金 日 成

市・郡人民委員会の当面の課題について
 市・郡人民委員会委員長講習会でおこなった演説
1958年8月9日

 このたびの講習会では、いろいろな問題について講演がおこなわれ、また、多くの人が発言したので、私は、市・郡人民委員会のなすべき実際の活動について若干述べたいと思います。

 1 社会主義建設の高揚をひきつづき堅持するために

 いま、わが国は、革命の大高揚期にあります。全動労人民が、千里馬を駆る勢いで社会主義をめざし前進しています。

 党中央委員会1956年12月総会以後、1957年度と1958年度の人民経済計画を実行する過程では、あいついで多くの驚異的な成果が達成されました。黄海製鉄所の建設を完成したことや興南硝安工場を建設したこと、海州──下聖間の広軌鉄道を75日間で敷設したこと、平壌の建設者たちが7千所帯分の資材と労働力で2万所帯の住宅を建てていること、農村で綿の栄養つぼ仮植法を取り入れたこと、潅漑建設を大胆に進めていることなど、これらすべての事実は、わが国で社会主義建設が大高揚にさしかかっていることを示しています。

 全人民を党のまわりに鉄のようにかたく団結させ、こぞって党の意図を支持して社会主義建設に奮い立つようにし、革命を高揚へと導くことは決して容易なことではありません。このような高揚がもたらされたのは、ひとえに、わが党が解放後10余年間の困難な闘争を通じて勤労人民を正しく教育し、彼らから深く信頼され、愛され、彼らを革命的高揚へと導くことのできる力を蓄えたからであります。長い革命闘争の過程で築かれた、このような力と元手なしには、こんにちのような革命的高揚は想像さえできません。

 社会主義建設のこのような高揚は、我々だけでなく外国人もすべて認めている事実であります。こんにちのこの輝かしい成果は、すべて、皆さんが直接おこなっていることであり、直接、目撃していることなので、これ以上触れないことにします。

 我々の課題は、こんにちの革命的高揚をひきつづき堅持し、さらに発展させることであります。これは、我々の最も重要な課題であります。

 我々は、革命的大衆の盛り上がった意気込みと創造的積極性をひきつづき堅持し、熱意が上がったり冷めたりすることのないようにすべきであります。ところで、いま革命的高揚を堅持し発展させるうえで最大の障害となっているのは、消極性と保守主義であります。

 我々は、消極性と保守主義に反対してひきつづき粘り強くたたかわなければなりません。このたたかいが強まれば、継続前進、継続革新することができます。

 わが国で消極性と保守主義に反対して全面的にたたかうようになったのは、1956年12月総会以後のことです。12月総会以後におさめた成果は、事実上、消極性と保守主義に反対するたたかいでかち取ったものです。

 ある大きな仕事を始めようとすると、必ずそれは不可能だという人が出てくるものです。こういう人はきまって、難しい、できないと言って後過します。ともすれば、日本人の使い古した通常能力を持ち出してきます。彼らは、通常能力は見ても、人民の偉大な革命的な力を見ることはできないのです。

 周知のように、12月総会では、増産と節約の潜在力をあますところなく引き出し、社会主義建設を早める重要な問題が討議されました。例えば、国家計画委員会は、1957年度の人民経済計画を立てるとき、銑鉄生産を19万トンにすることを党中央委員会に提起しました。党中央委員会常務委員会は、19万トンの銑鉄では問題が解決されないので、23万トン生産するよう要求しました。しかしそのとき、技術者と幹部のうち、消極性や保守主義にとらわれていた少なからぬ人が、23万トンは絶対に不可能だと主張しました。彼らは、日本人のつくった炉の通常能力が500トンだとか、1年、365日をフルに稼働させても18万トンないし19万トンしかならないと言って、23万トン生産するというのはとてもできない相談だと言いました。

 しかし、我々は、増大する人民の要求をみたさなければならず、また、さらに多くの建設も進めなければならなかったので、23万トン生産できるかどうかを党中央委員会総会で討議することにしました。支配人、技師長たちを集めて総会を開きました。総会でも、保守主義者や消極分子たちが無理だと主張しました。それで、総会は総会なりに決定を採択し、この決定について労働者と話し合ってみることにしました。

 党中央委員会の常務委員たちが直接工場に行って、国の事情を労働者たちに話しました。いま我々の事情は困難である、銑鉄がなければなにも解決できない、銑鉄がなければ鋼材も生産できないし、鋼材がなければ住宅や工場を建設し、機械を作ることもできない、すべてが銑鉄にかかっている、銑鉄を増産できるかどうか相談したい、と労働者たちに話しました。すると、労働者たちは奮起しました。彼らは、23万トンではなく、25万トン生産すると決意して立ち上がりました。労働者たちは、自分たちと相談もせずに総会に行って23万トンの生産は不可能だと発言した支配人や技師長は正しくないと批判しました。

 結局、どれほど生産したでしょうか。27万トンを生産しました。日本人の通常能力は、完全に打破されました。

 もう一つの例をあげましょう。降仙製鋼所に分塊圧延職場がありますが、全国にこれ一つしかありません。ここで仕事を立派におこなえば鋼材が多く生産され、でなければ鋼材が出ません。最初は6万トンしか生産できないと言いました。生産能力が6万トンだというのです。事態は重大でした。6万トンでは、鋼材の問題を解決することができなかったからです。それで、党中央委員会常務委員会の委任により、私が降仙製鋼所を指導する責任をもって出かけて行きました。

 現地へ行って労働者と相談しました。国の困難な事情をうち明けて労働者に話しました。鋼材をどれだけ生産すれば、住宅はどれくらい建ち、工場はどれだけ建設され、機械はどれくらい作ることができる、こうすれば我々の暮らしがよくなるのだが、これはすべて鋼材にかかっている、どうすればいいだろうか、千人余りの労働者を集めてこのように訴えました。

 労働者たちは、生産の可能性を検討し始めました。検討の結果、9万トンは生産できるという自信を得ました。6万トンが9万トンに増えたわけです。そこで私は、結構だ、多ければ多いほどよいから、できればさらに多く生産するようにと言いました。結果はどうなったでしょうか。能力が6万トンだと言われていた分塊圧延職場で12万トン生産しました。

 大衆の力を信じない人、労働者階級の威力を見ることができない人は、これは共産主義者の誇張だろうと言って信じないかも知れません。無意味に本を読んだり、特に、資本家から技術を学んだりしてブルジョア思想のとりこになっている人は、これを信じないかも知れません。

 皆さん! 

 世界のあらゆるものを創造するのは誰でしょうか。社会を変革するのも、革命をおこなうのも勤労者であり、最新技術を生み出すのも勤労者です。労働者と農民の手をへずに創造されるものがあるでしょうか。ありません。

 蒸気機関を最初に発明したワットも労働者でした。博士たちがすべてを発明するわけではありません。わが国の実情もそうです。稲の冷床苗や綿の栄養つぼ仮植法も、農民たちが考え出したものであって、博士たちが考え出したものではありません。わが国の工場や企業所で革新を生み出した新しい技術の発明や創意考案なども、そのほとんどは労働者の手になるものです。

 このように、労働者階級と人民の創造力は、実にはかり知れないものがあります。ところが、新しいものを恐れ、古いものに執着する人は、この力を信じようとせず、少しでも困難なことに出会うと、ともかくできないと言います。保守主義者は、いたるところで我々の前進を阻んでいます。消極性、保守主義は、中央にもあり、道や市、郡にもあり、工場にも農村にもあります。これは、どこにでもあります。我々は、この有害な古い思想と強くたたかわなければなりません。

 現在、機械製作工業部門には、保守主義が多分に残っています。革新と前進をしぶり、安閑として、その場しのぎをしようとする人たちは、機械の神秘性を叫んでいます。彼らは、機械は非常に神秘なものであるから簡単に操作できるものではないと言います。何が神秘なのでしょうか。大工がかんなで木を削るのと、旋盤工が機械で鉄を削るのと、理屈のうえで何の違いがあるでしょうか。もちろん、機械は、近代的な労働用具なので精密であり、作るのに少し骨が祈れるのは確かです。しかし、そこに神秘なものは何もありません。すべて人間のすることであり、人間が作り出すものです。

 このたび、私は慈江道に出かけて、多くの工場を見て回りましたが、第1局管下の各機械製作工場では、これは難しい、あれは神秘なものだと言って、多くの設備を遊ばせていました。それで私は、労働者と話し合ってみました。党中央委員会6月総会では、食品加工業と日用品生産を拡大することを決定した、人民においしくて値段の安いいろいろな食料品やきれいで実用的な日用品をたくさん供給しなければならない、そのためには、いろいろな機械をもっと多く作りだし、すべての工場、企業所で日用品の生産を増やさなければならない、1台の機械でも遊ばせるわけにはいかない、いっときも機械を休ませないでさらに早く稼働させ、より多く生産しなければならないと、このように労働者たちに話しました。労働者たちは、私の話を聞いて良心の呵責を受けると言いながら、これまで多くの機械を使わずに遊ばせてきたが、これは非常に重大なことだと言いました。

 第1局管下の各工場では、設備の利用度を最大限に高めるべきだという党の決定を実行しませんでした。こうして、数百台の機械を遊ばせ、数千台の機械を余分に生産できたはずなのにそれをしませんでした。26号工場などでは課された軍需品生産を完遂したうえ、さらに2500台の織機と500基のボイラー、70ないし80台の粗紡機を余分に作れると言っており、65号工場では、既に今年度の生産計画を完遂しており、煕川工作機械工場では、2300台の金属切削機を8・15解放記念日までに製作すると言っています。しかし、これらの工場では、これまでさらに多く生産できるにもかかわらず、そのようにせずに機械をフルに動かすための努力を払いませんでした。

 埋もれた潜在力を探し出し、早く前進しうとするのを阻んでいるのはなんでしょうか。ほかならぬ消極性と保守主義です。機械工業省といわず、機械工場といわず、消極分子と保守主義者が後ろにまつわりついています。電力、金属、セメント、建設部門など、どの部門でもすべてそうです。

 皆さん! 

 建設部門で反党分派分子や保守主義者が、どんなに大きな害悪を及ぼしたでしょうか。悪い連中が居すわり、1956年1月の建設者会議で提起した党の建設政策を歪曲し、実行しませんでした。反党分子と保守主義者は、党では建設を組立て式でやれと言うけれども、それは無理だ、不可能だと言いながら、あらゆる策動をおこないました。彼らは、軽工業省が組立て式方法で建設しているのを見て、あんな建物は崩れてしまったらいいと言ったものです。反党分子、保守主義者は、このようにしてまで革命の前進を妨げました。

 党は、反党分派分子、保守主義者と断固たたかい、党の建設政策を貫くために努力しました。悪い連中を追い出してしまうと建設が順調にはかどりました。党中央委員会1957年10月総会以後、建設部門では大きな転換が起こりました。1956年度の建設速度と1957年度、1958年度の建設速度とでは、たいへんな違いがあります。平壌では建設者たちが7千所帯分の資金と資材、労働力で2万所帯の住宅を建てることを決意して立ち上がりました。

 いまセメントさえあれば建設はいくらでも進められますが、セメント生産部門にも消極分子が居すわって妨害をしています。それで党中央委員会常務委員会は、セメント生産部門でずるずると引きのばす傾向をなくし、セメントを大量に生産する対策を立てました。保守主義さえ克服すれば、来年度から200万トンは十分に生産できるでしょう。

 保守主義者はまた、党が黄海製鉄所の建設を今年のメーデーまでに終えるようにと言ったときにも、そんなに大きい高炉とコークス炉をどうしてメーデーまでに作れるか、よく知りもしないでそんなことを言っていると言いました。そこで、我々は何か特別に知っているというわけでもなく、また技術者でもない、しかし一つのことだけはよく知っている、それは何か、もし、労働者階級が決意をかため、党の呼びかけにこたえて決起するならば不可能なことはない、消極分子と保守主義者を退け、積極分子が奮起すれば何でもできるし、速く前進することができる、我々はこうした革命の原理をよく知っている、と言いました。結果はどうでしょうが。保守主義者があれほどできないと言っていた主張は打ち砕かれ、黄海製鉄所はメーデー前に工事を完了しました。

 鉄コークスの生産においても保守主義が妨害しました。保守主義者は、先進国でも成功していないものをわが国でどうしてやれるがと言いました。他人のやったことだけを我々がやり、他人にできないことはやってはならないということがあるでしょうか。朝鮮人が他人に先んじて何が悪いと言うのでしょうか。

 今度65号工場に行ったときにも、一部の人は、ソ連の基準を破るのは無理だと言いました。そこで私は、こんにち、ソ連の経済は非常に発展しており、ソ連人は立派な暮らしをしている、しかし、いま我々は苦しい生活をしている、我々が早く豊かになるためには他人より速く前進しなければならない、なぜソ連の基準にこだわってばかりいるのか、ソ連人が一つ作るあいだに、朝鮮人が二つ作ったからといって何も悪いことはない、いたずらにソ連の基準をたてにとりぐずぐずすべきでない、と言い聞かせました。

 大衆の力を信じ、大胆に考えて取り組みさえすれば不可能なことがありません。何かと言えば、先進国でさえもやったことがないとか、誰にもできなかったことだなどと言って、我々の前に立ちはだかる消極性と保守主義を粉砕しなければなりません。

 保守主義者は、消極分子や保守主義者のレッテルを顔に張って歩いているわけではありません。口先では「革新」だ「千里馬」だなどと言いながら、実際の行動と仕事ではあとずさりをします。だから、保守主義とのたたかいで、誰が保守主義者であるか否かを見分けることができなければなりません。

 こんにち、前進につぐ前進、革新につぐ革新を起こすうえで重要な問題は、保守主義を決定的に打ち砕くことです。全党が奮い立って保守主義と強くたたがわなければなりません。

 2 社会主義教育を強化するために

 次に重要な問題は、我々の社会主義の獲得物をいっそう強固にすることであります。

 わが国では、社会主義的改造が完成しました。都市と農村で、社会主義的経済形態は全一的な体系となりました。これは、社会主義革命の大きな勝利であります。しかし、経済形態はすべて社会主義的に改造されましたが、人々の意識は、まだ非常に立ち後れています。昨日まで資本主義的経済のもとで暮らしていた人々の頭には、個人主義・利己主義の残りかすがたくさんあります。それゆえ、社会主義教育を強化することが重要な問題として提起されます。

 こんにち、どのような思想を培うべきでしょうか。すべてが助け合い、団結して社会主義経済を発展させ、共同の利益のために献身する集団主義の思想を培うことが必要です。農民のあいだに残っている利己主義思想は、社会主義の勝利をかためるうえで最も大きな障害となるものです。しかしこんにち、この利己主義思想とのたたかいが強力にくりひろげられていません。

 個人主義と利己主義は、農民の日常生活にあらわれています。穀物の買付けにおいても、一部の農民は米を適時に国に売らず、春の値上りを予想して家に積んでおくのです。農民のこのような古い思想を改造しなければなりません。

 社会主義の完全な勝利は、都市と農村において社会主義的経済制度を強化し、人々の意識を社会主義的に改造してこそ達成されます。それゆえ、人々の頭に残っているブルジョア思想の影響を一掃し、彼らを社会主義思想で武装させることが重要な問題として提起されるのです。我々は、勤労者のあいだで党と革命に忠実で、祖国と人民のために身をささげてたたかう精神を培い、自分ひとりだけよい暮らしをしようとするのではなく、すべてが共同の利益のため、平等によい暮らしをするために献身的につくす集団主義の思想で彼らを教育することによって、社会主義制度をさらにうちかため、社会主義建設を促進しなければなりません。

 3 技術革命と文化革命について

 我々が農村の技術革命をおこなうのは、凶作のない農業を営み、多収穫をあげ、労働力を節約し、仕事を楽にし、収益性を高める問題を解決するためであります。この問題を解決すれば、農村の社会主義制度を強固にし、農民の生活を決定的に向上させることができます。

 農村技術革命の要点は、わが国の自然的・経済的条件に即して、急傾斜地を除くすべての農耕地に潅漑システムを確立することであります。わが国で60万ヘクタールの水田と70万ヘクタールの畑に潅漑システムを確立すれば、農村技術革命で最も基本的な問題が解決されることになります。

 水を引いて、水田に適したところには水田を作り、面積が広くて水が足りないとか、また水田に適しないところには畑潅漑をおこなうべきです。このように水田の面積も増やし、畑にも潅漑をほどこせば、わが国の農村が毎年安定した多収穫をあげて富裕な農村になれます。

 潅漑システムの確立とともに、農村の機械化を推進しなければなりません。運搬作業の機械化は緊急な問題です。各郡にトラクター・トラック賃耕所を設けるべきです。まず、一つの郡に平均トラクター約100台、トラック約60台ずつ配備すれば、初歩的な機械化をおこなうことができます。

 農村の電化もおこなわなければなりません。わが国には電力工業の土台があり、また電力資源が多いため、電化を容易におこなうことができます。いま銅線がたいへん不足していますが、この問題も銅の生産を増やし、銅線の代わりにアルミニウム線やその他の代用品を使うようにすれば十分解決できます。

 技術革命とともに、文化革命をおこなわなければなりません。一部の人は、文化革命と言えば、庭を掃いたり、はえを取ったりすれば、それですむものと考えています。文化革命の重要な内容は、人々の知識水準、文化・技術水準を高めることにあります。都市ばかりでなく、農村でもすべての人の知識水準を人民学校卒業程度に、人民学校を出た人は中等学校卒業程度の水準に引き上げることが、こんにちの文化革命の中心課題です。全勤労者の文化・技術水準を高めずには、人民経済を新しい技術でしっかりと装備し、それを巧みに運営することが不可能であり、さらには、わが国を文化的な国にすることもできません。

 党、政権機関、経済機関、大衆団体の活動家と人民軍の将校は、すべて、少なくとも中等学校卒業程度以上の知識を身につけるようにし、さらには、全人民の知識水準を高めなければなりません。そのためには成人教育事業を改善すべきです。

 これとともに、中等義務教育制を実施する準備を十分におこなわなければなりません。我々は、アジアで最初の中等義務教育制を実施しようとしています。これは、すばらしいことです。中等義務教育制はすべての青年が初級中学校を出るようにすることです。

 そして、ゆくゆくは、初級中学校を出た青年がもれなく技術学校に進むようにすべきです。技術学校は、理論と実践を結びつけて新しい世代を一定部門の労働に熟練させ、一般知識と職業的技能を同時に身につけさせる効果的な教育体系です。それゆえ、工業、農業をはじめ、すべての部門の技術学校を都市と農村に多く設置すべきです。

 人民の知識水準を高めるとともに文化生活を豊かにし、彼らのあいだで楽天主義を培うために体育、舞踊、音楽などのサークル活動を大衆的に発展させるべきです。この分野で民主宣伝室は、農村文化生活の拠点としての重要な役割を果たさなければなりません。ところが、いま、民主宣伝室の運営は活発におこなわれていません。ある民主宣伝室に行ってみると、がらんとした部屋にいくつかの椅子がおいてあるだけで、ほかにこれといったものは見当たりません。

 民主宣伝室は、当然清潔に、文化的に作らなければなりません。そこには、人々の興味を引くような、教育的意義のあるグラフ、壁新聞、画報、雑誌、娯楽器具などがなければなりません。こうしてこそ、人々が自然に集まってくるようになり、ここで新しいものを一つでも見て学ぶことができます。こうしてはじめて、文化革命における民主宣伝室の本来の役割を果たすことができます。

 農村の文化活動では、里内の多くの人の知恵と力を広く発揮させなければなりません。昌城郡のある里の実例を分析してみましょう。120戸のうち教員11名、里党委員長、里人民委員長、協同組合管理委員長、簿記長や林産事業所、道路管理所、商店の活動家など中等知識をもった人が22名もいます。もし、里党組織がこれらの人を正しく動かせば成人教育も十分おこなえるし、民主宣伝室も立派に運営できるでしょう。22人に120戸を分担すれば、1人が5、6戸ずつ受け持つことになります。1人が5、6戸ずつ担当して3年ほど努力すれば、里内の全住民の文化水準を高め、意識の改造もかなり進めることができます。

 私は里党委員長に、里内の活動家はみな諸君の指導下にあり、党生活もともにおこなっている人たちであるが、里党委員会でこのような問題を取り上げ、任務の分担をおこなったことがあるかと聞いてみました。人民学校にも行って教員たちと会い、民主宣伝室の活動や成人教育活動を援助したことがあるかを聞いてみました。みな援助したことがないと答えました。里党組織はこうした活動をおこなおうとしませんでした。もし、里党組織が仕事を組織しさえすれば、農村の文化活動はいくらでも立派に進めることができます。

 農村の文化革命で、学校は重要な役割を果たさなければなりません。いま、生徒をよく動かしていません。生徒を通じて親に科学知識を普及し、社会主義思想を植えつけ、また衛生美化活動を立派におこなうこともできます。

 学校と生徒は、衛生美化活動の模範にならなければなりません。ところが学校に行ってみると、いまでもきちんと散髪をせず、顔もよく洗わず、よごれた服を着ている生徒がいます。こんなことがないようにしなければなりません。親が少し気を配れば、子供たちにいつも服をきれいに洗って着せることができます。教師は毎朝、生徒が登校したら顔は洗ったか、爪は切ったか、服は洗ったのを着ているかを調べてよく指導しなければならないのに、そのようにしていません。かえって、教師自身がひげもそらず、服にアイロンもかけず、ボタンのとれた服を着ている場合があります。女教師のなかには髪もろくにとかず、頭をぼさぼさにしている人がいます。こんなことでは、わが国で文化の向上は望めず、文化革命をおこなうこともできません。

 衛生美化活動を着実におこなわなければなりません。いま衛生美化活動はうわべだけのものになっていますが、実質的におこなわなければなりません。

 このたび昌城郡に行ってみますと、郡人民委員会で石灰を配り、一日のうちに家の壁を全部塗りかえさせました。とにかく、石灰を塗ったのですから悪くはありません。しかし、みんな外だけ塗って中は塗りませんでした。実質的にしようとするなら、家の中をきれいに掃除して壁紙も張りかえ、石灰を塗るにしても内と外を全部塗らなければなりません。庭の掃除くらいで、衛生美化活動がすむものと考えてはなりません。

 いま、子供たちの着ている服が汚れています。大人にはみな着替えがありますが、子供たちにはありません。それで、来年はすべての学生・生徒に制服を作って着せようと思っています。

 文化住宅の建設とともに、浴場、託児所、クリーニング店などの建設を進めなければなりません。婦人が安心して働けるように家事を軽減してやるべきです。そのためには、託児所とクリーニング店を設けることが重要です。江界機械工場で作った洗濯機を見ましたが、とても立派なものです。1度に30着ぐらいを数分間で洗います。各農業協同組合でこうした洗濯機を1台ずつ備えればよいわけです。

 4 地方産業を大々的に発展させるために

 初歩的に調べたところによれば、活動家は党中央委員会6月総会の決定を深く認識していないようです。6月総会は人民生活の速やかな向上をはかるため、食品加工業と日用品生産の拡大を決定しました。この決定を実行するためには、国家的な対策を講じると同時に、全人民的な運動をくりひろげなければなりません。

 国家的対策とは、国営工業企業所に副産物職場を設けて日用品の生産を増大させ、そのほか国家の投資による日用品工場を建設することを意味します。

 そして、全人民的運動とは、大きな国家投資なしに各地方ごとに自力で地元の資源を生かして小さな工場を建て、食料品や日用品を大々的に生産することを意味します。

 郡党委員長と郡人民委員長のなすべきことは、創意を発揮して地元の源泉と可能性を残らず引き出すことです。内閣決定にもあり、今年の8・15のスローガンにも出ていますが、各郡に少なくとも一つ以上の地方産業工場を建設しなければなりません。決定には明確に指摘されています。ところが、平安北道と慈江道では郡の幹部と話し合ってみると、彼らはまだ研究中とのことです。国家や道で大きな機械を作り、資金を割り当て指標をおろしてくれることだけを待っています。このように、上部ですべてお膳立てしておこなうのは、人民的な運動ではありません。

 地方の実情にてらし、何ができるかは、皆さん自身が創造的に決めなければなりません。荷車修理工場を建てるなり、製紙工場や織物工場を建てるなり、いろいろなものを建てることができます。ある郡には、荷車工場もなくて困っています。江原道の法洞郡では、荷車修理工場さえ建てられずに、荷車が壊れるとそれを修理するために元山までかついで行くそうです。

 前川でトウモロコシで乾麺を造る工場を見ましたが、とても立派をものです。このような工場はどこでも建てることができます。ジャガイモの多い地方ではそれを原料にする製麺工場を建て、野菜の多いところでは野菜加工工場を建てるべきです。家1軒とかめの2つぐらいもあれば小さな食品加工工場を十分設けることができます。

 中小織物工場などもたくさん運営することができます。安州で絽織り工場を見ましたが、全部、足踏織機でやっています。足踏織機2台で1日、40メートル織るそうです。だから、足踏織機が100台ある工場を一つだけ作っても大したものです。100台なら1日に4千メートル織れます。1年間だと、300日、稼働するとしても120万メートルです。

 木皮を原料とする製紙工場を建てるのもよいでしょう。紙に油を塗れば立派なオンドル紙になります。皆さんがしっかり仕事をすれば、農民は部屋にオンドル紙を張り、清潔で文化的な生活をすることができます。

 昌城郡のようなところは柴木が多いから、これを利用すれば土器を焼き、灰ではカリ成分の多い肥料がつくれて一石二鳥です。こうしたことは、探せばいくらでもあります。

 いま生産協同組合では、大した投資もせずに、いろいろなものをつくり出しています。生産協同組合では、180億円(ウォン)もの商品が生産されます。皆さんもそこへ行ってみるとよいでしょう。

 仕事さえつくれは労働力は解決できます。郡機関所在地には、労働者、事務員が少なくとも200〜300所帯は住んでいます。この人たちの家族は、地方の遊休労働力として、いつでも生産に引き入れることができます。

 技術者も解決できます。どの郡を問わず、生産協同組合には手工業者がたくさん入っています。一部の幹部は、こうした技術者が昨日まで個人経営をやっていたからといって利用するのをためらっていますが、これは正しくありません。彼らは、昨日までは個人経営の技術者であったが、こんにちでは社会主義的勤労者に変わっています。このような人たちを遠ざけず、大胆に技術活動に引き入れるならば、彼らはいっそう熱心に働くでしょう。

 各郡に中小工場をそれぞれ一つ以上建設して運営することは、国家資金を使わずに地元の資源を生かして、加工食品や日用品を多く生産し、人民生活を速やかに向上させる重要な対策です。地方工場を大々的に建設すれば有益な点がたくさんあります。婦人がすべて職場に出て働くようになるので労働者、事務員家庭の収入が増えるし、彼らが政治的に鍛えられ、集団主義的に教育されるし、住宅資金や国家の食糧をより多く支出しなくても労働力を増やせるので好都合です。

 また、もう一つ有益な点は、郡の幹部の企業管理の知識を高めることができるということです。多くの郡党委員長や郡人民委員長の大きな欠陥は、工場管理の方法を知らないことです。経済上の見積りが立てられないのです。これは、農業の指導にも支障をきたしています。農業でも経済上の見積りを立てなければならないのに、これには全く関心がないので、農産物の原価を引き下げる努力が極めて不十分です。各郡ごとに工場を運営するようになれば、その幹部の経済知識も向上し、指導も改善されるはずです。

 このように、地方経営工場の建設は、どの面から見ても必要なことであり、よいことであります。それゆえ、皆さんは6月総会の決定を徹底的に貫くために、創意を発揮して仕事をしなければなりません。上部ばかり当てにせずに自力で、全人民的な運動としてこの活動を展開しなければなりません。

 5 市・郡人民委員会の活動方法を改善するために

 市・郡人民委員会の活動における主な欠陥は、問題を全般的に見ることができないことです。一歩押せば一歩進み、二歩押せば二歩進み、こちらを押せば向こうがゆがみ、向こうを押せばこちらがゆがむといったありさまです。これは、党の政策を深く理解していないところにその原因があります。

 党の政策については、原則と基本方向を正しく把握しなければなりません。そうしなければ、各自が地元の実情に即して創造的に活動することができません。党の決定に指摘されているものは実行するが、そうでないものは実行しないといったように、機械的に仕事をしてはなりません。

 党の政策は、全国的な範囲で総体的な方向を示すものであって、地方ごとに何をどのようにすべきだと、すべてをいちいち示すことはできません。したがって、党政策に対する深い研究が必要であり、それを立派に実行するための幹部の組織的手腕と能動的態度が求められるのです。

 党の政策に形式的に対処する態度は、以前の両江道の幹部の活動に見ることができます。トウモロコシは畑作の王者だと言ったところ、両江道でもトウモロコシをたくさん植えようと大騒ぎをしました。両江道ではトウモロコシが王者にはなりません。両江道でよくできるのはトウモロコシではなくジャガイモです。両江道での畑作の王者は、ジャガイモなのです。また、潅漑工事をするように強調したからといって、稲のできない白頭山のふもとで、畑を水田にするためにたいへんな苦労をしました。

 両江道の人は、以前ジャガイモをつくっていたときには、それでもかなり暮らしがよかったのに、稲作をはじめてからは、ひどい目にあいました。畑を水田にするための苦労、稲ができなくて苦労、水田をもとの畑に戻すために、また苦労、あれやこれやで3、4年ほどひどい目にあいました。

 これまでの郡人民委員会の仕事ぶりを見ると、党の政策にもとづいて創造的に仕事をすることができず、上部で押せば動き、押さなければじっとしており、ただ操作するとおり動く機械のように仕事をしてきました。まるで、あやつり人形のようなものです。

 6月総会の決定実行の仕事を組織するに当たっても、地方の活動家が創意性を発揮していないのが、はっきりあらわれました。実情はと言えば、みんな道党委員会総会の決定を待ちながらぐずぐずしているのです。各市・郡党委員会と市・郡人民委員会は、党中央委員会総会の決定に示された方針に従い、郡の実情に即して速やかに仕事を組織すべきでした。ところが、道党委員会でも総会を準備しており、郎党委員会でもやはり道からの指示を待ちながら総会を準備しています。

 会議にも形式的なものが多分にあります。不必要に総会ばかり開いて何になるでしょうか。党中央委員会総会があったからと、道党委員会でも総会を開き、郡党委員会でも総会を開く必要はありません。総会を開く必要のあるところでは総会を開き、執行委員会が必要なところでは執行委員会を、人民会議が必要なところでは人民会議を開くなどして、その決定を実行すればよいのです。

 私は平安北道党委員会の副委員長たちに、道党委員会総会を開いて6月総会決定の実行に関する報告をおこなうそうだが、いったい報告書はどのように書き、決定には何をもり込むつもりかと聞きました。彼らの言うには、実際のところ報告書を書くと言っても、中央の報告書から省略するところはあっても、一句でも新しくつけ加えるようなものはないと答えるのでした。それならば、ことさらに、また報告を繰り返し、改めて決定書を採択する必要がどこにあるでしょうか。道党執行委員会を開き、中央の方針に従って仕事を組織し、直接郡におりて行って、ここにはどういう食品工場を建て、あそこにはどういう日用品工場を建てるべきかという対策を立て仕事を進めていけばいいわけです。いたずらに道党委員会総会だの、郡党委員会総会だの、報告書だの、決定書だのといって仕事を煩雑にする必要はありません。必要な会議はもちろん開くべきですが、格式ばる必要はありません。

 このようなことは、すべて活動家が創意を発揮して仕事ができないように縛りつけるものです。形式を整えておかないと、指導グループがおりてきて責任を追及すると言います。なぜ総会も開かず、問題をとりあげもせず、党の決定をそんなにないがしろにするのかと追及するというのです。これは正しくありません。指導グループは、形式を問題にすべきではなく、活動の内容を検討すべきです。

 幹部に創意性のないのが大きな欠陥です。それで、党中央委員会常務委員会では、郡と里の幹部に創意と積極性を発揮させることを重要な課題として提起しています。

 創意を高めるうえで重要な問題は、党政策の本質を深く理解することです。党の政策をうのみにしたり形式的に受け入れるのではなく、それを深く研究し、実情に即して創造的に実行する気風をうち立てなければなりません。

 これとともに、現地での指導を強化しなければなりません。いま、いろいろな会議が、中央にも多く、道にも郡にも多いようですが、こうした弊害をなくすべきです。いつも会議を開き、上部から押しつけてばかりいる活動作風を決定的に改めなければなりません。これも随分前から党が提起している問題ですが、正しく実行していません。

 郡の幹部と話し合ってみると、現地での指導を満足におこなっていません。郡人民委員長が里に行って一晩泊って帰れば、それが現地で一番長く過ごす場合だと言います。これではいけません。里におりて行けば、少なくとも2、3日はとどまって里党委員長や里人民委員長の活動を援助し、党の積極分子と話し合い、里内の実情を研究して具体的な対策を立ててやらなければなりません。しかし、幹部は、現地での指導をこのようにおこなっていません。ほとんどが、里に行けば会議に2、3時間参加し、活動内容をよく確かめもせずに主観的な結論をくだします。でなければ、里党委員長か里人民委員長に会い、統計数字などを受け取って帰ってきます。こういうありさまなので、里人民委員会や里党委員会の活動がうまくいくはずがありません。

 郡の幹部は里に行って、数日間ずつ泊り込んで年寄りたちの話も聞き、党員や非党員とも話し合い、そうした機会を利用して、文化活動はどのようにおこない、商品はどのように売り、営農準備はどのようにおこない、農民の生活水準を向上させるにはどうすべきか、といったような問題を相談し、具体的な援助を与えなければなりません。このようにするのでなく、主観的にこうせよ、ああせよというふうに押しつけてはなりません。大衆と直接会ってこそ、里の仕事で立ち後れているのほどの部門であり、里人民委員会委員長の活動で弱点はなんであり、どうすればそれを改めることができるか、里内の幹部と積極分子の思想・意識水準と性格はどうであり、どうすれば中核分子とすべての農民の力を十分に引き出すことができるか、といったようなことをすべて明確に把握することができます。

 このように1年ほど仕事をしてみれば、郡の幹部たちが郡の実情を詳しく知るようになるはずです。いま、どの郡の人民委員長と話し合ってみても、彼らは手帳を見なければ自分の郡の実情がわからないありさまです。これは、記憶力が悪いせいではなく、郡の実情に疎いからです。各里の活動に深く浸透していれば、その里の田畑の面積や収穫高をすべて把握できます。手帳がなくても各里の数字が全部わかります。

 現在、里党委員長や里人民委員会委員長は、大部分が堅実な人たちです。彼らの仕事がうまくいかないとすれば、それは不堅実な人であるためではなく仕事のやり方を知らないからです。したがって、仕事が失敗したからといって免職しようとせずに、彼らをたゆみなく教え援助しなければなりません。会議なども、ただ会議を開けと指示するだけでなく、会議をどのように準備し、どのようにおこなうべきかを教え、会議が終わったのちには、その決定の実行をどのように組織し、点検し、総括すべきかを具体的に教えるべきです。教える方法としては、講習会をおこなう方法もありますが、最もよいのは現地で実地に教え指導することです。里党委員長や里人民委員会委員長らが、みな創意と積極性を発揮できるよう条件を整えてやり、立ち入った援助をおこなうべきです。道が郡を指導し、郡が里を指導するうえでも、常にこのような方法で指導する気風をうち立てなければなりません。

 重ねて強調しますが、市・郡人民委員会は、保守主義を打破して継続革新、継続前進し、農民への社会主義教育を強め、技術革命と文化革命を促進し、地方経営工場の建設を創意を発揮しておし進め、人民委員会の活動方法を改善し、その他、当面のすべての課題を成功裏になし遂げなければなりません。大体以上のようないくつかの問題を提起し、皆さんの今後の活動で大きな成果が達成されるよう望みます。
                                                
出典:『金日成著作集』12巻


<注> 絽織り からみ織物の一種。紗と平織とを組み合わせた組織の絹織物。よこ3本・5本おきに透き目を作る。紋絽・たて絽・絽縮緬ちりめんなどがある。夏季のきじゃく地用。(広辞苑第6版より引用)


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