金 日 成

集団的革新運動の新しい模範を示した
青年鉄道建設者を熱烈に祝う
―海州──下聖間の広軌鉄道開通式でおこなった演説― 
1958年8月12日 

 諸君!

 第1次5カ年計画の遂行で重要な意義をもつ海州──下聖間の広軌鉄道敷設工事は成功裏に終わりました。8.15解放記念13周年を目前にひかえてこの鉄道開通式をおこなうのは、たいへん喜ばしいことであります。

 私はきょう、海州──下聖間の広軌鉄道開通式に際し、朝鮮労働党中央委員会と共和国政府の名で、この鉄道敷設工事に参加し、愛国的献身性と労働の偉勲を発揮して、工事を短期間に立派に完了したすべての労働者、技術者、事務員に熱烈な祝賀と感謝を送ります。

 朝鮮労働党第1回代表者会議は、鉄道運輸の技術装備を改善するため、第1次5カ年計画期間に海州──下聖間の広軌鉄道敷設を交通運輸部門の重要な課題の一つとしてうちだしました。

 党と政府の決定に励まされた交通運輸部門の青年は先をあらそって建設工事への参加を熱烈に志望し、黄海南道の青年はこれに呼応して決起し、数千名の青年が工事場に駆けつけました。

 80キロメートルを越える海州──下聖間の広軌鉄道敷設のために88万立方メートルの土が処理され、5600平方メートルを越す擁壁、38の橋梁、9つの駅舎、9つの保線班、1つの機関区、そして200所帯以上の住宅が建設されました。

 このような膨大な工事を完了するには、普通3、4年を要します。人民経済発展の切実な要求を考慮して、共和国内閣はこの鉄道工事を1年間で完了し、翌年のメーデーまでに開通させることを決定しました。

 しかし諸君は、国家から労働力の補充を全く受けずにこの膨大な工事をわずか75日で完了しました。すでにさる8月1日には、セメントを満載した初の貨物列車が、諸君の情熱と献身的労働によって建設された新しい広軌鉄道を走り、海州から革命の首都平壌に到着しました。

 これこそ奇跡でなくてなんでしょう! このような建設速度は、従来の古い技術基準や作業基準などではとうてい測ることのできないものです。

 実に、諸君はすべての古い作業基準を破って新しい記録をつくり、世人を驚嘆させる飛躍を起こしました。

 工事に参加した青年建設者は、すべての障害と難関を克服しながら、所定の作業量を4.5倍も超過遂行し、進んだ労働者や作業班はそれを9倍以上も超過遂行するなど、わが国の社会主義建設で集団的革新運動の新しい模範を示しました。

 球場建設事業所の青年建設者は、先進技術を取り入れ、すべての工事のうち土工作業の最も多いチルマン山突破作業で30トン以上の火薬を用いて大発破をおこない、鉄道敷設工事を成功裏に進めるうえで大きな偉勲を立てました。

 「李寿福英雄突撃隊」の一機関士は、水中での掘削とコンクリート打込み作業を担当し、各種の革新運動を発起して40日かかる工事を5日間で完了し、特に、7月1日の大水前には深い水の中につかって29時間も作業を続行し、70キログラムの土俵を580個も積み上げ、被害を未然に防ぐ英雄的偉勲を立てました。

 山承農業協同組合から来た一青年は、ある作業中隊の責任者をつとめて盛土計画を9倍も超過遂行し、工事期間を81日間も繰り上げ、100人の技能工を育て、1000人以上の労働力を節約する大きな功労を立てました。

 こうした例は、数えきれないほどあります。建設工事に参加した青年はすべて革新者です。1人が先に進めば、ほかの人がすぐそれを追い越し、一つの作業班が記録をつくると、直ちにほかの作業班がその記録を破りました。

 海州──下聖間の広軌鉄道敷設工事の完成は、膨大な機材を適時に供給した黄海製鉄所、吉州枕木防腐工場をはじめ、関係部門の工場、企業所の活動家と黄海南道のすべての農民、学生、そして、党および政権機関活動家の共同労働と全人民的支援労働の結実であります。

 私はこの機会をかりて、広軌鉄道の敷設工事を直接または間接に支援したすべての勤労者にあつい感謝を送ります。

 必要な機材を適時に送り、道内の愛国的労力を組織し、建設者のたたかいを励ますうえで、黄海南道党委員会と道内の党組織は大きな役割を果たしました。

 海州──下聖間の広軌鉄道は、今後わが国の経済をさらに発展させるうえで非常に重要な意義をもっています。この鉄道は、年産60万〜70万トン予定の海州セメント工場から各地の建設場へセメントをいっそう迅速に積み出し、国の社会主義建設をさらに促進させ、また適時に生活必需品を運ぶと同時に、平壌──海州間の直通旅客列車を運行し、勤労者の便宜を大いにはかることになるでしょう。

 諸君はその英雄的労働をもって、権力を手中におさめ新生活の創造に立ち上がった人民大衆がいかに偉大な力を発揮するかをはっきりと示しました。

 諸君が立てた偉勲、諸君がとどろかした名声は、かつてない生産的高揚のるつぼと化した全国各地に新たに大きな励ましと刺激を与え、人民にどのような難関でも十分打開できるという信念と勇気をいだかせました。

 それはまた、すべての勤労者と青年の胸に人民の知恵と才能と勇敢さにたいする限りない誇りを呼び起こし、この偉大な戦闘隊伍に参加している彼らの喜びをさらに大きなものにしました。

 諸君!

 いま朝鮮人民は、わが国の歴史において大きな意義をもつ第1次5カ年計画を遂行しています。

 我々は5カ年計画期間に、すでに確立した社会主義的生産関係に依拠して生産力をさらに発展させ、長期にわたる封建的支配と日本帝国主義の植民地的支配によるわが国経済発展の立ち後れを一掃して、社会主義の物質的・生産的基盤を強化し、人民の生活水準を著しく高めるでありましょう。

 わが党は5カ年計画の基本課題を遂行するため、金属工業、電力工業、石炭工業、機械製作工業、化学工業、建材工業などの重工業を優先的に発展させなから、それにもとづいて軽工業と農業を同時に発展させる政策を堅持しています。

 5カ年計画の遂行で、鉄道運輸部門は重要な役割を担当しています。鉄道は、人民経済の動脈だと言えます。鉄道が人民経済の発展に必要な貨物輸送を適時におこなわなければ、工業および農業生産を速やかに発展させることも、膨大な建設事業をおこなうことも、人民生活の需要を充足させることもできないでしょう。

 5カ年計画期間に、鉄道運輸部門には緊張した課題が提起されています。

 1961年には1956年に比べて、鉄道貨物輸送量は175%に、鉄道貨物の循環は171.6%に増大させなければなりません。

 このように増大する輸送課題を円滑に遂行するためには、交通運輸部門で技術装備を強化し、通過能力と輸送能力を一段と高めなければなりません。5カ年計画期間に平壌──元山線、元山──羅津本線など主要幹線の輸送能力を著しく高め、輸城──古茂山間、車嶺──金佩間に複線を敷き、高原──新成川間の鉄道電化を終え、明川──端川間の鉄道電化もおこなわなければなりません。

 我々はまた、5カ年計画期間に清津と咸興に操車場を新設し、多くの駅舎を文化的に建設しなければなりません。

 旅客輸送で最も重要なのは、旅客に対するサービスと文化性をいっそう高めることです。

 すべての輸送機材の利用度を高め、貨車の回帰日数をたえず短縮すべきです。

 電力資源の豊富なわが国において、鉄道の技術装備を強化して輸送能力を高め、輸送原価を引き下げるためには、鉄道の電化をおこなわなければなりません。今後、わが国の鉄道運輸は電化の方向に進むべきです。

 我々は、第1次5カ年計画期間に主要幹線を電化すると同時に、将来わが国の鉄道の全般的電化のための物質的・技術的土台を築かなければなりません。

 私は、鉄道運輸部門のすべての労働者、技術者、事務員が党の示したこの膨大な課題を成功裏に遂行、または超過遂行するものと確信します。

 諸君!

 我々は現在、5カ年計画の困難な局面を成功裏に乗り越えつつあります。

 わが国の勤労者は、工業、農業、鉄道運輸、基本建設など人民経済のすべての部門で1957年度の計画と1958年度上半期の計画を大きく超過遂行しました。党の呼びかけにすべての勤労者が熱烈に呼応し、5カ年計画の遂行でかつてない創意と才能、愛国的熱意を発揮しています。

 こんにち、わが国の社会主義建設は一大高揚期に入りました。勤労者は、都市と農村、工場と鉱山、社会主義建設のすべての分野で新しい生活創造のため千里馬の勢いで前進しています。国の生産力は飛躍的な発展を遂げており、社会の姿は急激な変貌を遂げています。

 わが国の工業発展にとって歴史的意義をもつ出来事があいついで起きています。英雄的労働者階級は、興南硝安工場の建設を計画より1年も繰り上げて完了し、黄海製鉄所には大きな高炉とコークス炉を建設しました。

 我々はまた、今日この鉄道開通式とともに、わずか60日間で復旧された海州セメント工場の第3号焼成炉の竣工を祝います。

 工業生産は、ひきつづき急速な発展を遂げ、今年上半期には昨年同期に比べて34%も成長しました。

 いま全国の建設場では、すべての建設が驚くべき速度で進められています。7000所帯分の資材と労力で、2万所帯の住宅建設を決意した平壌市建設者の愛国的発起は、全国の建設場で一大革新運動を呼び起こしています。平壌市では、すでに今年の上半期に1万8000所帯以上の住宅建設に着手し、8000所帯以上の住宅が竣工しました。

 農業部門では、今年もひどい天災に見舞われましたが、農民のひるむことのない勤労闘争によって、大豊作が見込まれています。

 わが国における社会主義建設の大高揚は、決して偶然に起こったものではありません。

 朝鮮人民は、幾世紀にわたる封建的支配とほぼ半世紀にわたる日本帝国主義の植民地的支配のもとで、暗黒と苦難の道を歩んできました。解放後、朝鮮人民はわが党の指導のもとに、反動分子とのきびしい闘争のなかで権力を自らの手に握り、敵の侵害から権力を守りぬきました。

 党の政策に励まされたすべての勤労者は、戦後あれほど跡形もなく破壊された経済を復興し、非常に苦しかった生活を著しく改善しました。

 わが国ではすでに、あらゆる搾取制度が基本的になくなり、都市と農村で社会主義は決定的な勝利をおさめました。

 党の指導のもとに常に勝利し、自己の死活的な闘争を通じて党政策の正しさを確信している朝鮮人民は、こんにちわが党の呼びかけにこたえて、幾百倍もの勇気と信念をもち、新しいより大きな勝利をめざして力強く立ち上がっています。

 こんにちわが国で起こっている革命的大高揚は、党のまわりにかたく団結した朝鮮人民の前途をさえぎる力はなく、彼らが決心さえすれば不可能というのはないことを示しています。

 わが国の勤労者が膨大な5カ年計画を超過遂行するであろうことを、我々は確信をもって言うことができます。

 1年前までは、いかにすれば5カ年計画を成功裏に遂行できるかということが重要な問題となっていました。しかしいまは、問題が違います。いまでは、いかにすれば5カ年計画を期限前により速やかに遂行できるかが問題になっています。

 高まった大衆の革命的気勢をひきつづき保ち、勝利におごることなく、人民経済のすべての部門でたえず高揚を起こすならば、期限をはるかに繰り上げて5カ年計画を十分遂行することができます。

 3、4年はかかるといわれた工事を75日間で完成したこの勢いなら、我々に不可能なことがあるでしょうか!

 人民の底知れない創造力を信じようとしないのは、この高まった大衆の革命的気勢を見ようとしない消極分子と保守主義者たちだけです。

 消極性と保守主義は、いたるところで人民の力強い前進を妨げています。

 歴史的な党中央委員会1956年12月総会以後、社会主義建設で新たな高揚を起こすためのたたかいは、主に積極と消極、進歩と保守とのたたかいでした。我々は、社会主義建設のすべての部門で消極性と保守主義を打ち破ることにより、活動で大きな転換をもたらし、今日の革命的高揚を起こすことができました。

 我々が1957年度の工業生産を昨年度に比べて22%成長させることを見込んだ計画を示したとき、消極分子は絶対に不可能だと言いました。しかし、彼らの主張とは反対に、その年の工業生産は22%ではなく、44%という記録的な成長を遂げました。

 保守主義者は、送風機を外国から買ってこなければ、黄海製鉄所の高炉はメーデーはおろか8月15日になっても復旧不可能だと主張しました。しかし、党の呼びかけにこたえた労働者と技術者は、自分の資材と技術で今年のメーデーまでに立派な高炉を建設したではありませんか!

 我々は、建設部門に巣くっていた分派分子と保守主義者の妨害をしりぞけて、大衆の創造的熱意を呼び起こしたため、平壌市をはじめ全国の建設場で、今日のような転換をもたらすことができたのです。

 農業部門であらゆる保守性と消極性に反対し、冷床苗などの先進的営農方法を受け入れ、干ばつを克服するたたかいに農民大衆を動員しなかったならば、どうして昨年のような年に320万トンという記録的な穀物の収穫をあげることができたでしょうか。

 ことあるごとに保守主義者は通常能力について云々し、過去の実績と古い技術基準をたてにとります。しかし、金策製鉄所、降仙製鋼所、南浦製錬所で、人民経済の各分野で古い通常能力と基準量を数倍、数十倍も超過遂行し、前例のない記録をつくっています。

 これは、何を示すものでしょうか。これは、我々の前進運動を阻む消極性と保守主義がすべての勤労者の大きな生産的高揚によって粉砕されており、また、それを克服してこそ成果が達成されることを示しています。

 わが国の社会主義建設で保守主義はまだ残っており、それとのたたかいはつづいています。我々の課題は、保守主義のいっさいの現われをしりぞけて、今日の革命的高揚を保ち、さらに発展させることであります。

 我々は、社会主義建設の速度を緩めるわけにはいきません。国の経済発展はまだ後れており、我々は直接敵と対峙しています。国の情勢は、我々に少しの安逸も許しません。ひきつづき緊張を堅持し、より大きな勝利をめざして前進し、また、さらに早く前進しなければなりません。

 私は、諸君がこのたびの工事で発揮したその気勢を少しも緩めることなく、社会主義建設でさらに大きな成果を達成するものと確信します。


<注>
 李寿福 共和国英雄。1934年、平安南道順川市金川洞に生まれる。祖国解放戦争の時期に朝鮮人民軍に入隊し、1951年10月、敵が占めた122高地左側の無名高地を奪取する戦闘で敵のトーチカを胸で塞ぎ、部隊の突撃路を開いた。1952年4月10日、共和国英雄称号が授与された。

 李寿福英雄突撃隊 共和国英雄李寿福の模範に見習い、社会主義建設場で集団的英雄主義を発揮するため彼の名を冠して組織した突撃隊。
出典:『金日成著作集』12巻 

ページのトップ


inserted by FC2 system