金 日 成

偉大な10月の思想は勝利している
10月社会主義大革命40周年に際して発表した論文 
1957年10月22日

 共産主義への人類の明るい前途をはじめて切り開いた10月社会主義大革命が勝利してから40年が過ぎた。歴史のうえでは、比較的短いこの期間に、地球上では未曾有の革命的変革と社会的進歩がなし遂げられた。

 朝鮮人民の現代史は、10月の影響による革命的な世界史的事件と直接結びついている。朝鮮人民は10月の道にそって、世界プロレタリア革命闘争の巨大な潮流に自己の闘争を合流させることによってはじめて、自由と解放の道を見出すことができた。

 周知のように朝鮮は20世紀の初期、封建社会の枠からぬけだせないまま、日本帝国主義者に占領された。

 当時、労働者階級はまだ発生初期にあり、革命の基本勢力であった農民大衆は、解放闘争の指導者をもたなかった。

 10月革命の勝利は、暗たんたる状態にあった朝鮮人民に解放の曙光を照らし、闘争と勝利の道を示した。

 10月革命の勝利は、日本帝国主義の耐えがたい民族的抑圧と搾取に反対して闘う朝鮮人民を励まし、1919年には全民族的な反日3.1蜂起に立ち上がらせた。3.1蜂起を契機としてブルジョア民族運動の時期は終わりを告げ、マルクス・レーニン主義の旗のもとに労働者階級を先頭とする朝鮮人民の民族解放闘争は新たな段階を迎えた。

 日本帝国主義の過酷な弾圧にもかかわらず、マルクス・レーニン主義思想は朝鮮各地に伝播し、労働者、農民、先進的インテリの階級意識を覚醒させた。

 若い朝鮮の労働者階級は、大衆の反日運動を民族改良主義の影響から引き離し、愛国的反帝勢力を自己のまわりに結集して、朝鮮人民の民族解放運動を指導するようになった。

 労働運動のたかまりを背景に、1925年に創立された朝鮮共産党は日本帝国主義の過酷な弾圧と分派分子の策動によって解散を余儀なくされた。

 しかし共産主義者の指導のもとに、元山埠頭労働者のゼネスト、新興炭鉱や平壌ゴム工場労働者のストライキをはじめ、全国各地の農民組合事件、光州学生事件など労働者、農民、学生の大衆的反日闘争があいついで起こり、朝鮮人民の革命勢力は日増しに拡大強化された。

 1930年代に入って、日本帝国主義者のファッショ的弾圧が強化され、あらゆる合法活動の可能性が奪われた状況のもとで、盛り上がった大衆の革命闘争は不可避的に積極的な抗争の形をとるようになり、国内各地で反日暴動が起こりはじめた。

 朝鮮共産主義者は、国内革命運動の経験と運動の過程における大衆の新たな闘争形態を一般化し、分散した勢力を結集して、積極的な抗日武装闘争を展開し、民族解放運動をさらに高い段階に発展させた。

 抗日武装闘争は、民族改良主義の反動的影響を一掃しつつ、広範な勤労大衆のあいだに深く根をおろし、社会的解放をめざす彼らの政治的・経済的闘争と密接に結びついて進められた。この闘争過程で、共産主義者の指導のもとに、労働者階級を中核とする広範な反日民族統一戦線が結成された。朝鮮人民の反日民族解放闘争は、成長する国際労働運動と全世界人民の反ファッショ戦線に依拠したものであり、朝鮮の共産主義者と抗日遊撃隊員は兄弟的中国人民の抗日武装部隊と協力して共通の敵、日本帝国主義に抗する長期の闘争を展開した。

 朝鮮の真の愛国者は、日本帝国主義支配の最も暗たんとした時期にも、ソ連の威力の強化に励まされ、社会主義ソ連を希望の灯台として不屈の闘争をくりひろげた。

 日本帝国主義の敗北と朝鮮の解放は、朝鮮の歴史に新紀元を画した。朝鮮人民には、民族の独立と民主的発展の明るい道が開かれた。

 日本帝国主義支配から解放された朝鮮の労働者階級とすべての勤労者は、わが党の指導のもとに人民政権を樹立し、歴史的な民主改革を遂行して、朝鮮を長年のあいだ後進性と暗黒に追い込んだ社会経済的根源を短時日のうちに一掃した。

 朝鮮は、立ち後れた植民地半封建社会から人民民主主義社会となり、しだいに社会主義に移行する過渡期を迎えた。

 しかし、こうした歴史的な革命的転換は、北朝鮮においてのみ可能であった。

 南朝鮮を占領したアメリカ帝国主義侵略勢力は、全朝鮮人民から排撃された地主、買弁資本家、民族反逆者と結託して、解放された朝鮮人民を敵にまわした。こうして、南北朝鮮には全く異なる情勢が生まれ、朝鮮革命は困難な道を歩むようになった。

 朝鮮労働党は、成長する国際革命勢力に依拠しつつ、朝鮮人民みずからの革命勢力を準備し強めるために、北朝鮮の民主基地を各方面から強化する路線を提起した。北朝鮮における民主基地の強化は、人民民主主義革命をいっそう発展させ、祖国の統一を実現する保証である。

 アメリカ帝国主義と李承晩一味によって強いられた3年間の戦争は、朝鮮人民の平和な労働を中断させ、筆舌につくしがたい苦痛をもたらした。しかし、朝鮮人民は戦争の厳しい試練を勇敢に克服した。

 朝鮮戦争は、権力を掌握し強力な社会主義陣営に支持される人民が、マルクス・レーニン主義党の指導のもとに自由と独立をかちとるために決起するならば、いかなる力も彼らを征服できないことを示した。

 民主改革の遂行後、我々には民主基地を強化するための社会主義経済建設が重要な課題として提起された。

 国家管理と経済建設の経験や資質をそなえた民族幹部をもたず、立ち後れた植民地的工業を引き継いだわが国の実情で、社会主義を建設するのは容易なことではなかった。しかし、史上はじめて社会主義建設の道を開拓したソ連人民の貴重な経験は、朝鮮人民にあらゆる難関を乗り越え、社会主義を成功裏に建設する力を与えた。

 工業の復興建設におけるわが党の基本方向は、工業の植民地的跛行性と技術的立ち後れを取り除き、漸次、自立的な社会主義的工業を創設することであった。

 戦後、我々には破壊された人民経済の物質的・技術的基盤を急速に復興発展させると同時に、戦争のために疲弊した人民生活を急速に向上させるべき困難な課題が提起された。この課題の遂行のために、党は重工業の優先的成長を保障しながら、同時に軽工業と農業を発展させることを戦後の人民経済復興発展の基本路線として規定した。

 戦後3か年計画期間に、工業総生産高は2.8倍に伸び、そのうち生産手段生産は4倍に、消費財生産は2.1倍に増大した。

 社会主義的工業の発展と同時に、農業分野でも大きな社会主義的変革が起こっている。現在、北朝鮮の総農家戸数の90%以上が農業協同組合に加入し、農業協同組合総数の98%が労働力によってのみ分配をおこなう高い形態の協同経営に属している。わが党は、農業協同化運動の指導において自発性の原則を厳守し、具体的条件を十分に考慮して協同経営の形態と規模を正しく規定し、農民の熱意に依拠して農業協同化運動を積極的におし進めた。

 わが国の農業協同組合は創立後極めて日が浅く経験も足りず、まだ近代技術で装備されていない。それにもかかわらず、我々の経験は、個人農が所有していた生産手段の単純な統合や共同労働にもとづく協同経営であっても、個別的な小所有者には不可能な経営上の改善をもたらしうると、いうレーニンの命題の正しさを実証した。

 農業協同化の勝利は、農業の技術的改造と農業生産力のより高い発展の前提条件を整えた。

 このように戦後の復興期に人民経済の物質的・技術的基盤が強化され、都市と農村で社会主義的生産関係が決定的に勝利し、社会主義は朝鮮人民の生活に根づくようになった。

 朝鮮労働党第3回大会で基本方向が示された第1次5か年計画の遂行は、社会主義の経済的基盤を強化し、人民の衣食住問題を基本的に解決するであろう。

 こんにち、勤労者は高度の政治的熱意と勤労闘争によって、5か年計画の初年度の課題を成功裏に遂行している。

 朝鮮の政治的・経済的変革は、文化革命と並行して進められている。数世紀におよぶ封建的支配と日本帝国主義の悪辣な植民地的抑圧は、朝鮮人民の精神生活に有害な影響を及ぼした。

 わが党は、勤労者のあいだで封建思想と日本帝国主義思想の影響を一掃し、南朝鮮を支配しているアメリカ帝国主義の反動的ブルジョア思想の浸透に反対し、勤労大衆を新しい社会主義建設者として教育するために、マルクス・レーニン主義の教育を粘り強くおこなってきた。

 朝鮮の勤労者は、新生活建設のあらゆる実践闘争を通じて、マルクス・レーニン主義学説の偉大な生命力と真理を体得し、その過程で自己の意識をたえず社会主義的に改造している。

 マルクス・レーニン主義は、朝鮮で支配的な思想となり、なんぴとも奪うことのできない人民の最も強力な精神的武器となった。これは我々の重要な成果である。

 わが党は、人民民主主義国家制度を強化し、人民民主主義独裁の機能をたえず強めることによって、共和国北半部で社会主義建設を成功裏に保障することができた。

 祖国が南北に分断されたために、共和国北半部における社会主義建設は複雑で厳しい階級闘争を伴っている。それゆえ、敵対分子は徹底的に鎮圧し、動揺分子は不断の教育と説得の方法で獲得し、全人民の団結を強化して、敵に足場をつくるすきを与えないことが大切である。

 朝鮮人民のすべての闘争は、朝鮮労働党によって指導されている。

 朝鮮が南北に分断された状況下にあって、わが党は北朝鮮で新社会の建設を指導し、内外の反動勢力と対峙して大衆を革命と建設に参加させる困難な革命課題を遂行しなければならず、その過程で党を拡大強化し、党の組織的・思想的基礎をかためる活動を同時におし進めなければならなかった。

 党はレーニン的党建設の原則に立脚して、まず労働者階級のあいだに深く根をおろし、労働者出身で党勢をたえず拡大し、そのなかから党幹部を系統的に育成して党の中核を整えた。これにもとづいて、農民、勤労インテリをはじめ、勤労者のなかからすぐれた人を積極的に入党させ、党の訓練と教育を強化することにより、わが党は勤労大衆の前衛として朝鮮で最も強力な政党に発展した。

 勤労大衆の分裂をはかる敵の絶え間ない策動は、わが党のこうした大衆的政党への発展を求め、また解放後におけるわが国の有利な革命情勢と共産主義者の強固な指導的中核の存在は、この課題の遂行を可能にした。

 党は隊列の量的成長とともに質的強化を最も重要な課題とし、その実現のため党員のマルクス・レーニン主義教育を強化し党性を鍛えて、積極的で自覚的な革命家に教育するために常に特別の関心を払った。

 わが党の歴史は浅いが、歩んできた道は平たんなものではなかった。わが党は、党の切崩しをねらう内外の敵対分子の破壊活動を粉砕し、党の正しい路線に反対する左右の日和見主義的偏向を克服し、党の統一を破壊しようとする分派分子との非妥協的な闘争のなかで強化され、鍛練された。

 わが党は、困難な革命課題を遂行する過程で人民大衆の絶大な支持と信頼を獲得した。党と人民の不抜の統一、これは、これまでと同様、今後も我々のあらゆる勝利の保証となるであろう。

 解放後、政治・経済・文化建設の各分野で朝鮮人民がおさめた大きな成果は、ソ連、中華人民共和国をはじめ、社会主義諸国の積極的な支援をぬきにしては考えることができない。

 朝鮮人民が難関に遭遇するたびに、ソ連人民と社会主義陣営諸国人民は、精神的支持と私心のない経済・技術援助を寄せた。社会主義諸国との国際主義的団結と協力は、朝鮮人民の民族独立の強力な裏付けとなったばかりでなく、朝鮮における社会主義建設と社会の発展を促し、朝鮮革命の勝利的前進を保障する重要な要因となった。

 朝鮮人民は、プロレタリア国際主義の威力をみずからの体験を通じて深く体得した。人民大衆の生活上の体験から生まれた信念はくじくことができない。共産主義思想に対する帝国主義者のいかなる中傷も、社会主義陣営の分裂をはかる策動も、朝鮮人民をプロレタリア国際主義の原則から逸脱させることはできない。

 朝鮮人民は、この原則をあくまで忠実に守るであろう。

 解放後12年が過ぎたが、南朝鮮は依然としてアメリカ軍の占領下にある。

 アメリカ帝国主義者の侵略政策と李承晩一味の反動支配は、南朝鮮人民に耐えがたい苦痛を与えている。彼らに対する人民大衆の憎悪と不満は日増しにつのっており、反動支配の基盤はぐらついている。

 南朝鮮の支配層は、軍事化とファッショ的警察テロ支配を強化し、南北間の緊張を故意に激化させて、みずからの破産と目前に迫った破局から免れようとやっきになっている。こうした策動が、彼らを滅亡から救い出せないばかりか、さらに深刻な危機に追い込んでいることは明らかである。

 共和国北半部における社会主義建設の成果は、南半部人民の革命闘争を励ます最も強力な推進力である。

 祖国の平和的統一に関するわが党の方案は、南半部の労働者、農民、学生、インテリをはじめ、民族的良心をもつすべての人々をいっそう覚醒させ、侵略勢力と国内反動勢力に反対する救国闘争へと彼らを鼓舞している。

 祖国の平和的統一と社会主義をめざす朝鮮人民の革命勢力は日を追って成長している。南北朝鮮人民の団結した力によって、アメリカ帝国主義と李承晩一味の支配は崩壊し、祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民の闘いは必ず勝利するであろう。


※     ※     ※


 10月の思想は、朝鮮で勝利し開花している。

 10月の思想は立ち後れた朝鮮を幸福な社会主義国に、かつて植民地的奴隷の境涯にあった朝鮮人民を社会主義建設の勝利者に変えるうえで、強力な精神的武器となった。

 レーニンは、10月革命の基本的特徴は必ず国際舞台で再現し、「ロシアの模範は、すべての国に、それらの国の不可避的な、そして近い将来における極めて本質的な何ものかを示す」と強調した。レーニンのこの予言は、植民地支配から脱した朝鮮でも実際に具現された。

 それぞれの国における社会主義建設のさまざまな形態は、10月の思想と社会主義革命の経験を豊かにしている。しかし、社会主義建設をめざすいかなる国、いかなる党も10月が切り開いた社会主義革命の大路から後退しないであろう。

 朝鮮人民は今後も、偉大な10月の旗、レーニンの旗を高くかかげ、社会主義陣営諸国人民との兄弟的親善のきずなを強くし、社会主義の偉業を守り通すであろう。
                                                
出典:『金日成著作集』11巻


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