金 日 成

すべてを戦後の人民経済復興発展のために
 朝鮮労働党中央委員会第6回総会でおこなった報告
 −1953年8月5日−


 みなさん!

 このたびの党中央委員会第6回総会は、停戦協定の調印にともなって我が国に生じた新しい情勢のもとで招集されました。

 アメリカ帝国主義の武力侵略者に反対し、祖国の自由と独立を守るための3年間にわたる朝鮮人民の英雄的闘争は、我々の勝利をもって終結しました。朝鮮を植民地とし、朝鮮人民を奴隷化しようとしたアメリカ帝国主義侵略者の軍事的冒険は惨めな敗北に終わりました。敵は、朝鮮戦線でこうむった取り返しのつかない軍事的・政治的・道徳的敗北のために、また、朝鮮で平和を回復するための朝中両国人民の頑強で忍耐づよい努力と世界の平和愛好諸国人民の世論と圧力によって停戦協定の調印を余儀なくされました。こうして、朝鮮人民は、祖国解放戦争で輝かしい勝利をかちとりました。

 この正義の戦いで、労働党員は全朝鮮人民の先頭に立って勇敢に戦いました。

 朝鮮労働党は、人民軍のなかで中核としての、また、組織者としての役割を果たし、人民軍を強化するうえで大きな働きをしました。人民軍内の労働党員は、どの攻撃戦や防御戦でも、また、どの山地戦や野戦でも常にその先頭に立って進み、勇敢に白兵戦をくりひろげました。人民軍内の党員は、その骨幹となり、手本となりました。

 後方の労働党員は、戦争という困難な状況のなかで、敵の野蛮な爆撃を受けながらもあらゆる障害と困難を乗り越えて工場や鉱山を復旧、発展させ、鉄道運輸事業を保障し、農村と漁村でたえず生産を高めました。労働党員は、前線のために地下工場で軍需品を生産し、闇夜も敵の爆撃もいとわず列車や自動車を走らせて軍需物資をとどこおりなく輸送し、敵の気違いじみた艦砲射撃にもめげず、魚をとり、牛に偽装をほどこして田畑を耕し、種まきをおこないました。

 党員は、敵の占領下にあった時期に、いささかも敵に屈することなく遊撃闘争をくりひろげ、あくまで共和国旗を高くかかげて勝利をたたかいとり、敵の捕虜収容所においてさえ敵のあらゆる迫害や虐殺にもかかわらず少しも屈することなく、最後まで労働党員の栄誉と共和国旗を守りぬきました。

 もしも、労働党員がいなかったならば、前線と銃後で誰がこのような英雄的闘争を組織することができたでしょうか。もしも、労働党員が全人民大衆を導いて、勇敢に戦わなかったならば、我々は勝利することができず、アメリカ帝国主義者の植民地的奴隷の運命を免れえなかったであろうことは疑いありません。

 こんにち、朝鮮労働党は、その献身的で英雄的な闘争によって、朝鮮人民がその運命と未来をためらうことなくゆだねることのできる頼もしい前衛部隊となり、朝鮮人民の英知となり栄誉となりました。このように、我が党は、祖国の自由と独立を守り、人民のより幸福で輝かしい未来のためのたたかいを通じて、百戦百勝のマルクス・レーニン主義理論で武装した革命的党に強化されました。祖国解放戦争で、我が党は国際労働運動の「突撃隊」の一員として民主主義・社会主義陣営を強め、世界平和を守るうえで極めて大きな寄与をしました。

 私は、このような光栄ある朝鮮労働党の党員の一人として、同志のみなさんとともにこの高い栄誉を担うようになったことをこのうえない誇りと考えます。

 私は、党中央委員会第6回総会の名において、人民軍、工場、都市、農村、漁村、鉄道、内務機関、自衛隊、警備隊、党および国家機関、文化機関、大衆団体のすべての活動家と党員に深い感謝の意を表します。

 また、党中央委員会第6回総会の名で、祖国の自由と独立のために、我が党員とともにアメリカ帝国主義の武力侵略者と積極的に戦った、民主的諸政党の党員と各階層の人民に深い感謝の意を表します。

 そして、我が国の自由と独立のために、血をもって我々に援助を与えた中国人民志願軍将兵に熱烈な感謝と祝賀のあいさつを送ります。

 平和的建設の時期と、特に戦時中、我々にいつも私心のない援助を与えた偉大なソ連人民、中国人民、人民民主主義諸国の人民と、これらの国々の共産党および労働者党に深い感謝の意を表します。

 朝鮮人民の正義の大業に、積極的な支援を寄せた全世界の善良な人々に深い感謝の意を表します。


 1 停戦と祖国統一の問題について

 みなさん!

 停戦は、我々にとって大きな勝利であります。たとえ、停戦が朝鮮に完全な平和をもたらすことはできなかったにしても、停戦協定の締結は、朝鮮問題を平和的に解決する第一歩であり、緊張した国際情勢の緩和に寄与した最初の手本であります。我々は停戦協定の締結によって、我が国の統一問題を平和的に解決する可能性をえたのであります。

 一部の人のあいだには、停戦は完全な平和でないからといって、いまにもまた戦争が起こり平和な建設ができないかのように考える傾向が見られますが、これは正しくありません。だからといって、我が国で全く戦争がなくなり、完全な平和がもたらされたものと考え、油断し安逸にながれ、自己満足に陥る傾向も正しくありません。問題は、我々が戦争の苦痛と災難をへながら、はかりしれない犠牲の代償としてかちえた停戦の勝利をうちかため、朝鮮の恒久平和のために、祖国の平和的統一のためにねばりづよくたたかうことであります。

 停戦協定の締結にともない、我々に提起される第一の課題は、やがて招集きれる政治会議で朝鮮問題の完全な平和的解決が達成されるよう、ねばりづよくたたかうことであります。政治会議の基本目的は、アメリカ軍とその追随国の軍隊を完全に南朝鮮から撤退させて、朝鮮問題を朝鮮人自身の手で解決できるようにし、朝鮮の内政に外国人が干渉できないようにすることであります。我々は一貫して、朝鮮問題の平和的解決、祖国の平和的統一を主張してきました。もし、アメリカ帝国主義者の干渉がなく、朝鮮問題が我々の路線と主張どおり解決されていたなら、我が国はすでに統一され、祖国の分裂のため、我が国と人民がなめているいっさいの苦痛や災難もなかったでしょう。これは極めて明らかなことであります。我々の課題は、我々の正しい路線と主張を貫くことであり、その実現のために全力をつくすことであります。

 朝鮮民族は一つであり、朝鮮は朝鮮人民のものであります。朝鮮問題は、当然、朝鮮人の手で解決されなければなりません。朝鮮人民は、分裂の状態にとどまっていることを決して望んでおらず、いかなる侵略勢力も祖国を統一しようとする朝鮮人民の念願と意志をくじくことはできません。

 今後、招集される政治会議は、当然、朝鮮人民のこの正しい主張と念願と意思と朝鮮人民の根本的利害関係を反映し、擁護するものとならなければなりません。それゆえ、朝鮮人民は、これと相反する帝国主義干渉者のいかなる策動や陰謀も絶対に許さず徹底的に排撃するでしょう。

 アメリカ帝国主義者は、政治会議をひかえて早くも舞台裏で騒いでいます。政治会議を開く重要な目的が、朝鮮から外国軍を撤退させる問題であることに停戦協定で同意し署名までしておきながら、悪名高い戦争屋、アメリカ国務長官ダレスは、アメリカ侵略軍の南朝鮮永久駐屯と、必要な場合には停戦協定を破棄し、朝鮮で再び犯罪的な侵略戦争を引き起こすことを目的とする「韓米相互防衛条約」なるものを売国奴李承晩と結びました。「韓米相互防衛条約」というのは、アメリカ帝国主義が朝鮮の平和的統一を妨げ、朝鮮の内政に干渉する侵略的条約であり、李承晩一味が我が国の南半部をアメリカに売り渡す露骨な売国条約であります。政治会議をひかえてこのような条約を結んだのはすべて、政治会議での朝鮮問題の合理的な解決を阻もうとする行動であります。かれらが政治会議でも先の停戦会談の場合と同じくありとあらゆる陰謀、妨害、挑発行為を企み、局面を混乱させようとやっきになることは十分予想できることです。

 しかし我々は、停戦会談のときと同じく、世界の平和愛好諸国人民の力強い支援によって、朝鮮人民の統一した意志と闘争によって、必ず朝鮮人民の正しい主張と要求を貫かなければなりません。このようにして、政治会議は必ず所期の成果をおさめ、朝鮮は必ず平和的に統一されなければなりません。我々はこの目的を達成するために、ひきつづきねばりづよくたたかわなければなりません。

 全党員と全人民は、緊張した態勢をゆるめず、少しも油断することなく、高度の革命的警戒心をもって敵の一挙一動をするどく監視し、その凶悪な企図をまえもって見ぬき、これを破綻させるよう常に備えていなければなりません。

 全党員と全人民は、党中央委員会と政府のまわりにいっそうかたく団結し、あらゆる面から祖国の威力を強化するために全力を傾けるべきであります。我々は、この民族的、国家的、そして党的課題を勝利のうちに遂行できる十分な条件と可能性をもっています。

 こんにち、停戦にともなって南朝鮮の状態は収拾しがたい混乱に陥っています。敵陣営内の反目とあつれきは深まっており、人民生活はますます惨めな状態に陥っています。アメリカ帝国主義侵略者とその銃剣によってささえられている李承晩の売国的反動支配にたいする人民大衆の憎しみと反抗の気勢はますます大きく燃えひろがっています。敵の軍事的・政治的・経済的危機はいっそう深まっています。このようなことが、祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民の闘争にとって、有利な条件の一つとなることは疑いありません。

 我々の課題は、全国の人民大衆の民主的・愛国的勢力を我が党と政府のまわりに結集して祖国の平和的統一をめざす闘争に総決起させ、アメリカ帝国主義侵略者とその手先の植民地占領政策と売国的統治に反対し、アメリカ侵略軍を撤退させて、朝鮮問題を朝鮮人自身の手で解決できるようにすることであります。


 2 戦後の人民経済復興発展について

 みなさん!

 停戦協定の調印によって、我が国と朝鮮人民は、戦争状態から平和な復興建設の時期に入ることになりました。

 我が党と共和国政府には、戦争によって破壊された人民経済を復興発展させ、零落した人民生活を安定、向上させるべき重要な課題が提起されています。

 我が国の統一独立を達成するうえで最も重要なのは、共和国北半部にうち立てられた人民民主主義制度を強化し、人民大衆の愛国的な力を結集して、民主基地を政治的、経済的、軍事的に強化することであります。こうすることによってのみ、祖国の統一を達成し、我が国で人民民主主義革命を完成することができます。それゆえ、我が党と全人民は、停戦の平和な期間を最大限に利用し、民主基地を強化するための戦後の復興建設に全力を傾けなければなりません。

 我が国の人民経済復興発展の基本方向は、戦争の経験を十分にいかして、過去の我が国の経済発展の歴史的条件と、また、我々の当面した状況を正しく分析したうえで規定しなければなりません。

 戦争によって、我が国の人民経済はあますところなく破壊されました。したがって、人民経済の各部門を全般的に、同時に復興建設することはとうてい不可能であります。そこで、戦後の人民経済復興建設は3つの基本的段階にわけて進めなければなりません。

 第1段階は、全般的な人民経済復興建設の準備段階で、半年ないし1年のあいだに破壊された人民経済を全般的に復興建設するための準備と整理事業を進めるべきであります。

 第2段階では、人民経済復興発展3か年計画を遂行し、人民経済の各部門にわたって戦前の水準を取り戻すようにすべきであります。

 第3段階では、工業化の基礎をきずくための5か年計画を作成し、それを実現することによって、我が国における工業化の第1段階を完成すべきであります。

 我々は、戦後の経済建設において、重工業の優先的な復興発展を保障しながら、同時に軽工業と農業を発展させる方向へ進まなければなりません。そうすることによって我が国の経済の土台を強化し、人民生活を速やかに改善することができるのであります。

 1 工業復興発展の基本方向

 戦後における工業復興発展の基本方向は、戦争の過程にあらわれた工業の弱点と日本帝国主義の長い植民地支配の遺物である工業の植民地的跛行性を一掃し、将来の我が国の工業化の基礎をきずくために、重工業を優先的に復興拡張し、人民生活を安定させるための軽工業を急速に復興発展させることであります。

 工業を復興建設するにあたって、我々は工業の配置がえに必ず深い注意を払うべきであります。日本帝国主義者は、植民地支配の末期に、朝鮮に奇形的ではあるが植民地工業を建設せざるをえませんでした。その際かれらは、朝鮮の将来の発展と人民の利益のためにではなく、全く植民地的略奪のために資源を朝鮮から本国への輸送に便利な地帯に工業施設を配置しました。それはまず、朝鮮のすべての重要工場を東海岸か西海岸に設置したことにあらわれています。その結果、これらの工場は、原料産地から遠く離れていて、輸送に大きな困難と支障をきたし、特に戦争中に敵の艦砲射撃によって全面的に破壊されました。

 したがって、工業を復興建設するに際し、破壊された工場を機械的にもとの位置に復旧する方向へ進むのではなく、工業の配置がえをおこなうべきであります。もちろん、少なからぬ工場は、復旧の速度と経済上の節約を考慮して、もとの位置にそのまま復旧すべきですが、新設する工場と製造所、特に機械製作工場は新しい位置に配置しなければなりません。工場は、原料と製品の輸送が容易で交通の便利なところに配置すべきであります。

 また、工業を復興建設するにあたって順序を正しく定め、重要な工場、企業所の復旧建設から先におこなうべきであります。工業を復興建設する際に順序を正しく定めなければ、人民経済の全般的な復興発展を遅らせ、莫大な資金、資材、労働力の浪費をまねき、それを死蔵する恐れがあります。したがって、人民経済の全般的な復興発展を促進する基本的な工業施設から建設すべきであります。

 製鉄工業では、まず黄海(ホワンヘ)製鉄所と金策(キムチェク)製鉄所、城津(ソンジン)製鋼所と降仙(カンソン)製鋼所などをもとの位置に速やかに復旧建設して、1954年度から銑鉄、鋼鉄および圧延製品を生産できるようにし、1956年度にはその生産を戦前の水準に達するようにしなければなりません。こうして、国内の需要を満たしうる鋼鉄と鉄管、レール、その他の圧延製品を生産すべきであります。

 機械製作工業の発展は、今後、我が国における工業化の基本的条件であり、国防上、重要な意義をもっています。したがって我々は、機械製作工業の発展に特別な注意を払い、一方では工作機械を外国から大量に輸入し、他方では国内で工作機械を自力で生産するようにしなければなりません。それと同時に、工作機械を機械製作工業企業所に集中して使用する対策を立てるべきであります。

 機械製作工業は、主に旋盤と発動機を大量に生産して、その他の工場の新設、拡張に必要な機械を生産し、運輸機材、自動車部品、鉱山用機械、農業機械、造船業に必要な機械などの生産に重点をおくべきであります。煕川機械工場と自動車部品工場は、1954年度から生産に着手しなければなりません。楽元(ラクウォン)機械工場、北中(プクチュン)機械工場、電動機修理工場、工具工場およびポンプ工場は速やかにその建設にとりかかり、1955年度からは完全に操業できるようにしなければなりません。

 我が国は三面が海に囲まれているだけに、国防力の強化と人民生活の向上のために造船業は特別な意義をもちます。そこで、戦後の人民経済の復興発展にあたって、造船業に深い党的および国家的注意を払い、まず100余トン級までの警備艇と漁船と河川用の輸送船を建造できるように、南浦(ナムポ)、咸鏡(ハムギョン)北道地方に直ちに造船所を建設しなければなりません。こうして、多くの漁船をつくり、水産業を最大限に発展させ、河川運輸事業を復旧、整備しなければなりません。

 戦後、我が党は、豊かな地下資源の開発に深い注意を払うべきであります。戦争によって多くの鉱山は廃坑となり、浸水しました。今後1、2年間に、すべての鉱山で基本的に生産に着手できるようにし、鉱業の機械化をおこない、労働生産性の向上と生産の増大をはかるべきであります。各種の地下資源を広く採掘して国内の需要を満たすだけでなく、貿易でも約2億ないし3億ルーブルの輸出品を確保するようにしなければなりません。

 甲山(カプサン)銅鉱、成川(ソンチョン)鉛鉱を早急に開発し、文川(ムンチョン)、南浦の製錬所を復旧して、1954年度から生産に着手できるようにすべきであります。同時に今後新しい鉱山を開発するために、探鉱事業を全面的に進めなければなりません。

 人民経済の全般的な復興発展にとって、電力工業は重要な意義をもちます。戦後3か年計画期間に既存の発電所をすべて復旧し、その能力にふさわしい発電機の設置を完成し、発電能力を最大限140万ないし150万KWにまで引き上げるべきであります。

 電気資材工場を設置して、民間用の電気資材を国内で生産しなければなりません。

 化学工業では、硫安肥料工場と硝安肥料工場を興南(フンナム)に復旧または新設すべきであります。そうして今後2、3年内に、農業に化学肥料を大量に供給できるようにしなければなりません。

 朝ソ石油会社と阿吾地(アオジ)人造石油工場を復旧建設しなければなりません。

 合成ゴムと化学繊維の生産試験をおこなうべきであり、清津(チョンジン)スフ工場を速やかに復旧する対策を講じなければなりません。

 戦後の膨大な復興事業を進めるためには、多くの建設資材が必要です。破壊された都市と農村、工場、製造所、鉱山、鉄道、道路、橋梁、学校、病院、劇場および映画館などの復旧建設で建材工業は特に重要な意義をもちます。これを全党員と全人民に認識させ、建材工業の急速な発展のために努力するようにすべきです。

 建材工業省は、主として大規模な工場施設を利用して建設資材を大量生産すべきであり、その他の各省、局でも建材の生産を組織し、特に地方の建設資材を全国的に広く動員して利用しなければなりません。地方の状況によっては、個人の資金を利用して簡単な建設資材を生産する生産協同組合を広く組織し、個人経営の小規模な建材生産企業所も許可すべきであります。

 建材工業省は、平壌(ピョンヤン)、咸興、清津、江界(カンゲ)、義州(イジュ)、元山、价川(ケチョン)、海州(ヘジュ)、沙里院(サリウォン)などにレンガおよびかわら工場を建設して、1954年度から年に5億枚のレンガを生産することにし、そのうちの3億枚は国営レンガ工場で、2億枚は地方産業で生産し、かわらは年に4000万枚を生産しなければなりません。

 セメント生産では、戦前にあったセメント工場をすべて復旧して、1954年度からは年に20万ないし30万トンを生産し、1956年度には戦前の水準を上回るようにしなければなりません。

 製錬所、製鉄所、鉄道から出るスラグを粉砕してセメントをつくる付属工場を設置し、スラグでレンガやブロックを生産する措置を直ちにとり、清津と勝湖里(スンホリ)にスレート工場を復旧建設すべきであります。

 南浦ガラス工場を速やかに復旧して、1954年上半期から板ガラスを生産し、近いうちにセメントで下水管をつくる工場を設置して、ヒューム管を大量に製造しなければなりません。

 上下水道の建設のために鋳鉄管工場を新設し、1955年度には鋳鉄管を生産すべきであります。

 窯業を広く発展させて、新しい建設に必要な衛生陶器と日用必需品を生産し、我が国に豊富な大理石と花崗岩を大量に利用できるよう石材業を発展させなければなりません。

 建築用具を生産する工場を広く新設または拡張して、戦後の復旧工事に必要な建築用具を完全に保障すべきであります。

 人民生活を安定させ、必需品にたいする人民の需要を満たすために、我が党は軽工業の発展に深い注意を払わなければなりません。まず、平壌紡織工場と亀城(クソン)紡織工場を拡張して、年に6000万〜7000万メートルの綿織物を生産し、農村から買い上げる繭を加工して絹糸を大量に生産すべきであります。

 食品工業を発展させるために、しよう油、みそをはじめ、大豆油、牛乳、かんづめ、酒、たばこなどを生産する食品工場を復旧または新設しなければなりません。

 そして、これまでのゴム靴工場を復旧し新たにゴム工場を建設して、ゴム製品と履物を大量に生産し、皮靴も大量に生産すべきであります。

 紙類の国内需要を満たすために、吉州(キルジュ)パルプ工場と新義州(シンイジュ)パルプ工場を速やかに復旧して、年に4万トンのパルプを生産し包装紙工場を新設すべきであります。

 各道人民委員会では、地方産業を発展させ、人民生活に必要な多くの日用品を生産し供給するように努めなければなりません。

 水産業は、我が国の人民経済で重要な位置を占めています。牧畜業が発展していないので、人民軍やすべての勤労者に水産物を供給することは特に重要な意義をもちます。したがって、これから直ちに全面的に漁労にとりかかるべきであります。そのためには、国営水産事業所と水産協同組合を広く組織し、その生産を高める国家的対策を立てなければなりません。

 水産業の発展で最も重要なのは、漁具を保障することであります。国家計画委員会と重工業省、軽工業省および水産局は、漁船、魚網の製造に全面的に着手し、1955年度にはその生産を戦前の水準にまで高めなければなりません。とった魚を腐らせたり変質させたりしないように、冷凍工場、タンク、乾燥施設およびかんづめ工場を建設する計画を立てなければなりません。

 国の水産資源をいっそう豊かにするために、すべての貯水池で養魚を大々的におこない、魚族を極力保護しなければなりません。我が国には、それに必要なすべての条件が備わっています。要は、活動家が当面の課題の解決にのみあくせくせずに、将来の展望をもち先を見通して仕事を組織することであります。


 2 運輸および逓信の復興方向

 戦後の人民経済を急速に発展させるためには、まず第一に、鉄道を復旧しなければなりません。

 鉄道運輸では20日〜2か月以内に、共和国北半部の主要幹線を全部複旧して汽車が運行できるようにし、1953年末までには共和国北半部の全地域の鉄道輸送を正常化しなければなりません。そして、1954年度からは1200万〜1500万トンの貨物輸送を保障し、1955年度からは戦前の水準を上回る1500〜1800万トンの貨物輸送ができるようにしなければなりません。

 鉄道の復旧建設にあたって、中小鉄橋は戦前と同じく復旧し、大同(テドン)江、清川(チョンチョン)江、鴨緑(アムノク)江、城川(ソンチョン)江などの重要な大鉄橋は臨時橋として復旧し、国の経済的土台の強化をまって恒久的なものに復旧、整備すべきであります。

 勾配の急な陽徳(ヤンドク)−泉城(チョンソン)間、价古(ケゴ)〜古仁(コイン)間は電気鉄道を敷設すべきです。

 戦時の経験にてらして、今後、陽徳−谷山(コクサン)間に鉄道を新設し、いま工事中の八院(パルウォン)−球場(クジャン)間、球場−徳川(トクチョン)間の鉄道は、1954年第1・四半期までにその建設工事を完了すべきであります。

 破壊された工場区域の引込み線は、工場の復旧に利用できるように早く復旧すべきです。各駅区はいまから工事にとりかかり、1954年末までに臨時用の建物として復旧すべきであり、一部の地域では駅区の建設を3か年計画にふくめて完全に復旧すべきであります。これとともに1953年末までに鉄道通信網の整備を完了しなければなりません。

 破壊された車両を速やかに修理するため、1954年末から操業できるように車両修理工場を新設し、1957年度からは貨物・旅客車両を国内で生産できるように、車両修理工場を拡張しなければなりません。

 短期間に洪儀鉄道を開通させるべきであります。

 自動車運輸は、戦時中にいちだんと発展を遂げました。しかし他方、戦時の緊急な需要にこたえるため多くの場合、自動車を酷使し、その運行に強い統制を加えることができませんでした。そのため、数千台の自動車の寿命がひどく縮まりました。

 平和的建設に着手するにあたって、自動車運輸のこのような欠陥をこれ以上放置するわけにはゆきません。自動車運輸は、集中的管理をおこない、戦時に許されていた長距離運行はいっさい禁止し、汽車の通らない地域の運行と短距離運行をおもにすべきであります。

 自動車の寿命をのばし、壊れた自動車を修理するために、修理工場を復旧または新設し各地に車庫を建設すべきであります。

 自動車による貨物輸送量は、1954と1955年のあいだに500万トン以上に到達させ、旅客の便宜をはかるために、都市内と、都市と都市間のバスの定期運行をおこなうべきであります。

 自動車運輸を円滑にするため、今後1〜2年内に自動車道路を復旧修理すべきであります。

 停戦後の海運事業で最も重要な問題は、貿易に必要な港や埠頭を復旧建設することであります。まず、近い将来、南浦、清津、興南の埠頭を復旧整備しなければなりません。

 沈没した艦船をひきあげて復旧し、民間船舶や海軍艦艇の修理をおこなうべきであります。

 河川運輸を強化するために、将来を見通して、平壌−載寧(チェリョン)間、平壌−南浦間、満浦(マンポ)〜水豊(スプン)間の貸物船と旅客船が正常に運行できるようにしなければなりません。

 航空運輸では、朝ソ航空会社を直ちに運営するようにし、平壌−咸興−清津−阿吾地間、平壌−新義州−瀋陽間の定期航空旅客輸送を保障すべきであります。

 共和国の逓信事業を正常化するためには、次のような課題が提起されます。

 1953年第3・四半期以前に、中央から道、市、郡にいたるまで電信電話網を復旧し、平壌および主要都市の市内電話線は都市建設計画に従って地下ケーブル線に改めるべきです。平壌市に属する区間内には自動電話機と交換機を設置し、各道と中央とのあいだには無線電信網をととのえるべきであります。

 我が党と政府の政策を宣伝し、人民を啓蒙し教育するうえで重要な役割を果たしている放送事業を強化するために、現在の放送局を改善するとともに、1954年までに平壌に150KWの中波放送機を設置し、1953年には清津の5KW中波放送機を10KW中波放送機にかえ、開城(ケソン)市に2KW以上の出力をもつ放送局を新設すべきであります。1954年末までに各道都と工場地帯に有線放送を設け、1956年までには各里と大部落ごとに有線放送網を設置しなければなりません。

 1954年末から操業できる逓信機材工場を3か年計画にふくめて建設し、現在の乾電池工場を拡張して、無電機、電話機、交換機、スピーカーおよび乾電池を生産し、住民と人民軍の需要を満たすべきであります。

 道、市、郡にある郵便局の復旧建設は1954年から年度別に着手し、一部の郵便局は臨時の建物を使用すべきであります。里の範囲が拡大されるにつれて直接戸別配達を実施するため、逓信省の不必要な人員を縮小し、地方の郵便物配達に必要な人員を増やすべきであります。


 3 農業復興発展の基本方向

 みなさん!

 米英武力侵略者との3年間の厳しい戦争で、我が国の農業は甚だしい被害をこうむりました。農村の労働力は極めて不足し、家畜の頭数は非常に減少し、敵の爆撃によって多くの貯水池と灌漑施設が破壊され、多くの農家で食糧と種子が足りなくなりました。

 周知のように、戦時中に工業施設の大部分が破壊された状況のもとで、我々は農村事業に全党的、全国家的な注意を払ってきました。我が党のこの政策はもちろん正しいものでした。

 しかし、我々は是非とも解決しなければならない農村問題をまだ解決していません。それはなによりもまず、土地が不足し、やせた土地しかもっていない零細農と火田民の問題であります。

 我が国には全農家の30〜40%にあたる零細農がいます。これらの農民は、日本帝国主義の支配当時からこんにちにいたるまでひきつづき貧しい状態にあります。

 党と政府は、これら農民の生活を改善するために、食糧と種子の貸し付けや現物税の免除、その他多くの恩恵を与えていますが、土地が不足し地味がやせているため、零細農の問題はこんにちまで未解決のままになっています。したがって戦後、農業を復興発展させるにあたって、我々の第一義的な任務は零細農の問題を解決することであります。

 零細農の生活を改善するためには、周到で適切な国家的対策を講ずることが必要です。まず、かれらに土地を正しく利用させ、かれらの一部を地味が肥え土地のゆとりのある地方に移住させ、副業協同組合などを広く組織して、その生活を改善するようにしなければなりません。

 これとともに、工業の発展とあいまって一部の零細農と火田民を工業部門にまわし、他の一部は国営牧場に広く受け入れるべきであります。

 破壊された農業を急速に復興し、今後、農業生産力をいっそう発展させるためには、個人農経営をしだいに協同化しなければなりません。まず、1954年度から土地と生産用具の私有はそのまま認めたうえで、一部の地域にテストケースとして農業協同組合を組織すべきであります。

 我々は戦後、国営農場と農業協同組合を発展させるために大いに力をそそぎ、将来、我が国の農業をしだいに機械化する対策を立てるべきであります。

 個人農経営は、我が国で当分のあいだ存続するでしょう。個人農経営にたいし新しい営農方法を広く普及するとともに、国家は農民に新しい生産用具を円滑に保障し、灌漑用水と優良種子および肥料を十分に供給して農家の生産を高めるべきであります。

 農業を復興発展させるにあたって、土地を改良し新たな土地を獲得することは極めて重要な意義をもちます。

 まず、灌漑事業を広くおこない、低収穫の畑を多収穫の水田に改造すべきです。すでに戦前に着手していた、平南灌漑工事を3か年計画にふくめて、1955年度から本格的に進めなければなりません。

 我が国は耕地面積が限られています。それゆえ、新しい土地を獲得して耕地面積を拡張することは、我が国の農業の発展にとって極めて重要です。新たに土地を獲得するためには、戦争によって破壊された耕地と、洪水や不必要な道路建設などにくいこまれた耕地を復旧すべきであり、慈江(チャガン)道、平安(ピョンアン)北道、咸鏡南道、咸鏡北道などの山間部では、将来、林地に適したところを除いた土地はすべて農地または牧地にかえ、西海岸の干潟地調査事業を進めるべきであります。

 発展する工業に原料を保障するため個人農に工芸作物の栽培を奨励し、同時に国営の工芸作物農場を設置すべきであります。

 種子改良事業を強化するためには、各地に国家的な採種事業を広く組織し農事試験場を復旧し拡張しなければなりません。

 農業の復興発展において、牧畜業は極めて重要な位置を占めています。牧畜業は、勤労者と人民軍に食肉を供拾し、同時に工業に必要な原料を保障します。

 我が国の牧畜業は多くの欠陥をもっていますが、戦時の困難な状況のもとでもひきつづき発展してきました。兄弟のモンゴル人民が送ってくれた数十万頭の牛と羊は、我が国の国営牧場の基礎となっています。

 戦後我々は、牧畜業を次の3つの方向にしたがって発展させるべきであります。

 第1に、国営牧畜業を発展させなければなりません。国営牧畜業は、醸造工場、製油工場、精米所などの設置されている地帯と咸鏡南道、咸鏡北道、慈江道などの山間部に発展させるべきです。国営牧畜業での重要な問題は、労働力を合理的に利用し、天然飼料を大々的に活用して収益性を高めることであります。

 第2に、山間部の農民と土地が少なく、やせ地しか持っていない零細農のあいだで半農・半牧畜協同組合を組織し、集団的に牧畜業を営むよう国家的対策を立てるべきであります。まず、各地方に零細農からなる半農・半牧畜協同組合をモデルケースとして組織し経験を積んだ後、それにもとづいて全国の山間部に半農・半牧畜協同組合を組織しなければなりません。

 第3に、家畜の飼育を奨励し、無毒農家をなくすための全人民的な運動を展開して、1956年度には地域別に個人農の家畜保有頭数を戦前の水準に到達させなければなりません。そのために、国家的に種畜を広く供給する仕事を進める一方、農民に自分の家畜を自由に処分できるようにして、牧畜業の発展に関心をもたせるべきです。

 牧畜業の発展に最も大きな脅威となる伝染病と斃死を防止するため、獣医の養成に力をそそぎ、各種の医療施設を整備し、獣医薬品生産を発展させ防疫対策を立てるべきであります。

 国営牧場と零細農の半農・半牧畜協同組合の管理運営を改善するために、支配人や牧場の責任幹部の実務講習会を計画的に組織し、牧畜業発展のための幹部の養成に特別な注意を払って、現在のように国営牧場が国家に損害を与えることがないようにすべきであり、同時に家畜飼育技術を広く普及するため、牧畜業にかんする図書を多く出版すべきであります。


 4 林業の発展方向

 戦争中、我が国の林業は、莫大な被害をこうむりました。一方、戦後の人民経済復興建設で木材の需要は非常に増大しています。こうして我々には、戦時中に破壊された林産資源を補充するための、大規模な造林事業を全人民的な運動として展開すべき課題がだされています。

 造林事業では、造林に適した地帯と苗木の種類をよく選び、育苗事業を正しく指導して苗木を十分に準備しなければなりません。種子採集と植樹を全人民的な運動として進め、広範な人民大衆と林業部門の従業員に山林愛護精神を植えつけ、山林の乱伐、盗伐を厳しく禁じ、強力な山火事防止対策を立てなければなりません。

 伐採は山林資源にたいする将来の見通しを綿密に考慮したうえで厳格な規律のもとにおこなうべきであり、生産した木材は一本のむだもなく有効に利用すべきであります。それとともに、各省、局は、木材を最大限に節約し、国家計画委員会は木材使用にたいする強力な統制を実施すべきであります。また、パルプ工場は必ず付属の林地をもち、造林してパルプ用材の自給をはからなければなりません。

 人民経済の復興に緊急に必要な木材を生産するために各林産事業所をさらに強化し、白頭山森林鉄道を速やかに復旧建設して木材の運搬に支障をきたさないようにしなければなりません。

 将来を見通して林産資源の開発事業を組織するために、国家計画委員会は林業部門の活動家の養成と林産資源の調査を戦後3か年計画にもりこむべきであります。


 5 都市と農村の復興と再建方向

 野蛮なアメリカ帝国主義者の爆撃によって破壊された都市と邑(郡機関所在地)および工場地帯を復興建設するにあたって、かつて日本帝国主義支配当時の非文化的で、特権階級の利己的な目的にそった退廃的な都市建設方式をしりぞけ、勤労人民の生活に便利で近代的な文化生活にあうように都市や邑を建設すべきであります。そのために、都市建設では、人民の衛生条件を優先的に考慮し、人口が集中している主要都市と工場地帯には上下水道と遊園地を設け、採光や照明を施し暖房施設をととのえることなどに留意すべきであります。勤労人民の生活の便宜をはかるために、学校、文化機関、映画館、劇場、病院、浴場などの文化・厚生施設、特に安全施設の建設を予定すべきであります。

 都市建設では人口の増加を正確に見積もって、それに必要な都市の面積とその中心部を正しく定め、都市の主要交通網と幹線道路を適切に予定すべきであります。建設におけるいっさいの無計画的で、散漫で無秩序な現象をなくし、すべての建設を国家の厳格な統制のもとでおこなうべきです。建設の順序を厳格に定め、最も急を要する必要な建設から着手しなければなりません。

 都市や工場地帯の復旧建設を指導するためには、現在の都市建設省の組織体系では不十分です。したがって、内閣では都市建設省を都市経営省に改組し、その基本任務をもっぱら都市の管理運営に限らせるとともに、内閣に新たに国家建設委員会を設けて、いっさいの建設事業を指導するようにしました。国家建設委員会は、都市や工場地帯の建設に必要な設計の作成を指導し、建設事業の組織、建設事業所および都市建設委員会にたいする統制といっさいの国家建設事業にたいする点検を実行すべきであります。建設事業を立派におこなうため国内のすべての建設技術者、技能者を建設委員会に集結させ、都市の建設事業所を強化しなければなりません。

 都市と工場地帯の建設にあたっては、工場、学校、病院などの建設を第一次とし、機関・住宅などの建設を第二次とすべきです。そのために、建設委員会は、基本的建築と臨時(5〜10年間)建築の規格を定めて各建設機関に指示するとともに、全人民に公布すべきです。また、都市建設で区域を拡張する場合にも、やはり順序をきめなければなりません。都市の中心地帯には、臨時の建物の建設を厳禁し、臨時の建物は必ず都市の中心区域外に建てるべきです。

 我々は、都市の復興建設事業を急速におし進め、今後の建設事業を円滑におこなうために建築家にたいする国家的・社会的待遇を改善し、建築家と建築技術者に戦後人民経済の復興建設の方向を正しく認識させ、かれらの熱意と創意を高めるよう努力すべきです。戦後の膨大な建設事業を立派になし遂げるため建築家を外国に留学させ、研究所を創設し、建築技術者および技能者の養成所と学校を拡大強化する対策を早急に立てるべきです。労働力が不足している状況のもとで、建設の期間を短縮するために建設を機械化する対策を立てなければなりません。


 6 教育事業の基本方向

 戦後の人民経済復興発展の基本課題を立派に遂行し、将来工業国を建設するためには、高等教育と技術教育を強化し、多くの民族幹部を養成することに全党的、全国家的な注意を払わなければなりません。

 高等教育部門では、戦前にあった各大学を完全に復旧するとともに国家管理幹部の指導水準を高め、予備幹部を養成するために人民経済大学を新設すべきであります。人民経済大学には、計画経済学部、財政金融学部、協同経済学部、貿易学部などを設け、学生には主として各機関の在職幹部と工場労働者のなかから優秀な人を選んで後続幹部として養成すべきであります。

 戦後の復興建設に必要な多くの建築技術者および建設幹部を養成するため建設大学を新たに設立し、畜産業の発展のために獣医畜産大学を新設しなければなりません。

 高等教育部門では、人民経済の発展にとって必要な技術幹部の養成に重点をおき、大学生総数の70%以上を工科系統と自然科学系統で学ばせ、夜間大学と通信教育の大学を広範に設置すべきであります。

 技術教育部門では、現在のような無計画なやり方を改め、技術専門学校の水準を高めてそれに必要な教科書を速やかに編纂しし、その施設を拡充しなければなりません。

 普通教育部門では、1956年度までに学校および生徒数を戦前の水準に到達させなければなりません。そうするために、人民学校は3960校を復旧してその生徒数を150万人に達するようにし、初級中学校、高級中学校も戦前にあったものはすべて復旧して生徒数も戦前の水準に引き上げなければなりません。

 教員の実力を向上させ、再教育するために、師範専門学校、教員大学・師範大学の運営を強化し、そこに短期講習所も設置すべきであります。

 教科書の著述、編纂に、党的、国家的な関心を払うべきです。教科書出版事業を強化するために教育省印刷所と国立総合印刷所を拡張し、また、部数の少ない大学用教科書を印刷するために、各大学に簡単な印刷設備とプリント設備をそなえるべきであります。

 校舎の新築および復旧事業では、大学、専門学校、一部の工場地帯の高級中学などは国家がこれを建設し、普通教育施設は全人民的な運動で建設すべきです。教員の不足を解決するためには各機関の教育経験者を調査して、教育部門に配置する仕事を進めなければなりません。


 7 文化宣伝機関の復旧建設の方向

 戦後、我が党と政府に提起された政治的・経済的・文化的諸課題を立派に遂行するためには、戦争によって破壊された文化宣伝機関を復旧整備し、その活動を改善しなければなりません。こうして、工場・農村、漁村などで文化宣伝機関の活動を強化し、職場クラブ、農村民主宣伝室などを復旧整備し、そこに文化器材、宣伝資料、出版物などを正常に供給し、職場クラブの主任と民主宣伝室長の再教育をおこなうべきであります。

 強力な大衆的宣伝手段である映画を広く普及するために農村移動映写壕を正常に運営し、郡機関所在地や工場地帯に映画館を設置することを3か年計画にもりこむべきであります。

 映画制作事業では、いまから直ちに記録映画の制作条件をととのえ、1954年度からは劇
映画を国内で制作できるよう、必要な基本建設を人民経済計画に予定しなければなりません。

 民主首都である平壌市と道都に芸術劇場と劇場を建設することを3か年計画に予定し、1955年度からはレコードと蓄音機をつくる工場を建設すべきであります。

 出版物を大量に発行するために国立出版社を拡張し、国内のすべての出版機関と印刷工場を指導監督し、必要な資材を供給するため文化宣伝省の機構を一部改組すべきであります。

 図書館事業を強化するために中央に国立図書館を復旧拡張し、道都と主要都市に図書館を設置することを人民経済計画に予定すべきです。我が国の歴史的遺物と戦時および平和的建設期における朝鮮人民の英雄的な闘争業績を広く紹介するため、革命博物館と歴史博物館を建設すべきです。そして、歴史的遺物を保存し、戦争のため破壊された遺跡の復旧・整備事業を強化すべきであります。

 現在、数の少ない芸術家を養成し朝鮮の民族芸術を発展させるために、国立芸術劇場と国立劇場に付属芸術学校を設け、これを土台にして将来、芸術大学を設立しなければなりません。


 8 保健医療事業の基本方向

 戦争による人命の損失を補うため、我が党は人口の増加に関心を向けるべきです。

 母親の保護と児童の養育条件を改善する対策を立て、戦争中の敵の爆撃による負傷者と戦傷者の治療と孤児の養育を重要な国家的、社会的な事業と認め、これに大きな関心を向けるべきであります。

 破壊された病院や診療所を復旧建設し、平壌には中央総合病院と市立病院を建設しなければなりません。また、道都には道立病院、工場と郡機関所在地には人民病院の設置を3か年計画に予定すべきであります。

 医師の技術向上をはかるとともに医科大学と医学専門学校の事業を強化し、防疫事業と、各種の新聞、雑誌、ラジオなどを通じて保健衛生の宣伝活動を強めるべきであります。

 我が国の豊富な薬材を広く採取して製薬事業を組織し、製薬工場の建設を3か年計画に予定しなければなりません。

 学校、工場、農村を問わず、いたるところで体力向上のための大衆的運動を展開して各体育団体を早急に復活させ、運動場やプールを広範に設置すべきであります。


 3 人民経済の復興を成功裏に進めるための問題

 みなさん!

 以上で述べたように、戦後の人民経済を復興発展させるにあたって、我々には困難かつ膨大な課題が提起されています。

 全党員と全人民に、我が国の将来の発展と人民生活の向上のために戦後の人民経済復興発展のもつ大きな意義をしっかりと認識させ、かれらがすべてこの事業に立ち上がるようにしなければなりません。停戦の期間を最大限に利用し、寸秒をあらそって党と人民のすべての力を人民経済の復興建設に動員しなければなりません。

 戦後の人民経済の復興は困難な課題ではありますが、我々はこの栄誉ある課題を必ずなし遂げるべきであり、また、なし遂げうるすべての条件と可能性をもっています。

 第1に、我々には、8.15解放後の5年間に日本帝国主義者のために零落し破壊された人民経済を復興建設した貴重な経験があり、アメリカ帝国主義侵略者と戦った3年間の厳しい祖国解放戦争中、地下壕に軍需工場をつくって前線の需要を満たすためにたたかった貴重な経験があり、また、この困難で緊張した戦争のなかで鍛えられた政治・経済分野の活動家と技術者、技能者、労働者があります。

 第2に、我々には、豊かな資源があります。人民経済の復興発展に必要な鉄、非鉄金属、石炭、木材などすべての資源にめぐまれています。問題は、我々の労働によってこの豊かな資源を人民の生活必需品に、国家経済の土台をきずく製品につくりかえ、それを人民経済の生きた力、物質的な力にかえることであります。

 第3に、我々は戦後の人民経済復興発展のたたかいでも、国際民主陣営の頼もしい支持と援助を受けるでしょう。偉大なソ連人民と中国人民をはじめ、兄弟諸国の人民は、我が国の人民経済復興発展に必要なものをできる限り援助することを約束しています。

 ソ連政府は、我が国の人民経済復興建設のために、朝鮮人民に10億ルーブルの援助を与えることを決定したと知らせてきました。

 ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーなどの諸国政府も、我が国の人民経済復興発展のために援助を与える決定を採択しています。これら兄弟諸国人民のあいだでは、すでに朝鮮人民の人民経済復興建設を援助する大衆的な運動がくりひろげられています。

 以上で指摘した諸条件と、その他の有利な諸条件は、戦後の人民経済復興発展のたたかいでも、我々が必ず勝利する保証となります。

 問題は、我々が国の主人にふさわしく仕事を立派にするかどうかに、また、これらすべての可能性をいかに立派に、いかに早く現実性にかえていくかにかかっています。我々はまず、我々自身の力、すなわち党と政権と人民の力を信頼すべきです。この底知れない力は、敵との激しい戦争で勝利したように、戦後の人民経済復興発展のたたかいでも勝利するでしょう。

 それでは戦後の人民経済復興発展のために、どのような問題に注意を向けるべきでしょうか。


 1 内部資源の動員について

 我が国のいっさいの内部資源を人民経済の復興発展のために最大限に動員し、有効適切に合理的に利用すべきであります。困難は、資材の源泉や地下資源がないとか不足しているとかいうところにあるのではなく、経済部門の一部の責任幹部が国の内部資源に目を向けようとせず、それを利用しようとせず、動員しないところにあります。一部の幹部は、「自分で自分の鼻をつまんで苦しがる」というふうに「資材が足りない」と騒ぎたてながら、それを解決するためにいかに内部資源を動員し、利用するかについては関心を払っていません。おそらく、こうした人たちは、木材、鉄、その他の原料や資材が事務室にまで転がり込んできて、役立つように使ってほしいと願い出るのを待っているのかも知れません。要は、早く内部資源を見つけ出して動員し、利用することであります。同時に内部資源についての全面的な調査・探査事業をおこなわなければなりません。もちろん、この事業は個別的な部門だけにまかせては解決できません。この事業に全党的な関心を払うべきであり、科学部門の活動家や学者、専門家を幅広く引き入れるべきであります。

 他の面では、戦時中に分散した古い資材、工具、設備などを早急に集めて合理的に利用すべきであります。特に留意すべきことは建材の生産であります。戦後の復興に多く必要とされるレンガ、セメント、木材、鉄材などを大量に生産しなければなりません。機械は外国から取り寄せるとしても、木材、レンガ、セメントのようなものまで外国から大量に取り寄せるわけにはいきません。これらのものは、適時に生産の組織をおこなえば国内でいくらでも生産できます。国内で生産できる資材は、すべて自力で生産しなければなりません。

 また、外貨にかえることのできるあらゆる輸出品の生産を増やし、多くの外貨を獲得してより多くの機械、資材を輸入し、新しい工場を多く建設しなければなりません。

 内部資源を見つけ出して動員することに、全党および全人民の関心を向けるべきであります。


 2 労働力の確保と合理的利用について

 我が国の産業の基本部隊となっていた多数の技能者や労働者は、祖国解放戦争のとき人民軍に参加して前線に出動し、いまもなお栄誉ある祖国防衛の前哨に立っています。また、戦争による人命の損失は、労働分野に必然的に影響を及ぼしました。戦後の人民経済復興発展の膨大な需要に比べて、現在労働力が不足しています。労働力の問題は解決できるでしょうか。もちろん解決できます。この問題を解決するためには、周到で綿密な計画と組織的な対策が必要であります。

 戦後の人民経済復興発展に必要な労働力の問題を解決するためには、第1に、労働力を合理的に利用し、その浪費を一掃しなければなりません。我々は戦時中、敵の野蛮な爆撃から人命を守るために都市の住民を分散させて山間部に新設した工場や農場に配置し、多くの場合、経営上の損失を度外視して必要以上の人員を配分し、かれらを安定させることに関心を払いました。これは、当時の状況では必要かつ正しい措置でした。しかし、戦後の人民経済の全面的な復興発展にとりかかったいまでは、この状態を根本的に改めなければなりません。ゆとりのある労働力や二次的な生産職場の労働力は、重要な工場や基本的な生産部門に重点的に回すべきです。例えば、戦時中に新設した多くの農場と牧場には数万人の労働者があまっており、ある牧場では家畜頭数の何倍もの人手が配置されたままになっています。現在、分散している数千か所の果樹園や小企業を整理統合すれば、多くの労働力を浮かすことができるでしょう。

 第2に、非生産的な労働力を減らして機構を簡素化しなければなりません。戦時中に事業を分散させていたので、各行政事務機関ではそれほど重要でもない非生産的な人手をたくさん採用しました。例えば、食堂も1つの機関で平時なら1つでまにあうものを、戦時には3つも4つももつようになりました。そこで庶務、経理、食堂主任、倉庫主任、炊事婦、雑役など、おびただしい人員がふえました。“釜が多ければ無駄も多い”ということわざがありますが、こうなれば物資の浪費はともかく労働力の浪費は莫大なものです。これは卑近な一例にすぎません。不必要な機構や部署がまだかなり残っており、労働力の浪費はほとんどどこでも見られる現象となっています。要は戦時中に分散させざるをえなかったものを、戦後のこんにちでは統合し整理して多くの労働力を引き出すべきであります。

 党員と国家機関の活動家の課題は、行政事務機関を大胆に簡素化し、いっさいの余分な非生産的労働力を工場の復旧と生産に回すことであり、労働力を浪費せず合理的に有効に使うことであります。

 第3に、広く婦人労働力を引き入れて、労働分野を補充し拡大しなければなりません。祖国解放戦争の過程ではっきり示されたように、英雄的な朝鮮婦人は底知れない力をもっています。婦人は、労働分野でも男子に劣らない立派な働きをしており偉勲を立てています。婦人の体質と素質に合う軽工業部門に多くの婦人労働力を引き入れるべきです。商業、逓信、保健、文化、教育機関などの事務系統に婦人労働力を大々的に引き入れ、いろいろと勤務上の便宜をはかるべきです。こうして、多くの事務機関では、男子労働力を婦人労働力に切り替え、男子は生産職場に回すようにすべきであります。

 第4に、労働力を節約し労働生産性を高めるために、作業工程を機械化しなければなりません。もちろん、我々がいうのは、発達した技術上の意味での機械化ではありません。高い水準での機械化は、今後、工業の発展水準と技術向上の程度にしたがって順次解決すべき問題です。現在の条件のもとでの、我々のいう機械化とは、主に技術者や労働者の創意考案によって、その作業を簡単に、たやすく、能率的にやれるようにしようということです。最近、私は南浦製錬所で、一人の労働者がわずかスコップ2杯分ほどの土をかついで、2、30歩しか離れていないところへ運んでいるのを見たことがあります。もし、このような作業に手押し車を使うならば、仕事もしやすく能率もあがるでしょう。鉄山(チョルサン)鉱山の作業場でおこなわれているような手工業的な作業方法もこのように機械化すれば、容易に数千人分の労働力を浮かすことができ、仕事を早く、そして能率的にすることができるでしょう。作業工程の機械化と、労働力の合理的配置に特別な関心を払うべきであります。

 第5に、労働基準量を正確にきめることは、労働力を合理的に利用する問題とともに、我々にとって極めて深刻な問題となっています。これまで通用してきた1947〜1948年に定められた労働基準量は、いまではもはや古いものとなり、実情にあわなくなりました。それは、そのあいだに勤労人民、特に労働者の思想・意識水準が非常に高まり、技術水準も向上し作業方法も改善されたからです。情勢も変わり働く人々も変わり、技術も向上したのに、経済部門の活動家はいまなお7、8年前の労働基準量に縛られたまま前進できずにいます。

 以前に定めた労働基準量が多くの点で不合理であり、幼稚であったことは次のような実例からも十分に判断できます。昨年の冬、1個連隊の人民軍兵士を林業労働に動員したことがあります。軍人たちは、現在適用されている労働基準量に比べて1000%もの能率をあげました。これは実に謎のような奇跡です。このようなことは、我々になにを教えているでしょうか。ここには、なんの秘密も謎もありません。この動かしがたい事実は、従来の労働基準量がいまではもはや古いものとなり、現実にあわず、それ自体が多くの点で不合理であることを物語っています。変化したあらゆる条件を考慮に入れ、古い労働基準量を綿密に再検討して、実情にあうようこれを新しく正確に定めるべきです。

 労働基準量を新しく定めるにあたって、機関なわばり主義、功名主義、利己主義、その他いっさいの立ち後れた思想や態度と徹底的にたたかわなければなりません。ここでも古いものや立ち後れたものが我々の前進をはばんでいます。

 第6に、火田民をできるだけ多く、その希望に応じて工業部門に進出させるべきであります。

 解放後我々は、火田民の生活を改善するためにいろいろな対策を講じてきました。しかし、この問題はまだ未解決のままになっています。

 我々の得た結論は、火田民をこれまでの生産条件や生活状態にとどめておく限り、その生活改善は望めないということです。ところが、農業省と各級人民委員会の活動家は、党と政府の政策と国家の規定に違反して、作付け面積を確保するという口実のもとにひきつづき火田をひろげながら、国有林を乱伐する有害かつ無責任なことをしています。こうした行為をこれ以上許しておくべきではなく、速やかに是正すべきであります。

 農業省と関係機関は、火田民に十分説明して、かれらの大多数が自発的に産業分野に進出するようにし、残りの一部は、農場、牧場、または、水産部門に進出するよう具体的、組織的な対策を立てるべきであります。ここからも戦後の人民経済復興発展のために少なからぬ労働力を引き出すことができます。

 第7に、人民経済の復興にあたって、人民大衆が進んで愛国的労働に参加する運動を広く展開すべきであります。

 戦時中に人民は、愛国的労働に広く参加して多くの問題を解決し、戦争の勝利のために大きな貢献をしました。

 戦争で破壊された生産企業所と教育・文化機関を復旧するにあたっても、人民大衆の愛国的な献身性にうったえて、大衆的な勤労動員運動を起こすべきであります。

 人民経済を復興するにあたって一度に膨大な労働力を必要とする場合が多多あります。例えば、工場、学校、病院などの建設では、その基礎工事に多くの労働力が一度に必要です。レンガ工場は施設ができあがれば少ない労働力でも十分に生産をおこなうことができますが、工場の建設過程、特にその初期には多くの労働力が必要です。このように、一度に大量に必要な労働力は、人民大衆の愛国的労働によって解決しなければなりません。

 したがって、愛国的勤労動員を全党、全人民の運動として広範にくりひろげ、全党員と大衆団体の同盟員および全人民が愛国的勤労動員に参加するのは神聖な義務であり、崇高な栄誉であることを認識して自発的に参加するように、かれらを励まし組織すべきであります。

 以上で述べたことはすべて、我々が戦後の人民経済の復興建設で不足している労働力を十分解決しうる源泉と可能性をもっていることを示しています。

 労働力の予備の探求、労働力の合理的な利用と調整、労働力浪費の一掃、労働力の移動にたいする厳格な統制などについて、深い党的な関心を払い、必ずこの問題を解決しなければなりません。


 3 技術問題について

 経済建設において、技術問題を考慮することなしには多くの誤りや失敗をまねき、工場、企業所、学校、文化機関、病院などの建設は難しいでしょう。技術者が足りない我が国の現状では、技術者を必ず合理的に配置し利用すべきです。技術者を一つの部門だけにかたよらせず、産業建設の全分野にわたって適切に利用できるよう調整、配置し、各自の技術と技能を最大限に発揮できるよう十分考慮を払うべきであります。

 次に、技術者は、必ずその専攻部門に配置して、各自の技術を十分に活用し、創造的に仕事ができるように、すべての条件を保障しなければなりません。各級党組織と政権機関および経済機関は、分散している技術者を調査、登録して、技術部門以外の機関で働いている技術者を産業建設部門に回すべきです。党は、この事業に深い関心を払い、技術者との活動を系統的に忍耐強くおこない、かれらの実践的活動を極力援助しなければなりません。

 同時に技術問題の解決のために、技術者の再教育を強化し、技術者の養成事業を広範に進めるべきであります。技術者の技術水準を先進国の技術者の水準にまで引き上げるために、技術専門学校、技術大学、工業大学、総合大学での教授・教育活動を改善し、通信教育および夜間技術大学と各種の技術講習所などを適切に組織し運営しなければなりません。この事業に見られる形式的で、散漫で、無責任ないっさいの現象と活動態度を早急に改め、実際的で内容のある教育活動をおこなうべきであります。

 技術問題の解決にあたっていま一つ重要なのは、兄弟諸国から技術上の援助を受けることであります。戦後の復興のためにソ連から多くの技術者を招くことになりました。そこで我々には、かれらの技術をまじめに短期間に修得すべき課題が提起されています。もし、かれらから技術を学ぼうとせず依頼心をもち、いつまでもかれらに頼ろうとするならば、それはたいへんよくないことです。先進国ソ連の技術者が我が国にきたのは、我々のさし迫った技術的課題を解決するためばかりではなく、我々に技術を教えるためであります。管理幹部と技術者はかれらと寝食をともにし、ともに働きながら学び、自分の技術水準を引き上げなければなりません。これが、兄弟諸国の技術者の期待と我々の要望にかなった正しい態度であります。技術者は、最短期間に必要な先進技術を学び、いっさいの技術問題を独自に解決できる有能な技術幹部になるよう努力すべきであります。これは現在、管理幹部と技術者の最も重要な課題の一つであります。


 4 産業の復興建設に必要な資金を確保するために

 資金がなければ人民経済を復興建設できないのは誰にも明らかなことです。我々には、工場、企業所の復旧建設に必要な資金を確保すべき重要な課題が提起されています。我々の財政・金融政策が正しかったため、戦時中にも歳入は戦前におとらず保障され、今年度の歳入も昨年度に比べて増大しました。生産と建設に資金を円滑に供給するためには、今後さらに歳入を増やさなければなりません。

 人民経済の復興建設に必要な資金を確保するためには、第1に、浪費・横領行為と強くたたかわなければなりません。少しぐらいの浪費には、あまり注意を払わない人がいます。ことわざに“塵合泰山”という言葉があります。いささか小むずかしい言葉ですが、“塵もつもれば山となる”という意味です。我々は、わずかなものでも浪費せず、残らず利用し節約しなければなりません。例えば、後方総局管下の被服工場で洋服をつくる場合、不必要なボタン穴を一つずつはぶくだけでも、百万着分にすれば、莫大な労働力と材料が浮くことになります。このように、わずかなものでも集めると大きなものになります。

 製材所では、製材の際に出るはんぱものでマッチの軸や将棋のこまなどをつくることもできるのに、それを捨ててしまって大きなむだをしています。林業部門と国家計画委員会では、計画性がなく無責任な仕事をしているので非常に大きな浪費をまねいています。例えば、新義州で使用する木材を咸鏡北道で受け取るようにし、咸鏡北道で必要な木材を満浦で供給するように割り当てています。これは、国家の財政に大きな浪費をもたらすばかりでなく、活動秩序を混乱させる結果をもたらします。我々は、これに似た実例を日常生活でいくらでも見つけることができるし、また、しばしばこのようなことにぶつかります。わずかなもの、つまらないものでもそれを有効に利用し、節約する習慣をつけなければなりません。そうしなければ、国の経済をしっかりときずいてゆくことができません。

 第2に、軽工業部門で仕事を立派におこなわなければなりません。人民生活に必要な消費物資を大々的に生産して市場に出すことは、人民生活の安定をはかるうえでも、国家の収入を増やして必要な資金を確保するうえでも極めて重要な意義をもちます。ところが、この面で仕事がスムーズにいっていません。軽工業部門と地方産業でつくりだす商品の種類が多くないことについては、さしあたり、とやかく言わないとしても、まず、その品質や見ばえがよくありません。なぜ、軽工業部門で生産する日用品がこのように貧弱で粗末なのでしょうか。この部門の立ち後れをこれ以上我慢することはできません。この部門の責任幹部に党的な注意を喚起する必要があると考えます。

 すべての可能性と地元の資源を利用して、日用品を大量生産することに特別な関心を払うべきであります。これは、人民経済の復興建設に必要な資金を確保する一つの重要な源泉となるでしょう。

 第3に、商業部門から人民経済の復興建設に必要な資金を得なければなりません。国営商業はあらゆる面で有利な条件をもっています。にもかかわらず、流通部門の働き手たちの無責任と不誠実さのため、国営商業は私営商業よりも部分的に立ち後れた状態にあります。私営商人は自転車や荷車あるいは徒歩で4、5里、遠くは数十里のところまで出かけ、商品を仕入れて売りさばき、売る場合にも少量の商品を見ばえよくならべて手際よく商売をしています。これに反して国営商店や消費組合商店では、積極的に商品の源泉を見つけ出そうとせず、国から割り当てられた商品を販売する際にも、それを乱雑にならべ、ほこりとカビのなかで客を待っています。だから、消費者のあいだに国営商店の人気がないのは当然です。

 国営商業および消費組合の働き手たちはこのように、ただ座り込んで頭も使わずに国の仕事を楽にやろうとしています。これが、党と国に責任を負う態度であると言えるでしょうか。これまで国営商店や消費組合商店で商品が売れているのは、実は、国営商業の従事者が仕事を熱心にしているからではなく、国営商店の商品の値段が市場価格よりも安いからです。

 国営商業の働き手は、各地方に商品を割り当てるときでも無責任で官僚的なやり方をしています。すなわち、全国各地に商品を割り当てる場合、それぞれの地方の需要と購買力、その他すべての条件を考慮することなしに思いつきで積み出しています。そのため、ある地方では不足している商品が、ほかの地方では山のように積まれて腐っています。このようなことは、商業省や消費組合の商店網ではありふれたこととなっています。これは、技術や能力上の問題というよりも思想的な病根からくる欠陥であります。商業部門の働き手のこのような有害な思想的病根を根本からなおすために、各級党組織は特別な注意を払うべきであります。

 こうして、都市と農村間の商品流通を発展させて、勤労者に必要な商品を円滑に供給するばかりでなく、国家資金を確保するよう極力努力すべきであります。

 また、戦後の復興事業に人民の資金を集め、利用するために、貯蓄運動を広く起こすべきであります。

 第4に、外貨の獲得と節約は、工場、企業所の復旧建設のための基本投資を増大させるうえで重要な意義をもちます。外貨獲得のために兄弟諸国の求める資源を調査、開発して輸出を拡大し、そのかわり必要な機械や原料を輸入するのは、人民経済の発展のために大きな意義をもつ国家的な課題であります。党は、これに特別の注意を払わなければなりません。

 外貨の獲得とともに、外貨節約運動を強力にくりひろげなければなりません。まず、ガソリンの節約からはじめるべきであります。もし現在、我々が輸入しているガソリンの半分を節約すれば、それだけ多くの機械を購入することができます。

 工場や企業所で必要な輸入資材と原料を節約することは重要な意義をもちます。ある工場では、主に貴重な輸入資材と原料で製品をつくっていますが、あらかじめ不合格品の出ることを見越して、輸入資材を計画より10〜20%以上もよけいに国家に請求しています。ところが現在、実際においてはそれよりももっと多くの不合格品を出しています。これが国家にどれほど大きな損失を与えているか、その工場や企業所の財政状態にどのような悪影響を与えているかは十分理解できることです。

 工場、企業所の管理幹部や労働者のあいだで、外貨の獲得とその節約のための思想活動を展開すべきであり、各級党組織はこの活動に深い関心を払わなければなりません。


 5 人民経済計画の正確な作成について

 戦後の復興建設に着手するにあたって、まず第1に遂行すべき重要な仕事は、人民経済復興発展計画を正確に作成することであります。現実の諸条件を綿密に検討し、また、我が国の社会発展の客観的要請に合致する正確な計画をもたなければ、我々は一歩も前進することができません。

 国家計画を立てるにあたって、いちばん大切な問題は統計を正確に把握することです。全国的な統計、ならびに各省、各省管下の各工場および企業所別の正確な統計が切実に必要です。設備、資材、原料、資金および労働力についての綿密で正確な統計なしに計画を作成するというのは空論にすぎません。もし、我々が膨大で複雑な人民経済を復興建設するにあたって、また、数多くの工場や企業所を建設し運営するにあたって、事業を僥倖や偶然性にまかせず、盲目的にではなく科学的な計画によって、先を見通して進めるためには、当然人民経済の正確な統計を把握していなければなりません。

 ところが、経済機関と活動家のこの面での仕事は極めておくれた状態にあります。経済機関には、形式主義的で官僚主義的な活動作風がはびこっています。こうした事情は、現在、我々が正確で綿密な統計を把握するうえに大きな支障をきたしています。経済機関とその活動家の、この許しがたい活動作風を早急に一掃し、この事業を党と国家が求める水準にまで高めなければなりません。

 次に、国家計画を作成するにあたって特に留意すべき点は、人民経済の全連鎖のなかから最も中心的な環をつかむことであります。その中心的な環をとりあげれば、その他の環も全部それについてあがるように、人民経済の最も基本的な部門と企業所から復興建設にとりかかるべきです。中心的な環を正しく見つけることが必要であり、その中心的な環に全力を集中することが大切です。

 我が国のこんにちの条件のもとでは、物資、労働力、資金の分散と均一的な割り当ては、事業の発展をはばみ、時間とエネルギーの浪費をまねくだけでしょう。これはもちろん、その他の部門の仕事をなおざりにしてもよいということではありません。いうまでもなく、我々は人民経済復興発展のための全般的な仕事にとりかからなければなりません。しかし我々は、順序をわきまえ、軽重をただし、順序だてて建設事業を進めなければなりません。物資、労働力、資金を合理的に機動的に利用できるよう国家計画を作成しなければなりません。


 6 党・政権機関および経済機関の働き手の指導水準を高めるために

 個々の党員は、たえず政治・文化水準を高め、また各自の受け持った仕事と技術に精通した熟練者にならなければならないと、党規約は指摘しています。

 党および国家の幹部や党員は、その義務を遂行するうえで大きな前進を遂げています。しかしながら、まだ充実した仕事をしておらず、党の求める水準に到達するには大きなへだたりがあります。

 戦後の人民経済復興発展という複雑で巨大な事業は、活動家が経済知識を身につけることをいっそう切実に求めています。経済知識がなければ経済建設を指導することができず、仕事を一歩も前進させることはできないでしょう。

 しかし、一部の責任幹部は、自分の仕事に精通せず、担当分野の知識をもたずに活動しています。このような幹部は、代理人、副委員長、部長、技師長をつれて歩きながらその人たちに報告させ、仕事を処理させています。かれらは、自分の地位に安住し、判でもおして威厳を保つのが職責だと思っているようです。

 もし責任幹部が、まかされた仕事を責任をもって正しく遂行しようとするならば、当然その仕事について深く理解し精通していなければなりません。そうしないで、どうして共和国の責任幹部だと言えるでしょうか。

 また、一部の責任幹部は知らないくせに知ったふりをし、傲慢でもったいぶっています。このような幹部は、我が国に必要な幹部ではありません.我々はみな、過去に国家を運営したことがなく、また国家の幹部のほとんどが労働者、農民の出身であり、新たに登用された幹部です。知らないことを知らないと認めるのは恥ずかしいことではありません。問題は知らないのに知ったふりをしたり、知らないのに学ぼうとしないところにあります。誰でも知らなければ学ぶ義務があり、知っている人から学ばなければなりません。

 我々が新しい原理や技術を発明するのは、やさしいことではありません。しかし、ソ連や先進諸国ですでに達成された科学・技術の成果を学んで、それを我が国の建設事業に有利に適用し利用するのは、それほど難しいことではありません.

 ソ連をはじめ、兄弟諸国の経験をたえず学ばなければなりません。我々には、学ぶことのできる道が開かれており、条件は申し分なくととのっています。ソ連の学者および専門家、技術者からすなおに、謙虚に、腰を低くして学ばなければなりません。

 解放後、我々は多くの知識人や技術者を養成しました。かれらもまた、幹部たちの立派な教師になり、我々のよき協力者になれます。

 ソ連の技術書籍の翻訳出版をいっそう広範に進めなければなりません。これは、幹部の学習を助ける重要な対策の一つであり、幹部と勤労人民のなかに先進科学と技術を普及する重要な手段となります。

 幹部の指導水準を向上させるためには、集団的合議制を強めるべきです。合議機関は、集団的に問題を処理する方法を講じるばかりでなく、また、互いに学びあう場にならなければなりません。合議制を通じて活動の経験を総括し、前進のために古いものを捨てて新しいものをとり、集団の知恵を集めて、いっそう早く前進するために努力しなければなりません。各省、中央機関では、参議会を正しく運営して指導水準を高め、下部にたいする指導を強化すべきであります。

 解放直後、人民のなかから「無知は滅亡だ」という合言葉が出てきました。これは、知識に飢えていた朝鮮人民の叫びであり、その火のような学習熱を端的にあらわした呼びかけでありました。

 いまも、我が国に不足しているのは先進科学であり先進技術であります。先進科学と技術を立派に身につけるか否かは、人民経済復興発展の成果を決める鍵となるばかりでなく、朝鮮民族のあすの運命を左右する決定的な要因の一つとなります。我々の課題は、先進科学と技術にもとづいて、責任幹部の指導水準を引き上げることであります。

 我が党は、この仕事でも必ず所期の成果を達成するでしょう。


 4 労働者階級の思想活動の強化について

 みなさん!

 戦時中に、アメリカ帝国主義者の野蛮な爆撃によって工業施設が破壊された条件のもとで、我が党は農村問題に関心を集中しました。これは言うまでもなく正しい路線でした。農村が廃墟となり、労働力と役畜が非常に不足している状況のもとで、もし、農村政策に関心を集中しなかったならば、前線と後方に食糧を十分に供給することもできず、人民生活を安定させることもできなかったでしょう。

 我が党は、戦後においても、農村問題にたいするその正しい政策を堅持し、ひきつづき農業の急速な復興発展と農民生活の向上をはかるでありましょう。

 これと同時に、我が党は、今後の活動で戦時中のように農村問題だけに重点をおくべきではなく、それに劣らず工業の復興発展にも注意を払わなければなりません。これは、我が党が産業に目を向け、我が国の指導階級である労働者階級のなかで活動を強化しなければならないことを意味します。

 朝鮮の労働者階級は、歴史の浅い階級であります。日本帝国主義の植民地支配の末期に、奇形的ではあったが植民地的工業が多少発展し、朝鮮の労働市場から安い労働力を求めるようになりました。この労働力の源泉は、主に日本帝国主義の植民地的土地略奪政策によって土地を奪われた農村の貧農と、日本帝国主義資本の圧迫のために没落した小市民でした。したがって、朝鮮の労働者の圧倒的多数は過去の小商品生産者であり、こんにちもまた、かれらは家族や親戚を通じて小商品生産と直接または間接につながっています。そのため、かれら自身は生産手段の私的所有者あるいは自立的な商品生産者ではなくなったが、かれらには不可避的に小ブルジョア的意識が強く残っており、また、それがたえず浸透しています。

 一方、日本帝国主義者は、朝鮮の労働者に技術を教えようとせず、かれらを技能工に養成しようともしませんでした。そのために、日本帝国主義の支配当時の朝鮮の労働者は、その圧倒的多数が技術や技能をもたない「日雇い人夫」として働いていました。日本帝国主義者は、朝鮮の労働者に現代資本主義社会の産業労働者が当然もつべき最低限の知識すら与えず、かれらを無知蒙昧な状態に縛りつけておきました。そればかりでなく、日本帝国主義支配当時の朝鮮の労働者は、形容しがたい惨めな条件のもとで働いていました。かれらの労働時間は普通12〜13時間にもなり、労働賃金は極めて低いものでした。そのために、家族の生計を維持し、子弟を勉強させることはおろか、かれら自身が飢えを免れることさえ困難な状態でした。したがって朝鮮の労働者階級は、文化水準と技術熟練度を高める時間のゆとりと経済的可能性をもたず、一般的に文化的・技術的水準が極めて低かったのです。

 しかし、祖国が解放された後、朝鮮社会の階級的構成には大きな変化が起こり、新しい社会関係がつくりだされました。我が国の労働者階級の地位は根本的に変わり、かれらは国の主人となりました。

 解放後の平和的建設の5か年間に、労働者の物質・文化生活水準とその階級意識も高まりました。特に3年間の戦争の過程で、労働者階級の政治的自覚は非常に高まりました。しかし、現在、工場で働いている労働者のなかには、まだ労働者階級の意識で武装しておらず、規律がなく、非組織的で、国の主人となっているこんにちの自己の階級的立場を正しく認識していない労働者が少なくありません。

 その原因は、次のようなところにあります。

 第1に、祖国解放戦争が起こると多くの労働者が人民軍に加わって前線におもむき、そのあとをうけて農民や戦争によって破産した小市民が新しく工業部門に多く入ってきたため、新旧労働者の比率に著しい変化が生じました。現在、工業部門では新しく入ってきた労働者がその大部分を占めています。例えば、重工業部門の労働者総数のうち、10年以上の労働経歴をもつ労働者は4%にすぎず、半数以上の労働者は1年未満の労働経歴しかもっていません。このような事情は、現在、必然的に労働者のなかにいろいろな立ち後れた思想・意識と生活風習を残す原因となっています。

 第2に、共和国北半部の人民経済で、いまだに小商品生産は極めて大きな比重を占めています。このような事情は、勤労人民、特に労働者の意識に影響を与えざるをえず、労働者の階級的自覚と革命性を高めるうえで支障を与えています。

 第3に、朝鮮人民にはまだ、日本帝国主義支配当時の思想の影響がなくなっておらず、また、こんにちアメリカ帝国主義侵略者はあらゆる手段と方法をつくして、朝鮮人民にたえず反動的思想をまきちらしています。このような事情もまた、労働者の組織性と規律性を強化し、かれらを労働者階級の思想・意識で武装させるうえで支障をきたしています。

 したがって我々には、勤労大衆のいっさいの古い習慣と意識をぬぐいさり、かれらを新しい労働者階級の思想で武装させるべき課題が提起されています。そのために、我々は、労働者階級の中核を育成し、かれらの政治・文化水準と技能・技術を高め、生活条件を改善する対策を立てるべきであります。

 各級の党組織と職業同盟および民青組織は、労働者のなかで政治・思想活動と大衆文化活動を強化し、工場のクラブや図書室の運営を改善し、各種の技術教育および技術伝習を強力におし進め、その生活条件や生活風習を改善するためにたたかわなければなりません。

 労働者階級の意識水準と文化・技術水準を高めることなしには、戦後の人民経済の復興発展で大きな成果をおさめることはできません。


 5 新解放地区での活動について

 新解放地区の活動は、極めて重要であります。

 新解放地区の開城(ケソン)、開豊(ケプン)、板門(バンムン)、南延白(ヨンペク)、甕津(オンジン)地区には、数十万の住民がいます。この地区の人民は、長年にわたって日本帝国主義の支配のもとで苦しみ、8.15解放後にはアメリカ侵略者とかいらい李承晩政権のファッショ・警察支配のもとで抑圧、搾取され、反共的な反動宣伝に少なからずまどわされてきました。戦時中、敵は、退却するときに数多くの人民を強制的に南へひきたてていきました。開城などでは全人口のおよそ60〜70%を駆り立てていったばかりか、南延白、甕津、開豊地区では、青壮年の圧倒的多数が連行されていきました。

 一部の人は、この地区のこうした特殊な事情を考慮せずに、越南者の家族だということだけで、なんらの区別もなく、一律に公民の権利を剥奪し、その財産まで没収しようとしています。

 新解放地区の特殊な事情にてらして、我が党と政府は、この地域にたいして特別な対策を立てなければなりません。

 敵に強制的に連行されていった者と、長期間アメリカ帝国主義者の手先をつとめた者とを厳密に区別して取り扱うべきであります。敵の強制と欺瞞によって越南した者の家族にたいしては、憲法上の公民の権利を保障し、生活を安定させ政治教育を十分におこなって、かれらが安心して生活し、国家活動に参加するよう援助しなければなりません。そうして越南者までも、安心して再び故郷にもどり、その家族と一諸にむつまじく暮らせるようにしなければなりません。

 したがって新解放地区で、第1に、一部の地方の活動家が敵の強制で越南した者の家族から没収した財産を全部無条件返還すべきであり、

 第2に、この地区の地方産業、手工業、鉱山、塩田、農耕地などを早急に復旧、整理して、住民を生産活動に積極的に進出させるなど、人民の生活条件を保障するため必要ないっさいの対策を立てるべきであり、

 第3に、解放地区に多くの学校と文化機関を設けて、学生と人民にたいする政治・思想教育活動を強力に進めるべきであります。新解放地区の人々のなかから、地方の党および国家機関の幹部を大量に養成する対策を立てるべきであります。

 みなさん!

 我が党は、アメリカ帝国主義者の侵略に反対する厳しい祖国解放戦争で、全人民の先頭に立ってかれらを勝利へ奮起させたように、共和国北半部の民主基地を強化する平和的建設でもまた、勝利をかちとることは疑いありません。

 全党員、党および国家機関の活動家ならびに愛国的な人民は、党中央委員会と共和国政府のまわりにいっそうかたく団結し、「すべてを民主基地の強化をめざす戦後人民経済復興発展のために」というスローガンを高くかかげて、力強く進軍しなければなりません。 

 出典:『金日成著作集』8巻


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