金 日 成

社会主義革命の現段階における党および国家活動の
いくつかの問題について
朝鮮労働党中央委員会総会での結語 
1955年4月4日

 皆さん!

 このたびの党中央委員会4月総会では、非常に重要な問題が討議されました。

 現段階におけるわが党の当面する最も重要な問題として、階級的教育を強化する問題、わが党の活動作風を改善する問題、わが国の経済建設を促進するために経済節約と財政規律を強化する問題などが討議されました。

 このたびの党中央委員会総会の討議に参加したすべての同志は、一致して党中央委員会政治委員会が提出した党の政策的問題に賛成し、これを支持しました。そして、提起された問題が円満にしかも十分討議されたものと認めます。

 結語で強調したいことは、次のような問題であります。

 今度の党中央委員会総会では提出された諸問題を3日間にわたって討議しましたが、その過程で多くの欠陥が指摘されました。会議でいろいろな欠陥が批判されたので、あるいは、わが党には悪い者が多く、活動家はみな嘘つきで、その活動がすべて誤っているのではないか、と思うような人がいるかもしれません。

 もちろん、わが党は、早急に是正すべき欠陥を少なからずもっています。だからといって、これまで、わが党のなしたことがすべて間違っていたと考えるならば、それは大きな誤りです。

 わが党の活動のなかには、幾多の英雄的な事実があり、また、わが党はこれまで祖国と人民のために、わが国の隆盛発展のために偉大な事業をなし遂げました。

 わが党員のなかには、祖国解放戦争のとき、党と祖国のために自分の胸で敵の銃眼をふさぎ、最後の血の一滴までささげた多くの英雄的な党員がいます。また、我々が一時的な後退をしたときに敵の背後で勇敢に戦い、敵にとらわれても少しも屈せず、最後まで朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮労働党の万歳を叫び、命をささげて党員の栄誉を守り通した数千数万の英雄的な党員もいます。

 祖国解放戦争の一時的後退の時期に、わが党の多くの軍事幹部と政治幹部、そして、政治工作のために南半部へ派遣されていた党活動家たちが、敵の包囲を突破し、部隊を率いて山を越え川を渡り、わが党と政府をたずねて組織的に後退した事実、また、我々の多くの作家、大学教授、俳優が、敵の激しい爆撃をものともせず、敵の包囲を突破し、わが党と共和国政府をたずねて数百里の道を踏破した事実などは、どの国の戦争史にもまれな英雄的行為であります。

 これらの事実は、わが党がこれまで全党員を正しく教育し、かたく団結させてきたこと、また、わが党員が、祖国と人民のために最後まで命をささげて戦うことができることを物語っています。

 わが党はこんにち、全朝鮮人民の愛と信頼につつまれ、十分に朝鮮人民の運命を切り開くことのできる、強大な頼もしい党となりました。わが党は、過去10年間の歴史的な闘争を通じて、広範な勤労大衆の積極的な支持をかちとり、多くの政治活動家、軍事幹部、若い科学者や経済活動家、作家や芸術家を育てあげました。

 このような成果は、決して偶然に得られたものではありません。それは、わが党がこの10年間、困難な闘争を通じてかちとった成果であります。これは、わが国の今後の隆盛発展の裏付けとなり、人民をゆうに幸福と自由へ導くことのできる重要な条件を整えたことになります。

 このように、わが党がこれまで積みあげた業績は大きく、党員が党と祖国のために血を流して戦った功績も実に大きいものであります。

 では、わが党のおさめた成果がこれほど大きいにもかかわらず、どうして現在、我々は欠陥について多くを語らなければならないのでしょうか。

 それは、わが党が今後活動をより立派におこない、わが国をより早く幸福の道に導き、祖国の統一独立を一日も早くたたかいとるためであり、わが党員を足踏みさせず、さらに前進させるためであります。このために、我々は、常に、党内のすべての欠陥を大胆にさらけだし、改めるのであります。こうしてこそ、わが党は今後さらに前進し発展することができます。

 わが党が自己の欠陥について語るからといって、一部の反党分子や分派分子が言っているように、わが党が生気のない無気力をものであると考えるのは全く見当遇いです。わが党にはどのような悲観もありえず、明るい未来と革命的な楽観があるのみです。

 わが党は、さきの祖国解放戦争で敵と立派に戦っただけでなく、戦後の人民経済復興建設でも大きな成果をあげました。停戦後、平壌市をはじめ、共和国北半部の各地で、工場、企業所、鉱山、鉄道などが速やかに復旧建設されたのは、わが党の指導があったからこそ可能だったのです。これはまた、わが党が今後どのような困難や障害にも十分うちかって、北半部で社会主義の基礎を建設できるということを実証しています。

 1 党内の階級的教育をいっそう強化することについて

 我々は、党内での階級的教育を強化する問題をいまはじめて提起するわけではありません。もしも一部に、これまでの我々の宣伝活動がすべて間違っていたとか、これまで社会主義という言葉を使わなかったのは誤りであると考え、いまはじめて我々が党内の階級的教育の問題をもちだしているかのように考える人がいるならば、それは間違いです。

 わが党は、わが国のすべての客観的な条件と主体的力量を考慮したうえで、それぞれの時期に適した政治的および経済的任務を提起します。もし党が、人民の自覚の程度と客観的な条件を十分考慮せず、主観的欲望によってことを運ぶならば、結局、党は左右の誤りを犯すことになるでしょう。

 もし解放直後に、我々が朝鮮で社会主義を建設するのだと騒ぎたてたとしたら、誰がそれを是認したでしょうか。人民は、我々のそばに寄りつきもしなかったでしょう。なぜなら日本帝国主義者が、社会主義というのは、みんなで一枚のふとんをかぶって暮し、同じかまの飯をつついて暮らすことだ、とまで悪宣伝をしてきたからです。こうしたすべての事情を考慮せずに、あのとき社会主義のスローガンをかかげていたとしたら、人民は我々を恐れ、そばに寄りつきもしなかったでしょう。

 ところがいまでは、農村で組織した農業協同組合をさして、これが社会主義に向かう道だと農民たちに話してやると、彼らは喜んで、それならなぜもっと早く社会主義を建設しなかったのかと言っています。

 実際は、我々は、戦前、既に北半部で民主主義革命の課題を遂行した後、社会主義への過渡期の任務を遂行してきましたし、これに伴う社会主義的な教育も進めてきました。しかし、当時の状況では、社会主義建設を全面的に展開することはできませんでした。

 いまわが党は、機の熟した諸条件を考慮して、北半部で社会主義を建設する問題と、党内の階級的教育を強化する問題をいっそうはっきり、いっそう強く提起しているのであります。

 わが党の綱領でも同じような実例をあげることができます。わが党の綱領は、我々の最高目的については述べていません。1946年に我々が党の綱領を採択した当時は、わが国におけるさまざまな事情からして、そうすることが必要であり、また適切でもありました。

 ところが、いまになっては、わが党は自己の綱領のなかで祖国の統一独立を達成するための課題をとりあげるばかりでなく、将来、わが国を社会主義・共産主義に導くという、党の最高目的までかかげることが必要となってきました。したがって、1946年に作成したわが党の綱領は間違っていたのではなくて、当時の状況ではそうするのが正しかったのです。

 しかし、こんにちになって、党員の自覚の程度、社会の発展水準、さらにアメリカ帝国主義が南朝鮮を長期にわたって占領している客観的条件などは、わが党に新しい闘争任務を提起しています。このような状況のもとでは、我々は党内の階級的教育を強化することなしに、長期かつ困難な闘争で勝利をかちとることはできません。我々は、このような客観的な条件を踏まえて、いまこの問題を提起するわけであります。

 しかし、我々が問題をこのように提起するからといって、社会主義を一日にして建設しようとか、資本主義的要素を一日のうちに残らず一掃しようとかいうならば、これはまた極左的な誤りを犯すことになります。

 我々は、党員と人民に社会主義的意識を植えつけ、共和国北半部で資本主義的要素を漸次消滅させ、我々の力をいっそう強めて祖国の統一独立をかちとり、今後、全朝鮮に社会主義を建設する思想的・物質的準備を整えなければなりません。そのために、いま我々は、党内で階級的教育を強化する問題をいつにもまして深刻かつ切実な問題として提起しているのであります。

 次に、教育活動の方法の問題について述べようと思います。

 我々は党の教育活動において、必ず次のような2つの問題に重点をおかなければなりません。

 第1に、党員がマルクス・レーニン主義を学習するにあたって、それをうのみにせず、現実に適用できるように学ぶべきであります。昔、書堂では、文章を機械的に暗唱させたものです。そのように勉強した人は、天という字を地という字の上に書いたときには、その字が分かっても、別をところに出てくるとわかりませんでした。いま、我々はこのようにマルクス主義を学習してはなりません。

 マルクス主義の学説を暗唱することで問題が解決されるのではありません。理論的な内容と本質を理解し、我々の実生活に即してそれを適用できなければなりません。これが、わが党の教育活動で重点的に改めなければならない問題です。

 我々は、マルクス主義の本を多く翻訳し、また我々自身も直接執筆して多く出版しました。いまの我々の事情は、1946年度とは違います。文化宣伝相はその発言で、マルクス・レーニン主義の古典の売れゆきがよくないと言いましたが、党員たちがそれらの本を機械的に読むから興味も覚えず、それを切実に求めようともしないのです。

 もしも、彼らが、自分の活動で困難な問題にであったときや、創意を発揮して仕事をしようとするとき、マルクス・レーニン主義の本から正しい方向を得ようとするならば、おのずと学習に興味を覚え、またマルクス・レーニン主義の古典を切実に求めるようになるでしょう。このようになったときはじめて、それらの本がよく売れるようになるでしょう。

 第2に、党学習で重要なのは、自国のものを多く学ぶことであります。一部の人は、自国のものをよく学ぼうとせず、それはあたかもマルクス主義とは縁遠いものであるかのように考えています。自国のものこそ、朝鮮の現実に創造的に適用された生きたマルクス主義であることを知るべきであります。

 多くの人々が、自国の歴史を知りません。したがって、自国の歴史を学ぶことが非常に大切です。また、芸術分野でも自国のものを発展させなければなりません。

 もちろん、自国のものでも良いものと悪いものをより分け、悪いものは取り除けるようでなくてはなりません。自国のものをよく知る必要があるからといって、自国のものは、つまらないものまで学ぶべきだと言い張る人がいます。これは非常によくないことです。自国のもののうちでも、よくないものは捨て、良いものだけを学ばなければなりません。

 自国のものを多く学び研究するうえで重要なのは、それをマルクス主義と正しく結びつけることであります。ところで、一部の若い幹部は、マルクス主義の一般理論はよく知っていても、自国の歴史は知りませ。一方、昔の書物を多く読んだ人は、マルクス主義の理論にうといのです。昔のことを多く知っているからといって、自分がほんとうの歴史家であるとうぬぼれてはなりません。マルクス主義を正しく身につけ、わが国の歴史を知っていれば、歴史の各段階をマルクス主義的に正しく分析することができるのです。つまり、わが国の社会発展の各段階において、どの層が我々の敵で、どの層が革命的要素かということや、敵と味方の力関係などを正しく分析することができます。こういうふうに、歴史をマルクス主義的に分析することができなければなりません。

 このように、党学習で自国のものを学び、マルクス主義を経文読み式でなしに創造的に研究する問題は、党内の階級的教育を強化するうえで必ず中心問題とならなければならないと考えます。

 次に重要なのは、すべての党活動家と党員を政治活動家に、経済活動家に、堅実な革命闘士に養成することであります。

 いま我々が、マルクス主義を身につけ、わが国の発展の見通しや、その他すべての問題を正しく分析できる活動家を何百名かもつようになれば、それはたいへん大きな力になるでしょう。しかし、我々は、まだその水準に達していないことを知らなければなりません。

 一部の活動家のなかには、自分がかつて相当の教育を受けたということで謙虚でない人もいます。また、自分はかつて学ぶことができなくて無学のため、とてもついてはいけないと学習をなげだす人もいます。これは、いずれもよくない傾向です。かつて大学を出られなかったにしても、現在マルクス主義を正しく身につけるならば、かつて大学で学んだものよりまさることもあります。

 我々は、おごりたかぶらず、常に、謙虚に学び、さらに学ばなければなりません。

 2 党内のセクト主義的要素について

 ある人たちは、報告のなかに分派の問題がでれば目をまるくして、いったい分派分子は誰かと質問し、これまでわが党は党の統一と団結のために粘り強い闘争をつづけてきたのに、まだ党内に分派分子が残っているのか、分派分子はつまみださなければならない、などと言いたてます。

 ところで党内の分派分子の行動に対して、そのようなやり方で警戒心を高めるだけでは足りません。つまり、我々が党会議で分派分子について警告すると警戒心を高め、そうしないと警戒心がゆるんでしまうようなやり方の闘争をしてはなりません。我々は、常に、党の統一と団結のために、党を分裂させる分派分子に対し警戒心をもって監視しなければなりません。

 私は、きょう再び、わが党内の分派問題と、その発生の根源について述べようと思います。

 わが国には、過去から分派分子が発生する条件がありました。しかしいま、わが党内には分派活動をおこなっている個々の分子はいますが、何らかの分派が形成されているわけではありません。

 では、わが国で分派が形成され、また分派分子が活動できる根拠はどこにあるのでしょうか。

 それは第1に、1920年代に創立された朝鮮共産党が、いろいろな派閥の争いによって破壊された後、わが国が日本帝国主義の植民地支配から解放されるときまで、労働者階級は自己の前衛部隊をもつことができなかったためであります。

 もし、1925年に組織された朝鮮共産党が分派や謀略分子の活動によって破壊されず、ひきつづき存続していたならば、わが党は自己の組織体系をもって8・15を迎え、解放直後から党の指導的中核をしっかりと形成していたでしょう。

 1920年代に共産党が破壊されたのは、何よりも党が広範な勤労大衆のなかに深く根をおろしていなかったからであります。当時、朝鮮共産党は上部組織があるだけで、工場や農村に細胞組織をもっていませんでした。言いかえれば、大衆的政党になっていなかったのであります。そして、党内にはマルクス・レーニン主義の理論を正しく身につけたマルクス主義者がいませんでした。当時の共産主義者は、マルクス・レーニン主義理論を十分身につけず、思想的にも、階級的にもしっかりしていませんでした。そのうえ日本帝国主義者は、党を破壊するために、その手先を党内に潜入させました。

 このように、党の「指導者」たちが、マルクス主義を十分身につけておらず、また党が大衆のなかに深く根をおろせなかったために党は四分五裂してしまいました。この時期のわが国の労働運動の内部には、M・L派、火曜派、北風会など、いろいろな派閥がたくさん発生しました。彼らは、共産主義のためにたたかったのではなく、共産主義の看板をかかげて、党内のヘゲモニー争奪のための派閥争いしかしなかったので、結局、党は破壊されるほかなかったのであります。

 これらの分派分子は、自分たちの派閥争いで党を破壊し、わが国の労働運動と革命運動にとりかえしのつかない弊害を及ぼしたことを大きな罪悪と思わなければならないのに、かえって大した革命活動でもおこなったかのように考え、いまでも党内で高い地位を占めようとしています。

 こんにち、党内には、かつてM・L派、火曜派、北風会、コミュニスト・グループなど、いろいろな分派に参加したか、さらにはそれら分派の「指導者」であった人までいます。我々は、その人たちがかつて派閥に加わったことを追及するとか、彼らを党から追い出そうとかいうのではありません。ただ、彼らが過去の分派行動の悪い習性を捨てて、立派な党員になることを期待するだけです。彼らもこんにち、自分の誤りを徹底的にさとい、革命のために、党の統一と団結を守るために、二度と悪巧みをするのをやめて、よい態度をとりつづければよいのであります。しかし、もし、いまになっても、そのような行動をとるならば、それは許すことができません。
 ところが、かつて派閥に加わった少なからぬ人たちは、しばしば「党の団結」「党のため」などと称し、またときには紳士的にふるまうこともありますが、しかし多くの場合、昔のくせを完全に捨てきれず、機会さえあれば以前分派に加わっていた者同士が集まり、こそこそと悪巧みをしています。かつて派閥の「指導者」をつとめた一部の分子は、いまなお個人英雄主義にとりつかれ、機会さえあれば再び分派をつくろうとつとめています。このような連中は、こんにち、一貫して革命のために働くのではなく、高い地位を占めるために、かつて分派活動をしていた人たちと、その影響下にあった人たちを自分のまわりに寄せ集めようと、悪巧みをつづけています。まえに朴憲永がちょうどこのようなことをしました。

 この分派分子たちの悪巧みは、ちょうど鼠のいたずらと同じです。皆さんもよく知っているように、鼠という動物は、人間が寝静まったときには家中をかけまわりながらこそこそしますが、人間の声がすると、どこへやら姿をくらましてしまいます。ところで、この鼠が、こうして走りまわりながら、用のないふろしき包みでもつっついているうちは、我慢もできますが、もし立派なたんすでもかじろうものなら、もったいないことこのうえもないことです。また、この鼠をいち早く退治しなければ、どんどん子をふやして、あっちこっちに穴をあけ、しまいにはその家を破壊しないとも限りません。

 これと同じように、いま党内に分派はないといっても、分派行動をとっている連中に対し我々が警戒心を高めて用心しなければ、彼らが、かつて同じ派閥に属していた者や、または不堅実な連中を寄せ集めて一派をつくり、ひいては党を破壊する試みをしないとも限りません。したがって、分派的傾向に対して、常に、警戒し、彼らが悪巧みできないように未然に防止しなければなりません。

 第2に、いまわが党内の革命活動家は、ソ連、中国、南半部などの各地からきた人や、あるいは国内で闘争した人々からなっていますが、分派分子たちは、しばしば、これを自分の分派的な目的に利用しようとします。

 南半部からきた人のなかには、自分がそのうちの代表的人物だと自任している者もいます。このような連中は、自分が高い地位につきさえすればすぐ、南半部からきた人たちに、あたかも自分が職場をあっせんし、生活できるように世話をしてやったかのように思わせ、まるで彼らの運命を自分が握っているかのようにふるまい、彼らを自分の個人的活動の足場にしようとします。かつて李承Yがこうしたやり方で南半部からきた一部の人たちを翻弄しました。

 ソ連からきた人のなかでは、許カイのような者を実例としてあげることができます。許カイはまるでソ運からきた人のなかでは、自分がその代表的人物であるかのように自任していました。

 中国からきた人のなかでは、朴一禹のような者を代表的な例としてあげることができます。彼は、中国からきた人のなかで、自分が代表的人物であるがのように思いあがり、「中国からきた人を幹部として登用してくれない」とか、「ソ連からきた人と中国からきた人は互いに生活風習が違う」とかいって、階級意識の低い人たちを自分のまわりに寄せ集めようとして、こそこそと悪巧みをしています。

 10年たてば山河も変わると、ことわざにもあるように、解放後10年間に党員の思想・意識や生活風習が変わらないはずがあるでしょうか。もちろん変わっており、道徳的風格まで新しく形成されました。そのうえ、10年間も同じところで生活し、働き、教育されているのだから、いまではどこからきていようとも生活習慣が違うとか、活動作風が違うとかいう口実はなりたちません。それにもかかわらず、もっぱら、それを叫んでいるのは、これらの分子にほかの意図があるからです。

 朴一禹は、自分が陰でこそこそとやっている悪巧みを他人が知らないものと思っています。しかし、これは甚だしい誤算です。実際は中国からきた人たちは、ほとんど全部が党的原則に立って、彼を中国からきた代表的人物とはみなしておらず、彼が反党分子であることを暴露しています。

 例えば、金昌徳は党性の強い人です。それなのに朴一禹は、金昌徳が中国からきたというので、彼を自分の味方に引き入れようとしました。しかしこの人は、自分が中国からくるときは党と祖国と人民を頼りにしてきたのであって、朴一禹を頼りにしてきたのではないといって、彼の正しくない行動に断固反対してたたかいました。

 朴一禹のような連中は、自分の陰謀を実現するために、いつも堅実でない不平不満分子を探し、彼らを引き寄せようとしています。朴一禹は方虎山の不平不満を利用しました。方虎山は戦争の終わりごろ戦闘を誤ったことについて党から批判されましたが、そのときから党と政府の政策について、かげであれこれと誹謗しはじめました。朴一禹はこの機会を利用して方虎山を自分の味方に引き入れました。

 こうして、この連中が「ソ連からきた人と中国からきた人はそれぞれ違う」「中国からきた人は登用しない」「お前は分派だったから党で信任しない」などと言っているのは、結局、彼らが他の意図をもっているからです。

 我々は、このような個人英雄主義者たちの行動を絶対に許しません。自分を何かの代表的人物のように思い込み、党内で非組織的に行動するのを許すことはできません。それは、そのような行動が党の組織を切り崩すことになりかねないからです。

 例えば、姜文錫のような人は、自分が党中央委員会の常務委員になったからといって、南半部の代表的人物だと自任し、南半部からきた人たちを呼んで「何か困ることはないか」「わしが、君たちの問題を解決してやろう」などと言って、党幹部らしくない非組織的な行動をしています。もし、南半部からきた人たちが自分を訪ねてきたら、個人的に問題を解決しようとせず、組織的に解決の道を求めるように、彼らに正しく教えてやるべきであります。

 こんにち、ソ連や中国、または南半部からきた人は誰であれ、みな朝鮮労働党員の一人であることを知るべきであります。幹部の選抜、配置は、ある個人の主観的意思によって決定するのではなく、常に、党的原則によって決定しなければなりません。もしも、それが誰であろうと、党性がなく、党と革命のための仕事に熱意がなく、自分を特に選ばれた人物であるかのようにうぬぼれるならば、ソ連や中国はおろか、天から降りてきたとしても、わが党には何の必要もない存在だということをはっきりと知るべきです。

 党員は、党を信頼し組織を信頼して活動すべきであり、党性のある党員となり、自分白身の絶え間ない進歩をはからなければなりません。ある個人を頼り、個人の斡旋で、また、ある個人の気に入られて自分の問題を解決しようとするのは、党員としての原則的立場ではなく、結局、個人英雄主義者に利用されることになります。

 わが党の幹部の一人一人、また党員の一人一人が、分派分子の活動に鋭いまなざしを向けて警戒しなければなりません。

 次に、地方主義的思想の残りかすについて述べようと思います。咸鏡南道洪原地方の出身者で一派をつくろうとして策動していた、呉淇燮のような人を例にあげることができます。もちろん、日本帝国主義が支配していた時代に分派的活動をしたことが、すべて悪いことであったとは言えません。しかし、そのとき分派的に活動した結果、どういうことになったでしょうか。統一的な党がなく、民主集中制の原則によって中央から下部にいたるまで統一的な指導をすることができなかったので、呉淇燮は地方で自分が一番偉い人物であるがのようにふるまい、また、何も知らないその地方の人たちも、まるで彼を世の中で一番の人物だと思うようになったのです。呉淇燮は、これを利用して自分の勢力を拡大しようと企みました。

 これは、既に10年前のことですが、そのような企みはそのときに粉砕されました。もちろん、こんにちでは、地方割割拠主義的分子はいなくなりましたが、しかし、いまだにその思想の残りかすはくすぶっています。

 わが党は、この10年間にマルクス・レーニン主義の革命的思想で教育され、鍛えられ、大衆のなかに深く根をおろした大衆的政党になりました。したがって、いまのわが党は、もはや、かつての1920年代の党のようになることはありえません。

 しかし、ブルジョア思想と個人英雄主義思想にとらわれた連中が、党内でこそこそやっているのを放任しておいてはなりません。我々は、このような連中に対して常に、警戒しなければなりません。党内でセクト主義的な悪巧みをする連中の行動を発見したときには、党の警告を与えて直ちに改めるように要求し、再びそういうことがないように統制し、その軽重に応じて教育しなければなりません。重大なものは、直ちに大衆の前に暴露して、大衆的な監督を受けるようにしなければなりません。そうしてこそ、彼らの影響下にあった人たちを救うことができ、また、ほかの人たちまで、その悪い影響を受けないように防止することができます。

 そして、党検閲委員会の活動を強化しなけばなりません。党検閲委員会は、党の統一をむしばむこのような分派分子に対して、常に強い統制と監察を実施し、いっさいの非組織的な行動に対して、容赦のないたたかいを展開すべきであります。こうして、我々は常に、わが党の隊列を清め、悪い連中を掃きださなければなりません。こそこそしていた鼠が穴まであけるようになれば、退治しなければならないように、警告しても聞かないような悪い連中は、きれいに掃きださなければなりません。

 党内でこそこそやっている連中を放っておくと、大きくなっていくということを経験は教えています。朴憲水のような連中も、我々が南北の労働党を合同するときに、もう少し批判的に中央委員会をもったならば、もっと早く見つけ出すことができたはずです。この一味は、「南からきた仲間はみなよい人だ」と言って、いい地位につかせ、こそこそと悪巧みをしました。そして、ついにはアメリカと結託して政府を転覆し、わが国を売り渡そうとまでしたのです。

 かつての経験を教訓として、分派的行動に対し常に、警戒心を高めなければなりません。特に、個人英雄主義分子や分派分子は党内で活動できなくなると、スパイもしくは謀略分子に転落し、ありとあらゆる卑劣な行動をとるようになるということを銘記すべきであります。

 党の統一と団結は、わが党の威力の源であります。したがって、党員の一人一人が党の統一を瞳のように守るために、常に闘争し、いかなる分派分子や個人英雄主義者も、わが党を弱化させることができないよう、常に、警戒しなければなりません。

 3 経済節約と財政的統制を強化することについて

 国家および経済機関に見られる浪費現象を総括的に分析してみると、その大部分(約70%程度)は、国家および経済機関の活動家が、工場、企業所の運営のしかたを知らないところから生まれたものです。もちろん、不純分子が国家機関や経済機関に潜り込んで国家の財産を意識的にかすめとることもあります。だが、管理運営上の欠陥による経済的損失に比べると、これはそれほど大きな比重を占めてはいません。国家財政の浪費のほとんどは、活動家の企業管理がまずく、国家機関と企業所に秩序がないところから生まれるものであります。

 したがって、経済節約と財政的統制を強め、反汚職、反浪費闘争を強めるうえで重要なのは、次のような諸問題であります。

 第1に、国家および経済機関の幹部の企業管理運営能力を高めなければなりません。

 わが国の現在の条件のもとで、企業を立派に管理運営することは実際上むずかしい問題です。歴史的に見て、わが国には民族幹部が不足していました。李朝末期には資本主義が発展せず、工業を管理運営できる民族幹部がいませんでしたが、わが国が日本帝国主義の植民地になってからもやはりそうでした。日本帝国主義者は、工場や企業所を運営する際、支配人、技師長、技師の地位は、すべて自分らでしめ、朝鮮人にはその下で使い走り程度のことをさせていました。朝鮮人のなかには技能労働者さえごくまれで、大部分は筋肉労働に従事していました。鉄道の場合を例にあげてみても、朝鮮解放のころ、わが国には朝鮮人の機関士がわずか数人しかいませんでした。日本人は機関車を運転する機関士までほとんどすべて独占し、朝鮮人にはせいぜい火手ぐらいのことしかさせませんでした。

 このように、日本帝国主義が支配した40年近いあいだ、我々は日本帝国主義者にひどく搾取されたため、解放直後、労働者階級出身の幹部がいなかったのは言うまでもなく、資産家階級出身の幹部も極めて少なかったのです。解放直後、共和国北半部には、かつて大学を卒業した技術者がわずか数10人しかいませんでした。このような状況のもとで、我々は、日本人が破壊していった工場や企業所を引き継いだのでした。このような隘路があったにもかかわらず、我々がこれまでに工場や企業所を運営してきたのは大きな成果であります。しかし、これに満足してはなりません。

 いま、我々は大きな工場を少なからずもっています。製鉄所、製鋼所があり、化学工場、発電所など社会主義的工業化の基礎となる大きな工場がたくさんあります。これらの工場の規模は非常に大きいものです。経験にとぼしく民族幹部が少ない状況のもとで、これらの工場や企業所を運営するのは、極めて難しいことであります。

 しかし、マルクス・レーニン主義で武装した共産主識者にとって、打ち破ることのできない要塞などありません。我々がかたく決心して仕事を正しく組織しさえすれば、このような大きな工場も十分運営することができます。そのうえ、我々には、偉大なソ連と中国および人民民主主義諸国の援助があります。

 皆さんも知っているように、1946年に我々がはじめて大学を建てようとしたとき、それができるかどうかという問題がずいぶん論議されました。当時は教科書を編修する力さえありませんでした。このように、わが国には民族幹部がほとんどいませんでした。

 しかし我々は、この10年間にたゆみなく奮闘して、多くの民族幹部を養成しました。こうして、いま我々には、数多くの国内の大学卒業生やソ連から帰った留学生がおり、我々の制度をしたって南半部からきた多くの知識人や学者がいます。

 我々は解放後、自国の民族幹部が不足しているなかで、膨大な経済建設にとりかかりました。このため、直接自分の手で工場や企業所を運営したことのない労働者、農民、勤労インテリで幹部陣容を補充しなければなりませんでした。このような事情は、幹部がまだ工業を十分に運営するだけの水準に到達していないことを物語っています。

 経済建設を進めるなかで幹部たちが誤りを犯すのは、彼らが全部悪いからではなく、工業の運営に必要な知識と能力を十分にもっていないためであります。したがって、幹部が工業を運営できる知識と能力を身につけることが何よりも重要であります。

 ところが往々にして、一部の活動家は、経済知識がないのに、例えば、原価が何によって構成されるのかも知らないのに知っているようなふりをします。知らないのに知ったかぶりをするのか、我々にとって大きな悪癖となっています。知らなければ知ったかぶりをせずに謙虚に学ぶべきです。学ぶことは決して恥ずかしいことではありません。

 ある支配人などは、自分が支配人になったのは、生まれながらの「天運」であるかのように思っています。そうして、やたらにえらぶり、勉強もせずその日その日をいい加減に過ごしています。これは、たいへんよくない傾向です。企業管理運営上の欠陥をなくすためには、すべての幹部が工業運営の知識を十分身につけ、企業を立派に管理運営しなければなりません。

 第2に、経済節約と財政的統制および反汚職、反浪費闘争を強化するためには、国家機関と経済機関で強い規律と秩序を確立しなければなりません。

 我々には、国家で制定した正しい法令や規定があります。問題は、この法令や規定を活動家が正しく実行し、違反しないことであります。

 軍隊では、歩哨を一人立てるにも衛兵規定というものがあります。それにもかかわらず、我々が規定を守らずに、どうして大きな工場や企業所を運営することができるでしょうか。必ず規律と秩序がなければなりません。

 もし、企業所内に規定があり、規律と秩序が確立されているならば、不純な連中が盗みをすることもできなければ、また盗まれるようなこともないでしょう。どろぼうを捕えることにばかり気をとられないで、工場内に厳格な秩序と規律を確立し、それを正しく実行することに重点をおくべきです。これまでの経験によると、秩序と規律のないところでは、盗みや横領、浪費行為などの発生を免れず、ひいては生産計画を実行できなくても、上部にはそれを実行したと、嘘の報告をする正しくない行為まで発生することを示しています。したがって、規律と秩序を立てる問題は、工場や企業所の管理運営で何よりも重要な意義をもっています。

 第3に、経済節約と財政規律を強化するためには、汚職や浪費をした者を教化所に入れることに重きをおくべきではなく、自白運動を展開することに重点をおかなければなりません。しかし、何度も国家の財産をかすめとった者を許してはなりません。自白運動に重点をおきながらも、特に重大な汚職・浪費分子に対しては、法による処罰を加えるべきであります。

 また、自白運動をおこなった後には、彼らに再び非を犯させないようにすることが重要であります。国家および経済機関の活動家が、企業を立派に管理運営し規律と秩序を確立するよう、党内教育を強める方法によって経済節約と財政的統制を強化しなければなりません。

 4 党の活動作風を改善することについて

 次に強調したいことは、党の活動作風を改善する問題であります。

 党の活動作風を改善するうえで重要なのは、第1に、党中央委員会から里人民委員会にいたるまで、上部が下部を正しく援助することであります。我々が下部を援助し教育せずに、ただ仕事が下手だとしょっちゅうしかりつけ、生木をへし折るようなやり方で仕事をしたのでは、決して問題が解決されません。

 下部を正しく援助するためには、まず党中央委員会の組織指導部をはじめ、各部署が道委員会の活動家を呼んで報告を受け、彼らが仕事をどう処理しているか、彼らの思想観点はどうであるかなどを知ると同時に、彼らが仕事を正しく処理していない場合には、その是正策を講じてやるなど、日常的に下部の活動家を教育しなければなりません。

 そして、責任幹部が自動車を乗りまわしてしかりつけるといったやり方の指導をすべきではなく、直接、下部に出かけていって長期間滞在しなから、下部の活動家の実際の活動を援助すべきであります。

 実際的に、しかも系統的に実行状態を点検することは、党内の活動作風を改善するうえで欠くことのできない条件です。しかし、実行に対する点検が形式的で官僚主義的におこなわれるときは何の効果もありません。わが党の少なからぬ活動家は、いまなお下部に活動上の援助を与え、党および国家の決定の正確な実行のために点検するのではなく、威信をはるために点検をおこなっています。多くの活動家は、いまだに警察的、探偵的なやり方で点検をおこない、官僚主義的に下部を指導しています。そのために、下部の活動家たちが、点検に対しておそれをなし、点検のときはふさぎこんでしまうようになるのです。警察的なやり方で点検をおこなって、下部の活動家に対しあたまから間違っていると叱ってばかりいるので、下部の活動家たちが点検をさけ、自分の欠点をかくそうとし、上部にいつわりの報告をするなど、よくないくせがつくようになるのです。

 また一部の活動家は、下部へいって点検をおこなうとき、良い点は見向きもせず、むやみに欠陥だけを探し、小さい事実をおおげさに誇張して騒ぎたて、いたずらに人々を中傷しています。このような点検は、我々の活動に何の利益ももたらすことができません。活動家は、下部にいってその活動を援助し、困難な問題があればともに相談して解決してやり、欠陥があればそれを改めさせるようにしなければなりません。こうすれば、我々にまだ残っている古い活動作風を、新しい人民的な活動作風に改めることができます。

 党の決定書やいろいろな指示書を下部におろしては、あたまからただ、やれ、やれとどなりちらして歩くだけでは、少しも仕事の成果をおさめることはできません。

 わが党内にはまだ、官僚主義的な活動作風が多く残っています。わが党は官僚主義をなくすことについてたび重ねて強調し、また官僚主義ともたたかいはしましたが、この有害な活動作風はまだ大分残っています。

 我々は、官僚主義的な活動作風を徹底的になくすために、断固とした闘争を展開しなければなりません。官僚主義との闘争でも、その基本はやはり上部が下部を援助することにおくべきです。党機関、国家機関、経済機関を問わず、上部が下部を援助する方向で活動を進めなければなりません。こうしてはじめて、下部の活動家が仕事のうえで積極性と創意性を発揮することができます。

 こうして、わが党の一つ一つの細胞が健全で、積極的で戦闘的な活動をおこない、大衆との結びつきをいっそう強化し、党の政策を実践する闘争のなかで大衆の創意性を発揮させるように、生き生きとした活動をおこなうようになれば、我々の活動はいっそう大きな前進を遂げるでしょう。

 第2に、党内で党幹部と党員を、困難にうちかつ精神で教育する活動を強化することが重要であります。

 我々がよく知っているように、ロシアの10月社会義大革命も、中国の人民民主主義革命も、その他のいずれの国の革命でも、すべて困難な闘争を通じて勝利をかちとることができたのであります。困難な闘争もへずに、革命が容易に勝利するものなら、世界革命は既に勝利したことでしょう。

 わが国はこんにち、極めて有利な条件のもとで革命運動を進めています。

 我々は、3年間の厳しい祖国解放戦争で多くの困難をなめましたが、ソ連や中華人民共和国、その他の人民民主主義諸国の積極的な援助のもとに戦いました。我々は戦時にも、ひもじい思いをせずに戦いました。我々は戦争の困難な時期にも、労働者、事務員に対する食糧配給量を減らしたことはなく、また戦争中、衣服をまとえなかった人もいませんでした。

 実際に現在、我々が、労働者、事務員に供給している衣料は、戦前よりはるかに多い量に達しています。我々はまだ、ひどい困難はなめずに革命闘争をおこなっているわけです。したがって、もしも、我々が、活動家たちを困難にうちかつ精神で教育しないならば、今後、困難にであった場合、それに忍耐強くうちかつことができずに、くじけるおそれもあります。

 我々は、きたるべき大きな出来事をあらかじめ見通して、国家の蓄積も増やし、党員と幹部を困難にうちかつ精神で教育しなければなりません。同時に、党員にわが国の明るい展望についてはっきりと教え、彼らに革命的な楽天主義を培うことが重要だと考えます。

 5 当面の人民経済計画を実行するために

 3か年人民経済計画の実行において、今年度は最も困難な年であり、今年度の計画を実行することは重大な意義をもっています。我々は、どんなことがあっても、計画を必ず実行しなければなりません。

 困難だからといって、今年度の計画を実行できないならば、今後ひきつづき困難な状態から脱することはできないでしょう。すべての困難を乗り越え工場を建設してこそ、我々は衣料や食糧の問題を円滑に解決することができます。

 したがって、人民生活を一日も早く向上させ、わが国を豊かにするためには、困難にうちかって仕事を立派に組織し、あらゆる可能性を利用して、3か年人民経済計画を実行しなければなりません。

 人民生活を向上させるためには、紡織工場、食品工場、日用品工場、機械工場など、いろいろな工場がなくてはなりません。工場も建設せず、何もせずに立派なものを手に入れようとするなら、それはちょうどキリスト教信者が、「神」に祈るだけで楽な暮らしをしようとするようなものです。自由と幸福は、天から降ってくるものではなく、我々自身の努力と闘争によってたたかいとらなければなりません。

 今年度の人民経済計画を完遂するうえで最も重要な問題は、党および国家機関と経済機関のすべての活動家が、緊密な連係のもとに互いに助けあい、党と国家からまかされた仕事に対する責任感をいっそう高め、粘り強く闘争することであります。

 もしも、計画が実行できそうもなかったらできないと率直に言うべきであって、いつわりの報告をしてはなりません。計画を実行する際、むずかしい問題に直面したときは、そのつど、上部に提起して難関を打開する対策を講じるべきであり、誰を問わず革命家らしく計画実行のためにたたかわなければなりません。小さな困難にであって動揺するのもよくありませんが、計画が実行されていないのに功名心にかられて、いつわりの報告をするのも正しくない行動です。

 次に、今年度の農業生産計画について述べようと思います。今年度の農業生産計画は、一言で言えば、正しく立てられているとは思えません。間違った農産計画が立てられたのは、一つは下部からの誤った報告、いま一つは上部での計算違いによるものです。こうして、農業生産計画は実情からかけはなれ、水ましされたものとなっています。このように、計画自体が正しく立てられていないのは、決して偶然なことではありません。

 ある人は、昨年の穀物生産高が280万トンだと言い、またある人は270万トンだと言っています。

 それでは、昨年度の実際の穀物収穫高を一度計算してみるとしましょう。統計によると、我々は1949年度に、穀物を279万トン生産しました。そのころの米の状況を見ると、市場にも米が多かったし、工業原料にも米を多く使用し、外国に10万トン輸出してもなお農民の生活は豊かでした。当時の米の相場は、5升ます一つで170〜180円(ウォン)でした。どの農村でも農民の生活は向上しました。農民は家を建て家具を買い入れ、国家の貸付穀物に頼らず、ほとんど自分で食糧をまかなっていました。このように、279万トンの穀物を生産するだけで農民の生活は向上し、外国へ輸出してもなお国では毎年5万トンずつ備蓄米を蓄えました。

 ところが、昨年度は300万トンを生産する計画だったのに、290万トンを生産したと言っていましたが、結局しまいには280万トンを生産したということになりました。だとすると、戦前よりも穀物を多く生産したことになるのに、なぜ、我々は食糧の不足を感じているのでしょうか。

 昨年度は、穀物を外国に輸出しなかったばかりか、かえってソ連や中国から22万トンを輸入しました。一方、戦時中わが国の人口は減少しました。

 すると一体、280万トンという穀物はみなどこへいったのでしょうか。結局これは、昨年度の穀物収穫高の計算が間違っているというほか説明のしようがありません。

 昨年我々は、咸鏡南・北道の水害による減収量を差し引けば、230万トン程度しか穀物を生産できなかったようです。このことは、こんにちの食糧事情がはっきりと実証しています。

 事情がこうであるにも関わらず、一部の道人民委員会委員長や農業指導幹部は、これまでの仕事から教訓をくみ取ろうとしていません。彼らの話によると、今年も410万トンの穀物を生産することができると言います。党中央委員会政治委員会に報告されたところによると、今年度に360万トンを生産すると言いました。政治委員会ではこれに反対し穀物生産計画をずっと減らしました。

 それは、次のような事情を考慮したからであります。

 第1に、戦前に比べ耕地面積がずっと減っています。人手が足りなくて耕作できなかった土地、戦時中に荒らされた土地、道路建設にくいこまれた土地、そのほかいろいろな事情で耕地面積は減りました。それなのに、戦前よりも穀物の収穫が多くなるということは現実にあわないことです。

 第2に、戦前に比べて農村の労動力が不足しています。いま、農村の労働力の大部分は、老人や婦人です。全般的な機械化がおこなわれていない状況のもとで、いまの農村を、どうして青年の多かった戦前の農村と同一視することができるでしょうか。婦人は子どもの世話もし、食事の仕度もしなければならないので、どうしても男子の労働力のようにはいきません。

 第3に、戦前に比べて肥料も不足気味であります。戦前には、18万〜22二万トンの化学肥料を農村に供給しましたが、いまは5方トンしか与えていません。堆肥をたくさんほどこすとは言っていますが、それには多くの嘘があります。

 こうであるのに、どうして米が戦前よりたくさんとれるでしょうか。どう分析してみても余計にとれる根拠はありません。

 1952年に、私は農業相に、どうしてそんなに米をたくさん生産できるのかと聞いてみました。彼は、小株密植法によって増産できると言いました。私の考えでは、小株密植はおろか「大株密植」をしても、そんなに多くは生産できません。

 今年度の農産計画を正確に立てなければなりません。どんなに頑張ったところで、できないようなことを下部に押しつけて、下部の人たちが自分の功名のために、できもしなかったことをできたと、いつわりの報告をするようなことが起こらないようにしなければなりません。道人民委員会の委員長、市・郡人民委員会の委員長、農業省と国家計画委員会は、いま一度、今年度の農産計画を検討してみることが必要だと思います。間違っていることは検討して改めるべきです。

 正確な農産計画を作成することは、いま農村で組織されつつある農業協同組合の発展にも大きな影響を及ぼすでしょう。それゆえ、道・市・郡人民委員会の委員長は、直接、農業協同組合に出かけていって、農産計画を正しく立てることに特に留意しなければなりません。その際は、既に上から示された計画数字に頼るべきでなく、実収高とこれから新しく示される計画数字にもとづいて生産計画を正しく立ててやるべきです。

 そして実収高の判定は、できるだけその地方の人民の意見をくみ取り、戦前、戦時、戦後の収穫高を分析し、それにもとづいて判定し、それを根拠にして現物税を課さなければなりません。

 今年度は、各農業協同組合で、実際に農産収穫高はかりにかけて、各地方ごとにヘクタール当たり収穫高を正確につかまなければなりません。また、耕地面積についても正確なところをとらえなければなりません。耕地面積を少なく算定しても国に損失を与えますが、ないものをあるようにしても農民に大きな負担をかけることになります。

 すべてのことを、革命のためという観点で処理すれば誤りはないでしょう。

 次に、林業について若干述べようと思います。

 林業は、わが国の人民経済を復興建設するうえで最も重要な部分の一つであります。

 わが国では、いま膨大な建設を進めています。新しく建設もおこない、復旧もしており、道路、橋梁、貯水池の復旧や住宅建設など復興建設はその規模が非常に膨大です。特に、安川潅漑工事は支線まで合わせると、数100キロメートルの水路を掘る大工事であります。この膨大な建設工事に必要な建材が非常に不足しています。

 戦争で破壊された工場、鉄道、橋梁などの復旧建設のためには、何よりも建材の問題が極めて重要であります。そのため、セメント生産と林業部門に多くの援助を与えなければなりません。わが党は労働力を動員し、この部門の活動家たちが困難にうちかつように教育し、彼らの仕事の条件をつくってやらなければなりません。

 特に党組織は、農村にいるいかだ師たちを動員して、林業部門にまわすべきです。農村ではいかだ師がいなくなれば、それだけ土地を耕せなくなると言って彼らを手放そうとしません。農村では人手が足りなくて土地を耕せないと言っているのに、都市では除隊軍人や機構の縮小によって浮いた人員を配置することができず、たいへん困っています。このようなことはすべて、活動家たちが仕事を正しく組織できないところからくるものです。我々は仕事を正しく組織できるようにならなければなりません。

 活動家たちは、戦後の人民経済復興発展の膨大な計画を実行するなかで、仕事を無責任におこなったり、安閑としていてはなりません。わが党、国家および経済機関の幹部は、国家計画を遂行するためにあらゆる知恵と創造的エネルギーをささげるべきです。こうしてこそ、我々の時代に新しい社会を建設することができるのであります。

 我々は、戦後の人民経済復興発展3か年計画を成功裏になし遂げて、祖国の統一独立のゆるぎない保障である共和国北半部の民主基地を政治的、経済的、軍事的にいっそう強化しなければなりません。

 皆さん!

 このたびの党中央委員会4月総会は、わが党の発展にとって大きな歴史的意義をもっています。

 私は、わが党員が党中央委員会第3回総会と第4回、第5回総会などで指摘された欠陥を改めることに勇敢であったように、このたびの党中央委員会4月総会で指摘された欠陥を一日も早く改め、総会がうちだした党の諸政策を正しく受けとめ実行することによって、党中央委員会のまわりにかたく結集し、祖国の統一独立と共和国北半部での社会主義建設の大業を達成するために、今後いっそう力強く前進するものと確信します。
                                                
出典:『金日成著作集』9巻


ページのトップ


inserted by FC2 system