金 日 成

社会主義建設における消極性と保守主義に反対して
 全国生産革新者大会でおこなった演説
 −1958年9月16日−


 みなさん!

 私は、戦後、人民経済復興発展3か年計画と、第1次5か年計画の遂行において多くの難関を克服し人々を驚嘆させる画期的成果をあげているみなさんに、党中央委員会と共和国政府の名で熱烈な祝賀を送ります。

 このたびの全国生産革新者大会は、極めて適切な時期に開かれました。この大会は、社会主義建設を促進し、大衆の気概をいちだんともりたてるうえで大きな意義をもっています。

 こんにち、我が国の都市と農村では、生産関係の社会主義的改造が完成しました。こうして、我々の社会は搾取と抑圧のない社会主義社会になりました。

 我々の主要な任務は、共和国北半部の社会主義制度を強化し、それをさらに発展させ、社会主義社会を完全に建設することであります。

 社会主義を完全に建設するためには、国の社会主義的工業化を実現しなければなりません。社会主義的工業化を実現せずには、社会主義の完全な勝利を達成することはできません。社会主義的工業化をなし遂げてこそ、我が国を先進的な工業国に発展させることができます。

 そうなれば、我が国の工業は近代的な工業へと発展し、農業でも凶作がなくなり、食糧も、衣類も豊富になり、多くの文化住宅が建つようになるでしょう。これはまた、祖国の平和的統一を促進し、南半部の人民を助け、かれらも我々と同じように、よい暮らしができるようにする道であります。それゆえ、社会主義的工業化を早く実現することがなによりも重要であります。

 社会主義的工業化を実現するためには2つの重要な任務を遂行しなければなりません。

 その1つは、思想革命をなし遂げることであります。我々の社会制度は改造されましたが、いまなお人々の頭にはブルジョア思想の影響が残っています。この古い思想の残りかすを一掃し、勤労者を共産主義思想で武装させなければなりません。勤労者の思想・意識を改造するとともに、文化・技術水準も向上させなければなりません。こうしてはじめて、社会の生産力を高度に発展させることができます。

 いま1つは、技術革命を遂行することです。国の工業化を実現するためには、高度の技術が必要です。先進的な技術をもたなければ社会主義的工業化を実現できません。工業化を実現しなければ技術革命を遂行することができず、技術革命を遂行しなければ工業化は実現できません。工業化そのものが、技術革命を要求します。人々がよい暮らしをするためには、仕事が楽にならなければならず、物資もさらに多く生産されなければなりません。これは技術の進歩なしには不可能です。それゆえ、党は、技術革命の遂行を重要な問題としてうちだしています。

 もちろん我々は、現在、技術の発展で少なからぬ成果をおさめています。しかし、人民経済発展の要求に比べれば、技術の発展は満足すべき水準に達していません。

 我々は、人民経済をさらに速く発展させなければなりません。我々には、まだ多くのものが不足しています。人民の生活状態を見ると、織物も十分でなく、食糧問題も十分には解決されていません。

 食生活では近い将来、米をさらに多く生産し、誰もが白米を食べられるようにすべきです。そのためには、水田を拡張し、肥料を多く施し、米の単位面積当たりの収量を高めなければなりません。農業を技術的に改造すれば、農作業は楽になり、穀物を増産できます。穀物が豊富になれば畜産業も順調に発展させることができます。

 衣料の問題でも、今後、織物が一人当たり30メートルずつゆきわたるように努力しています。新義州(シンイジュ)に総合紡織工場を建設し、清津(チョンジン)紡績工場の建設を完成し、本宮(ポングン)にビナロン工場を建設すれば、衣料の問題は基本的に解決されます。

 住宅も大量に建てなければなりません。もちろん、これまでにも多く建設したことは確かです。しかし、それで満足することはできません。数千年のあいだ貧しい暮らしをしながら住んできた古い家の代わりに、すべての人が便利で文化的な住宅に住むため、今後、多くの家を建てるべきです。

 このようにして、今後、衣食住の問題をいっそう円滑に解決しなければなりません。我々は、よりよい暮らしをするために速く進まなければならず、より多くの仕事をしなければなりません。

 重工業を発展させ、電力も多く生産し、石炭も大量に生産しなければなりません。特に、鋼鉄をたくさん生産すべきです。鋼鉄がなければ、船を造ることも、橋をかけることも、家を建てることも、機械を作ることもできません。

 すべての部門が鋼鉄にかかっているのですが、鋼鉄が足りないため、さらに多く建てられるはずの家も建てられず、さらにたくさん作れるはずの機械も作れず、生産の機械化や自動化も可能なものさえおこなえません。昔は、村づくりをするにも、かじ屋で鉄を溶かして道具を作ったものです。まして、国づくりに鋼鉄がいるのは至極当然と言えましょう。人民経済を発展させ、人民の生活を向上させるためには、多くの鋼鉄が必要です。したがって、金属工業を発展させなければなりません。金属工業を発展させるためには、現存工場の生産能力を高め、また、新しく高炉やコークス炉、電気炉、平炉などを増設すべきです。

 化学工業も発展させなければなりません。化学肥料は、現在の何倍も必要であり、種類も増やさなければなりません。我々には、硝安肥料だけでなく、燐肥料、カリ肥料など各種の肥料が必要です。各種の化学肥料を数10万トンではなく、今後、数100万トン生産しなければなりません。こうすれば農業も発展させることができます。

 繊維問題にしても、我が国では耕地面積が少ないため、穀物を生産し、そのうえ多くの綿まで生産するのは少々困難です。それに、我が国は、綿がそれほどよくできません。今年は、栄養つぼ仮植法やその他の先進的営農方法を取り入れた結果、綿の収穫高がいくらかは伸びましたが、耕地面積が限られているため綿の栽培を大々的におこなうことは困難です。したがって、繊維問題を解決するためには、化学繊維の大量生産に重点をおかなければなりません。木材からも繊維を作り、カーバイドや葦、トウモロコシの茎からも繊維を作らなければなりません。我々はいま、この仕事にとりかかっています。

 電力工業、製鉄工業、石炭工業、化学工業、農業など、すべての部門を発展させるかなめの問題は、機械工業を発展させることにあります。技術革命は、なによりもまず機械工業の大々的な発展を意味します。実際に機械がすべてを決定するのです。

 ところが、かつて我が国では、機械工業が最も立ち後れていました。日本帝国主義者は、朝鮮に工業を建設する際、機械工場は一つも建てませんでした。それは、朝鮮を立ち後れた状態にとどめ、朝鮮人を意のままに酷使することができるからでした。我々は、日本帝国主義が残したこのような立ち後れを根本から一掃しなければなりません。

 機械工業を大々的に発展させ、いたるところに機械を設置すれば、生産の機械化はもちろん、自動化もできます。実際に機械をすえ付けて電力を送れば、すべてが解決されます。

 今後は、工業の生産工程を電化、機械化、自動化すべきであり、農業も機械化しなければなりません。

 軽工業を発展させるためにも、機械工業を発展させるべきです。現在、日用品生産や食品加工業の面で住民の需要をみたすためには、近代的な工場だけに頼ることはできません。機械工業が高度に発展していないので、大きな工場ばかり建設するのは困難なことです。機械工業がさらに発展するまでは、手工業的な工場の建設も並行させるべきです。しかし、主として先進的な大規模工業を発展させるべきです。手工業的な工場を建設するのは、すべての可能性をひきだす補助的な手段であります。

 それでは現在、市、郡で建設している手工業的な織物工場や、食品加工工場、建材工場などはそのうちになくしてしまうべきでしょうか。そうではありません。それらは、現在も必要であり、また今後も必要です。きょうは足踏織機で布を織っている工場でも、紡織機械が大量生産されれば、明日は装備を改善して、さらに多くの織物を生産することができます。

 このように、技術革命の遂行はどこでも必要です。したがって技術革命には、誰かれを問わずすべてが参加すべきであり、また人民経済の各部門がそれを要求しています。

 技術革命を遂行してより多くの機械を生産することを、機械工業部門の活動家だけの仕事のように考える人がいます。これは間違った考えです。人民経済のすべての部門がこれに参加しなければならず、ここに集まったみなさんも、各自の分野で技術の発展のために研究し努力しなければなりません。

 それでは、どうすればよいのでしょうか。仕事はもっと楽にしながら、生産を増やせるように、新しい創意考案や発明をおこなうべきです。人手も足りず生活も豊かでない我が国の現状では、少ない労働力で仕事を楽にしながら、生産を高め、すべてのものを速く豊かにすることが極めて切実な問題であります。

 いま開かれている全国集団的革新展覧会は、みなさんが多くの仕事をなし遂げたことを示しています。それらの展示品は、我々が技術革新で飛躍的な発展を遂げたことを示しています。

 しかし、人民経済発展の要求に比べれば、我々の成果はまだ極めて不十分なものです。我々はいま、基礎づくりをして技術革命をはじめたにすぎません。誰であろうと、みなさんのなかに自分は一つ考案したのだからこれで済んだと考えている人がいるならば、それは間違っています。ひきつづき、さらにすぐれたもの、より立派なものを考案しなければなりません。自己満足することなく、虚心に研究し努力して技術をたえず発展させるべきです。こんにち、生産と建設の分野の技術革新運動をさらに一歩前進させ、高い段階へ引き上げる必要があります。

 我々は、たえず革新を起こさなければなりません。いまのものより、さらにすぐれたものを作りだし、それをもとにしてよりすぐれたものを作りだすというように、たえず革新を起こすべきです。

 人間の欲望はたえず大きくなるものです。ことわざにも、“馬に乗れば口取が欲しくなる”と言います。人々の生活でも、1部屋あれば2部屋を望み、2部屋あれば3部屋を欲しがるものです。停戦直後、土壌舎に住んでいたときには、日の当たる家でさえあればよいと言っていたのが、日当たりのよい家に住めるようになったいまでは、さらに文化的な住宅を欲しがっています。このように、高まっていく人々の要求にこたえるためには、ひとところにとどまらず、たえず革新を起こさなければなりません。

 技術の発達を見ても、荷車から自動車、汽車へ、飛行機からロケットへと発展しています。我々が革新を起こしたからといって、現状に満足していられるでしょうか。我々は、たえまない努力を重ねなければなりません。

 技術を発展させるうえで、集団的革新運動は極めて大きな意義をもっています。

 もちろん、個人が英雄的にたたかって革新を起こす事実もたくさんあります。我々が集団的革新運動について言うのは、革新を起こすため個人が英雄的にたたかうことに反対するためではありません。ひとりで研究し、努力するのを個人英雄主義だと批判するのは正しくありません。

 我々が強調するのは、革新運動を一人や幾人かの人に限定せず、大勢の人でおこなおうというのです。一人だけでなく、大勢の人が英雄にならなければなりません。

 ある人は英雄が多すぎると心配していますが、私は、英雄は多ければ多いほどよいと思います。

 戦争中に飛行機狩り組を組織したとき、一部の保守的な「法律家」は、他の国には英雄がそう多くないのに、1か月に飛行機を3機落として英雄になれるようでは英雄が多くなりすぎると心配しました。我々はそういう人に、算数の習い方が間違っていたと言ったものです。もし英雄が1000人出るとすれば、アメリカの飛行機が3000機落ちることになるではありませんか! アメリカの飛行機が多く撃墜され、我々には1000人の英雄が生まれるというのに、なにがいけないと言うのでしょうか。

 こんにち、朝鮮人がすべて千里馬(チョンリマ)を駆り、すべてが英雄になるならば、それに越したことはないでしょう。

 新しいものを創造するたたかいにおいて一人で努力してできないことは、大勢が力を合わせておこなうべきでしょう。大勢が知恵と力を出しあって革新を起こせば、それに参加した人は全部革新者です。大勢が力と知恵を出しあって集団的に働けば、仕事はいっそう楽しくなり、より大きな成果をおさめることができます。それゆえ党は、集団的革新運動を広く展開することを望んでいます。

 我々は、英雄的な業績をつみ、創意を発揮する人をますます増やし、そのような革新者の隊列が拡大するように仕事を組織すべきです。

 次に、革新運動で重要な問題の一つは、労働者と技術者の力を巧みに結合することであります。

 ところがある場合には、技術者が労働者の創意に力を貸さないで排斥するという正しくない偏向が見受けられます。技術者が労働者のよい意見を受け入れて発展させるならば、さらに立派な発明や創意考案が生まれるはずなのに、労働者を援助しないのは正しくありません。

 技術者は当然、労働者を助けるべきであり、労働者は技術者から学ばなければなりません。新しい創意考案は、労働者から多く生まれるものです。それは、労働者が直接機械を扱い、どうすれば生産をさらに多く、さらに立派におこなえるかを常に考えるからです。それゆえ、より立派で、さらに完全なものを創造するためには、労働者と技術者の合作を強めなければなりません。

 我が国の労働者は、古いものを打ち破り、新しいものを創造するたたかいで驚異的な成果を上げています。しかし、これは、なんのたたかいもなしになし遂げられるものではありません。勤労者は、我々の前進を阻む保守主義、消極性とのたたかいを通じて革新を起こしています。

 革新が起こるときは、必ず立ち後れたものがこれを妨害します。それゆえ、革新そのものが立ち後れたものとのたたかいをともなうのです。立ち後れたもの、保守的なものとのたたかいなしには、革新は起こりえません。これは生活の法則であります。

 したがって、革新運動では立ち後れたもの、保守的なものを打破しなければなりません。社会主義建設をさらに高揚させるためには、保守主義者の妨害をはねのけることが重要です。

 保守主義者は、なににこだわっているのでしょうか。

 第1に、かれらは神秘主義にこだわっています。保守主義者は、工業は神秘なものだ、科学も技術も機械もすべて神秘なものだと言います。このように、すべてのものが神秘だというのは、結局「神さま」だけが知っているということです。普通の人にはわからず、自分だけが科学も工業も技術も「神さま」のように知っているというわけです。

 科学院の一部の人は、科学というものは、1、2年で研究できるものではなく、少なくとも10〜20年はかかると言っていますが、そういう人は、10年過ぎても別段自慢できるほどの仕事をしていません。かれら自身が神秘主義のとりこになってしまったのです。

 労働者と技術者は、鉄コークスを生産し、葦やトウモロコシの茎で繊維を作りだすことに成功し、農民は稲の冷床苗や綿の栄養つぼ仮植法を全面的に取り入れて革新を起こしているのに、科学院の一部の「先生」たちは、科学は神秘なものであり、技術は神秘をものであるから、簡単に研究できないと言っています。こうして、神秘なものである、という言葉以外にはなにも残していないのです。

 科学も技術もすべて人間が研究し、人間が発展させるものです。大胆に研究し、大胆に実践する人は成功しますが、「神秘性」を云々する人はなにもできません。

 共産主義者には、神秘なものはありません。機械工業は、神秘なものだと言います。我々もはじめは、それがたいへん難しいものだと思っていましたが、わかってみれば神秘なものはありません。

 鉄を削って機械を作ることが、どうして神秘なのでしょうか。かんなで木を削るのと、旋盤で鉄を削るのと理屈上なんの違いがあるでしょうか。努力さえすれば、最新設備を備えている我が国の機械製作工場では各種の大型機械もいくらでも生産できます。

 次に、保守主義者には、日本帝国主義思想の影響がかなり残っています。そのような人たちは、「これでも私は昔、日本の有名な大学を出たのだ、あなたたちになにがわかるか」と言って、日本帝国主義支配当時の「通常能力」を云々し、それで人をおさえつけようとします。かれらは、古い技術で我が国の現実をはかろうとしており、古い思想的観点で我が国の現実を見ようとしています。我々はこのような思想も一掃すべきです。

 我々はさらに速く前進するために、先進国であるソ連をはじめ、他の国のすぐれた経験を学ぶべきです。しかし一部の人は、ヨーロッパ諸国のものならなんでも無条件に先進的だと考え、それを無条件に偶像化するあまり、みずからつみあげた先進的な経験や大きな成果をないがしろにする傾向があります。もちろん、すぐれたものは学ぶべきですが、自分のもっているよいものを見ることができず、他人のものはなんでもよく、自分のものはみな悪いと考えるのは間違っています。

 ある人は、我が国でヘクタール当たり20トンのリンゴの収穫を上げたことには目をつぶり、外国で20トンの収穫を上げれば、先進的な経験だから学ばなければならないと大騒ぎをします。

 このような考え方に反対するのは、我が国の具体的な実情を知ろうとせず、自分の力を信じないのが習性になっている一部の誤った人が、他国のものだけを当てにし、それを機械的に真似ることばかりに没頭し、積極性と創意を発揮しないからです。

 保守主義者はまた、他の国の基準量をもちだして「先進国の基準量がこうなのに、我々がどうしてそれを突破できようか」と言って、勤労者の創意を麻痺させようとしています。これも危険な傾向です。

 他国の基準量も固定したものではなく、ひきつづき発展するものです。我々には、他国がすでに到達した基準量以下にとどまっていなければならない理由もなければ、他国の後にばかりついていく理由もありません。

 我々は、まだ他国より貧しい暮らしをしているので、かれらよりも速く進まなければなりません。他国が1歩進めば、我々は10歩進まなければなりません。我々は、たとえ立ち後れてはいても、まじりけのない頭に、よいものを素直に受け入れ、速く前進できる有利な条件ももっています。

 他国より先には進めなくても、進んだ国に追いつき、肩を並べて進まなければなりません。より速く学び、より速く発展し、より速く前進すべきです。これは、こんにちの朝鮮人の要求であり、願望であります。

 それゆえ、保守主義の枠にしばられ、我が国の発展を阻むあらゆる傾向とたたかわなければなりません。

 もう一つの有害な傾向は、一部の学者や技術者が、労働者、農民を無知だと見下げることです。このような観点はたいへん間違っています。博士や学士、あるいは大学を出た人だけが科学や技術を発展させるのではありません。

 労働者、農民の力は、世界のあらゆるものを作りだしています。世界に労働者、農民の手をへずに作られたものがあるでしょうか。航空機も、自動車も、汽車も、汽船も、なに一つとして労働者の手をへずに作りだされたものはありません。

 実生活によって証明されているように、我が国でも実際がそうではありませんか。工場、企業所も労働者が建設したものであり、生産における革新も労働者が起こし、稲の冷床苗も農民が研究したものです。

 だからといって、科学院や科学者が不必要だとか、科学を無視してもよいということでは決してありません。科学院での研究事業も発展させなければならず、科学者、技術者は、労働者と農民を助け、労働者、農民はまた、かれらからたえず先進科学と技術知識を学ぶべきです。労働者、農民、技術者、科学者が、互いに助けあい、力を合わせてさらに立派なものを発明しなければなりません。

 科学者、技術者と工場、企業所の支配人が、労働者の創意をおさえつけ、かれらの積極的な努力を妨げ、援助しないのは正しくありません。これはいずれも保守的な傾向です。また逆に、労働者が技術者や科学者から学ぼうとせず、かれらと協力しようとしないのも正しくありません。これは、科学と技術を無視する傾向であります。

 保守主義者は、保守主義者のレッテルを顔に張りつけて歩いているわけではありません。保守主義者もさまざまです。うわべでは党の路線を支持し、「保守主義を粉砕しょう!」「保守的思想を克服しょう!」とスローガンを唱えることもあります。しかし、実際にはそういう人のなかにも保守主義者はいるものです。

 なにをもって評価すべきでしょうか。問題は、仕事を積極的にするかしないか、大衆のもりあがった気勢をひきつづき高揚させ、かれらの仕事を援助し、手配りをよくするかしないかによって評価すべきです。

 会議で、口先では労働者を助け保守主義に反対すると言いながら、実際の仕事でそれを実行しないような支配人は保守主義者です。だからといって、そういう人をすぐにもやめさせよと、いうのではありません。問題は、かれらの保守的な思想を速やかに克服することであります。

 これは、人々の立ち後れた思想を改める問題であり、思想闘争を通じての教育の問題であります。誰にも保守的な思想は少しずつはあるものです。それゆえ、保守主義や消極性との思想闘争をひきつづき強化しなければなりません。

 次に、革新運動でいっそう大きな成果をおさめるためには、ひきつづき党性の鍛練を強めなければなりません。

 我々は、常に党の指導のもとに活動し、生活しています。我々のすべての革命闘争、すべての革新運動は、党の指導をぬきにしては一歩も前進できません。なぜなら、党は我々の革命の参謀部であるからです。

 党は、常に人民を新しい生活へと導いています。党の政策、党の決定、これは革命事業においても、革新運動においても、我々のすべての行動の指針であります。党の決定に忠実でなければならず、それを貫くためには、水火をもいとわずたたかわなければなりません。革新者の成果も、党の指導のもとになし遂げられたものであり、また、それは党の利益のためのものであることを忘れてはなりません。

 党性を高めるということは、党に限りなく忠実で党を擁護し、党の利益のためにたたかうことを意味します。党員でない人も党に忠実でなければならず、党の政策を深く研究し、あくまで党の政策を貫くよう努力しなければなりません。

 党は、労働者階級と勤労人民の利益の代表者であり、かれらの幸福のためにたたかう前衛部隊であります。したがって、党に忠実で党の政策を徹底的に貫くことは、自分の階級と自分自身のためのたたかいであります。

 党に忠実で、社会主義建設において革新者となるためには文化水準と技術水準を高めるべきです。一部の人は年をとったので勉強ができないと言っていますが、これは間違った考えです。年をとってもひきつづき学ぶべきであり、文化水準と技術水準を高めるため、積極的に努力すべきです。党は短い期間に、すべての人の知識水準を中学卒業程度以上に引き上げる課題をかかげています。

 こんにち、革新者たちは、その文化水準と技術水準を高めるうえでも、集団的革新運動を展開するうえでも先駆者とならなければなりません。

 我が国では1957年の工業生産が、1956年に比べて44%も増大しました。今年は、昨年に比べて35%以上の成長が見込まれています。これは非常に高いテンポであります。

 しかし、我々はこれに満足するわけにはいきません。他人に劣らない立派な生活を送るために、さらに速く前進しなければなりません。

 最後に私は、みなさんが第1次5か年計画を1年半繰り上げて完遂し、共和国創建10周年慶祝大会の報告に示された大きな展望課題を達成するために、ひきつづき千里馬を駆る勢いで前進するものと確信します。

 出典:『金日成著作集』12巻


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