金 日 成

高等教育を改善するために
高等教育省党総会で行った演説
-1965年2月23日-


目   次
1 インテリを労働者階級化し、革命化することについて
2 教授活動と科学研究活動で主体性を確立することについて
3 幹部養成事業の質をいっそう高めることについて

高等教育省総会で「高等教育を改善するために」と題して演説する金日成主席
1965年2月23日



1 インテリを労働者階級化し、革命化することについて

 高等教育省は、幹部養成事業の責任を負っている重要な国家機関です。生産部門各省は、工場、企業所を経済的、技術的に正しく指導すればよいわけです。しかし高等教育省では、人を立派に教育するのが本務です。高等教育省は、たんなる行政機関ではなく、思想教育機関なのです。

 高等教育省は、大学の教員が学生を党に忠実な幹部に教育、育成するよう指導しなければなりません。こういった意味で、高等教育省は教育者を教育する機関だといえます。したがって、高等教育省の活動家は、だれよりも党性が強く、思想・意識水準が高くなければなりません。

 しかし、このたびの会議であらわれた欠陥をみると、高等教育省の活動家が、生産部門各省の活動家に比べて思想的にまさっている点はありません。高等教育省の活動家のなかには、今なおブルジョア思想の残りかすが多分にあり、党性、階級性、人民性が非常に欠けています。

 小ブルジョア思想をもっている人は、民主主義革命のときには労働者階級と同盟して熱意を出しましたが、社会主義革命にはあまり積極的でありません。朝鮮革命はひきつづき前進しています。今、我が党は、ブルジョア思想を最終的に一掃するために深刻な思想闘争をくりひろげています。

 小ブルジョア思想をなくせなかった人は、この機会に必ず批判を受けなければなりません。そして、こういった人たちは、革命の落後者となるのを欲しないならば、今回の批判を契機に小ブルジョア思想と訣別すべきです。

 思想的な病気を治す最もよい方法は、大衆のなかに入っていくことであり、思想鍛練の溶鉱炉は党員や大衆の強い批判です。幹部の党性、階級性、人民性は、何よりも党細胞会議や初級党会議で、また、労働者階級をはじめ勤労者大衆のなかで、たえず点検を受け、鍛えられなければなりません。溶鉱炉のなかでは、いくら我を張っても役に立ちません。そこでは、鋼鉄になるか、ずく鉄になるか、どちらか一つしかありません。大衆的批判の溶鉱炉のなかに入れば、古い思想をもった人はとうていいたたまれるものではありません。

 小ブルジョア思想をもっている人の悪癖を直してやるためには、党生活を強化し、党内に批判の雰囲気をつくらなければなりません。今度の会議で一度強い批判を加えたからといって、すべての問題が解決したものと考えてはなりません。みなさんは、思想的な病気にかかっている人を直してやるために、批判をつづけなければなりません。

 また、批判を受けた人たちは、自分の欠陥を直すために勇気をださなければなりません。批判を受けたからといって憂鬱になったり、批判した人に仕返ししようなどと考えてはなりません。批判してくれた人を恩人と思い、かれらといっそう親しく接しなければなりません。そうしてこそ、下部の人が幹部を批判する勇気をもつようになり、幹部は大衆の統制のもとに自分の仕事を立派に遂行していけます。

 党組織と大衆の統制をいやがる人は、必ず大きな誤りをおかすようになります。小ブルジョア思想の多い人ほど、党と大衆の統制をいやがるものです。ですから、こういう人に対しては、いっそう統制を強めるべきです。

 党の統制からぬけだす人は、うぬぼれるようになります。うぬぼれが大衆をみくびって身勝手に振舞い、党組織をみくびるまでになれば、それはもはや、たんなるうぬぼれとみなすわけにはいきません。それは反党への第一歩です。

 みなさんの発言のなかで、意識的な反党か、無意識的な反党かという問題がもちだされましたが、反党行為はすべて意識的なものです。分派的綱領をかかげて行う反党行為のみを意識的なものとみなすわけにはいきません。

 党の政策をあれこれと天秤にかけて、気にいるものは実行し、そうでないものは実行しないならば、それはもはや意識的な反党です。ここからもう少しすすめば、公然と党の政策に難癖をつけ、党に反対し自己を擁護するために人々を糾合するようになるでしょう。こうなれば、それは組織的な分派にまでなるのです。

 したがって党組織は、だれであれ、うぬぼれて個人英雄主義に走らないよう、日ごろから党生活を強化しなければなりません。これは幹部だけでなく、すべての党員にとってひとしく必要なことです。

 程度の差はあっても、古い思想の残りかすはだれにもあります。労働者や農民にもあります。特に生産活動から遊離しているインテリのなかに、それがより多く残っています。高等教育省、普通教育省、科学院、大学などのインテリ集団の間に、小ブルジョア思想が濃厚です。今度の会議をとおして、私は我々のインテリ集団を革命化しなければならないということを、いっそう痛感しました。

 今日、我が国の教育事業にはあれこれの欠陥があらわれています。これにはいろいろな原因があるでしょう。しかし主な原因は、この部門の活動家の思想鍛練が足りないところにあります。もし、教育省の活動家や教員がみな、党的修養、共産主義的修養を積んで、党性、階級性が高く、人民性をそなえているならば、教育事業がうまくいかないはずはありません。

 みなさんは、マルクス・レーニン主義の書物を何冊か読んだからといって、共産主義的修養を積んだものと考えてはなりません。インテリが本をたくさん読むのは当然のことです。問題は、マルクス・レーニン主義の書物をどれだけ読んだかにあるのではなく、マルクス・レーニン主義をどう実践するかにあります。マルクス・レーニン主義の命題をいくらたくさん知っていようと、マルクス・レーニン主義を自分の思想となしえず、それを実践活動に具現できない人は、共産主義者ではありません。こういう人は、ブルジョア思想からぬけきっていない人です。

 みなさんは、自分にはブルジョア思想がないと考えるかもしれません。しかし、あらわれた諸事実は、高等教育部門の活動家のなかに、今なお古い思想の残りかすが多いことを示しています。

 幾つかの例をあげてみましょう。

 みなさんは、大学の教員が年に1000時間講義するのは多いと主張していますが、これは正しくありません。そもそも時間が多いの少ないのと問題にすることからして革命家の態度ではありません。真に人民に仕える革命家であるならば、何とかしてもっと多くの仕事をしようと努めこそすれ、時間の計算をするはずがありません。

 共産主義者は、革命のために自己の全精力を傾けてたたかい、このたたかいに最も大きな喜びと誇りを覚えるものです。それゆえ革命が困難なものではあっても、革命家はいつも明朗快活であり、情熱にみちているのです。

 共産主義の赤旗をかかげてたたかう途上で倒れるのは、革命家としての最も大きな誉れであります。先頭に立っていた人が倒れれば、次の人がまたその旗をかかげてたたかいをつづけます。こうして結局、革命は勝利するのであります。

 こういった革命家の品性にひきくらべ、我が国のインテリの思想的準備はまだまだだといえます。年に1000時間ならば、1日平均3時間です。共産主義を建設した後ならいざ知らず、社会主義社会では3時間も働かずにめしを食うわけにはいきません。

 最も、教員が新しい講義案を作成するのに時間を要するのは事実です。しかし、日に3時間働き、残りの時間を有効に利用すれば、講義案も立派に作成できるし、勉強も十分にできるはずです。勉強する時間がないというのは論外です。

 会議が多いと不平をならすのもよくありません。会議があるいは多いかもしれません。しかし、政治生活をする人が、会議をしないわけにはいきません。

 会議が多い、時間がないなどというのは、すべて口実です。労働者は毎日7~8時間、高炉の前で汗を流しながら張りつめた労働をしながらも、ぐち一つこぼさず会議にも参加し、勉強もよくやります。

 私は数日前、殷栗鉱山にでかけたさい、ある労働者の家庭を訪ねて、その家の主婦と話しあったことがあります。その主婦の話によれば、主人は運転工で、朝の7時ごろ出勤し、夕方5時か6時頃帰って食事をすませると、すぐまたカバンをさげて学校へ行って勉強し、夜の11時に帰ってくるそうです。これでは睡眠時間が少し足りないはずです。しかし、この人は、そのような緊張した生活に対して何の不平もいわないとのことです。

 このような労働者に比べれば、大学の教員は、はるかにゆとりのある生活をしています。

 現在、インテリに仕事がないのではありません。技術革命や文化革命を速く進めるためには、インテリがもっとたくさんの仕事をしなければなりません。

 実際上、これまでは高等教育省管下の各大学で年々少なからぬ技術者や専門家を養成しでいますが、そのうちの多くの人が大学の教員として配置されるため、人民経済の各部門に進出する人はいくらにもなりません。今、工場や農村にはインテリがいくらもいません。協同農場に出向いてみると簿記をやれるほどの人が求められず、多くの国家財産や共同財産を浪費しているありさまです。

 もし大学の教員が、国の事情を少々考えるならば、当然、いま10人でやっている仕事を7、8人、あるいは5人でやると決意しなければならないはずです。こうして余った教員を工場や農村に送れば、かれらは多くの仕事をなすでしょう。

 ところが、今、我々の大学教員は、より多くの仕事をして労働者や農民を助けようと考えるのではなく、国であまりたくさん仕事をさせると不平をこぼし、生産部門の職場や中学校などに行くようにといわれると、地位が下がるといって不満を示します。労働者、農民を助けようとしないのは、まだまだ教員が労働者階級化、革命化していないことを物語るものです。これは、高等教育省が大学の教員を正しく教育しなかったためです。

 次に、報酬に対する教員の態度をみましょう。今、大学の教員は、国家から毎月生活費をもらいながらも、所定の時間以上講義をすれば、それだけ講義料を余分にもらい、執筆をすればまた原稿料をもらえるようになっています。

 最近、報告によれば、教員は報酬のない仕事はてんからしようとしないそうです。甚だしいことには、通信教育用の教材のようなものは、原稿料がやや落ちるからと、みな書くのをいやがっているありさまです。科学院にいる人たちが大学に出向いて講義するのをきらうのも、すべて報酬のためだといいます。

 報酬を問題にしていたのでは、革命家になれません。かつて革命家たちは、何の報酬ももらえなかったが、自分の命までささげて英雄的にたたかいました。報酬なしに講義を何時間か余分にしたり、原稿を数編よけいに書くのを大きな負担と考えるのは正しくありません。

 マルクスは原稿料をもらって「資本論」を書いたのではありません。マルクスは数多くの執筆をしましたが、原稿料はおろか、かえって資本家の迫害を受け、非常に苦しい生活をしました。けれども、かれは革命のために自分の全精力を傾けて執筆をしました。

 大学で講義をするのは、実に栄誉あることです。そして、人民大衆のために立派な文章を書き、すぐれた本を著わすのは、楽しくもやりがいのあることです。世間には、大学で一度講義がやれたら、すぐれた本を一冊著わせたらと、大学教員の境遇をうらやむ人がいくらでもいます。しかしかれらには講義する資格がなく、執筆能力がないために、いかに思いつめてみても、そうすることができないのです。ところが、我が国のインテリは講義もでき、文章も書けるというのに、この立派な仕事をどうしても金を受け取らないことにはやらないというのです。教員は、いくらかの講義料や原稿料をあてにして働く雇われ者になるのではなく、共産主義者を育てあげるためにたたかう革命家にならなければなりません。金のためにする講義に、共産主義の精神などこもるはずがありません。

 もちろん、インテリの生活を保障するのは必要なことです。生活さえ保障されれば、金もうけをする考えはやめるべきです。

 我々の社会はまだ共産主義社会ではないだけに、一定の国家制度が必要であり、賃金にもいくらか差がなければなりません。まだ物が豊富でない状況のもとで、均一主義をとるわけにはいきません。しかし、我が国の賃金の差は、大きい方ではありません。我々は、この差をしだいにいっそう縮める方向に進んでいます。

 7か年計画を終えれば、賃金を引き上げる予定です。そのときになれば、賃金を少しもらっている人には大幅に引き上げ、たくさんもらっている人には少し引き上げて、すべての人がもっとよい暮らしができるようにする計画です。

 大学の教員は、人民学校の教員に比べてはるかによい生活をしています。だから、生活の保障がないために仕事がやれないなどとはいえないはずです。

 結局、問題は思想にあります。大学教員が多くの本を読み、勉強をたくさんしたにもかかわらず、金銭にそれほど執着するのは、かれらがまだ、その頭にあるブルジョア思想の残りかすを根こそぎにしていないからです。

 教育者の履歴を検討してみると、ほとんどがみな、解放後我が党によって育てられた新しいインテリです。かれらはみな新しい社会で育ち、我が国の大学で学びました。したがって、この人たちは旧社会で思想的影響を受けたのではありません。

 それでは、インテリの間にみられるブルジョア思想の残りかすはどこからきたのでしょうか?

 我々は、古い搾取制度をくつがえして社会主義制度をうち立てました。今、我が国には、地主もいなければ、資本家もいません。しかし、古い思想の影響は、我々の社会に今なお多く残っており、また長い間残ることでしょう。みなさんを教えた先生にも小ブルジョア思想が多かったし、みなさんのまわりにも古い思想をもった人が少なくありません。

 古い思想はまた、外部からたえまなく浸透してきます。我が国の南半部では、アメリカ帝国主義者や地主、資本家が主人顔でのさばっています。そのため、南朝鮮から間断なく古い思想が入ってきます。

 また外国から西洋かぶれの風潮や、マルクス・レーニン主義思想に反する各種の日和見主義思想、修正主義思想が入ってくるおそれもあります。

 もし、我々が警戒心を高めないならば、我々の内部に存在する古い思想の残りかすが息をふきかえし、外部から入ってきた古い思想が我々の頭を曇らせるでしょう。それゆえ、我々の社会で育った新しいインテリの場合でも、常に十分教育しないと、思想的に腐敗しかねません。

 インテリを革命に忠実であるようにするためには、我々の社会に存在する古い思想の残りかすと、外部から入ってくるブルジョア思想に反対して、たえず強くたたかわなければなりません。特にブルジョア的個人利己主義思想を警戒する必要があります。

 我が国の資本主義の歴史は非常に短いものです。我々は、発達した資本主義をへずに社会主義に進んできました。したがって、我が国の人民には、元来、資本主義的個人利己主義思想が比較的少ないのです。

 資本主義の根が深いヨーロッパの国々では、兄弟同士でも、食堂に行けば割勘で金を払い、父と息子の間でも金の勘定はたいへん厳格だそうです。我々にはこういったことがよく理解できませんが、かれらはそれを当然のことだと思っています。だから、講義をすれば必ず講義料をもらい、文章を書けば必ず原稿料を受け取ろうとするのはいうまでもありません。

 このように資本主義が発達していた国で実施している制度を、機械的に我が国にひきうつしてくる必要はありません。もしそうするならば、それは我が国の人民に利己主義を教えこむのと変わりありません。

 我々の最終目的は、共産主義を建設することです。共産主義を建設するには、利己主義思想を根こそぎにしなければなりません。だというのに、なぜ我々が人民に利己主義をもっと植えつけてから、またそれをなくすために骨折る必要がありましょうか? そんな必要はありません。

 農業の協同化を行うとき、我々は農民の意識水準がそれぞれ異なるのを考慮して、協同組合の各種の形態を規定しました。最初、我々は農民に、労力互助班をつくることも勧めてみました。農民は、労力互助班は先祖の代からやってきたものなのに、それがどうして社会主義なのかと、全く一笑に付してしまいました。こうして大部分の農民がはじめから最も高い形態である第三形態を選んだのです。一部の人は、我が国の協同化運動が、あまりにも速く進みすぎるといいました。しかし、我が党は、最初から高い形態を要求する農民の志向を積極的に支持しました。もし我々が他国の経験を機械的に真似ていたならば、あんなに短い期間に農業協同化のような難しい革命課題を順調になし遂げることはできなかったでしょう。

 人々の思想・意識を改造する面でも、資本主義が発達していた国よりも、我々には有利な点がたくさんあります。

 青山里を訪れた外国のある代表は、我が国農民の共産主義的品性が高いことにたいへん感嘆したといいました。話を聞いてみると何もとりたてていうほどのことではありませんでした。かれが青山里を訪れたとき、村の前に車の往き来する大通りがあるのに、農民たちは家を留守にし、戸をあけたままみな仕事にでかけていたというのです。かれの話によれば、自分の国ではちょっと外出するにも、必ずしっかり錠をおろさなければならないというのです。そしてその人は、朝鮮人は互いに信じ、愛しあう共産主義的道徳品性が高いと褒めました。

 昔も、我が国の人民は夜戸をあけたまま寝たし、垣根もなしに暮らしました。土塀をきずいていたのは、地主の家しかありませんでした。もしだれかが盗みをするとか、何か悪事をはたらけば、村から追い出されたものです。

 我が党は、朝鮮人民に固有なこのような立派な道徳的品性をひきつづき助長させながら、勤労者を共産主義思想で教育しています。ところが、高等教育省では、朝鮮人民の美しい道徳的品性を積極的に生かそうとするのではなく、他の国でも将来は捨てなければならない制度を機械的に真似て、インテリの間に利己主義を植えつけているのです。

 今でも遅くはありません。高等教育省は他国のものを真似てつくった間違った制度を捨て、教員の間で個人主義・利己主義に反対する思想闘争を強力に展開し、教員が金のためにではなく、革命のために働くようにしなければなりません。

 インテリは、自己の党性、階級性、人民性を鍛えるため、思想闘争に積極的に参加すべきです。立派にたたかえば、だれもがみな、革命的なインテリになれます。

 インテリのなかには、自分はインテリだから動揺性があり、革命的になれないと考えている人がいますが、これは正しくありません。インテリだからといって、必ずしも革命性に欠けているわけではありません。インテリ出身の革命家はいくらでもいます。

 歴史的にみて、インテリに動揺性があるのは事実です。資本主義社会では、インテリは資本家に仕えるべきか、労働者階級に仕えるべきかと、常に動揺しました。したがって共産主義者は、革命闘争において、インテリの動揺性の問題を考慮しないわけにはいかなかったのです。

 しかし地主、資本家のいない社会主義社会では、インテリがだれに仕えるべきかということで動揺することはありません。我々のインテリはすべて、労働者階級と勤労人民に仕えます。社会主義社会でインテリの進むべき道は、人民に仕えるという一つの道しかありません。

 我々が解放後、労働者、農民のなかから育てたインテリは、もちろん動揺するはずがありません。旧社会で教育を受けたインテリにしても、20年間我が党に従って闘争する過程で、既に人民に仕えることに習慣づけられました。

 今日、我々のインテリにあっては、だれに仕えるかが問題なのではなく、労働者階級と勤労人民に仕えても、どうすればもっとよく仕えられるかが問題なのです。ここで、人民にどれほど忠実に仕えるかという問題は、かれにブルジョア思想がどの程度残っているかにかかっており、結局それはかれの思想鍛練にかかっています。インテリはだれであれ、思想的修養を立派に積み、努力さえすれば、人民に最も忠実に仕えるインテリに、言いかえれば真の労働者階級のインテリ、革命的インテリになれるのです。

 労働者階級出身の幹部だからといって、古い思想の残りかすがないわけではありません。かれらも思想的修養を怠れば変質しかねません。言うまでもなく、インテリに思想的鍛練がもっと必要なことは確かです。しかし、労働者階級の革命思想を身につけるための努力は、出身にかかわりなく、だれにとっても必要であります。

 インテリが博識なのを災いのように考えるのは大きな誤りです。インテリに知識が豊富なのはかれらの長所であって弱点ではありません。人は、よくわからないため方向を間違え動揺することはあっても、すべてをよく知っているからといって、闘士が弱まるようなことはありません。労働者も、階級闘争の法則と革命の目的を十分にわきまえていてこそ、信念をもって、いっそう勇敢にたたかえるのです。

 我々は今、勤労者大衆の間で思想革命と文化革命を行い、かれらの意識水準と文化水準を高めています。もし知ることが革命性を弱めることになるならば、そんなことはいっさいやめなければならないでしょう。。

 インテリは労働者から革命性と闘志を学び、労働者はインテリから知識を学ばなければなりません。こうしてインテリを労働者階級化し、かれらが革命の勝利に対する強い信念をいだくよう、革命化するたたかいを力強くりひろげるとともに、労働者の文化水準をインテリの水準にまで引き上げるようにしなければなりません。

 インテリは、立派な革命家になれるという自信をもって労働者階級のなかに入っていかなければなりません。そうして、労働者階級のなかで自己の党性と階級性をたえまなく鍛えなければなりません。こうすれば、インテリは必ず革命化し、党と人民に対して負っている任務を立派に遂行できるでしょう。


2 教授活動と科学研究活動で主体性を確立することについて

 我が国において、事大主義と教条主義は長い歴史的な根源をもっています。周知のように、我が国は大きな国々の間に位置しています。中国やロシアは世界的な大国であり、日本も我が国よりは大きな国です。

 これらの国はいずれも、ひところ我が国に自己の勢力を伸ばそうとしました。朝鮮の腐りきった封建支配階級は、卑屈にも大国に屈従、迎合し、外国の力に頼って自己の支配を維持しようとしました。ある者は清国に追従しようとし、ある者はロシアや日本の勢力を引き入れようとしました。両班支配層がこのように主体性のない振舞をしたため、国は滅びるほかありませんでした。

 36年間にわたる日本帝国主義の植民地支配は、我が国の人々の事大主義思想をさらに助長しました。日本帝国主義の占領下で、少なからぬ人たちが民族精神を失って日本帝国主義者を崇め、かれらの指示どおり、言葉も日本語を使い、姓も日本式に変えました。

 日本帝国主義が滅びるや、人々の間にはまたよその国を無条件に崇拝する傾向があらわれはじめました。一部の人は、自国の実情は全く考慮にいれず、すべてを外国式にやっていこうとしました。

 かれらは、朝鮮人民の闘争の歴史も、革命伝統もないがしろにし、我が国の民族文化や先祖代々の良風美俗にいたるまでことごとく反対しました。家のしつらえや食事の仕方までいっさい外国式にしようといいました。

 解放直後、私はある集会で呉淇燮の演説を聞いたことがありますが、かれは「イデオロギー」だの「プロレタリア」だの「ヘゲモニー」だのと、大衆にはわからない外来語をやたらに使っていました。

 それで私は、もしみんながかれの真似をするようになったら、将来、朝鮮語はなくなってしまうおそれがあると考えました。

 もちろん、かれの演説には中味が何もありませんでした。外国の言葉を幾つか覚えて大衆の前でえらぶる人が、朝鮮革命に対してしっかりした考えをもっているはずはありません。こういった連中は、例外なく事大主義者であり、教条主義者であります。

 我々は、祖国解放戦争の厳しい時期に、事大主義と教条主義の弊害をいっそう痛切に体験しました。教条主義者は、外国で発展させた軍事理論や戦法を我が国に機械的に取り入れようとしました。

 例えば、広野の多い国では直射砲を使うのが効果的ですが、山岳の多い我が国では、曲射砲を使わなければなりません。ところが教条主義者は、外国で直射砲を多く使うからといって、我が国でもそうしました。これは、我々に多くの損失をまねきました。

 思想活動で犯した教条主義の災いも、戦争中にはっきりとあらわれました。戦前、一部の人は始終外国の軍隊の闘争業績だけを宣伝し、朝鮮人民の革命闘争についてはあまり言及しませんでした。それで人民大衆を抗日パルチザンの気高い革命精神と豊富な闘争経験で教育できませんでした。そのために人民は、複雑な環境のなかで、自力で戦う覚悟や用意が十分にできていませんでした。人民軍が後退し、敵が侵入してくるや、多くの人は勝利の信念を失って気を落とし、戦う気のある人たちも戦うすべを知らなかったため、あちこちに隠れていて敵につかまり、無惨に殺害されました。

 戦争の過程で、戦略上しばし後退するのは、いくらでもありうることです。乙支文徳将軍も一時的に後退してから隋の大軍を撃ち破ったし、ロシアのクトゥーゾフも敵にモスクワまで明け渡し後退したが、再び進撃してナポレオンを撃ち破りました。

 したがって、人民軍が一時的に後退したからといって、勝利の信念を失う根拠はないのです。もし我々が戦前、人民を我々の革命伝統で教育していたならば、かれらは何のの動揺もなしに、敵の背後で立派にたたかったことでしょう。せめて米の一斗も背負い、斧でも一丁腰にさして山に入り、あちこち渡り歩くだけでも40日間は十分もちこたえたことでしょう。

 我々は、このような苦い経験から教訓を酌み取り、事大主義と教条主義に反対し、主体性を確立するたたかいを強力に展開しました。

 我が国のインテリは、主体性を確立するという党の方針を支持して立派にたたかい、各自の仕事で多くの成果をあげました。

 まず、社会科学の分野であげた成果をみましょう。

 以前、我が国の人々は、自国の歴史も知らないのに外国の歴史ばかり勉強しました。戦争中のある日、私が党学校のカリキュラムを検討してみたところ、世界史と外国の歴史は数100時間も講義しながら、朝鮮史は数10時間しか教えていませんでした。それで私は、朝鮮革命を遂行しようという人はまず、自国人民の歴史から学ぶべきであって、何のために外国の歴史をそんなに詳しく学ぶのかといいました。実際上、歴史の専門家ならともかく、我が党の活動家が「アレクサンドル」何世だの「ピョートル」何世だのと他国の皇帝の名を覚えたところで、何のたしにもなりません。

 チュチェ思想が広く浸透するにつれて、我が国の学者は自国の歴史や自国人民の闘争伝統を研究するようになり、我が国の革命と建設を理論的に概括するために努力するようになりました。こうして、我々は見失っていた自国の歴史と革命伝統を取り戻し、自己の党の政策の正しさを深く認識するようになりました。これは人民の間で民族的自負と社会主義的愛国主義の精神をはぐくみ、かれらを我が党の革命思想で武装させるうえで大きな助けとなりました。

 自然科学や技術学の分野でも、大きな変化が起こりました。

 私はこのたび殷栗鉱山に出向いたさい、地質探査隊の人たちとも話し合ってみましたが、この部門でも以前には事大主義と教条主義が濃厚だったとのことです。

 現在、殷栗鉱山の位置しているところは、昔から鉄山里と呼ばれ、早くも李朝時代に我々の祖先がそこで鉄を掘ったといいます。探査隊員たちは、当然このような歴史的事実を考慮して、ここで鉄鉱石を探し出すべきでした。ところがかれらは、数年前まで、ここで鉄を探そうとはしませんでした。それは、外国人が来てみて、こんな低い地帯に鉄はないといった言葉を頭から信じたためです。事実かれらは、その外国人たちが地質調査にどれほどの知識や経験があるのかも知らなかったのです。けれども、その人たちが先進国から来たということで、その言葉を頭からみな正しいものと思ったのでした。

 その後、地質探査隊のメンバーの間に主体性が確立するにつれて、この低地帯でたくさんの鉄を探し出すようになったのです。殷栗鉱山で今までにみつけた鉄鉱石の埋蔵量だけでも1億トンにのぼります。今後、探鉱をつづければ、数億トンの鉄鉱石がみつかるだろうとのことです。こうなれば、殷栗鉱山は、我が国最大の茂山鉱山と肩を並べるほどの大鉱山となるでしょう。

 殷栗鉱山は、黄海製鉄所に近い大同江の下流に位置しているので、船を利用して、輸送費を節約しながらも鉄鉱石を速く運搬できる有利な条件をそなえています。ここで大量の鉄鉱石を発見したのは、我々の大きな成果であります。

 それで私が、地質探査隊の人たちに、近くにこんなにすぐれた鉱山があるのに、何のために骨折って険しい山ばかり歩き回っていたのかと尋ねたところ、かれらは、当時は気が確かでなかったので馬鹿なことをしたのだと答えました。

 こうした事実は他の部門にもありました。かつて我が国の技術者は、日本人の記録をみて、我が国には銅がいくらもないものと思い込んでいました。日本人は、甲山鉱山は銅の埋蔵量が少ないので発展の見通しがないといいました。しかし、我が国の技術者が甲山鉱山で地質調査をさらに詳しく行った結果、最近、大きな銅鉱脈を発見しました。

 今、甲山鉱山の労働者の気勢はたいへんなものです。かれらは今年、国家計画よりも1200トン増産することを決議しました。

 地質探査員たちは、ほかでも新たに大きな銅鉱脈を発見しました。このことからしても、我が国には銅がないという日本人の記録を頭から信じたのが、いかに馬鹿げたことであったかがわかります。

 地質探査員たちが主体性を確立し、自力更生の精神を発揮した結果、ニッケルも発見しました。ニッケルがなければ、特殊鋼やステンレス鋼をつくることができません。かつて我々は、興南肥料工場の運営に必要なステンレス鋼を外国に発注したところ、金と引き替えでなければ売らないといわれて苦しい思いをしたことがあります。

 地質探査員たちは、国のこのような苦しい事情を知って、国内でニッケルを得るために困難なたたかいを進め、ついにニッケル鉱脈を発見しました。

 このように、人々の間で主体性を確立した結果、鉄もみつけ、銅もみつけ、ニッケルもみつけました。地質探査員たちが発見したこれらの貴重な鉱石は、すべてチュチェ思想がもたらした立派な贈物だといえます。

 労働者や技術者の間にチュチェ思想が浸透するにつれて、機械工業や金属および化学工業でも革新が起こりました。

 我が国の労働者、技術者は、自力による技術問題の解決に大胆に取り組み、各種の複雑な近代的機械設備をつくりだすことに成功しました。朝鮮人民は、短時日のうちに多くの機械工場を建設し、自動車、トラクターをはじめ、我が国の技術革命に必要な機械設備を自力で大量に生産できるようになりました。

 また科学者、技術者は、我が国に豊富な石灰石と無煙炭で工業を発展させる立派な展望を開きました。

 化学工業部門の科学者、技術者は無煙炭ガス化の問題を解決し、金属工学部門の科学者、技術者は粒鉄の連続製鋼法の研究に成功しました。これは、我が国に豊富な無煙炭を利用して製鉄工業を発展させる展望を開いた重要な成果であります。

 我が国の科学者は、農学、生物学、医学の各分野でも多くの新たな領域を開拓し、輝かしい成果をおさめています。

 文学・芸術の分野でも、事大主義と教条主義を克服した結果、朝鮮人民の情緒や感情に合う、立派な作品がたくさんあらわれるようになりました。

 以前は、美術家たちは絵をかいても、自国の美しい風景を描かずに、朝鮮人民に親しみのない外国の山河を描きました。戦時に私がじかに目撃し、指摘したこともありますが、甚だしいことには、人民軍療養所の病室にさえ外国の風景画しかかかっていませんでした。

 歌をうたうにしても、自国の民謡をうたうのではなく、朝鮮人民の感情に合わない外国の歌をうたい、楽器も民族楽器は幼稚だといって投げ出してしまいました。

 もし我々が、こうした状態で進んでいたなら、数千年にわたって我々の祖先がきずきあげた、燦爛たる民族文化のとうとい遺産を完全に失ってしまったことでしょう。しかし、我が党が文芸分野で主体性を確立した結果、我が国の文学、芸術は民族的な土台に立って急速に開花発展し、勤労者大衆の生活と労働を楽しく愉快なものにすることに奉仕するようになりました。

 このように、我々は事大主義と教条主義に反対し、主体性を確立するたたかいをつうじて、科学・技術と文学・芸術分野で大きな成果をあげました。

 みなさんも批判したように、主体性を確立する闘争の過程には、もちろん若干の偏向もありました。外国語の学習をややおろそかにし、外国の経験を取り入れるうえでも欠点がありました。しかし、このような小さな偏向があったからといって、主体性を確立したことを後悔する必要は少しもありません。偏向による損失は、我々が主体性を確立した結果おさめた成果に比べれば問題にもなりません。

 もちろん、偏向は正さなければなりません。それを正すのは、さほど難しいことではありません。しかし、これまで主体性を確立せずに、ひきつづき事大主義と教条主義に陥っていたならば、我々は革命と建設でとりかえしのつかない損失をこうむったことでしょう。今なお我々にとって危険なのは、主体性を徹底的に確立していないことであって、決して主体性を確立する過程で生まれる偏向ではありません。

 したがって、我々は今後も、主体性を確立するたたかいをつづけなければなりません。

 朝鮮人民の頭から事大主義と教条主義思想がかなり取り除かれたのは確かですが、まだまだ完全だとはいえません。長い歴史をつうじて育った事大主義の根が、そんなに早く抜けるものではありません。

 我が国で事大主義と教条主義が生まれる条件も、まだ完全になくなったとはいえません。

 これまでと同様、今でも我が国と隣合せの国々はいずれも大国であり、科学・技術も発達しています。したがって、ややもすればこれらの国に対する事大主義思想が生まれるおそれがあります。

 軍国主義国家である日本に対しては言うにおよばず、社会主義諸国との関係においても主体性を確立する必要があります。

 もちろん、共産主義者であれば、だれであれ大国主義に反対しなければならず、社会主義諸国間の相互関係において大国主義的なあらわれがあってはなりません。しかし、すべての社会主義国で古い思想の残りかすが完全になくなるのはまだ先のことです。経験が示しているように、大国主義思想をもった人は、社会主義の国にもいくらでもありうるのです。

 かつて我が国で頭をもたげた反党分派分子のなかには、直接、帝国主義侵略勢力と結託した者もいましたが、一部には大国主義者にあやつられた者もいました。

 朴憲永をかしらとする火曜派はアメリカのスパイ機関とつながり、アメリカ帝国主義の手先となって活動しました。しかし、崔昌益をかしらとするM・L派とイルクーツク派は、大国主義者と結託して我が党に反対しました。このような事件は、さほど以前のことでもありません。

 世界的な範囲で帝国主義がなくなり、共産主義が勝利して、それぞれの所有に区別がなくなるまでは、社会主義国の間にも境界がなければならず、大国主義と事大主義に反対するたたかいをつづけなければなりません。

 主体性を確立する目的は、結局、民族的自負と信念をもって、自国の革命を立派に行うことにあります。自国の革命を立派に行うのが、世界革命に対して個々の国の共産主義者が負っている基本的任務であります。朝鮮の共産主義者は、まず朝鮮革命を立派に行ってこそ世界革命に貢献しうるのです。

 主体性を確立するのは民族主義ではなく、プロレタリア国際主義に反するものではありません。真の国際主義は愛国主義を前提とするものです。自国を愛さず、自国の革命に無関心な人は世界革命に忠実でありえません。

 大国主義は大国の民族利己主義であり、事大主義は小国の民族虚無主義のあらわれであります。これは、プロレタリア国際主義とも、社会主義的愛国主義とも、全く無縁のものであります。それゆえ、真の愛国主義者と国際主義者は、大国主義と事大主義に断固反対し、主体的な立場にしっかりと立たなければなりません。

 主体性を確立するためにはまず、自分の国をよく知らなければなりません。我々は朝鮮で革命を行い、朝鮮に共産主義の楽園をきずかなければなりません。

 世界的に共産主義が勝利したのちにも、我々は代をついで暮らしてきた朝鮮で暮らすようになるでしょう。何のために我々がこのうるわしい錦の山河をおいて、なじみのない外国で暮らす必要がありましょうか。

 朝鮮で革命を行い、朝鮮で暮らそうとするならば、朝鮮民族の歴史や文化を知らねばならず、朝鮮の土地や海、朝鮮の風土や天然資源を知らなければなりません。

 このように自分の国をよく知ってこそ、すべてを自国の実情に即してやっていくことができ、また祖国と自民族に対する愛着心と、自国で革命を行う誇りと自負をいだくようになるのです。

 ところが、教員はまだ自分の国についてよく知っておらず、自国の革命についてあまり関心がありません。これでは、次代を真の愛国者、革命家に育てることはできません。

 教育者は、自分の仕事において主体性を確立するたたかいを、まず自分の国と自国の革命をよく知るための努力からはじめなければなりません。

 事大主義と教条主義をなくし、主体性を確立する最も根本的な方法は、政治、経済、文化のすべての面で自国をいっそう発展させることです。我が国が他の国よりも政治ももっと立派に行い、また、科学・技術もいっそう発展し、生活水準もさらに高まれば、事大主義思想はおのずとなくなるでしょう。したがって、インテリは主体性を確立するため意識的に努力するとともに、各自の専攻する科学・技術分野において革新を起こさなければなりません。

 我々が技術革命と文化革命を力強くおし進めて社会主義建設をさらに促進するためには、多くの科学者と技術者が必要です。地質探査員の隊列ももっと拡大し、機械、電気、化学、農業など人民経済のすべての部門に、すぐれた技術者をより多く送らなければなりません。教育者は教授の質を決定的に高めて、有能な科学者、技術者を多数養成しなければなりません。

 社会科学の分野では、我が国の歴史と我が党の革命伝統をひきつづきたゆみなく研究しなければなりません。また、我が党がマルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用して解決した重要な理論的、実践的問題を深く研究し、我が国の革命と建設の合法別的発展過程を、理論的に十分解明しなければなりません。

 自然科学および技術学の分野では、我が国の天然資源を開発して、国内の原料で工業を発展させる研究をいっそう活発に、行わなければなりません。我々が努力きえすれば、自国の天然資源をもつてしても、十分によい暮らしをすることができます。いたずらに外国の資源をうらやむ必要はありません。

 経済の自立性を保障するためには、基本的に自国の原料に依拠する工業を建設しなければなりません。我々は、少なくとも工業原料の70%以上を国産で保障しなければならず、我が国で生産できない一部の原料だけを外国から買ってくるようにすべきです。

 こうするためには、科学者、技術者が、国内の原料源に対する研究をいっそう積極的に行い、少ない原料はもっと探し出し、ない原料はできるかぎりつくり出すよう努めなければなりません。

 我々が事大主義と教条主義に反対するからといって、大院君のように鎖国主義をとろうというのではありません。自分のものだけが一番だといって、人のものを謙虚に学ばないならば、発展できません。我が国の科学・技術を速やかに発展させるためには、外国の科学・技術の成果も積極的に取り入れなければなりません。我々は科学・技術の発展において、関門主義に反対すべきです。

 まだ、我々には外国に学ぶべきものがたくさんあります。

 我々は機械工学、電子工学、半導体工学などの諸分野で先進国より立ち後れています。原子力の研究分野でも、まだ多くの問題が解決されていません。我が国に核原料はいくらでもありますが、それを工業的方法で処理できずにいます。

 7か年計画期間に完成することにした多くの科学・技術上の問題もまだ解決していません。我々はマンガン鉄をつくる問題も、霞右からアルミニウムを生産する問題も解決していません。

 化学工業では、我が国に豊富なカーバイドを原料とする合成繊維や合成樹脂の生産を基本とすべきですが、外国から原油を輸入して化学製品をつくることも研究しなければなりません。もちろん、こういう問題については科学者や技術者もみな知っているとはいいますが、今すぐ、明日にでも石油精製工場を建設して化学製品を生産しようとすれば、技術的な難題が多いと思います。

 このほかにも、科学者や技術者が修得し研究すべき問題はたくさんあります。

 我々が解決できずにいる問題について、外国から学べるものなら、ためらうことなく学ぶべきです。外国の技術を取り入れるからといって、それに資本主義や修正主義がついてくるわけではありません。社会主義諸国から学ぶのはもちろんのこと、資本主義諸国から学ぶのも恐れる必要はありません。

 外国から科学・技術を学んでくるからといって、事大主義が助長されるわけではありません。他国から教わってでも、自国の科学・技術を早く発展きせさえすれば、かえって事大主義がなくなるでしょう。

 要は、どういう立場に立って外国のものを学ぶかということです。我々が外国から学ぶのは、他国を崇拝し、他国に従属するためではなく、進んだ国に追いつき、自国の自立性をいっそう強めるためです。

 我々は、既に科学において主体性を確立し、自己の強固な自立的経済土台をきずきあげました。今日、我々に必要なのは、外国の先進技術を取り入れて、我が国工業の部分的な欠点を補い、国の技術発展をいっそう促すことです。

 我々は、外国の技術をむやみに取り入れようというのではありません。自国のすぐれた技術はないがしろにし、他国の技術を取り入れるのは愚かなことです。我々は、あくまでも自力で解決しにくいものを学ぶべきであり、また、それを自国の実情に合うように取り入れなければなりません。外国の科学・技術を自国の実情に合わせて消化しないならば、何の役にも立たないばかりか、かえって悪い影響を与えるようになります。

 例えば、我々が外国の建築技術を取り入れて、朝鮮人の生活様式に合わない、使用価値のない家を建てるならば、それはむしろ技術を学んでこなかった方がましです。これは、ちょうどピアノを輸入して我が国の人には理解できない西洋の曲ばかりさかんに弾くようなものです。

 ピアノは発達した現代楽器です。朝鮮人も、自国の音楽を発展させるためには、必ずピアノをもたなければなりません。しかし、我々はピアノで西洋の曲ばかり弾くのではなく、朝鮮人民の情緒や感情に合った朝鮮の曲を弾くべきです。それでこそ、現代楽器であるピアノが朝鮮人民の生活を楽しくするのに役立つわけです。

 ほかの技術にしても同じことです。我々は、外国の進んだ技術を朝鮮人民の生活に合うよう、しかもそれが我々の革命と建設に役立つよう、十分に消化したうえで受け入れなければなりません。


3 幹部養成事業の質をいっそう高めることについて

 教育事業の改善において、何よりもまず、教員の資質を高めることが重要です。教員の水準を高めないことには、教授活動の質を高めることができず、我々が必要とするすぐれた技術者、専門家を養成することができません。技術者、専門家の水準が低くては、工業製品の質を高めることもできません。

 今、教員の水準が低く、我々の養成した技術者の能力が劣っているという人が少なくありません。我々は、このことについて明確な認識をもつ必要があります。

 幹部の資質が多少劣るのは、やむをえない事情によるものです。解放前の我が国の工業は極めて立ち後れたものであり、我々には民族技術幹部がほとんどいませんでした。我々の工業は、戦後数年のあいだに、近代的な大規模の工業に急速に発展しました。そこで我々は、短期間のうちに大勢の技術者、専門家を養成しなければなりませんでした。もし我々が、自己の民族幹部隊列を速やかにととのえなかったなら、破壊された工場、企業所を復旧することも、民族経済の自立的土台をきずくこともできなかったでしょう。

 もちろん、技術者の資質を高めるのも重要でしたが、それよりもさらに緊要な問題は、一定の数の技術者、専門家を早く養成して民族幹部の隊列を大々的に拡大することでした。

 一年でもよけいに大学で勉強させれば、我々の技師の資質がもう少し向上することはいうまでもありません。しかし我々の実情では、大学生を一年でも早く、もっと多く現場へ送りだすことが必要でした。それで我々は、資格をそなえた教員も多くはいませんでしたが、大学をたくさんふやし、また、養成期間も1年くりあげることにしました。

 新しい工場が次々と建設されているのに、工場を動かすべき人が大学で本ばかり繰っているわけにはいかなかったのです。それで黄海製鉄所の高炉が操業をはじめたときには、最高学年の学生を半年くりあげて卒業させる措置まで講じて送りだしました。

 もちろんこのために、大学卒業生の水準がいくらか落ちたことでしょう。

 しかし、我々がこうして、短期間のうちに民族幹部の大集団をつくりあげたことは、大きな成果だとみなすべきでしょう。現在、我が国の企業所はすべて、我々が養成した技術者、専門家によって運営されています。外国人の手で動かされている工場は一つもありません。高炉は金策工業大学の卒業生が動かしており、肥料工場は咸興化学工業大学の卒業生が動かしています。

 また、国家経済機関もすべて我々の幹部が運営しています。我々の計画化にはまだいろいろな欠陥がありますが、こういった欠陥は外国にもあります。それでも、我々の幹部が自力で計画を立てる方が、実情を知らない外国の顧問がやってくれるよりはましです。

 我々の技術者の資質が劣るとはいいますが、実際にはさほど劣っているわけでもありません。我が国の技術者は、自力でビナロン工場を建設し、高炉を復旧し、大きな発電所を建設し、最近では石炭ガス化工場も建てました。我々が建てた工場や、我々がつくった機械は、みな立派に動いており、生産でも高い能率をあげています。

 我々の技師は、大学を一年くりあげて終えたとはいえ、そのかわり生産現場でそれだけよけいに鍛えられたため、長所もたくさんあります。

 大学の課程を全部終えられなかったことを悔いる必要はありません。勉強は今後ともつづけなければなりません。技師が生産や建設で積んだ経験を生かしながらたゆみなく勉強すれば、立派な技術者に成長することができます。

 また、我々が自力で民族幹部を育成したのは、全く正しいことでした。外国に留学させて技術幹部を養成することもできます。しかし、外国へ留学させるには限度があります。多くの民族幹部をすべて外国へ送って養成するわけにはいきません。そればかりでなく、外国に留学した人が多ければ、経済建設で主体性を確立することも困難です。

 我々の民族幹部は、困難な環境のもとで我々自身が育てた人であるから、国の実情によく通じており、民族的自負も強く、党と人民に忠実であります。また我が国には、自力で養成した幹部が多いために、留学から帰った人をいくらでも消化できたのです。我々は、このように立派な民族幹部の大集団をもっていることに、大きな誇りをいだくべきです。

 もちろん、我々は今後とも民族技術幹部を多数養成しなければなりません。しかし、現在我々の擁する技術者の数は、決して少ないものではありません。既に養成した技術者を合理的に配置し、かれらをすべて適所で働かせれば、技術者が数のうえではさほど不足することはないでしょう。

 最近、国家建設委員会に出向いてみたところ、施工組織指導局に土木技術者や経済士は多いが、高炉や機械設備に明るい人は一人もいませんでした。工場の建設で施工組織指導局がその役割を果たすためには、土木技術者だけでなく、工業技術に明るい人も多くかかえていなければなりません。我々は、技術者の合理的な配置に細心の関心を払わなければなりません。

 我々は今後、技術者、専門家の隊列を量的にもひきつづき拡大しなければなりませんが、今、重要な問題は、インテリの水準をいちだんと引き上げることです。現在、幹部の科学・技術水準は、急速に発展する技術革命と文化革命の要請に後れをとっています。

 今日のように全般的に技術水準が向上した状況のもとでは、普通の技術をもった人は技術者だといえなくなりました。今日、技術者が技術革命と文化革命の先頭に立つためには、その水準を決定的に高めなければなりません。

 水準を高めるためには、教員、科学者、技術者が大いに勉強しなければなりません。

 幹部の最も大きな欠点の一つは、勉強をしないことです。勉強をしなければ、のらくら者になるほかありません。少々知識があるからといって勉強もせず、のらくらする人は、むしろ学校を出られなかった人よりも劣ります。我々は勉強をしない傾向と強くたたかって、教員、科学者、技術者の間にまじめな学習気風を確立しなければなりません。

 我が党は今、労働者の間でも、8時間労働し、8時間勉強し、8時間休息をとることを制度化するよう要求しています。インテリは、労働者よりも当然もっと勉強すべきです。

 勉強は金もうけのためではなく、革命をより立派に行うためのものです。こうした精神で取り組めば、勉強する時間をつくることもできるし、学習で能率をあげることもできます1

 教員の間で学習気風を確立するためには、高等教育省の幹部がまず模範を示さなければなりません。相や副相は、大学に出向いて講義をするのがよいでしょう。我々は、省の幹部ばかりでなく、党中央委員会の活動家も、大学に出向いて講義をするのが必要だとたびたび強調しました。

 これは、幹部に勉強をさせる極めてよい方法でもあります。幹部が学生のまえででたらめはいえないはずです。講義をするためには本も読むようになり、多くの問題を深く考えるようになるでしょう。

 科学院の学者も、必ず大学で講義をしなければなりません。これは、かれらの資質向上に大いに役立つでしょう。

 教員の間で方式講習を定期的に行うべきです。方式講習を上手にやれば、教員が学習するよう統制できるし講義の質を高めることもできます。方式講習に反対する人は、大学の教員に対しては統制が不必要だと考えているようですが、そうではありません。統制はだれにもみな必要です。統制があってこそ責任感を強めることができ、また人々が大勢寄り集まってこそ、互いに学び合い、見解の統一をみることができます。

 教員のあいだで学術討論会も広く行うべきです。これは学習の雰囲気をつくり、教員の知識をさらに深めるよい方法です。

 次に、高等教育省の活動家と大学の教員は、政治・思想水準をいっそう引き上げなければなりません。そのためには、何よりもまず、党政策の学習を強化しなければなりません。

 党の政策を知ってこそ、すべての問題を正確に解決していけます。どのような問題でも、個人の主観や小才に頼らず、必ず党の政策を基準にして解決しなければなりません。幹部が党の政策を知らずには、何も指導することができません。

 大学では、社会主義建設の各分野で仕事を直接指導する技術者、専門家を養成しています。それゆえ、大学生は党の政策を知らなければならず、かれらを教える大学の教員と、大学を指導する高等教育省の活動家は、だれよりも党の政策をよく知っていなければなりません。

 教育部門の活動家は、教育政策だけでなく、党のすべての対内対外政策に精通していなければなりません。そうしてこそ、党の要求どおり幹部を養成し、かれらを党の思想で武装させることができます。

 ところが今、教育部門の活動家は一般に、党の決定書がとどいても、自分の仕事に直接関連したものだけに目を通す程度にとどまり、党の意図を全般的に知ろうとは努めていません。党の要求する幹部を養成する責任を負っている人たちが、このように党政策の学習をおろそかにしてはなりません。

 今後は党内の各部署でも、教育部門の活動家を集めて、党で討議した社会主義建設に関する問題や国際関係に関する問題を適時に知らせてやらなければなりません。

 一部の人は、こうした集まりがたびたびあると講義に支障をきたすと考えるかもしれません。しかし、実際はこれが講義に大きなプラスとなるのです。党の政策も知らず、これといった方向もなしに、現実とかけはなれた講義をいくらしても、何の役にも立ちません。

 我々がかつて革命活動をしたときには、闘争方針の討議のために夜を明かし、食事を欠かすこともしばしばありました。教育事業においても同じことがいえます。教育部門の活動家は、党政策の伝達とか、それを学習する集いには睡眠時間を減らしてでも参加しなければなりません。そうして、すべての人が党の政策に精通しなければなりません。

 次に、大学をさらに充実させ大学生の水準を高めなければなりません。

 我が国には、今90余の大学があります。中央と各道にある多くの昼間大学を除いても、大きな工場には工場大学があります。このほかに、道都と大きな工場、企業所には共産大学とその分校があります。このように多くの大学を設立して、高等教育を速やかに発展させた党の方針は正しいものでした。

 しかし、このような過程には一連の欠陥もあらわれました。大学に大勢の学生を受け入れたので、なかには資格のない人もまじるようになりました。それで学校を中退する人もおり、卒業後にも民族幹部としての役割を果たせない人が少なくありません。これは国家的に大きな損失です。

 大学を急速に増やしたため、教員の隊列を質的に充実させるうえに支障があったし、学生の学習条件をととのえるうえでも難点がありました。

 また今では、以前のように多くの学生を募集するのが難しい事情もあります。工場や企業所では、生産で中核的役割を果たしているすぐれた人たちは、工場大学にはやっても昼間大学には送ろうとしません。それで、昼間大学では立派な学生を多く受け入れようとしても、その源泉が問題です。

 また、多くの大学生に奨学金まで支給して勉強させるので、国家の負担もたいへんなものです。そのうえ7か年計画遂行のために労働力が緊張していることも考慮しないわけにはいきません。一人でもよけいに生産に参加させなければならない我が国の現状は、昼間大学生の数を従来のようにひきつづきふやすことを許しません。

 そこで最近、党は、働きながら学ぶ教育体系をいっそう強化するとともに、昼間大学の学生数を減らす措置をとりました。無理に大勢入学させ、いい加減に教育して卒業させるよりは、数はやや少なくても、資格のそなわった人を受け入れ、責任をもって立派に養成する方がましです。また、こうするのが、今日の我が国人民経済発展の現実的要請にもかなっています。

 大学で教授活動を改善するためには、実験設備や必要な図書を備えなければなりません。

 実験設備や図書が十分あってこそ、教員と学生の資質を高めることができます。これまで国家が少なからず努力しましたが、大学や科学研究機関に必要な実験設備を十分に提供してやれませんでした。

 国家計画委員会では、実験設備の重要性を認めてはいるものの、外貨の不足を理由に、それを購入しなかったようです。外貨が緊張しているのは確かです。しかし科学・技術を発展させるためには、実験設備の購入に資金を惜しんではなりません。外貨が少しかかっても、科学院や大学になくてはならない実験設備は思いきって購入しなければなりません。まず、金大(金日成総合大学)や金策工大などの大学に、立派な実験設備を送ってやらなければなりません。

 しかし、科学機関や大学でみずから十分解決できるものまで国家に要請する、正しくない傾向とは強くたたかうべきです。

 自力更生のスローガンは、高等教育省と大学からまず実践しなければなりません。そうしてこそ、大学を出た技術者、専門家が自力更生の精神で工場、企業所を管理運営していくことができます。

 今、一部の工場、企業所に出かけてみると、自力更生の精神に欠けている人が少なくありません。

 数日前、私は平壌メリヤス工場を訪ねました。我々は勤労者にメリヤスを着せるため、大量の金と引き替えに外国から工場を買ってきました。ところが、この工場はいまだに独り立ちできない、かたわの工場です。

 この工場の幹部を集めて、提起する問題はないかと尋ねたところ、かれらは、国産の人絹糸は使えないからと外国の原料を購入してくれるよう要請し、甚だしいことには針まで外国から輸入してほしいといいました。

 高価な原料まで輸入してメリヤスを編んだのでは、採算が合いません。もし工場の幹部たちに自力更生の精神があるならば、どうあっても国内の原料を使おうとするはずです。まして、我が国でつくれる針まで輸入して使おうとはしないはずです。

 かれらはまた、染色職場を建てることや、ボイラーを設置することなども要請しました。ところが、染色はすぐそばの平壌紡織工場でやれるし、ボイラーは近くの機関や企業所のものを一緒に利用すればよいわけです。それにもかかわらず、かれらは国の事情は考えず、ただやたらに、国でやってくれることばかりあてにしています。かれらは、内閣首相というのは大きな袋をさげてまわり、何でも要求されるものを取り出してやる人だと思っているようです。それで私は、かれらに、自力更生のスローガンを張りだすばかりでなく、それを実践すべきだと、こんこんと諭しました。

 我が国の大学で養成した技術者が、工場に配置され息と難題を自力で解決しようとせず、このように何かにつけ外国からあれこれ買い入れようとばかり言うようになったのは、教育者がかれらを自力更生の精神で教育しなかったためです。

 大学では、実験器具や実験設備をできるだけ自力でつくるようにし、ここで教員が率先して模範を示さなければなりません。もちろん、必要な資材が乏しい状況のもとで、実験設備を立派につくるのは容易なことではないでしょう。しかし、それを神秘なものに思う必要はありません。自力でつくれるものは、大胆に取り組んで自分でつくるようにし、どうしてもつくれないものだけを外国から買ってくるようにすべきです。

 それから、実験器具や図書を共同で利用する制度をつくるべきです。大学では、科学院や工場にある実験器具や図書もすべて利用することができます。我が国は、地域もさほど広くないので、いくらでもそうすることができます。

 まず高等教育省が主人役をつとめて、我が国にある図書や機械、器具類を登録する仕事から始めなければなりません。今までこうした仕事をしなかったため、現在我が国にどんな実験器具や図書があるのか、だれもわかっていません。

 もし我々が、全国にあるすべての図書や実験器具類を登録して、それを共同で利用するならば、現在あるものだけでも講義や研究に大きなさしさわりはないはずです。

 次に、大学をいっそう整然とととのえるよう努力しなければなりません。もちろん、今、国で大学のためにつくつてやった条件が十分なものだとはいえません。しかし、与えられた条件のもとで、学園を整然とととのえていかなければなりません。

 大学生のほとんどは、軍隊生活をしたか、労働経験のある人たちです。また、教員もかなり鍛えられた人たちです。それゆえ、かれらを立ち上がらせるならば、大学を清潔に、文化的にととのえることができます。

 また、学生の大学在学期間に生活を几帳面にする習性をつちかっておけば、かれらが社会に出てからも、国の経済生活を立派にきずいていくことができます。

 大学教育は、学校教育としては最終課程です。したがって大学を出た人は、政治的思想的に、科学的技術的に武装するばかりでなく、生活も立派にきずいていける、全面的に準備のできた幹部とならなければなりません。

 工場に出かけてみると、大学を出たというのに工場のととのえ方も知らず、自分の住んでいる寮もこぎれいにできず、自分の身だしなみさえもきちんとできない人がいます。これもやはり、大学で学生をよく教育しなかったためです。

 教育部門の活動家は、国でつくつてやったあらゆる条件を十分に利用し、創意を発揮して大学の校舎や寮はもちろん、大学の周辺もきれいに手入れし、整然とととのえるよう、常に関心を払わなければなりません。

 高等教育を改善するために、大学に対する省の指導を強化しなければなりません。

 大学に対する指導において、官僚主義と形式主義を決定的になくさなければなりません。省では大学に出向いて欠陥ばかりほじくりだし、叱ってばかりいないで、このたび党中央委員会が工場、企業所を指導したように、指導メンバーは大学党委員会に属してその指導を受けながら、大学の仕事を実質的に援助しなければなりません。指導メンバーは教員、学生のなかに深く入って、かれらとともに、どうすれば大学で教授活動の質を高め、学生の学習条件をいっそう改善できるかを真剣に討議すべきであり、かれらを助けて懸案の問題を適時に解決してやらなければなりません。

 今後、高等教育省の幹部が大学を指導するさいには、多くの専門家を連れていくべきです。高等教育省管下の活動家だけでできない場合には、科学院やその他の機関から有能な専門家を動員することも必要です。そうしてこそ、大学の仕事を掘り下げていくことができます。

 相や副相だからといって、すべてにことごとく通じているわけではありません。大学の仕事を具体的に指導するためには、教員や学生たちとも話し合い、細胞会議にも参加すべきであり、講義も聞き実験室も見て回らなければなりません。そのためには、社会科学に明るい人、自然科学に明るい人、教授活動の経験の豊富な人たちが力を合わせなければなりません。

 このようにして、高等教育省は大学で政治生活を強化し、すべての教職員、学生を党のまわりにかたく結集させ、教授活動の質を高め、大学をいっそう充実させなければなりません。こうすれば、大学で党性と階級性が強く、知識が豊富で文化性の高い人材を育成することができるはずです。

 省党総会では、高等教育を改善するためのよい意見がたくさん出ました。このたびの会議を契機に、あらわれた欠陥を速やかに改め、党の教育政策を貫徹して、高等教育に新たな転換をもたらさなければなりません。


 (注)イルクーツク派 東シベリアに亡命した朝鮮人によって1918年11月に組織された「韓人社会党」が、その後2派に分裂し、1921年にイルクーツクで「高麗共産党」を組織したが、その分派集団をイルクーツク派と呼ぶ。

出典:金日成著作集 19巻

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