金 日 成

共産主義教育について
 全国市・郡党委員会の扇動員講習会でおこなった演説
−1958年11月20日− 


 私はきょう、我が国の経済状態、特に、今後の経済発展の展望について、そして、社会主義建設を促進するうえでの重要課題である共産主義的思想教育の問題について述べようと思います。

 みなさんも承知のように、いま我が国は、社会主義建設の一大高揚期に入っています。社会主義建設の高揚はひきつづき起きています。全党員と勤労者は、党中央委員会9月総会が党員に送った手紙を支持し、党が示したすべての課題をより速く、より立派に実践するために千里馬(チョンリマ)を駆る勢いで前進しています。このように、すべての勤労者が千里馬を駆り、社会主義の高峰をめざして前進する勢いは、朝鮮の歴史にかつてなかったことであります。

 我々のこの気概は、なにをもってしてもくじくことのできない偉大な力となっています。これは、我が党のまわりに全人民が一体となって団結し、党の呼びかけであれば水火もいとわず、いかなる困難をも乗り越えて進むことを示すものです。

 我々は、我が国の歴史上はじめての5か年計画を実行しています。5か年計画の最初の2年間に、我々は大きな勝利をかちとりました。1957年に、工業生産は前年に比べて44%も増大しました。今年は昨年に比べて、工業生産が35〜36%増大するでしょう。このような速い速度は全く類例のないことであります。

 我々がこのような速度で進むならば、工業部門では来年中に5か年計画をなし遂げる可能性があります。勤労者は、党中央委員会の手紙を討議する過程で、あらゆる部門の労働生産性を2倍以上に高めることを決意しています。我々が来年に、工業生産を今年の実績に比べて50〜60%高めれば、5か年計画に予定されている1961年の生産水準をはるかに上回ることになります。

 いつも言っていることですが、我々は貧しい暮らしをしてきただけに、他人より速く前進しなければなりません。

 諸外国が、早くからブルジョア革命をおこない、技術的に発展した富強な国をきずいていたときに、我々の祖先は、冠をかぶってロバに乗って歩き、なすこともなく詩歌を詠じ、酒をくみかわして、いたずらに日々を送りました。諸外国が、工場を建て、商品生産をおこない、生産力を発展させていたとき、我々の祖先は昔のままに農業を営み、立ち後れた状態にありました。祖先が我々に残したものは、立ち後れと貧困でありました。

 ヨーロッパ諸国に行ってみると、どこも道路が立派で、農村でもほとんどがレンガ建ての家に住んでいますが、それは、これらの国々が早くから生産力と文化を発展させてきたからです。

 ところが、我々は先祖代々引き継いできたあばら屋にしか住めませんでした。我々の祖先は自分の力で地下資源一つ開発できず、工場一つ建てることができませんでした。このように貧しく立ち後れた状態のもとで、我が国は日本帝国主義者に占領されました。

 日本帝国主義者が朝鮮人のためになることをするはずがないのは、わかりきったことです。日本帝国主義者は、朝鮮のあらゆる資源を奪って工場を建て、鉄道を敷きました。それはすべて、日本帝国主義者が朝鮮人を搾取し、略奪するためにしたことであって、我々朝鮮人のためにしたのではありません。

 このように、さげすみと貧困のなかで暮らしてきた朝鮮人が、解放を迎えて自己の手に権力を握り、みずからの運命を切り開くことのできるすべての条件がそなわったのに、どうして勇気百倍して積極的にたたかわずにいられるでしょうか。ところが、ある分派分子は、朝鮮人が、よくたたかうのは愚かなためであり、精を出して建設をするのも無知であるからだと言いました。これは、朝鮮人民にたいする許すことのできない侮辱であります。

 朝鮮人は貧しい暮らしをしてきましたが、聡明であることを知らなければなりません。なぜ聡明だと言えるのでしょうか。朝鮮人の知識は、あたかもきれいな白紙に書かれた文字のように鮮やかで、ぼやけたところがありません。したがって、朝鮮人は一つのことを知るにしてもはっきり知っています。朝鮮人は貧しかったために、学ぼうとする意欲もまた人一倍強いのです。

 我々は、身なりは貧しく、あばら屋に住んではきましたが、我々の思想はひとに劣らず進歩的であり、速く前進しようとする心構えはひとよりはるかに強く、古いものを捨てて新しいものを取ろうとする革命的気質に非常に富んでいます。こんにち、我々がこんなに速く前進しているのは、決して偶然なことではありません。

 我々とともに解放された兄弟諸国の人民は、すでに3度目の5か年計画を遂行しています。

 我が国はもともと後れていたところへ、3年間の戦争ですべてが見るかげもなく破壊されたため、いっそう立ち後れるようになりました。

 このような状況のもとで、我々も兄弟諸国の人民と歩調を合わせて進むため、かれらが3回の5か年計画で到達する水準を、我々は2回の5か年計画で達成しようと望んでいました。現在、我が党員と全勤労者のたたかう気概を見ると、我々の望みは実現されそうです。

 我が国の経済発展テンポは、資本主義国に比べて比較にならないほどの速さであります。私はみなさんに、一つの興味ある問題について話しましょう。

 日本は、明治維新によってブルジョア革命をへており、早くから開け、一時は我が国を占領しました。日本帝国主義者が我が国を侵略するとき、かれらは5連発銃を使っていたのに、我々は火縄銃もろくに作れない有様でした。日本人が、機関車、貨車のような文明の利器を作っているときに、我々の先祖はロバに乗って歩いていました。しかし、これらのことはすべて遠い昔話となってしまいました。

 こんにちの状態はどうでしょうか。我々は、来年には主要工業製品の人口一人当たりの生産高で、十分、日本に追いつくことができます。

 1957年に、日本の人口一人当たりの電力生産量は853KWhでした。ところが、我々は来年には、一人当たり850〜900KWhを生産することになります。言いかえれば、我々は電力生産で日本を追い越すことになります。

 日本の、人口一人当たりの石炭生産量は568キログラムです。我々は今年すでに、人口一人当たり690キログラムを生産することになります。来年我々は、900万トンの石炭を生産する予定です。これは、人口一人当たり900キログラムを生産することを意味します。

 銑鉄の場合も同じです。日本の一人当たり銑鉄生産量は75キログラムですが、我々は来年80〜90キログラムを生産することになります。

 日本の一人当たりのセメント生産量は167キログラムです。来年我々は、約200万トンのセメントを生産するようになるでしょう。化学工業省で生産されるものだけでも、一人当たり180キログラムに達するので、セメントでも我々は日本を追い越すことになるわけです。

 織物生産はまだ日本より後れていますが、これも数年後には追いつくことができます。

 こう見てくると、一部の軽工業製品を除いては、大部分の主要工業製品の人口一人当たり生産で、我々がすでに日本に追いつき、または追い越していることは明らかです。

 もちろん、日本の方が我々よりまさっているものもあります。全般的に、機械工業は我々よりも発達していることは確かです。しかし機械工業でも、我々は遠からず日本に追いつくようになるでしょう。

 周知のように、我々はすでに自力でトラック、トラクター、掘削機、その他多くの機械類や船舶をつくりはじめました。我々は、すでに機械工業の基礎をきずきあげました。

 我が国の機械工業の発展の見通しは、日本の機械工業に比べるとはるかにまさっています。日本の機械工業は、現在の発展水準がかなり高いとはいうものの、原料の供給が制約され、社会制度が立ち後れているため、その発展テンポは極めて制限されざるをえません。ところが我々には、日本より非常に有利な条件があります。我々は、すぐれた社会主義制度をもっており、人々の前進しようとする自覚が比べようもなく高く、我々には鉄、非鉄金属、その他必要な原料も豊富にあります。したがって、機械工業でも日本に速く追いつくことは疑いありません。

 かつて、全アジアを征服し、ソ連にまで侵略の手をのばそうとした日本に追いつき、追い越すということは全くすばらしいことです。

 こんにちの我が国は、後れた封建国家でもなければ植民地的農業国でもなく、自立的民族工業をもつ社会主義国であります。いま、我々がいちだんと飛躍を遂げるならば、近い将来に社会主義的工業化を実現することができます。

 農業でも、我々は大きな勝利をおさめました。農業の社会主義的改造は、社会主義革命で最も困難な問題の一つです。しかし我々は、短期間になんの曲折もなく(もちろん、階級闘争なしにおこなわれたわけではないが)、極めて順調に農業の協同化を完成しました。

 周知のように、共和国北半部は耕地が少なくやせているので、昔から食糧の足りない地帯でした。しかしこんにち我々は、自然改造事業を大々的にくりひろげ、農業生産を積極的に発展させた結果、耕地が少ないにもかかわらず、食糧を十分、自給自足できるようになりました。このように我々は、共和国北半部を食糧の足りない地帯から食糧を自給自足できる地帯に変えました。これは大きな勝利であります。

 我々は、農業部門で実に多くの仕事をなし遂げました。潅漑水利事業を大々的に進め、水利の不完全な水田を水利完全田につくり変え、いまもひきつづき潅漑工事を力強くおし進めています。すでに、穀物と工芸作物の強固な生産基地をきずきあげました。

 停戦直後、は貧農が全農家のおよそ40%をしめていました。しかしいまでは、貧農の問題は完全に解決されました。食糧省が経済的土台の弱い協同組合について調査したところによれば、これらの協同組合では国家に納付する穀物を全部おさめ、食糧、種子、肥料交換用穀物、共同フォンドなどいっさいを差し引いても、不足分の食糧は約4万トンにすぎません。

 かつて山間部では、中農の場合でも春になると食糧が1、2か月分は足りなくなるのが普通でした。こうして見れば、こんにち我が国の農村には、事実上貧農は1戸もありません。厳密に見るとしても、こんにちの我が国の農民の生活は、ほとんどが中農の水準に達しています。

 今後我々は、農民の生活を富裕な中農以上の水準に高めなければなりません。これが、党の目標であります。この目標は、今後、数年間努力すれば達成できます。これらすべての勝利は、戦後わずか5年間に達成されたものです。

 停戦後、廃墟のなかで3か年計画を実行し、さらにその後5か年計画を2年間悪戦苦闘して実行した結果、我が国を短期間内にこんにちのような自立的な工業・農業国につくりあげました。これは、朝鮮民族の歴史にかってなかったことであり、まことに偉大な勝利であると言わなければなりません。

 我々は、いかにしてこのような偉大な勝利を達成することができたのでしょうか。

 それはなによりもまず、我が党中央委員会の指導が正しく、党の経済政策が正しかったからであります。全人民が、我が党の政策を支持し、党中央委員会と共和国政府のまわりに団結して内外の敵を粉砕したからこそ、このような勝利をおさめることができたのです。

 我が党の正しい政策にたいして、一時、反党分派分子らはいろいろと中傷しました。党内でも雑音が多く、党外でもそうでした。はじめ、我が党が重工業に重点をおきながら、同時に軽工業と農業を発展させるという路線をうちだしたとき、いろいろなことが言われたものでした。どこの国の社会主義建設にもなかった新しい路線を、なにもかも破壊しつくされた廃墟のうえに実現しようとするのは唐突すぎるとか、さまざまなことが言われました。ある者は、当面の人民生活が困難なのに工場ばかり建設しようとしているが、一体、機械から米が出てくるとでもいうのかと言いました。

 実際には、機械から米が出てこないわけでもありません。しかし、反党分子はそれを理解することができなかったし、理解しようともしませんでした。それで、この連中は党の正しい政策に反対したのです。反党分派分子らは、人民生活が最も苦しかった厳しい時期に、大衆を党から切り離すためにこのようなデマをいろいろとふりまきました。

 農村における社会主義建設についても、いろいろと中傷する者がいました。ある者は、農村の社会主義的改造を5か年計画の期間になし遂げると言うが、できるはずがないと主張しました。しかし、実際には5か年計画の最初の2年のうちに完了しました。

 一部の人は、協同化を通じて私営商工業を改造することについても疑問をはさみました。しかし、これも非常に速く、そして順調になし遂げられました。

 また最近では、いわゆる学識があると言われる人々のなかから、機械にたいする神秘論があらわれました。神秘主義者は、トラックやトラクターのような機械は神秘なものなのに、どうして我々にそれが作れるだろうかと言いました。しかし、党はかれらの主張に耳をかさず、神秘主義を粉砕してからはトラック、トラクター、掘削機、その他多くの機械がどしどし作りだされています。

 我々のすべての勝利は、全人民が我が党の正しい政策を支持して内外の敵をしりぞけ、我々の前進を妨げる保守主義、神秘主義など、さまざまな間違った傾向を打ち砕き、党の路線を貫いた結果、達成されたものであります。我が党がおさめた歴史的な勝利は、なんぴとも否定することができません。

 このように、我々がかちとった勝利は偉大なものですが、党は常に勝利におごらぬよう、すべての党員と勤労者を教育しています。党は、より大きな新しい勝利をめざしてたえず前進し、いっそう速く進むことを求めています。。それで党中央委員会9月総会は、全党員に送る手紙のなかで、いっそう雄大な目標をめざして、さらに躍進を遂げるよう呼びかけました。

 党中央委員会の手紙が提起した中心課題はなんでしょうか。

 第1に重要な課題は、5か年計画を1年半短縮して完遂することであります。いま、党中央委員会の手紙を支持して立ち上がった全党員は、5か年計画を1年半ではなく、2年繰り上げて完遂することを決意しています。

 工業部門では、社会主義的工業化をさらに促進し、社会主義の強固な物質的・技術的土台をきずきあげるためにたたかうよう呼びかけました。こうして6、7年のうちに電力は200億KWh、鋼鉄は300万〜350万トン、セメントは400万トン、肥料は200万トン、織物は4億メートル、石炭は2500万トンを生産する課題をうちだしました。手紙はまた、一部の特殊な機械を除き、大量に要求される機械をすべて自力で生産する課題を提起しました。

 社会主義社会を建設するためには、なによりもまず工業化に拍車を加え、社会主義の強力な物質的・技術的土台を準備しなければなりません。そのためには、電力、銑鉄、セメント、肥料、それにいろいろな機械類をより多く生産しなければならず、織物もさらに大量に生産しなければなりません。工業化の速度を速めることなしには、この目的の達成は不可能です。党中央委員会の手紙は、まさにこのことを全党員に呼びかけたのであります。

 農業部門では、ひきつづき水利化を力強くくりひろげることです。水利化は、我が国の農業における技術的改造の基本であります。我が国の耕地面積は、あれこれ除けば、およそ180万ヘクタールにすぎませんが、そのうち傾斜地を除いた大部分の田畑を水利化し、農業を凶作のない先進的な農業に変えようというのです。

 次に、農村を電化しなければなりません。すべての農村に電灯がともり、ラジオが聞けるようにしなければなりません。すべての農村でラジオが聞けるようにするというのは、つまり農村に政治知識、科学知識はもちろん、音楽その他の文化、芸術を日常的に普及し、文化革命の任務を速やかに実現できるようにすることを意味します。それに電化をすれば仕事も楽になります。脱穀機も電気で動かし、水も電気でくみあげることができます。

 農村の電化は、すでに国の様相を一新しはじめました。慈江(チャガン)道のような山奥でも電化は急速に進んでいます。慈江道の烏首徳(オスドク)は、天に一番近い村と言われ、昔は子牛を背負ってのぼり、そこで育てて使用したというところです。きょうの新聞には、慈江道でも一番山奥のこの烏首徳に風力発電所を作ったという記事がのっています。これは、まことに驚くべきことだと言わなければなりません。

 最後に、重要なことは農業の機械化であります。我々は今後4、5年のうちに、3万〜3万5000台のトラクターと、2万5000〜3万台のトラックを農村に送る計画です。来年我々は、すでに外国から輸入したものと国内で生産したものとを合わせて、トラクター5000台と、トラック2500台を農村に送る予定であります。

 全党をあげて農村の水利化、電化、機械化をおこなわなければなりません。そうすれば、700万トン以上の穀物を十分生産することができ、綿、ヒ麻、亜麻などの工芸作物を大量に生産できます。

 穀物の問題が解決された現在、人民の畜産物需要をみたす課題が提起されています。最近、党中央委員会常務委員会拡大会議は、人民に食肉、牛乳、たまごなどを十分に供給する具体的な対策を立てました。

 畜産業を発展させるだけでなく、果樹栽培業も同時に発展させ、果物をたくさん食べられるようにしなければなりません。果樹園面積の10万ヘクタール拡張について、ひきつづき宣伝活動を十分におこなうべきです。果樹園1ヘクタールからは、少なくとも10トンの果物がとれます。1ヘクタール当たり10トンずつとれるとしても、10万ヘクタールなら100万トンになります。100万トンあれば、一人当たり100キログラムの果物がゆきわたります。このようにして、ぶどう酒や果汁もつくるべきです。

 近い将来に、これらのことをなし遂げるならば、我が国は本当に住みよい国になるでしょう。私は先ごろみなさんに、我が国はさほど大きい国ではないけれども、地味が肥え、気候にも恵まれているから、平方で計算しないで立方で計算しなければならないと話したことがあります。

 もし我々が、工業で高度の生産力を達成するために、機械化、自動化を大々的におこない、農業でも水利化、電化、機械化を進めて穀物生産だけでなく畜産業、果樹栽培業などを大きく発展させるならば、そのときはどうなるでしょうか。そのときには、社会主義社会が完全に建設されたと言えるでしょう。もしも、ひきつづき1、2年のあいださらに悪戦苦闘し、6、7年のうちに先に述べた諸課題を実行するならば、社会主義の高峰をきわめることができます。

 一日も速く社会主義の高峰をきわめるためには、勤労大衆を共産主義思想で武装させなければなりません。徹底した思想教育と思想闘争なしには、革命の前進をなし遂げることはできず、すでにかちとった勝利を強固なものにすることもできません。

 勤労大衆の頭にまだ残っている古い封建的、資本主義的な思想の影響を根こそぎにしなければなりません。

 我々がおこなっている革命は、いっさいの古いものを粉砕し、新しいものを創造するたたかいであります。新しいものと古いものとのたたかい、進歩と保守とのたたかい、積極的なものと消極的なものとのたたかい、集団主義と個人主義とのたたかい、総体的には社会主義と資本主義とのたたかい−これが、我々のおこなっている革命闘争の内容であります。社会主義建設の偉業は、前進を阻むいっさいの古くて腐り切ったものを、はき捨てる過程を通じてのみ勝利することができます。

 いま我々は千里馬に乗って進軍しているのに、古いものが我々の後ろにまつわりついています。我々は日ごとに、時々刻々、前進しようとしているのに、保守分子が我々の進路に障害物を持ち込んでいます。我々はすべてのことを積極的におし進めようとしているのに、消極分子がこの熱意と気概をくじこうとしています。我々はまた、集団主義の精神で生きようとしているのに、個人主義が我々の共同の偉業をむしばんでいます。

 これらはすべて、ブルジョア思想が残した毒素であり、この思想的な毒素を取り除かなければ、古い社会を改造して社会主義・共産主義を建設しようという、我々の偉大な目的は達成できません。

 古いブルジョア思想の残りかすを一掃し、革命の高場をいちだんともりあげるためには、すべての勤労者を共産主義思想で武装させることが最も重要です。これはこんにち、全党員、とりわけ宣伝員、扇動員のみなさんに提起された中心課題であります。

 李承晩は、我々を「赤」と呼んでいます。かれの言いたいままに言わせておきましょう。

 我々は、自分が赤いことを否定しません。我々は、黒でもなければ灰色でもありません。我々は赤い人間であります。我々は、全勤労者が革命的な赤一色になることを願っており、また、そのためにたたかっています。敵が「赤」をひどく恐れれば恐れるほど、我々の全勤労者を徹頭徹尾赤くすること、言いかえれば共産主義思想で武装させることがますます必要であります。

 それでは、このような思想教育の重点をどこにおくべきでしょうか。

 まず勤労者に、資本主義にたいする社会主義と共産主義の優位性について正しく認識させることが重要です。

 資本主義社会は、ごく少数の搾取者と抑圧者にとっては「天国」ですが、絶対多数をしめる搾取され抑圧されている勤労者にとっては「地獄」です。

 実例をあげてみましょう。最も発達した資本主義国であるアメリカは、どのような国でしょうか。アメリカでは生産は大量になされているが、勤労者は、まさにかれらが大量に生産したために職を失い、飢えに苦しまなければならないのです。このような社会が長続きするはずはありません。搾取者と抑圧者はこのような社会を守ろうとしていますが、かれらのいかなる手段も、「地獄」から脱しようとする幾百万勤労大衆の解放闘争を抑えることはできないでしょう。

 資本主義をくつがえして新しくうち立てられた社会主義社会は、人間による人間の搾取がなく、そこでは、社会の利益と個人の利益が根本的に一致します。したがって、一人ひとりの勤労者がみずからの幸福と社会の繁栄をめざして、身心ともにささげて働くようになるので、社会的生産は歴史上かつて例のないほど急速に発展し、文化は全面的に花咲くようになります。我々は、資本主義にたいする社会主義のこのような優位性を、勤労者にしっかりと認識させなければなりません。

 共和国の北半部と南半部との対比はそのまま、社会主義と資本主義とのよい対照となるでしょう。今年のはじめに、南朝鮮の旅客機が入北して来たとき、一諸に来たスチュワーデスの言葉は興味深いものがあります。彼女は、平壌では誰でもみな働くことができ、働きさえすれば衣食の心配はなく、人々は誰もがみなさっぱりした服を着ていると言いました。朝は工場へ働きに行く婦人たちの姿も見られ、市場へ行くと「豪華な」品物はないが、その代わり普通の服地や米などはたくさんあったと言いました。ブルジョア思想でこりかたまっているに違いないこの南朝鮮の女性も、北半部でこのようなことを十分見てとることができたのです。

 ところで、ソウルの状況はどうでしょうか。金持ちがぜいたくな、腐敗堕落した暮らしをするための奢侈品はいくらでもあります。ところが、一方では400万以上の失業者、半失業者と数10万の孤児が食べるものを求めて街頭をさまよっています。最近の『東亜日報』の記事は、慶尚(キョンサン)北道一つの道だけでも、16万〜20万の子供がものごいをしていると報じています。

 我々は、このような北半部と南半部の実情を対比しながら、北半部の社会主義制度の優位性を十分に示すことができます。勤労者に、少数の搾取者だけがぜいたくな暮らしをし、大多数の人民は飢えと寒さに苦しむ資本主義制度がよいか、それともすべての人がともに働き、ともに豊かな生活ができる社会主義制度がよいか、このように問題を出すならば、かれら自身が明確な結論をくだすでしょう。

 勤労者をこのように教育すれば、かれらが社会主義制度を守り、この制度をますます発展させ、共産主義社会をめざして前進するよう励ますことができます。

 これとともに、新しいものは必ず勝利し、古いものは滅びるという真理を認識させなければなりません。

 社会主義は新しいものであるから、たとえ最初は勢力が弱くても、社会発展の法則によって、やがて古くて腐り切った資本主義勢力を打ち倒さずにはおかないのです。これについては、社会主義の発生、発展およびその勝利の歴史の全過程がはっきりと示しています。

 偉大なレーニンが最初に共産党を組織したとき、その力は非常に弱いものでしたが、共産党はロシアの労働者階級と勤労大衆を教育し、かれもを不敗の革命勢力に組織し、ついにはツァー制を打ち倒して世界最初の社会主義国家を樹立しました。

 第2次世界大戦のときまでは、社会主義国はただソ連一国だけでした。

 社会主義国家に狂気じみた攻撃をかけたドイツ、日本、イタリアなどの帝国主義諸国の軍隊は、最初は強大なように見えましたが、結局は敗れ、ソ連は偉大な歴史的勝利を達成しました。それは、ソ連が未来を代表する新興勢力であり、平和と民主主義、民族独立と社会主義をめざす全世界の進歩的な人々の支持を受けていたのに反し、ファシスト軍隊は大多数の人民から孤立していたからであります。

 古い封建社会が滅亡して新しい資本主義社会が発生、発展したように、寿命のつきた資本主義制度が新しい進歩的な社会主義制度に席を譲らなければならないのは、逆らうことのできない社会発展の法則です。まさにこのような法則によって、現在なお強大な力をもっているかのように見えるアメリカ帝国主義も、遠からず必ず滅亡する運命にあるのです。

 朝鮮における抗日革命闘争の歴史をふりかえって見ましょう。朝鮮の共産主義者は、なにを信じてたたかったのでしょうか。かれらは、強大な日本帝国主義に比べて非常に弱い勢力であったとはいえ、人民の宿望と正義を代表する新しい勢力として、人民大衆の支持と全世界の革命勢力との連帯をよりどころにし、古くて腐り切った日本帝国主義は必ず滅びるということを確信していたからこそ、万難を排してたたかったのです。こうして、ついに日本帝国主義は敗れ、朝鮮は解放されました。

 解放後また、アメリカ帝国主義者が日本帝国主義者に代わって朝鮮を侵略しましたが、朝鮮の共産主義者は、決してかれらを恐れませんでした。アメリカ帝国主義をかしらとする16か国の連合軍が共和国北半部に侵攻してきたときにも、労働党員は少しも動揺しませんでした。労働党員は、社会主義祖国を守るために決起し、世界の社会主義陣営と平和を愛する各国人民の強力な支持を受けている朝鮮人民は必ず勝利し、全世界の人民から孤立したアメリカ帝国主義は必ず敗退するということを確信していました。結局、アメリカ帝国主義者は、戦争に敗れ、停戦協定に署名せざるをえませんでした。

 もちろん、我々は、単独で戦ったのではなく中国人民とともに戦いました。中国もアメリカに比べると、人口は多いが武装は劣っていました。しかし、生気あふれる新興勢力である朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国は、古くて腐り切ったアメリカ帝国主義の侵略軍を打ち破り、ついに勝利をおさめたのです。

 したがって、我々が革命伝統を学習するのも、かつて朝鮮の共産主義者がしっかりとマルクス・レーニン主義の原則に依拠し、最後の勝利を確信して、強大な日本帝国主義と勇敢に戦ったその貴い精神を受け継ぐことに目的があるのです。

 次に、共産主義教育で重要なのは、社会の共産主義的を改造で大きな妨げとなる個人主義や利己主義に反対することであります。

 個人主義や利己主義は、社会主義的所有、すなわち集団的所有と全人民的所有を強固なものにするのを妨げ、将来、全体を包括する共産主義的、全人民的所有の創設をめざす我々の前進運動を阻むものです。いま、農村の協同化を完成したからといって、我々の最高目的が達成されたわけではありません。我々の最高目的である共産主義を建設するためには、協同経営をさらに一歩前進させて全人民的所有にまで引き上げなければなりません。社会のこのような発展過程は、古いブルジョア思想の残りかすである利己主義と個人主義を一掃しなければ成功裏におし進めることはできません。

 社会主義の獲得物を守り、すでに勝利をおさめた社会主義制度を強化するうえで、個人主義や利己主義とのたたかいが重要であることは言うまでもありません。協同組合の財産と国家財産を自分個人の財産以上に大切にする精神で人々を教育しなければなりません。我々はしばしば、社会主義的所有を守ることに全く無関心であったり、甚だしくは、個人の利益のために社会主義的所有を侵す事実さえ見受けますが、このようなことはすべて、許すことのできないブルジョア思想の余毒であります。

 次に、共産主義思想教育で重要な問題は、勤労者を社会主義的愛国主義とプロレタリア国際主義の精神で教育することであります。

 我々の血と汗でうち立てた社会主義制度のもとにある、搾取がなく平和で幸せに暮らし働くことのできる自分の職場、自分の村や町を愛することからはじめて、すべての勤労者が豊かに暮らし、将来いっそう幸せになれる社会主義祖団を愛するようにしなければなりません。

 さらに一歩進んで祖国を愛することから、同じ立場にある社会主義陣営のすべての国を愛し、また我々と同じように、自由と幸福をめざしてたたかう世界のすべての勤労者を愛するようにしなければなりません。我々はまた、人々に社会主義祖国をこよなく愛し、全力をつくしてその威力を強めてこそ、全世界の労働者階級の国際的な利益を守ることができるということを教えるべきです。

 勤労人民が国家権力を握っている条件のもとでは、祖国にたいする愛国的な奉仕は、とりもなおさず、プロレタリア国際主義と一致するものです。一人ひとりの勤労者が自己の社会主義的郷土の建設に全力を注ぐようになれば、かれは同時に社会主義祖国にたいする熱烈な愛国者となり、すすんでは社会主義陣営全体と全世界の労働者階級の共同の利益のためにたたかう国際主義の戦士となることができるのです。それゆえ、すべての人が、我々の幸福な郷土と社会主義制度、社会主義祖国の侵害を企む敵と容赦なくたたかい、社会主義の獲得物を守りぬく闘士となり、世界の勤労者の利益を侵害するものと妥協のないたたかいを展開する闘士となるようにしなければなりません。

 共産主義教育でもう一つ大切なことは、人々に労働を愛する精神を培う問題であります。

 労働は、人間社会の富を創造し、人類のすべての幸福の源泉であります。

 かつて搾取制度のもとでは、働かずに暮らすことが立派なことのように思われてきましたが、働かざるものは食うべからずということが原則となっている社会主義制度のもとでは、働かずに暮らすことは最も恥ずべきこととなっています。労働は、搾取社会では卑しくてつらい苦役でしたが、社会主義社会では最も誇らしく楽しいものとなっています。

 働かずに遊んで暮らす者は、他人のおかげで生きる寄生虫です。いま、全国をわき立たせている千里馬の進軍にさらに拍車を加えるためには、我々の隊列のなかで働く能力をもちながら徒食する者や、仕事を怠ける者との思想闘争をおこなわなければなりません。

 次に、勤労者を継続革命の思想、継続前進、継続革新の革命的な思想で教育しなければなりません。

 革命はたえまない前進を求めています。我々は一つの革命課題を実行することで満足するわけにはいかず、ひきつづき新しい課題を提起し、かつ解決しなければなりません。すでにかちとった勝利は、将来より大きな勝利をかちとるための準備であり、さらに前進するための基礎であります。

 北半部で社会主義建設を完成するからといって、それで我々の任務が終わるわけではありません。我々には祖国統一の任務が残っており、統一の後にはまた、南朝鮮で土地改革や産業国有化などの民主改革を実施する任務がひかえています。南半部で民主革命の任務を遂行した後はひきつづき社会主義建設をおこなわなければならず、社会主義を建設した後には、我が国も漸次共産主義へ移行しなければなりません。これら、すべてのことを正しくなし遂げずには、我々は世界革命における自己の任務を果たしたと言えません。したがって、北半部での共産主義教育は、必ず祖国統一の任務と結びつけて進めるべきです。北半部での社会主義建設は、祖国統一の裏付けであるという思想を強調すべきです。

 こうして、すべての勤労者を、熱烈な社会主義・共産主義建設者に、完全に赤い思想で武装した共産主義の戦士に教育しなければなりません。

 私の考えでは、社会主義建設を促進するための共産主義教育は、およそ以上のような内容を包括すべきだと思います。

 我が国では、勤労者のあいだで思想活動をおこなうのに一つの有利な条件があります。我が国には、西欧諸国のように、労働者階級の隊列を分裂させ、その階級意識をブルジョア思想で麻痺させる右翼社会民主主義の思想的基盤がありません。これは、我が国における思想活動が比較的複雑でない有利な条件であります。

 共産主義教育と関連して、私はこんにち、我が国の社会主義建設で最も重要な課題となっている技術革命と文化革命について述べたいと思います。

 「すべての勤労者は、技術を学び、新しい技術を創造せよ」−これがいま、我々にとって最も重要なスローガンの一つです。勤労者が、共産主義思想で武装し、技術を学び、さらに新しい技術を創造するようになるためには、かれらの文化水準を向上させなければなりません。我々はこんにち、我が国で無学な人をいっさいなくし、すべての人を少なくとも中卒以上の知識を身につけた、学識のある人にしようというのです。こうしないことには、勤労者の技術水準を向上させることも、かれらをいっそう速く、さらにしっかりと共産主義思想で武装させることもできません。

 したがって、宣伝員や扇動員は、農村や都市、協同組合や工場など、あらゆるところで文化革命に積極的に参加しなければなりません。

 文化革命をなし遂げるためには、義務教育と成人教育を実施するとともに、体育・文学・芸術サークル、技術サークルなど、いろいろなサークルを広く組織すべきです。また、工場や農村のクラブを立派に運営し、党機関紙、大衆団体の機関紙など各種の新聞を十分に利用し、工場新開、壁新聞などの宣伝手段を正しく利用することが極めて重要です。

 みなさんは文化革命の宣伝者であるばかりでなく、組織者とならなければなりません。みなさんが、この任務を正しく実行しなければ、勤労者を共産主義思想で武装させる任務を成功裏になし遂げることができません。

 文化水準を高めるためには、必ず学校を出なければならないと考えるのは間違いです。中学校を出なければ中学校程度の知識をもつことができず、大学を出なければ大学程度の知識をもつことができないということは決してありません。学校の卒業証書が問題なのではなく、人々の実際の文化水準と知識水準が問題なのです。

 一部の人は、ひとの履歴書を見て、大学卒業とあれば「この人は相当なものだ」と言い、小学卒業であれば「この人は文化水準のひくい人だ」などと速断します。

 私はこのような判断がどんなに愚かで、危険なものであるかを何度も見てきました。大学卒業生であるというので会ってみると、多くの場合大学程度の知識どころか、全く無知であることが暴露され、また、小学校出だからとみんなが見くびっている人に会ってみると、かれらのなかには、非常に上品で知識水準の高い人がいくらでもいました。

 なぜ、私がこのような話をするのかというと、みなさんが大学神秘主義の病にとりつかれないようにするためです。大学を出なかったからといって自分を過小評価する必要もないし、大学を出たからといってうぬぼれては、なおいけません。大学というところを、神秘視する必要は全くありません。独習によっても、誰でも、みな大学の水準に到達することができます。みなさんは、熱心に学習して、文化水準と知識水準をまず中学の水準に高め、次には大学の水準に高めるように努力しなければなりません。

 たとえ、昌城(チャンソン)や白頭山の胞胎(ポテ)里のような山間僻地でも、いくらでも勉強し、大学の水準に達することができます。これは、資本主義制度のもとでは不可能なことですが、社会主義制度のもとでは十分可能なことです。

 したがって、学校を出ていない人が知識水準の向上に努めるのはもちろんですが、学校を出た人でもひきつづき学習に励んで、ますます進歩しなければなりません。中学や大学を出たからといって自己満足し、学習をおこたるならば、その人は必ず失敗をまぬがれないでしょう。ここでも、必ずたゆみのない前進が必要です。

 科学と技術は、一時も一か所にとどまることなくたえず進歩するものなので、みなさんは常に新しい科学を学び、新しい技術を習得するように努めるべきです。

 次に、私が話したいことは、勤労者の文化水準を高める活動にしても、共産主義教育にしても、すべて党に忠実な精神で教育する問題と結びつかなければならないということです。

 党員、非党員の別なく、誰でもみな労働党に忠実でなければなりません。党は、我々に偉大な勝利を保障する朝鮮人民の指導的力量であります。党に忠実であるということは、とりもなおさず革命に忠実であることを意味します。

 勤労者を党に忠実な精神で教育するということは、言いかえれば、かれらの党性を鍛練することです。党性とは、党の政策と決定を貫くためには水火もいとわず、自分のすべての力、必要とあれば生命までもささげてたたかおうとする、党と人民に限りなく忠実であろうとする、そのような戦闘的精神をさして言うのであります。

 党にたいする忠実性、すなわち党性は、なによりもまず、党の鉄のような統一と団結を守るためたゆみなく闘争することにあらわれなければなりません。なぜなら、党が統一されていなければ、その党は無力になり、ついには革命の任務を果たすことができず、破滅してしまうからです。党の統一をあらゆる面から強化すること、これが最も重要なことであります。

 いま、我が党中央委員会は、解放前に日本帝国主義に反対して長期の闘争をつづけてきた洗練された共産主義者と、解放後、党および国家建設に献身的に参加した点検済みの闘士によって構成されています。それゆえ、全党員は、党中央委員会を守り、そのまわりにいっそうかたく結集して、党の統一と団結を妨げる地方主義、家族主義、セクト主義などのわずかなあらわれをも見逃すことなく、それを粉砕するために断固たたかうべきであります。

 勤労者のあいだで常に党の政策を宣伝し、かれらを共産主義の精神で教育すべき重要な任務を担っている宣伝員、扇動員の第一の課題は、自己の党性を強める問題であることを認識しなければなりません。党性に欠けた宣伝員や扇動員が、党の政策を正しく宣伝し、大衆を力強く立ち上がらせることができないのは明白なことです。

 思想戦線で活動するみなさんは、誰よりも先に、党の政策を貫くためにたたかうべきであり、党中央委員会を中傷し、党の統一と団結を破壊しようとするいかなる傾向とも断固たたかう準備ができていなければなりません。このような思想的準備ができている宣伝員、扇動員こそ、我が党の求める宣伝扇動活動家であります。

 みなさんが、党の政策を解説し、大衆を革命課題の遂行に奮起させる任務を立派に果たすためには、みなさん自身が誰よりも党の政策に精通していなければなりません。みなさん自身が党の政策をよく研究しなければ、それを正しく宣伝することはできません。ただ決定書の文句でも暗記して、それをレコードのように繰り返す活動態度ではだめです。

 宣伝員、扇動員は、我が党の政策はそのすべてが、朝鮮の具体的現実に適用されたマルクス・レーニン主義であるということを知るべきです。したがってみなさんは、マルクス・レーニン主義の一般的原理を学習するとともに、我が党の政策を深く研究しなければなりません。そうしなければ、マルクス・レーニン主義の原則に反する思潮が外部から入ってきたり、不純な思想的傾向が内部からあらわれた場合、それを徹底的に粉砕することができません。それゆえみなさんは、レーニンが言ったように、学びに学んで、さらに学ばなければなりません。

 みなさんは、たゆみない修養と学習を通じて、このような思想と知識を身につけるだけでなく、大衆との結びつきを密接にし、大衆のなかで活動する党の戦士となるべきです。

 大衆のなかに入り、かれらとの結びつきを密接にするためには、大衆とともに働き、大衆と呼吸をともにしなければなりません。

 先ごろ、ある同志が咸鏡(ハムギョン)南道へ行ってきて私に話したことですが、実際、我々は長いあいだ大衆の力をよりどころにして革命活動をおこなってきたし、大衆の力が大きいということは知っていたが、今度の我が党中央委員会の手紙を支持して立ち上がった勤労者のあのような偉大な力ははじめて見たとのことでした。

 これは最近、我が党中央が大衆のなかに深く入って大衆と話し合い、かれらを立ち上がらせる指導の模範を示した結果、党活動に有害な官僚主義と形式主義の活動作風が克服されはじめたことを示すものです。

 以前には、指導員が点検に出かけると、ただ欠陥だけを暴いてきました。欠陥をうまく暴き出し、よくなじる人が能力のある指導員だと言われ、そうでなければ無能な人だと評価されました。

 いまの我が党の活動方法は、これとは全く異なっています。仕事を点検する目的は、欠陥を見つけだし、それを正すことにあります。いまでは、点検という言葉も指導、援助という言葉に直されています。我が党の指導員は農村に出かけて、庭もはき、ともに働き、休憩時間には話し合ったり、悪い点は直すように注意するなど、大衆と呼吸をともにするようになったので、そこからおのずと不純分子も摘発でき、正しくない傾向も探しだせるし、大衆の要望がなんであるかも知ることができるのです。

 みなさんもこのように大衆のなかへ入っていかなければなりません。農村に出かけては、農民と同じ服を着て、脱穀場に行けば脱穀も手伝い、休憩時間には座をともにして話し合うというように、働きながら宣伝活動をおこなうようにすべきです。

 私は宣伝員だといわんばかりに、髪もおかしな刈り方をしたり、女の人は身なりばかり気にして、ハンドバッグなどを持って歩くようでは、農民は腹をわって話そうとしないでしょうし、ついてくるはずがありません。私は、なにもハンドバッグを持つことに反対するのではありません。劇場へ行くときならともかく、大衆工作に出かけるときに、そういうものを持ち歩くのは少し不便ではなかろうかというのです。

 かつて、時勢の波に乗り「共産主義運動」をしていた人はどうしたかというと、頭は空っぽだが、共産主義のにおいだけはふりまかなければならないので、手帳に「イデオロギー」だの「ヘゲモニー」だの「プロレタリア」だのという横文字の術語を書き込んで持ち歩き、話をするときには、このような、ひとのわからない言葉を並べてひとしきり演説をぶったものです。咸鏡南道にこのような弊害が多かったので、解放直後に、党中央委員会常務委員会でこの問題について、一度、慎重に討議したことがあります。

 このようなやり方で大衆の前で演説をしたのでは、労働者、農民はなんのことだかわかるはずがありません。このようにみえをはるために「共産主義運動」をする連中の真似をしようとする分別のない人はまた、このようなはったり屋の手帳を借りてはそれを写しとって持ち歩くのです。このようなくせは、きれいさっぱりと捨てるべきです。言葉は、なるべく労働者、農民にわかるような、かれら自身が話すやさしい言葉を使うべきです。

 宣伝員や扇動員の役目はなんでしょうか。ひとに理解させ、自覚をもたせることではないでしょうか。ひとに理解されないような話をしたのではなんの役にも立ちません。

 大衆のなかに入って大衆の声に耳を傾け、大衆の要求をとりあげて適時に解決し、革命任務の遂行へとかれらを組織し、奮起させることのできる宣伝員であってこそ、我が党の宣伝員であると言えます。みなさんは、過去の分派分子やえせ共産主義者たちの活動作風の余毒を完全にぬぐいさり、人民のなかに深く入って行かなければなりません。

 みなさんの果たすべき任務は、結局、次の2つにつきます。第1の任務は、たゆみなく学習して自分のレベルを高め党性を鍛えることであり、第2の任務は大衆のなかに深く入ってかれらを教育し奮起させることであります。

 私は最後に、みなさんが工場、鉱山、農村、漁村などのいたるところで共産主義の赤旗を高くかかげ、すべての勤労者を赤い思想、共産主義の思想で武装した革命家に育てあげるために努力するよう望みます。 

出典:『金日成著作集』12巻 


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