金 日 成

両江道党組織の任務
両江道の党、政権機関、大衆団体の活動家におこなった演説
−1958年5月11日−


 私はこのたび、党中央委員会常務委員会の委任により両江(リャンガン)道を視察し、道内の活動状況を理解しました。

 以前には人民生活が非常に困難で、経済的にも文化的にも立ち後れた地方であった両江道が、その間かなりの発展を遂げたことがわかりました。特に、両江道が新設されてから道党委員会と道人民委員会など道級機関が設けられ、その指導のもとに各級の党組織と人民委員会が積極的に活動した結果、政治、経済、文化の各分野で少なからぬ成果が達成されました。

 両江道は、ほかの道に劣らぬ発展を遂げていると言えます。

 工業部門では林業と鉱業が発達しつつあり、農業部門では農業協同組合の組織がほとんど完了し、畜産業の土台もきずかれたと言えます。このような経済分野の発展にともなって、人民の物質・文化生活も思っていたよりも著しく改善されています。

 これはその間、両江道党組織が党中央委員会の正確な路線にもとづいて正しく活動したことを意味します。それはまた、道内の全人民が我が党のまわりに団結し、党の政策を積極的に支持していることを示すものです。

 私は、両江道のすべての活動成果を非常にうれしく思います。

 みなさんが今後もこれまでのように努力すれば、両江道の経済・文化建設は速いテンポで進み、人民生活はさらに向上するでしょう。これは、我が国の全般的な経済発展にも大きく寄与することになるでしょう。

 私は、きょうみなさんと一堂に会した機会に、若干の問題について述べたいと思います。まず経済・文化建設について述べ、次に党活動について話したいと思います。


 1 経済・文化建設について

 1 森林資源の保護について

 両江道の経済活動において最も重要な課題は、森林資源の保護と育成であります。周知のように、我が国の森林資源の大部分は両江道一帯に分布されています。我々がもし、木を切って使うだけで、その育成と保護をなおざりにするならば、国の森林資源は遠からず枯渇する恐れがあります。

 木材の用途は多方面にわたります。なによりも木材は、人造繊維の立派な原料となります。それゆえ、木を多く植えることは、とりもなおさず衣料問題の解決につながります。

 紙や工業製品の包装材料もその原料は木材であり、今後建設が予定されるクラフト紙工場の運営にも木材が必要です。そればかりでなく、どのような建設も木材なしには不可能であり、椅子、机などの家具や日用品をつくるにもすべて木材がなければなりません。

 このように木材は、工業と建設において非常に大切なものです。したがって、山林の育成と保護に深い関心を払わなければなりません。

 これまで両江道の道民がかなり造林事業をおこなったのは事実です。私は当地に来て解放後に植えた木が、いたるところで生長しているのを見ました。

 しかし、これに満足することはてきません。こんにちの膨大な経済建設の要求に比して、それは極めて少ないものです。両江道にはまだまだ造林の適地が多いばかりでなく、造林を要する地域も多いのであります。

 山林の育成・保護事業に人民大衆を立ち上がらせるためには、人民経済における森林資源の大きな意義をかれらに正しく認識させることが極めて重要です。すなわち、木材なしには人民経済の発展はありえないことを人びとに十分に認識させなければなりません。

 両江道党組織と全道民の最も重要な課題は、山林を育成し保護することです。

 年に200万〜300万立方メートルの木材をひきつづき生産できる林地を造成しなければなりません。

 党中央委員会は人民の衣料問題解決のため、清津(チョンジン)紡績工場の建設に大きな関心を払ってきました。今後、この工場に原料をきらさず供給するためには、樅類を多く植えるとともに、現有の樅類を十分に保護すべきです。いま繊維原料の確保は極めて重要な問題となっています。

 山林の育成において最も重要なのは、造林事業をつづけることであります。両江道は、造林事業に比較的有利な条件を備えています。両江道には自然の苗木も多く、苗木を大量に育てることのできる条件も備わっています。

 造林事業を改善するため、先日、内閣では造林事業所を新設することにしました。両江道にも3つの造林事業所を設けることにしました。しかし、3つの造林事業所だけを頼りにして腕をこまぬいているわけにはいきません。造林事業所は、主に人家がなく農業協同組合のない山地を受け持って造林事業をおこなうことになるので、そのほかの地帯の造林事業は大衆的運動としておこなうべきです。

 造林事業を大衆的運動としておこなうためには、責任制を適用する必要があります。

 これまでは、主に学生たちを動員して植樹をし、それですんだものと思っていました。このような方法では、山林を立派に造成することはできません。

 私の意見では農業協同組合、工場、企業所、製材所、鉱山などすべての機関が、在籍人員のなかから適当な人を選んで造林作業班を組織する必要があると思います。郡人民委員会は、工場や機関、農業協同組合に近くの地域を分担し、一定数の苗木を植えるよう責任を負わせるべきです。機関、企業所と協同組合では、それぞれの受持地域に苗木を植え、草取りや施肥をしてよく育てるようにしなければなりません。

 例えば、甲山(カプサン)鉱山に千人の労働者がいるとすれば、そのなかから約20人ほどで造林作業域を組織し、植樹の季節には木を植え、それからは草取りと施肥をするようにすべきです。こうすれば山林を速やかに造成できます。

 造林作業班を組織するため従業員を増やす必要はありません。造林作業班は、年中休みなく仕事をするのではなく、春に植樹し何回か草取りをし肥料を施せばよいのです。

 造林事業の重要性に照らして、両江道の各機関、企業所や協同組合は、この事業に義務的に参加すべきです。両江道人民委員会には、これを指導する山林育成部のような部署を新設し、郡人民委員会には山林育成指導員をおく必要があると思います。そして、この事業に模範的に参加した機関、企業所や個人にたいする国家的表彰制度を設けるのがよいでしょう。このような方法で10年ほども努力すれば、多くの森林資源を造成できるでしょう。

 山林造成事業は性急に何年かやってやめるべきではなく、少なくとも10年はつづけるべきです。それゆえ、両江道では山林造成十か年計画を立てる必要があります。山林造成事業を計画的に進めれば、我が国の森林資源は増大し、我々ばかりでなく次の世代も木材を十分に使える条件がつくられるでしょう。

 我々は、よく日本帝国主義者が木を乱伐したと非難します。かれらは、朝鮮が自分の国でないのでそうしたのです。我々が国の主人となってから10年以上たちます。ところが、我々もその間にかなり木を乱伐しました。自国の資源を、我々が保護しない理由はありません。もちろん、みなさんの成果が全くないと言うのではありません。それはあるにしても、まだ取るに足らないものです。若干の成果に自己満足することはできません。

 造林事業で重要なのは、それぞれの地域に適した木を選んで植えることです。樅類のよく育つ地域と広葉樹のよく成長する地域を調べたうえで、適当な木を植えるべきです。

 造林事業は、我々にとって綿花栽培のように大切であることを知るべきです。ドロノキなどは10年もたてば、伐採して製紙原料に使えます。ドロノキは研究すれば、今後は繊維原料にもなると思います。

 樅類はスフや人絹糸の原料となるので、綿花に匹敵するものです。現有の樅類資源は、約20〜30年間使えます。ところが、スフと人絹糸の需要は年とともに増大しています。したがって、樅類資源の造成事業にいまからしっかりと取り組まなければなりません。もし、こんにち植える木が10年後には綿花となり、綿花が織物になることがわかれば、むやみに山林に放火したり、木を切ったり折ったりせず、誰でも山林を愛護するでしょう。

 今年の秋から本格的に造林事業を始めるべきです。今秋から自然苗木の移植と苗木の準備をおこない、来年には植樹を大々的におこなわなければなりません。

 造林事業で次に重要なのは、木を多く植えるだけでなく、植えた木を十分に保護し育成することです。今度、当地に来て、方々で立派な木が焼き倒されているのを見ましたが、実に惜しいことです。森林資源を保護することが非常に大切です。

 私はこのたび、この問題についていろいろと考えてみました。森林資源を保護するうえで最も重要なのは、全人民的運動で山火事を防止し、山林の乱伐を禁じ、焼畑をむやみに起こさないようにすることです。いまでは、焼畑を起こす必要が全くないことを農民に認識させるべきです。山林は、焼畑より多くの収益をもたらします。焼畑で若干の穀物を生産するよりも木材を生産すれば、国家により多くの利益をもたらします。そのため、内閣決定で1ヘクタールの焼畑も起こせないようにしました。これから、この決定を確実に実行しなければなりません。

 これまで山林の保護は満足におこなわれませんでした。山火事が起きた場合の緊急消火対策もなく、また山火事防止対策も講じませんでした。これまで、山林保護事業は少人数の山林保護員のみに任せ、「山火事注意」の標語をかかげる程度でした。山での喫煙を禁じ、山火事を徹底的に防止するよう厳格な規律を確立しませんでした。

 国の大切な森林資源がみなさんの管轄下にあることを知るべきです。みなさんが自分のポケットにある何十円(ウォン)かの金には気遣いながらも、数億円にのぼる国家財産である森林資源について注意を払わないならば、それは全くなげかわしいことです。国家の財産はほかならぬ人民の財産です。これを侵害する人とはたたかうべきです。

 両江道は山林保護事業の先頭に立つべきであり、咸鏡(ハムギョン)北道と慈江(チャガン)道などの、ほかの道もすべてこの事業に積極的に参加すべきです。

 我が国は土地が少ないので、木を切ったあとにすぐ植樹しなければなりません。

 山林の重要性を幹部だけでなく、全人民が十分に認識するようにしなければなりません。そのため、山林の重要性について教科書にも書き、新聞、雑誌、ラジオなどすべての宣伝手段を通じても広く知らせるべきです。

 山林を保護育成するのは、特に両江道民の誇らしい任務であることを認識するよう、教育すべきです。そうすることによって、老若男女を問わず一本の木の枝でも国の有用な財産であることを忘れず、それを愛護するようにすべきです。

 2 林業について

 樹木の育成と保護だけが重要なのではなく、それを適切に伐採することも大切です。第3回党大会の決定でも強調されていますが、林業で最も重要なのは木材を節約することです。それでは、木材を節約するにはどうすべきでしょうか。

 第1に、伐採するとき幹の根元を切ることです。そして、十分に生長した木をわずかでも無駄にしないようにすることです。また、木を切り倒すとき、ほかの木を傷つけないようにするとともに、切木の梢頭木までもすべて集材して利用することが大切です。これまで、梢頭木については誰も関心を払いませんでした。

 梢頭木は使い道があるでしょうか。もちろんあります。その用途をよく研究すれば、使い道が多いはずです。

 第2に、木材加工部門で節約闘争を強化することです。木材加工のときに注意を怠り、のこぎりの当て方を誤れば、大切な木を使えなくします。したがって、一片の木材も無駄にせず上手に加工しようという合言葉をすべての人に十分に浸透させなければなりません。それがもし絹地であれば、粗末に扱う人はいないでしょう。織物ではなく木材であるから、のこぎりを慎重に当てなくてもよいという考え方をなくすべきです。木材は、すなわち織物であることを知るべきです。パルプ工場とはほかでもなく、木で絹の原料をつくる工場なのです。パルプ工場では木を大事にし、すべての仕事を秩序整然とおこなっています。ところが製材工場へ行ってみると、木を大事にしていません。木材加工部門にかなりの浪費が見られます。木材の浪費と強くたたかわなければなりません。

 製材部門では、廃物を有効に利用することが大切です。この問題が非常になおざりにされています。党と政府では、すべての工場や企業所が廃物を有効に利用して日用品を生産することを数年前から強調してきました。製材工場では副産物職場を設けて、将棋のこまやこま遊戯盤のようなものを作ってもよいでしょう。実際上、これらの工場では廃物で多くの製品を生産することができます。子供用の各種玩具や学校の実験器具なども作ることができます。しかし、このように大切な材料を捨ててしまったり、かまどのたき物にしています。

 恵山(ヘサン)製材工場のわきには、おが屑が山のように積まれていますが、それをただ腐らせています。これは人手不足のためではありません。恵山市だけでも家庭に6千余の婦人遊休労働力があります。この労働力を利用して工場に副産物職場を設けて上手に運営すれば、労働者や事務員所帯の収入が増えて生活の向上に役立つばかりでなく、日用品と子供の玩具も増えるという利点があります。ところが、このような有益なことをおこなっていません。

 この問題については、林業部門の党組織に大きな責任があります。党中央委員会は、林業部門の党組織の活動を非常に不満足に思っています。もちろん、どこでも仕事が不満足なわけではありません。咸興(ハムフン)のある生産協同組合に行ってみると、そこではおが屑に廃液を混ぜて砂だらいを作り、小さな木片でペン軸を作っていました。恵山でも、それができないはずはありません。こうしたことをしないため、一時はペン軸まで外国から輸入したものです。木材を加工するときに出る廃材で、立派なペン軸をいくらでも作れます。こういうことをしない党組織は、我が党の経済政策の研究が足りないと言えます。

 みなさんが製材工場で捨てているものがすべてお金なのです。いまペン軸の値段は一本につき15円ですから、多くの金をかまどのたき口に放り込んでいることになります。これは非常に大きな問題です。誰でも自分の10円紙幣を燃やすとすれば、惜しくてたまらないでしょう。しかし、国の財産である木材が踏みつけられ、たき木にされるのを惜しいとは思いません。このようなことは、すべて日本帝国主義の古い思想のなごりです。人民の財産を愛護せず、人民生活に無関心なのはすべて古い思想のなごりであります。この古い思想の残りかすを一掃しなければなりません。

 家庭婦人たちで協同組合を組織し、木材の切削機や研磨機など、各種小型機械と道具をそろえてやれば、木材加工品を量産することができるでしょう。こうして、工場の副産物職場や協同組合で生産をおこなえば、玩具や学用品、運動器具、家具などが多く作られるでしょう。

 両江道だけでも製材工場が6つもあります。道党の近くにある恵山製材工場でこういう仕事をしなかったのですから、道党から遠く離れた工場は言うにも及びません。したがって、みなさんが国家に与えた損失は莫大なものです。それは貨幣に換算すれば恐らく数億、数十億円にのぼると思います。みなさんも一度計算してみるべきです。

 1立方メートルの木材を伐出するのにも多くの力が費やされます。白頭(ペクトウ)山のふもとで木を切って製材工場まで運ぶには、莫大な労働力を要します。みなさんはこれを忘れず、ひと切れの木も無駄にしないようにすべきです。

 こんにち、林業部門の党組織の重要な課題は、木材を無駄なく製材し、副産物をすべて利用して日用品の生産を増大させることであります。

 3 鉱業について

 両江道は我が国の鉱業発展において、まだ処女地だと言えます。山の多いこの地方には石炭や各種希金属があるはずです。ところが、これまでこの地域の探鉱事業は十分におこなわれていません。道党組織は今後、両江道地域の探鉱事業を広くおこなうための準備活動を組織すべきであります。

 これからは各道の探鉱のため、多くの人員を中央から派遣するでしょう。中央と地方が力を合わせて探鉱活動を強化しなければなりません。

 現在操業中の甲山鉱山に、特に関心を払うべきです。この鉱山は、我が国の社会主義建設において非常に重要な位置にあります。

 かつて、立ち後れていた我が国の工業を完全に自主的な工業に改造し、社会主義を建設するためには、機械化と電化をおこなわなければなりません。そのためには銅が必要です。将来、我が国では多くの電力を生産することになります。銅は発電にも必要であり、生産した電気の使用にも必要です。モーターや電線の生産にも銅が使われます。このように、機械化、電化には銅が極めて重要です。銅は金に劣らず大切だと言えます。ところが、銅は外国からの輸入も非常に困難です。銅をくれる人は誰もいないし、かえって我々にそれを要求しています。

 このような銅の重要性に照らし、党中央委員会は戦時に甲山鉱山の開発問題を討議し、1951年から、その開発事業を進めてきました。党中央委員会のこの先を見通した対策は、戦後の復興建設に大きな助けとなりました。

 両江道党組織は、甲山鉱山の重要性を十分に認識し、今後この鉱山をさらに開発し拡張するため努力しなければなりません。

 甲山鉱山は5か年計画の末に、銅の生産を2千トンに到達させることができます。しかし、これは需要に比べて少な過ぎます。それゆえ、甲山鉱山では銅の増産に努めなければなりません。銅さえ解決されれば、電気をすべての地方に送ることができます。

 現在、我々は自力でモーターを生産しています。今年は2万3千台余りのモーターの生産を予定しています。モーターの生産には珪素鋼板と銅線が必要です。この2つさえあればモーターを量産できます。

 現在、モーターの需要は非常に多いのです。昨日、農業協同組合に行った際にも、サイレージをつくるのにモーターが必要だと言っていました。このように、モーターの需要をみたすにも銅線がなければなりません。銅線は軍需工業にも、人民経済各部門にも必要であります。

 甲山鉱山の労働者、技術者、事務員は、鉱山の重要性を正しく認識し、既に多くの仕事をなし遂げました。かれらの献身的な労働によって建設された地下選鉱場は、立派な設備を備えています。しかし、選鉱場だけですべての問題が解決されるのではありません。銅鉱石を大量に採掘してこそ、立派な選鉱場をつくったかいがあるのであって、そうでなければいくら立派な選鉱場でもなんの役にも立ちません。

 立派な選鉱場が最大限の能力を発揮できるよう、十分な鉱石を確保することが大切です。必要な鉱石を確保するためには鉱脈探査をひきつづき強化し、採掘量を増やす条件をととのえなければなりません。

 甲山鉱山で次に重要なのは、選鉱技術を向上させることです。選鉱技術が低いため、苦労して採掘した鉱石の銅実収率が86%を上回らないとのことです。先進諸国では銅の実収率が90〜95%に達しています。したがって、我々は先進諸国に比し、10%以上の銅を水に流しているわけです。これは実に惜しいことであり、大きな損失であります。選鉱技術を向上させて、その実収率を高めるために努力しなければなりません。

 甲山鉱山ではまた、空中ケーブル工事を早めなければなりません。この工事がまだ完成していないため、自動車輸送をおこなっています。自動車輸送は多額の費用がかかります。輸送費を引き下げるため、空中ケーブル工事を早く完成すべきです。

 甲山鉱山労働者の生活問題に関心を払わなければなりません。特に、甲山郡党組織は労働者の生活に深い関心を払うべきです。かれらが山奥で生活してはいても、僻地暮らしの不便を感じないよう、生活条件をすべてととのえてやらなければなりません。

 まず食料品供給活動を改善すべきです。野菜、水産物、たまご、食肉などを十分に供給すべきです。これは、それほど難しいことではありません。甲山地区の農業協同組合に課題を与え、計画的に野菜やたまご、食肉などを生産して供給するようにすればよいと思います。問題は、幹部がこのような活動を組織するか否かにかかっています。

 4 農業について

 党中央委員会で既に重ねて強調したように、両江道の農業において最も重要なのは冷害を防止することです。冷害を防ぎ収益の多い作物を栽培することが、現在、両江道農業部門の最も重要な課題であります。

 昨日は、普天(ポチョン)郡鴨緑(アムノク)江農業協同組合を視察しました。この協同組合は規模が大きいので、我が国最大の河の名をつけたとのことです。協同組合の名称は立派ですが、この組合ではどんな作物を栽培すればよいかを知らずにいます。

 現在、この協同組合では稲を栽培しているそうですが、これはみなさんが指導を誤った結果です。稲のよくできるところで稲作をおこなうべきであって、不作地帯で稲作をする必要はありません。鴨緑江農業協同組合では田づくりのため2年間無駄にし、思わしくない稲を栽培しようとして無駄骨を折り、今度はまた田を畑にかえすため農事に支障をきたし、およそ4年間も損害をこうむりました。いつも言うように、過去、個人農のときは農家の主人は戸主でしたが、協同組合が組織されたこんにちでは、農村の主人は党組織であります。鴨緑江農業協同組合は、普天都党組織に大きな世話をかけています。いまでは、「鴨緑江組合」なのではなく「小川組合」にも劣るようになりました。それでも、稲作を多くおこなわなかったため、組合員の収入はさほど低くありません。ジャガイモを一戸当たり2トン半ずつ分配したとのことです。もし、稲作を多くおこなっていたなら、より大きな損失をこうむったことでしょう。

 このようなことを二度と繰り返してはなりません。稲作は平安(ピョンアン)南道や黄海(ファンヘ)南道のように、収量の多い地方で実施すべきです。それらの道で稲の収量を増やして、みなさんのところへ米を送ればよいのです。

 両江道での多収穫作物は、ジャガイモです。両江道では、とうもろこしが畑作の王者なのではなく、ジャガイモが畑作の王者であります。

 みなさんが見せてくれた劇と漫談では、ジャガイモ自慢を上手におこないました。ジャガイモの自慢はよくしますが、その作付面積はわずかしかありません。舞台では党政策を宣伝しながらも、そのとおり実行していません。党の支持どおり、ジャガイモを多く栽培すべきです。

 工芸作物の栽培面積を除いて、すべて、ジャガイモを植えるべきです。ジャガイモの収量をヘクタール当たり15〜20トンの水準まで高めるべきです。こう言えば一部の人たちは目を丸くして、たいへんだと心配するかも知れませんが、それには及びません。この地方の一部の農民には、既に、これよりはるかに多くの収穫を得た経験があります。戦時中に豊山(プンサン)郡のある老人は、ヘクタール当たり36トンのジャガイモを取り入れました。この老人は、ジャガイモ「大王」だと言えます。私の言う15〜20トンという数字は、決してなんの根拠もない思いつきの数字ではありません。

 一時、白頭山のふもとの国営五号農場では、石が多くて農場を運営するのしないのと議論したことがありました。農業省でもこの農場を廃止すると言いました。そこで、私は1954年に同地を訪ねました。当時、国営五号農場は3800ヘクタールの土地を所有していました。これは一つの郡の耕地面積に匹敵します。私は、この多くの土地を捨てることはできないと言いました。そして、労働力を少なく投下して収益を高めるため、作業を機械化し、ほかの作物のかわりにジャガイモを栽培させました。それまで、この農場では、らい麦やひえの栽培に骨を折りました。しかし党の指示どおり、ジャガイモを植え、腐植土と肥料を多く施した結果、昨年はヘクタール当たり14トンの収穫をあげました。この農場は、これからヘクタール当たり収量が10トン以下には落ちないでしょう。

 しかしみなさんは、ヘクタール当たり7〜8トンのジャガイモを生産すれば、非常に高い収量のように思っていますが、これは少な過ぎます。肥料を多く施せば、ヘクタール当たり15〜20トンは十分生産できるでしょう。

 亜麻とホップの栽培地を除いた残りの土地には、すべてジャガイモを植え、ヘクタール当たり15〜20トンの収穫をあげなければなりません。ジャガイモをヘクタール当たり20トン収穫して、10トンは食糧とし、残りの10トンを豚の飼料にすれば、ヘクタール当たり1トンの肉を生産できます。みなさんは、これが難しいと言っていますが、もちろん容易なことではありません。しかし、決心さえすれば十分可能です。

 収量を高めるためには、腐植土と堆肥を大量に施して土地を肥やすことが大切です。山間部の住民がもっと勤勉に働いて堆肥を多く出すべきですが、焼畑の習慣が残っていてそうしません。焼畑を起こしていた人は、耕地に肥料を施すことを知りません。新しく開墾した土地に肥料も施さずに3年ぐらい耕作しては投げだし、またほかのところに移って新しい土地を起こして農作を営んでいた古い習性を直ちに捨てるべきです。

 きのう話し合ったある農民は、土地が開墾されて久しく地力が弱いためいたしかたないと言いました。その農民は、「働き者の百姓にやせ地はない」という我が国のことわざを知らなかったのです。これはどういう意味でしょうか。これは勤勉な農民は土地を改良して、やせ地も肥沃な土地に変えるという意味です。やせ地であっても、肥料を多く施せば肥えた土地になります。土地が酸性化していれば、適切な肥料を施して改良することができます。土地を改良して利用しなければなりません。土地の少ない我が国で、開墾してから長くない土地がどこにあるでしょうか。どこも開墾して久しい土地ばかりです。

 数千年ものあいだ、代をついでその土地で農業を営んできたのですから、開墾してから長い年月がたっているのは当然です。それではその土地で、農業を立派に営めるでしょうか。肥料を施し土地を改良すれば、いくらでも農業を立派に営むことができます。なにもせず肥料も施さずに収穫を増やそうとしても、それは無理なことです。

 これまで両江道内の党組織は、先進的な農法を普及し、焼畑式農法に反対する闘争を十分におこないませんでした。党組織は土地を改良し、この地帯の風土に適した多収穫作物を正しく選んで栽培するよう、農民を指導すべきです。既に強調したように、この地方の多収穫作物はジャガイモです。9万ヘクタールの畑のうち、少なくとも5、6万ヘクタールの面積には、ジャガイモを栽培すべきです。そして党決定にも指摘されているとおり、ジャガイモの品種改良に力を入れなければなりません。

 来年からは、両江道でとうもろこしを多く栽培しないようにすべきです。とうもろこしの栽培は、飼料用として数千ヘクタールに止めるべきです。

 次に、工芸作物を栽培することが大切です。特に、この地方では亜麻がよくできるので、亜麻を多く植えるべきでしょう。少なくとも3、4万ヘクタールの畑に亜麻を栽培すべきです。亜麻は、繊維問題の解決において非常に大切です。ソ連では亜麻を「北国の綿花」と言っています。これは正しい言葉です。両江道でも亜麻は綿花だと言えます。

 亜麻は綿花に比べて、栽培の手間が少なくかかります。日本帝国主義支配期に試験済みであり、また我々も4年間栽培したところによれば、当地は亜麻の栽培に適しています。ある協同組合の経験によれば、肥沃な土地ではヘクタール当たり2〜3トンもの亜麻を生産できるそうです。これまでは亜麻をやせ地で栽培したため、多収穫を得ることができませんでした。

 亜麻の栽培を機械化することもできそうです。種まきも機械でおこない、ほかの作業も徐々に機械化すれば、亜麻作付面積を大々的に拡張できます。今年は1万6000ヘクタール栽培するとのことですが、将来は2万5000〜3万ヘクタールに拡張すべきです。

 亜麻からは繊維だけでなく、油も取れます。亜麻畑1ヘクタールから約200キログラムの油が取れると言います。200キログラムの油を得るというのは、簡単なことではありません。大豆を栽培して油を搾っても、1ヘクタール当たり160キログラム程度に過ぎません。したがって油を搾るためにも、大豆より亜麻を栽培した方が有利です。

 亜麻の収穫高は、道全体でヘクタール当たり平均1.5〜2トンを目標にすべきです。

 我が国でいまオーバー地や洋服地を大量に生産できない理由はなんでしょうか。それは、羊毛と繊維の不足にあります。昨日も農村に出向いたところ、農民は丈夫な織物を求めていました。農民のこの要望を解決するには、羊毛と亜麻を多く生産しなければなりません。

 亜麻織物を生産するため、軽工業省では亜麻織物試験工場を建設中です。亜麻と綿花の混紡織物をつくったところ、非常に丈夫で立派です。農民の要望を解決するため、多少国家が損をしても、亜麻紡織工場が運営されるまでは、亜麻と綿花の混紡織物の生産をつづけるべきです。亜麻さえ多く生産すれば、良質の織物を大量生産できます。それゆえ、みなさんは亜麻栽培問題に大きな関心を払うべきです。

 両江道では亜麻ばかりでなく、ホップもよくできます。ホップは、非常に収益性の高い作物です。したがって、今後ホップ作付面積を増やさなければなりません。ホップ畑の面積を現在の230ヘクタールに止めるべきではなく、将来は1000〜2000ヘクタールに拡張すべきです。そのためには、いまからいろいろな準備をおこなうべきであります。

 ホップのつるをあげるのに現在使用している支柱木のかわりに、鉄線を張る方法を研究するとともに、ホップ栽培の技術問題解決のため、ホップ試験場を設けるべきです。そしてホップ生産の増大につれて、乾燥場なども建設しなければなりません。

 両江道では、ここの風土に適し収益性の高いジャガイモ、亜麻、ホップの三種の作物に重点をおいて農業を営むべきです。

 次に、畜産業について述べたいと思います。両江道の実情に照らし、当地の農業において畜産業は重要な位置を占めます。畜産業においては羊の飼育を優先させるべきです。

 我が国の畜産業では2通りの方法を適用できます。1つは家畜を各農家で分散的に飼育する方法であり、他の1つは小集団的に飼育する方法であります。

 我が国には、モンゴルでのように馬上で笛を吹きながら、何千頭もの家畜を追って飼う広い放牧地がありません。我が国でこのような畜産業を考えるならば、それは空想に過ぎません。我々は数年間放牧地の造成に努めてきましたが、それはうまくいかず、また不可能なことです。したがって、我が国では大集団的な畜産業は不可能です。

 我々の経験は、畜産業を分散的に、または小集団的におこなうべきであることを教えています。こうした方法によっても、畜産業を大々的に発展させることができます。各農家で羊などは少なくとも3頭程度は飼育できます。現在、両江道には羊が全部で1万8000頭しかありませんが、一戸当たり3頭ずつ飼うとしても、農家総数3万2000戸で9万6000頭の羊を飼育できます。各農家で組合の羊を教頭ずつ飼ってもよく、個人のものを飼ってもよいでしょう。また、我が国には小集団的方法で畜産業をおこなえる放牧地が少なくありません。このような小放牧地を有効に利用すれば、畜産業をいくらでも発展させることができます。

 両江道党組織はこのような方法で、3、4年内に少なくとも10万頭の羊を飼育する運動をおこなうべきです。これは決して多い数字ではありません。これは農家当たり3頭ずつ飼うことを意味しますが、小規模の牧場もあるので、実際には各農家の飼育頭数はそれより少なくてもよいのです。

 今年から1961年まで、羊10万頭飼育運動を展開すべきです。毎年半分ずつが子を産むとすれば、3、4年内に10万頭まで増やすことができます。

 羊の飼育において重要なのは、粗毛種を細毛種に改良することです。みなさんの話によれば、粗毛種も二代まで交配させると綿毛種に変えることができるようです。品種改良をなおざりにせず、努力を重ねていくべきです。細毛種は粗毛種に比べて採毛量も多く、毛の品質もはるかにすぐれています。10万頭の羊なら、年に30万着のオーバーをつくることができます。

 両江道の自然条件は羊ばかりでなく、牛の飼育にも適しています。この地方には草が多いので、草食動物を大々的に飼育すべきです。そして、ジャガイモを多く栽培する状況のもとで、豚も多く飼育できます。

 このほかにも、可能な条件をすべて利用していろいろな副業を発展させるべきです。養蜂、サクサン飼養、リュウサン飼養などを広くおこなうべきです。柳は生育が早いので、河川の堤防や川端に植えるべきです。

 このようにすれば、両江道の組合員も平安南道や黄海南道の組合員に劣らず立派な暮らしができます。これを少し具体的に検討してみましょう。1ヘクタールの畑で亜麻を2トンずつ生産できるとすれば、20万円の収入が得られます。稲はヘクタール当たり4トンずつ取れるとしても、24万円にしかなりません。それに亜麻の栽培は、稲作よりはるかに容易です。それゆえ両江道で、ジャガイモ、亜麻、ホップを多く栽培し、羊と牛を多数飼育し、養蜂、サクサン飼養、リュウサン飼養などの副業をおこなえば、平野地帯で稲作をおこなうよりも裕福な生活ができます。

 実際において、両江道の人は、お金の山の上に座っていると言っても過言ではありません。いまでは三水(サムス)、甲山の人びとが豊かに暮らせないという論議は成り立ちません。問題は、みなさんが仕事をどのように組織し指導するかにかかっています。

 果樹栽培についても少し討論してみる必要があります。私は、山間部の住民がどうすれば自分の畑で取れた果物を食べることができるかを考えているところですが、みなさんもこのことを研究すべきです。ソ連の人はシベリアのようなところでも果樹を栽培しようと努めているのに、両江道がいくら寒いといっても、シベリアほどではないでしょう。そうだとすれば、両江道地方でもそこに適した果樹を栽培できるはずです。

 両江道の山には、杏が多く見られます。このような、山杏を植えてそれに接木するなり、あるいは耐寒性の山梨に接木すれば、改良種の杏や梨が得られると思います。このような方法でブドウも試験し、他の各種果樹も試験してみるべきです。

 まず果樹試験場をつくる必要があります。果樹栽培ができないといって腕をこまねいていては、100年たっても自分の畑の果物を食べることはできないでしょう。どこかの協同組合に技術者を配置して小規模の果樹試験場を設けるのがよいと思います。このような小さな試験場は、道にも設けることができるし、郡にも何か所かつくれると思います。もし、この試験に成功すれば、道内の住民においしい果物を供給できるようになるでしょう。

 以前にも話したことがありますが、黒豆の木の実は地方産業で加工できるすぐれた山の果実です。

 黒豆の木の実は非常においしい果実ですから、上手に加工すれば立派な食品をつくることができます。

 黒豆の木の実は、白頭山にあるものばかり当てにせず、近くにあるものを採取して加工すべきです。協同組合が組織されている状況のもとでは、黒豆の木を栽培することも、移植することもできます。そうすれば、黒豆の木がよく育ち、果実も多く実るでしょう。

 ワラビなどの野生植物を多く繁殖させなければなりません。朝鮮人は、誰でもワラビのあえものを好みます。ワラビなども捨てるべきではありません。私はいつか道党委員長たちに、ワラビは人間だけでなく「神様」も好きなようだ、祭礼の供えものにワラビを欠かすことができないではないかと言ったことがあります。

 ワラビを繁殖させるためには、適時に刈り取ったり移植したりしなければなりません。そうすれば茎も太くなり味もよくなります。ワラビは多年生草本であるから、毎年新しい芽を吹いて生育します。

 郡の幹部が農民の生活水準を向上させ、国家に利益をもたらすため知恵を働かせれば、山の幸は無尽蔵です。山をひかえているところでは山の幸をとって暮らせという、党の合言葉の意味はここにあるのです。山の幸をとって暮らせということは山林を乱伐し、焼畑を起こせということではありません。それは、自然を利用し征服し改造せよということです。自然を征服し改造するのは、我々共産主義者が当然なすベきことであります。

 山の幸をとって暮らせという党の合言葉を実行に移すべきです。山についてさかんに話しているけれども、実際においては党の合言葉を実行するために奮闘していません。

 みなさんが党の合言葉を実行する闘争に積極的に立ち上がるならば、何年もたたないうちに両江道人民の生活水準を著しく引き上げることができるでしょう。自然を征服するために努力せず、リンゴが落ちるのを待つようなやり方で仕事をしては、問題の解決は期待できません。

 5 建設事業について

 両江道でも多くの住宅を建設していますが、これはたいへんよいことです。白頭山の浮石でブロックを作り、住宅を組立式に建設しようというのもよい意見です。しかし、クレーンをはじめ、いろいろな問題が解決されない状況のもとでは、ブロックレンガを少し大きめにつくって平屋を建てるのもよく、壁はブロックレンガにしコンクリート床を使って2、3階建にするのもよいと思います。

 昨年から土レンガの家を建てていますが、それはみな立派なものです。以前に建てた家は木材を浪費するばかりで、防寒が不十分でした。当地では寒さを防ぐことが肝心です。この地方は、冬が長く気温が零下40度まで下がるところなので、家の壁を厚くしなければなりません。

 両江道には、建築材料を解決する有利な条件がととのっています。ここではレンガ工場を建てる必要がありません。白頭山に多い浮石を運んでセメントと混合してブロックを作れば、立派な建築材料になります。それに研究次第では、セメントのかわりに当地に豊富な石灰と浮石を混合したブロックを作ることもできるでしょう。これを試験してみるべきだと思います。地元の資材を多く使用して建設すれば、原価も安くつきます。クレーンが足りない現状では組立式建設は困難であると思います。今後国家ではクレーンを多く生産して送るつもりです。そのときには大型ブロックを作って組立式に建設し、クレーンが解決されるまでは浮石ブロックのような地元の資材を大いに活用して家を建てるのがよいでしょう。このように建てた家は、木材もあまり使わず、堅固で暖かいのです。

 基本建設で留意すべき点は敷地の問題です。両江道は土地が限られています。みなさんは大きな工場の建設を望んでいますが、いくら見て回っても恵山にはそんな場所がありません。こういうことを言うのは、ほかの平地帯でのように住宅用の敷地を広くとるわけにはいかないからです。敷地面積を少なくとる方向で建設することが大切です。したがって、今後クレーンさえあれば、高層建築物を建てなければなりません。現在、恵山は住宅があまり分散しているため、農村でもなく都市でもないようなところになってしまいました。そして、住宅を分散して建て土地を浪費した結果、野菜栽培の余地もなくなりました。

 農村でも住宅をひとところに集中させて建てるべきです。そうすれば、農村を文化的に改造するのにも便利です。いまは住宅があちこち一戸ずつ分散していますが、このような建て方をすれば、電線や有線放送線も多く必要で、いろいろな浪費が多くなります。それゆえ、農村で住宅を建てるときは、必ず設計をして一定の場所に整然と集中させるべきです。こうすれば、農村を文化的に建設することができ、指導にも便利で、耕地も無駄になりません。

 鉱山地区と林産地区で住宅を建てるとき、耕地面積を侵さないよう、特に留意すべきです。

 農村建設では、生産的建設を優先させなければなりません。両江道ではこれから亜麻の栽培を増やすことになりますが、いくつかの協同組合でおこなうにしても、あるいは郡または国家がおこなうにしても、亜麻加工工場を多く建設しなければなりません。亜麻を生産地で加工せず、それを運搬して加工しようとすれば、多くの運輸機材が必要です。したがって、甲山にある亜麻工場のようなものを、亜麻を大量に産する各郡に建設すべきだと思います。甲山亜麻工場の敷地は広過ぎます。新設する亜麻工場は、敷地を広くとらなくても量産できるように建設すべきです。

 そして畜舎、倉庫などの生産的建設とともに、協同組合の力相応に浴場、クラブ、学校、診療所などの文化厚生施設の建設も進めるべきです。

 6 地方産業と商業について

 両江道では、道営の地方産業をいっそう発展させなければなりません。地方産業でなすべきことはたくさんあります。ジャガイモ加工工場、羊毛を選別し洗じょうする工場、野生の果実でジャムやシロップ、酒などをつくる工場、木材の廃物で家具や日用品を製作する工場などを多く建設すべきです。

 恵山市だけでも、6000人余りの婦人遊休労働力があります。将来人口の増加にともなって労働人口も増え、また林業部門をはじめ、各部門で作業の機械化が進めば、余剰員がでるでしょう。もちろんこの労働力は、ほかに回すこともできます。しかし同じことなら、原料と廃物の豊富なところに工場を建設し、それらの労働力をすべて採用した方がいっそう好ましいのです。

 恵山市のようなところに地方産業工場を建設すれば、遊んでいる婦人たちをすべて受け入れることができます。さきほど農民の生活向上の展望について話しましたが、工場で婦人が働くようになれば、労働者や事務員の生活もさらに向上するでしょう。

 労働者と事務員の扶養家族もすべて職場に進出すべきです。農業協同組合では男女の区別なくみなが働いているのに、労働者や事務員の家庭では男しか働けないという理由はありません。

 地方産業を発展させ、婦人たちがすべて職場に進出できる条件をととのえるべきです。そのためには、託児所やクリーニング店も建て、食料品店なども設けなければなりません。各地を見回りながらわかったことですが、夫婦共かせぎの家庭ではよい暮らしをしているけれども、一人で働いている家庭はそうでありません。もともと我が国は誰もが働く仕組みになっているのに、婦人たちが遊んで暮らそうとするのですから、よい暮らしができるはずはありません。

 地方産業工場を多く建設するのはよいことです。そして男子だけでなく、婦人もすべて職場に進出するようにすべきです。そうすれば、労働者や事務員の生活が向上するばかりでなく、婦人たちが組織生活をするようになるので、思想的にも発展します。一日中家で子供の世話をやき、夫ばかりを頼りにしている婦人は、立ち後れてしまいます。婦人が集団的に働き生活すれば、政治水準と階級意識が高まり、立派な社会主義建設者に成長します。したがって、婦人の職場進出は非常に大切です。

 商業について若干ふれたいと思います。このたび両江道に来ていくつかの商店を見ましたが、まあまあといったところです。平壌にある商品がいちおうはここにもあるし、平壌にない商品もあります。両江道に商品が不足しているとは思えません。しかし、都市と工場地区にたいする食料品供給活動がまだ不十分です。野菜、食肉、魚類などの副食物の供給が十分であるとは言えません。商品卸売所で住民の購買力と要望を検討して、商品の供給活動を改善することが大切です。この点に注意を払うべきです。

 7 文化革命について

 我々はいま社会主義を建設していますが、社会主義は経済建設だけおこなえばすむものではありません。経済建設とともに文化革命をおこなわなければなりません。また経済建設のためにも、必ず新しい科学知識と技術を身につけた技術者が必要なので、教育を発展させなければなりません。

 もちろんこれまでも、我々は人びとの意識の改造と新しい文化の創造のため、大きな努力を傾けてきました。しかし、経済分野の社会主義的改造が基本的に完成された現状のもとで、文化革命は極めて緊急な課題となります。

 文化革命において最も重要なのは、全般的初等中学義務教育制を実施することであります。すべての青年が中等学校卒業程度の知識を所有することは、人民の文化水準を向上させるうえでの一大変革を意味します。

 初等中学義務教育制を実施するとともに、農村で文盲を一掃することはもちろん、誰もが人民学校や中学校修了程度の知識を所有するようにすべきです。こうすれば、農村での技術問題を解決することができます。

 これから亜麻を多く栽培するにも、ホップを栽培するにも技術が必要です。農村で農薬を使用するにも、その用途を知らなければならず、また肥料を施すにも土壌に適した肥料の種類を知らなければなりません。したがって、今後、都市と農村で社会主義革命をさらに進めるためには、必ず文化革命を遂行しなければなりません。

 文化革命で重要なのはまた、人びとの生活を文化的なものにすることです。文化の発達した国では、人びとが清潔に暮らし、したがって健康で長生きします。いかに知識や技術があっても身体が壮健でなければ、使い道のない人間となるはかなく、また幸せな生活を営むことはできません。

 かつて朝鮮の封建支配層は、人民の保健と青年の体力向上に無関心でありました。日本人が明治維新後、新文化の摂取と人民の体力鍛練に努めていたとき、朝鮮の支配階級は冠をかぶって酒宴をはり詩歌を詠じながら、無為に歳月を送ったので滅亡の道をたどるほかなかったのです。

 人民の体力向上はゆるがせにできないことであります。軍隊がその役割を果たすためにも、まず軍人の体力が強健でなければなりません。軍隊は敵にたいする巧みな射撃術とともに、機動性のある戦術を所有しなければなりません。しかし、軍人の体力が弱ければ、機動性のある動きをとることも、敵に接近することも、敵陣地の占領も、敵を巧みに撃つこともできません。すなわち、戦術と技術と体力の統一が必要であります。

 国家建設においても同様です。人びとが自由に活動できる立派な社会制度と発達した技術があるとしても、その制度と技術を運用する人間がしっかりしていなければ、どうしてよい生活ができるでしょうか。みなが阿片中毒者のようにふらふらしていたのでは、社会主義革命もなにもなし遂げることができません。

 保健・衛生活動を改善して、速やかにジストマもなくし、各種伝染病を一掃すべきです。先ごろ党中央委員会常務委員会では、この問題を討議しました。みなさんは、数日内にこれについての決定書と指示文を受けとるでしょう。

 党中央委員会常務委員会決定の趣旨に従って、保健・衛生活動を大衆的運動として展開すべきです。農業協同組合を回ってみると、環境の整理と衛生活動が不十分です。毎月1回清掃日を定め、衛生点検委員会を組織して衛生活動を点検する制度を確立するのがよいと思います。このように毎月清掃日を定め、また年に1回ずつ清掃月間も定めて、周囲の環境を整頓する制度を確立すべきです。

 伝染病を防止するためには、井戸を清潔に改造し、便所も改造し、町村ごとに浴場も建設すべきです。まずこのような仕事から始めて、住宅もきれいに修理し、クリーニング店を設けて衣類もよく洗濯するようにすべきです。

 農村で診療所やベッド数を増やすのもよいが、それよりまず便所を改造し、浴場を設けるべきです。こうすれば、伝染病を一掃できます。そして、ネズミ退治やはえ取り運動を大衆的に展開しなければなりません。

 一言でいって、知識水準と技術水準を高め、保健・衛生活動を強化して、文化革命を遂行しなければなりません。


 2 党活動について

 1 社会主義教育の強化について

 党員のマルクス・レーニン主義学習と社会主義教育を強化し、その党性鍛練と党生活を強めるという我が党第1回代表者会議の決定は、党の政治活動の総体的方向であります。

 都市と農村の社会主義改造がほとんど終わりつつあるこんにち、社会主義教育は大きな意義をもちます。人びとの意識を改造しなければ、完全な社会主義社会を建設することはできません。我が党は2、3年前から階級的教育の強化を全党的課題としてうちだし、現在もひきつづきこの問題を強調しています。

 みなさんは、政治教育活動にあたって両江道の特殊性を必ず考慮に入れるべきです。両江道の労働者と農民にはみな一定の特殊性があります。

 両江道の労働者は、どのような特性をもっているのでしょうか。ここの労働者は、主に林業と鉱業に従事しています。

 林業労働者について理解しておくべきことは、かれらに古い思想の残りかすがあるということです。労働者階級のうちでも、林業労働者は最も散漫な傾向が強く、自由主義的習性をもっています。林業労働者には、溶鉱炉の前で鍛えられ、強い組織性をもつ工場労働者よりも自由主義的なところが多く、有り金をはたいて飲み食いしたり、義兄弟の契りを結ぶといった山稼ぎの古い習性が残っています。

 停戦直後、私は林業労働者の会議でこの問題にふれたことがあります。以前には、労働者たちが山の仕事を嫌いました。山の仕事をすると荒くれ者、のらくら者になると考えていました。世間でも山の仕事を一番卑しくいやな仕事と思っていたため、林業労働者は生活もなるがままにし、すべてがなるようになれといったやり方でした。

 しかし、こんにちの林業労働者の状態は過去とは違います。以前には、きょうはここで日を送り、次の日は別のところへ渡り歩くといったように行き当たりばったりの暮らしをしたものですが、いまは林業労働をそのようにやってはなりません。社会主義経済では、林業もやはり毎年一定の生産計画が割り当てられています。したがって、いまでは先を見越して計画的に仕事を組み、継続して作業ができるのです。その結果、こんにちの林業労働者は安定した生活ができ、職場と労働を愛するようになりました。

 しかしかれらには、なるがままに暮らしてきた昔の習慣がまだ残っています。それゆえ、林業労働者にたいする教育を忍耐強くおこなうべきです。かつて、資本家や地主が林業を経営していたときのように、やたらに木を切り倒し、稼ぎをその日に使いはたして明くる日は逃げ出すといったやり方で仕事をしてはなりません。

 工場労働者が工場と機械を愛護するように、林業労働者も山林を自分の財産とみなし、それを愛護するようにならなければなりません。林道をつくり、森林鉄道を敷くときにも、木を切るときにも、すべてを自分のことのように考えて働くようにすべきです。

 林業労働者の古い思想の影響を一掃するために強くたたかわなければなりません。

 林業労働者にたいする教育を強化すれば、その散漫さと自由主義をなくし、製鉄工業や化学工業部門の労働者が溶鉱炉や硫酸塔を我が身のごとく愛護するように、山林を愛護する精神でかれらを武装させることができます。

 教育活動にあたってさらに留意すべき点は、林業労働者の作業条件が特殊であるということです。例えば、工場では労働者が数百人ずつ集団的に働いているので、集団的に教育できます。しかし、いかだ師は2、3人が組になって何か月もかかる遠いところへ行って来るといったやり方で仕事をするので、かれらを系統的、集団的に教育するには難点があります。それゆえ、林業労働者にたいする教育活動の散漫性をなくし、集団的に教育できる条件をととのえることが重要です。

 また両江道では、農民もその大部分が山間部の方々に散らばって暮らしてきたため、分散性を多分にもっています。両江道の農民にたいする集団主義教育は、ほかよりもなお難しいところがあります。長いあいだ火田民暮らしをしてきた人たちを平坦部に移住させれば、なぜ山に戻って行くのでしょうか。もともと農民に小ブルジョア思想があるうえに、特に火田民は長いあいだ分散して暮らしてきたため、保守性と分散性がさらに多いのです。両江道の党組織はこうした特殊性を考慮に入れ、一般的な活動をおこなうのではなく、保守性と分散性の多い農民にたいする教育活動を、ほかよりもさらに強力におし進めるべきです。

 農村建設については既にふれましたが、農民の集団生活に通した住宅を建設するように心がけるべきです。人間の意識は環境の支配を受けるものですから、農民の意識改造のためには、かれらに集団生活のできる物質的条件をととのえてやらなければなりません。この問題は重要であります。

 両江道の党組織は、搾取制度と搾取階級を憎み、搾取制度の復活を企む反革命分子と容赦なくたたかい、社会主義制度と社会主義の獲得物を守りぬく精神で大衆を教育しなければなりません。ここで両江道の労働者と農民に散漫性、分散性、自由主義をはじめ、古い思想の残りかすが多分に残っているという特殊性を必ず考慮に入れて、党の政治活動をおこなうべきであります。

 2 革命伝統の継承について

 革命伝統継承の問題は、極めて重要であります。

 我が党と人民は、祖国と民族のために侵略者と勇敢に戦った抗日革命闘争の愛国的な革命伝統を継承しています。これは我が党と人民の誇りであり、光栄であります。もし、我々にこのような伝統がなかったなら、それは我が党と人民の恥となるでしょう。党の規約に明記されているように、我々は抗日闘争の革命伝統を継承しています。

 なぜ革命伝統を継承しなければならないのでしょうか。革命伝統を継承してこそ、かつて、先輩たちが革命闘争で勝利をおさめたように、我々が今後も勝利をおさめることができるという信念を強め、人びとに熱烈な愛国心と革命的闘志を奮い起こさせることができます。

 昨日、普天堡(ポチョンボ)に行ったときにも話したのですが、小さな村落にすぎない普天堡を攻撃する戦闘は、大げさに言うほどのことではないと考える人がいるかも知れません。しかし、それは間違いです。戦争で一つ一つの高地を守りぬくために決死の戦いをおこなうのは、そこに人間が多いからではありません。

 さきの祖国解放戦争で、1211高地の戦闘がなぜ重要だったのでしょうか。この戦闘の大きな意義は、この高地を死守することによって、寸土をも敵に渡してはならないという党の重要な戦略的方針を守りぬいたことにあります。もし、1211高地を奪われれば数多くの高地を失うことになり、何里もの後退を余儀なくされます。この重要な拠点を敵に渡すことはできませんでした。それゆえ、1211高地を犠牲的に死守したのです。問題はその戦略的意義にあります。

 では、普天堡戦闘は、どのような戦略的意義をもつのでしょうか。

 周知のように、当時は日本帝国主義支配の最も暗たんたる時期でした。日本帝国主義者と親日分子は、「内鮮一体」「同祖同根」を云々して朝鮮人民の民族精神を抹殺しようと狂奔し、朝鮮人民の反日闘争を厳しく弾圧しました。

 李光洙(リグンス)や崔南善(チェナムソン)といった者たちがこのスローガンを吹聴し、曹晩植(チョマンシク)のごときは、朝鮮青年に日本帝国主義者の中国侵略戦争に協力せよと説教しました。日本帝国主義支配の末期には、朝鮮人は母国語も使えず、朝鮮の姓氏を名乗ることさえ禁止されました。

 この時期の朝鮮人の前途は暗たんたるものでした。多くの人が、日本帝国主義の奴隷の境遇からぬけだす希望を失っていました。3.1連動をやってみても、またどんな運動をやってみても、すべて希望のないものとなってしまいました。

 こうした時期に普天堡戦闘がおこなわれました。では、この戦闘の意義はどこにあるのでしょうか。その意義は、何人かの日本人を殺したことにあるのではなく、朝鮮人は死なずに生きており、日本帝国主義と戦えば勝利するという信念をもりたてる革命の曙光を照らしたことにあります。普天堡戦闘は、朝鮮人は日本帝国主義に抵抗する、「内鮮一体」を認めない、日本人と朝鮮人は「同祖同根」でない、朝鮮人は日本帝国主義者に協力して中国を侵略しない、朝鮮人は母国語をすてないであろうし、自分の姓氏を日本の姓氏にかえない、朝鮮人は死なずに生きている、日本帝国主義者に抗して戦えば勝てるということを全世界に宣言しました。これが、普天堡戦闘の戦略的意義であります。ここに普天堡戦闘の歴史的意義があるのです。

 そして国内各地で起きた革命運動、例えば、甲山・恵山事件、永興(ヨンフン)事件、吉州(キルジュ)事件などもすべて大きな意義をもっています。

 甲山・恵山事件はなにを示しているのでしょうか。この事件もやはり、朝鮮人は死なずに戦っていることを示しました。甲山・恵山事件は、我が国における共産主義者の闘争史上最も多くの検挙者を出し、比較的広範な大衆のなかに根をおろした、日本帝国主義支配末期の最大の事件でした。

 日本帝国主義支配の最も暗たんたる時期に両江道の人民は、日本帝国主義者に屈することなく共産主義者とともに祖国の独立と人民政権樹立のために血みどろの戦いをくりひろげました。これはなんと貴く光栄あることではありませんか! 両江道の党組織は、このような革命伝統をもって大衆を教育しなければなりません。全党が、朝鮮共産主義者の犠牲的な戦いによってきずかれた革命伝統を継承し、その精神で大衆を教育しなければなりません。

 革命伝統の継承でなによりも重要なのは、マルクス・レーニン主義にたいする信念であります。

 抗日パルチザンたちは、なにを信じて困難な戦いをおこなったのでしょうか。信じたのはただマルクス・レーニン主義だけでした。朝鮮の共産主義者は、社会発展の法則によって帝国主義は必ず滅亡し、社会主義・共産主義は勝利すると確信したからこそ、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて最後まで戦ったのです。マルクス主義の示す道に従って戦った我々がついに勝利をおさめました。

 こんにち我々は、アメリカ帝国主義者および李承晩一味と対峙していますが、パルチザン闘争の時期とは比較にならないほど、我々の力は強大になりました。

 当時、社会主義国はソ連一国だけでした。しかし、こんにちではソ連、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国があり、ベトナム、モンゴルがあり、ヨーロッパの人民民主主義諸国があります。我々、共産主義者は、ソ連一国だけのときにも、ソ連を仰ぎ、そこから新たな力を得て戦ったのですから、こんにち我々の力がこのように成長した状況のもとでは、いっそう強い信念をもって戦うことができます。

 ソ連一国だけが社会主義国であったときにも、ドイツ、イタリア、日本のファシストを撃滅して勝利をおさめたのに、こんにちの社会主義陣営の威力をもってアメリカ帝国主義侵略勢力に勝てないわけはありません。

 こんにち我々は、百万の党員と数十万の軍隊と強力な経済力をもっています。かつて抗日パルチザンは、白頭の密林のなかでミシンや謄写版をかついで歩きながらも、日本侵略軍を震えあがらせ、かれらと戦って勝利をおさめました。このように、パルチザンたちはあの困難な状況のもとでも、屈することなく革命的楽天主義にみちて戦ったのに、こんにちのように有利な条件と強大な力をもつ我々が、勝利できないはずはありません。

 問題は、勝利へのゆるぎない信念と、社会主義の獲得物を自分の生命よりも大事にする精神を身につけることです。ここにおいて、我々の先輩たちがきずきあげた革命伝統を深く学び、それを継承することが極めて重要です。抗日闘争の革命伝統を継承するのは我々の義務であり、光栄であり、勝利の裏付けであります。

 共産主義者の血みどろの闘争によって、我々のこんにちの勝利がかち得られたことを大衆に認識させなければなりません。

 こんにち我々が遂行している朝鮮革命は、輸入したものではありません。革命は輸出するものでも、輸入するものでもありません。これまでの共産主義運動があったからこそ、こんにちの朝鮮革命があるのです。

 抗日闘争で鍛えられた堅実な共産主義者がいなかったならば、解放後の我が党の創立も、民主主義的改革の成果的な実施も不可能だったでしょう。

 解放後、マルクス・レーニン主義で武装した数多くの新しい革命幹部が育ちました。その先輩は抗日闘争を戦った共産主義者であります。こんにち各級党・政権機関の幹部や、いま革命に積極的に参加している人はすべて、日本帝国主義に反対する革命闘争の根から育ったということを知るべきです。

 朝鮮人民の解放のため犠牲的に戦った革命家を日頃から尊敬しないならば、人民大衆を革命的に教育することはできません。しかし、立派な闘争経歴をもつ人たちをあまり大事にしない事実が少なくありません。解放後15年近くにもなるのに、このような人たちを勉強もさせず放っておいたため、いま選抜して登用しようとしても、知識がないため使い道がなくなってしまいました。言いつくせない苦労をしてきた人たちをないがしろにし、一顧だにしなかったのですから、幹部事業が正しくおこなわれたとは言えません。

 祖国解放戦争のときにも立派に戦った人がどんなに多いことでしょう。このように、革命闘争を立派におこなった人たちが、我が党の中核であります。このような人たちがいたからこそ、我々は勝利できたのであり、このような人たちがいたからこそ、我が党が存在するのであり、我々がこんにち社会主義を建設できるようになったのです。それゆえ、このような人たちを尊敬し、教育して党の中核をかためなければなりません。悪い連中はこれらの革命家を憎んだけれども、堅実な人たちがどうしてこの人たちを敬遠する必要があるでしょうか。我々は、革命家とその遺族をないがしろにする傾向と強くたたかうべきです。

 3 反革命との闘争について

 反革命との闘争は、人にたいする問題であるだけに慎重を要します。反革命との闘争でややもすると極左的誤りを犯しかねません。

 いまおこなっている反革命との闘争で、南半部出身の人びととインテリにたいする取り扱いで、部分的ではありますが偏向があるようです。それで、党は以前にもそうでしたが、これについていま一度党の幹部に注意を喚起したのです。

 まず我々は、日本帝国主義支配時期に学校を出た古いインテリについて、正しい認識をもつべきだと思います。もちろん、日本帝国主義支配時期に勉強し、また日本帝国主義に奉仕した古いインテリは、そのほとんどが有産階級出身であることは確かです。かれらは暮らしが裕福であったため、専門学校や大学を卒業し、技術者にもなれたのです。

 しかし、かれらがたとえ有産階級出身であり、また日本帝国主義に奉仕したとはいえ、かれらは革命的要素をもっています。それは、かれらもやはり日本帝国主義者に抑圧されたからです。勉強するにも、学校を出て就職するにも差別待遇を受けました。日本人は給料も多く、レンガ建の家に住みましたが、朝鮮人は給料も少なく長屋に住み、日本人は昇級しても、朝鮮人はその下で下級事務員として働かされるのがせいぜいでした。このように、かれらは民族的に差別待遇を受けたため、一部の者を除いては、すべて日本帝国主義に反対する革命的要素をもっていました。

 それでは、朝鮮で誰が帝国主義者と結託したのでしょうか。それは地主と買弁資本家であります。インテリは、地主や買弁資本家に反対する革命的要素をもっていたのです。それゆえ解放後朝鮮のインテリは、我々とともに反帝反封建民主主義革命を遂行することができたのです。そしてこの闘争を通じて、かれらの思想も改造され鍛えられて、こんにちでは社会主義革命まで一緒に遂行できるようになったのです。

 我が党は創立当初から、古いインテリに正しい態度で対しました。我々は、インテリがかつては日本帝国主義に奉仕したけれども、祖国が解放された状況のもとでかれらは人民のため、労働者階級のために立派に奉仕することができると考えました。そのため我が党を創立するときにも、労働者、農民だけでなく、勤労インテリのなかの先進分子も党の構成要素となったのであります。

 我々がインテリ問題をこのように見たのが正しかったことは、祖国解放戦争でいっそう明白になりました。我々は3年ものあいだ、極めて困難な戦争をおこないました。もちろん、戦争の過程で変節した者もいますが、大多数のインテリは労働者階級に従い、我が党と人民政権に従って、立派にに戦いました。多くのインテリが洛東(ラクトン)江から清川(チョンチョン)江以北まで、あらゆる困難を乗り越え、我々について後退して来ました。数多くの学者や芸術家が険しい山々を越えて最後まで党について来ました。

 これ以上立派な点検がどこにあるでしょうか。インテリを信頼できるということが、厳しい試練を通して実証されました。かれらを古いインテリと言っていますが、封建的・資本主義的生産関係と緑を切ったのは、既に久しい以前のことです。インテリが自分の古い階級的基盤から受ける思想的影響は除去されて久しく、むしろかれらは15年近くも新しい社会制度のもとで生活しながら、革命的で社会主義的な思想の影響を受けてきたのです。

 かれらは社会主義建設に参加し、マルクス・レーニン主義的革命思想で教育される過程で、労働者階級のインテリに改造されつつあります。それゆえ、反革命との闘争においてインテリにたいし、その出身階級だけを見て速断するのは間違っています。その人の思想が堅実かどうかを検討するのではなく、古いインテリを頭から疑い、ある種の「レッテル」から先にはって見るのは正しくありません。もちろん、当人が実際に悪いことをしたとすれば、そのときには経歴を調べる必要もあります。

 また、仕事ぶりの良否についても、いろいろな角度から冷静に観察すべきです。本当に意識的に悪いことをしたのか、それとも熱心にやってしくじったのかを、よく識別できなければなりません。あの男は以前金持の息子だったのだから、意識的に悪いことをしているに違いないと色めがねで見てはなりません。

 南半部から来た人たちについても同じことが言えます。南半部から来たからといって、少しでも先入観をもって見てはなりません。南半部からたえず多くの人がやって来るでしょう。明日も、明後日も来るでしょう。そして、そのなかには、これまで李承晩を支持していた人もいることでしょう。しかし我々は、南半部の人たちも変わるということを知らなければなりません。

 マルクス主義者が、どうして事物を固定不変のものと見るべきでしょうか。昨日まで李承晩を支持していたとしても、きょうは李承晩が売国奴であることを知り、かれに反対することもありえるものです。共産主義についての悪宣伝を聞いて、昨日までは李承晩を支持したが、共産主義者のすることを見るとすべて正しいので、きょうは李承晩を捨てて共産主義者についてくることもありえるのです。

 それで、我々の方にやってきた人を信ずるべきでしょうか。それとも信じてはならないでしょうか。もちろん誰も、その人の身元を保証する人はいません。あるいは、敵のスパイとして送り込まれて来たかも知れないのです。だからといって、我々がかれらを信じないで見捨てるならば、どうなるでしょうか。南朝鮮から我々のところにやって来る人は一人もいなくなるでしょう。やって来れば排斥されるのに、誰が来ようとするでしょうか。

 こうなれば、南朝鮮では革命ができないということになります。門を閉ざして北半部だけで革命をおこない、我々だけがよい暮らしをしようと考えるよりほか道理がありません。これは自殺行為も同然です。では、どうすべきでしょうか。南半部から来た人びとを信じなければなりません。

 これと関連して経験を一つ話しましょう。いまは我々に国があり、経済土台もきずかれているので十分余裕がありますが、抗日パルチザン闘争をおこなっていたときには、家もなにもありませんでした。こういった状況下で、毎日のように敵と戦わなければなりませんでした。こうしたときに、かいらい満州軍や日本帝国主義の「討伐隊」のなかから銃を持って我々の側に寝返ってくる人がいました。この人を信ずるべきでしょうか、信じてはならないでしょうか。全く判断に迷いました。この男が貧弱な銃を一つ持って来て良い銃ととりかえて逃げだすのではないか、夜中に誰かを殺して逃亡するのではないか、また、戦闘中に後ろから一発撃って日本軍側に逃走するのではないかを知るすべがありません。山の中で何歩か走りだせば追いつけない状況のもとで、このような人を信じるというのは非常に危険なことでした。しかし、かれらを信じないならば、我々の方へ寝返る人は一人もいなくなるはずです。そういうわけで、当時、我々はとにかくやって来る人は全部信じるという原則を立てました。信じて戦いながら点検するというのが、我々の原則でした。我々は人びとを戦場で点検しました。戦場で立派に戦えばそれでよいのであって、それ以上なにを疑う必要があるでしょうか。

 南半部出身者の問題も全くこれと同じことです。あるいは、「国防軍」の大隊長や師団長の弟や息子が、我々の方にやって来ることもありえます。この場合にも我々はその人を信じるべきです。兄が師団長で弟が兵士の場合には、兄と弟のあいだでも葛藤がありえるし、思想が違うこともありえるのです。

 我々の方にやって来た人であれば、まず信じ、仕事を通じて点検すべきです。誰であれ、仕事を通じて点検することが必要です。仕事に熱心で、真面目に働いて成果をあげるならば、その人は堅実な人であり、仕事に不真面目で悪いことをするなら、それは悪質分子です。最初からあの人はインテリ出身だ、この人は南朝鮮出身者だといったふうに、先入観をもって見るべきではありません。

 北半部の人はすべて堅実な人で、悪い者になるはずはないと言えるでしょうか。そうだとは断言できません。北半部に住んでいる人のなかにも、ブルジョア思想の影響を一掃できず、悪事を働きつづける者がありえるのです。それゆえ敵味方を見分ける場合、ある種の先入観や主観にとらわれず、客観的にあらわれた行動が党と革命の利益に合致するかどうかを基準にすべきです。誰が我が党の思想を身につけたかどうかは、ただその実践によってのみ点検されるのです。

 このように、客観的基準にもとづいて人を評価し、敵味方を見分けるのは、我が党の階級的立場と決して矛盾するものではありません。私が言いたいのは、実践によって点検された人たちを中核と認めてこそ、仕事のうえで主観主義を避けることができるということです。

 我々は、党の思想を身につけた人たちで中核陣地をさらにかためるべきであります。我々が中核陣地をかためると言えば、あるいは疑問をもつ人がいるかも知れません。党が中核なのに、党内にまたなんの中核があるのかと反問するかも知れません。しかし労働党は、創立当初から共産主義的綱領をかかげたのではありません。我が党は、共産党と新民党が合同して労働党に発展したものです。第3回党大会で採択された新しい規約は、最初のものよりいちだんと発展したものです。我が党の以前の規約には、共産主義を支持する人だけが党員になれるという条件はついていませんでした。

 我が党には、最初から共産主義者だけが入党したわけではありません。したがってここでは、まだ共産主義思想を身につけていない人にそれを身につけさせ、共産主義思想を身につけた人の隊列をさらに拡大する問題が出されるのです。党内で中核を養成するというのは、共産主義のために最後までたたかえる党員を多く養成するということです。中核は多ければ多いほどよいのです。百万の党員がすべて中核になれば、それにこしたことはありません。

 しかしいまのところ、共産主義思想に徹していない人も少なくありません。したがって、ひきつづき中核を拡大し、中核陣地を強化することが重要な問題として提起されます。

 我々はたえず中核を育成する活動とあわせて、誤りを犯した党員を正しく処理し、再教育する活動も正しくおこなわなければなりません。誤りを犯した人をすべて切り捨てるわけにはいきません。誤りを犯した場合にも、意識的でないときには必ず改造し、団結していくように努めなければなりません。

 共産主義運動は、一人でも多くの大衆を獲得すれば、それだけ勢力が強化されるのです。すべての被搾取勤労大衆を搾取と抑圧から解放し、ひとしく豊かに暮らせるようにするのが共産主義運動の目的であります。共産主義の支持者を一人でも多くつくってこそ、共産主義運動の勢力を強化し、その目的を達成することができます。より多くの人が我が党のまわりに団結し、共産主義のためにたたかってこそ、革命の勝利を促すことができます。極左が悪いのは、それが大衆を党から引き離し、ともにたたかえる多くの大衆を敵の手に渡すようにするからであります。我々は党の中核をかため、党隊列を強化するとともに、党と大衆との結びつきをたえず強めなければなりません。

 極左的誤りを犯してはならないと言えば、また右傾に走る恐れがあります。出身階級を問題にすべきでない、すべて信ぜよと言ったからといって、反革命とたたかうのをやめることだと取り違えてはなりません。我々は、党を中傷し、党を破壊しようと企み、工場で仕事を怠け、害悪行為を働く反革命分子と強くたたかわなければなりません。

 たたかいは強化しなければなりません。党内の中核隊列を強化し、工場と鉱山、農業協同組合などで思想教育活動を強め、厳格な秩序と規律を確立すべきです。そうすれば、反革命分子は、我々を欺くことができず、どこでどんな悪事を働いてもすぐ摘発できます。

 党活動を強化し、すべての活動で秩序と規律を強めるのは、あたかも四方に鏡をかけておくのと同じです。反革命分子が左を向いて口をゆがめても右の鏡にそれがうつり、後ろを向いてゆがめても正面の鏡にすべてうつるようにすべきです。

 中国人は妖怪の本性を照らし出す鏡を「照魔鏡」と言いますが、四方にこのような鏡をかけておきさえすれば、反革命分子がいくら妖怪のような魔術を使っても、我々をだますことはできません。これは反革命とのたたかいに最も過した方法です。誰も顔に反革命分子と書いて歩く人はいないのですから、明確な根拠もなしに率直に言えと、ただ問いつめるだけではだめです。

 ここは山奥で、人びとも純朴なのだから昼寝をしていてもかまわないと考えてはなりません。昼寝をしているところには、必ず敵がしのび込むものです。活発に活動し、「照魔鏡」をかけておけば悪者たちももぐり込めないのであって、昼寝ばかりしていては、必ず悪者たちがネズミのように悪いことをはじめます。悪い連中は、ネズミのようにいつでも薄暗いところでこそこそやりたがるものです。したがって、我々の仕事には暗がりがあってはなりません。

 山奥だといって天下太平に過ごしてはなりません。ここでも必ず反革命分子とのたたかいを強化すべきです。極左的誤りも、右傾的偏向も犯すことなく、我々の活動を強化すべきです。

 党活動の方法については、この前の郡党委員長会議で話したので、さらにふれないことにします。

 党活動において幹部事業に重点をおく方針がいまだに十分浸透していません。幹部を十分に把握し、堅実な幹部を配置し、幹部を立派に教育することを党活動の基本とすべきです。この活動さえ正しくおこなわれれば、その他の活動はすべてそれについてくるものです。これが一番重要な問題であります。この方向で活動を改めるようひきつづき努力すべきです。

 さらに党政策を大衆のなかに深く浸透させ、その実行過程であらわれた長短を参酌していっそう進んだ新しい政策をうちだすよう、たえまなく研究しなければなりません。これが我が党の基本的な活動方法であります。

 終わりに、人民委員会の活動について若干述べたいと思います。

 人民委員会の活動水準を高めなければなりません。人民委員会が主人としての役割を果たすべきです。地方の人民委員会には多くの権限が与えられています。ところが、人民委員会は農業だけ経営すれば済むものと考える傾向がまだ残っています。人民委員会は保健医療事業もおこなわなければならないのに、一部の活動家は病院にベッドがいくつあるかも知らず、医者が堅実な人なのかどうかも知らない状態です。人民委員会の活動家がこんな有様では、人民委員会が主人としての役割を果たすことは困難です。

 道人民委員会は、道の主人であります。それゆえ、道人民委員会は農業や地方産業も経営し、都市経営事業、教育・文化事業、保健・衛生事業もすべておこない、さらに商業も手際よくおこなわなければなりません。我が国の商業は、住民に物資を円滑に供給するための社会主義的供給システムであります。また、我々が商業を手際よくおこなえば、資本主義的私営商業を改造することもできます。

 速やかに人民委員会の活動を強化し、人民委員会が自己の活動を能動的に遂行できるようにしなければなりません。

 時間の都合でみなさんの活動を十分に研究することができませんでした。私はきょう、みなさんの今後の活動で参考になると思われるいくつかの重要な問題について述べました。

 みなさんの活動の成果を期待します。

出典:「金日成著作集」12巻


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