金日成「朝鮮労働党第3回大会でおこなった中央委員会の活動報告」
 
2 国内情勢
 

 1 祖国の統一独立と共和国北半部における人民民主主義制度の強化発展のための闘争

 同志のみなさん!

 報告期間、国内的にも大きな歴史的変革がもたらされました。

 この期間は、平和的建設と祖国解放戦争、戦後復興建設の3つの時期を包括しています。

 我が党は、極めて複雑な情勢のもとで移り変わる各時期と各段階に適応する具体的な闘争形態と措置をとり、祖国の統一独立と共和団北半部の革命的民主基地を強化するたたかいで大きな成果をおさめました。


 (1) 解放後の平和的建設の時期

 日本帝国主義の植民地支配から解放された朝鮮人民には、自由な民主主義的発展の道が開かれました。数世紀にわたって、特に日本帝国主義支配の時期にひどく抑圧されていた朝鮮人民の創造力と政治的熱意は、かつてなく高まりました。

 しかし、アメリカ帝国主義侵略軍の南朝鮮占領は、我が国に複雑な情勢をもたらしました。アメリカ帝国主義者は、南朝鮮で民主勢力を弾圧し、反動勢力を糾合して民族の分裂を策する一方、南朝鮮を植民地にするための策動を始めました。

 このような情勢のもとで、党は民主主義的完全独立国家を建設するために、北半部を強力な革命的民主基地にかえ、南半部ではすべての愛国的民主勢力を動員し、かれらをアメリカ帝国主義の植民地従属化政策に反対して立ち上がらせる闘争課題を提起しました。

 党の示したこのような課題を実現するうえで、1946年2月に組織された北朝鮮臨時人民委員会は大きな歴史的役割を果たしました。北朝鮮臨時人民委員会は、労働者階級の指導する労農同盟にもとづき、国内の広範な反帝反封建的民主勢力を結集している民主主義民族統一戦線に立脚した人民政権として、人民民主主義独裁の機能を果たしました。この人民政権の革命的性格とその基本課題は、20か条政綱に明示されています。

 このようにして、朝鮮人民が長いあいだ渇望し、朝鮮の愛国者が祖国の自由と独立のために数十年間、日本帝国主義支配者と戦いながら第一の目標にしてきた、まさにそのような政権が北半部に樹立されました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、我が党の指導のもとに土地改革と産業国有化をはじめとする民主改革を実施しました。

 土地改革が実施された結果、農村では封建的生産関係が一掃され、勤労農民が土地の主人となりました。

 産業国有化の実施によって、日本帝国主義者と親日派の経済的基盤が完全に一掃され、人民経済では国営部門が指導的地位を占めるようになり、社会主義的生産関係が生まれました。

 労働法令をはじめ、一連の民主的法令が実施された結果、社会生活のすべての分野で古い社会関係が根本的に一掃され、新しい民主主義的社会関係が確立されました。

 民主改革が実施された結果、共和国北半部には人民民主主義制度が樹立され、祖国統一の基礎となる民主基地が創設され、社会主義基礎建設の物質的条件がつくられました。同時に、民主改革の遂行および反動階級との鋭い階級闘争を通じて労働者、農民の階級的自覚と意識水準が高まり、すべての勤労人民の政治的統一が強化されました。

 1946年の末と1947年のはじめに、北半部では、朝鮮の歴史上はじめて一般、平等、直接の原則による秘密投票で、道・市・郡・面・里人民委員会の選挙が実施されました。こうして、北朝鮮臨時人民委員会にかわって新たに北朝鮮人民会議および北朝鮮人民委員会が創設されました。北朝鮮人民委員会はいっそう発展した人民民主主義的政権機関として、我々の革命課題を全国的に実現するためのたたかいをひきつづき力強く展開する一方、北朝鮮での民主改革の成果を拡大発展させ、人民経済を計画的に発展させながら、順次、社会主義に移行する過渡期の課題を遂行しはじめました。

 我が党の提唱により1948年に招集された南北朝鮮諸政党・大衆団体代表者連席会議は、南朝鮮での亡国単独選挙を排撃し、南朝鮮の売国奴一味を孤立させ、政治的見解と信仰のいかんを問わず、すべての愛国的勢力を団結させ、祖国の統一独立を達成するためにたたかう一致した決意を表明しました。この会議は、祖国の統一独立を達成するために、政見を異にする愛国的諸政党が団結することは十分可能であり、また、そのために一丸となってたたかうべきであることを示した歴史的意義をもつ会議でした。

 アメリカ帝国主義の脅迫と反動派の警察テロの圧力によって、南朝鮮で亡国単独選挙が実施された後、我が党は1948年6月に南北朝鮮諸政党、大衆団体の指導者たちとともに協議会を開き、祖国の分裂を防ぐため南北朝鮮にわたる全国的な選挙を実施し、全朝鮮人民を代表する全朝鮮最高立法機関を樹立し、朝鮮民主主義人民共和国憲法を実現することを決定しました。

 周知のように、1948年8月に、南北朝鮮人民の総意により全朝鮮人民を代表する朝鮮最高立法機関である最高人民会議が選挙され、最高人民会議で朝鮮民主主義人民共和国憲法が正式に採択され、全朝鮮的な中央政府が樹立されました。

 朝鮮民主主義人民共和国の創建は、祖国の統一独立と民主主義的発展をめざすたたかいで新しい画期的な前進をもたらし、共和国は朝鮮人民の自由と独立の旗印となりました。

 我が国が共和国として宣布された後、ソ連政府は朝鮮最高人民会議の要請によって1948年末までに朝鮮からその軍隊をすべて撤退させ、我が共和国はソ連をはじめ人民民主主義諸国との友好的外交関係を結び、社会主義陣営の堂々たる一員として国際舞台に進出するようになりました。

 共和国の創建によって、朝鮮人民はいっそう完成し強化発展した人民民主主義政権をもつようになりました。

 朝鮮民主主義人民共和国の創建は、革命闘争の歴史において、朝鮮人民がかちとった最も偉大な勝利であります。

 同志のみなさん!

 アメリカ帝国主義者は、さまざまな術策と口実で共和国南半部の占領をつづけ、朝鮮にたいする侵略的野望をむきだしにしてきたため、我々の革命闘争は困難かつ長期的な性格をおびるようになりました。このような情勢のもとで、我が党と共和国政府は祖国の統一を平和的方法で達成するためねばりづよい闘争を展開するとともに、祖国統一の強力な砦である共和国北半部の革命的民主基地を政治的、経済的に強化することを中心課題としてかかげ、祖国統一民主主義戦線を強化するためにたたかいました。

 我々は、1947年と1948年の人民経済計画を成功裏に遂行し、これにもとづいて1949〜1950年の人民経済2か年計画を立てました。この計画には、人民経済の重要部門で解放前の生産水準を回復し、一部の工業を再建して、人民の物質・文化生活を向上させ、教育・文化・保健医療部門での新たな発展を見通していました。

 解放後の平和的建設時期に人民経済を発展させるうえでの基本的な難関は、朝鮮の産業がひどい植民地的跛行性をおびていたうえに、日本帝国主義者が敗退するときに我が国の人民経済を破壊したこと、また、アメリカ帝国主義者の南朝鮮占領によって、北朝鮮の工業地帯が南朝鮮の農業地帯と切り離されたことであります。したがって我々は、北朝鮮での新しい工業部門の創設と農産物の増産に特別な注意を払わなければなりませんでした。

 解放後の5年間、共和国北半部では多くの難関があったにもかかわらず、我が党の正しい指導とすべての勤労人民の献身的な労働と闘争によって、政治、経済、文化の各分野で大きな成果が達成されました。

 こうして北半部の人民は、都市と農村でみずからの手できずきあげた幸福と平和的労働の結実を心ゆくまで受できるようになり、その創造的労働が祖国の隆盛発展をもたらしうるという高度の自負をもつようにりました。全人民は、人民民主主義制度のみが自己の自由と幸福を保障する唯一の制度であることを理解するようになり、人民政権を自分の瞳のように固守する決意に満ちていました。

 しかし、アメリカ帝国主義の占領下の共和国南半部の事情はこれとは全く異なるものとなりました。解放後南朝鮮では、アメリカ帝国主義の植民地政策と李承晩一味の売国政策によって民族経済は年々衰退し、人民の生活は非常に悪化しました。勤労者にたいする搾取と抑圧はますますひどくなり、失業者は数百万に達しました。

 アメリカ帝国主義者とかいらい李承晩一味は、南朝鮮にファッショ的支配制度を樹立し、民主的人士と愛国者にたいするテロと弾圧をひきつづき強化しました。南朝鮮の出版物によれば、解放後1949年7月までの期間に南朝鮮で投獄された人の数は15万を超え、虐殺された人の数は9万7000人に達しました。

 南朝鮮の労働者階級をはじめ勤労人民と愛国者は、アメリカ帝国主義と反逆者李承晩一味に反対する激しい闘争を展開し、人民の抗争とストライキがつづきました。

 以上で見るように、解放後5年間、南北に分裂した我が国では、アメリカ帝国主義の朝鮮侵略政策とその手先である南朝鮮の売国的反動層に反対し朝鮮の平和的統一独立を達成しようとする民主勢力と、それに反対する反動勢力との矛盾と闘争が極度に先鋭化しました。

 北朝鮮での革命の歴史的成果と、これにともなう革命勢力の急激な成長、そして、その影響のもとにもり上がった南朝鮮人民の反帝反封建的民族解放闘争は、南朝鮮を占領しているアメリカ帝国主義とその手先である反逆者李承晩売国奴一味に極度の恐怖と不安を与えました。

 こうして、アメリカ帝国主義者と反逆者李承晩一味は、南朝鮮で人民の抗争を鎮圧し、北朝鮮の人民民主主義制度をくつがえし、全朝鮮をアメリカ帝国主義の植民地に変え、朝鮮人民を奴隷化し、ひいては朝鮮を中華人民共和国とソ連、その他アジア諸国に反対する軍事基地に変えるため、数年にわたって犯罪的侵略戦争の準備を進めてきました。

 1950年の夏、南北間の緊張の緩和と朝鮮の平和的統一のために、祖国戦線中央委員会は6月上旬に、最高人民会議常任委員会は6月中旬に、それぞれ南朝鮮当局に会談の開催を提案しました。

 しかし、アメリカ帝国主義者の指図のもとに反逆者李承晩一味は、これらの提案にたいして、準備していた犯罪的戦争挑発をもって答えました。
 朝鮮人民は、アメリカ帝国主義者と反逆者李承晩一味のこのような冒険じみた挑発行為に反対し、革命の獲得物を守るため総決起しました。


 (2) 祖国解放戦争の時期

 同志のみなさん!

 アメリカ帝国主義者をはじめ、16か国の国際反動勢力と売国奴李承晩一味の武力侵攻を撃退し、祖国の自由と独立と人民民主主義制度を守る朝鮮人民の正義の祖国解放戦争は、3年間にわたってたたかわれました。

 戦争によって我々は、平和的建設の中断を余儀なくされ、戦争の勝利のため我々の力を総動員しました。「すべてを戦争の勝利のために!」という我が党のスローガンのもとに、数十万の青年男女が祖国を守るために志願して前線におもむき、労働者階級を先頭とする農民、事務員、勤労インテリとすべての愛国者は、いっさいの事業を戦時体制にきりかえ、戦争の勝利をめざして決起しました。

 我が党は、すべての事業を機動的に戦時体制にきりかえ、前線と後方をかためるための組織活動を進めました。

 党は、数千、数万のすぐれた党幹部と党員を人民軍に派遣し、人民軍を速やかに強化してその戦闘機能を高め、戦闘員に祖国解放戦争の正当性を深く認識させ、愛国主義と不屈の革命精神で教育し訓練する政治・思想活動をおこないました。

 党と政府は、後方をかためるために軍需品の生産が可能なすべての国家企業所を軍需工場にきりかえ、一部の企業所を安全な地帯に分散疎開させて生産を継続させる一方、農村で食糧生産活動を進めました。アメリカ帝国主義に強いられた3年間の戦争は、我々にはかり知れない人的・物的損失をもたらしました。

 しかし党は、いかなる困難や障害を前にしても失望することなく、党隊列内にあらわれた裏切者、卑怯者、動揺分子に反対し、人民を必勝の信念で教育し、常に人民の先頭に立って、かれらを正義のたたかいに決起させました。

 戦争の困難な時期に、党は人民大衆のいっそう厚い信頼と支持を受けるようになり、まさにこれによって、進撃と後退、陣地戦などのあらゆる複雑な戦争の過程で我々は不敗の力となり、歴史的勝利をかちとることができました。

 戦争における朝鮮人民の歴史的勝利について語るとき、我々は、解放後、我が党によって組織、育成、訓練され、抗日遊撃隊の栄えある革命伝統を受け継いだ人民軍が戦争で発揮した無比の英雄主義と献身性について語ることを忘れてはなりません。

 労働者と農民の息子や娘で組織され、祖国と人民の利益を守ることを崇高な任務としている人民軍将兵は、戦争勃発当初から気高い愛国主義と集団的英雄主義を余すところなく発揮しました。かれらは、自分の体で敵のトーチカの銃眼をふさいで部隊の進撃路を切り開き、両腕、両足を失ってもなお手榴弾を口にくわえ敵陣におどり込んで敵をせん滅し、祖国の高地と寸土を最後の血の一滴までささげて守り通しました。こうした事実は、搾取階級のためにではなく、祖国と人民のために戦う人民軍の崇高な精神のあらわれであります。

 また、3年間の朝鮮戦争で中国人民志願軍は、人民軍とともにあらゆる艱難辛苦にたえ、共通の敵をせん滅する正義の闘争で不滅の偉勲を立てました。中国人民志願軍の将兵は、抗米援朝、保家衛国の旗をかかげて朝鮮人民軍と緊密な共同作戦を展開し、アメリカ帝国主義武力侵略者を撃滅してプロレタリア国際主義の崇高な模範を示し、帝国主義者の武力侵略に反対する戦いで国際主義的援助の威力をいかんなく発揮しました。

 戦争における朝鮮人民の歴史的勝利は、また、後方の堅固さによって保障されました。

 老若男女の愛国者で組織されたパルチザンは、敵の背後で人民軍と中国人民志願軍の戦闘行動を助けて積極的に戦いました。かれらは、労働党員の指導のもとに、敵の通信線を切断し、橋梁を破壊し、軍用列車を転覆させ、敵の倉庫を焼き払い、占領者を掃討し、反逆者を処断して、敵に大きな打撃と恐怖を与え、数多くの人民を敵の蛮行と虐殺から救い出しました。

 朝鮮人民は、アメリカ帝国主義の野蛮な爆撃、さらには殺人的な毒ガス弾や細菌弾の破裂する危険をもかえりみず各自の持ち場を守って英雄的に戦いました。

 工場労働者は、戦争の困難な状況のもとで重要な軍需工場を安全地帯に疎開させて速やかに生産を開始し、鉱山、炭鉱をはじめ、工場、企業所の労働者は、疲れを知らず全精力を傾けて国家の計画課題を常に完遂または超過完遂し、戦時生産を保障しました。

 鉄道運輸部門の労働者は、後方の人民の積極的な援助のもとに、うちつづく敵の爆撃と機銃掃射をものともせず、破壊された線路や橋梁、運輸機材を適時に復旧修理して戦時輸送を保障し、命を賭して軍需物資を守りました。

 農民は、食糧増産のために献身的にたたかいました。農民は、田や畑のへりに退避壕を掘り、前線でのように人や牛に擬装をほどこし、農作業をおこないました。敵は農村を野蛮に爆撃しましたが、農民は農作業をつづけました。前線付近での軍需品の運搬、後方の道路、橋梁の復旧でも農民は大きな役割を果たしました。

 苛烈な戦争の時期に、勤労インテリも戦争勝利のために献身的にたたかいました。教育・文化部門の活動家たちは、教育・文化施設が破壊された状況のもとでも、可能な方法と手段をつくし、党と政府の教育・文化施策に従って、人民教育活動と文化活動をつづけ、保健医療部門の働き手たちは、負傷兵と爆傷者の治療と戦時の人民保健医療事業、特に防疫と予防をとどこおりなくおこないました。

 作家、芸術家は、朝鮮人民軍と中国人民志願軍、それに人民の英雄主義と愛国主義、献身性を立派に描いたすぐれた作品を創作して、人民と軍隊を勝利へと励まし愛国主義と集団的英雄主義で教育するうえで寄与しました。また、すべての機関と団体の事務員は、各自の職場を守り、国家機関と大衆団体の管理運営を成功裏に保障しました。

 このように、3年間にわたる苛烈な祖国解放戦争で、英雄的な朝鮮人民がつみあげた業績は実に偉大なものであります。

 我々の戦いは正義のたたかいであるがために、全世界の数億の人民は朝鮮人民に強力な援助と支持を寄せ、侵略者にたいする抗議の声を高めました。

 ソ連は、朝鮮問題の平和的調停のためにあらゆる努力を傾け、朝鮮にたいするアメリカ帝国主義者の侵略行為と蛮行を痛烈に暴露、糾弾しました。ソ連は、停戦の速やかな実現のために停戦会談における我が方の正当な提案を断固支持し、朝鮮での流血的戦争の速やかな終結に大きく寄与しました。偉大なソ連人民は、朝鮮人民に食糧、衣類、医薬品および人民経済の発展に必要な各種の機材と物資を大量に送ってくれました。

 偉大な中国人民は、杭米援朝運動を力強く展開し、祖国に重大な危険が迫っていたあの困難な時期に、すぐれた息子や娘で組織された人民志願軍を派遣し、戦争の全期間にわたって朝鮮人民に生活必需品と食糧などいろいろな形で莫大な援助を提供しました。

 兄弟国であるポーランド、チェコスロバキア、バンガリー、ドイツ民主共和国、ルーマニア、ブルガリア、モンゴル、アルバニア、ベトナム民主共和国の人民は、朝鮮人民を援助するために自国で広範な人民運動を展開し、戦争の全期間にわたって我々に多くの物質的・精神的援助を寄せました。

 兄弟諸国のこのような物心両面の国際主義的援助は、我々の勝利を保障する重要な要因となりました。

 祖国解放戦争の時期に、ソ連と中華人民共和国をはじめ、人民民主主義諸国が朝鮮人民に寄せた惜しみなき援助は、社会主義陣営諸国人民のあいだに結ばれた不敗の親善関係の明らかな示威でした。

 同志のみなさん!

 祖国解放戦争における朝鮮人民の歴史的な勝利は、マルクス・レーニン主義の輝かしい勝利であり、我が人民民主主義制度の無限の生命力と資本主義制度にたいする人民民主主義制度の優位性をはっきりと示し、民主基地の創設とその強化をはかる我が党の路線の正しさを確証しました。

 戦争を通じて、朝鮮人民は、我が党と共和国政府のまわりに固く結集し、世界の平和愛好諸国人民との親善と団結をいっそう強化しました。戦争中、我々が得た貴重な教訓と経験は、朝鮮革命運動の貴重な財貨となり、祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民のたたかいを大きく励ましています。

 朝鮮戦争は、植民地主義に反対し、祖国の自由と独立のために決起した人民はいかなる力によっても征服できず、帝国主義者が植民地・従属国人民にたいする搾取と抑圧をほしいままにした時代はすでに終わったことを全世界の人民にはっきりと示しました。

 朝鮮戦争は、アメリカ帝国主義者の侵略的な野獣性とアメリカ帝国主義侵略軍の強盗的な本性を再び全世界にさらけだしました。

 朝鮮戦争は、アメリカ帝国主義の「強大さ」にかんする神話を完全に暴露粉砕し、ドルに奉仕する軍隊は無能であることを示しました。

 朝鮮戦争は、自民族の自由と独立と平和のために、帝国主義の侵略に断固反対して戦う人民は、常に民主主義および社会主義陣営と全世界平和愛好勢力の強力な支持を受け、必ず勝利することをはっきりと示しました。


 (3) 戦後人民経済復興建設の時期

 同志のみなさん!

 停戦協定が締結され、朝鮮での流血的戦争は終わり、朝鮮人民は再び平和的経済建設に入るようになりました。

 我々には、停戦を強固な平和に変え、朝鮮革命の策源地である北半部の民主基地を政治的、経済的、軍事的に強化し、国の平和的統一のための強力な物質的力量に変えるべき重大な課題が提起されました。

 我が党と共和国政府は、まず人民経済各部門の戦前水準への回復を基本課題とする人民経済復興発展3か年計画を立て、その実現に全人民を奮起させました。3か年計画に予定された戦後人民経済復興発展の主な課題は、戦争によって破壊された人民経済を単にもとのままに復旧するだけでなく、長年にわたる日本帝国主義の悪辣な支配が残した植民地的跛行性をなくし、今後、社会主義的工業化の基礎をきずきあげるために、重工業の優先的な発展を保障しながら、同時に零落した人民生活を安定、向上させるための軽工業と農業を速やかに復興発展させることでした。これは、戦後我が党がうちだした経済建設の基本路線であります。

 労働者階級を先頭にすべての勤労人民が高度の政治的熱意をもって、この重大な課題を実現するために決起しました。

 こうして、3か年計画の遂行に着手してから約2年4か月をへた、こんにちまでに、朝鮮人民は、党の指導のもとに自己の創意性と献身的労働により、すべての難関と隘路を乗り越え、ソ連と中華人民共和国をはじめ、兄弟的人民民主主義諸国の心からの経済・技術援助に励まされ、大きな成果をおさめました。


 @ 工 業

 戦後、工業部門では、大きな成果が達成されました。

 国営および協同経営工業は、3か年計画に予定された1956年度の生産水準を今年1月末現在で上回りました。これは、戦後、工業生産が非常に速いテンポで発展していることを意味します。

 1955年度の国営および協同経営工業の総生産額は、1953年度に比べて2.3倍に増大し、戦前の1949年度の水準を56%上回りました。そのうち、生産手段の生産は3.1倍に増大し、消費財の生産は1.7倍に増大しました。

 戦後、我が党が重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業を速やかに復興発展させる政策を堅持した結果、工業総生産高で生産手段生産と消費財生産の比重は、それぞれ次のように変わっています。

 
1949年 1953年 1955年
生産手段生産(%) 58.6 37.7 51.7
消費財生産(%) 41.4 62.3 48.3


 これは、戦争で重工業が甚だしく破壊されたため、1953年度に生産手段生産の比重が低下したが、戦後、重工業が優先的に発展した結果、すでに1955年度にはその比重が優位を占めていることを示すものであり、これとともに軽工業の急速な発展のためにも多くの資金が投下されていることを示しています。

 戦後における工業のこのような急速な発展テンポは、工業にたいする集中的な基本建設投資によって保障されました。1954〜1955年の期間に、工業にたいする基本建設投資は、国家の基本建設総投資額の47%に当たる255億6000万円(ウォン)に達し、そのうち重工業には204億3500万円、軽工業には51億2500万円が投資されました。

 工業の復旧建設に、このように多額の投資をおこなった結果、1955年末には、すでに金策(キムチェク)製鉄所、黄海製鉄所、降仙製鋼所、城津製鋼所、清津製鋼所、水豊発電所、虚川江(ホチョンガン)発電所、長津江発電所、大安電機工場、平壌電機工場、楽元機械工場、北中機械工場、龍城機械工場、煕川機械工場、それに興南肥料工場と本宮化学工場をはじめとする化学工場と多くの炭鉱や鉱山、建材工場や造船所、平壌紡織工場、亀城(クソン)紡織工場などの紡織工場と各種の日用品工場をふくめて236の国営企業所が完全に、または部分的に復旧されて操業を開始し、71の国営企業所が新たに建設されました。このような大規模の工業建設と復旧工事の進展テンポはかつて我が国の歴史に見られなかったことです。

 戦後、工業は甚だしい破壊から急速にたちなおり、その生産は日増しに高まっています。

 金属工業、鉱石採掘業、機械製作および金属加工工業をはじめ、重工業の重要部門の生産量は一躍増大し甚だしい破壊の痕跡を一掃し、すでに戦前の1949年度の水準を上回りました。1955年度に機械製作および金属加工工業は3.3倍に、鉱石採掘業は107%に、金属工業は109%に、建材工業は2.8倍に、それぞれ戦前の1949年度の水準を突破しました。ただし、戦争中あまりにもひどく破壊された関係で短期間に復旧の困難な電力工業、燃料工業および化学工業だけは戦前の1949年度の水準にまだ達していません。

 生産手段生産とともに消費財生産が年ごとに増大しています。同じ期間に紡織工業は2.2倍に、製紙工業は106%に、製革および製靴工業は196%に、食品工業は120%に、製薬工業は2.6倍に増大しました。

 いままで我が国になかった新しい工業部門が創設されて大量の新製品が生産されるようになったのは、3か年計画の遂行で我が国の工業がおさめた最も重要な成果の一つです。戦後、我が国では新しい工業部門が創設され、これにともなって、我が国工業史上まだ生産したことのない直流発電機をはじめ、電気機械、新型旋盤をはじめ工作機械や鉱山用機械、それに畜力播種機、除草機など農業機械と各種の高級絹織物のような重工業および軽工業製品が生産されました。

 新しい工業部門の創設とその速やかな発展にともない工業の部門別構成もまた変化しました。解放前、日本帝国主義の支配当時、最も立ち後れた部門であった機械工業と軽工業が工業生産で占める比重は、著しく高まりました。工業総生産額のうち、機械製作と金属加工工業の占める比重は、解放前1944年の1.6%から戦前の1949年には8.1%に、1955年には17.9%に高まり、同じ時期に紡織工業の比重は6%から11.4%、17.2%に向上しました。

 これは、すでに我が国の工業が悪辣な日本帝国主義の統治が残した植民地的跛行性と奇形性を著しく克服し、また、ひきつづき克服する方向に発展していることを示すものであります。

 このように我が国の民族工業は、その発展において重要な転換期にあります。

 戦後、我が国の工業には、新しい生産技術と先進的作業方法が導入され、労働者の技能水準が少なからず高まり、1955年には工業における労働生産性が戦前の1949年の水準を32%も上回りました。

 労働生産性のたゆみない向上は、新しい社会制度の勝利のための最も重要かつ主要な条件であります。こんにち、我が国の勤労者は、労働生産性をいっそう高めるために増産競争運動を広く展開しており、また、その過程を通じて数多くの生産革新者、創意考案者、労働英雄が輩出しています。1955年だけでも、かれらの創造的発案によって生産と建設にとり入れられた創意考案の件数は実に5600件余にのぼり、それは国家に莫大な利益を与えました。

 党は、工業の発展に必要な技術幹部と労働力の予備の養成にも大きな注意を払いました。1954〜1955年のあいだに、我々は技術大学と技術専門学校を卒業した8200余名の技師、技手と技術資格検定試験に合格した1400余名の技師、技手を育成しました。特に戦時と戦後を通じて、ソ連、中華人民共和国、人民民主主義諸国で約400名の学士ならびに技師、技手を養成しました。このほかにも我が党は、職工学校、労働者学校をはじめ,各種の養成体系を通して2万7600余名の技能工を養成したばかりでなく、数千名の見習工を兄弟諸国に派遣して先進技術を習得させるとともに、ひきつづき労働力の予備を養成する一連の対策を講じています。

 同志のみなさん! 以上で述べたように、戦後、工業分野では実に大きな成果が達成されました。我が国の工業は、戦争による深い傷跡を基本的に癒し、重工業はいっそう急速に発展しており、同時に軽工業も速やかな発展を遂げています。


 A 農 業

 党は農業部門で、3か年計画期間にまず穀物生産を戦前の水準に到達させると同時に、今後の我が国農業の急速な発展の土台をきずくことに大きな注意を払いました。

 戦後、我々は、穀物生産を増やし、工芸作物の栽培を増大させ、また畜産業を発展させるために、農業に多額の投資をおこなうとともに、その他一連の根本的な対策を講じるべきでありました。さきの戦争で農業は甚だしく破壊され、また元来、我が国は耕地が乏しく、新しく多くの土地を開拓することもできない実情にあるので、土地の利用度をいろいろな方法で高めるとともに、休閑地を残らず利用することは非常に重要なことであります。農業の復興発展のためには、こうした実情にたいする考慮を必要とします。

 しかし、農業部門の幹部と計画部門の活動家は、3か年計画と年度計画の作成において、農業がこうむった戦争被害の程度やその他の具体的な条件を慎重に考慮せず、主観的欲求にとらわれて膨大な計画課題を設定し、その計画課題の実行に必要な条件をととのえる対策を十分に予見できませんでした。そのため、計画実行の過程にあらわれたように、農業発展のための3か年計画は現実に合いませんでした。

 党中央委員会は、1954年11月総会と1955年12月総会で農業を急速に復興発展させるために、農村指導にあらわれた欠陥を速やかに是正するための具体的な方針を示しました。

 これらの方針に従って1956年には、農業への投資を3か年計画の予定額よりも大幅に増やし、潅漑施設と河川堤防工事を大々的におこなうと同時に、潅漑ならびに揚水に必要な各種の機械設備を保障し、農業機械や化学肥料の生産を増大させる対策を講じました。その結果、戦後3か年計画期間に、農業への投資は計画よりも37%増加するものと見込まれています。

 1954年と1955年の2年間に、耕地面積は3万7700余ヘクタールがさらに拡張され、平南潅漑工事をはじめ大規模の潅漑工事が進められ、43の貯水池と568の揚水場が建設されました。潅漑工事は、1956年にいたりいっそう新しい規模に拡大されています。こうして、1954年から現在まで国家の基本建設投資によるものだけでも9万ヘクタールの潅漑面積が増大し、10万ヘクタール以上の耕地を水害から守る河川堤防工事が進められました。

 党と政府は、農業部門で労働生産性を高め、労働力と畜力の不足を解決するために、戦後さらに31か所の農業機械賃耕所を増設しました。1955年度には、1953年度よりも農業機械賃耕所は3倍に、トラクターの台数(15馬力に換算)は3.9倍にそれぞれ増加し、また、脱穀機や除草機をはじめ、数多くの畜力農業機械が農村に供給されました。こうして1955年度に農業機械賃耕所による耕転面積は37万ヘクタールに達しました。

 停戦後、農業発展における最も重要な変革は、農村における社会主義的改造のための農業協同化運動が急速に進展していることであります。

 個人農経営を協同経営に改造することは、工業と同じく農業の計画的な発展を可能にし、人民経済の重要部門である工業と農業間のつりあいのとれた発展を保障し、農村における搾取と貧困の根源を取り除き、農民の物質・文化生活水準を高めるうえで決定的な意義があります。ことに戦禍のため農村に労働力、畜力ならびに農機具が不足し、農民の経済的基礎が著しく弱まった状況のもとで、農業の協同化はいっそう切実に要求されました。

 このような必然的要求から、我が党は農業協同組合を組織し発展させる課題をうちだしました。

 我が国の農業協同化運動は、1953〜1954年の実験的段階でおさめた成果にもとづき、1955年からは大衆的に、急速に発展しはじめました。

 このようにして、1956年2月末現在、我が国の農村には1万4651の農業協同組合が組織運営されており、これには全農家の65.6%と耕地面積の62.1%がふくまれています。これらの協同組合の組織形態はほとんどが第3形態で、それは全組合数の96%を占めています。

 農業協同組合は、我が党の積極的な指導と組合員大衆の熱心な労働によって大きな成果をおさめました。その間、農業協同組合では、農耕地を拡張、改良し、先進的な営農技術を広く導入して穀物の収穫高を大幅に高め、畜産、漁業、養蚕およびその他副業生産を組織して多額の現金収入を得ました。

 農業協同組合では、その間、家畜や多くの農機具を購入し、共同の建物をたて、多額の共同蓄積基金や社会文化基金を設けるなど共同経営の物質的土台を強化しました。多くの協同組合管理幹部と指導幹部が育成され、協同経営の実際の運営を通じてかれらは経験を積み、組合員大衆の共同労働にたいする積極性と共同財産の愛護精神はしだいに高まりました。

 このような成果は、今後、農業協同組合を組織的、経済的にいっそう強化発展させうる重要な裏付けとなります。

 同時に、党と政府は、いまなお農業で少なからぬ比重を占めている個人農にたいしても、やはり国家の援助を与えて営農を保障し、生活を改善し向上させることに大きな注意を払っています。

 農村における人手不足の問題を解決する重要な対策の一つとして、農村に労動力を定着させるとともに、数万の除隊軍人を農村に派遣して農業に従事するようにしました。

 国営農牧場はまだ、我が国の農業で小さな比重を占めているにすぎません。しかし、この部門でも少なからぬ発展を遂げました。国営農牧場は主に戦時中、多くの発展を遂げました。1955年には戦前の1949年に比べて、国営農牧場の数は約6倍に、その作付け面積は約14倍に拡張されました。ここ2年間はこの部門の量的成長よりも、その組織的・経済的強化に大きな関心が払われました。

 畜産業は、国営と個人経営のいずれをとわず、まだ立ち後れた状態にあります。党と政府の適切な対策によって戦時、戦後を通じて少なからず進歩したとはいえ、畜産業は今後の根本的な改善が求められています。

 農業生産は、まだ全般的に低い水準にあります。我が党とすべての農民と農業部門の幹部は、農産物にたいする人民経済の需要をみたすためにひきつづき不屈の闘争を展開すべきであります。


 B 商品流通、運輸、逓信

 停戦後、工業および農業生産の急速な発展とともに、商品流通分野でも大きな成果が達成されました。

 国営および協同経営の商業網はひきつづき拡張され、小売商品の流通額が増大しています。1955年度の国営および協同経営の商業綱における小売商品の総流通額は、1949年度に比べ170%に増加しました。

 貿易は、まだ戦前の水準に達しておらず、貿易高は1949年度に比べて、その41%にすぎません。我々は、輸出物資を積極的に探し出し、生産し、貿易をいっそう拡大すべきであります。

 通貨の安定と固定化のための党と政府の正しい施策によって、戦後、貨幣流通が改善され、貨幣の価値も固定し、インフレが防止されました。このようにして、戦後も我々は安定した国家財政予算を立て、年々支出にたいする収入の超過をもたらしています。

 戦後の膨大な復興建設と工業および農業生産の増大と商品流通の増加は、運輸・逓信部門の急速な復興、発展をともないました。

 停戦後、1955年末までに、859キロメートルの鉄道が復旧または新設され、総延長21キロメートルに及ぶ303か所の橋梁が復旧または新設されました。

 1955年度の鉄道による貨物輸送は、1949年度の水準を11%上回り、機関車の一昼夜平均走行距離は1949年度に比べ広軌で10%増加し、貨車回帰日数は20.9%短縮されました。これは、輸送の需要に比べて機関車と貨車が不足している状況のもとでは、いっそう重要な意義をもちます。

 1955年度のトラックによる貨物輸送は、1949年度に比べて約4倍に増加しました。しかし、河川・海上運輸はいまなお立ち後れた状態にあります。

 戦後、逓信部門もめざましく復旧、拡張されました。1955年度の国内通常郵便は、1949年度に比べて113%に増加し、1955年度からは近代的な技術設備を備えた新設の中央放送局が放送を開始しました。1955年度には1954年度に比べて149か所の有線放送局が増設されました。


 C 人民の物質・文化生活水準の向上

 人民経済の復興建設でおさめた成果と、党と政府の諸施策によって、戦後、勤労人民の物質生活はしだいに改善され、文化生活水準も向上しています。

 3か年計画の初めの2年間に国民所得が著しく高まり、1955年度には1953年度に比べて160%、戦前の1949年度に比べて111%に増大しました。

 戦後、4回にわたって一般消費物資の価格が引き下げられました。1955年度に国営および協同経営商業の物価水準は1953年度に比べて40%下がり、その結果この期間に住民の得た利得は約300億円に達しています。物価の引き下げとともに、この期間労働者、事務員の貨幣賃金は平均35%高まりました。こうして労働者、事務員の実質賃金はいちだんと高くなりました。

 このほかにも、労働者、事務員は社会保険および社会保障による補助金、無料の静養および休養、無料治療、無料教育の恩恵を受けています。

 党と共和国政府は、農民にも直接的な物質的恩恵を多く与えました。戦時の農民の現物税未納分、銀行貸付金、施設使用料などにたいする多額の免除措置とともに、かれらの営農事業を助けるために多額の資金を貸付け、必要な種子用穀物や食糧、肥料を提供しました。こうして、戦時と戦後、農民に融資した資金は55億円以上に達し、農民の未納の現物税、潅漑使用料、貸与穀物のうち免除量は戦後だけでも6万5000余トンに達し、食糧および種子用穀物の貸与は18万5000余トンにもなります。そればかりか、農業現物税の税率を引き下げ、それを固定させる方向で現物税法を改正しました。

 人民生活に必要な住宅と教育・保健医療・文化施設の復旧建設でも多くの成果が達成されました。停戦後1955年末までの期間に、国家資金で350余万平方メートルの住宅が建設され、1285の各級学校と182の病院が建設されました。

 社会文化施策への予算支出は、毎年増大しています。1955年度の国家予算のうち、教育・文化・保健医療部門にたいする支出は、1949年度に比べて約2.5倍に増大しました。

 人民教育事業が急速に復興発展した結果、こんにち、共和国の各級学校では194万2000名以上の学生が学んでいます。現在、ソ連、中華人民共和国その他の人民民主主義諸国の大学と専門学校で学んでいる朝鮮の留学生は約4800名に達しています。

 我が国では戦後、3万7000余名の高級中学校および各種専門学校の生徒と6200余名の大学生が卒業しました。

 科学研究施設が拡充され、科学院をはじめ、多くの科学研究所が活動しています。また、数多くの各種文化機関が増設され、保健医療施設も拡張されました。病院のベッド数は戦前に比べて241%に増え、新たに診療所が数百も増設され、治療機関の医師数は戦前に比べて114%に増えました。

 このように戦後、党と政府は人民の物質・文化生活を向上させるために多くの活動をおこないました。しかしこれは、人民の増大する需要をみたすにはまだ非常に不十分であります。

 同志のみなさん! 以上で述べたように、戦後人民経済復興建設事業は成功裏に進められています。

 労働者階級の指導する労農同盟の強化にもとづき、我々の人民民主主義制度はいっそう強化されました。

 我が国の工業と農業には重要な質的変化が起こり、都市と農村とのつながりが強まり、農村の社会主義的改造が促進されています。

 報告期間、特に戦後、人民経済のすべての分野で、社会主義的要素はさらに成長しました。

 共和国北半部で歴史的な民主改革が実施された後、我が国の経済には基本的に3つの経済形態、すなわち国営および協同経営からなる社会主義的経済形態、農村の個人農経営と都市の個人手工業からなる小商品経済形態、都市の資本主義的商工業と農村の富農経営からなる資本主義的経済形態がありました。

 これまでのあいだ、国の経済における社会主義的要素の急速な拡大発展にともない、我が国の経済構造には大きな変化が生じました。

 1949年度に我が国の工業総生産額のうち、国営および協同経営の工業総生産額が占める比重は90.7%であったが、1955年度にはそれが98.3%に高まりました。こんにち、いくらにもならない個人企業で生産されるものは、主に手工業的日用品であり、個人企業としては小規模の精米業、綿打ち業、そして、取るに足らない建材生産のようなものがあるのみです。

 このような実情は、こんにち我が国で工業生産のほとんど全部が、国営および協同経営部門に属し、個人企業は発展しつつある社会の政治的・経済的影響のもとに、遠からずすべて社会主義的に改造されるであろうことを示しています。

 我が国の農業は、1949年度に国営農牧場と農業機械賃耕所をふくむ社会主義的要素が農業総生産額のうち、わずか3.2%を占めるにすぎませんでした。当時は農業協同組合がなく、農業生産のほとんど全部が個人経営によってなされていました。しかし、こんにちになって、その事情は一変しました。国営農牧場と農業機械賃耕所が数倍に増え、特に農業協同組合が急速に増えた結果、1955年度に国営農牧場、農業機械賃耕所、農業協同組合を包括する社会主義的経営は、我が国農業全般で支配的な地位を占めるようになりました。こうして国営農牧場、農業機械賃耕所、農業協同組合は、我が国の農業で指導的役割を果たし、農業の急速な発展と社会主義的改造の強固な土台となりました。農業協同組合のうちには、まだ生産手段にたいする私的所有が保たれている経営形態もあり、収入にたいする分配を労働と生産手段によって実施している半社会主義的経営形態もあります。しかしこれは、1956年2月末現在、農業協同組合総数の4%にすぎず、それも近い将来、完全な社会主義経済形態に改造されることでしょう。

 土地改革以後、農村の富農は次第に減少していきました。とりわけ戦時中、一部の富農はひどい被害をこうむり、中農または都市小商工業者にかわりました。こんにち、我が国の農家戸数のうち、富農の比重は0.6%未満であり、その経済的土台も微々たるものです。

 商品流通分野でも社会主義的要素がしだいに拡大強化された結果、1949〜1955年のあいだに小売商品流通総額のうち国営および協同経営商業が占める比重は56.5%から84.6%に増え、私営商業の比重は15.4%にすぎません。

 このように、人民経済のすべての部門で社会主義的要素はすでに確固とした支配的および指導的地位を占めており、これは今後、人民経済全般を社会主義的に改造するための強固な物質的土台となるでしょう。

 共和国北半部の経済構造におけるこのような変化とともに、住民の社会的・階級的構成のうえにも少なからぬ変化が生じました。

 国営工業の急速な発展にともない、労働者階級の隊列がひきつづき成長しています。1955年末現在、労働者数は1949年に比べて142%に増え、1953年に比べては147%に増えました。

 農業協同組合員の急速な増加は、農民構成のうえにも大きな変化をもたらしました。

 こうしたすべての事実は、社会主義建設をめざす我々の闘争で著しい経済的および社会的進歩がなし遂げられたことを示しています。


 2 共和国北半部における社会主義経済建設のために

 同志のみなさん!

 戦後人民経済復興発展3か年計画の多くの課題はすでに完遂されました。この計画のすべての課題が期限内に完遂、または超過完遂されるであろうことは少しも疑う余地がありません。3か年計画の成功的な進行によって、我々は今後人民経済発展のさらに大きな展望を見通して、経済・文化建設で、より長期的な計画である第1次5か年人民経済計画を立てることができるようになりました。

 来年度から始められる第1次5か年計画期間には、戦後に達成されたすべての成果にもとづき、共和国北半部での社会主義建設で大きな前進を遂げなくてはなりません。

 人民経済のすべての分野にわたって、社会主義的部門をさらに拡大発展させ、工業化の基礎建設をより力強くおし進め、軽工業と農業生産を新たな水準に引き上げ、人民の物質・文化生活をひきつづき向上させなければなりません。

 5か年計画期間に、人民経済発展における主導的役割はなによりもまず重工業が果たすことになるでしょう。なぜなら、重工業を優先的に発展させなくては、人民経済のすべての分野で拡大再生産をおこなうことができず、人民経済の技術改造と労働生産性のたえまない向上をもたらすことができないからです。

 したがって我々は、重工業の優先的な発展に依拠しながら、軽工業と農業を速やかに発展させ、それにもとづいて人民の物質的福祉をはからなければなりません。


 (1) 工 業

 我々は今後、工業をさらに速いテンポで発展させるべきです。新しい近代的な工場をより多く建設し、既存の工場を改造して、工業の植民地的跛行性を完全になくし、我が国で社会主義的工業化の実現を促進しなければなりません。

 人民経済の全般的発展の基礎となる金属、電力、機械、石炭、化学、建材の各工業部門を優先的に発展させ、特に我が国で最も弱い部門である機械工業を速やかに発展させるべきです。

 機械工業を発展させ、工業自体の技術的改造をおこなうとともに、農業、運輸、逓信、特に膨大な建設部門をはじめ、人民経済各部門を新しい技術で装備しなければなりません。

 軽工業部門では、主に国内の原料源に依拠する新しい工場をより多く建設し、現存の工場をさらに拡張して、人民の生活必需品生産をいちだんと増大させなければなりません。


 @ 金属工業

 5か年計画期間における金属工業部門の重要な課題は、溶鉱炉、コークス炉、平炉、電気炉などの復旧、新設をひきつづきおし進め、圧延設備などをたえず補強し、鋼材の需要を解決することであります。

 1961年度には、1956年に比べて銑鉄は2.8倍、粒鉄は3倍、鋼鉄は3〜3.5倍、圧延鋼材は3.5〜4倍にそれぞれ増大させなければなりません。

 そして、城津製鋼所では、高速度鋼、炭素工具鋼のような特殊鋼や珪素鋼板をはじめ、各種の鋼板をより多く生産する対策を立てるべきであります。1960年度から金策製鉄所を全般的に拡張する建設にとりかかれるよう準備工事を予定しておくべきです。

 非鉄金属工業部門では、精錬所の電解能力をひきつづき拡大し、鋼、亜鉛、鉛をいっそう多く生産し、非鉄圧延施設をさらに拡張新設して銅板、銅線などを生産すべきであります。合金属にたいする研究を強化し、非鉄金属と稀有金属などによる合金製造工業の創設を準備しなければなりません。

 金属工業部門工場の増大する原料需要を満たすためには、我が国の豊富な地下資源の採掘を強化しなければなりません。鉱業部門では、現存の鉱山を機械化して生産能力を著しく高め、新しい鉱山をさらに開発する対策を立てるべきです。甲山(カプサン)銅山の操業を早め、虚川(ホチョン)地区のコバルト鉱山と狼林(ランリム)山脈の重石鉱などを開発しなければなりません。

 鉱山の開発で最も重要なのは、地下資源探査事業です。第1次5か年計画期間に地下資源探査隊をさらに増やし、いたるところで探査をおこない、今後、両江(リャンガン)道地区と端川(タンチョン)地区に大規模の鉱山地区を建設しなければなりません。

 鉱業で重要な意義をもつ鉱石の分析研究事業を強化するために必要な実験所を設け、その専門家を養成しなければなりません。

 金属工業の発展の見通しにもとづき、鉱業の発展展望計画を立て、現在のように当年度に必要なものを当年度に探査し採掘するといった、その日暮らしの態度を一掃すべきです。


 A 機械工業および電力工業

 5か年計画期間に機械工業部門には、工作機械をはじめ、電気機械、農業機械、鉱山用機械、建設用機械、エンジン、船舶などをさらに多く生産すべき課題が提起されています。

 戦後、新しく建設した機械工場をいっそう完備し、すでに建設に着手した機械工場を完成し、新しい工場をさらに建設しなければなりません。こうして、我が国の立ち後れた機械工業をより速やかに発展させうる強固な基礎をきずかなければなりません。

 我々は、昨年はじめて鉱山用機械や改良農業機械、船舶、変圧器、電動機などを大量生産し、鉱業、農業、水産業に利用しはじめました。これは非常にすばらしいことです。朝鮮人が自力で工作機械や電動機、エンジンのような機械を生産するのは、我が国の歴史上はじめてのことであり、国の工業発展における一大革命であります。

 機械工業の母体となる工作機械工場や雲山(ウンサン)工具工場の建設を完了して工作機械や工具をより多く生産し、その品目をいっそう増やすべきです。

 大安(テアン)電機工場をさらに完備し、大型電気機械職場と電気計器類および低圧器具類工場の新設を予定するとともに、平壌に電機総合工場を新設し、1961年末には各種の電動機、変圧器、電線、計器類や家庭用電気器具類を生産しなければなりません。

 鉱山や炭鉱に必要な削岩機、クラッシャー ボールミル、巻揚機、コンプレッサーなど各種の鉱山用機械や膨大な基本建設に必要な建設用機械などを大量生産すべきです。まず、小型起重機からはじめて、タワー起重機、コンクリート・ミキサー、 コンベヤー、掘削機のようなものを大量に生産しなければなりません。

 現在、生産している改良農業機械の品質を高め、ひいては畜力農業機械とともに漸次、動力農業機械も生産しなければなりません。

 造船業部門では、順次、小型鋼船の建造へと移行すべきであります。

 そして、エンジン工場と自動車組立工場、鉄道客車および貨車修理工場の建設も完成しなければなりません。

 各修理工場や機械工場などでは、機械の稼働率をさらに高める闘争をくりひろげ、人民経済の各部門に必要な機材や部品をさらに多く生産し、人民生活に必要な自転車、ミシン、各種の日常生活用具も生産しなければなりません。

 工業の発展にともなう電力の需要を満たし、人民に電力を円滑に供給するために、発電所の復旧と送電網および配電所の整理を完了すべきです。

 そして、戦争のため工事を中止していた禿魯江(トンロガン)発電所と江界(カンゲ)発電所の建設をつづけ、禿魯江発電所は1959年度に完工し、江界発電所は1961年度には一部操業を開始しなければなりません。

 こうして、1961年度には発電量が85億KWhに達するようにしなければなりません、このほかにも、今後、電力資源の探査と開発を力強くおし進めるために、大同江上流と鴨緑江、禿魯江、清川江流域で電力資源の調査を進めなければなりません。


 B 石炭工業

 石炭工業部門の主な課題は、石炭の山に腰をおろして毎年大量の石炭を輸入するといった、許すことのできない現象をなくし、日増しに増大する工業、運輸および住民の石炭需要を国内炭で満たすことにあります。

 第1次5か年計画期間に、石炭産出量を1956年に比べて1.7倍以上に増大させなければなりません。

 石炭生産を増大させるためには、力を分散させず、重要な大きい炭鉱に設備および機材を集中的に供給し、技術者を集中的に配置しなければなりません。炭鉱では、特に運炭、積載作業からまず機械化し、坑道を規格化して坑内作業の安全対策を徹底的に立てるべきです。

 現存の炭鉱の改造とともに、新しい炭鉱の開発と探査を計画的に進め、有望な石炭埋蔵地域であるへンヨン地区にたいする探査も進めなければなりません。

 不足している高カロリー炭の増産に特別の注意を払い、無煙炭で練炭をつくり、鉄道の需要を国内炭で満たすようにしなければなりません。

 国内炭の品質を高めるため、重要な炭鉱には、選炭施設を備え、用途別品位と規格を制定し、石炭の効果的利用対策を立てなければなりません。

 工場、企業所では、熱管理を強化し、いろいろな方法で石炭節約運動を強力に展開すべきです。

 燃料部門の学者と技術者は、無煙炭をガス化する研究を進め、工業におけるガス用炭問題と都市ガス化の問題を解決しなければなりません。


 C 化学・建材工業および林業

 化学工業部門の重要な課題は、農業に必要な化学肥料の生産を増大することです。

 興南肥料工場の硫酸アンモニウム工場を完全に復旧し、硝酸アンモニウム工場を新設し、本宮化学工場を完全に復旧して石灰窒素肥料の生産を増やし、塩安および燐肥料を生産する対策を立て、1961年度には年間化学肥料40万トン以上生産できるようにしなければなりません。

 肥料生産とともに、各種の農薬および試薬の生産対策を立てるべきです。

 苛性ソーダ、染料工場を新設し、本宮カーバイド工場を完全に復旧してカーバイドからアルコールを生産し、合成繊維、塩化ビニールのような有機合成工業製品の生産を準備しなければなりません。

 電力資源や石灰石、無煙炭などの資源が豊富な我が国は、今後、大規模の電気化学工業を発展させうる可能性をもっています。今後、阿吾地(アオジ)化学工場と永安(ヨンアン)化学工場で、プラスチック製品を生産するようにし、応用化学や製薬工業も発展させるべきです。

 膨大な基本建設は、大量の建材を必要とします。セメント生産能力を高め、年間100万〜150万トンのセメントを生産するようにしなければなりません。

 こうして、セメントで組立式建材をつくり、木材と鋼材を節約するため鉄橋の桁や電柱、枕木のようなものも、コンクリートで代用すべきです。

 建材工業でまた重要なのは、レンガや瓦の生産を増やして品質を高めることです。

 また、人造スレート、天然スレートや各種の石材生産も増大させなければなりません。

 建材生産では、地方の原料を大いに利用し、国営工場ばかりでなく、協同経営体や個人までも、建材や建具・金具を広く生産するようにすべきです。このような事業に、党と政府は必要な援助を与えるべきです。

 林業部門の基本的課題は、甚だしく破壊された森林資源を復興拡張するため、造林および山林保護育成事業を力強くおし進め、あらゆる面から木材の節約対策を講じることにあります。植樹を広くおこなって山野を緑化し、山林を保護育成する事業を全人民的な運動としてくりひろげなければなりません。植樹造林事業は、一定の展望計画のもとに、建設用材と工業用材に適した種類の樹木を選んで計画的におこない、植樹後の活着率を高めるべきです。

 伐採、造林および木材消費で厳格な規律と秩序を立て、強力な節約対策を講じなければなりません。原木生産でも損失を少なくし、枯木や枝木なども捨てずに利用するため現地での移動式加工工場の設置を研究し、製材木片なども利用して、有用な製品を生産する対策を講じなければなりません。木材の浪費をなくし、建設部門で木材の消費基準を引き下げる対策と設計で木材を節約する方法を広く講ずるべきです。


 D 軽工業と水産業

 人民の生活を速やかに向上させ、その物質的福祉の増進をはかるためには、軽工業をいっそう発展させるべきです。

 第1次5か年計画期間には、人民生活にとって最も重要な意義をもつ衣料生産と食品加工工業に深い注意を払わなければなりません。

 1961年には、1956年に比べて各種の織物生産を1.5〜2倍に増やさなければなりません。

 紡織工業の発展で最も重要な問題は、我が国に不足している繊維原料を解決することです。このために、繊維作物を大量に栽培するとともに、清津紡績工場の復旧工事を早め、1958年度からは人絹糸とスフを生産できるようにし、科学者は、芦で人絹パルプを生産する研究を進めなければなりません。

 長い歴史と伝統をもつ絹織物生産を先進的な工業的方法で発展させる任務が我々に課されています。第1次5か年計画期間に、平壌絹織物工場を完工し、製糸工場の能力を拡大し、生糸と絹織物の生産を増やして品質を高め、特に絹織物の加工を改善しなければなりません。

 現在、建設中の染色加工工場を1957年に完工し、漂白地、染色地を人民に供給できるようにすべきです。

 被服工業を発展させ、多種多様な衣服を大量生産して供給し住民の便宜をはからなければなりません。

 我が国で多く生産される農産物と水産物で、各種の食品を大量生産し、その品質を高めるべきです。

 住民により多くの食用油を供給し、工業用油脂を供給するため、製油工場の能力を最大限に利用し、油脂原料の生産を増大させなければなりません。

 製紙工業部門では、現存施設を改造し、設備利用度を高めることによって、各種の紙類生産を拡大し、加工紙の生産も新しく始めるべきです。

 製紙工業を発展させるためには、パルプ原料の解決が非常に重要であります。5か年計画期間に、芦や稲のわら、トウモロコシの茎を原料に紙を生産する措置を講じなければなりません。

 製靴工業部門では、1961年度に、人口一人当たり年に約2.4足ずつゆきわたるよう、各種の靴を生産しなければなりません。

 水産業では、第1次5か年計画期間に、漁獲高を1956年度に比べて1.3倍以上に増やし、住民により多くの水産物を供給し、ひいては化学工業、油脂工業、製薬工業部門にもより多くの原料を供給すべきです。

 水産業を単なる季節的な仕事とみなし、腕をこまぬいて大魚群を待つといった投機的傾向を徹底的になくさなければなりません。各種の刺網漁業と延縄漁業をはじめ、中小漁業を多角的に組み合わせて運営し、遠洋漁業と捕鯨業を発展させ、四季を通じて漁労をつづけ、漁場を広げなければなりません。

 5か年計画期間に、西海の水産業をさらに改善しなければなりません。このために、西海の特殊な海洋条件に適した施設をととのえ、特に平安北道多獅(タサ)島港をしゅんせつし、その付近にある島々にも漁労基地をきずかなければなりません。

 漁船と漁具を多面的に利用できるように、その構造と性能を改善し、漁港施設を復旧拡張し、陸揚げ作業を機械化する対策を講じるべきです。

 海洋条件と魚群の回遊状態を把握できるよう、調査研究事業を強化し、水産資源の保護、養殖に格別の注意を払わなければなりません。

 水産物加工品の品質をいちだんと高め、冷凍品の生産を増やし、包装を改善すべきです。

 国営水産業ばかりでなく、水産協同組合と半農・半漁協同組合の漁業もさらに発展させなければなりません。


 E 運輸および逓信

 第1次5か年計画期間、人民経済の急速な発展にともない、輸送量の著しい増大が見こまれます。

 1961年度には、鉄道貨物輸送量を2300万〜2500万トンに高め、1949年度の輸送量に比べ1.4〜1.5倍に増大させなければなりません。

 鉄道旅客輸送を増大させ、これを文化的なものにしなければなりません。

 鉄道運輸部門の重要な課題は、戦争による被害を基本的になくし、一部の施設を拡張し、鉄道運輸の技術装備を改善することにあります。輸送能力を高めるために高原(コウォン)−新成川(シンソンチョン)間、古仁(コイン)−价古(ケゴ)間の鉄道を電化し、古茂山(コムサン)−輸城(スソン)間の増大する貨物輸送を保障するため、この区間に複線を敷き、海州(ヘジュ)セメント工場の拡張にともない、下聖(ハソン)−鼎島(チョンド)間の狭軌を広軌にかえるべきです。

 技術駅と平壌操車場を拡張する一方、清津、咸興に新しい操車場を建設しなければなりません。

 また、輸送能力を強化するため、今後、一部の区間を半自動閉塞装置に改造し、通信設備を改良しなければなりません。

 1961年度には、貨車回帰日数(広軌)を4.5昼夜以下に縮め、機関車1昼夜の平均走行距離(広軌)は230キロメートル以上にすべきです。

 機関車と車両修理工場を復旧し、5か年計画期間に車両の修理にとどまらず、不足する貨車の一部を自力で生産するようにしなければなりません。

 水上運輸では、まず東海岸と西海岸の主要港湾の復旧を予定し、特に南浦(ナンポ)港のしゅんせつ工事に着手し、大同江をはじめ、主要河川での輸送事業を発展させるべきです。

 自動車輸送では、自動車の技術管理と運営事業を改善強化し、自動車による旅客輸送を拡大して人民の便宜をはかるべきです。そして、自動車道路網を改善するため、まず、戦争中に破壊された主要道路や橋を基本的に全部復旧しなければなりません。

 逓信部門では、電話通信網を拡張し、まだ電話通信の入らない里にいたるまで通信連結を保障し、有線放送施設網を拡張しなければなりません。

 第1次5か年計画期間中に必ず解決すべき工業部門の重要課題は、およそ以上のとおりです。

 3か年計画期間は、主に既存企業所を復旧する時期でしたが、5か年計画期間は企業所を新しい技術にもとづいて改造拡張し、新しい工場を建設する時期であります。

 この課題を実現するためには、先進技術を十分学んで取り入れ、工業内部のあらゆる予備を積極的に探し出して利用し、設備の利用を改善し、労働生産性を高め、各種の原料と資材を節約し、製品の原価をひきつづき引き下げなければなりません。

 5か年計画期間には、新しい作業方法を取り入れ、設備の利用度を高める方法で工業生産の多くの部分の増大をはからなければなりません。金属工業と建材工業部門だけでも、この方法で、年間数万トンの銑鉄と10余万トンのセメント、1億個以上のレンガを追加生産することが可能であります。

 科学者、技術者、労働者の発明と生産合理化のための創意考案を速やかに生産に導入し、広く普及する事業を改善しなければなりません。

 工業部門では、生産品目を増やし、品質を改善することを重要な課題としなければなりません。新しい工業製品を増やすために、省、局、企業所は、新しい製品を生産するための技術的条件をあらかじめ準備し、試験製作と検査分析を系統的におこない、企業所内の職場相互間、企業所相互間、工業部門相互間に専門化と連帯生産を広く実施しなければなりません。

 人民経済の蓄積を増やす基本的条件は、労働生産性の向上と原価の引き下げです。

 労働生産性を高める重要な条件は、技術装備を改善し、勤労大衆の技術・文化水準を高め、労働規律を強め、労働力の組織を改善することです。第1次5か年計画期間に、工業での労働生産性を1.5倍以上に高めなければなりません。作業を機械化できる可能性を残らず利用し、手間がかかり、骨の折れる作業を機械化することに格別の注意を払わなければなりません。労働力の浪費をなくし、特に作業条件を適時に保障しないため労働時間を損失する許しがたい現象をなくさなければな年ません。そのために、工場、企業所にたいする機材の供給を改善し、機械設備の事故を防止し、作業準備にたいする企業所管理幹部の責任感を高めなければなりません。

 労働生産性を高めるために、作業基準量の制定で規律と秩序を確立し、賃金支払いで平均主義と煩雑さをなくし、賃金規定を改めるべきです。

 5か年計画期間に、原価を引き下げなければなりません。工業生産物の原価を1%引き下げるだけでも、年に4億円以上の利益を国家にもたらすことになります。あらゆる予備を正しく動員すれば、工業製品の原価引き下げだけによっても、5か年計画期間に400億〜500億円の利益を国家に与えることができます。この金額は、第1次5か年計画期間に工業建設に支出される国家資金のほぼ半分に相当します。それゆえ、各工場、企業所では厳格な節約制度を確立し、原価引き下げのために、あらゆる予備を引き出し、独立採算制の強化に特別の注意を払わなければなりません。

 企業所で厳格な節約制度を確立するためには、技術・生産・財政計画を正確に立て、先進的方法による技術基準化を強化し、職場独立採算制を広く実施することが重要な条件となります。

 また、財政規律と財政統制を強めなければなりません。財政機関ばかりでなく、すべての機関、すべての人が財政規律を厳格に守り、もれなく財政統制に従うようにしなければなりません。

 原料、燃料、電力および機材の浪費をなくし、非生産的な行政管理費を減らし、国家蓄積の増大を全人民的な課題とすべきです。なぜならば、国家の蓄積なしには、発展する工業に必要な資金を円滑にまかなうことができないからです。


 (2) 農 業

 第1次5か年計画期間に、農業部門の重要な課題は、第1に、農業生産、特に穀物生産を飛躍的に増大させて住民の食糧と人民経済の需要を満たし、第2に、農業協同組合を組織的、経済的に強化し、農業の協同化を完成することです。

 戦後、我々は農産物増産のために多くの仕事をおこないました。しかし、我が国の農業生産はいまなお食糧と工業原料の需要を円滑に満たしていません。したがって、農業発展の緩慢さをなくし、農業を急速に発展させることは、第1次5か年計画における、最も中心的な課題の一つとなっています。

 5か年計画期間に、基本的に食糧を自給自足できるよう生産を増やし、それを土台にして各種の工芸作物と油脂作物の増産をはかり、畜産業を発展させなければなりません。

 農業の社会主義的改造でおさめた貴い経験と成果は、第1次5か年計画期間に農業の協同化を完成する展望を開いてくれます。農業協同組合にたいする党および国家の指導と援助を強めることによって、協同組合を組織的、経済的に強化発展させ、すべての農民を協同経営に参加させなければなりません。


 @ 穀物と工芸作物

 穀物問題を解決するのは、農業部門の基本的で中心的な課題であります。穀物問題を解決せずには工芸作物の生産を増やすことも、畜産業を発展させることもできません。第1次5か年計画期間には穀物生産に大きな力を注ぐと同時に、工芸作物の基地も拡張すべきです。

 穀物と工芸作物の問題を解決するために、新しい耕地を開墾し、休閑地を再び耕作する一方、現在、耕作中の農地を十分に保護しなければなりません。耕地を大切にしない現象と強くたたかい、干害、水害などの天災を漸次、克服するため、潅漑水利事業と河川堤防工事を広くおこなうべきです。

 第1次5か年計画期間に、オジドン潅漑工事をはじめ、大規模の潅漑工事をひきつづきおし進めなければなりません。

 潅漑施設の建設にあたっては、技術的、経済的な見積もりを厳密におこなうと同時に、水力資源を総合的に利用する見地から、人民経済発展計画との緊密な連係を保たなければなりません。また、新しい建設にばかりとらわれて、現存施設の補修を怠ってはなりません。これと同時に、砂防工事にたいしても多くの注意を払わなければなりません。潅漑面積のうえでかなりの比重を占める民営潅漑施設と、今後、農業協同組合が自己の資金でおこなう潅漑・河川工事にたいして大きな関心を払わなければなりません。今後、潅漑水利局はこれに大きな力を入れ、技術指導を強め、必要な場合には委託設計も担当すべきです。協同組合の河川・潅漑工事を促進するため、国家はモーター、ポンプ、セメント、木材をはじめ、建設資材と設備を供給するようになるでしょう。

 農業協同化の進展にともない、土地建設を広範に進める条件がそなわりました。土地をより効果的に利用し、農村の生産文化を高め、農作業を機械化するために、土地建設を大々的におこなわなければなりません。

 耕地面積の4分の3を占める畑で穀物の収量を高める問題は、穀物の増産で決定的な意義をもっています。1955年度に全国的に畑作穀物の平均ヘクタール当たり収穫高は690キログラムで、そのうち慈江(チャガン)道は846キログラム、平安北道は895キログラム、黄海南道は597キログラムでした。

 平安北道と慈江道のヘクタール当たり収穫高が他の道に比べて高い理由はどこにあるのでしょうか。それは他でもなく、これらの道では多収穫作物であるトウモロコシを他の道よりも多く栽培しているところにあります。

 トウモロコシの栽培面積を決定的に拡張して、5か年計画期間に、その作付面積を50万ヘクタール以上に達するようにしなければなりません。トウモロコシを主作としてばかりでなく、小麦、大麦の裏作としても広く栽培しなければなりません。

 住民に野菜を円滑に供給するため、都市と労働者区の周辺に野菜畑を増やし、特に秋作野菜畑の面積を大幅に拡張すべきです。

 適地適作の原則によって、大麻、亜麻、たばこ、綿花やその他工芸作物の栽培も奨励しなければなりません。農業の社全主義的要素が急速に増大することによって、適地適作の原則を広く実施できる有利な条件がつくりだされました。地方の気候風土を参酌し、その地方に適した作物と品種を作付けするようにし、農業機械賃耕所の配置と技術的装備もこれに即しておこなわなければなりません。

 国営採種農場と農業協同組合の採種圃場の事業をひきつづき強化し、種子を改良する一方、地方の自然条件に適した新しい品種をつくりだすべきです。

 在来式農機具と古い営農方法にかわる先進的な農機具と営農方法を取り入れる強力な対策を講じなければなりません。工業部門の働き手は、農村の実情を正確に把握し、農業機械の設計と製作をいちだんと改善するようにしなければなりません。

 第1次5か年計画期間に、肥料工業は戦前よりはるかに多くの化学肥料を農村に供給するようになるでしょう。しかし、堆肥や緑肥の生産を減らしてはなりません。農村で有機質肥料をひきつづき大量に生産しなければなりません。


 A 畜産業、果樹栽培業、養蚕業

 畜産部門の重要な課題は、農村に役畜を十分に与え、畜産物の生産を著しく増やすことです。畜産業を発展させるために、農業協同組合の畜産土台をきずくことに重点をおかなければなりません。

 朝鮮牛は、役畜としても、皮革や食肉の品質からみても、極めてすぐれた家畜です。朝鮮牛の飼育を奨励し、それを役畜として利用するだけでなく、漸次、生産用家畜にかえていくべきです。

 第1次5か年計画期間に、乳牛の飼育を奨励すると同時に、乳牛と朝鮮牛の雑種育成の試験を完成して牛乳生産をおこなうようにし、種畜場をさらに多く設け、家畜の品種改良を広くおこなわなければなりません。

 山間地帯で、牛と羊を放牧する牧草地を造成すべきです。

 こうして、第1次5か年計画末には、牛と豚の頭数は約1.5倍に、綿羊と山羊の頭数は2.4倍に増やし、国営農牧場と農業協同組合の食肉生産は7万トン以上にするでありましょう。

 第1次5か年計画期間に、果樹栽培業をいっそう発展させるために、現存の果樹薗の肥培管理を改善するとともに、西海岸地帯の傾斜のゆるやかな山を果樹園にかえなければなりません。こうして、5か年計画期間に、果実の総生産量を約1.3倍に増やさなければなりません。

 養蚕業を発展させ、1961年度には蚕繭生産を1956年度に比べ約3倍に増やすべきです。そのためには、第1次5か年計画期間に、小山や道路ぎわ、山のふもとを利用して、桑畑を大々的に増やし、桑の木の管理を改善しなければなりません。家蚕とともに柞蚕、柳蚕の飼育も広く奨励すべきです。


 B 農業の社会主義的改造

 農業を社会主義的に改造する農業協同化運動は、いま急テンポで進められています。この運動ですでに達成した成果に満足することなく、農民の高まった協同化運動をひきつづきおし進め、すでに組織された協同組合を組織的、経済的に強化しなければなりません。

 農業協同化運動では、あせることなく、農民のレベルに応じて厳格に自発性の原則にもとづき、漸次、個人農を協同化の道に導くことが重要です。農村で協同化を全般的に完成するためには、農民が分散して住んでいる山間部で組織活動を正しくおこない、現存の協同組合の強化発展に深い注意を払わなければなりません。

 農業の社会主義的改造は、経営形態の改造であるばかりでなく、農業生産の技術的改造を意味し、また数百万農民大衆の思想・意識の改造を意味します。農業協同組合は、古い営農技術を捨てて先進的な営農技術を積極的に取り入れ、我が国の実情に即して農作業の機械化を広く進めなければなりません。

 協同組合幹部の再教育と養成事業にひきつづき力を注ぎ、管理人員および技術者にたいする切実な需要をみたさなければなりません。

 組合員の思想・意識水準を速やかに高めるために、かれらにたいする社会主義教育を強めなければなりません。こうして、組合員が農業協同組合の本質をはっきりと認識し、共同労働に積極的に参加し、共同財産を愛護し、革命的な警戒心を高め、階級の敵の破壊・謀略策動から組合を守り、組合の発展を保障しなければなりません。

 農業協同組合の強化発展で決定的な意義をもつのは、協同組合で社会主義的原則と秩序を確立することです。

 労働を合理的に組織し、労働生産性を向上させる対策を講じるべきであり、労働の報酬は、必ず労働の質と量によって支払われなければなりません。

 農業協同組合の管理運営は、定款を厳格に守りながら民主主義的におこない、集団的な討議によってだされる立派な創意的提案を組合事業の発展のために積極的に導入するようにすべきです。

 農業協同組合の強固さは、その経済的成果によって評価しなければなりません。それゆえ、協同組合の収益を最大限に高めるため積極的に努力しなければなりません。農業協同組合は、ある一部門にだけ片寄ることなく、自然経済的条件と潜在力を余すところなく利用する方向で農業経営を多角的に発展させなければなりません。

 農業の社会主義的改造を成功裏に保障するために、我が党は農業協同組合にたいする指導を強化し、協同組合に物質的な援助を与えるでしょう。

 農業協同組合が大衆的に成長発展している新しい環境と条件に即して、幹部の指導水準を高めるべきです。そのため、幹部に、農業協同組合にかんする理論と社会主義建設にかんする経済知識を身につけさせる活動を党の第一義的な課題としなければなりません。党組織は、農業協同化運動にあらわれうるさまざまな偏向を警戒し、大衆運動の先頭に立って正しい指導をおこなわなければなりません。

 農業協同組合が強化発展し、農民大衆の物質的・文化的需要が増大するにつれ、農村で住宅、託児所をはじめ、各種の文化施設が多く建設されることを予見して、これにしかるべき国家的援助を与え、この事業を促進しなければなりません。

 農業の社会主義的改造において国営農牧場と農業機械賃耕所が果たす大きな役割を指摘しなければなりません。

 国営農牧場は、農業協同組合の模範となるべきであり、また援助者とならなければなりません。5か年計画期間に、国営農牧場は先進的農業科学が達成した成果を積極的に取り入れ、独立採算制を強化してその収益を高め、大規模な国家経営の優位性を十分発揮するようにしなければなりません。

 農業機械貸耕所は、農業協同組合を強化発展させ、農業を社会主義的に改造するうえで重要な拠点とならなければなりません。5か年計画期間に、農業機械賃耕所網を拡大強化しなければなりません。

 農村問題にたいする我が党の基本方針である農業協同化政策を実生活に正しく具現するなら、農村で社会主義は勝利し、我が国の農村は、新たな生産の高揚と文化の開花を遂げるでしょう。


 (3) 基本建設

 戦後、破壊された工場、企業所をひきつづき復旧し、国の社会主義的工業化を実現し、人民経済を発展させるうえで最も重要な意義をもつのは基本連設です。特に、年間基本建設投資額が約300億円に達している現在、基本建設問題にいっそう注意を払わなければならず、基本建設を工業的方法でおこなわなければなりません。

 5か年計画期間に、基本建設投資の基本方向は、投資の多くの部分をひきつづき生産的建設にふり向け、非生産的建設に比べて生産的建設のより速いテンポを保障するように設定すべきであります。そのなかでも、人民経済の基礎となる重要工業部門の建設に重点的に投資し、農業の急速な発展のための農業建設にもひきつづき多くの投資をおこなわなければなりません.

 基本建設では、資材と労働力を分散させず、投資を効果的におこなわなければなりません。

 建設対象の設定において、順序を厳格にきめ、現存の生産設備の技術装備を改善し、それを最大限に利用することに深い注意を払わなければなりません。

 これと同時に、製鉄所、発電所をはじめ、長い期間を要する建設対象にたいしては、準備工事に深い注意を払うべきであります。

 都市建設を計画的におこない、住宅建設においても現在のように住宅のほとんどを臨時的、あるいは仮建築として建設するのではなく、これからは都市に3、4階建の近代的な住宅を建設しなければなりません。このような事情は、建設を必ず先進的で新しい方法、すなわち工業的方法でおこなうことを求めています。

 設計を標準化し、部材を規格化し、建設で組立式方法を広く適用し、建設作業を機械化することが極めて重要です。設計の標準化と規格化は、建設に組立式方法を取り入れる前提となります。

 建設における組立式方法への移行は、施工を容易にし、労働生産性を著しく向上させるだけでなく、建設の速度と質を高めるうえで重要な意義をもちます。

 標準設計は、個別的な工場や特殊な建築を除いた多くの建物、特に住宅、各種の公共建築などに適用することができ、同一の付随施設をもつ工場にも適用することができます。

 設計にあたっては、民族的形式に社会主義的内容を盛るようにしなければなりません。

 建設の工業化は、建材生産の工業化がともなわなければ不可能です。5か年計画期間に、鉄筋ブロック工場を建設して、各種の建設部材を大量に生産しなければなりません。

 しかし、我が国の現状では、最初から大きなものを望むべきではなく、簡単なものから着手しなければなりません。まず、窓枠、扉などを規格化し、階段、梁、コンクリート床、トラスのようなものを工業的方法で生産しなければなりません。

 建設作業の機械化についてはたび重ねて強調しましたが、大機械化ばかりを念頭におき、よく実行していません。機械化は一朝にして完成されるものでなく、一定の時日を要します。したがって、簡単にできる部分的な機械化、小規模の機械化からはじめ、じょじょに基本作業から補助作業までをふくむ総合的で先進的な機械化へと移行すべきです。

 現存の建設機械の利用度を最大限に高めることが極めて重要です。

 建設部門で技術熟練度を高め、労働力の組織を合理化し、建設の質を保障するために、現在、分散しすぎている建設企業所を統合し、建設機関の活動を強化し、特に工業建設の専門建設機関を強化しなければなりません。

 建設における労働生産性を高め、資材を節約しうるあらゆる予備を引き出し、非生産的支出を最大限に減らし、建設機関に規律と秩序を確立し、独立採算制を強化するため積極的に努力すべきです。

 こうしてこそ、建設の原価を引き下げ、より多くの建設をおこなうことができます。

 戦後、短期間に、平壌市や咸興市をはじめ、多くの都市復興建設で少なからぬ成果が達成されました。しかし、都市建設事業は、まだ党の求める水準にはほど遠い状態にあります。都市建設分野では、まだ各都市の現状に即した順次建設計画と区画設計が作成されていません。特に地方都市の建設にたいする指導が不十分であり、ほとんどの小都市では、大通りと地下施設のある市内中心地を高層建築の予定地として、いつまでも空地にしておき、住宅や公共建築をその周辺に分散配置して、地方都市の形成をおくらせています。

 都市建設では、住民の衛生条件をまず考慮すべきであり、住宅が密集している都市と工場地帯では上下水道施設と遊園地をはじめ、都市経営に必要な各種の施設を適切に配置することに深い関心を払わなければなりません。

 都市の発展にともなう人口増加を見通して、一定の順次建設計画による都市形成を促進し、都市を文化的に管理するよう、都市経営事業を正しく組織すべきであります。

 基本建設では、国家の資材のみにたよらず、地方の資材を積極的に利用しなければなりません。郡および道都や農村で、土レンガ、石材など地元の資材を利用して公共建築、学校、保健医療・文化施設などを建設する運動を広く展開しなければなりません。国家は、このような地方建設にたいして資金と一定の資材を供給し、設計と施工に技術的援助を与えるでしょう。


 (4) 技術者養成事業

 我が党は、我が国が歴史的に受けついだ科学・技術分野での長いあいだの立ち後れと日本帝国主義の悪辣な支配の後遺症を一掃するため、この10年間に多くの仕事をなし遂げました。その間、大学および専門学校で多数の専門家が養成されました。しかし、現在の科学・技術陣は、人民経済の急速な発展テンポに比べて極めて微弱なものであります。

 例えば、重工業部門で、技師、技手にたいする需要は、かろうじて50%しかみたされておらず、軽工業、運輸、水産部門をはじめ、人民経済各部門の技術者の需要を満たすことはいっそう急務となっています。農業部門の技術者の不足はさらに甚だしいものがあります。

 したがって我々は、人民経済の急速な発展にともない、必要な技術者を養成する諸対策を講じなければなりません。

 停戦直後、人民経済復興建設にとりかかりながら、我々は各種の技術専門学校を大々的に増やしました。

 初級中学卒業生のうち、多くの者を技術補習班に編入させて一定の専門的な生産技術知識を修得させる対策を立てました。現在、技術補習班では2万4000余名の学生が学んでいますが、こんにちの国の実情では、この数は決して少ないものではありません。

 しかし、技術補習班の運営はいまだに党の要求する水準に達していません。その基本的な原因は、遺憾ながら、一部の幹部がこの仕事にたいする党の対策を心から受けとめず、無責任な態度で形式的に仕事をおこなっている点にあると考えます。技術補習班の運営を根本的に改善しなければなりません。

 党中央委員会の指示により、すでに多くの高級中学校が技術専門学校に切りかえられ、高等技術専門学校を新しく設けて、高級中学卒業生の一部をこれに受け入れる仕事に着手しています。これからも、この仕事をひきつづきおし進めなければならず、大学に進学しない高級中学卒業生をできるだけ技術教育網に多く吸収しなければなりません。こうして、技師、準技師の資格をもった技術者を多数養成するようにしなければなりません。

 中等学校でも、生徒が一般教育を受けながら同時に、卒業後経済建設に参加できる生産技術教育を十分受けられるよう、中等学校の課程案を組みかえる必要があると考えます。

 技術教育事業を改善するために、学習と生産を密接に結びつけ、学生に専門知識と技術をしっかりと身につけさせなければなりません。そのために、技術専門学校の実験器具を完備し、専門学校の学生を専門技術部門に従って関係工場や国営農牧場、漁場、試験所、研究機関と農業協同組合へ送り、労働に直接参加しながら実習をおこなうようにしなければなりません。

 技術補習班までをふくめた専門学校と技術者養成機関を生産企業所に接近させ、生産との密接な連係のもとに学習と生産を結びつける方向で、技術者を養成しなければなりません。これは極めて重要なことです。

 このために、現存の専門学校と技術者養成機関の分布状態を再検討する必要があると考えます。

 こんにち、我が国技術大学の状態も、人民経済の急速な発展テンポと需要に比べてはるかに立ち後れています。こんにち我々には、一般技術者だけが大量に必要とされるのではなく、高級技術者も多数必要です。

 第1次5か年計画期間に、金策工業大学から鉱山地質学部と金属工学部を分離して、独立した鉱山金属大学を新設し、運輸大学も新設する必要があると考えます。技術大学では、人民経済の需要に従って専攻学科の編成を再検討し、一部の学科を新設または拡張しなければなりません。技術大学の通信教育システムも拡張し、その事業を改善しなければなりません。

 技術幹部養成事業にあらわれている無計画的で無秩序な現象をなくし、これを統一的な単一計画によって進めるようにしなければなりません。

 技術幹部の需要がひきつづき増大している現実にてらして、工場、企業所などで技術伝習を強化し、労働者を生産から離脱させずに技術者に育てる事業を今後さらに強化しなければなりません。

 勤労大衆に広く科学・技術知識を普及する事業もおこなうべきであります。


 (5) 人民の物質・文化生活水準の向上

 人民の物質的福祉にたいするたえまない配慮は、我が党の活動の最高原則であります。これは、我が党と共和国政府の中心的な関心事であったし、また現在もそうであります。

 最近、我が党中央委員会は、人民生活の向上のためにいろいろな措置を講じました。しかし、人民の需要に比べて、各種の食品や工業製品の生産はまだ立ち後れています。これは、厳しい戦争でうけた深い痛手がまだ癒されていないからです。

 我々の課題は、重工業の優先的な発展に依拠しながら、近い将来農業を急速に発展させ、軽工業と食品工業をより速く発展させるとともに、社会文化・保健医療・教育・科学研究機関を増やし、住宅をより多ぐ建設することです

 5か年計画期間に、工業および農業生産の急速な増大と労働生産性の向上にもとづいて、労働者、事務員の平均賃金と農民の現物ならびに現金収入を増やし、物価をひきつづき引き下げ、労働者、事務員、勤労農民の実質収入を大幅に高めるでありましょう。

 我々には、商品流通高を増大させるべき課題が出されています。国営および協同経営商業の小売商品流通高は、5か年計画期間に少なくとも1.5倍以上に高め、特に食品、織物、靴などの基本的な生活必需品の販売量を急速に増大させ、商品の種類も拡大しなければなりません。

 労働保護物資の供給を改善し、社会給食施設を拡張しなければなりません。

 工場、企業所の職場商店と食堂の運営を改善し、幼稚園や託児所を増やし、婦人が職場に進出できる条件をつくらなければなりません。

 第1次5か年計画期間に、労働者、事務員の生活水準を向上させるため、工業製品と食品の配給制を廃止することを考慮に入れなければなりません。配給制をなくすためには、財政と商品の予備を蓄えなければなりません。

 都市と農村との連係を強めるために農民の販売・購買協同経営体である消費組合の役割を高め、農産物の買付け事業を改善しなければなりません。農産物の買付け事業では、農民の生産意欲を高める方向で買付け方法と買付けシステム、買付け価格制定事業を改善すべきです。

 党と政府は、人民の住宅条件の改善に特別な配慮を向けています。第1次5か年計画期間に、住宅建設をさらに促進し、600万平方メートル以上の住宅を同家資金で建設しなければなりません。この他に国家は、都市住民と勤労農民が自力で住宅を建てることを積極的に奨励し、必要によっては資金を貸付け、建材の販売もおこなうでありましょう。

 人民教育分野では、都市と農村で全般的初等義務教育制を実施し、それにもとづいて、今後、全般的初級中学義務教育制(7年制)を実施できる条件をととのえなければなりません。

 戦災孤児の養育、保護に社会的関心を向け、愛育院、初等学院の運営を改善すべきであります。

 5か年計画期間に、高等教育事業を強化し、5か年計画末には大学生の数を2万8000名以上にしなければなりません。

 人民教育の発展のために、我が党と政府は、教育部門にたいする国家基本建設投資と経費予算の支出を年々増大させ、学用品と教科書の価格を系統的に引き下げてきましたが、今後さらに引き下げるでしょう。国家は、大学と専門学校の多くの学生を国費で勉強させています。

 共和国政府は、特にアメリカ帝国主義と李承晩一味の売国的統治と植民地的奴隷教育に反対してたたかう南半部の青年学生と在日朝鮮学生が、共和国北半部地域にきて学ぶことを希望するならば、いつでも歓迎し、国費で学べるようにするとともに、かれらに現行の国家奨学金と、被服、靴、学用品を無料で供給するほか、生活費と奨学金を追加支給する決定を採択しました。

 文化部門では、映画制作事業を強化するため、国立映画撮影所の能力を拡張し、5か年計画期間に国内でカラー映画の撮影をおこなうようにし、増大する出版印刷事業を保障するため、平壌市に総合印刷工場を建設しなければなりません。

 保健医療部門では、伝染病をはじめ、あらゆる疾病を未然に防ぎ、住民の罹病率をひきつづき低下させ、勤労者の一時的労働能力の喪失を減らし、人民の健康を保護、増進させることが、我が党の重要な課題であります。したがって、都市、工場地区、農村をはじめ、住民地区の全般的な衛生状態を順次改善し、伝染病の防疫対策を強めなければなりません。

 病院のベッド総数は、1961年度には1956年度に比べて約1.2倍に拡張し、各道・市・郡病院で、産科と小児科の治療設備とそのベッド数を増やして、産婦と幼児にたいする保護を強め、農村住民にたいする医療上の奉仕を急速に改善するため、1961年度には各里に診療所を大体一つずつ設けるようにしなければなりません。

 また、国内の豊富な薬草や工業副産物を利用して合成医薬品の生産を組織するなど、製薬工業を急速に発展させなければなりません。こうして、医療機関の医薬品の需要を基本的にみたし、住民に医薬品を廉価で供給するようにしなければなりません。

 また、人民が長いあいだ使い慣れている東医薬を深く研究し、そのすぐれた点を取り入れて大衆保健医療事業に利用しなければなりません。

 労働者、事務員にたいする社会保険事業を強化し、静養所と休養所を大幅に拡張しなければなりません。

 人民経済分野における課題はおよそ以上の通りです。これは膨大かつ困難な課題であります。

 しかし、我が党の指導のもとに、人民は愛国的熱意と創造的労働によってこれらの課題を成功裏に実現するものと我々は確信します。


 3 国家社会制度の強化のために

 同志のみなさん!

 祖国の平和的統一を達成し、共和国北半部での社会主義建設を成功裏におこなうために、我々の国家社会制度をたえず強化発展させなければなりません。

 党は、なによりもまず、祖国統一民主主義戦線を強化すべきであります。現段階において祖国統一民主主義戦線は、労働者階級と農民の強固な同盟にもとづき、すべての革命勢力を結集した強力な政治的組織体であります。

 我々は、まだ帝国主義者と対峙しています。このような状況のもとで、労働者階級の指導のもとにすべての愛国勢力が団結している祖国統一民主主義戦線は、反帝反封建的民主主義革命の課題遂行においてばかりでなく、社会主義建設においても大きな役割を果たすことを理解しなければなりません。

 祖国統一民主主義戦線の強化でなによりも重要なのは、労働者階級の指導的役割を高め、労働者と農民の同盟を政治的、経済的に強化することです。

 また我々は、友党の党員と宗教家、中小商工業者、自由職業者など、広範な階層との団結をはかり、かれらを政治的、経済的に援助する活動を誠実に進めなければなりません。特に、かれらを農業協同組合、生産および水産協同組合に受け入れ、順次、社会主義的勤労者に改造し、かれらの物質・文化水準を高めることは、統一戦線を強化する重要な裏付けとなります。

 これと同時に、我々は友党の自主的な活動を尊重し、友党の指導者と祖国の統一独立を念願する社会・政治・宗教活動家と著名人士、学者、知識人をはじめ、上層人士との団結と協力を強化しなければなりません。

 我が党に提起されている政治、経済、文化、軍事各分野の膨大な課題を遂行するためには、革命の強力な武器である人民政権機関を強化しなければなりません。

 報告期間、我が党は、人民政権を強化するために最高人民会議にいたるまでの各級人民政権機関の選挙をおこない、その指導的機能を高める方向で国家行政区画を改め、行政機構を縮小し、地方主権機関と執行機関の任務と活動上の境界に明確な区切りをつける諸般の重要な措置を講じました。

 また、この期間に、我が党は、民主主義的法律制度を確立し、敵の侵害から人民の生命財産と国家および協同経営体の所有を擁護し、社会秩序を強化し、人民大衆のあいだに遵法精神をつちかい、政権機関の活動で官僚主義をなくし、人民的活動作風をうち立てるために、広範な組織・政治活動をおこないました。

 このようにして人民政権は、敵階級の反抗を鎮圧し、武力侵略者から人民民主主義制度を守り、経済・文化建設を組織し、人民生活を向上させる活動でその役割を円滑に果たし、また果たしつつあります。

 我々は、このような成果と経験にもとづき、今後ひきつづき人民政権を強化しなければなりません。そのために、政権の主人である各階層の人民大衆を各級人民政権機関の活動に広く参加させなければなりません。

 また我々は、人民大衆が民主主義的権利を最大限に行使し、その底知れない知恵と創意性を発揮できるよう、実際の条件をつくるために努力しなければならず、こうして人民政権機関を人民大衆にいっそう接近させ、そのまわりに人民をさらにかたく結集しなければなりません。

 党組織は、人民政権機関が人民生活にたいして常に深い関心を払い、日常活動で人民大衆に依拠し、人民の苦情申し立てや請願を責任をもって適時に解決することによって、人民大衆のなかで政権機関の威信をたえず高めるよう、細心の注意を向けなければなりません。

 我々は、今後ともひきつづき、省、局をはじめ、各級国家機関で、すべての公務員の政治・実務水準をたえず高め、国家規律を強化し、事務を簡素化し、官僚主義的・形式主義的活動作風を一掃し、機関本位主義と部署本位主義の傾向をなぐし、すべての行政機関にたいする統制を強めるためにたたかわなければなりません。

 アメリカ帝国主義と李承晩一味は、南朝鮮で公然と戦争準備を強化し、「北進統一」を叫びつづける一方、スパイ、謀略分子を共和国北半部に送り込んで、我々の経済・文化建設を破壊しようと卑劣な策動をおこなっています。それゆえ、我々の内務・検察・司法機関は、法令執行にたいする統制と監視を厳格におこない、民主主義的社会秩序の確立をさらに徹底させ、人民の憲法上の権利と生命財産を保護し、敵の反国家的、反革命的活動を鎮圧し、敵対分子の破壊的な企みを事前に摘発し、国家財産の横領・着服行為を一掃するなど、自己の貴い使命をより忠実に遂行しなければなりません。


 4 祖国の平和的統一のために

 同志のみなさん!

 南朝鮮にたいするアメリカ帝国主義者と李承晩一味の10年間の支配がもたらした罪悪的な結果は、こんにち南朝鮮人民のすべての生活にはっきりとあらわれています。

 南朝鮮で起こっているすべての事実は、李承晩反動「政府」が一握りの買弁資本家と地主の利益を代表して、勤労大衆を抑圧し搾取する反人民的機関であるばかりでなく、アメリカ帝国主義勢力を朝鮮に積極的に引き入れるアメリカ帝国主義の侵略道具となっていることを示しています。南朝鮮の売国「政権」は、アメリカ帝国主義者の新たな戦争挑発と植民地従属化政策に忠実に奉仕しています。

 李承晩かいらい政権は、アメリカ軍の長期駐屯を公然と要求し、南朝鮮経済をアメリカ独占資本の全面的な支配と統制にゆだね、アメリカ帝国主義者の侵略戦争の弾よけであるかいらい軍の増強に狂奔しており、野蛮なファッショ的支配機構を強化しています。

 こんにち、南朝鮮のすべての重要な経済命脈と国家の経済生活は、完全にアメリカ帝国主義者の支配下に入っています。

 他国にたいするアメリカの「経済援助」が、その国にたいする軍事的・政治的支配を目的としていることは、すでに全世界に広く知れわたっていますが、南朝鮮ではそれが最も露骨に、恥知らずな形であらわれています。

 南朝鮮にたいするアメリカの「援助」は、その大部分がかいらい軍の武装と軍事施設に向けられ、残りは世界市場で売れ残ったアメリカの余剰商品の持ち込みに当てられています。

 このような「経済援助」を呼び水に、アメリカ帝国主義者は南朝鮮のすべての重要生産施設と経済機関の運営上の決定的な権限を握っており、この権限を行使するためにつくりあげた「韓米合同経済委員会」は、かいらい政権のすべての産業および財政・金融政策を決定し、統制しています。

 こうして、かいらい政権は、自力では国家の経済運営ができず、この機関の承認なしには予算の編成から徴税案にいたるまで、いっさい作成できなくなっています。

 アメリカ帝国主義者は、南朝鮮経済にたいする統制権を握り、南朝鮮で産出される重石、鋼などの戦略物資を直接略奪しており、重要な生産施設は、アメリカの原料、機材に全的に依存させることによって、南朝鮮の産業を麻痺状態に陥れ、アメリカ独占資本に全面的に従属させています。

 こうして南朝鮮の産業は、その植民地的跛行性と奇形性がさらに甚だしくなり、アメリカ商品の氾濫とアメリカからの輸入原料や機材の価格引上げと過重な課税によって、多くの中小商工業者が破産没落しています。

 南朝鮮でかろうじて運営されてきた綿紡織工業さえも、アメリカ帝国主義者の綿製品の押しつけと綿価の引上げによって、たえず休業と破産の運命に見舞われています。

 アメリカ帝国主義者の南朝鮮にたいするこのような「経済援助」と従属化政策は、かれらに最大限の利潤をもたらしているばかりでなく、南朝鮮をその軍事基地にするための政治的・軍事的目的の実現を容易にしています。

 農村で、李承晩一味は、北半部で実施された土地改革に影響された南朝鮮の農民大衆を欺くために「農地改革」を実施し、「地主はなくなり、農民の境遇は改善された」と宣伝しています。

 しかし、農民の境遇は改善されるどころか、いっそうひどい搾取と抑圧をうけています。農民は「農地代価償還穀」「土地収得税」穀物の強制買上げおよび小作料などのさまざまな名目で年間総収穫高の大部分をかいらい政府と地主に収奪され、「分配」された土地まで地主や富農に奪い返されたため一坪の土地もない小作人や雇農に零落するか、農地を離れる事例潮日増しに多くなっています。

 そればかりでなく南朝鮮の農民は、各種の過酷な課税や高利貸に苦しめられ、地主や富農の債務奴隷になっています。こうして農民の総負債は、1954年11月現在180億円に達しており、これは南朝鮮農民が一戸当たり平均8791円の借金を背負っていることになります。

 南朝鮮の経済状態がこのように深刻な難局に瀕しているにもかかわらず、李承晩一味は、アメリカ帝国主義者の指示を忠実に実行して、かいらい軍を増強し軍事基地を整備拡張するため、人民に膨大な負担を押しつけています。

 南朝鮮人民の社会生活では、腐敗したアメリカ的生活様式が支配し、民族的なものがすべて蔑視と迫害にさらされ、進歩的な思想と見解はいうまでもなく、野党派「政客」のさ細な言動までも厳しい弾圧を受けています。

 南朝鮮人民は、初歩的な民主的自由と権利まで奪われ、南朝鮮はテロと虐殺の横行する人民の監獄に変わりました。

 こうして、帝国主義と封建主義および買弁資本の二重三重の抑圧と搾取のため、南朝鮮人民の生活は耐えがたい貧困と無権利の泥沼に落ち込んでいます。それゆえ南半部人民は、生存と自由と民族的権利のためにアメリカ帝国主義と李承晩一味に反対するたたかいに立ち上がらざるをえなくなりました。

 こんにち、南朝鮮人民のたたかいはまだ十分盛り上がっていないとはいえ、北半部で達成された諸成果に励まされて、かれらが今後、祖国の民主主義的統一のためのたたかいに決定的に立ち上がるであろうことは疑う余地がありません。

 共和国南半部の事態は、およそ以上のとおりであります。

 祖国の分裂は、アメリカ帝国主義と李承晩一味の抑圧下にある南朝鮮人民にとってばかりでなく、全朝鮮人民の苦痛と不幸であり、我が国の社会発展の基本的な障害と脅威になっています。

 朝鮮人民には、アメリカ帝国主義侵略勢力とその同盟者となっている南半部の地主、買弁資本家、親米派に反対し、南半部の人民を帝国主義的および封建的抑圧と搾取から解放して、祖国の民主的統一と完全な民族独立を達成すべき全民族的課題が残されています。

 これは、朝鮮革命がいまなお全国的に見て、反帝反封建的民主主義革命の段階にあり、革命の前途が長期かつ多難、複雑であることを示しています。

 反帝反封建的民主主義革命を遂行するためには、北半部の人民民主主義制度を強化するとともに、南半部人民、特に民主主義にもとづく統一独立の達成を志向するすべての愛国的民主勢力を結集しなければなりません。

 朝鮮革命を前進させる原動力は、労働者階級の指導する労農同盟にもとづいて団結した北半部の人民と、南半部の労働者階級をはじめ、その最も信頼すべき同盟者である農民と、アメリカ帝国主義および封建主義勢力に反対する広範な小ブルジョアジーであり、祖国の民主的統一独立を望む民族資本家も反帝反封建闘争をともに進めることができます。

 アメリカ帝国主義に反対する朝鮮人民のたたかいは、平和、民主主義および社会主義をめざす全世界人民の闘争と直接結びついており、アメリカ帝国主義の侵略政策に反対するアジア人民の民族的自由と独立とゆるぎない平和を守るたたかいの重要な一環となっています。

 朝鮮人民の民族解放闘争のこのような国際的連帯は、朝鮮革命の完全な勝利を早める決定的な要因の一つになっています。

 我々は、日増しに成長する世界の民主主義および社会主義陣営の威力に依拠して、朝鮮革命の主体的な力量を正しく動員し、全民族的な統一と団結を強め、アメリカ帝国主義者を朝鮮から撤退させ、李承晩一味の反動的売国「政権」に反対し、祖国の平和的統一独立を達成するためにたたかわなければなりません。

 同志のみなさん!

 現段階において、朝鮮革命の基本的任務である祖国の民主的統一を平和的に実現するための我が党の方針は、当面の内外情勢からみて唯一の正しい路線であります。それゆえ、我が党は、祖国の平和的統一路線を終始一貫堅持し、また今後も堅持するでありましょう。

 停戦後だけでも我々は、最高人民会議第8回会議で南北協商にかんする提案をはじめ、祖国戦線と各政党、大衆団体の声明や決議などで祖国統一の具体的な方策を示しました。

 しかし、アメリカ帝国主義の忠実な手先李承晩一味は、その主人の意思に従って、我々の祖国統一の提案をすべて拒否したばかりでなく、無法にも停戦協定を踏みにじり、軍事境界線でひきつづき挑発事件をひき起こし、アメリカ軍の長期駐屯を要求し、再び民族同士の戦いをひき起こすため、いわゆる「北伐」を公然と騒ぎ立てています。

 かれらは、ファッショ的警察機構を大々的に強化して、南半部のすべての愛国勢力を過酷に弾圧し、自分の系列に属さないすべての党派や人士を国家政治生活から除去するため、ありとあらゆる迫害を加えています。

 李承晩一味が、祖国の平和的統一の提案に反対し、あらゆる売国的行動をおこなうからといって、祖国の平和的統一の可能性がないわけでは決してありません。

 誰よりも南半部の労働者、農民、学生、科学者、文化人、良心的なすべての愛国的人士が、平和的祖国統一にかんする我々の提案を聞いて、黙っているはずはなく、李承晩一味の反人民的・売国的罪悪を許さないでありましょう。

 最近南半部では、祖国の平和的統一を渇望する人々がひきつづき増えています。李承晩の支配にたいする不満と、苦境に陥った南半部人民にたいする同情を示す人士がますます増えており、かれらはかつての金九(キムグ)、金奎植(キムギュシク)氏のように南北朝鮮の協商を支持しています。こうして我が国では、1948年4月の南北連席会議のような歴史的会合を志向する機運がさらに高まっています。

 我が党は、このような愛国的志向を熱烈に歓迎し、かれらといつでも連合する用意をすべてととのえています。

 このような状況に対処して、我々は南半部でアメリカ帝国主義者と李承晩一味をいっそう孤立させ、平和的祖国統一を志向する愛国勢力をさらに拡大、強化する具体的な措置を講じるべきであります。

 祖国の平和的統一独立の主体的力量を強化するうえで最も大きな障害となっているのは、アメリカ帝国主義の忠実な手先李承晩一味がファッショ的独裁によって南半部人民に初歩的な民主主義的自由と権利さえ与えていないということです。したがって、党の当面した闘争スローガンの一つは、南半部で人民の民主主義的権利をたたかいとることです。

 南朝鮮で人民大衆が言論、出版、集会、結社、信教の自由をかちとり、すべての愛国的な政党、大衆団体および個別的人士の政治活動の自由が保障されるようにしなければなりません。

 南朝鮮人民に、財産の多少、知識の有無、信教と性別をとわず、誰にも平等な選挙権と被選挙権を与えることによって、特に労働者、農民をはじめ、広範な勤労大衆が国家政治生活に積極的に参加できるようにしなければなりません。こうして、南朝鮮「国会」には住民の多数を占める労働者、農民の代表が必ず参加すべきであり、また「国会」は、各階層の利益を代表する広範な人民の意思に即して運営されるべきであります。

 また、アメリカ帝国主義と李承晩の独裁に反対し、南朝鮮の腐りきった政治を正し、祖国の乎和的統一を実現するためにたたかえる条件をつくらなければなりません。これとともに、祖国の平和的統一をめざす闘争で、南朝鮮人民が愛国的熱意と積極性を発揮できるよう、かれらの経済生活を安定させなければなりません。

 南朝鮮の破綻した民族経済を復興発展させ、民族産業の自主的な発展を保障し、住民の生活を安定させるために、アメリカ独占資本の浸透と外国余剰商品の強制輸入に決定的に反対してたたかわなければなりません。

 失業者の増大と物価の暴騰を防ぎ、労働者、事務員の実質賃金を高め、8時間労働制と社会保険制を実施するようたたかわなければなりません。

 農民にたいする土地および穀物収奪政策と、殺人的な高利賃による搾取、あらゆる形態の税金の賦課に反対し、毎年増える絶糧農家と離農民をそのみじめな境遇から救い、土地は耕作する農民が所有できるようにするためにたたかわなければなりません。

 アメリカ帝国主義独占資本家と買弁資本家の抑圧から中小商工業者を保護するため、かれらに融資と原料の購入、販売の条件を保障すべきであります。

 これと同時に、我々は祖国の平和的統一の共通の目的から、南朝鮮のすべての政党、大衆団体および個別的人士との連合を主張し、またかれらと連合するすべての用意をととのえています。

 このような連合を実現し、南北朝鮮のすべての愛国的政党、大衆団体と民族的良心をもつすべての個別的人士の参加する統一戦線を結成するため、我々は南北朝鮮の各政党、大衆団体の連席会議の招集を主張し、まだこのような会議をもてない状況にあるならば、個別的な政党、大衆団体、愛国的人士との会談をおこなうでありましょう。

 祖国の平和的統一を目的とするこのような連合に参加する人は、過去にどのような罪を犯したとしてもそれを許し、その功労と才能に応じて、統一実現後に樹立される連合政府にも参加させ、その財産と社会的地位を保障すべきであります。

 祖国の平和的統一を早めるうえで最も重要な問題の一つは、南北の政治的・経済的・文化的連係と、南北の往来と通信の交換を実現することであります。

 我々は、南北間で人民生活に必要な物資の交流を実現するために、南半部の人民に切実に必要とされる電力と石炭、木材などを提供する用意があり、建設的で実務的な目的で北半部に来ることを希望するすべての代表団と個別的人士に門戸を開き、北半部におけるかれらの活動のすべての自由と便宜をはかるでありましょう。

 こうして我々は、南北間の接触を進める問題からはじめて、南北統一の問題までも討議し、その実際の対策が立てられる常設委員会の設置を主張します。この機関には、南北朝鮮から同じ比例で政府、最高立法機関、政党、大衆団体の代表と無所属の人士が参加すべきであります。

 このような措置は、当面の条件のもとで最も現実的な対策であり、もし、双方が朝鮮人民の念願に答える誠意をもっているならば、十分実践にうつせる問題であると考えます。

 うえで述べた我々のすべての提案と主張を実行するためには、まず停戦の成果をかため、停戦を強固な平和にかえなければなりません。我々は、停戦協定のすべての規定を厳守するばかりでなく、人民の軍事費負担を軽減し、それを平和的建設にふり向けるために、双方の軍隊を最小限に縮小することを要求します。また、南朝鮮「政府」とアメリカ政府のあいだに締結された単独軍事条約は必ず廃棄されるべきであります。

 朝鮮問題を朝鮮人同士で解決するためには、アメリカ帝国主義侵略軍と中国人民志願軍をふくむすべての外国軍隊を撤退させ、我が国の内政にたいする他国の干渉をなくさなければなりません。

 また、朝鮮問題の平和的解決に関心をもつ国々が、南北朝鮮政府代表の参加する国際会議を開き、朝鮮問題を平和的に解決しうる実際的条件をつくるようにしなければなりません。

 同志のみなさん!

 祖国の民主的統一独立をめざす我々の闘争の前途には、多くの難関と障害が横たわっています。しかし、この道こそが我々の世代の幸せと子々孫々の幸福と繁栄をもたらす道であります。

 それゆえ、この闘争路線を堅持し、それを実現するために強くたたかうならば、我々は全朝鮮人民からいっそう熱烈な支持を受け、また世界の平和愛好勢力の積極的な声援と支持を受けるでありましょう。

 こうして我が党は、不敗の勢力となり、祖国の民主的統一独立の栄えある任務を勝利のうちに遂行するでありましょう。




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