金 日 成

社会主義農業の正しい運営のために
江西郡青山里党総会でおこなった演説 
1960年2月8日

 私は、この里党総会に参加して活動報告と皆さんの発言を聞きました。皆さんは1959年度の活動にあらわれた欠陥を正し、1960年度の仕事をいっそう立派に遂行するために多くの発言をおこないました。

 会議では、営農準備を十分におこなうための建設的な意見がたくさん出されただけでなく、これまでの管理委員会の活動に存在した多くの欠陥についても適切な批判がおこなわれました。皆さんが、このたびの党総会で、昨年は施肥量が少なかったとか、密植をおこなわなかったとかいう技術上の問題を討議するのに重点をおいたのではなく、協同組合の管理活動にあらわれた欠陥を思想的に批判したのは極めて正しいことでした。

 党組織の総会で討議すべき問題はたくさんあります。しかし、指導のうえで何を誤り、管理活動と党活動では何が間違っていたかを思想的に討議することが、一番重要であります。営農準備を立派におこなうためにも、まず、このような批判がおこなわれなければなりません。

 自分の活動上の欠陥を見つけ出し、それを批判し、改めることは非常によいことです。常に、仕事を正しくおこなうということは難しいことです。ときには、誤りを犯すこともあります。問題は、誤りを早く是正することにあります。

 常に自分の活動の欠陥を批判するのは、ちょうど、我々が、毎朝顔を洗うのと同じことです。毎日顔を洗わずにあかのついたままほうっておくと、あかがたまって顔におできができ、しまいには顔が醜くなってしまうでしょう。我々の活動も同じことです。活動にあらわれた欠陥を、そのつど批判して改めないならば、そうした欠陥が積もり積もって、ついには取り返しのつかない事態にまで立ち至るようになります。毎朝、顔を洗うように、我々はいつも自分の活動における欠陥を洗い落とさなければなりません。

 活動上の欠陥を日常批判することなしには、活動をひきつづき発展させることができません。私は、今度の会議で、皆さんが自分の活動について正しく批判したことを大変満足に思います。

 里党総会ののちも、初級党組織でも批判をおこない、各作業班でも批判をおこない、各人もみなそれぞれの仕事を検討して誤りを批判すべきだと思います。

 総会で発言した皆さんの意見を総合してみると、昨年の皆さんの活動には、いくつかの重大な欠陥があったことがわかります。

 第1の欠陥は、農作業に全力を集中しなかったことです。これが昨年の活動にあらわれた主な欠陥です。

 農業協同組合の主な仕事は、何でしょうか。それは、農作業です。それゆえ、協同組合では、農作業に全力を集中しなければなりません。

 ところが、皆さんは、農作業に力を集中したのではなく、他の多くの仕事に力を分散させました。皆さんの発言にもありましたが、やれ搾油作業班だ、やれ養魚作業班だ、また何とか作業班だといっては多くの作業班をつくりました。

 皆さんの組合は、搾油組合でもなければ養魚組合でもなく、まさに農業協同組合なのです。管理委員長は、搾油組合の管理委員長として選出されたのではなく、農業協同組合の管理委員長として選出されたのです。それなのに、どうして本務は遂行せずに他のことばかりするのでしょうか。

 農業協同組合では、すべての活動が農業に服従しなければなりません。機械を修理するのも農作業のためであり、堆肥をつくるのも農作業を立派におこなうためです。農作業がうまくいかなければ、穀物もワラもたくさん生産されません。また、こうなると牛や豚もたくさん飼うことができません。

 ところが、昨年のこの組合の労働力の配置状況を見ると、一番重要な農産作業班には、全労働力の約50%しかふり向けず、あとの労働力は、全部他の仕事に当てられました。

 機械化作業班だとか、建設作業班を全くなくそうというのではありません。農業機械を修理するのも、農作業にとっかかる前か、あるいは農作業をすっかり終えたのちにおこなうべきであり、建設作業班も営農期には家を建てることよりもまず生産的建設を多くおこなわなければなりません。建設作業班が、なすべき仕事はたくさんあります。田んぼも整理し、水害を防ぐために水田のあぜもしっかりとかため、水利不完全田を完全田につくるために水路ももっと掘らなければなりません。

 このような生産的建設をすっかり終え、農村の機械化を実施して我々の暮らしがよくなってから、住宅、クラブ、そして、管理委員会の事務所などを建てるべきです。いま、管理委員会の事務所などを立派に建てて会議ばかり開いて何の役に立ちましょうか。こんにち、我々にとって切実に必要なのは、仕事を楽にし、収穫高を増やすための生産的建設です。もちろん、文化住宅も学校も建てなければなりません。しかし、こうした建設は、農繁期以外の合間を見ておこなうべきです。田植えどきや、草取りの時期にこういうことをしてはなりません。

 おそらく、個人農のころも、農繁期に家を建てたり修理したりするようなことはなかったはずです。にもかかわらず、多くの党員がおり、党組織があり、全組合員が集団的に考え、集団的に仕事をしていく協同組合で、どうして農繁期に農作業とは直接関係のない仕事をはじめようとするのでしょうか。これは、党組織が農産活動を形式的に指導したからです。

 機械化作業班には40人あまりが動員されていたそうですが、これは大変を人数です。40人の従業員をもつ工場と言えば、南朝鮮ではおそらく大きな工場の部類に入るでしょう。いま、南朝鮮にある工場の大多数が従業員7、8人の小さな手工業的工場です。

 機械化班に40人もいて何をするのでしょうが。彼らは、何か新しい機械を考案するのでもなく、主に機械修理の仕事をするはずです。修理すべきものは、冬のあいだに全部済ませ、夏にはときたま壊れる機械や道具などを修理するため2、3人を修理班に残し、他の組合員はすべて農作業に参加すべきです。建設班も冬や春に力を入れて家などを修理し、夏にはみな農作業に参加すべきです。

 搾油作業班というものをつくって油を搾って売るそうですが、どうして小市民のようにこうした企業をしたがるのかわかりません。何キログラムかの油を搾るために畑を遊ばせておくことは、何と大きな損失でしょうか。何キログラムかの油を搾るよりは、みなが野良に出て動き、穀物を1トンでも多く生産する方がはるかに有益ではないでしょうか。

 皆さんが「聡明さ」を発揮して油を搾らなくても、油を搾る人は岐陽邑にも大勢います。皆さんは、農作業をおこなうべきであり、それに力を集中すべきです。自分の本分を忘れてはなりません。

 第2に、皆さんの活動における大きな欠陥は、計画もなしに仕事をしてきたことです。

 個人農経営のときにも、農作を上手におこなう人は計画をもっていました。畑のすきおこしはいつごろおこない、いつ何をどれだけ植え、資金はどこにいくら使う、といったように計画を立てて仕事をしたものです。まして、700戸も加入している大きな経営を計画化せずに、どうして運営できるでしょうか。計画なしに協同組合を運営することはできません。

 わが国の農業協同組合の規模が次第に大きくなるにつれて、計画を正しく立てる必要はいっそう増大しています。協同組合が、はじめて組織されたときは規模が小さく、農家数も30〜40個にしかなりませんでしたが、いまでは、少なくて100戸以上、普通300戸であり、大きいのは1000余戸にもなる協同組合まであります。このような大きな組合を以前と同じようなおおざっぱなやり方では、とうてい運営していけません。

 計画化というのは、別に難しいものではありません。協同組合でしなければならないことが何であるかを決め、それをなし遂げるために資金や資材、労働力をどのように割りてるかをあらかじめ予定することです。

 農業協同組合である以上、まず穀物の生産計画を立てなければなりません。今年穀物は全部で何トン生産しなければならないが、そのうち米はいくら、トウモロコシはいくら、小麦はいくら生産するという計画を立て、次に豚は何頭、牛は何頭、兎は何羽飼うといった畜産計画を立てなければなりません。

 そして、穀物計画と畜産計画を実行するのに必要な種子用穀物、堆肥、飼料などの計画もつくらなければなりません。

 その次には、この計画を実行するために、農産班には何人、畜産班には何人というように労働力をふり分けなければなりません。

 組合の共同ファンドを使う場合でも、.農業機械の購入にいくら使い、畜舎の建設にいくら使うといったように、資金を使う計画を立てなければなりません。

 皆さんに計画があったことは事実ですが、その計画が現実と全く合わないものであったため、計画なしに働いたのと同じことです。計画を立てるにしても、必ず正確なものでなければなりません。

 正確な計画を立てるためには、労働力と労働用具、肥料、飼料その他農業に必要ないっさいのものを正確に検討してみなければなりません。能力が足りないのにたくさん生産しようという主観的な欲求から、穀物は何万トン、豚は1000頭、牛は500頭などと高い目標を達成しようと決定だけしても、それは単なる空想にすぎません。そのような計画は、絶対に実現できません。

 何よりもまず、自分の力をよく検討してみなければなりません。ところが、これまで組合で計画を立てるのを見ると、畑が何ヘクタール、水田が何ヘクタールあるから、穀物は何トンとれるといったように思いつくまま立てています。こうしておいて、実際に農作業をはじめてみると、肥料がなくて施せないまま種おろしをしなければならない場合もあり、肥料があっても荷車がなくて運び出せないこともあり、甚だしいときには、簡単な農機具さえ足りない場合も生じます。

 労働力は何人、堆肥はどれだけ、化学肥料はいくら、荷車は何台、トラックは何台必要なのだが、いまあるのはこれだから、これぐらいの計画は十分可能だとか、あるいは計画を少し減らすべきだとか、よく検討してみて計画を立てなければなりません。

 計画をすっかり立て終えたら、必ずそれを集団的な討議にかけなければなりません。里党委員会で討議し、初級党組織でも討議し、里党総会でも討議し、組合員全部にも討議させて意見を聞かなければなりません。

 計画を討議する会議が、万歳を唱えるだけの会議になってはなりません。必ず、どういう目的からこういう計画を立てたのか、何にもとづいてこの計画が実行できるのかを異体的な数字をもって検討しなければなりません。

 国家でも計画を立てるときには、慎重におこないます。多くの資料にもとづいて党指導部で慎重に討議し、多くの技術者や学者とも討議し、多くの労働者とも討議したのち、最高人民会議の討議にかけて法令として採択するのです。このようにしても、ときどき手落ちがあり、うまくいかないことがあります。

 国家の経済管理にしても組合の経済管理にしても原則は同じことです。計画が正しく立てられてはじめて、生産がスムーズにおこなわれます。計画を討議することは、組合の最も重要な仕事の一つです。したがって、党員は、この仕事に積極的に参加しなければなりません。

 管理委員会に計画がないのは誰の責任でしょうか。もちろん、管理委員長の責任が大きいと思います。しかしまた、里党委員長が誤っており、全党員が過ちを犯しています。党は、党委員長の党ではなく全党員の党です。すべての党員が、組合を正しく運営するために積極的に闘い、組合の仕事がうまくいくかどうかについて責任を負わなければなりません。計画を立てるときには黙って座っていて、ことがすっかりだめになってから、ああだこうだと行ってみても何の役にも立ちません。

 党という漢字は「仲間」という意味ですが、党は文字どおり一人ではなく、多くの党員が集団をなして闘う組織であります。党組織を通じて協同組合の運営を指導しなければなりません。

 計画を立てたあとには、誰であろうとそれを勝手に改めることはできません。すべての人がみなこの計画にもとづいてそれぞれの仕事をしなければなりません。

 すべての人が計画を実行するためには、各自が自分の計画をもっていなければなりません。管理委員会では四半期別計画も、月別計画も立てなければなりません。何月には、どの作業班が肥料をどれだけ施し、種子のより分けはどの作業班がどれだけおこない、建設作業班は何月までどの建設を終え、何月からは農作業に参加するというように詳細な計画を立てなければなりません。

 管理委員長は、管理委員会の活動計画のほかに、自分の活動計画を立てるべきです。すなわち、何日、誰とあって何の問題を協議し、何日はどの作業場に出かけ、何日はどういう仕事を点検するというように、自分の活動計画を立てなければなりません。こうした活動計画は、長期のものを立てることはできません。およそ10日分ぐらいずつ計画を立てる方がよいでしょう。作業班長にも、活動計画がなければなりません。

 そして、すべての管理委員に具体的な任務の分担をおこなうべきであり、分担された任務に従って、各管理委員がそれぞれの活動計画を立てなければなりません。これらすべての計画は、互いにうまくかみ合わなければなりません。こうすれば、すべての仕事が順調に運びます。

 経営を計画的に運営すれば、多くのものを節約し、労働力を合理的に利用し、仕事上のむらをなくし、すべての部門を統一的に管理することができます。

 わが国が急速に発展するのも、解放後から計画経済を実施してきたからです。計画経済を実施しなかったならば、戦争でひどく破壊されたわが国の人民経済を短時日間で現在のように立派に復興発展させることはできなかったでしょう。

 協同化された農村を急速に発展させるうえで最も重要なのは、組合の運営を計画化することです。昨年の活動における大きな欠陥の一つは、仕事を無計画におこなったことです。それで、党中央委員会12月拡大総会は、農業の計画化を重要な問題としてうち出しました。

 第3に、皆さんの活動における重大な欠陥は、労働力を浪費していることです。これは、労働力の配置の不手際からくるものです。協同組合が統合されて規模が大きくなったからといって、労働力が増大したと思ってはなりません。規模が大きくなっただけ、また仕事も増えています。

 皆さんが多く発言したので、私はいくつかの例をあげて簡単に述べたいと思います。

 小麦畑の裏作に小豆をまいたあと、これを飼料作物畑にするからとすきかえし、今度は野菜畑にするといってまたすきかえしたので、非常に多くの労働力が浪費されてしまいました。小さな施設をつくるために機械化作業班に30〜40人もの人がついているのも労働力の浪費であり、畜産班に66人も入っているのもすべて労働力の浪費です。さらに養魚作業班にもあま。多くの人が配置されています。魚の卵をかえすのにどうして8人も必要でしょうか。

 スポーツや芸術サークル活動をやたらにおこなうことからくる労働力の浪費も大きいものです。一番忙しい農繁期にサッカー競技を催したため、多くの青年が長いあいだ農作業から離れていました。郡機関所在地にいってサッカーをやったために4日間仕事ができなかったのはいうまでもなく、競技に出るため16日間も練習をしているので、結局20日間、元気な青年たちが全く農作業から離れていたことになります。

 何のために、一番忙しいときにこんな競技を催すのでしょうか。暑いときにはサッカーの選手も骨が折れるし、見物人も大変でしょう。

 芸術サークルの活動も農作業が忙しくなく、夜長の冬におこなう方がよいでしょう。ところが、草取りが、たけなおな忙しいときに芸術サークルをするからと、若い娘や婦人たちが夜も寝られずに動員されるので結局まともに仕事をするのは年寄りだけです。

 農繁期に会議だ、講習会だといって頻繁に人を呼びつけるのもよくないし、管理委員長が何かと言えば作業班長たちを呼びつけて、3、4時間も座らせておくのもすべて大変な労働力の浪費です。

 農村に労働力が足りないというけれども、労働力の配置を正しくおこなえば、冬は多くの予備が浮くはずです。農村には、労働者、事務員の扶養家族も少なくありません。いま、みんながチョンリマ(千里馬)に乗って進んでいるというのに 、どうして扶養家族を農作業に引き入れないのでしょうか。

 労働力を十分に利用し、節約して、すべての力を農作業にふり向けるならば、今年の農作は順調にいき、生活はさらによくなるでしよう。

 第4に、皆さんの活動にあらわれている欠陥は、社会主義的分配の原則に違反していることです。以前もそう考えていましたが、今度現地にきて皆さんと話し合い、指導グループの報告を聞いてみても、皆さんが社会主義的分配の原則を守っていないことがさらにはっきりしてきました。社会主義経営で社会主義的分配の原則を実施しないということは、極めて重大な欠陥であります。このような欠陥を改めずには、社会主義協同経営の優位性を発揮させることができません。

 社会主義社会は、共産主義社会の第1段階ですが、社会主義と共産主義は区別しなければなりません。我々が人類の理想である共産主義社会の建設を最終日的として闘っているのは事実です。しかし、共産主義は、必ず社会主義を経て実現されるのです。

 社会主義から共産主義へ移行するためには、生産力をいっそう発展させ、物資をさらに多く生産し、人々の意識も共産主義的に改造しなければなりません。共産主義を実施しようとすれば、人々の欲求を十分満たしうる程度に物が豊富でなければなりません。生産物が極めて豊富になるためには、技術がいっそう発展し、労働生産性がいっそう向上して物をたくさんつくり出せるようにならなければなりません。

 共産主義社会になれば、生産は、すべて機械化、自動化され、熟練労働と未熟練労働、精神労働と肉体労働の差もなくなります。したがって、そのときになれば、誰にもみなその要求に応じて分配することができ、誰にもみな希望に従って物を与えることができます。

 ところが、社会主義社会では、まだそれほどに生産力が発展しません。機械化が完成していないために、いまのところ労働にも多くの差があります。まず、軽労働と重労働に非常に大きな開きがあります。鶏を飼うよりも田畑を耕す方がさらに骨が折れるはずだし、炭坑の外で働くよりは坑内に入って働く方がいっそう骨が折れるはずです。室内で事務をとるよりは肉体労働をする方がさらに骨が折れるのも事実です。また、労働の熟練度においても大きな差があります。ある人は技術を身につけているためある製品を1時間に100個生産できるのに、ある人は10個しか生産できません。

 こうした差があるにもかかわらず、みな等しく均等に分け与えるならば、誰が骨の折れる仕事をしようとし、誰が技術を学び創意を発揮して製品をより多くつくろうと努めるでしょうか。労働に差がある以上、分配にも差がなければ生産を急速に発展させることができません。

 いま、我々にとって重要なのは、どのようにしてでも生産力を急速に発展させ、機械化と自動化を促進することです。こうして、生産工程がすべて機械化、自動化されれば重労働と軽労働の差も自然になくなり、熟練労働と未熟練労働の差もなくなるでしょう。そのときになれば、共産主義的分配の原則を実施することができます。

 我々には、まだブルジョア思想がたくさん残っています。ブルジョア思想の特質は、自分の利益だけを考えて社会の利益を考えないところにあります。このようなブルジョア思想をすっかり一掃していない人たちに対して均等分配を実施するならば、何もせずに遊んで暮らそうとする人がたくさん出てくるでしょう。こうなれば生産性はいっそう低下するであろうし、生活はいっそう貧しくなるでしょう。それゆえ、生産が完全に自動化され、人々の頭からブルジョア意識が一掃されるときまでは、必ず社会主義的分配の原則を実施しなければなりません。

 皆さんに社会主義的分配の原則とはどういうものかと聞いてみると、働いた分だけ分配することだと正しく答えます。社会義的分配の原則とは労働の量と質に応じて分配することですが、わかりやすく言えば、働いただけ、稼いだだけ分配することです。たくさん働いて多く稼いだ人には多くの分量を分配し、少し働いて少なく稼いだ人には少ない分量を分配するのが社会主義的分配の原則です。

 皆さんの発言によりますと、一部の党員は仕事もろくにせずに分配はたくさんもらったそうですが、こうした党員は良心の呵責を受けるべきです。働かずに分配を受けるのは、労働者、農民を搾取するのと同じことです。「働かざるもの食うべからず」という社会主義の原則は、もともと搾取者に反対して生まれたものです。働く能力をもっていながら働かずに、他人におぶさって暮らそうとする者には、分配する必要がありません。

 このような者に分配をすれば誰も働こうとはせず、遊んで暮らそうと考えるでしょう。働く者も働かない者もすべて同じように食べていけるのなら、誰が苦労して働こうとするでしょうか。誰でも昼寝を余計にとろうとするだろうし、できるだけ楽な仕事をしようとするにきまっています。こういうことでは、工場を建設することも、農業を立派に営むこともできず、共産主義に進むこともできません。

 社会主義的分配の原則を貫くためには、労働を正しく評価することが必要であります。骨の折れる仕事と楽な仕事を区別して評価し、技術的に熟練を要する労働とそうでない労働とを区別して評価すべきであります。

 溶鉱炉の前で働く労働者や鉱山労働者は、わが国で最も高い賃金を受け取っています。それは、彼らの仕事が非常に骨が折れるからです。

 協同組合でも骨が折れる仕事をする人に、より多くの分け前を分配すべきです。搾油をする人や機械化作業班の人たちの労働は、毎日1.5作業日と評価しながら、骨の折れる草取りをする人たちの労働はそれより低く評価していますが、これは、いずれも社会主義的分配の原則に反することです。

 郡人民委員会と管理委員会で労働基準量について慎重に討議し、標準基準表をつくらなければなりません。これは、誰かが一人で机の上で決めるべきではありません。党総会で討議し、組合員総会で決定すべきであります。作業班長は、これを基準にして組合員の労働を正しく評価しなければなりません。

 これとともに、我々は、社会主義的分配の原則にしっかり依拠しなから、組合員の生産意欲をいっそう盛り上げるための積極的な対策を立てるべきであります。生産計画を超過遂行したときには、特別に賞金を与える制度を考えてみる必要があります。

 例えば、ある作業班で50人が水田50ヘクタールと畑50ヘクタールを耕作することになっていて、国家で水田ではヘクタール当たり4.5トン、畑ではトウモロコシ2トンを生産することを計画したとしましょう。このときに、もし、この作業班の人たちが一所懸命に働き、創意を発揮して、国家が予定したヘクタール当たりの収量をはるかに超過して籾米はヘクタール当たり5.5トン、トウモロコシは3トンずつ生産したとすれば、現物税とか潅漑使用料は既に予定していた収穫高に対してだけ計算することとし、超過生産した籾米50トンとトウモロコシ50トンは作業班員たちに分け与えるようにすべきです。

 こうすれば、よく働く作業班では組合からの分配のほかに、計画を超過実行した分だけ余計に分配を受けることになります。こうすれば、作業班のあいだでもっと多く生産しようとする競争が起こり、生産はいっそう増大するでしょう。

 私は随分前からこういう考えをもって、農業省にこれについての規定をつくるようにと言っておきましたが、省ではまだつくっていません。規定を頭のなかで考え出す前に、まず実際に実行して見る方がよいでしょう。皆さんがまず実施してみて、それにもとづいて今後成文化した規定をつくるのかよいと思います。

 こうすれば、管理委員長が、委員長の仕事をやめて作業班におりていきたいというかも知れません。しかし、管理委員長が仕事を立派におこなって全作業班がすべて計画を超過したときは、管理委員長に国家から賞を与えることもできます。

 一部の人は、そういうことをして国家に何の得があるのかと聞きます。国家は、農民がよい暮らしができるよう願っています。農民が豊かになるのは、とりもなおさず国家が豊かになることです。農民がよい暮らしをし、わが国に食糧が豊富になれば、それが国家の大きな利益なのです。

 次に、皆さんに勧めたいのは、作業班の数を少し減らした方がよいということです。

 農産作業班16、野菜作業班3、綿花作業班2を合わせても既に21の作業班になりますが、これに畜産班、養魚班、機械化班などを合わせると20をはるかに越えます。作業班を9〜10程度に減らし、その代わり分組をもっとつくる方がよいでしょう。

 もちろん、これはもっと研究してみなければならないことですが、私の考えでは、一つの村落に作業班が一つあればよいと思います。管理委員長が20人余りの作業班長全員に会って1時間ずつ話そうとしても、一日、24時間かかります。そうすると、管理委員長には食事をとる時間も寝る時間もなくなります。それで多分管理委員長に「オートバイ」というあだ名かついたのでしょう。「オートバイ」というのは仕事のために忙しく駆け回るという意味もあり、また仕事を避けるためにあちこち駆け回るという意味もあるようです。このように走り回るだけでは仕事がうまくいきません。そうかといって、副委員長たちに作業班の指導を任せるのも正しくありません。これは不必要な指導層をもう一つつくることになります。管理委員長自身が、作業班長を直接指導しなければなりません。

 作業班が多いからといって、管理委員長が直接出向いて見もせず作業班長たちを頻繁に呼び出し、彼らが大衆から離れるようにするのはよくありません。統計員が統計をつくるために作業班長を呼ぶのも正しくありません。管理委員長に「オートバイ」というあだ名がついたのだから、統計員は「自転車」というあだ名がつくぐらいに、頻繁に現場を走り回って統計をとるのがよいでしょう。

 作業班があまり多すぎて、直接指導するのが難しければ、作業班の数を減らすのか一番よいと思います。

 豚は畜産班で飼わずに農産班で飼うこともできます。今年の作柄がよくて飼料が豊かになれば、豚を飼うのは、集団的にするよりも作業班別に分散させておこなう方がよいでしょう。

 畜産作業班では、親豚だけを飼い、子を産ませて離乳するときまで飼育し、農産作業班に分けてやりさえすればよいのです。農産作業班と畜産作業班とを分ける必要はありません。農産作業班では、草取りをし、取り入れもしながら、何人かに家に帰るとき草を刈ってくるようにし、家で豚を飼う仕事をかけもちさせることができます。畜産班に66人とはあまりにも多すぎます。これは、小さな国営農牧場の労働者の数に相当する人数です。

 養魚班のようなものは必要でなく、綿花班も別につくる必要がないと思います。農産作業班のなかに綿花を主に受け持つ分組をおけばよいでしょう。こうする方が労働力を合理的に利用するのにも有利であり、作業班別に賞金制を実施するうえでもよいでしょう。他の郡の事情は具体的に知りませんが、江西郡ではこうするのがよいと思います。

 次に、今年度の営農事業に関連して堆肥の生産や農業の機械化について話したいと思います。

 いま、営農事業で当面する重要な課題は、堆肥を生産し、運び出すことであります。わが国では、まだいろいろな化学肥料を大量に生産することができません。また化学肥料だけでは土地を十分に肥やすことができません。それゆえ、必ず有機質の堆肥を生産しなければなりません。

 堆肥を多く生産するうえで重要なのは、畜産業を発展させることです。家ごとに1年に豚を2頭ずつ飼うとすれば、そこから6トンの肥料が得られます。ある学者の主張によれは、豚小屋から出るこやし1トンに石灰石とリン灰石を若干混ぜ、土と混ぜ合わせて腐らせれば、4トンの立派な肥料を得ることができということです。こうした方法で肥料を生産すれば、豚2頭を飼う場所から24トンの良質の有機質肥料を得ることができます。

 やせ地というものなどはあり得ません。肥料をたくさん施せば土地が肥え、ヘクタール当たりの収量も増えます。したがって、速やかに畜産業の土台を築くことです。今年、豚をたくさん飼い、牛、兎も飼って田畑に肥料を多く施せるようになれば、穀物を大量に生産することも、飼料問題を解決することもできるでしょう。畜産業を立派におこなえば、食肉が得られ、肥料もとれ、畑の地味もよくなり、したがって、収穫も増えます。

 畜産業を発展させるためには、飼料産地を築かなければなりません。山にいって飼料を得るのは、非常に難しいことです。既に党がうち出した方針どおり、田で二毛作をおこない、綿花畑にも表作として飼料作物を植えることができるはずです。

 田の表作として小麦、大麦などをまきつけ、田植え前にそれを青草として刈り入れて飼料に使うようにすべきです。昨年6月の党中央委員会総会で畜産業の発展のために二毛作をおこなおうと決定しているにもかかわらず、農業省はそれを実行しませんでした。党で一度決定したことは必ず実行すべきです。

 畜産業と農業は、互いに切り離せないものです。食肉を生産するためばかりでなく、農作に必要な肥料を得るためにも畜産業をいっそう発展させなければなりません。

 農業の機械化についてはずいぶん強調しましたが、もう一度簡単に話そうと思います。

 個人農のときは、わが国の農民は非常に貧しい暮らしをしてきました。協同組合を組織したのは、結局、我々がよい暮らしをするためです。よい暮らしをするためには、たくさん生産しなければなりません。生産する力、つまり、生産力がいっそう高まれば生産を拡大することができます。生産力を高めるためには、農業を機械化しなければなりません。

 ところが、農業の機械化は一朝一夕にできるものではありません。何ごとでも自分の能力にふさわしくおこなうべきでしょう。皆さんがいまトラクターやコンバインのような大きな機械をつくろうとしても絶対にできません。このような大きな機械は、国家がつくって農村に供給するようにしなければなりません。

 道営の農業機械工場では、トラクターやトラックのトレーラー、畜力除草機、播種機、脱穀機のようなものをつくり、郡営の農業機械工場では、簡単な蓄力農業機械や犂(注:牛にひかせて土をおこす農具、すき、シャベル、大型シャベルなどの農機具をつくるようにするのがよいでしょう。

 そして、協同組合では、主に手道具や複雑でない農業機械の修理に力を注ぐべきでしょう。もちろん、能力があれば、手鍬や鎌のような小農具を自力でつくることもできますが、協同組合に必要な道具は郡でつくって分け与えた方がよいと思います。とにかく、協同組合では農機具を修理し、手持ちの材料を生かして簡単な道具をつくることに重点をおくべきです。

 機械化をいっそう速やかにおし進めるためには、近代的な大型農業機械とともに、畜力除草機、畜力収穫機、荷車など中小の畜力農業機械をたくさんつくらなければなりません。

 そして、農機具をたえず改良することが必要です。犂も改良犂を多くつくるべきです。畜力農業機械を取り入れるのはもちろん、旧式の農機具を若干改良しただけでも仕事では大いに能率を上げることができます。皆さんの発言にもありましたが、中耕をよくおこなっておけば骨折って草取りをするよりはるかに手間が少なくかかり、収穫もさらに上げることができます。

 労働生産性を高めることなしには収穫を増やすことができず、多くを稼がずにはよりよい暮らしをすることができません 。最近、少々調べたところによると、皆さんは一年に一人平均1500ウォンほど稼いでいます。労働者が稼いで国家に入れるのは、平均3000〜3500ウォンぐらいになります。これも発展した国の労働者一人当たりの生産額に比べれば、非常に少ないものです。

 皆さんが昨年稼いだのは、労働者が稼いだ分の半分にしかなりません。皆さんは昨年の稼ぎ高の倍ぐらい稼がなければ、労働者についていくことができません。

 今年、党がうち出したスローガンは、現有の労働力と設備を有効に利用してより多く生産しようというものです。農村でも重要なのは、労働生産性を高めてより多く稼ぐことです。そのためには、計画的に生産し、労働力を浪費しないように労働の組織を合理的におこなうだけでなく、農機具を改良し、機械化を速やかにおし進めなければなりません。

 協同組合では、多くの資金をできるだけ畜力除草機、脱穀機、犂などの農機具の購入にふり向ける方かよく、人力除草機、手鍬、鎌のようなものも十分に整えなければなりません。

 党中央委員会12月拡大総会の決定によって、まず平安南道で機械化を実施することになりました。国では、トラクターやトラックを皆さんに優先的に供給する予定です。皆さんの課題は、このトラクターが能力を十分発揮できるように田畑の整理をよくおこない、稼働率を高めるようにすることです。

 トラックや荷車の稼働率もさらに高めなければなりません。肥料をつくるだけでなく、適時に田畑へ運び出さなければなりません。

 次に、管理委員会の活動について述べようと思います。多くの人が管理委員会の活動について批判しましたが、もちろん管理委員会の活動には多くの欠陥があります。

 最も主な欠陥は、管理委員会の幹部に責任感が足りないことです。

 党と国家は、管理委員長をはじめ管理委員会のすべての幹部に、農民を奮起させてわが党の政策を徹底的に貫く重大な任務を与えました。国では管理委員会に組合の財産とたくさんの機械を任せ、生産を立派に組織し、人民の生活を向上させるいっさいの責任を負わせました。組合員がよい暮らしができるかどうか、わが国の農村が急速に豊かで文化的な社会主義農村になるかどうかという問題は、管理幹部の努力に大きくかかって小ます。ところが、管理幹部はこのように重大な責任を忘れさっています。

 人民は大きな期待をもって管理委員長や管理委員を選出しました。それゆえ管理幹部は、人民の真の忠僕としての高い自覚をもって自分の仕事を研究し、すべての問題を責任をもって解決していかなければなりません。

 ところが、管理幹部は官僚主義的に大衆に押しつけるだけで、組合の仕事がうまくいかないときは責任を上部と下部になすりつけるという非常に正しくない活動態度をあらわしています。責任ある幹部たちが、夜も寝ないで本を読みながら仕事を研究するのも、すべて人民に対する責任が重いことを自覚しているからです。党と人民に対して責任を負っている以上、すべての仕事を責任をもって研究し、責任をもって実行しなければなりません。

 管理委員会の幹部には、責任感が欠けており、官僚主義と形式主義が多くあらわれています。形式的にではなく責任をもって仕事をするためには、まず自分の組合の経営についてよく知らなければなりません。常に自分の仕事について深く考え、心をくだいて研究すれば、おのずと仕事の内容に精通するようになるものです。

 ところが、いま管理幹部たちは、組合に人手や労働用具がどれだけあるのかも知らず、牛が何頭で現物税はいくら納めたのかということも、いちいち文書を調べてみないとわかりません。それゆえ、いま作業がどうなっており、誰がどのように働いているのかをよく知らないのは言うまでもありません。

 自分の仕事に精通しようと思えば、大衆と接触し、大衆の声に耳を傾けなければなりません。作業班長たちと話し合い、熱心に働く人たちと会って話しを聞き、より多くの人たちと話し合うというように常に大衆の声を聞こうと努めるならば、誰がよく働いているのか、大衆の悩みがなんであるのかをすべて知ることができるはずです。会議に参加しても他人の話を聞こうとしないで自分だけしゃべり、下部の人の意見は聞きもせず、押しつけてばかりいるから実情に疎くなるのです。

 このように、管理委員会が大衆と協議せず、主観主義的に仕事をしているものだから、仕事がうまくいくはずがありません。主観主義者は、客観的現実に合うかどうかは考えもせず、ひとがどう考えようと自分の主観だけを押しつけるので、結局、官僚主義の誤りを犯すことになります。

 もちろん、管理幹部が新しいことを考え出して実行に移すこともできます。しかし、それが実情に合うかどうかを必ず検討して見なければなりません。そのためには、下部の人と何回も話し合い、下部の人の事情を確かめて見てからことを進めなければなりません。むやみに押しつけるような活動方法は、すべて過去の古い殻から抜けきっていない官僚主義的な活動方法です。

 この組合の管理委員長は以前に、面人民委員会の委員長を勤めていたときの官僚主義的活動作風をいまなお克服していないようですが。これを必ず直さなければなりません。こうした官僚主義的活動作風を直すためにすべての人が積極的に力をかす必要があります。

 農業協同組合の管理委員長を勤めるためには、必ず農作についてよく知らなければなりません。委員長が威厳をと。つくろって座っているだけでは仕事になりません。

 いくさもできない人が、軍服を着て金星をつけたからといって将校になれるものではありません。将校がいくさもできないようでは、まず兵士たちが認めようとしません。これと同じように、農作について知らない管理委員長や作業班長を農民に認めてくれというのも無理な話です。いくさのできない将校を兵士たちが「中折帽組」と呼んでいるように、ここの管理委員長のように農作について知らない人を「訓導」と呼ぶのも偶然ではありません。「訓導」と管理委員長とでは相当な隔たりがあります。

 管理委員長を勤めるためには、どの土地にはどんな肥料が適し、どの土壌にはどんな成分が多いからどのように改良しなければならないといったような土壌学の知識、植物や動物の生育に関する基本知識、トラクター、コンバインなど農業機械の性能についての知識を身につけていなければなりません。労働力の配置の仕方についても学び、大衆を指導する方法も学ばなければなりません。

 はじめから知っている人などいません。誰もが学ばなければなりません。お互いに学び合えばよいのです。農業を営んだことのある人だけが管理委員長になれるという法はありません。誰でも学べばできます。

 どのように学ぶべきでしょうか。大衆から学ぶべきです。大衆のなかに入らなければ学ぶことはできません。ここに集まった人は、みな農業の先生です。管理委員長は農民に自分の知っていることを教えると同時に、農民から農業について謙虚に学ばなければなりません。

 以前、革命闘争をおこなってきた幹部たちが、はじめから工業や技術に関する知識があって工業を指導したのではありません。工場を運営してみた人は、誰もいませんでした。しかし、我々は初歩から学びながら工場を運営し、国の経済も運営してきました。

 幹部が大衆から学ぶということは、すべての人がそれぞれ勝手に結論を下して無政府状態になることを意味するのではありません。結論は、やはり管理委員長が下さなければなりません。正しい結論を下すためには農産も知り、畜産も知り、組合の実情も手にとるように知りつくしていなければなりません。組合の事情をよく知るためには、農民から意見をたくさん聞き、彼らから多くのものを学ばなければなりません。

 協議をおこなったのち、管理委員長は、どの意見がよく、どの意見が間違っており、どの意見には賛成する人が多く、どの意見には反対する人が多いが、賛成する人はどんなよい点を発見しており、反対する人はどんな悪い点を発見しているかについて綿密に分析してみなければなりません。自分の言いたいことだけを言って他人の意見を慎重に聞かないくらいなら、協議をおこなう必要がありません。もちろん、どう決心するかを他人に任せるわけにはいきません。管理委員長はすべての意見を慎重に考慮したのちに、党政策にもとづいて、自分の決心を述べるべきであります。これが、大衆から学び大衆を指導する方法です。

 管理委員会の仕事が順調にいくようにするためには、管理委員や作業班長が管理委員長の仕事を積極的に助けなければなりません。管理委員長一人では、仕事ができず、また一人ですべきではありません。互いに協議し、助け合ねなければなりません。間違ったことはすべて管理委員長に責任を負わせ、管理委員長はまた、すべての誤りを作業班長たちになすりつけるといったようになっては仕事がうまくいきません。管理委員長は下部の意見を尊重し、下部の人たちの仕事を新設に指導すべきであり、下部の人たちは管理委員長が正しく活動できるように援助し、忠告すべきであります。委員長が、下部の人たちを愛し、その誤りについて諭すのではなく頭からどなりつけてばかりいるのも間違いであり、管理委員長を怖い人だと思い込んでその活動をよく助けないのも誤りです。この管理委員長はまだそんなに怖い人にはなっていないようです。間違ったことを見ても互いに目をつむり、妥協し合ってはもちろんいけませんが、そうかといって人々の団結を弱めてはなりません。大切なのは、互いに助け合い、愛し合う同志的精神で団結することです。

 管理委員会の仕事がうまくいかないのは、里党委員会に大きな責任があります。まず、里党委員長が霜に当たった木の葉のように生気がなく、水におぼれて救い上げられた人のようにぼうっとしています。きょうの党総会で報告をおこなうようにと、党中央委員会組織部の副部長と道党委員長が具体的に指導したにもかかわらず、気の抜けた人のように行動しています。

 党委員会が弱くては、管理委員会の活動を支えることも、統制することもできません。もし、管理委員会の活動に誤りがあれば、党委員長が会議を開いてその誤りを批判し、活動の方向を是正しなければなりません。ところが、里党委員会は管理委員会のあとについて回りながら一緒にもたついているありさまです。

 例えて言えば、郡や里の人民委員会の委員長は前にたって櫓をこぐ人であり、郡党委員長や里党委員長は後ろでかじをとる人です、管理委員会が方向を正しく取ることができず、間違った方向へ進んでもほうっておいて、後ろに座ってこっくり、こっくりと居眠りをしているようでは何もできません。

 里党委員長にだけ誤りがあるのではありません。里党委員たちも活動を正しくおこなっていません。党委員長の活動が十分でないからといって、党組織が間違いだらけだというわけはありません。党委員たちが、分担された仕事を忠実に実行し、党委員長の活動に誤りがある場合、委員会で強く批判して適時に是正させるならば、例え、党委員長一人が誤っても、党委員会は正しく活動することができるはずです。もともと、党委員会を組織して委員を選出する理由は、委員長一人では誤りを犯すこともあるので、委員が互いに協力し合い、集団の知恵を発揮して党組織を指導しようというところにあります。

 皆さんの活動における大きな欠陥は、集団的指導機関である党委員会の役割か弱いということです。皆さんは、1年に何回も委員会を開いたけれども、主に規律問題を討議しただけで、組合の仕事については具体的に討議せず、委員の任務分担も明確におこなっていません。

 党委員会が、里内で提起されるいっさいのことを掌握して、管理委員会の活動を具体的に指導するためには、少なくとも1週間に1回は、委員たちが集まって討議しなければならないと思います。

 会議と言えば、必ず報告書や決定書を書かねばならないかのように難しく考えますが、そんなに形式にばかりこだわる必要はありません。大切なことは、適時にすべての問題を集まって討議し、正確に任務の分担をおこなうことです。例えば、今年の営農を順調に進めるために何が必要で、営農準備をとどこおりなくおこなうには何が一番重要か、というような現実的な問題を討議し、誰それは農業機械の修理を助ける責任をもち、また他の人は肥料の運搬を助けるといったように、すべての委員に具体的な任務の分担をおこなわなければなりません。討議するだけで任務を分担しないと、誰も責任を感じなくなります。

 委員会で分担された仕事は必ず実行しなければなりません。党活動は革命事業です。月給をもらわないと革命をおこなえないというのでは革命家になれません。自分に利益が回ってくればおこない、何も利益がなければおこなわないという態度で党活動にのぞんではなりません。党から分担された仕事を実行するためには、1日の労働を終えて、他人が休んでいる時間にも休まずに仕事をしなければなりません。

 仕事の分担をするだけで、点検をしないのではいけません。点検をするといって、何か点検グループをつくって派遣しなければならないかのように考える必要はありません。いつまで、どんなことをすべきだという任務を与えたとすれば、その任務を委員たちがどう実践しているかを調べて見て、よく実行されていないときは適切な指導をおこなうべきです。かりに、組織の規律をよく守らないある人に対する指導をある委員に任せたとすれば、彼が何回個別的に会って話し合い、どのように指導したかを聞いてみるべきです。また、農業機械の修理を何日までに終えるよう鍛冶屋の仕事の指導をある委員に分担したならば、それを全部なし遂げたかどうかを聞いてみて、まだ終えていない時はどんな難しい条件があるのかを調べ、もう一度委員たちが集まって対策を討議しなければなりません。こうして、13人の委員が常時集まって討議し、仕事を分担し、主のその実行状況をたびたび点検し、総括し、これにもとづいて再び討議し、また分担するようにしなければなりません。このようにすれば、すべての委員がそれぞれ知恵を発揮することができ、委員会がその役割を果たすことができるのです。

 里党委員会と同じく、初級党組織でもこのように活動しなければなりません。

 いまでも我々は、常に初級党総会に参加しますが、以前パルチザン闘争をおこなっていたときには、いつも中隊の党会議に参加しました。パルチザン1個中隊と言えば70〜80人でしたが、党員は6、7人しかいませんでした。1週間または10日ほど後におこなう戦闘準備をせよという上部の指示があると、中隊党委員長は党会議を開きます。

 党会議では、戦闘準備に必要なすべての問題を討議し、仕事を分担します。例えば、ある隊員が敏捷でなく、戦闘の度に手をやかせるが、この隊員を指導する責任を誰それに任せる、誰それは新入隊員の誰を指導し援助する責任をもって銃をみがいてやり、背のうのひもも編んでやる、また誰それは食糧の責任をもってはったい粉をしかじかの方法でつくる、誰それは患者をどのように治療して中隊の戦闘に参加させるよう責任をもつ、誰それは革命軍隊の戦いをテーマにした小説と勇敢に戦った昔の武将の物語を隊員たちに話して聞かせ、また、そうした小説や革命軍隊のパルチザン闘争の話などで隊員と座談会をもつというように党員に詳しく任務を分担しよした。その結果、党員は歩哨に立つ者は歩哨に立ち、偵察に出る者は偵察に出て、誰もが自分の受け持った軍事的任務を遂行しながら、このような党の任務を夜を明かして実行しました。

 戦闘を準備することも営農準備をすることも、すべて党の任務として提起されている以上、初級党総会で討議する方法には変わるところがありません。ある人が働くことをいやがっているが、その人を教育して労働に熱意をもって参加するようにする任務を誰それに与える、また誰それは他の作業班の営農準備の経験を紹介する責任をもち、誰それは新聞に載った営農準備の経験をもって組合員たちと座談会をおこなう責任をもつといったように、個々の党員に具体的な任務を与えるべきです。このようにして、すべての党員が農作業に模範的に参加しながら党組織から分担された任務を実行しなければなりません。

 党というのは組織です。会議で党員に模範的な役割を果たせと呼びかけるだけでは党組織は動きません。一人一人の党員が活動できるように任務を分担し、それを総括する組織活動をおこなわなければ党組織が動き出しません。党規約には、党員は党の政策を宣伝し、その実践のために模範的に闘わなければならないと書かれています。党員に党の政策を実践できるように具体的な任務を与えなければなりません。すべての党員が党の政策を実現するために闘うようになれば、その党組織は、活動する生きた組織となるでしょう。

 次に、皆さんの活動上の欠陥は党員に対する教育活動が不十分であったことです。

 何よりもまず、党員の共産主義的意識水準を高めることが大切です。皆さん昨日、私と話しながら共産主義的意識について強調しましたが、きょうの会議に参加して発言を聞いてみても、意識水準の低い人が多いようです。

 共産主義教育については以前に話したこともあるので、簡単にいくつかの問題についてだけ強調したいと思います。

 共産主義教育で最も重要な問題の一つは、労働を愛する精神で人々を教育することです。

 労働をいやがる者は共産主義者になれません。遊んで暮らすことを好む者は搾取階級の思想をもった人です。衣食住と関連のあるあらゆる貴重な財産は、すべて人間の労働の産物です。働かずには、立派な社会が建設できないのはもちろん、生活していくこともできません。人はみずから働いて稼いだもので食べ、使うことを原則としなければないません。他人が稼いだもので暮らそうとする者は、結局、他人を搾取する者です。

 なぜ、我々が地主や資本家を憎悪するのでしょうか。それは、彼らが自分自身は働かずに労働者、農民が汗水流して稼いだものを搾取して安楽に遊んで暮らすからです。共産主義者は、このように遊んで暮らす者に反対し、搾取者が支配する社会制度をくつがえして、誰もがともに働き、ともに立派な暮らしができる社会を建設するために闘うのです。

 一部の人は、共産主義社会になればみなよい暮らしをするのだから、誰もが遊んで暮らせると思っていますが、これは非常に間違った考えです。共産主義社会になれば、いまの我々には想像もできないほど豊かな暮らしができることは確かですが、そのときになっても働かずに暮らす人はいないでしょう。共産主義社会で我々がみな豊かな暮らしができるようになるということは、働かなくても暮らしていけるということを意味するものではなく、すべての人が働きはするが、技術が発達して労働時間も短くなり、労働が楽になり、ひいては働くのか楽しくなるということです。このようなすばらしい社会を早く建設するためには、いま、我々がより多くの仕事をしなければなりません。

 先ほど婦人作業班長が、我々はまだ祖国を統一していないため、もっともっと働かなければならないと発言しましたが、もっともなことです。我々はまだ立ち後れており、なすべきことがたくさんあるのだから、ひとよりいっそう多く働かなければなりません。

 我々は、労働をさげすみ働くことをきらう搾取階級の思想を憎み、働かないことを大きな恥とし、労働を気高く最も栄誉あることと考え、働くことを好む人にならなければなりません。このような人であってこそ、共産主義思想をもった人だと言えます。

 朝鮮人民はもともと勤勉なを人民です。我々は、勤勉で愛国的な朝鮮人民のなかに、労働を愛する立派な実例をいくらでも見受けることができます。

 過日、道党委員長たちと一緒に上陽協同組合に出かけた際、敵に虐殺された人の遺族であるその組合のある老婆に会いました。彼女は、自分たち遺族はほかの人よりもっと熱心に働かなければならないと言って、組合で模範的に働いていました。帰って来て私はこのことを話したことがあります。

 もともと、革命家は労働を愛する立派な勤労者のなかから生まれるものです。革命家の家族であれば、それだけ思想がいっそう健全であり、思想が健全であればあるほど、いっそう謙虚で、労働を愛するものです。

 前にも話したことがありますが、廉宝貝(リョムポペ)という老婆は、いま70をはるかに越しています。夫は抗日遊撃隊を援助したため敵に殺され、長男は遊撃闘争に直接参加して勇敢に戦って戦死し、甥は遊撃隊が北満州から東満州に移動するときに長白県、恵山など、鴨緑江一帯に進出する道案内をしたかどで日本人にに捕えられて殺されました。この老婆自身も遊撃隊を誠心誠意助け、祖国解放戦争のときには、敵がすぐ侵入してくるというのに、危険をものともせず一時的に後退する人民軍のためにご飯を炊いてくれました。実際のところこういう老婆は、国で手厚く世話してあげなければなりません。

 しかし、彼女は一度も社会保障を受けたいと申し出たこともなく、不平を言ったこともありません。彼女は、残った息子3人を自分の手で育てて人民軍に送りました。1958年の春に、私が両江道に行ったとき彼女に会い、もう仕事をやめて休まれてはどうかと勧めたところ、彼女は死ぬときまで働くことをやめないと答えました。

 我々は、こういう人たちから何を学ぶべきでしょうか。その思想を学ぶべきです。それはとりもなおさず共産主義思想なのです。

 仕事が骨の折れるものであるのは誰しも同じであります。しかし、骨が折れるといって誰も働かないならば、誰が社会主義を建設するでしょうか。通りすがりの人が、わが国をわが国を豊かで強力な国にしてくれるわけはありません。

 革命が困難だからといってやめるわけにはいかないのです。人民軍の将兵は、夜を徹して吹雪の荒れ狂う高地を守るのが、何もたやすいことだからやるのではありません。非常に困難なことではあるけれども、人民のため、党と.国家のためにやるのです。

 我々がパルチザン闘争をおこなっていたとき、日本帝国主義者は、独立できる見込みもないのに、いたずらに多くの青年を率いて10余年も苦労して歩く狂人だと、我々をののしりました。もちろん、我々も、暖かい家で安らかに暮らせばよいということを知らなくてそうしたのではありません。何としても、国を取り戻し、人民を救いたいという考えがあったからこそ、苦労を苦労とも思わなかったのです。

 なぜ、我々は、日本帝国主義に抑圧されて40年近くも苦労しなければならなかったのでしょうか。祖先が国を富強にすることができなかったからです。もし我々が、いま努力して社会主義を建設せずに立ち後れたものをそのまま子孫に譲り渡すならば、子孫はいついつまでも苦労することになるでしょう。我々は、自分自身がよりよく暮らすためばかりでなく、子孫の幸福のためにもより多くの仕事をしなければなりません。

 労働は、豊かな新しい生活をもたらすばかりでなく、我々を有能で堅実な社会主義建設者にします。人間は、労働の過程で自然を改造する貴重な経験を積み、自分の才能をいっそう発展させることができます。我々は、労働の過程で互いに協力し、難関にうちかっていく集団主義の精神を身につけ、働くことをきらう搾取階級の古い思想の影響をなくし、労働を愛する勤労人民の思想で武装することができます。

 次に、共産主義教育で重要なのは、国家財産と共同財産を愛護する精神で人々を教育することです。

 皆さんのなかには、まだ国の財産と組合の財産を自分の財産のように愛護しない悪い習慣が残っています。皆さんの発言にもありましたが、組合の穀物を鶏がいくら食い荒らしても自分の鶏の腹さえふくれればそれまでだとして、少しも惜しく思わないのは、結局、組合の財産に対する愛着心がない証拠です。

 地主や資本家は、他人はどうなろうと自分だけよい暮らしをするために労働者、農民をひどく搾取しました。

 たが、我々は、一人でよい暮らしをしようとするのではなく、みな等しくよい暮らしをしようというのです。それで、我々は田畑も全部共同で所有し、力を合わせて耕作し、牛、馬、農業機械などいっさいの財産をすべて共同の所有にしています。組合の共同財産というのは、特定の個人の財産ではなく、組合員全体の共同の財産です。もし、すべての組合員が、自分の財産だけを大切にして組合の財産をいい加減に管理し、自分だけが食べるのではないからといって、組合の農作がうまくいこうが、いくまいが、何の関心もたないならば、組合の財産が増えもせず、農作がうまくいかないのはわかりきったことであります。

 国の財産や組合の財産は、どうなろうと、自分だけよい暮らしができればよいというように考える人は、結局、搾取階級の利己主義思想をもった人です。この利己主義思想は、共産主義思想とは正反対の思想です。利己主義がこうずれば、自分の利益のために国や組合の財産をかすめ取るのはもちろん、果ては、党を裏切り、国と人民を裏切り、最後には敵のスパイにまで転落しかねません。

 この利己主義思想は、数千年のあいだ搾取階級社会で育ったものであるだけに、極めて根深いものがあります。我々が社会主義を建設し、人々の意識をすべて共産主義思想に改造するためには、ひきつづき利己主義思想に反対する思想闘争を展開しなければなりません。

 次に、組合員を共産主義思想で教育するうえで大切なのは、彼らのあいだで古いものに固執する保守主義思想を排撃し、新しいものを愛する革命思想を積極的に培うことです。

 いま我々は、革命の時代に生きています。我々は、長いあいだ続いてきたあらゆる古い腐り切った生活様式を捨て、最も進歩的な新しい社会を建設しています。古いものを大胆に捨てさることなしには、新しいものを創造することができません。我々の前進を妨げる古い制度、古い思想、古い活動方法、古い生活風習を捨てなくては、新しい社会主義社会を建設することはできません。

 いま農村には、すべて協同組合が組織され、社会主義的原則に従って農業が運営されています。我々は、先進的な社会主義的協同経営に合うように、すべての営農方法と管理・運営方法を大胆に改善し、古い思想と慣習を速やかに一掃しなければなりません。我々の前進を妨げる古いものに反対し、新しいものを創造するために、たえず闘わなければなりません。継続革新、継続前進しようとする革命精神こそ、まさに我々の社会制度にふさわしい共産主義思想であります。

 共産主義教育を強めるとともに、必ず人民のあいだで美しい道徳と風習を発展させるように努力しなければなりません。一部の人は、共産主義者を革命しか知らない人間のように思っていますが、これは大きな間違いです。共産主義者は、誰よりも道徳をよく守り、人民の美しい風習を尊重します。

 共産主義者は、自分の父母や妻子を愛し、同志を愛し、年寄りを尊敬し、生活は質素で態度は常に謙虚であります。年寄りを尊敬しない不遜な態度は、労働党員の品性とは全く反するものです。一部の人は、人民軍留守家族や遺族の面倒をよくみるどころか、その婦女子を侮辱する間違った行動すらしています。これはすべて、人民を尊敬せず同志を愛さないところからくるもので、搾取階級の古い思想の影響のあらわれです。これは、我々の共産主義的道徳に背く恥ずべき行為です。

 このような不道徳な行為は、すべて人民の団結を弱め、我々の前進に支障をきたします。このような傾向とは妥協のない思想闘争を繰りひろげなければならず、大衆のあいだで道徳教育をいっそう強化しなければなりません。

 すべての思想教育は、必ずわが党の政策と結びつけておこなわなければなりません。わが党の政策は、わが党とわが人民の進むべき道を指し示しています。例えて言えば、党政策は夜道を照らす灯火のようなものです。党の政策を知らないと、闇夜を歩く人のように前に道があるのかないのか、どの道が険しくどの道が平坦なのか全く見分けがつかず、ころぶこともあり、危険な穴に落ちることもありえます。提灯や懐中電灯があれば、道を見つけることができ、悪い道に迷い込まずに平坦な近道を進むことができます。

 わが党の政策は、党大会の決定や党中央委員会および常務委員会の決定など、党の文献にはっきり示されています。

 党政策を研究するのは、党員の義務であります。わが党の政策は、わが国の情勢をマルクス・レーニン主義的に分析し、我々の進むべき道を規定したものです。わが党の政策とマルクス・レーニン主義を研究すれば、どんなに困難なときにも幸せな未来への希望と勝利の信念を失わず、勇敢に闘っていくことができます。

 日本帝国主義の支配当時、多くの人たちは、日本帝国主義者がいつ滅び、朝鮮がいつ独立するかについて非常に漠然とした考えをもっていました。マルクス・レーニン主義をもって情勢を分析することのできない人には、日本帝国主義の滅亡の見通しがつかず、勝利の信念がもてませんでした。

 だが、マルクス・レーニン主義を知っている人たちには、あたかも高い峰に登って下を見下ろすように、日本帝国主義の滅亡と朝鮮人民の勝利の日がはっきりと見通せました。先を見通すことができずに動揺していた人たちは堕落し、反対にマルクス・レーニン主義の真理を確信して先を見通し、闘いつづけた人たちは勝利しました。

 誰もが党政策がなんであり、それがなぜ正しいのかを自己の実情と結びつけて十分に研究し、党が指し示す道に従って闘っていくならば、必ず勝利をおさめることができます。

 終わりに一言述べたいことは、党員がいっそう団結しなければならないということです。党員はみな同じ共産主義思想をもっており、同じ目的のために闘っているのですから、意識的に団結しなければなりません。我々が、社会主義を建設し、共産主義社会まで進むためには多くの困難を克服しなければなりません。党員が互いに信頼せずかたく団結しないならば、難関を克服することはできません。百万の党員がすべて団結すべきであり、里党でも全党員が一心同体とならなければなりません。

 欠陥があらわれたときにはいちはやく批判して是正させ、党員のあいだに意見の相違があるときは、委員会を開いて討議するか個別的な話し合いをおこなうかして、教育と説得の方法で適時にその相違を克服する闘争を日常的に進めなければなりません。欠陥が積もり意見の違いが次第に大きくなれば、問題の解決は難しくなり、団結を保つことが困難になります。

 里党委員会と初級党組織では、常に党内の批判と自己批判を強めて欠陥をそのつど是正し、意見の相違を克服し、党員の思想的団結を保障することに大きな力を注がなければなりません。

 1959年の党中央委員会12月拡大総会は、社会主義建設で新たな、よりいっそうの大高揚をもたらすための重大な課題を提起しました。特にこんにち、協同組合員には、穀物や食肉、野菜などをさらに多く生産して、人民の生活をいっそう向上させるべき重大な課題が提起されています。1956年12月総会の決定を実行する全人民的な闘争のなかで社会主義建設の大高揚をもたらしたように、1959年12月拡大総会の決定を実行する闘争においても、新たな偉大な勝利をかちとらなければなりません。

 私は、皆さんが党中央委員会のまわりにかたく団結して、12月拡大総会が農民に提起した課題を立派になし遂げるものと確信します。
                                                
出典:『金日成著作集』14巻


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