金 日 成

8.15解放10周年慶祝大会でおこなった報告
 −1955年8月14日−


 親愛な同志のみなさん!

 きょう我々は、戦後の人民経済復興建設の壮大なたたかいが展開されているなかで、民族の祝日である8.15解放10周年を迎えることになりました。

 

 いまから10年前、朝鮮民族は40年近くにわたる植民地的奴隷生活から解放されました。このときから、朝鮮人民は、民族の自由と独立を獲得し、新しい歴史の創造に踏みだしました。

 ソ連人民は、強盗日本帝国主義に抗する朝鮮人民の解放闘争を血をもって援助したばかりか、現在も物心両面からの援助を寄せています。

 私はきょう、8.15解放十周年を迎えるに当たり、全朝鮮人民と朝鮮労働党および共和国政府の名において、朝鮮人民の親しい友人であるソ連人民とソ連共産党、ソ連政府およびソ連軍に心からの感謝と栄誉を送るものです。

 私はまた、日本帝国主義に抗して朝鮮人民とともに長いあいだ共同闘争を展開し、アメリカ帝国主義侵略者に抗する朝鮮人民の祖国解放戦争の最も困難を時期に、抗米援朝の旗をかかげ、すぐれた子弟で組織された志願軍を朝鮮戦線に派遣し、血をもって我々を援助したばかりでなく、朝鮮人民の戦後の復興建設をも援助している中国人民と中国共産党および中華人民共和国政府、中国人民志願軍に、心からの感謝と栄誉を送るものです。

 私は、アメリカ帝国主義者の武力侵略を撃退し、祖国の自由と独立を守り、戦後の人民経済復興建設と祖国の平和的統一のために献身している全朝鮮人民に、熱烈な祝賀を送ります。




 親愛な同志のみなさん!

 日本帝国主義の支配のもとで、朝鮮人民は初歩的な政治的権利と自由もなく、過酷な植民地的・封建的抑圧と搾取にさいなまれました。民族経済の発展は極度におさえられ、朝鮮民族の教育、文化、風習は、完全に踏みにじられました。日本帝国主義支配者は、滅亡に瀕した民族を救うため、反日闘争に立ち上がった数十万の愛国者を投獄し虐殺しました。

 我が国を占領していた日本帝国主義の敗北によって、朝鮮人民には再生の道が開かれました。

 解放された朝鮮人民には、敗走した日本帝国主義の植民地支配機構を完全に粉砕し、民主主義的独立国家を建設すべき課題が提起されました。

 人民大衆は大きな革命的熱意と積極性を発揮して、親日派、民族反逆者、地主、買弁資本家をはじめ、反動勢力を制圧し、全朝鮮の各地で新しい形の人民政権機関である人民委員会を組織しました。人民政権内で指導的役割を果たした労働者階級は、農民とかたく同盟し、帝国主義と封建主義に反対する広範な階層との統一戦線を結成して、反帝反封建的民主主義革命の課題の遂行に着手しました。

 しかし、アメリカ帝国主義侵略者は、朝鮮の南半部に進駐した当初から植民地略奪政策を実施しました。かれらは南朝鮮で、人民の自由意思によって組織された人民委員会を解散させて植民地的支配機構を復活し、親米・親日派、民族反逆者などの反動勢力を糾合してかいらい政府をつくりあげました。アメリカ帝国主義占領者とその手先は、南朝鮮の愛国的民主勢力をことごとく銃剣で弾圧し、朝鮮における民主主義的統一独立国家の建設に必死になって反対しました。

 こうして、朝鮮は人為的に二分され、南北朝鮮には、根本的に相異なる情勢がつくりだされました。

 我が党は、北朝鮮の有利な条件を利用して、祖国統一の基礎となる革命的民主基地創設の課題を提起し、これを遂行するためにすべての愛国的勢力を奮い起こしました。

 我が党の提起したこの課題は、朝鮮民族の利益に完全に合致し、全人民から熱烈に支持されました。

 人民政権は、我が党の指導のもとに、人民各階層の絶大な支持のもとに民主的諸改革を実施しました。

 人民政権は土地改革の実施によって、土地の主人となることを渇望してきた勤労農民の長いあいだの念願を実現させました。こうして、農村における封建的搾取関係は一掃され、農民の物質的・文化的生活水準は急速に向上し、農業は新たな発展を遂げはじめました。

 人民政権はまた、日本帝国主義者と親日派、民族反逆者の所有していた産業、銀行、鉄道、運輸、逓信、文化機関をすべて没収して国有化し、かれらの経済的基盤を一掃しました。

 重要産業の国有化によって、我が国の北半部には社会主義的生産関係がつくられました。

 搾取から解放され国家の主人となった労働者階級は、自分自身の幸福と祖国の繁栄のために、すべての熱意と創意性を発揮して増産運動に参加しました。

 人民政権は、社会生活のすべての分野で、人民の民主主義的権利と自由を保障する対策を講じました。

 労働者、事務員には、労働と休息、学習の権利が、婦人には社会・政治生活において男子と完全に同等の権利が保障されました。植民地的な奴隷教育制度は撤廃され、人民的教育制度が創設され、民主主義的民族文化と芸術が開花しはじめました。政治、経済、文化の各分野における民主的諸変革の実施と、我が党の人民大衆にたいするたゆみないマルクス・レーニン主義教育の結果、かれらのあいだで先進的思想・意識と新しい道徳的品性が形成発展するようになりました。全人民の政治的統一と団結、愛国主義にもとづくプロレタリア国際主義、党と政府にたいする限りない忠実さと献身性、労働を愛する精神、これらはこれまでの10年間、朝鮮人民の政治的意識と道徳的品性における主な変化の特徴であります。

 1948年の朝鮮民主主義人民共和国の創建は、我が国の歴史において画期的な出来事でありました。共和国はソ連をはじめ、兄弟諸国と外交関係を結び、社会主義陣営の一員として国際舞台に登場しました。

 解放後、平和的建設の5年間に、朝鮮人民は国家建設の各分野で大きな成果を達成しました。1949年末に、重要工業部門と農業の生産は、解放前の1944年水準を上回りました。教育・文化・保健医療施設は数倍に増え、人民の物質・文化生活は著しく向上しました。

 共和国北半部における人民経済の急速な発展は、南半部の人民を強く励まし、アメリカ帝国主義と李承晩一味には大きな脅威となりました。

 かれらは、南朝鮮のファッショ警察支配を強化して人民抗争を弾圧する一方、共和国北半部を占領し全朝鮮人民を奴隷化する目的のもとに、1950年6月には以前から準備してきた武力侵略を強行しました。

 アメリカ帝国主義武力侵略者とその手先に反対する3年間の祖国解放戦争は、朝鮮人民にとって最も厳しい試練でした。

 再び植民地的奴隷となることを願わない全朝鮮人民は、祖国の自由と独立、人民民主主義制度を守る正義の戦いに総決起しました。

 祖国解放戦争で、朝鮮人民とその英雄的な武力である人民軍は、朝鮮労働党と共和国政府の指導のもとに、前線と後方で無比の英雄主義と愛国的献身性を発揮して厳しい試練を立派に乗り越えました。アメリカ帝国主義をはじめとする16カ国の反動連合勢力は、朝鮮戦争で恥ずべき敗北をこうむり、停戦協定に調印せざるをえませんでした。これは、朝鮮人民の歴史的な勝利でありました。

 朝鮮人民の祖国解放戦争における勝利は、共和国北半部に確立された人民民主主義制度の優位性と、つきることのない生命力を全世界に示しました。この勝利は、朝鮮人民の勝利であるばかりでなく、平和と民主主義と社会主義陣営の勝利でありました。それはまた、プロレタリア国際主義の旗のもとに団結した人民の力は、いかなる力をもってしても打ち破ることができないことを立証しました。

 祖国解放戦争当時、朝鮮人民にたいするソ連と中華人民共和国をはじめ、人民民主主義兄弟諸国の国際主義的援助は、我々の勝利の重要な要因となりました。特に、中国人民が抗米援朝運動を展開して志願軍を派遣し、血をもって我々を援助したことは、プロレタリア国際主義の新たな模範となるものでした。アメリカ帝国主義武力侵略者とその手先に反対する共同闘争で立てた中国人民志願軍の不滅の偉勲と兄弟諸国人民の国際主義的援助は、朝鮮人民の祖国解放戦争史に末永く光り輝くでありましょう。

 朝鮮戦争は、帝国主義者が弱小民族を意のままに征服し略奪した時代がすでに過ぎ去ったことを示し、人民が武器をとって侵略者とあくまで勇敢に戦うならば、民族の独立と自由を守ることができることを立証しました。

 戦争の過程で朝鮮人民は鍛えられ、朝鮮労働党と共和国政府にたいする信頼があつくなり、人民の政治的・思想的団結が強まりました。

 停戦にともなって、朝鮮人民には、戦争によって破壊された人民経済を急速に復興発展させ、極度に疲弊した人民生活を安定、向上させるべき緊急かつ困難な課題が提起されました。

 党と政府はこの課題を遂行するため、戦後の3か年計画を作成し、その実現へと全人民を奮い立たせました。

 3か年計画には、戦争のために極度に疲弊した人民生活を安定、向上させ、国の経済基盤を強化するため人民経済を戦前の水準に引き上げ、工業の植民地的跛行性を取り除くことによって、将来、社会主義的工業化を実現するための条件をととのえることが予定されました。

 朝鮮人民は、朝鮮労働党と共和国政府の指導のもとに、戦時中に敵と戦ったその意気で戦後の3か年計画を遂行するため、復興建設に総決起しました。

 朝鮮人民の創造的労働と献身的闘争によって、3か年計画の初年度である1954年度の計画が完遂され、また同計画の遂行において決定的な年である今年度の計画も順調に遂行されています。

 1955年上半期に、工業にたいする基本投資額は1953年上半期に比べ4.7倍に増大しました。こうして、停戦後2年間に採掘工業と機械、製鉄、建材、紡織工業など各工業部門で新設されたか、もしくは完全に、または部分的に復旧拡張されて操業を開始した大小の工業企業所数は、約290に達します。

 1955年上半期に、国営および協同経営の工業総生産高は、1953年同期に比べ2.5倍に成長しました。

 特に、重工業部門に大きな発展がもたらされました。1955年上半期に1953年同期に比べ、電力は3.4倍、石炭は6倍にそれぞれ生産が伸び、機械工業は以前には生産できなかった金属切削機械、摩擦プレス、船舶用エンジン、直流発電機など各種の新製品を生産できるようになりました。これは、我が国工業の画期的な発展を意味します。

 1955年上半期に、1953年同期に比べ、軽工業部門の綿織物は2倍、絹織物は4倍に生産が伸び、水産部門の漁獲高は3.3倍に増大しました。

 鉄道運輸部門でも大きな発展が見られます。1955年上半期の鉄道貨物輸送量は、1953年同期に比べ84%増大し、月間平均輸送量は戦前の1949年度の水準を上回っています。

 農業部門でも少なからぬ成果を達成しました。戦後の2年間に戦争で破壊された多くの農耕地を復旧し、また堤防、揚水場などの潅漑施設が大々的に建設された結果、約4万ヘクタールの新たな潅漑面積を確保しました。

 戦後農業の発展における画期的な出来事は、農業協同組合が広く組織されたことです。既設の農業協同組合数は1万余に達し、それに加入した農家数は全農家数の約44%にのぼります。

 農業協同化運動のこのような急速な進歩は、戦時中に一部の地方で実験的に組織された農業協同組合を通して、その優位性を体験した農民が協同化こそは戦後、労力と畜力の不足を解決し、農業生産の基盤を急速に復旧し、生活向上をはかる道であることを明確に理解したことを示しています。

 共和国政府は、農業の物質的土台を強化するため、多大の資金を支出しました。1955年上半期における農業部門への基本投資額は、1953年同期に比べ3.6倍に伸びました。

 党と政府が農業機械賃耕所の発展に大きな関心を払った結果、戦後に農業機械賃耕所は2.6倍、トラクターは2倍以上に増大し、多くの牛馬賃耕所が各地に組織されました。

 政府は生活必需品生産の急速な伸展にもとづき、戦後のわずかのあいだに3回にわたってその価格引下げを実施しました。その結果、1955年上半期の国営および協同経営商業の物価水準は、1953年同期に比べ、約55%引き下げられ、住民はこれによって約110億円(ウォン)以上の追加的収入を得ました。今年の8月1日に実施された戦後4回目の物価引下げによって、勤労者はまた34億円の追加的収入を得ました。

  物価の引下げと賃金の引上げによって、労働者、事務員の実質収入は著しく増加しました。

 国家は戦後、労働者、事務員のために、延べ建坪200万平方メートル以上の住宅を建設しました。

 共和国政府は、農民にも大きな国家的援助を与えました。農民の現物税未納分と銀行貸付金および潅漑用水料の納入を免除し、さらに営農資金として数億円を貸し付け、必要な種子用穀物、食糧および化学肥料を供給しました。最近はまた、現物税率を一部引き下げる方向でそれを改正しました。これらの対策は、党と政府が農民の生活向上のためにたえず配慮をしていることの明確なあらわれであります。

 戦後に、文化・保健医療部門でも少なからず成果が達成されました。戦時の困難ななかでも各級学校は運営をつづけ、停戦後に教育網は急速に拡大強化されました。こうして現在我が国には、4800以上の人民学校と中学校、72の各種専門学校と16の大学があります。

 人民保健医療施設も少なからず復旧拡張されました。停戦後の2年間に病院と診療所数は400以上に、医師は約49%増大しました。

 都市の復興事業でも大きな成果をおさめました。建設者の献身的な労働と公務員、学生、軍勤務者の愛国的労働によって、甚だしく破壊された都市がその姿を一新しつつあります。停戦後の2年間に、数多くの住宅と学校、病院、劇場、映画館などの公共建築物を建設しました。

 停戦後わずかの期間に、朝鮮人民は朝鮮労働党と共和国政府の指導のもとに、人民経済復興建設で輝かしい成果を達成しました。

 しかし、これらの成果は、ごく初歩的なものにすぎません。我々は、3か年計画の完遂および超過完遂をめざして緊張した闘争をつづけ、その完遂後には人民経済をさらに高い水準へ発展させるためひきつづき努力すべきであります。

 我が党は3か年計画遂行後、第1次5か年計画遂行への移行を予定しています。我々は第1次5か年計画期間内に、社会主義的工業化の基礎をきずくことによって、人民経済各部門の技術的改造を促進し、農業生産と消費物資生産および住宅建設に大きな力を注いで、人民生活のいっそうの改善を予定すべきであります。この課題が実行されれば、祖国統一の裏付けとなる民主基地は、いちだんと強化されるでありましょう。もちろん、これらの課題を遂行するのは容易なことでありません。

 現在、経済建設には多くの難関がひかえています。

 戦争の被害があまりひどかったため、我々は、ほとんどすべてを新しく建設しなければなりませんでした。

 我々は3か年計画期間に、破壊された人民経済をたんに戦前の水準に復興させるのではなく、それを新しい技術にもとづいて改造し、以前になかった一部の工業部門も新設しています。こうして、戦後復興建設の促進につれ、人民経済各部門では深刻な本質的変化が起こりつつあります。こんにち、工場や企業所は、日本帝国主義の古い技術ではなく、新しい近代技術にもとづいて復旧建設されており、各都市は不潔で退廃的な古い都市から、新しい近代的都市に復興建設されています。このような膨大な建設に要する各種の機材を円滑に保障するのは、極めて困難なことであります。

 我々にはまた、民族技術幹部が不足しています。解放後の10年間に少なからぬ民族技術幹部が養成されましたが、かつて、立ち後れた植民地であった我が国で、新しい社会の建設に必要な技術幹部を十分に養成するのに、10年という年月はあまりにも短い期間でした。特に戦争のため、我々はかなりの技術幹部を失いました。こうしてこんにち、急テンポで復興建設されつつある人民経済の需要に比べ、技術幹部は甚だしく不足しています。

 我々の活動には欠陥も少なくありません。建設事業には散漫さと焦りがあらわれており、具体的な見積りと計画性に欠け、建設の質向上にたいする考慮がまだ足りません。また、遊休資材と内部源泉の探求およびその利用、労力の節約と設備の合理的利用、国家および社会財産の管理などに少なからぬ欠陥があります。

 しかし、このような難関と欠陥は、十分に克服することができます。

 我々はすべての難関を勇敢に乗り越え、欠陥は大胆に是正すべきであります。

 祖国を富強かつ美しく建設し、人民生活を豊かにするため、我々は今後さらに多くのことをなすべきであり、いっそう献身的に働かなければなりません。

 我々は、国内の豊富な資源を不断に見つけだし、人民経済全般の発展の基礎となる重工業の発展にひきつづき力を注ぎ、漸次、国の社会主義的工業化を実現しなければなりません。

 我々は重工業の建設において、人民生活と密接な関係のある部分に力を集中し、重工業を優先的に発展させながら、同時に軽工業も急速に発展させるべきであります。

 特に、農業の復興発展に関心を払うべきです。食糧問題の解決は、当面の最も緊切な課題の一つであります。昨年、共和国の一部地域での洪水と冷害のため、食糧事情は若干緊張しています。我々は全力を尽くして穀物生産を増大し、食糧問題を円滑に解決しなければなりません。

 共和国政府は農業生産の発展のため、今年度下半期だけでも、年頭計画より10余億円の資金を追加支出し、潅漑水利工事に必要な資材を優先的に供給することを決定し、来年度は、さらに多くの資金と労働力を農業に投下する予定です。

 今後、作成する5か年計画には、大規模の潅漑水利工事の実施と土地開墾面積の拡張、化学肥料と農業機械生産の増大など、農業の物質的基盤を強化するための諸対策を含めるべきであります。

 これらすべての課題を順調に遂行し、農業生産力をさらに高めるためには、農業の社会主義的改造を促進する一方、既設の農業協同組合にたいする党と国家の指導と援助を強化して、組合を組織的、経済的にいちだんと強固にすべきであります。

 すべての勤労者は、人民経済の各分野で労働生産性をたえず高め、厳格な節約制度を実施して建設費と製品のコストを切り下げ、製品の品質を改善すべきであります。

 人民経済の各部門と企業所の勤労者は、国家および社会財産を極力愛護し、それを敵の侵害から守るために革命的警戒心をさらに高めるべきであります。

 こうして、戦後の3か年計画を完遂および超過完遂し、近い将来、国家の経済発展において新たな大高揚を起こすべきであります。




 同志のみなさん!

 解放後の10年間に、人民が政権の主人となった共和国北半部では、長いあいだ、我が国の発展を妨げてきた旧制度がことごとく粉砕され、政治、経済、文化の各分野で大きな発展を遂げました。しかし、アメリカ帝国主義とその手先が支配する共和国南半部は、日を追ってますます衰退と没落の道をたどっています。

 1945年8月に、祖国の北半部と南半部は同時に解放されました。しかし、当時の国際情勢によって、北緯38度線以南地域にはアメリカ軍が進駐しました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮の分断を永久化する目的のもとに、南朝鮮にかいらい政権をつくって植民地略奪政策を実施し、民主主義的統一独立国家の建設を破綻させました。こうして、南朝鮮の同胞、兄弟姉妹は、アメリカ帝国主義の占領とかいらい政権の虐政のもとで苦しまなければならなくなりました。

 アメリカ帝国主義の朝鮮侵略政策と李承晩一味の反人民的売国政策のため、南朝鮮の民族経済は破綻し、人民生活は悲惨な状態に追い込まれました。

 アメリカ帝国主義者と李承晩一味が引き起こした朝鮮戦争は、南朝鮮の経済をさらに困難な状態に陥れました。戦争のため、南朝鮮の工業と農業は甚だしく破壊されました。

 しかし、停戦後2年を経過したこんにちになっても、南朝鮮で復旧らしきものは全くなされていません。

 南朝鮮における1954年度の一般消費物資の生産は停戦当時に比べて著しく減少しました。1954年上半期には1953年同期に比べて、石炭採掘量は28%、ゴム靴生産は68%、石けん生産は37%、それぞれ減退しました。『ソウル新聞』の報道によれば、1954年の1年間だけでも、南朝鮮の多くの紡織工場が操業を中止しました。

 アメリカは、1954年に2億ドルの「援助」を南朝鮮に提供することを約束し、そのうち60%を産業に投資すると言いました。ところが実際には、その「援助」額のごくわずかが南朝鮮にふりあてられただけであり、それさえも大部分はアメリカの余剰消費物資でした。1955年にも、アメリカは南朝鮮に多くの「経済援助」の提供を約束しましたが、去る2月末現在、約束した「援助」額のわずか5%に相当する余剰消費物資が入ってきたにすぎません。

 南朝鮮にたいする資本投資と余剰商品の販売にのみ関心をもつアメリカの独占資本が、南朝鮮の民族産業の振興に全く興味がないのは明白なことであります。

 李承晩一味は、南朝鮮の人民をあざむくため、1954年と1955年の両年に「復興計画」を作成すると広言しましたが、その資金の90%以上がアメリカの「援助」に依存しているため、南朝鮮の出版物が指摘しているとおり、この計画は「絵にかいた餅」にすぎません。

 南朝鮮では、産業ばかりでなく、農業も完全に荒廃しました。

 かいらい政府の欺瞞的な「農地改革」によって、農業はさらに零細化し、大部分の農民が莫大な負債を背負った債務奴隷に転落しました。

 「農地改革」後、南朝鮮の耕地面積はさらに減少し、1953年には1945年に比べ15%以上減少しました。穀物収穫高はますます減り、1954〜1955年に、430万石以上の食糧不足をきたしました。

 1955年4月末現在、南朝鮮の絶糧農家数は約46万戸に達し、1954年末に農民の負債総額は200億円にのぼりました。

 このような状況のもとで、農村を見捨てて離農する農家数は、1954年だけでも数万戸を数えます。

 工業と農業の破綻にともない、南朝鮮の失業者数は毎年激増しています。南朝鮮の通信によれば、現在、南朝鮮の失業者数は約200万を数えます。

 民族経済の破綻と人民生活の窮乏化にもかかわらず、李承晩一味はますます軍備拡張に拍車を加えています。南朝鮮かいらい政権は、停戦協定が調印されてわずか数日後の1953年8月に、アメリカと「韓米相互防衛条約」を結びました。アメリカ帝国主義者は、停戦協定に違反して、南朝鮮に多くの兵器をもちこみ、かいらい軍の武力装備を強化しており、李承晩一味は再び同胞同士の内戦を引き起こすため、青年学生を強制徴集して、新しい師団を編制しています。

 1954年度のかいらい政府の予算総額のうち、直接軍事費は72%を占めています。

 アメリカ帝国主義と李承晩一味のテロ的弾圧にもかかわらず、アメリカ帝国主義の南朝鮮侵略政策とかいらい政権の反人民的売国政策に反対する、南朝鮮人民の抗争はしだいに激しさを増しています。

 南朝鮮の勤労者は、1954年1月から9月までのあいだだけでも、100件以上のストライキを断行しました。この闘争には、釜山(プサン)、群山(クンサン)、馬山()マサンの埠頭労働者と「大韓石炭公社」の労働者7000余名を含む数万の労働者が参加しました。

 地主の略奪とかいらい政府の重税に反対する農民の闘争も、ますます、その頻度を増しています。かいらい政府農林部の発表によっても、南朝鮮農民の供出反対のため、1954年度秋季穀物供出量は、今年2月中旬現在、計画量の56%しか収納できませんでした。

 南朝鮮の青年のあいだで、強制徴集に反対する気運がますます高まっています。1954年に南朝鮮の全徴兵対象者の31%がそれを忌避し、最近では大学修了者の80%が強制徴兵に反対し、それを忌避しました。

 李承晩一味のいかなるテロ的弾圧も、生存の自由と民主的権利のために立ち上がった南朝鮮人民の闘争をくじくことはできないでしょう。

 同志のみなさん!

 国土の分断と民族の分裂は、南朝鮮人民にはかり知れない苦痛を与え、全朝鮮人民の大きな不幸となっています。それゆえ、祖国の平和的統一の実現は、全朝鮮人民にとって最大の民族的課題であります。我々のすべての活動は、この崇高な課題の遂行に服従させなければなりません。

 解放後の10年間、我々は祖国の平和的統一のため、誠意ある努力をつくしてきました。解放後の朝鮮人民の闘争史は、実に祖国の統一独立をめざす闘争の歴史でした。

 1945年12月に採択された朝鮮問題にかんするモスクワ3国外相会議の決定は、朝鮮の平和的統一と将来の発展のための条件を保障する妥当な決定でありました。

 この決定の実現をめざすソ連側の誠意ある努力と、全朝鮮人民の一致した要求にもかかわらず、アメリカ帝国主義者の背信行為と李承晩一味の反民族的行為のため、ソ米共同委員会の活動は失敗に帰し、モスクワ3国外相会議の決定は実現をみるに至りませんでした。

 このような状況のもとで、我が党と共和国政府は、朝鮮の統一問題を朝鮮人自身の力で、相互理解と会談の方法によって解決する立場を堅持しました。

 我が党の発起によって、1948年4月に歴史的な南北朝鮮政党・大衆団体代表者達席会議がひらかれ、同年6月に南北朝鮮政党、大衆団体の指導者協議会が招集されました。これらの会議は、祖国の統一問題を朝鮮人が一堂に会して論議する方法で解決するための、最初の実際的な措置でありました。

 4月連席会議後に発表された南北朝鮮政党、大衆団体の共同声明には、当時の情勢にてらして、朝鮮からのソ米両国軍隊の撤退が朝鮮問題の解決に有利な条件をつくる正当な措置であることが指摘され、朝鮮において民主主義的統一政府を樹立する具体案が示されていました。

 その後、1949年と1950年に発表された祖国統一民主主義戦線のアピールと、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会の決定は、祖国の平和的統一をめざす我が党と共和国政府ならびに、南北朝鮮のすべての愛国勢力を代表する祖国統一民主主義戦線の一貫した闘争の明白な実例であります。

 祖国の統一独立と自由を願う南北朝鮮の全人民とすべての愛国的人士は、我々の平和的統一路線を熱烈に支持し、その実現をめざす闘争に積極的に参加しました。

 しかし、アメリカ帝国主義者と李承晩一味は、朝鮮の平和的統一に必死になって反対しました。かれらは、南朝鮮で祖国の平和的統一を要求する愛国的な人士や人民の運動を銃剣で弾圧し、ついには共和国北半部にたいする武力侵攻をもって、我が方の統一方案にこたえました。

 停戦後、政治会議を招集し、ジュネーブ会議を通じて朝鮮問題を解決しようとした我々の努力は、再びアメリカ帝国主義者と南朝鮮当局の侵略的かつ売国的な行動のため、実を結ぶことができませんでした。

 その後、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第8回会議は、南朝鮮「国会」と各政党、大衆団体、軍隊および全人民にアピールを送り、朝鮮の統一問題について討議することをいま一度提案しました。また、祖国統一民主主義戦線中央委員会、共和国の各機関と団体は、最高人民会議のアピールを実践に移す目的のもとに、南朝鮮の関係機関と団体にたいし、南北間の経済・文化交流にかんする各種の具体的措置を講ずることを繰り返し提案しました。

 最高人民会議第8回会議のアピールは、共和国北半部の人民ばかりでなく、南朝鮮人民、ひいては南朝鮮の一部の「国会議員」やかいらい軍隊内からも広範な支持を得ました。

 しかし、李承晩一味は、これらすべての正当かつ合理的な方案をことごとく拒否しました。

 こうして、解放後10年が過ぎましたが、全朝鮮人民の悲願である祖国の統一は実現をみず、国土と民族は依然として分断されたままであります。

 この民族の苦痛と不幸の禍根は、アメリカ帝国主義の南朝鮮占領にあります。

 我々は、世界で最も侵略的なアメリカ帝国主義占領軍と対峙しているため、祖国の統一をめざす闘争は困難かつ長期的な性格をおびざるをえません。

 祖国の平和的統一をめざす我々の原則と立場は明白であります。朝鮮の統一問題は、朝鮮人自身の意思によって解決されるべきであります。そのためには、朝鮮からすべての外国軍隊が撤退し、南北朝鮮人民が一堂に会して朝鮮問題を討議し、自由な意思表示によって民主主義的統一政府を樹立すべきであります。これは全朝鮮人民の一致した念願であり、朝鮮問題の平和的解決をめざす最も正しい方途であります。

 アメリカ帝国主義者とその手先李承晩一味は、祖国の平和的統一にたいする我々の主張に必死になって反対しています。李承晩一味は、依然として「北進統一」を広言しながら、軍事境界線において挑発行為と中立国監視委員会にたいする暴行をはたらいています。最近、南朝鮮のかいらいは、開城(ケソン)、甕津(オンジン)、漢江(ハンガン)下流北岸地帯を強奪すると公言しています。

 会談を通じて、平和的に祖国の統一問題を解決しようとする我々の主張が、力の弱さによるものであると考える者がいるとするならば、それは誤算であります。

 我々が平和的方法による祖国の統一を主張するのは、内戦を望まず、国土の分断によって朝鮮人民がなめている苦痛を早急に除去することを願っているからであります。

 我々は南半部の人民が、北半部の豊富な電力、鉄鋼材、鋼、鉛、化学肥料、カーバイド、ソーダ、セメント、石炭などを利用できるよう南北朝鮮を隔絶している壁を取り除き、南北間の自由な経済・文化の交流を実施するよう主張します。

 我々は祖国の平和的統一を実現するために、まず停戦を強固な平和にかえ、南北朝鮮が互いに接近できる条件をつくるべきであります。

 朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議と南朝鮮「国会」間の協商の実現と人民の自由な往来の保障、経済・文化・科学・芸術交流の実現によって、南北朝鮮人民間の連係を強化し、相互理解の雰囲気をつくるべきであります。

 これらはすべて朝鮮人民自身の問題であります。いかなる力をもってしても、朝鮮人民のこの念願をくじくことはできません。

 平和的統一を達成するためには、朝鮮において確固とした平和が保障されるべきであります。朝鮮問題に関心をよせる諸国は、朝鮮の平和維持に脅威となるいかなる挑発行為も発生させない義務を負うべきであります。我々は、朝鮮問題の平和的調停のため、アジア諸国が広く参加する極東会議を招集し、朝鮮の平和的統一のための方策を講ずることを関係諸国の政府に要請するものです。

 外国武力のひきつづく朝鮮駐屯は、朝鮮の平和統一の妨げとなるため、朝鮮に軍隊を派遣した国は、それを早急に撤退させる措置を講じるべきであります。

 我々はまた、南北朝鮮当局が南北間に現存する不信と緊張を除去するため、互いに相手側に反対するいかなる武力行使もおこなわず、朝鮮の統一問題を平和的方法によってのみ解決する義務を負うことを朝鮮人民と全世界各国の人民に宣言し、人民の軍事負担を軽減し、非生産的労働力を平和的建設にまわすため、南北朝鮮の軍隊を最小限に縮小することを提案します。

 また、南北朝鮮の相互接近と協商を求める全朝鮮人民の念願を考慮し、祖国統一問題を討議するための南北朝鮮当局の代表者会議を早急に招集することを要望します。

 祖国の統一独立をめざす朝鮮人民の闘争の前途には、多くの難関と障害が横たわっています。

 全朝鮮人民は、あらゆる障害を乗り越え、祖国統一の大業を実現するため、今後とも頑強にたたかいつづけるべきであります。

 なによりも重要なのは、各階層を結集する祖国統一民主主義戦線をさらに拡大強化することであります。

 我々は、政治的見解と信教の違い、財産の有無を問わず、民族の団結と祖国の統一を心から願う人であれば、誰であれ快く包容し、協商するでありましょう。かりに、かつて国家と人民にたいして罪をおかした人であっても、自分の過去を反省して祖国の平和的統一をめざす闘争に立ちあがるならば、我々はそれを歓迎し協商に応ずるでありましょう。

 同志のみなさん!

 こんにち、国際情勢は、祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民の闘争に極めて有利にかわっています。ソ連と中華人民共和国をはじめ、兄弟諸国人民と全世界平和愛好諸国人民の不断の闘争によって、国際情勢には一定の改善がもたらされました。

 インドシナにおける停戦の実現と、アジア、アフリカ諸国のバンドン会議、ヘルシンキ世界平和愛好者大会は、侵略と戦争に反対し、世界の平和と、異なる制度をもつ国家間の平和共存をめざす闘争において重要な意義をもつ出来事でした。

 ソ連の対オーストリア国家条約締結、ソ連とユーゴスラビア間の関係改善、ソ連とインド間の友好関係の強化などの出来事は、世界平和のための大きな寄与となります。

 特に最近、ジュネーブでおこなわれた四列強首脳会議は、国際緊張の緩和と世界平和の大業に貢献する重要な出来事でした。朝鮮人民は、全世界の平和愛好諸国人民とともにこの会議を熱烈に歓迎し、その決定が順調に実現するよう望んでいます。

 我々は、ソ連人民と中華人民共和国をはじめ、人民民主主義諸国の人民と全世界平和愛好諸国人民との友好のきずなをさらに強め、世界の強固な平和のため、祖国の平和的統一のためにひきつづき力強くたたかうでありましょう。

 同志のみなさん!

 こんにち、朝鮮人民は、解放後の10年間に達成した労働と闘争の結果を大きな満足感をもって総括すると同時に、今後のより大きな成果と勝利をめざし、献身的にたたかう決意にもえています。

 全朝鮮人民は、朝鮮労働党と共和国政府のまわりにかたく団結し、社会主義建設での新しい勝利と祖国の平和的統一をめざして力強く前進しましょう。

 すべての勝利の組織者、鼓舞者である朝鮮労働党万歳!

 朝鮮民主主義人民共和国政府万歳!

 祖国統一民主主義戦線万歳!

 平和と民主と社会主義陣営諸国人民の不抜の国際主義的友好・団結万歳!

 愛する祖国、朝鮮民主主義人民共和国に栄光あれ! 
 出典:『金日成著作集』9巻


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