金 日 成

軽工業をいっそう発展させるために
―軽工業省活動者会議でおこなった演説― 
1958年1月29日 
 
 
演説する金日成主席−1958.1.29
 

 皆さん!

 今日、軽工業省管下の各工場、企業所の責任幹部と模範労働者、技術者の参加のもとに1957年度の事業を総括し、1958年度人民経済計画の実行対策を討議するこの活動者会議で、私は軽工業を発展させる重要な問題について若干述べようと思います。

 解放前のわが国の軽工業は全くとるに足らないものでした。日本帝国主義者は、わが国の資源を略奪し、朝鮮人民を搾取するのに目的があったため、わが国に建設した工業は、ほとんど原料および半製品生産部門でした。特に、わが国の北半部がそのような状態でした。

 日本帝国主義は、鉱石やカーバイド、その他わが国の豊富な工業原料と農産物の大部分を略奪してゆきました。それを自国で完成品に加工し、再び朝鮮に持ち込んで高い値段で売りつけました。このようにして、日本帝国主義は、朝鮮人民の財貨をことごとく奪い去りました。これが、日本帝国主義者の植民地的工業政策であったのです。

 彼らは、朝鮮に若干の軽工業を建設したとはいうものの、それさえ南半部に限られていたし、また南半部にあった紡織工業も需要に比べれば微々たるものでした。

 我々は、このような状態で解放を迎えました。解放直後、日本帝国主義が残していった北半部の軽工業というのは、皆さんも知っているように、沙里院と新義州の小さな紡織工場だけで、そのほかには見るべきものがありませんでした。

 だからといって、日本帝国主義が、朝鮮で手工業を発展させたわけでもありません。なぜでしょうか。それは、朝鮮を自国の商品市場にするためには、昔から伝わってきた朝鮮の手工業までも押しつぶさなければならなかったからです。彼らは、無条件に日本の商品を買わせる政策を実施しました。それで、北半部には手工業さえ見るべきものがありませんでした。

 手工業までがこうしたありさまだったので、人民生活に最も重要な衣料、履物、その他の日用品や食料品の生産は話にならないほど立ち後れた状態にありました。

 このような状況のもとで、わが党は解放後にはじめて、共和国北半部に軽工業の基地を創設しなければなりませんでした。こうして、平壌に紡織工場を建設し、清津紡績工場を復旧し、その他一連の軽工業工場の建設に着手しました。

 しかし、これは、戦争によってすべて中断され、工場は破壊されました。

 停戦直後に、党は、戦後の人民経済復興建設の方針を決定し、全人民を3カ年人民経済計画の実行へ立ち上がらせました。

 党中央委員会第6回総会は、重工業の優先的発展を保障すると同時に、軽工業と農業を急速に発展させる政策を採択しました。

 廃墟なかから、重工業を優先的に発展させながら同時に軽工業の基地を創設するのは、容易なことではありませんでした。

 我々には、有能な技術者が少なく設備もありませんでした。

 戦争のため人民経済がひどく破壊された状況のもとで、重工業を復興させながら同時に軽工業を発展させた例は、他国の歴史にはありませんでした。

 外国の工業発展の歴史を見ると、多くの国では、一定の期間重工業を発展させたのちに軽工業を発展させており、資本主義諸国では軽工業を先に発展させ、資金を蓄積したのち重工業を建設しています。

 しかしわが国では、戦後、重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業と農業を発展させなければなりませんでした。なぜなら、重工業を発展させずには、軽工業を発展させることも、農業を発展させることもできなかったからです。我々が復興、発展させた重工業はすべて、軽工業および農業の発展と密接なつながりをもつものでした。また、戦争によって全人民が着の身、着のままとなり、都市と農村がすっかり破壊されたため、重工業だけを発展させ、軽工業と農業を発展させなかったなら、その間、人民の衣食住問題解決の条件をつくることは不可能だったでしょう。それで、わが党は、重工業も発展させ、軽工業と農業も同時に発展させたのであります。

 党のこのような正しい経済政策に対して、一部には疑問を抱いた人もおり、ことに反党分子らは党の政策を誹謗しました。

 しかし、我々は重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業と農業を発展させることができると強硬に主張し、これを貫きました。このようにしてはじめて、わが国の経済的基盤を強化し、同時に疲弊した人民生活の問題を解決することができました。

 もちろん、このような問題を同時に解決するのは容易なことではありませんでした。しかし、我々が知らなければならないのは、わが国の事情は、かつて、ソ連がはじめて社会主義建設に着手したときとは異なり、また他の国とも異なる点があるということです。

 第1に、我々は離れ島で一人暮らしをしているのでもなく、単独でたたかっているのでもありません。こんにち社会主義は、ソ連一国のわくを越えて強力な世界的体制に発展しており、発達した科学と技術をもっています。したがって、わが国に技術者と設備は不足していましたが、ソ連をはじめ、兄弟諸国の援助を受けることができました。

 第2に、日本帝国主義の抑圧を受けていた植民地民族であった朝鮮人民は、自己の手に権力を握り、その権力を奪われないため3年のあいだ血みどろの闘争をくりひろげ、その闘争の過程で多くの難関を乗り越え、鍛えられた人民であります。また、わが党中央委員会と共和国政府が、この闘争を通じて鍛えられ洗練されました。厳しい闘争においても屈することのなかった朝鮮人民の思想状態から見て、彼らを正しく組織し指導するなら、いかに困難な問題であってもなし遂げることができるということを確信し、党は自己の政策を堅持してきました。

 反党分派分子らの言うとおりに、もし、我々が兄弟諸国の援助で日用品、織物、米などの消費物資ばかり輸入したならば、一時的にはよい暮らしができたかも知れません。

 しかし、我々がそのようにただ援助を食いつぶしていたなら、こんにちでは前途が真っ暗で、毎年外国から米や織物の援助を受けなければならなくなっていたでしょう。いくらでも援助するという人もいないでしょうが、なんの面目があってそのようなことができるでしょうか。それで党は、反党分子らのさまざまな中傷、誹謗を退けて重工業に重点をおき、同時に軽工業と農業を発展させる政策を貫いてきたのであり、わが党員と勤労者は、党中央委員会のまわりに鉄のように団結して、党の経済政策を実行する闘争をたゆみなく繰り広げてきました。

 こうして、我々は、機械工場、製鉄工場、化学工場など数多くの工場を復旧または新設しました。軽工業部門でも、清津紡績工場をはじめ、平壌紡織工場、亀城紡織工場、その他、絹紡織工場などを新設または復旧、拡張しました。特に、平壌紡織工場は、朝鮮でこれまでに見られなかった大規模の近代的軽工業工場であります。そのほかにも、ゴム工場、日用品工場、食肉加工工場をはじめ各種の工場を復旧または新設しました。

 このように、我々は、あらゆる難関を克服し、困難な闘争を通じて数百の工場を復旧または新設しました。これは、なんとすばらしいことでしょう!こんにちの現実は、わが党の政策が正しかったことをいま一度実証しており、わが党の政策に対する反党反革命分子の誹謗が、全く根拠のないものであったことをはっきりと示しています。

 すでに重工業基地と軽工業基地が創設され、また農業問題も基本的に解決されました。これは、わが党の政策の大きな勝利であります。

 私は今日ここで、党の政策にもとづいて軽工業基地創設のためにたゆみないたたかいを繰り広げてきた軽工業部門のすべての労働者、技術者、事務員と、そして省の幹部に、党中央委員会と共和国政府の名で心から感謝の意を表するものであります。

 重工業に重点をおき、同時に軽工業と農業を発展させる政策を今後も動揺することなく実行していくならば、さらに大きな成果をかちとるであろうことは疑いありません。

 皆さん! 我々がこれまでおこなってきた事業は非常に困難なものでしたが、我々はすでにこの苦しい峠を越しました。

 新しい社会を創造する我々が、まして厳しい戦争をへてきたこのような苦境をへずにどうして勝利をおさめることができるでしょうか。災難にあった一家の生計を立て直すのも並大抵でないのに、いわんや厳しい戦争をへた国の経済を復旧するのに、どうして困難な段階をへずして成果をあげることができるでしょうか。

 いまでは、我々が何ごとでも、集まって相談し、決心さえすれば、なんでも解決することができるようになりました。我々が重工業に重点をおき、同時に軽工業と農業を発展させなかったなら、いまでもやりたいことを思いどおり実行できないでしょう。もし、我々が軽工業工場だけをいくつか建設し、重工業の建設をおこなわなかったならば、やむなく紡織工場にでもすがりついているより他に方法がないでしょう。

 ところが、こんにちではどうでしょうか。紡織工場が足りないから拡張しよう、紡織機ももっと作ろう、食肉加工工場や製粉工場ももっと建てようなどと、我々自身で決心することができるようになりました。わが国では、銑鉄や鋼材も生産され、旋盤もつくり、電力もあるので、必要なら工場をさらに建設できるようになったではありませんか。

 潅漑施設についても同じことが言えます。以前だったら潅漑施設を拡張しようとしても、揚水機や変圧器、それに発電機、モーターなども買い入れなければならないので、我々は自分で決心をくだすことができず、品物をくれるという人に聞いてみなければなりませんでした。しかし、いまでは我々に発言権があり、決定権があります。

 これは、わが党の政策の大きな勝利であると言えます。特に、党中央委員会1956年12月総会の決定が成功裏に実行された結果、過ぎる1年間に新しい大きな成果が達成されました。これは、わが国の社会主義経済の基盤をさらに強固にしたばかりでなく、わが党の経済政策の正しさをいま一度実証しました。

 軽工業部門のすべての労働者、技術者、事務員は、12月総会がうちだした増産と節約のスローガンをかかげ、創造的な生産闘争を繰り広げました。その結果、昨年だけでも70億円分の商品を増産して、国家に莫大な利益を与えました。これは、すばらしい成果であります。

 皆さんがもたらしたこの収益金は二つの方面に使われます。

 一方では、社会主義の経済的基盤を強固にするための拡大再生産に利用され、他方では人民の生活向上にふり向けられます。

 昨年は、すべての工業部門が国家に多くの利益を与えました。

 それで、国家財政予算では、計画より230億円以上の歳入増加が見込まれています。南朝鮮の国家予算は赤字が増える一方であるのに、我々の方はこのように黒字が出ます。こうして、我々の通貨はきわめて安定性のあるものとなりました。

 このように多くの収入を得たので、非常に切り詰めた財政予算を立てた昨年度に比べ、1958年度の財政予算の編成ではゆとりができました。そればかりでなく、党中央委員会常務委員会は、労働者、技術者、事務員の基本賃金を平均10%引き上げる決定を採択することができました。

 1957年度には、人民経済の各部門でこのように仕事を立派におこないました。私の考えでは、仕事を最も立派におこなったのは農業部門であり、そのつぎが軽工業部門だと思います。また、重工業部門や他の部門でもすべて仕事を立派におこないました。

 こうして、320万トンの穀物が生産されましたが、これはわが国の歴史上はじめてのことです。昨年は織物も大量に生産しました。戦前は、わずか900万メートルしか生産できなかった綿織物を、昨年はその10倍に近い約9000万メートル生産しました。

 これでも反党分派分子は、我々に対して人民生活に関心がないと言えるでしょうか。

 戦争で大きな被害をこうむったわが国で、わずか3、4年間で織物生産が10倍に伸びたというのは、外国では全くまれなことです。他の部門もすべて急速な発展を遂げました。計画を実行できなかったのは基本建設部門だけですが、それはこの部門を不真面目な連中が指導していたからです。

 このように我々がよく働けば、一方では社会主義的蓄積がますます増え、他方では人民の生活が向上するでしょう。

 これが、3カ年人民経済計画と1957年度計画の実行総括であります。

 党中央委員会1956年12月総会の決定実行のための、1957年度の事業総括で得た経験はなんでしょうか。

 それは、我々に潜在力がまだ多くあるということです。

 我々には、節約の潜在力が豊富で、増産の潜在力も多くあります。「節約し増産しよう!」これが、わが党のスローガンです。設備の利用度はまだまだ高められますが、これは重要な潜在力です。技術水準が高まれば、それだけ設備の利用度は高まるでしょう。

 工場を見ると多くの場合、建物の面積が広過ぎます。これを適切に利用するのもまた重要な潜在力です。我々がはじめて機械をすえ付けたときには、配置の仕方がわからなくて場所を広くとりましたが、できるだけ間隔を詰めるべきです。こうすれば多くの潜在力が引き出せます。

 小さなものでも機械化し、一本の糸でも大切に使うのは労働力と資材を節約し、より多くの織物を生産するための潜在力を蓄積することになります。

 探せば探すほど、いろいろと潜在力を見出せるものです。それゆえ、潜在力がないと言う人は働くことを嫌う人であり、動揺して党の政策を実行できないという人と変わるところがありません。

 このような人は、戦後3カ年計画が示されたときにも、1957年度計画が示されたときにもぶるぶる震えました。そのような人が震えるのはいまに限ったことではなく、もともとそういう病気をもっているようです。そういう人には、震える病気を治してやるためにときおり薬を飲ませるなり、お灸をすえるなりしなければなりません。薬とは、すなわち批判であり、忍耐強い思想教育であります。

 第1次5カ年計画の第1年目に、住宅や工場を多く建設し、鉄橋も復旧しなければなりませんでしたが、これには大量の鉄材が必要でした。ところが、国家計画委員会では19万トンの銑鉄生産計画を立てていました。党中央委員会常務委員会では、19万トンでは問題が解決されないため、さらに潜在力を動員して、23万トンぐらい生産するようにと言いました。すると一部の人は、それは通常能力を超えるばかりでなく、日本人にもできなかったことだから難しいと言って尻込みしました。

 我々が日本人に比べてなにが劣っているというのでしょうか。技術のうえでは、我々より日本人の方がまさっているかも知れません。しかし、彼らは社会主義思想ではなくブルジョア思想をもっています。我々は社会主義思想を身につけています。

 日本人の過去の通常能力をしきりに持ち出していますが、これは資本主義のもとで定められたものであることを知るべきです。日本の書物を多く読む人や日本の教育を多く受けた人は、このことをはっきりと認識すべきです。いまでは日本人自身も朝鮮に来て見て、我々から学ぶべきものが多く、我々の思想が進歩したと言っているのに、どうして我々自身が日本人とばかり比較するのでしょうか。

 党は23万トンの銑鉄は生産できると認めました。労働者たちと討議した結果、彼らは23万トンではなく、25万トン生産すると決議しました。彼らは、その決議を超過遂行して27万トン生産しました。

 降仙製鋼所の分塊圧延機も、それまでは6万トンの鋼材しか生産できませんでした。しかし、労働者が愛国心を発揮して潜在力を動員した結果、同じ分塊圧延機で10余万トンも生産しました。

 これらの事実は、日本人のつくった設備の通常能力がすでに古くなったことを示しています。

 我々には、不可能なことはありません。できるかできないかは、我々の決心いかんにかかっています。

 このように、1957年度の事業をおこなう過程で我々が得た重要な教訓は、我々には潜在力がいくらでもあるということです。したがって皆さんは、もう潜在力を動員しつくしたと考えてはなりません。潜在力は1958年だけでなく、来年にもあり、再来年にもあるでしょう。皆さんが、管理・技術水準を高め、ひきつづき熱意と創意を発揮するならば、たえず新たな潜在力を見つけ出すことができます。したがって、すでに潜在力を「動員しつくした」と考えるのは正しくありません。1957年度の事業を総括しながら、我々が得たもう一つの重要な教訓は、少なからぬ支配人や省(局)、企業所の管理幹部が、労働者に比べて立ち後れているということです。

 どうして、このようなことになったのでしょうか。それは支配人やその他の管理幹部が、労働者よりも現場の実情にうといからであります。経験は、このように立ち後れた人の意見を聞くよりは、労働者のなかに入って彼らと話し合う方がはるかに有益であり、また、そこから潜在力を見つけ出すことができることを教えています。

 黄海製鉄所のある労働者は、何年ものあいだ一言も意見を出しませんでしたが、12月総会以後はじめて意見を述べました。

 彼は、増産と節約の重要な方途を数多く提案したので、人びとは彼を指して「潜在力袋」の口があいたと言ったものです。

 12月総会の決定を実行する過程で現われたこのような事実は、何を示すのでしょうか。これは、党に困難な課題が持ち出されたとき、それを勤労大衆と討議するなら、彼らは党中央委員会の意図を積極的に支持し、愛国的熱意と創造的な知恵を傾け、必ず困難を克服する方法を発見するということを示しています。

 1958年度人民経済計画を審議する閣議で各相に話したことですが、1957年度に立派な成果が達成されたのは、決定書が立派に作成されたからではなく、党中央委員会常務委員や党中央委員、副首相や相、その他すべての幹部が直接生産に従事している労働者と話し合い、彼らの創造的な意見を正しく取り入れたからであります。それまでは仕事がこのようにおこなわれませんでした。

 これは、極めて重要な教訓です。皆さんはこのことを忘れずに、1958年度にもまた、生産者である労働者と直接話し合い、創意に富む彼らの提案を積極的に受け入れるべきであります。

 労働者から新しい価値ある意見を聞き出すためには、相、管理局長、支配人らが事務室にばかり座っていずに現場の労働者のなかに入ってゆくべきであり、また新しく提起される問題に対しては、直ちにその実行対策を講じなければなりません。

 このようにすれば、1958年度の我々の事業でより大きな成果を達成することができるでしょう。

 労働者と話し合い、相談し、その集団的知恵を受け入れ、発展させるならば、ここから増産と節約の潜在力が見出されるでしょう。これは、社会主義思想を知らない人には絶対に理解できないことです。昨年、わが国の農民が300万トン以上の穀物を生産すると言ったとき、日本のある経済学者は、北朝鮮の耕地面積がどれだけあって、そんなにとれるというのか「信じられないこと」だと言ったものです。彼は、朝鮮の耕地面積とヘクタール当たり収量の基準を計算することはできても、朝鮮人民の社会主義思想については全く計算することができなかったのです。彼の誤りは、これを計算する能力がなく、これを見ることができなかったところにあります。

 皆さんも、こんにちのわが国の労働者階級が社会主義を建設する先進的な労働者階級であるということ、わが党員はすでに共産主義の最初の段階である社会主義を建設している党員であることを正しく考慮に入れないならば、大きな誤りを犯しかねません。このことをはっきりと認識し、今後ひきつづき潜在力を見つけ出すならば、さらに大きな成果をおさめることができるでしょう。

 皆さんは1958年度に、計画以外に100億円以上の軽工業商品を生産すると決議しました。私は、皆さんの決議を全面的に支持するとともに、必ず成果をおさめるものと確信します。

 100億円といえば決して少ない額ではありません。ここから得られる純益だけでも、わが国の労働者に1カ月分の賃金を支払うことができます。

 次に、軽工業部門で解決すべきいくつかの中心課題について話したいと思います。

 第1に、軽工業の最も重要な課題は、繊維原料を解決することであります。

 わが党は、第1次5カ年計画期間に、共和国北半部で社会主義の経済的基盤をさらに強化し、人民の衣食住問題を基本的に解決することを目標にしています。衣食住の問題を解決するうえでも一番重要なのは衣料の問題であります。

 織物生産は戦前に比べるとかなり伸びましたが、それでもまだ足りません。いま我々は紡織工場も、絹織物工場ももっています。しかし、いまなおこれらの工場がその能力を十分に発揮しているとは言えません。それはわが国に繊維の源泉が少ないからです。

 皆さんも知っているように、現在わが国は綿花を外国から買い入れて織物を生産しています。工業を発展させるうえで、原料を外国に依存するのは極めて不安定なことです。原料の大部分を国内で自給する基礎のうえで発展する工業であってこそ安定したものとなります。したがって、紡織工業の原料を国内で自給するよう全力を傾けなければなりません。

 そのために軽工業部門では、まず清津紡績工場を速やかに復旧、拡張してスフと人絹糸をより多く生産し、化学工業省では現在準備を進めているビナロン工場の建設を促進して化学繊維を生産しなければなりません。また、綿花と亜麻をさらに多く栽培し、養蚕業も発展させなければなりません。

 このようにして、ここ数年のうちに自力で人造繊維と化学繊維、言いかえれば、スフ、人絹糸、ビナロン、それに亜麻、綿花、まゆなどの生産の問題を解決しなければなりません。この問題か解決されなければ、人民の衣食住問題のうちで最も重要な衣料の問題が解決されません。

 したがって、こんにち、わが党が軽工業部門の活動家に最も重要な問題として提起する課題は、清津紡績工場の能力を拡大し、スフおよび人絹糸を1万5000トン〜2万トンは生産しなければならないということです。

 そして、葦やトウモロコシの茎などで人絹糸やスフを生産する条件を整えなければなりません。できれば、1万トンの生産能力をもつ工場を新義州に建設するのがよいと思います。

 こうして、第1次5カ年計画期間に、スフおよび人絹糸を2万5000〜3万トン生産しなければなりません。この問題は皆さんの努力いかんによって解決されます。

 そのためには、人民経済の各部門が援助すべきです。例えば、塩田では塩を増産して苛性ソーダの原料を十分に供給し、紡織機械工場では機械の部品をさらに多く、さらに品質のよいものを作って供給しなければなりません。パルプ工場でも積極的に援助すべきです。綿花にはできのよいときと悪いときがありますが、人造繊維や化学繊維の生産にはそうした波がありません。

 したがって、我々には、この問題を解決することが極めて重要な課題として提起されます。

 我々は、亜麻織物の生産にも深い関心を払わなければなりません。亜麻織物の生産についてはまだ経験がありませんが、豊富な経験を有するソ連人は亜麻を北国の綿花だと言っています。亜麻繊維は、品質の面でも他の繊維に劣りません。この数年間、山間部に亜麻を栽培してみましたが、その収穫も悪くありません。もし、種子を改良し、肥料をもう少し多く施し、栽培法を改善するならば、ヘクタール当たり1.5〜2トンは収穫できそうです。こうすればかなりの繊維を得ることができます。

 亜麻繊維源泉のこうした見通しから、亜麻工場を建設するのがよいと思います。しかし外貨不足の現状に照らし、工場の建設にさいしては、現在輸入を予定している綿精紡機のうち5万錘は国内で作り、その代わりに1万錘以上の亜麻紡績機を輸入する措置をとるべきだと思います。こうすれば、まず1万錘ほどの能力をもつ亜麻工場を建て、亜麻織物の生産もはじめることができます。

 いま、党では、農業部門の活動家にひ麻蚕繭と柞蚕繭を1万トン台まで生産を上げる課題を与えていますが、これも可能であると思います。そうなれば、絹紡織工場では、まゆの供給が増えるので絹織物の生産を増大させることができます。

 このようにして我々は、第1次5カ年計画期間に繊維原料の大部分を国内で自給すべきであります。これはわが国軽工業の果たすべき歴史的な課題です。5カ年計画の末に人口1人当たり17メートルの織物生産を見込んでいますが、この課題が解決されれば、20メートルにまで増やすことが可能です。

 文化が進み、豊かな暮らしをしている国に追いつくためには、少なくとも人口1人当たりの織物生産が20メートル以上に達しなければなりません。これは十分実行できることです。軽工業部門の労働者、技術者、事務員は、この課題を必ず実行しなければなりません。

 第2に、食品加工業について話したいと思います。

 食品加工業は、非常に立ち後れています。食品加工業を発展させないことには、わが国を発達した工業国に変えることができません。

 事実、工業部門には、婦人のなすべき仕事がたくさんあります。

 しかし、人口の半分を占める婦人のほとんどが台所にしばられています。婦人を台所から解放し、広く生産に引き入れようとしても、食品加工業を発展させない限りそれは不可能です。

 農産物や畜産物生産の増大も、食品加工業の発展と切り離して考えることはできません。現実が示しているように、加工業の立ち後れは農産業や畜産業の発展に少なからぬ支障を与えています。もし、食品加工業が発展していたなら、農産物や畜産物で各種の加工製品を作り、農産業や畜産業の発展をいっそう促進したであろうことは疑いありません。

 ところが現在、わが国の食品加工業はほとんど見るべきものがありません。食肉、魚類、野菜などの加工がうまくいっていないのは言うまでもなく、わが国で大量に生産されるおいしい果物も加工や保管が不十分なため、季節を外すと姿を消します。

 その他の天然資源のうちでも加工できるものはたくさんありますが、そういうものについては考えてもいません。食品加工業のこのような状態を速やかに改善し、この部門で革新を起こさなければなりません。

 食品加工業で革新を起こし、手軽で美味しく、値段の安い加工食品を豊富に供給するならば、人民生活をいっそう向上させ、工業と農業の発展にも大きく寄与することができます。そればかりでなく、これは外貨獲得のうえでも非常に重要な意義をもっています。したがって、わが党には食品加工業を短時日のうちに革新しなければならない重要な課題が提起されています。

 軽工業部門の労働者、技術者、事務員は、食品加工業の発展に大きな関心を払っている党の意図を正しく認識し、その実現のために愛国的献身性と創造的積極性を発揮しなければなりません。食品加工業で革新を起こす問題は、ひとり軽工業省だけでなく地方産業、生産協同組合、農業協同組合、水産協同組合など、すべての部門の重要な仕事とならなければなりません。

 すなわち、食品加工業を革新する事業を全人民的運動として繰り広げるべきであります。

 機械工業省では、食品加工業に必要な機械を生産、供給し、化学工業省では食品加工の化学的処理に必要な各種の薬品を生産、供給しなければなりません。

 一方、工場、企業所では、廃材の利用施設網を強化し、これを合理的に運営し、地方の実情に即した食品加工対策を講じなければなりません。

 咸興、清津、江界、沙里院、新義州その他重要な工場地帯には、適当な規模の食肉加工工場を建設すべきであります。こうすれば、豚の買付けを適時におこなうこともできるので、農民の生産意欲の低下を防ぐことができ、また農民にすれば適時に売ることができるので飼料の節約にもなります。

 現在、牧場では数万羽のあひるを飼っていますが、あひる肉の加工にも大きな関心を払うべきであります。

 3面が海にかこまれているわが国では魚がたくさん獲れます。

 これらの魚を加工すればいろいろな種類の製品をつくることができます。しかし、現在水産物の加工が後れているため、40万〜50万トンの魚を獲っても、住民に十分な供給をしていません。

 水産物の加工を改善する具体的な対策を講じなければなりません。

 わが党は、農民にトウモロコシの栽培を奨励した当時、すでにトウモロコシをひき割りにする工場の建設を予定しましたが、この問題もいまだに解決されていません。反党分派活動に奔走していた呉淇燮は、トウモロコシの加工対策を立てるようにという党の指示を実行しませんでした。そのため現在、トウモロコシを加工しているのは穀物加工工場しかありません。トウモロコシをひき割りにすれば栄養価の高い立派な食糧になります。速やかにトウモロコシの加工対策を講じなければなりません。

 わが国では、りんご、梨、ぶどう、桃、いちご、杏、すももなど、各種のおいしい果物がたくさんとれます。これらの果物を加工してジャム、かんづめ、酒などを作って売れば、人民生活の便宜をはかることができるばかりでなく、多くの外貨を獲得することができます。したがって、果物の加工に関心を払い、特にその原価を引き下げることに深い関心を払わなければなりません。

 野菜の加工は、キムチからはじめるべきです。キムチをおいしく漬けて安く売るならば、誰がわざわざ大きなかめを持ち運び、苦労しながらキムチを漬けるでしょうか。しかし、いまなおキムチ工場では、その需要を量的にも満たしていませんが、何よりも漬け方がまずいので、めいめい自分の家でキムチを漬けています。大根の切りぼし、トウガラシの葉、えごまの葉などをおいしく加工し、みそやトウガラシミソも、もっとおいしく、もっと多くつくって売るようにしなければなりません。こうすれば、生活が非常に簡便になり、アパート生活にも適します。

清涼飲料の生産にも関心を払うべきです。何よりもまず、サイダー、ビール、鉱泉水、炭酸水などをたくさん生産しなければなりません。これと関連して、特にガラスびんの原価を引き下げるために努力しなければなりません。このほかにも、食品加工業部門では開拓すべき事業がたくさんあります。こうして、加工食品を多く供給するようにしなければなりません。

食品加工業で革新を起こすことは、こんにち軽工業部門の労働者、技術者、事務員の焦眉の重要課題であります。

第3に、日用必需品の品目を増やすことが重要であります。

 こんにち、日常生活に使われる日用必需品をすべて生産しているかと言えば、そうでありません。皆さんが使っている万年筆やシャープ・ペンシルのようなものも満足につくっていません。

 こんにち、わが国で生産される日用必需品は、その品目が少ないばかりでなく品質の面でも劣っています。

 先ごろ内閣では、日用必需品の品目の増加について決定を採択しましたが、その決定は行方知れずになっています。誰もそれを徹底的に実行しようとしておらず、どこの党組織でもそれを会議でとりあげた例がありません。私の考えでは、今度、皆さんはこの決定を実行する対策を討議すべきだと思います。

 いま、子供たちには玩具が十分でありません。つくられた玩具を見ても不細工なものです。こういうものは、朝鮮人の好みに合いません。子供たちはきれいで精巧な玩具を欲しがり、不細工で重い玩具は欲しがりません。これを解決するのは別に難しいことでもありません。問題は難しいからではなく、作ろうとしないところにあります。簡単に玩具工場も建て、玩具職場も作ることができ、努力さえすれば、見栄えのよい玩具を大量に生産することができるはずです。

 また、陶磁器やガラスの器類も作れるし、その他合成樹脂製のいろいろな家庭用品もいくらでも作ることができます。

 最近、内閣では委員会を設けて日用必需品の種類がどれだけあるかを調べて見たところ、2万余種しかありませんでした。これでは足りません。さらに増やさなければなりません。皆さんは、日用必需品の品目を増やすためにさらに研究すべきです。

 玩具、文房具、運動具の品目を増やすとともに、労働者、事務員が家庭生活や休養生活、またはその他のあらゆる生活で必要とする品目を調べて、それを解決しなければなりません。

 以前、我々には衣食が不足気味でしたが、こんにちではこの問題は基本的に解決されました。しかし、さらに豊かに暮らすためには衣食だけでは不十分です。それに相応した多くの日用品が必要です。したがって、日用必需品の品目を増やすために積極的に努力しなければなりません。

 次に重要なのは、製品の品質を高める問題であります。そのためには、厳密な規格制度を確立して検査制度を強化すべきであり、規格に合わない製品を出さないようにするためにたたかわなければなりません。

 製品の品質を高めるには、製品の見栄えについても注意を向けるべきです。軽工業製品は美しくなければなりません。特に、食品は見た目にも美味しそうでなければなりません。そうあってこそ人の食欲をそそります。したがって、食品は見た目にもおいしそうに、日用品は美しくて念入りにつくることが大切です。これもみな製品の品質を高めることに属します。

 これと関連して重要な問題は、食品生産の文化的・衛生的条件を改善することです。食品工場とそこで働く人自体が常に清潔で、文化的で、衛生的でなければなりません。そうすれば、いっそう清潔で美味しい食品が生産されるでしょう。食品では、衛生的条件を保つことが、その品質を保証する重要な条件となります。

 次に、塩の生産について述べましょう。農業で成果があがっているというのに、塩だからとうまくいかないはずはありません。重要なのは、塩田でヘクタール当たりの生産高を高めることです。塩田でも集約的な生産方法を効果的に導入し、ヘクタール当たり150トンの生産をあげる運動を繰り広げなければなりません。

 3面が海にかこまれているわが国が外国に塩を求めるということは、実に恥ずべきことです。塩といえば、当然海に面している国が外国に輸出すべきですが、我々は外国から輸入したことさえあります。皆さんは、人民生活に必要であるばかりでなく、化学工業の発展にとってもその重要な原料となる塩を増産することが非常に重要な問題であることを労働者に認識させ、すべての労働者がヘクタール当たりの生産高を高めるために積極的にたたかうようにしなければなりません。

 外貨獲得の源泉の一つである朝鮮人参をより多く栽培し、その加工も改善しなければなりません。

 また、買付け活動を改善しなければなりません。葉たばこ、原皮、まゆ、油脂作物、綿花など軽工業と関連のある農産物の買付けは、現在すべて軽工業省に移管されています。

 買付けでは二つの基本原則を守らなければなりません。その一つは、農民に損をさせないで利益を与え、彼らの生産意欲を高めることです。いま一つは、国家が買い上げて加工しても欠損をもたらさない程度に買付け価格を定めることです。買い上げた原料が使えないものであったり、高く買い上げたために加工品の原価が高くついたりして、結局、国家に損害を与えるような買付けをおこなってはなりません。

 かつて、食肉買付けのときにこの原則を守らなかったため一時は食肉の値段が高くて売れなくなり、やむをえず国家が2億円近くも損をして売りました。買付けは機敏に農民から適時に買い上げ、適時に運搬できるように仕事の手配を手際よくおこない、農民が持っている買付け源泉を積極的に探し出すべきです。

 また、買い上げた品物の保管、管理を改善しなければなりません。

 1957年度計画の実行を総括し、1958年度の課題を示しながら、わが党がかかげた重要なスローガンは節約であります。「節約し増産しよう!」という党のスローガンを実行するたたかいを強力に展開しなければなりません。原料と資材、労働力をできるだけ節約し、不合格品を出さず、設備の利用度を高めて生産面積を効果的に利用するなど、節約と増産の潜在力をすべて動員し利用する活動を広範にくりひろげるべきです。

 軽工業部門の活動家に提起される最も重要な問題の一つは、技術水準を高めることです。我々に足りないのは熱意ではなく技術であります。熱意はあっても技術が足りないため、できないことが少なくありません。それゆえ、技術水準を高める問題は非常に重要です。各部門で、これまで作れなかった品目をより多く作り、製品の品質を向上させるためには技術が必要です。また、生産性の向上のためにも技術がなければなりません。

 どこでも必要なのは技術です。

 特にわが国は、過去日本帝国主義の植民地支配下にあったため技術水準が非常に立ち後れています。したがって、我々は技術を学ばなければなりません。技術はどの国のものでも、我々のものよりすぐれているのはすべて受け入れるべきです。

 技術水準を高める問題を重要な課題として提起し、講習会や実習などを正しく組織し、通信講座と技術専門学校の事業を改善しなければなりません。

 わが党は、労働者階級に対する社会主義教育の強化を重要な課題としてうちだしています。わが国はいまなお二つに分断されており、長いあいだ敵と対峙しているため、社会主義教育はいっそう重要であります。敵は我々が社会主義建設でより大きな勝利をかちとればかちとるほど、これを破壊し、我々の制度をくつがえす陰謀をいっそう悪らつに強行しています。

 社会主義教育が重要な問題として提起されるいま一つの理由は、解放後、特に停戦直後に労働者階級の隊列が急速に増えたので、彼らの階級意識がまだ低いということにあります。

 解放前に20万人であった労働者、事務員の数が、解放後の1949年には約60万人に、いまでは100万人以上に増えています。このように急速に増大する過程で、労働者階級の隊列のなかには、小ブルジョア思想の影響を克服していない農民や都市の小商人、手工業者たちが多く入ってきました。したがって、彼らがその古い思想・意識を捨てて労働者階級の思想を身につけるように教育する問題が重要であります。

 労働者に対する社会主義教育を正しくおこなうためには、工場内の党組織が活動を立派におこなって、党員の党性を鍛え、政治理論水準を高めなければなりません。また、党員が党生活の規範に違反することなく党規約を厳格に守り、自由主義、地方主義、家族主義、セクト主義など、党を分裂させる誤った傾向とは強くたたかい、特に小ブルジョア的傾向との闘争を強めるようにしなければなりません。

 次には、管理幹部の指導活動を強化することが重要であります。

 いま多くの支配人は、労働者に比べて生産に対する熱意が足りません。もちろん、これは、彼らが党の政策に反対しているからではありません。問題は多くの管理幹部が下部の実情にうとく、技術を知らないところにあります。一部の管理幹部は、自分の狭い主観から、高い生産課題は遂行できないと考えていますが、労働者は自分たちの力をよく知っており、高い生産課題も立派に遂行しています。これだけでも管理幹部は労働者より立ち後れていることがわかります。管理幹部は、技術面やその他あらゆる面で立ち後れてはなりません。

 工場の支配人は、軍隊の指揮官と同じです。指揮官自身が戦闘の仕方を知らなければ、軍人を指揮して戦場にのぞむことはできません。指揮官なら大砲をうつこともできれば、銃のうち方も誰よりも上手で、戦術もぬきんでており、体も丈夫で動作も敏捷でなければなりません。それでこそ指揮官としての役割を十分に果たすことができるのです。

 支配人にしても同じことが言えます。紡織工場の支配人ならば、自分の工場の機械については誰よりもよく知り、その扱い方にも精通していなければならず、もし扱い方を知らないならしっかり勉強すべきです。機械に故障が起きれば、その原因が発見できるようでなければなりません。

 支配人は、通りすがりの客人のようにふるまったり、かばんをさげて歩きまわる人になってはなりません。そのような状態では、1年が過ぎ、2年がたって労働者も、技術者も、すべてが成長するのに、支配人は落伍者になってしまうでしょう。いま我々の隊伍は力強く前進しているのに、落伍者はしんがりで足をひきずって歩いているうちに、最後には廃物となってしまうでしょう。

 したがって、支配人は、実務能力を高めて工場内にある機械の性能に精通し、簿記計算、原価など、工場運営のすべての問題を検討できるようにならなければなりません。これができない支配人は、こんにち我々の時代には使い道のない立ち後れた人であります。支配人は自分が後れをとらないようによく学び、有能な支配人にならなければなりません。

 これは難しいことではありません。6カ月ぐらい、一生懸命に習えばできることです。労働者が機械を動かしているのに、支配人が機械を動かせないでどうしますか。ある労働者は1人で紡織機57台を動かしていると言いましたが、支配人は57台はともかく、1台の扱い方でも知らなければなりません。それだけでも、おおよその技術工程はのみ込めるようになるでしょう。支配人はこれらすべてのことを知っていてこそ、仕事を正しく指導することができるし、何か問題が生じても慌てず、労働者がどのような問題を提起してもそれを解明し、解決することができるでしょう。

 工場の党活動家の場合もやはりそうです。一部の工場の党委員長は、党活動を受け持っているから工場の管理運営については知らなくてもかまわないといった考え方をしています。しかし、工場の党委員長が労働者の悩みを知り、彼らの困難な問題を解決し援助して、生産意欲を高めさせるためには、直接工場の事情を十分に把握し、労働者の生活を知らなければなりません。

 そのためには、いつも現場に出ていくべきであり、機械の動かし方も知っていなければなりません。会議に参加することだけが党委員長の仕事ではありません。ときには労働者とともに働き、労働者の隘路はなにか、彼らにどういう問題を解決してやるべきかを理解してこそ、実情に即した党活動の指導ができます。

 会議を開いたり、事務室に座ってサインをしたりするだけの工場の幹部は、発展するわが国の工業を指導することはできません。したがって、支配人であれ工場の党活動家であれ、すべての幹部が熱心に学ばなければなりません。

 皆さん!

 我々は今年、第1次5カ年計画を討議することになります。5カ年計画は、間もなく招集される党代表者会議で討議したのち最高人民会議で通過すれば発表されるでしょう。

 第1次5カ年計画を完遂するためには、すでにおさめた成果に自己満足することなく、力強い生産闘争を展開しなければなりません。

 我々にとって一番危険なのは、1957年度にかちとった勝利に自己満足し、大きな闘争なしにもすべてが順調にいくだろうと考えることです。こうした自己満足に陥ることなく、勤勉に働き、多くの潜在力を見つけだし、節約し増産することによって1958年度計画、ひいては5カ年計画を完遂しなければなりません。

 5カ年計画を完遂すれば北半部の社会主義力量は成長し、それは祖国統一のための最も重要な保障となります。

 祖国の統一は必ず達成されるでありましょう。アメリカ帝国主義者と李承晩一味がこれを妨げるためいかに狂奔しようとも、彼らの企みは破綻を免れないでしょう。

 アメリカ帝国主義の植民地支配の結果、南朝鮮の工業は没落の一途をたどっており、南朝鮮には経済を立ち直らせるだけの条件が備わっていません。石炭もなければ、セメントもありません。建物を建てるためには鉄材が必要ですが、製鉄所もなく、電力もありません。あるものと言えばいくつかの紡織工場だけですが、それも、いまはほとんど破壊されています。民族経済は破綻し、民族資本家は没落しました。

 南朝鮮は北半部よりも耕地が多く、水田は倍以上にもなりますが、農業は荒廃し農民は飢餓線上をさまよっています。

 詐欺と恐喝と盗人の横行している腐敗した南朝鮮の政治は、蒋介石のそうした政治が滅んだように、結局は滅亡することでしょう。

 しかし、共和国北半部には、着る物、食べる物が豊富にあり、より立派に生活できる見通しがはっきりついています。

 我々はいま、ひきつづき水田を作り、潅漑施設を拡大していますが、60万ヘクタールの水田からヘクタール当たり5トンの収穫をあげるとすれば、約300万トンの米を生産することになります。こうなれば、北半部の人民は誰もが白米を常食にし、トウモロコシは飼料にして食肉にかえて食べることができます。

 以前、朝鮮の農村では、農民が果樹園でも持ち、瓦ぶきの家に住んで白米の飯に肉のスープを食べれば金持だと言ったものです。これは近い将来、わが国の農村で実現されるでありましょう。

 労働者たちの展望も大きく開かれています。皆さんが努力すれば、第1次5カ年計画の終わりには人口1人当たり20メートルの織物がゆきわたり、住宅問題も基本的に解決されるでしょう。

 このような状況のもとで南北間の往来が実現すれば、共和国北半部の社会主義の優位性を知った南朝鮮の人民は、ひとしく我々を支持するはずであり、李承晩を支持しないであろうことは明らかです。

 したがって、5カ年計画の実行をめざすたたかいは、祖国の統一を早めるたたかいであります。

 北半部における社会主義建設のために、祖国の平和的統一のために、党中央委員会と共和国政府のまわりに鉄のようにかたく団結して、第1次5カ年計画を勝利のうちに完遂するための生産闘争に立ち上がりましょう。
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』12巻 

ページのトップ


inserted by FC2 system