いろいろと複雑な問題につきあたることもあり、動揺することもあると思います。そういうときはいつも、党を信頼し、ゆるぎない革命的信条をもたなければなりません。言いかえれば、我々には党中央がある、私は人民のために闘う人間であり、既に革命のために身をささげる決心ができている、常に党と人民と革命のために忠誠をつくすのだ、私が一人死ぬのは何でもない、例え、肉体的生命は絶えようとも政治的生命だけは汚すまい、このような革命的信条さえもっていれば、どのような困難にもうち勝つことができます。

 こういう信条をもって行動すれば、簡単に死ぬものでもありません。私は以前、パルチザン闘争のころ、弾に当たるなら当たれと、危険なところへもかまわず入っていきましたが、背のうは銃弾にいぬかれて穴があいても、体には当たりませんでした。皆さんは、こういう革命的信条をもってこそ、革命事業をつづけることができるのです。

 革命闘争というのは、簡単なものではありません。最初、私たちが革命闘争をはじめたころは遠からずして勝利をかちとることができるものと考えました。ところが、実際に闘争をおこなってみると、考えていたようにはいきませんでした。青年運動もおこない、地下闘争もおこない、また武装闘争もおこなうなど、あらゆる形態の闘争を体験しました。このように、こんにちまで40年間、革命をおこなってきましたが、わが国の革命はまだ終わっていません。それゆえ、我々は最後まで革命をつづけるつもりです。

 我々が国士の半分を奪われて、どうして黙っていられるでしょうか。

 南半部を解放するのは、わが党に課されている最も重要な革命の任務であります。いま、アメリカ帝国主義は、袋小路に追いこまれつつあります。我々は、アメリカ帝国主義を打倒する決意をもたなければなりません。私は、人民軍の軍団長と師団長たちにも、いまの青年は日本帝国主義者やアメリカ帝国主義者がどういうものかを知らないから、我々がもっと年をとる前に、アメリカ帝国主義者とその手先を撃ち破って祖国を統一しなければならないと話しました。

 祖国統一の機会は、必ず到来します。来年になるか、再来年になるか、それは我々が革命的大事変を迎える準備をどのように整えるかにかかっています。祖国統一の機会を逸せず主動的に迎えるうえで何よりも重要なことは、やはり、すべての人が自分自身を徹底的に革命化することであります。

 革命化が何であるかを言葉のうえで知っているからといって、革命化されるものでは決してありません。革命化の問題は、ただ革命的実践の過程においてのみ解決されます。

 いま、少なからぬ党活動家が革命化されていません。道党および郡党の責任書記、工場党の責任書記や里党書記たちは、党の委任を官職とはきちがえています。細胞の書記をつとめるのも部長をつとめるのも、すべて同じ党の委任と考えるべきであって、それを決して高い官職、低い官職などと考えてはなりません。党から、10人を率いて仕事をするようにいわれても、100人を率いて仕事をするようにいわれても、それは、みな全く同じ党の委任だと考えて仕事をしなければなりません。それにもかかわらず、党から与えられたこのような職責を高い低いなどと官職同様にみなすのは、わが党の革命思想とは根本的に異なる間違った思想観点です。党の責任書記たちはこうした間違った思想観点に立っているため、権威をかさにきて威張りちらすのです。党活動家が何のために威張るのでしょうか。我々がそのように行動する根拠は何もありません。わが党は人民のために働く党であり、母なる党であります。このことを明確に認識しなければなりません。

 地方の党組織の活動家だけでなく、党中央の活動家のなかにも、いろいろな面で革命家らしくない現象があらわれています。党中央の活動家も地位が上がれば喜び、地位が下がれば気を悪くするそうです。革命をおこなうのに、地位に何の関係があるというのでしょうか。例え、いまは党中央の指導員であっても、あすにでも細胞におりて行けと言われれば、そこへ行って革命をおこなう覚悟をもっていなければなりません。党中央の活動家がこのように革命化されてこそ、必要によってある職場の党細胞書記として派遣されても、そこへ行ってその職場を立派につくりあげることができます。

 ところが、我々の同志たちにそのような覚悟ができているかといえば、そうでもありません。それで、党中央の指導員に登用されれば喜び、党中央の指導員でなければ低いものと思っています。

 党中央の活動家のなかにも党性、階級性、人民性が強くない人がいます。同志たちはいまなお党の権威をふりまわしていますが、それをなくす問題も革命化の重要な項目の一つに入れなければなりません。いま、活動家は、仕事をいい加減におこない、下部へ指導に行っては党の権威を乱用しています。

 我々は、大衆のために革命をおこなっているのです。わが党の闘争の目的は、人民大衆を党のまわりに結集して革命を遂行し、彼らが安心してむつまじく、幸せに暮らせるようにすることにあります。ところが、一部の同志のいい加減な仕事ぶりのため、大衆に、党と我々の制度に対して多くの不満をいだかせています。皆さんは決して活動をこのようにすべきではありません。

 このようなことは、皆さんにだけあるのではありません。最近、だいぶ批判されていますが、以前に革命活動をおこなった一部の人たちにもあります。革命闘争をおこなった人だからといって、完全に革命化されたわけではありません。誰しも、完成された革命的世界観をもっているとはいえません。誰であれ、あたかも自分がすっかり革命化された人間であるかのように考えるなら、それは大きな誤りであり、そのような人は必ず過ちを犯すようになります。

 かつて革命闘争をおこなった人も、おこなわなかった人もすべて、革命化のためにたゆみなく努力しなければなりません。

 我々もやはり、みずからを革命化するためにひきつづき努力するつもりです。我々は40年間革命の道を歩んできましたが、今後もさらに長いあいだ革命をつづけなければなりません。そうするには、革命化のために最後まで努力しなければならないと思います。

 革命家というのは、何も特殊な存在ではありません。誰でも革命をおこなうことができます。しかし、誰であれ革命をつづけるためには、みずからをたゆみなく鍛えなければなりません。

 革命化するうえで最も重要なのは、第1に、党を信頼し、革命に忠実であろうとするかたい決意をもつことであり、第2に、いかなる嵐にであっても動揺せず、わが党以外にはいかなるものも知らないという、強い信念をもつことであります。いま、一部の党員には、まだこのような精神が足りません。

 幹部を信頼し、仕事をつうじて点検するのは党活動の原則であります。だからといって、ある個人を盲目的に信ずるべきではなく、あくまでも党を信頼しなければなりません。党中央委員会の決定と指示をたがえるような人に対しては、それが誰であろうとすべて警戒しなければならず、そのようなことは直ちに党中央委員会に知らせなければなりません。そして、党中央委員会のためなら命をもささげられるように、徹底的に革命化されなければなりません。

 現在、革命化されていない一部の幹部と党員には少なからぬ欠陥があらわれています。口先では党と革命のために献身するといっていますが、実際の行動では、党性、階級性、人民性が足りません。利己主義の強い人もいれば、出世欲や功名心の強い人もいます。

 それゆえ、我々は党員を革命化する闘いを強めなければなりません。

 すべての人が革命化され、労働者階級化されなければなりませんが、特に党中央委員会の活動家は、誰よりも先に、そして、いっそう徹底的に革命化されなければなりません。党中央の活動家を革命化してこそ道の活動家を革命化することができ、道の活動家を革命化してこそ郡の活動家を革命化することができ、また、郡の活動家を革命化してこそ里の活動家を革命化することができるのです。また、幹部をこのように革命化してこそ、すべての党員と勤労者を革命化することができます。党中央の活動家の革命化は、各階層大衆の革命化よりいちだんと高い水準でおこなわれなければなりません。いわば、革命化の要求度がいっそう高いわけです。党中央の活動家は、利己主義、自由主義、個人英雄主義などの小ブルジョア思想をなくすための闘争と、党性、階級性、人民性を高めるための闘争を誰よりも深刻におこなわなければなりません。このようにして、党のため、労働者階級と人民のために忠実に奉仕する思想でしっかりと武装しなければなりません。

 きょう、私が組織部と宣伝部の指導員までみんな集まるようにしたのは、これらの部署が最も重要だからであります。もちろん、他の部署もみな重要です。しかし、組織部と宣伝部は、人々を革命化するうえで極めて重要な役割を果たします。党中央の組織部と宣伝部の活動家は、革命的意志が非常に強く、個人の利益よりも組織の利益と革命の利益を大切にし、肉体的生命よりも政治的生命をいっそう重んずる、そのような革命家的気風をもたなければなりません。そうしてこそ、党員と勤労者を革命化する活動を指導していくことができます。

 皆さんが、みずからを徹底的に革命化し、そのうえに立って今後すべての党員と勤労者の革命化をおし進めなければなりません。皆さんは、インテリや農民を革命化する問題を、単に階級的差をなくすことであると簡単に考えるべきではなく、党代表者会議の文献に対する討論を活発におこない、どのようにすれば人々を立派に革命化することができるかを深く研究しなくてはなりません。


  3 党活動において形式主義と官僚主義をなくし、
     活動家を革命化するためのいくつかの対策的意見について


 我々は、党活動において形式主義と官僚主義をなくし、活動家を革命化する活動を一日や二日の一時的運動ですませようとしては絶対にいけません。先にも述べたように、我々は数十年のあいだ革命闘争をおこなう過程で多くの厳しい試練もへたし、難関に直面して人々が動揺するような場合も少なくありませんでしたが、それを克服する長期の闘争をつうじて革命的意志をさらに強めました。皆さんも徹底的に革命化するためには、長期の闘いのなかで鍛えられなければなりません。

 また、この活動を処分などの方法でおこなおうとしてもいけません。我々は、処分の方法で官僚主義と形式主義をなくし、人々の思想を改造することができるだろうかということについてずいぶん考えてみました。ここから得た結論は、結局、処分の方法では問題が解決されないということです。私は、いつも組織指導部長にも話し、宣伝扇動部長にも話していますが、頻繁に処分を加えると人々は恐れをなし、そうなれば、結局上部に対して嘘をつき、へつらうようになります。だから、人々をみだりに処分すべきではありません。人々を革命化する問題は、たゆみない思想闘争と教育をつうじてのみ解決することができます。

 党活動における形式主義をなくし、活動家を革命化するためには、第1に、革命的組織生活を強化しなければなりません。

 党生活を強化することは、活動家を革命化する基本的な鍵であります。細胞会議は、党生活において重要な意義をもっています。いま党中央では細胞総会を月に1回開いていますが、これは幹部革命化の要求に照らして少なすぎるようです。党中央では細胞総会をたびたびもつべきであり、各党員はもれなく細胞会議に参加しなければなりません。会議では、民主主義を発揚して批判を強化し、それを押えるようなことがあってはなりません。会議でしばしば批判と自己批判をおこなうなかで自分の過ちを反省し、自分自身を検討することができるし、他人の欠陥を是正させることもできます。こうしてこそ、我々は革命化の過程をへることができます。

 組織生活から離脱しようとし、組織の統制を受けたがらない人は、必ず高慢になり、結局はみずからを革命化することができません。したがって、書記でも部長でも、誰であれ党生活に忠実でなければなりません。大衆的な会議に参加するのもみずからを革命化する一つの方法です。我々は、郡党責任書記会議や大衆団体の活動家会議をはじめ、いろいろな会議によく参加しますが、そこで多くの刺激を受けます。かりに、郡党責任書記会議で、ある郡党責任書記に対する批判、または他の人に対する批判がおこなわれれば、これは批判される人ばかりでなく、我々自身に対しても刺激になり教育になります。もちろん、他人の過ちに対する批判ですから、批判のなかに我々の名前はでませんが、その批判のあおりが我々を鍛える作用をするのです。したがって、このような会議にも、しばしば参加して党性を鍛えるようにしなければなりません。

 活動家がみずからを革命化するためには、大衆のなかに入っていかなければなりません。そうしてこそ、現実のなかでつまずいている問題を明確に理解でき、人民のためにもっと立派に奉仕しようという革命性が生まれます。幹部は、大衆のなかに入ってみずからの欠陥を見つけださなければなりません。農村をはじめ、現地に行ってみると、何がうまくいっていないかをすぐ理解することができます。例えば、ある地方で、人民がまだ豊かな生活をしておらず、子供が裸足で歩いているのを見かけるとすれば、我々の社会主義経済建設に欠陥があることをすぐ感じとることができます。このような現実が、我々に対する批判であります。もちろん、これは会議で受ける批判ではありませんが、現実からおのずと受ける批判であります。このような批判を受ければ、人民のためにもっと立派に働かなければならないという心がまえが生まれ、みずからをいっそう革命化することができます。大衆のなかに入っていけば批判を受けることができるばかりでなく、革命的意志をさらに鍛えることができます。これは、我々が40年間、革命活動をおこなってきた過程で得た教訓であります。

 幹部が自分を革命化するためにはまた、みずからを検討してみなければなりません。皆さんがときおり神経をとがらせて下部の人たちをむやみにしかりつけるなど、仕事の過程には、大きくないにしろ、いろいろと欠陥があらわれるものです。そのような誤りを改めるよい方法は、自己反省をすることです。家に帰って食事をするときや、あるいは床につく前に自分のしたことを振り返ってみて、気になることや過ちがあるときは、なぜ私があのように行動したのか、二度とそのようなことは繰り返すまいと絶えずみずからを検討しながら欠陥を改めなければなりません。

 革命化を立派におこなうためには、すべての組織で学習規律を強化し、革命的学習気風をうち立て、活動家を党の政策で武装させなければなりません。党の政策を知らずには革命化することはできません。心のなかではどんなに党に忠実であろうとしても、党の政策を知らなければ党の路線に反する行動をとるようになり、それは結局、党に忠実でないことになります。したがって、党の政策を深く研究しなければならず、党の政策どおりに考え、党と呼吸をともにするよう積極的に努力しなければなりません。これと同時に、『人民とともに』とか、革命伝統に関する本をたくさん読んで革命家の気風を学ばなければなりません。

 党活動において形式主義をなくし、活動家を革命化するためには、第2に、組織部と宣伝部の役割を高めなければなりません。

 いま、組織部と宣伝部は他の行事にあまり片寄りすぎていますが、それではいけません。重要なのは、どのようにすれば党員に組織生活を立派におこなわせ、彼らの党生活を正しく組織することができるか、どのようにすれば党員に革命思想を身につけさせ、革命化することができるかについて研究し、対策を立てることです。このような活動をぬきにしては、組織部と宣伝部がその任務をまっとうしたと見ることは決してできません。どんなに多くの仕事をしたとしても、この仕事をおこなわなければ何の役にも立ちません。

 党中央の組織部であれば当然、すべての部門、すべての機関における党員の党生活に対する指導を重要な任務とみなさなければなりません。党中央の組織部は、まず、すべての部門、すべての機関の党委員会を正しく構成し、また細胞をしっかりかためた後には、党組織が規約どおりによく活動しているかどうかを厳格に見守らなければなりません。言いかえると、省党委員会と省の党細胞総会、道党委員会と道党執行委員会、それに道党委員会総会が正しく運営されているかどうか、そこで党の政策どおり問題が正しく討議されているかどうかを調べてみなければなりません。そして、党員一人ひとりの党生活に気をくばらなければなりません。彼らが組織生活に忠実であるかどうか、どの党員が先んじており、どの党員が立ち後れているのか、革命化されている幹部は誰で、どの幹部にどういう欠陥があるのか、といったことをすべて知りつくして対策を立てなければなりません。したがって、組織部とは、実際上、党員の党生活指導部であると言えます。

 組織部で党員の党生活状況を確かめた後には、立ち後れている党員に対する教育活動をおこなうべきです。党生活と大衆組織生活にあらわれた活動家の欠陥をどのような方法で改めるかについては、宣伝部と協議しなくてはなりません。そうすれば、宣伝部では受け取った資料と協議の内容にもとづいて、どのような講演をおこない、どういう本を読ませるべきかについての案をつくって、党の政策を宣伝し、扇動活動もおこなわなければなりません。1回おこなってうまくいかなければ10回おこない、10回おこなってだめなら100回繰り返してでも、病根を取り除かなければなりません。

 もし、組織部では党員にこうこういう意識を植えつけなければならないと言ったのに、宣伝部の方で全然違ったものをおしつけるとすれば、その処方は、組織部でくだした党生活の診断に合わないものとなるでしょう。それゆえ、宣伝部では、必ず組織部が党生活の診断をおこなった後に、それに合う処方を与えなければなりません。

 このように、組織部と宣伝部は、組合せ作戦をうまく進めなくてはなりません。例えて言えば、組織部は医師で、宣伝部は薬剤師だといえますが、医師と薬剤師が組合せ作戦をうまくおこなわなければなりません。人間の病気をなおすためには、その病気に対する正しい診断をくださなければならず、それと同時に、薬を適切に用いなければなりません。

 第3に、党活動において形式主義をなくし活動家を革命化するためには、組織部をはじめ、党のすべての部署が、幹部事業を正しくおこなわなければなりません。

 幹部事業とは、特殊なものではなく、幹部を革命家に育てあげる事業であります。しかし、幹部を革命家に育てあげる問題は、一朝一夕に全部解決できるものではありません。人々を革命化することは、無理じいや一時的運動などでは絶対にできるものではありません。もちろん、人々に、悪いものでもよいものだといって無理におしつければ、心のなかではそう思わなくてもうねべではよいというかも知れません。うわべでよいといったからといって、その人の思想が改造されたとは決していえないでしょう。

 我々は、党生活をつうじて、人々の意識をしだいに革命的なものに変え、正しい道へ導いていますが、これは正しい方法だと思います。それゆえ、皆さんは幹部の教育においても、強引におしつけるようなやり方でおこなってはならず、その水準と能力に応じて漸次的に教育しなければなりません。そのためには、その幹部の性格はどうであり、どのような欠点があるのか、その水準はどの程度で、能力はどうなのかといったことをすべてよく把握してから、それに適した教育をおこなわなければなりません。

 幹部を育成するためには、何よりもまず、彼らの欠陥をそのつど、じゅんじゅんと諭してやらなければなりません。いま皆さんは、子供の教育に関心のうすい母親が、ふだんは子供をよく教育せず、来客のときにあいさつがきちんとできないと、「この馬鹿もの、あいさつもまともにできない」としかりつけるのと同じように、労働者出身を幹部に登用しておいて、欠陥があっても親切に諭してやりもせず、通りいっぺんの話しかせずにいて、いよいよ欠陥が大きくなってからはじめて、悪いやつだといってひどく批判します。そうなると、鍛練の足りない幹部は自分の過ちを悔い改めるのではなく、処分を受けるのではないかとおじけづいてしまいます。これでは、問題が解決されるはずがありません。

 我々は、批判される人が、大きな罪を犯したと思って恐れおののくようにすべきではなく、組織生活のなかで小さな欠陥でもあらわれれば、それが大きくなる前にあらかじめ親切に諭し、批判をして欠陥を改められるよう条件をつくってやらなければなりません。これが、幹部に大きな過ちを犯さないようにさせる唯一の方法です。こうした方法でおこなえば、幹部は他人の批判を受け入れることに慣れ、欠陥を指摘されても顔を赤らめたり、おじけづいたりしなくなるでしょう。

 我々は、幹部の欠陥を絶対にかばってはなりません。私は、同志たちの活動上の欠陥や作風上の欠陥を見つければ、そのつど指摘してやります。かつて、パルチザン闘争を一緒に戦ってきた同志たちにも、そうしています。同志の欠陥はこれだ、なぜそうするのか、改めるべきだといってやります。私は決して欠陥をかばったりしません。映画を一つ見ても、欠点があれば、夜中にでもすぐその部門の幹部に電話をかけます。このようにすぐ話してやるのは、時間がたてば、あるいは忘れてしまって指摘してやれないこともありうるので必要であり、また過ちをいち早く改めさせるためにも必要なことです。こうするのは、とにかく良いことであって、決して悪いことではありません。

 皆さんは、他人の忠告を嫌ってはならず、また幹部の教育にあたっては欠陥を見逃さずに、すぐ諭してやる気風をうち立てなければなりません。

 我々が人々の性格に合わせて教育せよということは、人の性格を考慮して、おだやかに話してやらなければならない人、少しきつく話してやらなければならない人を区別して欠陥を諭すようにということであって、欠陥をかばってもよいという意味では決してありません。

 欠陥をかばいだてするのは、人を救いがたい泥沼に陥れ、葬ってしまうことになります。

 また、皆さんは、人を一度こっぴどくたたいてから、それとなく引き寄せるといったような方法を用いてはなりません。分派分子がこのような方法を使いました。彼らは人を自分の側に引き入れるために、一度こっぴどくたたいてひどい目にあわせてから、それとなく引き寄せる芝居を演じました。中国語でこれを「一打一拉」といいますが、一度たたいてから一度引っぱるということです。このようなやり方は、分派分子の用いる悪い手口であることを知らなければなりません。

 崔昌益も、朴一禹もそうであり、分派分子は、誰もがみな、そうしたやり方をしました。いずれにしても、そういうことをする人は、すべて不健全な思想をもっている人です。そうでないなら、組織生活をつうじて欠陥を正当に批判してやるなり、あるいは個別的に問題があるならば事務室に呼んで、過ちを言い聞かせてやるべきであって、何のために人の前ではひどくたたいておいて、裏ではそれとなく引き寄せておだてるのでしょうか。皆さんは、そのようなことをしてはならないばかりでなく、そういうごまかしの手にのってもいけません。

 幹部事業と関連して、党員の苦情処理問題について若干ふれてから、他の問題に移りたいと思います。党員を党のまわりに団結させるうえで、その苦情処理を正しくおこなうことは非常に重要な意義をもちます。我々は、党員が提起する問題を慎重に扱わなければなりません。党中央委員会の組織部と検閲委員会は、党員の政治的生命について責任をもって活動している部署であります。したがって、党員から提起される問題が、例え、さ細なものであっても、いい加減に処理してはいけません。特に、組織部では仕事を慎重におこなわなければなりません。少しでも不服な点があるということは、そこに何かわけがあるものです。それゆえ、問題が生じたら伏せておかずに、必ず確かめてみなければなりません。人に関する問題は主観的に見るべきではなく、客観的に、公正に見なければなりません。人の問題を客観的に見るということは、事実をありのままに、公平に見るということを意味します。言いかえると、人を色眼鏡で見るのではなく、本来はよい人なのになぜ仕事をそのようにしたのか、また過ちがあるとすれば、どうして過ちを犯すようになったのか、ということをすべて詳しく検討し、あくまでも人をなおし、救い、生かす方向で問題を見ることです。党員と幹部に対しては、いつもこのような立場から出発しなければなりません。

 解職されたある人の問題を例にとってみると、一部の同志は、彼はなってない男だからまともな人間にはなれまいと、およそ5年も前から提起してきました。しかし我々は、彼が敵ではないので問題を善意に見て、彼を救うためにひきつづき努力してきました。ところが、彼は本当に悪い人間だったので、我々が努力したにもかかわらず、みずから自分のすべてをさらけ出してしまいました。このように悪い下心をもっているものは別問題ですが、そうでない人の問題は善意をもって見なければなりません。そうしてこそ、小さな問題を大きくしないですむし、また、誰かが大きな問題だといって欠陥を誇張したものでも正しく処理することができます。しかし、敵に対しては、味方の人とは正反対に問題を取り上げなければなりません。我々に反対する地主、資本家、スパイなどの敵に対しては、問題を善意に見てはならず、必ず階級的立場にたって、厳しく問題を処理しなければなりません。

 こんにち、我々の幹部のなかには、党員の政治的問題をいい加減に処理する傾向があらわれています。特に、検閲委員会に官僚主義が甚だしくあらわれています。検閲委員会のある幹部は、自分をあたかも「閻魔大王」のように思いこんで、党員の提起する苦情をおおざっぱに処理しています。検閲委員会の幹部の活動方法を決定的に改めなければなりません。人の問題を、あらかじめ悪いものと決めつけて見るならば、その結果もまた悪くなるのは当然です。小さな問題も大きくなり、さ細なことに対しても大きな打撃を与えることになります。我々はこのように問題を処理してはなりません。

 私は、いま苦情処理問題についていろいろと考えているのですが、党員が苦情を申し立てるからには、どれほどつらい思いをしたか、ということを考えてみなければなりません。もちろん、悪い連中がにせの苦情をもちこむこともありえますが、そういうことは非常にまれだと見なければなりません。

 それゆえ、苦情の申立てを受ければ、その人がどんなにか思い悩んだあげくそのような手紙を書いただろうかということを察して、問題を慎重に研究し、解決のために全力をつくさなければなりません。1回やってうまくいかなければ10回、10回やってみても駄目なら100回でも努力して解決しなければなりません。党活動家の態度は、まさにこうでなければならず、特に、組織部、宣伝部の活動家は党員の母親とならなければなりません。

 幼い子供でも母親が薬を飲ませるとよく飲むように、党員の問題も党活動家が母親のような気持ちで接してこそ正しく解決することができます。

 ところが、皆さんが仕事の点検にいっても、下部の活動家は自分を解職させるためにやってきたのではなかろうかと疑念をいだき、気を許さないそうです。これは、もちろん下部の活動家たちの鍛練が足りないところにも原因がありますが、主として皆さんが人の問題をいい加減に扱ってきたからです。それゆえ、活動方法を研究し、徹底的に改めなければなりません。

 皆さんが仕事を立派におこなっているならば、なぜ彼らが疑念をいださ、おびえたりするでしょうか。これは、活動に欠陥があることを示しています。皆さんが、組織部や宣伝部には欠陥がなく、我々はみなマルクス主義者であり、完成した革命家であると考えるなら、それは間違いです。皆さんにも欠陥がたくさんあります。我々は、活動において絶えず自分の欠陥を見つけだして改め、活動方法をさらに改善しなければなりません。

 次に幹部事業で重要なのは、中核分子を立派に育成する問題であります。全党員と全人民が革命事業に積極的に参加するか否かは、多くの場合、中核分子の育成にかかっています。私がいつも言っていることですが、党の組織部だけを強化したからといって、全党が動くようになるものではなく、すべての党組織が中核分子を立派に育成してこそ、問題が円滑に解決されます。中核分子1人が10人を教育して仕事をよくするようにし、その10人が100人を教育し、100人が1000人を、1000人が1万人を教育するという方法でおこなえば、すべての党員を教育することができ、全党を動かすこともできます。

 ところがまだ、1人が10人を、10人が100人を教育できる程度に達したと見ることはできません。したがって、これからでもすべての党組織が、組織生活をつうじて人々を鍛え、教育して中核分子に育てあげなければなりません。特に、党の組織部と宣伝部では、党的責任を感じて中核分子の育成事業を力強くおし進めなければなりません。

 我々が、中核分子を立派に育成して全党を動かすようになれば、大衆がみな動くようになるでしょう。そうなれば、わが党は人民大衆のなかに深く根をおろした強力な党になり、党中央はさらに強固な大衆的基盤のうえに立つようになるでしょう。このような党組織はなんぴとも切り崩すことができず、悪い連中がいかに策動しても、わが党を破壊することはできないでしょう。

 次に幹部事業で重要なのは、末端の幹部を育成することであります。官僚主義と形式主義をなくして全党を革命化するためには、もちろん、中央が道を、道が郡を、郡が里をよく援助することが重要です。しかし、こうした方法だけでは、長い時日をかけても全党の革命化を早めることはできません。そこで、我々は促進剤を用いなければならないと思います。我々のいう促進剤は、まさに末端の幹部を多く養成することです。

 いま我々は、郡党の責任書記をはじめ、郡級の幹部養成に片寄りすぎていますが、それよりも大衆の一番近くにいて、大衆を直接に指導する里党書記、管理委員長、細胞書記、作業班長を養成することが第一義的な課題だと思います。

 いま、党といわず行政・経済機関といわず、末端幹部の水準は非常に低い状態にあります。党の末端幹部は、党活動の方法もよく知らず、大衆との活動方法も知りません。そして敵と味方をよく見分けることができず、味方に引き入れることのできる人までいたずらに敵にまわし、敵のスパイが活動していても摘発できないありさまです。行政部門の末端幹部も行政活動をのみこんでおらず、仕事を順調におこなっていません。こんにち、党活動や行政・経済活動の成果は、末端幹部に大きくかかっています。

 皆さんは、直接、生産者大衆のなかに入って仕事をするのが、車に乗り、高い地位について仕事をするのに劣らず光栄かつ重要なことだということを知らなければなりません。我々は、末端幹部の仕事の重要性を考慮して、ここ数年内に幹部の給料は引き上げることはできなくても、下部の活動家の給料を引き上げて給料のひらきをあまり大きくせず、末端幹部が栄誉感をもって仕事にあたれるようにしようと思います。

 軍隊でも末端の指揮官をしっかりかためてこそ、戦闘や訓練、給養活動が立派におこなわれます。それで、軍隊では、小隊長と特務長、副小隊長をしっかりした人でかためようとするわけです。戦時中に一部の特務長は仕事のやり方がまずかったため、隊員にモヤシ汁を食べさせることができるにもかかわらず、塩だけで飯を食べさせました。それで、我々は当時、特務長たちに講習をおこなったことがあります。軍隊で末端指揮官をしっかりかためるため努力しているように、いま、皆さんは直接、生産者大衆を相手に活動している末端幹部を立派に教育するために努力しなければなりません。

 末端幹部の水準を高め、彼らが党員との活動を立派におこなえるようにしなければなりません。里党書記や細胞書記をはじめ末端幹部は、党員との活動方法を知らなければならず、特に立ち後れた党員との活動方法を知らなければなりません。言いかえれば、性格と心理状態の異なる各人の特質に即して、巧みに活動する方法を知らなければなりません。

 ここで、人民軍の末端幹部が政治活動を立派におこなっている実例を一つあげる必要があると思います。いつだったか総政治局長と一緒に平壌近郊の人民軍部隊に行って、ある中隊の党会議を開いたことがあります。当時は、外国のものを教条的にまる写しにして使っていた内務規定も廃止して、新しく我々自身のものをつくり、朝鮮人の性格に合わせて軍隊の営倉制度をなくしてから1年半たったときでした。

 会議に参加して、私は営倉制度を廃止した後、規律を乱すものがどれくらいいるのか聞いてみました。すると、特務長が立って「自分が規律を違反しました」と答えました。特務長がどのような規律違反をしたのかと問い返すと、「私が隊員を決められた時間どおり休ませず、睡眠時閲も十分与えなかったので、中隊から学習時間に居眠りする隊員が出ました。これは全く私に責任があります。そのほかは何もありません」とさらにつけ加えました。

 私は、その場でよくのみこめない点があったので総政治局長に、特務長の言っていることがどういう意味なのかよくわからないと話しました。すると総政治局長は、実は中隊に学習のときは居眠りをし、武器の手入れもよくせず、世話のやける規律違反者が一人いたが、彼を感化教育するためにそのように報告したらしいと答えました。

 あとで聞いてみると、世話をやかせたその兵士は教育改造されたとのことです。彼は、最高司令官に自分の欠陥をいいつけられるものとばかり思っていたのに、特務長が自分が悪かったというのを聞いて、これではいけないと深く悔い、会議が終わると特務長を訪ねて言って、もう二度とそのようなことをしないと泣きながら決意を述べたそうです。

 そういうことがあってから、彼は非常に熱心にやっているそうです。このようにして、中隊には一人の規律違反者もいなくなり、その中隊は模範中隊になったといいます。この特務長のやり方は、人を改造する一つの立派な方法です。

 実際、里党書記たちは、このような方法で活動しなければなりません。しかしながら、里党書記や細胞書記たちは気難しいことこのうえありません。江西郡のある里党書記は道党の副部長まで務めたことのある人です。そうだとすれば、当然この同志は、里内の中核分子を教育して党のまわりに結集し、仕事をいっそう立派に盛り立てるべきであるのに、中核をけなして歩き、幹部を互いに離間させていました。

 そんなことでどうして党員を教育し、大衆を党のまわりに結集することができるでしょうか。だからといって、もちろん欠陥を見ても放っておけというのではありません。問題は活動方法が間違っているところにあります。党員の欠陥についてけなして歩くべきではなく、当然、欠陥を改めさせる方法を考え、彼らを正しく育てあげるべきではないでしょうか。道党にいた幹部だからといって、必ずしもみな水準が高いわけではなく、彼らが下部に行って仕事をするからといって、すべてがうまくいくものでもありません。したがって、すべての末端幹部を教育しなければなりません。

 末端政治活動家は、各階層の大衆との活動も立派に進めるようにしなければなりません。多くの細胞書記は、各階層大衆との活動を党の要求どおり満足におこなっていません。それゆえ、すべての末端幹部に大衆活動の方法を十分に教えなければなりません。

 党活動家ばかりでなく、行政・経済部門の末端幹部も生産者大衆のあいだで政治活動を正しくおこなって、生産をあげるようにしなければなりません。私が黄海製鉄所に行ったときにも話したことですが、生産をあげるためには作業班長が仕事を立派におこなわなければなりません。軍隊でも末端指揮官がしっかりやらなければなりません。彼らがしっかりやらなければ、いくら小隊長一人で頑張っても駄目です。いくら号令をかけても聞かないし、しかりつけたり、処分を加えても効き目がありません。

 分隊長が隊員を統制もし、またよくいい聞かせながら上手に導いてこそ、問題が解決されるのです。それゆえ、軍隊には末端指揮官を養成する学校があります。末端指揮官がしっかりやってこそ、新入隊員を正しく教育することができ、訓練も立派にできるのと同じように、工場でも作業班長が仕事を立派におこなってこそ、生産を順調におこなうことができます。したがって我々は、作業班長を立派に育てあげなければなりません。

 いま、黄海製鉄所では教材が準備されていないため、作業班長学校を運営できないといっていますが、私の考えでは、まず何人かずつ組んで、生産組織の方法や生産の過程で得た立派な経験を教える講習会を組織するのかよいと思います。そういうふうにしながら、おいおい教材もつくって正規のものにしなければなりません。いっぺんに正規化することはできないではありませんか。やってゆく過程で間違ったところもわかり、どうすればよいかもわかるようになるでしょう。

 皆さんは、社会主義経済建設の成果が生産者大衆の生産意欲が高いかどうかにかかっていることを、明確に認識しなければなりません。このことは結局、生産者大衆と一緒に仕事をしている末端幹部が、勤労者のあいだで政治活動を巧みにおこなうことを要求します。それゆえ、私は皆さんに、何としてでも末端幹部をよく教育することをすすめます。

 生産者大衆との活動は、党活動における決定的な環であります。それゆえ、この問題を各経済部署でも研究し、特に、組織部と宣伝部で大いに研究しなければなりません。

 末端幹部の水準を引き上げるために、末端幹部養成体系を改めて設けなければなりません。従前の管理委員長養成体系と里党書記養成体系を廃止したということですが、これは間違っています。末端幹部を正規の学校体系で養成することができなければ、移動講習隊をつくつてでも養成しなければなりません。

 農村などでは、冬のあいだにいくらでも移動講習会を組織できるでしょう。直接、大衆を相手に活動する人たちを年に何回か教育すれば、効果をあげることができます。我々は、道党と郡党の活動家に対する教育活動に力をそそぐとともに、末端幹部の養成体系を確立しなければなりません。

 末端幹部を養成する仕事に党中央の活動家が直接参加しなければなりません。現在一部の郡党責任書記は、末端幹部を十分教えるほどの水準に達していません。それで今年の冬も、細胞書記との活動はどのようにし、どのように彼らを教育すべきかという問題をもって、郡党の責任書記に一週間ぐらい講習をおこなう予定です。しかし、これだけでは足りません。だからといって市、郡に中央党学校の教員を引きぬいて送ることもできないし、また、末端幹部を全部共産大学に入れることもできません。そこで私の意見では、皆さんが、郡党や大きな工場党の仕事を援助して、細胞書記、作業班長、分組長などの末端幹部の講習会を組織するのかよいと思います。皆さんが生きた経験をもって出向き、党活動はどのようにおこない、各階層の大衆に対する活動はどのようにおこなうべきかを、末端幹部に教えなくてはなりません。

 里党書記を15日か、20日間ぐらいずつ郡党学校で勉強させては帰し、また別の人たちを勉強させて帰すといったやり方もあるし、講師が足りなければ、移動講習会を組織することもできるでしょう。いくつかのグループをつくって一つの郡で講習をおこなってから他の郡に行き、また次の郡に行っておこなうといった方法でやれば、私の考えでは彼らをすべて勉強させることができると思います。

 このような講習会には、里党書記、細胞書記、分組長まですべて参加させなければなりません。そうすれば対象になる人数は数万名にものぼるでしょう。数字の上からすれば大変なことのようですが、有能な幹部に任務を分担して巡回式に一つ一つやっていけば、できると思います。今年からはじめて来年までに1回ずつまわっても、大きな成果です。そこから得た経験を総括して、もう一度巡回しながら講習会を組織すれば、多くの問題を解決することができるでしょう。

 郡党学校では生きた知識を教えなければなりません。ただ教科書を棒読みにするだけではいけません。また、マルクスがどうの、レーニンがどうのといったやり方で教えても、彼らは理解できないでしょう。

 末端幹部を養成するための教育綱領は難しくつくってはなりません。教育綱領には、彼らが実践で直面する難問題を解決できるように、当該部門の党政策と大衆活動の方法、農業管理の知識、生産組織の方法などを入れるべきです。このようにして、軍隊で末端指揮官を養成するように、里党書記をはじめ、末端幹部に生きた知識と生きた経験を教えなければなりません。

 このたびの党代表者会議に参加した女性の同志たちとも話し合い、碧城郡のある管理委員長とも話し合ってみましたが、党中央の指導グループがおりていって大衆活動を立派におこなっているそうです。この前の政治委員会でも話が出ましたが、咸鏡南道でも、どの郡だったか、指導グループがおりていって各階層大衆との活動を正しくおこなって、それまでは、のらりくらりしてよく仕事をしなかった人たちをよく働くように改造したといいます。そういうわけで党中央の活動家をよく教育して動員すれば、末端幹部を十分教育することができます。皆さんが、市、郡へ行って末端幹部の学習を正しく指導するためには、皆さん自身が学習気風をうち立て、より多く勉強しなければなりません。私の考えでは、学習時間が勤務時間の3分の1ぐらいにはならなければならないと思います。そうしてこそ、皆さんは老練になり、下部に行って活動するうえでさほど困難を感じなくなるでしょう。

 私はきょう、党活動における形式主義と官僚主義をなくし、人々を革命化する問題について話しました。皆さんはこれを活動の指針として闘い、今後党活動をさらに改善していくものと確信します。
                                                
出典:『金日成著作集』20巻


ページのトップ


inserted by FC2 system