金 日 成

社会主義経済建設における当面の課題について
 朝鮮労働党中央委員会総会での結語
 −1959年12月4日−


 同志のみなさん!

 今回の総会は、比較的、長い期間にわたって準備をおこない、あらかじめ思想動員も十分おこなったため、成功裏に進められました。会議での報告や討論が、党の望む方向でおこなわれ、正しい決定が採択されたと言えます。

 総会での発言内容と諸決定を全党員と勤労者に浸透させ、全党が奮起してこの決定を貫徹するならば、大きな成果をおさめるものと考えます。

 我々が、継続前進、継続革新の気概で増産と節約運動を強力に展開して、1956年12月総会が我が国の社会主義建設で大高揚の端緒を切り開いたように、今回の総会の諸決定が大きな生命力を発揮するようにすべきであります。

 すべての問題が決定書に十分反映されましたが、ここで私は、若干の問題についてみなさんに重ねて強調したいと思います。


 1 今年度の計画遂行における欠陥について

 今後、社会主義経済建設を順調に進めるためには、1959年の経験を正しく総括することが極めて重要であります。

 周知のように、我々は今年度に大きな勝利をおさめました。1956年12月総会以後、我が国の社会主義建設は一大高揚期に入りました。我が国の工業生産は1957年度には44%、1958年度には40%増大し、さらに今年度は昨年度に比べて50%増大することが予想されています。これは実に飛躍的な前進であります。このように、今年度は我が国の人民経済の発展において大勝利を達成した年であります。

 3年間悪戦苦闘する過程で、1957年度と1958年度には人民経済が順調かつ急速な発展を遂げました。しかし今年度は、我々の活動に大きな成果がある反面、欠陥も少なくありません。

 今年度の経験を正しく総括するのは、今後の社会主義・共産主義建設で大きな教訓となるでしょう。したがって、1959年度の経済活動を正しく総括するのは極めて重要な意義があります。この総括は、全党的に率直におこなう必要があります。我々は、成功の経験も総括すべきですが、他方では欠陥も明確に究明しなければなりません。

 我々の成果と経験については報告や多くの人の発言でも指摘され、また、私もこれまで多く述べたので、これ以上ふれないことにします。

 現在の我々の欠陥は何であり、これをいかに是正すべきかについて、そして、その他重要な経済問題に限って述べたいと思います。

 まず、計画作成上の欠陥について指摘しなければなりません。

 周知のように、社会主義経済は計画なしには一歩も前進することができません。計画的および均衡的発展は、社会主義経済の重要な法則であります。社会主義経済を正しく運営するためには、まず、計画機関がこの法則にもとづいて正しい計画を立てなければなりません。

 人民経済計画は、蓄積と消費、生産手段生産と消費財生産のつりあいが保たれ、工業と農業、工業部門内部、その他、人民経済各部門相互間の均衡が必ず保たれるように立てられなければなりません。

 国の生産力や、その他の客観的条件を正しく検討したうえで計画を立てるべきであって、決して単なる主観的欲求のみで計画を立ててはなりません。経済を発展させ前進させようという欲求はもちろん必要ですが、計画をこのような欲求のみで立てることはできません。必ず、客観的現実を正しく検討したうえで計画を立てるべきであります。

 党会議や閣議などでも繰り返し強調しましたが、自己の力に適した計画を立てるのが何よりも重要であります。もし、主観的欲求にもとづいて計画を立てるならば、結局、それは遂行できれば大出来で、できなければ仕方がないといった賭博と変わるところがありません。計画は必ず、労働力、資材、資金などを綿密に検討して、自己の力に適するように立てなければなりません。こうしてこそ、計画が現実的なものとなり、人民経済のつりあいのとれた発展を保障することができます。

 それでは、今年度の計画はどのように作成されたでしょうか。今年度の計画は、現実的条件を十分に検討したうえで立てられたとは言えません。1957年度と1958年度におさめた大きな成果に陶酔して、客観的現実を十分に検討せず、過度に高い計画を立てました。

 こうして、計画の実行に着手して1か月もたたないうちに、欠陥が生じてきました。党中央委員会は、各省や管理局が設備利用度と労働生産性を高めて計画を遂行しようとするのでなく、多くの基本建設をおこない、人手を増やすことによって計画を遂行する方向に進んでいることを発見しました。

 さらに党中央委員会では、今年の3月、清津(チョンジン)製鋼所、金策(キムチェク)製鉄所、清津紡績工場、阿吾地(アオジ)炭鉱をはじめ、咸鏡(ハムギョン)北道の主要工業企業所に行ってみて、この欠陥の重大さを知りました。

 こうして、党中央委員会は、去る5月、党中央委員会常務委員会拡大会議を開き、各企業所の支配人、工場党委員長、道党委員長をはじめ、責任幹部たちを参加させて、計画を調整するとともに欠陥の重大さについて批判し、その是正策を講じました。

 党中央委員会常務委員会拡大会議は、生産の正常化と設備利用度の向上、「工作機械の子生み運動」による機械の大量生産と機械化の促進、基本建設の集中化および中心の環への力の集中による個々の対象の完成に力を入れるよう強調しました。

 これは、欠陥を是正するための正確かつ明確な方針でした。当時、欠陥を是正するうえで時機を逸していたかと言えば、決してそうではありませんでした。欠陥は適時に発見され、対策も正しく立てられたのでした。

 会議では各閣僚をはじめ多くの人が熱烈に発言し、一致して欠陥を是正し党の方針を貫徹する決意を述べました。

 しかし、その会議の決定は貫徹されませんでした。決定は決定にとどまり、実行はそれにかかわりなくおこなわれました。特に、金属工業省では相変わらず投機的行為をおこないました。金属工業省ではしきりに労働力を要求し、内閣ではまた、下手な賭博師に金を注ぎ込む貸元のように、要求どおり労働力をつぎ込みました。

 内閣は、党中央委員会常務委員会拡大会議決定の精神にそって、基本建設で重要な対象に力を集中しているかどうか、また対象を広げすぎてはいないか、中心の環を正しくとらえているかどうか、要求する労働力は必要であるかどうかを、当然、現地へ行って綿密に検討すべきでした。しかし、内閣は、それをしませんでした。金属工業相は検討もなくひきつづき労働力を要求し、内閣ではまた検討もなしに要求どおり労働力を供給しました。

 私が金属工業相の実例をあげるのは、かれだけにこのような誤りがあるからではありません。程度の差こそあれ他の閣僚もすべてそうであります。

 こうして、党中央委員会常務委員会拡大会議はおこなわれましたが、活動では転換が起こりませんでした。

 これを痛感するようになったのは、いつからでしょうか。黄海(ホワンヘ)製鉄所党委員会拡大会議があってから、この誤りに気づきはじめました。実のところ、現在もこれを痛感している人は、さほど多くありません。遅ればせながら、それでも当時からこれを正した人は誤りを多く犯さずにすみ、やりかけたことだからひきつづき労動力の提供を受けて従来のやり方であくまで押し通そうとした人はより大きな誤りを犯しました。

 我々は9月から転換を起こし、中心の環をとらえて活動を進めた結果、大きな成果を達成しました。もし、当時活動で転換を起こさなかったならば、鋼鉄生産なども現在までひきつづき下降線をたどっているはずです。しかし、9月から大胆に転換を起こしたため、昨日、黄海製鉄所の党委員長が発言したように、同製鉄所の鋼鉄生産は再び上昇線をたどりはじめました。降仙(カンソン)製鋼所も同様です。

 もし、我々が5月からこのようにしていたならば、私の考えでは、5万〜7万トンの鋼鉄を増産することができたと思います。それだけの鋼鉄が増産されたなら、より多くの建設ができたはずであり、各部門の仕事がより順調に進んだことでしょう。

 しかし、5月に、党の望むとおりに活動に転換を起こさなかったため、ほとんどすべての省、局がひきつづき建設を広げ、労働力を無計画に増やしました。今年の9月末現在、国営工業部門だけでも、労働力が計画より12万名も増えました。

 このような膨大な労働力をどこから回したのでしょうか。それは農村からです。他から回すところはありません。

 農村では、これまでの数年間、水利化をはじめ大きな建設を数多くおこないました。とりわけ、農村から工業と建設部門に多くの労働力が回されたために、それでなくても不足する農村の労働力事情はさらに緊張するようになりました。

 工業と建設で労働者数が著しく増大したので、食糧、副食物、住宅の需要が急激に増え、反面に農業生産と住宅建設はこれに追いつくことができず、特に勤労者への肉類、野菜などの副食物の供給がとどこおりがちになりました。

 もともと、我々が正しく仕事をするためには、今年度の計画をあまり高くたてる必要はありませんでした。もし、工業生産は30%か40%、農業生産は約5〜6%高めることを予定したならば、計画が現実的なものになっていたはずであり、今年度の人民経済は均衡のとれた発展を遂げたことでしょう。

 9月以後には、来年度計画の作成に着手しましたが、ここでもまた別の偏向があらわれました。すなわち、右寄りの保守的な偏向があらわれたのです。これは、国家計画委員会を念頭においているのではなく、各省と局から提出された計画がそうだったということです。農業計画も工業計画もそうでした。多くの人が、計画を高く立てて実行できないくらいなら、いっそのこと計画を低く立てた方がましだと考えたのです。こうして、かれらは現有生産力水準にもとづいて計画を立てようとしました。これも、やはり計画経済にたいする認識不足からきたものと言えます。こうした人たちは、社会主義社会においては生産力がたえず発展し前進するという基本原理を忘れています。

 人間の意識も発達し、技能も発展し、機械もたえまなく改善されるということを考慮に入れなければなりません。すなわち、経済計画は、生産力の不断の発展を前提としなければなりません。

 我々の計画は保守的で消極的な計画であってはならず、必ず進歩的で積極的な計画にならなければなりません。人々の意識水準と技術熟棟度を高め、機械をより多く、よりよくつくって生産をひきつづき発展させるのではなく、安易に、現状を維持しようとするのは、共産主義者の経済管理運営方法ではありません。

 資本主義経済は、常に、前進と後退、上昇と下降のジグザグをへるのですが、社会主義経済はたえまない前進、たえまない上昇が特徴です。計画は、必ずこの法則にそって立てなければなりません。

 計画を主観的な欲求によっていい加減に立てるのも正しくないが、保守的で消極的な計画を立てるのも、また正しくありません。

 繰り返し強調しますが、今年度の経験から得た教訓は、右に述べた2つの偏向をともに排し、必ず客観的条件と自己の力を正しく考慮した現実的で積極的な計画を立てるべきだということです。

 今年度の経済建設でいま一つの重大な欠陥は、中心の環をとらえて、そこに力を集中せず、仕事をあまりにも広げすぎたことです。

 これは、一部の人がマルクス・レーニン主義的活動方法を身につけていないところから生じたものにほかなりません。

 階級闘争でも自然との闘争でも、力関係を正しく見極め、中心の環をとらえてそこに力を集中するのは、マルクス・レーニン主義者の堅持すべき闘争方法であります。共産主義者は、戦略・戦術を樹立するにあたって、これを基本とすべきであります。中心の環をとらえてそこに力を集中するのは、政治活動や経済活動、軍事作戦などいずれを問わず、すべての活動で遵守すべき戦略・戦術上の原則であります。

 しかし、一部の人はこの真理をまだ正しく認識していません。

 この問題は、最近にいたってはじめて提起したのではありません。1953年度に3か年計画を立てるとき、すでにこの問題について強調しました。当時すでに、労働力、資材、資金などが限られているため、基本建設を分散させずに重点的に進めて、最大限の経済的効果をあげなければならないと、繰り返し強調しました。

 もし戦闘で、敵を各個撃破せずに各所に手出しして多くの対象に力を分散させるならば、どれ一つ掃滅できないばかりか、敵の集中攻撃を受けて、かえって敵に全滅させられないとも限りません。

 すべての活動においてこの原則を忘れてはなりません。今年度に進めた経済建設をふりかえって見ると、党が繰り返し強調したにもかかわらず、各省では仕事を方々に広げました。

 例をあげれば、金策製鉄所では、鋼鉄の生産を早めるため転炉の建設が必要でした。それで、製鉄所ではメーデーまでに転炉の建設を完工するというスローガンをかかげました。スローガンは非常に立派でした。

 金属工業相はこのスローガンを実践に移すため当然、労働者たちに必要な条件を保障すべきでした。ところが、かれは、どのようにしたでしょうか。金策製鉄所の転炉建設が完了する前に、黄海製鉄所でさらに転炉の建設をはじめました。実際のところ、現状から見ればこの転炉は来年になっても稼働できるかどうか疑問です。ですから今年、黄海製鉄所では無駄な仕事をしたわけです。これはなんと大きな損失ではありませんか。そればかりか、一方では降仙製鋼所にもう一つの転炉を建設しはじめたのです。

 もし、このように各所に分散した力を金策製鉄所に集中したならば、メーデーまでに転炉の建設を完成しようとしたこの製鉄所の労働者の決意は実現したはずです。ところが、このように各所に仕事を広げたため、すべてが御破算になりました。工作職場の力まで方々に分散しました。工作職場の任務はなんでしょうか。既存生産設備の部品を製作することです。それで工作職場というのです。ところが、基本建設を各所に広げたため、工作職場では本来の仕事に全力を傾けることができず、やむなく新しい建設に必要な設備や部品の製作に多くの力をふり向けなければなりませんでした。そのために結局、稼働していた炉まで止まるようになりました。平炉が止まり、ガス発生炉も正常に稼働できなくなりました。

 こうして生産が正常化されないので、建設が順調に進まないのはむしろ当然のことです。

 これは、金属工業省に限ったことではありません。全般的にこうした状況です。軽工業省だからと特別に良いということでもなく、機械工業省も、石炭工業省も同様です。

 機械工業省では、70か所以上の基本建設にとりかかっています。もちろん、機械工業省では9月以後、直ちに転換を起こし、主要な対象に力を集中しはじめました。

 しかし、金属工業省では9月以後にも、広げた仕事を収拾しませんでした。それでやむなく、我々が出向いて適切に調整しました。

 石炭工業省は各所に掘進をひろげ、水力採炭法の導入に没頭しました。水力採炭法をとり入れるためには、パイプも必要であり、その他いろいろな条件が備わらなければなりません。ところが、主だった炭鉱にこうした設備や労働力を集中して水力採炭法を取り入れるのではなく、すべての炭鉱でこれをいっせいに採用しようとするので、設備や労働力を分散させ、どれ一つとしてまともにいきませんでした。このように仕事を広げたので、結局は資材と労働力を浪費し、生産にも支障を与えました。

 基本建設を各所に広げて、事業所だの公共建設企業所だの供給部だのと、機構ばかり増やしましたが、資材が入らないのですから、これら多数の人員を遊ばせるほかありません。生産が止まり、建設が休止するのですから、労働力が浪費されるだけで得るものは何一つありません。

 この会議が終わってからは、このようなことが二度と繰り返されてはなりません。来年度からは、生産と基本建設とを問わず、すべての活動で当面課題の中心の環をとらえ、そこに力を集中して解決した後、次の課題の中心の環を見出して、また、その課題を解決していくといったやり方で、一つ一つ仕事を処理していく方法をとらなければなりません。

 次に今年度の仕事で大きな欠陥は、多くの幹部が労働生産性の向上がいかに重要であるかを明確に認識せず、これに必要な対策を講じていないことであります。

 周知のように、労働力は、生産力の最も重要な構成要素です。経済学者は、生産用具と労働対象および人間が生産力を構成すると説明していますが、私の考えでは、そのなかで最も重要なのは、生産用具と人間であります。それは、生産用具と人間が生産の最も積極的で能動的な要素であるからです。

 機械の発展にともなって、機械を扱う人間の技術熟練度が向上し、こうして、生産力、すなわち自然を征服する人間の力が発展するのです。ここで人間が生産力の基本的要素であることは明白であります。

 生産力は軍隊にたとえて言えば、武装力と同じであります。生産における人間の征服対象が自然であるとすれば、戦争における軍隊の征服対象は敵の力量であります。こうして、航空機、大砲、軍艦などの兵器と、それを持って敵と戦う人間、すなわち軍人と指揮官が武装力を構成します。ここにおいても人間が基本的な武装力であることは議論の余地がありません。

 軍隊の戦闘力は、軍人と指揮官の精神状態、すなわち、その軍隊の士気と兵器を扱う技術に大きくかかっています。どんなにすぐれた兵器をもっていても、軍隊の戦闘意識が弱く、兵器を扱う技術が欠けていては、なんの役にも立ちません。軍隊が戦闘で勝利するためには、兵器がすぐれていなければならないのはもちろんですが、戦闘意識、思想・意識が高く、技術水準が高くなければなりません。特に思想・意識は、決定的な意義をもちます。必勝の信念に欠け、闘志を失くした軍隊にとって、兵器と技術は全く無力なものです。

 労働生産性の問題でも、やはり同じことが言えます。労働生産性を高める問題では、技術の向上、生産組織の改善、その他の諸要因が作用するのですが、働く人間の技術熟練度、特にその思想・意識を主に考慮すべきだと思います。多くの幹部は、これを認識していないため、人手を増やせば足りると考えているのです。

 労働生産性の向上にとって決定的意義をもつのは、祖国と人民のため、自分自身の幸福のためにすべての力と知恵をつくして、たたかおうとする労働者の気高い思想であります。労働者の政治的自覚が高まれば、かれらは技術熟練度を高めるためにさらに努力するであろうし、生産成長のあらゆる潜在力と可能性を見出すために、より多くの創意と熱意と才能を発揮するでしょう。

 1956年12月総会以後、勤労者のあいだで起こった生産的大高揚は、日本帝国主義支配当時のいわゆる通常能力が動かしえない限界とはなりえず、勤労者が熱意と創意を発揮すれば、これを何倍も上回ることができるし、労働生産性も著しく高めうることを明白に示しています。我が国における社会主義建設の大高揚やチョンリマ(千里馬)の進軍も、党のまわりに固く団結して、党をあくまで信頼し、党の示す道にそって、あらゆる難関を乗り越えて新しい生活をきずこうという勤労者の高度の革命的熱意をぬきにしては、とうてい考えられません。

 今年度に幹部たちが犯した重大な誤りの一つは、労働生産性を向上させるための政治活動をおろそかにしたことであります。相や管理局長、支配人たちが、経済活動において政治活動を優先させるという党の方針を貫徹しませんでした。これを度外視して、ただ一人当たり一日に土砂を何立方ずつ掘るから、どれくらいの労働力が必要であるといったやり方で人数ばかり計算しました。

 もちろん、労働者の思想・意識を高めることで、労働生産性を向上させるための政治活動が終わるのではありません。労働者の物質生活も改善し、文化生活もよく組織し、適当な休息も保障しなければなりません。

 しかし、かなりの幹部が、こうしたことにはあまり努力を払いませんでした。かれらは、労働者の休息や住宅条件、食生活の保障などは念頭になく、ただ人数を増やすことで生産をあげようとしました。

 労働者の共産主義的な自覚がいくら高くても、住宅条件や休息が保障されないならば、かれらの戦闘力、すなわち労働生産性を向上させることはできないでしょう。

 かつて日本帝国主義支配当時、資本家たちは、もちろん、こうしたことに考慮を払わなかったし、また払おうともしませんでした。かれらは、労働者の生活条件については少しも関心を払わず、労働者を過酷に搾取することに血眼になりました。

 我々は、住宅も建てずに労働者を採用することはできません。労働者に特別立派な生活条件を保障せよというのでもありません。我々が求めているのは、党と国家が配慮する限度内で、全力をつくして労働者の生活を保障すべきだということです。これは、重要な政治活動であります。

 みなさんがもし、これは供給活動だから、給養係が担当すべき仕事だと考えるならば大きな誤りであります。我々がたたかっているのは、まさに労働者の生活を向上させるためであり、かれらの幸福のためであります。また、この仕事の成否が生産の成果を左右するのですから、これがどうして政治活動でないと言えるでしょうか。

 労働者にたいする政治活動には、供給活動も含めなければなりません。供給活動をぬきにした政治活動などありえません。誰でも政治活動を立派におこなうためには、供給活動に力を入れなければなりません。

 最も重要な生産力である人間にたいして、正しい態度をとらなければなりません。将来すべてが自動化されるようになれるかわかりませんが、たとえ、すべてが自動化されるとしても、所詮、機械は人間が動かさなければなりません。そのときになっても、人間の労働が現在より著しく減り、仕事がより楽になるだけであって、人間なしで機械がひとりでに動くことはありえません。それゆえに、人間にたいする正しい態度をとるべきです。これが理解できれば、人手のみを増やして問題を解決しようとはしないはずです。

 労働者の技術熟練度を高めて、一人が機械を1台扱っていたのを2台、3台ずつ扱うようにし、政治活動を強めて労働者の自覚を高め高度の熱意と創意を発揮させるならば、多くの人手を必要としないでしょう。

 これらはすべて、指揮官の能力と仕事の組織にかかっています。指揮官とは誰でしょうか。相、管理局長、支配人、副支配人、政治担当副支配人、省党委員長、工場党委員長などであります。

 指揮官の第一の任務は、労働者の生活条件を十分に保障することであります。労働者の休息と食生活を適時に十分に保障すべきです。次に指揮官は、労働者に設備と資材、その他すべての労働条件を保障しなければなりません。機械が故障を起こせば、適時に修理すべきです。

 もし、相、管理局長、支配人たちが、仕事を正しく組織し、生産条件を十分に保障するならば、仕事が順調に運ばないわけがありません。我々が、黄海製鉄所の平炉に何か特別な措置を講じたわけではありません。工作職場で平炉に必要な部品をつくって与えるようにしただけです。それ以後、鋼鉄生産が伸びるようになったではありませんか。

 指揮官はまた、労働者に党の政策と方針を浸透させて、かれらが党の政策を支持して自発的に働くように教育すべきであります。

 このように、生産の正常化と労働生産性の成長は、労働者だけにかかっているのではなく、より多くは生産条件を保障し労働者を指導する指揮官の能力と仕事の組織にかかっています。支配人はなぜ必要なのでしょうか。支配人は、仕事を組織し、指導するためにあるのです。これをしないくらいなら、支配人は必要ありません。

 重要なのは、指揮官が政治活動を強化し労働者の政治的自覚を高めて自発的に働くようにし、次には、設備部品や原料、その他の作業条件を十分に保障し、また常に労働者の生活条件に気を配り生活を安定させることであります。こうすれば、労働生産性が向上しないわけがありません。

 今年度の調整した計画を部分的に遂行できなかったのも、決して労働者の責任ではありません。これは、全く指揮官の政治活動と仕事の組織の不手際に原因があります。したがって、第1に政治活動であり、第2に仕事の組織であります。

 今年度の計画遂行にあらわれたいま一つの重大な欠陥は、幹部たちに党の決定と指示に無条件服従する思想が欠けていることです。

 すでに今年の1月、党中央委員会常務委員会では計画を討議する際、計画以外に労働力を増やしては絶対にならず、人手を一人増やすにも慎重な検討をおこない、誰であっても労働の組織を正しくおこなう人が、すぐれた組織者であると繰り返し強調しました。党中央委員会があれほど強調したにもかかわらず、党の指示に無条件服従する精神が幹部たちに欠けているため、これが実行されませんでした。

 その後、党中央委員会5月常務委員会拡大会議で再び基本建設を広げずに、中心の環をとらえていくよう強調しましたが、金属工業省、化学工業省などでは、依然として党の決定に消極的で、これを無条件実行する態度が欠けていました。

 党の指示には無条件服従しなければならず、党の決定はどんなことがあっても義務的に実行しなければなりません。

 金属工業省で党の政策が正しく実行されない重要な原因の一つは、下部の人たちに党中央委員会常務委員会の決定や党中央委員会の決定を浸透させないことにあります。このたび党中央で直接金属工業省に出向いて省党会議を開いて検討したところ、下部の人たちは「我々は、国家的に労働力がこのように不足しているとは知りませんでした。それを知っていたなら労働力を要求するはずがありません」と語りました。

 これは、金属工業省の幹部たちに党の決定と指示に服従する精神が欠け、したがって、下部の人たちにもこれを浸透させなかったということを示しています。こうした人たちは、こんにちのように緊張した経済建設部門でたたかうことはできません。

 およそ以上のようなことが、今年度の我々の欠陥であります。

 今年度の経済建設での、これらすべでの欠陥は重大なものであります。しかし、これは我々が大きな勝利を達成するなかで生じた一時的で部分的な欠陥であり、また十分是正できるものであります。

 我々は、ここから深刻な教訓を学ぶべきであり、欠陥を早急に是正し、そのような欠陥を再び繰り返さないようにしなければなりません。


 2 1960年度人民経済発展計画における重要問題について

 すでに決定書に指摘されているとおり、我々は1960年度を人民経済発展の緩衝期に定め、1か年計画を実行することにしました。

 緩衝期とは何でしょうか。

 これは戦争にたとえれば、ある高地を奪取した後、その戦闘で消耗した兵力、食糧、被服、武器、弾薬などを補充する一方、戦闘隊伍を整備かつ再編成して奪取した陣地をかため、次の高地を占領する新たな戦闘を準備する時期を言います。

 社会主義建設においてもやはり、経済発展の一段階をなす大きな課題を遂行し、新たな段階の課題遂行に移行するときには、必ずこれまでの成果をかためる一方、新たな課題を遂行するための準備をととのえなければなりません。特に、ここ数年間、刻苦奮闘して経済を飛躍的に発展させ、第1次5か年計画を2年以上繰り上げて遂行したため、このような準備期間は切実に必要となります。

 工業部門では、5か年計画をすでに今年度に終了しました。もちろん、指標別にはまだ未完の部門もありますが、工業総生産額のうえでは完遂しました。

 5か年計画が遂行された結果、我が国における工業の植民地的跛行性は是正され、自立的民族経済の基礎と社会主義的工業化の強固な土台がきずかれました。以前にはなかった軽工業基地も創設され、農業でも大きな前進を遂げました。

 我々は、今後のより大きな発展の基礎づくりを立派に終えました。言いかえれば、技術革命を全般的に実行できる基礎をきずいたのです。

 これらは、我が党の指導のもとに達成した朝鮮人民の偉大な勝利であります。この勝利は、重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業と農業を発展させる我が党の路線の勝利であり、経済政策実施における党の指導の正しさを立証するものです。

 このように、我々は、社会主義建設の基礎をつくる目標、すなわち第1次5か年計画の目標を達成しました。

 それでは、次に我々が達成すべき目標はなんでしょうか。それは社会主義建設をさらに早め、我が国の社会主義工業化をめざす高い目標です。この新しい目標こそ、1961年度から始められる第2次5か年計画なのです。この計画は、我が国における社会主義建設にとって決定的な時期となるでしょう。この期間に社会主義的工業化で画期的な前進を遂げ、人民生活をいっそう向上させなければなりません。

 来年度は第1次5か年計画という目標から、さらに高い目標の達成を準備する年です。それで来年度を緩衝期と呼ぶのです。

 それでは、来年度になにを準備すべきでしょうか。

 つい最近まで、この問題については諸説紛々といった有様でした。新しい目標を達成するために、電力部門では電力工業の優先的発展を、鉄道部門では鉄道の電化を、金属工業省では鋼鉄の量産を、農業相は潅漑工事による米穀の増収をそれぞれ先決問題であると主張しました。すべての部門が、緩衝期を自分に有利に利用しようとしました。もちろん、このような傾向をいちがいに悪いと見ることはできません。これは、すべて仕事にたいする意欲のあらわれです。

 しかし、自分の仕事だけを優先させようとするならば、来年度の経済発展の中心方向を定めることができなくなります。緩衝期に各部門が準備をととのえるのは当然ですが、必ず中心的課題がなければなりません。

 それでは、緩衝期の中心的課題はなんでしょうか。これまで、特に今年度の計画遂行で一部の経済部門に生じた緊張をとき、弱い部門を補強し、人民生活の向上をはかること、これが来年度の緩衝期の中心的課題です。

 こうしなければ、人民経済の飛躍的な発展過程に生じた部分的な不均衡や欠点を克服して第1次5か年計画の成果をかためることができず、次期の計画期間における社会主義建設の新たな高揚をもたらすことができません。

 我々は、このような基本的方向にもとづいて、来年度の経済建設で重点的に解決すべき問題を定めたのです。

 ここで、それらの問題のうち重要ないくつかについて述べたいと思います。

 なによりもまず、来年度は農業の機械化に力を入れるべきです。

 今回の総会では、農業部門の緊要な課題として、農業の機械化を促進することが決定されました。これは、もちろん正しい決定です。

 しかし、来年度から農業の機械化に力を入れるとはいっても、これは党の路線と方針が少しでも変わったことを意味するものではありません。農業の機械化は、重工業の優先的発展を保障しながら、同時に軽工業と農業を発展させる党の基本路線を堅持し、党の既定方針を推進することになります。

 重工業を優先的に発展させるというのは、重工業のための重工業を発展させることではありません。その目的は結局、人民経済各部門に機械設備と動力および燃料を供給し、生産力の発展をはかることにあります。

 ところで生産力の発展のためには、特に農村の生産力を発展させるためには、農業の機械化を実現しなければなりません。

 現在、我が国には、農業機械化の基礎はすでにととのっています。このような基礎も、重工業の土台もないとすれば、農業の機械化は単なる空想にすぎず、主観的欲求にとどまるでしょう。しかし3か年計画を完遂し、第1次5か年計画を遂行した結果、重工業の土台をきずき、その心臓部をなす機械製作工業を拡張しました。特に、今年度に展開した「工作機械の子生み運動」は、我が国の機械工業をさらに一歩前進させました。これは、人民経済を近代的機械技術で装備させ、生産力をさらに向上させうる確固とした物質的基礎となるものです。その結果、こんにち農業機械化の実現は十分可能であり、思いどおり実現できるようになりました。

 農業の機械化はこのように可能であるばかりか、こんにち我が国の社会・経済発展の客観的要求でもあるのです。

 周知のように、我が国における生産関係の社会主義的改造は完了しました。すでに1958年度にこれを勝利のうちに終えました。今年度の初頭に開かれた全国農業協同組合大会は、農村における社会主義経済の全一的支配が確立した条件のもとで、技術革命を農業の中心的課題として提起しました。

 実際上、生産関係の社会主義的改造の終了をもって、農業が完全に社会主義経営になったと見ることはできません。このためには、必ず技術革命を進めなければなりません。そうしなければ、農村ですでに勝利した社会主義的生産関係を発展させ、さらに強化することができません。

 もちろん機械がなくても、協同経営はすべての仕事を集団的におこなうため、分散的な個人農に比べすぐれています。しかし、技術の改造なくしては、農業生産力を発展させることも、農民の生活向上をはかることもできません。したがって、協同経営の優位性を十分に発揮させるためには、必ず農村で技術革命を進めなければなりません。

 我々は、農業の社会主義的改造において、協同化運動の急速な進展に即応し、農業の技術的改造も積極的におし進めました。我々は、農村技術革命の第一義的課題として、まず水利化に取り組みました。個人農当時とは異なり、協同経営のもとでは、個々の農民の力ではなく集団の力でおこなうため、水利化ははるかに容易かつ急速に進めることができました。

 潅漑工事を本格的に始めたのは、1955年度からだったと思います。当時はまだ機械工業の歴史が浅く、発展もしていませんでした。しかし、全力を傾けて国内で揚水機や電動機、ポンプを生産する一方、一部の機材は輸入しながら潅漑工事を積極的に進めました。

 その結果、この分野では極めて困難かつ大きな事業をなし遂げました。潅漑が可能をところにはほとんど施工しました。もちろん、まだ一部残っていますが、これは、今後順次おこなえばすむことです。

 水利化をおこなった結果、我が国の農村を干害、水害や凶作を知らない農村にかえ、農作物の収量を高めることができました。また、農村の電化でも多大の成果をおさめています。しかし、これをもって農業生産力が十分に発展したとみることはできません。

 農業生産力を決定的に高めるためには、必ず機械化を実現しなければなりません。これをしなくては、農業協同組合を名実ともに確固とした社会主義的経営に発展させることも、生産を高めて農民の生活を裕福にすることもできません。

 次に農業の機械化は、急速に発展する工業に農業が後れをとらぬよう、すなわち工業と農業の均衡的発展のために必要です。こんにち、我が国の工業生産力は、相当の水準に達したと見ることができます。工業は近代的技術によって急速な発展を遂げていますが、農業が旧来の手工業的技術に頼っていたのでは、工業の要求をとうてい満足させることはできません。

 これでは重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業を発展させる党の路線も貫徹がおぼつかなくなります。かりに、畜産業が食肉、皮革、毛などの原料を供給できなくなれば、軽工業では食肉加工も、製靴も、毛織物生産もできなくなります。農産業で生産される原料や穀物についても同じことが言えます。穀物を十分に供給できなければ、多くの労働者、事務員とその家族に食糧をあてがうことができません。

 このように工業と農業、人民経済の各部門は互いに深く結びついています。

 今後、工業をさらに発展させるためには、農業が工業に追いつき、工業の求める原料と穀物を保障しなければなりません。ところが、農業が現在のような旧式の技術に頼っていたのでは、それはとうてい不可能です。農業を機械化し、生産力を一段階高めなければ、この問題を解決することはできません。

 このように、急速な発展を遂げる工業に農業を追いつかせ、工業と農業の均衡的発展を保つには、必ず農業を機械化しなければなりません。

 次にみなさんがもう一つ知っておくべきことは、農民の意識を改造するためにも機械化が必要だということです。

 協同化が完成したからといって、農民がすべて完全な社会主義的農民になったわけではありません。もちろん、個人農経営が協同化されて富農がいなくなり、他人にたいする搾取行為がなくなったのは、一つの大きな革命です。

 しかし、人々の意識には、まだ古い思想の影響が多分に残っています。農民の封建的、資本主義的な古い思想の影響を一掃し、進歩的な社会主義的意識に改造するのは、農業生産力の発展と協同経営の強化にとって大きな意義をもちます。すでに述べたことですが、生産力とは機械と人間をさし、そのなかでも基本は人間であるだけに、農民の思想・意識の改造は農業生産力の発展に大きな作用を及ぼします。

 それでは農民の意識を速やかに改造するには、なにが必要でしょうか。それは、やはり機械化です。農民に封建時代の旧式な生産道具を使わせながら、かれらの意識を社会主義的に改造しようというのは無理なことです。生産の発展は、生産道具の変化に始まり、勤労者の意識もまたいかなる方式で生産するかによって決まります。それゆえに、農民の意識を速やかに改造してかれらを完全な社会主義的農民にかえるためには、必ず農業を機械化し、農業生産力を発展させなければなりません。

 みなさん! こんにち、農業機械化の必要性に疑問をはさむ人は一人もおらず、誰もがこれに賛成しています。それにもかかわらず、この問題を重ねて強調するのは、農業の機械化が我が国における社会主義建設の緊要な客観的要求であることを、はっきりと知る必要があるからです。

 現在、計画中の農業の機械化を単に当面した農業労働力の緊張を緩和するためのものと考えてはなりません。これは、農業の社会主義的発展過程における必然的な課題であり、社会主義建設のさらに高い目標達成のために必ず解決しなければならない歴史的課題であります。

 機械化の具体的な方針についていえば、我が国の機械工業の発展水準がさほど高くない現状を考慮し、漸進的方法にたよるべきだと考えています。決定書にも指摘されていますが、動力機械と畜力機械を併用し、近代的機械化とあわせて半機械化を並行させ、平野部から順次山間部へと機械化を拡大していかなければなりません。これは極めて正しい方針です。なぜ平野部から始めようというのでしょうか。それは、平野部であるほど機械化が比較的容易に、しかも速くできるからです。平野部は、一般的に耕地整理に力を入れなくても、機械の投入が可能であるばかりか、すでに先進国で使っている機械類も多く採用することができます。しかし、山間部では、大規模な耕地整理や我が国の地形に適した農業機械の生産などが必要となり、かなりの時間をかけなければなりません。

 したがって、まず平野部から、それも水利化が最も進み、穀物を多く産する平安南道と黄海南道の両道から始めて段階別に順次拡大していこうというわけです。

 このたび黄海南道を視察しましたが、さほど多くの機械が必要だとは思われませんでした。黄海南道の農作業をおおよそ機械化するには、2500台程度のトラクターがあればすみそうです。この道では、総耕地面積の80%まで機械化すれば、機械化を終えたと言えます。もちろん残りの面積も、将来は小型動力機械を生産してすべて機械化すべきですが、当分のあいだは半機械化をおこない、まず80〜85%の面積だけ機械化すれば立派だと言えます。

 平安南道も五十歩百歩です。ここでも2500〜2600台のトラクターがあればすみそうです。したがって、両道合わせて5000台余りのトラクターが必要となります。

 我々の目標は両道の機械化を2年間でおこなおうというものですが、これは少々余裕を見込んだ期間です。実際には、力を入れさえすれば来年度にかなりの成果が期待できそうです。

 国内で3000台のトラクターを生産して1000台ほどは兄弟諸国から輸入する予定です。それで約4000台になりますが、現在、黄海南道が約900台、平安南道が約700台ほど所有しています。これらをすべて合わせれば5500〜5600台になるはずです。これだけあれば、来年度に黄海南道、平安南道はもちろん、平壌市の機械化も可能でしょう。

 つづいて1961年度からは開城(ケソン)市、黄海北道、平安北道、江原(カンウォン)道、咸鏡南道をほとんど同時に機械化することができます。この他の慈江(チャガン)道、両江(リャンガン)道、咸鏡北道のような山間部では数年先のことになるでしょう。

 広範な大衆の創意と知恵を極力引き出せば「工作機械の子生み運動」で得た機械を有効に利用して各地でさまざまな農業機械を量産し、我が国の実情に適した立派な農業機械を製作することができるでしょう。このように、農業の機械化を全人民的運動として強く進めれば、さらに期間を短縮することができます。

 農業機械の製作にはそれほど多くの鉄材が必要なわけでもなく、十分保障することができます。

 それゆえ、今後数年のあいだに農業の機械化がおおよそ実現できるという自信をもって、来年度からこれに本格的に取り組むべきです。

 動力機械化は、まず黄海南道と平安南道から集中的に始めるというので、他の道も自分の順序がくるのを待とうとせず、各地で半機械化を実施しなければなりません。牛に荷車を引かせ、畜力農業機械を大いに利用して労働力を極力節約すべきです。

 農業の機械化で最も重要なのは、農業機械賃耕所の役割を高めることです。

 賃耕という言葉は、もともと手数料を取ってすき起こしをするという意味です。そのためか、賃耕所の仕事ぶりは実に無責任です。トラクター運転手は、すき起こしを自分の仕事と考えず、他人の畑だという観念があるため畑のすみには目もくれず、耕す場合でも、ところどころとはしています。これは非常によくないことです。農業機械賃耕所がこのような態度で仕事をしたのでは、農業技術革命の拠点としての先導者的役割をまっとうすることができません。

 すべての賃耕所の従業員が、農業は農民だけが営むものではなく自分たちも参加するのであり、その結果にたいして農業協同組合ばかりでなく、賃耕所も連帯責任を負うべきだということを明確に自覚することが大切です。

 ところが現状はこうでなく、農業の出来具合など自分には関係のないことだ、給料さえもらえばいい、といったように農業の結果について賃耕所の従業員は全く関心を払っていません。そのため賃耕所の支配人は、いっこうに畑に出向こうとせず、業務にとらわれています。

 実際上、将来、機械化が実現すれば、作柄については農業機械賃耕所がより大きな責任を負うべきだと思います。そうするためには、農業機械賃耕所の規定、なによりもまず賃金制度から改めるべきです。賃耕所が担当地帯の農作物の増収に関心をもつよう、来年度早々、賃金制度を改めるべきです。

 賃仕事の耕転をするという意味の賃耕所の名称も改めるべきです。それで今回の総会決定にもあるとおり、農業機械賃耕所を農業機械作業所と改名することにしました。

 今後は、農業の出来がよいときには農業機械作業所に配当が与えられ、そうでないときには収入に一定の影響が及ぶようにすべきです。また、作柄は国家にとっても極めて重要な問題です。それゆえ、農業機械作業所の従業員はより多く、速く、深く、丹念に畑を耕し、肥料も遅滞なく運び、穀物も一粒の損失もなく運び入れ、脱穀も順調に保障すべきです。こうして、この部門の全従事者は、農業機械作業を通じて農業を完全に責任負う気風を確立しなければなりません。遠からず開かれる農村機械化先駆者大会の主な目的もここにあります。

 次に、農村機械化の順調な実現のために重要なのは、農業機械修理所、農業機械の製作に当たる小規模の道、市、郡の直営工場、それに国営農業機械工場などの役割を高めることです。岐陽(キヤン)機械工場、徳川(トクチョン)自動車工場、その他、連帯生産を担当した各工場がすべて農業機械の生産に責任を負うべきです。

 播種機、除草機、収穫機、トレーラーなどの連結機械は技術と能力に応じて、郡でできるものは郡が製作し、道では道営工場の力にかなった機械を、中央では複雑な機械を製作して適当に配分すべきです。

 また、我が国の農村に適した新しい農業機械を作る運動を強力に展開すべきです。外国の設計にばかり頼る安易な考えは捨てるべきです。もちろん、外国のすぐれた経験を学ぶのはよいことです。しかし、我が国は、田畑の規模が小さく、傾斜もひどく、石塚や水田、湿地が多いということを考慮に入れて、これに適した農業機械を製作することが切実に望まれます。これを大衆的運動として展開し、多くの労働者、技術者の才能と創意をくみ上げるようにすべきです。こうすれば、我が国における最も重要な問題の一つである農業の機械化を早急に実現することができます。

 次に、農業で重要な意義をもつ土地管理を改善しなければなりません。

 今年、これが満足におこなわれませんでした。

 周知のように、我が国の耕地面積は非常に限られています。特に、国土の分断はこれに輪をかけています。広い平野や沃土の大部分が南朝鮮にあり、それは日を追って荒廃化しています。こんにちの南朝鮮の農村は、かつての穀倉地帯から慢性的な飢饉地帯に転落しました。

 国中の耕地を全部合わせても400万ヘクタールにすぎず、そのうち北半部は1000万の人口に果樹園、桑畑まで含めて200万ヘクタールに達しません。このように、我が国の耕地面積は非常に限られています。みなさんは、これを常に念頭におくべきです。

 したがって、可能なかぎり新しい土地を開拓すべきであるし、なにより重要なのは現有の土地を十分に利用し地力の弱い土地を肥沃な土地に改良することです。

 土地の悪さをいくらこぼしても無意味です。ことわざにも“働き者の百姓にやせ地はない”というではありませんか。これは全く当を得たことわざです。字の下手な人はそれを筆のせいにし、営農の下手な人は土地のせいにするものです。

 もちろん、我が国の土地が、他の国の土地に比べて地味が薄いのは事実です。しかし、もともと自然条件がそうなのですから、どうしようもありません。やせ地だからとそれを顧みなければ、どこでなにをしようというのでしょうか。みなさん! 土地を見捨てず、立派な土地にかえるべきです。耕地廃棄のスローガンをなくし、土地の改良に努めましょう。

 いくら悪い土地でも、熱心に肥料を施し石塚をなくし、湿地を乾かせばよくなるものです。

 昨日、会議のあと常務委員が集まり、夜遅くまで咸鏡北道金策郡上坪(サンピョン)農業協同組合の今年度の土地利用状況を聴取しました。この協同組合は非常に立派に仕事をしました。

 今年の春、上坪里に行ったことがあります。そこの土地はひどいやせ地でした。あるものといえば石塚ばかりでした。それで、地味はどうかと聞いてみたところ、組合管理委員長の話では、今年102ヘクタールを廃棄するつもりだとのことでした。よく考えてみると危険このうえないことでした。それで、村の年寄りや農民に集まってもらって話し合いました。土地を捨てずになんとか利用する方法はないものだろうかと、多くの人たちの意見を聞いてみました。

 当地は桑の木がよく育つので、まず60ヘクタールほどそれを植えることにしました。次に果樹園も多少造成し、砂地には豚の飼料としてキクイモを約6ヘクタール栽培することにしました。それでも残った土地には、ワラビとキノコを育てることに意見の一致をみました。

 私は、以上のことを残らず実行し、牛や豚、ヤギ、兎、それに蜜蜂や鶏まで飼えば、今年はともかく来年一年すぎれば、必ずお金の山のうえに座ることになるだろうと話しました。この組合の農民は約束を立派に実行しました。桑畑やキクイモ畑を造成し、ワラビ畑、キノコ畑、果樹園もつくり、乳牛は3顔から65頭に、豚は54匹から206匹に、ヤギは45匹から107匹に、兎は3羽から601羽に、蜜蜂の巣箱は21個から126個にそれぞれ増やしました。この組合では現金分配額だけでも、旧貨幣で一所帯当たり7万ウォンを越えるとのことです。

 みなさん! これが咸鏡北道の進むべき道であり、土地の制約をうけ、地味の薄い土地をもつ農村の進むべき道です。悪い土地を放棄せず全面的に利用し、組合の経営をしっかりとした多角的経営に発展させている同地の農民の仕事ぶりは、すべての農業協同組合と農民の模範となるものです。

 わずかな土地でも見捨てたり休耕させたりせず、可能な限り新しい土地を開墾する一方、現有の土地を極力保護改良して大切に管理し、多収穫をあげるべきです。これは我が党が再三強調していることですが、ここで重ねて強調しておきます。

 今後は、山裾に建てられる家を田野に建てたり、工場を水田区域に建設するなど、耕地をおかすことがないようにすべきです。我が国のように土地の狭い国では、工場の敷地をいたずらに広くとる必要がありません。

 また、土地利用度を大いに高めるべきです。間作、混作を奨励し、二毛作が可能なところでは二毛作をおこない、先進的な集約農法を発展させて狭い土地から多くの収穫をあげるべきです。

 人民のあいだで土地を愛護し、心をこめて手入れする気風をつちかうことが重要です。いま人々は梅雨季の雨で畑の片隅がけずられても、なだれで畑が流失しても見て見ないふりをしています。道路の普請にも山の土ではなく、よく肥えた畑の土を使っています。土地にたいするこのような態度をこれ以上黙認することはできません。

 一坪の土地といえども、先祖伝来のものであることを肝に銘ずべきです。土地を粗雑に管理し浪費する傾向とは全党が強くたたかうべきです。

 水利化では、来年度は大規模な工事の着工はさしひかえ、現在進行中の工事をつづけるべきです。もちろん、今後も大工事は必要ですが、それは後日に回すべきです。

 これからは機械化が中心なので、農民には圃場整理や道路工事など多くの仕事がひかえています。したがって、他の大工事を同時に進めることは困難です。

 しかし、機械化が本格的に進められていない地方では、農民たちが自力で進めている潅漑工事をつづけさせ、特に東海岸地帯では治山治水を続行させるべきです。

 一方、西海岸地帯では、すでに建設された潅漑施設を有効に利用することが重要です。これは工業にたとえれば、設備の利用度を高めることと全く同じです。工業労働者ばかりでなく、農民もまた現有施設の利用度の向上に力を入れるべきです。

 労働者、事務員に副食物をとどこおりなく供給するためには畜産業を発展させなければなりません。

 工場、鉱山、製鉄所など全国各地で奮闘している労働者に食肉や食用油を十分に供給するためには、この分野でまだ多くの仕事をしなければなりません。もちろん、畜産業はこれまで経験もなく、そのため他の分野よりも保守性と神秘性が濃厚であり、難関も少なくありません。しかし、これらをすべて打破し、克服しなければなりません。

 各面から飼料源を探求して、家畜を大々的に飼育すべきです。

 まず、各農家が年間豚を2匹ずつ飼う運動をひろげましょう。豚を飼えば食肉とともにきゅう肥(注:家畜のふん尿と敷きわらでつくった肥料)が得られますが、これは農業にとっても非常に有益です。1匹の豚から年間3トン、2匹では6トンの糞肥を得ることができます。最近の外国の資料によれば、糞肥1トンに燐灰石粉末70キログラム、石灰石粉末100キログラム、それに土を混ぜれば4トンの良質の肥料が得られるとのことです。すなわち1匹の豚から年間12トン、2匹では24トンの肥料が得られるわけです。

 我が国では、農業協同組合の集団的な家畜飼育と各農家での分散的な飼育を並行させるべきです。農業協同組合は共同畜産を大々的に発展させ、多くの子家畜を生産して農民に分けてやり、全農家に豚や兎を飼わせる運動を展開すべきです。こうすれば、人民生活も改善でき、きゅう肥を量産して穀物を増収し、地味を培養することもできます。

 協同経営を強化し、農民の生産意欲を高めるため、農業協同組合では社会主義分配原則を貫くことが大切です。

 ところが、この面での活動には重大な欠陥が生じています。いまなお農業協同組合の穀物分配と現金分配は確実におこなわれていません。

 一部の人たちは農業協同組合に加入して日の浅い昨日の個人農が、すでに共産主義者になったかのように考えているようです。それで、穀物も分配せず組合の倉庫に保管しておき、配給式に少しずつ出しています。

 みなさん、このようなやり方で農民の生産意欲を高めることができるでしょうか。農民にはまだ小資産階級の意識と習性が多分に残っており、それは一朝一夕になくなるものではありません。農民との活動では、この点を深く考慮すべきです。農民の労働によって創造された生産物のうち、当然の配当が遅滞なく、正確に行き渡らなければ農民の生産意欲を高めることはできません。我々は、かれらを共産主義思想で教育する一方、必ず分配を正確に実施し、農民の生産意欲を高めなければなりません。

 次に、1960年度に人民生活を改善するため、水産業と一般消費物資の生産を発展させる一方、多くの住宅を建てるべきです。

 野菜生産の増大、畜産業の発展とともに水産業の急速な発展をはかるのは、勤労者の副食物問題の解決にとって非常に重要なことです。

 党の強調するとおり、多角的な漁労方法でより多くの魚を水揚げする一方、水産物の加工を改善すべきです。水揚げした魚を腐らせないようその処理に留意し、おいしく加工しなければなりません。

 これと同時に養殖に力を入れるべきです。これに力を入れれば1、2年のうちに副食物がかなり解決できるはずです。

 農民の話によれば、西海岸などは貝類の養殖適地が数10万ヘクタールもあるそうです。ここに貝類を養殖すれば、ヘクタール当たり3、4トンと見積もっても、膨大な量の貝類を取ることができます。海水を堤防でさえぎって、エビを養殖することもできます。農民に資材を少々提供すれば、ノリ、ワカメ、コンブなどはいくらでも生産できます。コンブは5か月間に4.5メートルも育つそうです。これらは、国内で消費してもよく、外国に輸出して食肉とかえることもできます。

 これは飼料を使わず副食物を解決するよい方法です。ところが、これまでは口先ばかりで、これを本格的におこないませんでした。国家計画委員会でも数隻の船を造っただけで、養殖に必要な対策はなにも講じませんでした。今後、この部門に投資をして養殖を大々的に発展させるべきです。

 軽工業部門では、原料基地の造成に特別な関心を払うべきです。特に、繊維原料を完全に解決するため、清津紡績工場などでスフや人絹糸を今後も量産する一方、ビナロン工場の建設を促進すべきです。我が国は綿がよくできないため、化学繊維基地を早急に建設することが極めて重要です。

 一般消費物資の生産で品質の向上は必ず解決されなければならない問題です。現在、この分野では、質と量とのあいだに大きなひらきが生じています。今年度の織物生産量はほぼ1億6000万メートルに達し、来年度には1億7000万メートルの生産が予定されていますから、一人当たり17メートルがゆき渡ることになります。これは少ない量ではありません。しかし、人民はすでに各種の高級織物を求めています。問題は、質が量に及ばないところにあります。洋服地やギャバジン、それにメリヤス、靴下なども増産すべきです。今年度の靴下生産計画は1500万足ですが、これでは少なすぎます。少なくとも、3000万〜3500万足は生産しなければなりません。

 来年度に建設分野では、住宅の建設に重点をおく予定です。これは、勤労者の生活改善にとって大きな問題です。今年度に労働者の数が、国営工業だけで28万名も増えたのですから、住宅建設をせずに過ごすことはできません。

 計画には来年度に都市と労働者区に8万余所帯の住宅建設が予定されていますが、潜在力を引き出せばはるかに多くの住宅を追加建設することができるでしょう。こぎれいで堅固で住みよい住宅を多く建てて労働者の住宅事情を決定的に解決すべきです。

 住宅とともに各種のサービス施設や文化厚生施設をむらなく配置する必要があります。来年度に住宅を大々的に建設すると同時に、託児所、浴場、クリーニング店、食堂などを増設し、労働者、事務員の生活条件を改善しなければなりません。

 こうしなければ、衣食住問題を基本的に解決するという第1次5か年計画の課題を遂行することができません。

 来年度は、労働生産性と設備利用度の向上に大きな関心を払うべきです。

 工業部門の建設は現在進行中の建設にとどめ、それも期日を短縮する必要はなく年次別の計画どおりに実行して新しい建設はできるだけひかえるべきです。

 こんにち工業で重要なのは、設備と生産面積の利用度を高めることです。

 設備の利用度は依然として低く、稼働も正常化されていません。工作職場の役割をいちだんと高めて機械部品を遅滞なく生産し、機械修理期間を短縮し、事故を事前に防止して設備の利用度を各面から高めるべきです。

 我が国の機械製作工場をはじめ、各工場における生産面積の利用度は、外国よりも劣っています。工場の建物をさらに合理的に利用して、現有の面積で増産をはかる対策を講じなければなりません。

 同時に来年度には、工業と建設分野で現有労働力以外に一人でも増やすべきではありません。むしろ、約3万の労働力を工業から農村にふり向けなければならないのが実情です。それゆえ、来年度に労働生産性を決定的に高めないことには、より多くの生産と建設ができなくなります。

 現在、工業と建設部門には、労働生産性を急速に高めうる潜在力が豊富にあります。来年度の計画では工業部門で12.5%の成長を予定していますが、労働生産性と設備利用度向上の潜在力を総動員すれば、それをはるかに上回ることができます。

 来年度は、第1次5か年計画の初年であった1957年度と似通った点があります。

 3か年計画期間に工場は多く建設しましたが、それを十分に生かすことができず、また労働者もかなり増えましたが、技術水準は極めて劣っていました。それで、仕事を綿密に組織して生産を急速に向上させました。

 第1次5か年計画期間にも、工場や設備、労働者の数は増大しましたが、技術水準と設備利用度は劣っています。それゆえ、仕事を綿密に組織し、労働生産性と設備利用度を高めれば、1957年度と同様に生産を引き上げることができるはずです。

 もちろん、当時に比べて現在の工業はさらに完備され、労働者の技術水準も向上したのは事実でありますが、当時のように工業生産を40〜50%成長させるのは困難だとしても、20〜25%は可能でしょう。

 このように、来年度の計画は少なめに立てますが、みなさんは仕事にたいする組織と指導を綿密におこなって、大きな成果をあげるようにすべきです。

 次に、社会主義的蓄積と消費との関係を正しく調整すべきです。

 この問題はすでに再三強調していることですが、いまなお、これが各部門で十分に解決されているとは言えません。

 社会主義制度下で蓄積の目的はなんでしょうか。拡大再生産のため、工場をさらに増設し、機械をより多く備え、文化厚生施設を設けるなど、結局は勤労者の将来の生活向上をはかるためであります。蓄積は勤労者の当面の消費でないというだけで、実際上はかれら自身のものであり、人民の将来の幸せのためのものなのです。

 これとは異なり、消費は当面して使うものを意味します。

 それでは、この二者間の関係の適切な調整が、我々の経済生活で重要な意義をもつ理由はどこにあるのでしょうか。

 もしも、仕事に精励する勤労者の食糧や衣服、休息などを無視し、かれらの将来の幸せのためにという口実のもとに蓄積ばかりするならば、それを信用する人はいなくなるばかりか、全般的な経済建設も困難になるでしょう。

 反対に、蓄積もせず将来のことを全く念頭におかず、労働の成果をそっくり消費してしまうならば、それ以上の前進は不可能であり、停滞を余儀なくされるでしょう。

 労働者と事務員の生活をさらに豊かにし、農民の生活も裕福な中農の水準に引き上げるためには、必ず国民所得の一部を蓄積にあて、それで拡大再生産を実現しなければなりません。そうすれば、食糧や織物を増産し、住宅も多く建てて人民生活を現在よりも向上させることができます。

 それゆえ、蓄積と消費の均衡をはかるのは、社会主義経済建設を指導する人、計画経済を運営する人にとって非常に重要なことです。このコントロールがうまくいかないと、工場や組合の経営ばかりでなく、国の経済生活まで破綻させかねません。ところが現在、蓄積に偏重する弊害とともに、消費一面に偏重する傾向も一部に見られます。

 きょうこの問題を重ねて強調する理由は、来年度が緩衝期であり、人民生活の向上に重点をおくことになるため、ややもすれば一部で消費に偏重し、蓄積を無視する傾向が生じかねないからです。

 また蓄積を拡大再生産に正しく利用せず、無意味な建設につぎこむようなこともないようにすべきです。文化厚生施設を拡充するのは結構なことですが、緩衝期を口実に、まだ使用に耐えるクラブ、託児所、浴場、商店などを使わず、なにからなにまで新設しようとする傾向を警戒すべきです。正直にいって、問題は商店にあるのではなく、商品にあります。現在の商店でも商品さえ豊富であれば、勤労者への供給には問題ありません。

 我々は、勤労者の生活を系統的に順次向上させると同時に、不断に社会主義的蓄積の増大をはかるべきです。

 我が国は、まだ工業化が実現していません。完全な工業化のためには、今後も不断に蓄積しなければなりません。

 みなさん、今後我々のなすべきことはなんと多いことでしょう! トラクターや自動車を増産し、発電所を増設し、鉄道を電化しなければなりません。これには多くの鉄が必要であり、鉄を量産するには、鉱山を大々的に開発し、高炉や平炉を建設しなければなりません。そのためには蓄積にひきつづき力を入れなければならないのです。

 また、今後、機械化すべき部門も少なくありません。現在、農業の機械化が進行中であり、我が国工業生産の30%以上を占める地方経営工業の機械化にもこれから着手しなければなりません。そのためにはひきつづき節約し蓄積する必要があります。

 周知のように、我が国は戦後、兄弟諸国から少なからぬ援助を受けました。しかし、これからは自力で経済建設を進めるべきであり、また兄弟諸国からの負債も返済しなければなりません。

 したがって、社会主義的蓄積と人民消費を正しく調節しながら、今後とも増産し節約しなければなりません。党中央委員会1956年12月総会で我が党がうちだした「増産と節約」のスローガンは、来年度にも人民の戦闘的スローガンとなるべきであり、全党がその実践をめざす大衆的運動を展開すべきであります。

 また、工業と農業を問わず、企業所が赤字経営で国家に損失をもたらす傾向とは容赦なくたたかうべきです。

 現在、大部分の国営農場が欠損をだしています。国営農場の経営に決定的な革新を起こし、すべての農場で収益をあげるようにすべきです。

 企業所や機関が、労働者、事務員を一人でも無駄に採用すれば、国家にとってどれほど大きな損失を与えるかをすべての党員や幹部がはっきりと知るべきです。一人分の労働力浪費が旧貨幣で年に10万ウォン、現在の貨幣で1000ウォンの損失をもたらします。そのうえ、その人の生産すべき分が生産されなかった場合の損失まで合わせれば、一人の労働力浪費がいかに多くの空費となるかを容易に知ることができます。それゆえに、不必要な機構の拡張によって無用の人員を増やすことは実に重大な問題だと言わざるをえません。40台のトラクターをもつ農業機械賃耕所で仕事をしない人員が24〜27名もいるとのことですが、このようなことは早急に是正すべきです。

 我々は、人民経済各部門、各企業所で独立採算制を強化し、あらゆる浪費行為と強くたたかい、常に国家に損害を与えることなく利益をもたらすよう努力すべきであります。

 こんにち、社会主義経営の合理的な運営によって国家に利益をもたらすことは、とりもなおさず人民の幸せな生活と祖国の繁栄のためであることを深く肝に銘じ、すべての人が経済節約と蓄積の強化のために一致して努力すべきであります。

 最後に国家的に備蓄をする問題について述べたいと思います。

 我が国は長いあいだ、備蓄らしい備蓄をする余裕もないほど貧しく暮らしてきました。しかし、いまでは事情が相当変わりました。我々も経済生活を着実におこなうべき時がきたと言えます。我が国でも少々の備蓄をする必要があり、またそれが十分に可能です。

 我が国は、いまだに分断状態にあります。国際情勢が有利になり、アメリカ軍が撤退し南朝鮮人民が立ち上がれば平和統一も可能です。このような大事を迎えるとき、我々に備蓄がなければなにもできません。南朝鮮には、失業者が多く、勤労者は貧困にあえいでいます。かれらを救い事態を収拾するためには多くの備蓄が必要となります。

 また北半部を見ても同じことが言えます。これまでは、これといった事故もなく過ごしましたが、万一の場合を考えなければなりません。台風によって農業が大被害をこうむることも考えられます。不慮の災難が起こらないとは言えません。このようなときに備蓄がなければ苦境に陥ります。

 特に食糧の備蓄が十分でなければなりません。ところが、今年度のように食糧事情が良好なとき、食糧統制を緩めて浪費をまねいています。商業省では、働かない人にも配給を与えろという省令までおろしました。これは全く考えられないことです。

 みなさん、まだ共産主義社会ではありません。かりに、共産主義社会になったとしても働ける人は働くべきであり、遊んで暮らせという法はありません。そのときになっても、やはり労働が基本です。

 ところが、商業省の幹部は働かない人に配給を与えたばかりか、あれこれと多くの糧穀を浪費しました。経済をこのように管理する法はありません。今後、二度とこのようなことが繰り返されてはなりません。

 備蓄をすることについて人民を正しく教育する必要があります。

 実際上、我々が食糧を節約するのも備蓄するためであります。節約によって得た備蓄そのものも人民の所有物であり、結局は必要なときに人民のために使われるものです。

 共和国北半部に社会主義の楽園を建設し、分断された祖国を統一して革命を完遂するためには備蓄がなければなりません。こういう事情を人民によく認識させるべきです。

 このことを十分に納得すれば、増産、節約して備蓄を増やす全人民的運動にすべての人が熱意をもって参加するでしょう。

 食糧備蓄、各種の商品備蓄、金の備蓄を増やしましょう。こうした備蓄があってこそ、貿易も順調におこなうことができます。来年度は緩衝期ではありますが、備蓄をふやす運動を強力に展開すべきです。


 3 地方政権機関の活動を改善するために

 今回の総会では人民委員会の活動を改善する問題を討議し、必要な決定も採択しました。

 人民委員会の活動における基本的欠陥は、新しい環境に応じて活動を改編していないことです。

 人民委員会の活動に革新を起こさなければならない新たな主な条件は2つあります。

 その1つは、都市と農村で社会主義的経営形態の全一的支配が確立したことです。

 以前には、都市に私営商工業者もおり、農村には多くの個人農がいました。これまで人民委員会はこのような個人経営を指導してきました。しかしいまでは、個人経営がすべて社会主義的経営形態に改造されました。したがって、人民委員会の活動も個人経営を指導した体系から、社会主義的経営を指導する体系に移行すべきであります。

 以前は個人経営だったので、人民委員会の農村指導は農産を奨励する宣伝活動やあれこれを多く栽培せよという式の指導をすれば十分でした。また、私営商工業者にたいしては税金の徴収が重要な仕事でした。

 こんにちでは、我が国の農村が完全に協同化され、工場と流通網がすべて社会主義的所有となりました。ここでは搾取はなく、すべてが人民の利益のために奉仕しています。社会主義経済は自然発生的にではなく、計画によってのみ発展が可能です。それゆえに、社会主義制度下では、経済がたえず速いテンポで発展し、人民生活もたえず向上するのです。

 しかし、人民経済を計画的に運営しなければ、社会主義経済のこのような優位性を発揮させることができません。もしも、人民委員会が社会主義経済を直接指導せず、以前の個人経営当時のように放任するならば、たちまち野菜や食肉がきれ、工場や企業所の操業も止まってしまうでしょう。

 したがってこんにち、人民委員会が社会主義経済を正しく指導し運営できるようその活動を改編することが極めて重要なのです。

 以前と異なるいま1つの新しい条件は、道人民委員会や郡人民委員会の指導する経済活動の範囲が量的に非常に増えたことです。

 これまでは、中央が多くの工場と企業所の指導にあたり、道や郡人民委員会の指導対象はさほど多くありませんでした。

 しかしいまでは、道の権限も拡大し、地方人民委員会が直接運営する経済分野も非常に多くなりました。商品流通、農業協同組合、道営および郡営牧場、地方経営工業、潅漑、建設、都市経営など地方政権機関では多くの活動を担当しています。現在、一つ道で管理する工業の生産高は、以前、北朝鮮人民委員会で管理していたほどに増大しました。教育・文化分野でも、教育省直轄のいくつかの大学とその他中央で管理するいくつかの対象を除いては、すべて地方人民委員会が担当することになりました。

 経済の規模が小さかった当時は、計画がなくとも適当にやっていくことができたのですが、経済の規模が大きくなったこんにち、計画もなく胸算用でそれを運営することはとうてい不可能です。

 このような新しい環境は、我が国の人民経済の発展と社会主義建設の前進によって生じたものですが、いまだに人民委員会がこれに応じた活動の改編をしていないことが主な弱点となっています。

 今年度の作付面積が大幅に減少した原因もここにあります。以前は、中央が直接土地の統制にあたったため問題はなかったのですが、今年度にその管理権限が道に委譲された結果、意のままに多くの土地を遊ばせ、穀物の作付面積を計画どおりに保障しませんでした。

 経済指導における人民委員会活動家の実務水準は極めて低い状態にあります。現在、かれらが工場を指導してはいますが、原価や商品流通にかんする知識は皆無にひとしい状態です。それゆえ、計画も満足に立てられません。

 今回、温泉(オンチョン)郡に行ってみると、農民の購買力や要求、生活水準にたいする考慮もなしに商品流通計画を作成していました。

 郡人民委員会が、農業にかんする計画を作成するときにも、里におりていって牛の数や牛車の台数、性別労働力教、土地の善し悪しとその面積などを調べる人はいません。単に、耕地面積と労働力を計算して生産計画を与えています。これは、指導でも組織活動でもありません。

 郡人民委員会に計画がないと言えば言い過ぎかもしれません。計画があるにはあるのですが、それは中央で示達したものを、道が機械的に分割して郡に示達し、郡ではそれを再び分割して里に示達したものにすぎません。

 このように安易に計画を作成するくらいなら、わざわざ郡人民委員会に計画委員会を置く必要はありません。

 一部の郡には、計画委員長のポストが空席になっています。計画委員長のいない道人民委員会も少なくありません。こうした実情なので、道・郡人民委員会は、正確な計画もなしに活動し、宙に浮いた存在となっています。

 道人民委員会の幹部は忙しそうに車を乗り回して、あれこれと仕事を督促するばかりで、仕事がはかどらぬ原因を究明するでもなく、そうかといって考えているわけでもありません。欠陥は見つけて是正させ、長所は見つけて発展させる、これでこそ指導のかいがあり、車ばかり乗り回していたのではガソリン代も出ません。

 これは、すべて計画がないせいです。計画がある場合でも全く頼りにならない計画です。大ざっぱにたてた計画を、郡が道に送り、道ではそれらを大ざっぱに総合して中央に送ります。。中央ではそれらにもとづいて計画を作成するのですから、それが正しい計画になるはずがありません。

 国家計画委員会では、これまで農業にたいする計画を一度も正確に立てたことがありません。これについては、郡人民委員会や道人民委員会、国家計画委員会にも責任があることを知るべきです。

 こんにち最も重要なのは、地方政権機関の経済組織者的機能を強化し、特に計画化水準を高めることであります。

 社会主義経済と資本主義経済の発展法則は異なっています。こんにち、社会主義経済形態の全一的支配が確立した条件のもとで、我が国の経済は、計画的生産、計画的蓄積、計画的消費によってのみ発展させることができます。一口に言って社会主義経済は、計画的にのみ運営し、発展させることができるのです。

 それでは、この計画は誰が立て、その計画を実行する組織活動は誰がすべきでしょうか。人民委員会がすべきです。社会主義建設で経済を計画し組織するのは、人民委員会の最も重要な任務の一つです。

 ところが道人民委員会や郡人民委員会は、その経済組織者的機能について明確な認識をもっていません。

 道人民委員会は、一方では指導し、一方では直接組織運営をおこなうべきです。道人民委員会が直接経営する道営牧場、道営工場にたいしては組織運営し、郡にたいしては指導をおこないます。

 しかし、郡人民委員会は党政策を実行する単位であるため、直接組織運営する機能を遂行すべきです。

 例えば、ある郡に農業協同組合が20、牧場が一つ、鉄工所が一つ、紡織工場が一つ、その他学校、病院などがあるとしましょう。これらは、すべて郡人民委員会が直接組織運営しなければならない対象です。

 指導機能と組織機能は異なるため、組織と指導の概念を区別して使うべきです。道とは違って、郡は直接組織活動をおこなう単位であることをはっきりと理解すべきです。

 道と郡人民委員会の組織・指導機能を高めるためには、その計画委員会の活動を強化すべきです。人民委員会では、計画委員会が参謀部の役割を果たすべきです。

 郡人民委員長がいかにエネルギッシュな人であっても、計画やその他の仕事を一人で処理することはできません。必ず、計画委員会内に専門家がいて正確な計画を作成し、その実行状態を常に郡人民委員長に報告し、必要な対策を講ずるようにすべきです。

 計画経済がおこなわれるところでは、すべて計画委員会がなくては仕事ができません。道や郡でも計画委員会の活動を強化することなくしては、経済建設における組織・指導機能を強化することができません。

 計画委員会はどういう人で構成すべきでしょうか。必ず、農業にたいする知識をもち地方産業を組織・運営できる人、すなわち我々の仕事をよく知っている人で構成すべきです。したがって計画委員会の活動家はなによりも、我が国の実情に深く通じていなければなりません。

 ところが現在、計画委員会には、生産と技術については全く疎い中学卒業生が座っています。かれらは、牛や豚の飼育や果樹についてはもちろん、稲とノビエの見分けかたも知りません。このような人に計画をまかせたのですから、仕事が順調に運ばないのは当然なことです。

 ところが、人民委員長は計画委員会の活動を二次的なものと考えているため、計画委員長に座る暇も与えず年中他の任務を与えて出張させています。それで事実上、郡人民委員会では、計画委員会が有名無実の機構となっています。

 温泉郡では2月からきょうまでの10か月間、計画委員長が事務室で自分の仕事をしたのは1か月にすぎず、残りはキャンペーンに動員されるか出張に出ていました。それで、かれは計画については全く知りません。

 郡人民委員会計画委員会と道人民委員会計画委員会の強化こそ、こんにちの第一義的な課題です。こうして、郡で労働力と生産手段を綿密に検討し、現実的な計画を立てるべきです。

 机の上の胸算用で大まかに立てた計画は、非現実的な計画です。こんにち、農業部門の数字が増えたり減ったりする理由はここにあります。道党委員長の口からでるのが計画数字です。それで一晩すぎるとふくれあがり、もう一晩すぎると減ります。これは結局、農業部門の計画化がなされていないことを意味します。

 口では計画化を云々しますが、農業はいまだに自然発生的かつ無計画に運営されています。

 農業、建設、商品流通などにたいする計画はすべて正確に作成すべきです。

 一口で言えば、郡人民委員会の経済組織者的機能について明確な理解をもち、計画委員会の活動を強化するのが、こんにち人民委員会の活動を改善するための最も重要な課題であります。


 4 経済林の造成について

 今回の総会では第3に、経済林造成の問題が討議されました。

 この問題がなぜ、こんにち重要な問題として提起されるのでしょうか。

 すでに述べたように、我が国の耕地面積は非常に限られています。ブルガリアは約800万の人口に500万ヘクタールの耕地面積をもっており、ハンガリーは1000万の人口に550万ヘクタールの耕地面積をもっています。チェコスロバキアも約1300万の人口に500万ヘクタール以上の耕地面積をもっています。社会主義諸国のうちで我が国は耕地面積の最も少ない国です。

 したがって、食用油や繊維の原料採取を農耕地にだけ頼ることはできません。

 それで、昔から“山の幸をとって暮らせ”ということわざが残っており、また、我々も久しい前からこのようなスローガンをうちだしています。我々にとって山を有効に利用するのは非常に重要なことです。我が国面積の大部分を占める山をよく利用すれば、将来ここから多くの資源を採取することができます。

 我々は10万ヘクタールのリンゴ畑造成運動を展開した結果、すでに約7万ヘクタールを確保しました。10万ヘクタールのリンゴ畑の造成が完成すれば、ヘクタール当たり10トンの収穫を見積もっても、5、6年後には100万トンのリンゴを取り入れることができます。これは相当なものです。リンゴと穀物をかえることもでき、食肉や卵と交換することもできます。

 最近、外国の賓客と一緒に北青(プクチョン)に行ってみたところ、リンゴの出来具合はすばらしいものでした。1株に1万4000個が鈴なりになっているのがありましたが、これは1株から1トン以上のリンゴが取れることを意味します。しかも、これらのリンゴの木はすべて急傾斜地に植えられていました。北青の人たちは、現在も山を開墾していました。それで私は、北青の人たちが最初に山の幸を取って暮らす仕事に取り組んだと称賛しました。かれらは、先駆者たちだと言えます。このような山間部は別としても、西海岸にはリンゴ畑の造成に適した土地がいくらでもあります。

 一部の国では処女地をさかんに開拓していますが、我々は山を起こすべきです。我々は近い将来、10万ヘクタールのリンゴ畑を造成し、その後さらに多く造成する予定です。

 しかし、リンゴ畑ばかりでは、将来その管理が問題となります。それで、これからは他の果樹も栽培しようというのです。栗、クルミ、桐、朝鮮五葉松、アンズなどを多く栽培すれば、その果実は食用にし、また、多くの油を得ることもできます。ヘコような木は、リンゴの木のように管理に手間もかからず、一度植えれば数年後には大きな財産となります。

 今回の総会では、このような木を約20万ヘクタール栽培することに決定しました。そうすれば、約10年後には多くの実を採取することができるばかりか、良質の油を多く搾ることができます。

 また、繊維原料の解決のためにも山を有効に利用することが重要です。ポプラは非常に生育の早い木です。30万ヘクタールにこれを植樹すれば、数年後にはスフ、人絹糸、紙の原料が解決できます。こうなれば、綿を栽培しなくても繊維原料の問題を解決することができるはずです。これは、さほど難しいことでもありません。すべての工場、企業所、国家機関、農業協同組合に課題を与えればできることです。

 経済林を約50万ヘクタール造成することにし、そのうち搾油田の果樹を約20万ヘクタール、ポプラやその他の繊維原料用の樹木を約30万ヘクタール植える運動を活発にくりひろげるべきです。

 現在、治山治水はさかんですが、台風防止対策は立てられていません。海岸線などに植樹すれば防風林にもなります。いまから植樹すれば10年後には大いに役立つでしょう。

 先祖たちがこれをしなかったのですから、我々の代により多くのことをしなければなりません。未来のために、子孫のために、是非このような事業をおこなわなければなりません。

 特に民青が、青年たちをこれに大いに参加させるべきです。協同組合に一任したのではだめです。すべての職場、工場、学校別に栗やポプラの栽培面積を割り当てるべきです。

 もちろん、経済林の造成は、年例行事の造林事業とは別途のものです。年例の造林事業は今後もつづけるべきです。

 解放されてすでに15年になります。10年というのは、さほど長い期間ではありません。もし、1946年からこの事業に取り組んでいたとすれば、いまころは収穫をあげているはずです。もちろん、当時それだけの余裕もなかったのは事実ですが、これからは是非ともこれをしなければなりません。

 同時に、我が国に豊富な野生の果実を有効に利用する問題について、いま一度強調する必要があると思います。地方産業工場では、この豊富な野生の果実の加工に力を入れるべきです。

 経済林の造成と関連してみなさんが留意すべき点は、苗木畑を広くとりすぎて穀物と野菜の生産に支障を与えないようにすることです。農耕地に損失を与えず経済林を造成すべきです。


 5 党活動について

 最後に、党活動について述べたいと思います。

 我々が討議したすべての問題を解決する鍵は、党員の仕事の仕方にかかっています。党員が立派に仕事をすれば、今回の総会で決定したすべての課題が順調に遂行されるばかりでなく、今後の活動に新たな転換をもたらすことができます。

 活動を順調に進めるためには、なによりも各自のマルクス・レーニン主義的理論水準を高めなければなりません。

 活動家が、活動で中心の環をとらえることができず、労働生産性の向上に関心が薄く労働力を無原則に増やし、農業生産力を正しく考慮せず、農業を無計画に運営している理由はどこにあるのでしょうか。それは、いずれも社会主義建設にかんする経済知識の不足に起因しています。

 党員たちは、すべてすぐれた人たちであり、仕事に熱心です。しかし、自分の仕事を科学的に分析できないため、誤りを犯す場合が往々にしてあります。

 我々が自分の仕事を分析できて、仕事に精通しているということは、結局マルクス・レーニン主義的理論水準が高いことを意味します。

 我が党の歴史が浅く、党員にたいする教育期間がさほど長くないため、まだ党員のあいだにはマルクス・レーニン主義の知識が不足する人がかなりいます。

 マルクス・レーニン主義をよく知らないため、なにがマルクス・レーニン主義の原則に反するのかも判断できず、また、その原則にもとづいて自分の仕事を正しく分析することもできないのです。

 我が党のすべての政策は、マルクス・レーニン主義の原則を我が国の現実に即して創造的に適用したものです。したがって、我が党の政策と路線は正しく、大きな生命力を発揮しているのです。問題は、活動家たちのマルクス・レーニン主義にたいする認識不足によって、党の政策と路線が正しく受けとめられず消化されないことにあります。

 我々は、すでに立派な社会制度を確立したばかりか、我々の社会は急速な発展を遂げています。しかし、この社会を動かす運転手の技術水準が低いのです。すなわち、運転手が自分の運転する機械についてよく知らないのです。自動車を巧みに運転するためには、運転手がその構造と運転法に通じていなければなりません。ところが、活動家は自分が運転する社会をよく知らないため、仕事がうまくいかない場合でもどこに故障があるのかわからないのです。例をあげると、計画経済の本質を知らないため、計画の作成にさいして当て推量の目標を立て、数字さえ合わせればすむものと考えています。

 我々の社会を速く発展させる立派な運転手になるためには、必ずその発展法則を知らなければなりません。党は、社会の発展法則にもとづいてすべての路線と政策を立てて党員に具体的な闘争課題を与えます。マルクス・レーニン主義党の不敗の威力はまさにここにあるのです。それにもかかわらず、党の路線と政策を実行する党員が社会の発展法則を知らないようでは、立派に仕事をすることができません。

 したがって現在、最も重要なのは学ぶことです。全党がマルクス・レーニン主義を学ばなければなりません。あらゆる事物・現象を唯物弁証法的に判断し、社会の発展法則を正確に認識するためにはマルクス主義哲学を学び、社会主義経済の発展法則を把握するためには経済学を学ばなければなりません。

 我々の人民経済計画は、社会主義経済法則にもとづいて作成されます。したがって、社会主義の基本的経済法則、人民経済の計画的・均衡的発展の法則、社会主義下での商品生産、独立採算制と収益性の問題、原価と価格の問題、社会主義拡大再生産理論などの経済の諸法則と経済の諸カテゴリーにたいする十分な理解なくしては、人民経済の計画的な運営は不可能です。

 しかし、我々の教育活動には欠陥があります。それは、教育が現実とかけ離れていることです。党員に現実問題の解決に切実に必要な知識を与えるのではなく、現実とかけ離れた知識を注入する教条主義的な古い枠から完全に脱皮していません。理解しにくく難解な言葉を繰り返すため、多くの人が学習を嫌っています。

 現実とかけ離れた知識は、よく理解できないばかりか、興味もわきません。すべての問題を我が国の実情に即して解説すれば、容易に理解できます。現在、我々自身がみな革命に参加しており、マルクス・レーニン主義にもとづいて社会主義を建設しています。問題は、活動家が革命活動をおこない、実際に社会主義を建設していながらも、自分の仕事がいかなる原則にもとづいたものであるかを理解していないところにあります。それゆえ、マルクス・レーニン主義の諸原則を勤労者の実生活と結びつけて十分に解説すれば、理解できない人はいないと思います。

 理論を神秘視するのはよくありません。本来、理論そのものが実践から生まれたものです。革命的実践をおこなう我々に理解できない理論などありえません。

 理論を学ぶ目的は、我々がすでに実践している問題をさらに正確かつ深く知るためです。理論を学べば党政策をさらに深く理解し、自分のとぼしい経験から脱し、活動を創造的に発展させることができます。

 我々の革命課題は、非常に複雑で多難です。我々は北半部で社会主義を建設し、祖国の平和的統一を実現しなければなりません。この複雑で多難な革命課題を立派に遂行するためには、さらに学ばなければなりません。

 我々がきずいたこの新しい社会を巧みに運営し、今後、急速に前進するためには誰もが学ぶべきです。

 次に、活動家が新しい社会の有能な主人公になるためには、共産主義者らしい革命思想と活動方法を習得しなければなりません。

 多くの幹部は、革命闘争の経験にとぼしく、マルクス・レーニン主義の知識が足りないため、すべての問題を革命的に考え処理する革命的思想観点と活動方法を十分に体得していません。

 革命的活動方法とはなんでしょうか。それは、大衆の力に依拠する方法です。我々は、大衆から学び、大衆から力を得るべきです。

 今回、道党委員長たちとサンヤン農業協同組合に行って、当地の模範的な党員と兎の飼育問題について討議したことがあります。そのとき、私の横に座っていたある老婆の話は、その場に居合わせた人たちを感嘆させました。

 その老婆は敵に虐殺された人の遺族なのですが、息子は姜健(カンゴン)軍官学校の教員であり、娘、おい、孫など4、5人の家族もちでした。勤勉で副業にも励み生活もかなり余裕があるようでした。彼女は、今年80キロの豚を一頭育てて売り、現在、飼育中の豚もすでに70キロ近くになっていました。兎を7、8羽、鶏を数10羽飼っていました。そして、敵に虐殺された人の遺族たちは他の人よりも仕事に励むべきだと言うのです。我が党は、このような大衆から力を得ているのです。

 もう一つ別の例をあげましょう。1956年、反党分派分子らが党に攻撃を加えてきた実に困難な時期でした。数人の同志と一緒に最高人民会議代議員選挙のため南浦(ナンポ)に向かう途中、ある農業協同組合に立ち寄りました。組合員が総出で歌をうたい踊りをおどりひときわにぎわっていました。そのとき、子供を背負った一人の老婆が私に近寄ってきて、将軍さま、あまり御心配なさらないでください、いまでは生活もずいぶん楽になりました、と言ってくれました。反党分派分子が人民生活に関心がないと我が党を攻撃していたときにも、大衆はこのように党を信頼し、我々を励ましてくれたのです。我々は、このような大衆の信頼と激励から大きな力を得ているのです。

 1956、57年の国の事情は非常に困難でした。当時、資材と資金をはじめ足りないものが多く、そのため第1次5か年計画は実行不可能だと言う人も少なくありませんでした。そのうえ、李承晩は依然として「北進」を高唱し、連日のように北朝鮮で暴動を起こせと放送していました。また、ハンガリー事変を契機に国際反動は、共産主義は滅亡すると騒ぎ立てていました。

 このような状況のもとで、我々は、一方では反党反革命分子とたたかい、他方では人民生活の急速な向上のために経済建設にさらに拍車をかけなければなりませんでした。当時、党中央はこの難関を打開するために、直接労働者と話し合うことにしました。それで指導的幹部が1、2の道を担当して工場に出かけました。私は降仙製鋼所に出向きました。

 私は、労働者に我々の困難な事情を正直に打ち明けました。現在、李承晩は「北進」を云々し、反党分派分子たちは党中央の転覆を狙っている、これを座視することはできない、かれらとたたかい革命の獲得物を守るべきである、たたかうためには物質的な基礎をきずかなければならない、住宅も工場もさらに建設しなければならない、そのためには多くの鋼材が必要であるが現在非常に不足している、君たちが鋼材を増産すべきである、と話しました。

 すると、労働者たちは国の事情と党の要求がそうなら必ずやってのけると言って、鋼材を国家計画以上に生産することを決意しました。かれらは、6万トンの鋼材しか生産できないとされていた分塊圧延職場で9万トンの生産を決意し、結局その年に12万トンを生産しました。これが我々の力なのです。

 我々が15年余り山中で日本軍とたたかったときにも、事情は非常に困難でした。少数の革命武力をもって強大な日本帝国主義軍隊とたたかいました。もちろん、我々の力は大きなものではありませんでした。しかし、勝利の信念はなくしませんでした。当時も、我々は常に大衆から力を得ました。かれらは、日本の敗北を確信し、我々の闘争を積極的に支持してくれました。

 私がなぜこういう話をするのかといえば、大衆のなかに入り、かれらの革命的な思想と思考方法を学ぶべきであることを強調するためです。

 革命伝統を研究するのも、抗日革命烈士の革命精神に学ぶためです。当時は、日本帝国主義に抗して民族解放闘争を展開し、現在は社会主義を建設しているので、事情がちがうことは確かです。しかし、当時の革命家のマルクス・レーニン主義思想と思考方法に学ばなければなりません。でなければ勝利にたいする信念をもつことができず、すべての問題を正しく判断することもできません。また、そうすることなしには、革命的大衆とかたく団結することも、苦しい環境にもめげずに前進することもできません。

 大衆に依拠するということは、決してなんらかの世論に依拠することを意味するものではありません。我々の仕事を非難する人たちもいます。特に、困難な時期には動揺する人も、我々を非難する人も多くでてきます。革命とは、本来が古いものをくつがえし、新しいものを創造する事業であるだけに、滅びゆく勢力の反抗はまぬかれません。

 日本軍とたたかっていた当時、日本軍や地主は我々を「匪賊」と呼び、人民は革命軍と呼びました。悪い連中の非難を恐れる必要は全くありません。したがって、必ず世論の階級的基盤をよく分析してみる必要があります。

 我々は、革命の過程で動揺分子の世論に依拠すべきでなく、農村ではかつての貧農や雇農、都市では労働者階級の言葉に耳を傾けるべきです。かれらは、常に我々を支持します。現在も生活が苦しいのどうのと言って不平をならべ、悪い世論を広めようとするのは古い小ブルジョア思想をもった人たちです。かれらは結局、過去に裕福な暮らしをした人たちです。かれらは、機会さえあれば不平を言い、わずかな困難にもすぐ動揺します。しかし、以前貧しかった労働者や農民は、生活が向上したために誰もが満足しており、不満もありません。かれらは、困難によく耐え、革命の完遂のために奮闘しています。我々は必ずこのような大衆に依拠すべきです。

 次に、党活動で重要な問題は、革命的大衆を団結させて不断に教育することです。

 我が国には、ほかの国に比べ極めて複雑な事情が多くあります。まず、南北分断によってさまざまな問題が生じています。一つの民族なのに、南はアメリカ帝国主義者の占領下にあって地主、資本家のかいらい政権があり、北には労働者、農民の政権があります。この両者間には鋭い階級闘争が展開されています。

 3年間の祖国解放戦争で、我々は武器を手にとって敵とたたかいました。現在も敵は共和国政権の破壊を狙っており、我々はアメリカ帝国主義と李承晩一味の支配から人民を解放するためにたたかっています。直接、戦争をしていないだけであって、事実上、誰が誰をという階級闘争はつづいているのです。

 敵が、我々を政治的に切り崩そうと不断に策動していることを銘記すべきです。敵の破壊・切り崩し策動は、悪辣を極めています。敵は、我々の内部にさらに多くのスパイを培養するために、続々とスパイを送り込んでいます。スパイが我々に捕えられて処刑されたところで、アメリカ人は痛くも痛くもありません。かれらが、朝鮮人の死を惜しむはずはありません。それで敵は、不断に破壊・謀略分子を送り込んでいるのです。

 敵はスパイを潜入させ、デマを流布して人々のあいだに不信の種をまいています。かれらは、スパイが共和国の内務員に逮捕されるのを知っていながら、北半部で誰それに会えという指示を与えて送り込みます。アメリカ人と李承晩が送ったスパイが会いに来たのだから、その人間に何か問題があるに違いないという疑惑を人々にいだかせるためです。敵は、このように我々の内部に不信感をかもしだして、争わせようとしています。これらはすべて、我が国が分断された状態のもとで、我々を切り崩そうとする敵の狡猾な陰謀です。

 国土の分断によって、北半部には南朝鮮に親戚をもつ人も少なくありません。ところが、南朝鮮の親戚が悪いことをしない場合は別問題ですが、李承晩の支配機関で官職についたり、かいらい軍で悪事を働くこともありえます。こうなると、誰それの親戚が李承晩「政権」下で一役買っているそうだと、また疑惑をいだくことになります。しかし、北半部の人が南半部の親戚の行動にたいして責任をもてというのは、とうてい無理なことです。

 越南者の家族の場合にも、複雑な問題が生じます。北半部で悪事を働いたあげく家族を捨てて越南した者は、当然、南朝鮮でも悪事を働くに相違ないと考えがちです。しかし、そうなるものとばかり考えることはできません。越南当時とは違い、南朝鮮で空カンをぶらさげて物乞いをする過程に、越南したことを後悔し、地主、資本家に反対してたたかうこともありえます。

 このほかにも我が国は、歴史的な条件からくる複雑さをもっています。我が国は、長いあいだ日本帝国主義の植民地として支配されてきました。当時、朝鮮人民は、生活のために日本人の下で働かざるをえませんでした。それで、教職や面書記を勤める人もいました。

 戦争当時、敵が40日間北半部を占領した期間でさえ「治安隊」をはじめ、いろいろな組織をつくったのですから、36年という長い日本帝国主義支配下ではさらに多くの複雑な問題がありうるというのは想像にかたくありません。多くの朝鮮青年は、「警防団」に入らないのは「アカ」だから殺してしまう、という日本人のおどかしにのって「警防団」に加入したり、歩哨に立ったりしました。これらは大部分が本意でしたのではなく、あくどい日本人の迫害をまぬかれるためにしたことです。

 後退時期の場合も同様です。当時、意志の堅固な人たちは、あらゆる難関を克服して勇敢にたたかいました。しかし、「治安隊」に加担したり、その他あれこれと動揺した人たちの意志が堅固でなかったのは事実です。しかし、当時としては、生きるためにそれもやむをえなかったとも言えます。もし、戦前に教育を十分に与えていたなら、後退の時期に屈することなく戦った人はさらに多かったことでしょう。もちろん、解放後の4、5年間に大衆をすべてそのように教育するのは至難のことと言えますが、教育が不十分であったことも確かです。

 ところが、一部の人たちは後退しなかったことまで問題視していますが、その必要はありません。後退をせず我々に反対して悪事を働いたとすれば別問題ですが、北朝鮮の多くの人たちが後退できなかった以上、それを問題視すべきではありません。

 我が国には、南北の分断による複雑さ、日本帝国主義支配期と一時的後退期に生じた複雑さなど、複雑な問題が少なくありません。このような複雑な事情と全く無関係な人はほとんどいません。

 これを、あれこれと問題視するならば、無傷な人は皆無にひとしくなるでしょう。いつも強調していることですが、共産主義運動の目的は大衆に豊かな生活をさせることです。そのためには、大衆の力を合わせ、革命課題の遂行に動員しなければなりません。あれこれと詮索して大衆を排斥するならば、共産主義にゆきつく人はいくらもいないでしょう。

 これでは、共産主義を建設することができません。我々は、完全無欠な幾人だけをつれてどこかの離れ島で共産主義を建設することはできません。必ず大衆とともに、また、かれらの力に依拠して、この地に新しい生活を建設すべきです。

 そのためには、問題視される人をすべて改造し、かれらと手をたずさえて進まなければなりません。かれらは、すべて我々に組することのできる人たちです。

 我々の敵は、かれらをそのような境遇に陥れた日本帝国主義者とアメリカ帝国主義者であり、李承晩一味です。我が国の分断もアメリカ帝国主義者と李承晩一味のためです。したがって、かれらに反対する闘争に全力を注がなければなりません。

 社会主義建設を破壊し、我々の政策に反対する者たちとは妥協することができません。しかし、「自分は、以前、日本帝国主義支配当時にも、一時的後退の時期にも過失を犯したが、現在は社会主義・共産主義を支持します。南朝鮮に親戚がいようがいまいが、あなた方を支持します」という人たちを見放すわけにはいきません。

 南朝鮮で我々に反対している人たちまで説得し改造してかちとろうとしている現在、北朝鮮で我々を支持する人たちを見捨てることはできません。

 我々は、大衆を多く獲得し、共産主義を支持する人間に改造すべきです。

 共産主義をあくまで支持しない人たちも一部いるかもしれません。しかし、そのような人でも、我々に反対しない限り、強いてかれらを排撃する必要はありません。「共産主義には同調できないが、南北統一の日まではあなた方と一緒にたたかうつもりだ」という人とは、やはり団結すべきであります。

 きのう、延安(ヨンアン)郡党委員長が発言しましたが、黄海南道がやっと正しい道を歩み出したようです。これまで延安郡の重要な欠陥は、大衆をかちとることができなかったことです。

 郡党委員長や郡人民委員長が、大衆を信頼できないようではなにもできません。大衆を信頼し、かれらをねばり強く教育して党のまわりに結集させるべきです。もちろん、大衆のなかには悪い連中も多少いることでしょう。しかし、そういう人間は、数千名に一人いるかいないかの程度です。

 ごく少数の反革命分子とたたかうためには、大衆を信じ、かちとらなければなりません。大衆をかちとれば、悪い連中もかれらの中に潜伏しつづけることはできません。

 大衆を信頼できなければ、かれらを教育することも、改造することもできません。まず、党内で複雑な出身階級の人をねばり強く教育し改造しなければなりません。わずかの共産主義者しかいなかった解放直後でさえ、我々は多くの人を入党させて教育したものです。まして、我が党が戦火のなかで鍛えられ、共産主義者の中核隊列が非常に強化されたこんにち、全党員を共産主義的に教育できないということがあるでしょうか。すべて教育することができます。

 こんにち、我々の器は、解放直後とは比べものにならないほど大きくなりました。100万の党員をすべて受け入れて、かれらを完全に共産主義思想で赤く染めることができます。

 もちろん、なかには比較的はやく赤く染まる人もおり、また長い時間をかけて染まる人、いくら努力しても染まらない者もいるでしょう。いくら努力しても染まらない者は偶然分子であり、悪質分子です。このような者は摘出しなければなりません。

 現在、一部の幹部は、反革命との闘争で必要以上に人を疑う傾向があります。つねづね言っていることですが、大衆を信頼できない人は離れ島にでもいって暮らすべきです。人はまず信頼し、団結しなければなりません。

 原則はただ一つです。環境の複雑な人については、本人を基本に見るべきです。親族関係がどうであれ、本人の思想さえ健全であれば問題はありません。本人の党にたいする忠実さを見るべきです。また、思想的に少々立ち後れた人であっても、すべて教育改造し、採用すべきです。

 一部の人たちは、郡人民委員会には出身階級の複雑な人が多いので交代させるべきだと言っています。しかし、その意見を入れて新しい人たちと交代させても問題は解決されません。新しい人たちを調査すれば、親戚がどうの親友がどうのと、また問題が生じます。こういう方法では問題が解決されません。郡党委員長はこれに特別留意すべきです。

 現在、我々に必要なのは教育と団結です。すべての革命的大衆を我が党のまわりにかたく結集させるべきです。

 我が党は、大衆の改造や党員の改造にかかわらず教育を主な方法とします。誤りを犯した場合には、どうすべきでしょうか。批判を加えなければなりません。誤りを看過して妥協するのは教育ではありません。批判は教育の一つの方法です。一部の人は批判にたいする認識を誤り、同志の誤りを知っていながら批判しようとしません。このように批判もせず、話し合いもせず、なんの教育もせずにいて、その人が抜きさしならぬ泥沼におちこんでから嘆いても手遅れです。

 人は、誤りを犯すこともあります。誤りを犯さない人などありえません。特に幹部の政治意識水準がまだ低く、革命的修養が足りないためにさまざまな誤りを犯すことがしばしばあります。もちろん、あらかじめ、それを防止するのが基本ですが、誤りを犯した場合には妥協せず直ちに批判を加えて正してやるべきです。要は、早急に誤りを是正し、同じ誤りを繰り返さないようにすることです。批判を加えないのも正しくありませんが、批判のあとすぐに追い出すのも正しくありません。誤りにたいしては、批判すると同時に、それを他の人たちにも正しく認識させるべきですが、その処理は寛大であるべきです。

 最後に各分野における党の指導の強化について述べたいと思います。

 今年、各分野の活動にたいする点検で痛感したのは、人民経済各部門で党の指導を強化する必要があるということでした。

 黄海製鉄所や降仙製鋼所へ行ってみても、工場内と職場内とを問わず党の指導が不十分です。唯一管理制を口実に行政責任者が、党組織までぎゅうじって官僚主義的にふるまうようになったようです。降仙製鋼所の支配人を勤めていた人もこうした誤りを犯しました。

 支配人が党の統制外にいるため、下部の意見を尊重せず官僚主義的にふるまうようになり、また、党政策を正しく実行せず不健全な生活をしても、誰も批判する人がいません。

 地方政権機関にもこうした傾向があります。道人民委員長や郡人民委員長が堕落し仕事に精励しないのをみても、党委員会で統制しようとしません。その結果、多くの人が誤りを犯し、惜しい人材を失う場合も往々にしてあります。

 一部の人は統制という言葉を嫌いますが、指導も統制も内容上大差はありません。一個人の統制を受けるのならいざ知らず、党の統制を受けるのは悪いことではありません。党の統制とは、とりもなおさず党員大衆の統制を意味するのであり、革命的大衆観点の確立した人であれば党の統制という言葉を毛嫌いするはずはないと思います。

 党の指導というのは、郡党委員長一個人の指導ではありません。それは、党という組織の集団指導を意味します。すなわち、すべての党員が党組織に服従することを意味するのです。

 党中央委員会常務委員会では、党の指導を強化する方針を決定しました。人民委員会は所轄道・市・郡党執行委員会の統制のもとに活動をおこない、工場では工場党委員会の指導のもとにすべての仕事を進めるべきです。

 工場内の最高指導機関は、支配人ではなく、工場党委員会です。工場党委員会の指導のもとに支配人と党委員長が仕事をするのです。工場党委員会は経済活動も討議し、工場党委員会の決定に従って、支配人は行政活動を、工場党委員長は党活動をおこなうべきです。これは決して唯一管理制の撤廃を意味するものではありません。支配人は、党委員会の指導のもとに仕事をすればいいのです。

 工場党委員会は中央から送られる内閣決定とか省令を討議にかけるのですが、それを否決する権限はなく、ただ実行する義務があるのみです。異議のあるときには、党中央委員会に問い合わせて解明を受けることができます。

 工場党委員会を運営する党委員長の責任は非常に大きいと言うべきです。したがって、工場党委員長の水準を高める一方、工業に明るい人を工場党委員長に任命すべきです。

 また、道党委員会や郡党委員会の構成にあたっても、必ず生産に通じた人をそのメンバーに加えるべきです。現在、郡党執行委員会は、郡党委員長、副委員長と組織部長、宣伝部長のような党活動家によって構成されているために執行委員会の活動が党内活動に限られ、経済活動にたいする指導が正しくなされていません。

 こんにち、我々の重要な革命課題は、経済建設を立派におこなうことです。党委員会が必ず経済建設を指導すべきであり、したがって、党委員会には経済建設に精通した有能な技術者や労働者が加わらなければなりません。それでなくては、党委員会が全般的な問題を討議し、活動を順調に指導することができません。

 我が国の現状では、こうするのが一番適していると思います。まず、人民軍で試験的におこなってみたのですが、結果は良好でした。ほかの機関でも同様に党の指導と統制を強化すべきだと思います。

 今回の総会は、大きな歴史的意義をもちます。1956年12月総会当時と同様、総会決定の実行のために綿密な組織活動をおこない、党員の自覚と熱意を積極的に動員し、全党が高揚した意気込みで1960年度の緩衝期の課題を立派に遂行すべきです。

 こうしてこそ、我が国の社会主義建設で決定的意義をもつ第2次5か年計画完遂のためのすべての準備を十分にととのえることができます。                           

 出典:『金日成著作集』13巻


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