金 日 成

第1次5か年計画を成功裏に遂行するために
 朝鮮労働党代表者会議での結語
−1958年3月6日− 


 同志のみなさん!

 我々は、このたびの代表者会議で極めて重要な問題を討議しました。我々は、共和国北半部で社会主義建設をどのように進め、また、朝鮮革命の参謀部である我が党をいかにして強化すべきかについて討議しました。これらの問題の討議は、非常に重要な意義をもっています。

 我が党を強化し、朝鮮革命の策源地であり基本陣地である北半部で社会主義を成功裏に建設することは、とりもなおさず、朝鮮革命の政治的・経済的力量を強化することになります。

 我が国では、我が党のみが全人民の利益のために、朝鮮民族の幸福と繁栄のために、祖国の統一独立のためにいかに困難な状況のもとでも全力をつくしてたたかい、全人民に闘争の前途をさし示しています。これは、全朝鮮人民がその運命を我が党にゆだねるのは当然であり、我が党のみが朝鮮人民の運命を担って進むことができることを示しています。

 みなさんは、党中央委員会が提出した人民経済発展第1次5か年計画案を一致して支持し、また、その実行のためにたたかうことをかたく決意しました。またみなさんは、党の思想、意志と行動の統一のために党中央委員会のまわりにかたく団結し、反党分子を粉砕して我が党の統一を瞳のように守ることをかたく決意するとともに、マルクス・レーニン主義の旗を忠実に守り、朝鮮革命を勝利のうちに完成しようとする一致した念願を示しました。

 私は、みなさんが示した党中央委員会にたいするあつい信頼とかたい決意を非常に満足に思っています。我が党がこのようにかたく団結して進むならば、我々に克服できない難関はありえず、革命に反対するあらゆる反党分子と反動勢力は、我が党と人民の団結した力によって必ず崩壊し、我々は完全な勝利をかちとることができるでありましょう。

 みなさんの発言でも十分言いつくされましたが、私は5か年計画についていま一度話そうと思います。

 多くの人が述べたように、5か年計画は我が国ではじめてのことであります。かつて、封建時代や日本帝国主義支配当時には、我が国で計画経済を実施することはできませんでした。人民がみずからの手に政権を握った条件のもとでのみ、社会主義制度のもとでのみ、人民経済を計画的に発展させることができます。

 我々は、すでに1か年計画もおこない、2か年計画や3か年計画を遂行した経験もあります。そして、いまでは5か年計画を討議しており、またそれを実行しています。

 我々が5か年計画を実行していること自体が、すでに我が国の経済的基盤がいかに強固になり発展しているか、また、我が国の人民民主主義制度がいかに強化されたかを如実に示しています。もしも、国の経済力が強力でなく、人民民主主義制度が強固でなかったならば、このように比較的長期の展望計画を立てることも、また実行することもできないでしょう。

 こんにち我々は、1年、2年ではなく、5年先を展望する経済建設をおこなうようになりました。周知のように、1か年計画というのは短期間の小規模な建設を予定するものですが、5か年計画ともなれば、長期間にわたる雄大で大規模な建設を予定するものです。我が国の経済的基盤が強固にきずかれず、人民経済の各分野において必要なすべての準備がととのっていなければ、このようなことを予定することも、実行することもできません。したがってこんにち、我々が5か年計画を討議して実行する段階に入ったということだけでも、これは朝鮮人民にとって非常に栄誉あることであり、また、我が国ではじめての歴史的な出来事であります。

 5か年計画のいま一つの政治的意義は、それが全人民に大きな展望を与えることにあります。過去には、人民の暮らしが貧しかったために、明日の生活を予測することさえできませんでした。さきほど、ある労働者が発言したように、かつては、その日かせぎでやっと暮らしてゆく有様でした。しかし、現在、朝鮮人民は、少なくとも5年間になにをなし、また5年間にそれをなし遂げれば我が国がどれだけ発展し、我々の生活がどの程度まで向上するかということをはっきり見通せるようになりました。これは、全人民に社会主義建設と輝かしい未来にたいする展望を与え、勝利を確信させるものであります。したがって人民は、どのような難関に直面しても、それが新たな勝利と前進のための難関であることを認識し、勇敢にそれを乗り越えて前進することができるのです。このように、我々がはじめて5か年計画を立ててそれを実行すること自体が、すでに大きな意義をもっています。

 それでは、我が党がこのたびの会議で討議する5か年計画の中心課題はなんでしょうか。我々がうちだした5か年計画の中心課題は、国の社会主義的工業化の土台をきずき、人民の衣食住問題を基本的に解決することであります。

 これはなにを意味するのでしょうか。それは、我が国の経済建設と人民生活全般にわたる問題を考慮し、経済建設と人民生活の問題を合理的に組み合わせて均衡のとれた解決をはかることを意味します。言いかえれば、国の将来の発展と経済的基盤をさらに強固にするためすべての建設事業を強化する一方、人民の物質・文化生活を向上させるため、衣食住の問題を同時に解決しようとするものです。

 我々がうちだした5か年計画の基本課題は、我が国の経済発展の合法則的な要求にもとづくものであり、国の統一独立と、将来の繁栄のための全民族的利益に完全に合致するものです。

 我が国で社会主義的工業化の基礎をきずくことは、我が国を後れた農業国から自立的な工業・農業国に変えることになるでしょう。

 我が国は、長いあいだ封建王朝の支配のもとで極めて立ち後れた農業国であったうえに、日本帝国主義の植民地支配のもとでは、約40年間、日本帝国主義者に原料を供給する植民地従属国になっていました。解放後、我々がひきついだ工業は、帝国主義者に原料を供給していた植民地的従属工業であり、農業もまた極めて立ち後れ完全に荒廃していました。

 我々が現在めざしているのは、工業のこのような植民地的従属性と農業の後進性をなくすことです。すなわち、工業の植民地的跛行性を完全になくし、自立的で近代的な社会主義的工業をきずこうということであります。自主的で自立的な経済を建設するということは、我々がすべてをみずからの働きで暮らしていける国をつくるということ、つまり、自給自足できる国をつくることを意味します。

 このような経済的基盤をきずくためには近代技術で装備された重工業がなければならず、軽工業もなければなりません。みなさんもよく知っているように、かつて、北半部に重工業があったとはいえ、それは原料供給のためのもので、軽工業はほとんどありませんでした。現在、我々は自立的な重工業と発展した軽工業の建設をめざしています。

 農業について言うならば、以前のように毎年災害のため安定した収穫が得られなかった立ち後れた農業ではなく、農民の仕事を楽にし、災害にも見舞われることなく常に高い収穫をあげ、食糧と工業原料を十分に供給できる先進的な農業に発展させるということであります。

 だからこそ、全人民は我が党の呼びかけにこたえ、このように希望にみちた、幸福で繁栄する社会主義を建設するためにこぞって立ち上がっているのです。

 このような目的が実現できるだろうか、そのような国をつくることができるだろうか、それは空想ではないかと言う人がいるかも知れません。もちろん、実現することができます。これは決して空想ではありません。

 我々が3か年計画を立てるときにも、一部の人は嘲笑したものです。なんといって嘲笑したでしょうか。民主党の一部の幹部は、「共産主義者はほらばかりふいている」と言いました。かれらは動揺していました。また、我々の隊列のなかにも動揺する人がいました。いまになってみると、反党分子らは陰でいろいろと中傷していたようです。

 みなさんも知っているように、3か年計画はあの困難な環境のもとで、それこそレンガも、セメントも、鉄筋も、なにもない状況のもとで素手ではじめたものでした。実際、工場は灰じんとなり、なにがどれほど破壊されたのかわからないほどの状態から復旧をはじめました。

 しかし我々は、これらすべての難関を乗り越えて大きな勝利をおさめました。こんにちでは、すべての工場や企業所が戦前に劣らないばかりか、それ以上の生産をしており、新しい工場も多く建設し、我が国に以前になかった機械製作工業を新たにおこし、工業の植民地的跛行性もかなり克服しました。すなわち、重工業でも緊急なものとそうでないものとを区別して建設し、また工場を復旧建設するうえでも、それを近代的な工場に改造し、これまで半製品を生産していたところでは完成品をつくり、原料を生産していたところでは半製品をつくるようにし、すべて一段階ずつ発展したものにきずきあげました。軽工業の場合は、ほとんどなにもないところからその土台をきずきました。

 それでは、計画した仕事をなし遂げられるでしょうか。我々は、これまでになし遂げたことから見て、これも十分できることだと思います。

 現在、計画していることを実行するためには、我が党がこれまで堅持してきた方針、すなわち重工業を優先させ、同時に軽工業と農業を発展させる方針をひきつづき堅持しなければなりません。この方針は、我が国に最も適した方針であります。この路線の正しさは我が国で実証されています。

 我が国には、重工業の発展に有利な条件がそなわっています。植民地的工業ではあっても、それでも我が国には一定の重工業の土台がありました。そればかりでなく、豊富な地下資源があります。我々が努力して、この地下資源を開発して利用するならば、重工業を大きく発展させることができます。それゆえ、我が国では、重工業を優先的に発展させなければなりません。重工業なしには軽工業と農業の発展は全く不可能です。もちろん、我々が建設しようとする重工業は、軽工業と農業の発展に役立つ重工業であり、今後、国の社会主義的工業化の基礎をきずく重工業であり、そして現在、人民の衣食住問題の解決に必要な重工業であります。

 このように重工業を優先させ、同時に軽工業と農業を発展させる方針は全く正しいものです。したがって、5か年計画期間中にも、我々はこの方針を堅持しなければなりません。

 同時に、財政政策と投資の面で、経済建設と人民生活の問題を合理的に解決することが重要であります。言いかえれば、蓄積と消費の均衡を正しく定め、これを維持しなければなりません。

 蓄積をせず、収入をすべて食いつぶし、消費してしまうような政策をとるわけにはいきません。必ず将来のために、国の繁栄のために、国の工業化のために、また、社会主義の基礎を強化するために、たえず蓄積を増やさなければなりません。もちろん、蓄積も人民のためのものです。ただ時間的に消費との差があるだけです。すなわち、消費は目前の需要をみたすものですが、蓄積は人民生活を系統的に向上させるためのものです。我々は、将来に備えて蓄積を増やさなければなりません。

 だからといって蓄積のみにかたより、将来にだけ重きをおいて当面の人民生活をかえりみないようなことがあってはなりません。したがって、これまでと同様に蓄積と消費の均衡を正しく保ち、経済建設と人民生活の問題を合理的に解決することが極めて重要です。

 我々は、生産も建設もせずに、人民生活のことばかり騒ぎたてるような愚かな連中の意見には決して同意できないし、また、蓄積だけにかたより、人民生活に注意を払わないようなことも許すことはできません。

 我々は、今後よい暮らしをするためには蓄積を増やさなければならず、また、蓄積して経済建設を立派におこない、生産をたえず発展させてこそ、国が富強になり、人民生活が向上するということを、すべての人民に理解させなければなりません。これは経済発展の法則であり、この法則を全人民、特に党員自身が十分理解しなければなりません。

 建設も蓄積も、なにもおこなわずに、ただあるだけ食いつぶそうというのは反党分子の主張と同じです。我々は、そうするわけにはいきません。我々は、蓄積と消費を合理的に調節する原則をひきつづき堅持しなければなりません。

 いま一つの重要なことは、人民生活を向上させるうえで都市と農村の差をなくす問題であります。

 資本主義のもとでは、都市が過度に繁盛し、あらゆるものがこれに集中している反面に、農村はますます疲弊し、また、生活水準も都市に比べて非常に劣っています。

 我々、共産主義者の目的は、都市と農村のこのような差をなくすことにあります。我々が、これまで都市と農村間の関係を正しく調節した結果、現在、都市と農村の差はそれほど大きくありません。これは、我が国において農民の生活水準と労働者の生活水準がつりあいよく調節されていることを示しています。

 我々は経済を計画的に発展させているので、都市と農村の建設や、労働者と農民の生活水準に大きな差が生じないよう注意を払うべきです。

 以上のような方向にそって、人民経済を発展させるべきであります。

 それでは、工業、特に重工業を優先的に発展させるうえで、どの部門に重点をおくべきでしょうか。

 第1に、鉄鋼業を発展させ、我が国で必要な量だけ銑鉄と鋼材を生産しなければなりません。これは十分可能なことです。茂山(ムサン)鉱山があり、泉洞(チョンドン)鉱山があり、下聖(ハソン)鉱山があります。我が国には、鉄鉱石が豊富に埋蔵されています。また、以前からの高炉、電気炉、粒鉄回転炉もあります。これを全部復旧し、さらに一部は新設し拡張すればよいでしょう。

 現在、我々は鋼材不足のため、住宅も多く建てられず、橋梁、港湾、鉄道など多くのものが建設できません。今後、工場や住宅、その他多くの施設を建設し、多くの鉱山を開発し、たくさんの機械をつくるためには大量の鋼材が必要です。我々は不足している鋼材を解決しなければなりません。昨年度まで8万トンの鋼材を輸入しました。輸入することもできますが、国内で十分生産できるものをなぜ輸入する必要があるでしょうか。国内でできるものは国内で解決すべきです。鉄鋼業を発展させ、我が国で必要な鋼材を解決しなければなりません。そのためには、この部門で働く党員、労働者、技師、技手、支配人、その他管理職員も努力をしなければなりません。

 第2に、石炭と電力の生産を発展させなければなりません。石炭と電気がなければ工場、鉱山、鉄道などすべてが動きません。したがって、電力工業と石炭工業をひきつづき発展させるべきであります。

 電力工業を発展させることは動力基地の強化を意味し、極めて重要なことです。工業を発展させるためには、電力工業を他の部門より優先させなければなりません。ところで、電力問題を解決するうえで重要なことは、電気相も発言しましたが、現存の発電所を完全に復旧、整備して電力増産の潜在力を最大限に引き出す一方、送電網を完備して電力の損失をなくし、電力消費で厳密な節約制度を守ることであります。まず、このような措置をとってから、新しいものを建設すべきであります。なすべきことを十分おこなわずに、新しいものに手を広げようとするのは正しくありません。したがって、この部門での第一の課題は、現有設備を完全に整備して電力を増産し、生産された電力を最大限に利用することであり、次に電力不足を解決するために禿魯江(トンロガン)発電所と江界(カンゲ)発電所の建設を早めることです。そして、小規模な水力発電所や火力発電所なども新たに建設するとともに、現在あるものをすべて利用する方向に進まなければなりません。

 また、石炭工業を発展させることが極めて重要です。我々は、第3回党大会で「石炭のうえに座って石炭不足を嘆いている」と指摘しました。ところで、いま決定書草案を見ると、「石炭資源を十分利用していない」と軽く指摘していますが、実際のところ、我々は石炭の山のうえに座って嘆いています。

 我が国には、どこに行っても石炭のないところはありません。きのう阿吾地(アオジ)炭鉱の支配人も述べましたが、阿吾地地区の埋蔵量だけでも少なくとも1億トンはあります。年に100万トン採掘するとしても100年かかる量です。100年と言えば1世紀です。なにを心配することがありましょうか。だが、この部門に悪質分子がいて、始終害悪行為を働いたために党の政策が下部にまでよく浸透しませんでした。いまこそ、石炭問題を解決すべきであります。計画草案には950万トンとなっていますが、少なくとも1000万トンを上回るようにしなければなりません。

 次に、衣食住問題の解決で重要なことの一つは、繊維問題であります。我々は、繊維不足のため悩んでいます。それで党は、化学繊維の生産を化学工業の重要な課題として提起しました。

 人間にとって重要なのは衣食住の問題ですが、現在我が国に繊維が足りないため、メリヤス、布地、魚網などの生産も思うようにいきません。工場に行くと、労働者はメリヤスが手に入らないと言っています。メリヤスがないのは、朝鮮人がその編み方を知らないためではなく、糸が足りないからです。

 化学研究所で研究中のビナロンを必ず生産に移さなければなりません。党は、これに大きな関心を払う必要があります。私の考えでは、化学工業部門の活動家たちは、李升基(リスンギ)同志の提案を大胆に、速やかに解決してやるべきだと思います。こうして、ビナロンを完成すると同時に、清津(チョンジン)紡績工場で人絹糸とスフの生産を増やすことが重要です。

 我が国の繊維問題は、化学繊維で完全に解決しなければなりません。現在、技術の発達した国ではすべて、化学繊維で繊維問題を解決する方向に進んでいます。綿花がよくできず、またよくできるとしても耕地面積が少なくて多く栽培できない我が国では、化学繊維が特別な意義をもっています。

 次は、肥料問題であります。報告でもかなり指摘されましたが、化学肥料は食糧問題の解決にとって非常に重要です。計画では63万トンとなっていますが、これは少ない数字ではありません。誰だったか、70万トンまで生産できると言いましたが、計画以上に生産できればそれにこしたことはありません。

 肥料ばかりを生産すべきではなく、医薬品、家畜用薬品、農薬など各種の薬品も多く生産しなければなりません。現在、薬品が非常に不足しています。農薬も、試薬も、飲み薬も足りません。各種の薬品を十分解決すべきです。

 さらに重工業で強調しなければならないのは、鉱業と非鉄金属工業であります。これは、国の重要な外貨の源泉です。私がいつも言っていることですが、金は持っているだけでは役に立ちません。いまのうちに金や希有金属を多く掘り出して外国に売って国の工業の土台をつくり、工業建設を立派に進めることが必要です。したがって、外貨が獲得できる鉱業を発展させなければなりません。

 次に重要なのは、建材工業、特にセメントを増産することであります。セメントは、住宅問題の解決にとっても、また拡大再生産のための生産的建設の促進にも必要です。セメントは多ければ多いほどよいのです。セメントが多ければいろいろなことができます。セメントさえあれば農業にも非常に便利です。我が国には大きな山や渓谷がたくさんあります。これらの渓谷を全部せきとめて貯水池を作れば、電力を生産し、水害を防ぎ、日照りのときには田畑の潅漑もできます。こうすれば、農業の発展にとって最も重要な条件がつくられるわけです。

 5か年計画の期間にこのような仕事をすべきだと思います。現在、咸鏡(ハムギョン)南道では毎年水害をこうむっていますが、まず道内で龍興(リョンフン)江と南大(ナムデ)川の治水工事に着手すべきです。こういうところでは、下流はせきとめてもたえず決壊するため、そこにせきを作らないで、上流の渓谷をせきとめるべきです。そうすれば、その水で電気を起こし、田畑にも水を引き、水害も防ぐことができます。結局、潅漑もできるし、電力が生産されるので便利だし、さらに貯水池をうまく管理すれば魚の養殖もできるので申し分ありません。そのうえボート場にもできるし、すべてが結構ずくめなのに、どうしてこれを放置しておけるでしょうか。休養所までつくればなお結構なことです。

 セメントはいくらでも必要です。一部の人はセメントが多過ぎはしないかと言っていますが、それは誤った考えです。いま、セメントが大量にあればセメントブロックを作り、西海岸の干潟に堤防をきずいて数十万ヘクタールの土地を新たに得ることができます。道路建設もおこない、港湾施設も作らなければならないので、我が国では大量のセメントが必要です。

 以上で述べた重工業部門に重点をおかなければなりません。

 そして金属工業相が発言したように、製鉄工業やその他の工業でも原料を自給できる工業部門を発展させるべきです。これが重要です。外国の原料に依存する工業は安定性のないものです。もちろん兄弟諸国のあいだで無いものは援助し合い、互いに協力することもできますが、それにも限度があり、すべてを外国に依存するのは困難です。したがって、このようなことを考慮し重工業を発展させなければなりません。

 これらの諸問題を解決するに当たって最も重要なのは、機械工業を発展させることです。機械工業を発展させなければ、人民経済各部門の技術改造はできません。農業や水産業、化学工業、電力工業、石炭工業などいずれもみな同じです。

 石炭を掘るためには削岩機がなければならず、高速度掘進をするには、ぼたの積載機がなければなりません。このように、石炭を大量に採掘する問題は機械工業にかかっています。

 建設を早めるために組立て方式を取り入れる計画ですが、それには起重機が必要であり、今後、工場、鉱山などの新設や開発をおこなうにも機械が必要です。これは、すべて機械工業でつくらなければなりません。

 魚を多く獲るためにも船がなければならず、これからは木造船ではなく鋼船を造るべきです。また、農業を発展させるためにも農業機械を大量に作らなければなりません。軽工業を発展させるにしてもやはりそうです。すべてが機械工業にかかっています。

 人民経済各部門の発展にとって最も重要なのは機械工業であります。ここで強調したいのは、このまえの機械工業部門活動者会議でも述べたことですが、5か年計画の遂行でも、また、我が国の人民経済の全般的な発展を促すうえでも、機械工業部門の従事者は自分たちの重大な責任をいま一度深く認識する必要があります。かれらが立派に働けばすべてが順調に進み、そうでなければすべて順調にいかないでしょう。

 機械工業をひきつづき拡大し、発展させなければなりません。そして、重要なことは現存機械工業施設を正しく利用することです。機械工業部門で働いている人たちも、勇気を奮い起こして困難を克服し自己の課題を完遂しなければなりません。

 軽工業部門の課題については、さきの軽工業省活動者会議でも述べ、今回の報告にも明示されています。軽工業では、繊維問題を解決し、綿織物と絹織物の生産を増大させることが重要です。報告には人口一人当たり18メートルとなっていますが、私の考えでは20メートルを目標に努力する必要があると思います。

 次に重要なのは食品加工業です。我が国では、食品加工業が最も立ち後れています。食品加工業は、社会主義諸国のなかで我が国が一番後れています。

 我々は、これを全人民的な運動で発展させなければなりません。我が国で生産される果物、野菜、食肉、魚類などをおいしく加工して安く人民に供給できるように、食品工業を発展させなければなりません。

 次に重要な問題は、日用品の品目を増やすことです。現在、日用品が非常に不足しています。なぜでしょうか。それは、かつて日本人が、朝鮮では日用品を全く生産せず、すべて日本の商品を朝鮮に持ち込んで売ったためです。甚だしくは、紙類まで日本から持ってきました。そのため、朝鮮ではなに一つ作ったものがありませんでした。

 我々は、さらに多くの日用品を作るため万策を講ずるべきであります。生産協同組合、地方産業、軽工業企業所や重工業企業所の副産物職場などで、日用品の生産を増やすべきです。

 重工業部門の工場でもすべて、日用品を生産する小規模な職場を設けるべきだと思います。私は、ソ連に行ったとき航空機工場を見学しました。たいへん大きくて立派な工場なのに、航空機を製作するかたわら副産物で牛乳かんを作っていました。

 我々の支配人はなんと高慢にも、こういうものを作るようにと言うと、そんなつまらないものは作れないと答えます。これが、どうしてつまらないものでしょうか。人民に奉仕すること以上に貴いことが他にあるでしょうか。重工業部門でも、それぞれの工場からでる副産物で日用品を生産すべきであります。

 生産協同組合、地方産業、軽工業などの各部門で日用品を大量に生産しなければなりません。品目を増やすと同時に、検査制度を厳密にして品質の向上をはかるべきであります。

 次に、建設について述べようと思います。建設で重要なのは生産的.建設に重点をおきながら、人民生活に最も必要な住宅もさらにたくさん建てる運動をくりひろげることです。都市や農村で建設事業を全人民的な運動として展開しなければなりません。5か年計画の数字に示されているように、都市に1000万平方メートルの住宅を建設すべきです。これは、大変な数字で約30万戸に当たるものです。これに農村住宅20万戸を合わせると、約50万戸の家を建てることになります。これは容易なことではありません。我々が全力をあげて建設の速度を早め、党の方針どおり組立て方式で建設をおこない、それができない地方では地元の資材を広く使用すれば、この膨大な課題を十分になし遂げることができます。

 我々が建設する住宅は、民族的な形式に社会主義的内容を備えたものでなければなりません。社会主義的内容とはなんでしょうか。それは、人民に便利で、実用的なものを意味します。外観もよく、作りがしっかりしていて、実用的で、人民に便利な文化住宅を建てなければなりません。

 農業では穀物生産に重点をおき、同時に工芸作物生産と畜産業、果樹栽培業を発展させる方向で努力しなければなりません。穀物を増産するためには、土地の利用度を高め、単位面積当たりの収量を高めることが重要です。単位面積当たりの収量を高めるためにはなにが重要でしょうか。

 第1に、水利、すなわち水を管理する問題です。潅漑工事を多くおこなって、田にはもちろん畑にも水を引いて干害を防ぎ、河川整理をおこない、貯水池を多く作って水害を防がなければなりません。これは、こんにち我が国の農業における主な課題の一つであります。

 第2に、肥料の問題です。化学工業では化学肥料を大量に生産し、農民は堆肥を十分に生産しなければなりません。

 次に、農民の手間をはぶき収穫を高めるために、農民に農業機械を供給し、運搬機材を解決してやらなければなりません。賃耕所を増設し、トラクターやトラックの台数を増やし、畜力農業機械を優先的にたくさん作って、農民の仕事を楽にし、収穫を高めるようにすべきです。

 現在、我が国の農村では、社会主義的協同化がほとんど完成しました。それで、協同経営を強化する問題が大きく提起されています。協同経営を経済的に強化するためには、農業生産を増大させ、組合員の生活を豊かな中農の水準に引き上げなければなりません。

 農村においていま一つの重要な問題は、農民の古い思想・意識を社会主義的思想・意識に改造することです。経営形態を改造するだけで社会主義革命が完成されたとは言えません。社会主義革命を完成するためには、農村での社会主義教育を強化して人々の意識を改造しなければなりません。農民が、搾取制度を憎み、搾取制度を復活させようとするあらゆる反動的な思想とたたかい、社会主義制度と社会主義の獲得物を身を賭して守りぬくことのできる、堅実な社会主義の闘士になるようにすべきです。

 また、農村で文化革命を遂行しなければなりません。これをなし遂げずには、農村をひきつづき発展させることはできません。文化革命では、義務教育制を実施する問題、特にすべての人民に中学校程度以上の知識を所有させることが重要です。それでは、現在、年の多い人はどうすべきでしょうか。年寄りはともかく、いま30〜40歳の人はすべて人民学校修了程度以上に、まだ若い人はすべて中学校修了程度以上の知識を所有するようにすべきです。このような水準に達してはじめて、農村の文化革命が遂行されたと言えます。

 また、農村の衛生に注意を払わなければなりません。人々の意識水準が高まれば、もちろん衛生も改善されるでしょう。衛生を怠っているため、我が国にはジストマ、腸チフス、はしかなどの伝染病や風土病がまだ残っています。こうした病気を完全になくし、人民の健康を増進させなければなりません。

 すべての人民が幸福に暮らすことを願い、また、すばらしい世の中を迎えたのだから、長生きをしたいと思っているのに、我が党が他のことはすべてなし遂げながら、どうしてこの問題を解決できないわけがあるでしょうか。これを解決するためには、衛生防疫事業を全人民的運動として展開しなければなりません。

 農村建設では、生産的建設を優先させながら、文化住宅や託児所、診療所、学校などを文化的に建設する大衆運動を展開すべきであります。

 こうして、5か年計画の期間中に農村の姿を根本的に変えなければなりません。

 次に、商業の問題について述べようと思います。現在、活動家は商業について極めて消極的な態度をとっています。特に地方の党組織や人民政権機関が商業に極めて無関心です。このような態度は正しくありません。国営商業と消費協同組合商業を発展させるのは、中間搾取とたたかう社会主義革命の一つの課題であることを明確に知る必要があります。

 農業協同組合を組織する仕事にはみなが徹夜をしながら熱心に参加したのに、商業については誰もが無関心です。これはたいへん間違っています。搾取制度を永久になくすことが社会主義革命の基本目的であります。ところが、商人の中間搾取にたいしては、たたかおうとしていません。

 現在、我が国の農村や都市に残っている搾取行為とはどのようなものでしょうか。それは中間搾取だけです。商人が、個別的に高利貸しをしたり、農民から農産物を安く買って労働者や事務員に高く売りつけるといった中間搾取をおこなっています。残っている搾取行為と言えばこういったことだけであります。

 我が国に残っている搾取行為にたいして、どのような方法でたたかうべきでしょうか。国営商業と協同経営商業を強化して競争の方法、すなわち、どちらが商業をうまくおこなうかという競争で搾取制度をなくさなければなりません。ところが、少なからぬ活動家は、これが一つの社会主義革命であることを忘れて商業をいやしみ重視せず、また、それを知ろうともしません。商業についてどの幹部に尋ねても、流通にかんする数字一つ知っていません。道人民委員会の委員長がそうであり、郡や里の人民委員会委員長にいたってはなおさらのことです。

 国営および協同組合商業を強化せずには、私営商業とたたかうことはできません。我々の商業を強化せず、私営商業の協同化をおこなわずに個人商に搾取をするなといったところで、かれらが聞き入れるはずがありません。かれらに頼んでもなんの役にも立ちません。それは、全く「都へ発つ人に冠を頼む」ようなものです。

 それでは、なにをなすべきでしょうか。ただ一つの方法は、我々が農村で協同組合をつくったときのように熱意と精力を傾けて国営および協同経営商業を強化し、私営商人を社会主義的に改造することであります。

 我々は、どのように農業協同組合を組織したでしょうか。協同経営のためにたたかった経験を知るべきではないでしょうか。延安(ヨンアン)郡の婦人が発言したように、農村における社会主義の勝利のために、我々は実に苦しい闘争をしました。そうしたたたかいの結果、農業の社会主義的改造が95%、ある道では97〜98%まで進んでいるではありませんか。

 商業もやはり同じことです。ここでも困難な闘争をしなければなりません。農産物の買付けも我々の方がより活発におこない、商品なども我々の方がきれいに陳列して売らなければなりません。

 私がよく話すことですが、国営商店に行って見ると、ワカメなどもくしゃくしゃなものをほこりも落とさず、片隅に積んでおいて売っています。しかし、私営商人たちはどうでしょうか。かれらは同じ値段のワカメを買ってきてきれいにのばし、みるからに清潔でおいしそうに陳列していますが、さほど高い値段でもなく、1斤につき2円(ウォン)ぐらい高く売っています。こうして、かれらは信用を得ています。買う人も、国営商店には行かず私営商人の方へ行きます。これはなにを意味するのでしょうか。国営商業が私営商人に負けたことを示しています。ところが国営商業に従事している人たちは、私営商人に負けたことを恥とせず「それは仕方がないではないか」と言っています。こういうことは、共産主義者の態度ではありません。これは、商業で社会主義が負けたことを意味するにもかかわらず、幹部たちはこれに責任を感じていません。

 つい最近、平壌市中区域の商業網を点検しました。点検はいまも進行中です。私も直接いくつかの商店を見てまわりました。商業部門の従事者が、平壌市中区域のようなやり方で商店を運営するなら、私営商業と競争できないばかりか、人民に消費物資を供給する任務さえまともに果たすことができません。

 数百、数千の工場で生産される製品は、すべて商業機関を経由することになります。数100億円の資金が商業部門従事者の手に任されています。ところが、商業機関の仕事ぶりはどうでしょうか。全く無責任です。かれらを教育する人もいません。ある日、商業機関の初級党組織の党員たちと話し合ってみました。そこには党員が9人いましたが、一週間ほどの講習をうけた者すら一人もいませんでした。こういう状態ですから、商業部門で党の政策が実現されないのです。

 社会主義商業で重要なのは、人民に商品を正しく分配し供給することです。生産が計画的におこなわれるのですから、分配と消費も計画的になされなければなりません。

 商業がこのような任務を十分果たしているかというと、そうではありません。どこででも、お構いなしに売りさばいています。こういうわけで、遠方の人は自分に割当てられるはずの商品を手に入れていません。これは、商業従事者がその任務を十分に果たしていないことを示すものです。社会主義的経済体制が圧倒的に優位を占めている条件のもとで、商業は商品を均等に分配し、生産を助け、住民の需要をみたす役割を果たさなければならないのに、このような役割を十分に果たしていません。こうした事実は、資本主義から社会主義へ移行する過渡期において、資本主義とたたかい、私営商人を社会主義的に改造するうえで大きな障害となっています。したがってこんにち、全党が商業に目を向けなければなりません。

 我々は、商業で一大転換を起こさなければなりません。そうしてこそ、都市と農村で搾取制度を最終的に根絶することができます。これを内務機関の力で解決せよというのではありません。買付け、販売、商品の品質などをすべて改善し、競争の方法で私営商業をなくすべきです。こうしてこそ、私営商業を社会主義的に改造することができます。したがって、郡や里にまだ残っている搾取制度をなくすためには、国営商業と協同経営商業を発展させなければなりません。

 次に、5か年計画の遂行において運輸能力を高める問題もまた重要であります。5か年計画で緊張している問題の一つが運輸であります。

 きのう、交通相が輸送事業について発言しましたが、私はかれの意見を支持します。貨車回帰日数を短縮し、そのほかに自動車運輸、水上運輸、海運業などを強化する方向で運輸問題を解決すべきであります。

 5か年計画で最も重要な問題の一つは、科学を発展させることであります。

 科学院院長が発言したとおり、科学者は、役に立たない空想的なことを研究するのにエネルギーと時間を浪費すべきでなく、こんにち人民経済にどうしても必要で、直ちに解決を要する問題に重点をおかなければなりません。これが第1の課題となるべきです。我が国には、科学者は多くありません。「遠大な」ことよりも、当面のさし迫った問題を解決することが重要です。

 我が国の繊維問題を早く解決するのはどんなに重要なことでしょうか。我が国でコークスの使用量を減らすか、あるいはコークスを使わずに製鉄工業を発展させるにはいかにすべきか、我が国では燃料油が採れないが、どのように代用燃料油を解決すべきか、その他いろいろな当面の問題を解決することが必要です。

 第2に、重要な課題は、こんにち、我が国で新しいものを発明したり、創案したりするよりも、まず他の国で達成した科学と技術の成果を我が国の実情に合うように取り入れ普及することです。我々は、先進諸国がどのような科学・技術上の成果をあげているかをよく知らない状態にあるので、まず、これを学びとり普及することが重要です。

 また、科学者は、研究所にばかり閉じこもらず、直接工場や生産現場に行って緊急な問題の解決に実質的な援助を与え、そこで研究活動を進めるべきだと思います。いま我々には、実験設備、研究用機材が十分ととのっていないので、研究室に閉じこもっていては、研究を思うように進めることができません。

 5か年計画を成功裏に遂行するためには、幹部の指導活動を改善すべきです。

 党中央委員会の1956年12月総会以後に体験したように、下部に接近し、下部の創造的な意見を聞き、下部の人と話し合い、かれらが提起する問題を正しく解決し、すぐれた経験を普及する、そうした指導方法を強化することが大切です。これは、5か年計画の実行において最も重要な問題であると考えます。

 次に、党活動について述べようと思います。報告の趣旨もそうであり、みなさんの発言もそうでしたが、我々はひきつづきセクト主義、地方主義、家族主義に反対し党の統一をかたく守るために強くたたかわなければなりません。

 セクト主義、地方主義、家族主義は、共産主義とは全く緑のないものであります。我々は、これに強く反対しなければなりません。地方主義、家族主義も、その本質はやはりセクト主義です。一方は大きく、一方は小さいだけで、事実上これはすべてセクト主義です。

 セクト主義は、ブルジョア思想から生まれたものです。これは、外から生じたものではありません。したがって、これは資本主義に反対する共産主義とは両立できません。これは、我々の思想に敵対するものであって、なんの共通性もありません。

 しかし、分派分子らは、分派があってこそ発展があると言います。分派分子らは、M・L派や火曜派などの分派が、かつて、我が国で大きな革命活動でもおこなったかのように考えています。実際は、革命活動をおこなったのではなく、革命を失敗させたのです。革命闘争をおこなったというのなら、どうして1920年代に共産党が破壊されたのでしょうか。党が破壊されるのを喜ぶのは誰でしょうか。資本家ではありませんか。

 M・L派や火曜派の連中が派閥争いをおこなわず党を破壊しなかったならば、朝鮮人民は自己の革命的党をもって解放を迎えたはずであり、こんにち我が党はさらに強大になっていたに違いなく、我が国がこんにちのように分裂しなくてもすんだかも知れません。

 分派の弊害は、極めて大きなものがあります。分派が共産主義運動と革命に有益だったという「理論」をふりまく連中は、すべて我が党に反対し、共産主義に反対する者たちであります。

 ある分派分子は、「それでも、我がM・L派の方がまだましだ」と言い、またある者は「いや、なんといっても我が火曜派の方がましだ」と言います 。私の考えでは、どちらもましだとは言えません。分派に良いもの悪いものはありません。いずれも全く同じもので、すべて労働運動における資本主義の影響の所産です。すべて我が党と朝鮮の労働運動を破壊する毒素であります。

 セクト主義、地方主義、家族主義は、いずれも個人主義・利己主義から生まれたものです。言いかえれば、これは個人の名誉、地位、権力、個人の政治的野望にもとづくものであって、我が党や国家のためのものではありません。したがって、分派分子はいくら高い地位を与えても満足しません。分派分子は高い地位を与えれば喜ぶかと思ったところ、与えれば与えるほどその野心は大きくなるばかりです。

 我が党の10余年間の闘争経験によれば、分派分子はいくら高い地位を与えても党を疑い、党に心を許しません。柳丑運(リュチュクウン)などは、自分が相に任命されたことにまで疑いをいだいたものです。

 私は崔昌益(チェチャンイク)と金雄(キムウン)に、君たちはどうしてそんなに疑いぶかいのかと尋ねたことがあります。金雄には、君は参謀長の地位にあるし前線司令官も務めたのに、党が自分を信頼していないのではないかと、いつも疑ってばかりいるのはなぜかと話したことがあります。

 党はかれを信頼しているのに、かれが党を疑っているのです。その原因はどこにあるのでしょうか。かれは自分一個人の権力と地位だけをねらっていたので、党に心を許さなかったのです。うわべでは党に従いながら裏では別のことを企んでいるから、いつも党の顔色ばかりうかがっているのです。我々が怒ってはいないか、党の会議が緊張してはいないか、自分の問題がどう扱われるかを気にし、そばでなにか小さな物音がしても、自分の問題ではないかと目をまるくします。誰かが他の人を批判しても、内心どきりとしてふるえあがります。分派分子は、みなこのような具合です。分派分子は、個人主義・利己主義から出発しているので、明けても暮れても党に疑いをもち、自分を信頼していないのではないかと気遣い、このようにふるまうのです。

 党でいくら登用し信頼しても、かれらの個人的な野心はますます大きくなるばかりです。その実例として崔昌益をあげることができます。崔昌益を信じ登用したところ、かれの野心はますます大きくなりました。このような分派分子らは、いつになっても満足することがなく、野心がいよいよ大きくなるので疑いもまた大きくならざるをえません。

 金枓奉(キムトゥボン)もやはりそうです。我々は金枓奉と10年間一緒に仕事をしました。ところが、金枓奉はこの10年のあいだ別のことを妄想していました。我々には心を許さず、韓斌(ハンビン)や崔昌益にだけ本心を打ち明けていました。

 韓斌は、我が党の破壊分子であり、党が憎悪する者であるにもかかわらず、金枓奉はかれと一番親しくしていました。もし、金枓奉が共産主義者であり、党を思う人であったならば、党が憎悪している者と一番親しくするとは一体どうしたことでしょうか。問題はこうなのです。金枓奉は韓斌の言うことを重視したのであって、我が党の決定を重視したことはありませんでした。

 呉淇燮(オギソプ)もやはりそうです。呉淇燮は、10年間も党中央委員会の委員として我々とともに仕事をしてきましたが、常に、胸に一物あったので、我々と同じ道を歩もうとしませんでした。

 分派分子や地方主義者は、なぜこのようにふるまうのでしょうか。かれらは、自分が一番偉く、天にも地にも自分以上のものはないと考えるからです。金枓奉も自分が一番偉いと思っていたので、党にたいしてはことごとに不満をもち、党が提起した問題にはあれこれと是非を問い、なにか一つ自分が新しいものを発案してみようとしました。呉淇燮もやはり一番偉いのは自分だと思っていました。かれは相をしばらく務めましたが、かれの下で仕事をした人たちは、うちの呉淇燮相は、仕事はしないで年がら年中政策の研究ばかりしていると言ったものです。しかし、かれは決して党のために政策を研究したのではありません。それは、党の路線と政策を認めず、党に反対してなにか別のものを出してみようという考えからしたのです。

 これは、いずれも党にたいしては不忠実で、出世と名誉だけにこだわる個人英雄主義に根ざすものです。

 分派分子らは一個人の出世のために、常に自分のまわりに仲間を引き入れます。かれらは仕事を立派におこなって信望を得ようとするのではなく、酒を飲ませ、国家の金で自分を引き立てるやり方で仲間をつくり、自分ら同士集まると、党では討議もしないありとあらゆる秘密を全部話し合うのです。そのような席では「ここだけの話だが」と、あることないことをならべます。このように、仲間同士のよしみを党組織の上におき、それを頼りにしています。

 金枓奉は韓斌のところで一晩泊ってくると、きまってなにか変わったことを提起したものです。それは、ことごとく我が党を害するようなものでした。

 セクト主義、地方主義、家族主義はいずれも、自分のグループと個人の利益を党の利益以上に重視するのです。

 党員は、党の利益を生命よりも大切にし、党のためには個人を犠牲にすることを鉄則とすべきです。我々は、党の統一と団結のためにはすべてをささげる気高い品性を備えなければなりません。そうでなければ、党の統一を達成することはできません。

 次に、自分が担当している部門には誰にも手を触れさせず、自分の担当部門が一番だとうぬぼれる態度にたいして、必ず批判を加えなければなりません。自分が担当している部門、地方、省(局)を出世の踏台と考えてはなりません。

 セクト主義、地方主義、家族主義、機関本位主義の傾向に強く反対し、全党が党中央の指導に従うようにするたたかいを強めなければなりません。

 それでは、セクト主義に反対するためにはどのような活動をおこなうべきでしょうか。M・L派や火曜派についてだけ、また朴憲永(パクホンヨン)、崔昌益の罪状のみを論ずるのではなく、かつて我が党を破壊し、こんにち再び我が党を四分五裂させ、資本主義を復活させる恐れのあるセクト主義、家族主義、地方主義の害悪を党員に徹底的に認識させなければなりません。

 まえに朴憲永が悪いことをし、今度は崔昌益が悪いことをしたといった式の批判で党員を教育するのではなく、セクト主義、家族主義、地方主義の本質はなんであり、分派分子はどのように行動し、かれらの思想的な根源はどこにあるかを党員に明確に認識させなければなりません。こうして、分派分子らにつけいるすきを与えないようにすべきです。こうすることによって、誰も分派に引き込まれないようにし、引き込もうとする者がいれば、いち早くそれを見抜いて反対できるようにすることが極めて重要であります。

 金枓奉は、実に大きな罪を犯しました。かれは、少なからぬ若い人たちをだめにしてしまいました。党と国家では、まじめな人たちに党の任務を与え、最高人民会議常任委員会で仕事をするようにと派遣しましたが、そこに行った多くの人がだめになってしまいました。

 今後、このような罪悪が再び繰り返されないようにするためには、セクト主義の害悪を全党的に認識させることが極めて重要です。そのためには、党員にたいするマルクス・レーニン主義教育を強化すべきであります。党員のマルクス・レーニン主義的思想・理論水準を高め、かれらが先を見通すことができ、すべての問題を分析できるようにし、ブルジョア的思想観点を一掃し、労働者階級の世界観を確立するようにしなければなりません。こうすることによってのみ、セクト主義、地方主義、家族主義を根絶することができます。

 次に、修正主義について簡単に述べようと思います。我が国では、修正主義が系統的にあらわれたことはありませんが、我が党に反対する者が、いわゆる「国際思潮」に巻き込まれて修正主義を吹き込みました。こうして、共産主義運動を破壊し、マルクス・レーニン主義の原則に反対し、資本主義に投降する修正主義的な傾向が我が国にもあらわれました。

 こんにち、帝国主義者とかれらに奉仕する修正主義者は、マルクス・レーニン主義と共産主義運動に反対するために、修正主義を伝播させています。これが我が国に入り込まないと断言するのは愚かなことです。我が国にもそれが入ってきたし、また、いまも入ってきつつあり、反党分子はすでにそれを利用しました。きのう、ある人が発言のなかで、反党分子は修正主義を密輸入したと述べましたが、まさしく、かれらは密輸入してきたのです。

 我が国で修正主義は、党の指導とプロレタリアートの独裁を拒否するという形をとってあらわれました。金枓奉が重商人民会議常任委員会は党よりも上であると言ったのは、なにを意味するのでしょうか。常任委員会が党の指導を拒否することを意味します。徐輝(ソヒ)が、「党が職業同盟を指導することはできない。党員よりも職業同盟員の数が多いのだから、職業同盟の方が党よりも大きい組織である。党機関で働いている人はすべて職業同盟員であるから、職業同盟の指導を受けなければならない。職業同盟は党の束縛からぬけ出すべきだ」と言ったことや、金乙奎(キムウルギュ)が、人民軍は党の軍隊ではなく、「統一戦線の軍隊」だと言ったのは、いずれも党の指導を拒否する思想です。

 現在、一部の省や人民委員会で行政活動にたいする党の指導をきらう傾向が部分的に見られますが、これはすべて党の指導を拒否する態度です。もちろん、党が不必要に行政を代行する傾向はなくすべきですが、党は必ず政権機関のすべての活動を指導しなければなりません。

 また、自分の技術が天下で一番だという技術至上主義をかかげ、党の指導を謙虚に受け入れようとしない誤った傾向があります。これも極めて有害な傾向です。党の意志と指導を離れた技術がなんの役に立つでしょうか。党は、社会主義建設に奉仕する技術、党の革命課題を実行する技術だけを必要とするのであり、それ以外のものは必要としません。

 我が党は、労働者階級をはじめ、すべての勤労人民を指導して、社会主義・共産主義を建設する戦闘的な組織であります。また我が党は、朝鮮で階級闘争と革命を指導する唯一の党であります。我が党の指導を拒否することは、とりもなおさず革命を拒否することであり、資本主義にたいする投降を意味するものです。それゆえ、党の指導を拒否する修正主義者と闘争するのはもちろん、修正主義が芽生える恐れのあるすべての不健全な要素とも、容赦なくたたかわなければなりません。

 ある人は、我々の人民政権は統一戦線に基礎をおいているからプロレタリアート独裁ではないと言っています。これは、全く誤った見解です。こんにち、人民政権は、プロレタリアート独裁の範ちゅうに属する政権です。資本主義から社会主義への過渡期にある共和国の北半部で、人民政権のプロレタリアート独裁の機能を強化しなければなりません。

 一部の人は、共和国政権の性格と革命の任務を正しく認識していないために、農村や都市に資本主義的要素があまり残っていないということで、私営商工業者の社会主義的改造を進める必要はないと言っています。これも正しくありません。

 我々の社会主義建設は大きな勝利をおさめていますが、現在、北半部に搾取階級が完全になくなったわけではありません。また、搾取階級が完全に一掃されたとしても、社会主義に敵対する思想は長いあいだ残るものです。

 わずかであるにせよ、都市と農村に小商品生産と私営商工業者が残っており、まだ社会主義革命の課題が完遂されていないばかりか、南半部に地主と資本家の「政権」が存在する状況のもとで、プロレタリアート独裁を強化しなくてよいものでしょうか。北半部で社会主義革命を勝利のうちに遂行するためには、プロレタリアート独裁を強化しなければなりません。

 プロレタリアート独裁は、社会主義革命に敵対するいっさいの反革命的要素を徹底的に鎮圧し、勤労人民の利益と革命の利益を擁護する労働者階級の強力な武器であります。

 しかし、司法機関では、いわゆる「人権擁護」の名目で、我が党と革命に反対するキリスト教信者李萬華(リマンホワ)のような敵対分子を釈放し、敵対行為をおこなった少なからぬ収監者を釈放して社会の秩序を乱しました。共和国政権は、勤労人民と革命の利益を守る武器であって、我々に反対する敵対階級の利益を守る武器となってはなりません。司法機関にあらわれたこうした傾向は、プロレタリアートの独裁に反対する修正主義的傾向であります。

 我が国にあらわれた修正主義は、我が党と革命勢力を敵とたたかうことのできない無力なものに変え、革命を破壊しようとするものにほかなりません。それゆえ、これとの強力な闘争をくりひろげなければなりません。

 他の問題については多く討議されたので、これ以上述べようとは思いません。

 ただ一言つけ加えたいのは、党員の党生活を強化する問題です。誰でも党生活を正しくおこなわないならば、その人はいつかはさまざまな誤りや間違いを犯すようになります。したがって、党生活をきらう傾向とは強くたたかい、同時にマルクス・レーニン主義の思想教育を強化すべきであります。特に、弁証法的唯物論を学習する問題が極めて重要です。こうして、すべての党員にマルクス・レーニン主義の世界観を確立させ、党性の強い党員にしなければなりません。

 最後に質問と提案にたいして若干述べようと思います。

 金枓奉、朴義垸(パクイワン)、呉淇燮のような者をどのように処理すべきでしょうか。金枓奉、朴義垸、呉淇燮が、反革命暴動の陰謀に参加したという証拠はまだありません。金枓奉と朴義垸は党をくつがえそうとし、党の指導部を追い出そうとしました。つまり、分派行動をともにはたらきました。呉淇燮は公然とはやらず、陰で泥棒猫のような真似をしているうちにしっぽを出しました。

 我が党は、かれらをずいぶん教育してきたし、また、1年半のあいだ忍耐強く教育してみました。しかしいまなお、党に率直に自分の誤りを打ち明けて改めようとする誠意が見られません。もちろんいまでは、我々が知っていることについては、すべて悪かった、二度とそういうことはしないと言っていますが、しかし、自分たちが犯したことをありのままに、自発的に打ち明けたのはなに一つありません。我々が、これはどういうことなのかと問いただせば、それはこういうことですと答える程度です。一言でいって、かれらはいまなお二面的な態度をとりながら、党に本心を明かそうとしません。

 かれらとの闘争原則は、次のようなものです。大きい罪を犯したものは厳格に処分し、大きい罪を犯していないものは思想点検をするが、その思想点検は厳しくし、処分は寛大にしなければなりません。すなわち、かれらがどうして分派に加担するようになり、その思想的な根源はどこにあるのかを糾明し、処分は寛大にして、かれらが立ち直れるように道を開いてやるべきです。分派との闘争では、事実と根源をはっきりとたださず、確答を得ないままうやむやに処理してはなりません。世間の人がみなわかるように、分派の来歴をさらけださせた後、完全に武装を解除して処分は寛大にすべきだと思います。このような原則で処理するのがよいでしょう。

 金枓奉、朴義垸、呉淇燮にたいする我々の意見は、「社会主義的分配の原則」により、かれらが「働いた分」だけ与えようというのです。このように処理するのがよいでしょう。かれらがどれだけ働いたか、そこでどれだけ与えるのが適当であるかは、みなさんが会議で決定すべきです。

 セクト主義に反対する闘争で最も重要なのは、党の団結をかたく守るために党中央を擁護することです。中央なしには、党の存在はありえません。それゆえ、個人は党組織に服従し、すべての党組織は中央に服従する民主集中制の原則を守らなければなりません。これは、レーニン的組織原則であります。この組織原則を守ることによってのみ、我が党の戦闘力を強化することができます。これなしには、我が党が強力な党になることはできません。

 出典:『金日成著作集』12巻


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