金 日 成

我々の美術を民族的形式に社会主義的内容を盛り込んだ
革命的な美術に発展させよう
第9回国家美術展覧会を見ておこなった美術家たちとの談話
-1966年10月16日-


 このたびの展覧会には、すぐれた作品が多く出品されました。美術家たちが、我が党の歩んできた苦難にみちた激しい革命の道のりと、朝鮮人民の英雄的な闘争の姿を美術作品に立派に形象化したのはたいへんよいことです。美術作品の内容だけでなく、表現手法や技巧においても大きな進歩がとげられました。

 今回の展覧会に出品された絵画のなかには、すぐれたものがたくさんありますが、特に、油絵『進撃の道すがら』と朝鮮画『洛東江のおじいさん』『南江村の女性たち』は、たいへんよくできた絵だと思います。

 『進撃の道すがら』の主人公たちのなかには、年若い豆隊員がいるかと思えば、年配の指揮官やうら若い看護婦もおり、笑顔もあれば緊張した顔もあります。かれらは苦難にみちた、遠い戦いの道を歩んできたにもかかわらず、みな楽天的であり、どの顔にも一様に、我が党にたいする限りない忠誠心と革命勝利のかたい信念がみなぎっています。

 『洛東江のおじいさん』は、祖国解放戦争の時、我が人民軍と人民が一体となって敵と勇敢にたたかった感激的な姿を立派に描いています。絵には、危険をかえりみず人民軍を援助するおじいさんの表情と、燃えるような敵がい心と高度の警戒心をもって戦闘任務を遂行している人民軍兵士の緊張した姿が、立派に表現されています。

 『南江村の女性たち』はまた、何と生き生きとした戦闘的な絵ではありませんか。この
絵の主人公たちは、祖国解放戦争の勝利のために、後方で男子におとらず犠牲を恐れずに英雄的にたたかった、朝鮮女性の英知ある勇敢な姿そのものであります。この絵では、女性がひいていく牛までも勇気をふるいおこしているかのようです。

 このほか、『南進の途上で』と『信川の恨み』も成功作です。朝鮮画『南進の途上で』は、人民軍は人民を信頼して祖国と人民のために戦い、人民は人民軍を兄弟のように愛し心から援護する、軍民一致の伝統的な気風を立派に表現しています。油絵『信川の恨み』は、敵の血なまぐさい虐殺蛮行を目のあたりにして憤激にもえ、「畜生ども、必ず復讐してみせるぞ!」と悲壮な決意をかためる人民の姿をよくあらわしています。

 展覧会に出品された絵のなかには、搾取社会の本質をまざまざと見せることによって、次代の階級的教育に立派に役立つよい作品も少なくありません。なかでも『娘』『米つき小屋』『売られてゆく日』などは、非常に立派な作品です。油絵『娘』は、かつて農民を苦しめていた地主の凶悪さと狡猾さをよくあらわしています。生き別れを悲しむ母親と娘のいたわしい表情、子供の泣く姿、地主の手先である差配の高慢な表情がいずれも見事に描写されています。この絵は、人々に搾取階級にたいする憎悪心をかきたてます。このような絵を、子供たちに多く見せてやるのは重要なことです。かれらは、人が売られてゆくということがどういうものなのか、かつて自分の親たちが地主や資本家のむちのもとで、どのように卑しめられ、どれほど多くの悲哀をなめながら苦しい生活をしてきたかをよく知りません。子供たちにこのような絵を多く見せれば、かれらは搾取社会の本質について生き生きとしたイメージをもつことができ、今日、自分たちが社会主義社会のもとで享有している幸せについて、より明確に認識することができるでしょう。

 栄えある抗日武装闘争の輝かしい革命伝統を主題にした作品、社会主義建設にふるいたった勤労者の張り合いのある闘争の姿と、共和国の社会主義制度のもとで幸せに暮らしている人民の生活を反映した絵、そして南半部の人民の反米救国闘争を描いた絵なども、立派なものが多く出品されました。

 絵画だけでなく、映画美術ならびに舞台美術の作品、彫刻、工芸品、それに刺しゅうのなかにもすぐれた作品が少なくありません。

 これらの作品はすべて、我々の美術が、党の正しい指導のもとに健全に発展していることをはっきり示しています。私は、我が党の文芸政策を心から支持してそれを貫くためにエネルギッシュな努力を傾けて、すぐれた美術作品を多く創作した党の美術家たちに、熱烈な祝賀のあいさつを送ります。

 私はこの機会に、我々の美術をいっそう発展させる問題について若干述べようと思います。

 我々の美術は、朝鮮人民の生活感情と情緒にかなった真に人民的な美術とならなければならず、党と革命の利益のために奉仕する革命的な美術とならなければなりません。そのためには、我々の美術は徹底して、民族的形式に社会主義的内容を盛り込まなければなりません。

 そのために何よりも重要なのは、立派な民族的伝統をもっている朝鮮画を土台にして、我々の美術をいっそう発展させていくことであります。

 朝鮮画は、東洋画の固有な美術形式であり、たくましくて美しく、高尚なのが特徴です。李朝時代の画家安堅や金弘道の絵を見れば、生活をリアルに反映しているばかりでなく、筆致がたくましく美しいです。昔の有名な画家率居は、壁に松の木をあまりにも生き生きと描いたので、飛んでいた鳥がそれをほんものの松の木だと思い、それにとまろうとして壁につきあたって落ちたということです。

 このように自国の固有なすぐれた美術形式をもっていながら、あえて外国のものを真似ようとする必要はありません。朝鮮画をないがしろにし洋画ばかり奨揚するのは、民族虚無主義的で事大主義的な傾向であります。

 いま、西側の帝国主義諸国と資本主義諸国では、絵を見てもそれが何の絵なのか全く理解できない、いわゆる抽象画がはばをきかせているそうです。我々は、このような腐りきったブルジョア的思想潮流が我が国の美術界に押しよせることのないように、強くたたかわなければなりません。

 だからといって、外国の美術形式は立派なものまですべて反対し、これからは朝鮮画だけ描けというのでは決してありません。我々は、油絵や版画などもひきつづき発展させなければなりません。油絵も、朝鮮人の情緒と感情に合うように、朝鮮人民の生活を簡潔かつ鮮明に、繊細によく描写したものはすぐれた作品になるでしょう。結局、我々のいうのは、美術分野においても他のすべての分野におけると同様、主体性を確立し、我が国固有の美術形式を土台にして、我々の美術をさらに発展させるべきだということです。

 朝鮮画を我が国の美術発展の基調にするというのは、決して復古主義的に昔のものをそのまま真似るという意味ではありません。我々は朝鮮画の鮮明で簡潔な伝統的な画法を研究し、それを現時代の要求にかなうよう、さらに発展させなければなりません。朝鮮画はたいへん立派な美術形式ではありますが、過去の朝鮮画には欠陥も少なくありません。過去の画家たちの描いた絵を見ると、色彩画はいくらもなく、ほとんどが墨絵です。これは、過去の朝鮮画の重要な欠点のひとつであります。我々は、我々の時代に朝鮮画のこのような欠点を完全になくし、朝鮮画を現代的な感情と情緒にあうように発展させなければなりません。

 我々は、我が国の美術の民族的形式をさらに発展させ完成させるために力を尽くすばかりでなく、我々の美術を社会主義的な内容をそなえた、徹底的に革命的な美術にするために積極的に努力しなければなりません。

 ここで最も重要なのは、美術作品の主題を正しく設定することであります。

 美術作品は、何よりもまず、それが人民大衆を革命意識で教育し、革命闘争へ励ます力をもっていてこそ、革命的芸術としての真の価値があります。ところが、過去の朝鮮画の画家たちは、絵を描く場合、主に景色のよい山川草木や美しい鳥、その他の動物など自然を描くことにかたより、人々の生活や闘争を描写した人物画はほとんど描きませんでした。このような絵は、その画法がいかにすぐれていても、革命と建設のための力強い闘争が展開されている今日の朝鮮人民の心をとらえることはできず、何の教育的意義もありません。画家たちは当然、人民大衆を共産主義的に教育し、かれらを革命闘争と建設事業へと力強く呼びおこすことのできる絵を描くべきであります。

 そのためには何よりもまず、朝鮮人民の栄えある革命闘争を内容とした美術作品を多く創作しなければなりません。特に、抗日遊撃隊員の革命にたいする限りない忠実さと祖国と人民にたいする献身性、革命勝利のかたい信念と不撓不屈の闘争精神、気高い革命的同志愛などを描いた美術作品をより多く創作するのは、今日、朝鮮人民を我が党の革命思想で武装させるうえで大きな意義があります。それとともに、祖国解放戦争の時に人民軍と人民がうちたてた不滅の勲功と、南朝鮮人民の革命闘争を形象化した美術作品などもさらに多く創作しなければなりません。だからといって、たたかいばかり描いてはならないでしょう。美術家たちは、社会主義、共産主義建設をめざす人民の英雄的な闘争と、社会主義制度のもとで享有しているかれらの幸せな生活を形象化することにもそれ相応の関心を払うべきであり、古い搾取社会の本質を暴露する美術作品もひきつづき多く創作しなければなりません。

 このように、我が国固有の美術形式をいっそう発展させ、それをもって人民大衆の生きた闘争の業績と躍動する生活の姿を描きだすならば、我が国の美術は真に革命的な美術となることができます。このたびの展覧会に出品された絵画を見ると、これまで画家たちが我が国の美術を発展させるために大いに努力したことがわかります。朝鮮画の画法によって描かれた多くの絵は、色彩もあの程度なら遜色はなく、また、人民のさまざまな闘争と生活の姿を非常に生き生きと描いています。美術家たちは、こうした立派な経験を生かして、我が国の美術をいっそう発展させるためにひきつづきたゆみなく努力すべきです。

 絵画だけでなく、映画美術、舞台美術、産業美術、彫刻、刺しゅう、工芸などの美術もすべて朝鮮的なものを基調にして、社会主義建設者の情緒と志向にふさわしくさらに発展させなければなりません。

 美術家たちが形式においては民族的で、内容においては社会主義的な、真に人民的で革命的な美術作品を創作するためには、社会主義リアリズムの手法にしっかりと依拠し、多様な形式をつうじていろいろな角度から現実をリアルに描きだすことが重要であります。

 資本主義社会の美術は、生き生きとした現実を離れて、もっぱら主観主義と形式主義、自然主義にその基礎をおいています。したがって、資本主義社会での美術は人民大衆の生活と遊離しており、かれらから愛されていません。我が国の美術はこれとは正反対であります。我が国の美術は人民大衆のためのものでなければならず、かれらから愛されながら発展しなければなりません。我が国の人民が見て、だれもがみな愛好し、何度見てもなお見たくなる作品、我々の革命偉業と社会主義建設のために献身的にたたかっている人民の姿を描いた作品、一言でいって、革命の時代に生きる人民大衆とともに呼吸し、かれらとともに足並みそろえ前進する、そのような作品を多く創作することが、我々の美術家たちに負わされている栄誉ある任務であります。

 美術家たちが党の要求する作品、人民に愛される立派な美術作品を創作するためには、当然、躍動する現実のなかに入っていかなければなりません。

 生き生きとした現実を見る目をもたず、人民大衆の思想と感情を理解できない美術家は、いかに秀でた芸術的才能をもっているとしても、決してすぐれた作品を創作することはできません。このような人たちは、ややもすれば時代の要求に比べて立ち後れた絵をかくか、あるいは生活を過度に粉飾し、理想化する傾向に流れるおそれがあります。時代の要求に比べて立ち後れた絵が人民に愛されないのはいうまでもないことであり、また美術作品で現実をあまり誇張して描けば、人民はそれを信じないであろうし、そうなれば、その美術作品は何の感化力ももちえません。

 美術家たちは、工場や農村に直接出かけていって現実をはっきりと見るべきであり、労働者、農民とともに働きながら、かれらの生活を深く研究すべきです。そうしてこそ、人民大衆の真実の生活感情と思想を知ることができ、また、そうなったときにはじめて、我々の革命に貢献し、人民に愛される生き生きとした美術作品を創作することができるでしょう。

 我々は美術創作活動を大衆化し、有能な美術家の後続部隊を多く養成しなければなりません。

 絵を描き、工芸品や彫刻をつくることは、決して何人かの画家や工芸家、彫刻家だけにできる神秘なものなのではありません。これは、労働者や農民にもできるし、青少年学生たちにもできます。広範な大衆のあいだで美術創作活動を活発におこなうようにし、そこから伸びてくる新しい芽を立派に育てあげ、かれらの発展をあらゆる面から援助すれば、よい美術作品がたくさん創作され、美術家の隊列も急速にふえるでしょう。絵を描くのは肉体的に骨の折れる仕事ではないので、女性を多く画家に育てるのがよいと思います。国家では美術家の系統的な養成に常に深い関心を払い、美術家の創作活動に必要なあらゆる条件をよく整えてやるようにしなければなりません。

 既に創作された立派な美術作品を、人民にひろく鑑賞させる活動も大いにおこなうべきです。よい絵は画報にも載せ、その他いろいろな方法で大量に刷りだし、教育、文化機関はいうまでもなく工場、企業所や協同農場にも送り、人民軍にも多く送ってやらなければなりません。彫刻も立派なものは少年宮殿、少年団野営所、クラブをはじめ、子供たちや勤労者の多く集まるところに置くようにするのがよいと思います。

 また、国家美術展覧合に出品される絵画は、みな立派に印刷して画集をつくるようにすべきです。そうすれば、美術作品を長期間保存することができ、また必要な場合にはいつでも容易に探しだして鑑賞することができます。

 私は、今後みなさんが我が党の革命的美術家としてさらによく準備し、より立派な美術作品をさらに多く創作するよう望みます。

出典:金日成著作集 20巻

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