金 日 成

朝鮮労働党創立20周年にさいして
朝鮮労働党創立20周年慶祝大会でおこなった報告
−1965年10月10日−


 同志のみなさん!

 きょう我々は、朝鮮人民の指導的力量であり、我が国革命の参謀部である朝鮮労働党の創立20周年を記念しています。

 この歴史的な日にあたり、私は、党の旗を高くかかげ、革命のためにあらゆる難関を克服し奮闘してきた我が党員と全人民に、党中央委員会の名で熱烈なあいさつをおくります。

 私はまた、敵のファッショ的弾圧とテロにも屈することなく、自由と解放と祖国の統一のために勇敢にたたかっている南朝鮮の同志たち、それに愛国的な民主人士と青年学生およびすべての南朝鮮人民に熱烈な声援をおくります。

 さらに私は、長いあいだ海外で祖国の統一独立のために、みずからの民族的権利のためにたたかっている60万在日同胞と、すべての海外同胞に熱烈なあいさつをおくります。

 私はまた、朝鮮人民の革命偉業に国際主義的な支援を寄せてくれた各国の共産党、労働者党とすべての進歩的人民に、朝鮮労働党の名で崇高な敬意を表します。

 祖国の独立と人民の自由のために、偉大な共産主義偉業のために数多くの革命闘士が犠牲になりました。

 私は、党と祖国と人民のために貴い血潮と生命をささげた我が党員の同志と、党外の民主人士およびすべての愛国烈士に最大の栄光をささげます。かれらが残した功績は、我が党と人民の革命闘争史に永久に輝くことでしょう。

 同志のみなさん! 一政党の歴史として20年は決して長いものではありません。しかしこの期間に、我が党は労働者階級をはじめ勤労人民の自由と幸福のために、祖国と民族の繁栄のために多くのことをなし遂げました。我が党は、人民を導いて民族の独立を達成し、民主主義革命を完遂し、あらゆる搾取と抑圧を一掃する偉大な社会主義革命を遂行し、国の姿を一新する偉大な建設をおこないました。党は、アメリカ帝国主義者とその手先の武力侵攻に抗する困難な闘争において、人民を勝利に導き、祖国と革命を誇り高く守りぬきました。我が党は、正しいマルクス・レーニン主義的指導と人民への限りない忠実性および敵にたいする妥協のない闘争によって、朝鮮人民の一致した支持と信頼をかちとりました。

 我が党は創立されて20年にしかなりませんが、朝鮮共産主義運動の全般的な歴史からみれば、決して歴史の浅い党ではありません。我が国に最初の共産党が組織された1925年から数えても、朝鮮の共産主義運動は40年の歴史をもっています。我々は40余年にわたって共産主義運動のためにたたかい、日本帝国主義とアメリカ帝国主義、国内反動勢力に反対する革命闘争の過程で多くの血を流し、倒れてはまた立ち上がるという苦難にみちた険しいたたかいの道を歩んできました。我々は、帝国主義侵略勢力および国内反動勢力とたたかったばかりでなく、共産主義運動の隊列内にあらわれたさまざまな日和見主義とも、長期にわたる深刻な闘争をくりひろげました。

 朝鮮労働党は、このような闘争の烈火のなかで成長し強化され、闘争をつうじて偉大な業績と豊かな経験を積んだ、洗練されたマルクス・レーニン主義党であります。我が党は、一つの思想、一つの意志で統一され、人民大衆と血のかようつながりを結んでおり、保守と停滞に反対してたえず前進し、ひきつづきたたかう革命的で戦闘的なマルクス・レーニン主義党であります。このことは、我が党がいかなる嵐をものりこえて前進し、朝鮮革命を巧みに、そして確信をもって導くことができることを示しています。





 同志のみなさん!

 朝鮮の共産主義者と労働者階級が真のマルクス・レーニン主義党を創立するまでには、曲折にみちた長期にわたるたたかいの道を歩まなければなりませんでした。

 我が国における共産主義運動は、朝鮮人民の反日民族解放闘争が激しく展開されていた時期、特に、朝鮮の労働者階級がしだいに闘争舞台に進出するにつれて発生しました。

 ロシアの十月社会主義大革命は、我が国にマルクス・レーニン主義を普及する重要な契機となりました。長いあいだ封建的抑圧と日本帝国主義の占領に抗してたたかってきた朝鮮人民は、十月革命の勝利によって大きな衝撃と励ましを受け、はじめて正しい闘争の道を見いだすことができました。

 我が国の先進的な愛国闘士たちは、既に、1918年からマルクス・レーニン主義の普及活動を開始し、朝鮮人民の民族解放闘争をマルクス・レーニン主義の旗のもとに新しく発展させようと努力しました。しかし当時、我が国では日本帝国主義の弾圧が厳しかったうえに、労働者階級がまだ極めて幼かったため、マルクス・レーニン主義の普及は広くおこなわれませんでした。したがって朝鮮人民の解放闘争は、ブルジョア民族主義運動の枠から脱することができませんでした。

 十月革命の影響のもとに起こった1919年の全民族的な3.1蜂起は、朝鮮人民の愛国的闘志と革命的エネルギーを示威し、日本帝国主義占領者に大きな打撃を与えた反面、ブルジョア民族主義の制約性と弱点を全面的に露呈しました。3.1蜂起の失敗は、朝鮮の革命家と愛国的人民に深刻な教訓を与えました。こうして3.1運動以後、朝鮮人民の解放闘争はしだいに労働者階級を先頭にして、マルクス・レーニン主義の旗のもとに発展するようになりました。

 1920年代に入って労働者階級が成長し、積極的に闘争の舞台に進出しました。国内各地にマルクス・レーニン主義グループが組織されて活動するようになり、マルクス・レーニン主義思想の影響は大衆のなかに急速に広まりました。多くの労働団体、農民団体、青年団体があらわれ、労働者のストライキ闘争をはじめ大衆闘争が展開されました。

 マルクス・レーニン主義が普及し労働運動が成長する過程で、1925年には朝鮮共産党が創立されました。

 共産党の創立は、労働運動と農民運動、民族解放運動の発展を促しました。共産主義者の指導のもとにおこなわれた6.10万歳デモ闘争をはじめ、日本帝国主義と地主、資本家にたいする労働者、農民の大衆闘争がいっそう拡大しました。

 当時、共産主義者たちは、日本帝国主義の弾圧が激しいうえに、党そのものに深刻な弱点があるという困難な状況のもとで活動しました。党指導部の大部分は、マルクス・レーニン主義を正しく理解せず、階級的立場も不安定な小ブルジョア栄達主義者によってしめられ、党組織は労働者階級をはじめ広範な大衆のなかに根をおろしていませんでした。特に分派分子の激しい派閥争いによって、党はその隊列の統一を保つことができませんでした。こうして共産党は、日本帝国主義の弾圧と分派分子の破壊策動を克服することができず、創立3年目に、組織された力量としての存在に終止符を打ちました。

 このように、1920年代の我が国の共産主義運動は失敗と曲折をへて発展し、多くの欠陥と未熱さを露呈しました。これは、朝鮮共産主義運動が揺籃期にあったことを物語るものであり、当時、この運動の主体的および客観的条件がまだ成熟していなかったことを反映するものです。

 しかしながらこの時期の闘争は、我が国にマルクス・レーニン主義を広め、共産主義運動の端緒を開き、またその将来の発展にとって深刻な教訓を残しました。党が解散された後にも、共産主義者の闘争はつづけられました。

 1930年代から我が国が解放されるときまで、朝鮮の共産主義運動は地下闘争のつづけられるなかで、主として抗日武装闘争をつうじて発展しました。

 1920年代の末から1930年代のはじめにかけて、日本帝国主義の暴圧はかつてなく激しいものとなり、合法闘争のあらゆる可能性が奪われました。それと同時に、日本帝国主義の暴力的弾圧に抗する労働者、農民の暴力闘争もいっそう強化されました。元山(ウォンサン)港湾労働者のゼネスト、新興(シンフン)炭鉱と平壌ゴム工場労働者のストライキ闘争、龍川(リョンチョン)の不二農場や端川(タンチョン)、永興(ヨンフン)地方の農民闘争、さらに光州(クンジュ)学生事件などは、この時期に我が国の各地で起こった大衆的暴力闘争の代表的なものであります。

 このような情勢のもとで、大衆の暴力闘争の形態を発展させて一般化し、組織的な武装闘争に移るのは、朝鮮人民の解放闘争を発展させるための必然的な要求となり、これは朝鮮の共産主義者によって実現しました。

 共産主義者の指導のもとに、我が国の革命的な労働者、農民は、抗日武装闘争を組織展開し、朝鮮人民の民族解放闘争を新しい段階へと発展させました。抗日遊撃闘争は、革命的武力をもって反革命的武力に対抗する高い形態の闘争であり、これによって日本帝国主義侵略者にひきつづき大きな打撃を与え、他のあらゆる形態の大衆闘争を力強く励ましました。抗日武装闘争の革命的な影響は各階層の人民のなかに広く波及し、それは朝鮮人民の全般的な反日解放闘争をいっそう発展させました。

 日本帝国主義の暴圧のもとでも、国内各地で共産主義者の地下闘争はつづけられ、革命的な労働組合運動と農民組合運動、労働者のストライキ闘争や農民の小作争議があいついで起こり、日本帝国主義に抗する大衆の暴力的進出はいっそう拡大しました。

 抗日武装闘争を中心とするこれらすべての闘争をつうじて、朝鮮の労働者階級は民族解放運動の先頭にしっかりと立ち、労働者階級の指導のもとに労農同盟が強化され、これにもとづいて反日民族統一戦線運動が広範にくりひろげられました。これとともに、我が国民族解放運動の国際的な連帯も強まりました。朝鮮の共産主義者と抗日革命軍は、中国人民と緊密に協力して共通の敵に抗する長期の共同闘争を進め、また、ソ連人民とともに日本帝国主義とたたかいました。

 共産主義者の指導のもとに、我が革命軍は15年にわたる血みどろの闘争をつづけ、ついにソ連軍とともに日本帝国主義を撃滅する戦闘に参加し、祖国解放の歴史的な勝利を達成しました。

 抗日武装闘争は、朝鮮共産主義運動の初期にあった本質的な弱点を克服して、マルクス・レーニン主義党創立の組織的・思想的基礎をつくり、朝鮮人民の最も栄えある革命伝統をきずきあげました。

 困難な遊撃闘争の試練をとおして、真の共産主義的革命家が育ち、革命隊伍のゆるぎない統一が達成されました。抗日武装闘争の時期にはじめて、マルクス・レーニン主義が我が国の現実と結びつき、共産主義運動が民族的・社会的解放をめざす朝鮮人民の革命闘争と結びつくようになりました。こうして、朝鮮における共産主義運動の指導的中核が形成され、党創立のための組織的根幹がきずかれ、我が国革命のマルクス・レーニン主義的戦略・戦術がうち立てられました。共産主義者は、大衆との密接な結びつきを保ち、大衆のために献身的にたたかうことによって、人民大衆のあつい信頼を獲得しました。

 このように、長期にわたる反日民族解放闘争の過程で、朝鮮の共産主義運動は成長し強化されました。そして、1940年代には、革命闘争のなかで洗練された共産主義者を根幹として、栄えあるマルクス・レーニン主義党を組織することができるようになりました。

 抗日武装闘争による朝鮮共産主義運動の画期的な発展によって、解放後の複雑な環境においても、我が党は確固たる土台の上に創立され、党は創立当初から、朝鮮人民の革命闘争を正しく指導することができたのであります。抗日武装闘争できずかれた輝かしい革命伝統と闘争経験は、朝鮮革命の勝利のために我が党と人民が全面的に継承し発展させるべき、最も貴重な富であります。




 同志のみなさん!

 8.15解放後、朝鮮革命の前途には新たに重大な難関が立ちはだかりました。

 アメリカ帝国主義者が南朝鮮を占領し、国の内外にいた反動分子がここに集結しました。そして、きのうまでの日本帝国主義者の手先が、今度はアメリカ帝国主義者の手先となって、朝鮮人民に反対しました。我々は、朝鮮革命に反対し、朝鮮人民の統一独立国家の建設に反対するばかりでなく、北朝鮮にまでその勢力を押しひろげようとするアメリカ帝国主義の侵略政策に直面することになりました。こうして、朝鮮の共産主義運動と朝鮮人民のすべての革命闘争は、やむなく当分のあいだ南北に分かれ、それぞれ異なる環境のもとで、それぞれ異なる闘争形式によって進めざるをえなくなりました。

 このような情勢のもとで、北朝鮮の共産主義者に提起された課題は、自己の隊伍を速やかにととのえ、広範な人民大衆をそのまわりに結集して、帝国主義の残存勢力と封建勢力に反対する民主主義革命を徹底的に遂行し、統一された民主主義独立国家を建設するためにたたかうことでありました。アメリカ帝国主義者の侵略政策に対処して、既に、解放された北朝鮮で革命を積極的におし進め、北朝鮮に強力な革命基地を創設することによってのみ、祖国の統一と革命の全国的勝利の道を成功裏に切り開くことができたのです。

 そこで、我々、共産主義者はなによりもまず、みずからのマルクス・レーニン主義党の創立にとりかかりました。我々は、革命闘争のなかで洗練された共産主義者を中核とし、各地方で活動していた共産主義グループを包括し、マルクス・レーニン主義的党建設の原則に立脚して党を再び創立しました。長いあいだ統一的な党をもつことができず、それぞれ別個の革命組織で分散的にたたかってきた朝鮮の共産主義者は、ついに1945年10月10日、平壌で北朝鮮共産党中央組織委員会を結成し、我が党の創立を内外に宣言しました。

 我が党は、解放直後の複雑で混乱した環境のなかで、階級敵の破壊策動と、セクト主義、地方主義をはじめ、さまざまな日和見主義との闘争をつうじて誕生しました。我々は、抗日武装闘争の過程できずかれた党創立の組織的・思想的準備にもとづいて、また、労働者階級と勤労人民の高まった革命的熱意と積極的な支持に依拠して、あらゆる難関と障害を克服し、マルクス・レーニン主義党創立の偉業を立派に実現しました。

 これは、労働者階級の革命的党創立をめざす朝鮮共産主義者の長期にわたる闘争と努力の貴い結実であり、我が国の共産主義運動と全般的な朝鮮革命の発展における歴史的な転換でした。このときから、朝鮮の労働者階級と勤労人民は、革命闘争における強力な前衛部隊、マルクス・レーニン主義的参謀部をもち、党の指導のもとに革命の道を勝利のうちに切り開いていけるようになりました。

 我が党は創立後、直ちに、北半部で反帝反封建民主主義革命を遂行し、民主基地を創設するたたかいをくりひろげました。

 党はまず、各党、各派、各階層の民主勢力との統一戦線を結成し、広範な人民大衆を奮起させて、日本帝国主義の旧支配機構を徹底的にうちこわし、新しい型の政権機関をうち立てることによって、革命の基本問題である権力の問題を解決しました。我々のうち立てた政権は、労働者階級の指導する労農同盟にもとづき、各階層人民の利益を代表する真の人民政権として、革命と建設の強力な武器となりました。

 党の指導に従い、人民政権は広範な人民大衆の支持と参加のもとに土地改革、産業国有化をはじめ、民主改革を立派に遂行しました。民主改革の実施にもとづいて、経済と文化の建設が急速に進められ、人民の生活も安定しました。それとともに、我が党は長期の抗日武装闘争をつうじて育成され、鍛えられた革命幹部を根幹として、革命の獲得物を守る人民武力を創設しました。

 こうして我が国の北半部では、解放後わずか1、2年のあいだに、反帝反封建民主主義革命が完遂され、北半部は確固とした朝鮮革命の基地に発展するようになりました。これは、党の指導のもとに、朝鮮人民が新しい生活をきずくうえで達成した最初の勝利でありました。

 革命闘争においても建設事業においても、勝利の決定的な裏付けとなるのは、革命勢力をきずくこと、つまり革命の参謀部である党を強化し、広範な大衆を党のまわりに結集することであります。革命勢力をきずくうえでの我が党の一貫した方針は、革命と建設の実践闘争をつうじて党を組織的、思想的に強化し、大衆をめざめさせて革命の側に獲得することであり、また長期にわたる革命闘争のなかで鍛えられた共産主義者を中核としてすべての党員を革命家に育てあげ、党員を中核として全人民を革命精神で武装させることであります。

 解放後、我々が短期間に人民政権を樹立し、民主主義革命を成功裏に遂行できたのは、党のこの方針に従って広範な大衆を獲得し、すべての愛国的民主勢力を結集して革命任務の遂行に立ち上がらせたからであります。一方、人民政権をうち立て、民主改革を実施するたたかいをつうじて、我が党は強化され、大衆のあいだで党の信望が高まり、広範な大衆が党のまわりに結集しました。

 我が党が新民党と合同し、勤労者大衆の統一的政党である労働党に発展したのは、我々の革命勢力を拡大強化するうえで画期的な出来事でありました。合同の結果、我が党は労働者階級だけでなく、勤労農民、勤労インテリの先進的分子をもその隊伍に結集させた大衆的政党となりました。

 共産党と新民党の合同によって、党勢が強まり、革命家の隊伍がさらに拡大され、党が広範な大衆のなかにいうそう深く根をおろせるようになりました。それはまた、2つの勤労者政党の存続からくる勤労人民の革命勢力分裂の危険を取り除き、労働者階級の指導のもとに労働者、農民、勤労インテリの同盟を強化し、さらには各階層の民主勢力の統一戦線をいっそう強固なものにしました。

 同志のみなさん! 解放後、短期間に北半部で遂行された民主的変革によって、我が国の革命基地は政治的、経済的、軍事的に強化され、それは朝鮮人民の祖国解放戦争における勝利の裏付けとなりました。

 アメリカ帝国主義者とその手先によって強いられた戦争は、我が党と人民にとって最も厳しい試練でした。党の指導のもとに、朝鮮人民は誇り高くこの試練にうちかちました。我が党は、強大な敵とたたかう困難な戦争で祖国の運命を双肩に担い、敵撃滅の正義の闘争へと人民を立ち上がらせ、人民は党の呼びかけにこたえて、戦争勝利のために犠牲を恐れず勇敢にたたかいました。朝鮮人民と朝鮮人民軍は、中国人民志願軍と協同し、社会主義諸国人民の一致した支援のもとに英雄的な闘争をくりひろげ、敵の武力侵攻を撃退し、祖国の独立と革命の獲得物を守りぬきました。

 朝鮮戦争における朝鮮人民の勝利は、帝国主義反動勢力にたいする革命的人民の勝利であり、帝国主義の侵略的武力にたいする革命軍隊の勝利でありました。それは、マルクス・レーニン主義党の指導のもとにみずからの運命をみずからの手に握りしめ、自由、独立、進歩のために立ち上がった人民は、いかなる帝国主義の侵略勢力によっても征服されない、ということを示しました。それはまた、アメリカ帝国主義の脆弱さと腐敗ぶりを暴露し、アメリカ帝国主義は決して不敗の敵ではなく、ゆうに撃破できることを全世界の被抑圧民族に示しました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮戦争でアメリカ史上最初のみじめな軍事的敗北を喫しました。これは、アメリカ帝国主義が下り坂への第一歩を踏み出したことを意味するものでした。アメリカ帝国主義者は、この戦争で受けた大きな痛手をいやせないまま、世界の革命的人民によってつづけざまに新たな打撃を受けており、現在、いっそう深い滅亡のどろ沼にはまりつつあります。

 我が党と人民は戦争をつうじていっそう強くなり、自己の正義の偉業の勝利を確信するようになりました。

 我が党は、既に、革命と建設を指導してきたばかりでなく、苛烈な戦争の試練をつうじて点検され、豊かな経験を積んだマルクス・レーニン主義党となりました。幹部と党員が鍛えられ、労働者、農民およびインテリと全人民が鍛えられ、党と人民の団結がいっそう強まりました。我が人民軍は、強力な革命軍隊に成長しました。

 長期の革命闘争のなかで洗練された老革命幹部とともに、戦争の烈火のなかで数十万の新しい革命家が成長し、我々の革命隊伍はかつてなく拡大強化されました。朝鮮人民は、みずからの偉大な力を深く自覚し、党の示す道に従ってかたく団結してたたかうならば、いかなる嵐ものりこえて勝利できるという確信をもつようになりました。




 同志のみなさん!

 帝国主義と植民地主義の従属から脱した国が、真の自由、独立、進歩を達成するためには、必ず社会主義的発展の道に進まなければなりません。資本主義は既に、その時代を生きつくしました。資本主義の道は、搾取と抑圧、従属と没落への道です。社会主義のみが、階級的搾取と民族的抑圧を一掃して、全人民の自由と幸福、国の完全な独立と繁栄を保障します。

 朝鮮人民は、朝鮮労働党の指導のもとに社会主義の道を前進してきました。我が国の北半部では民主主義革命を完遂し、それにもとづいて既に、戦前から、しだいに社会主義へ移行する過渡期の任務遂行に着手しました。

 戦後、社会主義革命と社会主義建設は、北半部の社会経済発展の機の熟した要求となりました。それはまた、我が革命基地を政治的、経済的にいっそう強化し、祖国の統一と全朝鮮革命の勝利を早めるためにも切実に必要なものでした。

 そこで我が党は、停戦後、社会主義革命を力強く推進しながら、まず戦争で破壊された人民経済の復興と、零落した人民生活の安定と向上のために力をそそぎました。

 党は、重工業の優先的な発展を保障し、同時に軽工業と農業を発展させる路線をうちだし、国の経済的土台を決定的に強化しつつ、短期間内に人民生活の安定をはかるようにしました。党はまた、復興建設とならんで生産関係の社会主義的改造を積極的に進める方針をとり、生産力の急速な復興とそのいっそうの発展のための大路を開きました。

 我が党は、戦争で鍛えられ人民の革命的な熱意と創造力、国内のあらゆる資源を最大限に動員し、また兄弟諸国の援助を効果的に利用して、みずからの正しい路線と方針を貫き、戦後復興期の極めて困難な課題を勝利のうちになし遂げました。工業および農業生産が戦前の水準を回復したばかりでなく、それをはるかに突破し、社会主義的改造でも大きな前進を遂げました。

 我が党は、戦後の復興期に達成した成果にもとづいて、社会主義革命と社会主義建設をさらに促進する方針をうちだし、それを貫くためのたたかいに全勤労者を奮起させました。この党の方針は、速く前進しようとする人民の志向を反映したものであり、かれらは一致してこれを支持し、これにこたえました。

 こうして、歴史的な党中央委員会1956年12月総会を契機に、勤労者の政治的熱意と労働の熱意はかつてなく高まり、社会主義建設の大高揚が起こって偉大なチョンリマ(千里馬)運動が始まりました。このような革命的高揚のなかで、既に、1958年には農業協同化と私営商工業の社会主義的改造が完成し、都市と農村で社会主義的生産関係の全一的支配が確立しました。人民経済のすべての分野で次々と革新が起こり、社会主義建設は速いテンポで進められました。

 我が党は、勤労者のチョンリマ運動をひきつづき発展させるとともに、技術革命、文化革命、思想革命を力強く推進し、社会主義建設で偉大な成果をおさめました。

 我々は、民族経済の自立的土台を強固にきずきあげました。機械製作工業を中核とするみずからの重工業基地が創設され、軽工業も速やかに発展しました。我が国の農業はゆるぎない社会主義的農業となり、新しい技術で装備されつつあります。

 科学、教育、保健医療、文化、芸術など、すべての分野で大きな成果がおさめられました。人民の衣食住問題が基本的に解決され、その物質、文化生活は全般的に改善されました。

 停戦直後、敵は、北朝鮮は100年かかっても立ち直れないだろうとうそぶきました。しかし、党の指導のもとに、朝鮮人民は戦後10年のあいだに、廃墟の上に経済を復興したばかりでなく、歴史的に受け継いだ立ち後れと貧困を一掃し、祖国を社会主義工業・農業国に発展させ、都市と農村をいっそう美しくきずきあげました。これは、社会主義革命と社会主義建設にかんする我が党のマルクス・レーニン主義的路線の勝利を示すものであり、我が党の経済政策の正しさを証明するものであります。

 戦後の10年は、偉大な社会的・経済的変革と建設の10年であるとともに、それはまた党を組織的、思想的に強化するたたかいで輝かしい勝利をおさめた10年でもありました。

 我が党の第3回大会と第4回大会もこの期間に開かれました。これらの大会は、我が党の歴史で重要な位置をしめ、党の強化と社会主義革命、社会主義建設の促進で大きな役割を果たしました。

 戦後我が党は、社会主義革命と社会主義建設のたたかいをつうじて鍛えられただけでなく、さまざまな日和見主義との闘争をつうじてさらに強化されました。

 我が国における戦後の復興建設は、アメリカ帝国主義者とその手先の不断の破壊策動に反対し、はかりしれない経済的難関と窮乏を克服する厳しいたたかいのなかで進められました。特に社会主義革命が本格的に進められるにつれて、階級闘争は極めて鋭くなりました。

 我が社会でくりひろげられたこのようなたたかいは、党内にも反映せざるをえませんでした。こうして、党内には、さまざまな日和見主義的潮流が台頭し、党はこれと強力な闘争をくりひろげました。

 戦後、党内の思想戦線で我々がおこなった主な闘争は、セクト主義に反対して党の統一を強め、教条主義に反対して主体性を確立し、現代修正主義に反対してマルクス・レーニン主義の純潔を守るたたかいでありました。

 党隊列の思想、意志の統一は、マルクス・レーニン主義党の生命であります。党の統一と団結のためのたたかいは、我々にとって特別に重要な問題でした。

 我が党は創立後まだ日が浅く、各地方で分散的に活動していた共産主義グループを包括して組織され、また新民党と合同して急速に大衆的な政党に発展したため、党隊列の構成が複雑にならざるをえませんでした。このような状況のもとで、党は常に、その隊列の統一と団結を強めることに最大の関心を払いました。我々は、党の中核隊伍を拡大強化し、全党員をたゆみなく教育し団結させながら党の統一を守ってきました。

 しかし、我が党が難関と試練に直面するたびに、絶対多数の堅実な党員はたたかいのなかでさらに鍛えられ、団結を強めたのに反し、少数の不純分子は堕落し、反党への道に転落していきました。祖国解放戦争の困難な時期にも、降伏主義者や敗北主義者、そして党を切り崩そうとする清算主義者があらわれて反党分派活動をはたらいたため、党はたたかいをつうじて、これを克服しなければなりませんでした。

 戦後の復興建設の困難な時期に、再び反党分派分子が頭をもたげはじめました。以前から派閥争いの悪弊に深くそまった分派分子と一部の不純分子が、複雑な情勢に乗じて党に挑戦してきました。

 我が党は、党組織と党員大衆を奮起させて反党分派分子の陰謀を暴露、粉砕し、セクト主義を一掃するための強力な思想闘争を展開しました。我々は、党の統一をむしばむいっさいの現象とたたかい、党中央から細胞にいたるまで、全党に党の思想体系を確立するために努力しました。

 党の統一と団結をかちとるたたかいは、主体性確立のたたかいと切り離して考えることはできませんでした。教条主義に反対し主体性を確立することは、党の思想体系をうち立て、党の正しい指導を保障し、我々のすべての革命闘争と建設事業を成功裏に進めるうえで、最も重要な問題の一つでした。

 我が党は常に、マルクス・レーニン主義の一般的原則を断固守りぬくとともに、教条主義に反対し、我が国の歴史的条件と民族的特性に即してマルクス・レーニン主義を適用していく、創造的な立場を堅持しました。党は常に、国際革命勢力との連帯と協力をたえず強めつつ、同時に他国への依頼心を排して自力更生の精神を発揮し、自分の問題はあくまでみずからが責任をもって解決していく、自主的な立場を堅持しました。思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛、これが我が党の一貫した立場であり、方針であります。

 我が国の複雑な環境と条件のため、また、多くの幹部がマルクス・レーニン主義の水準が低く、革命闘争の経験に乏しかったため、初期には党内に教条主義の影響が少なくありませんでした。党はたゆみない教育活動と思想闘争をつうじて、しだいに教条主義を克服しました。

 しかし、事大主義に毒された一部の頑固な教条主義者は、党の正しい路線と政策の実行をひきつづき妨げ、我々の活動に害悪を及ぼしました。我が党内にあらわれた分派分子も例外なく教条主義者であり、事大主義者でありました。

 戦後に、このような連中の教条主義はその極に達しました。かれらは、自国の現実を見ようとしなかったばかりでなく、自国人民の歴史と文化、革命伝統まで否定し、自国のものはすべて悪く、他国のものはすべてよいという民族虚無主義に陥りました。かれらは、自党の路線と政策にもとづいて活動するのではなく、他国にばかり頼り、他国に盲従しようとし、自国の力を信じようとせず、すべてのことを他国に依存しようとしました。教条主義と事大主義の弊害は容認しがたいものとなりました。

 そこで我が党は、1955年に教条主義に反対し、すべての分野で主体性を確立する断固とした方針をうちだし、それを貫くためにひきつづきねばり強くたたかいました。党は、幹部と党員のあいだで教条主義的思想潮流の危険性を徹底的に暴露し、かれらがマルクス・レーニン主義を朝鮮の現実に創造的に適用した我が党の路線と政策を深く研究し、常に、それにもとづいて活動するよう、強力な思想活動をくりひろげました。これとともに我々は、全党員と勤労者のあいだで、我が国の歴史と伝統、我が国の現実にたいする学習を決定的に強め、すべての問題を自国の実情に即して、また、自力更生の原則にもとづいて解決する気風をうち立てるためにたたかいました。

 国際共産主義運動の内部に現代修正主義が台頭するにともない、セクト主義、教条主義との我々の闘争は、現代修正主義との闘争と結びつくようになりました。我が国における修正主義は、国際的な修正主義潮流に便乗して発生し、分派分子や教条主義者をつうじて外部から浸透しました。

 現代修正主義者はなによりもまず、アメリカ帝国主義への幻想をふりまき、我が党と人民がアメリカ帝国主義に抗して断固としてたたかえないようにしようとしました。かれらはまた、我が国において社会主義革命は「時期尚早」であるといってそれに反対し、我が党の社会主義的工業化の路線、特に自立的民族経済建設の路線に反対し、ひいては我々に経済的圧力を加えて、我が国の社会主義建設に大きな損失を与えました。現代修正主義者の目的は、結局、我が党をかれらと同様、マルクス・レーニン主義と革命に背き、反米闘争を放棄する右傾降伏主義の道へ進ませようとするところにありました。

 我が党は、修正主義者の策動に対抗して、マルクス・レーニン主義の革命の旗を高くかかげ、みずからの正しい路線と政策をあくまで実行し、党内で現代修正主義の本質を暴露し、マルクス・レーニン主義の純潔を守るための思想活動をいっそう強化しました。

 我が党にたいする日和見主義者の攻撃は、1956〜1957年ごろに最も露骨にあらわれました。当時、党内にひそんでいた少数の反党分派分子と頑固な教条主義者は、修正主義を基盤にして結託し、外部勢力を後ろ盾にして我が党に挑戦しました。かれらは、我が党の路線と政策を誹謗したばかりでなく、我が党の指導部をくつがえす陰謀をめぐらしました。またこれとときを同じくして、アメリカ帝国主義者とその手先は、共和国北半部にたいする反動攻勢をかつてなく強化しました。

 しかし、かれらは、いずれも大きく誤算していました。抗日武装闘争の深い根源から成長し、困難な革命闘争で洗練され、人民大衆と血のかよったつながりをもち、大衆から絶対的に支持され信頼されている我が労働党が、一握りの反党分子の企みや、ある外部勢力のために動揺するようなことはありえませんでした。

 我が党は、党員と人民大衆の一致した支持に依拠し、敵の反動攻勢といっさいの日和見主義者の攻撃にたいし決定的な反撃を加えました。党は、日和見主義を粉砕するための強力な党内の思想闘争と、敵の反革命策動にたいする全人民的な政治闘争をくりひろげる一方、社会主義建設の新たな高揚をめざす勤労者の生産闘争を力強く励ましました。我が国における社会主義建設の大高揚とチョンリマ運動は、このような全党的、全人民的な思想闘争、政治闘争がくりひろげられる過程で発生したものであり、それはまた、内外のあらゆる敵の攻撃を徹底的に粉砕することを可能にしました。こうして、我々は、アメリカ帝国主義者とその手先の反動攻勢をうちやぶったばかりでなく、セクト主義、教条主義、現代修正主義とのたたかいでも勝利をおさめました。

 我が党の20年の歴史において、祖国解放戦争が帝国主義侵略勢力および国内反動勢力との最も厳しいたたかいであったとすれば、戦後の日和見主義との闘争は、共産主義運動内部の敵にたいする最も深刻なたたかいであったといえます。この闘争をつうじて、我が党はいっそう鍛えられ、強化され、多くの経験と教訓を得ました。我々は、自己の革命の陣地をますます強固にし、我が国の革命と建設のためのいっそうひろびろとした道を切り開きました。

 我が党は、歴史的に共産主義運動に大きな弊害を及ぼしてきた分派を決定的に粉砕し、党隊列の思想、意志の確固たる統一をかちとりました。党は、現代修正主義に反対してみずからのマルクス・レーニン主義的革命路線を守りぬき、教条主義を一掃して主体性を確立しました。

 我が幹部と党員のマルクス・レーニン主義の水準はいちだんと高まりました。かれらは、国際共産主義運動においてマルクス・レーニン主義に反するさまざまな日和見主義を見分けることができるようになり、マルクス・レーニン主義の一般的原理を我が国の実情にいっそう正しく結びつけることができるようになりました。また、党員と勤労者の民族的自負と社会主義的愛国主義の思想が強まり、かれらの創意と才能がますます発揮されるようになりました。

 党の権威は、大衆のあいだでゆるぎないものとなり、党と人民の統一はかつてなく強化されました。

 これらすべてのことは、我が党と我が国の革命発展における一つの歴史的な転換でありました。

 我が党は、自己の隊列の統一をさらに強固にし、すべての分野で党の指導を強める基礎のうえに立って、党の大衆路線を貫くたたかいに力をそそぎました。

 革命は、人民のための事業であり、人民自身の事業であります。人民大衆のために忠実に奉仕し、大衆のなかに入って大衆を教育改造して団結させ、大衆から力と知恵を得、広範な大衆を立ち上がらせて革命任務を遂行することは、我が党の一貫した大衆路線であります。社会主義建設の急速な前進は、党の大衆路線をいっそう徹底的に貫くことを求めました。

 大衆路線を具現するためには、一方で党の活動体系と活動方法をたえず改善しなければならず、他方では大衆の政治的思想・意識をたえず高めなければなりません。我々は、党内に革命的な活動体系を全面的に確立し、活動家に官僚主義を一掃し大衆に依拠する革命的な活動方法を身につけさせるため、大々的な組織活動と思想活動をくりひろげました。それとともに党は、すべての勤労者を労働者階級の革命精神で武装させる大衆教育活動をいっそう強化しました。我々は、党活動を対人活動に変え、勤労者のあいだで、階級的教育を基本とする共産主義教育を党政策教育および革命伝統教育と結びつけて強力におし進めました。

 チョンサンリ(青山里)精神とチョンサンリ方法は、我が党の伝統である革命的大衆路線を社会主義建設の新たな現実に即して具体化し、発展させたものであります。チョンサンリ方法の基本は、上級機関が下級機関を助け、上部の人が下部の人を助け、常に現地に行って実情を深く把握し、問題解決の正しい方法を講じ、すべての活動において政治活動、対人活動を優先させ、大衆の自発的な熱意と創意を引き出して、革命課題の遂行を保障することにあります。この方法は、当面の革命課題を成功裏に、質的に遂行しうる力強い活動方法であるばかりでなく、活動家の思想的・政治的水準と実務能力を高め、大衆を革命化する力強い教育方法であります。

 チョンサンリ方法が普及された結果、党および国家・経済機関の活動には変化が生じ、活動家の指導水準も著しく高まりました。チョンサンリ方法が大衆に受け入れられて、勤労者を教育改造する活動は勤労者自身の仕事となり、大衆的な思想改造運動に発展しました。こうして、大衆路線の貫徹、チョンサンリ方法の一般化によって、党の指導的役割はいちだんと高まり、我々の革命隊伍が急速に拡大強化され、社会主義建設の大高揚とチョンリマ運動がいっそう力強く推進されました。

 同志のみなさん! 我が党は、人民を導いて、国の北半部に先進的な社会主義制度をうち立て、強固な自立的民族経済を建設しました。これは、朝鮮人民の幸福な生活と我が社会のいっそうの繁栄をもたらす基礎となるものです。

 我が党は、アメリカ帝国主義の侵略勢力と直接対峙している状況のもとで、常に平和的経済建設と国防建設を正しく結びつけて進めてきました。党は、人民軍を強化し、全人民を武装させ、全国土を要塞化する膨大な仕事をなし遂げ、祖国と革命を敵の侵害から守りぬくゆるぎない自衛態勢をととのえました。

 我が党はまた、北半部に強力な革命の隊伍をととのえました。党の隊伍には160余万の党員が結集しており、全人民が党のまわりに団結しています。我が党員は、日本帝国主義に反対する闘争とアメリカ帝国主義に反対する闘争の過程で、民主主義革命と社会主義革命のための闘争の過程で、また社会主義建設の大高揚と偉大なチョンリマの進軍の過程で成長し鍛えられた革命家であり、党と革命に忠実な我が党の革命戦士であります。朝鮮人民は、革命闘争の試練をへてきた人民であり、みずからの死活的闘争経験をつうじて党を限りなく信頼し、党の示す道に従って社会主義・共産主義の偉業を必ずなし遂げずにはおかない決意にみちた革命的な人民であります。我が党の指導のもとにかたく団結してたたかっている我が革命の隊伍は不敗であり、これは、我々のすべての勝利の決定的な要因であります。

 こんにち我が革命基地は、政治的、経済的、軍事的にしっかりとかためられ、社会主義祖国は日増しに繁栄しています。我々は、北半部に発展した社会主義社会を建設し、祖国の統一と革命の全国的な勝利をかちとる大きな力を蓄えたと確言することができます。これらのことが、この20年間、我が党が人民を導いてなし遂げた革命業績の主な総括であります。




 同志のみなさん!

 我が党は常に、共和国北半部における革命と建設を朝鮮革命の一部分とみなしており、北半部を全国的な民族解放の偉業を達成するための革命の基地とみなしています。党は、北半部でたえず革命を前進させて革命の基地を強化するとともに、南朝鮮人民の革命闘争を支援し、南朝鮮をアメリカ帝国主義の従属から解放し、祖国の統一を実現するためにねばり強くたたかってきました。

 南朝鮮の人民は、日本帝国主義が滅びて20年が過ぎたこんにちも、なお帝国主義のくびきから解放されず、アメリカ帝国主義の支配下でひきつづき植民地的・封建的抑圧と搾取に苦しんでいます。

 南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義者は、日本帝国主義者にかわって南朝鮮の新たな植民地支配者として君臨しました。アメリカ帝国主義者は南朝鮮に侵入したその日から、南朝鮮をその植民地に変えるだけでなく、全朝鮮にたいする支配を確立し、極東とアジアを侵略するための軍事基地に変える目的を追求してきました。過去20年間、アメリカ帝国主義が南朝鮮で実施してきたすべての政策は、かれらの、このような目的から出たものであります。

 南朝鮮にたいするアメリカ帝国主義の支配は、本質において、かつての日本帝国主義の支配となんの違いもありません。違いがあるとすれば、かつて日本帝国主義は朝鮮で総督政治をおこなったが、こんにちアメリカ帝国主義はかいらい政権を手先として利用し、より狡猾な新植民地主義の方法で南朝鮮を支配していることだけです。南朝鮮の「政府」は、アメリカ帝国主義の軍事的占領を「合法化」し、その植民地支配をおおいかくす隠れみのとして奉仕しており、アメリカ帝国主義の侵略政策を忠実に実行する道具の役割を果たしています。

 アメリカ帝国主義者は、南朝鮮でいっさいの権力を掌中におさめ、南朝鮮の政治、経済、文化、軍事など、すべての分野をその侵略的な目的に徹底的に従属させました。こうして南朝鮮は、アメリカ帝国主義の完全な植民地、軍事基地に変わりました。

 南朝鮮革命は、アメリカ帝国主義侵略勢力と、それと結託した地主、買弁資本家、反動的官僚を一方とし、南朝鮮の労働者、農民、インテリ、青年学生をはじめ各階層の人民を他の一方とする、両勢力間の矛盾によって生じた反帝反封建民主主義革命であり、それは全朝鮮革命の重要な構成部分をなしています。

 南朝鮮の人民はこの20年間、北半部の人民が革命と建設で達成した偉大な成果とその強力な支援に励まされ、アメリカ帝国主義者とその手先に抗し、南朝鮮革命の勝利と祖国の統一をめざして英雄的にたたかってきました。

 日本帝国主義が滅びるや、南朝鮮でも北朝鮮と同様に、人民大衆の革命的な潜在力が火山のように爆発し、愛国的な民主勢力は急速に成長しました。共産主義者たちが地下からあらわれ、共産党が組織されて活動を始め、人民の創意によって南朝鮮各地に人民の政権機関である人民委員会がつくられました。

 南朝鮮人民は、アメリカ帝国主義者の植民地従属化政策とその手先の民族分裂政策に反対し、民主的変革を要求して繰り返し大規模な闘争を展開しました。

 1946年8月の光州の和順(ホスン)炭鉱労働者の闘争と荷衣(ハイ)島農民暴動、南朝鮮労働者の9月ゼネスト、10月人民抗争、1948年の2.7救国闘争、5.10単独選挙反対闘争、麗水(リョス)軍人暴動をはじめ、あいついで起きた南朝鮮人民の救国抗争は、アメリカ帝国主義者の植民地政策に大きな打撃を与え、朝鮮人民の解放闘争史に輝かしいページを残しました。

 しかし南朝鮮人民の革命闘争は、アメリカ帝国主義者とその手先の野蛮な弾圧によって、また共産党の指導部に潜入したアメリカ帝国主義のスパイと分派分子の破壊活動によって一時挫折し、厳しい試練に直面しました。内外の敵から挟撃された南朝鮮の革命勢力は大きな損失をこうむり、1949年にいたって、党組織は全面的に崩壊しました。

 反動攻勢が激しくなり、革命運動が一時的な退潮期に入った非常に困難な環境のもとでも、南朝鮮の愛国的人民はたたかいを中断しませんでした。南朝鮮の共産主義者たちは、あらゆる艱難辛苦をなめながら地下にもぐって闘争をつづけました。

 1960年3月15日、李承晩「政権」の不正選挙に反対して馬山(マサン)市民がくりひろげた英雄的な闘争は、南朝鮮人民の救国闘争が新しい段階に入ったことを示す信号でした。南朝鮮人民は4月蜂起によって、アメリカ帝国主義者の子飼いの手先であった李承晩「政権」を打倒し、アメリカ帝国主義の植民地支配に再び大きな打撃を与えました。

 4月蜂起以後、南朝鮮でアメリカ帝国主義者とその手先に反対し、祖国の自主的統一をめざす大衆の闘争気勢はますます高まりました。

 これにあわてたアメリカ帝国主義者とその手先は、「軍事クーデター」を引き起こし、ファッショ的弾圧によって南朝鮮人民の救国闘争を圧殺しようとしました。しかし、南朝鮮における事態の進展は、敵の軍事的弾圧も、決して人民の闘争を阻むことはできないということを示しています。

 南朝鮮の愛国的な青年学生と人民は、売国奴朴正煕一味の過酷な弾圧をはねのけて「韓日会談」反対の英雄的な闘争をおこない、「韓日協定」を粉砕するためにひきつづき勇敢にたたかっています。1964年の6.3闘争と今年8月、再びくりひろげられたデモ闘争は、米日帝国主義者の侵略政策に反対し、売国奴一味を打倒するための反帝・反ファッショ愛国闘争でありました。

 現在、アメリカ帝国主義者は、植民地支配の危機を収拾するためにやっきになってあがいており、その手先、朴正煕一味は南朝鮮を恒常的な戒厳状態におかなければならなくなっています。

 アメリカ帝国主義者とその手先は、このような危機の原因が、「北からの共産主義の脅威」にあると宣伝し、人々の耳目を他へそらそうとしています。しかし、こんにちにいたって、そのような宣伝を信じる人は誰もおらず、人々は南朝鮮での危機がほかならぬアメリカの植民地支配そのものの産物であることを悟るようになりました。

 朴正煕一味は、その売国的・反民族的行為を「反共主義」の看板でおおい隠そうともくろみ、自身を民族主義者であるかのように見せかけています。しかし、かれらのこうした術策が成功するはずはなく、かれらがアメリカ帝国主義と日本帝国主義の手先である事実は、決して隠しとおせるものではありません。我々と南朝鮮かいらいとの対立は、共産主義者と民族主義者との対立ではなく、愛国者と売国奴との対立であります。

 アメリカ帝国主義者とその手先は、いかなる弾圧や欺瞞策動によっても、たえず拡大強化されている南朝鮮人民の反米救国闘争を抑えることはできません。南朝鮮におけるアメリカ帝国主義者とその手先のファッショ的暴圧は、南朝鮮人民をいっそうめざめさせ、鍛え上げ、結局はアメリカ帝国主義の植民地制度をほうむらずにはおかない革命勢力を強化する結果をもたらしているだけであります。

 南朝鮮人民は、アメリカ帝国主義の植民地支配がつづくかぎり、アメリカ帝国主義の一つのかいらいを他のかいらいにとりかえるだけでなにごとも解決できず、ただアメリカ帝国主義侵略者を追い出してアメリカ帝国主義の植民地支配を一掃し、人民が権力を掌握したときにのみ、真の自由と解放をかちとり、国の統一を実現することができるということをさらに深く悟るようになりました。南朝鮮人民はまた、自由と解放は、人民自身の闘争によってたたかいとらなければならず、人民大衆が団結し、勇敢に立ち上がってたたかうならば、強大な敵といえども十分に撃破できるという信念をしだいに抱くようになりました。

 これは、南朝鮮人民がこれまでの20年間の闘争をつうじて、血の代償として得た最も貴重な教訓であります。

 現在、南朝鮮における人民の大衆的闘争は拡大しており、組織化されつつあります。南朝鮮の人民は、かいらい政権に反対し、地主、買弁資本家、反動的官僚に反対する闘争をますます強化しながら、しだいに闘争のほこ先を主な敵であるアメリカ帝国主義に向けています。闘争の過程で、マルクス・レーニン主義で武装した革命家の隊列が成長し、労働者、農民の階級的な自覚が高まっています。南朝鮮の革命家は、労働者、農民、学生青年など、広範な大衆のなかに入ってかれらとの結びつきを強めており、南朝鮮人民の運動で積極的な役割を果たしています。

 南朝鮮の革命家は、遠からずその革命組織を大きく発展させ、反米救国の旗のもとに各階層の人民大衆を結集して、南朝鮮人民の強力な指導勢力として登場するでしょう。

 南朝鮮の革命は、爪先まで武装した強大な敵を相手としており、その前途は依然として困難を極めています。しかし南朝鮮の革命家は、あらゆる試練を克服して革命隊列をたえず拡大強化し、ついには反革命の暴力を撃破しうる強大な革命勢力を準備し、アメリカ帝国主義侵略者とその手先に反対する人民民主主義革命で、南朝鮮人民を勝利へ導くでありましょう。

 南朝鮮人民は、外来侵略者や国内反動勢力と勇敢にたたかった伝統をもっています。壬辰祖国戦争、甲午農民戦争、3.1独立運動、6.10万歳闘争、光州学生運動など、数多くの愛国闘争と革命闘争において、全朝鮮人民とともに南朝鮮人民が発揮した気高い戦闘精神は、祖国の歴史にさんぜんと輝いています。このような栄えある闘争の伝統をもち、アメリカ帝国主義者とその手先に反対する救国闘争で鍛えられた南朝鮮人民は、その困難な革命闘争で必ず偉大な勝利をかちとるでありましょう。

 南朝鮮人民は孤立してたたかっているのではありません。かれらは、北半部に強力な革命の基地をもっており、北半部人民の積極的な支援を受けています。我が党と北半部の全人民は、全力をあげて南朝鮮人民の革命闘争を支援し、かれらとともに祖国の完全な解放と独立のために断固たたかうでありましょう。

 南朝鮮人民が革命で勝利をかちとって政権を掌握するようになれば、北半部の社会主義勢力と南朝鮮の民主主義勢力の団結した力によって、祖国は統一されるでありましょう。

 我々は、南朝鮮の革命家と愛国的人民が、北半部人民の力強い支援のもとに英雄的にたたかい、南朝鮮革命の勝利をかちとることによって、祖国の統一と革命の全国的な勝利をめざす全朝鮮人民の闘争で、自己の歴史的使命を立派に遂行するものと確信します。




 同志のみなさん!

 朝鮮労働党と朝鮮人民の革命闘争は国際革命運動の一環として、平和と民主主義、民族独立と社会主義をめざす全世界人民の共同闘争と密接に結びついて発展しています。我が党は常に、朝鮮の革命を立派になし遂げることが朝鮮の共産主義者と人民に課された第一の国際主義的義務であると考え、その勝利のためにたたかうと同時に、我が国の革命の国際的な連帯を強め、国際革命運動の全般的な発展を促すために全力をつくしてきました。

 国際関係分野における我が党の一貫した政策は、社会主義陣営の統一と国際共産主義運動の団結を守り、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの新興独立諸国との友好と協力関係を発展させ、これらの地域の人民の反帝民族解放運動とすべての国の人民の革命運動を支援し、帝国主義の侵略と戦争政策に反対し、世界の平和と人類の進歩のためにたたかうことであります。

 アメリカをはじめとする帝国主義と断固たたかうことは、こんにち、革命家と革命的党を、あらゆる日和見主義の流派と区別する第一の基準となります。

 帝国主義の侵略勢力とたたかわずには、世界の平和を守ることができず、民族の解放と独立のための闘争も、民主主義と社会主義のための闘争も勝利することはできません。社会制度を異にする国々との平和共存政策は社会主義国の対外政策の一つの側面にすぎず、決してこれに反帝闘争を溶解させたり、そのために反帝闘争を弱めたりしてはなりません。社会主義諸国の人民はもとより、世界のすべての平和愛好人民は、帝国主義、特にアメリカ帝国主義に反対してたたかわなければならず、この闘争でかたく団結しなければなりません。

 我が党と人民は、アメリカをかしらとする帝国主義侵略勢力とひきつづき断固たたかうでありましょう。我々は、アメリカ帝国主義に反対するすべての勢力と団結し、アメリカ帝国主義に反対するすべての国の人民の闘争を支持し、朝鮮人民の反米闘争で国際革命勢力との連帯を強め、その支持を得るために努力するでありましょう。特に我々は、祖国の南半部とアジアの全地域からアメリカ帝国主義侵略勢力を駆逐するために、アジアのすべての反帝革命勢力といっそうかたく団結してたたかうでありましょう。

 こんにち、アジア、アフリカ、ラテンアメリカは、最も激しい反帝闘争の戦線となっています。全世界の共産主義者と進歩的な人民は、当然、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国人民の反帝反植民地主義闘争に深い関心を寄せ、その闘争に積極的な支持を与えるべきであります。

 朝鮮労働党と朝鮮人民は、常に被抑圧民族の側にしっかりと立って、その解放闘争を積極的に支持声援し、かれらと手を取り合って、帝国主義と新旧植民地主義に反対してたたかってきました。朝鮮人民とアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国人民との連帯は日増しに強まっており、我が国とこれらの地域の国々との友好・協力関係はひきつづき発展しています。このことは、諸国人民の共通の革命偉業に忠実であり、たたかう国々の人民との真の友好と団結、相互協力をめざす我が党の対外政策の正しさをはっきりと示すものであります。

 こんにち、反帝民族解放闘争における焦眉の問題は、ベトナムにたいするアメリカ帝国主義者の武力侵攻を阻止、破綻させ、侵略に抗するベトナム人民の闘争を支援することであります。

 アメリカ帝国主義者は、南ベトナムにさらに多くの軍隊と兵器を引き入れて侵略戦争をいっそう強化しており、ベトナム民主共和国の領土に野蛮な爆撃を加えています。かれらはインドシナだけでなく、無謀にもアジアの広い地域に戦争を拡大しようと狂奔しています。これは、社会主義陣営にたいする挑戦であり、平和、独立、進歩をめざすすべての国の人民にたいする挑戦であります。

 ベトナム人民は、祖国の完全な解放と独立のために勇敢にたたかっているだけでなく、社会主義陣営を守り、アジアと世界の平和を守るために血を流してたたかっています。

 ベトナムにおけるアメリカ帝国主義者の犯罪的な侵略戦争に断固反対し、ベトナム人民の正義のたたかいを支持声援することは、社会主義陣営諸国と全世界の平和愛好諸国と人民の神聖な義務であります。

 我が党と人民は、ベトナム人民の闘争を自分自身の闘争と考え、ベトナム人民を支援するために全力をつくしています。我々は、英雄的なベトナム人民の闘争をひきつづき断固として支持声援し、永久にベトナムの兄弟とともにたたかうでありましょう。

 朝鮮労働党と朝鮮人民は、これまでと同様、今後もアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国人民との連帯を強めるために努力し、その反帝反植民地主義闘争を積極的に支持するでありましょう。我が党と人民は、平和と進歩をめざしてたたかうすべての国の人民と団結し、その闘争を支持するでありましょう。

 国際革命勢力を強化し、人民の反帝闘争を力強く発展させるためには、必ず現代修正主義に反対してたたかわなければなりません。現代修正主義の最も大きな害悪は、アメリカ帝国主義の核威嚇政策に恐れをなして膝を屈し、帝国主義とのたたかいを放棄してかれらと妥協し、帝国主義への幻想をふりまいて人民を武装解除し、被抑圧民族と被搾取人民の解放闘争を抑え、弱めることにあります。こんにち、国際共産主義運動において修正主義は依然として主な危険として残っています。

 我が党は現代修正主義に反対し、マルクス・レーニン主義の純潔を守るために、ひきつづき強くたたかうでありましょう。我々は、右傾降伏主義を断固排撃し、マルクス・レーニン主義の革命の旗、帝国主義に反対し民族の解放と社会主義をめざす闘争の旗を、さらに高くかかげてたたかうでありましょう。

 共産主義者が修正主義をはじめ左右のあらゆる日和見主義に反対するのは、結局、自国の革命を成功裏に遂行し、国際舞台で革命運動の発展を促すためであります。我が党は、朝鮮革命の利益と国際革命運動の利益の見地から、自主的で原則的な立場で現代修正主義とたたかい、また教条主義ともたたかっています。

 朝鮮労働党は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則、1957年の宣言と1960年の声明の原則にもとづく社会主義陣営の統一と国際共産主義運動の団結のために、ひきつづき原則的な闘争をくりひろげるでありましょう。我が党は、常に社会主義陣営全体を擁護してたたかい、すべての社会主義国および共産党、労働者党との友好、団結を強化するために努力するでありましょう。

 我々は、帝国主義に反対し、革命のためにたたかう共産主義者であります。反帝闘争をぬきにしては、社会主義陣営の統一と国際共産主義運動の団結は考えられません。社会主義諸国と共産党、労働者党は、なによりもまず帝国主義とのたたかいで歩調を合わせるべきであり、特にこんにち、ベトナムにたいするアメリカ帝国主義者の侵略に反対し、ベトナム人民を支援するうえで力を合わせなければなりません。これは、国際反帝戦線を強化し、たたかうベトナム人民により大きな力を与え、ひいては我々の隊列の真の統一と団結への道を開くでしょう。

 我が党はアメリカをかしらとする帝国主義に反対し、人民の革命運動を支援するうえで兄弟党および兄弟諸国との共同闘争を発展させ、この闘争をつうじて団結を強めるために努力するでありましょう。

 朝鮮労働党と朝鮮人民は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の旗を高くかかげ、社会主義諸国の人民と団結し、世界の労働者階級と団結し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国人民と団結し、世界のすべての進歩的な人民と団結して、平和、民主主義、民族独立、社会主義の偉業の勝利のために力強くたたかっていくでありましょう。




 同志のみなさん!

 我が党は、マルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用して朝鮮革命を正しく指導し、人民を偉大な勝利へ導きました。

 しかし、我々の勝利がいかに大きなものであっても、それは革命をさらに前進させ、新しい勝利を達成するための土台をきずいたにすぎません。我々はいま、革命の途上にあります。我々の行く手はなお遠く、なすべきことはまだたくさんあります。我々は、南朝鮮で民族解放民主主義革命を遂行し、全国的に社会主義・共産主義の偉業を達成すべき重大な任務を担っており、兄弟のマルクス・レーニン主義党とともに全世界における共産主義の勝利のためにたたかう任務を負っています。我々は勝利におぼれることなく、新たな勝利をめざしてたえず前進し、革命をつづけなければなりません。

 こんにち、我々の当面する最大の課題は、共和国北半部で社会主義建設を促進して我が革命基地をさらに強化し、南朝鮮人民の革命闘争を極力支援し、国際革命勢力との連帯をひきつづき強めて、南朝鮮をアメリカ帝国主義の従属から解放し、国の統一を実現することであります。

 そのために、我々は党を強化し、革命の隊列をさらにうちかため、我々のすべての革命闘争と建設事業をいっそう力強くおし進めなければなりません。

 我々は、我が党の栄えある歴史と革命伝統を受け継ぎ、党の闘争経験をさらに豊かにし、党のなし遂げた闘争の業績をかため、発展させなければなりません。党隊列の思想、意志の統一を守り、党と人民との結びつきをたえず強化し、党の指導的役割をいちだんと高めなければなりません。

 党を強化するうえでなによりも重要なのは、党員が党生活を健全におこなうようにすることであります。党生活は、党員を教育、結束し、かれらが唯一の規律と意志に従って不断にたたかうようにする基本的条件であります。党の細胞生活を強化し、党生活における民主主義的気風をさらに発揚し、全党員に高度の党性と階級性、人民性を身につけさせなければなりません。党員は、労働党の栄誉ある戦士として、誰もが党から与えられた任務を忠実に実行し、常に党と労働者階級と人民の利益のためにすべてをささげてたたかわなければなりません。

 党活動の基本は対人活動であります。党機関と党組織は、なによりもまず幹部との活動をいっそう強化しなければなりません。幹部をよく把握し日常的にたゆまず教育して、その隊列をしっかりとかためなければなりません。幹部を適材適所に配置して定着させ、すべての幹部がみずからの任務を立派に遂行できるようにその水準を高め、かれらの仕事を指導し援助しなければなりません。幹部は、党と人民のあつい信頼を深く心にとめて、常に党の意図するとおりにものごとを考え、党の政策に依拠して活動し、それを徹底的に貫くためにたたかわなければなりません。

 党組織は、思想活動にひきつづき深い関心を払うべきであります。党員と勤労者のあいだでマルクス・レーニン主義の一般的原理の教育と党政策の教育を強化し、階級的教育を基本とする共産主義教育と革命伝統教育をいっそう強化しなければなりません。我々は、現代修正主義と教条主義をはじめ、あらゆる日和見主義的思想潮流に反対して、ひきつづき断固たたかわなければなりません。こうして、党員と勤労者が、マルクス・レーニン主義の世界観を確立し、階級的自覚を高め、帝国主義と搾取階級を憎悪する思想、社会主義的愛国主義とプロレタリア国際主義の思想で武装するようにしなければなりません。すべての党員を共産主義的革命家に育てあげ、労働者階級の革命性、組織性、戦闘性をいっそう高め、農民とインテリをさらに革命化しなければなりません。

 我が党は、人民を導いて社会主義を建設しています。党員と勤労者は不屈の革命闘士となるばかりでなく、すぐれた社会主義建設者になるべきであり、革命闘争で勇敢であるばかりでなく経済建設も立派にできなくてはなりません。経済知識と技術知識を所有することなしには社会主義を建設することができません。党組織は、党員と勤労者のあいだで経済知識と新しい技術を修得する運動をさらに強めなければなりません。マルクス・レーニン主義の経済理論と先進的科学・技術を我が国の実情に即して適用し、ひきつづき発展させなければなりません。

 我々は国が分断されている状況のもとで、アメリカ帝国主義者と直接対峙して社会主義を建設しています。こんにち、アメリカ帝国主義者は世界のいたるところで、特にアジアでいっそう狂気じみた策動をおこなっています。一方、南朝鮮人民の革命闘争はひきつづき高まっており、アジアとその他の各地域で人民の反米闘争が激しくくりひろげられています。

 こうした情勢のもとで、我々は社会主義建設を最大限に促進すると同時に全力をあげて国防力を強化するという、党の一貫した方針を貫かなくてはなりません。我々は常に、経済建設と国防建設を正しく結合させるべきであります。戦争が起こるのではないかと恐れて経済建設をゆるがせにするのも誤りであり、経済建設だけにかたよって戦争に備えないのも誤りであります。帝国主義者とその手先による戦争勃発を予測して、これに対処できる万端の準備をととのえなくてはなりません。これと同時に、平和的建設のあらゆる条件と可能性を利用して経済建設を力強くおし進めるべきであります。

 こんにち、社会主義経済建設は、我々の当面する重要な革命課題であります。経済建設は、国家と社会と人民の富を増やし、国の物質的・技術的土台をかためるばかりでなく、労働をつうじて人民を教育し鍛えます。経済建設を立派におこなってこそ、人民の福祉を増進し、その団結をいっそうかため、革命で既におさめた勝利を強固にし、それを拡大発展させることができます。我々の経済力をたえず増大させてこそ、南朝鮮人民をより大きく励まし、その革命闘争をいっそう力強く支援することができます。

 特に我々は、アメリカ帝国主義者が、毎年数億ドルをつぎこんでひきつづき増強している南朝鮮駐留米軍とかいらい軍の膨大な兵力に対抗しうる、軍事的負担を自力でまかなっています。こうした状況のもとで、我々の自立的経済の土台をいっそう強化してはじめて、人民の安定した生活を保障し、国防力を強化することができます。

 我々は、社会主義経済建設の当面の課題である7か年計画の雄大な目標に到達するために、ひきつづき力強く前進しなければなりません。

 ここでなによりも重要なのは、基本建設を分散させず集中的に、重点的におこなうことです。国家資金を焦げつかせないよう、いったん始めた基本建設は適時に完成して、投資が速やかに効果をあらわすようにしなければなりません。

 それとともに、人民経済のすべての部門で技術革新をいっそう積極的におこなわなければなりません。我が国の技術水準はまだ低く、製品の品質も劣り、原価も高くついています。我々は速やかに技術を発展させ、労働生産性を高め、物資を節約し、原単位消費基準を引き下げるために積極的にたたかわなければなりません。そして、設備管理と技術準備を立派におこない、原料や資材を円滑に供給し、労働行政を改善して生産の波動をなくし、生産を完全に正常化しなくてはなりません。こうして、すべてのものをよりよく、より安く、そしてより多く生産し、建設すべきであります。

 テアン(大安)の事業体系は、我が党によって創造された社会主義経済管理のすぐれた形態であります。すべての経済機関と企業所は、テアンの体系を徹底的に取り入れて、経済建設で大衆の創造力と才能を余すところなく発揮させ、経済をより科学的に、合理的に管理運営しなくてはなりません。

 国家と社会の富をひきつづき増大させるとともに、既に、創造された財貨を愛護し、すべての経済管理を立派におこなうことが大切です。我々はこれまでに多くの建設をおこない、国土をさらに美しく豊かなものにきずきあげました。これは、すべて人民の血と汗のたまものであり、人民の幸福な生活のための貴重な元手であります。我々は、工場、企業所、鉄道、車両、港湾、船舶、潅漑施設や学校、病院、クラブ、公共建築物、住宅、それに農耕地、山林、河川、道路など、すべてを愛護し、立派に管理し、それが人民の福祉増進に有効に利用されるようにしなければなりません。

 このように、社会主義建設を促進して国の経済力をひきつづき増大させると同時に、国防力の強化にいっそう大きな力をそそがなければなりません。

 国防力を強化するうえでなによりも重要なのは、戦争に対処できる政治的・思想的準備をしっかりととのえることであります。全党と全人民が安逸と倦怠を排し、常に警戒心を高め、緊張した態勢を堅持しなければなりません。我々は絶対に平和的気分にとらわれてはならず、特に戦争を恐れる現代修正主義者の思想潮流が我々の内部に入り込まないように、強力な思想闘争をくりひろげなければなりません。

 幹部と党員は、思想的に準備をととのえるばかりでなく、現代戦に対処できる軍事知識を習得しなければなりません。軍事教育は軍人だけに必要なのではなく、すべての幹部と党員に必要であります。すべての幹部と党員が、抗日武装闘争の経験と祖国解放戦争の経験を系統的に研究しなければなりません。我々はまた、外国の革命戦争の経験に学び、特に、現在くりひろげられているベトナム人民の解放戦争やアフリカ、ラテンアメリカ諸国の革命的遊撃戦争の経験を十分学ばなければなりません。

 戦争に対処する政治・思想活動を力強くくりひろげながら、人民軍および労農赤衛隊を強化し、全人民的防衛体制を鉄壁のようにいっそうかためなければなりません。人民は常に、片手に銃を、片手に鎌とバンマーをとって社会主義祖国をしっかりと防衛し、社会主義をより立派に建設しなければなりません。

 我々は戦争を望みませんが、決して戦争を恐れるものではなく、敵があえて武力でいどみかかってくるならば、これを勇敢にむかえうち、侵略者を徹底的に撃滅するでありましょう。

 我が党と人民は、自己の革命力量を政治的、経済的、軍事的にますます強化し、今後到来する革命的大事変を十分な準備のもとにむかえ、必ずや革命の全国的勝利をかちとるでありましょう。我々は、世界のすべての革命勢力と団結して、アメリカをかしらとする帝国主義と新旧植民地主義に反対し、帝国主義の手先と反動に反対し、共産主義の勝利のためにいっそう力強くたたかうでありましょう。

 同志のみなさん! 朝鮮労働党は、20年間の実践闘争をつうじて、みずからの偉業の正しさと不敗の力を証明しました。我が党の路線と政策は正しいものであり、それは朝鮮人民の勝利の道をさし示しています。

 人民は、党を信頼し、党のまわりに団結しており、党のさし示す道に従って水火をいとわずにたたかっています。

 我々にマルクス・レーニン主義党の洗練された指導があり、全人民が党のまわりに鉄のように団結してたたかっている以上、我々の勝利は確定的であります。いかなる力も、我が党と人民の前進を阻むことはできません。

 労働党の旗を高くかかげて党中央委員会のまわりにいっそうかたく団結し、マルクス・レーニン主義偉業の新たな勝利をめざして勇敢に前進しましょう。

 栄えある朝鮮労働党万歳!

 英雄的朝鮮人民万歳!

 百戦百勝のマルクス・レーニン主義の旗万歳!
出典:「金日成著作集」19巻


ページのトップ


inserted by FC2 system