金 日 成

党の組織活動と思想活動の改善について
 朝鮮労働党中央委員会第4期第3回拡大総会での結語
 −1962年3月8日−


 1 党活動をいっそう強化することについて

 このたびの総会では、党活動をいっそう強化する問題について真剣な討議をおこないました。我々は何度も、この問題について会議も開き講習会もおこないました。

 党大会でも党活動にかんする問題が重要な問題として取り扱われました。第4回党大会の文献には、党活動でおさめた成果と経験が全面的に分析、総括されており、党活動の基本的方向と課題が明示されています。我々は、党活動で多くの貴重な経験をつみ、党活動は高い水準に発展しました。

 しかし、これに満足することはできません。こんにち我々には、困難で膨大な革命課題が提起されており、これにふさわしく党活動をいっそう改善することが緊急な問題となっています。特に、今回の黄海(ホワンへ)南道党委員会にたいする党中央委員会の集中指導をつうじて、いまなお党活動には改めなければならない点が非常に多いことがわかりました。

 総会の報告と発言のなかで党活動の重要な問題が詳しく分析されたので、私はただいくつかの重要な問題に限ってもう一度強調したいと思います。

 すでに何度も述べたように、党活動とは党をしっかりとかためて強固なものにするとともに、党勢をたえず拡大発展させ、党組織を正しく動かしてマルクス・レーニン主義的政党としての戦闘的機能を十分に発揮させる活動であります。一言でいえば党の隊列をしっかりとかため、その戦闘的機能を十分に発揮させることが党活動であります。

 レーニンとスターリンが正しく規定しているように、マルクス・レーニン主義の党は労働者階級の先進的部隊であり、組織的部隊であります。

 労働者階級は、搾取階級との激しい階級闘争の先頭に立ってすべての勤労者階級を指導していく前衛部隊を切実に求めるようになります。こうして労働者階級のなかで、革命性が強く闘争経験が豊かで理論水準の高いすぐれた人たちが階級闘争を指導し、その闘争をいっそう成功裏に進めるために組織した戦闘部隊がすなわち党であります。このような労働者階級の前衛部隊が、思想、意志と行動の統一を保ち、敵とのたたかいで勝利するためには、すべての構成員が一つの原則のもとにしっかり組織されなければなりません。それゆえレーニンは、党の組織原則を明らかにしながら、いかなる党員でも必ず党組織の一員とならなければならず、党員としての義務を実行しなければならないと強調しました。

 このように、党は、労働者階級の先進分子によって構成された組織であります。したがって、党が健全であるためには、党を構成している一人ひとりの党員が健全でなければならず、すべての党員が党の組織原則に従って活動するようにすることが大切であります。すべての党員が党の組織原則に従って立派に活動するようになるとき、党は強力な不敗の党となり、自己に提起された革命の任務を成功裏になし遂げることができます。したがって党活動の基本的な環は、まず党員が党生活を忠実におこなうように指導することにあるといえます。

 周知のように、党員は入党するとき、党の綱領と規約を承認しなければなりません。我が党に入党しようとする人は誰であれ、党の綱領と規約に従って、党組織が与える戦闘的任務を必ず遂行することを誓ってはじめて党員になれるのです。党員は、入党したその日から党組織に所属し、党組織の与える任務を実行しなければなりません。

 党員の党生活は、党組織に加わったそのときから始まります。党生活とは、党員が党から与えられた任務を遂行する活動をいうのであります。それは、党員の政治生活であり革命活動であります。我々は、常に革命家的気風を確立すべきであるといっていますが、革命家とはなにも特別な人間ではありません。党員が、党の規約に従って党から与えられた革命課題を立派に果たすならば、かれらは革命家としての任務をまっとうしているのだといえます。

 我が党の規約には、党員の果たすべき革命任務が明示されています。みなさんは、我が党の規約に党員の義務についてどのように規定されているかをもう一度見るのがよいでしょう。我が党の規約は、党員の義務について次のように規定しています。

 「1) 党員は、祖国の統一と社会主義および共産主義建設のために積極的にたたかい、社会主義祖国をしっかりと守らなければならない。
 2) 党員は、党の革命伝統を深く研究、体得して、それを継承発展させ、我が党の思想体系で確固と武装し、党中央委員会のまわりにかたく団結してそれをしっかりと守り、セクト主義、地方主義、家族主義に反対して強くたたかい、党の統一と団結をかたく守らなければならない。
 3) 党員は、党に限りなく忠実であり、党の路線と政策を無条件に受け入れて徹底的に擁護し、それを正確に貫かなければならない」

 そしてこのほかにも、党の規約には、党員の政治・実務水準を高めマルクス・レーニン主義の理論で武装する問題、大衆との結びつきを強化し大衆の模範となる問題、たえず党性を鍛え、党の利益を個人の利益よりいっそう尊重する問題など、党員として必ず遵守すべき規範がすべて規定されています。

 このように党の規約には、党員がどんな革命課題をいかに遂行すべきかが明示されています。したがって、党員がどのようにたたかうべきかを知るためには、党の規約を研究しなければなりません。党の規約に定められた課題をすべて立派に実行しさえすれば、すぐれた革命家になれます。

 すべての党員が規約上の義務を実践するようになれば、その党は、最も強固な革命的な党となり、革命課題の遂行で大きな成果をおさめることができます。

 それゆえ、党活動で最も重要なのは、党員が党規約の要求する方向にそって党生活をおこなうよう指導することであります。これに神秘的なものはなにもありません。党員が党の規約どおり行動するようにすれば、すべてのことが解決されます。

 党員の党生活は、党組織をつうじておこなわれます。党員は誰でも、党の基礎組織である細胞に所属して党生活をしており、一部の党員は党委員会にも属して党生活をおこなっています。例えば、里党委員は、自分の所属している細胞または分細胞で組織生活をするとともに、里党委員会からも一定の任務の分担を受けて組織生活をすることになります。したがって、党員に党生活を正しくおこなわせるためには、すべての党員が属している細胞と、一部の党員が属している党委員会をよく動かすことが大切です。

 党内活動は結局、党員との活動、幹部との活動、党細胞との活動、党委員会との活動に帰着するといえます。党細胞と党委員会が、すべて強固となり、それらがすべて党の機能を十分に発揮し、すべての党員が一人残らずよく動くようになれば、全党が強化され、革命課題を遂行するうえで党は前衛的役割を立派に果たせます。

 周知のように、我が党は、政権党として我が国の革命に全面的に責任を負っており、全国いたるところに党の力量を配置しています。

 我が党の細胞は、工場、鉱山、農村、漁村、軍隊、学校、保健医療機関、文化機関など、どこにも組織されています。内閣、省、人民委員会、経済委員会のような国家機関にも党委員会や党細胞などの党組織があります。大衆のいるところには党員がおり、党員のいるところには必ず党組織があります。

 したがって、いたるところにある党細胞や党委員会がその機能を十分に発揮するようになれば、革命戦線のそれぞれの単位で党員と大衆がよく動き、党の提起した革命課題が成功裏に遂行されることは明らかです。

 もし、軍隊内で党細胞が活発に動けば軍隊の戦闘力は強化され、戦闘を立派におこなえるようになるでしょう。農村で党細胞が活発に動けば農民の自覚が高まり、農業もうまくいくはずです。工場で党細胞が活発に動けば労働者の生産意欲が高まり、生産課題は成功裏に遂行されるでしょう。作家、芸術家のあいだで党細胞が強化されればすぐれた作品が生まれ、文学・芸術が急速に発展するでしょう。一言でいえば、党組織がよく動き、党員が積極的に活動すれば党活動はうまくいくものであり、党活動がうまくいけば、すべての問題が順調に運ぶのであります。

 党は、革命の参謀部であります。党活動を立派におこなうということは、革命の参謀部の活動を立派におこなうことを意味します。

 レーニンは、党は労働者階級の最高形態の組織であると述べています。労働者階級は革命をおこなうために、人民委員会をはじめ、各級国家機関と職業同盟、民青、女性同盟などの勤労者団体の組織をもっています。党は、労働者階級がもっているこれらすべての組織のうちで最高の組織であり、これらすべての組織を指導し動かす参謀部であります。

 みなさんは「党は、朝鮮人民の嚮導的力量であり参謀部である」といっていますが、ここで参謀部という言葉は、決して党中央委員会だけをさすのではありません。すべての党組織が、それぞれの部門で参謀部の役割を果たします。ところで党組織と党員はどこにもあります。したがって、党活動を立派におこなうならば、あらゆる分野で参謀部の活動が正しくおこなわれ、すべての党組織と党員がその役割を立派に果たし、労働者階級のすべての組織と勤労大衆が動くようになって全般的な事業が立派に解決され、いたるところで輝かしい成果をかちとることができるでしょう。

 それでは、党活動を正しくおこなうためになにが必要でしょうか。

 党員が党の任務を立派に果たすように指導することが最も重要であります。細胞に所属しているすべての党員が各自に分担された党の任務を立派に遂行すれば、細胞はその役割を十分に果たすことができるし、委員会においても委員たちが各自に分担された任務を立派に遂行すれば、委員会はその活動を成功裏に進めることができます。

 しかし、党員にその任務を十分果たさせることは、決して容易なことではありません。

 党は先進分子の組織ではあるが、そこにはいろいろな人が集まっています。そのなかには、革命的自覚の高い人もいれば少し低い人もおり、能力のまさっている人もおれば能力の劣っている人もいます。また気が短くて動作の敏捷な人もいれば、のろい人もいます。このように相異なる人々が共同の目的のために、力を合わせて立派にたたかっていけるようにするためには、日常的に党員との活動をおこなわなければなりません。

 党員はたびたび会議を開き互いに批判もし、立ち後れた人を導き、よく理解していない人にはよくわかるように教えてやり、怠ける人はまじめに働くようにさせなければなりません。このようにして、全党員の思想、意志と行動の統一を保つようにすべきであります。党員は、組織から与えられた任務をどのように実行したかについて、党組織に報告し、再び新しい任務を受け、互いに経験を交流し、活動をいっそう前進させる対策も立てなければなりません。

 このような活動をどこでおこなうのでしょうか。それは、細胞および委員会でおこないます。細胞や委員会は、党員がいつも党の任務分担を受けてそれを実行するようにし、さらに新しい任務を与えて、その実行を指導し援助する組織活動をおこなわなければなりません。

 党員が、このように党組織から党の任務分担を受けて、その実行状況を報告し、さらに新しい任務を受けてそれを遂行することがとりもなおさず組織生活であります。

 まだよく理解していない人たちは、党員が集まって会議をもつことだけが組織生活であって、そうでないときには組織生活をしていないかのように考えていますが、これは間違っています。集まって仕事を討議することだけで、党活動のすべてが解決されるものではありません。会議で仕事を討議し、新しい方向と任務を受けてそれを遂行すれば、党員が革命の任務をまっとうしたことになり、組織生活を忠実におこなったことになります。したがって組織生活で重要なのは、会議よりも個々の党員が分担された党の任務を立派に実行することです。

 党員が集まって会議をするときにも、会議が終わってすべての党員が各自に分担された任務を遂行するときにも、党生活は中断されず、党員にたいする組織の指導と統制はつづきます。細胞は、各党員が党の立場に立って分担された任務を正しく実践しているかどうかを監督し、指導、統制しなければならず、委員会は委員たちが仕事をどのようにしているかを常に指導しなければなりません。下級党委員会がどのように活動しているかについては、上級党委員会が監督しなければなりません。

 各党員の活動状況は党細胞が点検し、党細胞の活動状況は郡党委員会または工場党委員会が点検し、郡党または工場党委員会は道党が、道党は党中央が点検し、党中央委員会では委員長と政治委員会が全党を指導し動かす仕事を受け持ちます。

 こういうふうにして、党中央から個々の細胞の党員にいたるまで、全党がたえまなく動きたえまなく党活動をおこなうのであります。

 党活動が正しくおこなわれているかどうかを評価する基準は、結局、党組織がどのようにかためられているか、党組織と党員がよく動き、党から与えられた任務を正しく遂行しているかどうかということにあります。

 黄海南道の党活動に誤りがあるというのも、このような基準にてらしていうのであります。黄海南道では、党委員会が正しくかためられていないし、よく動いてもいません。一部の党委員会は、会議もまともに開いておらず、甚だしくは半年ないし一年間も党会議を開かず、活動の総括さえおこなっていません。言いかえれば、党組織がよく動かず、その戦闘的機能を果たしていません。

 党を強化し、党を動かす活動を主におこなう部署はどの部署でしょうか。それは、組織部と宣伝扇動部であり、特に組織部がこの仕事をおこないます。党活動がうまくいくかどうかという問題は、党委員長と党委員会の活動に多くかかっており、特に、党組織部の役割に大きくかかっています。黄海南道で党活動がうまくいかなかったのも、党委員長と党委員会が活動を立派におこなわず、特に組織部と宣伝扇動部が活動を十分におこなわなかったところにその原因があります。党活動を強化するうえで、党の組織部と宣伝扇動部の活動を強化することが極めて重要であります。

 組織部では、党員の党生活を日常的に指導しなければなりません。そうでないと組織生活が緩み、党員のあいだに悪い傾向があらわれるようになるでしょう。マルクス主義の弁証法は、あらゆるものが変化すると教えています。我々の事業もたえず変化し、人々の意識も変わります。昨日までよかった人もきょうは悪くなったり、昨日の勇士がきょうは卑怯者になったりすることもあるのです。ある人が以前によかったから、いまも絶対に変わるはずがないと考えるのは、マルクス主義的な観点ではありません。幹部にたいしても、このような幻想的な見方をしてはなりません。

 党員はすべて意識的な人間ではありますが、絶対的に準備のできた完全無欠な人間というものはありません。誰でも自己修養を怠れば誤りを犯しかねないし、間違った方向に進むこともありえます。

 我々はいま、アメリカ帝国主義と直接対峙してたたかっています。外部から資本主義的影響が浸透してくることもありえます。アメリカ帝国主義者は、共産主義が悪いとしきりに宣伝しており、共産主義者をなくしてしまうとたえず脅かし圧力を加えています。

 また内部を見ても、我々には資本主義的毒素が多く残っています。くつがえされた地主、資本家の残存分子がいまなお息づいており、かれらのまき散らした思想的毒素が残っています。外からの圧力と内部に残っている敵対的要素とが結びついて動揺が起きることもありうるし、保守主義と消極性、安逸と腐敗を生みだすこともありえます。

 普通、我々は空気を吸って健康に暮らしていますが、空気のなかにはほこりや悪いばい菌もたくさんあります。常に衛生に留意し体を清潔にしなければ、あかがたまり悪い病菌に犯されかねません。人々が衛生に気をつけ、体育に励んで体をよく鍛えれば、薬を使わなくても十分健康を保つことができます。

 組織部が、党員や幹部に心の緩みが起こらないように常に教育し、批判を与え、党規約どおり党生活を忠実におこなうように指導するならば、かれらは病にかからないでしょう。間違った方向に進んでいる人にたいして適時に批判を与えるのは、顔の汚れを洗いおとしてやるのと同じことです。あかがたくさんたまると病気にかかるおそれがあります。

 組織部は、党員の党生活を強化し、革命課題を遂行する実践闘争をつうじて党員や幹部をたえず鍛え、かれらをいかなる風波のなかでも動揺することなく、党と革命のために断固たたかう真の革命の闘士に育てあげなければなりません。

 郡党の組織部や工場党の組織部は、自分の指導する細胞がどのようにかためられており、どのように動いているかを見なければなりません。

 細胞のなかには、強力な細胞もあれば弱い細胞もあります。弱い細胞は強力な細胞に変えて、すべての細胞がその機能を十分に発揮するようにしなければなりません。人体の場合でもある部分の細胞が弱くなれば、そこにできものができたり炎症を起こしたりします。これと同じように党が細胞をしっかりかためれば党が健全になれるのです。したがって、郡党や工場党の組織部は、細胞をかためる活動から始めなければなりません。

 党の細胞が、党員の資格をそなえた人たちでかためられているか、党の与える任務を立派に果たす党員でかためられているか、共産主義意識が高く革命性の強い党員が何人いるか、細胞を動かしうる中核分子がいるか、などを正確に把握したうえで細胞を強化する対策を立てなければなりません。

 特に我が党は急速に大衆的政党に発展したため、党員のなかにはいまなお共産主義意識で十分に武装していない人もおり、党員の水準はまちまちであります。したがって、細胞を動かしうる中核をかためることが重要な問題として提起されます。組織部は、すべての細胞にその細胞を導く能力のある中核分子が入るように党の力量を配置し、こうした中核分子をたえず育成するために努力しなければなりません。

 組織部は細胞の構成を改善するとともに、健全な細胞生活をおこなうようにするために努力しなければなりません。

 細胞生活が健全であるということは、細胞が革命課題を正しく遂行し、細胞を強化するための党内活動を立派に進めていくことを意味します。党の規約にも指摘されているように、党は祖国の統一と社会主義建設のためにたたかっています。言いかえれば、党は革命課題を遂行しているのであります。したがって、細胞生活が健全であるたれには、まず細胞が与えられた革命課題を立派になし遂げるようにしなければなりません。細胞では、与えられた経済課題を遂行するために、しばしば討議し、党員に任務の分担をおこない、適時に活動状況を総括しなければなりません。細胞では、経済・文化建設の課題ばかりでなく、政治闘争の課題も遂行しなければなりません。反動階級との階級闘争をおこない、大衆を教育改造し、党のまわりに結集する活動もおこなわなければなりません。したがって組織部は、細胞が経済課題を遂行するためにどのように活動しているか、政治生活をどう組織しているかについて点検しなければなりません。

 細胞は、党員の党性を鍛練し、政治・意識水準と実務水準を高めるためにたえず努力しなければなりません。組織部では、細胞が批判と思想闘争と政治教育活動をどのようにおこなっているかを常に点検し指導すべきであります。

 かりに、細胞が階級の敵との闘争をおこなわず、党勢を拡大強化する活動、反動思想の浸透に反対し、党員の党性を鍛える活動もおこなわずに、農作だけをよくやるために活動したとすれば、その細胞生活は健全であるとみなすことができません。また、社会主義建設の課題は実行せずに、始終反動階級との闘争問題ぽかり討議したとしても、これも健全な細胞生活だとはいえません。そして、冷床苗を適時に移植し草取りをよくおこなう問題だとか、地主階級を孤立させ、大衆を結集させる問題について何度討議しても、政治学習や共産主義教育を十分におこなわず、党隊列をかためる活動を正しくおこなわなかったとすれば、やはり細胞生活は健全でありません。

 組織部は細胞生活が健全におこなわれるように、細胞生活にあらわれるいろいろな欠陥と偏向をそのつど改めさせ、すべての細胞がある一面にかたよることなく革命課題の遂行と党内活動、大衆との活動をすべて立派におこなうように指導すべきであります。

 組織部はまた、各級党委員会がどのようにかためられ、どのように動いているかを常に検討しなければなりません。道党組織部は郡党委員会と工場党委員会を見、郡党組織部は里党委員会と細胞委員会を見なければなりません。

 かりに、道党組織部が、工場党委員会の構成を見るとすれば、委員会が工場に課せられた革命の任務を十分遂行できる人たちでかためられているかどうかを検討しなければなりません。理論幹部がいるか、技術幹部がいるか、革命性の強い人が何人ほどいるかを調べなければなりません。党政策の実行を正しく組織し指導するほどの党性と実務能力をそなえた人たちが委員会に加わっていないとすれば、その委員会は正しく構成されたものではありません。

 これとともに組織部では、委員会が正しく活動しているかどうかを見なければなりません。委員会が経済活動についてどのように討議し、党の組織活動と思想活動についてはどういうふうに討議したか、また赤衛隊の活動はどのようにしており、反動分子とのたたかいをどう進めているかを全面的に検討してみなければなりません。

 黄海南道党委員会は、他の仕事は全部そっちのけにして、冷床苗を50%保障し、堆肥をヘクタール当たり50トンずつ施すようにすることなど、農作にかんする問題ばかり取り扱いました。これは、道党委員会がその機能を十分に果たせなかったことを示しています。

 委員会が会議を何回か開くことで、その機能を十分に果たしているとはいえません。党委員会は提起された革命課題を全面的に掌握し、その管下にある党組織と党員、国家機関と勤労者団体などすべての革命力量を党政策の貫徹にふるいたたせ、革命の参謀部としての機能を果たさなければなりません。

 道党組織部や郡党組織部では、下級の党委員会が正しく構成されているか、その委員会がそれぞれの単位で革命の参謀部としての機能を十分に果たしているかを、常に点検し、委員会の構成を改善し、その機能を強化するための指導をおこなわなければなりません。

 党中央委員会の組織指導部と組織担当副委員長は、道党委員会と郡党委員会が正しく構成され、正しく動いているかを見なければならないし、全党の隊列が強化され、常に活動するように指導しなければなりません。

 このように組織部は、党員の党生活と党委員会や党細胞など党組織の活動を指導する部署であります。組織部は、党の隊列をたえず整備、強化する隊列部であり、党生活を強化する党生活指導部だといえます。黄海南道ではまさにこの部署の活動がうまくいかなかったために、党活動の全般にわたって多くの欠陥をまねきました。

 組織部は本来の任務を果たすべきであるのに、やれ作業動員だの、資材の供給だの、会議の組織や統計の作成だのといって、総務部や文書部のような役割をつとめています。

 人民委員会には、統計部もあり、計画部もあり、資材部もあるのに、なぜ、わざわざ党の組織部がこうした仕事をしなければならないのでしょうか。なぜ、組織部長が報告をおこなわないことには気がすまないのでしょうか。

 組織部が本来の任務を果たさず、余計なことにばかりかかずらっていたために、党隊列をしっかりかためることができず、思想的な病にかかった人を適時に見つけだすこともできなかったのです。それで病が重くなった人は、薬だけでは治せなくなり、やむなく手術までしなければならないようになりました。病にかかった幹部や党員は、はじめから悪い人だったのではありません。適時に教育せず日常的に指導しなかったために、よい人たちが過ちを犯し変質してしまったのです。

 組織部が党員や幹部との活動をよくおこなおうとつとめても、病にかかる人がありえます。人々が病にかからないよう予防対策を立てなければなりませんが、患者を速やかに見つけだすことも大切です。

 組織部は、人々が悪い病におかされてはいないだろうかと、たびたび診察してみなければなりません。診察してみて、この人は皮膚病にかかっている、あの人は呼吸器が悪くなっているというふうに正しい診断をくだすべきです。このような診断にもとづいて処方し、薬を与えなければなりません。

 もし、党委員長や組織部長が、党員のなかから病にかかった人を見つけだし診断をくだす医師だとすれば、宣伝部は病にかかった人に薬を調剤してやる薬剤師のようなものだといえるでしょう。

 かりに、資本主義を恐れる人があらわれたとすれば、かれに資本主義は必ず滅亡するということをよく教えなければならず、保守主義や消極性、神秘主義、経験主義のような悪い病にかかった人には、労働者階級の革命精神を吹き込まなければならないでしょう。ビタミンAが足りない人にはビタミンAを、ビタミンBが足りない人にはビタミンBを与えなければなりません。マルクス・レーニン主義の古典を読ませる必要のある人には古典を与え、我が党の政策や決定、指示にうとい人には我が党の文献を読ませ、文学作品を必要とする人には文学作品をあてがわなければなりません。こうしたことが、病にかかった党員を治す薬であります。

 宣伝部は、組織部と同じように党内活動を担当する部署であります。

 宣伝部の第1の任務は、党員を教育することです。

 宣伝部はすでに病にかかった人に薬を調合して与えるばかりでなく、党員が悪い思想にそまらず、革命課題の遂行でいつも積極性を発揮するように、予防薬や強壮剤を与えなければなりません。

 政治教育においては、党の政策がまさにこのような強壮剤にあたります。すべての党員を党の政策でしっかりと武装させれば、悪い思想は侵入できず、党員は健全な党生活をおこなうようになるでしょう。

 党政策の教育は、すべての党員に必要であります。一部の人は、幹部はすべて準備のできた人たちであるから、党政策の教育は不必要だと考えるかもしれませんが、これは大きな誤りです。みなさんがきのう発言したように、幹部のなかにも政治理論水準の低い人が少なくありません。幹部にたいしては、教育をもっとおこなわなければなりません。幹部は、マルクス・レーニン主義理論と党政策をもっと深く知らなければならず、共産主義思想でいっそうしっかりと武装しなければなりません。

 一部の人たちは、扇動演説を一席ぶち、映画を一本上映して、それで宣伝活動を全部すませたかのように考えていますが、これは扇動活動であって宣伝活動ではありません。党の宣伝活動とは、党員をマルクス・レーニン主義の思想と理論で教育し、党の政策で武装させる活動であります。宣伝部では、この仕事を基本的な活動としておこなわなければなりません。

 党員にたいする教育は、実情に合わせておこなわなければなりません。教育活動は、必ず党員の水準に合わせておこない、党員の当面した革命の任務と結びつけ、また、地元の実情に即しておこなうべきです。革命がなんであるかを理解しはじめた人に、最初から難しい理論を教えてもなんの役にも立ちません。単純で身近な生活上の真理から始めて、しだいに難しいことを教えなければなりません。

 例えば、水準の低い党員には、階級とはなんであるかを解説することから始めて、階級があればどうして階級闘争が起こり革命が起こるかを教え、いま我々がおこなっている活動がまさに革命事業であり、階級闘争であることを明確に理解させなければなりません。こうしてすべての人に、いま我々はなんのためにたたかっており、それがどういう結果をもたらすかをはっきりと理解させるべきであります。

 宣伝部の第2の重要な任務は、扇動活動であります。

 扇動活動は、大衆の気勢をもりあげ、かれらを革命課題の遂行へ直接ふるいたたせる活動であります。扇動活動も千編一律におこなうべきではなく、時間と条件、革命の任務に合うようにおこなわなければなりません。

 例えば、扇動員は突撃戦を準備している軍人たちの前で、李寿福(リスボク)英雄が祖国と人民のために、どのように勇敢に戦って敵を撃滅し、我が軍の勝利を保障したかについて扇動することもできます。これは、兵士を英雄的闘争へとふるいたたせるうえで大きな助けとなるでしょう。

 ところが、突撃戦の準備をしている人たちを前にして、後方では食糧事情がどうなっているといったようなことをいったのでは場ちがいであり、それはなんらの効果もおさめられないでしょう。田植えのときには田植えにふさわしく、取入れのときには取入れにふさわしくし、工場では労働者に合うように、農村では農民に合うように扇動活動をおこなわなければなりません。

 宣伝扇動活動が現実と結びつかないために、党員に多くの無益な負担をかけています。読めといって文書をさかんに送りとどけ、会議もしばしば開きますが、それが党員の意識水準を高め、党員たちを革命課題の遂行へ直接ふるいたたせるうえでたいして役立っていません。

 黄海南道に行ってみると、そこでは党員と幹部にたいする教育活動はおこなわないで、ただ大衆にたいする扇動活動を少しばかりすることで、宣伝扇動部の任務を果たしたかのように考えていました。ところが、その扇動活動さえもうまくおこなわれませんでした。

 宣伝扇動部は、幹部と党員が事物をマルクス・レーニン主義的に分析して問題を解くことができるように教育すべきであり、かれらをいつどのような状況のなかにあっても、党の任務を間違いなく貫く不屈の革命家に育てあげなければなりません。これが、宣伝部の最も重要な任務であります。

 それでは、重工業部、軽工業部、水産部、農業部のような党の経済部署ではどのようなことをすべきでしょうか。

 経済部署も、やはり党活動、対人活動をおこなわなければなりません。経済部署は、それぞれの部門で対人活動を立派におこない、幹部と大衆を動かして党政策を貫くようにしなければなりません。

 経済部署の活動で第一に重要なことは、経済機関の幹部との活動であります。

 教育部では学校の校長や教員との活動を、工業部では支配人、技師長および職場長との活動を、農業部では農業協同組合管理委員長や郡経営委員会委員長との活動をおこなわなければなりません。

 経済部署では、幹部たちに党の政策を教え、その実行状況を監督し、指導し援助すべきであり、活動を適時に総括すべきであります。経済部署では、幹部たちをマルクス・レーニン主義でたえず教育し、かれらの活動作風と活動方法を改めるために努力しなければなりません。

 ところがいま、党の経済部署では、党活動、すなわち対人活動をおこなうのではなく、経済関係の省、管理局の幹部たちとともに現場監督の役をつとめて歩き回っています。かれらが工場に行くのは、支配人や技師長と話し合い、かれもを教育するためではなく、行政機関の幹部と一緒になってもっぱら人々をかりたてるためです。

 党中央委員会の経済部署からして幹部との活動を主とするのではなく、行政活動を代行しているので、下部でもそれを見習っているのでしょう。

 党の部署は、党活動をおこなわなければなりません。組織部と宣伝部では党活動家との活動をおこない、経済部署では経済機関の幹部との活動をおこなわなければなりません。こうして、すべての機関の党活動家と経済幹部がすべて動くようにしなければなりません。

 党の組織部、宣伝部、経済部署は、すべて党活動を主とし、幹部との活動を第一義的な活動とみなし、党組織と党員を動かすことに全力を傾けなければなりません。このたびの総会で解決しようとする問題の中心は、まさにこの点にあります。

 ここで、経済活動をどのようにおこなうべきかが問題になります。言いかえれば、党のすべての部署が党活動のみに力を傾けるならば、果たして経済活動を保障することができるだろうかということが問題になります。

 党が経済活動をしてはならないというのではありません。道党委員会、郡党委員会、その他すべての党委員会が、経済活動に全面的に責任を負わなければなりません。工場党委員会は工場の生産に責任を負い、省党委員会は省の活動に責任を負わなければなりません。

 我々はいま祖国を統一し、社会主義を建設するという二つの革命の任務を遂行しています。党規約にも示されているとおり、この任務を遂行するために党を組織したのであり、この任務を遂行するために党がたたかっているのであり、この任務を遂行するために党の戦闘的機能を高めるのであります。一言でいえば、党は革命をおこなうための組織であり、革命の任務を遂行するためにたたかう部隊であります。

 そうであるのに、党がどうして経済建設をおこなわずにいられるでしょうか。党委員長が、組織部だけをかかえて座っていてもよいというのではありません。

 それでは、党は経済活動をどのようにおこなうべきでしょうか。

 党は、経済活動を代行するのではなく、指導しなければなりません。党は、経済部門の党組織と党員を動かし、かれらを指導して党の要求する方向で経済活動を保障しなければなりません。私がいつも言っていることですが、党活動家は経済課題の遂行において舵取りの役割を果たさなければなりません。党活動家は、経済幹部が党の路線にそって正しい方向に進んでいけるように、後ろで舵を取るべきであります。

 後ろで舵を取るからといって、行政のしんがりについてまわれというのではありません。緊急な場合には、党委員長が先頭に立たなければなりません。パルチザンでは、政治活動をおこなう政治委員が進撃するときには先頭に立ち、後退のさいにはしんがりをつとめました。党活動家はいつでも、率先して緊急なところを担当しなければなりません。

 重要なのは、党活動家が先頭に立とうが後ろに立とうが、舵を取ることであります。党活動家は、常に党の政策を堅持して党員と党組織を動かし、正しい方向に人々を導いていかなければなりません。

 それでは、党活動家が蛇を取り指導をおこなううえで、まず留意すべき点はどういうことでしょうか。

 党活動家の指導は、行政的、命令的であったり号令的ではなく、組織的、具体的かつ動員的でなければならず、党的な方法でおこなわなければなりません。党的な方法とは、党員と党幹部、党委員会、党細胞などを動かして仕事を保障する方法であります。

 軍隊では、指揮官が「前へ進め!」と号令をかけるだけでよいのです。これにはなんの説明もいりません。

 しかし、党活動家は、号令をかけるべきではなく、目標を具体的に親切に教え、目標に到達するために是非とも必要な仕事を組織してやらなければなりません。したがって、軍事指揮官より政治指揮官のほうがもっと骨が折れます。

 かりに、戦闘を明日にひかえているとすれば、政治幹部と参謀長は夜通し戦闘準備を進めなければなりません。参謀長は、綿密な戦闘計画を立て、すべての戦闘員に具体的な任務分担をおこなわなければなりません。そして政治幹部は、個々の隊員が戦闘任務を立派に果たすよう、必要な政治活動をおこなわなければなりません。

 黄海南道では、みなが軍事指揮官の役をつとめるばかりで、仕事を保障する人がいません。政治活動をする人も参謀をつとめる人もおらず、誰もかれも「前へ進め!」と号令をかける人ばかりです。具体的な仕事の手配も動員活動もせずに、ただ号令をかけるだけでは仕事がうまくいくはずがありません。

 かりに、堆肥を運び出す課題が提起されたとすれば、党組織はまず人々にその任務について十分に理解させ、党員を動かさなければならないし、この仕事を保障するための綿密な手配をしなければなりません。

 党は、この仕事を政治的にも保障し、組織的にも保障しなければなりません。政治幹部は、保障活動を正しくおこなわなければなりません。命令する方法でなしに、解説と説得の方法で人々を思想的にふるいたたせ、闘争を組織すべきであります。

 黄海南道党委員会は農業を指導するにあたって、道人民委員会の仕事を政治的に保障したのではなく、行政機関と一緒になって人々をかりたてる仕事ばかりしました。道党委員長と道人民委員会委員長が、それぞれ後ろと前に立つのではなく、二人とも前に立って一人は左の方へ、一人は右の方へかりたてたものですから、仕事がなおさらうまくいかなかったのです。

 行政的なやり方でかりたてる方法は、古い活動方法であります。人民委員会も号令する方法で仕事をしてはいけません。党が、経済活動を党的、政治的、組織的に保障するとすれば、人民委員会は物質的、技術的に保障しなければなりません。

 軍隊でも、号令の方法をやたらに要求しているのではありません。軍隊でも、組織的、技術的に保障する活動をおこなわなければなりません。こんにち、号令ばかりかける軍事指揮官は、人民軍を指揮することはできません。これは、すべて古い時代の遺物です。保障活動とかけはなれた指導などありえません。仕事を正しく指導するためには、あらゆる分野で保障活動を立派におこなわなければなりません。

 次に党活動家が指導上注意すべき点は、主観主義に陥らないようにすることです。党活動家は、事物を客観的に見なければなりません。客観的に見るということは現実をあるがままに見るということですが、これは下部に行って実情を具体的に理解することを意味します。

 行政的な方法で仕事をすれば現実にうとくなり、大衆から浮き上がって主観主義に陥るようになります。

 幹部のなかには事物を全面的に見ることができず、一面だけを見る傾向があります。我々は、指導のうえでこれも警戒しなければなりません。行政を代行したのでは、仕事を全面的に把握することができません。

 行政幹部は、一面だけを見がちになるものです。したがって党は、常にかれらが偏向を犯さないように指導しなければなりません。

 右にかたよっていると批判すれば極端に左に走り、またある仕事の不手際を批判すればおじけづいて当然おこなうべき仕事にも手をつけたがらないという、よくない傾向があります。保守主義に反対するからといって、科学まで認めないような偏向を犯してはなりません。

 経済指導の面でも偏向が生じかねません。経済活動を代行すべきでないといったからといって、経済活動から手をひく傾向があらわれるおそれもあります。

 いま北半部の人民の最も重要な革命課題は社会主義建設であるのに、経済活動をさしおいて他になすべきことがあるでしょうか。問題は、すべての部門で行政的に責任を負っている人たちに仕事をさせ、かれらが間違った方向へそれないように指導し、党的にそれを保障することであります。

 党は党員と党組織をつうじて、また大衆組織をつうじて行政幹部の活動を十分に保障しなければなりません。このようにしてこそ、経済活動にたいする党の指導を立派におこなうことができるのです。

 行政幹部と一緒に前に立って歩き回っていたのでは、ともに偏向を犯し、ともに主観主義を犯しかねません。こうなれば、誰も是正してやることができなくなります。こうならないように常に警戒しなければなりません。

 もしも、党が大衆のなかに入って現実を理解し、事物を全面的に把握して正しい指導をおこなうならば、主観主義や偏向も犯さないであろうし、正しくない傾向と妥協することもなくなり、すべての活動が党の路線にそって順調に進められるでしょう。

 党委員会は、活動全般を掌握して指導しなければなりません。道党執行委員会や市党執行委員会、郡党執行委員会、工場党執行委員会は、所轄部門で提起されるすべての問題を常に討議しなければならず、それを党的に指導し、保障しなければなりません。こうして、指導のうえで行政的方法をなくし、偏向と主観主義を犯さないようにしなければなりません。


 2 農村における階級闘争について

 次に、農村での槽級闘争を正しく進めることについて簡単に述べたいと思います。

 周知のように、我が国の農村では、搾取階級がすでに一掃され、農民が土地の主人に、いかなる圧迫や搾取もない社会主義農村の主人になりました。だからといって、農村における階級闘争が終わったのではなく、農村において反革命分子の策動にたいする警戒心を緩めてもよいというのではありません。現在、搾取する者はいないが、かつて搾取をしていた者はいるし、そのなかにはいまなお、すきさえあれば我々の制度を破壊しようとしている者がいます。このような敵対的要素とはひきつづき鋭い闘争をくりひろげなければなりません。

 過去、我が国の農村で、最も反動的であくどい階級は地主階級でありました。地主がどれほど農民を過酷に圧迫し搾取したかは、小説『土』を読んだだけでもよくわかります。この点では、大地主も小地主も別段異なるところがなく、実際においては小地主も大地主に劣らず農民の膏血を搾り取ったのです。それで土地改革のときに、5ヘクタール以上の土地を所有して小作にだしていた者をすべて地主と規定し、かれらの土地を没収する政策を実施しました。

 我が国の農村で階級としての地主が一掃されたのは、すでに久しい以前のことであります。しかし、過去の地主は残っており、その大部分はいまなお自分らの世の中が再び来る日を待ちわびながら、我が党と人民に敵対する立場をとっています。土地を没収された者が、思想的に完全に改造され、古い制度を復活させようという妄想を捨てることを期待するのはとても無理なことであり、おそらく、かれらは死ぬまでそのような妄想を捨てようとしないでしょう。

 土地改革のとき、土地を没収された地主はおよそ4万4000人でした。これは少なくない数であります。我々は、地主を絞首刑にしたり銃殺したりせずに、土地を没収したのみで他の地方に移住させました。

 どうして、このように寛大な処分をしたかといえば、権力が人民の手に握られた状況のもとでは地主を絞首刑にしなくても、土地改革をいくらでも実施することができたからであります。

 地主を居住地から他の地方に移住させたのは賢明な措置でした。そうしたために、一部の自覚の足りない農民が地主を同情し崇め、地主の影響を受けるといったような弊害を徹底的になくすことができました。我々は、地主をたんに移住させただけではなく、少しの悪巧みもできないように厳しく取り締まったのであります。

 ところが、戦争中にこうした秩序が乱れてしまいました。一時的後退のときに各地で旧地主が反動行為をはたらき、アメリカの犬になったことは周知の事実ですが、この混乱のすきを利用してかなりの旧地主が名前を変えて良民を装い、農民のなかに潜り込みました。もちろん、一部処断された者もあり、南朝鮮に逃げた者も、そのあいだに年をとって死んだ者もいます。しかし、旧地主は、いまも北半部の各地方に多く残っており、大部分が農村にかくれています。このなかには、例えば、張(チャン)某が李(リ)某に、咸鏡北道会寧(ヘリョン)郡の旧地主が両江(リャンガン)道甲山(カプサン)郡のれっきとした貧農出身になっていたり、五体健全な者が生まれつきの白痴でとおっている者などが少なくありません。

 したがって、このような状態を再び収拾して旧地主がどこで、どう暮らしており、どんなことをしているかをはっきり見極めることが大切です。旧地主はいまなお、我が国の農村における第一の闘争対象であります。旧地主がこんにちも依然として、我が党と我々の制度にたいして敵意をいだいており、我々に危害を加え、没収された土地を取り返そうと企んでいることを片時も忘れてはなりません。

 このたび黄海南道に行ったときに聞いたことですが、安岳(アンアク)郡路岩(ロアム)里に住んでいたある旧地主は、ばかを装ってじっとひっこんでいたが、我々が後退すると途端に息を吹きかえして、中折帽子をかぶり、ステッキを手に、りゅうとした身なりをしてあらわれ、自分が土地を没収された長淵(チャンヨン)郡に行って土地を返せと怒鳴ってまわったそうです。このような実例は他の地方にもいくらでもあります。

 いま農村でばかを装い、体の具合が悪いといって仕事もろくにせず、会議にもよく出席せず、ほそぼそと食いつないでいる旧地主は、いつかまたステッキをふって歩ける日が来ることを夢みているのです。

 一部の旧地主は、昼間はほかの人たちと一緒に野良仕事をするふりをし、夜は奥の部屋で南朝鮮の放送を聞いては農民のなかに反動的なデマをまき散らしています。特に、最近敵の「反共」騒ぎが強化され、社会主義陣営内にも修正主義の風潮があらわれているために、ひそんでいた敵対分子が頭をもたげるということはありうることです。

 みなさん! 地主が我々に反対しないものと信ずる人は、それこそ愚かな人であります。黄海南道では、いまでも旧地主が自分の息子や幼い孫の手をひいて歩きながら、没収された土地をいちいち教え「わしが死んでもお前は残って必ずこの土地を取り戻すのだ」と吹き込んでいるそうです。階級闘争の真理を理解している人であれば、決してこれを偶然なことだとは見ないでしょう。たとえ、階級としては一掃されても、土地を没収された旧地主が生きているかぎり、その本心もまた消えないで残っていることは明らかです。

 ことに、我が国がいまなお分断されており、南半部にアメリカ帝国主義者が居座っているという実情を考慮に入れるとき、過去の地主の本心がたやすく変わるものとは、とうてい考えられません。もちろん、統一が実現し、ァメリカ帝国主義者がすっかり追い出された後には、旧地主もある程度あきらめるようになるでしょう。しかし、そのときになっても、旧地主は、もしかしたら「神様」でも降りてきて土地を取り返してくれるかもしれないという幻想をいだくこともありうるし、せめて水でも供えて祈りをあげながら、自分たちの世の中がもう一度やってくることを妄想することもあるでしょう。

 このように、土地を没収された地主の根性がどんなにあくどいものであり、我々にたいする敵愾心が、どれほどかれらの骨の髄に徹しているかを、はっきり見極めなければなりません。かれらは、南朝鮮に地主や資本家がおり、そのうえアメリカの軍隊まで駐屯しているから、いつかは自分たちの世の中が再び来るものと考え、寝てもさめても我々に刃向かうすきばかり狙っています。みなさんは、この点をはっきり認識して、党員とすべての農民に教え、旧地主のありうる敵対行為にたいし、全大衆が警戒心を高めるように指導することが大切です。

 一部の人は、往々にして「治安隊」加担者を旧地主以上に警戒していますが、これは間違っています。もちろん、富農で「治安隊」に加わり意識的に反動的な行動をし、悪質な蛮行をはたらいた者は、旧地主と同様に独裁の対象であり闘争対象であります。しかし、「治安隊」には、中農や貧農、さらにはかつて作男をしていた人までも、だまされたり、あるいは脅迫にかてずに加わった場合が少なくないし、このような人たちは、その出身階級から見て、十分我々の側に立ち戻らせることのできる人たちです。我が党は、このような階層を闘争対象と見るのではなく、どこまでも教育し説得して再びかちとるべき対象とみなしています。

 何がどうなったのか、わからないところへ、いきなりアメリカ軍が侵入してきたため、おじけづいて「治安隊」に加わった人たちを包容することができないとすれば、そんなに度量が狭くては、どうして南半部の人民大衆を獲得し、祖国統一の大業を実現することができるでしょうか。いま南朝鮮には、現役のかいらい軍兵士だけでもほぼ70万にのぼり、兵役期間を終えて除隊した兵士まで合わせれば、数100万になると見られますが、そのなかには人民軍に銃剣で刃向かった者がいくらでもいるはずです。だからといって、大多数が労働者、農民の出身であるかいらい軍兵士をすべて敵とみなすことはできないし、逆にかれらを積極的に人民の側に立ち戻らせ、味方に獲得すべきであります。

 我々は、朝鮮の革命がまだ完全に勝利しておらず、南朝鮮人民を支援して南朝鮮の革命を完遂し、祖国を統一すべき任務が依然として残っていることを銘記しなければなりません。この任務の完遂で決定的なことは、党が広範な大衆を獲得し革命勢力を蓄えることであります。一握りの敵を孤立させ、南北朝鮮の全人民大衆を我が党のまわりにかたく結集すれば、祖国統一の日をいつでも主動的に迎えることができるし、革命の最終的な勝利をかちとることができます。

 我々はまさに、このような観点に立って各階層の大衆と接触し、かれらと団結して一人でも多くの人を革命の側に引き入れるためにたたかわなければなりません。

 そして、いつも階級的見地から人々を評価し、党の階級路線に立脚して敵味方を厳密に見分けることが重要であります。階級的な分析にもとづいて闘争の対象と団結すべき対象とを正確に規定すれば、敵を孤立させ大衆を最大限に獲得することができます。

 貧農や中農出身の人で「治安隊」に入れられ、何回か歩哨に立った人をどうして包容し獲得すべき対象と見るのでしょうか。それは、政治的自覚が足りなかったために重大な過ちを犯したとはいえ、かれらの階級的土台が勤労者出身であり、革命の恩恵を多く受けた人たちであるからです。かれらは、もともと我が党の基本大衆であったのですが、ただ一時、敵の影響を受けて反革命の道にひきずりこまれた者であるから、この人たちを敵と一緒くたにして処分すべきではなく、当然、敵の影響から引き離して革命の道に立ち戻らせ、再び我が党の大衆として獲得するのが正しいのです。

 それではどうして、旧地主や「治安隊」で悪質な蛮行をはたらいた富農を闘争の対象とみなすのでしょうか。それは、かれらの階級的土台からして敵対階級出身であり、革命によって収奪されたか、大きな打撃を受けた者たちであるからです。この連中は、意識的にアメリカ帝国主義者を後ろだてにして反革命をはたらいたか、あるいはいまもはたらいており、今後も機会さえあればいつでも我が党と我々の制度に反対して立ち向かうおそれがあるから、このような連中とは当然、妥協することなくたたかうのが正しいのであります。

 このたび、黄海南道で集中的にあらわれたわけですが、私の見るところでは、党組織が農村における階級闘争に深い関心を払っていないというのが全般的な実情のようです。包容すべき階層との活動にも深みがなく、とりわけ、敵対的要素との闘争が不十分であります。甚だしいのは、旧地主が公然と我々に反対するデマをまき散らしても、これとたたかわず、没収された土地を取り返すのだと杭を打ってまわるのを見ても放っておく有様です。農民たちが旧地主を憎まないで村の「有志」として待遇したり、党活動家が旧地主の家を修理してやったりするような非階級的な行為があらわれています。ある農村では仮面をかぶった敵対分子を知らずに入党させたり、協同組合の幹部に登用した例さえあります。これは、地方の党活動家の階級闘争にたいする政治的眼識が非常ににぶく、党員と農民の階級的自覚が極めて低いことを端的に示すものであります。

 いま各農村里の実情を見ると、旧地主をはじめ、敵対的要素ヒの実際的な闘争を組織していません。もしも、かれらが我々に反対する宣伝をするとか、あえて敵対行動にでる場合には、それを暴準粉砕する闘争に農民大衆を立ち上がらせなければなりません。

 また、このようにたたかえといえば他の偏向があらわれるかもしれません。地主にたいする闘争が弱いという批判を受けるや、黄海南道のある地方では数年前にしまいこんでおいた書類をひっぱりだし、にわかに旧地主は悪人だといって、かれらとたたかわねばならないと願いでいます。これまでは、旧地主も良民だと思い、かれらが悪事をはたらいても見てみぬふりをして黙っていたのに、突然騒ぎだすのですから、このような人たちが党活動をおこない、階級闘争を指導することができるでしょうか。これは、すべて我が党の活動家が革命的修養がたりず、マルクス・レーニン主義の理論と党の路線で武装していないところにその原因があるといえます。

 土地を没収するときでも絞首刑にしなかった地主を、いまになって洗いざらいかたづける必要はありません。問題はかれらにたいする闘争を正しく組織することであり、農民が旧地主に同情を寄せてたてまつることがないようにし、かれらが反動的な行為をおこなう場合には大衆的に暴き、法律執行機関に引き渡して現行犯として処断すればよいのです。内心ではなにを考えようと、また将来なにかの機会にどう出るかはわからないにしても、現在、我々の法律をよく守り、おとなしくしている旧地主に手だしすべきではありません。

 かつて地主であったことを罪に思い、我々の事業を支持してよい傾向を見せている人は改造すべきであり、自分の子孫の前途を考えて悪行を慎んでいる人までいたずらに問題にする必要はありません。子供たちが育って勉強をよくし、仕事にも精を出し、地主であった両親までがやむなく我々の政権を支持するようになる場合もたまには見うけられますが、こうした経験からおして、いまのところ、このような人はもう少し見守りつづける必要があります。そして、自分の過ちを悔い改めて我々の側につこうとする人にたいしては、厳密に検討したうえで慎重に教育改造して導いていくようにすべきです。

 このように階級闘争を組織し指導するのは極めて複雑なことであり、慎重を要することであります。少なからぬ地方党組織のように、この仕事を行政的に千編一律におこなったり、幾人かの主観によって無責任に指導したのではうまくいくはずがありません。またこれは、一両日ですませるような仕事でもなく、ひきつづきねばりづよく進めなければならない仕事であります。

 階級の敵にたいする闘争は、日常の政治闘争とならなければならず、党組織によって指導される大衆あげての闘争とならなければなりません。政権が我々の手に掌握されているからといって、大衆を自覚させ立ち上がらせる政治活動をおこなうのではなく、自分一人の考えで、あの男をぶち込むべきだと決め、一通の公文で簡単に処分しようとするのは誤りです。こういう方法で闘争をおこなったのではなにも得られないばかりか、かえって失敗するおそれがあります。

 みなさん! このように革命活動を安易にしようとしたり、階級闘争を行政的な方法で指導しようとする習性を改めなければなりません。みなさんは革命の試練をへずに郡党委員長になったため、しばしば仕事を安易に行政的に処理しようとしていますが、これは革命家の活動方法ではありません。共産主義者にとっては、人々を説得して獲得し、大衆をふるいたたせるのが政治であり、まさに、これを立派におこなってこそ闘争を勝利に導くことができるのです。もし、みなさんが20〜30年ほど困難な革命生活をしながら、党員を一人、二人と集め、大衆を結集してこんにちの郡党組織ほどの戦列をつくって郡党委員長になったとすれば、当然このような革命的方法で階級闘争を指導したはずであり、決して安易な行政的な方法で指導しようとはしなかったでしょう。

 昨年、党中央が、かつて悪事をはたらいた人の罪を許し、さらに大胆に包容せよという指示を出したところ、黄海南道内の党組織では一日に数千人ずつなんの考慮もなく免罪措置をとり、それも罪の重いものから先に赦免すれば罪の軽い人を安心させることができるからと、とうてい許せない敵対分子から先に罪を許してやりました。これもやはり党組織が、革命活動を簡単に、行政的な方法で処理しようとしたところから犯した政治的誤りであります。

 我々が罪を許すようにといったのは、悪質な蛮行をはたらいた搾取階級出身の敵対分子ではなく、勤労者出身で一時過ちを犯したが、その後心から過ちを悔い改めて、我々についてこようと努力している人たちのことです。こういう人の罪を許してやれば、かれらが動揺と憂うつな気分を捨て、いっそうかたい信念と高度の熱意をもって我々についてくるようになり、全人民がいっそう明るく、むつまじく団結することができるのです。また、こういう人の罪を許してやってこそ、かれらが敵対分子の影響から決定的にぬけでるようになり、悪質分子をさらに孤立させることができます。

 もし、善良な人たちを許さずにいつまでも罪人扱いをすれば、悪質分子が悪巧みをするようになります。映画『境界線の村で』のテーマがこれをよく示しています。作業班長として潜り込んだスパイが、熱心に働いている越南者の家族にたいして「お前さんなんか、いくら頑張ってみたところではじまらないよ」といって動揺させようとするが、最後には暴露されてしまいます。我々の立場は、戦争中アメリカ軍に強制的に連行されたか、だまされて連れられていった越南者の家族を積極的に包容し獲得しようということであります。ところでそのためには、我々がかれらを大胆に信頼し、かれらもまた我々を信頼するようにして、悪質分子がかれらに影響を与えることができないようにすることが大切です。

 我々が、かつて反革命に一時加担したことのある人の誤りを許そうというのも、悪質な敵対分子を徹底的に孤立させて、かれらが我々の側の人たちを動揺させることができないようにし、大衆をいっそうしっかりと我が党のまわりに結集させるところにその目的があり、結局、階級闘争を強化しようというところにその意図があります。ところが、黄海南道では、悪質分子から先に、一朝のうちにすべて免罪にしたのですから、これは階級闘争を放棄しようとしたのとなんら変わるところがありません。こういうわけで、悪質分子が我が世の春とばかりひそかにほくそえむだけで、かれらとともに罪を許してもらったよい人たちはたいした鼓舞を受けませんでした。特に、これは敵対分子にたいする基本大衆の闘争意識を麻痺させる結果となり、敵に虐殺された人の遺族の一部の憤激をかうまでにいたりました。これはもちろん、黄海南道の一部の地方にあったことですが、すべての党組織がここから深刻な教訓を学びとるべきだと思います。

 党活動で行政的な方法を捨て、党員と大衆をふるいたたせる革命的な活動方法に移ろうというのが今回の総会の主旨ですが、農村の階級闘争を指導する活動でも決定的にこの方法に依拠すべきであります。党員を動かし、すべての大衆をふるいたたせて階級の敵に反対する闘争を綿密に組織し精力的に展開すること、まさしく、ここに複雑な階級闘争を成功裏に進める秘訣があるのです。

 党員と農民大衆に地主の階級的本質を明確に教え、かれらの過去の罪悪を暴露し、すべての大衆が敵を憎み、敵対分子の一挙一動を鋭い警戒心をもって常に注視するようにすべきです。このようにすれば、農村で悪質分子が身動きできなくなり、敵の手足をすっかり縛りつけることになるでしょう。

 黄海南道党委員会は党活動をおこなわずに行政的な号令ばかりかけていたので、農村の階級闘争もやはり正しく指導することができませんでした。黄海南道が、まずこのような欠陥を改め、他の道党組織でもみなこの教訓を生かして、今後、徹底的に革命的大衆路線に立って農村の階級闘争を正しく展開するようにしなければなりません。

 こんにち、我が国における階級関係と階級闘争の方向については、すでに出された党の文献に明確に規定されています。とりわけ、1960年4月1日に開かれた党中央委員会常務委員会の決定には、ごく少数の敵を孤立させ、各階層の大衆を我が党のまわりにいっそうかたく結集する具体的な方針が明示されています。

 すべての党組織が、我が国の現実に合うこの正しい方針を貫徹するならば、階級闘争でいかに複雑な問題にぶつかっても順調に解決されると思います。


 3 修正主義に反対する闘争を強化することについて

 周知のように、1957年の共産党・労働者党代表者会議で採択されたモスクワ宣言は、現代修正主義が国際共産主義運動の主な危険となっていると指摘しています。

 最近、修正主義は、あらゆる方面でますます公然と頭をもたげており、国際共産主義運動の隊列のなかで大きな瓦解作用を起こしています。

 修正主義は、最近になって生まれたものではありません。その発生の歴史はすでに久しいものです。マルクス・レーニン主義思想の発生および発展の全過程は、あらゆる左右の日和見主義的潮流、修正主義、教条主義との闘争の歴史であります。

 修正主義はマルクスとエンゲルスが世を去った後、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、マルクス主義の仮面をかぶってマルクス主義の革命的本質を修正する日和見主義の潮流としてあらわれました。

 資本主義が帝国主義の段階に入り、労働者階級と資本家階級との闘争がますます鋭くなるにつれて、独占資本家は革命的労働運動にたいする弾圧を強化する一方、労働運動を分裂させ、それを内部から切り崩す目的のもとに、労働者階級の上層部を買収して手先に利用する政策をとりました。こうして、帝国主義的ブルジョアジーに買収された革命運動の堕落分子や裏切り者が資本家の気に入るようにマルクス主義を修正したが、ここからかれらの日和見主義を修正主義と呼ぶようになったのです。

 ドイツのベルンシュタイン派、フランスの入閣派、イギリスのフェビアン協会、ロシアの合法的マルクス主義者、経済主義者、メンシェビキなどが、ヨーロッパの代表的な日和見主義的、修正主義的潮流をなしていました。最後にはロシアを除いて、第2インターナショナル傘下の各国の党がほとんどこの修正主義の泥沼に落ちこんでしまいました。

 ただレーニンの指導するボルシェビキ党のみが、あらゆる日和見主義的潮流に反対して妥協のない闘争をおこない、マルクス主義の革命の旗を最後まで守りとおしました。その当時、修正主義者は、レーニンがマルクス主義を修正しないからといって、かれを教条主義者だと攻撃しました。

 革命的マルクス主義党を創立するためにレーニンがたたかった主な敵は、国際修正主義のロシア的変種である経済主義でした。レーニンは、ロシアに経済主義があらわれた当初から、この修正主義的潮流に反対する徹底した闘争を展開しました。かれは『ロシア社会民主主義者の抗議』という小冊子を出して、経済主義の反マルクス主義的本質をあますところなく暴露しました。

 1903年、ロシア社会民主労働党第2回大会で党の綱領と規約を採択するときにも、レーニンはやはり日和見主義者との激しい闘争をおこなわなければなりませんでした。日和見主義者は、党の綱領にプロレタリアート独裁の問題、農民問題、民族問題をふくめることに反対しました。しかし、党大会はレーニンのねばりづよい闘争によって日和見主義分子の反抗をうちやぶり、革命的労働者党の最初のマルクス主義的綱領を採択することに成功しました。

 1903年以来、ロシア社会民主労働党内の日和見主義的分派としてあらわれたメンシェビキは、第1次ロシア革命が失敗した後の反動期にいたって、非合法的党の解党を主張する解党派に転落しました。

 第1次世界大戦が起こると第1インターナショナル傘下の多くの国の党は、この戦争の帝国主義的性格を否定し、自国の労働者に「祖国防衛」のために戦うよう訴えました。こうして、第2インターナショナルの日和見主義者は帝国主義的ブルジョアジーに完全に降伏するようになり、公然と社会排外主義者に転落してしまいました。

 ただレーニンの指導するボルシェビキ党だけが、この戦争の帝国主義的性格を徹底的に暴露し、各国の労働者が帝国主義者の利益のために殺しあうことに反対したのであり、帝国主義戦争を国内戦争に転化させようという革命的スローガンをかかげました。こうして、革命的マルクス主義の旗を守り、それをいっそう発展させた偉大なレーニンの指導のもとに、ロシアで十月社会主義革命が勝利をおさめたのであります。

 いま全世界の革命勢力は、比べようもないほど強力な勢力に成長しました。世界人口の3分の1以上が社会主義の新しい生活を建設しています。アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは、反帝民族解放運動が力強くくりひろげられており、帝国主義諸国では独占資本の支配に反対する労働者階級の闘争が強まっています。

 このような条件のもとで、帝国主義者はますます狂いたっており、自国の人民と弱小国家の人民にたいする略奪と弾圧を強化する一方、労働運動内の革命を恐れる卑怯者を買収して帝国主義政策の手先に利用しようとやっきになっています。現代修正主義者たちは、まさにそのような連中であり、我が国の崔昌益(チェチャンイク)、朴昌玉(パクチャンオク)なども、やはりそのような連中であります。

 現代修正主義者は、社会主義革命の一般的原則であるマルクス・レーニン主義党の指導とプロレタリアートの独裁を否定しています。かれらは、帝国主義の侵略的本性が変わったので、社会主義は帝国主義と仲よくすることができると主張しており、議会闘争の方法によって資本主義から社会主義へ平和的に移行しうるといいふらしています。

 修正主義者は、軍備の撤廃について騒ぎたてながら、反帝闘争を放棄せよと要求しています。かれらは、核兵器の時代に戦争が起これば、それはとりもなおさず核戦争となるに違いないから、世界が廃墟と化し人類がすべて滅亡した後に共産主義を建設してなにになるのかといっています。

 かれらはあたかも、なんらの闘争もなしに帝国主義者がみずから軍備を撤廃することがありうるかのような幻想をふりまいていますが、帝国主義者が進んで自分の武器を手放すということが考えられるでしょうか。帝国主義者がみずから武器を手放すということは、帝国主義の本性に全く反するものであります。

 過去の修正主義者が、マルクスの学説が古くなったと主張したように、現代修正主義者もやはり、レーニンの理論は変化した新しい時代に適さなくなつたと主張しています。

 修正主義者は、革命を恐れ革命を欲しないところから、マルクス・レーニン主義を資本家の気に入るように修正し、この理論の基礎となっている階級闘争論をつくり変えるのです。

 内ではブルジョア的影響のとりことなり、外では帝国主義の圧力に屈服すること、これが修正主義発生の根源であります。過去の修正主義も現代修正主義も、すべてその本質は同じものであり目的も同じであります。両者とも時代が変わったという口実のもとにマルクス主義の基本原則を否定し、革命闘争を放棄することを求めています。

 現在、修正主義者の最も卑劣な行動は、帝国主義にたいしては極力へつらい接近しながら、社会主義陣営内では不和をかもしだしている事実であります。

 危険なことは、修正主義が革命をおこなわないつもりなら自分だけやめればよいのに、他人が革命をおこなうことまで反対し、他人にまで修正主義をおしつけることであります。

 こうしながら、かれらは、修正主義路線に追随することを拒む革命的マルクス・レーニン主義者にたいして、「教条主義」「民族主義」「スターリン主義」といったレッテルをはって、この人たちをしりぞけ、社会主義陣営から除外しようとしています。これは、現代修正主義者の最も愚かな行動であり、我々にとって極めて危険なことであります。

 我々は、どの道を進むべきでしょうか、革命的マルクス・レーニン主義の道を進むべきでしょうか、それとも誰かの指揮棒に従って修正主義の道を進むべきでしょうか。

 朝鮮人民が帝国主義に反対して闘争した歴史は、すでに数十年になります。我々が抗日武装撃を始めたときから数えても30年になります。我々は帝国主義に反対して30余年間たたかってきたが、まだ革命を完遂していません。

 我々は、ただ国土の半分と人口の3分の1を解放したにすぎません。したがって、朝鮮の共産主義者には、革命をつづけアメリカ帝国主義を追い出して、民族解放革命を完遂すべき任務が残っています。

 国土の半分と人口の3分の2が、いまなお帝国主義の圧迫のもとにおかれているのに、どうして、我々が帝国主義に反対する闘争をやめることができるでしょうか。アメリカ帝国主義者によって毎日のように同胞地の血が流されており、我々の兄弟姉妹が侮辱されているのに、どうして、我々がアメリカ帝国主義者を美化することに調子を合わせることができるでしょうか。我々がおこなっていた革命を投げだし、反帝闘争をやめるということは、南朝鮮を永久にアメリカ帝国主義者の侵略にまかせることを意味し、南朝鮮の労働者、農民にたいする民族反逆者の搾取と抑圧を甘受することを意味します。

 一部の人たちがマルクス・レーニン主義を捨てて修正主義の道に進んでも、我々は動揺するわけにはいかず、帝国主義と妥協することはできません。革命歌にもあるとおり「卑怯者去らば去れ、われらは赤旗守る」というのが、我々の終始変わらぬ決意であります。我々は革命をつづけなければならず、帝国主義に反対してあくまで強くたたかわなければなりません。

 我々の任務は、北半部でこれまでかちとった革命の獲得物を守ることにとどまってはなりません。我々には、南朝鮮の同胞を支援して南朝鮮の革命を完遂すべき任務があり、全朝鮮に社会主義・共産主義を建設するときまでひきつづきたたかうべき任務があります。我々は決して北半部でかちとった勝利に満足することはできないし、いささかも安逸に流れてはなりません。我々は革命で血を流すことを恐れたり、監獄や断頭台を恐れるような卑怯者に転落するわけにはいきません。

 我々は、北半部が朝鮮革命の基地であることを片時も忘れてはなりません。我々は、この革命基地に強力な政治的・経済的・軍事的力量をしっかりときずきあげ、この基地に依拠して朝鮮革命を最後まで完成しなければなりません。これは、朝鮮の共産主義者の任務であります。

 修正主義者が各方面から圧力を加えてくるであろうことを、我々は覚悟しなければなりません。かれらが、いかに我々を中傷誹謗しようとも、我々はそれをはねかえしてマルクス・レーニン主義をあくまで守りとおすでありましょう。

 我々は全力をつくして全世界の被抑圧人民の反帝民族解放闘争を支持し、独占資本の支配に反対する各国の労働者階級の革命闘争を積極的に支持するでしょう。

 我々のこの路線は、修正主義とは根本的に相容れないものです。我々は革命をおこない、また帝国主義に反対しているので、結局、帝国主義の手先である修正主義に反対してたたかわざるをえません。

 修正主義に反対し革命的マルクス・レーニン主義の旗を守るか、それとも修正主義に転落して帝国主義に屈服するか、この二つの道以外にほかの道はありません。

 我々は、修正主義を決定的にはねのけ、革命偉業の勝利をめざしてひきつづき断固たたかわなければなりません。

 我が党ばかりでなく、帝国主義の侵略を受けているアジアの多くの国の共産党が革命をつづけなければならないと主張しており、修正主義に反対して強くたたかわなければならないと主張しています。

 帝国主義が存在するかぎり帝国主義の抑圧があり、帝国主義の抑圧があるかぎり、これに反対する人民の闘争があり、革命が起こるようになります。人民は、ただみずからの闘争によってのみ、ただ革命をつうじてのみ、帝国主義の抑圧と搾取から解放されるのであり、革命をおこなうためにはマルクス・レーニン主義をかたく守り、修正主義とたたかわなければなりません。

 いまなお、世界の多くの国の人民が帝国主義の抑圧と搾取を受けています。したがって、革命をおこなおうとする人たちは今後もひきつづき多くなることでしょう。修正主義者がいかに大衆の革命意識を麻痺させ、マルクス・レーニン主義の革命精神を骨ぬきにしようと企んでも、革命運動はつづくであろうし、マルクス・レーニン主義は、生きつづけ、必ず勝利することでしょう。資本主義の滅亡と社会主義の勝利が必然的であるように、修正主義の滅亡とマルクス・レーニン主義の勝利は必然的であります。

 全党をあげて修正主義に反対する思想活動を徹底的に展開しなければなりません。党員にたいするマルクス・レーニン主義の教育を強化する一方、かれらに修正主義の観点と見解を明確に知らせ、党員自身が事の正否を明確に見分けられるようにしなければなりません。ここでレーニンが修正主義にたいしてどのような態度をとり、どう批判したかを党員に教えることは極めて重要であります。これまで修正主義に反対する思想教育活動は十分におこなわれませんでした。これからは、この活動を活発に進めなければなりません。

 我々は修正主義に反対する闘争をおこなうと同時に、必ず西洋かぶれに反対する闘争を展開しなければなりません。我々が西洋かぶれに反対するのは、アメリカかぶれに反対するのであって、西洋のものにすべて反対するのではありません。修正主義と西洋かぶれは、いとこ同士だといえます。修正主義が入ってくれは西洋かぶれが入ってくるし、西洋かぶれが入りこめば修正主義が浸透してきます。

 それでは、具体的にどういうものが西洋かぶれでしょうか。音楽でいえばジャズ、踊りでいえばマンボ、こういったものが西洋かぶれです。我々が西洋おばけとか、浮かれた連中というのは、この西洋風にかぶれた人たちをさしていう言葉です。西洋かぶれは、民族虚無主義者や事大主義者、革命をいやがる者や堕落分子らが好んで受け入れるものです。

 党員と勤労者のあいだでマルクス・レーニン主義教育を強化し、党の思想体系をうち立て、革命伝統教育を強化し、革命的秩序と規律を強めて、西洋かぶれが入りこめないようにしなければなりません。特に作家、芸術家、科学者のあいだで修正主義に反対し、西洋かぶれに反対する党の思想活動を力強くくりひろげなければなりません。自分のものはすべて悪く、他人のものはなんでもよいという人、自力更生の精神に欠けている人たちが西洋かぶれや修正主義に最も陥りやすいのです。

 一部の人たちは、自力更生は民族主義であると言いがかりをつけていますが、どうしてこれが民族主義なのでしょうか。自力更生は、共産主義者の崇高な革命精神であります。自分の力で革命をおこない、自分の手で社会主義を建設するのが、どうして悪いのでしょうか。

 他国にたいする依存心をもっていては、革命をおこなうことができません。依存心があると自分の力を信じなくなり、自国の資源を最大限に利用するための努力もしなくなります。自力更生とは、なんとしてでも自力で社会主義を建設し、革命を完成しようとすることであります。こうすることが、すなわち国際主義に忠実なことであり、社会主義の共同の大業に貢献することであります。

 我々は、他人の援助に反対するものではありません。我々は、兄弟諸国の援助を歓迎します。援助してくれるのをいやだという人はいません。しかし、援助をしてくれないからといって、どうこういうわけにもいかないではありませんか。他人の援助がなくても革命をおこない、社会主義を建設しなければなりません。

 みなさん! 以前は外国から毎年穀物を買い入れなければなりませんでした。ところが、昨年は豊作をおさめたため、今年からは外国から穀物を輸入しなくても暮らしていけるようになりました。我々が豊作をおさめて兄弟諸国の負担を軽くしたのですから、これに越したことはありません。私は、これがまさに国際主義だと考えます。援助もしてもれないで、自力更生しようとするのを民族主義だと非難する人たちの胸の内をどう理解すべきでしょうか。

 我が国の人のなかにも、自力更生に疑問をいだく人がないでもありません。科学者のなかにそのような人がたまに見うけられます。そのような人たちは自分の力を信じないため、他人が援助してくれなければ暮らしていけないかのように考えています。援助がなければ暮らしてゆけないということはありません。我々は援助がなくても、いくらでも暮らしてゆけるばかりでなく、社会主義を立派に建設することができるし、また必ず建設しなければなりません。

 党員と勤労者のあいだで自力更生の精神をふるいおこすためには、事大主義と教条主義に反対し、主体性を確立するための闘争をひきつづき強くくりひろげるとともに、腐敗堕落せず質素な生活をするよう、かれらをたえず教育しなければなりません。

 国際共産主義運動の団結の問題にがんする我が党の態度についていうならば、我々はもちろんソ連、中国その他の社会主義諸国と団結し、社会主義陣営の統一を強化するために常に努力しなければなりません。

 しかし、兄弟諸国との団結を強めるために努力するといっても、我々は革命を放棄して修正主義の道を歩めという要求は絶対に受け入れることができません。我々は、兄弟諸国の正しいことは支持し、間違ったことには同調しないでしょう。これが、現代修正主義に反対する闘争と関連して提起される、国際共産主義運動の団結の問題にたいする我が党の態度であります。

 修正主義については、みなさんが今後深く掘りさけて研究する機会があると思うので、きょうはこれくらいにしておこうと思います。

 終わりに、今回の総会の主旨にもとづき、党の組織活動と思想活動を強化して、党を戦闘力のある、常に生き生きと活動する党につくりあげ、党員をいかに困難な環境のもとでも党から与えられた任務を忠実に実行しうる不屈の革命戦士に育てあげるために、全党がたたかうよういま一度強調するものであります。 

 出典:『金日成著作集』16巻


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