金 日 成

咸鏡北道党組織の任務
 朝鮮労働党咸鏡北道委員会拡大総会でおこなった演説
 −1959年3月23日−


 咸鏡北道の党組織にたいする党中央委員会の集中指導は1か月以上にわたっておこなわれました。

 まず、党中央委員会の指導グループが1か月ほど指導活動をおこない、党中央委員会の指導的幹部たちが約20日間にわたって道内の多くの工場、企業所や農牧場、農業協同組合を見てまわり、2日間会議に参加し、討論や話し合いを通じて全般的な状況を理解しました。

 報告で指摘されたように、これまで咸鏡北道の党組織は党中央委員会の指導のもとに、基本的に正しい活動をおこなってきました。党の路線に確固と立脚して党員と人民を党中央委員会のまわりに結集するうえでも、また人民経済の各部門を発展させるうえでも少なからぬ成果をおさめたと言うことができます。

 咸鏡北道は、我が国の最も重要な基幹工業が集中している地域であります。咸鏡北道の党組織は、工業企業所を復旧、整備し、発展させる事業で大きな成果をおさめ、我が国の人民経済の発展に有利な条件をつくりました。特に党中央委員会1956年12月総会以後、全国的にチョンリマ(千里馬)運動が起こったとき、咸鏡北道内の主な工業企業所、すなわち金策製鉄所をはじめ、城津製鋼所、清津製鋼所、その他鉱山、炭鉱および軽工業部門の主な工場、企業所の労働者と技術者は、党の政策を支持して積極的に立ち上がりました。こうして、道内の各企業所は多くの製品を生産し、我が国の人民経済の全敗的発展に大きな役割を果たしました。

 昨年の9月に党中央委員会が全党員に送った赤い手紙に励まされ、咸鏡北道の労働者は高揚した意気込みで1958年度の工業生産計画をとどこおりなく実行し、今年は昨年に比べて2倍以上の生産をあげるため、ひきつづき力強くたたかっています。これは非常に喜ばしいことです。

 今度、我々は多くの工場を見てまわりましたが、主な企業所がいずれも党の呼びかけにこたえ、人民経済を発展させる闘争を力強くくりひろげています。

 また、道内の農業協同組合員も、党中央委員会の手紙と、特に去る1月に開かれた全国農業協同組合大会の決議に励まされ、他の道よりも立ち後れている農業を盛り上げるためにたたかっているのを見ることができました。道内の農業協同組合員が、穀物や畜産物などの農業生産物を昨年よりさらによいものを、いっそう多く生産しようという決意でたたかっているのは非常によいことです。

 このような成果がある反面、咸鏡北道党組織のこれまでの活動には多くの欠陥があります。まず、党の思想活動と、党の農業政策実行の面で欠陥があり、一部の工業部門にたいする指導活動にも少なからぬ欠陥がみられます。

 咸鏡北道党組織の活動にあらわれた欠陥は、ほかの党組織にもありうる欠陥であります。しかし、咸鏡北道党組織の活動にあらわれた欠陥は、ほかの党組織のそれに比べていっそう重大なものがあります。

 咸鏡北道の党組織は、党中央から遠く離れていて常時指導と監督を十分受けていないせいか、概して、ここでは自分勝手に仕事をする傾向が多くあらわれています。これまで党中央委員会は、特別に咸鏡北道の農業を発展させる明白な対策を提起しており、党の思想活動、幹部事業についても、それを改善するよう、繰り返し正しい指示を与えましたが、道内の党組織の活動状況を見ると、実行するところでは実行し、実行しないところではしなくても構わないように放任されています。

 ほぼ15年間受け継がれてきた官僚主義と地方主義の枠は、いまなお打破されずそのまま残っています。

 しかし、今度の党中央委員会の指導を通じて、咸鏡北道の党組織の活動や人民政権機関の活動、さらには人民経済のすべての部門の活動に一大転換をもたらすことができると思います。なぜなら、咸鏡北道は労働者階級が住民の圧倒的多数を占めており、全人民がかつて長いあいだ革命闘争の影響をうけており、党中央委員会を絶対的に支持し、そのまわりにかたく団結しているからであります。したがって、たとえ欠陥があり、部分的に不純な分子が活動に少なからぬ妨害を働いたとはいえ、欠陥を速やかに改め、転換をもたらすであろうことは、少しも疑う余地がありません。

 我々が多くの勤労者と話し合うなかではっきりと知ったことですが、一部の分子が官僚主義的にふるまい、党の政策を実行せず、党中央委員会の路線を歪曲しようとしても、人民はそれを真にうけません。人民はすべて、党中央委員会の路線は正しいものであり、それを歪曲するのは、中間にいる悪い連中の悪巧みであることを知っています。だから、もし、みなさんがこの会議を終えてから、大衆のなかで党政策の宣伝活動を正しくおこない、欠陥を是正しようというかたい決意をもって誤った傾向と強くたたかうならば、すべての欠陥を速やかに改めることができます。

 私は、この機会を利用して、党活動と人民委員会の活動、さらに工業、農業、水産業など、人民経済各部門の活動について述べようと思います。


 1 党活動について

 咸鏡北道党組織の活動にあらわれた重大な欠陥は、党の政策と党中央委員会の決定が、個別的な党組織と一部の地方では大衆のなかに十分浸透しておらず、また、それが十分に実行されなかった点が多いことであります。

 このような欠陥は、ことに党の農業政策実行の面で、また党の幹部事業と思想活動の面で地方主義を一掃することができなかったところに少なからずあらわれています。一言で言えば、以前、張順明(チャンスンミョン)をはじめとする分派分子らがつくった地方主義、家族主義、官僚主義の枠が一掃されなかったために、張順明やその他の分派分子が、配転され、指導的地位から追われた後にも、その分派の余毒が残っていて、党の路線や政策が正しく実行されていないのです。

 地方主義、家族主義の枠が打破されていないところでは、党の政策が浸透せず、解放直後の状態がそのまま持続しています。この枠が打破されたところでは、党の政策が浸透し、すべての活動がかなり進展しています。この枠を打破するまでは、どんなにすぐれた幹部がきて仕事をするとしても党の政策を実行することはできず、立派な成果をおさめることができないのは明らかであります。

 もちろんこれまでの道党委員長は、そのほとんどが仕事に熟達しておらず、経験が乏しく政治的に十分洗練されていない幹部だったので、その活動に欠陥はありえます。しかし、かれらは、党中央委員会の意図どおりに生きようとする人たちであり、党の政策を実行しようと努力する人たちでした。しかし、地方主義の枠、家族主義の枠を打破することができず、またみなさんがそれを打破するよう力をかすことができなかったので、その包囲に陥り、党の政策を順調に実行することができませんでした。

 分派分子や地方主義分子、あるいは家族主義に毒されている者は、党に忠実な人の指導をうけようとせず、表向きは賛成しておきながら、陰では逆の言動を働きます。このような行動は、うわべでは支持し、陰では反対のことをする面従腹背というものです。これは、1946年に咸鏡南道にいた分派分子らの手口と同じです。その当時も、またその後にも、呉淇燮(オギソプ)は、「中央支持」だの「万歳」だのといって党の路線と政策をうわべでは支持し、なんでも賛成するようなふりをしましたが、裏に回っては勝手なふるまいをしました。

 咸鏡北道でも長いあいだ分派分子や地方主義者は、過去に革命闘争をおこなったの、獄中生活をしたのと言っては、党も国家も眼中にないようなふるまいをしました。その結果、党の政策は満足に実行されませんでした。

 もしも、咸鏡北道でも、党中央委員会の指示どおり党の政策を大衆のなかに浸透させ、その実践のために徹底的にたたかったならば、道内の人民の生活状態は現在よりはるかによくなっているはずです。

 今度、我々が咸鏡北道内の農業部門に提起した問題は、なにも目新しいものではありません。すでに、1954年にすべて述べたことです。今度、調べたところによると、工場、企業所では、1954年に我々がきたときに与えた課題をすべて実行しています。金策製鉄所は、1954年に示した課題をほとんど実行しており、炭鉱部門やその他の企業所でも党が与えた課題を実行しました。ところが不思議なことに、そのとき農業部門に示した課題はよく実行されていません。この事実から、なにを知ることができるでしょうか。

 工業部門は大部分、中央が直接指導し、また労働者の階級的自覚が高いため、ここに面従腹背分子が居座りつづけるのは難しいということです。労働者は党がどんな課題を示しているかを全部聞いているので、かりに、ある分子が党の指示を握りつぶして実行を妨害しようとしたところで長続きするものではありません。ところが、農業部門では地方主義者が居座って仕事を誠実にしなかったので、こんにちのような事態をまねいたのです。

 農業部門でも、地方主義の余毒が一掃されたところでは仕事がうまくいっていますが、その余毒が多いところでは仕事がうまくいっていません。ことに、過去に獄中生活をしたことを鼻にかけて仕事をしない者が座り込んでいるところでは、すべての課題がほとんど実行されていません。

 例えば、すべての面で「一番」だと自慢している吉州郡、明川郡、金策郡のようなところは、住民がかつて革命闘争の影響も多くうけており、水田もあり、気候も比較的暖かいところであるにもかかわらず、いまは、冷害、水害、干害を一番多くうけており、道内で人民生活が最もおくれています。

 これらの地方よりも、かえって自然条件、気候条件の悪い清津以北は悪くありません。山奥へ行って見ると、党が教えたとおり、この地帯の気候、風土に合わせてバレイショやその他の耐寒性作物をつくり、畜産業を発展させた結果、食糧も十分であり、副業による収入も大したものです。

 なぜ、吉州、明川、金策、鏡城(キョンソン)など道内で自然経済的条件の一番有利なところでことがうまく運ばないのでしょうか。これは単純な問題ではありません。

 ここには、かつて「革命」をおこなった気どり屋たちが居座り、「革命」をおこなったという看板を売りものにして党の政策を誠実に実行しなかったからであります。

 今度の指導にあたり、我々は金策郡からはじめて、村を一つ一つ回りながら研究してみました。セクト主義や地方主義の影響をうけていない人が指導しているところでは、経済的基盤が一番貧弱だったところでさえ、豊かな暮らしのできる条件をつくりあげ、今後の発展の基礎がきずかれています。しかし、地方主義者が指導しているところはそうなっていませんでした。

 このように、咸鏡北道の党組織の誤りは、地方主義の余毒を一掃できなかったことであります。活動家の頭を洗い清めてから党の政策を宣伝すべきであって、そうでなければ、どんなに立派なことを言ってきかせても、あいまいで、なんのことだかよくわかりません。

 党の政策が実行されないのは、人民のせいでもなければ、下部の活動家が悪いためでもありません。一部の地域で、個別的な悪い連中、特にセクト主義の余毒を洗いさっていない者、または、家族主義に染まった者が指導的地位についているからです。

 党中央委員会は1947年に咸鏡北道党組織の活動を点検し、そのときすでに、地方主義、家族主義が濃厚であることを指摘しました。党の幹部政策を実行するうえでも、労働者階級出身の幹部をはじめ、有能な活動家を選抜するのではなく、変節者であろうとなかろうと、獄中生活をした人だけを無原則に選抜したので、はては阿片の密売で刑務所に入った者までも重要な地位にすえる始末になりました。党中央は、これにたいして厳しい批判を加えました。

 しかし、当時、張順明は、道党委員長の職にありながら党中央委員会の指示を実行しませんでした。当時、点検総括の際、何時間もかけて指摘したことを党員たちに伝達もせず、会議録にはほんのわずかしか書き残していません。それでも、会議録にはまだその精神が生きています。さすがの分派分子も、それを全部もみ消してしまうわけにはいかなかったのです。

 後任者たちは、当然それを探し出し、そこに指摘されている精神にもとづいて地方主義と家族主義を根絶しなければならなかったはずです。もしも、そうしていたならば、仕事はうまくいったでしょう。しかし、そのような文書を調べず、地方主義や家族主義を根絶することができませんでした。こうして、党政策を形式的に実行している分子がそのまま残るようになり、こんにちにいたるまでも、うわべでは「万歳」を唱え、陰では実行しないやり方が持続しているのです。

 党中央委員会では、1956年12月総会で、特別に咸鏡北道の農業を発展させるための決定まで採択しました。しかし、党中央委員会の決定は満足に実行されませんでした。今度、点検した結果によると、これもすべて地方主義のためでありました。

 みなさんも知っているとおり、地方主義、家族主義は分派を生む温床であります。これは分派のはじまりであり、これが進めば分派になります。したがって、地方主義、家族主義を徹底的に根絶しなければなりません。

 咸鏡北道党組織の活動で最も重要な課題は、地方主義、家族主義の余毒をぬぐいさることです。うわべでは支持するふりをして裏に回って背く分子とは、妥協することなくたたかわなければなりません。

 我が党は、改良主義の党ではなくマルクス・レーニン主義の党であり、資本主義に反対し社会主義・共産主義の勝利のためにたたかう戦闘的な党であります。資本主義をくつがえし、社会主義・共産主義の勝利を達成するためには、民主集中制の原則にもとづく党の鉄のような統一が必要です。

 党の参謀部である党中央委員会の指示と決定に従い、全党が一心同体となって動かなければなりません。指導部が「前へ!」と言うとき、行かないと言って後ろでぐずついたり、「左へ!」と言っても右へ走ったりするようなことが党内にあってはなりません。このような行動は無政府主義者などがすることです。

 党の民主集中制とは、広範な党員大衆の意思を集めて路線と政策を立て、党の指導部を選出し、その指導部が確立された路線と政策を実践する闘争を唯一的に指導することを意味します。

 党員は、誰であろうと、全党員の意思を代表する党中央委員会の指示に違反する権利はありません。それゆえ、セクト主義、地方主義、家族主義にたいしては決定的にたたかわなければなりません。

 昨年、開かれた党代表者会議は、我が国の労働運動に歴史的に形成されていた分派の残党を暴露、粉砕しました。我々は、分派の温床となる地方主義、家族主義をいささかなりとも許してはなりません。これとの闘争を弱めるならば、我が党は戦闘的な党になることはできません。

 次に、党員は誰もが党の政策を深く研究し、それを無条件に実行する気風をつちかわなければなりません。

 先ごろ、会寧(ヘリョン)郡党委員会の総会でも述べたことですが、我が党中央委員会はすべての党員によって選出されたのであり、党の路線は全党員の意思を代表して党大会で決めたものです。党中央委員会はこれにもとづいて、それぞれの時期に、必要な政策を提起するのであります。

 党中央委員会が提起する政策は、下部から上がってきた意見です。それは、全党員の意思を代表するものであり、全党の組織的な意思であります。したがって、党の政策と決定を深く研究して無条件に実行するのは党員の義務であります。

 過去の革命闘争の経歴の有無にかかわりなく、党の政策はあくまで実行しなければなりません。過去に革命闘争をおこなった人なら、こんにちの革命事業にいっそう忠実でなければならず、党の政策をより立派に実行しなければならないはずです。以前に革命活動をおこなったという人が、党の政策に違反するのはなおさら悪いことです。

 次に、党の幹部事業を改善すべきであります。

 まず、党の幹部事業改善の重点は、地方主義や家族主義の傾向を徹底的に一掃することにおかなければなりません。

 幹部事業における家族主義と地方主義の傾向は、セクト主義を生む根源となります。誰もが幹部事業に地方主義と家族主義の傾向があらわれないように監督する義務があります。

 以前、呉淇燮は、洪原(ホンウォン)の人を黄海道にまで呼び寄せたものです。ここに来てみると、ある人は、無原則に金策郡の人を清津に呼び寄せています。これはよくない者たちのやり方です。中国の呉佩孚、張作霖のような軍閥のやり方と全く同じです。我が党では、決してこういうことが許されてはなりません。親戚関係や同郷関係、グループ関係などによって幹部を選抜してはなりません。

 党の幹部選抜における第一の基準は、党にたいする忠実性です。党に忠実であるということは党の政策を実行するために水火もいとわずたたかうことを意味します。「万歳」ばかり唱える人が党に忠実なのではありません。万歳は唱えなくても仕事を立派におこなう人、我が身を犠牲にしても党の政策をあくまで実行するためにたたかう、そのような人を党に忠実な人だというのです。みなさんは、このことをはっきりと知る必要があります。

 一部の人は、仏のようになんの働きもできない人を純朴で忠実な人だと言っています。仏は、仏教には忠実であるかも知れませんが、党にたいしては忠実であろうはずがありません。人民のために働かず、努力もせず、ただ米びつを減らして座っているような人を、どうして忠実だと言えるでしょうか。

 幹部としては当然、党に忠実でしかも能力のある活動家を選抜すべきです。能力があるということは、知識があり、技術を身につけ、展開力と活動力に富んでいることを意味します。

 幹部の第一の基準は、党にどれほど忠実であるかということであり、次にはその人の能力です。一番よいのは党に忠実でもあり、能力もあることです。知識があるだけで忠実でない人は必要ではありません。そのような知識は使い道がありません。

 我々に必要とされる党幹部は、なによりもまず革命に忠実で、いかなる条件のもとでも、どのような風が吹こうと少しも動揺することなく、ただ一筋に党を支持して節をまげない人です。風の吹くままに、あっちになびきこっちに倒れ、あげくのはては、敵に投降するような人は必要でありません。真に革命に忠実な幹部を選抜して登用すべきであります。

 革命幹部についていうならば、いまは、過去に革命活動をおこなった人だけが革命家だというときではありません。解放直後の1946年や1947年、1948年には、以前に革命活動をおこなった人でなければ革命家とはいえませんでした。しかし、こんにちでは、我が国の活動家はすべて革命家です。なぜなら、我々は解放後すでに、ほぼ15年も革命闘争をおこなってきたからです。

 なにとたたかったのでしょうか。まず、地主とたたかいました。地主の土地を没収して貧農に分与する土地改革のための闘争は、簡単なものではありませんでした。地主たちは頑強に抵抗しました。親日派、資本家の工場を没収して国有化したのも革命であり、革命闘争であります。

 どうして、解放前に農民組合に加わったり「万歳」を叫んで刑務所にいってきた人だけが革命家で、解放後、地主の反抗をしりぞけて土地改革をおこない、親日派、民族反逆者の工場を国有化する闘争に参加した人は革命家でないのでしょうか。

 ましてかれらは、アメリカ帝国主義者に反対する3年間の苛烈な戦争を戦いぬいた人たちです。かつて、反日闘争に参加したのも革命闘争であり、祖国解放戦争のときアメリカ帝国主義とたたかったのも革命闘争であります。反日闘争の時期は、より厳しいたたかいの時期であっただけに、その闘争に参加した幹部がなお大事であることは確かです。

 「子宝も多ければ卑しい」という言葉のように、その数が多いのでありふれたことのように思うかも知れませんが、祖国解放戦争のときにたたかった人たちもすべて、かつての革命闘士と変わりない革命家であります。

 咸鏡北道の漁郎(オラン)川でも、人民はアメリカ帝国主義者と強力なたたかいをくりひろげたではありませんか。これは革命闘争でした。敵の爆撃のなかでも、水火をいとわず工場の機械を分解して背負って疎開したのも、困難な後退をしたのも、すべて革命闘争です。

 労働者たちで工場連隊、工場大隊を組織して洛東(ラクトン)江の前線まで進出して戦い、敵の包囲を突破して山を越え川を渡って後退し、再び防御線に立って寸土をも渡さぬために戦いつづけたことが、どうして革命闘争でないのでしょうか!

 以前は革命家の隊列は数百人か数千人でしたが、いまでは100万人以上に増えました。100万の労働党員のすべてが革命家であります。

 どうして、8.15以前に革命をおこなった人だけが革命家で、8.15以後に闘争した人は革命家でないというのでしょうか。問題は、革命を多少長くおこなった人がおり、やや後れてはじめた人がいるというだけのことです。

 もちろん、長いあいだ革命をおこなってきた人を大切にしなければなりません。我々の幹部隊列では、古い革命家、特に抗日武装闘争に参加した人、獄中で苦労しながらたたかった人たちが当然中核にならなければなりません。なぜなら、かれらは我々が極めて困難で厳しい状態にあったとき、我が国が暗雲にとざされ前途が暗たんとしていたときに、革命ののろしをあげた人たちだからです。この人たちがいたからこそ、こんにち我が党は100万の党員、100万の革命家をもつようになり、この人たちがいたからこそ、地主、資本家との闘争をくりひろげて、その土地や工場を没収することができたのであり、人民政権を樹立することができたのです。また、この人たちがいたからこそ、我々はマルクス・レーニン主義の思想を継承し、それを我々の現実に創造的に適用することができたのです。それゆえ、この人たちが中心になり、中核にならなければならないのは当然のことです。党が、かれらを大切にするのは当然のことです。

 しかし、過去に革命をおこなった人たち自身としては、またそれなりに体面を保たなければなりません。自分は革命の経験が長いのだから、他人より仕事をさらに多く、さらに立派にしなければならない、勉強も人一倍おこない、マルクス・レーニン主義の理論と自分の経験にもとづいて我が国の革命に有益な新しい問題やよい意見をさらに多くださなくてはならない、そして、すべての闘争で常に先頭に立たなければならない−このように考え、実践しなければなりません。そうすれば、すべての人が、かれは革命のために以前にも苦労し、いまも寝床を温めるひまもなく苦労している、といって尊敬するでしょう。

 ところが、咸鏡北道に来てみると様子が少し違います。以前に革命に参加したことを鼻にかけてあぐらをかき、徒食している人がいます。甚だしくは、統計にも目をとおさず秘書に検討させ、仕事はすべて下の働き手たちがやるものと思い込み、のんきにかまえています。

 我が国には社会保障制度があるのですから、仕事をする気がなければ、社会保障でも受けた方がよいでしょう。社会保障は、かつて革命にたずさわった人が働けなくなった場合にも適用されるものです。

 仕事ができなければ、若い人たちに椅子を譲るべきです。いたずらに椅子を占めて、他人にまで仕事ができなくする必要がどこにあるでしょうか。

 私が1947年に咸鏡北道に来たときにも、すでにこうした習癖はありました。獄中生活をしたのも革命のための獄中生活であって、自分の安楽をむさぼるためのものではなかったはずです。当然すべきことをしたのに、それをかさにきて威張る必要はありません。もったいぶってばかりいて、仕事をしようとしなかったその当時の習癖がこんにちまで残っています。

 党の幹部政策の実行で革命家を中心にするのは正しいことです。これに反対するのではありません。だが革命家であるならば、ひとよりも仕事をさらに多く、さらに立派におこなうべきであって、仕事もせずに座って威厳をつくろい、どなりつけてばかりいてよいものでしょうか。

 また、一部の人たちのなかには、自分の出身を売りものにしている人がいます。労働者階級出身だ、労働者上がりだ、だからあえて問題にするようなことはあるまい−このように高慢になり、高い地位につくやいなや、官職にでもついたかのように腐敗堕落して分別なくふるまい、帝国主義者の抑圧と搾取を受けた過去を忘れさってしまいます。

 労働者や貧農出身の幹部を登用するのは、かれらが、かつて資本家や地主の搾取を最も多く受けたので搾取制度を強く憎み、仕事をより立派にするはずだからです。労働者階級出身だからといって出身階級ばかり鼻にかけ、高慢になって仕事もせず、また不健全で自堕落な生活をしてもよい根拠はどこにもありません。

 それゆえ、幹部事業では、革命活動をおこなったということを神秘化してはならず、すべての人が革命に参加した人だという原則から出発すべきであり、誰であれ家族主義に染まるようなことがあってはなりません。8.15以前に革命に参加した人であれ、8.15以後にたたかった人であれ、誰を問わず、すべてが革命をおこなったのだという自負をもつべきだと考えます。革命をおこなったにしろ、おこなわなかったにしろ、家族主義、地方主義によって幹部を登用したり、引き寄せようとしてはなりません。これには厳しく反対しなければなりません。

 幹部を登用する際には、必ず党に限りなく忠実な人、党活動、革命活動で展開力のある人、有能で知識のある人を選ぶようにしなければなりません。これについては、すでに1947年に述べたことがあります。しかし、咸鏡北道ではこれを実行していないので、10年が過ぎたこんにちもう一度述べなければならなくなったのです。

 幹部事業で速やかに改めるべき最も重要な問題の一つは、幹部を登用した後に、その人を援助し教育しようとしないことです。どんなに堅実な人でも、登用した後には必ず援助し教育しなければなりません。

 多くの労働者出身の幹部を登用しておきながらも教育せずに放任しておくため、かれらには知識が足りず、思想的・政治的鍛練も足りないため、いくらもたたないうちに過ちをおかし、再び指導的地位から離れなければならないようなことがしばしばあります。これは誰の誤りでしょうか。活動家の党活動が下手だからです。幹部を正しく選抜し、常時、教育し援助するのは党の重要な任務であります。

 幹部を登用するだけで教育しないならば、誰でも誤りをおかしかねず、悪い思想に染まりかねません。したがって、幹部にたいする教育と援助に特別の注意を払わなければなりません。これまで、このようにできなかったのが党活動における重大な欠陥の一つでした。咸鏡北道党組織の幹部事業には、この欠陥が特に甚だしいようです。

 これまで、道党組織の一部の活動家は、もったいぶり、党の権威をふりかざし、演説をぶって歩きながら、うわべだけで党活動をするふりをしてきたため、幹部事業に多くの欠陥があらわれています。

 以前からそうでしたが、特に最近になって、党中央委員会は幹部事業を党の第一の事業として提起しています。

 幹部事業とは、幹部を正しく選抜、登用、配置し、幹部を正しく教育し、日常的に援助することであります。これまで咸鏡北道の党組織がおかした誤りの一つは、幹部の登用を正しくおこなっておらず、また登用した後にも幹部を教育せず、援助しなかったことです。

 幹部を教育する際には、常に点検がともなわなければなりません。幹部を配置してからは、常に、その人が誤りをおかしはしないかと気づかい、いろいろと気を配り、その人を呼んで話し合い、講習を受けさせ、また直接出向いて援助を与えたりしなければなりません。その人を理解し、活動方法を教え、思想的・政治的水準も高めてやるべきです。このように幹部を登用してからは、ひきつづき教育することが最も重要です。

 幹部事業におけるもう一つの問題は、咸鏡北道が労働者の多い地帯であるだけに、基幹的な工業部門で長いあいだ働いている労働者を多く抜てきすることです。

 労働者出身の幹部は、組織性と革命的展開力があって勇敢であり、帝国主義と資本家を強く憎み、困難を前にして動揺せず、革命に忠実です。だからといって、現在の幹部をすべて落とせというのではありません。かれらを再教育して採用すると同時に、労働者階級のなかから新しい幹部を多く養成しなければなりません。

 次に、党活動で重要な問題は、インテリにたいする活動であります。

 インテリにたいする活動にあらわれた欠陥は、他の党組織にもありますが、咸鏡北道の党組織にもやはり少なからずありました。清津製鋼所や清津紡績工場、阿吾地(アオジ)炭鉱その他多くの工場でインテリにたいする活動が正しくおこなわれていません。

 かつての朝鮮のインテリは、植民地国のインテリです。もちろん、かれらのなかには地主、資本家の家庭の出身で、以前に裕福な生活をした人が少なくありません。しかし、かれらも日本帝国主義の支配下で民族的抑圧と差別待遇を受けてきました。したがって、かれらは反帝的な革命性をもっていました。

 しかも解放後、かれらは、帝国主義、地主、資本家の側についていったのではなく、人民の側についてきました。重要なのは、解放後インテリが人民の側についてきたということです。

 当時、インテリの前には2つの道がありました。地主、資本家についていくか、労働者階級についてくるかということでした。北朝鮮には、労働者階級を中核とする人民政権がうち立てられ、南朝鮮には地主、資本家を中心とするかいらい政権が立てられました。このとき、北朝鮮にいた大部分のインテリは、帝国主義と地主、資本家に奉仕しようとしたのではなく、労働者階級と人民に奉仕しようと決意して北半部に踏みとどまりました。そればかりか、南朝鮮の数多くのインテリが北朝鮮にやってきました。

 かれらは、我々とともに地主の土地没収に参加し、我々とともに資本家、親日派の工場没収に参加し、3年間アメリカ帝国主義に反対する戦争に参加しました。祖国解放戦争のとき、かれらは困難な闘争を通じて革命的に鍛えられました。特に停戦後には、極めて困難な環境のもとで党のため、労働者階級のため、祖国のため、社会主義革命のために我々とともに復興建設に立ち上がりました。

 かれらもすべて、社会主義革命は、資本家をなくすことであり、資本主義をなくすことであることをよく知っています。かれらは我々とともに、資本主義をなくす農業協同化もおこない、都市の個人商人や企業家の社会主義的改造にも参加しました。

 かれらは、我々とどこが違うのでしょうか。違いがあるとすれば、それはかれらの父親が裕福で、幼いころ、ゆとりのある生活をしながら勉強したことであり、我々は貧しい生活をし勉強もできなかったことです。

 しかし、かれらも我々とともに15年間地主に反対し、資本主義に反対して民主主義革命と社会主義革命をおこない、社会主義を建設するすべての革命闘争をおこなってきました。しかもアメリカ帝国主義に反対する困難な戦いで、ともに血を流し、同じ試練と苦労をへてきました。インテリにたいして、このうえなにを疑うことがあり、信頼できない条件があるでしょうか。なにもありません。我々のなすべきことは、かれらと団結し手を取りあい、共産主義をめざしてともに前進することであります。

 それにもかかわらず、一部の人は、仕事を立派におこなっている人にたいし、出身階級がどうのこうのとあげつらい、十分に信頼しようとしません。

 インテリにたいする偏狭な態度、これはセクト主義的な傾向であります。かつて分派分子らは、自分たちだけが革命をおこなっているのだといって、ほかの人をことごとく排斥しました。

 共産主義革命は、大衆のための事業であり、多くの人を幸せにしようとするものです。革命は一人でできるものではなく、多くの人が革命に参加してはじめて勝利をおさめることができます。

 革命にくみし、労働者階級のため、人民のため、共産主義のためにたたかおうとする人を、なぜ、お前の出身階級は悪いのどうのとあげつらい、排斥するのでしょうか。一体、ついてこようとする人をふりきって、一人でなにができるというのでしょうか。これは、みな地方主義者やセクト主義者のいうことです。崔昌益(チェチャンイク)、尹公欽(ユンコンフム)などの分派分子がそういうことを言いました。

 我々は党大会で、我々とともに立派にたたかったインテリを党中央委員会の委員に選出すべきだということを全代表と討議したうえで、中央委員会を選挙しました。大会では全員がこれに賛成しました。ところが、党大会が終わってから何か月もたたないうちに、反党分子らはインテリはみな親日派だといって党の幹部政策に反対しはじめました。尹公欽は、インテリを親日派だと言いましたが、実際は日帝の飛行士をつとめたかれこそ親日派です。

 我が党は、我々とともにたたかうインテリを絶対に信頼します。もちろん、かれらには出身階級からくる影響がありうるし、また動揺性や自由主義もいくらかはあります。

 それゆえ党中央では、解放直後からインテリをたゆみなく教育、改造し、かれらと手をとり、かれらを大胆に党に受け入れて共産主義者にし、共産主義を建設するまでともに進むためひきつづき努力してきました。いまもこの政策に変わりはありません。

 今後も党は、インテリをひきつづき教育し、かれらに労働者階級の精神を植えつけることによって、かれらを動揺することなく労働者階級のように革命において勇敢で、困難なときにも堅実にたたかっていける革命家に鍛えあげなければなりません。

 労働者階級はインテリから知識を学び技術も学び、また、インテリは労働者階級の革命精神を学び、強い組織性と党にたいする限りない忠実さを学びながら、互いに団結し協力しあって、共産主義のためにたたかうようにしなければなりません。

 あれこれと問題にして多くの人を動揺させ、仕事を立派におこなっている人を排斥するようなことがあってはなりません。

 同時に、インテリは堂々と自負心をもつべきであります。私は解放後15年間、労働者階級と人民のためにたたかった栄誉を担う者だ、私は堂々たる党の戦士、労働者階級の戦士だ、という栄誉感と自負心をもたなければなりません。

 インテリにたいする活動をさらに改善すべきであります。党組織はインテリにたいする教育をひきつづき強化し、インテリが仕事を立派にできる条件をつくってやるべきです。かれらが労働者と団結し、高慢にならず、古い思想の残りかすをなくすことに勇敢であり、たえず新しい技術を学び、古い技術に固執せず、マルクス・レーニン主義の世界観で武装するようにしなければなりません。こうして、インテリを党と人民のために強くたたかえる共産主義者につくりあげなければなりません。

 次に工場で、新入労働者を教育し、たゆみなく改造する問題が重要であります。

 現在、我が国における工場労働者の階級構成は非常に複雑です。それはなぜでしょうか。我が国のように、立ち後れた植民地的・半封建的農業国から工業・農業国に転化する時期には、自然に工場に新しい階層がたくさん入ってくるようになります。ことに我が国では、戦後、社会主義的改造を進める過程で、戦争のために破産した多くの都市小商工業者が工場へ進出するようになり、農村の一部の富農も工場に入るようになりました。

 その反面、もともと工場にいた多くの中核的労働者は、戦争で犠牲になったり、幹部として登用されたりしました。したがって、工場労働者の多数は新しく入ってきた人たちです。戦後、我が国の工業が急速に発展する状況のもとで、労働者を十分に養成し教育してから工場へ送り込むことはできませんでした。

 このように、我が国における工場労働者の階級構成は複雑であります。だからといって、かれも信頼できない人だ、この人も不純な人だといって団結を弱めてはなりません。

 当然、工場にいる以前からの労働者を基本にして労働党員、共産主義者たちが中核となり、新しく入った労働者を教育し、高炉のまえで、機械のまえでかれらの思想を改造するようにしなければなりません。工場内の階級構成が複雑であることを決して恐れる必要はありません。

 以前からの労働者が中核となり、新しい労働者をすべて教育、改造して、確固とした労働者階級につくりあげなければなりません。そうすれば、生産もいっそう順調にいき、工場の秩序も確立し、社会主義建設の速度もいちだんと高まるようになるでしょう。

 我々は、どのような者に反対するのでしょうか。現行犯、つまり現在、我々に反対している者たちです。現在、我々の制度を誹謗し、破壊しようとする者とたたかわなければなりません。

 きのうまで我々に反対していた人でも、きょうは熱心に働き、我々を支持するならば許して改造しなければなりません。こういう人は、これまで認識が足りなかったため我々に反対したのです。こういう人を悪い者だといって追及すべきではありません。

 なによりも現在が重要です。きのうは知らなかったため我々に反対したとしても、きょうはめざめて我々を支持し、熱心に働く人であれば、かれらと団結してともに進むべきであります。

 思想闘争では、教育と改造が基本であります。いま悪いことをしているごく少数の分子とは決定的にたたかわなければなりません。

 工場内の党組織と職業同盟、民青組織は、このような方向で教育活動を強め、反革命との闘争を大衆的な運動としてくりひろげるべきであります。

 次に党活動で重要なのは、行政的方法と命令式方法を一掃することです。上から押しつけたり、党の権威にものをいわせるような作風をなくさなければなりません。

 党活動の方法は、説得と教育を主とすべきであります。問い詰めたり追及したりするのは党活動ではありません。まだ多くの人は、党活動を行政的におこなっており、党機関をなにか統治機関のように思っています。

 いつも強調していることですが、党は、常に母親のような気持ちで党員に接しなければなりません。党機関、党組織、党委員長、副委員長、委員は、党員にたいする思想・文化教育と、かれらの生活上の問題に日常的に関心を払い、常に党員を教育し、説得しなければなりません。そうして、一人一人の党員がすべての生活で党組織に依拠し、党組織を母親のごとく思うようにしなければなりません。

 このように、党組織は、党員を日常不断に教育すると同時に、仕事を分担して実践闘争に引き入れ、党員はまた、常に労働者、農民、事務員など広範な非党員大衆のなかに入って、大衆を教育し、かれらの生活に関心を払わなければなりません。党員は、すべての仕事で大衆の先頭に立ち、大衆が困難を感ずる仕事は真っ先に実践し、仕事のうえでも学習のうえでも模範になるべきであります。そうして、大衆のあいだで革命闘争の旗手となり、大衆を教育し導いていかなければなりません。言いかえれば、党員は大衆の母親となり、党組織は党員の母親となり、広範な大衆を党のまわりに結集するようにしなければなりません。

 このようにすれば、100万の党員がひとしく党中央委員会のまわりに自覚的にさらにかたく団結するようになり、大衆もまた、党のまわりにかたく結集するようになるでしょう。

 次に、党活動で重要なのは、党の政策を貫くことであります。

 まず、党活動家は党の政策と党中央委員会の決定を研究して、すべての党員がそれをよく理解するように解説、宣伝しなければなりません。党員の誰もが党の政策と決定を十分に理解すれば、党中央委員会の委員長から里党委員長にいたるまで、ひいては100万の党員が呼吸をともにし言動の統一を保つことができます。そして、党の政策を深く理解したうえで指導をおこなわなければなりません。党の政策を深く理解したうえで指導をおこなうならば、誤りを犯すようなことはないでしょう。

 会寧郡党では、党中央の決定や指示を郡党委員長が題目だけ見てロッカーにしまい込んでおくそうです。指導員たちにはそれが知らされないので、指導員たちは指導はもちろん、講演も満足にできません。話をしようとしても、それが党の政策からはずれはしないかとためらうようになります。これは、党の政策を大衆に理解できなくし、党政策の貫徹を妨げる、最も有害な傾向です。

 今度、咸鏡北道にきて見ると、多くの党および政権機関の活動家が党政策と党の決定をよく知っていません。党中央委員会の幹部の演説を聞いてはじめて「ああ、そうだったのか」といって、ちょうど外国人が我が国の事情をはじめて聞くような様子でした。このような状態で仕事がうまくいくはずがないのはわかりきったことです。

 党中央委員会ではここ数年来、活動方法や作風をかなり改善しました。まず、党中央委員会の活動家から党の政策で武装させるために、ある問題が常務委員会で討議、決定されると、副委員長たちがすぐ部長、副部長たちを集め、きょう常務委員会でこれこれの問題が討議、決定されたということを知らせます。部長たちはまた、課長、指導員を集めてその内容を知らせます。

 こうして、委員長から指導員にいたるまで、全く呼吸をともにし、同じように話をしています。党の政策をよく知っているので、指導員たちは自信をもち、どんな新しい問題が提起されてもそれを正しく分析し巧みに処理しています。

 ところが咸鏡北道の党組織の活動家たちは、これとは違ったやり方で仕事をしています。道内の少なからぬ党組織では党中央委委員会から決定や指示がおりてくると、幹部が一度ざっと目をとおしてからは、ひとに知らせることは考えもせず、ロッカーに入れて鍵をかけてしまいます。これではいけません。党中央委員会の決定は、そのつど下部の活動家にいたるまで十分に知らせなければなりません。

 指導員たちに知らせもせず、知らない人を下部に派遣して、なんの役に立つでしょうか。党中央委員会の方法にならって、集中指導と称して下部におりてはいきますが、党中央委員会の決定をよく知らないために、かえって党の方針と食い違った仕事の処理をしています。

 みなさんは指導にあたって、なんのためにそのようにせっかちになる必要があるでしょうか。党の指導の主な目的は、党の政策を浸透させ、それを貫くことにあります。党の政策をよく知らなければ、10日でも1か月でも、わかるまで講習をおこない、深く理解させたうえで指導に当たらせるべきです。

 党の政策をよく解説、宣伝しないのは大衆を愚昧にすることであり、党の政策を貫かないのは党に害を及ぼすことであります。したがって、このような傾向とは強くたたかい、党の政策を貫かなければなりません。

 我が党の政策と活動に秘密はありません。軍事上の問題、党内の組織上の問題、幹部問題などを除いては秘密がありません。党の政策は党員たちが深く知れば知るほどよいことであり、党の政策について大衆のあいだで宣伝活動をさらに多くおこない、人民にそれを十分に認識させればさせるほどよいことであります。

 次に、咸鏡北道党組織の活動で重要な問題は、党内の革命的秩序と規律を確立することであります。

 すでに述べたとおり、我が党は戦闘的部隊であります。我が党には、厳格な革命的秩序と革命的な規律が必要です。

 党内に革命的な規律と秩序が確立されなくては、党は戦闘的な部隊になることはできません。もちろん、党内で民主主義的に討論もおこない、意見を出すのも重要なことです。しかし、党の規律は厳格に守らなければなりません。

 咸鏡北道の一部の市・郡党の幹部は、勝手に道党委員長の指示に違反し、道党委員長をだますのを普通のことのように思っています。このような行動は非常に間違っています。こういう傾向を徹底的になくし、党内の規律と秩序を強化しなければなりません。


 2 人民委員会の活動について

 人民委員会の活動にはどんな欠陥があるのでしょうか。

 主な欠陥の第1は、各級人民委員会、特に道人民委員会と郡人民委員会が、我が国の社会制度が社会主義的に改造された新しい環境に即して活動していないことであります。

 解放直後や戦争前と異なり、こんにち我が国の都市や農村では社会主義制度が確立されました。この社会主義制度にふさわしく人民委員会の活動を改編することが重要であります。

 以前、我が国の農民は個人農でした。かれらには計画を与えようとしても与えようがなく、計画経済を実施しようとしてもできませんでした。個人農は、生産したいものを思いどおりに生産し、消費もやはり意のままにおこないました。

 こんにちでは、かれらがみな一つの家庭に結集しています。一つの里が一つの家庭になりました。その一つの里の戸主が里人民委員会であり、党組織と協同組合管理委員会です。ここでは必ず、すべての仕事が計画的におこなわれなければなりません。生産も計画的におこない、分配と消費も計画的におこなわなければなりません。生産物も計画的に処理し運搬も計画的におこない、人々の衣食の問題も計画的に解決しなければなりません。社会主義的経営ですから、必ず計画的に運営しなければなりません。

 以前、都市には、多くの個人商人や手工業者がいました。都市に個人手工業者が多かったときには、かれらが自分勝手に無計画に商品を生産して市場で売りました。商人たちは、思うままに農村から農産物を都市へ持ち出して売りさばきました。もちろん、かれらは金もうけのためにそうしたのであり、そこには搾取もありました。

 私営商工業者は、人民の需要をみたすためにではなく、利益を得るために生産もおこない、商売もおこないました。私営商工業が残っていたときには、商品が無計画的に生産され、商品の流通は市場で自然発生的におこなわれました。したがって、その当時には、勤労者の需要をみたすこともできませんでした。

 しかし、こんにちでは私営工業が一掃されて国営工業と協同経営工業があるのみであり、私営商業はいっさいなくなって国営商業と農業協同組合商業があるのみです。いまは搾取もなく、商品は人民の需要をみたすために計画的に生産され、計画的に供給されています。こうして、以前よりも勤労者にたいする供給条件を決定的に改善し、生活の向上をはかることができるようになりました。

 だが、これは決して自然にそうなるものではありません。以前、個人企業家や商人が自分勝手におこなっていた生産と流通活動を、こんにちでは人民委員会が組織し計画し指導しなければなりません。人民委員会が、どの工場では機械をつくれ、どの協同組合では石けんをつくれ、紙もつくれ、といったように生産を組織しなければなりません。また、人民委員会は、どこそこから、卵、白菜、食用油を運べといったように、商品が市場に出回るようにしなければなりません。すべての生活の主人となった人民委員会が、生産と流通を指導し組織し計画しなければ、ほかにこれをおこなう人は誰もおらず、社会が動いていくこともできません。

 また以前には、大工場は中央で直接指導し、小さな企業所は個人の手にあったので、道や郡で直接指導する企業所は多くありませんでした。しかし、いまでは事情が違います。6月総会以後には地方ごとに工場を建てました。荷車工場、野菜加工工場、織物工場、日用品工場、その他各種の工場を多く建てました。みなさんが工場を管理しなければならないのです。だから、人民委員会がする仕事は非常に多いわけです。

 戦前の個人経営のときには、かれらを統制するのが難しいことでしたが、人民委員会が税金を取り立てるぐらいで、あとは仕事をしなくてもその影響ははっきりあらわれませんでした。それで当時、少なからぬ人民委員会の活動家は仕事をせず、個人経営にたいして統制も指導もおこないませんでした。こんにちでは情況が変化しているにもかかわらず、その習慣がそのまま残っているので仕事にあまり力を入れていません。こんにちでは、綿密に仕事をおこなわないとすぐに欠陥があらわれます。

 例えば、道人民委員長や郡人民委員長が活動しなかったために、労働者に供給する野菜も不足しがちです。咸鏡北道の商店には豆腐も非常に少なく、卵も多くありません。これは昨年、道人民委員会が大豆を栽培せず、豆腐をつくる計画を立てなかったからであり、卵を計画的に生産しなかったためであります。

 道人民委員会がもったいぶって何もしなくても、仕事をしているのかいないのかよくわからなかった以前とは情況が根本的に違います。こんにちでは、人民委員会の仕事が時計のように正確にかみ合っていかなければなりません。生産も商業もすべて組織し、計画的に指導しなければなりません。卵はどれくらい生産し、牛乳はどれくらい生産すべきかということがすべて計画化されなければならず、仕事を組まなければなりません。生産した物は、商業網を通じてどこへ運び、きょうはなにを売り、秋にはなにを売り、冬にはなにを売る、といったようにすべてが計画化されなければなりません。どんなものがあり、それをどう利用し、工場をどのように運営し、足りないものをどのように補充すべきかといったことを考え、頭を使わなければなりません。こういうことをせずに、中央からおろした数字を機械的に下部に押しつけるのですから、仕事がうまくいくはずがありません。

 一部の人は、人民委員会委員長の役目を簡単なことのように考えています。実際には、人民委員会委員長の仕事が一番難しいのです。人民委員会委員長の仕事に不手際があれば人民がひもじい思いをし、青物や食用油が切れ、住宅の修理もできず、商店に品物が出回らなくなります。

 道人民委員会の委員長には、なすべきことが多くあります。国営産業、地方産業、協同経営工業、それに商業を指導しなければなりません。農業経営、学校の運営と技術者の養成、衛生保健事業、住宅の建設と修理、暖房設備や水道、下水道の設置などもおこなわなければなりません。みなさんには、仕事が山ほどあります。それにもかかわらず、どうして安逸をむさぼり、不健全な生活をする時間があるでしょうか。こんにちの制度と条件に即して人民委員会の活動を決定的に改めなければなりません。

 次に、人民委員会の活動における最も大きな欠陥の一つは、人民委員会の活動家に活動能力が欠けていることです。私の見るところでは、みなさんは、政権を運営し、機関や経済の運営方法を知らないようです。

 おそらく、知らないのがおおかたの実情ではないかと思います。悪いのは幾人かの人であって、人民委員会の委員長がすべて悪い人であるはずはないではありませんか。仕事がうまくいかない主な理由は、よく知らないところにあるようです。知らないのに知ったふりをしてはなりません。

 人には「ふり病」があると言います。もってもいないくせにもっているふりをし、偉くもないのに偉いふりをし、知らないのに知っているふりをするのは、いずれも病気です。他の道に比べて一番貧しいのに、なぜあるふりをするのでしょうか。知らないため人民委員会の仕事がうまくいかないのに、どうして知っているふりをするのでしょうか。率直に、知らないといって学ぶべきです。当然、人民委員会の委員長ら自身が、よく知らないから勉強させてほしいと申し出るべきであります。

 人民委員会の活動を立派におこなうためには、幹部を系統的に教育することが絶対に必要だと考えます。里人民委員長や郡人民委員長、それに副委員長たちは、少なくとも政権機関を運営し、社会主義経済を運営する知識を学ばなければなりません。

 わかってもいないのに、演説などは1、2時間もよくやってのけます。だが、その演説には中身がなく、なんのことだかわかったものではありません。以前に新幹会でやっていたようなやり方です。新幹会の人たちは、小脇にかばんをかかえて歩き回りながら演説をしたものですが、「大衆よ、決起しよう」という空のかけ声ばかり叫んでいました。もう、そういうときは過ぎきりました。そのようなやり方では問題が解決されません。いまでは、そういう演説をすべきではありません。

 商店をどう設置し、工業をどう組織し、牧場をどう運営し、冷床苗はなぜ必要なのかなど、なんでもよく知っていなければ指導ができません。はじめからなんでも知っているという人はいません。誰でも学んでからおこなうものです。

 ところが、みなさんは新聞もまともに読んでいないようです。社会主義を建設するというのは、極めて複雑なことであります。しかし、ここにはなにも神秘的なものはなく、学べばすべてできることです。誰でも本を読んで研究し、実情を分析し、頭を使えばできます。わからないことはたゆみなく学ばなければなりません。

 人民委員会の幹部を系統的に教育するために、少なくとも半年を期間とする人民委員会在職幹部講習所を道ごとに設けるのがよいと思います。そして、道の実情に即して社会主義経済の運営方法、人民委員会の活動方法などを教える必要があります。

 これと同時に、すべての活動家が学習をすべきであります。わからないのは、罪ではありません。労働者、農民出身なので昔は勉強することもできなかったではありませんか。必ず独習をしなければなりません。幹部は、一方では活動を通じて学び、また他方では独習を通じて学ばなければなりません。1日に3、4時間は義務的に学習すべきです。

 勉強をせずには、経済を運営することも、社会の発展を促すこともできません。我々は同じところに足踏みしているわけにはいきません。我々は、発展の法則に従ってひきつづき前進しなければなりません。そのために、みなさんは学ばなければなりません。

 咸鏡北道内の人民委員会の活動でいまひとつ重要なのは、官僚主義に徹底的に反対することであります。我が国の政権は、人民の政権であります。人民委員会自体が官僚に反対するものです。ところが、以前の古い官僚主義的な活動作風が人民委員会内にひきつづき残っています。これを一掃しなければなりません。

 我々は、すでに1952年にこの問題を強く提起しました。人民政権を樹立してから5、6年経過すると、人民政権機関には多くの官僚主義者があらわれました。官僚主義者は、大衆のなかに入らず、大衆の声を聞こうともせず、肩をいからして歩きながらすぐに声を荒くし、大衆の生活に関心がなく、自分だけが一番偉くて自分の意見が最も正しく、他人の意見はすべて間違いだと聞こうともせず、頭から十把一からげ式に押しつけてばかりいます。こんなことで一体なにができるでしょうか。できるはずがありません。

 大衆のなかに入って活動しようとするならば、大衆と接触し、謙虚でなければなりません。我々自身、大衆のなかから生まれたではありませんか。みなさんは、人民によって選出されました。人民委員会委員長の地位をもって生まれたわけではありません。人民は、自分らによいことをしてくれるようにと、みなさんを選出したのです。

 人民委員会の委員長は、人民の忠僕であります。言いかえれば、人民の使い走りをする人です。そう考えれば、腰も低くなり、高慢さもなくなり、大衆をどなりつけたりすることもなくなるでしょう。人民をどなるのではなく、人民に教え、人民とともに働き、かれらから学ぶべきです。そのようにすれば、人民と呼吸をともにすることができるし、かれらも腹を割ってなんでも話すようになります。人の病気を治すにしても、まず最初に脈をとり、なんの病気かを判断しなければならないではありませんか。人民の実情を知らずに、はたして仕事ができるでしょうか。

 党組織は行政的な方法で仕事をしており、人民委員会には官僚主義がはびこっています。人民委員会の官僚主義を根絶しなければなりません。

 私は、吉州郡の鳳岩(ホンアム)農業協同組合にいって農民と話し合ったとき、郡人民委員長があなたたちと一緒に相談して農産計画を作成したことがあるかと聞いてみました。農民たちは、郡党委員長と郡人民委員長がきて座っているので返事ができず、郡党委員長の顔色ばかりうかがっていました。そこで、「しなかったでしょう」と聞いてみたところ、郡人民委員長が「しませんでした」と答えました。

 一つの郡に里は大体20ほどしかないのですから、郡人民委員長が一つの里へいって2日ぐらいずつ寝泊りしなから農民と相談して農産計画を立てるとすれば、1月からはじめて2月には全部終えることができるではありませんか。なにが難しくてこれをせずに、座ってどなりつけてばかりいるのでしょうか。

 さらに、人民委員会の委員長は、人民の悩みを知らなければなりません。人民の悩みを知らない人が、どうして人民の忠僕になれるでしょうか。よく調べもせずに、頭から「国の仕事だ、国の法律だ」と言って押しつけています。咸鏡北道には1946、7年ごろの官僚主義がそのまま残っています。どうして、咸鏡北道でいままで仕事がうまくいかなかったかというと、頭から下部に押しつけるためです。

 党では、地方主義、家族主義の枠を打破することが重要であり、人民委員会では官僚主義の枠を打ち壊すことが重要であります。

 また、人民委員会の活動家は、党の政策に限りなく忠実でなければなりません。人民委員会は、人民のなかから生まれた政権です。誰が人民委員会を指導し、革命を指導するのでしょうか。党が指導します。人民委員会は、党の政策を離れては存在することができません。

 咸鏡北道人民委員会が、党の指導を受けようとせず、党との「同格」を云々しているのは正しくありません。人民委員会の活動家は党の政策を誰よりもよく知らなければならず、それを貫くために努力し、献身的にたたかわなければなりません。こうしないでは、人民委員会が真に党の指導のもとにある政権だと言えません。

 郡人民委員長は、すべての問題を郡党委員会の指導のもとに実行すべきであり、郡党委員会では人民委員会の仕事を代行すべきではなく、郡人民委員会が郡党委員会の指導のもとに活動するようにし、また、道人民委員会は、道党委員会の指導のもとに活動するようにしなければなりません。


 3 工業について

 咸鏡北道は、我が国の基幹工業の重要な基地となっています。したがって、咸鏡北道で工業生産計画を実行するかどうかは、我が国の人民経済全般に大きな影響を与えます。咸鏡北道の工業部門で計画を立派に実行すれば全国の人民経済が順調に発展し、ここで計画をうまく実行できなければ全国の人民経済の発展に支障を与えます。

 これまで道内の各工業企業所は、復興事業においても新しい建設事業においても大きな成果をおさめました。金策製鉄所では、1号、2号高炉が完全に操業をはじめ、2つのコークス炉でコークスを生産するようになり、その他の副産物職場などでも生産を順調におこなっており、焼結職場も全部復旧して操業をはじめています。

 清津製鋼所でもやはり、現在、6基の回転炉と製鋼職場の電気炉が操業しています。城津製鋼所では、既存設備の復旧が完全に終わり、現在、新しい条鋼職場の建設工事が活発に進められています。

 清津紡績工場も、その間、多くの難関を克服して完全に復旧建設され、今年から1万4000トン以上の人絹糸とスフが生産できるようになりました。吉州パルプ工場も全部復旧され、紙の生産は戦前水準の数倍に達しています。

 阿吾地山灰鉱、古站(コチャム)炭鉱をはじめ多くの炭鉱が、復旧または新設され、数100万トンの石炭を生産していますが、今年は、350万トン以上を生産するために奮闘しています。

 一方、探鉱活動でも、1954年に示した課題を実行し、今後さらに多くの石炭を採掘できる確実な展望をもつようになりました。茂山(ムサン)鉱山をはじめ、多くの鉱山が生産を高められるように整備されました。

 さらに富寧(フリョン)発電所、古茂山(コムサン)セメント工場、羅津(ラジン)造船所、清津造船所、羅南(ラナム)機械工場などでもまた、生産発展の基礎をきずき、朱乙(チュウル)電機工場、生気嶺(センギリョン)窯業工場、鏡城(キョンソン)窯業工場などの大きな工場が新しく建設されました。

 これらの工場、企業所の復旧、建設で、すべての労働者、技術者、事務員は、党中央委員会の呼びかけにこたえて、高揚した意気込みで大きな成果をおさめました。

 今年に入ってから、労働者の意気込みはますます盛んであり、昨年に比べて2倍以上の生産をあげることを決議しています。多くの工場や炭鉱では決議どおりに実行しています。

 だが、一部の工業部門の幹部は、労働者の高揚した熱意に合わせて、それに応じた準備を整えることができませんでした。特に徹底した越冬対策を立てず、必要な工具、治具なども全部準備していなかったため、部分的にではあるが、計画を実行していない工場もあります。

 例えば、金属工場では、第1・四半期の計画実行に必要な設備部品をいまだに全部準備しておらず、冶金炉が故障を起こしたあとになって部品を求めて駆けずり回っています。茂山鉱山では越冬対策を立てなかったため、水道管が凍って水の供給が止まり、掘削と選鉱に支障を与えました。一部の炭鉱では採炭だけに力を入れ、基本掘進と準備掘進を先行させなかったため、こんにちになっては確保炭量が足りなくて生産に支障をきたしています。

 また、一部の幹部は、いまだに自分の活動の中心がわからず、重点が把握できずに無計画的に仕事をするため、あれもこれも全部実行していません。

 清津製鋼所の活動家は、設備利用度を高めるたたかいを進め、標準操作法をよく守って生産を正常化することに仕事の中心をすえるのではなく、基本建設だのなんだのといっては仕事を広げてばかりいるので、結局、生産計画を実行していません。第1・四半期に仕事が順調にいかなかったのも、工作職場の能力を方々に分散させたことと関連があります。もちろん、最近になっては仕事が正常化されつつあります。また、この工場の働き手たちには、その日の計画は必ずその日のうちに遂行せよという党中央委員会の厳格な指示を実行しようとする心構えがまだ足りません。

 先進的な作業方法を取り入れ、労働者の技術熟練度を高める努力もまだ不十分です。ただ口先だけですると言いながら、新しい技術を取り入れ、労働者の技術熟練度を高め、生産性を高めるための仕事を満足におこなっていません。一般的に言って、労働者や技術者が考案した先進的な作業方法について一度問題にするだけで、それを適時に取り入れて発展させ普及する仕事は極めて不満足におこなっています。

 そして、自分の工場で仕事がうまくいかなければ、他の工場にも影響を及ぼすという責任を感じず、仕事をなおざりに組織する傾向があります。清津製鋼所の活動家や労働者は、今年、粒鉄生産を計画どおりおこなっていないため、城津製鋼所やその他の多くの企業所に影響を与えている事実を心配していないようです。こういうことは、全国の工業発展や、咸鏡北道の第1・四半期の工業生産計画の実行に好ましくない影響を与えました。このような欠陥を速やかに是正しなければなりません。

 ここで、工業分野に提起される課題を部門別に述べようと思います。

 金属工業では、なによりもまず、党のうち出した「鉄と機械は工業の王者である!」というスローガンを高くかかけて、銑鉄と粒鉄、鋼材をより多く生産するために努力しなければなりません。金策製鉄所では、高炉の内容積利用係数を低めるための技術的対策を講じ、原料装入系統の作業を改善すべきであります。また、高炉の生産性を高め、コークスを節約し、さらに塊鉱の問題を解決するうえでも重要な意義をもつペレットの導入対策を積極的に講じなければなりません。

 金策製鉄所で急を要する問題は、労働者が決議したとおり、4月15日までに転炉の建設工事を完了して鋼鉄の生産にとりかかるようにすることであります。今後の金策製鉄所の拡張工事は、非常に膨大なものです。したがって、金策製鉄所拡張工事の総計画図面を早く作成し、まず、コークス炉2基を増設する仕事をおし進めなければなりません。工場の規模は、第1段階で約250万トン〜300万トンの銑鉄を生産するようにし、鋼鉄と鋼材を連続的に生産する工場にしなければなりません。祖国の統一を見通して、この工場を今後400万トンの銑鉄を生産し、それを処理して製鋼や圧延もできるように拡張し、我が国最大の金属工業基地にしなければなりません。

 城津製鋼所では、電気製鋼の溶解時間を短縮し、鋼鉄の生産を増やすばかりでなく、電力の消費を減らすようにしなければなりません。今度行って見ると、各炉ごとに毎日約400KWhの電力を余計に消費しています。こういう現象はなくすべきです。

 鋼材生産で品質を高めることが、城津製鋼所の最も重要な課題とならなければなりません。不合格品の生産をなくす闘争を展開しなければなりません。城津製鋼所の労働者、技術者は、この製鋼所が我が国で特殊鋼をつくる唯一の工場であり、ここで生産される鋼材がすべて我が国の機械生産に使用されるため、この工場の生産成果いかんは、我が国の機械工業の発展に大きな影響を及ぼすということを知るべきです。

 また、城津製鋼所では、鍛造部門をはじめ重労働部門を機械化して作業が楽にできるようにしなければなりません。まだ骨の折れる作業がたくさんあります。技術者と労働者が力を合わせて骨の折れる作業を機械化するよう、対策を立てる必要があります。

 また、鍛造職場にある600トンプレスを速やかに復旧し、我が国のプレス能力の不足を解決しなければなりません。新しく建設する条鋼職場を6月末までに完成させ、中型条鋼職場の建設はメーデーまでに完了しなければなりません。

 城津製鋼所では、設備利用度をさらに高め、特に工作職場の設備利用度を高めるようにすべきであります。

 清津製鋼所では、粒鉄の生産を正常化するために努力することが必要です。現在、稼働している回転炉の作業を正常化して炉1基当たり日産80トンを義務的に出し、100トン以上の生産を上げるためにたたかって、年間15万トンはもちろん、20万トン以上の粒鉄を生産するようにしなければなりません。

 粒鉄は、我が国において極めて重要なものです。粒鉄の生産は、輸入炭を使わずに製鉄するので生産費も安くつきます。我が国の製鋼業で粒鉄は、最も重要な原料の一つです。この工場のすべての労働者、技術者、事務員は、粒鉄生産の重要性を深く理解し、粒鉄の生産をさらにのばすために努力しなければなりません。先日、支配人は炉に熱風を吹き込めば生産性をさらに高めることができると言いましたが、すぐ熱風装置を設けるべきです。

 次に、労働者の労働条件を改善するために集塵装置を備えなければなりません。この装置は部分的には備わっていますが、まだ足りません。こういう装置がよくできていないため、もともと有害職場でないところを有害職場だと言っています。集塵装置を設けて労働者の健康に有害な要素を取り除くようにしなければなりません。

 炉の余熱を利用して火力発電所を建設するのは極めて必要なことです。また、スラグも合理的に利用しなければなりません。外国ではスラグを全部利用しています。

 それに、今後、粒鉄をさらに多く生産するためには、第7号、第8号回転炉の建設を速やかにおこなわなければなりません。将来、この工場は、粒鉄を50万トンまで生産できるようにすると同時に、連続製鋼法を取り入れて粒鉄で直接鋼を生産する対策を立てるべきです。粒鉄の生産をのばすために、労働者の技術水準を高め、標準操作法を守るよう秩序と規律を確立することが重要な課題として提起されます。

 次に、このように銑鉄、粒鉄の生産や製鋼業が拡大されるにつれて、いっそう増大する金策製鉄所、清津製鋼所の原料需要を充足させるべき重要な課題が、茂山鉱山に提起されています。茂山鉱山では、採鉱・選鉱設備を補修、整備し、その生産性を高めるようにしなければなりません。

 また、鉄鉱石の品位を高めるためにたたかわなければなりません。茂山鉱山で仕事が順調にいかなければ、金属工場の仕事もうまくいくはずがありません。いま、茂山鉱山では生産組織がうまくいっていないということです。それで、この鉱山の事業を盛り上げるために、党としての対策を講ずる必要があると考えます。

 そして、三海(サムヘ)、連川(リョンチョン)、会寧などで、すでに開発されている非鉄金属鉱山の基本建設事業を早くおし進めて希金属鉱物を大量に生産し、特殊鋼の生産を促進しなければなりません。

 道内各企業所の工作職場と機械工業部門の機械設備能力を利用して、金属工場、特に金策製鉄所と清津製鋼所の設備を優先的に製作し、部品を大量に生産供給しなければなりません。清津製鋼所に必要な設備や部品は、約1200トンほどになるようですが、羅南機械工場、清津造船所、羅津造船所その他の各機械工場でこれを優先的に生産するようにすべきです。また、これらの工場に必要な設備や部品は、龍城(リョンソン)機械工場でもつくるようにすべきだと思います。

 金策製鉄所と清津製鋼所を速やかに復旧し、金策製鉄所の転炉と清津製鋼所の回転炉を速やかに建設、または増設しなければなりません。こうしてはじめて、ますます増大する鋼鉄の需要をみたすことができます。

 道内の窯業工場では、金属工場に必要な耐火レンガを適時に生産供給し、その品質を高めなければなりません。

 また、木材と鉄材、セメントを優先的に金属工場の建設にふり向けるべきです。国家計画委員会もこれを援助し、各省でもそれぞれ援助して金属生産を優先させなければ、今年の全般的な工業生産計画を実行することはできません。金属工業を優先させなければ、機械を生産することも、機械工場を拡張することもできません。

 石炭部門では、すべての炭鉱で石炭を増産するために努力しなければなりません。まず、高カロリー炭を今年度の計画より多少多く採掘するたたかいをくりひろげるべきです。できれば、10万トンを余分に生産すればほかの工場の生産もさらに高めることができそうです。

 石炭生産を増大させるためには、既存炭鉱の基本建設に力を集中し、基本掘進と準備掘進を生産に先行させるようにしなければなりません。そして炭量を確保するため、掘進速度をいっそう高めるように努めなければなりません。また、水力運搬を広く取り入れ、水力採炭法の導入を準備し実施すべきです。石炭生産で品質を高めるべきであり、石炭にぼたを混ぜて量を水増しするような傾向をなくさなければなりません。これは、自分を欺くことであり、企業所での熱生産を低下させることになります。

 炭鉱で最も重要な問題は、安全施設、労働保護施設をさらに完備し、炭鉱内の作業で秩序と規律を強めることです。規律がなく、秩序が立っていなければ、事故を防ぐことはできません。炭鉱では、厳格な交替制度と厳格な点検制度を立てなければなりません。

 咸鏡北道では、今後2、3年内に有煙炭の生産を800万トン以上に高めるために努力しなければなりません。咸鏡北道の石炭生産がこの水準に達すれば、我が国の石炭問題はより円滑に解決されます。

 そのためには既存炭鉱の基本建設に力を集中し、1、2年内に阿吾地炭鉱、古站炭鉱で、少なくとも、それぞれ150万トン以上生産できるようにしなければなりません。古乾原(コゴンウォン)炭鉱、下面(ハミョン)炭鉱、穏城(オンソン)炭鉱などは、少なくとも100万トン以上生産できる炭鉱につくらなければなりません。そうしなければ、石炭問題は解決できません。

 次に、電力工業を発展させることが重要です。我が国の電力事情は非常に緊張しています。戦前や戦時、また停戦直後には、我が国は電力が豊富で余裕のある国だと言われましたが、停戦後工業が急速に発展し、1958年にはすでにその生産が戦前の4倍にも達したため、電力の消費が大幅に増え電力不足をきたしています。

 我が国には、水力発電所が多く火力発電所が少ないため、渇水期には電力がますます足りなくなります。もともと電力生産は、他の工業発展に優先させなければなりません。そうすれば他の工業も発展します。特に第2次5か年計画期間に入って、化学工業を大々的に発展させるためには、電力生産を増大させなければなりません。こんにち電力問題は、このように重要な問題として党に提起されています。それゆえ、いま党中央委員会では、最短期間に発電所をさらに建設することを予定しています。

 これに関連して、咸鏡北道内の党組織とすべての党員と勤労者が立ち上がり、道内にある水力発電所の出力をさらに高める一方、西頭水(ソドゥス)に発電所を建設する事業にとりかからなければなりません。

 豆満(トゥマン)江支流の西頭水をせき止めて、羅南、富寧へ引き上げ、落差を高めて大きな発電所を建設すべきであります。この発電所は、約33万7500KWの出力をもつようになるでしょう。早急に発電所の建設工事にとりかかり、数年内に完成するようにしなければなりません。

 咸鏡北道の人たちは、この工事の完成のために力強くたたかわなければなりません。他の道からの応援を期待してはなりません。他の道にはまた他の道なりにそれぞれ課題があります。両江道、平安南道、平安北道、黄海南道、黄海北道など、いずれも同じことです。西頭水発電所は、咸鏡北道の人たちの手で建設しましょう。

 同時に、道内の治山治水のために大小の河川をすべてせき止めて電気を起こし、潅漑もほどこす全大衆的な運動をくりひろげなければなりません。

 みなさん! いたるところで電気を起こすたたかいをくりひろげなければなりません。工場で熱をそのまま放散させてしまう現象をなくし、余熱をことごとく利用して電気を起こし、既存の火力発電所を速やかに復旧するとともに、新しい大きな火力発電所を多く建設するたたかいを展開する必要があります。咸鏡北道には石炭も多く大きな工場も多いので、余熱を利用する発電所をたくさん建設することができます。こうして、電力生産を優先させ、工業の電力需要を充たさなければなりません。

 咸鏡北道には重工業企業所や炭鉱が多く、そのほかにも各部門の工場、企業所が多いだけに、機械工業を大々的に発展させる必要があります。

 羅南機械工場は1、2年内に、少なくとも工作機械が200〜250台に達するように拡大し、ゆくゆくは500〜600台を備えた大工場に発展させなければなりません。このほかにも、咸鏡北道には多くの機械工場がありますが、これをさらに発展させなければなりません。

 清津造船所、羅津造船所では、いま3000トン級の船舶の建造をはじめていますが、今後は3000トン級以上の船舶を建造すべきです。清津造船所でも、今後は木造船の建造から鋼船の建造に移るようにすべきです。

 羅津造船所では、今後、自力で高速エンジンをつくれるように技術を学び、しっかりと基礎をきずくことが重要です。

 また、咸鏡北道には、すべての工場に工作用の切削機械がたくさんあります。ここではいま、自力で簡単な切削機械をつくって工場を拡張する仕事を進めています。これは非常によいことです。私は、みなさんがこの仕事に熱心に取り組んでいるのを強く支持します。

 朱乙亜麻工場では、5台の切削機械をもって単能切削機械をつくりました。ここでは今年の4月から、切削機械を毎月10台ずつ生産すると言っています。非常に立派なことです。特に支配人と婦人である党委員長が、大胆に着想し、大胆に仕事を進めています。この工場では、自分の手で旋盤をつくって機械の台数をふやし、織機をつくって亜麻紡織工場に切り換えることを決心しています。非常に勇敢な人たちです。

 古茂山セメント工場では小さな機械で大きな設備を削っているのを見ましたが、かれらは自分の手で焼成炉を一つつくると言っています。このようにすれば機械工業が発展します。もし、金属工業部門でもこのように創意を発揮し、また他の工場でもみなこのような方法で仕事をするならば、咸鏡北道の力で多くの切削機械を解決することができ、多くの工場を拡張することができると思います。

 すべての工場、企業所が、朱乙亜麻工場の模範にならうべきだと思います。自分の力で機械をたくさんつくりましょう。

 それから、工作機械をあまり分散させるべきではありません。工作機械を分散させて非能率的な使い方をしている最も甚だしい例は、水産事業所に見られます。不必要に工作機械を各所に分散させています。工作機械をより集中的に利用し、修理工場を完備するようにしなければなりません。

 化学工業も発展させなければなりません。古茂山セメント工場では、いま稼働している1基の焼成炉の能力を高めて計画を必ず遂行するようにし、自力で建設する予定の焼成炉1基を早急に完成し、また、すでに建設ずみの10基の立窯もその生産性を早く高めるべきであります。現存する焼成炉の稼働率をさらに高め、今年少なくとも1万トンのセメントを増産し、今後50万トン以上のセメントを生産する工場に発展させなければなりません。

 阿吾地化学工場を速やかに復旧し、来年にはメタノールを生産しなければなりません。この工場の支配人は、長いあいだ工場の番をするだけで遊んでいた習癖がそのまま残っているようです。我々が望み党が要求するのは、気をゆるめず仕事をし工場を早く復旧し、技術装備をさらにととのえて速やかにメタノールを生産し、ゆくゆくは燃料油の精製もおこなうようにすることです。

 軽工業部門では、先に述べたとおり、清津紡績工場で今年約1万4000トンの人絹糸とスフを生産する決意のもとにたたかっています。この工場の労働者、技術者、事務員たちも工場の復旧建設に多くの力を注ぎ、現在では生産計画を正常に実行しています。今後も計画を実行するものと思います。

 こんにちの重要な課題は、製品の品質を高めることです。糸をもっと細く、強く、きれいに紡げば、立派な織物を織ることができます。製品の品質を高めるたたかいをくりひろげると同時に、工場を復旧し設備を増設する仕事も完了しなければなりません。そうして来年には、2万トンの人絹糸とスフを生産するようにすべきであります。今後この工場でも、トウモロコシの茎や芦でパルプを生産する対策を立てるべきだと思います。

 次にこの工場では、紡糸職場の有害な条件を取り除き、労働者に衛生的で便利な作業環境をととのえなければなりません。

 会寧製糸工場では、生産の成果が良好です。吉州製糸工場はやや立ち後れている方ですが、早く盛り返さなければなりません。まだ、生産施設の完備していない部門は、党組織が労働者に呼びかけて早く完備するたたかいをくりひろげるべきです。

 次に、会寧地方でテンサイを栽培し砂糖工場を建てなければなりません。今年はまず手はじめとして、砂糖の試験生産をおこない、来年には1万トン程度の砂糖の生産が可能な工場の建設を完成するようにすべきです。この工場に必要な機械は全部注文してあるため、その建設を決定的に推進しなければなりません。

 すでに1954年に砂糖工場建設の課題を与えているのに、テンサイの種子まで全部なくしてしまいました。今年はテンサイを栽培するかたわら、砂糖工場を必ず建設しなければなりません。

 みなさんも知っているとおり、咸鏡北道は、食肉生産の極めて大きな可能性をもっています。今後、食肉や牛乳、卵をたくさん生産するためにたたかい、これを加工する工場を建てる必要があります。

 咸鏡北道では、朱乙電機工場をはじめ、生気嶺窯業工場、鏡城窯業工場などで陶芸を生産していますが、これは非常に重要なことです。これらの窯業工場にたいして党的な関心を払わなければなりません。陶磁器は、人民の生活になくてはならないものです。

 昔から、我が国の陶磁器は有名です。我々の先祖は、立派な陶磁器を生産しました。しかし我々はいま、陶磁器の生産で先祖たちより劣っています。

 我々は窯業をさらに発展させ、陶磁器の品質を高めるべきです。陶磁器の品質を高めるために焼成時間を十分にとり、技術水準を高めなければなりません。

 朱乙電機工場へいって見ると、機械化できる可能性がいくらでもあります。生気嶺窯業工場や鏡城窯業工場などでは、全く機械化をおこなっていません。朱乙電機工場では自分たちで機械を考案して生産に取り入れています。こういう経験を一般化して機械を導入し、技術水準を高め、窯業工場を計画的に発展させるべきだと思います。

 将来、朱乙一帯を我が国第一の陶磁器生産地につくり、朱乙の陶磁器と言えば知らない人がいないくらいにしなければなりません。良質の粘土があるばかりでなく、長石も近いところにあり、陶磁器の生産に必要な条件がすべて備わっています。したがって、いくらでも陶磁器を立派につくることができます。

 道内の地方産業について言えば、新しく建設された工場を組織的、経済的に強化することが重要であります。昨年の6月総会以後、咸鏡北道でも地方産業工場が少なからず建設されました。これは非常によいことです。

 地方産業工場をひきつづき拡張、発展させ、各郡の遊休労働力をすべて生産に参加させるようにし、生産協同組合を組織的、経済的に強化するために努力しなければなりません。そして、地元の原料源を多く見つけ出さなければなりません。よそからもらうことを期待する傾向をなくし、地元の原料で生産するようにすることが必要です。

 すでに述べたとおり陶磁器を生産するのもよいことであり、また貝殻を原料にする工場を立てることもできます。雄基(ウンギ)戦傷栄誉軍人協同組合では貝殻で非常に立派なボタンをつくっています。貝殻は海辺にいくらでもあります。貝殻を利用して装飾品をつくったり、そのほかにもいろいろなものをつくることができます。

 海にある甘藻も使い道がたくさんあります。羅津にいって見ると甘藻で繊維を生産していましたが、大変立派なものです。甘藻を大量に採取して加工すれば、綿の代用としても使えるし、織物として服の裏地に使うこともできます。

 また、咸鏡北道では水晶がたくさん取れます。水晶でいろいろ工芸品をつくることもできます。

 そればかりでなく、柳の枝で行李や各種の旅行用具をつくることもできます。品質を高めれば輸出することも可能です。柳の枝で行李やかごのようなものを大々的につくるべきです。

 このように、地方の豊富な資源を利用すべきだと思います。

 そして、郡機関所在地に食品加工工場を建てて、油も搾り、食肉の加工もおこない、野菜や果物の加工も大々的におこなうようにしなければなりません。

 地方産業で重要な問題は、商品の品質を高めることであります。製品の品質を高め原価を引き下げながら、より多く生産するたたかいをくりひろげなければなりません。

 いまだに、道人民委員会や郡人民委員会では、地方産業にたいする指導を十分におこなっていません。道人民委員会の地方産業管理局、郡人民委員会の地方産業管理部では、道営、郡営の工場を計画的に運営するために努力しなければなりません。


 4 農業について

 農業分野で、我々が1954年に咸鏡北道の党組織に示した課題は、半農半漁、半農半畜を主にするようにということでした。しかし、咸鏡北道の党組織は、この課題を極めて不満足に実行しています。

 こんにち、農業分野における咸鏡北道党組織の課題についてもう一度強調したいのは、咸鏡北道では穀物問題の解決に力を入れるとともに、畜産業と漁業の発展にも、穀物におとらず関心を向けるべきだということです。

 こうして、農業も立派に営み、食肉や魚類もたくさん生産するようにしなければなりません。

 海では魚をとり、陸では食肉、卵、牛乳などを生産すべきです。咸鏡北道には小さな平野しかありません。したがって、山に近いところでは畜産業を主とし、海に近いところでは漁業もおこなうようにしなければなりません。

 大体、山間部では半農半畜を営み、海岸地帯では半農半漁を営み、一部の地域では農業だけを営むこともできます。大部分は、半農半漁、半農半畜を主としなければならないと思います。山をうまく利用し、海をよく利用する問題がいちばん重要です。

 農業と畜産業を発展させるため道党組織に提起される重要な課題は、治山治水であります。治山治水をおこなわなければ農業や畜産業を発展させることはできません。

 咸鏡北道は地理的に見て、山が高く海に接近していて、いつも霧が多くかかるところです。山が高いため、日照りのときには干上がり、雨が降ると急流が押し寄せてはんらんするため、多くの土地が流失し、人命の被害もしばしばあります。それゆえ、咸鏡北道では必ず治山治水を最も重要な課題とみなさなければなりません。こうして、洪水をなくすとともに、水を利用して畑潅漑をおこない、水田も開いて干害をなくせば、万事うまくいくでしょう。

 まず、金策郡から富寧郡までの区間にかけて着手し、その次に北へ入りながら進めていくべきです。各郡で、川をせき止めて貯水池をつくり、長雨時には貯水しておき日照りのときにはその水で潅漑をおこなえば、水害も干害も防ぐことができます。それゆえ、道党組織では、今年から治山治水を大衆あげての運動としてくりひろげなければなりません。

 金策郡の葛坡(カルパ)川、吉州郡の南大(ナムデ)川、花台(フデ)郡の龍山(リョンサン)川と花台川、鏡城郡の朱乙川と温泉(オンチョン)川を全部せき止めるべきです。これらの治水工事は、必ず電力も生産し、洪水と干ばつの被害も防ぎ、養魚もできるようにおこなわなければなりません。

 こうすれば、咸鏡北道の農民もよい暮らしができます。問題はみなさんがこれを早く進めるか、遅く進めるかにかかっています。平安南道の農民の生活水準が早く向上しているのも、やはり安州(アンジュ)潅漑工事のような難しい工事を多くおこなったおかげです。

 ですから、潅漑工事を大衆あげての運動でおし進めなければなりません。潅漑をおこなえば咸鏡北道だけでも、およそ4万KW〜5万KWの発電能力を得ることができます。これは少ないものではありません。今年の下半期からはじめて1961年までに、治山治水事業を大体終えなければなりません。問題は、みなさんが2年間でこれを遂行する自信があるかどうかにかかっています。実行しないでためらってばかりいたのでは、いつまでたってもできません。咸鏡南道ではもうはじめています。党の決定にあるとおり咸鏡北道でも実行に移すべきです。

 治山治水は、まず清津以南で大々的におこなうべきです。この事業は、労働者が援助し、都市の学生青年も援助するでしょう。停戦直後、平安南道で安州潅漑工事をおこなうとき、多くの人が「できもしないことをやろうとしている」と言って笑ったものです。ところがやってのけました。咸鏡北道で治山治水をおこなえば、およそ2万ヘクタールの耕地に潅漑ができ、洪水をほとんど防ぐことができます。

 次に、農作物の配置では、耐寒性の作物を植えることが重要です。寒さによく耐える作物を選んで栽培しなければなりません。投機的な冒険をするのは危険です。耐寒性の作物は収穫が少ないように見えても、安全なので実際には収穫が多いのです。冒険をすれば、かえって大きな損をすることがあります。稲も耐寒性の強い品種を植えなければなりません。吉州以南では、「水原(スウォン)82号」を植えるべきか、「原野(ウォンヤ)2号」を植えるべきかという問題をめぐって論議が多いようですが、冷害に耐える「原野2号」を植えるべきでしょう。「水原82号」は数年間試験をした後に、安全性が実証されてから植えるべきです。

 畑作でもバレイショのよくできる地帯ではバレイショを主に栽培し、トウモロコシがよくできればトウモロコシを主に栽培すべきです。つまり、適地適作の原則を守らなければなりません。

 冷床苗にしても、試験してみて、よくできるところでは取り入れ、よくできないところでは無理に押しつけるべきではありません。私の考えでは、冷床苗は田植えを1か月早めるので、この地方でも可能だと思います。

 この地方では、大豆、エゴマ、亜麻、大麻、テンサイ、たばこ、ホップのような耐寒性の工芸作物を多く栽培すべきです。食用油をとり、豆腐もつくって食べるためには大豆がなければなりません。大豆は間作としてばかりでなく、主作としても植えるべきです。特に清津以北では、エゴマやテンサイなどの工芸作物をたくさん栽培すべきです。咸鏡北道は工場地帯であるだけに、労働者に野菜や食用油などを十分供給できるように農業をいとなむことが重要であります。

 また、この地方に適した育種をおこなわなければなりません。鏡城試験農場一つだけでは不十分です。各郡、各協同組合に試験圃場をもうけ、この地方に適した品種をつくり出さなければなりません。

 全般的に、咸鏡北道の農業では畜産を主としなければなりません。そのためには、放牧地をたくさんつくり、飼料作物を多く植えるべきだと思います。例えば、金策郡の上坪(サンピョン)協同組合では、地味のよい畑に植えたバレイショはヘクタール当たり7トンとれたが、やせた畑に植えたキクイモはヘクタール当たり22トンもとれたそうです。豚は、バレイショでもキクイモでもよく食べますが、飼料としてはキクイモを植えた方がはるかに有利です。

 それから、急傾斜の土地や荒地は放牧地に変えるべきです。草も植えるようにして放牧地をつくらなければなりません。草も我が国でよく育ち、我が国にあるものを植えるべきです。山へいけば、クズ、スベリヒユ、クローバなどがたくさんあります。種子を採取してこういうものを植えるべきです。農民は、豚がどんな草をよく食べ、牛がどんな草をよく食べるかをよく知っています。

 このようにして飼料基地をつくり、山間部では、主に兎・羊・ヤギ、乳牛などを飼うべきです。朝鮮牛を乳牛に改良すべきです。これらはみな草食動物です。草は大量にあるので、山間部では主に草食動物を飼い、平坦部では主に鶏、兎、豚を飼うべきです。畜産を大胆におこなうべきであって、消極的になってはなりません。押しつけられてしぶしぶおこなう人もいますが、大胆に取り組めば必ずできると思います。

 平坦部では、湖や沼なども利用すべきです。羅津郡には沼や湖がたくさんあります。これを利用して鮒を飼ったり、沼の草を餌にしてアヒルを飼ったりすれば大変よいと思います。また、ここでは養蜂や淡水養魚も可能です。

 海辺では半農半漁に重点をおき、ワカメ、昆布、ナマコ、カキなどを養殖すべきです。元手をかけずにただで得ようとばかりせず、養殖をおこなって海辺で収入を多く得るようにすることが必要です。

 さらに、山には、いろいろな果樹を植えなければなりません。リンゴのように植えてから7・8年たたなければ実らないようなものばかり植えるのではなく、早く実を結ぶものを植え、特に野生果樹の改良もおこなうべきです。子孫のためには、果樹をたくさん植えなければなりません。祖父の時代になにもしてくれなかったので、現在、我々が貧しい生活をしているではありませんか。我々が仕事を立派にしておけば、子孫が幸せに暮らすことができます。キノコやワラビも栽培し、桑を植え、柞蚕林をつくって蚕も飼うべきです。ここには、アカシアや萩の花が多いので、蜂蜜を大量に生産することもできます。

 このような事業をおこなうのが、すなわち山を利用し海を利用することです。

 畜産業では、育種事業を強化することが重要です。農牧場で種畜をつくってくれることを当てにせず、すべての協同組合がそれぞれ育種事業をおこなうようにしなければなりません。

 畜産業を発展させるためには、家畜防疫事業を強化すべきです。畜産で最も重要なことは防疫事業です。それゆえ、防疫規律を厳格に守り、衛生事業を手抜かりなくおこなわなければなりません。

 咸鏡北道には、大きな農牧場がたくさんあります。これらの農牧場の仕事を改善するため、党の指導を正しくおこなうようにしなければなりません。

 5号農場は、豚肉の生産と、大家畜を飼育する牧場に移行すべきです。これまではバレイショをつくってきましたが、必ず食肉を生産しなければなりません。国営農牧場では食肉を生産する方向へ、その事業を全面的に改編すべきです。今後、農牧場で生産した穀物は、全部食肉に変えるようにしなければなりません。5号農場、会寧牧場、龍猪(リョンジェ)牧場、羅津牧場などでは、食肉の生産を早急にふやさなければなりません。

 種畜場でもすべて、食肉やその他の畜産物を生産しなければなりません。もちろん、種畜事業をやめるようにということではありません。我が国にない品種が入ってくれば適時に種畜事業をおこなうべきであり、大部分の農業協同組合でも自力で種畜事業をおこなうようにすべきであります。

 雄基郡では、郡内の農業協同組合と水産事業所、水産協同組合などを全部統合して、実験的に全郡を一つの国営農場にしてみるのがよいと思います。これが有利な点は、労働力を季節に応じて合理的に利用することができ、水産や養魚もおこない、アヒルも飼い、農業も営んで、大規模の多角経営を発展させることができるところにあります。

 清津市に畜産物を直接供給するため鏡城種畜場を改編すべきです。これは、兎の肉や鶏肉、卵などを清津市内の労働者に供給するために必要なことであります。


 5 水産業について

 水産業では、遠洋漁業を発展させなければなりません。この事業は、党中央委員会1957年4月総会の決定が採択されたのちにも、まだ順調におこなわれていません。

 遠洋漁業のために大型漁船を建造するとともに、また一部は買い入れなければならないでしょう。

 また、鯨やイルカの捕獲を発展させなければなりません。こうして、油の問題を解決すべきです。

 いま、水産業での一番大きな欠陥は、季節的に働くだけで中小漁業、細小漁業をおこなわないことです。四季にわたって海を空けずに魚を捕るべきであり、出漁回数を増やすべきです。現在、出漁回数は非常に少ない状態にあります。他の部門の労働者は、1年に300日余りも働いているのに、水産部門の労働者は漁労作業を150日間もおこなっていないようです。少なくとも250〜300日は出漁すべきです。

 これには、造船所幹部の官僚主義が少なからず支障を与えています。一度、船を修理にやると時日を長く引き延ばし、また修理を念入りにおこなわないので、いくらもたたないうちに故障を起こして再び修理することになります。それだけでなく、船を修理するときには必ず機関長をはじめ10人余りの人がついていかなければ修理をしてくれません。清津造船所、羅津造船所などがいずれもそうであり、特に雄基修理所の官僚主義は甚だしいものです。

 また、各水産事業所では大型船を修理しているあいだ、小型船で漁労ができるにもかかわらず遊んでいるありさまです。水産業は、季節的な制約から抜けださなければなりません。

 それから、水産事業所従業員の家族も全部働くようにするのがよいと思います。かれらに網を干したい、網をつくろったり、新しく網を編んだりする仕事をさせることが必要です。

 次に、水産業を発展させるうえで重要な問題は、淡水養魚と浅海養殖に力を入れることです。海の浅いところでは、昆布、ワカメ、ナマコ、キンコなどを養殖し、淡水では、鯉、鮒、ニジマスなどをたくさん養殖すべきです。

 次に、水産物の加工の質を高めなければなりません。

 水を採取し、冷凍工場をたくさん設置して鮮魚や冷凍魚を大量供給するようにし、メンタイ加工の質を高めなければなりません。メンタイの加工では、腹を割って塩づけにしてから開きにするのもよいでしょう。また、魚の頭で魚粉を生産する工場を建てるべきです。特に、魚を乾燥する装置をもうけて加工するようにしなければなりません。

 また、水産業にたいする科学的・技術的指導を強化しなければなりません。我が国の水産業は、科学・技術に欠けています。いまでも昔のままの方法で無計画に魚を捕っており、発展が極めて緩慢です。このようなやり方と強くたたかわなければなりません。

 そして、青年がこの部門に多く進出しなければなりません。水産業で一大革新を起こすためには、青年が海に進出しなければなりません。

 これとともに、水産部門の働き手のあいだで思想闘争をくりひろげなければなりません。無計画にやっていく古い習慣や投機癖、一回海へ出て大漁だったからといってはむだに食いつぶし、不漁だからといっては、また食いつぶすといったような生活をする傾向とたたかわなければなりません。


 6 建設事業について

 次は、建設部門の仕事について述べようと思います。

 建設事業では、労働者の住宅をさらに多く建てることが重要です。今年、清津市に計画より3000所帯を追加して、5000所帯分建てなければなりません。5000所帯分の住宅を建てるためには、金策製鉄所と城津製鋼所で鋼鉄を増産して線材と丸鋼をつくり、古茂山セメント工場ではセメント1万トンを増産して清津市に供給しなければなりません。また、金策市には、計画より1500所帯分をさらに建てて住宅問題を解決しなければなりません。

 建設では必ず、地元の資材を多く利用することに重点をおき、建設の質を高めなければなりません。

 農村建設で重要な問題は、党の方針に反して家を平地に建てるのをやめ、山すそに建てるようにすることです。家を農耕地から山すそに移して耕地をさらにふやし、田畑の耕転作業を機械化できるようにしなければなりません。新しく建てたばかりの家は取り壊すわけにいきませんが、これから建てるときは山すそに建てて農耕地を侵さないように統制を強めなければなりません。

 いま咸鏡北道では、既存の建物を修理し、復旧して使おうとしません。羅津には立派な家がたくさんありますが、すでに何年か前に指示したにもかかわらず、手入れして使おうとしません。

 廃鉱にした鉱山では、壊れた建物を廃屋にすべきではなく、農業協同組合に移管して学校や組合員の家を建てさせればよいではありませんか。ひとにもやらず、自分でも使わずに廃屋にするような正しくない傾向とたたかわなければなりません。


 最後に、労働者の生活を向上させる問題にたいして全党が関心を払うべきであります。咸鏡北道では、道内の労働者に食肉も満足に供給しておらず、野菜も十分に供給していません。

 我々が党の政策を実行するのは、労働者の利益を守り、勤労者の生活を向上させるためであります。

 工場では必ず、クリーニング店、理髪所を設置し、浴場、幼稚園、学校はもちろんのこと、食堂、商店、寄宿舎などを完備して清潔にととのえるために努力する一方、病院、診療所なども勤労者に立派に奉仕するようにしなければなりません。工場、企業所地区では、いつも野菜、食用油、豆腐、牛乳、食肉、卵などを切らさないようにし、特に商店に鮮魚が切れないようにしなければなりません。

 以上のようなことが、咸鏡北道の党組織が果たすべき重要な課題であります。私は、この会議ののち、道党組織の活動においても、人民委員会の活動においても、また人民経済のすべての部門においても一大転換と躍進がもたらされるものと確信します。

 出典:『金日成著作集』13巻


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