「朝鮮民主主義人民共和国における社会主義建設と南朝鮮革命について」

4 主体性を確立し、大衆路線を貫く問題について


 社会主義革命と社会主義建設で我々のおさめたすべての勝利と成果は、我が党のマルクス・レーニン主義的指導によって、また党の路線と政策を貫く朝鮮人民の英雄的な闘争によって達成されたものである。

 我が党が、朝鮮人民の革命闘争と建設事業を正しく指導するうえで何よりも重要なのは、主体性を確立することであった。

 主体性を確立するというのは、革命と建設のいっさいの問題を独自に、自国の実情に即して、そして主として自己の力で解決していく原則を堅持することを意味する。これは教条主義に反対し、マルクス・レーニン主義の一般的真理と国際革命運動の経験を自国の歴史的条件と民族的特性に合うように適用していく、現実的で創造的な立場である。これは、他人への依頼心を捨てて自力更生の精神を発揮し、自分の問題はあくまでみずからが責任をもって解決していく、自主的な立場である。

 朝鮮の共産主義者は、朝鮮で革命を行っている。朝鮮革命は、朝鮮の共産主義者に課せられた基本的任務である。朝鮮の現実を知らず、それを離れて朝鮮の革命を行えないのは明らかである。マルクス・レーニン主義も、我が国の現実と結びついてこそ、我が国の革命の強力な武器となることができる。

 朝鮮革命の主人は、我が党と朝鮮人民であり、朝鮮革命の勝利の決定的な要因も我々自身の力である。他人への依頼心があっては革命を行うことはできず、他人が我々にかわって朝鮮革命を行えないのも明らかなことである。革命において国際的な支持声援も重要であるが、何よりも主人である我々自身が努力し、たたかってこそ、革命を前進させ勝利へ導くことができる。

 世界には大国もあれば小国もあり、長い闘争の歴史をもっている党もあれば、そうでない党もある。しかし、すべての党は完全に自主的で平等であり、それに基づいて緊密に協力しあうのである。それぞれの党は、自国の具体的な環境と条件に従って革命闘争を行い、それをつうじて国際革命運動の経験を豊かにし、この運動のいっそうの発展に貢献する。チュチェ思想は、このような共産主義運動の原則に合致するものであり、そこから直接出発しているものである。

 我が国の環境と条件、我が国の革命の複雑さと困難さのゆえに、朝鮮の共産主義者にとって主体性の確立は特に重要な問題として提起された。

 我が党は修正主義に反対し、マルクス・レーニン主義の純潔を守りぬくため断固たたかうとともに、教条主義と事大主義に反対し、主体性を確立するために全力を尽くしてきた。思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛、これが我が党の一貫して堅持している立場である。

 我が党はマルクス・レーニン主義の原則にしっかりと立って、朝鮮の現実を研究、分析し、それに基づいて独自に政策を規定する。マルクス・レーニン主義の原則と我が国の実情に適合するものであれば、我々はいかなる既存の公式や命題にも拘束されることなく、大胆にそれを実行する。

 我々は他国の経験を尊重するが、常に批判的に対応する。そして、我々に有益な経験は取り入れ、不必要で有害な経験は受け入れない。他国のすぐれた経験を取り入れる場合でも、それを我が国の実情に合うように改造し変形して受け入れる。

 我が党は国際共産主義運動に対する態度、特に現代修正主義に反対する闘争においても、一貫して独自の立場を堅持している。我々は現代修正主義に断固反対してたたかっているが、あくまでも独自の判断と信念に基づき、我が国の実情に即してこの闘争を進めている。このような立場を堅持してこそ、反修正主義闘争を正しく進めることができ、マルクス・レーニン主義の純潔を守り、国際共産主義運動の団結の強化に、実質的に寄与することができると我々は考えている。

 思想、政治の分野で主体性を確立しなければ、独自の思考力が鈍り、どのような創意性をも発揮することができず、ついには事の正否も見極められなくなり、他人に盲従することになる。このように独自性と自主性を失うと、修正主義や教条主義、あらゆる左右の日和見主義の誤りを犯すことになり、結局は革命と建設を失敗に陥れることになる。

 我が国にも、一時は幹部のなかに教条主義と事大主義に毒されたものがおり、かれらは我々の活動に少なからぬ害悪を及ぼした。教条主義者は我が国の現実を研究せず、それを無視して他人の経験をうのみにし、それを機械的に真似ようとした。こうした連中は他人にばかり頼り、他人を真似るのがくせになって、しまいには自分のものは何でも悪く、他人のものは何でもよいという民族虚無主義に陥ってしまった。このような傾向は思想戦線に最も甚だしくあらわれた。教条主義者は我が党の政策を研究し解説、宣伝するのではなく、他人のいうことをおうむのように繰り返すばかりであった。かれらは朝鮮人民の闘争の歴史や革命伝統まで否定するようになり、科学研究活動における我が国の学者の創意を麻痺させ教育においても他国のものをうのみにして学生に教え、文学・芸術においても民族的なものはすベてなげだし、他国のものばかりひろめようとした。

 我が国における教条主義の弊害は戦争中に最も甚だしくあらわれ、戦後、社会主義革命と社会主義建設が急速に前進するにつれて、それはますます容認しがたいものとなった。そればかりでなく、我々はこのごろ、教条主義をとおして修正主義の潮流が入ってくるということを悟るようになった。

 それで我が党は、1955年に主体性確立の断固とした方針をうちだし、それを貫くために強い思想闘争をつづけてきた。教条主義に反対する我が党の一貫した闘争において、1955年は一つの転換点となった。我々はまた、事実上このときから社会主義陣営内にあらわれた現代修正主義に反対する闘争を開始した。こうして、教条主義に反対する我々の闘争は、現代修正主義に反対する闘争と結びつくようになった。

 主体性の確立で何よりも重要なのは、幹部と党員の間でマルクス・レーニン主義の学習を強めるとともに、かれらを我が党の思想、我が党の路線と政策で武装させることであった。我々は、すべての幹部と党員が党の意図するとおりに考え、党の政策を深く研究し、それに基づいて活動し、党の政策を貫くために身をささげてたたかうよう、かれらに対する思想活動を強化した。党の隊列が思想的、組織的にかたく結束している場合には、教条主義にもうちかつことができ、修正主義が入ってくるのも防ぐことができ、すべての活動を党の意図するとおりに立派になし遂げることができることを、我々の経験は示している。

 これとともに、我々はすべての党員と勤労者の間で我が国の過去と現在、朝鮮人民の革命伝統と文化伝統に関する学習を決定的に強めた。科学、教育、文学、芸術など思想戦線の各分野で自国のものを主とし、民族的な伝統を生かしてすぐれた民族の遺産を継承、発展させ、外国の先進文化もうのみにするのではなく、自分のものに消化して取り入れるようにした。

 このような対策によって、人々の民族的自負と自主意識は大いに高まり、かれらは他人のものを機械的に真似る傾向に反対し、すべてを自国の実情に即して行うために努力するようになった。主体性を確立した結果、科学・技術が非常に急速な発展を遂げ、教育および幹部養成事業で質的な変化が起こり、朝鮮人民の生活と感情にふさわしい新しい社会主義的民族文化が開花発展するようになった。

 思想・政治分野における主体性の確立とともに、我が党は経済分野において自力更生の原則と自立的民族経済建設の路線を堅持してきた。

 自力更生の精神がなければ自己の力を信じなくなり、国内の源泉を利用しようと努力しなくなり、したがって革命偉業をなし遂げることはできない。我々は自分の力で朝鮮革命を遂行し、みずからの労働と国内資源によって我が国に社会主義と共産主義を建設する覚悟のもとに、革命闘争と建設事業を進めている.

 我々はもちろん、国際的な支持声援の重要性を十分認めており、他国の援助も必要だと考えている。しかし我々は、国際的に有利な機会が到来することばかり期待して自己の革命闘争を弱めたり、他国の援助ばかりをあてにして、みずからが努力しようとしない誤った思想観点と態度を排撃するものである。革命闘争の場合も建設事業の場合も、自力更生を主とし、外部の支持声援は第二義的なものと考えなければならない。このような精神で闘争してこそ、自国の革命と建設を最大限に促進し、国際革命運動の発展にも寄与できるのである。

 戦後の復興期に、我が国は兄弟諸国からおよそ5億ルーブル(5億5000万ドル)に相当する経済的・技術的援助を受けたが、これはもちろん、我々の復興建設に大きな助けとなった。しかし、そのときにも我々は、人民の力と国内の資源を残らず動員することを基本とし、同時に兄弟諸国の援助も効果的に利用するために努力した。実際に、戦後の復興建設で決定的な役割を果たしたのは、我々自身の力であった。その後の我が国における経済建設の成果については、いうまでもない。

 このように、我々は自力更生の原則に立って、民族経済のゆるぎない自立的土台をきずきあげた。

 経済的自立は、富強な文化的独立国家建設の不可欠の条件である。自立的民族経済を建設することなしには、国の政治的自主性の確固たる保障も、生産力の発展も、人民生活の向上も不可能である。

 社会主義は階級的搾取とともに、民族的不平等を完全になくすことを意味し、経済と科学・技術の全面的な発展を必要とする。したがって社会主義経済は当然、総合的に発展した自立経済でなければならない。

 我々は決して、諸国間の経済協力に反対したり、門戸をとざして社会主義を建設しようとするものではない。我々が反対するのは、「経済協力」と「国際分業」を口実に他国の経済の自立的、総合的な発展を阻み、ひいてはその国の経済を自国に縛りつけようとする大国主義的な傾向である。我々は、それぞれの国が自立的な民族経済を建設し、それに基づいて互いに協力すべきであり、またそうしてこそ、完全な平等と互恵の原則に立って諸国間の経済協力をたえず拡大し発展させることができるものと認める。

 こんにち、我が国は、主としてみずからの技術、自国の資源、自国の幹部と人民の力によって経済を発展させており、重工業および軽工業製品と農業生産物の国内需要を基本的に国内生産でみたしている。

 我が国と他国との経済関係についていうならば、それは完全な平等と互恵の原則に基づいて有無相通じ、互いに助けあう関係であり、これは対外貿易その他いろいろな形で実現している。

 我々は、民族経済の強固な自立的土台をきずくことによって国をいっそう富強にし、人民生活を著しく向上させうるみずからの経済的基盤をもつようになり、外国との経済的協力をますます拡大発展させることができるようになった。我々の経済的自立はまた、国の政治的自主性を保障し、防衛力を強化するための強固な物質的基礎となっている。

 革命と建設に対する我が党の指導において、主体性の確立とともに大衆路線を貫くことは最も重要な問題の一つであった。

 我が党は、社会主義革命と社会主義建設を促進するための決定的な裏付けは人民大衆の創造力を余すところなく引き出し、その熱意と創意と才能を全面的に発揮させることであると考え、あらゆる活動で一貫して革命的大衆路線を堅持してきた。

 我が党は、自己の運命をその手におさめ、新しい生活の建設に奮い立った人民の高い革命的熱意と尽きることのない創造力に基づいて、社会主義革命と社会主義建設で大きな成果をおさめることができた。党は困難と試練に直面したときも常に人民大衆を信頼し、大衆と相談し、大衆の力と知恵を引き出してそれをのり越えてきた。

 我々はまた、膨大で困難な多くの建設事業を、大衆的な運動をくりひろげる方法によって立派になし遂げた。「工作機械の子生み運動」も、地方産業工場の建設も、水利化のための大自然改造事業も、廃墟と化した都市と農村の復興建設も、すべて大衆的運動、全人民的運動で行われた。

 我が国では科学・技術も、科学者、技術者と労働者、農民の創造的な協力のもとに、大衆的な運動として急速に発展しており、文学・芸術も専門の作家、芸術家の活動と広範な大衆的文芸活動の結びつきを基礎にして、日増しに開花発展している。

 大衆に依拠し広範な大衆を立ち上がらせる方法は、革命的で積極的な方法であり、革命と建設において、すべての潜在力と可能性を余すところなく引き出す方法でかる。

 マルクス・レーニン主義党は権力を握る前も、権力を握った後も、また革命闘争においても建設事業においても、常に大衆路線を貫かなければならない。しかし党が政権を握ると、大衆路線からはずれる危険性は大きくなるのである。我が党は解放後、創立当初から政権を指導することになったが、多くの活動家は、過去において革命闘争と大衆工作の経験をほとんどもっていなかった。したがって、大衆路線を貫くために活動家の活動方法と作風を改めることは、我々にとって特に重要な問題であった。

 我が党は活動家の間で官僚主義をなくし、革命的大衆観点を確立するために思想闘争を強力にくりひろげた。党は、すべての活動家に、大衆のなかに深く入り、大衆と話し合い、大衆から力と知恵を求め、大衆を奮い立たせて当面の課題を解決する革命的活動方法を身につけさせるためにたゆみなく努力した。

 我が国でチョンサンリ(青山里)方法と呼ばれる活動方法は、まさに我が党の大衆路線を社会主義建設の新しい現実に合うように具体化し、発展させたものである。チョンサンリ方法の基本は、上級機関が下級機関を助け、上部の人が下部の人を助け、政治活動を優先させ、大衆を奮い立たせて革命課題を遂行することである。

 チョンサンリ方法の普及をつうじて、我々は活動家の活動方法と作風を決定的に改善し、党および国家・経済機関の活動に大きな転換をもたらした。

 政治活動を優先させることは、人民大衆の革命的熱意と創造力を発揮させるうえで最も重要な問題である。

 共産主義者は常に人民の利益を擁護し、人民の幸福のためにたたかうのであり、そのためには広範な人民大衆を目覚めさせ奮い立たせなければならない。社会主義の本質的な優位性の一つは、この制度のもとでは、搾取と抑圧から解放された勤労者が、国家と社会のために、自分自身の幸福のために、自発的な熱意と創意を発揮して働くことにある。

 それゆえ、大衆のあいだで政治活動を正しく行い、かれらが進んで革命課題の遂行のために奮い立つようにすることは、共産主義者の本性、社会主義制度の本質から生まれでる威力ある活動方法である。

 政治活動をおろそかにし、経済的、技術的な実務にのみとらわれ、勤労者の政治的思想・意識を高めずに、物質的な関心だけを前面におしだすのは根本的に誤っている。

 我が党はすべての活動において、政治活動を優先させる原則を堅持してきた。

 我々は、いかなる革命課題の遂行にあたっても、まずそれに関する党の政策をすべての党員と大衆に深く解説し、浸透させて、かれらに党政策の実践方法を大衆的に討議させ、高度の政治的自覚と熱意をもって党の政策を貫くためにたたかうようにした。我々はまた、勤労者の階級的自覚と政治的思想・意識水準を高めるため、かれらに対する共産主義教育を、党政策教育および革命伝統教育と結びつけて力強く進めてきた。

 政治活動はすなわち対人活動であり、これは党活動の基本である。党の指導を離れては大衆を奮い立たせることも、社会主義・共産主義を建設することもできない。我々はあらゆる分野で党の指導的役割を高め、党活動をたえず強めることによってはじめて、政治活動優先の原則を立派に貫くことができた。

 このように我々は、党活動の基本である政治活動、対人活動に力をそそぐことによって、勤労者の革命的な熱意と創造力を高度に発揮させ、かれらの間で集団的英雄主義と大衆的な生産的高揚を呼び起こすことができた。

 党の指導的役割を高め、政治活動を確固と優先させながら、これに経済的・技術的活動を正しく結びつけ、勤労者の政治的自覚と意識水準をたえず高めながら、これに物質的関心を正しく組み合わせること、これが社会主義建設で大衆を動員する我が党の基本的方法である。

 我が党の大衆路線の貫徹にあたって、極めて重要な問題の一つは、各階層の大衆を教育改造して、党のまわりにかたく団結させることであった。

 共和国北半部人民の政治的統一と団結は、北半部における新しい生活建設の決定的な裏付けとなるばかりでなく、祖国の統一と朝鮮革命の勝利のための基本的要因の一つである。

 我が党は、北半部の各階層の人民を党のまわりにかたく結集し、我々の革命基地をいっそうゆるぎない政治力量にかためるために、終始たゆみなく努力してきた。

 長期にわたる日本帝国主義の植民地支配と国の分裂、特に戦争中に行われた敵の離間策動によって、我が国の住民の社会的・政治的構成は極めて複雑である。だからといって我々は、出身階層や社会・政治生活の複雑な人々をすべて排除し、純潔な人だけで革命を行うわけにはいかない。

 そこで我が党は、階級路線と大衆路線を密接に結びつけて、ごく少数の悪質分子を除外し、すべての人を革命の側に引き入れる方針をとった。社会主義制度が、既に勝利をおさめ、党の力が決定的に強まり、大衆の間で党の権威と信望が確固不動のものとなった条件のもとで、我々は敵階級出身の意識的な反動分子でないかぎり、すべての人を教育改造することができると考えた。

 こうして我々は、出身階層や社会・政治生活の経歴が複雑な人でも、現在我が党を支持して仕事に熱意を発揮する人であればためらうことなく信じ、包容し、かれが心おきなく働ける条件をつくるようにした。

 生活は、我が党のこの方針の正しさを完全に実証した。我々はこの方針を貫いて、各階層の広範な大衆を教育改造し、いまもひきつづきこれを成功裏に進めている。我が国の住民構成が複雑であり、我々が敵と鋭く対峙しているにもかかわらず、こんにち我が党は人民大衆を自己のまわりに鉄のようにかたく団結させており、高揚した明朗な雰囲気が我々の社会を支配している。

 我が国でひきつづき力強くくりひろげられている全人民的なチョンリマ運動は、我が党の大衆路線の最も輝かしい具現である。

 チョンリマ運動は経済・文化建設における集団的革新と、勤労者を教育改造する活動とを有機的に結びつけた大衆的運動である。チョンリマ運動をつうじて、人民のあらゆる英知と熱意と創造力が全面的に発揮されており、経済と文化、思想と道徳のすべての分野で革新が起こり、我が国の社会主義建設はめざましく進展している。

 チョンリマ運動は、社会主義建設における我が党の総路線となっている。この路線の本質は、すべての勤労者を共産主義思想で教育改造して党のまわりにいっそうかたく団結させ、その革命的情熱と創造的才能を高度に発揮させて社会主義をより立派に、より早く建設することにある。

 我々はチョンリマ運動をひきつづき拡大し、深化、発展させて、我が国の北半部における社会主義建設を、さらに促進するであろう。



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