金 日 成

子供の教育における母親の任務
全国母親大会でおこなった演説
−1961年11月16日−


 みなさん!

 私は、このたびの母親大会に参加して報告や発言を非常に興味ぶかく聞き、たいへん感動させられました。まず、大会に参加した女性同盟の活動家と子供の教育と社会主義建設に献身している母親のみなさんに、朝鮮労働党中央委員会と共和国政府の名で感謝の意をあらわします。そして、特に、我が党の政策を生活に具現するために高度の愛国的熱意を発揮し、子供の教育で立派な模範を示した李英淑(リヨンスク)さんと金剛(クムガンサン)山夫婦の主人公である姜慶林(カンギョンリム)さんにあつく感謝します。

 我が党の第4回大会は、次の世代を共産主義的に教育し育成する事業を重要な課題として提起しました。

 このたび女性同盟が、党大会が提起したこの課題を成功裏に遂行するため、子供の教育に第二次的な責任を担っている母親たちの大会を開いて、母親の教育者としての役割をさらに高める問題を討議することにしたのは時宜にかなっていると思います。

 私は、この大会が大きな成果をおさめるものと確信しつつ、若干の問題について述べようと思います。

 なによりもまず、我々の生活環境が昔とは根本的に変わり、それにともなって母親の任務と役割にも変化が生じたことを知る必要があります。母親は誰でも自分の息子や娘を愛し、かれらが立派な人になることを望んでいます。昔も今も、子供の教育に無関心な母親はいません。しかし、過去には子供を立派に育てようという母親の願いはかなえられませんでした。

 搾取社会において、朝鮮人民は地主や資本家の搾取と抑圧を受け、また帝国主義者の抑圧と蔑視を受けました。飢えと貧困、抑圧と虐待が支配していた植民地的奴隷生活のもとでは、子供を立派に教育し育成することなど想像さえできないことでした。多少の財産や土地をもっている裕福な家庭の場合でさえ民族的抑圧をまぬがれず、日本帝国主義支配者から差別待遇を受けながら子供を勉強させたのです。まして、貧しい家の子供たちについてはいうに及ばないことでした。

 中学校に入るためには、いろいろな条件がそろっていなければなりませんでした。学費を出せる十分な財産があるという財産証明書が必要だし、寄付金も出さなければならず、立派な洋服にオーバーを着て革靴をはかなければなりませんでした。その日の糧にもこと欠く貧しい家では、子供をこのような学校へあげることなど思いもよらぬことでした。

 しかし、世の中は変わりました。日本帝国主義の支配から解放されて、既に16年にもなります。この期間に朝鮮人民は、民主改革を実施して植民地的・封建的搾取と抑圧を一掃したばかりでなく、都市と農村で生産関係の社会主義的改造を終え、搾取と抑圧のない社会主義制度をうち立てました。我が国では、人間による人間の搾取と抑圧の根源が永久に取り除かれ、すべての人が自由でむつまじい生活を享受できるようになりました。

 朝鮮人民は困難な闘争を通じて、戦後、廃墟のうえに雄大な新しい都市と美しい農村を建設し、強固な自立的経済の土台をきずきあげました。人民の衣食住の問題は基本的に解決され、すべての人がなんの心配もなく暮らせるようになりました。いま、我が国には衣食について心配する人はおらず、子供を学校へやることができないとか、病気の治療が受けられなくて苦しんでいる人もいません。

 我々に心配ごとがあるとすれば、それは、いまなお南半部を解放できずにいることだけです。我々は、南朝鮮の同胞がアメリカ帝国主義の圧制のもとで悲惨な生活をしていることに非常に心を痛めています。このほかに我々にとって大きな心配ごとはありません。いまは心配ごとではなく、どうすれば今後よりよい暮らしができ、いっそう富強な国を建設することができるかという課題が残っているだけです。いまでは誰もがより豊かに、より楽しく暮らし、いっそう長生きすることを望んでおり、子供をより立派に教育し育成することを望んでいます。

 こんにち、我々は国をいっそう富強にし、人民生活を豊かにすることのできるすべての土台をきずきあげました。生活は日増しに向上しており、我々はしだいに社会主義の高峰に近づきつつあります。

 我々の理想は、すべての人が満足に食べ、良い衣服を着て長生きのできる社会、立ちおくれた人や熱意のたりない人が一人もなく、誰もが進歩的でともに献身的に働く社会、大きな一つの家庭のようにすべての人がむつまじく暮らす団結した社会を建設することであります。このような社会がとりもなおさず共産主義社会であるといえます。

 共産主義社会では物が豊富なので、各人は能力に応じて働き必要に応じて分配を受けるようになります。言いかえると、人びとはいくらでも自分に必要なだけ分配を受け、生活上の需要を完全にみたすことができます。そして共産主義社会になれば、人びとの相互関係がいっそう親密になり、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という原則が完全に実現するでしょう。

 我々は、このような社会を建設することができるでしょうか? もちろんできます。朝鮮人民は、これまで積みあげたその業績にもとづいてそういえるのであります。

 停戦後、朝鮮人民は廃墟のなかから建設をはじめました。当時我が国の状況は極めて困難でした。平壌(ピョンヤン)などの大都市から地方の小さな市や邑にいたるまで、すべての都市が完全に廃墟となり、長いあいだ人民が血と汗できずきあげた工場、企業所、鉄道、運輸機関、道路、橋梁などや文化施設が完全に破壊されました。貯水池や潅漑施設も破壊され、農村は廃墟と化しました。役牛も農業機械もなく、人手も非常に足りず、多くの田畑が使えなくなりました。家を建てようにも、れんが一枚、セメント1グラムもなく、なにかちょっとしたものをつくろうとしても一片の鉄材さえ手に入れることが困難でした。

 このような状況から再び立ち上がるということは誰にも非常に漠然としたもののように思えました。アメリカ人は、北朝鮮の再興は少なくとも百年間は無理だと孝えていました。北朝鮮の物質的財貨はすべて破壊され、人もたくさん死に、そのため、いかなる手段を尽くしても速やかに立ち直ることは不可能だと、かれらは考えたのでした。

 ところが、朝鮮人民は百年ではなく、戦後わずか6、7年のあいだに破壊された人民経済を完全に復旧したばかりでなく、戦前に比べて何倍も雄大で美しい都市と農村を建設し、戦前とは比べようもなく強力な近代的工業と農業をもつ社会主義団を建設しました。我々は戦前より何倍も多くの工場や企業所、住宅や学校を建設しました。都市と農村はその面目を一新し、人民生活は根本的に改善されました。これは、まさに奇跡であります。しかし、これは何びとも否定できない厳然たる事実であります。我々の友人はもとより、敵もこれを認めざるをえなくなりました。

 このような成果は、我が党の正しい指導のもとに党のまわりにかたく結集した朝鮮人民が、外来侵略者との闘争のときのように、人民経済の復興建設においても底知れない力を発揮できることを証明する明白な実例であります。

 朝鮮人民が戦後わずか6、7年間に、ゼロの状態からこのような奇跡的成果をおさめることができたことを考慮にいれるならば、こんにち、あらゆる物質的・精神的財貨を十分にもっている状況のもとで、我々はどんなことでもやりぬけると、確信をもっていえます。

 我が党の第4回大会は、社会主義の高峰をきわめるために7か年計画の雄大な展望課題を示しました。7か年計画の基本的課題は、我が国で技術革命と文化革命を遂行することであります。我々は、人民経済の各部門を機械化して労働生産性を向上させ、勤労者を骨の折れる労働から解放しなければなりません。農業の機械化を実現し、地方経営工業までもすべて近代的技術で装備しなければなりません。近代的な科学・技術を身につけた民族幹部をさらに増やし、勤労大衆の技術・文化水準をいっそう向上させなければなりません。このようにして、人民生活を現在より何倍も豊かで文化的なものにしなければなりません。こうなれば社会主義の高峰をきわめたことになります。

 社会主義の高峰とは、現在よりさらに豊かな生活のできる社会主義社会をいうのであります。7か年計画を遂行すれば、朝鮮人民は現在よりはるかに豊かな生活ができるようになり、我が国は発達した社会主義工業国としての面目を十分にととのえるようになるでしょう。

 7か年計画を遂行することは、これまで7年間たたかったことに比べれば難しいことではありません。

 7か年計画を遂行したのちに国の統一を実現して、さらに新しい高峰をきわめれば共産主義に近づくことができます。

 したがって、共産主義社会を遠い将来に実現する神秘的なもののように考えるのは間違いであります。我々が立派にたたかいさえすれば、さほど遠くない将来に我々の共産主義建設の理想を実現することができるのです。

 ところで、我々の理想である共産主義社会を建設するうえで最も困難なことはなんでしょうか。工場を建設することでしょうか? もちろん、工場もたくさん建設しなければなりませんが、これはさほど難しいことではありません。これまで困難な条件のもとで悪戦苦闘したその精神でたたかうならば、工場や道路、潅漑施設、住宅などの建設をはじめ、すべての建設事業を短時日のうちに成功裏におこなうことができます。

 物質的富を創造するのは比較的容易であり、またその成果はすぐ目につきます。例えば、農村の技術的改造を実現するためには機械化、水利化、電化、化学化をおこなえばすみ、それさえおこなえば成果がすぐあらわれます。ここでは、既になし遂げたこと、まだなしえなかったこと、これから先なすべきことなどがはっきりしています。我々は、社会主義経済の発展法則に従って、ひきつづき人民経済を計画的に発展させることができます。ともかく社会主義・共産主義の物質的・技術的土台をきずくのは、10年なり15年なり期限を決めておこなえば解決されるものです。

 困難なのは、人間を共産主義的に教育し改造することであります。いかに物質的富が豊かであっても、その恩恵をこうむる人たちが共産主義思想を身につけていなければ、まだ共産主義社会を建設したとはいえません。

 ところが、人間の意識は一般的に社会の物質的生活の変化より遅れるものであります。古い思想は社会制度が変わったのちもひきつづき長いあいだ人間の頭に残っています。ソ連は革命後、既に44年にもなります。ところが、最近ソ連共産党第22回大会に参加してみると、ソ連でも遊んで暮らしたかる怠け者がいるとのことです。それで、他人が働くときには怠けていながらも、食卓に向かうとなるといちばん大きなスプーンを手にする人たちにたいして鋭い批判をおこなっているとのことです。まして、我々は解放されて15、6年しかたっていないのですから言うまでもないことです。ここに座っている人のうち、自分には古い思想が少しもないといえる人がいるでしょうか。程度の差こそあれ、おそらくすべての人が古い思想をもっているはずです。

 ところで、誰にどれほど悪い思想が残っているかということは、見ることも測ることもできません。病院には心臓の鼓動を測る機械はあっても、人間の頭に悪い思想かどれぐらいあるかを測る機械はありません。

 封建社会や資本主義社会で使っていた古い道具を、共産主義社会の新しい機械にとりかえたかどうかはすぐにわかりますが、人間の頭に封建思想やブルジョア思想かあるかないかは、うわべだけ見てはわかりません。人間の頭に古い思想があるか否かは、ただ行動を通じてのみ知ることができ、たゆみない思想闘争を通じてのみ古い思想を新しい思想に改造することができます。

 自然改造は機械を使えば早く楽におこなえますが、人間の意識の改造には機械の力を借りることもできず、外部からの援助も望めません。それは、ただみずからの長期間にわたるたゆみないたたかいを通じてのみ成果をおさめることができます。物質的富を十分生産した後に人間の思想を改造しようとしたのではあまりにも遅すぎます。社会主義革命をはじめる当初から思想改造を進めたとしても、結局この事業は物質生活の改造よりも立ちおくれるものです。我が党は、既に以前からこの事業に着手し、ここ数年来さらに大衆的運動として展開しています。しかし、我が国の場合も意識の変革は現実より立ちおくれています。

 我が国が共産主義社会に入るためには、立ちおくれた思想をもつ人が一人でもいてはなりません。共産主義は、少数の人だけがよい暮らしをすることを目的としているのではなく、すべての人によい暮らしができるようにしようというのです。ある人が立ちおくれているからといって、その人をおきざりにするわけにはいきません。一部の人が共産主義社会にいかないとしりごみしても、すべて改造して連れていかなければなりません。すべての人を共産主義的に改造することは、すべての人に食べ物や衣服を十分に供給することより比べようもなく困難なことです。しかし、これは必ず解決しなければならないことであり、また解決できることであります。

 古い思想の残りかすは、さまざまな形であらわれます。まず、当面の闘争対象となっている古い思想のいくつかの表現形態についてのみ見ることにしましょう。

 我々は、働くことをいやがり遊んで暮らそうとする悪習とたたかわなければなりません。共産主義社会を遊んで暮らす社会であるかのように考えるのは大きな誤りです。もちろん、共産主義社会になれば働くのが楽になり、労働は苦しいことではなく生活上の欲求となるでしょう。しかし、そのときでも労働は、すべての人の神聖な義務として残るはずです。ことに共産主義を建設するまでは、誰もが熱心に働かなければなりません。社会主義・共産主義の幸福な生活は、決してひとりでにくるものではありません。人びとを楽しく幸せにする物質的・精神的富は、すべてたゆみない労働によってのみつくりだされるものです。共産主義者は他人を搾取して遊んで暮らす者をなくし、すべての人がともに働き、ともによい暮らしができるようにするためにたたかっているのであります。働くことをいやがる者は、共産主義者にはなれません。

 働くことをきらい遊んで暮らそうとする思想は、搾取階級の思想であります。貧しい暮らしをしてきた人や下男暮らしをしてきた人、そして古くからの労働者のなかには遊んで暮らそうとする習性がありません。地主や資本家、商売人のように他人を搾取して豊かな暮らしをしていた人が働くことをきらうのです。かれらは過去に遊んで暮らしたので、いまでも遊んで暮らしたがっています。ところが以前には、よく働く人も遊んで暮らすことをうらやましがり、労働をいやしんだものです。それで、人びとは福々しい男の子を見ると「この子はなかなか立派な顔をしている、大きくなったら遊んで暮らせる顔立ちだ」といい、きれいな娘を見ては「あの娘はたいした器量だ、金持の跡取りの嫁になれる」といったものです。金持の跡取りの嫁になれるというのは結局遊んで暮らせる星まわりだということです。遊んで暮らす者が支配していた古い社会では、人びとがこう考えたのも無理はありません。かれらはまだ階級的に目ざめていなかったため、遊んで暮らす人を憎み悪く思うのではなく、かえって自分たちもなんとかして遊んで暮らせる運にめぐりあえないものかと、それをうらやましがりました。それで、かれらは働く人としての誇りをもつことができず、できるだけ楽な仕事をし、できることなら遊んで暮らそうとしたのです。

 私は解放直後、学生のあいだに技術を学ぶより法律を学ぼうとする傾向が多いことを知りました。かれらは、おそらく法律を勉強して裁判所の判事か検察所の検事にでもなり、大きな椅子に座って裁判でもするのが、工場で働く技師よりはるかにいいと考えていたようです。これは、すべて日本帝国主義思想の残りかすであります。日本帝国主義の支配当時、裁判所の判事や警察署長などは遊んで暮らし、権力をかさにきて人の物をたくさん奪い取りました。解放前にこういったものを見てきたため、解放後も学生たちは法科にばかり入ろうとしました。そこで我々は、法科の定員を制限し、大学生の75%以上が必ず技術学科で学ぶようにしました。

 いまでも、我々のなかには、座って書きものをしたり事務をとったりすることを好み、工場や農村で汗を流して働くのを好まない人がいます。骨の折れる仕事をいやがり、遊んで暮らすのを好む思想は、誰にもいくらかはあるようです。

 我々の社会では労働が最も神聖で光栄あるものです。各人はその能力に応じて働くのが社会主義の原則ですが、仕事をできるだけ多くし、進んで困難で骨の折れる仕事を求めるのが新しい人間の重要な特色であります。チョンリマ(千里馬)の騎手たちは、常に先を争って骨の折れる仕事の先頭に立ち、社会主義建設で限りない献身性と創意性を発揮して、現時代の英雄としてすべての人から愛され尊敬されています。我々は、誰もが労働を好み、働くことを楽しく思うように習慣づけなければなりません。

 次に、利己主義思想に反対してたたかわなければなりません。利己主義とは、他人はどうなろうと自分だけよい暮らしをしようという思想です。おそらく、すべての人にこういった悪い思想が少しずつはあると思います。もともと、人間は利己主義的なものではありません。利己主義思想は私的所有から生まれたものであり、人間による人間の搾取がはじまったときから搾取階級の思想となりました。利己主義は非常に悪い思想であります。利己主義者は自分一個人の利益と享楽のためには他人の生命や財産を犠牲にすることもためらわず、国と人民を売りわたすこともはばかりません。

 利己主義思想を捨てることなしには共産主義者になることも、革命家になることもできません。特に、こんにち我々の社会主義社会において、利己主義思想は我々の生活とは根本的に相いれないものです。いま我々は、搾取者のために働いているのではなく、自分自身と自分の国、自分の社会のために働いています。このような社会で自分のものだけを大切にし、国や集団のものはみな駄目になってもかまわないと考えるような利己主義思想は許されません。国の財産も結局我々自身のものであって、よその人のものではありません。国の財産、社会の財産は、全人民の共同の財産であるから個人のもの以上に大切であります。共産主義者は自分一個人の利益よりも国と社会の利益を重んじ、党と革命の利益のためには生命までも惜しまず最後までたたかうのであります。

 利己主義思想は家庭生活の面でもあらわれます。一部の人は、妻が男の子を産めないからといって離婚しようとします。男の子がいないとさびしいかもしれませんが、共産主義者にとってそれがどうして大きな問題になるのでしょうか。そのために、結婚してともに暮らしてきた妻を捨てるということは間違っています。

 また、一部の立ちおくれた婦人は、自分の子だけを可愛がり、他人の子は可愛がりません。そのくせ「けものでも自分の子は可愛がる」といっています。自分の子だけを可愛がり、他人の子を可愛がることができないとすれば、人間がけものにまさるところはありません。我が子を愛する心情で他人の子を愛さなければなりません。人間を深く愛し、他人の苦痛を自分自身の苦しみとする人であってこそ真の共産主義者になれます。

 私は李英淑さんを高く評価します。他人の子を9人もひきとって育てるというのは容易なことではありません。彼女には利己主義がありません。英淑さんはひたすら、どうすればすべての子供とすべての人が豊かに暮らし、我が国がもっと繁栄するようになるのかを考えているのです。彼女は自分の子と他人の子をわけへだてせず、全く同じように可愛がりました。彼女は、本当に共産主義思想と道徳を深く体得した我が国女性の模範であるといえます。(注1)

 私は共産主義社会になると家庭もなくなり、我が子と他人の子の区別もなくなるというのではありません。共産主義社会になっても家庭があり、自分の息子や娘があるはずです。しかし、共産主義社会では、人びとが自分の子だけを愛するようなことは決してないでしょう。共産主義社会になれば全社会が一つの家庭になり、自分の息子、他人の息子をとわずすべての子を同じように可愛がり、愛するようになるでしょう。

 自分だけがよい暮らしをしようとする利己主義思想は、誰もがひとしくよい暮らしをしようとする共産主義思想と根本的に異なります。我々は、誰であろうと自分に利己主義思想があることを認めることから出発して、それをなくすためにたゆみなく努力しなければなりません。

 次に、我々は集団主義の思想を身につけるようにすべきであります。共産主義社会はむつまじく団結した社会であります。集団を愛し、祖国を愛し、同志を愛することがすべての人の習性とならなければなりません。集団をはなれて一人で暮らすことを好み、集団生活の規則を守らず、友だちとむつまじくせずにいざこざをおこし、集団の雰囲気を暗くするのはよくないことです。自分の主張だけに固執して人の忠告に耳をかそうとしなかったり、自分が一番だと思って他人をみくびり、人をけなしたりするのでは集団生活を立派におこなうことはできません。我々朝鮮人には昔からむつまじく暮らすよい風習があります。我々はこうした伝統的な美しい道徳をもっと生かすべきであり、いたるところでむつまじく明朗な雰囲気をつくりだすようにしなければなりません。

 次に、我々は不健全な生活に反対してたたかわなければなりません。これもみな古い社会の残りかすであります。酒を飲み、ばくちをうったり、男女間の風紀を乱しふしだらな生活をすることを徹底的になくさなければなりません。楽しく遊ぶことは決して腐敗、堕落を意味するのではありません。我々は、より高尚で文化的な生活を楽しむべきであり、常に健全な生活をきずいていかなければなりません。

 我々はあらゆる古い思想の残りかすを一掃するために、長期のたゆみないたたかいを進めなければなりません。

 古い思想に反対するたたかいで母親の役割は極めて大きいものがあります。

 人間は、一般的に家庭と学校において、そしてまた、一般社会生活において教育を受けます。ところで家庭教育は、学校教育、社会教育の基礎となり、人間を教育するうえで極めて重要な意義をもちます。

 家庭は父母妻子、兄弟姉妹など血縁の極めて近い人たちが寄りあって生活をともにする社会の細胞であります。ここで人びとは幼いときから、一番近い人たちから日常的に教育を受けます。家庭では、学校や社会でできない教育を立派におこなうことができます。

 ところで、家庭教育においては、母親が重要な責任を負わなければなりません。どうして父親より母親の責任が重いのでしょうか? それは、子供を産み育てるのが母親であるからです。子供にたいする第一の教育者は母親であります。母親は子供に歩くことから話すこと、衣服のきかた、ご飯の食べかたにはじまり必要ないっさいのことを教えます。母親が子供にたいする最初の教育を立派におこなうかどうかは、子供の進歩にとって大きな意義をもちます。母親が家庭教育を立派におこなえば、学校や社会組織での教育が非常に容易になります。母親が立派に教育すれば、学校で勉強もよくし、社会に出てからも仕事を立派にするようになります。

 幼年期に母親から教わったことは一生忘れません。我々の記憶に一番ながく残っているのは母親から聞かされた話や母親の模範であります。母親から受けた印象は、人びとの性格や習慣を形成するうえに重要な影響を及ぼします。昔からすぐれた人たちは幼いときから母親の立派な教育を受けました。

 我々はいま、馬東煕(マドンヒ)同志のお母さんと席をともにしています。彼女は、息子や娘を常に愛国主義の精神で教育しました。その結果、息子と娘、嫁までがみな革命家に育ちました。馬東煕同志は、常に革命任務を忠実に遂行しました。かれは、恵山(ヘサン)地区の地下組織を立て直すために国内に来て日帝警察に逮捕されました。敵はパルチザンの指揮部のありかをいえと、ありとあらゆる拷問をくわえました。当時指揮部は、そこから遠くないところにあったのです。馬東煕同志は、指揮部のありかが敵に知れたら革命に大きな損失を与えるということをよく知っていました。かれは拷問を受けて意識を失ったとき、うわごとにでも指揮部のありかをもらしはしないかとおそれて自分の舌をかみ切りました。このような人が真の英雄なのです。日本帝国主義者は、こんな恐ろしい共産主義者は裁判にかける必要もないと言って警察署でかれを残忍に虐殺しました。しかし、馬東煕同志のお母さんは気を落とすことなく息子のなきがらを葬り、その後も祖国のために節操を守りとおしました。まさに、このような朝鮮の母がいたからこそ、あのように英雄的な息子が生まれたのであります。

 共産主義者は、社会と人民のためなら自分の生命までもささげなければなりません。馬東煕同志のお母さんは息子を愛したけれども、それは決して利己主義的なものではありませんでした。彼女は息子が敵に屈服せずに死んだのは当然のことであり、また息子は死んだけれども、それは革命と人民のために利益となったから立派なことだと考えました。彼女は、我が子の命よりも、祖国と人民と革命を貴いものと思っているのです。すべての母親が馬東煕同志のお母さんのように自分の息子や娘を革命的に教育するならば、子供たちはすべて立派な共産主義者に成長するでしょう。

 いま我が国の子供たちには、誰もが立派な人になれる有利な条件がととのっています。もともと悪人という種子があるわけではありません。人間に善と悪の種子があるというのは、過去に支配階級がつくりだした偽りごとであります。人間は、生まれるときにはひとしく立派な人間になれる素質をもっています。立派な教育を受けるか悪い影響を受けるかによって、立派な人間と悪い人間とに分かれるようになります。特に、父母がどんな影響を与えるかに大きくかかっています。(注2)

 我々が出身階級を問題にするのは、昔のように人間の種子を区別するためではなく、どのような影響を受けたか、はっきり理解するためです。どうして地主の息子が悪いのかというと、かれは自分の父親が人を搾取したり、小作人をなぐり侮辱し横柄な行動をするのを見習ったかもしれないからです。

 いまは地主も資本家もいません。搾取も抑圧もありません。すべての人が学校で学び、どこで働こうとすべて立派な教養を身につけられるようになりました。したがって、どんな家庭の子供でもすべて立派な人になれるのです。

 こんにち我が国の母親には、子供を立派な共産主義建設者に育てるべき重い任務が負わされています。すべての母親が、未来の共産主義社会の主人公を育てるという重い責任と栄誉をいっそう深く自覚しなければなりません。

 いまではすべての条件が立派にととのっているので、母親は子供を教育するために努力しさえすればよいのです。

 子供を教育するのには、なにか変わった方法を必要とするものでもありません。こんにち我が国で数多く創造されている模範的事実をもって子供を教育すればよいのです。

 こんにち、いたるところで新しいタイプの人間が生まれており、誰もが感動的な多くの事実を知っています。おそらく、ここに集まっている人たちのうちで漁郎(オラン)の妻の話や方夏洙(バンハス)少年を救った共産主義的な医療従事者たちの話、吉確実(キルホワクシル)さんや李信子(リシンジャ)さんの話を知らない人はいないでしょう。

 このような立派な実例をもって子供を教育するならば、かれらは間違いなく立派な人になれるでしょう。

 子供の教育を立派におこなうためには、まず母親自身が立派な共産主義者にならなければなりません。自分は働くことをきらい、勉強することもいやがり、利己的な行動をしながら、子供にだけ立派な人になれと要求してはなりません。人を教育するにあたっては言葉よりも実践的な模範が先立たなければなりません。子供を共産主義建設者に育てるためには両親がまず共産主義的な母親、共産主義的な父親にならなければなりません。

 在京(チェギョン)里の厳(オム)さんは、いま共産主義的なおじいさんとして広く知られています。これは共産主義的な母親にかんする話ではありませんが、参考になると思います。厳さんは羅津(ラジン)の人で、解放前は作男などをして非常に貧しい生活をしてきましたが、解放後には土地の分配も受けて豊かな暮らしができるようになったそうです。戦争がおきるや、かれは息子たちに、お前たちは祖国を守るために最後まで敵とたたかわなければならないと言って、かれらを前線へ送りだしました。戦争が終わると息子たちは帰ってきて学校で勉強をしましたが、そのうちの一人は既に総合大学を卒業して金策(キムチェク)工業大学で教員をしています。ところで、金策工大で教鞭をとっている息子が父親に、もう年もとり、働くのもたいへんだろうから平壌にきて一緒に暮らしてはどうかと手紙をだしたらしいのです。それで、厳さんは平壌の息子の家にやってきました。ところが、アパートの窓外ではあちこちで起重機が動き、新しい建物が次から次へと立ち上がり、若い青年はもちろん、すべての人がたいへん活気にあふれて働いていました。これを見たかれは、全国の人が社会主義建設のためふるいたっているというのに、この年で息子の家にきて何もしないで嫁の炊いてくれるご飯を食べていたのでは労働党員としてたいへん恥ずかしいことだと考えました。それで、かれは再び働くことを決意し、在京里に行って協同組合員として働くようになりました。協同組合でかれは仕事も他人より模範的にやり、よい意見もたくさん提起しました。私がいつだったか在京里に行って会議に参加したとき、今年穀物百万トンの増産課題が遂行できるかと聞いたところ、後ろの方で一人の老人が立ち上がって、いくらでも遂行できるし、また必ずしなければならないと力強く答えました。聞いてみるとその老人がほかならぬ厳さんだったのです。

 青山里(チョンサンリ)の文貞淑(ムンジョンスク)さんもまた模範になるでしょう。彼女の夫は祖国戦争に参加して戦死しました。彼女が、一人で幼い子供をかかえて生きていくというのは難しいことでした。それで、内務省にいる兄と工場の技師長をしている兄が、一緒に暮らそうといって妹を呼びよせようとしました。しかし、文貞淑さんはこれに応じませんでした。彼女は自分は労働党員として絶対に遊んで暮らすわけにはいかないと考え、子供も自分の力で勉強させ、国のためにもっと働こうと決心しました。私が青山里党会議に参加したとき、文貞淑さんは非常に立派な発言をしました。彼女は、この村にはいまでも遊んで暮らすのを好む寄生虫のような主婦たちが多いが、例えば、校長先生の奥さんのような人であるといいました。校長先生の奥さんを腹のなかの虫にたとえたのだから批判がきつすぎたのはたしかですが、必要な批判でした。批判を受けた校長先生の奥さんもできた人でした。こういった批判を受けて気を落とすのではなく、そのあくる日から寄生虫のような生活をふりきって働きだしました。批判のききめがあらわれたのです。私は他人の世話にならず、なにごとも自分の力でなし遂げようとする文貞淑さんの強い意志と、すべての仕事にねばりづよく取り組む彼女の品性を高く評価します。

 このほかにも多くの模範的な母親がいます。1、2の特別な人だけが共産主義的な母親になれるのではありません。利己主義を捨てて党の教えるとおりに行動すれば誰でも共産主義的な母親に、共産主義的なおじいさんになれるのです。我が国のすべての母親が一人残らず共産主義的な母親になり、子供を共産主義建設者に教育し育成しなければなりません。

 次に、子供を身ぎれいにする問題について述べたいと思います。過去には条件が備わらなかったため子供を身ぎれいにできなかったかもしれませんが、いまではそんなことを口実にすることはできません。いまは子供の身のまわりをきれいにしてやれる条件が十分に備わっています。2、3年前なら、あるいは金がなくて子供の身のまわりをきれいにしてやれないと言えたかもしれませんが、いまではそんなことは言えません。おそらく主な原因は、母親がいつまでも古い習慣にとらわれ、子供を身ぎれいにしようという自覚が足りないところにあるようです。

 私は昌城(チャンソン)に行ったことがあります。水豊(スプン)発電所の建設によって、昌城郡の肥えた土地はすべて水中に没し、山麓だけが残りました。そのため住民はたいへん貧しい生活をしてきました。国では、かれらの生活を向上させるために少なからぬ資金も支出し、いろいろ対策を講じました。こんにち昌城郡の人たちの生活は著しく向上しました。私がたびたび訪れる牧場がありますが、最初は組合として組織されたものを経済的土台があまりにも貧弱だったので国家がこれを援助するために国営牧場に切りかえました。いまこの牧場で働く人たちは毎月40〜50ウォンの収入を得ています。それで働き手が2、3人いる家庭では月収が100〜150ウォン程度になります。これは少なからぬ収入です。このように収入が多いにもかかわらず、子供の身のまわりの世話をよくしない家があります。

 ある家を訪れたところ、その家はきれいに整頓されていました。部屋のなかをのぞいてみると床紙も壁紙もきれいに張ってあり、えもんかけには子供の服も何着かかかっていました。子供が4人もいるのに、みな清潔な身なりをしていました。庭さきには花も植えられ、家のまわりもよく整頓されていました。そのときは、ちょうど昼食の時間でした。きれいに整頓された台所では、その家の主婦がおいしそうなカボチャの煮付けをつくっているところでした。子供たちのノートを見せてもらいましたが、字もきれいだし新聞から切り抜いたいろいろな資料もよく整理されていました。主婦は収入がなく主人だけが働いていましたが、毎月46ウォンほどもらっているとのことです。収入はわりに少なく子供が多いにもかかわらず、こんなにも上手に家計をきりもりしているのです。

 ところが、もう一軒べつの家を訪ねてみたところ、これとは反対に家がたいへん不潔で子供たちの身なりもひどいものでした。部屋のなかはほこりだらけで、床紙も壁紙も張っていませんでした。台所はちらかし放題で、子供たちは服もろくに着ていませんでした。この家でも主婦は働かず主人だけが働いていたのですが、収入は最初の家の倍にもなりました。家の中があまりにも乱雑で子供たちもきたない身なりをしているので、その家の主人をすこしたしなめたところ、かれはそれでもこれ位なら過去とは比べものにならないほど良い暮らしをしているのだと弁解していました。それで、党員なのかとたずねると、細胞委員長をしていると答えました。以前あまりにもみじめな生活をしてきたため、かれはいまの生活も相当な暮らしであると考えたのかもしれません。しかし、党の細胞委員長ともあろう人が、これほど所帯もちがうまくないというのは非常に遺憾なことです。かれはほかの人より収入も多く子供も少ないのに、なるがままに暮らしてきた、かつての悪い習慣をなくすことができなかったばかりに、家の手入れや子供の世話をこのようにいい加減にしていたのです。

 ことによると商店に布地がないのではないかと思って商店に立ち寄ってみたところ、布地は多く、値段も高くありませんでした。我が国では白頭(ペクトウ)山の麓でも、平壌市内でも商品の値段は同じです。子供の服を一着つくるのに布地が2メートルくらいいるそうですが、2メートルに6ウォンかかるとしてもさほど高いものではありません。田舎で薪も買わず水道料も払わないはずなのに、90ウォンももらう賃金をどこへ使ってしまって、子供たちを満足に着せもしないのかわかりません。これは収入の問題ではなく、結局人びとの生活観点の問題であります。そこで、私は党中央委員会にこの事実を報告し、生活をもっと文化的に営み、子供たちの身のまわりを清潔にする問題を強く提起しました。

 いまの我が国の状態では、子供の身なりをととのえようと思えばできないことはありません。さきほど新美里(シンミリ)の女性同盟委員長も立派な発言をしましたが、結局婦人たちがまだ開けていないせいであります。婦人たちが生活をきちんときずいていくことに少し関心を払えば、すべて解決されることです。母親たちが簡単にできることをやらず、それをさほど大きな誤りとも思っていません。ある家では子供の髪もろくにといてやらず、帽子や鞄がなくても別に心配もせず放置しています。子供の帽子や鞄をつくるのにさほど大きな金がいるわけではありません。問題は誠意が足りないところにあります。家庭で子供たちの身のまわりをきれいにしてやれば、かれらが学校へ行ってもすべてのものを清潔にし、将来文化的な生活を営む新しい人間に成長することができるのです。家をきれいに整頓し、子供の身のまわりを清潔にしてやることが、子供の教育においていかに重要であるかを母親たちはより深く理解しなければなりません。

 もちろん国家機関にも誤りがあります。当該部門の活動家たちと話し合ってみましたが、子供にたいする配慮が足りないということを認めざるをえません。子供用の服、はき物、靴下、歯ブラシ、学用品、玩具、文芸作品などが多くありません。

 いま子供の興味をそそる小説や童話にしても満足に発行されておらず、児童映画も何本もありません。また、児童劇場もこれといったものがありません。国家機関の活動家たちの誤りにたいしては、既に批判がくわえられ、誤りは改められつつあります。

 しかし、大切なことはやはり、子供たちの身のまわりをきれいにしてやろうという母親の誠意であります。我々が子供のときには歯ブラシなど見たこともありません。それでも毎日塩で歯をみがいたものです。品物がないために子供の身のまわりを清潔にしてやれないというのはたいした理由になりません。子供を立派に育てようという母親の責任感さえ強ければ、なんとしてでもみな解決できるものです。

 我々がいま苦労をしながら新しい社会を建設するのはいったい誰のためでしょうか。もちろん、我々自身のためでもありますが、主に次の世代のためであります。いま植えてあるりんごの木から我々がりんごを取って食べることもできるでしょうが、それが我々自身のためであるというよりは次の世代のためであるといった方がより正確でしょう。いま我々は大同(テドン)江畔に立派なプロムナードを建設するため力を入れていますが、これも、やはり我々の受け継いだものが貧弱なためであります。我々はすこし苦労をしてでも、我々の世代が多く仕事をして、次の世代に立派なものを譲り渡さなければなりません。

 最近になって、幼児の死亡率が大幅に減りました。それは人民の生活水準が全般的に高まり、保健医療施設が急速に発達したためであり、また母親たちの自覚も高まり、女性同盟でも努力した結果だと思います。

 子供たちの健康にとって決定的なのは母親の努力であります。母親が子供の身のまわりをきれいにし、衛生的に育てなければなりません。母親は衛生知識をもち、病気の予防や治療の仕方を知っていなければなりません。そうして子供にご飯もほどよく食べさせ、衣服も季節に合わせてつくって着せ、常に病気を予防する対策を立てなければなりません。いま新聞、雑誌、ラジオなどで衛生知識を普及しており、母親学校で母親たちに必要な知識を与えています。母親たちが暇をみつけて熱心に学べば、家の中を文化的、衛生的にととのえ、子供の身なりをこぎれいにできる立派な母親になれるでしょう。これからは子供の身なりを清潔にする運動、家庭を清潔にする運動、子供の病気を予防する運動を広く展開すべきです。

 終わりに、女性同盟の活動について簡単に述べたいと思います。

 社会主義建設のうえで、特に子供を共産主義的に教育するうえで婦人の役割が極めて大きいことに照らして、女性同盟の活動をいちだんと強化する必要があると考えます。

 女性同盟の活動は、以前に比べて著しく発展しました。以前とは違って、いま女性同盟にはすぐれた幹部が多数配置されています。以前はハンドバッグでもさげ、きどって歩いていた人たちが少なくありませんでした。このような人たちは大衆のなかにはいることができず、女性同盟の活動の発展に大きな支障を与えました。このような人たちをやめさせて、階級的立場のしっかりした党の中核分子で女性同盟の幹部陣容をかためたことは非常に正しい措置であったと思います。

 女性同盟の活動家といえば、必ずかつてどこかの大学や専門学校を出たインテリ女性だけがなれるものと考える人たちがいましたが、これは大きな誤りです。女性同盟が相手にすべき婦人は工場や農村で働く勤労婦人であります。ところが、工場の生活や農村の生活については皆目わからず、化粧をこらしはでにパーマをかけて歩くことしか知らない、いわゆる開けた婦人たちにどうして女性同盟の活動ができるでしょうか。事実、パーマをかけたり服をきれいに仕立てて着かざったりすることは、たいして重要なことでもなければ習うのもたやすいことであります。田舎の婦人でもちょっと教えてやればすぐおぼえられます。しかし、ハンドバッグをさげて遊ぶことがすきな婦人を、勤労婦人たちと呼吸をともにし、婦人たちに党の政策を貫かせるためねばりづよくたたかう女性同盟の活動家に改造するというのは容易なことではありません。したがって、工場や農村で実際の労働を通じて鍛えられた堅実な人たちを幹部に登用したほうがよいと思います。きのう発言した人たちをみても、かつて下女奉公をし苦労をしてきた人たちです。このような人たちが中核になるのは当然なことです。我が党が強く、我が国が強いのも、まさにこのような人たちがすべての分野で中核となっているからです。今後も我々は幹部の選抜、配置にかんする党の原則をしっかり踏まえて、ひきつづき女性同盟の幹部陣容を強化しなければなりません。

 もちろん、インテリを幹部に採用してはならないというのではありません。堅実なインテリは幹部に採用すべきであり、また将来はすべての人がインテリにならなければなりません。インテリというのは特別なものではありません。大学の卒業証書をもっている人だけがインテリなのではありません。きのうときょう、ここで発言した人たちはみなインテリだといえます。真のインテリは卒業証書をもっている人ではなく、生活に必要な知識を身につけた人であります。かつて角帽などかぶって歩いたインテリは、当時の書物についてはわかるかもしれませんが、現在、我々に必要なことはなにも知りません。しかし、実際の活動を通じて学んだインテリは、すべての問題について正確で豊富な知識をもっています。

 もちろん、学校を出なかった人たちはもっと学ばなければなりません。大学の通信教育学部を通じて学ぶこともできるし、独習することもできます。こうして女性同盟の幹部がみな新しいインテリにならなければなりません。我々は今後も労働者、農民のなかで育ち、かれらのなかに深くはいって立派に活動し、党の政策を貫くためにねばりづよく取り組んでいく人たちで女性同盟の幹部陣容をかため、その水準を高めるためにたゆみなく努力しなければなりません。

 次に女性同盟の重要な課題は、すべての婦人を共産主義的な母親に、新しい世代の立派な共産主義教育者に変え、彼女たちを社会主義建設に積極的に参加させることであります。共産主義的な母親になることと社会主義建設者になることは互いに切り離すことのできないものです。遊んで暮らす人は共産主義的な母親にはなれません。共産主義的な母親になるためには、なによりもまず社会主義建設に熱意をもって参加しなければなりません。社会主義建設に積極的に参加してこそ、たえず発展する現実に立ちおくれることなく、共産主義思想を速やかに体得することができます。現在、我が国には大学を出ながらも仕事をせず家で遊んでいる婦人が千数百名もいます。もともと大学を卒業すれば5年以上職場に勤めるのが法的義務となっています。家で子守りをしたりご飯を炊いたりする人を養成するために国家が大学で勉強させたのではありません。女性たちが大学を出ても職場に進出しないので、幹部養成機関では女性を学生として受け入れるのをためらうまでになりました。もちろん女性を勉強させなければなりません。女性のなかからも修士や博士がたくさん生まれなければなりません。いま我が国の婦人のなかにはまだ博士がいません。これは遺憾なことです。婦人のなかから政治、経済、文化のあらゆる部門のすぐれた幹部がもっと多く出なければなりません。

 我が国の婦人のなかには社会に出て重要な仕事をするより子供でも産み、家庭にとじこもっているのがよいことのように考える人が少なくありません。こういう人たちは、年がいってから嫁にいく人たちをできそこないだと言っていじめており、またおそくまで結婚せずに勉強している人たちにたいして陰口をたたいています。女性同盟では、このような正しくない傾向とは厳しい思想闘争をおこなわなくてはなりません。

 我々は女性たちが嫁入りし、子供を産むことに反対するものではありません。それは人間の本性であり、またよいことです。よくないのは勉強をし、すべてのことをするのも、嫁入りし子供を産むためであるかのように考える女性たちの間違った考え方であります。嫁にいき、子供を産んでからも勉強をつづけて修士や博士になれるし、またそうならなければなりません。

 女性たちが嫁にいってからもひきつづき社会的に進歩するようにするためには、彼女たちにいろいろな条件をととのえてやらなければなりません。託児所、幼稚園、クリーニング店などをたくさんつくって婦人の社会的進出を助けるべきであります。国家ではこういった施設の建設に特別な関心を向けています。しかし、いますべての分野で膨大な建設事業が進められているため、国で建設するものだけでは婦人たちの需要を円滑にみたせないこともあるでしょう。もちろん、将来は婦人の社会的進出のために必要ないっさいの施設をすべて国家が建設するようになるでしょうが、当分の間は少々難しいかもしれません。しかし、女性同盟が仕事を立派に組織すれば、婦人が力を合わせて自力で多くのことを解決できると思います。

 平壌市西城(ソソン)洞での経験は立派な手本になると思います。女性同盟では、婦人たちが集まって託児所やクリーニング店、共同食堂などをつくる運動を展開したらよいと思います。こうして、婦人が社会に進出できる条件を十分にととのえ、社会主義建設における婦人の役割をさらに高めなければなりません。

 過去の女性同盟の活動で重要な問題は、文盲を一掃し婦人を抑圧する封建思想をなくすことでしたが、いま我が国ではこのような活動はそれほど問題にならないと思います。こんにち、女性同盟は婦人を社会主義建設へ積極的にふるいたたせ、彼女たちに十分仕事ができる条件をつくってやることに力を注がなければなりません。

 第4回党大会の報告にも指摘されているとおり、女性同盟の活動は我が党活動の重要な一部分であります。市・郡党、里党をはじめ、各級の党組織は、女性同盟の活動を強化するため積極的な指導と援助を与えなければなりません。

 このたびの母親大会は、女性同盟の活動をさらに強化発展させるうえでもよい契機となるでしょう。私は、この大会以後、母親の子供の教育と女性同盟の活動において新たな転換がもたらされるよう期待します。

出典:「金日成著作集」15巻

 (注1)朝鮮劇映画「雪の中に咲いた花」は、金正日総書記が工場を立派に建設し、祖国の未来のための事業にもすべてをささげた慈江道のある女性支配人を高く評価して、時代の花として、おし立てた実在の事実にもとづいている。

 苦難の行軍の時期、稼働できない工場の支配人に任命された映画の主人公インスンさんは、金日成主席の遺訓を貫徹するためのたたかいへと従業員を決起させる。

 インスンさんは、ひとつの工場の業務に責任をもった忙しいなかでも、殉職した機械工たちの息子らを受け持って育て、母の職場を受け継いで働くようにするために努力する。

 インスンさんの真心に感動した従業員たちは、小規模の地方産業工場を国のためになる軽工業拠点に転変させる。(2011年10月28日、朝鮮中央通信報道)


 (注2)「性善説」「性悪説」を参照。


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