金日成「朝鮮労働党第3回大会でおこなった中央委員会の活動報告」

3 党


 1 党の強化のための闘争

 同志のみなさん!

 これまで我が党と朝鮮人民がかちとったすべての歴史的勝利は、我が党の政策がマルクス・レーニン主義の原則に依拠し、党がその政策を実現するために正しい組織・政治活動をおこなった結果であります。

 こんにち、国家活動のすべての分野において我が党の指導的役割はかつてなく高まり、党と人民大衆との結びつきはいっそう強化されました。これは、朝鮮人民の自由と幸福をめざす闘争で我が党が今後もひきつづき勝利をおさめうる決定的な保障となります。

 第2回党大会以後こんにちにいたるまで、我が党はマルクス・レーニン主義の大衆的政党としていっそう発展しました。

 朝鮮労働党は、1956年1月1日現在、その隊列に116万4945名の党員を擁しており、5万8259の細胞(分細胞)をもっています。これは、3年間の祖国解放戦争で多くの党員が犠牲になったにもかかわらず、第2回党大会当時より43万9183名の党員と2万8496の細胞(分細胞)が増えたことになります。

 こんにち、共和国北半部には、どの職場、どの農村をとわず、我が党の力量が配置されていないところはなく、我が党員と党組織はどこでも常に大衆を教育し、かれらを我が党政策の実現へと組織し動員しています。

 報告期間、党隊列は量的に成長したばかりか、質的にも強化されました。

 党は、マルクス・レーニン主義の思想と組織原則を創造的に適用し、抗日革命闘争の栄ある伝統を受け継ぎ、抗日革命闘士を根幹として隊列の統一と団結をかためました。こうして我が党は、こんにち、全党が中央委員会のまわりにいつにもましてかたく結集し、広範な大衆のなかに深く根をおろした不敗の戦闘部隊として、この大会にのぞんでいます。

 しかしこの勝利は、決して順境のなかで容易におさめられたものではありません。党は、我々の革命運動を阻もうとする内外の階級敵を退けることによってのみ前進し、すべての勝利をおさめることができました。

 私は、我が党建設の特殊性と関連して、解放前から我が党の歩んできた道程を簡単に概括して見る必要があると思います。

 周知のように、1925年に創立された朝鮮共産党は、十月社会主義大革命の影響のもとに急速に成長し発展する我が国の労働運動に一定の影響を及ぼしました。

 しかし、当時、党内における反マルクス主義的な派閥争いと日本帝国主義の過酷な弾圧によって、党はその隊列をひきつづき保存できず、ついに1928年、組織された力量としての存在を終えるにいたりました。

 しかし、革命に忠実なマルクス・レーニン主義者は、あらゆる困難と障害を勇敢に克服し、朝鮮人民に提起された反帝反封建的革命課題を遂行し、党を再建するためにねばりづよくたたかってきました。

 1930年代に入り、朝鮮人民の抗日革命闘争はさらに高い段階へ発展しました。

 第1次世界大戦後、資本主義諸国では、若干の経済的成長がみられましたが、これらの国では1929年を境に相対的安定期に終わりを告げ、再び深刻な経済恐慌に見舞われるようになりました。

 この時期に、社会主義強国ソ連は、飛躍的な成長と発展を遂げはじめ、これに励まされて国際労働運動と植民地・従属諸国人民の民族解放闘争は急激に高揚しました。

 深刻化する資本主義の全般的危機に直面した世界の資本主義諸国は、戦争準備とファッショ制度の強化にその活路を求め、日本帝国主義は朝鮮にたいする植民地的弾圧と搾取をさらに強めました。

 このような情勢のもとで、朝鮮人民の革命的気勢は高まり、反日運動は大衆的な闘争に発展し、積極的な武装闘争へと移行しました。

 朝鮮の共産主義者は、当時の革命情勢を正しく把握し、それたもとづいて武装闘争を大衆の政治・経済闘争と密接に結びつけ、労農同盟を基礎にした広範な反日統一戦線を形成して革命の大衆的基盤をきずきました。

 このように、共産主義者の指導した朝鮮人民の抗日革命闘争は、将来、朝鮮におけるマルクス・レーニン主義的党創立の組織的・思想的準備をととのえ、朝鮮革命運動の輝かしい伝統をきずきあげました。

 しかし我々は、みずからの統一的党をもたないまま解放を迎えました。

 解放後、朝鮮労働者階級の革命的気勢は高度に高まり、労働者階級の頼もしいマルクス・レーニン主義的党創立の可能性が生まれました。

 そうして、我々には、反帝反封建民主主義革命をひきつづき力強くおし進め、我が国に新しい人民民主主義制度を打ち立てるため、分散していた労働者階級の隊列を統一し、そのまわりに広範な革命的民主勢力を結集すべき課題が提起されました。

 それゆえ我々は、1945年10月、北朝鮮に北朝鮮共産党中央組織委員会を結成することになりました。この時から我が党は、統一的で健全なマルクス・レーニン主義的党として発展しはじめました。

 北朝鮮共産党中央組織委員会は、内外情勢をマルクス・レーニン主義的に分析し、反帝反封建的民主主義革命を完遂する当面の課題をうちだしました。

 アメリカ帝国主義侵略軍の南朝鮮占領によってつくりだされた情勢に対処して、党は北半部に強力な民主基地を創設し、それを根拠地として帝国主義侵略勢力に反対し、祖国統一の大業をなし遂げ、民主主義的統一政府を樹立するために、各階層の広範な民主勢力を動員し、団結させるための民族統一戦線を結成しました。

 党組織と堅実な愛国者は、北朝鮮共産党中央組織委員会がうちだした統一戦線方針を正しく認識し、それに依拠してたたかいました。

 かれらは、アメリカ帝国主義者の「援助」を受けて独立をえようとする右翼日和見主義分子と、我が党の統一戦線方針に反対し、共産党を大衆から孤立させようとする極左日和見主義的偏向と断固たたかいました。こうして党は、広範な大衆団体を組織し、進歩的友党との団結を強め、広範な統一戦線にもとづいて北朝鮮人民委員会を組織しました。

 その後、革命発展の要請に従い、共産党と新民党を合同し、大衆的政党である労働党を組織して、分散した革命勢力を一つに結集しました。

 党のとったこのような戦略的・戦術的措置は、朝鮮革命の発展にとって最も正しいものでした。

 党は、人民の創意によって創建された人民政権を革命の強力な武器として活用し、まず北半部地域で反帝反封建的民主主義革命の課題をなし遂げ、祖国統一の現実的な保障である革命的民主基地を創設しました。党の正しい指導のもとに北半部の人民は、みずからの生活を速やかに向上させ、人民政権の主人として自由で幸せな生活をきずく道に入りました。

 これらすべてのことは、南半部人民の革命的熱意をもりたて、かれらを力強く励ましました。

 革命的民主基地を強化するための平和的建設の時期に、党は党員をマルクス・レーニン主義思想で教育し、実際の闘争を通じて党の路線と政策の正しさを体得させ、党の路線と政策から離脱したあらゆる不純な傾向とたたかうようにしました。このような闘争の過程で、党は自己の政治的指導水準と組織的機能をたえず高め、党員の党性もいっそう鍛えました。

 平和的建設の時期に、党の組織的・思想的強化のための闘争を通じて蓄積された力量は、敵の侵攻に反対する祖国解放戦争で我々の勝利を保障する確固たる裏付けとなりました。

 3年間の厳しい祖国解放戦争は、我が党隊列の統一と強固さを点検する試練の時期でした。

 世界「最強」を誇るアメリカ帝国主義者は、絶対的な数量および技術上の優位を頼りに、朝鮮人民を征服しようと狂奔しました。そればかりでなく、敵は、共和国北半部に多くのスパイを送り込み、はては我が党の内部にまでその手先を潜入させ、後方で混乱と動揺をおこし、内と外から我々を攻撃しようとしました。

 しかし党は、これに驚いたり、落胆したりしませんでした。党は、困難と危険に直面するたびに、いっそう奮発し、全党は党中央委員会のまわりにかたく団結し、最後の勝利をめざして力強く前進しました。

 党は、内部の敵を一掃するたたかいでも、いつにもまして果敢かつ非妥協的でありました。党は、党内にもぐりこんで戦争の困難な時期に党を弱体化させようと企んだアメリカ帝国主義の雇用スパイ一味と投降主義分子を暴露、処断し、党の統一を鉄壁のように守りぬきました。

 もし、我が党が平和的時期を有効に利用して民主基地を創設、強化し、その隊列を組織的、思想的に強化、発展させる正しい闘争をくりひろげなかったならば、我が党は戦争の大きな試練を乗り越えることができず、アメリカ帝国主義をはじめとする武力侵略者を撃退することもできなかったでしょう。党の正しい政治路線と組織的対策によってのみ、戦争の烈火のなかでも、党隊列の思想、意志の統一と行動の一致を保障し、全人民を戦争勝利のたたかいに立ち上がらせることができました。

 戦争勝利のためにあらゆる困難にうちかち、隊列の純潔を保つための我が党の闘争は、党員の党と革命にたいする忠実性をたえず高め、党の思想的統一と組織的団結を著しく強めました。

 戦争のなかで鍛えられた我が党の組織的・動員的役割は、戦後になってさらに強まりました。

 戦争によって破壊された人民経済を復興するにあたり、我々には物質的な面でも、技術的な面でも多くの難関と障害が横たわっています。しかし、党員はあらゆる難関と障害を乗り越え、つきることのない創造性と犠牲的精神を発揮しています。

 党は、平和的建設で輝かしい成果をおさめたばかりでなく、戦争の厳しい試練を乗り越えて祖国の統一独立をめざす歴史的大業の実現を促し、国際労働運動の一翼を立派に守りました。

 こんにち、全党は、いつにもまして党中央委員会のまわりにかたく結集し、勤労人民の強力な前衛部隊となりました。

 しかし、南朝鮮では、8.15解放後、党内にもぐりこんだ分派分子の罪悪的な分裂行為によって、我が党の路線と政策は貫徹されず、南朝鮮の労働運動は破壊されました。

 8.15以前に我が国の労働者階級は、みずからの革命的な党をもっていませんでしたが、日本帝国主義の支配から解放された初期には、北朝鮮だけではなく、南朝鮮でも革命運動の発展に極めて有利な情勢がつくりだされました。

 全朝鮮人民は、日本帝国主義の悪辣な支配のもとで言いしれない苦痛を強いられたため、二度と帝国主義の植民地的奴隷になるまいと決心し、帝国主義に反対してたたかおうとする革命的熱意は非常に高まりました。

 こうして、南朝鮮で活動する共産主義者には、労働者階級をはじめ広範な人民を結集し、民族資本家をも包容し、アメリカ帝国主義の植民地支配に反対する広範な統一戦線を形成できる条件がつくられました。

 まして解放前、我が国では、中間層だけでなく、右翼階層さえも政党をもっていませんでした。それゆえ、解放直後の国内の反動勢力は微々たるものであり、資産家階級も解放後に政党の結成にとりかかりました。こうして、労働者階級と資産家階級は、それぞれ大衆獲得にのりだしました。

 このような状況のもとで、広範な大衆をかちとれば勝利者となり、反対に大衆をかちとれなければ敗北者となるのは必至でした。

 当時の情勢は、我々共産主義者にとって決定的に有利でした。朝鮮人民は、かつて朝鮮における民族解放運動の失敗の重要な原因が、資産家階級の動揺にあったことをよく知っており、日本帝国主義の過酷な弾圧にも屈せずにたたかいつづけてきた堅実な愛国者は共産主義者であること、かれらと手をとってともに進んでこそ、みずからの解放をもたらすことができることをよく知っていました。それゆえ、解放直後からごく少数の反動分子をのぞいては、広範な人民大衆が我々に支持を寄せたのであります。

 特に、解放後、共産主義者の指導のもとに北半部の人民がおさめた大きな成果は、南半部人民を限りなく励まし、共産主義者にたいする信頼をいっそう厚くしました。

 これらの事情は、南朝鮮で広範な勤労大衆を党のまわりに結集させ、各階層の人民と統一戦線を形成して、アメリカ帝国主義者の植民地支配に反対する広範な大衆運動を展開しうる可能性を与えました。

 もし、南朝鮮で活動していた共産主義者がこのような有利な情勢を利用して正しくたたかったならば、広範な大衆を獲得できたに違いありません。

 しかし、南朝鮮では、かつて我が党を分裂させた火曜派、M・L派、ソウル派、ソウル・上海派に属していた分派分子らが、朝鮮革命運動に及ぼしたぬぐうことのできない罪悪を悔い改めず、8.15後にも分派行為をつづけたため、広範な大衆の獲得はおろか、労働者階級の隊列を分裂させる結果をもたらしました。

 当時、朴憲永(パクホンヨン)は、コミュニスト・グループと分派的に結託した火曜派を中心とし、かつてM・L派に属していた者はM・L派の変種である長安派、大会派を中心として互いに分派争いに没頭しました。

 かれらの眼中には、ただ個人の利益と分派集団の利益しかなく、かれらは、党と革命の利益をよそに、「党の指導権」を狙いながら、統一され団結した革命的な党の建設には関心をむけようとしませんでした。そのために、当時朴憲永一味は、数十名にすぎないコミュニスト・グループをまるで朝鮮労働運動における「暗夜の灯、濁流の清水」のように事態を描写しようと恥知らずな策動をおこないました。

 こうしてかれらは、労働者階級と党を分裂させはじめ、党にたいする大衆の信頼を失わせ、革命勢力を分裂させる道に走りました。

 かれらは、アメリカ帝国主義者が朝鮮人民の「解放者」であるかのように宣伝し、アメリカ帝国主義が長いあいだ手なずけた忠実な手先李承晩を、裏部屋でつくりあげた「人民共和国」の「大統領」の座につける宣伝をおこないました。このような宣伝は、敗退した日本帝国主義者にかわって南朝鮮に踏み入ったアメリカ帝国主義者を憎み、アメリカ軍の南朝鮮駐留に反対してたたかい、朝鮮の統一を妨げている帝国主義者の狡猾な正体を人民に認識させるうえで否定的な影響を与えました。

 そしてかれらは、党の組織においても民主主義的原則に違反し、従来の分派集団を中心として「党中央」をつくりあげました。

 そこで党では、朴憲永と姜進(カンジン)に偏狭な分派的傾向を克服するよう強く批判する一方、当時開かれた南北党指導者連席会議では、党大会を招集して党の政策と党規約を採択し、党中央委員会を選挙するよう朴憲永に勧告しました。こうしてこそ、強力な中央集権的党の規律を確立し、派閥争いをなくし、党隊列の統一をなし遂げることができるからでありました。

 しかし、朴憲永は、当時党から委任された党創立大会の招集準備を故意に破綻させ、裏部屋でつくりあげた自己の「党指導部」を維持しようと、ひきつづき分派行動に明け暮れました。

 他方、アメリカ帝国主義者は、スパイ分子を利用して党の分裂を助長し、ソ米共同委員会を故意に破綻させたばかりでなく、国内の反動派と結託して「精版社事件」を捏造し、南半部で党を地下に追い込もうとしました。

 こうした状況のもとで党は、南半部で我が党の力量をひきつづき保存し、その合法的活動を維持しながら広範な愛国的民主勢力を結集するための対策として、労働党の創立を提案しました。

 党の合同は北半部では成功裏におこなわれましたが、南半部では進められませんでした。朴憲永一味は、意識的に党の合同を怠り、ひきつづき党隊列と革命勢力の分裂を企みました。かれらは、自分たちの分派集団に属する者だけを無原則に登用し、以前、他派に属していた人を排斥して、分裂を助長しました。

 一方、姜進、李文弘(リムンホン)のように、過去M・L派として分派行為をはたらいていた一部の分子も、公然と党を分裂させ、破壊する道に走りました。かれらは、いわゆる大会派という分派をつくりあげ、その後には「社労党」を組織して共産党の隊列を完全に分裂させました。

 姜進とその他の不健全な分子は、朴憲永に反対するという口実のもとに、南朝鮮労働党として合同する活動をおこなわず、新民党と人民党を分裂させ、「勤労人民党」を結成して南朝鮮の労働者階級と勤労大衆を四分五裂させ、統一した力量で敵の弾圧に反対してたたかうことを不可能にしました。

 こうしてかれらは、アメリカ帝国主義者に公然と革命運動を破壊できる絶好の機会を与えました。

 南朝鮮労働党のいわゆる合同は、形式的におこなわれ、共産党の看板を労働党のそれにとりかえたにすぎず、我々が期待した勤労人民の大衆的政党にはなれませんでした。

 その後にも、アメリカ帝国主義の雇用スパイ朴憲永一味は、ひきつづき分派行為をおこない、その上司の要求どおり、南半部における革命運動の破壊に狂奔しました。

 かれらは、ひきつづき分派的偏狭さを捨てず、数多くの中間政党を排斥して党の統一戦線政策を実行せず、南北連席会議の招集問題にもこころよく応じないため、北半部から直接人を派遣して工作に当たらせました。

 統一戦線を強め、広範な愛国勢力を党のまわりに結集させる活動は、反帝反封建民主主義革命を遂行する我が党にとって特別に重要な意義をもちます。

 我が党は、統一戦線政策を北半部で正しく実行したばかりでなく、南北連席会議を通じて南半部の民主的政党はもちろんのこと、右翼政党までも朝鮮にたいするアメリカ帝国主義の植民地政策と李承晩の支配に反対する救国闘争へ動員したのです。しかし、分派分子は、党の統一戦線政策を実行せず、右翼政党はいうまでもなく中間政党までも排斥し、広範な愛国勢力を分裂させました。かれらは、党員を革命思想で武装させる教育活動をおこなわず、北半部における民主改革の成果を南半部の人民に宣伝できないようにしました。その結果、党員の思想・意識水準は非常に低く、かれらは結局、敵が我が党を破壊するためにつくりあげた「保導連盟」に多く加盟するようになりました。

 党は、朴憲永にいく度も南朝鮮の党組織を立て直す対策を提示しましたが、かれは党を欺き、党組織を敵の破壊にゆだねたままなんの対策も立てませんでした。また、かれらが党勢拡大を怠ったため、南半部の党員数は多くありませんでした。それにもかかわらず、朴憲永一味は、党員が北半部よりも南半部にもっと多いことを見せるために5倍加、10倍加運動によって党勢拡大を進めることにより、党内に数多くの不純な異分子の潜入を許し、党と革命になんの利益も与えない暴動を意のままに組織して、敵の面前に党組織を露出させ、多くの愛国者を虐殺させ、大衆を党から離脱させました。

 これは、革命勢力に甚大な損失を与えたばかりでなく、南半部で党が破滅の道を歩まざるをえなくしました。

 その後、多数の党員と愛国者が検挙、投獄、虐殺され、党組織が全面的に破壊され、党にたいする大衆の信頼は全く失墜しました。

 そして、かれらは、南半部で我が党の唯一の地下組織であるソウル指導部までそっくり自分の上司であるアメリカ帝国主義者に提供しました。このように、南半部で火曜派、M・L派をはじめとする分派分子の派閥争いは、結局、南半部において我が党を分裂、瓦解させ、朝鮮人民が一日千秋の思いで渇望する祖国統一の大業の実現にとりかえしのつかない損失をもたらしました。

 南半部で党が破壊された主な原因は、アメリカ帝国主義の弾圧が厳しかったことにあるのではなく、分派分子の派閥争いにあることをはっきりと知らなければなりません。

 もちろん、南朝鮮にたいする我が党の政策は正しく、堅実な党員大衆の闘争も正当なものでした。もし、分派分子の唾棄すべき罪悪行為がなかったならば、アメリカ帝国主義の弾圧がいかに厳しくても、党は破壊されず、祖国の統一はすでに実現していたことでしょう。

 しかし、この分派分子らの罪業はこれにとどまりませんでした。朴憲永一味は、南朝鮮での革命運動の破壊だけではこと足りず、北半部に来て北半部の党までも破壊しようと策動しました。

 南朝鮮で党が全面的に破壊され、その指導的地位にいた人の大多数が北半部に移り、また、南朝鮮で党の合法的活動が不可能な条件のもとで、我が党は、南半部での党活動を強化し、南北労働党にたいする統一的指導をさらに確固と保障するため、1949年に公式に南北の労働党を合同しました。

 しかし、南朝鮮労働党の活動を総括、分析し、それにもとづいて党の合同を進めなかったのは党中央委員会の誤りでした。

 かれらの犯した罪が重大であったにもかかわらず、無批判的に合同した結果、かれらは北半部に来てからも一定の期間、自分の正体をかくし、反党的分派行動をつづけることができたのです。

 当時、党はかれらの正体を知らなかったばかりか、当面した情勢からしてかれらの活動にたいする総括、分析をおこなわないまま合同しました。

 我々は、戦争中しだいにかれらの正体を知るようになりました。かれもが北半部に来てから、健全な我が党の組織体には有害な病菌が侵食しはじめました。朴憲永、李承Y(リスンヨプ)一味は、アメリカ帝国主義の雇用スパイと革命の過程で変節し堕落したかれらの追従分子を党と国家機関にもぐりこませ、許(ホ)カィ、朱寧河(チュニョンハ)、朴一禹(パクイルウ)その他北半部にいた分派分子を糾合して、党内の澄んだ空気を濁すことにきゅうきゅうとしました。かれらは行くさきざきで互いの離間と不和をつくりだし、南半部出身幹部には北半部出身幹部を反目、嫉視させる分派的思想を扶植しました。

 戦争中、かれらは醜悪な本性を露骨にあらわしはじめました。かれらは、ソウルで「土地調査委員会」をはじめテロ団体を組織し、多くの愛国者と党員を暗殺し、北半部地域の軍事機密と国家機密を敵に提供しました。そして最後には、アメリカ帝国主義の攻勢と合流して、我が党と共和国政府をくつがえすための武装暴動を準備するまでにいたりました。

 しかし、北半部では長いあいだ抗日革命闘争で鍛えられ、マルクス・レーニン主義で武装した共産主義者が党を指導し、党は創立当初からマルクス・レーニン主義思想に依拠して党員を教育、訓練しました。特に、党はその隊列の統一と団結の強化に深い注意を払ってきました。それゆえ、その破壊策動がいかに巧妙でも、南半部でのように我が党を切り崩すことはできませんでした。

 特に党は、戦時にその隊列の純潔を保ち、思想、意思の統一を強化するための闘争を力強くくりひろげました。戦争中に招集された党中央委員会第3回、第4回、第5回総会は、党隊列の純潔を保ち、統一を強化するうえで歴史的な意義をもつ会議でした。党員の階級的自覚は著しく高まり、党内の思想闘争と党規律はいっそう強化されました。

 党と革命に忠実な党員の自覚が高まり、批判と自己批判、特に下部からの批判が強力にくりひろげられ、党内民主主義と集団指導が強められたことは、党の弱化を企んだ敵対分子をそのつど暴露し、粉砕する重要な要因となりました。

 こうして、我々は、北半部にまで潜入して朝鮮人民のかちとったすべての成果を抹殺し、我が党を内部から切り崩そうと企んだアメリカ帝国主義の雇用スパイである朴憲永、李承Y一味を暴露、一掃し、分派分子との闘争を強化することによって、党隊列の純潔を保ち、党の鉄のような思想的統一と組織的団結を堅持しました。

 そればかりでなく、こんにち、我が党の正しい指導のもとに南半部地域では、我が党の影響力が強まり、人民の革命的気概も日増しに高まっています。

 以上で見るように、8.15前後を通じて朝鮮革命運動に及ぼした分派分子の害悪は極めて大きいものがあります。

 かれらは、党と革命の利益のためにではなく、個人の地位と私利私欲を満たすことにきゅうきゅうとし、そのためには同志を迫害、中傷し、人民を犠牲にすることもためらわないのであります。

 したがって、かれらが階級の敵と結託し、ついには敵のスパイに転落したのも決して理由のないことではありません。

 それでは、このような分派分子が解放前後を通じてひきつづき存在し、派閥争いと謀略活動をあれほど長いあいだつづけることができた原因はどこにあるのでしょうか。

 その原因は、解放前から我が国に労働者階級の党が存在せず、したがって、我々が反分派闘争を力強くくりひろげられなかったことにあります。1925年に創設された党が分派分子の派閥争いによって解散させられた以後、8.15まで我が国に党が存在しなかったので、革命家を系統的に点検することができず、分派分子との闘争を強力に展開できませんでした。そのために、セクト主義思想はひきつづき温存され、8.15後再び息を吹き返すようになりました。

 もし、我が党が8.15以前から存続し、党が分派との闘争をたえまなくおこなったならば、分派分子はすでに暴露、一掃され、実際の闘争で鍛えられ点検された幹部をもって党の指導的中核を形成し、強力な政党として偉大な8.15解放を迎えたことでしょう。

 解放後にも、南半部では反分派闘争が展開されませんでしたが、それは分派分子が大部分指導部を占めていたためです。

 分派分子が反党的策動をおこなうことができたいま一つの原因は、個人にたいする無原則な崇拝心のため、分派分子との闘争を力強くおこなえなかったことにあります。

 セクト主義は、小ブルジョア的個人英雄主義、功名主義、栄達主義の所産であり、その常習的な「活動方法」は、地位争いと相互離間策動であり、狡猾な「外交」と策謀であり、個人にたいする崇拝心の伝播と扶植であります。我が国の分派分子は、理論と政見の相違のために争ったことなど一度もありません。分派はそのいずれをとわず、「指導権」奪取のための地位争いから生まれたものです。

 こうしたセクト主義思想に染まった少なからぬ幹部と党員は、個別的な人を偶像化し、個人の知恵を大衆の集団的知恵よりも高く評価し、それに盲従することによって、かれの犯したあやまちに気づかず、あやまちすら正しいものと見て、かれとの闘争を強くくりひろげませんでした。

 もしも解放直後、南半部で党員と幹部が悪辣な朴憲永と分派分子を偶像化せず、かれらと強くたたかったならば、この分派一味の犯罪行為は適時に暴露されたはずであり、南半部で我が党はあれほどまでに破壊されなかったでしょう。

 それゆえ、我が党がその隊列内でセクト主義との非妥協的な闘争をくりひろげず、それを容赦なく一掃せず、個人崇拝思想を徹底的に一掃しないことには、その隊列を強化することができず、党に提起された革命課題を完遂することもできないということを銘記しなければなりません。

 我々は、朝鮮革命の参謀部である我が党の指導的役割をあらゆる面から高め、その戦闘力を強化するために、これまでの闘争でかちとった党の統一と団結を大切に守らなければなりません。

 党を切り崩そうとする敵のいかなる企みをも余すところなく粉砕し、党内にあらわれうる不純な要素にたいし警戒心を高め、それに容赦のない打撃を加えなければなりません。

 朴憲永、李承Y一味と分派分子は暴露、一掃されましたが、その思想的影響はまだ完全に一掃されておらず、M・L派、火曜派のなごりも完全に取り除かれていません。
しかし、かつて分派に属したか、もしくはそれに盲従した一部の人は過去を悔い改め、党の示した課題を積極的に実行する闘争を通じてみずからをたえず改造しており、また、党がかれらにたいする等を強化した結果、セクト主義の影響はしだいになくなりつつあります。

 我々は、これまでの成果に決して満足することなく、党の組織・政治活動をたえず改善して我が党を強化し、その前進運動を早めなければなりません。


 2 党の組織指導活動

 同志のみなさん!

 こんにち、我が国のすべての生活において労働党員の組織者的役割と思想的・政治的影響は著しく高まり、労働党にたいする人民大衆の信頼は、いかなる力によっても切り崩せないものとなりました。

 現在、我が党隊列の階級構成は、労働者22.6%、貧農56.8%、中農3.7%、事務員13%、その他3.9%となっています。第2回党大会当時に比べて労働者出身は2.4%、貧農出身は3.7%それぞれ増え、全党員の79.4%に達しています。

 こんにち、我が党員の過半数(51.7%)は、祖国解放戦争勃発以後に入党した党員です。そればかりでなく、党内には党性が強く、水準の高い党員が多い反面、まだ政治的に鍛えられていない党員も少なくありません。

 それゆえ、党員の党生活を強め、その党性を鍛え、階級的自覚を高める活動を、党の求める水準にまで発展させなければなりません。

 党員の党生活を強めるためにはまず、党員に規約上の義務を徹底的に守らせなければなりません。党の規約は、党員のすべての活動と生活の基準であり、基礎であります。しかし、これまで多くの党組織では、党規約上の原則を徹底的に守るように党員を正しく教育しませんでした。

 そのため、少なからぬ党員は、党に忠実であろうとしても、党規約上の義務や党生活の原則をよく知らず、党規律の本質を正しく認識していません。

 少なからぬ党組織は、経済、文化の建設で党員が前衛の役割を果たし、党規律にたいする自覚的態度を堅持し、党活動の討議と党内の思想闘争で積極性を高め、大衆と団結できる人民的活動作風を身につけるようにするなど、党生活で本質的意義をもつ重要な問題にはそれほど注意を払わず、党員を党会議や党学習に参加させ、党費を受納するなどの初歩的問題にとらわれています。

 こうして、少なからぬ党員が長いあいだ党の任務分担から外され、自分の活動にたいする具体的な評価を受けられないため、党生活に興味をもっていません。

 党組織は、党員にたいする党生活の指導が、党の要求と向上する党員の政治的水準に追いつかない重大な欠点を速やかに是正しなければなりません。

 これとともに、党員の党生活を組織し指導する幹部から、党生活に忠実でなければなりません。少なからぬ幹部は、党生活に熱意をもって参加せず、自分を特殊な存在であるかのように考えています。

 党内に一般党員と幹部のための2つの規律がありえないということは口先では認めていますが、実際においては、多くの党組織で陰に二重規律が適用されており、党生活での差別が容認されています。党建設の重要な原則に矛盾するこのようなことは、一部の省機関と道、市、郡の行政機関内の党組織で多くあらわれています。

 このように、幹部が党生活に積極的に参加しないため、かれらは大衆の声を聞くことができず、大衆の統制から外されるようになりました。党の統制から抜け出したこのような一部の幹部は、次第に自由主義の傾向に流れ、党のうえに個人を置こうとしました。こうして、党員の党生活を指導する道徳的権利を失い、かえって悪い影響を与えています。

 党生活に積極的に参加し、党の決定を忠実に実行するのは、功労や地位にかかわりなく、すべての党員の義務とならなければならないというレーニン的原則を厳守しなければなりません。

 党生活を強化するためには、党内民主主義を発揚させ、批判と自己批判、特に下部からの批判を強め、各級党組織のすべての活動で集団指導の原則を堅持して党員の積極性と創意性を高めなければなりません。

 党員の党生活を正しく指導するためには、党組織が党員を忍耐強く教育し、かれらにたいする活動を解説と説得の方法でおこなうべきであります。

 現在、一部の党組織では、党員にたいする党の統制を強化するということで、処分を無原則に適用する現象があらわれています。

 党が党員に党の規律を適用するのは、あくまでも党員を教育することに基本目的があります。したがって、党組織は、今後、党員にたいする党の処分を教育の目的で慎重に適用し、党員が誤りを是正する程度によって処分を適時に解除しなければなりません。

 党の組織指導活動で最も重要な問題は、党と人民大衆との血の通ったつながりをたえず強めることです。党と人民大衆とのつながりを強化することは、党の威力の源泉であり、我々のすべての勝利の決定的条件であります。

 大衆とのつながりを強化する基本条件は、幹部と党員のあいだで人民大衆にたいする革命的大衆観点を確立することです。

 経験が示しているように、党員に、人民大衆にたいする正しい態度をとらせる問題は、深刻な思想改造運動であるため、単なる指令や決定書によっては解決できません。

 しかし、少なからぬ党組織では、反官僚主義闘争をカンパニア的におこない、大衆とのつながりを強化せよと一般的に呼びかけるだけで、党員に革命的大衆観点を確立させる具体的な教育対策を講じませんでした。

 一部の党員は、自分が人民大衆の忠僕であることをいまだにはっきりと認識していないところから、大衆の利益のために献身的にたたかう決意をもっておらず、大衆の利益が侵されるのを見ても情激せず、そうした行為と断固たたかわないばかりか、大衆の利益よりも個人の利益を上においています。しかし、多くの党組織では、党員が大衆にたいしてどのような態度をとり、大衆との連係をどのように結び、大衆のあいだでかれらが信望をどの程度に得ているかということを、党生活の最も重要な問題としてみていません。

 党員のうち、その多くは、まだ大衆工作の豊かな経験をもっておらず、大衆にたいする活動で鍛練が不足し、大衆にたいするブルジョア的思想観点を徹底的にぬぐい去っていない事情を考慮に入れて、党組織では党員が大衆にたいする活動を立派におこなえるよう常に注意深く指導、援助し、大衆との関係であらわれる欠陥を厳しく批判しなければなりません。また、すべての党員がいかなる場合でも人民大衆に命令する権利がないことを深く認識し、大衆のつきることのない創造力に依拠して活動をおこない、日常生活で素朴で謙虚にふるまい、人民的な礼儀と風習を尊重し、これに背かないように教育し訓練しなければなりません。

 特に、党組織は、常に人民大衆の政治・経済・文化生活に深い関心を向け、党と政府の決定実行において、大衆の感情と要望に注意深く気を配り、困難と隘路を上部機関に正しく反映し、それを誠心誠意、適時に解決しなければなりません。

 党の組織指導活動を、党に提起された政治的課題の水準にまで引き上げるためには、党組織の活動方法を改善し、党活動家に指導方法を体得させることが重要です。

 一部の党組織では マルクス・レーニン主義的原則とは縁のない有害な主観主義的・形式主義的活動作風が支配しており、政治活動を経済活動と密接に結びつけておこなわず、行政機関の活動を代行する傾向がなくなっていません。

 党の政治活動と経済活動は、革命活動における2つの側面であると同時に、分離できない統一体であり、その緊密な結びつきは、我が党の指導方法の重要な特性であり、基本的な活動方法であります。

 党中央委員会1954年3月総会と1954年11月および1955年12月総会以後、産業と農業にたいする党組織の指導では、党活動を経済活動と結合させるうえで少なからぬ変革が起こりました。

 しかし、遺憾ながら一部の党組織では、この活動が円滑におこなわれていません。いまだに、かなりの党組織と党活動家は、政権機関で処理する些細な行政実務上の活動を直接担当実行して行政活動を代行したり、急を要する当面の経済活動に没頭することにより、経済建設を政治的に保障する活動を十分におこなっていません。

 また、一部の党活動家は、行政活動の代行を排し、党活動を強化するという口実で経済活動をおろそかにし、それに注意を向けないため、経済活動に適切な援助を与えることができず、経済問題にたいする深い理解に欠け、したがって、経済活動を盛り上げる党の政治活動を具体的に展開することができません。

 したがって党組織は、どちらか一つの側面にだけ傾くことなく、常に経済活動と政治活動を結合させ、党活動の成果を経済計画実行の結果によって評価しなければなりません。

 党組織の活動で、いまなお残っている主な欠陥の一つは、下部の実情にうとく、上部の指導を下部に密着させない、事務室的活動作風です。我が党はすべての活動で、なによりもまず、我が国の具体的現実と下部の実情を系統的に研究し、それにもとづいてすべての政策を立て、実行することを鉄則としています。これは、マルクス・レーニン主義的活動方法の最も重要な要請の一つです。

 もちろん、多くの活動家は、下部に接近し、下部の実情を理解するために努力しています。

 しかし、一部の活動家と党組織は、客観的現実を調査、研究、理解、分析するために、真摯な努力をかたむけず、理論的基礎を十分にもっていないため、下部の党組織を指導したり、ある問題を観察し分析して結論をくだす際、その内容の本質にたいする深い把握もなしにかるがるしく処理して、ときには重大なあやまちを犯しています。

 また、一部の道・市・郡党委員会の責任幹部は、地元の政治・経済・文化活動にたいし、過去と現在を結びつけて系統的に研究しないばかりか、それを正しく総括、分析し、正しい結論を出して活動の指針にしようとせず、主観的な推測と判断によってすべての仕事を処理し、目前の断片的な問題にこだわりすぎ、見通しをもたずに活動しています。その結果、提起される問題を孤立的に考察し、それを本質的に解決することができず、甚だしい場合には、党の政策を歪めて実行しています。

 これは、党活動における活動家の創造的積極性を弱め、かれらを機械的で杓子定規的な活動方法の枠からぬけだせなくし、新しいものを見つけ出して、それを助長発展させるためにたたかう革命的観点をくもらせる重大な欠陥を生みだしています。

 その結果、こんにち、少なからぬ党および政権機関の活動家は、党の政策を正確に把握できず、単なる指示伝達者、資料収集者となって、積極性と創意性を発揮しておらず、また、一部の指導機関では、皮相で一面的な資料にたよって問題を処理することにより、党と人民の要望に反する活動をおこなっています。

 我々は、このような形式主義的活動方法を一掃するため、積極的に努力しなければなりません。

 我々は、幹部の選抜、配置および養成事業を改善、強化するために多くの仕事をしなければなりません。

 我が党は、創立当初から、党と革命に忠実な幹部を育成し、かれらを政治的、実務的な規準に従って正しく選抜し配置することに深い注意を払ってきました。こうして解放後、最も困難な問題の一つであった幹部の不足が基本的に克服されるようになりました。こんにち、我々は、党および国家機関、大衆団体と経済・文化生活のあらゆる分野で党政策を忠実に実行するすぐれた幹部をもっており、数多くの幹部養成機関で新しい幹部を大量に養成しています。

 要は、党組織が幹部の選抜と配置にたいする党の原則を厳守し、幹部を適材適所に配置して、その能力と知識を革命事業に完全にささげられるようにすることです。

 幹部の政治的規準を過小評価し、実務的規準に傾くことによって、幹部陣容の質的構成を弱化させ、党活動の政治的水準を低下させる傾向を徹底的になくさなければなりません。党組織は、過去、民族解放闘争に積極的に参加した革命幹部をはじめ、祖国解放戦争で鍛えられた人と点検済みの労働者出身で幹部陣容をかため、新しい若い幹部をためらうことなく選抜登用し、かれらの進歩を注意深く指導しなければなりません。

 党は、過去、日本帝国主義支配のもとで教育を受けたインテリと技術者にたいして正しい認識をもち、かれらにたいする活動を正しく指導してきました。かれらは、こんにち、経済・文化・教育部門と生産企業所で、党と政府から受けた革命課題を誠実に実行するために才能と知恵をすべて発揮し、国家建設事業で大きな役割を果たしています。

 今後、党組織は、古くからのインテリにたいする活動をいっそう改善する必要があります。人間の階級的成分は、固定不変なものではなく、社会・経済生活の変化に従って不断に変わるものです。過去の出身階級がよくない人でも、解放後からこんにちにいたるまで、党と政府の政策を貫くための闘争過程で階級意識が革命的に改造され、実際の活動で点検され、現在、自分が担当している活動を誠実に実行するならば、かれらにそれ以上なにを要求し追及することがありましょうか。

 したがって、書類だけで幹部を評価しようとせず、科学的に正しく評価しなければなりません。

 幹部を正しく選抜し配置するだけでなく、実際の活動を通じて教育、訓練し、点検、理解する活動を決定的に強化しなければなりません。我々は、この面で少なからぬ欠陥があることを知るべきです。幹部の教育と点検、指導が不十分であったために、少なからぬ幹部が安逸をむさぼり尊大になり、ついには党と国家の活動に少なからぬ損害を与えるまでにいたりました。

 党組織は、幹部の地位にかかわりなく、かれらにたいする党の統制と教育を強化し、幹部の理解と評定を机の上で主観的に、抽象的におこなうのではなく、実際の活動を通じて具体的におこない、幹部の理解と評定では大衆の意見を尊重しなければなりません。特に、責任幹部が幹部を教育、訓練し、理解する活動を責任をもっておこなうことが必要です。

 党および政権機関と人民経済の全般的部門で、後続幹部を系統的に教育し、技術者の養成に党的注意を向け、幹部養成機関の事業の改善にも深い関心を払わなければなりません。

 勤労者団体にたいする指導は、党の指導活動で常に重要な位置を占めています。

 党と大衆を結ぶベルトとしての勤労者団体は、我が党の最も信頼すべき援助者であり、後続部隊であります。その隊列に数百万の労働者、技術者、事務員を擁している朝鮮職業総同盟は、党の路線と政策を積極的に擁護し、その実現をめざすたたかいに勤労者を動員する使命を基本的に忠実に遂行してきました。

 しかし、これは、職業同盟組織の活動に欠陥がないことを意味するものではありません。行政の学校、経営の学校、共産主義の学校としての職業同盟活動の政治的水準が低く、職業同盟組織の労働者階級にたいする政治教育活動が不十分であった事実を、特に指摘する必要があります。

 我が国の労働者階級は、歴史が浅く、革命的鍛練が不十分であり、長期にわたる日本帝国主義植民地支配の結果、かれらのあいだでマルクス・レーニン主義の宣伝が非常に弱く、その文化的水準は低い状態にあります。さらに祖国解放戦争の時期、我が国の労働者階級はすぐれた中核を多く失い、この2、3年のあいだに、農村と都市から新たに多くの人員を受け入れました。こうした事情は、労働者階級の隊列を政治的に強化すべき切実な任務を、党と職業同盟組織に課しています。

 それゆえ、労働者階級のなかで職業同盟組織の政治教育活動、大衆扇動活動、大衆文化活動を決定的に改善して、かれらを党のまわりにいっそうかたく結集し、その政治的自覚をたゆみなく高め、かれらに労働者階級の利益と国家の利益が一致していることを徹底的に認識させ、かれらが生産活動で使用人根性を徹底的になくし、労働規律を厳格に守るよう教育しなければなりません。

 職業同盟は、同盟中央委員会と各産別委員会をはじめ、各級同盟機関の機能と役割を高め、同盟内で党の思想体系を確立し、すべての幹部が党にかぎりなく忠実で、自分の実務水準を高めるよう教育、訓練することにより、党の要求する水準で同盟活動を改善しなければなりません。

 こんにち、職業同盟は、党の経済政策を支持し、労働者大衆の政治的熱意と創意性を十分発揮させ、増産競争運動を高い政治的水準で広く展開することによって、生産計画を完遂または超過完遂し、労働者の技術熟練度と労働生産性を向上させ、かれらの生産条件を保障する事業と物質・文化生活水準をたえず高める事業に注意を向けなければなりません。

 民主青年同盟は、創立当初から勤労青年を骨幹として各階層の愛国的青年を党のまわりに結集させ、かれらが党の政策を積極的に実行するよう励まし、気高い愛国主義とプロレタリア国際主義の精神で青年を教育するうえで少なからぬ役割を果たしました。特に、偉大な祖国解放戦争の時期、前線と後方で青年を戦争勝利へ動員するうえで民青組織が特出した功労を立てたことを指摘しなければなりません。

 戦後、青年は、経済建設の先頭に立って雄々しくたたかっています。

 しかしこんにち、民青の活動には、多くの本質的な欠陥があります。

 民青中央委員会をはじめ各級の民青組織は、その大衆的性格を忘れて、多くの勤労青年と都市青年をその隊列に引き入れる活動を活発におこなわず、各級民青の指導機関に積極的な非党員青年をごく少数しか参加させていません。こうして、現在かなりの青年が、民青に加盟していません。

 今後、民青組織は、その隊列をたえず拡大し、大衆的青年組織としての組織原則を守らなければなりません。

 民主青年同盟は、青年のあいだでマルクス・レーニン主義教育と党政策の学習をより正しくおこない、かれらの社会主義的意識を高めなければなりません。また、同盟員に先進科学と最新技術の成果を学ばせ、かれらが人民経済のすべての部門で複雑な近代的機械を巧みに操作できる程度に技術熟練度を高めるよう指導すべきであります。

 青年は、労働をきらう恥ずべき現象と断固たたかうとともに、経済建設の重要な持ち場に大胆に進出して、その部門の老練な中核分子から謙虚に学び、将来その部門の事業をより高い段階に発展させる有能な人材とならなければなりません。

 民青組織は、同盟組織をかため、青年の思想・意識のなかに残っている古い思想要素を根こそぎにし、反動的ブルジョア思想の毒素が、青年の思想・意識のなかに浸透できないようにたたかい、同盟内に党的思想体系を確立しなければなりません。

 民主青年同盟は、青年を愛国主義と国際主義の思想で武装させ、祖国防衛と祖国の平和的統一をめざすたたかいに立ち上がらせ、共和国南半部の青年学生および在日朝鮮青年学生との連係を強め、かれらの救国闘争をひきつづき支援しなければなりません。民青組織は、青年の体力を鍛えるために体育活動を強化しなければなりません。

 党組織は、国の政治・経済・文化部門で大きな役割を果たしている女性にたいする政治活動を強化すべきです。

 党と祖国にかぎりなく忠実であり、勤勉で堅実な我が国の女性は、解放後、我が党の指導のもとに革命の各時期ごとに、党と政府の施策を実現するために献身的にたたかい、政治的、文化的にたゆみない進歩を遂げました。

 しかし、女性にたいする党組織の活動には、少なからず、形式主義的傾向が残っており、その役割を過小評価する誤った見解がなくなっていません。

 党組織は、女性を経済および文化建設に広く参加させるために、その意識水準と希望を具体的に研究し、女性がその技能と資質を十分発揮できる政治・経済・文化部門に広く進出できるよう、実際的条件をよくととのえ、また、新しい世代の養育と教育事業を高い水準に発展させるために、その文化的水準を高めなければなりません。

 勤労者団体の活動を強化するうえで、党組織の指導は決定的な意義をもちます。党組織は、勤労者団体の特性に適した指導方法を研究し、党的指導水準を高め、各時期ごとに活動方法を明確にうちだし、有能な幹部を選抜、配置し、勤労者団体の活動を日常的に点検指導し、欠陥を是正するよう援助すべきです。


 3 党の思想活動

 同志のみなさん!

 祖国の統一と共和国北半部における社会主義基礎建設を成功裏に実現するための重要な条件の一つは、党の思想活動を強化して、党員を革命的なマルクス・レーニン主義理論で武装させ、勤労者を社会主義的意識で教育することであります。

 報告期間、党の思想活動では多くの成果が達成されました。

 しかし、我が党の思想活動には、まだ多くの欠陥があります。その主な欠陥は、党の思想活動にとって極めて有害な教条主義と形式主義がひきつづき残っていることであります。

 思想活動は、当然、朝鮮革命発展の各時期と段階に提起される革命課題に従って、その主な任務と方向と内容が決められなければならず、広範な大衆の意識水準と実際の生活に即して進められなければなりません。

 しかし、我々の思想活動は、少なからぬ部門で主体性に欠け、我が国の革命問題およびその遂行のための実践的活動と遊離しており、朝鮮人民の闘争と生活で提起される現実的な問題や大衆の自覚程度とはかかわりなしにおこなわれ、我が国の実情に合おうと合うまいと、頭から人のものを機械的に受け入れ、うのみにする教条主義的な方法で進められています。

 マルクス・レーニン主義は、行動の指針であるということは誰もが言っています。しかし、多くの党員は、マルクス・レーニン主義理論と兄弟党の闘争経験を書物や講義をとおして読んだり聞いたりし、また、それを多く覚えてはいますが、朝鮮革命の実践活動に創造的に適用することを知らず、朝鮮革命にかんする理論問題と戦術を知らず、我が党の路線と政策の本質を理解していません。教条主義の枠にとらわれて動きがとれないでいるこのような人々は、生き生きとした現実を見ることができず、新しい生活を創造する能力を失っています。

 このような事実は、こんにちマルクス・レーニン主義の一般的原理を我が国の具体的な現実に創造的に適用する活動を妨げており、朝鮮革命の発展と党政策の成果的遂行に大きな支障を与えています。

 マルクス・レーニン主義を学習するということは、マルクス・レーニン主義理論の個別的命題を暗記することを意味するのではなく、その理論の革命的本質をつかみ、それにもとづいて実際の事件と革命闘争の経験を科学的に一般化して正しい結論をくだし、その結論を実際の活動に適用できるようになることを意味します。したがって、活動家がマルクス・レーニン主義理論を研究する態度は、この理論の一般的原理に立脚して朝鮮革命の具体的な問題を研究、分析し、我々に提起された実践的課題を解決するものとならなければなりません。

 我々は今後、思想活動を改善するため、広範な党員に、現段階における朝鮮革命の性格とその具体的任務を深く解説し、我が国の革命の見通しについて明確に認識させることを、中心課題としなければなりません。

 我が党の思想活動に残っている教条主義の重大な現われの一つは、朝鮮問題、とりわけ我が国の歴史にたいする研究と宣伝を軽視していることです。多くの活動家と党員は、外国の革命史は知っていても、自国の革命史はよく知りません。こういうことに習慣づけられている一部の活動家は、これを自分の欠点や恥とは思わず、かえって当然のことのように思っており、自分のものについては知る必要さえ感じていない有様です。

 こうして、朝鮮労働運動史、民族解放闘争史の研究は十分になされておらず、その整理と編さん事業はほとんどおこなわれていません。

 我々が自国の労働運動と民族解放闘争の経験を研究せずに、どうして朝鮮革命を正しくおこなうことができるでしょうか。我々は、長期にわたる我が国の労働運動と民族解放闘争の歴史を深く研究し、朝鮮革命の貴い経験と教訓をもって党員を教育しなければなりません。

 我々は、思想活動のすべての分野、すべての学校、そして党の教育網でこのような気風をうち立て、授業要綱を改め、党の宣伝活動で主体性を確立しなければなりません。我々は、朝鮮革命運動にかんするすべての資料を収集、整理し、朝鮮革命運動史を研究、編さんする事業を力強くおし進めなければなりません。

 今後、党員にたいする教育活動では、朝鮮革命の実際問題にたいする研究が中心とならなければならず、その際、必ずマルクス・レーニン主義の基本原則をその指針としなければなりません。

 マルクス・レーニン主義の理論と方法を身につけなくては、我が国の歴史と現実を正しく分析し理解することができません。我々は、党員のマルクス・レーニン主義教育を強化し、党員に自然と社会の現象にたいする正しい見解をもちうる科学的世界観を身につけさせ、かれらがあらゆる事物と現象を正しく認識し、それを科学的に分析、批判できるようにし、朝鮮革命の発展を明確に理解し、革命勝利への信念をかためるようにしなければなりません。

 現在、思想活動におけるいま一つの主な欠陥は、それが客観的現実と実際の状況に立脚せず、形式主義的に進められたことです。多くの宣伝活動家は、思想活動の方向と内容を、具体的な現実と勤労者の生活上の要求にもとづいて決定するのではなく、多くの場合、自分の主観によって机の上であみだしています。

 多くの宣伝活動家は、党の課題、環境と情勢、大衆の要求、大衆の意思と動向、大衆の自覚の程度などについては研究せず、客観的現実と大衆からかけ離れて宣伝のための宣伝、または一般的なアピールにのみ頭をつかい、大衆は理解しようとしまいと、大衆の動向はどうであろうと、ひとりよがりの活動をおこなっています。これは、人民大衆の思想的・政治的自覚に影響を与えるべき宣伝部門の活動家が、大衆にたいする正しい観点をもたず、大衆を研究しない結果であります。

 大衆から遊離し、朝鮮革命の実践的問題とかけはなれた、こうした大衆にたいする政治活動は、革命にはなんの助けにもならず、人民のつきない革命的創造力を発揚させることも、我が党の政策を大衆のなかに正確に浸透させることもできません。

 大衆にたいする政治活動の任務は、勤労大衆の社会主義的意識を高め、党と人民に提起された政治的・経済的課題を自覚的に遂行するよう、かれらを動員することにあります。

 我が党はいま、祖国の平和的統一独立と共和国北半部における壮大な社会主義基礎建設の事業を進めています。大衆にたいする政治活動は当然、我が党が当面しているこのような現実的課題に服従しなければならず、あらゆる手段と方法をつくして人民大衆の積極性と創造的熱意を呼びおこさなければなりません。

 こうして、人民自身が、国の主人として直接自分の手で社会主義を建設しているという自負と誇りをもって、社会主義大業のために積極的にたたかい、社会主義社会で生活することを無上の幸せと光栄に思うようにしなければなりません。

 社会主義基礎建設の膨大な課題は、人民の高度の積極性と気高い社会主義的意識を必要とします。

 レーニンが述べているように、社会主義は上部からの指令によって建設されるものではなく、幾百万大衆の創造的労働と熱意によって建設されるものです。したがって我々は、大衆にたいする政治活動を強め、社会主義的意識で人民を教育することによって、かれらがすべての経済建設で積極性と創意性を余すところなく発揮し、社会主義建設者らしくたたかい、我々の社会に残っているあらゆる古い思想の影響といっさいの不正現象に反対して力強くたたかうようにしなければなりません。

 勤労者にたいする社会主義教育は、かれらを社会主義建設に参加させ、小生産者を社会主義的改造の道へ導く実践をとおして実現します。それゆえ党組織は、全人民、特に農民と中小商工業者に、ただ協同化の道のみが貧困と搾取の根源を永久になくし、かれらの物質・文化水準を速やかに高め、子々孫々の幸福を創造する唯一の道であることをはっきりと認識させることにより、かれらが高度の熱意と積極性をもって社会主義的改造の道に進むようにしなければなりません。

 こんにち、我々の重要な課題は経済建設であります。我々にはいま、より多くの米と機械、鋼材、電気、石炭、それにより多くの生活必需品が必要とされています。我々の宣伝扇動活動の基本は、まさにここにあるのです。

 しかし、我々の宣伝扇動活動は、少なからぬ場合、一般的な政治的空論に終始しており、経済知識と先進的経験を十分普及していないため、経済建設に具体的で実際的な助けとなっていません。

 共和国北半部の民主基地を強化し、朝鮮革命を成功裏に遂行するか否かの問題は、我々の経済建設が成功裏に進められるか否かに大きくかかっています。したがって、経済建設とかかわりをもたない思想活動はありえず、人民経済の発展に具体的な助けとならない思想活動は、我々には不必要であります。

 すべての宣伝扇動活動は、必ず経済活動と密接に結びつかなければならず、思想活動の結果は、経済建設における具体的実績としてあらわれなければなりません。

 「(略)我々の宣伝、我々の指導、我々のパンフレットは、実際において、人民に受けいれられなければならず、その結果として人民経済の改善がなければならない」と述べたレーニンの言葉を、銘記すべきです。

 なによりもまず、幹部は経済知識の貧困を速やかに退治しなければなりません。多くの幹部は、我が国における人民経済発展の合法則性を理解しておらず、初歩的な経済知識さえももたずに人民経済の指導に当たっています。

 一部の幹部などの場合、党の経済政策を理解していないため、重工業よりも軽工業を優先的に発展させる方が正しいかのように考えています。これは、重工業の優先的発展にもとづいてのみ、軽工業をふくむ人民経済全般を速やかに発展させ、人民生活を向上させることができるという、極めて初歩的な経済理論さえ理解していないことを意味します。このような人は、戦争によって零落した人民の生活を速やかに安定、向上させるために、我が党がいかに大きな関心を向けているかを見ることができず、また見ようともしません。

 我々は、このような現象を速やかに一掃するため、経済知識の普及に最大の注目を払うべきであり、経済建設に役立たない一般的な空論をなくすべきです。

 党と国家の幹部養成機関では、経済問題により多くの時間を割り当てるべきであり、広範な勤労者の水準に適した通俗的な経済知識のパンフレット、解説論文、教育資料とその他先進的な経験を一般化するための資料を多く出版しなければなりません。

 党の思想活動を改善するために、宣伝部門の幹部構成を改善し、その政治理論水準を高める問題が重要であります。

 こんにち、我が党の宣伝員の構成は非常に幼いと言えます。にもかかわらず、ここに能力のある幹部は少ししか加わっていません。一部の教育網では、まだ政治的、理論的に未熟な人が学習を指導しており、かれらは党員の学習にこれといった援助を与えていません。

 このような宣伝部門の活動家は、思想活動で教条主義と形式主義をなくさなければならないと口では言っていますが、それがどんな形であらわれ、それをなくすために具体的にどのような対策が必要であるかは知っていません。

 我々は、宣伝部門の活動家を政治的、理論的に資質をそなえ、正しい思想観点をもった活動家に教育、訓練するため、積極的な対策を立てなければなりません。そればかりでなく、不足している宣伝部門の幹部を補充し、宣伝活動の質を高めるため、党と国家の指導的幹部を義務的に宣伝活動に参加させるベきであります。

 これと同時に、大衆啓蒙活動を強化するためのさまざまな対策を講じなければなりません。我々は、1948年にすでに文盲を基本的になくしましたが、大衆啓蒙活動をひきつづき強化しなかったため、かなりの人々が再び文盲に逆戻りしているという事実にたいし注意を向けなければなりません。

 我が党は、農村の社会主義的改造にともなって、農村における文化啓蒙活動を強化し、とりわけ農村で大衆にたいする政治・文化活動の拠点である農村民主宣伝室の活動を改善し、民主宣伝室長の思想的・政治的水準を高めることに深い注意を払わなければなりません。

 出版物は、党と大衆を結びつける重要な手段であり、党のうちだした政治・経済・文化建設の課題の実践へ勤労大衆を動員する有力な武器であります。

 報告期間、出版事業は大きく発展しました。現在、我が国には、数十種の新聞と雑誌が発行されており、我が党の文献や『レーニン全集』をはじめ、多くのマルクス・レーニン主義古典とその他数多くの科学、文学、技術にかんする図書が出版されています。

 しかし、出版事業にはいまだに多くの欠陥があります。出版事業における重要な問題は、出版物に党性が完全に表現されるようにし、その大衆性と人民性をあらゆる面から強め、広範な勤労大衆との緊密な連係を保つことによって、出版物の真実性と戦闘性をさらに高めることであります。

 我が党の多くの新聞や雑誌をはじめとする出版物は、党員と広範な労働者、農民大衆に党の路線と政策を解説、浸透させ、人民が政治、経済、文化の各分野でおさめた成果と貴い先進的経験を普及し一般化するとともに、前進運動を妨げるいっさいの古いもの、停滞と保守的な傾向を暴露、批判することによって、人民大衆の積極性と創意性を高度に発揮させなければなりません。

 しかし、新聞や雑誌は、それぞれの特性を十分生かしておらず、広範な勤労大衆の志向と念願を十分に反映しておらず、その水準と要求と生活を考慮に入れない一般的で形式的な論説や記事を載せています。そればかりでなく、出版物は、党の政策的問題を十分解説しておらず、我が国の革命的実践に切実に必要な理論的問題を取り扱っていません。

 出版事業を改善するためには、広範な勤労大衆を出版事業に積極的に参加させ、出版物の形式と内容を大衆の水準と要求にあうようにし、簡潔さ、正確さ、明瞭さで文体を一貫させ、出版物を人民大衆が読んで理解できる通俗的な出版物に改めなければなりません。これと同時に、党の政策的問題と理論問題を系統的に載せなければなりません。

 こうすれば出版物の思想的・政治的水準を高め、我が党のすべての政策が出版物を通じて大衆のなかに深く浸透し、その実効をあげることができるでしょう。

 また、我々は、祖先の残した貴い古典的な遺産と我が国の歴史・地理・文化関係の図書出版を強化し、翻訳出版で無計画で無秩序な現象をなくし、我々に切実に必要な図書を優先的に翻訳出版すべきであり、また需要者の要求に応じて、出版物の配布を改善するようにしなければなりません。特に、外国の出版物を毎年多く購入しては翻訳もせず、原書の需要者も考慮せず、おざなりに配布して、大事な出版物をむだに積んでおくような現象を速やかに改めなければなりません。

 我が党は、学校教育事業に深い関心を向けるべきであります。学校教育事業は、報告期間に著しく改善されましたが、まだ党の要求する水準に達していません。

 学校教育事業で重要なのは、新しい世代を、国の有能な社会主義建設者、熱烈な愛国者に教育することであります。

 こんにち、学校教育事業の基本的な欠陥は、教員の思想・意識水準が低く、教授内容の科学性と思想性がとぼしく、教授活動で各種形態の形式主義と教条主義があらわれており、学校の管理運営で官僚主義的、文書式指導が持続し、教授活動が我が国の政治・経済生活と遊離していることです。

 これらの欠陥が持続している主な原因は、党組織が学校教育事業にたいする党的指導と教員にたいする思想・政治活動に当然の関心を向けていないことにあります。

 教員は、若い世代を教育する栄誉ある任務を担っており、新しい文化建設で重要な位置を占めています。学校教育事業の質的水準を高めるうえで、教員の思想・意識水準を高め、その党性を鍛えることが決定的な問題であることを忘れず、教員にたいする党の思想活動を強化しなければなりません。

 すべての党組織と政権機関は、教員の政治的自覚と教授内容の思想・理論水準と教授能力を高めるために不断の関心をはらい、かれらに指導と援助を与えて、学校教育事業を改善する具体的な対策を立てるようにしなければなりません。

 人民民主主義制度が創設され強化されるにつれ、共和国北半部では民族文化が開花し、すべての分野の科学が急速に発展しています。

 しかし、科学・文化の発展は、人民経済の高い発展テンポに比べて立ち後れており、実際生活の要求を十分にみたしていません。したがって、科学者は各自が受け持った研究分野と活動領域で、近い将来に世界の先進科学の水準に到達するよう、全力をつくさなければなりません。

 最近、世界の科学は急テンポで発展しており、社会の発展に大いに貢献しています。我々は、いつまでも立ち後れた状態に止まっているわけにはいきません。先進科学の水準に追いつくためには、安逸と散漫、自然発生的な研究態度を一掃しなければなりません。

 我々は、古いものに固執してはならず、新しい科学、先進科学の成果を系統的に研究し、それを生産に導入するための具体的な事業を進めなければなりません。

 古くからの知識人、特に、社会科学者の重要な課題の一つは、先進科学の研究とともに、過去の我が国の科学・文化のすぐれた遺産の継承と、すべての科学研究資料の収集、整理をおこなって将来の健全で輝かしい科学・文化の発展の土台をきずくことであります。いまなお、この事業の重要性は科学部門の働き手に十分に認識されていません。

 解放後10年をへたこんにちにいたるまで、科学研究の基礎をきずく事業は順調に進められていません。祖先の残したすぐれた作品にたいする研究がまだほとんど進められておらず、数多くの貴重な古文献や史料が埋もれ、散逸しており、人民の英雄的な闘争と業績が断片的な資料として伝えられているにすぎません。このような現象が持続するならば、民族文化の発展に大きな支障をもたらすようになるでしょう。

 科学者は、解放後10年間に政治的に鍛えられ、実際の闘争と活動を通じて基本的に人民の立場に立ち、人民に忠実に奉仕する学者になりました。

 しかし、一部の科学者は、いまなお古い方法論によって研究活動を進めており、かれらにはブルジョア反動思想と理論に反対して強くたたかう面が弱く、互いに協力し団結する精神が欠けており、労働者階級と人民に奉仕する自己の使命の本質を深く自覚していないきらいがあります。

 それゆえ、党は科学者の思想改造にひきつづき大きな関心を払い、あらゆる科学における唯一の科学的方法論である弁証法的唯物論をかれらに徹底的に体得させるためにたたかうべきであり、新しい科学者を多く、計画的に養成する事業を強くおし進めるべきであります。

 科学者が研究活動を生産および実際の生活と密接に結びつけるのは、その成果を保障する最も決定的な条件となります。したがって、科学と実践との結びつきを強める実際の条件をととのえる対策を具体的に立てなければなりません。

 我が党の指導のもとに、文学・芸術は、正しい方向に発展しており、朝鮮人民の英雄的闘争と誇らしい生活、その美しい内面世界を基本的に正しく反映し、描いています。作家、芸術家は厳しい闘争のなかで鍛えられ、苦しい試練にうちかった作家、芸術家の隊列となりました。

 しかし、一部の作家、芸術家は、いまだに旧社会から受け継いだ自由主義的散漫性を捨てきれず、人民の敵によって文芸分野にまきちらされた悪影響を一掃していません。特に、李光洙(リゴワンス)、林和(リムホワ)、李泰俊(リテジュン)、金南天(キムナムチョン)のようなブルジョア反動作家がまきちらした思想的毒素を完全に根絶していません。

 それゆえ、作家、芸術家は、今後もひきつづき、文学・芸術分野で反動的ブルジョア思想に反対する断固たる思想闘争を力強く展開し、社会主義リアリズムの創作方法にしっかりと立脚して創作活動をおこない、自然主義、芸術至上主義のあらわれにたいして断固たたかうべきであります。

 作家、芸術家は、いまなお、勤労者の創造的労働と実際の生活から遠くかけ離れている場合が多いのですが、これはかれらの創作活動に極めて悪い作用を及ぼしています。作家、芸術家は足しげく工場や農村に出向いていますが、多くの場合、そこに展開される生活の本質を見ることができず、皮相的な現象にとらわれています。これは、かれらが我が国の社会発展の本質を知らず、我が党の政策を深く体得していないためです。

 作家、芸術家がマルクス・レーニン主義で武装し、人民大衆の生活のなかにいっそう深く入っていくならば、我が国社会の典型を正しくとらえることができ、作品は人民の期待と要求を充足させることができるでしょう。

 党は、作家、芸術家が、マルクス・レーニン主義の世界観で武装し、人民の生活をいっそう深く研究し、我が国と世界各国の革命的作品を深く研究し、みずからの芸術的素養をたえず高めて、さらにすぐれた作品を人民大衆に提供し、祖国にたいする限りない愛と、前途にたいする革命的な楽天主義で人民を教育する活動で大きな成果をおさめるものと確信します。

 私は、我が党の思想活動と関連して、南朝鮮情勢の研究と南朝鮮にたいする政治・思想活動について簡単に述べようと思います。

 現段階における朝鮮革命の最大の課題は、南朝鮮人民を帝国主義と封建主義の抑圧から解放し、祖国の民主主義的統一をなし遂げることにあるため、南朝鮮にたいする研究と宣伝活動が我が党の思想活動で最も重要な一環とならなければならないことは明白です。しかし、残念ながら一部の党活動家は、南朝鮮への関心がうすく、南朝鮮の情勢をまじめに研究せず、南朝鮮にたいする宣伝活動を改善する決定的な対策を講じていません。

 一部の党員は、口先では祖国の統一を唱えていますが、南朝鮮の具体的な政治・経済・文化・軍事情勢については知らず、また知ろうともしていません。

 祖国の統一は、多難かつ複雑な課題であります。敵を人民大衆から完全に孤立させ、南朝鮮人民大衆を自覚的に祖国統一をめざすたたかいに立ち上がらせるためには、南朝鮮にたいする具体的で系統的な政治宣伝活動が要求されます。

 これは、祖国の統一独立を促進する重要な手段の一つであります。敵の動きを系統的に研究し把握せずに、どうして敵の謀略と術策を適時に暴露、粉砕することができ、南朝鮮の各階層人民の状態を研究、分析せずに、どうしてかれらをめざめさせ、闘争へと立ち上がらせる具体的な対策を立てることができるでしょうか。

 南朝鮮の情勢を研究し、それを大衆に広く知らせるのは、たんに南朝鮮の勤労大衆を政治的に教育、啓蒙することに目的があるばかりでなく、北半部人民に朝鮮革命の基本課題を十分に認識させ、かれらの革命的警戒心と階級意識を高めるうえでも大きな意義があります。

 我々は、あらゆる手段と方法をつくして、南朝鮮にたいする政治宣伝活動を改善する根本的な対策を立てるべきであります。

 全党員は、敵の動きと南朝鮮のすべての政党、大衆団体、各階層の動向を鋭く観察し、各自が自分の活動分野と結びつけて、南朝鮮の政治・経済・軍事・文化情勢を系統的に研究すべきであります。同時に、南朝鮮の具体的な現実と人民大衆の生活上の要求に即して、南朝鮮にたいする宣伝活動の内容と方法を改善しなければなりません。


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 同志のみなさん!

 我が党は、報告期間、朝鮮革命の勝利のために大きな事業をなし遂げ、栄えある闘争にみちた輝かしい勝利の道を歩んできました。

 我が党の前進を阻み、朝鮮革命を圧殺しようとした内外の敵のいかなる企みも、あらゆる困難と障害も、我が党の前進を阻むことはできませんでした。

 報告期間にかちとった我が党の勝利と業績は、朝鮮人民を限りなく励ましており、我々の友人に喜びを与えています。我が党の威力と朝鮮人民のおさめた成果にたいし、敵も驚かざるをえなくなりました。

 これは、我が党と人民が難関と試練にも屈せず、党と人民が一つに団結し、ひたすら革命の勝利のために不撓不屈の闘争をくりひろげた結果であります。

 しかし、これまでの成果は、今後なすべき膨大な課題に比べると、まだ初歩的なものにすぎません。

 我々は、全朝鮮人民を正しく導いて祖国の民主主義的統一独立の大業をなし遂げるとともに、共和国北半部の革命的民主基地をいっそう強化するために、社会主義基礎建設を成功裏に遂行しなければなりません。

 これは、現段階における我が党の基本的任務であります。この課題を完遂するのは決して容易なことではありません。

 我々は、長いあいだ敵と対峙している条件のもとで、数多くの難関と障害を克服しなければならないでしょう。敵は、今後も我々の革命運動を妨げるために狂奔するにちがいありません。

 しかし我々は、敵のいかなる策動も、我々の前に立ちはだかるいかなる試練をも退け、朝鮮人民が一日千秋の思いで待ちのぞんでいる祖国統一の大業をなし遂げるでありましょう。

 我々には、内外の敵とのたたかいで鍛えられ、鋼鉄の隊伍に結集した革命の参謀部である朝鮮労働党と、そのまわりにかたく団結した勤勉で剛毅で英雄的な人民のつきることのない革命的力量があり、我々の正義のたたかいを積極的に援助し、我々とともにたたかう頼もしい国際的友人があります。

 だからこそ、我々は今後どのような革命的大事変が到来しようと、十分勝利のうちにそれを迎えることができるでしょう。

 我々は、必ずなし遂げられるべき朝鮮の統一と朝鮮人民の限りない幸せな将来を見通しながら、大きな希望と明るい展望によって励まされています。

 マルクス・レーニン主義の不敗の旗は、我々の希望にみちた誇らしい前途をてらしており、この道を進む朝鮮人民に不抜の勇気と不撓不屈の精神をもり立てています。この旗を高くかかげて進む朝鮮人民には、常に勝利と栄光があるのみです。

 ともに、マルクス・レーニン主義の旗を高くかかげ、朝鮮人民のすべての勝利の組織者であり、励まし手である朝鮮労働党の指導のもとに、革命の最後の勝利をめざして勇敢に前進しましょう。
 出典:『金日成著作集』10巻


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