金 日 成

党活動の中心はすべての人を教育改造し、
団結させることである
平壌市勝湖区域梨峴里党総会でおこなった演説 
1961年1月23日

 同志の皆さん!

 このたび梨峴里の党のアクティブと話し合い、きょうはまた、この里党総会に参加して報告や発言を聞いたので、里内の実情と皆さんのおおよその活動状況を理解することができました。

 実情をもうすこし詳しく知るためには、2、3の初級党組織のアクティブと話し合い、少なくとも一つの初級党組織の総会には参加し、里党委員たちと1、2度個別的に話し合ったのちに、この総会に出席するのが順当でした。しかし、事情があってそれができなかったので、実情を十分に理解できたとはいえません。

 指導グループが他の区域や里に出かけて活動する際には、次のような手順を踏むべきだと思います。

 まず里党委員たちが任務を分担し、各初級党組織に出かけて党員を集め、チョンサンリ(青山里)精神をどのように貫徹したかについて、話し合いのかたちで討議すべきです。そこではまず、党活動の成果と欠陥について討議し、次にそれと結びつけて生産の成果と欠陥を討議すべきです。

 生産がかんばしくない原因を党活動に求めようとせず、たんに肥料や農業機械のせいにしたのでは問題が解決されません。党が青山里で提起した課題をどのように受け入れたか、どれを受け入れ、どれを受け入れなかったのか、また受け入れたとしても何が実行できなかったかについて十分に討議した後で、生産における長所と欠点を検討してみるべきです。

 こうして、党員たちに生産での成果と欠陥を生みだした党活動上および思想上の根源を十分に理解させたうえで、党中央委員会総会が示した課題と関連して、新しい年には何をなすべきか、どんなことに注意を払うべきかという問題を出すようにしなければなりません。そのうえで初級党総会を開けば、すべての党員が各自の活動上の長所や短所およびその原因を十分に知り、今後の課題についても十分に理解したうえで会議にのぞむようになるので、短時間に会議を成功裏に進めることができます。

 会議というのは、いつでも準備が難しいのであって、準備がよくできていれば、それを進めるのはたやすいものです。会議の準備が不十分であれば意見がまちまちで会議にまとまりがつかず、時間がながびくようになりますが、あらかじめ準備を十分にしておけば、意見がよくまとまって会議を速やかに進めることができます。

 里党委員会は、このように各初級党組織に総会を開かせたのちに、各党組織の会議で提起された問題を総合して里党総会に提出する報告書を作成すべきです。このようにして里党総会を開けば会議は極めて成功裏に、簡単に進められるでしょう。

 見たところ、梨峴里では里党総会の準備が比較的よくできているようです。私はきょう、この梨峴里の党総会に参加して、青山里に対する指導があってから1年にもならないのに、農村の里党組織の活動で大きな発展が遂げられたのを目にしてたいへんうれしく思います。

 農村の里の党活動にどのような変化が起こったのでしょうか。

 まず、幹部たちが自分のなすべき仕事をはっきりと知るようになりました。昨年、青山里に行ったときには、多くの活動家が党活動の方法も知らず、農作業の手配の仕方も知りませんでした。しかし、いまでは、党委員長、管理委員長、作業班長、民青委員長、扇動員たちがそれぞれ、何を、いかになすべきかを知っています。

 いまでは、活動家が一人で忙しくかけずりまわるのではなく、党組織と党の中核分子に依拠して活動するようになりました。作業班で困難にぶつかったとき、党会議を開いて党員に呼びかけ、彼らの熱意を呼び起こし、大勢の知恵を集めて困難な問題を解決したのは非常に立派な活動方法です。

 これこそ、かつて抗日パルチザンが用いた方法であり、人民軍が決戦を前にして前線で党会議を開いた、まさにそのような方法であります。

 革命と建設で大衆の底知れない力を信じ、大衆に依拠し、大衆と相談し、その知恵と創造的積極性を引き出すのは、わが党の一貫した活動方法であります。

 党中央委員会1956年12月総会は、このような活動方法の模範を示しました。当時、わが国は極めて困難な状態におかれていました。我々は、悪戦苦闘してようやく戦争による被害から立ち直ったばかりで、まだ工業化の基礎を築くことには手もつけられなかったのに、反党分子らが頭をもたげて党を攻撃しはじめ、他方ではこれに呼応して李承晩が「北進」すると我々を脅迫しました。

 この難局に際して、わが党は少しも動揺することなくみずからの路線を貫き、全党員と大衆の愛国的熱意を奮い起こして局面を打開し、こんにちにいたる4年間、チョンリマ(千里馬)の大進軍をつづけてきました。

 梨峴里の党組織は、わが党のこのような活動方法を正しく学びとり、それを実践しました。

 またこの1年間に、党の内部活動でも大きな発展がみられました。以前には党委員会が党員に対する任務の分担も正しくできなかったのに、いまでは各党員にもれなく任務を与え、わが党を活動する党、前進する党にしました。これは極めて大きな成果であります。

 各党員に任務を分担し、すべての人が動くようにする活動方法を堅持し、それをたえず発展させるべきであります。任務は、必ず各自の性格と能力に応じて適切に分担しなければなりません。昔の小説「三国志」に登場する諸葛亮が戦いに必ず勝ったのも、彼が性格と能力に応じて人材を巧みに使いこなすすべを心得ていたからです。

 軍隊でも有能な小隊長は、状況が変わるたびに隊員の素質と能力に適した新しい任務を与え、具体的な実行方法まで教えるものです。例えば、偵察任務が出された場合、彼は与えられた状況のもとでこの任務を立派に果たせる適任者を選抜し、その隊員に任務を与えるときは、非常に細かいところまでいいふくめます。山のまがりかどではいかに行動し、細道にさしかかればどんな点に気をつけ、橋のたもとではどこに注意を払うべきかなどについて、具体的に教えます。小隊長が仕事をこのように組織しさえすればしくじりはしません。こうするのではなく、いきなりどこそこへ行って一人捕らえてこい、というふうに任務を与えたのでは失敗するに決まっています。

 作業班の場合もこれと全く同じです。作業班には敏捷な人もいればのろい人もおり、荷かつぎのうまい人もいれば田植えの上手を人もいるでしょう。したがって、作業班長は班員たちのこうした素質と能力に応じて作業の配置をおこなうべきであり、任務を分担した後には冷床苗はどのように管理し、肥料はどのように運び、苗はどう植えるかなどについて詳しく教えなければなりません。

 活動家は、誰でもみなこのように仕事をしなければなりません。自分は偉い人間なのに、どうしてそんな細かいことに頭を使っていられようかと考える人がいるならば、それは間違っています。偉い人間ほど小さいことを詳しく知らねばならないし、さ細な問題にいたるまで常に関心を払うべきであります。

 次に、我々が青山里で与えた指示を実行する闘争を通じて、党のアクティブが数多く生まれ、すべての党員の積極性と熱意が非常に高まりました。

 昨年、私が青山里に行ったときには、多くの党員が自分の責任を他人になすりつけようとし、自分の誤りは認めず、他人の欠点ばかり探そうとしました。しかし、いまではすべての人が骨の折れる仕事の先頭に立ち、立ち後れた人に手をかして導き、生活に困っている人を裕福に暮らせるようにしようとしています。ひいては、以前には憎しみをもって敵視していた人までもすべて改造して、わが党のまわりに結集させようと心がけています。

 以前は、一部の人民軍留守家族や敵に虐殺された人の遺族のなかに、配給でももらって他人の汗で暮らそうという、立ち後れた考えをもっている人もいましたが、いまでは彼らのあいだで、人の手本となり、党と国家のためにより多く働かなければならないという自覚が非常に高まっています。それで以前は、里党や協同組合で人民軍留守家族や敵に虐殺された人の遺族をやっかい者扱いにし、負担に思っていたのが、いまでは彼らを大切にし、その困難な境遇に対し心から援助を与えようとするようになりました。

 こうして協同組合は、一つのむつまじい家庭となり、里党はかたく団結した強力で生気はつらつとした戦闘的組織になりました。

 これは、わが党の大衆路線の偉大な勝利であります。我々が社会主義・共産主義を建設する目的は、すべての人に豊かな暮らしをさせることにあります。幾人かの努力や力だけでこの目的が達成できないのはあまりにも明白です。幾百万勤労大衆の熱意と創造的積極性を引き出すことなしには、社会主義・共産主義建設の大業を達成することはできません。

 このような真理をさとり、身をもってそれを実践した李信子(リシンジャ)さんのような模範的な共産主義闘士を育てあげたことは、梨峴里党組織の大きな誇りと言わなければなりません。李信子さんは梨峴里の吉確実(キルホワクシル)だといえます。

 李信子さんは、立ち後れた人を改造して仕事に精を出すようにし、困っている人を助けて立ち直らせ、すべての人がわが党のまわりにかたく団結し、一心同体となって働くように大衆のあいだで教育活動と宣伝・扇動活動をおこないました。彼女の言行は常に一致していました。彼女はわが身の苦しみや犠牲をかえりみず、全力を尽くして党と大衆のために奉仕し、率先して模範を示しました。このような人こそ真の共産主義教育者だといえます。

 梨峴里には、李信子のような人が一人や二人でなく、勝湖区域のほかの里にもみな、このような人たちがいるものと思います。

 青山里に対する指導以後、わが国の農村には、立派な共産主義教育者である数多くの吉確実や李信子があらわれました。これは、わが党がおさめた最も貴い成果であり、わが党の最も貴重な元手であります。

 党員は、人々の思想を改造して、彼らの革命的熱意を呼び起こし、広範な大衆を革命事業に立ち上がらせるうえで大きな能力を発揮し、自分の力に大きな自信をもつようになりました。もし、すべての党員がひきつづきこうした意気込み、こうした自信をもって進むならば、朝鮮革命が勝利することは疑う余地もありません。

 実際のところ私は、青山里を訪ねて以来、いつになったらわが国の農村に積極分子がたくさん生まれ、立ち後れた人々を一人残らず改造して、すべての人を熱烈な社会主義建設者にすることができるだろうか、ということを始終考え、また案じてきました。

 周知のように、朝鮮人民の思想・意識は、長いあいだの帝国主義者の侵略と抑圧によって、たいへん悪い影響を受けました。ほぼ40年にわたる日本帝国主義の支配は、多数の朝鮮人の意識を麻痺させ、祖国解放戦争の一時的後退期には短い期間ではあったにせよ、アメリカ人が朝鮮人民の頭に思想的毒素を植えつけ、多くの人をだめにしてしまいました。

 こうした状況のもとで、一貫して党は帝国主義者の侵略と破壊工作が人々に及ぼした悪結果を取り除き、古い思想に毒された人々を改造して、各階層の人民をすべてわが党のまわりに結集する政策を実施してきました。

 皆さんは、わが党のこの政策を実行するために努力しました。許カイ、朴昌玉、朴イワン、朴永彬などの官僚主義者が長期にわたってわが党に及ぼした弊害は極めて大きいものがあります。いま、我々は、その弊害を取り除きはじめました。それをなくすために、ひきつづき強力な闘争を展開しなければなりません。しかし、我々がこの活動分野で成果をおさめたことは確かです。少なからぬ活動家と党員が、大衆の上にあぐらをかいて大衆をどなりつけるのではなく、大衆のなかに入って説得と教育の方法で彼らを自覚させ、立ち後れた人がみずから奮い立って先進分子に追いつくように彼らを導く、真に共産主義的な活動作風を身につけはじめたといえます。

 活動家がこの程度にまで進歩したからには、穀物100万トンの増産などは問題でないと私は考えます。穀物を100万トン増産するのは、自然と闘い自然を征服する問題です。これは人間を改造する活動に比べれば、はるかに容易なことだと思います。人間を改造することほど難しいことはありません。

 こんにち、わが党と党員は、まさにこの最も難しい仕事である人間を教育し改造する仕事に取り組んでいます。いまでは、わが党員は、党を限りなく信頼し愛しているばかりでなく、党のまわりにより多くの大衆を結集する闘争に自信をもって取り組んでいます。

 党組織が、こうした活動を十分におこなうことのできる献身的な共産主義闘士の不敗の戦闘的隊伍となった以上、恐るべきものは何もなく、いかなる難関も我々の前途をさえぎることはできないでしょう。

 この1年のあいだに、農村の里党組織の活動でこうした大きな転換がもたらされたことを、私は非常に満足に思います。

 このような成果は、黄金よりも、幾100万トンの米よりも貴重なものであり、何物にもかえがたいものであります。

 里党組織は、党内活動と大衆活動で画期的な前進をかちとったばかりでなく、経済活動でも大きな転換をもたらしました。

 梨峴里では、昨年、1戸当たりの分配高が、穀物は2トン72キログラム、現金は764ウォンにのはるというすばらしい成果をおさめました。これは、1959年に比べて1戸当たりの分配高が穀物は2.4倍、現金は3.7倍にそれぞれ増えたことを意味します。梨峴里の状況は平壌市のなかでもさほどよい方ではないにもかかわらず、こういう状況なのです。

 我々が1959年に比べて特別に何かよくしてやったから、こうなったのでしょうか。そのようなことは何もありません。土地もその土地であり、家も人々もやはり同じ家、同じ人々です。ここに変わったものはありません。皆さんは、首相のおかげだの、党中央委員会のおかげだのと言っています。もちろん、党中央委員会の路線は正しく、指導も正しいものでした。しかし、党中央委員会の路線と指導は、以前もやはり正しいものでした。ところが1959年には仕事が思わしくなかったのに、1960年にはうまくいきました。その原因は何でしょうか。党組織、とりわけ、里党組織、里党委員長をはじめ、管理委員長、初級党組織の委員長、作業班長、すべての党員、民青員、女性同盟員が一体となり、党の決定と指示を立派に実行したところにその原因があります。

 党の決定と指示がいかに正しくても、党員と大衆がそれを実行しなければ、それはたんなる空文にすぎません。皆さんが最大限の熱意を発揮して党の政策を貫いたからこそ、すべてがうまくいったのです。

 それゆえ、皆さんが党中央委員会に感謝するのではなく、私が党中央委員会を代表して皆さんに感謝しなければならないと思います。

 すべての事実は、党の政策をあくまで実行したところでは仕事がうまくいきましたが、党の政策を実行しなかったところでは、仕事がうまくいかなかったということをはっきりと示しています。

 かつて、非常に貧しい暮らしをしていた昌城郡の人たちが、どうしていまは豊かな暮らしができるようになったのでしょうか。郡党委員長が、山をひかえているところでは山を利用せよという党の方針を忠実に実行したため、昌城郡の暮らしが豊かになったのです。

 昨年、他の道ではみな作柄がよがったのに、なぜ両江道では不作だったのでしょうか。一部の郡で、党の指示した収穫の多いジャガイモを植えずに大麦をたくさん植えたため、両江道では昨年の農作がかんばしくなかったのです。両江道で大麦はヘクタール当たり300キログラムとれましたが、ジャガイモは8トンとれました。米とジャガイモを1対4で換算すれば、両江道ではヘクタール当たり2トンの米を生産するかわりに300キログラムの大麦を生産したことになります。党の政策を実行しなかった結果は、まさにこのとおりです。

 それでは1959年度には、なぜわが国の農作がかんばしくなかったのでしょうか。1959年の作柄がよくなかったことには、いろいろな理由があります。農業協同組合を統合してまだ日が浅かったので、30~40個の小さな組合しか運営したことのない管理委員長長たちにとって、急に大きくなった組合の経済活動を正しくきりもりすることは不可能でした。

 協同組合では、作業班をたくさんつくる方がよいのではないかと思って、数多くの作業班をつくりました。

 また、農業省に高昌運という悪い者がいて、「豊年サッカー競技」と銘うって農繁期の5~6月に、農作業から青年たちをひきはなして各地にひっぱりまわしたため、おびただしい労働力を浪費しました。

 一方、多くの組合では、作業基準量を正しく定めず、作業日も正しく評価せず、社会主義的分配の原則を守らずに不公平な分けかたをしました。

 また、教条主義の誤りも少し犯しました。後作のトウモロコシをそっくりサイレージにしたので、牛の飼料にもことかき食糧にも使えませんでした。

 そして、もちろん必要なことではありましたが、潅漑工事を大々的におこなったので、その年の農作に十分力を注ぐことができませんでした。

 結局は誰の誤りでしょうか。農業部門を指導する人たちに大きな責任があります。里党組織や党員たちは、上部から言われたとおりにするより仕方がありませんでした。こういうわけで、1959年に農作がふるわなかったのです。

 青山里指導のもつ大きな意義は、それが農村活動にあらわれた欠陥を適時に見つけだし、欠陥を是正する正しい対策を講じたところにあります。

 わが党が大衆との緊密な結びつきを保ち、またすべての党組織と党員が党中央委員会のまわりにかたく団結していたため、我々は農村活動における欠陥を適時に見いだし、それを是正する正しい対策を立てることができました。

 青山里で我々は、協同組合が統合されその規模が大きくなっただけに、組合の計画化水準を高め、農作業に力を集中し、作業基準量を正しく定め、作業日を正しく評価し、組合員の自覚的な熱意に依拠するとともに、社会主義的分配の原則を厳守して組合員の生産意欲を刺激し、郡党と郡人民委員会の事業を根本的に改編して郡の活動家が直接、里に行って生産を組織し、指導すべきであるということを強調しました。

 欠陥が是正され党の提起したこうした方針が実行された結果、昨年の農業生産では大きな勝利をおさめることができました。

 このように去る1年間、党の思想・政治活動においても、経済活動においても大きな転換がもたらされました。

 我々のおさめた成果は極めて大きいものですが、これに自己満足すべき根拠はありません。わが党は、勝利に陶酔し、自己満足することに常に反対しています。

 我々には、北半部で社会主義の高峰を極めるとともに、祖国の統一を実現すべき困難な革命の任務が提起されています。北半部で社会主義の高峰を極めるためには、農業部門で大きな前進をかちとらなければなりません。穀物の生産を380万トンでなく、少なくとも500万トン、さらには600万トン、700万トンの水準に引き上げなければなりません。そうしてこそ、北半部の人民はすべて白米を常食することができます。白米のご飯と肉汁を食べ、立派な服を着て瓦ぶきの家に住めば、それがすなわち楽園であります。

 今後、生産を大いに向上させ、誰もがこのように裕福に暮らすだけでなく、仕事も楽にたのしくできるようにしなければなりません。我々は、北半部ですべての搾取制度を一掃しましたが、いまなお勤労者を骨の折れる苦しい労働から解放してはいません。

 それゆえ我々には、生産の向上をはかってすべての人が豊かに暮らせるようにするとともに、生産を機械化して人々を骨の折れる苦しい労働から解放すべき崇高な革命の任務が提起されているのです。7か年計画は、まさにこの任務の解決を目的としています。この光栄ある革命の任務を遂行すべき責任が共産主義者である我々労働党員の双肩に負わされています。

 ここで、農村の党員は極めて重大な任務を担っています。彼らには、農村のすべての作業を機械化し、農業生産を速やかに増大させ、農民の生活を裕福な中農の水準に引き上げるべき任務が課せられています。

 生産を増大させ、仕事を楽にするためには、農業の機械化を積極的におし進めなければなりません。すきおこし、草取り、取り入れ、脱穀などの作業をすべて機械化しなければなりません。

 農業を機械化するだけでなく、さらには化学化しなければなりません。化学化とは何でしょうか。農業生産に化学的な方法を広く取り入れることです。土地を肥やすために各種の化学肥料をほどこすとか、除草剤をはじめ、各種の農薬を用いることはすべて化学化だといえます。堆肥も必要ですが、それだけに頼ることはできないので、各種の化学肥料を農村に多く供給すべきであります。また、除草剤をまいて草取りをせずにすませるか、草取りをするにしても手軽にできるようにしなければなりません。

 将来は田植えというものをなくし、田にも機械で種をまくようにしなければなりません。現在、わが国で苗を移植しているのは水田の面積が少ないからであって、水田が多ければ田植えをしなくてもよいわけです。北半部で水田の面積が70万~80万ヘクタールにもなれば、田植えをせずに直播きをしてもかまわないでしょう。

 水田の面積を70万ヘクタールとして、ヘクタール当たり5トン生産しても、350万トンの米がとれます。そうなれば、北半部の人民は誰もが白米を常食にすることができるでしょう。そのときになれば、苗を移植するようなことをせず、乾田直播きをした後で田に水をひき、また除草剤を用いて草が生えないようにし、稲刈りも機械でおこなうようになるでしょう。こうなれば、農民の仕事も労働者に劣らず楽なものになるでしょう。

 こういったことをすべて実現させるためには、多くのことを研究し、より多くの仕事をしなければなりません。

 今年、農業部門の最も重要な課題は、穀物を100万トン増産することであります。

 100万トン増産すれば、わが国の穀物の生産は、500万トンの水準に達することになります。そうなれば、外国から穀物を買い入れなくてもすみ、その資金で機械を輸入し、工場をもっと建てることができます。こうなれば工業をさらに発展させることができ、農業の機械化や化学化もいちだんと促進することができます。

 したがって、穀物を100万トン増産することは、たんに食糧を豊かにするだけでなく、わが国の経済発展を大いに促進する極めて重要な革命の任務であることがわかります。

 穀物の増産に力を注ぐばかりでなく、畜産業も発展させなければなりません。畜産業を発展させれば、食肉の問題も軽工業の原料問題も解決できます。

 家ごとに豚を2頭ずつ飼えば、200万枚の豚皮が得られるし、それで400万足の革靴がつくれます。一方、人造革靴もつくれるので、こうなればゴム靴ではなく、誰もが革靴を履けるようになるでしょう。

 また家ごとに兎を10羽ずつ飼えば、1000万枚の兎の毛皮を得ることができ、それで50万着の子供のオーバーをつくることができます。そうなればわが国の子供は一人残らず兎の毛皮オーバーを着ることができます。子供に革靴を履かせ、兎の毛皮オーバーを着せて学校に通わせるようになれば、親もどんなにうれしいことでしょう。

 もし、南北の扉が開かれ、南朝鮮の農民代表がやって来て、我々がみなこのように文化的で豊かな暮らしをしているのを見れば、彼らはきっとヤンキーを追い出し、地主を打倒しなければならないという決意をもつようになるでしょう。

 軽工業は、いまなお人民の需要を完全にはみたしていません。現在、党は2、3年内に軽工業を画期的に発展させる課題をうちだしています。この課題を実現するためには、農業とともに畜産も発展させて牛皮や豚皮をたくさん生産し、兎の毛皮も量産しなければなりません。そうすれば革靴やオーバーもつくり、男子用の防寒帽や婦人用の毛皮チョゴリ、その他皮製や毛製の日用品をたくさん生産することができます。

 農業を立派に営み、良質の商品を大量に生産することは、我々の生活を文化的で豊かにするばかりでなく、祖国の統一を早める革命事業であることを知らなければなりません。

 それゆえ、労働党員として、たんにより多くの穀物分配にあずかるために多く働こうと考えるだけなら、それは極めて近視眼的で狭い了見だといわなければなりません。党員が働く第一の目的は、当然人民に幸せで豊かな暮らしをさせ、祖国統一の大業を実現することでなくてはなりません。

 党員がこのように崇高な目的をもって働くとすれば、どうして既におさめた成果に満足し、安逸をむさぼって同じところに踏みとどまっていられるでしょうか。革命家には、停滞と因循は許されません。革命家にはただ、たえざる革新と前進があるのみです。革命で勝利するためには、難関を恐れてはならず、それを勇敢にのりこえていかなければなりません。

 かつて抗日パルチザンたちは、暖かいオンドルに座って暮らせば楽であることを知らずして苦労をしたのではありません。彼らには日本帝国主義を打倒し、国の独立をかちとろうという崇高な目的があったために、あらゆる艱難辛苦にうちかって最後まで闘ったのです。また、我々が一身の安逸だけを考えたのならば、アメリカ帝国主義者に反対してあれほど困難な戦いをおこなうことはできなかったはずです。

 我々は、例え、死のうとも二度と帝国主義者の奴隷になることを欲しなかったからこそ、いかなる厳しい試練をも恐れることなく、英雄的に戦って勝利することができたのです。もし、我々が、かりそめにも、生きながらえようとアメリカ帝国主義者に降伏したとすれば、我々は彼らの犬や豚にも劣る境遇に追いやられたことでしょう。現在の南朝鮮の状態がこれをはっきり物語っています。アメリカ人が我々の兄弟にあらゆる侮辱を加えても、彼らはそれに甘んじなければなりません。アメリカ人が我々の姉妹の衣服をはぎとって体にペンキをぬりたくってもをすすべがなく、彼女たちの髪を切りおとしても手をこまねいているばかりです。

 南半部の同胞も人間らしく生きるためには、アメリカ帝国主義者とその手先に抗する解放闘争に勇敢に立ち上がらなければなりません。

 北半部の人民は、一日も早く社会主義の高峰を極め、塗炭の苦しみにあえぐ南朝鮮の同胞を救うために、ひきつづき粘り強く闘わなければなりません。

 いままで私が述べたことは、皆さんの遂行すべき一般的な課題であります。

 皆さんの実行すべき具体的な課題は、すべて総会の報告に明確に示されていると思います。

 皆さんが土地を開墾しようとしたことや、多収穫作物であるトウモロコシを多く植え、ヘクタール当たり収量をさらに高めようとしたこと、堆肥をより多く施そうとしたことなどはみな正しいと思います。

 したがって私は、皆さんがなすべき具体的な課題については、これ以上ふれないことにします。ただ、皆さんの討論で提起された問題と関連して、いくつかの問題についていますこし強調したいと思います。

 報告と発言のなかで、敵対分子の破壊行為が少なからずおこなわれたと述べてはいるものの、それにどう打撃を加えたかについてはふれていないので、梨峴里に大きな心配ごとが残っているかのような印象を受けます。もちろん打撃を加えたとすればよいことです。敵対分子、つまり我々を敵視する者、わが党と人民政権に反対する者とは容赦なく闘わなければなりません。

 我々は、どんな人間でしょうか。我々は、人間が人間を搾取する制度をなくして、すべての人が豊かに暮らせるようにし、わが国を統一して全民族が幸福に暮らせるようにするために、自分の貴重なものをすべてささげて闘う人間です。

 我々は、地主の土地を没収して土地を全くもっていないか少ししかもっていない農民に分け与え、高利貸しによる搾取をいっさい禁止し、日本帝国主義者と民族反逆者の鉄道、工場、鉱山、銀行などを没収して国有化しました。また、農業協同化と私営商工業の社会主義的改造を完成して、いっさいの資本主義的搾取とその根源を一掃しました。

 我々を敵視し、我々に反対するのはどんな人間でしょうか。それは、奪われた土地を取り返そうとするかつての地主や高利貸しアメリカ人に国を売り渡そうとする者、さらには南朝鮮の張勉のように再びわが国を日本人に売り渡そうとする者たちです。

 一言でいえば、我々を敵視し、我々に反対する者は、帝国主義勢力と結託してわが国に封建的地主制度と資本主義制度を復活させ全民族を帝国主義の奴隷にしようとはかる者です。

 そのような者とは、容赦なく闘わなければなりません。こうした敵対分子以外には、我々が憎み、警戒すべき者はいません。

 「治安隊」加担者と越南者の家族を敬遠してはなりません。多くの人は、アメリカ人の強制にかてず「治安隊」に加わったのです。アメリカ人は、朝鮮人民に非を犯すようにしむけては朝鮮人同士を争わせようとしています。「治安隊」加担者の多くは、アメリカ人のこうした欺瞞策にのせられたのです。

 越南者の場合も同じことです。労働者や農民でありながら南朝鮮に行った人たちを敬遠してはなりません。彼らのほとんどは、アメリカ人の強制にかてず軽い罪を犯し、それが怖くて南朝鮮に逃げたか、あるいはアメリカ人にだまされて南朝鮮に連れていかれた人たちです。彼らは、南朝鮮に行ったところで乞食になり空かんをぶらさげてさ迷うか、終身奴隷として南米に売られて行くよりほかには道がありません。あるいは、アメリカ人にとりいって生きている友人にであい、その紹介でアメリカのスパイになるのがおちでしょう。

 南朝鮮には、彼らに土地や家を与える人などおらず、哀れみをかけ食わせてくれる人もいません。南朝鮮の人々はすべて貧しくなり、自分たちでさえその日の食にも事欠く始末ですから、北半部から着の身着のままで逃げてきた人にご飯の一杯も食べさせてやれる状態ではありません。

 それゆえ、南朝鮮に行って、アメリカ帝国主義者の支配下にある南朝鮮の惨状をじかに目撃し、アメリカ人にだまされたことを悟った人は、アメリカ帝国主義者に反対し、革命の道にたちかえることもありえます。

 したがって、「治安隊」加担者や越南者の家族を憎むべきではなく、気の毒に思い、彼らが立派な人になれるようによく教育し、彼らと団結しなければなりません。

 もちろん「治安隊」加担者や越南者のなかには、悪質分子もいるということを忘れてはなりません。以前の地主や資本家で、日本やアメリカの手先をつとめて逃走した者の家族に対しては、ひきつづき警戒心を高めなくてはなりません。彼らも教育し改造しなければなりませんが、同時に警戒心を高めることが必要です。

 しかし、もともと貧しい暮らしをしていて、「治安隊」の使い走り程度のことをして逃げた人の家族は少しも敬遠する必要がありません。彼らが我々に反対するなら別問題ですが、我々に従い、我々を支持する以上、その人たちを排斥する必要はありません。

 お前は悪者で育ちが悪いから相手にするのはごめんだというように、その人たちを冷遇してはなりません。我々についてこようとする人たちに対しては、あなたの父やあなたの夫がアメリカ人にだまされて逃亡したのは悪いが、あなたは必ず立派な人にならなければならないと、よくいいきかせてやり、彼らを暖かく包容しなければなりません。

 次に、学習の問題について述べようと思います。皆さんが是非、知っておかなければならないことは、生産も重要ですが、学習も生産に劣らず重要な党員の義務だということです。党員は、どんな条件のもとでも学習をしなければなりません。党員が学習をしなければ、生産もうまくいかず、革命任務を遂行することもできません。

 一部の人は、学習と生産が両立しないかのように考えているようですが、それは間違っています。むしろ、学習をよくおこなってこそ、生産がうまくいくものです。

 党員は、ただ農業でも営んで適当に食べて生きていくような人間ではありません。党員は、自分の衣食住問題を解決することよりもさらに貴く崇高な使命、つまり全社会を改造すべき使命を担っています。

 党員の最高の目的は、わが国に社会主義を建設し、さらには共産主義を建設することです。このような崇高な目的と使命を担っている人たちが、どうして分配量に関心を向け(それももちろん必要ではあるが)、自分の家の暮らし向きにのみ頭を使っていられるでしょうか。党員は必ず党活動の仕方を心得ていなければならず、わが国や世界の情勢を知らなければ去りません。そのためには、熱心に学ばなければなりません。

 わが党の機関紙は、一番立派な党学習の教材です。党の機関紙を読めば、めまぐるしく変化する国際・国内情勢を知ることができ、各時期の党の政策と課題を理解することができます。たゆみなく学習しなくては、刻一刻と移り変わる情勢にとてもついていけず、党の示す革命課題を遂行することができないでしょう。

 それゆえ、どんなに忙しくても党の機関紙は必ず読まなければなりません。忙しいからといって、食事をかかす人はいないではありませんか。党員は党の機関紙を読むことを、食事をすることと全く同じように考えなければなりません。食事をしなければ腹がへるように、一日でも新聞を読まないとそれだけ頭が貧困になります。

 かつて、我々が日本帝国主義と戦っていたときには、党の新聞やコミンテルンの新聞を1枚手に入れさえすれば、ぼろぼろになるまでまわし読みをしたものです。それほど新聞は我々にとって貴重なものであったし、手に入れるのか難しいものでした。現在、我々が新聞を良質の紙で、毎日大量に発行しているので大切なものに思えないのか、少なからぬ党員は新聞を読んでも読まなくてもかまわないといった態度をとっています。党機関紙に対するこのような間違った態度を改めるべきであり、学習会や会読会などをおこなって新聞にのる重要な問題をすべての党員が知っておくようにすべきです。

 党学習は知識のある党員だけがおこない、知識のない党員にはできないものと考えるのももちろん間違いです。一部の党員がこのように考えるようになったことには、党学習会を正しく組織できなかった郡党組織や里党組織にも責任があります。講師が何のことだかわからない難しいことをながながと並べるので、党員が学習に興味をもつわけがありません。講師のための講習会にしても、党員大衆におこなう講演会にしても、講義は必ずやさしい言葉で興味をそそるようにするよう努めなければなりません。

 一部の人は、党員の意識水準と文化水準を同一視していますが、これもやはり誤っています。目に一丁字もない無学な人のなかにも、地主や資本家を憎み、帝国主義を憎む人はいくらでもおり、大学を卒業した知識のある人のなかにも、労働者階級的意識で武装されていない人がいます。

 かつて、パルチザン闘争をした人たちは、みながみな、学識が豊かで文章の上手を人たちではありませんでした。彼らは、労働者、農民の出身であったので、一部には文化水準の極めて低い人もいました。しかし、彼らは、すべて祖国と人民のために自分を犠牲にする強い階級意識と崇高な革命精神をもっていました。したがって、党員の文化水準をもって彼らの意識水準を評価してはなりません。

 皆さんには他の里のすぐれた模範に見習おうとする気風がありますが、これはたいへんよいことです。肯定的なものによって否定的なものを克服し、模範的な実例をもって大衆を感化するのは、人々を教育するわが党の方法であります。

 ほかの里の模範に見習うばかりでなく、里内のすぐれた作業班や個別的な人たちを推奨し、その模範に見習うようにするのもよいと思います。

 また、ある人は共同財産を愛護しないことについて管理委員会を批判しましたが、それもやはり正しいことです。わが国では木材がたいへん貴重なのに、冷床苗代用のフレームなどを一度使っただけで放りっぱなしにし、二度と使えないようにしてしまうのは、はなはだよくないことです。

 組合の全財産は、公共財産であり、人民の財産であります。したがって、1本の木、1束のわらでも、決して粗末にしてはなりません。

 例えば、資本主義社会では、自分の村にある病院がはやろうとすたれようと、関知するところではありません。しかし現在、わが国の農村の診療所は個人の所有ではなく組合の共同所有であるから、すべての組合員がそれを大事にしなくてはなりません。診療所で働く医療従事者も、診療所を利用する組合員も、ともに診療所のすべての施設をよく管理し、大切にしなければなりません。

 組合の共同財産と国家財産を愛護するうえで、党員は必ず他の模範にならなければなりません。

 民青委員長と李信子さんが、農村を愛し農村で働くことを誇りとするように青年たちを教育すべきだと述べたことは、まことに最もな話です。

 共産主義の目的は、都市と農村の対立をなくし、ひいては都市と農村の差までもなくすところにあります。したがって青年は、農村を見捨てて都市に出ようとすべきではなく、農村を都市に劣らず美しく、文化的に建設するために全力を尽くしてたたかうべきです。勇敢で進取の気性に富む青年たちが、住みよく働きやすいところばかり探し歩いてよいものでしょうか。

 今後、すべての農村に文化住宅が建ち並び、クラブや映画館が建設され、ラジオが聞けるようになれば、農村の文化生活も平壌にひけをとりません。実際、平壌に行って映画を見、ラジオを聞くのと、農村にいて映画を見、ラジオを聞くのとではどういう違いがあるでしょうか。違いはありません。将来は、都市と農村との差がしだいになくなるはずです。

 現在、既に、商品流通分野では都市と農村の差がなくなっています。以前は、平壌にはいろいろな商品が多く、また値段も安かったのに、農村では品物もとぼしく、値段も高かったものでした。しかし、いまでは山間僻地にも都市と全く同じような商品がすべてゆきわたり、どこでも値段が同じです。しかも、農村に出まわる品物の量も都市に劣らず豊富です。

 また、現在の学校教育を例にとってみても、都市と農村との差は全くありません。どこでも義務教育制で生徒はすべて同じ教科書で勉強しています。

 いまなお都市と農村のあいだに差があるとすれば、それは農業労働が工業労働よりいくらか苦しく骨が折れることです。しかし将来、農業の機械化が実現すれば、人々は空気が澄んでいて景色のよい農村の方が都市よりも住みよいというようになるでしょう。

 したがって、青年は率先して文化的な社会主義農村を建設するための光栄ある闘いの先頭に、勇敢に奮い立たなければなりません。

 報告のなかで、皆さんが里内の農業計画を正しく立てることができなかったと指摘していますが、それは管理委員会が組合の実情にうとく、作業班長が自分の作業班の実情をはっきり把握していないことを意味します。

 作業班長が自分の仕事に精通していれば、畑のすきおこし計画も、種まき計画も正しく立てることができます。例えば、ある作物を植える計画を正しく立てるためには、その土地の乾湿の具合、畑のよしあしを検討し、労働力の構成とその熟練度も考慮に入れなければなりません。それも知らないで事業計画をいい加減に立てるので、仕事に手違いが生じるのです。

 国家の計画も同じことです。技術や仕事の条件を知り、人々の気持ちも理解してこそ、計画を正しく立てることができます。技術は知っていても、人々の精神状態を知らなくては、やはり計画を正しく立てることはできません。そのような人は技術面だけを検討するあまり、計画を極めて低めに立てるおそれがあります。

 農業計画が正確に立てられないのも、直接大衆のなかで仕事をする人が農村の実情をよく知らず、自分の仕事を明確にのみこんでいないところにその原因があります。農村の活動家たちの計画化水準がまだ低いため、現在のところ農村には事実上2つの計画を与えています。厳密にいえば、1つは国家計画であり、他の1つは闘争目標であります。今年の穀物100万トン増産の課題も、国家計画ではなく闘争目標です。国家計画は間違いなく遂行できるようにするためやや低めに立て、闘争目標は少し高めに立てるのです。

 いつになったらこんなことをせずに、国家計画だけ与えられるようになるでしょうか。皆さんが仕事を手際よくできるようになれば、国家計画も正確に立てることができるでしょう。各里で計画を正しく立てれば、区域でも正確な計画を立てるようになり、区域で計画を正しく立てれば、市が正確な計画を立てるようになり、また市が正しい計画を提出してこそ正確な国家計画が作成されるのです。しかし、いまのところ農村の活動家の場合、工場の活動家に比べて計画化の水準は極めて低い状態にあります。

 管理委員会の活動家たちが、事務室であぐらをかき怒鳴っていたのでは、決して実情に合う正しい計画を立てることはできません。したがって、管理委員会や里党の活動家は、里内の自然条件と個々の組合員の実情を詳しく調査研究して、里内のすべての状況をつぶさに知りつくし、正確な計画を作成できるようにならなければなりません。

 発言のなかで、作業班を強化する問題がだされましたが、正しい指摘だと思います。作業班は、大衆のなかで直接仕事を組織する最末端の活動単位です。組合の仕事が、うまくいくか否かは、結局作業班の仕事がうまくいくかどうかにかかっています。したがって、作業班とそれを指導する初級党組織の活動を全面的に強化しなければなりません。

 次に、管理委員長が作業に参加する問題について述べることにします。管理委員長は、30~40日ほど労働に参加するのか適当だと思います。

 管理委員長が作業に参加すると、どんな点で有益でしょうか。管理委員長が畑を耕し、中耕や草取りをおこなってみれば、どの仕事が骨が折れるかわかり、労働基準量が正しく定められているかどうかも判断することかできるでしょう。管理委員長が作業に参加しないので、腰にペンチをさげて電灯などを直して歩く仕事に一番高い労働点数を与えるようなことになるのです。

 しかし、最も重要なのは、管理委員長が直接労働に参加して大衆のなかに入り、彼らとともに働けば、大衆の気持ち知ることができ、大衆と呼吸をともにするようになるので、大衆の親しい友になれるということです。組合員が管理委員長を選出したのは、すべての面で組合員の忠僕になってもらいたいがためであって、上に座って威張らせるためではありません。ところが、管理委員長が洋服のポケットに手をつっこんで仕事もせずにやたらに怒鳴りつけてばかりいたのでは、まるでかつての主事のようなお偉方かと思って、組合員たちは口をきくのもはばかるようになるでしょう。管理委員長がこういうふうに行動したのでは、組合の実情や大衆の心理を理解することができません。管理委員長が大衆のなかに入って、彼らと作業も一緒にすれば、人々は彼と親しくなってうちとけた話もし、意見も述べるようになるでしょう。

 管理委員長が作業に参加すればまた、肉体労働と精神労働の差を身をもって体験するようになり、肉体労働がいかに骨の折れる苦しいものであるかもわかるようになるでしょう。こうして作業を機械化して、人々を苦しい骨の折れる労働から解放しなければならないという考えがいっそう強まるでしょう。

 このように、管理委員長が作業に参加する目的は、農作業に精通し、大衆のなかに入ってゆき、労働がどれほど骨の折れるものであるかを直接体験するためであって、たんに労働力を一人分提供しようということでは決してありません。

 したがって、管理委員長が作業に参加するからといって、これらすべての問題に考慮を払わず、一般の組合員と同じく黙々と作業をするだけでは無意味です。必ず労働する期間を管理委員長としての自分の仕事に有効に利用するよう努力しなければなりません。

 また、皆さんの発言によれば、いまなお少なからぬ部門で作業日の評価が正しくおこなわれておらず、社会主義的分配の原則が厳守されていないようです。必ず作業日を正しく評価し、作業班優遇制の実施を徹底させ、社会主義的分配の原則を厳格に守るようにすべきであります。

 定款にあるとおり、10日に1度ずつ組合員たちの稼いだ作業日を必ず公表しなければなりません。こうして、自分の労働に対する組合員の物質的関心を高めると同時に、彼らの熱意を奮い起こすべきであります。社会主義的分配の原則は、働かざる者食うべからずという原則にもとづいているので、それを厳格に守るのは、とりもをおさず一つの立派な共産主義教育の方法であることを知らなければなりません。

 今年は、社会主義的分配の原則をさらに徹底して守るよう、すべての人が強く闘わなければなりません。昨年の秋、平安南道順案郡在京里と平壌市松南里に出かけて、モデルケースとして決算分配に関する会議をもち、そこから得た結論にもとづいて党中央委員会常務委員会の指示文をおろしましたが、いまだに多くの里党委員長や郡党および郡人民委員会の活動家は正しい分配の仕方を知りません。

 協同組合の管理幹部の実務水準を高めて、組合管理委員長、里党委員長、作業班長がすべて簿記計算もできるようにすべきであります。

 皆さんが発言のなかで提起した問題に関連して、私がいくつか強調したいと考えたことは、だいたい以上のとおりです。

 皆さんが、昨年おさめた成果におごることなく、それをいっそううちかため、党の政策を支持してひきつづき勇敢に進むならば、さらに大きな勝利をかちとるものと確信します。

 今度、堅実な人を里党委員会の委員に選ぶべきであり、新たに選挙される里党委員会は集団指導をいちだんと強め、各党員に適当な任務を分担して、すべての党員が活動するようにしなければなりません。そして、党中央委員会を守り、党の政策を貫くためには水火をもいとわずにたたかう精神で全党員をひきつづきたゆみなく教育すべきであり、大衆に徹底的に依拠して誠心誠意、大衆を教育し、団結しうるすべての勢力と団結して、広範な大衆をわが党のまわりに結集させなければなりません。

 皆さんがこのように活動し、区域党からも出向いてひきつづき援助を与えるならば、今年の穀物増産課題が十分遂行されるであろうことは疑う余地もありません。

 最後に、皆さんが穀物生産の課題ばかりでなく、家ごとに豚2頭と兎15羽ずつ飼う運動をくりひろげて、畜産でも大きな成果を達成するよう望みます。
                                                
出典:『金日成著作集』15巻


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