金 日 成

祖国解放戦争の展望と総合大学の課題
 ―金日成総合大学の教職員および学生におこなった演説―
1952年4月13日 

 私は、総合大学が亀城郡から順川郡に移ってからすぐ訪ねるつもりでしたが、いろいろな事情できょうに延びました。

 きょうここにきて諸君の健康で元気な姿を見て非常にうれしく思います。

 戦時の困難な環境のなかでもひきつづき大学を運営し、教授・教育活動を正常化しているのは大きな成果であります。私は、総合大学の教職員および学生諸君がこのような山奥で不便な条件を克服しながら、教授・教育活動と学習に熱中していることに対し、非常に満足に思います。

 きょうは諸君に、祖国解放戦争の見通しと総合大学のなすべき課題について述べようと思います。


 1 祖国解放戦争の展望について

 アメリカ帝国主義武力侵略者に抗する祖国解放戦争が開始されてから2年近くになります。この間、人民軍と人民は英雄的に戦って、アメリカ帝国主義者とその手先に甚大な打撃を与え、祖国の自由と独立を立派に守りとおしました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮で戦争を引き起こし、共和国北半部を一気に席巻しようとしました。彼らは、膨大な兵力と航空機、戦車などの近代的な軍事技術機材を朝鮮戦争に大量に投入したばかりでなく、国連の名をかりて15の追随国の軍隊まで引き入れました。

 しかし、アメリカ帝国主義者は、このような膨大な兵力によっても朝鮮人民を屈服させることができず、朝鮮人民の頑強な戦いによって惨敗をこうむり、彼らが最初に戦争を起こした線に踏みとどまらざるを得なくなりました。こうして現在、戦線は敵味方が互いに対峙したまま膠着状態にあります。現在の情勢では、この状態が一定の期間つづきそうです。

 アメリカ帝国主義者は、これまで朝鮮戦争に全力を投入し、なし得るかぎりのことをしました。しかし、彼らに与えられたものは、敗北と死のみでした。彼らは現在維持している線から前進したくても、力不足のためそれができません。

 我々の力は、戦争の過程でいっそう強化されました。何よりも、戦争の過程で政治的力量が比べようもなく強化されました。朝鮮人民と人民軍は、政治的、思想的に鍛えられ、党と政府のまわりに、さらにかたく結集しました。こんにち、朝鮮人民と人民軍の思想的準備状態は、非常に立派です。彼らは、祖国と人民のため最後の血の一滴までささげて戦う確固とした決意に燃えています。

 アメリカ帝国主義者は「軍事技術上の優位」について大いに宣伝していますが、それだけで戦争に勝利することはできません。戦争勝利の決定的な要因は、軍隊と人民の政治的・思想的優位性にあります。政治的、思想的にすぐれた軍隊は、技術的にすぐれた敵に勝利することができます。これは不動の真理であります。祖国解放戦争でのわが方の勝利は、朝鮮人民と人民軍の政治的・思想的優位性により確固と保証されています。

 人民軍は、軍事技術の面でも、戦争の初期に比べて著しく強化されました。人民軍に大きな艦船や航空機などが少ないのは事実です。しかし、軍隊がどのような軍事技術機材で装備するかは、国の経済力だけに関係するのではなく、国の地形条件や武力の使命とも関連があります。我々は他の国を侵略しようとせず、人民軍の武力は防衛を目的としているので、大きな艦船などは多く必要でありません。現在人民軍には、必要な軍事技術機材がほとんどそろっています。航空機がまだ少し足りませんが、それもすぐ解決されるでしょう。人民軍の各軍種、兵種部隊では、軍事技術上弱い部門の補強が進められています。人民軍の武力装備水準と軍事技術水準は、今後さらに高められるでしょう。

 人民軍は、敵に比べ戦略・戦術のうえでもすぐれています。科学的な戦略・戦術をもてば、小さな力でも大敵を十分に撃滅することができます。かつて、抗日遊撃隊が小さな力で数十倍の日本帝国主義侵略者と戦って勝利することができたのは、戦略と戦術のうえで勝っていたからです。人民軍は抗日遊撃隊の遊撃戦法を受け継いでいるばかりでなく、各段階の複雑で困難な戦争過程で多くの新しい戦法をあみ出し、それを立派に適用しています。アメリカ帝国主義者が、いかに長い戦争の経験をもっていても、戦略・戦術の面では人民軍にかないません。

 戦争の過程を通じて、共和国の対外的権威はいちだんと高まり、朝鮮人民に対する国際的連帯は日を追って強まっています。ソ連と中華人民共和国をはじめ、人民民主主義諸国が我々を積極的に援助しており、多くの平和愛好諸国と世界の進歩的人民が朝鮮人民の正義の戦争を支援しています。

 アメリカ帝国主義者は、進退窮まっています。彼らは、現在戦争の終結方法をみつけだすことに腐心しています。アメリカ帝国主義者が窮地から脱する道があるとすれば、次の三つのうちの一つでしょう。それは、現在のような対峙状態のまま戦争をつづけるか、あるいは停戦をするか、それとも戦争を拡大して第3次世界大戦のような大戦争を引き起こすか、そのいずれかです。

 まず、アメリカ帝国主義者が現在のような対峙状態で戦争をつづけられるかという問題を検討してみましょう。

 アメリカ帝国主義は、現在の対峙状態を維持したまま、戦争をつづけられる状態にありません。現在のように戦線が膠着し、双方が対峙している状態で戦争をつづけるのは、敵にとって極めて不利であります。戦争をつづけるには、膨大な兵力と軍需品を適時に補充しなければなりません。我々は前線と後方が近いため兵力と軍需品を適時に補充できますが、アメリカ帝国主義は前線から遠く離れている本国や日本から輸送しなければならないので、前線への迅速な補充は非常に困難です。それにいま、敵兵士の士気は日増しに衰えており、アメリカ帝国主義とその追随諸国間の矛盾は激化しています。アメリカ帝国主義の追随諸国は、朝鮮戦争への軍隊の派遣を渋っています。アメリカ帝国主義は、同盟国から排斥され始めました。

 このような状況のもとでアメリカ帝国主義は戦争をつづけることはできず、だからといって戦争を速やかに終わらせるため全面的な攻撃をおこなうこともできません。戦争でいずれかの一方が相手方を攻撃するには、少なくても3倍の兵力が必要です。

 ところが現在、アメリカ帝国主義はわが方に比べ3倍の兵力をもっていません。したがって、敵が攻撃を企図し得ないことは明らかであります。

 次に、アメリカ帝国主義者が第3次世界大戦のような大きな戦争を起こすことができるかという問題です。一言でいって、それもとうてい不可能です。アメリカ帝国主義は、今度の戦争の過程で第2次世界大戦の時よりも大きな損失をこうむりました。

 兵力の損失だけでも数十万に達しています。彼らは、いま第3次世界大戦を引き起こせるほどの準備ができていません。アメリカ帝国主義者自身も言っているとおり、小さな朝鮮との戦争で大きな敗北を喫したのに、もし、いま大戦争を起こし戦線を拡大するなら、自滅をまねくのみであります。したがって、アメリカ帝国主義者がいかに戦争狂であるとしても、現在の状態では第3次世界大戦を起こすことはできないでしょう。

 戦争をつづけることも、世界大戦を起こすこともできない現状のもとで、アメリカ帝国主義者に残された出路は停戦のほかはありません。にもかかわらず、アメリカ帝国主義者は、なぜ停戦会談を遅らせているのでしょうか。

 それは何よりも、みずからの敗北を認める停戦協定を結べばアメリカの威信が傷つくからであります。アメリカ帝国主義は、100余年の侵略戦争史上かつて一度も敗れたことがないと豪語してきました。このようなアメリカ帝国主義としては、小さな朝鮮との戦争で惨敗をこうむったことが、大きな恥とならざるを得ません。したがって彼らは、地に落ちた威信を停戦会談を通じて挽回しようと、「名誉ある停戦」を求めています。いわば、アメリカ帝国主義は「勝利者」となることを前提にして停戦しようというのであります。しかし、我々はそれを絶対に容認することはできません。アメリカ帝国主義者が、わが方の提案を無視して「勝利者」となる停戦を望むため、会談が長引くほかありません。

 アメリカ帝国主義者が停戦会談を長引かせているのはまた、停戦が実現すれば共和国の威力が急速に強化され、国際的勢力関係が彼らに不利に変わることを知っているからです。停戦が実現すれば人民から支持されている共和国が李承晩かいらい一味より早く発展し、強くなることは明らかです。そのためアメリカ帝国主義は、停戦をして共和国に強大になる時間を与える問題について考えざるを得ないのであります。

 アメリカ帝国主義者はまた、アメリカ独占資本により多くの利潤を与えるため、停戦会談を長引かせています。アメリカ独占資本は、朝鮮で停戦が実現すれば、すでに生産した兵器の販路に窮することを予想しています。したがって、彼らは朝鮮での停戦の実現を好ましく思っていません。

 アメリカ帝国主義者は、このような理由から停戦会談を長引かせており、その間に軍備を大々に拡張し、アメリカと追随諸国間の矛盾を緩和し、窮地からぬけ出そうと必死になっているのです。しかし、彼らがいかにあがこうとも、朝鮮戦争での惨敗を決して挽回することはできず、「名誉ある停戦」もなし得ないでしょう。

 それでは、停戦会談に対するわが方の立場はどのようなものでしょうか。わが方の立場は明白であります。敵が停戦会談を引き延ばせばわが方も引延ばし、敵が戦えばわが方も戦うというのが、わが方の一貫した立場であります。

 もちろん、わが方は停戦に反対しません。わが方が停戦に反対しないのは、停戦そのものがわが方の勝利を意味し、また停戦すれば、その期間を利用して最後の勝利を達成するための準備を十分に整えることができるからであります。

 しかし、わが方は、国家と民族の利益に少しでも損害を与える停戦はおこなわないでしょう。ただ公明正大で合理的な停戦のみをおこなうことができます。不合理な停戦条件は決して受け入れないでしょう。

 敵がわが方の正当な提案を受け入れずに戦争をつづけるとしても、少しも恐れることはありません。アメリカ帝国主義者が戦争をつづければ、わが方は最後まで戦い、より大きな惨敗を敵に与えるでしょう。

 これから先、停戦会談の進捗のためには、次のような3つの問題が解決されなければなりません。それは第1に、中立国監視委員会の構成問題であり、第2は、飛行場建設の問題であり、第3は、戦争捕虜の送還問題であります。

 中立国監視委員会の構成問題と関連して、そのメンバーとしてわが方はソ連、チェコスロバキア、ポーランドを提案し、アメリカ側はスイス、スウェーデン、ノルウェーを提案しました。

 アメリカ側は、ソ連が中立国監視委員会のメンバーとなることに反対しています。停戦会談を促進させるうえで、中立国監視委員会の構成問題は別に大した問題ではありません。双方が提案した国のうちそれぞれ2カ国ずつ選んで中立国監視委員会を構成すれば、この問題は解決されるでしょう。

 飛行場建設の問題は、アメリカ側がわが方の飛行場建設に反対しているため提起されるのです。わが方が飛行場を建設するのは、共和国政府の自主権に属する問題であり、朝鮮人民の民族的権利であります。したがって、アメリカ帝国主義者が飛行場の建設に反対するのは、わが国の内政に対する理不尽な干渉であります。我々は決して敵のこのような傲慢無礼な干渉を容認しないでしょう。

 戦争捕虜の送還問題は、最近双方が捕虜名簿を交わすまでに進捗しました。しかし、この問題はいま暗礁に乗りあげています。

 戦争が終わってから、交戦双方が捕虜をすべて送り返すのは国際法上の原則であり、国際的に公認された一つの道徳であります。それにもかかわらず、アメリカ帝国主義は不当にも「自由意思による送還」なるものを提案しています。敵の主張する「自由意思による送還」というのは本質において、わが方の捕虜を送り返さず、強制的に抑留するばかりでなく、李承晩、蔣介石かいらい一味に引き渡す犯罪的企図を合理化するための欺瞞策にすぎません。

 わが方は、アメリカ側の提案した「自由意思による送還」に同意することはできません。我々は、双方の捕虜全員を交換することを主張しています。我々は、共和国の懐に戻ることを待ち望んでいるわが方の人員を一人残らず連れ戻すため全力を尽くすでしょう。我々は、わが方の人員を全部連れ戻せなければ停戦しないでしょう。

 アメリカ帝国主義者は現在停戦会談を引き延ばしていますが、停戦実現の可能性がないわけではありません。現在の状況下でアメリカ帝国主義の選ぶべき道は停戦のほかにありません。アメリカ帝国主義者は、朝鮮人民の前に必ず膝を屈し、遠からず停戦は実現するでしょう。

 これから先、停戦が実現されるとしても、それは完全な平和を意味するものではありません。朝鮮からアメリカ帝国主義を駆逐し、祖国を統一するまでは、戦争の危険が完全に解消することはないでしょう。特に、朝鮮はアジア大陸に通じる重要な位置にあるため、常に帝国主義者の侵略の対象となっています。したがって、停戦になっても戦争の危険は依然として残ることを銘記し、常にそれに備えていなければなりません。


 2 戦後復興建設の研究を進めることについて

 アメリカ帝国主義侵略者に反対する偉大な祖国解放戦争は、朝鮮人民の勝利をもって終わることは疑いありません。勝利の確信をもって戦後復興建設の準備を早急に進めるべきであります。

 戦争のため都市と農村は廃墟と化し、工業、農業など人民経済のすべての部門が甚だしく破壊されました。破壊された人民経済を速やかに復興建設しなければ、国の経済土台を強化することも、零落した人民生活を安定、向上させることもできません。

 戦後復興建設の準備を予め綿密におこない、戦争が終われば破壊された人民経済を急速に復興建設すべきであります。

 停戦が実現しても、戦争の危険が存在しており、戦争が再発すればまた破壊されるのに、人民経済を復興建設する必要があるだろうかと考える人がいるかも知れません。もちろん、停戦は完全な平和ではありません。それゆえ、朝鮮で戦争が再発するかも知れず、そうなれば苦労して建設したものがまた破壊される恐れがあります。しかし、戦争による破壊を恐れて復興建設をせずにだまっているわけにはいきません。戦争が再び起きてすべてのものが破壊されることがあっても、停戦期間を最大限に利用し人民経済の各部門を復興建設すべきであります。

 戦争が起こればすべてが破壊されるとして人民経済を復興建設しなければ、国の経済力を強めることはできず、ひいては民主基地を強化することも、祖国統一の大業を早めることもできません。したがって、停戦が実現すれば、直ちに人民経済の復興建設に着手すべきであります。

 戦後の復興建設は、自力でおこなわなければなりません。我々は、常に自力更生することを主張します。自力更生は、抗日武装闘争期から堅持している一貫した原則であります。自力で自国の問題を解決しようとする考えがなければ、革命をおこなうことも、経済を建設することも、また何ごとをなすこともできません。

 戦後の復興建設で外国の援助に頼ろうとしてはなりません。

 もちろん戦後、破壊された経済の復興のために外国の援助を受けることもできます。しかし、自力で戦後の復興建設をおこなおうとせず、他人に頼ろうとばかりすれば援助も満足に受けられません。医師が死人に注射をうたないのと同じく、我々が自力で暮らしていけなければ、外国が援助しようとしないでしょう。したがって、自力更生の精神を発揮し、自力で戦後の復興建設を進めなければなりません。

 自力更生の原則で破壊された人民経済を速やかに復興建設するためには、国内の労働力と技術、資源を最大限に動員し利用すべきです。すべてが廃墟と化した状態で人民経済を復興建設することは容易ではなく、それには多くの障害と難関が伴います。しかし、いかなる難関と障害も自力で克服し、人民の創造力と知恵を引き出して国の天然資源を開発利用し破壊された経済を早急に復興発展させなければなりません。

 自力更生の原則で破壊された人民経済を復興建設するためには、全人民が節約闘争を強化し、勤勉に働き質素に生活すべきです。全人民が困苦欠乏に耐え、悪戦苦闘し、1枚のレンガ、1グラムのセメントでも節約すべきです。今後戦争が終わっても戦時と同様、全人民が安逸と怠惰、あらゆる浪費をなくし、常に質素で緊張した生活をすべきであります。

 こんにち、総合大学の教職員と学生の重要課題の一つは、停戦後の破壊された人民経済の復興建設に必要な研究活動を立派におこなうことであります。

 総合大学の教職員と学生は、戦争の過程であらわれた人民経済の長所と短所を正確に分析し整理しておかなければなりません。

 戦後、国の経済を復興建設するためには、祖国解放戦争期の経験と教訓を十分に生かすべきであります。過去に日本帝国主義が、朝鮮の資源を略奪する目的で、工場、企業所を主に海岸地帯に配置したため、戦時により多くの被害をこうむりました。

 今後、破壊された人民経済を復興建設するときは、戦時の経験と教訓を生かし、工業の配置など人民経済に内在する短所を必ず克服すべきです。そのためには、いまから祖国解放戦争の時期にあらわれた長所と短所を正しく分析し、戦後の人民経済復興建設展望計画を正確に立てるべきです。総合大学の教職員と学生は、戦後復興建設のための創造的な意見を多く出すべきであります。

 総合大学では、国の天然資源を調査し、それを合理的に利用する研究活動をおこなうべきです。

 周知のように、わが国は面積はさほど大きくありませんが、地下資源、水力資源、山林資源、水産資源が非常に豊富な国です。国の天然資源を効果的に開発利用するためには、その資料をもっていなければなりません。ところが、いま国の天然資源に関する十分な資料がありません。家の主人が家計を上手に切り盛りしようとすれば、自分の家にどういう品物があり、どれだけの財産があるかをよく知っていなければならないのと同じように、国の経済を正しく運営しようとすれば、国のどこにどんな資源がどれだけあるかを詳しく知っていなければなりません。そうすれば、戦後の復興建設展望計画を正確に立て、それを確信をもって遂行し、国の経済を計画的に運営していくことができます。

 地下資源を正しく開発するためには、まず探鉱活動を広範におこなうべきです。そして、すでに調査を通じて埋蔵量の確定した地下資源は早急に採掘する対策を講じるべきであります。

 金などは早く採掘すればするほど有利です。金は、資本主義が没落する前に多く採掘して売り、わが国に必要な機械設備を買い入れるべきです。自力で生産して国内の需要を満たし得るものは別として、国内に不足しているか、ないものは外国から買い入れなければならず、そのためには外貨が必要です。

 したがって、探鉱活動を強化して地下資源の埋蔵量を正確に確定し、まだ探し出せないでいる地下資源を探し出し早く採掘する対策を立てるべきです。

 次に、国の工業化と電化を実現するための研究を深めるべきです。

 今後我々のめざす方向は、社会主義であります。社会主義を建設するためには、国の工業化と電化を実現しなければなりません。

 もちろん、植民地または半植民地であった立ち後れた国で工業化を実現するのは決して容易なことではありません。まして、戦争ですべてが破壊されたわが国で工業化を実現するのは、極めて困難なことです。

 しかし、我々には、戦争で鍛えられた党と人民があり、豊富な天然資源があります。そして、かつてソ連が資本主義の包囲のなかで単独で社会主義を建設したときとは異なり、我々は有利な情勢のもとで社会主義を建設することになります。

 したがって、万全の準備を整え、人民大衆を積極的に奮起させれば、国の工業化は十分に実現することができます。

 国の工業化を実現するためには、重工業を発展させ、なかでもまず機械工業を発展させるべきです。

 わが国の機械工業発展の方向は、部品の生産から始めてしだいに近代的機械の生産に移ることです。まず、機械の部品を生産し機械を修理する機械修理工場をつくり、それをしだいに高い段階に引き上げなければなりません。

 わが国は、日本帝国主義から立ち後れた植民地工業を引き継ぎ、それさえ戦争で破壊し尽くされました。このような状況のもとで一挙に近代的な機械工場を大々的に建設することは困難であります。最初は、国の経済土台と勤労者の技術水準に即して目標を低めに定め、漸次高い目標に向けて進んでいけば、近代的な機械工業を創設することができます。だからといって、機械工業を神秘視する必要はありません。将来すべての機械を自力でつくらなければなりません。自動車なども自力で生産すべきです。自動車のようなものを自力で生産できなければ、発達した国とは言えません。自動車をつくるのはさほど難しいことではありません。少々努力すれば、現在のわが国の技術水準でも自動車の生産は可能です。いまわが国の技術者と労働者が生産している鋼材や兵器などは品質がすぐれています。自動車の生産設備を十分に整えれば、わが国の技術と鋼材で自動車をいくらでも生産することができます。

 重工業とともに、軽工業も発展させるべきです。

 わが国で軽工業を発展させるためには、繊維原料の問題を解決しなければなりません。耕地面積の限られているわが国で綿花を栽培して繊維原料の問題を解決するのは不適当であります。

 綿花は、わが国の気候、風土では、栽培もうまくいきません。したがって、綿花の栽培は広く奨励せず、その代わり国内に豊富な地下資源を採掘し、それを外国の綿花と交換する方が得策です。

 わが国には山が多いので、蚕業を発展させるべきです。総合大学では養蚕に対する研究をおこなうべきであります。

 繊維原料問題を解決するためには、自然繊維にばかり頼らず、化学工業を発展させ合成繊維を生産すべきです。

 電気は、現代工業の基本的動力であります。電気がなくてはいかに多くの工場を建設しても、それを動かすことはできません。

 わが国には水力資源が豊富なので、電化の問題は比較的容易に解決できる条件が備わっています。河川と貯水池に大小の水力発電所を多く建設すべきです。

 総合大学では、水力発電所を建設できる河川を調査し、その利用価値を正確に検討すべきです。そして、すでに発電所が建設されている河川にも発電所増設の可能性を検討すべきです。

 国の電化を実現するためには、発電所を建設するとともに、変圧器、モーターなどの電気機材も多く生産すべきです。

 科学者、技術者および大学教員は、このような方向で国の電化問題を研究すべきです。

 次に、戦後の復興建設で重要なことは輸送問題の解決であります。

 まず、鉄道運輸問題を解決しなければなりません。

 その効果的な解決方法は、鉄道を電化することです。鉄道運輸部門では燃料問題が重要な隘路となっていますが、この問題は、鉄道電化によって解決することができます。鉄道電化は、急勾配の区間から始めて漸次全国の鉄道を電化する方向でおこなうべきであります。

 鉄道網を増やし、合理的に配置しなければなりません。現在わが国の鉄道の欠陥は、東西を連結する線が少ないことです。

 このような欠陥を克服すべきであります。

 山間部に鉄道を敷設する問題を研究すべきです。山間部に鉄道を敷設すれば、戦時に爆撃を受ける危険も少なく艦砲射撃も免れることができます。山間部に鉄道を敷設することは、経済的な面からも、国防上の見地からも極めて重要です。まず、北部の山間部に江界──咸興線を敷設する案を立てて見るのがよいと思います。

 鉄道運輸とともに、河川運輸を発展させるべきです。

 わが国には河川が少なくありませんが、それを輸送路として利用する研究をおこなうべきです。現在前線と後方を問わず隘路となっているのは輸送問題であります。内陸地方の重要道路が戦時輸送で大きな役割を果たしていますが、敵の空襲のため輸送上少なからぬ支障を受けています。もしこういう場合、河川を利用して輸送をおこなえば、敵の爆撃を受けても航路が途絶する恐れがないため、戦時輸送には非常に有利です。河川運輸は、陸上運輸より運賃もはるかに安価です。したがって、河川運輸を発展させるのは経済的にも、軍事的にも必要不可欠なことであります。

 黄海道のように前線に近い地方で河川運輸を発展させることは、特に重要です。一時平壌市では、市民に供給する食糧を近距離にある載寧から運搬してくることができなくて、供給がとどこおりがちでした。平壌市人民委員長は、食糧運搬用の自動車を請求してきました。それで、食糧を自動車で運搬すれば爆撃を受ける恐れもあり、積載量も限られているので大同江を利用し船で運ぶように指示しました。そうしたところ、いまこの問題は順調に解決されています。

 河川運輸を発展させるためには、運輸に利用できる河川を調査し、水路を開く対策を立てるべきです。総合大学では、河川調査を積極的におこなうべきであります。

 河川運輸を発展させるためには、運河建設の問題を研究すべきです。運河を建設すれば大同江を礼成江や清川江と連結させることができるでしょう。大同江と礼成江上流を運河によって連結させれば、この一帯の運輸問題は円滑に解決されるでしょう。

 私はわが国の地図を見るたびに、大同江上流と龍興江上流間、または臨津江上流とトクチ江上流間に運河を建設して、東海と西海を連結できないものかと考えます。ここに運河を建設し東海と西海を結んで船が自由に航行できるようにすれば、政治的、経済的、軍事的に非常に大きな意義をもつようになるでしょう。

 もちろん、運河を建設しようとすれば多くのトンネルをつくり、土も多く掘らなければならないので、決して容易なことではありません。しかし、戦時に坑道工事の経験を積んでいるので、これは大きな問題とはならないでしょう。

 将来北半部だけでなく、南半部にも運河を建設して、東海と西海を結ぶ運河をいくつか建設しなければなりません。総合大学の教職員と学生は、東海と西海を結ぶ運河建設問題を深く研究し、合理的な運河建設展望図を作成すべきであります。

 河川運輸を発展させるためには、各種船舶を多く建造すべきです。特に、水深の浅い河川を航行できる平底船を多く建造すべきであります。

 自動車運輸も発展させるべきです。破壊された道路を復旧整備するとともに、自動車を自力で生産する対策を講じるべきであります。

 次に、農業部門で新しい土地を多く開拓し、現在の土地を合理的に利用することが大切です。

 わが国は、耕地が限られているうえに人口増加率は高い方です。したがって、現在の土地を合理的に利用する一方、新しい土地を開拓する運動をおこなって耕地をひきつづき拡張すべきであります。

 わが国には、西海岸と南海岸の干潟と咸鏡南道と咸鏡北道の高原地帯、そして傾斜地と河川敷など開拓できる土地がたくさんあります。干潟だけでも70余万ヘクタールに及び、そのうちで北半部にあるものが30余万ヘクタールにも達します。これを干拓し、耕地や塩田として利用すれば、人民経済の発展と人民生活の向上に大きく寄与するでしょう。海面干拓事業は、祖国の万年大計であり、国の経済発展上大きな意義のある大自然改造事業であります。

 停戦になれば、直ちに西海岸の海面干拓事業に着手すべきであります。そのためには、いまから耕地として干拓できる干潟と面積を具体的に調査すべきです。干潟の調査には、この分野の専門知識を有する大学の教員と学生が多数参加すべきであります。

 新しい土地開拓のために力を注ぐとともに、現在の耕地を改良し合理的に利用することにも大きな関心を払うべきです。畑はなるべく田につくり変え、収量を高めるべきです。そして、急傾斜の畑や火田などは果樹園や桑畑として利用すべきであります。

 畜産業を発展させるべきであります。人民の食肉需要はまだ満たされていません。今後、飼料源の豊富な長津、赴戦、茂山、穏城、慶源一帯に大規模の国営牧場を建設し、精米所の近いところに中小国営牧場を建設すべきです。これとともに、個人畜産を積極的に奨励し、すべての農家で家畜を1、2頭ずつ飼育するようにし、国営農牧場では個人に優良種の家畜を分け与えるべきです。

 水産業も発展させるべきであります。わが国は3面が海に面しているため、水産業の発展にとって極めて有利な条件が備わっています。

 水産業を発展させるためには、海洋漁業とともに淡水養魚を極力奨励しなければなりません。わが国には山が多く、水が豊富なので、谷間をせき止めて貯水池をつくれば、いたる所で養魚ができます。貯水池を多くつくれば、養魚ができるばかりでなく、その水を利用して潅漑や発電もできます。

 山を合理的に利用するための研究に力を傾けるべきです。わが国は、山が国土面積の約80%をしめています。したがって、わが国で山を合理的に利用することは非常に重要であります。

 まず植樹造林事業を大々的におこない、山に木を繁殖させるべきです。過去、日本帝国主義者が山林を乱伐したのに加えて、戦争でそれがいっそう荒廃しました。したがって、停戦になれば植樹造林事業を全人民的運動としておこなうべきです。軍人と人民が1年に10日位ずつ動員されれば、数年内に多くの木を植えることができるでしょう。特に、植樹造林事業には青年学生が積極的に参加すべきであります。

 木を植えるときはなんでも植えずに、わが国の気候、風土に適し、経済的に有用な木を植えるべきです。一部の人は、わが国に多く繁っている松が風致を美しくするのに役立つと言っていますが、経済的な面からすればさほど有益ではありません。

 松の代わりに、育ちが早く有用な木を多く植えて林相を改造すべきです。

 有益な動植物を保護増殖し、有効に利用する研究もおこなうべきであります。


 3 わが国の歴史資料と文化遺産を発掘、整理することについて

 わが国の歴史と文化を研究し宣伝することは、人民を愛国主義思想で教育するうえで非常に重要です。

 わが党と人民に課された第1の革命任務は、朝鮮革命を立派におこなうことであります。そのためには、わが国の歴史と文化について知っていなければなりません。わが国の歴史と文化を知らなければ、マルクス・レーニン主義の普遍的真理をわが国の歴史的条件と民族的特性に即して適用することも、愛国主義思想を身につけることもできません。したがって、わが国の歴史資料と民族文化財を発掘、整理して、それをもって学生にも教え、人民も教育すべきであります。

 朝鮮人民の歴史と文化を正しく研究し整理する事業は、こんにち朝鮮の科学と文化を発展させるうえでも大きな意義があります。

 わが国の歴史と文化財を研究しなければ、科学と文化を発展させることは決してできません。新しい科学と文化は、無から創造されるものではありません。それは、必ず過去のすぐれた伝統と成果を継承発展させる過程を通じて発展するものです。また、自国の貴い科学・文化遺産を正しく継承発展させる基礎のうえでのみ、外国の先進的な科学と文化を正しく取り入れることができるのであります。

 ところがいま一部の活動家は、わが国の歴史資料と文化財を発掘、整理し継承、発展させようとするのではなく、それを軽視しています。一部の人にいたっては、説話や歌などもわが国のものはすべて見るべきものがなく、外国のものはすぐれているといっています。これは、民族虚無主義の傾向であり、このような傾向は朝鮮革命に非常に有害であります。

 朝鮮の歴史と文化財には世界に誇るべきものが多いのに、これまでそれを多く発掘し整理しませんでした。そのため、現在軍人と人民に対する愛国主義精神の教育に適した歴史的資料がいくらもありません。朝鮮の歴史と文化財を紹介、宣伝する本が多くないため、人々は外国の歴史と文化を紹介、宣伝した本を無批判的に読んでいます。そうした過程で人々の頭には、自分も知らぬ間に外国を崇拝する思想が芽生えるようになり、他人のものばかり見上げて、それをうのみにする教条主義まで生ずるようになりました。教条主義と民族虚無主義は、双子の間柄にあり、民族虚無主義に陥れば教条主義が生まれるものです。

 民族虚無主義と同様、教条主義も極めて有害な思想です。

 わが国で教条主義は、特に戦争の過程で著しくあらわれ、それは軍事活動に多くの弊害をもたらしました。

 周知のとおり、わが国は山が多く渓谷の多い国です。ところが一部の人民軍指揮官は、平野部に適した外国の軍事教範をそのまま適用して直射砲を多く導入しました。その結果、砲火力を十分に利用することも、砲兵と歩兵間の協同行動を正しく保つこともできませんでした。

 教条主義は、人民軍の軍人に対する思想教育活動にもあらわれました。思想教育は、あくまでも、わが国の具体的実状と人民の感情に即した資料をもっておこなわなければなりません。ところが、教条主義者はわが国の英雄の闘争記録をもとにして軍人と人民を教育するかわりに、外国の英雄の闘争資料を使って教育したのです。

 我々は、このことから深刻な教訓をくみ取るべきです。思想活動と軍事活動分野で教条主義的傾向があらわれるようになった原因は、そのような正しくない思想と傾向を伝播させ助長させる分子がいたことにもありますが、学者たちが朝鮮の歴史資料と文化財を発掘して、人民を愛国主義思想で教育する立派な資料を多く提供できなかったことにも関係があります。いまからでも朝鮮の歴史と文化の研究を積極的におこない、軍人と人民を自国の資料で教育すべきであります。

 朝鮮の歴史と文化を深く研究し広く紹介する活動は、朝鮮の歴史と地理、文学など朝鮮関係の学問を研究する専門家の多い総合大学でおこなうべきであります。

 では、当面の課題はなんでしょうか。

 まず、朝鮮人民のあいだに広く知られている歴史的事実をよく整理し正しく評価して、軍人と人民を教育する資料として利用できるようにすべきであります。

 朝鮮の歴史と文化財のなかには、軍人と人民の愛国主義思想教育に適した資料が少なくありません。過去に外来侵略者と勇敢に戦った朝鮮人民の闘争物語も多く、乙支文徳や李舜臣などの愛国的名将の伝記もあります。またわが国には、人民のあいだに広く伝えられている『春香伝』『沈清伝』などの古い文学作品も少なくありません。

 過去のものであっても、人民に親しまれている歴史資料や作品を正しく分析しわかりやすい言葉で整理すれば、人民と軍人の愛国主義思想の教育に利用することができるでしょう。

 総合大学の教員、学者は、朝鮮の歴史と地理、軍事など祖先の科学・文化の遺産を深く研究し、その体系化に力を注ぐべきであります。

 朝鮮の民族古典の翻訳もおこない、朝鮮人民の闘争史と関連した小冊子も多く著わすべきです。

 当面、兵書を翻訳し、過去の愛国的名将の兵法に関する小冊子を出すのがよいと思います。朝鮮には『東国兵鑑』という有名な兵書がありますが、それを翻訳すべきです。他の兵書関係の古典も系統的に翻訳出版する計画を立てるべきです。昔我々の祖先が使った兵器を研究し、その資料をまとめるのも悪くないと思います。


 4 すぐれた民族幹部を多く養成することについて

 総合大学の最も重要な任務は、すぐれた民族幹部を多く養成することであります。

 民族幹部をもつのは、国の隆盛発展と自主独立国家建設の不可欠の要件であります。政治的、思想的に鍛えられ、高度の科学・技術を身につけた有能な民族幹部なしには、国家建設における複雑で困難な問題を成功裏に解決することはできません。

 わが共和国の発展史は、長くありません。したがって、まだ必要な民族幹部が十分にそろっていません。

 総合大学では、今後停戦になっても、戦争がつづいても、民族幹部養成事業に大いに力を注ぎ、民族幹部を多く養成すべきであります。

 党と共和国政府は、常に民族幹部養成事業に大きな関心を払っています。党と政府では、戦争の最も困難な時期にも大学教育を中断せずにつづけさせ、前線に赴いた大学生まで呼び戻して勉強をさせています。

 総合大学の教職員は、いま国家が民族幹部をどれほど緊切に求めているかを明確に認識すべきです。今後、人民経済を復興建設するときには、さらに多くの民族幹部が必要となるでしょう。

 したがって、総合大学の教職員は、学生をすべてすぐれた民族幹部に育成するため極力努力すべきであります。

 学生をすぐれた民族幹部に育成するためには、彼らにわが党の路線と政策をしっかりと身につけさせなければなりません。

 科学・技術知識を多く所有していても、わが党の路線と政策で武装していない人は、祖国と人民に忠実でありえません。大学では、学生をわが党の路線と政策で武装させることに第一義的な関心を払うべきであります。

 また、学生に豊富な科学・技術知識を身につけさせるべきです。豊富な科学・技術知識がなければ、国家建設で提起される科学・技術上の問題を円滑に解決することも、工業と農業をはじめ、人民経済各部門を高度の科学的・技術的基盤のうえに発展させることもできません。

 大学では、自然科学科目の授業を実践と密接に結びつけて充実させ、学生に科学・技術図書を多く読ませるべきです。

 学生に参考書を十分に与えなければなりません。参考書が不足しているとのことですが、それでは学生が講義ノートにだけ頼るようになります。学生が広く深い知識をもつためには、講義ノートにだけ頼らずに、各種の参考書を多く読むべきです。

 参考書の不足を解決するため、大学に図書館を設けるのがよいと思います。大学図書館を開設すれば、少ない図書をもっても多くの学生に利用させることができます。教育省と大学では、教員と学者に多くの参考書を書かせるとともに、一部の必要な図書は外国から購入する対策も講じるべきであります。

 学生にノートを供給しなければなりません。戦時の状況下でノートを作って与えることが難しければ、筆記用紙でも与えるべきです。紙は不足していますが、他に使う紙を減らすことがあっても、大学生には十分に供給すべきであります。

 学生の生活条件もよく整えるべきです。学生は戦争をしている国の困難な事情を理解し、生活上不便な点があっても耐え忍んでいますが、もちろん、それはよいことであります。しかし、できるかぎり学生の生活条件をよく整えるべきです。

 学生の制服をつくるべきです。前線から戻った学生はまだ軍服を脱いでいませんが、国家的に大学生に制服と帽子を支給し、靴、下着、石けんなども供給しなければなりません。

 特に、戦傷栄誉軍人と女学生の生活に配慮を示すべきです。

 戦傷栄誉軍人は、祖国のため血を流して戦ったわが党の大切な宝であります。大学では、彼らに生活上の不便を感じさせないよう、誠心誠意心を配るべきです。女学生の部屋の湿気防止対策を立て、綿入れの敷布団と掛布団を与えるべきであります。

 学生の食生活を改善しなければなりません。国家からは、大学に大豆と食用油を供給すべきです。大豆と食用油があれば、いろいろとおいしい食べ物を作って食べることができます。大学では、副業をさかんにおこなって学生の食生活を改善しなければなりません。

 学生は、自力で生活条件の改善をはかり生活を衛生的に営むべきです。学生は、自分の努力で解決できるものは自分で解決する原則で、生活を積極的、能動的に営むべきであります。

 学生のあいだで革命的な学習気風を確立すべきです。

 革命的な学習気風を確立するうえで重要なのは、すべての学生が自力で勉強しようとするかたい決心をもつことです。勉強をし、科学を探究するうえで、教員の指導と学友の援助が大切であることは言うまでもありません。しかし、自力で勉強しようとする決心がより重要です。重い荷を背負った人が自力で立ち上がろうとするとき、他人の助けを受ければたやすく起きられますが、自分では力を入れず他人の助けのみによって立ち上がろうとするなら、最後まで立ち上がれないでしょう。これと同じく学習も学友の援助は必要ですが、あくまで自力で勉強しようとするかたい決心をもって粘り強く努力してこそ、成果をえることができます。一言でいって、他のすべての仕事と同じように、学習でも自力更生の精神を大いに発揮すべきであります。

 革命的な学習気風を確立するうえでまた重要なのは、学生が戦闘的気概をもつことです。総合大学の学生は、ほとんどが前線から呼び戻された人たちです。諸君は、いま銃の代わりにペンを握って学習戦線に立っています。前線では多くの敵を撃滅するのが諸君の基本的任務でしたが、いまは学習に励むのが諸君の基本的任務です。すべての学生は、「学習も戦闘だ!」というスローガンを高くかかげ、前線で戦った気迫で学習にうちこむべきであります。

 大学では、教育と生産労働を正しく結びつけるべきです。

 いま大学生は勉強もし生産労働もおこなっているそうですが、それは非常によいことです。生産労働に参加すれば身体の鍛練になるばかりでなく、学んだ知識をかためることができます。

 学生は、本しか知らない「本食い虫」になってはなりません。大学では、教育と生産労働を正しく結びつけていかなければなりません。

 私は、総合大学の教職員と学生が戦時の困難な条件を克服し、大学に課された栄えある任務を立派に遂行して、わが党と共和国政府の期待に必ずこたえるものと確信します。
                                                 
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』7巻

 
<注釈>

 -乙支文徳 7世紀初葉の高句麗時代、隋の侵略から国を守って偉功を立てた愛国の名将。612年、隋の300万大軍が水陸から高句麗に攻め入った時、防御軍の総帥となった乙支文徳将軍は、誘引戦術と清野守城戦術を使って敵に壊滅的な打撃を与えた。ことに国内深く侵入した敵の主力30余万を薩水(中国東北地方大洋河の支流である蘇子河)で全滅させる大勝利をおさめた。この戦闘で敵兵30余万のうち、生きのこって逃げ帰った者はわずか2700余名にすぎなかった。

 -李舜臣(1545~1598) 壬辰祖国戦争の時、海上で日本侵略軍を撃退した朝鮮の愛国名将。
 1591年、全羅左道水軍節度使に任命された李舜臣将軍は、水軍を補充整備し軍糧を整え、世界最初の鉄甲船である亀甲船を考案、建造するなど国防の強化に全力を尽くした。1592年4月にはじまる日本侵略軍の朝鮮侵入以来7年間、数多くの海戦で誘引、奇襲、包囲などすぐれた知略と戦術によって敵の水軍をことごとく撃破した。1598年には、総退却する日本侵略軍の最後の主力部隊が分乗した500余隻の艦船を露梁沖で包囲、攻撃して敵船200余隻を撃破し2万余の敵兵を殺傷した。この勝利は、壬辰祖国戦争の終末を飾る輝かしい勝利であった。李舜臣将軍は、この戦闘で戦死した。

 -「春香伝」 18世紀ごろの口承説話にもとづく小説。全羅道南原府使である両班の息子李夢龍は、ある春の日に広寒桜に遊び、美しい妓生の娘春香と結ばれる。
 その後、父が栄転して漢陽へ赴くことになるが、身分の違いがあだで二人は引き離される。新しく赴任してきた府使の卞学道は食欲あくことを知らない放蕩官僚であり、着任早々から春香に妾になることを強要した。春香は命をかけて拒む。獄につながれ死を待つ春香は、暗行御使となって戻ってきた李夢龍によって救われる。
 このように「春香伝」は、封建的束縛に反対する男女の愛を通じて、李朝封建社会の不平等な身分制度を批判し、官僚の専横を暴露した作品として中世小説の代表作となっている。

 -「沈清伝」 口承説話にもとづく小説。18世紀から広く人民に愛読された。300石の米を仏に供養すれば盲の父の眼をなおせるという僧侶の虚言を信じた沈清は、供養米の代金をつくるために人買いに身を売り、難破船を救う人身御供として海に身を投じた。彼女の孝心を通して、貧困と不幸のなかでも清らかに生きてきた人民の道徳品性や人情の世界、そして、封建時代の人民の悲惨な生活を示している。

 -「東国兵鑑」 朝鮮の古代および中世の戦史を簡単に記した兵書。2巻からなり、1450年に出版された。

 

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