金 日 成

祖国解放戦争の歴史的勝利と人民軍の課題について
朝鮮人民軍第256軍部隊管下の将兵におこなった演説
−1953年10月23日−


 諸君!

 私は朝鮮労働党中央委員会と共和国政府および最高司令部を代表して、戦争勃発以来前線で長いあいだ勇敢に戦った第256軍部隊管下の将兵に熱い感謝を送ります。

 周知のように、朝鮮戦争は、我々の勝利に終わりました。もっとも、我々は敵を完全には掃滅しておらず、まだ祖国の統一も実現していません。しかし、世界帝国主義の元凶であるアメリカ帝国主義と15の追随国の膨大な武力を打ち破り、かれらが我が方の要求をのんで停戦協定に署名せざるをえなくしたことは、我が方の大きな勝利であります。

 3年間の苛烈な戦争で、我々が達成した勝利はどのようなものでしょうか。

 それは第1に、朝鮮人民と人民軍がその英雄的な戦いによって、敵の武力侵略を撃退し、共和国北半部の民主基地を誇らしく守り抜いたことであります。

 解放後、ソ連軍が進駐した有利な条件を利用して、我々は共和国北半部に民主基地を創設し、政治、経済、文化、軍事などの各分野において大きな事業を遂行しました。

 我々は、80万の党員をもつ労働党と数百万の同盟員を擁する民主青年同盟、職業同盟、農民同盟、女性同盟などの大衆団体を組織し、祖国統一民主主義戦線傘下に各階層人民を広範に結集し、人民大衆を党と政府のまわりに団結させました。我々は、党を強化し、党と大衆との統一を強めることによって、強力な政治的勢力をととのえました。

 これと同時に、人民を立ち上がらせて土地改革、産業国有化をはじめとする民主諸改革を実施し、経済建設を活発に進め、北半部の経済力を強化する種々の措置を講じました。

 特に、解放当初から国防力の強化に大きな力を入れました。1946年から平壌(ピョンヤン)学院、中央保安幹部学校などを通じて人民軍の幹部を育成し、1948年に人民軍の創建を宣布し、それを強化する諸対策を講じました。

 我々が時機を逸せず民主基地を創設し人民軍を強化したからこそ、アメリカ帝国主義をかしらとする16か国の武力侵略者を打ち破り、勝利を達成することができました。さきの戦争において、アメリカ帝国主義とその追随国の軍隊でなく李承晩かいらい軍だけと戦ったならば、我々は、既にそれを撃滅し、祖国の統一をなし遂げたことでしょう。

 朝鮮人民と人民軍は、アメリカ帝国主義とその追随国の武力侵略を撃退し民主基地を守るために、難関と試練を乗り越え屈することなく英雄的に戦いました。

 我々は、政治的自覚が高く鉄のように鍛えられた数多くの党員と党のまわりにかたく団結した人民があり、強固な民主基地がある限り、いかなる敵の侵略をも十分に撃退できるという確信をもつようになりました。

 第2に、朝鮮人民と人民軍は、朝鮮戦争において敵に軍事的敗北にとどまらず、大きな政治的敗北を与えました。

 朝鮮戦争は、帝国主義の野蛮さを白日のもとにあばきだし、アメリカ帝国主義者の「強大さ」の神話をこっぱみじんに粉砕しました。

 実際のところ、かつて一部の人は、アメリカ帝国主義者の「強大さ」と「人道主義」に惑わされました。しかし、世界の人民は、朝鮮戦争を通じてアメリカ帝国主義者が悪逆無道な野蛮人であることを明白に知ったばかりでなく、人民が武器をとってあくまで勇敢に戦うならば、それを十分撃破できるという確信をもつようになりました。

 アメリカ帝国主義者が世界で最も悪辣な侵略者であり最大の強盗であることは、久しい以前から広く知られています。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮に足を踏み入れた以後長期にわたって甲山(カプサン)、笏洞(ホルトン)、雲山(ウンサン)などの鉱山から大量の金を盗掘していきました。そうして、わずかの金銭を投じて「慈恵病院」「セブランス病院」といったものや、教会、学校などを建て、「慈善」を施すかのように装いました。これだけでなくアメリカを崇拝する少数の手先を自国に留学させて歓心を買い、かれらを通じて朝鮮人民に崇米思想を吹き込みました。一部の蒙昧な人は、これに欺かれてアメリカを崇拝したのでした。

 アメリカ人がいかに暴虐な野蛮人であるかは、かつて順安(スンアン)の一少年が、アメリカ人の果樹園の側を通りながら、落ちたりんごを拾ったことで、その少年の額に塩酸で「泥棒」と書いた一つの事例だけをもっても十分知ることができます。

 アメリカ帝国主義者は、うわべでは朝鮮人民の歓心を買うため狡猾な術策を弄しましたが、実際には朝鮮にたいする侵略の野望を捨てていませんでした。かれらは、日本帝国主義の朝鮮侵略に際してはそれを極力支持しました。

 アメリカ帝国主義者がいかに狡猾であるかは、第2次世界大戦中の第2戦線形成問題と朝鮮解放の問題を見ても知ることができます。

 事実、朝鮮の解放においてアメリカ帝国主義者はなんの役割も果たしていません。ソ連軍は朝鮮人民革命軍とともに、日本帝国主義の100万の関東軍を掃討して朝鮮を解放しましたが、アメリカ帝国主義者はなんの役割も果たしませんでした。一発の銃弾もうたずに南朝鮮に上陸したアメリカ帝国主義者は、臆面もなく南朝鮮人民の「解放者」であると宣伝しました。このような欺瞞は、けっして長つづきするものではありません。

 朝鮮戦争を通じてアメリカ帝国主義の侵略的本質はあますところなくさらけだされ、かつて一部の人がいだいていた幻想も粉砕されました。

 いくつかの例をあげてみましょう。かつて、平壌の近郊に一人の牧師が住んでいました。かれは平和的建設の時期には、我が国の社会制度にひそかに反対し党政策の実行を怠りましたが、戦争中、北半部を一時占領した敵が駆逐された後からは、国の仕事に熱意をもって参加するようになりました。ある党幹部がかれと話し合ったとき、かれはこう語りました。「正直なところ私は、あなたたちが滅びアメリカ軍が入ってくることを待っていました。それであなたたちが後退したとき、『太極旗』を準備し全家族に盛装させてアメリカ軍を歓迎しました。ところがいざ会ってみると、アメリカ人は、私が考えていたのとは全く違う人間たちでした。かれらはジープから降りるなり、鶏でもなんでもカービン銃を撃ちまくって手当たりしだい略奪し、婦女子を辱めるなど、ありとあらゆる悪行をはたらきました。そこで私は、朝鮮労働党と共和国政府のみが人民にほんとうの自由と幸せをもたらすということを深く悟るようになりました」

 諸君も知っているように、この牧師のような人は一人二人ではありません。

 イギリス労働党のある婦人党員が、国際民主婦人連盟代表として朝鮮にきたことがあります。彼女は朝鮮にくるまでは、アメリカ軍やイギリス軍が、果たしてそんな蛮行をはたらいただろうかと疑問をいだいていたとのことです。ところが、朝鮮にきて黄海(ファンヘ)道の安岳(アンアク)、信川(シンチョン)などで、米英帝国主義者が平和な都市や農村に無差別爆撃をおこない、罪のない人民を虐殺した惨状を目撃するに及んで、考えが変わったそうです。彼女は、帰国してから米英帝国主義者の罪状を暴露しました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮戦争で細菌兵器まで使用し、蛮行の限りをつくし、悪辣さにおいてヒトラー一味や日本帝国主義者をしのぐことを全世界人民の面前にみずから露呈しました。

 アメリカ帝国主義者は朝鮮戦争において、野蛮さと悪辣さだけでなく、その脆弱さも余すところなくさらけだしました。

 かつて一部の人は、アメリカを「黄金の国」「科学の国」と呼び、アメリカを恐れたものでした。しかし、諸君がかれらと戦って体験し、目撃したように、アメリカ帝国主義者ほど臆病者はいません。戦闘になると車で逃げる準備から先にします。

 アメリカ帝国主義者は「小さな朝鮮」だとして我が国を見下げたものですが、朝鮮戦争で恥ずべき敗北をこうむりました。

 アメリカ帝国主義に反対する朝鮮人民の英雄的な戦いは、全世界被抑圧人民の民族解放闘争の旗印となり、その模範となりました。我々は朝鮮人民のように勇敢に戦えば、いかなる帝国主義の侵略も十分に撃退し、その従属から脱することができるということを世界の人民に示しました。

 朝鮮戦争後、マライ、インドネシア、ベトナムなどの東南アジア諸国と世界の多くの地域で、アメリカをはじめとする帝国主義者の植民地支配に反対する闘争がいっそう盛り上がっており、植民地体系は音を立てて崩れています。

 これは、アメリカをはじめとする帝国主義者が従来のように勝手に他国を占領し、その国の人民を抑圧し搾取した時代は過ぎさったことを意味します。

 第3に、朝鮮人民と人民軍、党および政権機関、大衆団体とその活動家たちが、3年間の戦争を通じて鍛えられ、豊富な経験を得ました。これは、我々の達成した勝利のうちで最も重要なものの一つであります。

 朝鮮人民と我が党の党員および幹部たちは、戦火のなかで鋼鉄のように鍛えられました。もし、過去の朝鮮人民を「ずく鉄」だとすれば、今日の朝鮮人民は電気炉で鍛えられた「特殊鋼」だと言えるでしょう。

 歴史上、朝鮮戦争のような苛烈な戦争は、かつてありませんでした。しかし、人民軍は、李承晩かいらい軍を一挙に撃破し、アメリカ帝国主義侵略軍を洛東(ラクトン)江の線まで追いつめました。

 人民軍将校は、戦闘を通じて現代化された部隊の指揮能力を身につけ、攻撃と退却および防御戦を巧みに指揮できる豊富な経験をつみました。

 朝鮮労働党と政府は、強大な敵との戦いにおいて、科学的な戦略・戦術を立て、軍隊を巧みに指導し、戦時下においても人民生活を安定させ、前線への補給を円滑に保障し、夜間に敵機の爆撃がつづく困難な状況下にあっても輸送を巧みに組織できる貴い経験を得ました。

 我々は敵の爆撃によって莫大な被害を受けましたが、対空戦において豊富な経験をつみました。

 ところが、敵はそうでありません。かれらは夜間戦が不得手で、ライトをつけなければ車も運転できません。かれらは金で動く雇われ兵であるため、我々が経験したような厳しい試練や困難な状況下では一日として戦争ができません。

 我々は朝鮮労働党によって導かれ、金銭ではなく不屈の意志と百戦百勝のマルクス・レーニン主義思想で武装しているため、どのような困難も克服し戦争で勝利できることを、体験を通じて確信するようになりました。

 しかし、敵は少しでも危急な状況に遭遇すれば、色を失い算を乱して収拾しがたい混乱に陥ります。

 李承晩が口癖のように騒いでいる「北進」をあえて強行するとしても恐れることはありません。第1次反撃の時、人民軍の戦車部隊がソウルに突入すると、李承晩は放送を通じてまで「共産軍」戦車のソウル進入を防ぐことができないと、悲鳴をあげました。もし今後、敵が冒険的な「北進」を強行するならば、我が方はそれを迎え撃ち、航空機も多く繰りだすでしょう。そうなれば、かれらはまた、「共産軍」の航空機に太刀打ちできないと悲鳴をあげるでしょう。

 アメリカ帝国主義者が世界大戦を挑発するとしても、それは恐れるに足りません。そのときには、敵が朝鮮の一地域ではなく世界の多くの地域に分散して戦うことになるため、情勢はかえって我々に有利になるでしょう。

 今後、戦争が起これば、去る3年間の苛烈な戦争で鍛えられた朝鮮人民は、防空壕もより堅固にきずき、疎開もより敏速におこない、運転手は夜間にもライトなしに車を走らせることができるでしょう。

 このように、我々は戦争で鍛えられ豊富な経験をつみました。この貴い経験は、祖国防衛にとって極めて貴い財宝となり、大きな元手となります。

 第4に、朝鮮人民の闘争目的の正しさと自己犠牲的なたたかいによって、我が国の対外的地位と権威は著しく高まり、朝鮮人民は世界の平和と安全を守る大業に大いに寄与しました。

 我々は世界いたるところで多くの友人を獲得し、全世界人民の支持と共鳴をかちえています。これは大きな勝利であります。

 我が国の歴史上、今日ほど全世界人民の支持と共鳴をかちえ、我が国の国際的権威が高まったことは、いまだかつてありません。

 今回政府代表団がソ連とヨーロッパ人民民主主義諸国を歴訪した際にも、みなが戦争の破壊から一日も早く回復することを願い、我々にプロレタリア国際主義精神にもとづく私心のない援助を与えることを確約しました。

 我々は停戦協定の調印を大きな勝利として祝いましたが、李承晩は16か国が「小さな共産軍」に勝つことができず、停戦協定に署名したのは大きな国辱だと言いました。もちろん、アメリカ帝国主義者も停戦協定に署名したことを名誉とは思いませんでした。なぜなら、かれらの言う「小さな朝鮮」に勝てず停戦するということは、世界各国の人民、特に、その従属国人民の面前にアメリカの無力ぶりをさらけ出すことになるからであります。アメリカ帝国主義は、こうした恥辱を免れようとして停戦会談を2年以上も引き延ばし、「勝利者」をよそおうためあらゆる術策を弄しました。しかし、勝利の成算がないことを悟り、ついに停戦協定に署名したのでした。

 かれらもこの恥ずべき敗北を自認せざるをえませんでした。アメリカのある博士はトルーマンの朝鮮戦争計画を非難する論評で、トルーマンは誤算したとして次の点を指摘しています。

 第1に、手ごわい相手を選んだと言いました。つまり、朝鮮人は頑強であり、中国人は数が多いということを考慮に入れなかったというのです。

 第2に、不利な地形で戦ったと言いました。実際、朝鮮には山地が多いため、敵は自慢の技術を存分に発揮できませんでした。また、朝鮮は島国でなくソ連や中国と国境を接している半島であるため征服することは、とうてい不可能であるというのです。

 第3に、時機を誤ったと言いました。中国革命が勝利し、ソ連が戦争の破壊から経済を復興し、特に、北朝鮮が解放後の5年間に強力な民主基地を創設した今日になって、アメリカが朝鮮の征服を試みたのは愚かなことであると言いました。

 かれがなんの博士であるかは知りませんが、その見解は正しいと思われます。アメリカは有史以来、侵略戦争で失敗したことがありません。しかし、朝鮮戦争では恥ずべき敗北を喫しました。

 それでは、祖国解放戦争で世界「最強」を誇ったアメリカ帝国主義侵略軍を撃破し、我々が偉大な勝利をかちとった要因はなんでしょうか。

 それは第1に、今日の朝鮮人民は、かつての朝鮮人民ではなく、祖国と主権を取り戻した自覚の高い新しい朝鮮人民であるということです。

 今日の朝鮮人民は、李朝500年間の腐敗した封建支配階級の統治下で自覚の足りない、立ち後れていた、そのような人民ではありません。

 かつての朝鮮の封建支配層は、日本が明治維新後、急速な発展を遂げていたときにも、空しく歳月を送りました。かれらは日本帝国主義が5連発銃をもって侵略してきたとき、火縄銃で対抗しました。これでは敵を撃退できるはずがありません。

 解放後朝鮮人民は、半世紀のあいだ日本帝国主義の植民地的奴隷、亡国の民として体験した悲しみとさげすみを繰り返さないため、富強な祖国建設のために立ち上がりました。我々は、自力で人民政権を樹立し、民主諸改革を実施しました。解放後の5年間に政治、経済、文化の各分野で偉大な変革をなし遂げ、強力な民主基地をきずきあげました。

 朝鮮人民は、新しい制度のもとで暮らす新しいタイプの人民であります。

 第2に、朝鮮人民は、マルクス・レーニン主義理論で武装した指導的および嚮導的力量である朝鮮労働党があるゆえに勝利しました。

 朝鮮労働党は戦争の各時期、各段階において正しい戦略的方針をうちだし、人民を勝利へ導きました。

 朝鮮労働党員は、突撃の際は先頭に立ち、退却のときにはしんがりをつとめました。工場や農村でも困難な仕事の先頭には、常に党員が立っていました。

 我々は現在、100万の党員を擁しています。マルクス・レーニン主義思想で武装した100万の党員、これは巨大な力であります。

 ソ連や外国の人たちは朝鮮人民軍を世界的に強力な軍隊だと言っていますが、人民軍が強いのはそれが党の指導を受け、軍隊内で党員が前衛的、中核的な役割を果たしているからであります。

 これは、我々が帝国主義の武力侵略から共和国を守りぬいた決定的な保証でありました。敵も我々のこの強大な力を認めざるをえませんでした。

 停戦直前に李承晩が単独「北進」を唱えていたとき、我々はかいらい軍に集中攻撃を加えました。その後南半部の新聞には、クラークと李承晩のあいだに交わされた次のような会談の内容が掲載されました。クラークは李承晩に、単独「北進」を唱えずに自重しろといったのに、どうしてそれを守らないのかと詰問しながら「80の年で後幾年かでも大統領の座を守りたければ騒がずにおとなしくしたまえ。言うことを聞かずに北進を唱えるから、共産軍が向きを変えて国防軍に攻撃を集中するではないか。北韓共産軍の兵力は数十万に達しており、そこには共産主義思想で武装した幹部が大勢いるのだ」と言いました。

 李承晩が単独「北進」を唱えているとき、前線から釜山(プサン)に帰った「国防軍」の兵士たちは、数十名の「大韓青年団員」が単独「北進」を叫びながらデモをおこなうのを見て、軍服を脱ぎ捨て「これを着てお前たちだけで北進したければ存分にしてみろ」と言いました。これは前線で「国防軍」がひどい目にあい、「北進」の不可能をさとっていることを示すものです。

 第3に、我々が勝利したのは、国際民主勢力の支援があったからです。もし、戦争で我々が孤立無援の状態で戦ったならば勝利できなかったでしょう。

 このように、すべての条件がそろっていたからこそ、我々は祖国解放戦争で勝利し、またこれからも勝利するでありましょう。

 戦争に勝利した今日、我々には新しい重大な任務が提起されています。我々の最大の革命課題はかちとった勝利を強固にし、祖国の平和的統一を成就することであります。

 祖国の平和的統一を実現するためには、なによりもまず民主基地を強化すべきです。民主基地は朝鮮革命の策源地であり、根拠地であります。

 民主基地を強化するためには、まず戦争によって破壊された工業と農業を復興し、自立的経済の基盤をきずき、疲弊した人民生活を早急に安定させるべきであります。

 我々には、困難ではあるが誇らしいこの課題を必ず遂行し、今後国の工業化を実現することのできる有利な条件がそろっています。

 第1に、朝鮮人民は平和的建設期と、苛烈な戦争中に貴い経験をつみ、どのような難関をも勇敢に克服できる闘士に鍛えられました。

 我が国には現在、多くの技術者と民族幹部があり、ひきつづき大量に養成しています。我々は、困難な戦争中にも外国に多くの留学生を派遣しました。

 戦争で鍛えられた朝鮮労働党と共和国政府、それに有能な幹部を擁する我々には征服できない要塞などありません。

 第2に、我が国には豊富な天然資源があります。

 我々は金、銀、銅、鉄、石炭、電力、木材、魚類など豊富な資源をもっています。また、衣食の問題を十分解決できる豊饒な土地と豊富な原料基地をもっています。問題は、この豊かな資源を広く開発して活用することであります。

 第3に、平和的建設期と、特に、戦争中に我々の闘争を積極的に支援したソ連、中国をはじめ、兄弟諸国の人民が、我が国の戦後の人民経済復興建設に莫大な援助を与えることを約束しました。

 問題は我々自身にかかっています。戦争で敵を勇敢に撃滅した意気込みで緊張した勤労闘争を展開し、技術水準と指導水準を高め、兄弟諸国の援助と国中の天然資源や内部の源泉を有効に活用すれば、経済建設と人民生活で大きな成果をおさめるようになるでしょう。

 我々は工業における甚だしい立ち後れと植民地的跛行性をなくし、民族経済の自立的基盤を強化するようになるでしょう。3か年計画を遂行した後には、単なる工業の復興ではなく必要な工場を大々的に新設し、人民経済の技術的改造を進め、工業化の基礎をきずく段階に入るでしょう。

 こうなれば、人民経済は立ち後れた技術から脱して新しい技術にもとづいて発展し、人民の物質・文化生活水準を高め、さらには人民の衣食住問題を基本的に解決できるようになるでしょう。

 我々が計画通りに経済建設を立派に遂行するならば、経済および文化の発展と人民の生活水準において北朝鮮と南朝鮮のあいだには天と地ほどの差が生じるでしょう。そうなれば、李承晩一味は非常に危急な立場に陥るであろうことは疑う余地がありません。

 1948年に、南北朝鮮政党・大衆団体代表者連席会議に参加するため北朝鮮にきた金九(キムグ)や金奎植(キムギュシク)のような頑固な民族主義者さえも、我が人民民主主義制度と、当時まだ建設をはじめたばかりの北半部の発展ぶりを目のあたりにして「真の愛国者はあなたたちです。我々は、これ以上アメリカのために働きません」と誓って帰りました。

 まして、共和国北半部が地上の楽園に変わっていく反面、南半部の経済が破綻し人民生活がいっそう疲弊すれば、南半部人民は黙っておらず、アメリカ帝国主義者と李承晩一味に反対して、我々と力を合わせてたたかうでしょう。こうなれば、祖国を平和的に統一することもできるでしょう。

 経済を急速に復興発展させ、民主基地を強化しなければなりません。後方の強化は武力の強化と戦争勝利の重要な保証です。李承晩一味は、初めから白頭(ペクトウ)山に「太極旗」をかかげると騒ぎ立てましたが、それが実現できなかったのは言うまでもなく、今後も、それはとうてい不可能でしょう。反対に、我々が漢拏(ハンラ)山に共和国国旗をひるがえす日は必ずくるでしょう。

 人民軍は、日増しに強化される共和国北半部の民主基地を武力でかたく守らなければなりません。人民軍は停戦協定を遵守し、侵略者があえて民主基地を侵せないように祖国の防衛線をかたく守り、もし敵が再び戦争を挑発するならば、直ちにそれを迎撃するにとどまらず、追撃してその根城を掃討し、祖国統一の大業をなし遂げなければなりません。そのためには、停戦期間を最も有効に生かして力を十分につちかうべきであります。

 人民軍は、戦時と変わらぬ緊張した態勢をゆるめず、革命的警戒心を高め、東西両海岸と境界線一帯の防御工事を堅固におこない、常に万端の準備をととのえていなければなりません。

 人民軍を質的に強化すべきであります。軍隊は数的には少なくても、それをマルクス・レーニン主義思想で武装させ、最新兵器と強力な火力で装備させるべきであります。

 我が国の地形に適し、機動性に富む兵器と戦闘技術機材で人民軍を装備し、砲兵を強化すべきです。

 過去、我々のあいだには、極めて正しくない傾向がありました。戦争第3段階第5次作戦の時期までも金雄(キムウン)のような男は、甚だしいことに砲を後方に置いたまま使用せず、手榴弾と軽兵器だけの肉迫戦で戦闘をおこなおうとしました。指揮官は、砲兵使用の指揮能力を決定的に高めなければなりません。

 人民軍の質的強化にとって重要な問題は、参謀部の役割を高めることであります。

 参謀部の活動には、いまなお多くの欠陥があります。我が国には、「部下なき大将は、大将にあらず」ということわざがあります。参謀部を効果的に動かさず科学的な戦闘組織と指揮が保障されなければ、戦闘の勝利は望めないでしょう。

 我々は各参謀部を、敵味方の力関係を正しく検討し、科学的な判断にもとづいて沈着かつ正確に現代戦を組織する能力を備えた参謀部に強化すべきであります。

 人民軍将校の組織能力と指揮水準を高める問題が、また重要です。すべての将校は、近代的な軍隊を巧みに指揮統率する用兵術に精通するよう、先進的な軍事科学で武装すべきです。

 次に予備軍をもたなければなりません。そのためには軍官学校を強化し、すべての幹部と軍人が1階級上の職務を担当し遂行できるよう、その水準をさらに高めるべきです。例えば、人民軍の小隊長は中隊長の任務が、中隊長は大隊長の任務が遂行できるよう、すべての軍人の水準を高めるべきです。こうして、人民軍を幹部軍隊につくりあげるべきであります。

 人民軍を強化すると同時に、全人民の軍事訓練を強化すべきであります。

 次に、部隊管理を改善しなければなりません。

 大隊長、中隊長、小隊長の区分隊管理には、まだ多くの欠陥があります。一部の指揮幹部が部隊の管理においていまなお官僚主義的活動方法を一掃していないため、革命軍隊である人民軍の一部の部隊では、まだ各種非常事故がなくなっていません。将校にはもちろん、特務長、副小隊長にも区分隊管理の教育を施すべきであります。

 人民軍は、常に強固な思想的団結を保たなければなりません。上部は下部を心から愛し、下部は上部を尊敬する道徳的品性が備わっていなければなりません。これなしには戦争の勝利は望めません。

 我が党は現在、党性の検討をおこなっています。人民軍内での党性検討は一人一人の指揮官が党員として、部隊管理と下部教育にどのように努力し、どんな成果をおさめたかという問題と密接に結びつけておこなうべきであります。

 また、戦争3年間の総括を正確におこなって豊富な経験と教訓を酌み取り、それを活動上の指針とし、偵察・通信・工兵部門の活動を徹底的に改善し、砲兵の使用と部隊管理をいちだんと改善する活動を党性検討と結びつけておこなうべきです。

 私は、諸君が党と政府の求める方向で忠実に活動するものと確信します。

出典:「金日成著作集」8巻


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