金 日 成

わが国における社会主義的農業協同化の
勝利と農業の今後の発展について
全国農業協同組合大会でおこなった報告 
1959年1月5日

 同志の皆さん!

 こんにち、我々は、わが国と民族の歴史上前例のない革命的高揚と繁栄の時期を迎えています。

 わが党の指導のもとに、朝鮮人民は、戦後の復興建設における幾多の難関を克服して自立的経済の土台を築き上げ、共和国北半部で社会主義革命の決定的な勝利をおさめました。この土台を踏まえて、わが国における社会主義建設は一大高揚期に入り、全人民は党の呼びかけにこたえて、チョンリマ(千里馬)を駆る勢いで前進しています。社会主義建設のすべての部門で、連日のように人々を驚嘆させる成果が生み出され、偉大な飛躍がもたらされています。

 労働者階級の英雄的な労働によって、現代技術で装備された数多くの工場、企業所が次々と建設され、工業生産力は、飛躍的な発展を遂げています。わが国の工業生産は、1957年には前年より44%も増大し、さらに1958年には40%も増大しました。昨年わが国の労働者は、戦前の1949年の3.7倍にあたる工業製品を生産しました。

 工業とともに農業、鉄道運輸、基本建設など、人民経済の各部門においても大きな成果をおさめました。

 昨年9月、わが党は社会主義建設でおさめた成果と、勤労者の高度の革命的熱意にもとづいて、わが国を発展した社会主義工業国にかえる雄大な展望課題を提起しました。

 わが党が提起した雄大な展望課題は、勤労者の熱烈な支持をうけており、彼らのあいだでより高度の革命的熱意を呼びおこしました。いま、わが国の勤労者は、共和国北半部の社会主義建設を促進するため、当面する第1次5か年計画を2年繰り上げて完遂し、党が示した展望課題を立派に実現する決意のもとに、類例のない生産的熱意と尽きることのない創造的才能を発揮しています。

 社会主義建設の雄大な綱領を実現するうえで、農業は極めて重要な役割を担っています。農業生産力をさらに高い水準に発展させることなしには、勤労者に食糧を豊富に供給することはもちろん、急速に発展する工業に原料を十分に供給することもできません。

 わが党の指導のもとに、農民は、既に農業生産力の復旧と発展で大きな成果をおさめ、農業の社会主義的協同化を完成しました。こんにち、農民は、農村の技術革命と文化革命を遂行し、農村を現代技術を備えた、豊かで文化的な社会主義農村に変えるために闘っています。

 このような環境のもとで開かれたこの全国農業協同組合大会は、農民ばかりでなく、わが国の全人民の生活にとっても歴史的な意義をもっています。

 我々はこの大会で、党の指導のもとに農民が農業の社会主義的改造でおさめた偉大な勝利を総括することになります。

 我々は、破壊された農業を復興し、農業生産力を発展させ、零落した農民の生活を速やかに向上させる闘いでかちとった輝かしい業績を総括することになります。

 我々はまた、農業部門に提起される新たな戦闘的課題を全面的に討議し、その実現をめざしていっそう勇敢に前進するでありましょう。

 同志の皆さん!

 農業問題と農民問題は、わが国の革命において最も重要な問題の一つであります。わが党は、一貫して、この問題の解決に深い注意を払ってきました。

 解放後、農村における土地問題の解決が最も緊迫した革命の課題として提起されました。わが国の農村を支配していた封建的土地所有関係は、幾百万の農民を封建的な搾取と従属のもとにおき、農業生産力の発展を束縛していたし、全般的な社会の進歩を阻む足かせとなっていました。したがって、土地問題の解決は、反帝反封建民主主義革命の基本的内容をなしていました。

 農民の積極的な支持と参加のもとに、わが党と人民政権がなし遂げた歴史的な土地改革は、農村におけるこの宿弊を清算して、農民を封建的搾取から解放し、農業生産力の発展の道をきり開きました。土地改革によって、日本帝国主義者と地主が所有していた100万ヘクタール以上の土地を無償で没収し、土地をもっていないか、あるいは少ししかもっていない70余万の農家に無償で分配しました。地主的土地所有制が一掃され、土地が耕作する農民の所有となった結果、農業は急速に発展し、農民の生活は著しく向上しました。土地改革は、都市と農村、工業と農業の経済的な連係を強め、労働者階級と農民の同盟を強化しました。このように、わが国で実施された土地改革は、政治的、経済的に大きな意義をもつ深刻な革命的変革でありました。

 しかしながら、土地改革は農民問題を最終的に解決することはできず、農業生産力を完全に解放することもできませんでした。

 土地改革が実施された結果、わが国の農村では小商品生産的な個人農経営が支配的になりました。レーニンが述べているように、小商品生産はたえず、日ごとに、刻一刻、自然発生的に資本主義とブルジョアジーを大量に生み出すものです。もちろん、わが国では、権力が労働者階級を中核とする人民の手に握られ、基本的な生産手段が国家に集中し、また土地改革も徹底的におこなわれた条件のもとで、農村におけるこのような階級分化の過程は極度に制限されざるをえませんでした。しかし、小商品経済の条件のもとでは、農民の生活を根本的に改善することも、農村で搾取と貧困の根源を最終的に一掃することもできませんでした。

 小規模に分散した個人農経営は、計画的に発展させることができず、そのほとんどは拡大再生産を実現することができません。小農経営が支配する限り、農業がその発展において、必ず一定の限界にはばまれるであろうことは明らかでした。これとは逆に、国有化されたわが国の社会主義的工業は、国家計画によって速い速度で復興発展し、たえず拡大再生産を実現しました。人民政権は、このように異なる2つの経済的基礎、すなわち、大規模で集中した社会主義的工業と、零細で分散した個人農経営にいつまでも立脚していることはできませんでした。

 この矛盾は、早晩解決されなければならない問題として我々に残されていました。マルクス・レーニン主義が教えているように、またソ連の経験でみるように、個人農経営を社会主義的協同化の道へ導くことによってのみ、農民問題の解決は可能となり、農業生産力は古い生産関係の束縛から完全に解放されるのであります。

 停戦後のわが国の情勢は、農業問題と農民問題のこのような解決を、最も緊迫した課題として提起しました。

 3年間の戦争で人民経済はあますところなく破壊され、都市と農村は廃墟と化しました。人民の生活は全く零落し、食糧や衣料も非常に欠乏していました。我々は、短時日のうちに工業と農業を復興して自立的経済の土台を築き上げ、零落した人民生活を改善しなければなりませんでした。

 ここで、農業を急速に復興発展させ、特に住民の食糧問題を解決することが最も重要な問題の一つとして提起されました。

 戦争のため農業の物質的土台はひどく破壊され、農村では労働力と畜力が非常に不足しました。農家経営は、さらに零細化し、その経済的土台はさらに弱まりました。

 このような条件のもとで、小商品生産的な個人農経営のあらゆる制約性は、ますます顕著になりました。個人農経営をそのままにしておいては、ひどく破壊された農業を速やかに復興することはもちろん、戦後、非常に困難となった食糧問題を解決することもできませんでした。これが、工業の急速な復興発展と、ひいては人民経済全般の復興事業に大きな障害となることは明らかでした。こうして、社会主義的工業と個人農経営との矛盾は、戦後のわが国の状況では、急速に復興発展し質的に変化していく工業と、極めてゆるやかに復興していく農業との甚だしい不均衡となってあらわれる恐れがありました。また、搾取と貧困の根源を取り除くことのできない小農経営を土台にしては、零落した農民の生活を速やかに改善することはできず、特に、戦争中にさらにふえた貧農の問題を解決することができませんでした。

 戦後、わが国の農業のまえに横たわるすべての難関を克服する唯一の道は、個人農経営の協同化にありました。農業の社会主義的改造なしには、破壊された農業生産力を速やかに復興し、いっそう発展させることもできず、したがって、工業と農業のつりあいのとれた発展を保つこともできませんでした。社会主義的協同経営を土台にしてはじめて、零落した農民生活を早急に安定させ、さらには農民の生活を根本的に改善することができるのでした。

 そこで、わが党は、停戦直後の1953年8月に招集された党中央委員会第6回総会において、農業協同化の課題を提起しました。

 農業の協同化は、社会主義革命において、最も困難な課題の一つです。レーニンは、「小規模の個人農経営から共同的土地耕作への移行のような、生活と風習の最も奥深い基礎にふれる、幾千万の人々の生活上の最も偉大な変革は、長期の努力によってはじめて遂行され、また、このような変革は、一般的にいって人々が自分の生活を変える必要に迫られたときにはじめて実現しうる」と述べています。

 わが国での農業協同化運動も、その準備は、既に戦前の時期から徐々に進められ、それが農民の生活で切実な要求となったときはじめて、当面の任務として提起されました。

 反帝反封建民主主義革命の遂行を通じて地主と買弁資本家を一掃し、基本的な生産手段を国有化したことは、その後の農業の社会主義的改造の重要な前提条件をつくり出したことになります。

 我々は土地改革をおこなうにあたって、地主の土地とともに本人が耕作しないすべての土地を没収し、土地改革後には、土地の売買、抵当、小作などを厳しく禁止しました。このように、土地改革が徹底しておこなわれた結果、単に地主階級が一掃されたばかりでなく、もともとわが国では勢力が弱かった富農も大きな打撃をうけ、その成長は極度に制限されました。

 人民政権は、民主改革の完遂にもとづいて、次第に資本主義から社会主義へ移行する過渡期の任務を遂行しはじめました。党と政府は、社会主義工業を速やかに発展させ、流通分野で国営商業および協同経営商業を拡大するなど、人民経済のすべての部門で社会主義的要素をたえず強化する一方、税金と価格政策などを通じて資本主義的要素の成長を統制し、制限しました。これとともに、都市と農村、社会主義的工業と個人農経営との経済的連係をさらに発展させ、個人農経営の発展に対する計画的な調節を強化しました。わが党はまた、既に戦前から、国営農牧場、農業機械賃耕所などをつくって、農民に農業の機械化と大規模経営の優位性を示し、彼らを次第に社会主義の道へ導くための準備を進めました。

 特に戦時中、わが党は、農村事業に主力を注いで国営農業を大きく拡張する一方、農村における労働力、畜力および農機具などの甚だしい不足を打開するために、わが国で長い伝統をもつ役牛共同利用班、労働互助班など協同的な労働形態を農民のなかに広く普及し発展させました。これは、農民のあいだで相互協力の気風と協同経営への志向をますます高めました。

 同志の皆さん!

 わが党は、農業協同化運動を極めて慎重に、そしてまた積極的に指導しました。

 党は、農業協同化運動の指導にあたって、レーニン的自発性の原則を厳格に守り、実際の経験を通じて農民に協同経営の優位性を認識させ、それにもとづいて、この運動を大衆的に発展させる方針をとりました。

 停戦直後に、農村でわが党の農業協同化の方針を最も積極的に支持し、受け入れたのは貧農でした。彼らは、その苦しい境遇からして、またわが党のたゆみない教育によって、自分たちの経営を改造しなければ生活の改善は望めず、社会主義的協同経営の道のみが幸福をもたらすことを自覚するようになりました。

 党は、これらの貧農と農村におけるわが党の積極分子に依拠して、まず彼らを動員して各郡にいくつかの農業協同組合を組織しました。これは、わが国での農業協同化運動の経験的段階でした。わが党は、この経験的段階を通じて、活動家たちに協同経営組織の経験を積ませ、協同化運動の勝利に対する信念を強めさせるとともに、主には、すべての農民、特に、中農に協同経営の優位性を実物で示すことにより、彼らを大衆的に協同化運動に引き入れることを目的としました。

 最もやせた土地を耕作しており、誰よりも役牛や農機具が不足し、そして生活の最も困難な貧農だけで組織された農業協同組合をもり立てて、個人経営に対するその優位性を示すのは、非常に難しいことでした。しかし、我々はそれが十分可能であると確信しました。

 その際、我々の指針となったのは、いかなる社会制度も一定の階級の財政的支援があってのみ発生するものであり、社会主義国家が普通の程度以上に支援すべき制度は協同組合制度である、というレーニンの言葉でした。

 党と国家は、初期に組織された農業協同組合の管理運営を積極的に指導し、彼らに食糧や種穀の貸与、肥料と農機具の優先的な供給、財政融資の実施、労働力の提供など、全力をつくして国家的援助を与えました。このような国家の援助と組合員の献身的な労働によって、農業協同組合は次第にその優位性を示しはじめました。既に1954年には、協同経営における穀物の単位面積当たりの収量が、個人農経営に比べて10〜50%ものび、現金収入は2〜7倍も高まりました。

 こうして、わが国の貧農は、党の指導と国家の援助のもとにあらゆる難関と障害を勇敢に克服して前進し、農業協同化運動における栄えある先駆者の役割を果たしました。彼らが組織した農業協同組合は、当時、農村で支配的であった個人農経営に比べてとるに足りないものであり、極めて微弱なものであるかのように見えましたが、それは新しく育つ芽として、わが国の全農村に社会主義革命の火の手をあげさせる偉大な力となりました。

 まさに、これらの協同組合がその優位性をはっきりと示し、またわが党が広範な農民のあいだでたゆみなく組織・政治活動をおこなった結果、貧農だけでなく中農も協同化運動に加わるようになり、わが国の農業協同化運動は大衆的な発展段階に入りました。

 農民が大衆的に協同経営に加入するにつれて、協同経営の形態と規模の問題が非常に重要になってきました。

 わが党は、土地が農民の私的所有であり、農民の経済状態と準備の程度がそれぞれ異なっている事情を考慮して、協同化運動を提起した当初から協同経営の3つの形態を規定し、組合を組織するにあたって具体的な状況に適した形態を選ぶように農民を指導しました。協同経営の第1形態は、作業だけを共同でおこなう固定的な労働互助班であり、第2形態は、土地を統合して共同経営をおこなうが労働と土地によって分配をおこなう半社会主義的な形態であり、第3形態は、土地と基本的な生産手段を統合し労働によってのみ分配をおこなう完全な社会主義的形態であります。

 組合を組織するにあたって、我々は組合員の役牛や農機具などを機械的に統合しないで、彼らの希望によって統合するか、あるいは一定の時期までひきつづき私的所有のまま残して共同で利用するようにし、統合する場合は、必ずそれに相当する代価を支払いました。

 協同経営の3つの形態と生産手段のこのような統合方式は、中農が協同経営を容易に受け入れることを可能にし、協同化の過程であらわれうるさまざまな偏向を事前に防げるようにしました。

 協同経営の運営経験が浅いうえに、管理幹部の水準が低く、わが国の農業技術がおくれている条件のもとで、わが党は協同組合の規模を比較的小さくし、40〜100戸程度で組織しました。当時の状況では、協同組合の規模はこの程度が適当でした。

 わが国の農業協同化運動は、協同経営の量的拡大とともに、その質的強化も並行して進められました。

 党は、農民の熱意の向上にもとづいて協同化運動を積極的におし進める一方、組織された農業協同組合を政治的、経済的に強めるため、その指導活動に党と国家の力を集中しました。特に、我々が1955年の初頭から、中央と地方の幹部数千人を派遣して毎年1〜2回ずつおこなった集中指導は、わが国の農業協同化運動の発展に重要な役割を果たしました。我々は、このような指導活動を通じて管理幹部を正しく選抜、配置し、組織されて日の浅い協同組合の社会主義的な規律と制度を確立し、組合員の社会主義的教育を強化し、生産を急速に増大させて組合の経済的土台を強化し、組合員の生活を短時日に改善するうえで大きな成果をおさめました。

 農業協同組合の強化において、労働者階級の国家的支援は決定的な意義をもつものでした。戦後の数年間に、潅漑・河川建設工事、農業機械賃耕所網の拡張、農業技術者の養成などのため、農業部門に総額120億ウォンの国家資金が投下されました。

 戦後、わが党は、重工業を優先的に発展させながら、特に農業と軽工業の発展に緊要な重工業部門に力を集中しました。こうして国家は、農村に化学肥料、農業機械、建設資材および各種の消費物資を大量に供給しました。

 これとともに、戦後、国家は、経済的土台の弱い農業協同組合と貧農に対して、30余万トンの食糧および種穀、243億ウォン以上の営農資金を貸与し、16万トン以上の現物税および貸与穀物の納入と14億ウォン以上の貸付金の返済を免除しました。また、1956年からは、農民の負担を減らし、彼らの生産意欲を高めるために全般的に固定現物税制を実施し、税率を大幅に引き下げるとともに、農業協同組合に対しては、現物税高の5%をさらに引き下げました。

 農村における深刻な労働力の不足を打開するために、わが党は戦後、数万の除隊軍人と多数の初級中学および高級中学の卒業生を農村に配置し、毎年、重要な営農期ごとに事務員、学生、軍人を動員して、延べ数百万工数に達する労働力の援助を与えました。

 このようなわが党の正しい指導と国家の大きな援助によって、またそれに励まされた農民の献身的な労働によって、我々は、戦後のあれほど困難な状況にもかかわらず、また、協同経営がわが国でははじめて生まれた制度であり、その経験が非常に浅かったにもかかわらず、量的に急激に増大した農業協同組合を短時日のあいだに政治的、経済的に強化し、農業生産力をたえず発展させ、農民の生活を速やかに改善することができました。

 組織された農業協同組合が強固になり、その優位性がはっきりとあらわれてくるにつれて、農業協同化運動の発展はますます促進されました。

 農業協同化でおさめたこのような経験と成果にもとづいて、わが党第3回大会は、第1次5か年計画の期間に農業の協同化を完成するという歴史的な課題を提起しました。わが党は、第3回大会が示したこの課題を短期間に実現するため、協同化におけるこれまでの勝利を強固にする一方、協同化のおくれた地方に力を集中しました。

 この時期に、まだ農業協同組合に加入していなかった階層は、主に富裕な農民と都市の周辺で農業のかたわら、かなりの商売をおこなっている農民、極めて分散的な山間部の農民、それに新解放地区の農民たちでした。党は、このような農民を完全に農業協同組合に加入させるに際しても自発性の原則を守り、既に組織された協同経営をひきつづき強化して、彼らが協同経営の優位性と有利性を悟り、みずから進んで入るようにする方針を一貫して堅持しました。

 こうして、1958年8月末には、わが国の農業協同化運動は成功裏に完成しました。これは、わが国の農村におきた偉大な革命であり、わが党の農業政策の輝かしい勝利でした。

 わが国の農村は、数千年もつづいた搾取と貧困の根源を最終的に清算し、勤労農民がともに働き、ともに自由で幸福に生活できる社会主義的農村に改造されました。わが国の数百万の農民は、猫の額ほどの土地にしばられていた昨日までの小所有者から、団結した大規模な協同経営の主人となり、栄えある社会主義的勤労者となりました。

 農業生産力は、古い生産関係のあらゆる束縛から完全に解放され、その発展のための広々とした道が開かれました。

 農業協同化運動の勝利によって、労農同盟は新たな社会主義的土台にもとづいてさらに強化されました。権力をみずからの手に握っているわが国の労働者階級は、ゆるぎない闘志と旺盛な革命的気概を発揮して、農民に対する国家の支援と確固とした指導を保障し、これによって農民大衆に自己の大業の正しさを示すとともに、彼らを自分の側にかたく団結させました。

 農業の協同化は、さらに、都市における私営商工業の社会主義的改造を促しました。もともと、わが国の私営商工業の力は微弱でしたが、それは主に農村の小商品生産に基盤をおいていました。個人農経営が協同化された結果、都市の資本主義的要素の最後の基盤が崩れさりました。こうして、わが国における農業の協同化と私営商工業の社会主義的改造は並行して進められ、ほとんど同時に完成しました。

 我々は、このように偉大で困難な変革を戦後わずか4〜5年のあいだに、偏向を犯すことなく、極めて順調に完成しました。

 同志の皆さん!

 我々は、幾百万の農民の生活全体を根本的に変える農業協同化のような困難な事業を、なぜこのように順調に、しかも極めて短期間に完成することができたのでしょうか? それは、わが党がマルクス・レーニン主義と外国の経験をわが国の現実に適応させて農業協同化運動の正しい路線をうち出し、これを貫くために、あらゆる困難と障害を克服して動揺することなく闘ったからであり、また、農民が党の農業協同化政策を積極的に支持し、この運動に熱意をもって参加したからであります。

 わが国における農業協同化運動も、階級闘争を通じて実現しました。くつがえされた搾取階級が、古い制度を復活させようとする妄想を捨てておらず、祖国が分断されて敵と直接対峙している条件のもとで、我々は、協同化運動を進めながら、敵の破壊行為と闘わなければなりませんでした。

 階級の敵は、党の政策を誹謗し、農業協同化運動に反対する反動的なデマを流し、共同財産を侵害し、生産を破綻させようとして妨害行為をはたらくなど、農業協同組合を内外からきり崩そうと狂奔しました。ことに、農業の協同化が完成に近づき、都市と農村における社会主義の勝利がゆるがぬものとなるにつれて、反革命分子の策動と破壊・謀略行為はますます悪辣になりました。

 わが党は、農民大衆のあいだで社会主義的意識と革命的警戒心を高める政治・思想活動を強化すると同時に、反革命との闘いを大衆的な運動として展開しました。こうして、我々は、農村での敵のさまざまな策動をそのつど暴露、粉砕して、協同化運動を成功裏におし進め、社会主義の獲得物をかたく守りとおしました。

 わが党は、反革命との闘争を強めながら、同時に農業の協同化において農民問題に関するマルクス・レーニン主義的原則を守りました。

 農民問題は、労働者階級の同盟者に関する問題であり、農民各階層に対する労働者階級とその党の態度に関する問題であります。

 貧農に依拠して中農との同盟を強化しつつ富農を制限し改造すること、これが農村におけるわが党の階級政策の基本でありました。

 わが国の農村における階級関係は、農業協同化運動にとって決定的に有利でした。協同化に着手した当時の農村の階層別構成を見ると、貧農が約40%を占め、富農は0.6%にすぎませんでした。中農のなかには、土地改革の後、中農化した農民が多数を占めていました。

 貧農は、すぐに協同組合に入らなければならない切迫した境遇におかれていたし、新しい中農の大多数も、また、最初から協同化を支持しました。しかし、残りの中農は、動揺し、ためらいながら、いま少し成り行きを見ようという態度でした。富農は、無関心をよそおうか、反対する態度をとりました。

 わが党は、動揺する中農層に対しては、粘り強い解説と説得、そして実物教育によって組合に入れるようにし、富農層に対しては、彼らの搾取者的傾向を厳しく規制しながら、まじめに働くものは組合に加入させて社会主義的勤労者に改造し、協同化運動を妨げるごく少数の分子に対しては、相応の制裁を加えました。協同化運動が完成の段階に入ると農村で搾取の対象がなくなり、協同経営がますます強固になるにつれて、富農も順次進んで協同組合に加入するようになりました。わが党のこのような階級政策は、農業協同化運動を堅実な土台のうえに発展させると同時に、中農との同盟を強め、富農の社会主義的改造を保障しました。

 わが党は、農業の協同化を進める過程で、部分的にあらわれた先走りや保守主義を克服しなければなりませんでした。

 党は、自発性の原則に背き行政的な方法で農民を協同経営に加入させる傾向を厳しく戒め、あせって協同組合を量的にのみ成長させようとしたり、または、無理に高度の形態や規模の大きい組合ばかりを組織しようとする傾向を適時に是正しました。

 これとは逆に、協同化運動の「時期尚早諭」を唱えたり、わが国における農業協同化運動の急速な発展に恐れをなして後ずさりする人もでてきました。

 わが党が農業協同化の方針を提起したとき、一部の人は「南北がまだ統一されていないのに、どうして協同化ができるのか」だの、「まだ機械も何もないのに、どうして協同化ができるのか」などと言って、党の農業協同化政策に疑問を抱きました。これらの人たちは、共和国北半部における社会主義建設が、祖国の平和的統一を達成する決定的な保証となることを知らなかったのです。

 共和国北半部における農業の協同化や全般的な社会主義建設は、北半部の社会経済発展の必然的な要求から出たものであります。南半部が解放されていないからといって、我々は、南半部が解放されるまで、ひとところにとどまっているわけにはいかず、北半部の社会発展を抑制することはできません。我々が北半部で社会主義を建設しなければ、朝鮮革命の基地である北半部を政治的、経済的に強化することもできず、したがって、祖国の平和的統一を促進することもできないことは言うまでもありません。

 わが国の農業協同化は、ほとんど農業の技術的改造なしにおこなわれました。かつてレーニンは、単に農民の土地と農機具を統合しただけの共同経営でも、個別的な小農経営では達成できない経営の改善をもたらしうるということ、そして、分散した個人農経営から共同経営への移行は労働生産性を2、3倍に高め、人間の労働を2、3分の1に節約するだろうということを指摘しました。我々の経験は、レーニンの命題が正しかったことを完全に証明しました。わが国の農業協同組合は、手工業的技術を土台にして組織されたにもかかわらず、個人農経営に比べてその優位性を十分に示し、またこれは、近代科学と技術の成果を農業に広く取り入れることのできる条件をつくり出しました。

 また一部の人は、わが国で農業協同化運動が前例のない早い速度で発展し、さらに最初から第3形態が圧倒的な優勢を占めていることに対して恐れをなしてためらいました。しかし、わが国で土地改革が徹底的におこなわれ、農村で協同化運動に反対する勢力が微々たるものであった反面、農民は長期間にわたる革命闘争、特に戦争の試練を通じて政治的にめざめ、ますます鍛えられており、また彼らの経営が全般的に極めて零細であった条件のもとでは、協同化運動のこのような発展過程は完全に合法則的な現象でした。

 わが党は、こうしたすべての偏向を克服しつつ、農村の党および革命勢力に依拠し、農民のもりあがった熱意を結集して農業協同化運動を大胆に、積極的におし進めました。

 同志の皆さん!

 わが国における農業協同化の大きな成果と、マルクス・レーニン主義の原則にもとづいたわが党の農業政策の不抜の生命力は、戦後におけるわが国の農業の飛躍的な発展にはっきりとあらわれました。

 戦後、農業部門に提起された最も重要な課題は、穀物の生産を急速に増大させ、住民の食糧問題を解決することでした。

 穀物の生産をふやすために、わが党は潅漑工事を大々的におこない、農村に対する化学肥料や農業機械、農機具の供給量を速やかにふやし、農業に各種の進んだ営農技術を幅広く取り入れるなど、重要な技術的・経済的諸対策を講じました。

 潅漑・河川建設工事は、ヘクタール当たりの収量を高め、穀物の生産を増大させるうえで決定的な意義をもっていました。戦後の5年間に、農業部門への国家投資総額のうち57%は、潅漑・河川建設工事にまわされました。国家投資による大規模な潅漑工事とともに、農業協同組合の自力による中小潅漑工事も広くおこなわれました。こうして我々は、戦後の5年間に、水田の潅漑面積を22万7千ヘクタールから46万3千ヘクタールに拡大しました。これは、水田総面積の91%が水利完全田に変わったことを意味します。潅漑面積の拡張とともに、河川の堤防および砂防工事や植樹造林事業を大々的におこない、これによって35万余ヘクタールの農耕地を洪水と湖水の被害から保護できるようになりました。

 1958年に、農村への化学肥料の供給量は、1953年の12倍にふえ、農業機械や農機具の供給量も急速に増大しました。これと同時に、農業機械賃耕所網を広げ、トラクターの台数を4倍(15馬力に換算) にふやし、トラクターによる作業面積を12倍に拡大しました。

 協同経営の条件のもとで、かつての個人農経営では、事実上不可能であった新しい進んだ営農方法が広く普及して、適地適作の原則による作物の配置がさらに改善されました。1958年に水稲では水苗よりも収量を著しく高めることのできる冷床苗の栽培が水田総面積の50%を占め、綿の栽培では、栄養つぼ仮植法が綿の作付総面積の70%を占めるようになりました。多収穫作物であるトウモロコシの作付面積は、1954年の23万6千ヘクタールから1958年には82万6千ヘクタールに拡張され、同じ期間に土地の利用度は125%から161%に高まりました。

 協同経営の優位性とこれらの技術的な対策および農民の献身的な労働によって、わが国の穀物生産はひきつづき急速に増大しました。

 早くも1956年には、穀物の生産が戦前の水準を上回る287万トンに達し、1957年には320万トン、1958年には370万トンに達しました。1958年度の穀物の総収穫高は、解放直後の1946年に比べてほぼ2倍に相当するものです。これは、我々の祖先には想像すらできない高い収穫です。穀物生産のこうした増大が、ひどい日照りがつづいた極めて不利な気候条件のもとでなし遂げられたことを指摘する必要があります。

 多くの進んだ農業協同組合では、さらに驚くべき高収穫をあげています。平安南道江南郡の斗岩農業協同組合では、昨年29ヘクタールの水田からヘクタール当たり平均7.5トンの米を生産しました。順川郡の三龍農業協同組合では、422ヘクタールのトウモロコシ畑でヘクタール当たり平均3トンを生産し、黄海南道甕津郡苑寺農業協同組合では小麦のヘクタール当たり収量を最高4.5トンまで高めました。

 我々が農業を協同化していなかったなら、農業発展のさまざまな技術的対策を立派に実行することも、農民の生産意欲を高めることもできず、したがって、こんにちのようなわが国の歴史上になかった穀物の多収穫をあげることも不可能だったであろうことは、全く疑う余地がありません。

 我々は、困難であった食糧問題を既に解決しました。

 穀物生産の増大とともに、工芸作物の生産、畜産業、養蚕業、果樹栽培業など農業のその他の部門も急速に発展しました。協同経営は、穀物生産の増大においてその優位性を示したばかりでなく、農業の多角的発展のうえでも決定的な役割を果たしました。

 1958年に、綿花のヘクタール当たり収量は1953年の2倍に、その総収穫高は3倍に増加しました。黄海南道載寧郡の三支江農業協同組合では、120ヘクタールの綿花畑から、ヘクタール当たり平均2トン、そのうちの5ヘクタールからはヘクタール当たり4トンという高い収穫をあげました。亜麻、タバコ、その他の工芸作物の生産でも大きな成果をあげました。

 畜産業では、1958年9月1日現在、1953年末に比べて牛の総頭数は1.3倍に、豚は2.8倍にそれぞれ増加し、食肉の生産高は戦後の5年間に3.2倍に増大しました。

 第1次5か年計画の期間中に、果樹園をさらに10万ヘクタール拡張する全人民的な運動を進め、既に、5万3千余ヘクタールの果樹適地の開墾がおこなわれました。養蚕業部門では、1958年に、繭の生産高は戦前の最高水準の1.6倍にあたる8千7百トンに達しました。

 このように、社会主義が勝利したわが国の農業では、ここ数年間に穀物生産をはじめ、すべての部門で全面的な高揚と革新が起きています。

 農業生産の急激な増大によって農業協同組合の経済的土台が強まり、組合員の生活が急速に向上しました。

 協同組合の共同蓄積の比率は、1956年までは純収入のおよそ5%であったのか、組合員の生活が改善された1957年には約10%、1958年には15%以上に高まりました。昨年、わが国の農業協同組合の共同財産総額は約686億ウォンにのぼり、1組合当たりの平均は515万ウォン、農家1戸当たりの平均は6万5千ウォンに達しました。これは、1955年に比べて1戸当たり平均2.4倍増大したことになります。こうして、わが国の農業協同組合は、たえまない拡大再生産を保障しうる強固な土台をもつことになりました。

 毎年、多額の共同蓄積をおこない、より多くの種子、飼料ファンドや肥料交換用穀物などを差し引いても、組合員の分配高は次のように系統的に増大しています。

協同組合の農家1戸あたり分配高の増加
1955年 1956年 1957年 1958年
 穀 物(Kg)   1,250   1,616   1,742  1,826
 いも類(Kg)    193    357    434     501
 現金(ウォン)   5,605   9,542  13,703   20,350

 この表でわかるように、1958年には、1955年に比べて農家1戸当たりの分配高が穀物は1.5倍、いも類は2.6倍、現金は3.6倍以上にそれぞれ増大しました。

 停戦直後に、全農家数の約40%を占めていた貧農は既になくなり、わが国農民の生活は全般的に中農の水準に向上しました。

 こんにちのわが国の農村は、数千年ものあいだ引き継がれてきたあばら屋が取り払われ、清潔で美しい社会主義的文化農村に急速に変わっています。戦後、農村には美しく住みよい文化住宅が多く建てられました。わが国の農村のいたるところに、学校、クラブ、託児所、幼稚園、診療所がたち、浴場、理髪所、クリーニング店などが設けられて、組合員の集団的な文化生活に利用されています。全般的初等および中等義務教育が実施され、成人教育もいちだんと強化された結果、農民の文化的水準は急速に向上しており、彼らのあいだで技術知識がいっそう広く普及しています。

 農民の意識にも大きな変化が起きています。古い封建的およびブルジョア的思想の残りかすが一掃されつつあり、彼らの意識は社会主義的に改造されつつあります。

 社会主義的協同経営に幸福を見いだした農民は、自分たちの貴い獲得物を守りぬくかたい決意にみちています。彼らは、明るい未来をはっきりと見通しながら勇気百倍して信念に燃え、党の呼びかけにこたえてチョンリマを駆る勢いで前進しています。

 生産力の飛躍的な発展、協同経営のいっそうの強化、農民生活の急速な改善、農民の高度の革命的気概、これらは農業協同化の勝利が農村にもたらした結果であり、わが党の農業政策の勝利が農村にもたらした結果であります。

 わが国の農民は、当然、党の指導のもとに社会主義革命と社会主義建設でおさめた偉大な勝利と業績を誇ることができます。

 同志の皆さん!

 わが国の農業協同組合は戦後の極めて困難な条件のもとで組織され、歴史が極めて浅く、経験が乏しかったにもかかわらず、その大きな優位性をはっきりと示しました。

 しかし、社会主義的協同経営の制度もひとところにとどまるわけにはいかず、それは発展し、ますます強化されなければなりません。

 農業生産力が急速に発展するにつれて、農業協同組合の比較的小さな規模は、生産力のいっそうの発展に適応しなくなりました。それは、土地の合理的な利用、労働力配置の改善、農業経営の多角的な発展、特に農業の機械化に支障をきたし、また、農村で広く展開されている建設事業にも不合理をもたらすようになりました。

 農村において当面の技術革命を立派になし遂げ、農業生産力をいちだんと発展させるためには、農業協同組合を統合し、その規模を大きくすることが必要になりました。農業協同組合が、政治的、経済的に強まり、管理幹部の指導水準と実務能力が向上した条件のもとで、この問題は成熟した要求となりました。農民もまた、小規模の協同組合が不合理であることを知るようになり、この統合を切実に求めました。

 そこでわが党は、昨年の10月、里行政区域を単位として里内の農業協同組合を一つの組合に統合し、里人民委員長が組合の管理委員長を兼任するように決定しました。協同組合の統合は、非常に複雑な仕事であるにもかかわらず、農民の政治的熱意の高まりのなかで、わずか1、2か月のうちに順調に完了しました。

 その結果、1万3309の農業協同組合が3843の組合に統合され、各組合の平均的な規模は、農家戸数では80戸から約300戸に、耕地面積では130ヘクタールから500ヘクタールに拡張されました。

 このように、農業協同組合を統合することによって、耕地整理を本格的におこない、近代的な農業機械と先進的な営農技術をさらに広く取り入れ、自然的、経済的な条件をより合理的に利用して共同経営を多角的に発展させ、労働力と資材の浪費をなくし、膨大な農村建設を計画的に、速やかにおし進めることができるようになりました。

 また、里人民委員長が管理委員長を兼任するようになった結果、地方政権機関がいっそう生産に近づき、農村の経済・文化建設に対するその役割と機能を強められるようになりました。

 農業協同組合の統合とともに、我々は農村の消費協同組合商店と信用協同組合を農業協同組合に移管して直接経営するようにしました。これは、農業協同組合が農業生産ばかりでなく、流通や信用の面にも関心を高めて組合員の生活上の福祉を増進させ、農業協同組合の経済活動を全面的に計画化し、組合の自主性と創意の向上に大きな意義を有します。これはまた、都市と農村との経済的なつながりを強め、労農同盟を強固にする重要な措置となるものです。

 こうして我々は、戦後の5年間にわが国における農業協同化の勝利を保障したばかりでなく、農業協同組合をいっそう強固にし、これを新しい段階へと発展させました。

 このような闘いを通じて、わが党と農民と全人民は、貴重な経験と教訓を得ました。

 第1に、わが国の経験は、我々が選んだ農業協同化の道こそ唯一の正しい道であったということをはっきりと示しています。

 我々は、マルクス・レーニン主義が示すとおりに、個人農経営を社会主義的協同経営の道へ導いたからこそ、戦後のあの困難な状況のもとでも農業を急速に復興発展させ、農民の生活を改善することができたのであり、今後、わが国の農村を、現代技術を備えた豊かで文化的な社会主義農村に発展させる基礎を築くことができたのであります。

 第2に、わが国の経験は、近代的な機械と技術を有せず、手工業的な農業技術が支配的な条件のもとでも農業の協同化は実現できるし、これを土台にして組織された農業協同経営であっても、個人農経営に比べて決定的な優位性をもっていることを示しました。

 我々は、農業を協同化することによって、農業を速やかに復興発展させ、その技術的改造をいっそう促進できるようになりました。

 第3に、わが国における農業協同化運動の勝利は、党政策が正しく、大衆のあいだで党の威信が高く、また大衆が実際の闘いを通じて党政策の正しさを確信し、その実現のためにこぞって立ち上がるならば、克服できない障害などなく、いかに困難で複雑な課題でも、勝利のうちになし遂げることができることを示しました。

 わが党の確固とした指導、党への大衆の限りない信頼、大衆の高い革命的な熱意──これが農業の社会主義的改造における勝利の決定的な保証となったのであり、我々のすべての勝利の決定的な保証となっています。

 同志の皆さん!

 わが国の農村は、貧しく、沈滞し、立ち後れていた過去の状態から完全に脱却して、新しい社会主義的発展の道に強く踏み出しました。わが党の指導のもとに、農民は、既に農村における社会主義革命の遂行で勝利し、社会主義建設の途上でも大きな成果をおさめています。

 しかし、我々はこれまでの勝利と成果に満足するわけにはいかず、自己満足すべきいかなる根拠もありません。我々は、農業を新しい、より高い段階へ発展させる基礎を築いたにすぎません。問題は、これを土台にして農業生産力を画期的に発展させ、農民の生活をさらに改善することにあります。

 こんにち、農業分野における基本的課題は、数年内に農村で技術革命と文化革命を実現することによって社会主義的協同経営を政治的、経済的に強め、わが国の農村を現代技術を備えた豊かで文化的な社会主義農村に発展させることであります。

 農村で社会主義を建設するためには、生産関係の改造ばかりでなく、農業の技術的改造を実現し、農民の意識を改造しなければなりません。

 技術革命は、こんにち、わが国の農業に提起されている最も切迫した、最も中心的な課題であります。農業を現代技術で装備しなければ、社会主義社会の高い生産力を保障することはできません。わが国の農業の今後の発展は、決定的に技術的改造にかかっています。我々は、農業を技術的に改造して農業生産を画期的に増大させ、仕事が楽にできるようにしなければなりません。

 我々の目的は、工業を発展させ、農業も工業と同じく現代技術の土台のうえに引き上げて社会主義を建設し、さらには、共産主義を建設することであります。農業の技術的改造は、工業と農業、都市と農村の差を次第になくし、農民の技術水準を速やかに高め、彼らの思想・意識の改造を促すでありましょう。

 既にわが党が提起したように、わが国の農村技術革命の基本内容は、水利化、機械化および電化であります。我々は、田畑を水利化し、農村の電化を基本的に完成し、農業の機械化を実現しなければなりません。

 こんにち、我々には、この膨大な課題を遂行しうるすべての可能性が備わっています。わが国の農業は、協同化され、農業協同組合は統合されて規模が大きくなり、その経済的土台はさらに強化されました。我々には強力な重工業基地があります。重工業を優先的に発展させるわが党の正しい経済政策と労働者階級の英雄的な労働によって、わが国の工業は、今後、農村に鉄材、建設資材、トラクター、トラックをはじめ、各種の進んだ農業機械を多く供給できるようになりました。要は、農民の高まった熱意を正しくくみあげ、これらすべての可能性を現実化することであります。

 水利化は、わが国農業の技術的改造の基本です。耕地面積が少なく、水稲の生産が最も重要な位置を占め、毎年ひどい日照りかつづき、夏期には、また、しばしば大水に見舞われるというわが国のような条件のもとでは、水田と畑の潅漑システムを確立して水害と干害を防ぐことは、単位面積当たりの収量の増大と農業生産の増大において決定的な意義をもっています。

 潅漑面積を拡張するわが党の一貫した対策によって、水田の潅漑が基本的に完成した現在、水利化の中心課題は、速やかに畑潅漑システムを確立することであります。ひきつづき水田面積をひろげろとともに、畑潅漑を大々的に進めなければなりません。そうすれば、耕地面積の3分の2以上を占める畑で穀物の収量を速やかに高め、工芸作物や野菜の生産および果樹栽培業も発展させることができます。

 進んだ農業協同組合および国営農牧場での昨年の経験は、畑潅漑を実施すれば、ヘクタール当たり収量を、トウモロコシと小麦は2、3倍に、綿花は3、4倍に、果物は2倍に高めることが可能であることを示しています。また、畑潅漑システムを導入すれば、土地の利用度を著しく高め、総合的機械化の発展にも非常に有利です。

 わが党中央委員会1958年9月総会は、今後、潅漑面積を70万ヘクタール拡張し、さらに30余万ヘクタールの水利完全田の造成によって、急な傾斜地を除いたすべての耕地に、全面的に潅漑システムを確立する戦闘的な課題を示しました。これは、我々の祖先が数千年のあいだ夢見てきた切実な願いを、我々の世代になって実現する偉大な自然改造計画であります。

 党の決定に限りなく励まされた農民は、この計画を実現するために立ち上がりました。いま、すべての農村と農業協同組合では、山を切り崩し、海をせき止めてわが国の自然を改造する数多くの潅漑工事がおこなわれています。既に岐陽、オジドンおよび鴨緑江地区の大規模な国営潅漑工事をはじめ、1万余個所の工事が進められており、そのうち、今年度内に潅漑がおこなえる耕地面積は、水田で6万5千ヘクタールに達します。これは、わが党が提起した水利化の歴史的な偉業が成功裏に進められていることを示すものであります。

 潅漑工事とともに、広く河川整理および砂防工事を施し、土地の保護面積を広げなければなりません。わが国では、いまなお治山治水事業が不十分であるため、洪水で耕地を流失したり、収穫に被害をうけることがしばしばあります。

 河川を整理し、堤防を築き、保護林をつくり、砂防工事を広くおこなって洪水の被害を防がなければなりません。特に、洪水の多い東海岸地方では、治山治水事業に重きをおき、潅漑工事をこれと並行しておこなうべきです。河川堤防工事も大規模なものは、国家で直接おこない、中小規模の工事は農業協同組合が担当すべきです。

 水利化は、自然を改造する偉大な事業であり、国家と社会の恒久的な利益にかかわる百年の大計であります。したがって、この事業は、全人民的運動として実現しなければなりません。農民だけでなく、全人民がこの事業に参加すべきであります。

 労働者は、潅漑工事に必要なセメント、鉄材、木材および各種のモーターや揚水機などを適時に生産し供給しなければなりません。

 事務員、学生および軍人は、みずからの労働によって直接、潅漑工事に参加しなければなりません。事務員、学生、軍人および全人民は、戦後、既に潅漑工事に参加して国家と農民に大きな援助を与えた豊かな経験をもっています。我々は、今後もひきつづき潅漑工事に広範な勤労動員をおこなうべきであります。

 潅漑工事で最も急を要する問題は、工事現場作業の機械化水準を決定的に高めることです。作業を機械化せずには、数億工数の労働力を要するこの膨大な工事をなし遂げることはできません。

 我々は、既に岐陽、オジドンをはじめ、大規模な国営潅漑工事には、各種の建設機械を備えてほとんどの作業を機械化しており、今年度に着工する大規模な工事にも掘削機やブルドーザ、ベルトコンベヤーなどの建設機械を大量に供給するはずです。国家は、これらの建設機械の生産を速やかにふやし、潅漑工事の機械化を促進するでしょう。

 しかし、1万余か所にのぼる中小潅漑工事にまで一度に近代的な建設機械を供給することはできません。昨年度に平安南道では、土掘、盛土および運搬作業に木製起重機、トロッコ、鉄筋ケーブルなどの簡単な中小機械を取り入れた結果、計画より4万5千工数の労働力を節約したばかりでなく、今年度に完工予定の土木工事を昨年末までに完了しました。すべての潅漑工事場では、簡単にできる中小機械化を大々的に実施して、一人分の労働力でも節約し、作業を楽にするために努力しなければなりません。

 潅漑工事で労働力と資材を節約するためには、まず調査と設計を精密におこなわなければなりません。我々は、水力資源を合理的、総合的に利用するという原則のもとに、工事の対象を正しく選び、多くの潅漑施設が互いに連結された一つの体系をなすようにし、工事の途中や完成したあとで、構築物や水路などを変更することのないようにしなければなりません。これとともに、工事の質を高め、完成した潅漑施設は最大限に利用すべきです。

 水利化とともに農村の技術革命で重要なのは機械化であります。

 協同化以後の農業の多角的な発展、進んだ集約農法の広範な導入、潅漑工事をはじめ、膨大な農村建設事業の推進、各種の運搬作業の急激な増大──これらはすべて、農村での労働力の不足と農業機械および輸送機材の甚だしい不足をもたらしています。

 機械化の実現なくしては、農村における労働力の問題を解決することはできず、農業をさらに前進させることもできません。農業の機械化は、労働力を節約するばかりでなく、農民の労働を楽をものにし、生産を増大させ、農産物の原価を引き下げる重要な方法であります。昔からわが国に伝えられてきた立ち後れた手工業的な農機具を、近代的な農業機械と取りかえるべき時期がきました。

 農業を機械化するうえで最も重要なのは、既に大量生産をはじめたトラクターやトラックを農村に供給することです。今年は新たに5千台のトラクターと2500台のトラックを農村に供給することになるでしょう。農村で営農作業と運搬作業を機械化するためには、少なくとも3万〜3万5千台のトラクターと2万5千〜3万台のトラックが必要です。

 我々は、トラクターとトラックの生産をたえず増大させて4、5年内にその需要をみたし、その他、各種の進んだ農業機械を大量に生産して農村に供給する予定です。そうすれば、脱穀や揚水のような固定した作業は、完全に機械化し、運搬、すきおこし、種まき、取り入れなどの移動作業もかなり機械化されるはずです。

 わが国の農業を機械化するにあたっては、稲作が大きな比重を占め、山が多く、土地が平坦でなく、間作と混作、うね立て栽培などの固有の作付方式をもち、また各地方の自然的・経済的条件に大きな差があるという実情を考慮しないわけにはいきません。我々は、平野部から次第に山間部へと機械化を広げ、最も骨が折れて手間の多くかかる作業からはじめて、徐々に、総合的な機械化へと移り、大型機械と中小機械、近代的機械化と簡単な小機械化を正しく組み合わせるという原則を堅持しなければなりません。

 わが国の農業協同組合は、国営農業機械賃耕所を通じて、近代的な農業機械を利用しています。我々は、今後もひきつづき国営農業機械賃耕所を拡張し、農業の機械化を強力におし進めなければなりません。これと同時に、農業協同組合では、トラクターやトラックが通れて作業もできるように耕地を整理し、平路や橋をつくり、機械化作業班を組織しなければなりません。

 農業機械を生産する部門では、トラクター台数の増加につれて、各種のトラクターの能力に適した各種の連結農業機械や部品を大量に生産し、その質をいっそう向上させなければなりません。特に、わが国の農村で最も切実に必要な田植え機の研究を速やかに完成し、わが国の農村に適した簡便で丈夫な、できるだけ多様な作業に利用できる新しい各種の農業機械をつくりだすべきであります。

 農村の水利化と機械化を成功裏に実現するためには、電化をこれに先行させなければなりません。農村を電化しなければ、水利化も、機械化もできず、農村文化を発展させることもできません。

 我々は、既に農村の電化で相当の成果をおさめました。現在、わが国では農村のすべての里の67%、農家戸数の49%に電気が入っています。しかし、農業の技術的改造のためにはさらに多くの電力が必要です。これとともに、すべての村や農家で電灯をつけ、有線放送が聞けるようにすべきであります。そのためには、電力の生産を急速にふやさなければなりません。

 わが党は、既に、国の電化のための基本的方向を明らかに示しました。現在、禿魯江、江界、雲峰などに大規模な水力発電所を建設しています。今後もひきつづき大規模な水力発電所を建設するとともに、これと並行して大規模な火力発電所も建設するでしょう。

 農村の電化で最も重要なのは、全人民的な運動を起こして全国各地に中小規模の発電所を建設することです。中小規模の発電所は、多くの資金をかけずに簡単に速く、また各地方で建設できるので、電線、その他の電気機械・資材を大幅に節約できます。

 わが国は、いたるところに水力をはじめ、いろいろな電力資源が非常に豊富です。電化の実現をめざす勤労者の生産意欲と創意は著しく高まっており、昨年の9月からは、各地で小型発電所の建設が広範におこなわれています。既に、咸鏡南道では165か所、慈江道では163か所、江原道では75か所に建設され、これらの道では、各里にすべて電気が引かれています。

 我々は、電力生産における神秘主義を打ち破り、水力、火力、風力、潮力などのあらゆる動力源を積極的に利用して、中小規模の発電所を大々的に建設しなければなりません。特に、農村における発電所の建設を潅漑・河川建設工事と密接に結びつけておこない、それによって貯水池の水はすべて、電気を起こしてから田畑をうるおすようにし、一滴の水もむだに流さないようにすべきであります。

 電気機械工場は、中小規模の発電所の建設に必要な発電機、変圧器、モーターなどを大量に生産し供給しなければなりません。

 水利化、機械化、電化──これは互いに切り離すことのできない統一的な課題であり、農村技術革命の総路線であります。我々は、ここ数年のうちにこの雄大な課題を遂行して、わが国の田畑を潅漑用水でうるおし、農業を近代的な機械と技術で装備して毎年豊作をもたらし、農民の労働が楽で楽しいものとなるようにするでしょう。

 同志の皆さん!

 我々は、農業の技術的改造を積極的に進め、それを土台にして農業生産を画期的に増大させなければなりません。

 かつてのわが国の農業は、一面的に穀物の生産に片寄っていましたが、それさえ十分に解決できない立ち後れた経営でした。このような農業の立ち後れを完全に一掃し、農業を多角的に発展させるべきであります。

 穀物に重点をおきながら、工芸作物、畜産業、養蚕業、果樹栽培業、淡水養魚など、農業の他の部門をも同時に発展させるわが党の農業政策をひきつづき貫かなければなりません。こうして、わが国の農村を強固な食糧基地につくりあげるばかりでなく、強力な原料基地に変えなければなりません。

 穀物問題は、社会主義建設において最も重要な問題の一つです。穀物の生産を決定的に高めなければ住民に食糧を十分に供給することができず、畜産業をはじめ、農業の他の部門を発展させることもできません。

 耕地面積の少ないわが国で、穀物をはじめ、農作物の生産をふやす基本は、集約農法を発展させて単位面積当たりの収量を高めることにあります。エンゲルスは、「人類の支配できる生産力は無限である。土地の収穫率は、資本、労働および科学の応用によって無限に高めることができる」と述べています。わが国は、耕地面積が少なく、それも極めてやせた土地として知られています。しかし、我々が農業技術を改造したえず集約農法を発展させるならば、やせ地も肥沃な土地に変え、少ない土地からも収穫をいくらでも高めることができます。農業の集約化──これこそ多収穫の基本であり、営農事業におけるわが党の基本方針であります。

 わが国の農民は、既に、この分野で豊かな経験を積み、我々の祖先が想像もできなかったほどの高い収穫をおさめました。単位面積当たりの収量を高めるために、ひきつづき集約農法を発展させなければなりません。

 多収穫をあげる最も重要な条件は、肥料を多くほどこすことです。施肥量を決定的にふやし、土壌とそれぞれの作物に適した科学的な施肥方式にもとづいて肥料を正しくほどこさなければなりません。

 農業協同組合では、全耕地に、ヘクタール当たり平均50トン以上の自給肥料をほどこすべきです。そのためには、全国的に毎年1億トン以上の自給肥料を生産しなければなりません。農業協同組合では、うまやごえ、堆肥、泥炭など、すべての源泉を最大限にいかして自給肥料の生産量を早急に高めるべきです。この事業は、日常的な大衆運動として展開しなければなりません。

 自給肥料とともに、化学肥料もさらに多くほどこさなければなりません。国家はひきつづき肥料工業を発展させ、農村により多くの化学肥料を供給し、今後ヘクタール当たりの施肥量を800〜1000キログラムに達するようにし、特に、リン肥料とカリ肥料の比重を著しく高めなければなりません。農業協同組合でも、小規模の肥料工場を建てて、リン肥料やカリ肥料、石灰を大量に生産すべきであります。

 これとともに、いまおこなっている100万ヘクタールの耕地に対する土壌調査を速やかに完成し、それにもとづいて科学的な施肥方式を確立しなければなりません。

 単位面積当たりの収量を高めるうえで、優良種子の播種、田畑管理の改善、病虫害の防除などは重要な意義をもっています。各農業協同組合は、各自の採種圃場を設け、その地方の気候と風土に適した多収穫系統の優良種子の採種を改善しなければなりません。花壇を手入れするように、すべての田畑を念入りに耕作し、農業の利用、その他のいろいろな方法で、農作物の病虫害を決定的に防ぐべきであります。

 経験によって、既に多収穫農法として確かめられた冷床苗や綿の栄養つぼ仮植法を広く取り入れるとともに、すべての農業科学機関や農業協同組合で営農方法を改善するための実験、研究を強化し、特に、この事業で農民の熱意を高め、創意を積極的に奨励しなければなりません。

 農業技術の発展と営農方法の改善で保守主義に反対する闘いは、決定的な意義をもちます。封建時代から受け継いだ後れた農法をそのまま繰り返し、それにこだわっているようでは、農業は発展しません。いかなる保守主義のあらわれにも反対して闘い、創意を発揮し、進んだ営農技術を大胆に、積極的に取り入れなければなりません。こうして、農業科学に一大変革を起こし、単位面積当たりの収量の向上でたえず新記録をうち立てなければなりません。

 すべての農業協同組合と組合員は、遠からず穀物のヘクタール当たりの収量を、水稲は4.5〜5トンに、トウモロコシは3〜3.5トンに、小麦は2.5〜3トンに高めるために努力しなければなりません。

 このように、ヘクタール当たりの収量を高めるならば、600万トン以上の穀物を生産することができます。そうなれば、我々はすべての勤労者に白米だけを供給することができ、畜産業を新しい水準に発展させる強固な土台を築くことができます。

 これはもちろん、難しい課題です。しかし、決して遠い未来の理想ではありません。わが国の全農民が党の農業政策を守って農業技術を改造し、営農方法を改善するための以上のような対策を立派になし遂げるならば、この戦闘的な課題は十分に実現することができます。

 穀物とともに、工芸作物や野菜の生産をふやさなければなりません。

 工芸作物では、綿花をはじめとする繊維作物と各種の油脂作物の栽培に重点をおき、てん菜、タバコ、朝鮮人参、ホップなどもさらに増産しなければなりません。

 こんにち、繊維原料の解決は、我々にとって極めて重要な問題です。かつて、わが国は、紡織工業が非常におくれていたうえに、繊維の原料も国内で解決することができませんでした。こんにち、我々は紡織工業を相当な水準に引き上げており、原料問題も化学繊維を生産して徐々に国内で解決しようとしています。今後、紡織工業をさらに発展させ、6、7年のうちに織物の生産を5億メートルに高める予定です。これに必要な原料を保障するためには、化学繊維だけでなく綿花をはじめ、天然繊維の生産をふやさなければなりません。

 綿花の栽培では、ヘクタール当たりの収量を高め、その生産高を大きく増大させなければなりません。それとともに、両江道、慈江道および咸鏡北道の山間部では亜麻や大麻を広く栽培しなければなりません。

 勤労者に食用油を十分に供給するため、農業協同組合では、落花生、ヒマワリ、ゴマ、エゴマなど各種の油脂作物を多く栽培し、ここ数年のうちに10万トン以上の食用油を生産できるようにすべきであります。

 都市や労働者地区の周辺にある農業協同組合は、労働者、事務員に各種の新鮮な野菜を常時供給するため野菜の生産基地を拡大し、単位面積当たりの収量をひきつづき高めなければなりません。

 こんにち、畜産業を早急に発展させることは、農業部門の最も重要な課題の一つです。朝鮮人は、昔から白米のご飯に肉のスープをとり瓦ぶきの家に住めば金持ちだと言われてきました。我々はいま、わが国のすべての勤労者の生活をひとしく豊かなものにするために闘っています。そのためには、住民に白米を十分供給するとともに、食肉も豊富に生産して供給しなければなりません。

 いま、食肉をはじめ、勤労者の畜産物需要は、急激に増大しています。我々は、畜産業を速やかに発展させて、その需要をみたさなければなりません。

 このため、農業協同組合では、共同畜産をいっそう早く発展させるとともに、それを基本にして、組合員の副業畜産も発展させなければなりません。

 農業協同組合では、耕地100ヘクタール当たりの食肉生産高を25トンの水準に高めるために生産速度の早い養豚に重点をおきながら、牛、ニワトリ、アヒルなどをさらに多く飼うべきであります。

 ひきつづき畜産業の土台を強めて2、3年内に家畜頭数を、牛は100万頭に、豚は400万頭に、羊とヤギは60万〜70万頭にふやさなければなりません。

 畜産業を発展させるうえで最も重要なのは、強固な飼料基地をつくりあげることです。我々は、ここ数年内に、小麦、大麦の裏作面積のうちの20万ヘクタールと傾斜地およびやせ地の一部を飼料作物畑に変えるとともに、放牧地や空閑地または山のふもとなどに各種の牧草を広く栽培しなければなりません。

 家畜の飼料としてはサイレージと乾草を基本にすべきです。サイレージは家畜がよく食べ、よく肥え、畜産物の原価も他の飼料に比べてはるかに安上がりです。すべての農業協同組合でサイレージを大量に生産しなければなりません。特に豚の飼料には、小変、大麦の裏作として植えたトウモロコシを熟するまえに穂といっしょに刈り取り、配合サイレージを大量につくって利用すべきです。

 この数年間に家蚕とともに柞蚕とヒマ蚕の飼育でおさめた成果は、養蚕業の発展に大きな展望を与えています。我々には、綿織物ばかりでなく毛織物も必要であり、絹織物も必要です。絹織物をより多く織るためには養蚕業を発展させなければなりません。

 わが国では、各地で味のよい各種の果物が非常によくできます。2、3年内に10万ヘクタールの果樹園を造成する事業を達成して、10年以内に果樹園の面積を20万ヘクタールに拡張しなければなりません。すべての丘陵や村が果樹でおおわれるようにし、道路にも果樹を植えるべきです。こうして、果物をより多く生産するばかりでなく、国土を美しく築かなければなりません。

 農業協同組合では、進んだ果樹管理法を広く取り入れ、果樹の施肥量をふやし、潅漑をおこなうことによって、数年内に果物のヘクタール当たり収量を20トン以上に高めなければなりません。

 農業協同組合では、浅海養殖や淡水養魚を大々的に発展させなければなりません。、浅海養殖と淡水養魚をおこなえば、水産資源を確保し、水産業の季節的制約を克服して安定した高い生産を保ち、水産物の需要をより円滑にみたすことができます。

 わが国には、浅海養殖と淡水養魚の発展に有利な条件がそろっています。わが国の東海岸や西海岸には広い遠浅と干潟があり、いたるところに貯水池や湖沼、河川があります。

 このような有利な自然条件を有効に利用して養殖、養魚を速やかに発展させ、今後この分野でも水産物の生産を決定的に高めなければなりません。

 このほかに、ミツバチを飼い、山菜や野生の果実も採取し、食料品の加工もおこない、協同組合がおかれている自然的・経済的条件に応じて、可能なすべての副業を発展させなければなりません。山をひかえているところでは山をよく利用し、海をひかえているところでは海をよく利用せよという、わが党のスローガンをひきつづき貫かなければなりません。

 我々は、このように農業を多角的に発展させて農業協同組合の収益性を急速に高め、その経済的土台をさらにかためて農民の生活を豊かにするでしょう。穀物ばかりでなく、各種の農産物や副業生産物を多く生産して、わが国の農業を、人民経済と住民の需要をみたしうる発展した社会主義的経営に変えるでありましょう。

 農業協同組合は、農業生産を各方面にわたって全面的に発展させるとともに、農村建設事業にも大いに力を注がなければなりません。わが党は、新しい文化的な農村の建設を重要な課題として提起しています。

 農業協同組合は、建設を強力におし進めて、既に大きな成果をおさめました。しかし、我々は数千年にわたる抑圧と搾取と貧困がもたらした古い農村の姿をいまなお完全に一新してはいません。

 農業協同組合は、生産的な建設に重点をおきながら、新しい文化住宅を大々的に建設し、教育・文化・保健医療施設およびサービス施設をより多く建設しなければなりません。

 建設の質を決定的に向上させるために努力すべきであります。我々が建てるそれぞれの住宅や施設は、農民の幸福な社会主義的生活にふさわしいものでなければなりません。それは当然、農民にとって便利で小ざっぱりしていて、美しく堅固なものであるべきです。

 国家では、今後もひきつづき農村建設のために必要な資材を供給し、農民に技術的援助を与えるでしょう。同時に農業協同組合は、農村建設に地元の資材を広く利用し、建設資材をできるだけ自力で解決するよう努めなければなりません。こうすれば建設の原価が安くなり、建設速度も早くなるでしょう。

 新しく建てる住宅や文化厚生施設を合理的に配置し、道路を整備し、木も植えて、村をより美しく築くべきであります。こうして、わが国のすべての農村を完全に社会主義的な姿につくりかえなければなりません。

 同志の皆さん!

 文化革命は、こんにち、わが国の農村で重要な課題となっています。文化革命を遂行しなければ農村の技術革命をなし遂げることはもちろん、勝利した社会主義的生産関係を強化することもできません。我々は、農村における社会主義建設の現実的な要求に応じて文化革命を積極的におし進めなければなりません。

 現在、農村の文化革命で最も重要な課題は、すべての農民の一般知識水準と技術水準を高めることです。

 我々は、既に昨年の11月から中等義務教育制を実施しており、数年内には全般的技術義務教育制を実施することになります。わが国の若い世代は、誰もが中等教育を受けられるようになり、今後は全般的に技術教育も受けられるようになりました。国家ではさらに、高等技術専門学校や大学を通じて農業専門家および技術者の養成事業を強化するでしょう。すべての学校では教育と生産を密接に結びつけ、新しい世代を多面的に発達した有能な社会主義建設者に育成しなければなりません。

 それとともに、今後、数年内にすべての農業協同組合員が、人民学校、または初級中学修了程度以上の知識を有し、彼らのすべてが一定の技術を身につけるようにしなければなりません。そのためにわが党は、農業協同組合で広範に勤労者学校や勤労者中学校を設置して運営するよう提起しました。党の方針にもとづいて、各地の農業協同組合には、勤労者学校、勤労者中学校が設けられ、数多くの組合員が教育を受けています。我々は、今後この事業を強化しなければなりません。同時に、組合員を通信教育網に広く受け入れ、彼らのあいだで新しい技術を身につけるための大衆的運動を繰りひろげるべきであります。

 こうして、すべての農民が知識があり、技術をもち、農業を立派に営める人にならなければなりません。

 農民の知識および技術水準を高めるとともに、彼らの生活全般を文化的に築くようにしなければなりません。

 我々はいま、先進的な社会主義制度のもとで生活しています。こんにち、わが国は立ち後れた農業国から社会主義的工業・農業国に変わりました。社会も進歩を遂げ、経済も発展した以上、人々もやはり文化的に生活すべきであります。我々は、すべての生活を文化的に改造する活動を大衆的な運動として繰りひろげなければなりません。

 いっさいの非衛生的で非文化的な現象をなくし、おくれた生活様式や習慣を大胆に打破しなければなりません。農村の保健衛生事業を改善して、ジストマをはじめ、風土病や伝染病をなくし、ハエ、蚊、ナンキンムシ、鼠などを退治すべきです。すべての農業協同組合員は、家庭や村をさらに清潔に美しく築き、子供をいっそう立派に育て、秩序ある文化的な生活を営むようにしなければなりません。

 これとともに、民主宣伝室の運営を改善して農民の学習と教育の場、文化的な娯楽の場とし、農村の体育、文学・芸術などのサークル活動を大衆的に発展させなければなりません。

 農業協同組合を政治的に強化し、社会主義建設を促進するためには、農民に対する共産主義教育を強めなければなりません。

 わが国の農村では、社会主義的生産関係が既に勝利をおさめました。しかし、農民はいまなお、旧社会から受け継いだ封建的・ブルジョア的思想の影響を完全に清算してはいません。農民のもっているいっさいの古い思想の影響を除去し、彼らの思想・意識を改造するための共産主義教育を強力に繰りひろげなければなりません。

 まず、農村で勝利した社会主義的農業協同組合制度が、資本主義的農業経営や個人農経営に比べて決定的にすぐれているということを農民にはっきりと認識させなければなりません。そうして、農民がこの制度を守り、搾取制度を復活させようとする者とは断固闘い、社会主義の獲得物を敵の侵害からかたく守るようにすべきであります。

 農民の共産主義教育で最も重要なのは、彼らのなかに残っている個人主義・利己主義や小所有者的根性を一掃することです。個人主義・利己主義は、我々の前進運動にとって大きな障害となります。

 我々は、社会主義を成功裏に建設するため、農村で社会主義的所有である集団的所有を強化し、発展させなければなりません。さらに将来、共産主義を建設するためには、集団的所有を全人民的所有に変えなければなりません。個人主義・利己主義を一掃しないかぎり、これらすべての発展過程を早めることはできません。

 共同財産を愛護し、国家と社会の利益を重んじ、個人の利益をそれに従わせ、集団のなかで同志的に協力し合う精神ですべての協同組合員を教育すべきであります。協同組合の共同財産と共同経営は、組合発展の土台であり、組合員の生活向上の源泉であります。共同財産を着服、浪費、横領したり、または共同経営にまじめに参加しない傾向に対して強く闘わなければなりません。

 これとともに、労働を愛する精神で、すべての組合員を教育しなければなりません。

 労働は最も貴いものであり、人間社会の財貨はすべて勤労者の労働によって創造されます。こんにち、わが国の農民は、地主や資本家のために働くのではなく、自分自身の幸福のために、国家と社会の利益のために働いています。我々の制度のもとでは、労働は最も栄誉あるものであり、すべての人の気高い義務であります。社会主義の原則は、働かざるもの食うべからずということです。労働をきらい、なまけて他人の世話で暮らそうとするのは最も恥ずべきことです。

 我々は、協同組合員の労働に対する正しい態度を培い、彼らが労働を愛し、共同労働に誠実に参加し、自覚的に労働規律を守るようにすべきであります。

 我々は、また、農民を社会主義的愛国主義とプロレタリア国際主義の思想で武装させなければなりません。

 社会主義的愛国主義は、自己の協同組合を愛することから出発すべきであります。農民はすべて、社会主義祖国を愛する熱烈な愛国者とならなければなりません。

 また、農民が、社会主義祖国を愛することから始まり、社会主義陣営を擁護し、社会主義陣営諸国の人民および社会主義をめざす全世界のすべての勤労者との友好と団結を強めるよう、プロレタリア国際主義の教育を強めなければなりません。

 社会主義建設を立派におこなうためには、労農同盟を強化しなければなりません。労農同盟は、全人民の団結の基礎であり、革命勝利の決定的な要因であります。

 わが国の労農同盟は、厳しい戦争の試練にうちかち、社会主義革命を通じて新しい段階へ発展しました。我々は、農村の技術革命と文化革命の遂行において、労働者階級の農民に対する指導と援助を強め、農業の発展と農民の意識の改造を促すことによって、労農同盟を強化し、その過程で労働者階級の指導的役割を強めなければなりません。

 同志の皆さん!

 農業部門に提起された膨大な課題を立派に遂行し、協同経営を政治的、経済的に強めるためには、農業協同組合の管理運営を改善し、これに対する党および国家の指導と援助を強めなければなりません。

 農業の協同化が完成し、農業協同組合が統合されて新しい発展段階に入ったので、この大会では、新しい農業協同組合の基準定款を採択することになります。

 新しい基準定款草案の基本的内容は、すべての農業協同組合と組合員が、労働者階級の指導のもとに、農村でこれまでにおさめた社会主義の勝利をかためて社会主義建設を促進させるところにあります。

 新しい基準定款は、土地と自由のために闘ったわが農民の長期にわたる闘争の結実であり、彼らの集団生活の規範をうつしだす鏡であり、より明るい前途をさし示す灯台であります。我々は、統合された農業協同組合が新しい基準定款の基本原則にもとづいて、自己に課された膨大な課題を立派に解決できるよう、その管理運営を改善しなければなりません。

 組合員の数が急激にふえ、事業の範囲が大きくなった状況のもとで、組合内の民主主義をいっそう発揚させることは、組合を強化する基本的な環となります。我々は、組合員大衆を広く組合の管理運営に参加させて、彼らが協同組合の主人として進んで意見を述べ、欠陥を批判し、心を一つにかたく団結して、すべての活動で積極性と創意を発揮するようにすべきであります。

 いまなお、一部の組合管理幹部のあいだに残っている官僚主義的な活動作風を徹底的になくし、彼らが大衆をよりどころにして活動し、大衆のなかに入って学び、かつ教える革命的大衆観点を確立するようにしなければなりません。総会または代表者会議と管理委員会を定期的に運営し、すべての問題を集団的な討議をへて決定し、組合の事業と組合の財産の管理状況をそのつど組合員に知らせるようにすべきです。

 我々の経験が示しているように、管理幹部の政治・実務水準を高めることは、協同組合の強化にとって極めて重要な意義があります。管理幹部の隊列は、統合事業を通じていちだんと強化されましたが、膨大な課題にてらしてみるとき、彼らの水準はまだ低い状態にあります。

 管理幹部、特に管理委員長はすべて、農業生産の組織や技術ばかりでなく、商品の流通、信用、教育、文化、保健医療など各部門の知識を所有し、組合内部の生活に精通した活動家となるようにたえず努力すべきです。党と政府は、管理幹部の養成と再教育を強化し、彼らの政治・実務水準を向上させるためひきつづき援助を与えるはずです。

 わが国の農業協同組合は、社会主義的大規模経営です。このような経営が計画なしに運営できないことは改めて言うまでもありません。特に、現在の新しい環境のもとでは、計画化は前例なく大きな意義をもつようになりました。

 生産のみならず、分配、交換、消費にいたるまで、協同組合のいっさいの経済活動を計画化しなければならず、教育、文化、保健医療事業も計画的に発展させなければなりません。膨大な自然改造をはじめ、農業の技術的改造と農村建設を立派におこない、協同経営を明確な見通しのもとに発展させるため、各農業協同組合では、科学的な基礎をもつ展望計画の作成に特に深い注意を払わなければなりません。

 各農業協同組合の生産および建設計画は、潜在力と可能性を最大限に見いだし、少ない労働力と資材と資金で最上の成果が達成できるように作成すべきであります。

 各農業協同組合は、たえまない拡大再生産と組合員の系統的な生活向上のために、蓄積と消費の正しいつりあいを保つことに深い関心を払わなければなりません。

 我々は、組合員の当面の生活をかえりみず一面的に将来のための建設だけをしようとしたり、逆に、共同経営の将来の発展と組合の経済的土台を考慮せず明日はどうなろうと欲しいままに食いつぶそうとする傾向の、いずれをも排撃しなければなりません。

 これについての我々の原則は、蓄積と消費のいずれにも考慮を払い、組合員の生活向上につれて蓄積を次第に増加させることであります。蓄積をふやさなければ組合員の物質・文化生活を強固な土台のうえで、たえず向上させることができません。農村で技術革命をおこない、膨大な生産および文化建設をすすめるためには、農業協同組合の共同蓄積をふやさなければなりません。各農業協同組合は、それぞれの具体的な実情を考慮に入れ、毎年基準定款に規定されている範囲内で蓄積の比率をきめるべきです。

 共同蓄積ファンドは農業協同組合の生産を拡大するため、近代的な機械を買い入れたり、生産および文化施設や住宅の建設に利用されて、組合の共同財産をふやす基本的な源泉となります。今後、農業協同組合の成果は、組合員に対する分配量だけでなく、共同蓄積の程度と基本建設の規模によっても評価されなければなりません。

 共同蓄積の増大に伴って、たえず増加する組合の共同財産をよく管理し、それを共同経営の発展と組合員の福祉増進のためにいっそう効果的に利用しなければなりません。

 労働の組織を改善し、労働力を合理的に利用することは、こんにち、農業協同組合で特に重要な問題となっています。各協同組合では、新しい実情に即して作業班を合理的に改編し、全組合員の共同労働への参加率を高めなければなりません。作業の場所を頻繁に移動させたり、作業条件を十分保障しなかったり、または、作業の指示を適時に与えなかったりして労働力を浪費するような現象は徹底的になくさなければなりません。

 これとともに、分組、作業班および組合相互間の社会主義的競争運動を活発に繰りひろげ、すぐれた成果と経験を広く普及し、経済と文化の建設でたえず新しい革新を起こさなければなりません。

 各農業協同組合では、組合員の日常生活に深い関心を払うべきであります。

 組合員の収入が急速に増加するにつれて生じうる浪費を防ぎ、彼らが自分の生活を立派に営むように指導しなければなりません。我々はまた、組合員の労働保護に関心を向け、組合員が定期的な休息と十分な睡眠がとれるようにしなければなりません。特に婦人に対しては、家事の負担を減らし、子供を保離し、より立派に育てることのできる条件をつくらなければなりません。そのためには、託児所、幼稚園、クリーニング店および縫製所などを正しく運営しなければなりません。

 農業の協同化が完成し、協同組合の規模が拡大した状況のもとで、それに対する党と国家の指導と援助は強化されなければなりません。

 我々は、これまで平年収穫高の10〜27%であった農業現物税の比率を、今年から12%程度にまで引き下げる計画です。特に、まだ経済的土台の弱い山間部の一部の農業協同組合に対しては、完全に現物税を免除することを予定しています。

 農産物の収量が毎年増加しているこんにち、このような現物税率の大幅な引下げは、農業協同組合に莫大を経済的利益をもたらすことでしょう。これは、協同組合の蓄積を著しく増加させ、農業の技術的改造と農村建設をいちだんと促進し、立ち後れた組合を強化してその土台をかため、農民の生活を向上させる大きな助けとなるでありましょう。

 農業の発展と協同経営の強化のためには、各級の党および政権機関と農業部門の幹部の役割を強めなければなりません。

 最近、わが党は、農村に対する道・市・郡人民委員会の指導陣容を強化し、その権限を拡大する一連の措置をとりました。これは、新しい農村の現実に即して指導を生産に近づけ、地方の創意を高め、生産の潜在力と可能性を動員するうえで大きな意義をもちます。

 我々は、農村の指導において形式主義的な作風をなくし、現地指導を強化しなければなりません。特に、いまなお経済的土台の弱い農業協同組合に対する指導に力を集中し、これらの組合を短時日間で強化しなければなりません。農業部門のすべての幹部は、指導を大衆の革命的な熱意と結びつけ、党と大衆の統一をさらに強めることによって、わが党の農業政策を徹底的に貫かなければなりません。

 農村活動に対するわが党の指導を保障するため、特に農業協同組合内の党組織の活動を強化すべきであります。

 農業協同組合内の党組織は、党の路線と政策を広範な大衆に深く解説し浸透させ、党政策の貫徹をめざして彼らを力強く立ち上からせ、この闘いのなかで党員の前衛的な役割を強めるべきであります。

 党組織は、いくつもの部落が一つの組合に統合された状況下で生じうる過去のせまい組合本位主義や家族主義の傾向を克服し、組合員の思想的統一と相互協力を強めなければなりません。

 党組織は、農業協同組合の管理運営と経済活動の指導と統制を強めなければなりません。

 党組織は、組合内の愛国烈士の遺族や軍人の留守家族に対する活動を強め、彼らの生活や子弟の教育に常に心をくばり、彼らが組合の仕事で中核的役割を果たすよう、あらゆる面から援助すべきであります。

 党組織は、さらに民青をはじめ、勤労者団体の活動に深い関心を向けなければなりません。党の後続隊である民青員は、わが国の社会主義建設で突撃隊の役割を果たしています。党組織は、民青組織を正しく指導し、青年の共産主義教育を強め、技術・文化水準をたえず向上させることによって、彼らが祖国と人民のために闘う勇敢な闘士として、知恵と革命的情熱をささげ農村の社会主義建設に奉仕するようにしなければなりません。

 このようにして、すべての農業協同組合を、強固な経済的土台をもち、組合員の生活が豊かで、政治的に強固な社会主義的経営に発展させなければなりません。こうして我々は、わが党の農村陣地を鉄壁のように強化しなければなりません。

 同志の皆さん!

 共和国北半部での社会主義建設は、祖国が分断されている状況のもとで、南朝鮮の経済状態とは全く異なった対照をなして進められています。こんにち、南朝鮮の経済は、ますます救いがたい破滅の淵に落ち込んでいます。

 アメリカ帝国主義者と李承晩一味が13年間にわたって南朝鮮を支配した結果、残ったものは民族経済の破産と人民生活の零落であり、無知と蒙昧と堕落だけです。

 南朝鮮の工場、製造所は、そのほとんどが中小企業であり、それさえも約80%は操業を中止、あるいは短縮しています。現在、南朝鮮では420万以上の失業者が街をさまよっています。就業労働者の賃金は最低生活費の3分の1にすぎず、労働者はそれさえ何か月も受け取っていないありさまです。

 協同化された我々の社会主義的農業が飛躍的な発展をつづけているときに、南朝鮮の農業は植民地半封建的従属から脱することができず、その生産力の破壊は日ごとに深刻化しています。

 南朝鮮の作付面積は、日本帝国主義の支配当時に比べて60万ヘクタールも減少し、穀物の総収穫高は40%も減っています。南朝鮮は日本帝国主義の支配当時、北朝鮮の2倍に当たる穀物を生産していましたが、いまでは逆に、共和国北半部より穀物の生産が少なくなっています。

 かつては、穀倉地帯として知られていた南朝鮮が慢性的な飢餓地帯に変わり、農家総数の約半分は絶糧状態に陥っています。南朝鮮の農民の大部分は、1坪の土地ももたない小作人や雇農になるか、あるいは故郷を捨てて物乞いをしながらさまよう流浪民になっています。

 このような事態にもかかわらず、アメリカ帝国主義者と李承晩一味は、予算のほぼ70%を軍事費や警察費に当てながらも農業の復興には何らの関心も払っていません。彼らは、手段や方法を選ばず、南朝鮮農民の血と汗の最後の一滴までもしぼろうとしています。

 これらはすべて、南朝鮮に対するアメリカ帝国主義の植民地略奪政策がもたらした必然的な結果です。

 活路はただ一つ、アメリカ帝国主義侵略者を追い出して国を統一することです。

 南朝鮮の農民は、アメリカ帝国主義と李承晩一味の支配のもとでは、土地も自由も手に入れることはできず、言語に絶する苦痛にみちた現在の惨めな境遇からぬけ出せないことを、いっそう深く自覚しています。

 北半部農村における社会主義建設の成果が大きければ大きいほど、北半部農民の生活が向上すればするほど、それは抑圧と搾取に苦しみ、飢えと寒さに苦しんでいる南朝鮮の農民に、より大きな勇気と希望を与えるでしょう。北半部の農民は、南朝鮮の同胞を救うために農業を発展させ、社会主義を立派に建設しなければなりません。

 共和国北半部での社会主義建設は、祖国の平和的統一を達成する決定的な保証となり、またそれは、祖国が統一されたのちに南朝鮮の経済を速やかに復興し、南朝鮮人民の生活を改善する強力な物質的土台となるでありましょう。

 日を追って共和国北半部の社会主義力量はさらに強くなり、南朝鮮人民の革命的自覚は高まるでしょう。いかなる力も、祖国と民族の統一をめざす朝鮮人民の革命勢力の成長を阻むことはできません。全国の同胞が統一された祖国の大地で、ともに自由で豊かな、幸福な生活を営む日は必ずくるでしょう。

 こんにち、社会主義は、世界的な規模で勝利しており、帝国主義勢力は没落の一途をたどっています。

 社会主義陣営は、帝国主義陣営より比べようもなく強大です。社会主義陣営は、地球の陸地面積の4分の1以上の広大な地域を占めており、帝国主義諸国より倍も多い10億近い人口を擁しています。

 ソ連は、経済と科学・技術の発展において世界を驚嘆させる大きな成果をおさめ、次第にアメリカを圧倒しはじめました。ソ連は、既に三つの人工衛星を打ち上げ、科学発展史上に新しい紀元をきり開きました。新年へきとうに、ソ連はさらに月に向けて宇宙ロケットを打ち上げました。これは、資本主義に対する社会主義の決定的な優位性を示すものであり、全世界の進歩的な人々の共産主義の未来に対する確信をいっそう強くさせるものです。

 すべての人民民主主義国で社会主義建設は成功裏に進められており、人民経済が急速に発展して人民生活はたえず改善されています。

 こんにち、社会主義陣営諸国の工業生産は、世界の工業生産の3分の1を占めており、それは、今後7年以内に2分の1以上を占めることになるでしょう。

 社会主義陣営諸国は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の旗のもとに、かたく団結しています。

 これらすべてのことは、帝国主義勢力を圧倒する社会主義陣営の不敗の威力を示すものです。

 すべての情勢は、我々の正義の偉業に有利に発展しています。

 朝鮮人民は、兄弟諸国の人民と肩をならべて前進することにより、わが国に社会主義を勝利のうちに建設して、必ずや祖国の統一をなし遂げるでありましょう。こうして、朝鮮人民は、極東、ひいては全世界の平和と社会主義陣地の強化に貢献するでありましょう。

 労働者階級とともに、農民は、この栄えある偉業の担い手であります。農業をよりいっそう発展させるための農民の生産闘争は、共和国の北半部に社会主義を建設する闘いであり、それは、とりもなおさず、祖国の平和的統一と将来の繁栄のための闘いであります。

 私は、わが国のすべての農民が、わが党のまわりにかたく団結し、党の指導のもとに農業部門に課された雄大な課題を勝利のうちになし遂げるものと確信します。
                                                
出典:『金日成著作集』13巻

<参考>サイレージ【silage】 水分含量の多い飼料作物をサイロに詰め、発酵させて貯蔵した家畜の飼料(広辞苑第6六版より引用)


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