金 日 成

人民経済計画の一元化、細部化の
偉大な生命力を余すところなく発揮するために
国家計画委員会党総会でおこなった演説 
−1965年9月23日− 


 我々は、すでにおこなわれた細胞会議と部門党総会にかんする資料と、それに、このたびの初級党総会の報告と発言をつうじて、国家計画委員会の活動をより深く理解しました。これにもとづいて、きょう私は、国家計画委員会の活動と人民経済計画化の改善にかんするいくつかの問題について述べようと思います。


 1 計画の一元化と細部化を実現するために

 我々は、7か年計画を遂行する過程で大きな成果をおさめました。工業生産がひきつづき速いテンポで増大し、農業の物質的・技術的土台が強固になり、都市と農村もいっそう立派に建設されました。人民の生活も全般的に向上しました。

 しかし、我々の経済建設のあとをふり返ってみると、成果が大きい反面、欠陥も少なくありません。

 こんにち、我が国の経済建設における基本的な欠陥は、強固な経済的土台をもっていながらも、それ相応に人民生活を向上させていないことです。

 我々は、当然、現在よりもいちだんと豊かな生活ができる元手をもっていながら、生活をさらに向上させることができずにいます。事実、我々がきずきあげた元手は大したものです。我が国には、強固な重工業基地もあり、軽工業基地もあります。電力、石炭、鋼鉄、セメント、化学肥料、織物など、主要工業製品の人口一人当たり生産高からみても、我が国は発達した国々に劣らない高い水準にあります。

 農業でも膨大な潅漑施設がととのっており、トラクターをはじめ、農業機械も少なくありません。しかし人民の生活は、このような経済土台に比べればまだ低い水準にあります。

 これには、もちろんある程度避けがたい事情もありました。我々は停戦後、廃墟のなかから短期間に経済の土台をきずきあげたので、それを完備し、十分に利用するまでには一定の時日がかからざるをえませんでした。また、かつて人民の生活があまりにも貧しかったため、人民生活は大きく改善されたけれども、党の要求する水準にまでは達していません。それに、南半部を占領したアメリカ帝国主義者の侵略策動に対処するための我が国の国防上の負担が他の国に比べて大きいことが、これに影響しているのも事実です。しかし、このような事情は、こんにち、人民生活をさらに向上させることのできない根本原因とはなりえません。

 問題は、幹部が人民経済にたいする指導と管理を正しくおこなっていないところにあります。いうならば、大きな元手をもっていながらも、それを使いこなせないために、豊かな暮らしができないのです。党の路線と政策が正しく、大衆の熱意も高く、我々に元手もあるのですから、人民生活をさらに向上させることのできない原因はほかにありえません。党はすでに数年前からこの問題を強調してきましたが、幹部が真剣に努力しなかったため、いまだにこれは十分に解決されていません。

 こんにち、我が国人民経済の指導・管理で解決しなければならない最も重要な問題は、計画化を決定的に改善することであります。

 私がいつも強調しているように、計画化は、社会主義経済建設の成果を左右する要の一つです。

 生産手段がすべて社会的所有となっている社会主義社会では、計画がなければおよそ経済の運営は不可能であり、社会主義経済はただ計画にもとづいてのみ発展することができます。国のすべての生産設備と資材、原料が計画にもとづいて動き、生産と消費をはじめ、国のすべての経済生活が計画的におこなわれます。それゆえ、少しでも計画化に誤りが生ずると、多くの設備と資材が浪費され、数多くの人が無駄な骨折りをし、国に大きな損失を与えることになります。

 ところが現在、我が国における計画化は発展する現実の要請に後れをとっており、計画化には欠陥が少なくありません。工業部門で生産が正常化されず、浪費が多く、人民生活が相応の水準に達していないことなど、あれこれの欠陥は、なによりも計画化の不手際に原因があります。

 計画化における欠陥は、人民経済各部門間の均衡が正しく保たれていないところに集中的にあらわれています。

 経済を計画的に発展させるというのは、なによりもまず人民経済各部門間の均衡を正しく保つことを意味します。均衡を保つことは計画化の基本であり、また計画機関の最も重要な任務であります。

 均衡のなかで最も重要なのは、蓄積と消費との均衡であります。蓄積とは、拡大再生産の元手をつくることです。それゆえ、蓄積と消費との均衡を保つということは、拡大再生産と当面の消費との均衡を保つことを意味します。

 蓄積と消費との均衡を保つのは、社会主義経済建設における非常に困難で複雑な問題の一つです。将来の利益を考慮するからといって蓄積だけを過度におこなえば、人民の当面の需要をみたすことができません。そうなれば、社会主義経済建設で人民の熱意が低下するようになるでしょう。例えば、農民は農業を営んで十分食べられるようになってこそ働きがいを感じるのであって、そうでなければ農作に興味をもつはずがありません。我々は人民の生活をかえりみず、蓄積一面にかたよってはなりません。

 これとは反対に、人民生活を向上させるからといって、消費にかたより、蓄積を軽視してもなりません。拡大再生産のための元手をきずかずに、あるものをすべて消費してしまうならば、国の経済はそれ以上発展することができないでしょう。それゆえ、計画を立てるにあたっては、将来の利益と当面の利益をよく組み合わせ、蓄積と消費、生産手段の生産と消費財生産との相互関係を正しく定めなければなりません。

 このほかにも、工業と農業との均衡を保たなければならず、工業内部でも重工業と軽工業、採取工業と加工工業との均衡を保ち、また、重工業や軽工業の内部でも各部門間の均衡を正しく保たなければなりません。

 人民経済が、計画的、均衡的に発展するのは社会主義社会における一つの重要な法則であり、計画化でこの法則の要求にそむくときには多くの物資と労働力を浪費し、社会主義建設に重大な損失を与えることになります。

 ところが、みなさんがこれまで計画の作成を形式的におこなってきたため、いま我が国の人民経済には、他の国でのようにそれほど大きくはないにしても、さまざまの不均衡が生じています。

 なによりもまず、蓄積と消費との均衡がよく保たれていません。少なからぬ場合、国家計画委員会では、すでにきずかれた重工業の骨組みに肉づけをし、それを効果的に利用するために投資をおこなうのではなく、新しい建設に多くの投資を分散させています。こうして、多くの建設対象の操業期日を遅らせているばかりでなく、人民生活の向上に相応の資金をふり向けられないようにしています。

 次に、工業と農業との均衡が保たれていません。

 これまで、我が党が農業の発展に大きな力をそそいできた結果、農業生産は急速な発展を遂げましたが、まだ農業は工業に比べて立ち後れています。これは、農業生産に直接関連のある工業部門を優先させなかったことに主な原因があります。

 我々が肥料工業を先行させなかったので、農村への肥料供給は十分におこなわれていません。特に、今年は二毛作を広くおこなうので、肥料事情がいっそう緊張するものと予想されます。もし、計画部門の活動家が、我が国の作付面積を正確に知り、肥料の所要量を具体的に検討して、あらかじめ肥料生産を先行させる対策を立てていたならば、このような弊害は生じなかったはずです。

 肥料だけでなく、トラクターをはじめ、農業機械や農薬も農村に十分供給していません。もし、我々が農業生産と関連をもつ工業部門をいっそう発展させ、農業部門に肥料と農薬、農業機械などをより多く送っていたならば、農業生産をさらにもりあげ、現在の耕地でより多くの穀物を生産することができたはずです。

 不均衡は、工業内部にもあります。なによりもまず、採取工業と加工工業との均衡が保たれていません。言いかえるならば、採取工業を加工工業に優先させていません。

 採取工業を優先させなかったため、石炭、鉱石、木材などの原材料が不足して、多くの加工工場がその能力を十分に発揮できず、生産を正常化していません。こうして、我々が困苦欠乏にたえ節約し、多くの労働力と資金を投じてたくさんの工場を建設したにもかかわらず、それを順調に操業していません。

 いくつかの実例をあげてみましょう。

 我々は大きなクラフト紙工場を建設したにもかかわらず、木材不足のため工場を正常に操業できず、清津(チョンジン)化学繊維工場や新義州(シンイジュ)化学繊維工場、それに塩化ビニール工場も原料不足のため、能力をフルに発揮していません。

 製錬所も鉱石が十分に供給されないため生産が正常化されず、製鉄所でも鉄鉱石が不足して生産に支障をきたしています。

 電力工業と他の工業部門との均衡も保たれておらず、電力工業でも、水力と火力との均衡が保たれていません。現在、国の電力事情が依然として緊張している原因は、電力工業を他の工業に先行させておらず、我が国の電力生産が水力のみにかたより、電力生産で季節的変動をなくすことができないところにあります。

 不均衡は、加工工業内部にもあります。圧延鋼材の生産で太い鋼線と細い鋼線、厚板と簿板とのあいだの均衡が保たれていないため、生産と建設に支障をきたし、多くの貴重な鋼材を浪費しています。現在、機械工場では資材の供給が円滑におこなわれないため、工場の能力をフルに出しきっていません。もし、機械工場に鋼材を正常に供給するならば、いまよりもはるかに生産を高めることができるはずです。

 機械工場の機械・設備間の均衡も保たれていません。設備間の不均衡は、工場建設の当初から生じました。もともと、設備間の均衡を保つためには、標準設計どおりに工場を建設しなければなりません。ところが、そのように機械工場を建設しなかったので、いま機械工場に行ってみると、一部の機械は仕事がなくて遊んでいる反面、一部の機械は仕事が多すぎます。これはもちろん、我々に機械工業運営の経験がなく、また、我が国の機械工業があまりにも急激な発展を遂げたところから生じた欠陥ではありますが、我々はこのような欠陥を知った以上、直ちに改めなければなりません。

 現在、軽工業部門では、綿紡織工業と毛紡織工業、それに夏服地生産と冬服地生産のあいだの均衡が保たれておらず、製紙工業が人民経済発展の要求に比べて立ち後れています。

 基本建設部門でも、生産的建設と非生産的建設のあいだ、また、建設対象と設備・資材のあいだの均衡が保たれていません。

 都市の労働力と農村の労働力、労働者と技術者、生産者と学生のあいだの均衡も保たれていません。最近調べたところによれば、この数年間、生産者に比べて学生の数があまりにも増えすぎました。

 このように、人民経済の各部門間と部門内にさまざまの不均衡が生じるようになったのは、なによりもまず、計画部門の活動家が社会主義経済法則の要求を正しく反映した我が党の経済政策を研究せず、それを貫くためにねばり強く努力しなかった結果です。

 加工工業に比べて採取工業が後れている問題を一つとりあげてみても、これをはっきりと知ることができます。

 党はすでに久しい前から、あらゆる方法をつくして採取工業を加工工業に優先させ、少なくとも1、2か月分以上の原料予備をととのえるよう強調してきました。

 しかし、この部門の活動家は、採取工業を発展させるために党が最も重要な問題として強調している地質調査を軽視してきました。この部門の物質的・技術的条件を十分保障しなければ、地質調査を先行し、特に細部調査を立派におこなうことができません。ところがここ数年間、このような仕事を十分におこなっていません。1961年5月、朱乙温浦(チュウルオンポ)で地質調査部門の従事者協議会をもった後にも、国家計画委員会と当該経済機関は党の政策を貫く実際的な措置を講じませんでした。探査員の隊列も増やさず、試錐機その他の探鉱設備も十分に供給しませんでした。そのため、探鉱を発展させることができませんでした。地質調査が先行されなかったため、石炭や鉱石の生産を増やすことができませんでした。

 現在、この部門の幹部は、掘進と採鉱を5対5にせよという党の指示もよく実行していません。この指示の主旨は、掘進を採鉱に先行させることにあります。ところが、いまだに坑外の労働力の方が坑内の労働力よりも多く、探鉱と掘進に力をそそいでいません。

 基本建設の計画化であれこれの欠陥が生じているのも、建設を集中的におこなうという党の方針を貫かなかったことに原因があります。基本建設で重要な対象に力をそそぐのは、我が党の一貫した方針であります。我々はすでに1959年に、黄海製鉄所で建設を広げすぎたのを批判して建設を集中的におこなうよう強調し、その後も、このことについて何度も述べました。今年に入ってからも、私は、建設委員会の党総会に参加して基本建設の対象目録を見たところ、手を広げすぎているので、今年は力が足りないから必ず40の対象にしぼるようにと建設対象の指定までしました。

 いくつかの対象だけを集中的に建設するならば、我が国で生産される鋼材とセメントで十分建設を保障することができます。しかし現在、この部門では数多くの対象に手を広げるだけで、どれ一つとしてきちんとなし遂げていません。

 そればかりでなく、建設を基本的に終えた工場のなかでも、細かい部分がまだ完成していないため生産を順調に進められなかったり、生産能力を出しきっていない工場が少なくありません。

 計画部門の活動家が、党の政策的要求を貫くために闘争せず、建設力量を具体的に検討せずに、各省が要求する建設対象をすべて計画に組み入れたため、このような重大な結果をまねきました。

 我が国の人民経済にさまざまな不均衡が生じ、より高い成長速度を保障することができないのは、計画部門の活動家に党の政策的要求を貫こうとする党性、階級性、人民性が足りないだけでなく、これまでの計画化システムそれ自体の不合理性とも大きな関連があります。

 もちろん、社会主義社会において計画化が非常に困難で、複雑な仕事であることは確かです。先にも述べましたが、社会主義社会では、すべての工場、企業所が計画にもとづいて動き、国のすべての物資と資源が計画的に使われ、すべての人が計画に従って働くので、計画は極めて綿密に立てなければなりません。

 生産のあらゆる要素を正確に検討し、均衡のとれた計画を立てるということが、決して容易なことでないのは言うまでもありません。

 しかし、これは決して社会主義社会で均衡を正しく保つことができないということを意味するものではありません。

 社会主義社会では、人民経済の均衡のとれた発展は十分可能であるばかりでなく、不可欠なものであります。科学的で現実的な動員力のある計画を立て、均衡を正しく保ち、人民経済を速いテンポで発展させうるか否かは、経済機関、特に計画機関の機能と役割をいかに高め、計画部門の活動家の活動方法をいかに改善していくかに大きくかかっています。

 しかし、一部の経済幹部が、これまで他国の計画化システムを教条的に受け入れ、それを創造的に発展させなかったため、計画化には多くの欠陥があらわれるようになりました。

 最近まで我が国で実施してきた計画化システムには、一連の矛盾があり、経済の規模が大きくなり部門構造が複雑になるにつれて、それは正しい均衡の設定と経済の速やかな発展に、ますます大きな支障をきたすようになりました。

 以前の計画化システムの第1の矛盾は、国家計画機関の活動家の要求と生産者の要求との矛盾であります。言いかえれば、国家計画機関の活動家はできるだけ少なく供給しながらも多く生産することを要求し、生産者はできるだけ多くの供給を受けながら、少なく生産しようとします。結局、この矛盾は、計画化において国家計画機関の活動家の官僚主義、主観主義と、生産者の機関本位主義、地方本位主義との矛盾としてあらわれます。

 従来の計画化システムの第2の矛盾は、国家計画機関の活動家は、国の全般的な経済状態や全般的な経済発展の展望については知っていますが、客観的な実情と具体的な生産の予備についてはよく知らず、他方、生産者は具体的な実情と企業所の生産予備についてはよく知っていますが、国のすべての経済状態と全般的な人民経済発展の展望についてはよく知っていないことです。

 もし、この2つを正しく結びつけて計画化をおこなうならば、全国家的・全人民的な立場に立った、科学的で動員力のある計画を立てることができます。これに反し、計画部門の活動家が計画を主観的に立てたり、生産者が作成して提出した計画をそのまままとめたりすれば、そのような計画は現実性がないか、消極的で保守的なものとなるでしょう。

 これまで、我が国の計画化ではこの問題がよく処理されなかったため、人民経済に埋もれている潜在力を十分に引き出すことができず、正しい計画を立てることができませんでした。

 人民経済の計画化は、軍事指揮官が作戦計画を立てるのと理屈は同じであります。軍事指揮官が作戦計画を立てるときには、まず、自分の隊伍を詳しく検討します。すなわち、隊員の健康状態と士気はよいか、技術水準はどの程度か、自分の部隊にどんな兵器があり、その性能はどうか、弾薬・燃料油、衣服、食糧を円滑に供給できるかなどを具体的に研究し分析します。このようにして、指揮官が自分の部隊の実態と戦闘能力を手にとるように詳しく把握していれば、おのずから、どんな方法でどう戦うべきかという結論が出てくるものです。

 人民経済計画の作成も、必ずこのような方法でおこなわなければなりません。計画部門の活動家は、労働力、設備、資材など、生産の諸要素について具体的に把握していなければなりません。

 計画部門の活動家は、なによりもまず生産力の最も決定的な要素である労働力、すなわち労働力の状態を知らなければなりません。労働者は何名で、その技能水準はどの程度か、労働者の健康状態や思想・意識水準はどうか、かれらに隘路となる問題はないか、といったことを知らなければなりません。

 次に、企業所の設備状態について詳しく把握していなければなりません。かりに、金属計画局の活動家であれば、全国の製鉄所、製鋼所をはじめ、金属部門のすべての工場、企業所の設備状態をつぶさに知っていなければなりません。例えば、降仙(カンソン)製鋼所には、電気炉と圧延機が何台で、その能力はどうか、設備に故障はないか、といったことを具体的に知らなければなりません。

 それとともに、原料や資材の供給状況についても知らなければなりません。生産に必要な原料や資材が供給されているか、もし供給されていなければ、どのようにして供給することができるか、という対策上の問題についても知っていなければなりません。

 これらのことをすべて把握してこそ、現実に合った科学的な計画を立てることができます。ところが、これらすべての要素を具体的に検討し、客観性のある正しい計画を立てるためには、計画委員会委員長や相、企業所支配人など、一人の力では不可能です。いくら聡明な人でも、一人で労働力、設備能力、資材、資金など、生産のすべての要素をことごとく知りつくすことはできないものです。設備が何台だから労働者は何人必要で、機械が何台で従業員は何人いるからどれほど生産できる、といったように机上で立てた計画は、事実上、計画だとはいえません。机上で、一人で生産の予備を探しだすということは不可能なことです。一企業所の生産能力や一地域の商品需要だけでも極めて多様であるのに、まして、国全体の経済生活と関連のある膨大で複雑な生産の諸要素を、幾人かの活動家がどうして正確に反映できるでしょうか。

 計画化で官僚主義、主観主義の誤りをおかさないためには、大衆路線を貫徹しなければなりません。大安(テアン)電機工場にたいする指導で最も重要な問題としてかかげたのは、まさに計画化で官僚主義、主観主義をなくし、大衆路線を貫く問題でした。

 計画部門の活動家が、計画化で大衆路線を貫くためには、生産現場に出向かなければなりません。現在、各計画局の管下にある企業所は多くないので、企業所の実態を把握するのはさほど難しいことではないはずです。1年のうち、およそ20日か1か月ぐらい現場に行って、労働者とともに働きながら実態を調べてみれば、すべて把握することができます。このように、一度よく調べてカードをつくっておき、変更事項をそのつど書き込んでいけば、いつでも自分の受け持った工場、企業所の状態をはっきりと知ることができるでしょう。

 ところが、みなさんはこのような仕事をよくおこなっていません。計画部門の活動家は下部におりていくのを嫌がっていますが、これは大きな欠陥です。林産事業所のように距離が遠く、出かけていくのに不便なところは、なおさらそうです。林産事業所に行って林地を調べようとすれば、汗を流して歩きまわらなければならず、山でアブやダニにさされることもあるので、そういうところへははじめから出かけようともしないようです。

 計画部門の活動家は、下部に行くのを嫌うので実情がわからず、実情がわからないので、正確な計画を立てることができないのです。

 石炭生産計画の問題を例にとってみても、国家計画委員会では、昨年、黒嶺(フクリョン)炭鉱に70万トンの石炭生産課題を与え、今年はそれよりわずか5万トン上回る75万トンの課題を与えました。しかし、この数字は、炭鉱に行かずに机上で考えだしたものなので、炭鉱の実情とは全くかけはなれた数字でした。

 計画委員会の委員長が黒嶺炭鉱に行ってきていうには、この炭鉱の労働者は、今年、150万トンの石炭を生産することを決議しているそうです。我々が設備や他の条件を適時に保障できなくて、150万トンは採炭できないかもしれませんが、100万トンは問題ないでしょう。100万トンだけ採炭するとしても、みなさんの与えた計画課題よりは30%以上も上回るものです。

 石炭生産計画について、みなさんは大いに論争しましたが、実情を知らず、事務室に座って抽象的な論争をしたため、それは事実上、空論にすぎませんでした。事務室に座って実情を知らずに計画を立てたときは、計画委員会の一部の副委員長までが、7か年計画の石炭生産目標は達成できないと主張したものですが、その後、党の方針どおり炭鉱に直接出かけて、実情をつぶさに調べたうえで計画を正しく立てた結果、石炭生産目標は十分達成できるという結論が出ました。

 電気石炭工業相の話によると、今年は1900万トン、来年度は2400万トン採炭するといっています。こうなれば、早くも来年度に7か年計画に予定された石炭生産目標を達成することになります。

 石炭生産を急速に増大させるからといって、かれらが国家に多額の投資を求めているわけでもありません。トラック150台と掘削機がもう少し供給されれば、露天掘りを広くおこなって、来年度には7か年計画の石炭生産目標を達成できるというのです。

 かれらの要請しているトラックと掘削機は十分供給することができます。掘削機は国産のものを与え、トラックは一部は輸入し、また国内でも生産して供給すればよいでしょう。こうすれば、計画委員会で最も大きな論点となっていた石炭生産目標を1年繰り上げて達成することになるでしょう。

 これによっても、計画化において官僚主義と主観主義がいかに危険で有害なものであるかを知ることができます。経験は、計画部門の活動家が大衆路線を貫き、客観的な実情をよく把握したうえで計画を立てることが、党政策の実行でなによりも重要であることを示しています。

 しかし、計画を大衆的に討議して作成するというのは、国家計画機関が計画化を積極的に指導せずに、生産者が立案して提出した計画をそのまままとめてもよいということを意味するのではありません。生産者が立てた計画だからといって、すべてが正しく客観性をもつものだとはいえません。いまだに、一部の生産者には、古いブルジョア思想の残りかすが残っていて、国の全般的な経済生活よりも、自分の機関や自分の地方の狭い利益を先に考える傾向が少なくありません。かつて、一部の省や管理局では、生産計画をできるだけ少なく受け、仕事を楽にしようとして、企業所から上がってきた計画数字を削る事実まであったということは、その明白な実例であります。このような傾向は、地方や企業所にもあります。また、下部の活動家は、知識が足りず視野が狭くて、現にある予備を見いだすことができないこともあるでしょう。したがって、消極的なものではなく、全国家的な立場に立った動員力のある計画を立てるためには、計画化にたいする国家計画部門の活動家の指導と統制を強化することが必要です。

 結論的に言って、人民経済計画化を正しくおこなうためには、計画化で大衆路線を貫き、国家計画機関の主観主義と官僚主義をなくすばかりでなく、計画事業にたいする国家の指導と統制を強化して、生産者の機関本位主義、地方本位主義をも徹底的になくさなければなりません。

 この問題を解決する唯一の道は、計画の一元化を実現することであります。

 計画の一元化とは、全国にはりめぐらされている国家計画機関と計画細胞が一つの計画化システムをなし、国家計画委員会の統一的な指導のもとに計画化の唯一性を確実に保つことを意味します。一元化計画システムを立てるにあたって、我々は一つの道にそれぞれいくつかの単位の地区計画委員会を組織し、国家計画委員会に直属させました。こうして、各級の国家計画機関がそれぞれの地方と部門で計画を正しく立てているかどうかを常に確かめ、潜在力を積極的に探しだして客観性のある科学的な計画を立てるよう生産機関を援助し、生産の組織に不手際があったり、労働力や資材を浪費したりするいっさいの現象にたいしては、そのつど上級計画機関と内閣に通報して、必要な対策を講じるようにしました。それとともに、省、中央機関と道人民委員会、道農業経営委員会をはじめ、各級機関や工場、企業所の計画部署を国家計画委委員会の手足、細胞と規定して、国家計画機関と省、企業所の計画部署との連係をいっそう密接にし、省、企業所の計画部署にたいする国家計画機関の指導を強化するようにしました。これが新しくつくられた一元化計画システムの本質であります。

 このシステムは、計画化において事大主義と教条主義に反対し、我が国の具体的な実情に即してマルクス・レーニン主義の原理を創造的に発展させた独創的なシステムであります。

 私は以前、我が国の計画化システムにあった不合理な点をなくすために、すでに数年前からいろいろと考えてきました。

 マルクス、エンゲルス、レーニンの著作も読んでみたし、社会主義経済建設を直接指導した経験のあるスターリンの著作も読んでみました。また、外国の計画化システムについてもいろいろと研究してみました。しかし、我が国の実情にかなった合理的な計画化システムは、どのマルクス・レーニン主義の古典にも書かれていなかったし、外国人の書いた本にもありませんでした。我々にはただ、計画化にかんするマルクス・レーニン主義の一般的理論を我が国の現実に即して発展させ、自分の頭で自国の計画化システムを完成していくほか他の道はありませんでした。それで我々は、工場にも出かけて研究し、農村にも出向いていろいろと研究してみました。このような過程で我々は、党の意図と国の全般的な経済状態をよく知っている国家計画部門の活動家が直接現地に出向いて、具体的な生産の潜在力を誰よりもよく知っている広範な生産者大衆と協議して計画を立てるシステムをつくるのが最も合理的であると認め、計画の一元化システムを設けるという結論に達しました。

 このシステムは、計画化に偉大なチョンサンリ(青山里)精神とテアン(大安)の事業体系を具現したものであり、中央集権的指導と地方の創意性、プロレタリアート独裁と大衆路線を正しく組み合わせた、最も威力あるシステムであります。計画部門の活動家がこのシステムを立派に運営するならば、工業計画、農業計画、基本建設計画、運輸計画、商業計画、買付け計画をはじめ、人民経済のすべての部門の計画を、党の意図と国家の要求に即して、また地方と企業所の具体的な実情を正しく反映して立てることができるはずです。

 しかし、計画部門の活動家は、党の計画一元化の方針の正しさを明確に認識できず、その優位性を発揮させるために積極的に努力していません。特に指摘しなければならないのは、国家計画委員会の活動家が、計画細胞を十分に活動させていないことです。現在、国家計画委員会の活動家は、地方計画機関だけを受け持って指導する機関であるとみなし、各機関、企業所の計画部署については、自分の手足、細胞とみなすのではなく、かえってやっかいな対象機関だと考え、細胞を活動させて客観的実情を把握する努力を払っていません。ある生命体の細胞が正常に活動しなければ、その生命体のすべての活動に機能障害が生じるように、計画細胞が自己の機能を正常に果たせないとすれば、全般的な人民経済の計画化もスムーズにいくはずがありません。

 細胞をよく活動させるのは、我が党の基本的な活動方法であり、我が党の活動の基本原則であります。我が党がこんにちのように強力な党に発展したのも、結局は党細胞の活動を強化したからです。かつて、反党分派分子らは、細胞を強化せず、上部に居座って号令や命令をかけてばかりいたので、党活動を麻痺させてしまいました。我々は、かつての党活動におけるこのような欠陥を一掃し、党の基礎組織である細胞を強化し、細胞をよく活動させることに深い関心を払ってきました。その結果、党活動では大きな転換が起こりました。

 国家計画委員会の活動も同じことであります。みなさんの手足である計画細胞がよく活動しなければ、計画委委員会に何千人はおろか数万人いても、計画化を立派におこなうことはできません。「大将一人でいくさはできぬ」といわれるように、一人ではいくらがんばっても不可能です。すべての計画細胞がよく活動すれば、工場では工場自体の均衡を正し、管理局では管理局自体の均衡を正すことができ、省では管理局相互間の均衡をとり、国家計画委員会では人民経済全体の均衡を正しく保つことができます。

 要は、新しいシステムにふさわしく、活動家の活動方法を革命的に改めることにあります。いかにすぐれた活動システムであっても、それを運用する活動家が従来の古い方法で活動するならば、新しいシステムの真の生命力を十分に発揮することはできません。計画部門のすべての活動家は、我が党によって創造された一元化計画システムの本質を明確に認識し、このシステムを発展させるため、活動方法をたえず改善していくことによって、このシステムの大きな優位性を余すところなく発揮させなければなりません。

 計画の一元化とともに、計画の細部化を実現しなければなりません。

 我が国の計画化における主な欠陥の一つは、計画を綿密に立てず、おおざっぱに作成することであります。

 我々の計画は、科学的な見積もりが足りず、具体性に欠け、人民経済のすべての部門を細部にいたるまで包括していません。それで、鉱石何トン、鋼鉄何トン、セメント何トン、自動車何台、トラクター何台という大きな数字の計画があるだけで、ボルトが何個、歯車が何個といった細部にわたる計画はありません。

 以前にも我々は、計画化における主な欠陥は、細部計画のないことであることをおおよそ知っていましたが、今度、各地に出かけて検討してみた結果、このことがいっそう明白になりました。現在、いわゆる非フォンド物資は事実上計画化されておらず、採掘工業における細部探鉱も計画化せず、設計も細部設計をおこなっていません。こうした細部計画がないため、設備の利用率が低く、生産もうまくいかず、建設もはかどらなかったのは当然のことです。

 これまで国家計画委員会や内閣では、フォンド物資だけを供給し、非フォンド物資は供給せずに、あれもやれ、これもやれと押しつけるばかりでした。トラクターの生産計画を一つ例にとってみても、トラクターを何千台生産せよという課題を与えて、鉄板や鋼材などのフォンド物資の供給は計画に予定しますが、ネジ釘やバルブ、ベアリングのような非フォンド物資の供給は予定しません。国家計画委員会の活動家は、ネジ釘やベアリングのようなものは第二義的なものとみなして計画に組み入れませんが、トラクター工場ではこうしたこまごましたものがないため、トラクターの完成品を出せないでいます。

 現在、非フォンド物資の計画化は、その生産を担当した省でおこなうことになっていますが、これは間違っているようです。各省では自分たちの使うものは計画に組み入れて生産しますが、他の省に必要なものはわずらわしく思って、あまり生産したがりません。実際上、いま各省で立てている非フォンド物資の計画は、いわゆる道義的な計画となっています。道義的な計画というのは、互いにつくってやりたければつくるし、つくってやりたくなければつくらなくてもかまわない計画ということです。このように非フォンド物資については、国家計画委員会でも責任を負わず、省でも責任を負わないようになっています。結局、非フォンド物資について責任を負う人は誰もいないというわけです。

 ボルトやナットのように簡単につくれる部品すら需要をみたすことができないのは、もっぱらそれを掌握して計画する主人がいないところに原因があります。機械工業省にボルトやナットの生産課題を与えてはいますが、ただ何トン生産せよと総トン数を示すだけで、規格別に何個ずつ生産せよという具体的な課題を与えないため、機械工業省ではつくりやすいものでトン数だけみたそうとします。そのために、あるものはあり余るほどたくさんつくり、あるものは全くつくらないか、または少ししかつくらないので、ボルトやナットはひきつづき不足することになります。

 また、機械工場の能力を調べるにあたっても、機械設備別に検討するのではなく、切削機械の総台数が何台ということだけを計算して、何トン加工せよというふうにしているため、計画課題をまともに遂行できなかったり、遂行するとしても粗雑なものしか生産できないようになるのです。

 輸送計画でも、物流量の多いものだけを組み入れ、こまごました物資の輸送は組み入れないため、輸送部門の活動家は、計画にないからと、量の少ない資材や部品はこころよく積みだしてくれません。

 精米工場を完備する問題にしても、スローガンばかり叫ぶのではなく、具体的に、どの部品はどの工場でいつまでに何個つくる、ということを計画に組み入れて生産するようにしたならば、穀物加工施設がこんにちのような状態にはならなかったはずです。ところが、ただ、精米工場の設備を整備しよう、もみすり搗精(米などをついて白くする。玄米をついて精米にする)歩合を高めよう、などとスローガンを叫ぶにとどまっていたので、仕事がうまくいくはずがありません。

 採掘工業が先行せず、基本建設に重大な欠陥があらわれているのも、やはり細部計画化がなされていないところに主な原因があります。

 採掘工業を発展させるためには、探鉱を先行させ、予備探鉱だけでなく細部探鉱、作業探鉱をそれぞれ先行させなければなりません。しかし、細部探鉱を計画化しないため、むだな掘進をして多くの労働力を浪費するようになり、鉱物の埋蔵量も十分に確保していません。基本建設計画も正しく立てようとすれば、当然、資材を供給できるかどうか、必要な機械設備をつくることができるかどうかを綿密に検討し、具体的な計画を立てなければなりません。このようにしないでおおざっぱに立てるので、建設を基本的に終えながらも、いくつかのバルブや何メートルかのケーブルがなくて、ときには操業期日を何か月も遅らせています。

 そればかりでなく、細部計画がなければ、活動家は互いに責任を負おうとせず、骨の折れる仕事は他人に押しつけようとする悪癖がつくようになります。

 生産計画であれ建設計画であれ、細部にいたるまで資材の供給条件を正しく検討していない計画は、よくねられた計画とはいえません。これまで我々が立ててきた計画は、厳密にいえば、計画ではなく統制数字にすぎませんでした。計画化におけるこのような欠陥を徹底的に改めなければなりません。

 社会主義経済では、経済活動の細部にいたるまで、互いに厳密にかみあうように計画化しなければなりません。特に、資材供給についての細部計画が必ずなければなりません。

 非フォンド物資の供給まで、すべて計画に組み入れなければなりません。

 国家計画委員会の一部の活動家は、非フォンド物資はどの国でも計画化していないといっていますが、他の国でしていないからといって、我が国でもしてはならないという理由はないはずです。我々は、革命と建設で提起されるすべての問題を我が国の実情に即して、我が国の革命の利益にかなうように解決していくべきであり、この原則は計画化でも守られなければなりません。他人はどうであれ、我々は我が国の実情に即して計画化を完成させていくべきです。

 また一部の人は、細部計画化を実施するなら、計画指標が1万余種にもなるといって、少しためらっているようですが、指標が多いからといってやらないわけにはいきません。現在、織物はたくさん生産されていますが、子供用の服地は少ないし、トラクターや自動車も多く生産していますが、部品がなくて稼働率を高めることができないなど、国家的に解決を要する問題がたくさんあります。これらはすべて、細部計画化をおこなっていないことと重要なかかわりがあります。我々は、計画指標が1万種はおろか何万種になるとしても、細部計画化をおこなわなければなりません。

 もちろん、こまごまとしたものまですべて計画化するのは多少複雑なことですが、決して不可能なことではないと思います。これまで各省でおこなっていたものを国家計画委員会ができない理由はありません。経験によれば、大きな数字をいくつかまとめるのはそれほど難しいことではなく、また、それだけでは社会主義経済を立派に運営することはできません。重要なのは、大きなものとともに、小さいものまで正確に計画化することであります。

 指標が多くて1日や2日でできなければ、1、2か月あるいは1年かかってでも立てるべきであり、人員が少なくて困難であれば、計画部門の活動家を増やしてでも、細部計画化をおこなわなければなりません。工場の実情に明るい古参の技術者を、小さい工場からは1人、大きい工場からは2、3人ずつ呼びよせてもよいでしょう。これらの人たちとひざをまじえて話し合えば、どの工場にはなにがどれだけ必要で、その工場から他の工場、企業所に、なにをどれだけ供給できるかといったことをすべて知ることができます。このように、工場の実情をよく知っている技術者と席をともにして話し合えば、非フォンド物資にたいする計画も、いくらでも組むことができるはずです。

 多くの人を国家計画委員会に引きぬいていくといって、不平を言う人もいるようですが、それでもこれは重要な仕事なので、将来、不必要になれば再びもどすとしても、いまは必要な人を引きぬいてこなければなりません。もちろん、これはある程度複雑な仕事ではありますが、そうでもして計画を綿密に組む方が、穴だらけの計画を立てて資材入手のために多くの人をあちこち走り回らせたり、ベアリングや部品が一つなくて生産を中断させたりするよりはましです。行政管理機関の人員を少し減らして工場に回すことがあっても、思い切って工場から技術者を呼びよせる措置をとって、計画を綿密に組まなければなりません。

 細部計画を立てるのは膨大な仕事であるだけに、人員をいくら増やすとしても、国家計画委員会の力だけではとうていできません。この仕事は、国家計画委員会とともに、省の計画局と企業所の計画部をはじめ、各級計画機関と計画部署がすべてよく動いてこそ、おこなうことができます。

 細部計画化を実施するためには、まず、国家計画委員会自体が活動方法を改め、各級計画機関とのつながりを強めなければならず、すべての計画機関と計画部門の活動家が国家的立場に立って、互いに助け導きあって活動しなければなりません。それとともに、各級の計画機関は、国家計画委員会から細部計画がおりてくるのを待つだけでなく、みずからの手で細部計画を立てるようにしなければなりません。各企業所でも、生産を進めながら計画をまとめあげなければなりません。工場、企業所では、それぞれの生産単位の設備能力を把握しており、労働基準量も定められているのですから、技術者と生産者が取り組むなら具体的な戦闘計画を立てるのは十分可能なはずです。

 このように、各企業所で綿密な計画を立てた後に、企業所を互いにかみあわせ、その次には管理局を互いにかみあわせ、省をかみあわせるようにすれば、人民経済のすべての部門、すべての生産単位の計画が互いにかみあうようになり、細部計画ができあがるでしょう。細部計画を立てることができないというのは、話になりません。細部計画を立てられないというのは、結局、他国でできないから我が国でもできないという事大主義思想からでたものであり、大衆路線に反対するものです。我々はどうあっても、細部計画化を実施しなければなりません。

 細部計画を立てるうえでは、ある程度の範囲を定めなければなりません。言いかえれば国家計画委員会、地区計画委員会、省が、それぞれ作成する細部計画の範囲を決めなければなりません。しかし、どの計画細胞が細部計画を立てるにせよ、それはすべて法的性格をおびるようにしなければならず、絶対に道義的な計画となってはなりません。

 このようにして、人民経済計画が、党の政策と客観的実情に即して人民経済の全般的均衡を正しく保つとともに、具体的かつ綿密で、すべての部門と企業所を細部にいたるまでことごとくよくかみあわせた計画となるようにしなければなりません。


 2 計画機関を強化し、計画部門の活動家の党性、階級性、人民性を高めるために

 我が党がつくりだした一元化計画システムと細部計画化の優位性を十分に発揮させ、計画化を決定的に改善するためには、国家計画委員会をはじめ、各計画機関を強化しなければなりません。

 国家計画委員会をはじめ各計画機関は、我が党と政府の経済政策を実行する経済作戦局だといえます。

 計画機関は、軍隊でいえば作戦局のような役割を果たす機関です。作戦局で作戦計画を正しく立てるかどうかによって戦闘の勝敗が決まるように、計画機関が人民経済計画を正しく立てるかどうかによって経済建設の成果が大きく左右されます。

 したがって、我々が、経済の管理運営を改善し、社会主義建設をさらに促進するためには、各級計画機関の強化に深い関心を払わなければなりません。正しい人民経済計画を立てるためには、国家計画委員会だけでなく、すべての地区計画委員会と省、局の計画部署、各機関、企業所の計画部署が仕事を立派におこなわなければならないので、すべての計画機関と計画部署を強化する必要があります。

 軍隊で作戦局を、最も信頼できる人、最も忠実で能力のある人で構成するように、計画機関も最も堅実な人で構成しなければなりません。

 一部の人は、計画機関を強化するからといって、大学出や計画経済の専門家ばかりを求めていますが、これではいけません。もちろん、大学出や計画経済の専門家の方がよいのは確かですが、必ずしも大学を出た人でなければ計画の仕事ができないというわけではありません。計画化を立派におこなうというのは、結局、計画化において党の政策を貫くことを意味します。大学は出ていなくても、党性が強く、党の路線を貫こうとする意志が強い人であれば、立派な計画部門の活動家になれます。専門知識は学べばよいのであって、党性のある人ならばそれはすぐ修得できます。それゆえ各級党組織は、なによりもまず党性が強く、経済・技術知識があり、国の経済管理を立派にやっていけるすぐれた人で計画機関と計画部署をかためなければなりません。

 それとともに、計画部門の活動家の党性、階級性、人民性を高めるよう、かれらにたいする教育活動をたゆみなくおこなわなければなりません。

 人民経済の計画化を直接担当している国家計画委員会をはじめ、各級計画機関で働いている人たちは、非常に重い責任を担っています。国のすべての経済生活が国家計画委員会に集中されており、党と国家の重要な機密がすべて計画部門の活動家の手に握られています。このように、計画部門の活動家にたいする党の信頼は極めて厚く、期待もまた大きいものがあります。党の信頼を受ける計画部門の活動家は、当然、誰よりも革命精神が強く、党に忠実でなければならず、国の経済管理にたいする責任感が強くなければなりません。

 しかし、このたびの会議で批判されたように、これまで、この部門の活動家は、党の信頼と期待にこたえることができませんでした。少なからぬ計画部門の活動家は、党性と階級性が強くなく、大衆観点も確立しておらず、革命精神が極めて希薄であります。

 国家計画委員会の活動家は、党政策を実行するうえで、不撓不屈のたたかいによっていかなる難関をものりこえていく革命家の気風に欠けています。困難な問題はすべてすえおきにし、仕事を極めて形式的におこなっています。

 計画部門の活動家の形式主義的な活動作風と無責任さのために、国家は大きな損失をこうむっています。計画部門の活動家が計算を一つ間違え、書き込みを一つ誤ったために、多くの労働力と設備、資材が浪費されたり、無駄に埋もれたままになっており、より多く生産できるものも生産できずにいます。

 さらに、国家計画委員会の活動家には、革命の利益のために全力をつくし、責任をもって働くのではなく、もっぱら現状維持につとめようとする、ことなかれ主義の傾向があるようです。批判を恐れ、責任を負おうとせず、ただ、しかられない程度に、適当に仕事をしている人が少なくありません。これは、甚だしい小ブルジョア的インテリ根性のあらわれです。

 国家計画委員会の活動家には、大衆観点も確立していません。設備を操作し、製品を生産するのは、労働者、農民であり、生産についてはかれらが誰よりもよく知っています。世の中で最も聡明な人はほかならぬ生産者大衆であります。それゆえ、党は常に生産者大衆と討議して計画を立てることを要求しています。

 それにもかかわらず、計画委員会の活動家は、党のこの要求を正しく実行していません。甚だしくは、国家計画委委員会のある幹部は、計画を下部で討議するのはやってもやらなくても同じようなもので、不必要なことであるとまでいっているとのことです。このような人は、この世で自分が一番えらく、一番聡明であるかのように思い、生産者大衆の意見は聞こうともせず、下部には出向こうとさえしません。

 また一部の人は、党の信頼をかさにきて威張りちらし、党の政策も研究せず、自分の理論・実務水準を高める学習もしません。それでいて、自分だけがなんでも知っているかのようにうぬぼれ、他人の言うことは聞こうともしません。大衆を見くだすのもやはり、ブルジョア思想のあらわれです。

 計画機関の活動家が、このようにその任務の重要性も知らず、党性、階級性、人民性に欠け、なおざりに仕事をするので、現在、国家計画委員会は、党と政府の経済作戦局としての任務を果たすことができず、計画部門の活動家は革命家ではなく、そろばんをはじいて生活費を稼ぐ月給取りとなんら変わるところのない存在となっています。

 それではなぜ、国家計画委員会の活動家に、党性、階級性、人民性が欠けているのでしょうか。

 国家計画委員会の活動家が、もともと悪い人であるわけではありません。もちろん、国家計画委員会の活動家はみなインテリですが、これは決して計画事業に欠陥を生みだす原因とはなりえません。かれらの大部分は、解放後、我が党が育成したインテリであり、過去に勉強した一部の人の場合も、解放後20年ものあいだ革命闘争をおこない、党生活をおこなう過程で、すべて労働者階級のインテリとなりました。計画部門の活動家の構成そのものに信頼できない点は全くありません。

 党中央委員会第4期第10回総会でも強調したことですが、問題は、活動家が党生活を誠実におこなわないところにあります。もともとインテリは、小ブルジョア根性をもっているところへ、党生活をつうじて革命的な修養を積まないので、小ブルジョア思想がしだいに助長され、結局、こんにちのような重大な状態にまでいたったのです。

 国家計画委員会の活動家のあいだには、正しくない現象とたたかい、批判しあう革命的な党生活の気風が確立していません。党の政策を形式的に受けとめ仕事を無責任におこなう古い思想の残りかすが、党生活の過程でそのつど打撃を受けず、ひきつづき助長されてきました。活動家が革命的な党生活をつうじて、たゆみなく思想鍛練をおこなわなかったため、おのずと、党性、階級性、人民性がうすらぎ、生活費を稼ぐ一介の事務員になりさがってしまったのです。

 今後、国家計画委員会の活動を改善するためには、なによりもまず党員の党生活を強化しなければなりません。

 みなさんもよく知っているように、党内には2つの規律はありません。党の細胞生活では、誰も特殊な存在となることはできず、委員長であれ、局長であれ、指導員であれ、すべてが同じ義務と権利をもつ細胞の一構成員です。

 党員は、党生活の過程で欠陥のある党員にたいしては誰でも批判することができ、また自分自身に欠陥がある場合は当然批判を受けなければなりません。党生活において民主主義を広く発揚し批判を強めてはじめて、党員の党性をたえず高めることができます。

 党政策の実行における形式主義的で無責任な態度やことなかれ主義など、計画部門の活動家にいまなお残っているさまざまの古い思想のあらわれに反対して強くたたかわなければなりません。こうして今後、計画部門の活動家の党性、階級性、人民性をいっそう高めるべきであります。計画部門の活動家の党性、階級性、人民性を決定的に高めてこそ、国家計画委員会をはじめ各計画機関は、党と政府の経済作戦局としての役割を十分に果たし、いささかも動揺することなく党の政策を実行していくことができます。

 それとともに党組織は、計画部門の活動家のあいだに国の経済管理にたいする主人らしい態度を培い、かれらの責任感と政治・実務水準を高めることに常に深い関心を払わなければなりません。


 3 来年度の人民経済計画作成の方向について

 このたび、我々は、幾日にもわたって国家計画委員会の活動にあらわれている欠陥を分析し、批判しました。これは、我が国の人民経済の発展で問題となっている計画化を改善するところに目的があります。みなさんは、このたびの会議で批判された欠陥を思いきって改め、今後、人民経済計画化に根本的な改善をもたらすため努力しなければなりません。

 国家計画委委員会活動家の当面の重要な課題は、来年度の人民経済計画を正しく作成することであります。ここで、来年度の計画作成で提起されるいくつかの問題について述べようと思います。

 まず、基本建設計画を正しく立てなければなりません。

 これまで、基本建設計画を遂行した年はほとんどありません。これはもちろん、建設部門の活動家が仕事を正しくおこなわなかったところにも原因はありますが、主な原因は、基本建設計画そのものが正確に作成されないところにあります。基本建設計画をなおざりに立て、またそれが遂行されないのが計画化における一つの慢性病となっています。

 我々は、この病を決定的に治さなければなりません。そして今後、基本建設計画を毎年間違いなく完遂するよう習慣づけなければなりません。そのためにはまず、来年度の基本建設計画を正確に立てなければなりません。

 我々は来年、新しい建設には手をつけず、現在進行中の建設を完全に終えるようにしなければなりません。

 来年度に我々は多くの国防建設をおこなわなければならず、これに鋼材やセメントをはじめ、多くの建設資材をふり向けなければなりません。また、現在あちこちで建設中のものも少なくありません。そういうわけで、来年度の基本建設計画には新たな建設対象を入れてはなりません。

 もちろん、こんにち我々には、新たに建設すべき対象がたくさんあります。しかし、多くの建設工事を完成しないまま、ひきつづき新しい工事に手を広げては、国家資金を焦げつかせることになり、生産を増大させることもできません。

 来年度は新たな建設は一つも予定せず、現在進行中の工事から完成させるようにしなければなりません。そのうちでも、重要かつ緊急な対象に力を入れ、緊急でないものは延ばすようにすべきです。

 現在進行中の工事のうち、来年度にまず力を入れるべき対象は、発電所の建設と肥料生産目標を達成するための建設です。

 電力部門では平壌火力発電所の建設に力をそそいで早急に完成し、雲峰(ウンボン)発電所、江界(カンゲ)発電所の建設工事も速やかに完成するようにしなければなりません。これまで長いあいだおこなってきた内中里(ネジュンリ)発電所の建設にも拍車をかけて、早く完成するようにしなければなりません。

 化学工業部門では、現在進行中の阿吾地(アオジ)化学工場の第2段階工事と興南(フンナム)肥料工場の第3段階工事にひきつづき力をそそぎ、来年度には完成しなければなりません。それとともに、現在操業している肥料工場の設備能力をいっそう高めるため、その整備と補強に多くの力をふり向けなければなりません。このほか、製薬工場と化学工場の建設を早く完成するようにし、その他のものはこれ以上手をつけないようにすべきです。

 金属工業、機械工業およびその他の部門には、これといった大きな建設対象はありません。

 金属工業部門では、茂山(ムサン)鉱山に小規模の電気炉を一つ建設し、金策(キムチェク)製鉄所2号高炉の改造、拡張工事を完成し、新しい建設は始めないようにすべきです。一部の人は、降仙(カンソン)製鋼所の電気炉をさらに拡大し、城津(ソンジン)製鋼所に大きな製鋼炉を一つ新設しようといっていますが、いまはその必要がありません。現在の炉も満足に稼働していないありさまなのに、新しい炉をさらに建設してなんの役に立つでしょうか。それよりはむしろ、いま鉱山で進めている選鉱場の建設を早く完成し、製鉄所に鉄鉱石を十分供給した方がましです。そうなれば、銑鉄や粒鉄がより多く生産され、したがって、鋼鉄と鋼材の生産も増やすことができるはずです。

 金属工業部門では、探鉱や掘進のための建設はひきつづき進めなければなりませんが、ほかのものは新たに始めずに、なるべく多くの建設資材を節約し、予備をつくらなければなりません。こうして、今後おこなう予定の金策製鉄所の転炉職場と圧延職場の建設、それに黄海製鉄所のコークス炉の建設など、重要な建設を円滑に保障しなければなりません。

 機械工業部門では、鉱山機械工場と龍城(リョンソン)機械工場の鋳鋼職場建設および着工した電機工場の建設を早く完成するように努力しなければなりません。

 農業部門でも、鴨緑(アムノク)江潅漑工事など、これまでおこなってきた工事を完成するようにし、新しい工事は始めないようにすべきです。そのかわり農業部門では、現存の潅漑施設を水がもれないように補修し、よく管理しなければなりません。現在我々は、事実上、70万ヘクタールではなく、100万ヘクタールを十分に潅漑できる貯水量をもっています。ところが用水の管理をよくおこなわないため、多くの水を無駄に流しています。したがって、現存の貯水池をよく補強し、水路を整備して用水の管理を改善することが新しい貯水池を建設すること以上に重要であります。

 また、来年度の基本建設計画で大きな注意を払わなければならないのは、外国から買い入れる向上を設置するさいに、既存の建物を最大限に利用する問題です。
 来年度には、設備が入ってきしだい、タイヤ工場を設置し、すでに設備の届いている外輪工場も設置しなければなりません。もしも、既存の工場で生産面横の予備を見いだせないときは、建物を新しく建ててでも、タイヤ工場を早急に操業させなければなりません。

 ガラス工場なども建物を新しく建てる必要はありません。南浦(ナンポ)ガラス工場の設備を合理的に調整し配置すれば、まだ、この工場にさらに多くの設備をすえつけることができます。

 このようにして、莫大な外貨を使って買い入れた工場設備を放置することなく、一日でも早く設置して製品生産を始めなければなりません。こうしてこそ、7か年計画の目標を達成することができ、より多くの外貨を節約して国防建設と人民生活の向上にふり向けることができます。

 また、来年度の計画作成にあたって深く注意を払わなければならないのは、現存設備の能力を最大限に利用することです。

 我が党第4回大会は、すでにきずかれた重工業の骨幹に肉づけをする仕事を、7か年計画の重要な課題としてうちだしました。しかしこの課題は、少なからぬ工場、企業所で順調に実行されていません。それは、経済幹部がこの課題の内容とその重要性をはっきり認識していないところに原因があります。

 工業の骨幹に肉づけをする問題について、一部の人は、大きな工場を新設するのも肉づけをすることだと、間違った解釈をしています。もちろん、人民経済全体の見地からすれば、新しい工場を建てるのも肉づけをすることになるかもしれませんが、一つの企業所についていうときには問題が異なります。個々の企業所で肉づけをするというのは、あくまでも稼働している基本生産施設に必要な付帯設備を、少しずつさらに補充していくことを意味します。例えば、黄海製鉄所の平炉には装入クレーンが設置されていないため生産に支障をきたしていますが、この装入クレーンを設置するようなことが肉づけをすることなのです。工場、企業所では、こうした設備の補強を立派におこなってはじめて、基本設備がその能力を十分に発揮し、生産を正常化することができます。

 一部の活動家は、このことを明確に認識していないため、現存設備の能力を最大限に高めるために努力しないで、多くの場合、基本設備を増設することによって生産計画を達成しようとしています。

 その実例として、清津製鋼所では生球団鉱の生産にかたよったため、結局、粒鉄の生産が減少する結果をまねきました。この製鋼所の活動家は、生球団鉱の生産に必要な設備は機械工業省でつくってくれたので、それが生産に支障をきたさなかったかのようにいっていますが、製鋼所自体がそれに多くの力をそそいだのは事実であり、結局、そのために生産に支障をきたしたのです。もしそうせずに、現存設備の補修、整備に力をそそいだならば、今年この製鋼所は20万トンの粒鉄を間違いなく生産できたはずです。

 炉を新設したり、生球団鉱をつくるなど新しい工程を設けるのも、もちろん必要なことです。しかし、現存設備を十分に利用せずに、新たな建設に手を広げるならば、それはかえって生産に支障をきたすことになります。それゆえ、工場、企業所では、まず現存設備を常に修理、整備し、補強して、その能力を完全に発揮させることに努めなければなりません。

 本宮(ポングン)化学工場の塩化ビニール工場や新義州化学繊維工場、それに恵山(ヘサン)クラフト紙工場なども、まだその能力を十分に発揮していない状態ですから、さしあたっては、生産能力を高めるための建設をおこなうことより現存設備の能力を完全に発揮させることの方がより重要です。

 工場、企業所で現存設備の能力をさらに高められるよう、設備の補修、整備を円滑におこなうためには、工作・動力職場を立派にととのえ、その役割を高めなければなりません。工場、企業所の・工作・動力職場の基本的な使命は、あくまでもその企業所の生産設備の整備、補修に必要な部品を適時につくることです。しかし現在、少なからぬ工場、企業所では、工作・動力職場に、ほかの課題を無秩序に与えています。工作・動力職場は、その企業所の生産設備の整備、補修に必要な部品だけをつくり、ほかの仕事は絶対にしないよう、厳格な規律をうち立てなければなりません。

 国では、新しく生産される工作機械をもって、まず機械工業自体の機械・設備間の均衡を保つようにし、次に工場、企業所の工作・動力職場を補強しなければなりません。

 次に、来年度の計画では採掘工業の発展に大きな力をそそがなければなりません。

 我が国の人民経済の発展において、いまなお弱い環は採掘工業です。我々は、来年度もひきつづき採掘工業に大きな力をそそぎ、この部門を決定的に強化しなければなりません。

 採掘工業を強化するためには、これまで何度も述べているように、第1に、地質調査を強化し、第2に、技術革新運動を広くくりひろげ、第3に、この部門の科学研究活動を発展させるという3つの課題を解決しなければなりません。

 地質調査を強化するために探査陣容をかためるとともに、展望探鉱と現行探鉱を正しく組み合わせ、予備探鉱と細部探鉱と作業探鉱をともに進められるよう、必要な探鉱設備を優先的に供給しなければなりません。

 採掘工業部門の技術革命を力強くおし進めるために、さらに多くの採掘設備を生産、供給しなければなりません。それとともに、科学者のあいだで採掘工業の発展にかんする研究活動を強化し、先進的な採掘方法をさらに多く生産に取り入れなければなりません。

 次に、計画を立てるうえで重要なのは、鉄道の緊張を解消する問題です。

 現在、我が国の鉄道輸送能力は非常に緊張しています。鉄道の輸送能力をさらに高め、その緊張を解かなければ、日を追って増大する人民経済の輸送需要をみたすことはできません。

 しかし、新しい鉄道を増設する方法では、この問題を少なくとも2、3年内に解決するのは困難です。したがって、鉄道部門でも他の部門と同じように、新しい基本建設に手を広げるべきではなく、既存鉄道の輸送能力を高めることに力をそそがなければなりません。

 まず、機関車の台数を増やし、その牽引力をいっそう高めなければなりません。電気機関車をさらに多く生産し、電化された鉄道区間にはすべて電気機関車を走らせ、そこで使っていた蒸気機関車はほかの区間に回すようにしなければなりません。一方、機関車の修理能力をさらに高め、多くの機関車が運行できるようにしなければなりません。外貨が少々かかるとしても、外国からディーゼル機関車を買い入れるべきです。

 また、鉄道工場に鉄板をはじめ、各種の資材を十分に供給して、60トン級の貨車を量産しなければなりません。そして、線路を取りかえるべきところは取りかえ、常に線路管理をきちんとおこなわなければなりません。このようにして、さらに多くの機関車を運行させるだけでなく、一度により多くの貨物を輸送できるようにしなければなりません。

 鉄道の輸送能力を高めるうえで、貨物の積みおろし作業を手早くおこなうことがまた重要であります。現在、貨車の回帰日数を短縮することができないのは、貨物の積みおろし作業に手間取っているところに主な原因があります。貨物の積みおろしを手早くおこなうためには、それを機械化しなくてはなりません。鉄道部門に起重機をより多く供給し、駅や工場の構内に備えつけるべきです。こうして、貨車が入ってくれば貨物の積みおろしをすばやくおこない、貨車の回転を速めなくてはなりません。

 このようにすれば、現在の鉄道でも輸送能力をはるかに高めることができるはずです。

 しかし、この部門の一部の活動家は、現在の鉄道をより効果的に利用するために努力しないで、迂回線だの、複線だのといって鉄道の新設ばかり考えていますが、これは誤りです。

 この前の内閣会議で鉄道相は、平壌−元山(ウォンサン)線の複線敷設工事を1年半あれば完成できると言いましたが、これは事実と合わない話です。周知のように、平壌−元山間の鉄道区間には多くのトンネルや崖があります。にもかかわらず、そこに線路をもう一つ敷く工事が、そんなに簡単にできると考えるのは一種の願望にすぎません。

 活動家が客観的な条件をよく検討せずに、単なる主観的な願望にとらわれて作成した計画は、正しく遂行できないばかりか、かえって国家に害を及ぼすことになります。

 平壌−新義州間はすでに鉄道の電化工事が完了していますが、電気機関車が足りないため、いまなお蒸気機関車が煙をはきながら走っています。我々は、鉄道電化のために大量の銅を使いました。電線を架設しておきながらなお蒸気機関車を走らせるのなら、貴重な銅を使って鉄道を電化する必要はありません。

 次に、計画を立てるうえで注意を払わなければならないのは、外貨を極力節約することです。

 特に、人民経済の各部門でガソリンの消費状況を具体的に検討し、燃料油消費の統制を強化する一方、燃料油節約運動を広範にくりひろげなければなりません。

 外貨を極力節約するだけでなく、外貨をより多く獲得するためのいろいろな方途を見いださなければなりません。そうして、我が国に切実に必要な設備と製品をより多く買い入れるようにすべきであります。

 最後に、7か年計画に関連して少し述べようと思います。

 7か年計画を遂行する過程で、国際的にも国内的にもいろいろな変化が起こりました。我々が7か年計画にとりかかった後、帝国主義者の侵略策動が強まったのと時を同じくして、現代修正主義者の策動がますます露骨になりました。修正主義者は、アメリカ帝国主義者の威嚇と恐喝にひざを屈し、革命の利益をすて、降伏主義の道に進みました。このような情勢のもとで、我々はみずからの国防力をいっそう強化する措置を取らざるをえませんでした。これは、7か年計画の遂行にある程度の影響を及ぼさざるをえませんでした。

 さらに修正主義者は、我々が自立的民族経済を建設することに反対して経済的圧力を加えました。このため、我々は7か年計画に予定していた一部の建設をおこなえなくなりました。もしも、我々が最初に計画したとおり、それらの建設をすべてなし遂げていたならば、鋼鉄生産目標をはじめ、7か年計画の重要生産目標を達成するのに、さほど大きな難関は生じなかったはずです。

 このように、7か年計画遂行における難関は、我々が計画を実行する過程で生じた情勢の変化に起因するものです。

 7か年計画を遂行するうえで難関があるからといって恐れる必要はありません。もちろん、アメリカ帝国主義者と現代修正主義者の策動によって、一部の経済建設分野で、計画の遂行が1、2年遅れたのは事実です。これは避けられないことでした。我々は、何トンかの鋼鉄を得るために、革命的節操をまげて修正主義者の投降政策に追随するわけにはいかなかったのです。我々は、7か年計画に予定した鋼鉄の生産が少し遅れるのを恐れるべきではなく、困難なときに共産主義者としての革命的立場を守り、自力でこんにちのような強固な経済的土台を建設したことに、当然の自負をもたなければなりません。

 我々は誰かによく見られたり、称賛されるために、7か年計画を遂行しているのではありません。我々は、あくまでも我が国の実情に即して国を富強にし、人民に豊かな暮らしをさせるために社会主義経済建設をおこなっているのです。したがって、7か年計画の遂行においても、情勢の変化に応じて、先に達成できる生産目標は先に達成し、そうでないものは後に遂行することもありうるのです。

 我々が奮闘するならば、来年度に、肥料生産目標と石炭生産目標の達成は可能であり、穀物生産目標も1、2年努力すれば達成できます。銑鉄と鋼鉄の生産は少々緊張していますが、この計画の遂行が1、2年遅れるからといって、大きな問題ではありません。

 要は幹部と全党員が、7か年計画を遂行するために、残りの期間にすべての能力と知恵をつくして、積極的にたたかうことであります。特に、計画事業を直接担当している国家計画委員会の活動家は、人一倍の努力を傾けなければなりません。

 国家計画委員会の活動家は、自分自身を党に限りなく忠実な活動家として鍛えるうえで、このたびの会議を重要な転機としなければなりません。

 このたびの会議では、主に幹部にたいする批判が多かったといえます。しかし、欠陥は、この人たちだけにあるのではありません。これまで国家計画委員会が仕事を立派におこなえなかったことについて、計画委員会のすべての活動家が、自己反省をし、欠陥を是正するために努力しなければなりません。

 そして、計画委員会の党組織は、活動家を定着させ、かれらを党に限りなく忠実な革命家に育てあげるためにたゆみなく努力しなければなりません。すべての党員が、党生活に積極的に参加し、我が党の政策を常に深く研究するように正しく指導しなければなりません。計画事業に経験がなく、水準の低い人たちは、2、3か月ずつ工場、企業所に行って、そこで生活しながら労働者たちのなかで学び、自分自身を鍛えるのがよいでしょう。

 こうして、国家計画委員会の活動家は、計画事業で常に確固たる立場と定見をもって党の路線と政策を貫くことができるよう、十分な準備ができていなければなりません。

 私は、国家計画委員会の活動家が、このたびの総会を契機にすべての欠陥をためらうことなく是正し、党の要求をあくまで貫き、人民経済計画化に決定的な転換をもたらすものと確信します。

 出典:『金日成著作集』19巻


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