金 日 成

江西郡党活動の指導を通じて得た教訓について
朝鮮労働党中央委員会常務委員会拡大会議でおこなった演説 
1960年2月23日

 党中央委員会常務委員会の委任により、先ごろ私は、他の同志たちとともに平安南道江西郡に行って郡党組織の活動状況を調査し、指導しました。これについては、既に、新聞紙上に何回も報道され、社説にも載ったりしたので、大体は知っていると思います。しかし、江西郡党組織の活動にあらわれた欠陥は、たんにこの党組織だけのものではなく、すべての農村や工場の党組織の活動に存在する共通の欠陥であり、これを改める問題は、全党にとって極めて重要な意義をもっています。それで、私は、きょう江西郡党組織の活動に対する指導を通じて得た教訓について述べようと思います。

 我々は、昨年の秋に温泉郡に行ったことがあり、その他の郡にも行って見たことがあるので、平安南道党組織の活動や道内の各郡党組織の活動については、既におおよそのことは知っていました。そこで、このたびはもう少し深く掘り下げて、農村の初級党組織の活動、里党委員会の活動から郡党委員会の活動に至るまで、郡党の活動状況全般を徹底的に調べてみることにしました。それで、私とともに出向いた党中央委員会組織部の副部長、宣伝部の副部長、課長、指導員などの同志たちが2つのグループに分かれ、1つのグループは郡内の青山里の党活動を、他のグループは郡党委員会の初級党組織の活動を調べました。私は、この2つのグループと連係を保ち、彼らの活動を助けながら、はじめは青山里党組織の指導に参加しました。

 青山里に出かけて里党委員会の委員や初級党組織の委員長、またその他の積極分子と話し合い、私より数日先にいって活動していた指導グループの同志たちからも状況を聞いて、まず里の党活動のあらましを把握しました。我々は、里の党活動に多くの欠陥があることを発見し、昨年の営農事業がうまくいかなかった原因もわかるようになりました。我々は、さらに深く実情をつかむために、里党委員会の委員たちとともに各作業班の初級党組織におりて行って、数日の間、党員たちと話し合い大衆の意見を聞くことにしました。

 その後、私は郡党委員会に行って、そこを担当した指導グループの同志たちから郡党委員会の活動状況を聞き、郡党委員会の幹部と話し合いました。我々は、郡党委員会の活動家に党政策に関する講習会をおこない、分組会議で討論を十分におこなった後、郡党委員会初級党総会を開くようにしました。

 そして、私は再び青山里に戻って、ある作業班の積極分子たちと話し合い、指導グループの同志たちに任務を与えて分組会議、初級党組織の総会を指導させ里党総会の準備を援助させました。総会に提出する報告の方向については、里党委員会が集団的に十分討議して、その内容を前もって初級党組織や全党員に深く浸透させるようにしました。こうして、既に分組会議や党組織の総会を通じて思想動員された全党員がすべて、今度の里党総会ではどういう欠陥が指摘され、それを改めるためにどのような任務が提起されるのかをはっきり知ったうえで会議に参加するようになり、すべての党員が意見を活発に出し合うことができました。総会の報告も里党委員長が直接自分で書き、指導グループの同志たちが細かいところまで援助したため、正確な分析が加えられたものとなりました。このように、里党総会の準備は、比較的順調におこなわれたと言えます。

 これまではここでも、多くの場合、里党総会が形式的に準備され、進められました。中央から道党委員会、郡党委員会をへておりてくる問題をそのまま機械的に押しつけるような会議になるのか普通でした。何の思想動員もおこなわずに会議が開かれ、里党委員長が自分一人の頭のなかでつくりあげた報告をし、準備をした幾人かが演説などをして、簡単に決定書を通過させればそれで終わりです。このような会議は、いくら開いても何にもなりません。

 党員のよい意見をまとめて現地の実情にかなった具体的な決定を採択し、党員の自覚的な熱意を発揮させるためには、党会議を内容のあるものにしなければなりません。そこで我々は、党会議を形式的にではなく、本当に成果のあるものにする方法から詳しく教えました。我々が出かけて指導していた期間に里と郡で開かれたすべての会議はどれも深みがあり、実質的で、よく準備された会議の模範となりました。

 我々は、青山里を指導した経験にもとづいて、さらに郡内の他の6つの里を選んで指導を続けました。そして、里党活動の指導で得た資料を総合するために、指導にあたった人たちと里の幹部、それに郡党委員会の活動家が全員参加して郡党協議会を開きました。協議会では、普山里、台城里、薬水里の党活動を指導した結果についての報告を聞き意見を交わしました。結局、青山里の党活動と営農活動にあらわれた欠陥と全く同じような欠陥が他の里にもあることが明らかになり、これによって青山里党組織の指導から引きだした結論が、全く正しかったことが証明されました。各里に同じような欠陥があり、その原因も大同小異なのでこれを改めるためにも同じ課題をうち出すことができ、郡党委員会が里党組織をどのように指導すべきかについても、協議会で大体の方向をつかむことができました。

 一方、郡党委員会の初級党総会が成功裏におこなわれました。郡党委員会の指導員や幹部は、郡党委員会の活動について真剣に発言しました。指導員は、誰もが部長、副委員長、委員長に対して批判し、あらゆる欠陥を大胆にあばき出すことができました。こうして、郡党委員会の活動を改善する具体的な方針がこの会議を通じていっそう明確に規定されました。

 このように、郡党委員会の初級党総会を開き、郡党協議会をおこなったうえで、江西都党委員会総会を開くようにしました。ここには、また平安南道内の郡党委員長が全員参加しました。

 総会では、これまでに江西都党組織の活動にあらわれた欠陥を深く分析し、多くの会議で出された党員や大衆の立派な意見をすべてまとめて、党の組織活動、思想活動および政権機関に対する指導と経済活動に対する指導を画期的に改善する対策を立てることにしました。

 我々は、郡党委員長が総会に提出する報告書を直接作成するように援助し、決定書の草案にもり込む事項をあらかじめ会議の参加者全員に知らせるようにしました。このように準備をし思想動員をおこなったため、郡党委員会の総会もやはり大きな成果をおさめることができました。

 そして、指導グループがいかなかった里をも含むすべての里に、青山里党総会での結論と郡党委員会総会の決定をくまなく浸透させるようにしました。

 このように、期間はわずか15日間でしたが、指導活動を通じておさめた成果は極めて大きなものがあります。これは、指導にあたった人々があちこち駆け回ったからではなく、広範な党員や大衆の声を聞いて十分に彼らの創意と熱意を呼び起こしたために得られたものです。これまで郡党委員会や里党委員会でおこなってきたように、実情も大衆の気持ちも知らずにしかりつけたり、集まってきた人たちが何のことかよくわかりもせずに挙手可決して散会するといった、形式的な会議ばかりしていたのでは、到底このような成果を達成することはできません。

 江西郡党委員会の活動を指導しながら、私たち自身もまた多くのことを学びました。どんな原因で党の政策が大衆のなかによく浸透しないのか、中央でうち出した問題がなぜ下部で正しく解決されないのかを、さらにはっきりと知ることができました。このような原因を根こそぎ取り除かなければ、昨年12月の党中央委員会拡大総会の決定を十分実行することも、社会主義の高峰に早く登りつくこともできないでしょう。

 それではこれから、江西郡党委員会の活動における成果と欠陥は何であり、我々がこのたびの指導を通じて得た教訓は何かについて述べようと思います。

 第3回党大会以後、わが党の活動には、中央から市、郡の党組織に至るまで、全般的に大きな転換が起こりました。とりわけ、教条主義と形式主義をなくして主体性を確立し、党活動の方法を改善するうえで大きな前進がなし遂げられました。

 わが党の活動は、朝鮮革命の要求と国の具体的な現実に即して展開されはじめました。党員は以前のように盲目的に他人に追随しようとせず、わが国の革命と建設に対する問題を独自に考え、自分たちの実情に合わせて処理する能力を次第に身につけるようになりました。我々は、朝鮮革命をおこなう人間であり、それを通じて世界革命に貢献する使命を担っているだけに、朝鮮革命運動の先頭に立って闘うためには、何よりもまず朝鮮を知り、わが国の歴史と現実を知り、またマルクス・レーニン主義の原則を朝鮮の現実に合うように適用しなければならない、という心構えが党員のなかで確固たるものになりました。これは、非常に大きな成果だと言えます。

 そして、第3回党大会以後、党員のあいだで党の思想体系が次第に確立されていきました。特に、反党分派分子を暴露、粉砕する闘いを通じて、党員の党性はかつてなく鍛えられ、党の思想、意志の統一が強まりました。党中央の意図が、すべての党員と大衆に把握され、こんにちほど全党が中央委員会のまわりに一心同体となって団結し、わが党がこんにちほど人民のなかで絶対的な権威をもつようになったことは、かつてなかったと言っても過言ではありません。

 階級的教育でも少なからぬ成果をおさめました。いまでは、党員が敵味方をはっきり区別できるようになり、敵を憎み、自分の階級の利益を守り抜こうとする意識が高まりました。非階級的な現象とは、少しも妥協せず原則的に闘う気風がうち立てられました。薬水里のある党員は、悪質な「治安隊」加担者の家へ行ってもてなしを受けたり、世話になったことについて党会議で強い批判を受け、またある党員は鉱泉水を飲みにきた人に部屋を貸して間代をとったことについて、党員たちからブルジョア思想のあらわれであると批判されました。こういうことはすべて、党員の階級的自覚を高めるうえでよいことです。

 反革命分子に対する党員と人民大衆の警戒心も非常に高まっています。いまでは、わが党をそしり、わが制度を損ねようとする者は、人民の目が怖くて思うように活動できない状態です。

 さらに、党員の革命的な大衆観点も基本的に確立しました。党の権威をかさにきて威張ったり大衆の利益を侵すようなことがあれば、厳しく追及されます。革命は大衆のためにおこなうものであり、大衆の力によってのみ勝利することができるものであるから、大衆の忠僕となってこそ革命に奉仕することができる、という認識が非常に深まってきました。

 わが党の革命伝統を受け継ごうとする党員の熱意も高まっています。困難が生じると、かつて革命烈士たちがいかに艱難辛苦を乗り越えて日本帝国主義と戦ったかを思い浮かべ、そこから力と勇気を得ています。こんにち、全党員は血をもって祖国解放の道を切り開いた抗日パルチザンの思想、作風、道徳的品性を鏡として自分の党性をたえず鍛えています。

 党の中核陣地も相当かためられました。郡や里の幹部隊列を見ても極めて堅実であります。出身階級がよく、土地改革の当時から党と革命のために奉仕し、後退の時にも敵に屈せず勇敢にたたかった立派な人たちが各党組織の中核をなしています。

 革命的な節操を守って敵の断頭台で犠牲になった愛国烈士の遺族、敵機の爆撃のもとでも月夜に偽装をほどこして耕作を続けて戦時の穀物増産に献身した農民、侵略者を撃滅する戦場で命を賭して祖国のために戦った除隊軍人、これらの人々はすべてわが党の中核となりうる立派な人たちです。各級の党組織の中核が党と革命に忠実なこれらの人たちでかためられたことは、我々の大切な元手であり勝利の裏付けとなるものです。農村で「有志紳士」をかつぎだして、彼らに頼って仕事をしようとした高鳳基などの反党的な策動は完全に粉砕されました。

 このように、我々が党活動でおさめた成果は極めて大きいものがあります。

 それにもかかわらず、いまなお活動に少なからぬ欠陥があらわれる原因はどこにあるのでしょうか。党の統一が強まり、人々が敵味方を図別できるようになり、官僚主義も以前にくらべれば極めて少なくなり、みなが革命伝統を受け継ごうとしており、幹部の隊列も堅実な人でかためられているのに、いまなお、わが党の活動が党中央委員会の要求する水準でおこなわれていない理由はどこにあるのでしょうか。

 これには、主な原因が2つあります。その1つは、いまだに教育活動が不十分なためマルクス・レーニン主義の原則とわが党の政策に対する党員の理解が足りないということであり、いま1つは、組織活動の不手際のために個々の党員がすべて積極的に動いていないことです。

 いま、党員たちはこぞって党中央を支持し仕事をしようとしていますが、実際のところ知らないためにうまく仕事ができません。熱意と気概は非常に高いのですが、原則と方法を知らないために仕事が順調にいかないのです。党員や幹部は上部から指示されたことを機械的におこなうことはできても、中央が示した方向にもとづいて独自に物事を分析し、具体的な実情に即して仕事を進めることができません。

 そして、党活動での任務の分担が徹底していないために、個々の党員がその役割を十分果たしていません。党員は誰であろうと、常に党規約に規定された義務を遂行しなければなりません。そのためには、何よりも党員の自覚的な努力が必要ですが、党員への任務の分担もまた正しくおこなわなければなりません。全党員を党活動に参加させ、一人一人の党員が日常的に活動するようにすべきです。全党員が一人残らず革命と建設において前衛の役割を果たさないことには、わが党の指導的および嚮導的役割が十分に保障されません。

 第3回党大会以来、経済分野でも大きな成果が達成されました。農業の協同化を全国的に完成し、私営商工業もすべて改造し、地方経営工業を大々的に建設して家庭婦人も多数生産に参加させました。このようにして、いまでは誰一人他人を搾取して生活する者はなく、すべての人が社会主義的勤労者となりました。

 我々は、戦後短期間のうちに、破壊された人民経済を完全に回復し、工業化の基礎を築き上げ、農村の技術革命を成功裏におし進めています。

 江西郡の場合も水利化が基本的に完成され、電気も郡内のすべての里に引かれました。すべての家に有線放送が入り、ラジオのある家も少なくありません。機械化もかなり進んでいます。現在、郡内のトラクター数は45台ですが、今年中になお100台は増やすことができます。そうなれば労働力の不足も緩和され、今後農業を速やかに発展させる強固な土台が築かれるでしょう。このほかに、以前にはなかった畜産業の土台も築かれており、冷床苗をはじめ、進んだ集約農法の実施でも多くの経験を積みました。

 これまで住宅も多く建設し、文化革命の遂行でも大きな成果をおさめました。青山里だけでも学校が2つも運営されており、中等義務教育制が実施されています。また、地方産業工場が数多く建設され、かつては郡内に2つしか工場がなかったのに、いまでは10の工場が操業しており、いろいろな製品をつくり出しています。

 このように我々は、経済分野で短い期間に大きな前進を遂げました。しかし、経済活動も党中央委員会が要求している水準に比べると非常に立ち後れています。これはどうしてでしょうか。ここでもやはり、人々が悪いからではなく活動家の準備程度が低いからです。仕事をしようとする熱意は高いけれども党の経済政策を明確に知らず、計画経済の運営の仕方を知らないために中心の環を見失い、仕事をひろげるだけで忙しく駆け回りながらも成果は大してありません。

 結局党活動でも、党員がマルクス・レーニン主義の原則と活動方法をよく知らないために仕事がうまくできず、経済活動も活動家が経済と技術にうといために成果をおさめることができないのです。根本的な原因は同じだと言えます。

 党の組織路線、政治路線がともに正しく立てられ、また党の経済政策も正しいうえに、人々がみなその路線を支持し、その政策を貫こうと努力していますが、問題はただ活動家の水準にかかっています。幹部の知識や能力が、彼らに課された任務を果たすのにはあまりにも不足しています。これは偶然なことでしょうが。そうではありません。これは、わが国の経済がかつてない早い速度で発展しているために不可避的に生じたものです。

 人民経済は、非常な速さで前進しています。我々が戦後6年間の経済建設でおさめた成果は、資本主義制度のもとでは数十年かかってもなし遂げることが難しいものです。我々は、ひとが2歩を歩むとき10歩を進む勢いで前進しました。

 経済はこのように発展を遂げましたが、人間の知識や能力がこれと同じような早さで向上することは期待しがたいのです。こんにちのような近代的工業と協同化された大規模な農業を立派に運営するためには、高等教育を受けた専門家や技術者が多くなければなりませんが、我々にはこのような人材が非常に不足しています。それに大学を卒業するだけでも4、5年はかかります。工業生産は1年に40数%でもどんどん増加させることはできても、人間は5年かかって学べることを1年でやってのけるということはほとんど不可能です。幹部が全部大学卒業程度の知識をもつようになればよいのですが、ほかの仕事と違って、これを1年や2年で実現することは到底不可能です。

 もちろんわが党は、解放直後から、技術者の不足を打開するために大いに努力してきたし、戦争の最中でさえ幹部養成事業を一時も中断することなく続けて、既に多くの人材を育てあげたことは確かです。そして昨年、党中央委員会常務委員会で大学をさらに多く設置することを決定し、必要な措置をとったことも時宜にかなっていたと言えます。それでもまだ足りないので、大きな工場や農場に、労働者が働きながら学ぶ技術大学を設置することも、いま研究しているところです。

 しかし、こういう対策だけで問題が解決されるかといえば、そうではありません。4、5年後に専門家や技術者が大量に出てくるようになるまで手をこまぬいていることはできません。ではどうすべきでしょうか。わが国の経済は比較的高い水準に達しているのに、活動家の知識水準がこれに追いつけず、まだやっと文盲の域を脱した程度の人が少なくない実情をどのように打開すべきでしょうか。もちろん、文化革命を力強くおし進めることが根本的な解決策でありますが、我々の活動のあらゆる欠陥の根源となっているこの隘路をいますぐ切り抜けるには、どうすればよいでしょうか。我々の活動体系と指導方法を改める以外に道はないと思います。

 里級の幹部がすべて専門学校卒業程度になり、郡級の幹部がすべて大学卒業程度になるまでにはかなりの時間を要するでしょう。そのため我々は、中央は道を、道は郡を、郡は里を援助する活動体系を正しくうち立てることによって、当面の隘路を切り抜けて進まなければなりません。特に、里に対する郡の指導方法を根本的に改める必要があります。

 活動体系と指導方法を改める問題は、環境の変化に伴っていっそう切実な要求となっています。いま農村の里では、幹部の経験が浅く能力も低いのに、環境は全く新しいものに変わっています。かつては、党員を含むすべての農民が個人経営のわくのなかで生活していたけれども、協同化が完成し、農村に社会主義制度が確立された結果、いまでは誰もが協同組合で共同で働くようになりました。これは農民の思想・意識の変革を求めており、また徹底した共産主義の意識をもった幹部が協同経営の指導にあたることを求めています。

 いま、各里の幹部の多くは地元の農民のなかから選ばれた人たちです。いずれも堅実な人たちではありますが、農民をマルクス・レーニン主義思想と気高い集団主義の道徳で教育し、大規模の社会主義経営を成功裏に運営するためには、政治的、思想的にも、また実務の面でも極めて低い状態にあります。だから、彼らより一級上の郡の幹部が里に直接行って農民を教育し、党の政策を貫くために彼らを奮い立たせ、里の活動を援助する以外に道はないと考えます。

 農業の物質的・技術的土台もいちだんと強まりました。かつては、手鍬と鎌しかありませんでしたが、いまでは至るところで揚水機が使われ、トラクターが田畑を耕しています。これは農民の高い文化・技術水準を求め、技術者が農業協同組合の技術指導にあたることを求めています。今後、農村の技術革命が進むにつれて、この要求はますますさし迫ったものとなるでしょう。ところが、わが国の協同組合には技術者がほとんどいないありさまです。それゆえ、郡の技術者が直接組合に行って農民の技術水蜂を高め、営農事業を助けるほかはありません。

 協同組合が統合された結果、一つの里が大きな農業生産単位となり、里の仕事が複雑で多様になりました。かつては1、2ヘクタールの耕地をもった個々の農家が経営の単位でしたが、いまでは平均500余ヘクタールの耕地と300戸余りの農家をかかえている各里の農業協同組合が経営単位となっています。以前は、個人農がそれぞれの経営活動をおこなっていましたが、いまではこのように大きな経営を里が直接計画的に管理、運営しなければ一歩も進めなくなりました。こうした計画的管理を正しくおこなえなければ、協同経営の優位性は十分発揮されません。ところが里の幹部は、計画経済を運営した経験に乏しく一経済知識も足りず、水準が低いためにたくさんの仕事をかかえて、もたついているありさまです。

 いま里には、仕事が非常にたくさんあります。穀物も多く生産しなければならず、工芸作物もつくらなければなりません。畜産も、淡水養魚も、商業もおこない、それに技術革命と文化革命もおこなわなければなりません。実に多事多端であります。

 こんなに多くの仕事を里の人民委員長や協同組合管理委員の何人かに任せきりにして、どうして成果を期待できるでしょうか。見たところ、いま里にきて直接仕事を組織し、教え、力を貸してくれる人はなく、来る人はと言えば、いずれもかばんをかかえてやって来ては、肥料をたくさん施したが、豚舎はどのようにつくったか、なぜ養魚をやらないのか、なぜ売渡し事業がうまくいかないのか、住宅の建設はどうなっているか、保健・衛生事業はどうなっているか、学校を早く建てよ、芸術サークルを運営せよなどと、てんでに督促し、指示をする人ばかりです。大勢の管理局長、部長、委員長などの先生がたが里にやってきては、いずれも「監督」のように振舞い、里人民委員長にばかりうるさくつきまとっています。このような仕事をどうして里人民委員長一人で全部さばききれるでしょうか。

 指導の方法を決定的に改めるべきです。環境が新しく変化しているのに、活動体系はそれにふさわしく改められていません。それでは、活動体系と指導方法をどのように改めるべきでしょうか。

 まず、郡人民委員会の活動体系かち改めるべきです。郡人民委員会か次から次へと公文ばかり出して、あれをやれ、これをやれと指示し、さまざまな統計などを要求するようなやり方で里を「指導」していては問題は解決されません。公文や指示が里に示達されて山積しても、その実行を組織する力が足りないのに、何の効果がありましょうか。だからといって、郡人民委員会をなくし、その活動家を全部里に配置して里の活動力量を強めるということも不可能です。各道が郡をへずに300ほどもある里を直接指導し掌握するということは、ほとんど不可能なことです。だから、解決の唯一の道は、郡人民委員会の活動家が郡に座って指導しようとせずに里に出向き、里の活動家を助けて仕事を組織してやることにあります。

 計画のたて方を知らない人に向かって、むやみに計画を立てろと言わずに直接出かけて行って農民と話し合い、組合の管理委員たちの意見をまとめて計画を立ててやるべきだと思います。そうすれば、彼らも計画化について学ぶことができます。いまのように、早くつくれとせきたててばかりいたのでは百年たっても学ぶことはできません。算数もうまく解けない作業班長に向かってこみいった統計をつくって来いというのではなく、自分が直接出かけて行って実情を把握し、統計をつくってくるのがよいでしょう。労働の組織を合理的にせよとかけ声ばかりかけずに、出かけて行って組織してやるべきです。

 このような方法で農村の生産力をたえず発展させ、技術革命をおし進める問題、農民の収入を増やし生活を向上させる問題、文化革命を遂行する問題、社会主義革命の獲得物を守り組合の共同財産を愛護する問題など、これらすべての問題について郡人民委員会が責任をもって、里の仕事の手配をしてやらなければなりません。

 いまは1つの里が生産の単位となっていますから、20の里をもっている郡人民委員会ならば20の生産単位をよく組織し、運営すればよいわけです。郡人民委員長は大工場の支配人になったつもりで、各里の農業協同組合を自分の工場の一つの職場と思って郡人民委員会の活動家を動かし、里の仕事を細かに援助するようにしなければなりません。採算を合わせるのはもちろん組合別にするとしても、郡内のすべての組合の活動に対しては郡人民委員会が全面的に責任を負わなければなりません。これまでのように、郡人民委員会は、農業がうまくいってもいかなくても、農民の生活が実際によくなってもならなくても、そういうことには深い関心を払わず、ただ統計を出させては上部に大きな数字を報告したり、税金をとったり、農民を動員して道路でも補修すればこと足りると考えては絶対にいけません。個人農経営のときには、そうしたやり方でもどうにかやっていけましたが、いまではそれは許されません。いまは、郡人民委員会が各協同組合の仕事に対して第三者の立場に立つべきではなく、当事者の立場に立たなければなりません。そうしてはじめて、郡人民委員会が新しい環境にふさわしく自己の機能を果たすことができるのです。郡人民委員会は、実際に末端行政機関の役割を果たさなければなりません。現在、形のうえでは里に人民委員会があって一部の行政的機能を遂行してはいますが、これといった仕事はできません。里は行政単位というよりは、事実上、生産単位と見るほうが正しいでしょう。だから、郡人民委員会は下級の行政機関を指導することに重きをおくべきでなく、主として生産単位である各里の農業協同組合の仕事を組織する機能を遂行しなければなりません。

 そのためには、郡人民委員会の機構そのものも再検討する必要があります。これまでは、道人民委員会の機構の縮小版のようになっていましたが、課長とか長だとかいうよりも、指導員制に改めたほうがよいと思います。あるいは、指導員ではなく、組織員と呼んでもよいでしょう。農産組織員、畜産組織員などをおいて、彼らが、農業協同組合に直接出向いて農産事業、畜産事業を組織するよう活動体系を立てるのがよいと思います。

 次に、郡党委員会の活動について述べようと思います。

 郡党委員会の活動体系も新しい環境にふさわしく速やかに改めなければなりません。これまでは郡党委員会が、自分の下部にも、また何か指導機関があるかのように考えて活動してきました。しかし、党の指導機関は、中央から道、市、郡までであり、郡党委員会の下には直接わが党の基礎組織である初級党組織があるだけです。里党委員会が構成されているような大きな里の初級党組織も郡党委員会の直属となっており、党規約にあるように、里党委員会はただ初級党組織に対する郡党委員会の指導に協力することになっています。結局、郡党委員会は、わが党の末端の指導機関であり、郡内のすべての初級党組織を直接指導しなければなりません。まず、このことからはっきり認識する必要があります。

 郡党委員会は、里党組織を一つの大きな細胞とみなして、それを直接指導しなければならないのに、里党委員会を通じて指導しようどするので、仕事がうまくいくはずがありません。郡党委員会はその下にまた別の機関があると思い、机に座ったまま、むやみに公文を出したり、四六時中、通報ばかり書いたりせず、本来の位置に立って自己の任務を正しく遂行すべきであります。

 実際に、里党委員会では、委員長だけが専従活動家であり、あとはみな農作にたずさわる人たちで、作業日を稼いではじめて分配にあずかる組合員です。そこへたくさんの公文や通報を出したところで、一体誰がそれを読み、分析し、実行するでしょうか。里党委員長一人では背負いきれるものではありません。それでしまいには、少なからぬ人を生産から切り離して専従活動家と同じように仕事をさせては、党活動に動員した代価として適当に作業日を計算してやるといったことまで平気でおこなうようになりました。

 郡党委員会は、現在の里党が以前の面党とも異なり、個人農経営時代の里党とも違って一つの大きな生産単位の党細胞であることを銘記して、里党の活動を直接組織し、指導する機能を遂行しなければなりません。いわば、郡党委員会は大工場の党委員会が職場の党組織を指導し、人民軍の連隊党委員会が大隊の党組織を指導するように、里党組織を指導しなければなりません。

 郡党委員会は何よりも組織活動を正しくおこなわなければなりません。そのためには、郡党委員会のなすべき組織活動の内容がなんであるかを明確に知るべきです。ただ会議を招集したり、文書を示達したり、通報を書いたり、郡党委員長の使い走りをしたりすることが組織活動だと考えるのは誤りです。組織活動というのは、一言でいえば、党の政策を貫くために党員がすべて動くようにすることです。党の活動を組織すること、党員と党の中核、党の幹部を革命の任務遂行に立ち上がらせ、大衆を奮い立たせること、これが組織活動です。郡党委員会は、郡内のすべての初級党組織に対して、まさにこのような活動をおこなわなければなりません。

 党活動から形式主義をなくすように、ずいぶん前から強調してきましたが、いまなお、これが残っているのも、組織活動がうまくいっていないところに原因があります。形式主義のわくを打破する鍵も、結局は、すべての党員を党活動に引き入れ、誰もが自覚的に活動するようにすることにあります。幾人かの幹部だけが忙しく走りまわり、多くの党員が党活動から離れていたのでは、その党活動が深く成功裏におこなわれないのは当然のことです。ただ、すべての党員が党活動を自分の仕事として深く掘り下げ、各自がその持ち場を守り、党員の一人一人が党の原則を守って、党の政策を貫くために献身的に闘うときにこそ、形式主義は完全に克服されるのです。

 党の組織活動と切り離すことができないのは、党の宣伝活動であります。党の政策で党員を徹底的に教育し、それを大衆のなかに広く解説、浸透させずには、党の政策を貫く闘いで党員の前衛的役割を果たすこともできなければ、大衆の創造的なエネルギーを発揮させることもできません。したがって、郡党委員会は、党の組織活動とともに、宣伝活動を正しくおこなわなければなりません。これがうまくいけば万事がうまくいくはずです。

 郡党委員会の活動を改善するうえで重要なのは、行政的な活動方法を決定的に一掃することです。公文を示達したり命令や指示をするやり方で仕事をするのは、本来の党活動ではありません。党活動の基本は、このような治めるやり方ではなく、説得し教育することです。わかろうがわかるまいが、むやみやたらにやれということではいけません。仕事が複雑で難しければ難しいほど、必ず人々に自覚をもたせ、正しい道を教えてはじめて、みなが確信をもってその道を進むようになります。党は、このように、たゆみなく党員を教育し、大衆に自覚をもたせなければなりません。

 党員たちとたびたび話し合い、講演をしたり、本を読ませたり、会議を指導したりして、全党員が党中央の意図を明確に認識して党の政策を心から支持し、それを実行するために水火もいとわず闘うようにしなければなりません。こうするのが党活動であり、政治活動であります。我々が、常に政治を優先させよというのも、まず政治活動を立派におこない、他の活動をこれに従わせるということにほかなりません。政治活動が正しくおこなわれれば、行政活動はおのずからうまくいくものです。

 それなのに、郡党委員会自体が党の組織・政治活動を十分におこなっていません。江西郡党委員会を見ても、郡党委員会の組織部がこの活動をしなければならないのに、それをおこなわず、通報や統計をつくるのに多くの時間を費やしました。江西郡党委員会から道党委員会に送った通報が、昨年1年間だけで63件にのぼったそうですが、どうしてこんなにたくさんの通報を書く必要があるのでしょうか。一つの郡から63件もの通報が届くとすれば、平安南道には26の郡があるのだから、道党委員長は1年に1638通の通報を読まなければなりません。365日のうち一日も欠かさずに、毎日4、5通の通報に目を通さなければならないことになります。道党委員長がどうやってこれだけのものを全部読むことができるでしょうか。それは不可能です。結局、読んでくれる人が別にそばについていて、そのなかから重要なものだけを知らせなければならなくなります。そんなことなら、はじめから重要なことだけを通報すればいいのであって、たくさんの通報を書くために時間を費やす必要がどこにあるでしょうか。統計だけでも、昨年1年間に江西郡党の組織部から24件を上部に報告しています。つまり、道党委員長は、各郡党委員会からあがってきた統計を1年に624件も見なければならないことになります。どんな統計なのかと調べてみると、本当に必要な党生活統計のようなものは少なく、大部分は、種まきだの、なんだのといういろいろなキャンペーンの統計でした。

 このように郡党組織部が、なすべき仕事をせず、文書いじりに時間を費やし、郡党委員長の秘書室のような役割をしています。郡党委員長の活動報告や演説の原稿もすべて組織部が書いています。郡党委員長が直接自分で報告書を書くことはまれです。ここ数年間『労働新聞』に郡党委員長の書いた論説が一つでも載ったためしがありません。

 事態は極めて重大です。郡党組織部は、まさに党員をすべて活動させる組織部、初級党組織を活動させる組織部とならなければならないのに、四六時中通報や統計を作成する文書部、郡党委員長の代書役をつとめる秘書室となってしまいました。機構にも定められていない秘書室を設けているところが、どうもあちこちにあるようです。道党委員会にもあるようだし、各省や政権機関にも、大なり小なりみなあるようです。このようなことはすべて、許カイ流の活動作風の余毒です。朝鮮語もよく知らない許カイが党中央の要職にすわり込み、その友人たちが道党委員長の椅子を占めていたときにできた習慣です。当時、多くの人が党活動はそうするものかと考え、この流れが郡党にまで浸み込みました。当時ならいざ知らず、許カイの罪業が暴露されて久しい現在に至るまで、こともあろうに郡党委員会が仕事をこのようにしてよいものでしょうか。こういうやり方では、郡党委員会が初級党組織を指導することはできません。座って文書いじりをするのでなく、出かけて行って党員の活動を組織しなければなりません。

 郡党宣伝部も同じく事務室に閉じこもっています。出かけて行って党員と話し合い、教育し、大衆を経済課題の遂行へと奮い立たせるのではなく、いたずらに人々を呼びつけて演説でも聞かせればよいものと思っています。郡党宣伝部は、座っていて講習会のようなものをおこなう宣伝部になってしまいました。時期も考えず、次から次へと扇動員を講習会に呼びつけています。各里には、専従の扇動員というのはおらず、すべて農作にたずさわっている人なのに、おかまいなしに呼びつけています。なぜ出かけて行って講義の模範を示すかたわら、現地で講習を組織できないのでしょうか。そうはせずに、みな机に座り込んでばかりいるのだから、党員の生活から遠ざかり、現実から浮き上がるほかありません。

 党員や大衆は、郡党委員会がこれこれのことをせよと言えば、それはすなわち党中央委員会の指示であり、革命のために必ずなし遂げなければならないことだと思って無条件に実行します。どんなに忙しいときでも、講習会に出席せよと言えば、何をさしおいても駆けつけてきます。これは、彼らの党への限りない信頼と忠実さのあらわれです。何と立派を党員であり、立派を大衆でしょうか! この立派な党員、立派なを大衆を正しく教育し、十分活動するようにしさえすれば、どんなことでもできないことはないでしょう。山を崩し、海をも埋めることができます。ただ、我々が指導を誤っているところにすべての欠陥の根源があります。

 郡党委員会の活動家は、すべて里党に出かけて組織し、宣伝するよう郡党委員会の活動を改めなければなりません。全党が中央委員会のまわりにかたく団結しており、大衆の革命的熱意が天を突くばかりに盛り上がっているこんにち、郡党委員会の活動をこのように改め、郡人民委員会の活動体系も改善して、郡級の幹部がすべて下部におりて行って里の活動をじかに組織し援助するならば、わが国の社会主義建設はさらに促進されるでしょう。

 江西郡党委員会だけでも35人の活動家がいるのだから、3人で2つの里の党活動を受け持って援助することができます。3人ならば2つの里の党員と幹部を詳しく理解できるし、里内のすべての活動を手にとるように知りつくして指導することができます。また、江西郡人民委員会に113人の活動家がいますが、20の里に割りふりすれば各里に5、6人の活動家がつくことになります。郡党の活動家を合わせれば、各里にそれぞれ7人以上の人が出かけて援助することができるわけです。これは大へんな力です。もしも、このように郡級の幹部が計画的に出かけて行って里の仕事を援助するようになれば、社会主義制度が勝利したわが国の農村で大きな難関となっていた人材の不足も打開され、農村事業に大きな革新が起こるでしょう。

 このたび現地に出かけて実情を調べたところによれば、郡党委員会には産業部や農業部をおく必要はありません。郡人民委員会に産業部があり、農業部があるのに、どうして郡党委員会に同じ部署をおく必要があるでしょうか。経済部門の幹部問題もすべて郡党委員会の組織部で扱うことができます。郡党委員会に協同経営部をつくろうというのも、私の考えはやめた方がよくはないかと思います。そのような経済部署をおくから、しきりに行政面を代行するようになり、行政的に仕事をするようになります。郡人民委員会の経済部署を十分動かすようにして党で統制すればよいのです。郡党委員会には組織部と宣伝部があって、政治活動を正しくおこないさえすればよいのです。ただ、郡人民委員会が党の経済政策をどのように実行するかを指導、統制し、党活動家に対する経済知識や技術知識の普及を援助するために、郡党委員会に2、3人の経済指導員をおくのがよいと思います。大学を卒業した専門家を配置できれば理想的ですが、そういう幹部がいないところでは、多少、経済と技術に明るく、経験のある党員のなかから選んで配置すればよいと思います。郡党の教育部だけは、民青の活動が強化されるときまで当分のあいだ残しておいた方がよいと思います。今後、民青が学校の仕事を十分援助できるようになれば、郡党委員会の教育部もなくすことができます。

 指導方法を改善するうえで、集団協議制を強める問題、郡党委員会と郡人民委員会のあいだの活動上の関係を正しく確立する問題が極めて重要です。

 郡党委員会は、郡内でおこなわれるいっさいの事柄に対して全面的に責任をもつ集団的指導機関です。一部の人は、郡党委員会が郡人民委員会の活動分野を侵してはいけないのだから、郡党委員会はただ党の組織活動と思想活動、幹部問題などを扱うべきであって、他の問題は論議してはならないと思っているようです。これは誤った考えです。郡党委員会総会と郡党委員会執行委員会は必要に応じてすべての問題を取り扱うことができ、また取り扱わなければなりません。こうしてはじめて、郡党委員会が郡内の集団的指導機関としての機能を果たすことができます。

 党の政策を浸透させて貫く闘いに大衆を奮い立たせる問題、党員と勤労者を共産主義思想で教育する問題、幹部を育成し選抜配置する問題、社会秩序を保ち敵の侵害から革命の獲得物を守る問題、技術革命と文化革命をおし進める問題、人民経済計画を立てる問題、基本建設に関する問題、労働の組織を合理的におこなう問題、財政支出の主な方向など、これらの問題は、すべて郡党委員会の集団的審議を経なければなりません。郡党委員会の集団指導のもとに、郡党委員長と郡人民委員長がそれぞれ仕事を分担し、郡党委員長は党活動をおこない、郡人民委員長は行政・経済活動をおこなわなければなりません。しかし、最高指導機関は郡党委員会でなければなりません。

 郡人民委員会は、すべての活動で必ず郡党委員会の指導を受けなければなりません。郡人民委員会が行政上では道人民委員会に属しているので郡党委員会を経由せずに活動をしてもいいと考えるならば、それは大変を間違いです。郡党委員会の指導を離れた郡人民委員会はありえません。郡内の経済機関、内務機関、司法機関、大衆団体なども、すべて郡党委員会の指導なくしては活動することができません。

 このように郡党委員会は、中央で党中央委員会常務委員会がおこなっているように、そして、道で道党委員会がおこなっているように、郡内の社会主義革命と社会主義建設を全般的に指導しなければならず、どの機関、どの組織であろうとも、すべてその指導を受けなければなりません。

 なぜ、このことを改めて強調しなければならないのかというと、近ごろ、いろいろなところで党の集団指導から離れて自分勝手に活動する重大な現象があらわれているからです。降仙製鋼所の例がそれです。支配入が工場党委員会の統制から離れ、人々の意見も聞かずに一人で独断的に振舞った結果、製鋼所の仕事が一時非常に誤った方向へそれてしまうところでした。

 このたび、青山里に行ったときにも、江西郡人民委員会が党の意見を聞き入れず、農民の声に耳を傾けないで勝手に号令ばかりかけていたためにいかに多くの害を及ぼしていたかを知ることができました。はじめは小豆を植えろといって、次はその畑をすきかえしてトウモロコシを植えろといい、しまいには、それもやめて野菜を植えろと押しつけました。そのために、農民たちは少なからぬ面積の畑をなんべんもすきかえすのにさんざん苦労し、しかも季節がおくれて野菜すら取り入れることができなくなりました。郡人民委員会はまた、田植えの真っ最中で草取りがおくれているときに、農民をやたらに動員して旅館を建てたり、道路を補修させたりすることも平気でおこないました。

 これらはすべて、郡党委員会の集団指導によらず、大衆の利益を尊重せずに仕事をしたためです。

 すべての活動が、郡党委員会の集団的協議で決定した方向にそって組織され、実行されなければなりません。郡人民会議もこの方向にそっておこなわれなければなりません。そして、人民会議がいったん決定すれば、それはすなわち、法であります。誰もそれを変更させ、違反する権利はないのです。農業、地方産業、基本建設、労働の組織、財政支出など人民経済計画のすべての項目が郡党委員会の集団的審議を経て郡人民会議を通過すれば、無条件にそのとおり実行されなければなりません。

 郡党委員会は、人民経済計画の実行状況を日常的に点検し、統制しなければならず、活動上の誤りを正すための対策を敏速に討議し決定しなければなりません。郡人民委員会はその決定にもとづいて必要な対策を実践に移さなければならず、郡党組織はそれを積極的に援助し裏打ちしなければなりません。このようにすれば、経済活動ばかりでなく、郡内のすべての活動がうまくいくはずであります。このような原則に立って、郡党委員会の集団指導体系を確立しなければなりません。

 郡党委員会の集団指導を強めるためには2つのことが必要です。第1は集団的指導機関をしっかりかためることであり、第2は広範な大衆の知恵を引き出すことです。

 郡党委員会を党に忠実で能力のある幹部で構成することが重要です。主観的にはいかに党に忠実であろうとしても、大衆のあいだて信望がなく仕事ができなければ、実質的には党に忠実でありえません。それゆえ、必ず党性が強く信望があり有能な人たちで党委員会を構成し、各部門の活動家を郡党委員会に参加させるようにしなければなりません。このようにしてこそ、郡党委員会は、党の組織活動、思想活動、経済活動、反革命との闘いなど、すべての活動を集団的に立派に指導することができます。

 集団指導で最も重要なのは、大衆の知恵を発揮させ、彼らの建設的な意見を時機を逸せずにまとめあげることです。幾人かの郡党委員だけが額を集めて日夜討論したところで、それほどよい意見が出てくるはずはありません。必ず委員が大衆のなかに入り、彼らと生活をともにし、彼らの真実の声を聞いて再び集まれば、新しい立派な意見が出てくるものです。

 生き生きとした創造的な知恵は、常に大衆のなかから出てくるものです。もちろん大衆の意見は、はじめは断片的で不十分なものではあっても、それを適時にとらえ、集団的な協議を通じて補い、体系化するのが党活動家の任務です。党の指導機関は、このようにまとめられ体系づけられた意見を、再び大衆のなかへもち込み、その方向へ大衆を導いていかなければなりません。こうすることが即ち政治的な指導であり生きた指導であります。

 党中央委員会の1956年12月総会以後に起きた社会主義建設の大高揚も、地方の潜在力を引き出してわずか数か月のあいだに1000余の工場を建設したことも、「工作機械の子生み運動」で2年間にその台数を二倍に増やしたことも、すべてわが党中央委員会の洗練された集団指導の模範を示すものです。常に大衆をよりどころとし、たえず大衆のなかから知恵と力をくみ取り、大衆から学び、大衆を教える、そういう集団指導であってこそ威力を発揮することができます。

 郡党委員会が集団指導の機能を果たすうえで、委員の同志的団結、特に郡党委員長と郡人民委員長の団結を強めることが重要です。工場でもやはり、工場党委員長と支配人の足並みがそろい呼吸が合えば仕事がうまくいきます。党委員長と人民委員長がかたく団結して仕事で成果をおさめるためには、互いに謙虚でわだかまりなく接触し、尊敬しなから同志的に協力することが必要です。自分だけが偉いと考えて相手を見くびり、君は政治は知っているだろうが実務は知らないとか、君は実務は知っているけれども政治は知らない、といったふうに互いに構えるならば、団結もできなければ協力もできません。自分の意見だけが正しいと考え、相手の意見を尊重せず、ひいては黙殺してしまうようでは、“大将一人でいくさはできぬ”ということわざどおり、決して集団の知恵は生まれず集団の力を発揮することもできません。集団指導をおこなうには、必ず同志たちの知恵と力を集めなければならず、そのためには、みなが互いに学び教え合い、同志的に助け合わなければなりません。同志が意見を出すからには、それが例え小さいことであれ、何か根拠があってのことではないでしょうか。そうだとすれば、それが完全に正しい意見ではないにしても一蹴したりするのではなくよく研究し、そこから合理的なものを探し出すように努めなければなりません。お互いがこのように接すれば、党委員たちの意見がよく練られた集団的な意見として難なくまとめられ、党委員会が団結した集団指導の機関として活発に動くことができます。

 いまの実情を見ていると、下部の幹部のあいだの団結がうまくいっていないところが多いようです。外見は団結しているようでも実際には団結しておらず、思想的に統一されていないところが少なからずあります。郡に行って見てもそうだし、里に行って見てもそうです。幹部が互いに欠陥をかばい合い、家族主義に陥ることはなお悪いことですが、同志的に団結せず、ああだこうだ、といさかいを起こすのも極めて有害です。このようなことは一掃しなければなりません。

 郡党委員長と郡人民委員長は互いに意見を尊重しなければなりませんが、特に尊重しなければならないのは党委員長の意見です。集まって協議はするが、結論は常に郡党委員長がくだすべきです。なぜなら、郡党委員長の方が全般的に幅が広く政治的な識見も高いからです。郡人民委員長は主に人民委員会内の行政面の活動家や技術者と仕事をしているけれども、郡党委員長は直接党の活動家を動かしているので、大衆の声をより広範に聞くことができるし、彼らの意見をよりよく総合することができます。もちろん、形式的に仕事をする党委員長はそうできないでしょうが、党活動を正しくおこなう党委員長であれば、党員と大衆の集団的知恵を発揮させて、いつも正しい道を切り開いていくことができます。だから郡党委員長が、党の権威をかさにきて一人で威張っているのもいけませんが、郡人民委員長が郡党委員長の意見に従わないのは、それ以上に許されないことです。

 党活動でもう一つつけ加えておきたいことは、郡党指導員の政治的・実務的水準を向上させる問題です。

 現在、道・市・郡党委員会指導員の水準は非常に低い状態にあります。例えば、我々が先日江西郡党に行って指導をおこなったとき、ある道党指導員の報告を聞いたことがあります。かれの任務遂行状況に関する報告は、いくら理解しようと努めても、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。いくら聞いても理解しにくい、要領を得ない話し方をするこの人が、どうして下部へ行って党の政策を浸透させ、党政策にもとづいて指導をおこなうことができるでしょうか。名前そのものが指導員なのに、このように水準が低くては、どう党員を指導し、大衆を指導することができるでしょうか。これは、極めて深刻な問題です。指導員としての初歩的な役割を果たすためには、少なくとも下部で提起される問題が分析でき、その正否を判断し対策を立てることができるくらいにならなければならないのに、そういう能力が非常に不足しています。実情がこうであるにもかかわらず、江西都党委員会では、郡党委員長、副委員長、部長などが指導員の水準を向上させることにほとんど関心を払っていません。

 例えば、部長が指導員に文章を書かせよとすれば、あらましの方向と内容を示して文章の書き方も教え、書いてきた草稿については評価もし、細かいところまで直してやってその指導員が上達するように助けてやるべきなのですが、そうはせずにただ書けと命令し、だめだと言ってつっ返すだけです。甚だしくは、10回も没にした人がいるといいます。指導員はどこにどのような欠点があるのかもわからず、一人で苦心するためよい文章がつくれるはずはなく、こういうことでは一歩も進むことができません。教えもせず、援助もしないで、一方的な要求ばかりしては指導員の水準を向上させることができません。

 指導員の水準を向上させるうえで最も大切なのは、わが党の政策を徹底的に教えることです。党の政策さえよくわかれば、自信をもってすべての問題を分析して処理することができ、大衆を正しく導くことができます。

 わが党の政策は、朝鮮革命の具体的な実践と結びついたマルクス・レーニン主義であり、我々のすべての行動の指針であります。党の政策を把握しているということは物差しをもっているようなものです。あらゆるものごとをこの物差しではかることができます。これが党の政策にかなっているかどうか、どの道をいけば党の政策を貫くことができるかを判断してこそ、是非をわきまえて原則を守りとおすことができ、提起された問題を正しく解決することができます。したがって、指導員がこの指針をしっかりと把握するようたゆみなく援助すべきであって、どこかに行って欠点ばかり探してこいといったりしてはなりません。党の政策をはっきり知らなければ、問題を分析することができず、したがって欠陥も探し出せません。まして、指導員として党員や大衆に生きた政治的指導をおこなうことはできません。

 以前には、党中央の指導員でも党の政策をよく知りませんでした。許カイは、党の政策を何でも秘密にして党の活動家に知らせようとしませんでした。第3回党大会以後になって、はじめてこのわくが完全に打破されました。このときから特別な機密を除いて、党中央委員会常務委員会が何かの問題を決定すれば、それはすぐ幹部とすべての指導員に知らされるようになりました。党中央の指導員が常務委員会の意図をはっきりと知るようになり、党の政策を把握するようになってから、彼らの活動には転換が起きました。このように、党の政策がわかれば政治的な視野も広くなり、定見ももつようになり確固として正しい道を進むことができます。このような転換が地方の機関にも全く起こらないわけではありませんが、まだまだ不十分です。

 いまは、どの分野、どの部門に関しても党の政策が明確でないものはありません。工業政策、農業政策、商業政策、交通運輸を発展させるための政策、教育・文化政策、反革命に対する闘争方針など、どれ一つとして不明確なものはありません。これを系統的に把握していさえすればどんな関門も開くことができ、すべてのことに確信をもって進むことができます。そのためには、言うまでもなく党の政策を自分のものとして身につけるべきであって字句だけを暗記していては駄目です。指導員に党政策の本質と、それがもとづいている根拠をはっきり教えてこそ、彼らは能動的に活動することができ、どんな風が吹いても動揺しなくなります。「天」と「地」の2字が続いていないと、どの字も読めなくなってしまう、というように党政策の教育をおこなっては何の役にも立ちません。

 さらに、党の政策を幅広く全面的に把握しなければなりません。党の工業政策はわかっているが農業政策はわからないとか、党の組織路線は知っているが経済政策は知らない、というように党の政策を把握していたのでは、とても党活動はできません。党活動家が他の部門の専門家や技術者とも異なる点はここにあります。いま、党指導員のなかに、組織活動は知っていても宣伝活動は知らないとか、反対に、宣伝はできても組織活動はできず、経済と技術については全く疎い人が多いのですが、これではいけません。各級の党委員会は、誰よりもしばしば大衆に接し、直接党員を動かしている党指導員の政治的視野を広め、彼らに党の政策を深く系統的に教えることに第一義的な関心を向けなければなりません。

 次に、経済活動、特に農業における欠陥を取り除くことについて述べたいと思います。

 第1に、主要な欠陥は、協同組合は統合されたのに管理活動がまだそれに追いつけず、組合の計画化水準が極めて低く、活動で中心的な環を見失っていることです。

 わが国の農業協同組合は、大きな社会主義的集団経営であり、計画的な管理運営を必要とします。もしも、計画的な管理運営がうまくいかなければ自然発生的な傾向が頭をもたげるようになります。今度行って見ると、組合の管理委員会が協同経営を正しく運営できず、組合の全般的な活動をしっかりつかめず、いろいろな面で仕事が自然発生的におこなわれている弊害が多く見られました。さらに重大なことは、管理委員会が穀物の生産に重点をおくという党の方針を貫かずに仕事をひろげ、それでなくても足りない農村の労働力を方々に分散させたことです。

 わが国の農業生産では穀物が基本です。これがよくできれば畜産もできるし、その他のすべてのことができます。そして、農業協同組合は農業を営む協同組合だということを忘れてはなりません。もちろん、農業以外の他の仕事を副業にすることはよいことで、それは積極的におこなわなければなりません。しかし、農業生産に力を集中せず力を分散させて、副業が本業なのか本業が副業なのかよくわからないようになってはなりません。現在、やれ建設班だ、漁労班だ、搾油班だ、精米・製粉班だなどといって農業以外のさまざまな仕事に多くの労働力を、それもたくましい青壮年の労働力を当てていますが、これは誤りです。農業協同組合を副業化しようとするのは危険な傾向です。肯山里だけでも、昨年おびただしい労働力を二義的な部門にふり向け、多くの人々を農業生産から引き離しましたが、これは一時、黄海製鉄所で鋼鉄生産を基本とせず、労働力や資材、資金を分散させたのと全く同じことです。このような現象をなくし、組合の主な力を農業生産に、なかでも穀物生産に集中するようにしなければなりません。

 さらに、農業協同組合の計画化水準を決定的に高めなければなりません。以前には思いつきの数字が計画数字になったものですが、いまでは農村の生産力を具体的に検討して、現実的で動員力のある計画を立てるよう努力しなければなりません。管理委員たちの主観的な欲求にもとづいて計画を立ててはなりません。計画は、必ず、組合員大衆の創意的な意見にもとづいて、十分大衆的な討議をへて立てられなければなりません。しかし、いったん組合員の総意によって採択された計画は法であるということを銘記すべきです。管理委員長であれ、作業班長であれ、誰であれ、やたらにこれを変更したり、違反したりすることはできません。これまでは、このような規律が非常に乱れていましたが、これを決定的に改める必要があります。厳格な計画規律を確立しなければ、数100戸の農家と数100ヘクタールの耕地を有する協同経営を計画的に運営することも、自然発生的なさまざまな傾向を防ぐこともできません。

 第2に、重大な欠陥は、社会主義的分配を正確におこなわず、農民の物質的な関心を刺激することを知らないことです。これについては、最近何回となく警告し、強調しましたが、いまだに改善されていません。

 いま農業で、労働による社会主義的分配の原則がひどく侵されています。口先では社会主義的分配をすると言っていますが、実際にはそれがおこなわれていません。甚だしい場合には、倉庫に穀物を積んでおいて配給でもするように少しずつ均等に分けているところもあり、分配しているというところでも、作業日の評価が不正確なために、厳密に言って社会主義的な分配がなされているとは言いがたい状態にあります。

 作業日を正しく評価することが最も重要です。まず、これを正確におこなわなければ社会主義的分配が正しく保障されません。ところが、いまこの評価が公正を欠き、無原則におこなわれています。どのような傾向があるかといえば、技能労働だからといって楽な仕事にもむやみに多くの作業日を与えています。

 例えば、ペンチ一つをもってぶらぶら歩き回っている人に、電気工だからといって無条件に1.5作業日をつけています。それも仕事が忙しくて他の組合員と同じように、一日中勤勉に働いている電気工ならいざ知らず、これといってする仕事もないのに、用もない電気工を別に一人おいて、毎日機械的に1.5作業日を与えているのだから、こんな不公平なことはありません。他の例をあげると、漁労班員だというので、これまた無条件に1.5作業日を与えています。魚を捕る仕事が農作業よりも重要な仕事だという根拠もなく、また大部分の農業協同組合では魚とりの仕事がいくらもありません。それで、漁労班員たちは順風に帆をあげて船遊びをしなから楽に仕事をしています。こういう人たちに毎日きちんと最高の労働点数を与えるのはもってのほかです。機械化班員の場合も同じことです。きょう実際にどんな仕事をし、それがどれほど骨の折れる仕事でどのくらいの技能を要する仕事であり、おこなった作業量はどのくらいであるかをはっきり検討して作業日を評価しなければならないのに、機械化班員だからといって一概に最高の労働点数を与えるのは間違っています。こういうことをするから、機械化をすすめるといって、大した仕事もないのに設計図面をもって行ったり来たりしながら一日を送っている人にも、目をつぶって1.5作業日を与えることになるのです。事態は極めて重大です。こんなことで誰が骨の折れる農産作業に励むというのでしょうか。組合内で要領のいい連中は、いつのまにかみな基本作業から抜け出して、楽で作業日もたくさんもらえる「技能労働」へ行ってしまいました。こうして結局、農産作業には、黙々とよく働く女性だけが残りました。

 農業協同組合では、どこに重点をおいて作業日を評価すべきでしょうか。言うまでもなく、組合で最も基本的な意義をもつ仕事、最も骨が折れて困難な仕事、例えば、すきおこし、しろかき、田植え、草取り、麦刈り、稲刈りなどの基本農作業に重点をおかなければなりません。いくら技能を要する仕事でも仕事の量が少なく暇な場合は、作業日を多く与えてはいけません。暇な人によい待遇をすることがはやれば、怠け癖が生じて組合を滅ぼしかねません。

 作業日の評価は、一個人の主観的な考えによっておこなうべきではなく、厳密な基準に従って何人かが集団的におこなうのかよいでしょう。特に、堅実な大衆の声に耳を傾ける必要があります。そして、評価は机の上でおこなわず、作業班の現場で毎日おこなうようにしなければなりません。

 農業協同組合で社会主義競争を正しく組織することが重要です。しかし、組合員の物質的関心を効果的に刺激しなければ、社会主義競争はうまくいきません。もちろん、勤労者を共産主義思想で教育し、彼らの自発的な熱意を高めることが何よりも重要ですが、同時に物質的に刺激してこそ熱意もさらに高まり生産も向上します。これと切り離しては、競争も考えられず、競争を社会主義的分配の原則と正しく結びつけなくては、勤労者の労働の熱意を積極的に呼び起こすことができません。

 組合員の生産意欲をどのように刺激すべきでしょうか。労働による社会主義的分配を徹底的に実施する以外に道はありません。生産手段が社会化されたとはいえ、まだ労働の技能水準と強度に差があり、人々の意識も共産主義の水準に達していない条件のもとで、労働による分配を実施しなければ、勤労者の生産意欲を高め、生産力を速やかに発展させることができません。これは、社会主義経済の客観的法則であり、社会主義的経営を運営するうえで必ず守らなければならない重要な原則であります。わが国の農業協同組合も例外ではありません。ところが、これまでは、「訴える!」「呼応して決起しょう!」などと空虚なスローガンを叫ぶばかりで、農民の社会主義競争を社会主義的分配の原則と結びつけて効果的に組織したことはありませんでした。いまからでもこれをおこなわなければなりません。

 私の意見としては、作業班別に生産計画を与えて計画を超過した分は組合におさめず、その作業班で班員に分配する作業班賞金制を取り入れるのか効果的ではないかと考えます。計画に予定した収穫は、組合の管理委員会が掌握して、税も納め、生産的支出を補償し、蓄積もし、作業日による分配にも当てるようにし、計画以上に生産した分は、計画を超過遂行した作業班に全部分配しようというのです。こうすれば、すべての作業班が、国家の計画を超過遂行するための競争に切実な関心をもって参加するに違いありません。

 そのためには、国家計画を正確に立てることが必要です。これまでは実行できない計画を与えるのが通例で、さらに一部の人は目標の高い計画を与えるほど人々を奮い立たせることができるとさえ考えていました。これは誤った考えです。計画はあくまでも現実的で動員的なものでなければなりません。はじめから実行する可能性のない計画は、たんなる欲求であって計画ではなく、かえって勤労者の生産熱意をくじくものです。まして、そのような計画を与えたのでは、作業班賞金制を取り入れること自体が無意味です。ある程度努力すれば実行できるような計画を与えて、それを超過遂行しようという農民の意欲を盛り上げ、超過遂行した分に対する賞金が実際にゆきわたるようにしなければなりません。今年、農民がこれを体験すれば、これからは社会主義競争にいっそう積極的になるでしょう。

 中央で籾米のヘクタール当たり収穫高を4トンと予定して示達すると、道では4.2トンに、郡ではそれに300キログラムを加えて4.5トンにし、それが里におりてくると、たっぷり見積もって5トンにして計画を立てるといった式の農産計画の立て方をこれ以上繰り返してはなりません、このように紙の上に鉛筆でしきりに数字を水増しして書き入れようとばかりせずに、農民の生産意欲を高めて実際の収穫が増えるようにしなければなりません。

 昨年12月の党中央委員会拡大総会でも強調したことですが、一体、わが国の農民がいつの間に全部共産主義者になったというのでしょうか。彼らが完全な共産主義意識をもつようになるのはまだ先のことです。生産力も低く農民の意識水準も低いのに、物質的な刺激を与えずにどうして生産を発展させることができるでしょうか。社会主義を建設するとしながら、物質的関心の原則をおろそかにするのは、マルクス・レーニン主義の初歩的な原理に背くことになります。我々は、このような傾向と強く闘わなければなりません。

 農業現物税についても、活動家たちはすべて正しい認識をもたなければならないと思います。一部の人は現物税をもう少し引き上げた方がよくはないかと考えているようですが、いまはその必要がありません。国家が現物税を少なくとれば、農業協同組合自身の蓄積をいっそう増やすことができ、組合員にももっと多くの分配と恩恵がゆきわたり、それでこそ彼らの生産意欲も高まります。いまではもはや、このようにできるようになったので、現物税率を大胆に引き下げたのです。

 それではなぜ、現物税制を実施する当初は25%という高い税率を決めたのでしょうか。それは、当時の情勢のもとでは避けられないことでした。当時、わが国は農業国であり、多くのものを農業が負担しなければなりませんでした。もちろん、地主が収穫の半分を小作料として徴収し、そのうえ日本人が供出だのなんのといっては手当たり次第に奪いさっていった解放前に比べれば、この税率も極めて低いものでした。そのために、土地改革で土地の主人となった農民は、現物税制の実施をはじめから熱烈に歓迎しました。土地をただで与えられ、あらゆる雑多な重税がなくなり、収穫の25%だけ納めればあとは全部自分のものになるというので、農民は生きる道が開けたといったものでした。我々は農民からの現物税で、戦費もまかない工業も発展させました。しかし、いまでは事情が変わりました。わが国は、工業・農業国となり、工業の内部蓄積だけでも十分工業を発展させ、農業を力強く支援できる元手をつくりました。既に、以前から工業が農業を援助してきたことは事実ですが、農村の技術革命を促進し、農民の労働を楽にし収入を増やすために、工業がいっそう全面的に農業を援助すべきときがきました。我々はこのような事情をすべて考慮に入れて、現物税率を平均8.4%に引き下げ一部の組合に対しては、それを免除する措置までとったのです。

 この問題は、最高人民会議で決定されたのだからこの法令を正しく執行しなければならないのに、江西郡に行って見ると、これをゆがめて執行したため非常に悪い結果をまねきました。税率は国家計画に予定された収穫高の8.4%に引き下げたけれども、昨年の計画そのものが高かったために、結果的には農民の現物税負担がそれほど軽減されませんでした。こうして見ると農民は物質的にそれほど刺激を受けなかったことになります。それゆえ、今年からは計画そのものを適切に与え、それに8.4%の税率を正確に適用しなければなりません。もし、国家が現物税として受け取る量が少なければ、農民からそれ相当の値段で買い上げればよいのです。いまは、どこへいっても個人農や私営商業はなく、すべてが社会主義経営であるために、農業協同組合や組合員が消費した残りの穀物はすべて国家が買い付けられるようになっており、ほかに流れるところはありません。

 問題は、現物税として、ただで納めさせるか金で買い上げるかということですが、工業によって莫大な蓄積ができるようになったいまでは、国家がいくらでも金を出して買い付けることができます。したがって、現物税の税率が低すぎはしないかと心配するのは無益なことです。これから、ひきつづき農産物の収穫が増大すれば現物税率はさらに引き下げられるであろうし、遠からず現物税そのものを廃止する日がくるはずです。

 我々は、農業現物税に対する活動家の考え方を正すことによって、法令が正確に実行されるようにしなければなりません。そうして、農民の生活が向上し生産熱意が高まれば、農民にとってもよく労働者にとってもよいことであり、誰にもすべてよいことです。はっきり言って、5か年計画をおこなう以前は農民の生活が労働者より多少まさっていましたが、いまでは農民の方が劣っています。これは主として工業が急速に発展しているのに比べて、農業の発展が遅れている事情と関連しています。したがって、党が既に示した明確な方針にもとづいて農業の機械化を強力におし進め、農業協同経営の強化と農民の生活改善のために積極的な支援を与えなければなりません。

 さらに、農民の利益を侵すようなことがあってはなりません。農民に対する活動を誤って彼らの利益を侵すようなことになれば、政治的な損失をまねくだけでなく、彼らの生産意欲をくじき経済的にも損失をまねくことになります。

 農民の利益を侵すことを何とも思わず、彼らに損害を及ぼしても呵責を感じない活動家がいますが、このような悪い癖は必ず捨てなければなりません。野菜の例をとってみても、野菜をつくれ、たくさんつくれと言っておきながら、いざそれがたくさんできると値を下げようとし、買い付けも満足にしようとしません。昨年、トマトを収穫して売れなかったため損失をこうむった協同組合があります。これは極めて重大なことです。このようなことで誰が野菜をつくるというのでしょうか。骨を折るだけ折って損するようなことを好む人はいません。

 軽工業省でもやはり、各地でてん菜を植えろと言っておきながら、まともに買い付けをおこないませんでした。いまでは国家が買わなければどこにも売りさばくところがありません。そのため、平安南道大同郡などでは、農民は仕方なしにてん菜を牛に食べさせました。結局、国家から言われたとおりに苦労しててん菜を栽培したものの、家畜の飼料にしかならなかったのだから、こんなことを喜ぶ農民がどこにいるでしょうか。適切な計画を与えなかったことも誤りですが、あまり行き過ぎた計画のために野菜がありあまるほどなら、損をしても国家が買い上げて売りさばくべきであり、加工施設が足りなくててん菜が余るようだったら、牛の飼料にするにしても国家が買い上げて飼料にすべきです。これは、党中央が何度も繰り返して強調した問題であるにもかかわらず、いまだに党の意図に反した行動をする活動家がいます。

 これは、すべて偶然なことではなく、一部の活動家のあいだに残っている日本帝国主義思想の残りかすのあらわれです。これをすっかり洗いされば、農民の利益を侵すようなことがなくなり、党の大衆路線を貫くことができます。

 いま一度強調しますが、農民の生産意欲を高めることが重要であって、現物税をいくらかますか、多く徴収するとか、買い付けのさいに少しばかりの金を出し惜しみすることが重要なのではありません。農民の生産意欲が高まれば生産量が増え、農業生産が高まれば農業協同組合が強化され、農民の生活が豊かになり、国家により多くの穀物の予備もできるので、これ以上結構なことはありません。

 人民と団結し、人民を導いて革命をおこない、そうして人民の生活を幸福で豊かなものにしようというのが共産主義者の目的であるのに、人民の利益を大切にせずに、どうしてこのような目的が達成できるでしょうか。すべての活動家、とりわけ、農民大衆と最も接触する機会の多い郡党委員会および郡人民委員会の活動家が、この問題に対して徹底した認識をもたなければなりません。

 江西郡党委員会の活動を指導する過程で、私が感じた重要な問題はおよそ以上のとおりです。

 青山里と江西郡の活動のなかに、我々は現在のわが国農村の里と郡の典型を見ました。我々がここから得た教訓と到達した結論は、社会主義農業の新しい前進のために里党委員会の活動、農業協同組合管理委員会の仕事、郡党委員会と郡人民委員会の活動を改めるうえで非常に貴重なものです。これにもとづいて、全国の郡と里に対する集中指導を組織するよす常務委員会に提起します。

 郡党委員会と郡の政権機関の活動を改め、農業協同経営の運営を改善することは、既に社会主義的経済制度が確立し、技術革命と文化革命が進んでいるこんにちのわが国の農村の切実な要求となっています。新しい環境に即して活動体系と指導方法を改めることによって、社会主義農村の新しい大きな発展をもたらしましょう。
                                                
出典:『金日成著作集』14巻


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