金 日 成

現情勢と当面の任務
 朝鮮労働党中央委員会第3回総会でおこなった報告
 −1950年12月21日−


 親愛な同志のみなさん!

 党中央委員会連合総会が、南北朝鮮の労働党の合同を決定してからすでに1年以上になります。1年前、党の勢力を強化し、当時の複雑な環境に対処して統一的中央の指導のもとに全党の力を合わせて民主建設を力強く進め、広範な勤労大衆を我が党のまわりに強く結集させるため、南北朝鮮労働党の全党員の意思にもとづいて党を合同する歴史的な党中央委員会連合総会を開きました。こうして、我々は統一的な党中央を組織し、その指導のもとに民主的各政党、大衆団体とともに祖国の平和的統一をめざして力強くたたかってきました。

 我が党は、常に朝鮮人民の切実な要求と利益にもとづいて正確な政治路線をうちだし、その貫徹のためにたえずたたかいました。

 我が党は、国土の分断と民族の分裂により政治・経済・文化生活の各分野で全朝鮮人民がへている大きな不幸と苦痛を甘受することはできませんでした。党は、平和的方法で祖国の統一をなし遂げるためのあらゆる努力を払いました。

 しかし、アメリカ帝国主義者は、あらゆる手段を用いて朝鮮の平和的統一を妨げました。かれらは、全朝鮮を植民地にするかねてからの侵略計画を実現する目的で、ついに今年の6月25日、売国奴李承晩一味を教唆して同胞同士の内戦を引き起こすとともに、直ちに陸海空軍を投入して共和国にたいする公然たる武力侵略を強行しました。

 この時から祖国の平和的建設は中断され、全国が流血の戦場と化しました。




 同志のみなさん!

 アメリカ帝国主義者とその手先、売国奴李承晩一味が、共和国にたいする侵略戦争を起こしてから6か月になります。

 その間、全朝鮮人民は、我が党の指導のもとに祖国の統一独立と自由と栄誉を守るためあらゆる犠牲をもいとわず勇敢に戦いました。

 国内の軍事・政治情勢は、戦争の過程で大きな変化を示しました。

 私は、戦争過程での軍事情勢の変化を3段階に分けて分析しようと思います。この3段階はそれぞれ異なる特徴をもっています。

 戦争の第1段階は、勇敢な人民軍がアメリカ帝国主義軍隊と李承晩かいらい軍の侵略を撃破し勝利の進撃をつづけた時期であります。

 戦争の第2段階は、アメリカ帝国主義武力侵略者が兵力を急速に増強し、イギリス、オーストラリア、トルコ、カナダなどの追随国の軍隊まで動員して朝鮮戦線に投入することにより、双方の力関係が我が方に不利になり、人民軍が一時的に後退した時期であります。

 戦争の第3段階は、人民軍が中国人民志願軍部隊とともに敵の攻撃を阻止し敵の兵員を大量にせん滅しつつ、敵を38度線以南に駆逐する時期です。この時期は、一方では我が方の兵力を整備強化し、他方では敵の兵力をたえず掃滅する戦闘をおこなって敵を弱体化させ、戦争の最終的勝利をかちとる準備を進める段階であります。

 アメリカ帝国主義者と反逆者李承晩一味は、38度線以北の地域を不意に侵攻して創建後、日の浅い人民軍を一挙に撃破し、その侵略目的を遂げようとはかりました。しかし、これは誤算でありました。

 勇敢な人民軍は、共和国政府の命令に従って李承晩かいらい軍の奇襲攻撃を挫折させたばかりでなく、直ちに反撃に転じました。かいらい軍は、各戦線で崩壊しはじめ、開戦3日目に敵の根拠地ソウルは人民軍によって解放されました。

 人民軍は、祖国と人民のための正義の戦いで李承晩かいらい軍を掃滅し、反逆者李承晩一味を前面に立てて朝鮮人民を征服しようとしたアメリカ帝国主義者の侵略企図を挫折させました。

 アメリカ帝国主義者は、極度に狼狽しました。アメリカ極東軍司令官マッカーサーは、開戦当初から航空機と軍艦を出動させ敗走するかいらい軍の支援に狂奔し、トルーマンは陸海空軍に共和国にたいする野蛮な武力侵攻を命じました。こうして、傲慢かつ凶悪なアメリカ帝国主義者は、朝鮮を植民地にしようとする侵略者としての本質を白日のもとにさらけだしました。

 トルーマン、アチソン、マッカーサーなどの殺人鬼は、朝鮮にたいする直接の武力侵略を開始する時、脅迫的な声明と野蛮な爆撃や艦砲射撃により朝鮮人民をおどかし、また、日本駐留のアメリカ軍数個師団の兵力をもって朝鮮人民を征服できるものと妄想したのです。

 アメリカ侵略軍の兵員数と武装は人民軍より勝っており、その侵略の手口はヒトラー軍隊より凶悪でした。かれらは、人民軍の後方を遮断するという口実のもとに、国際法を無視し軍事的目標と平和的目的物とを区別せず野蛮な爆撃をおこないました。かれらは、平和な都市と農村を盲爆し、工場や製造所、鉄道運輸、文化機関、住宅などをことごとく破壊しました。特に、我が前線にたいする敵の爆撃は、熾烈をきわめました。

 しかし、人民軍の兵士、下士官ならびに将校は、敵の爆撃と砲撃の火の海をついて勇敢に進撃しました。ソウルを解放した人民軍は、漢江(ハンガン)南岸の堅固な敵防御陣を突破し、敗走する敵を追って南方に進撃しました。

 この進撃期間に、人民軍は献身と勇敢さの模範を示しました。人民軍勇士は、祖国の独立と自由のため、我が身を惜しみなくささげる英雄主義を余すところなく発揮しました。我が党の数十名の青年男女は、栄えある共和国英雄の称号を授与され、党員が中核となって活動する各部隊のうち第3、第4、第6歩兵師団と第105戦車師団には親衛称号が授けられました。

 南半部に進出した人民軍は、南半部の全人民からこのうえなく尊敬され愛されました。南半部の人民とパルチザンは、いたるところで自分たちの軍隊であり解放者である人民軍を熱烈に歓迎し、困難や危険をもかえりみず人民軍を誠意をもって援護しました。かれらは、人民軍への食糧の供給と軍需品の運搬、道路や橋梁、鉄道などの防衛と復旧に献身的に参加しました。

 英雄的な人民軍は、祖国の独立と自由のために立ち上がった全朝鮮人民の大きな愛と支持を受け、アメリカ帝国主義侵略軍を撃滅しつつ南半部のほとんど全地域の解放に成功しました。

 戦争の過程でアメリカ第24歩兵師団と第1騎兵師団は大きな打撃をこうむり、戦線は洛東(ラクトン)江沿岸にまで移動しました。

 アメリカ帝国主義者は、朝鮮人民をなんの抵抗力もない植民地的奴隷とみなしていました。かれらは、航空機と戦車、原爆をもっておどせば朝鮮人民が降服するものと思っていたのです。しかし、これは愚かな考えでありました。

 こんにち、朝鮮人民の先頭にはマルクス・レーニン主義で武装した朝鮮労働党が立っており、日本帝国主義支配期に祖国の独立と自由のため抗日闘争にすべてをささげてきた愛国闘士たちが立っています。

 アメリカの略奪者は、こんにちの朝鮮人民がかつての植民地的奴隷ではなく、この5年間、祖国の北半部に強固な民主基地をきずき、みずからの政権のもとで自由と権利と幸福を直接体験した人民であることを理解できませんでした。このような人民は、決して帝国主義侵略者の前にひざまずかず、祖国の自由と栄誉を守るためあくまで戦うことをかれらは知りませんでした。

 戦争の過程で朝鮮人民をかんたんに征服できないことをさとり、特に、前線での自国軍の連戦連敗に狼狽したアメリカ侵略者は戦争の拡大に狂奔しました。かれらは、洛東江の線で人民軍の進撃に必死に抵抗する一方、太平洋周辺の陸海空軍を総動員して朝鮮戦線に投入しました。こうして、我が方は、はるかに優勢な敵と戦わざるをえなくなりました。

 我が方は十分な予備軍をととのえることができず、重なる難関を克服するための備えが不十分でした。また、人民軍の一部の指揮官は、敵兵力を包囲せん滅して再起不能にしたのではなく、ただ敵を押しまくるだけであったため、敵に兵力を再編成する可能性を与えました。そればかりか、解放地域での防御組織の不手際のため敵の側面攻撃を許しました。

 アメリカ帝国主義者が、約千機の航空機と数百隻の軍艦、5万余の大兵力を投入して大規模な仁川(インチョン)上陸作戦を不意に開始した際、人民軍は力に余る敵の攻撃を撃破することができませんでした。我が方は進撃のときに輝かしい戦果をおさめましたが、祖国の国土から敵を完全に駆逐することができず、敵に反撃の機会を与え、一時的な後退を余儀なくされました。

 これによって祖国解放戦争の第1段階は終わり、戦略的後退の第2段階に入りました。

 敵は大兵力を投入して仁川上陸作戦を強行することにより我が方の前線と後方を遮断し、南半部の人民軍主力部隊を包囲するとともに、我が方の後備部隊がまだ編成されていないすきに乗じて共和国北半部に侵攻しました。

 我が方は予備兵力の編成がおこなわれず、一部の編成された部隊も完全な訓練を受けていない状態で、敵の大兵力による不意の攻撃を受けました。我が方は、新たに編成され訓練も受けていない部隊をもって仁川に上陸した敵の大部隊と戦うことになりました。新編成部隊は仁川防御とソウル防御で多くの軍功を立て、特に党員を中核とした部隊は、比類ない勇敢さを発揮して戦いました。しかし、顕著な兵力の差のため、我が方は優勢な敵の進攻を完全に阻止することはできませんでした。

 最高司令部は、南部戦線の人民軍主力部隊3、4個師団を仁川方向に迅速に移動させ、我が南部戦線を遮断しようとする敵の企図を挫折させよとの命令を人民軍前線司令部に発しました。しかし、人民軍前線司令部はこの命令を即時に実行しませんでした。

 その結果、敵はソウルを占領し、ついで我が南部戦線を遮断し、南朝鮮に進出した人民軍主力部隊が包囲から完全に脱するまえに38度線以北地域深く進攻し始めました。

 このような重大な情勢に対応する我が方の戦略は、一方では敵の攻撃速度を遅らせ時間をかせいで南半部で包囲された人民軍主力部隊を救出し、他方ではひきつづき予備部隊をととのえながら秩序正しく後退をおこなうことでありました。

 敵は我が方のこのような戦略的計画を破綻させようとし、マッカーサーは速戦即決の方法で鴨緑(アムノク)江と豆満(トゥマン)江まで進撃するため進攻速度を早めるよう連日軍隊をせき立てました。

 人民軍は優勢な敵の進攻のため、清川(チョンチョン)江以北までやむなく後退しました。祖国と人民が危機に直面したこの重大な時期に、兄弟の中国人民は戦う朝鮮人民を支援し中国人民の利益を守るため、強力な志願軍を朝鮮戦線に派遣しました。

 人民軍は、中国人民志願軍と協同して敵の攻撃を完全に阻止しました。こうして、戦争の第2段階は終わりました。

 我々は、後退した部隊を収拾して再び前線に出動させ、整備を終えた部隊と防御部隊を中国人民志願軍部隊とともに攻撃に移らせ、新たな兵力と部隊をより多く準備し、敵の背後で遊撃闘争を広く展開させるなど、戦争の最終的勝利をかちとるための準備を進める戦争の第3段階に突入しました。

 以上がこれまで我々のへてきた戦争の過程であります。

 現在までの戦争の過程は、我が党が適時に人民軍を創建して近代的な武力に成長させ、祖国の自由と独立のため献身的に戦う人民の軍隊に育て上げたのが全く正しかったことを示しています。もし、我が党が人民軍を適時に創建せず、正しく育成していなかったなら、共和国はすでにアメリカ帝国主義者とかいらい李承晩一味に完全に占領されていたことでしょう。

 創建されてから日の浅い人民軍は、戦争の過程で豊富な経験をつみ、進撃と後退を巧みにおこない、いかなる条件のもとでも敵と戦える鍛えられた軍隊に成長しました。

 朝鮮人民は、我が党のまわりにかたく団結し、労働党員とともにあらゆる困難と犠牲をかえりみず勇敢に戦い、アメリカ帝国主義の恐喝と威嚇をすべてしりぞけ、ひきつづき頑強に戦うことにより、敵に甚大な打撃を与え、戦争の最終的勝利を獲得する基本的条件をととのえました。

 朝鮮人民は単独で戦っているのではなく、ソ連と人民民主主義諸国の物質的・精神的援助を受け、特に中国人民志願軍の直接的支援を受けています。朝鮮人民の勇敢な戦いは全世界人民の称賛を得ており、植民地民族解放運動の模範となり、旗印となっています。

 これとは反対に、朝鮮人民にたいするアメリカ帝国主義者の武力侵略とその蛮行は全世界の人民から激しく非難されています。

 敵の苦境と内部的矛盾の激化、冒険的侵略行為にたいする自国内の非難の増大にともなって、軍隊の士気は日を追って低下しています。

 これらのことは、我が方が敵の侵略をしりぞけ勝利しうることを示しています。

 しかし、この6か月間の戦争の過程で我が方に重大な欠陥があったことも知るべきであります。

 第1に、アメリカ帝国主義のような強敵と戦うに当たって、予備部隊を十分に準備せず、多くの困難を事前に予測して、その克服対策に万全を期することができませんでした。

 第2に、人民軍の経験が浅く、その幹部が未熟なだけに困難に遭遇した場合、それを克服しうる組織性が弱いことを考慮に入れませんでした。実際において多くの部隊の幹部が部隊の指揮に当たって組織性に欠け、難関の克服に当たって強靭さが足りませんでした。かれらは、指揮が未熟で、状況判断に慣れず、部隊の統率に多くの欠点がありました。

 第3に、部隊の規律が乱れていました。少なからぬ部隊長と指揮官は、上部の命令を貫徹するため努力せず、それを適時に実行しませんでした。

 第4に、敵の兵員を徹底的に掃滅せず、ただそれを分散させるか押しまくるだけでした。その結果、敵に部隊を再び収拾し反撃する可能性を与えました。

 第5に、我が軍は、優勢な空軍と海軍、陸軍をもつ敵との戦闘を巧みにおこなうことができませんでした。人民軍は、それぞれの状況に応じた多様な戦術を駆使して戦うことに慣れていませんでした。特に、敵の空襲が激しい状況のもとで、山地戦と夜間戦を巧みにおこなうべきでしたが、そうすることができませんでした。

 第6に、敵の背後での遊撃隊の活動が極めて低調でした。我々は、人民軍の進撃が始まれば南半部の地下党組織が各地で暴動を起こし遊撃闘争を展開して、人民軍の進撃を助けることを期待しました。しかし、南半部で党活動が正しくおこなわれず、また、アメリカ帝国主義者と反逆者李承晩一味により多くの党員が投獄、虐殺されたため、このような闘争はほとんど展開されませんでした。

 敵の背後で遊撃戦をおこなうのは、我が空軍が弱い状況のもとで、第2戦線を形成して敵の機動性を麻痺させ、敵を分散させて掃滅し参謀部を襲撃し退路を遮断することにより、敵に恐怖と混乱をもたらすためであります。党中央委員会政治委員会は、遊撃隊活動のこのような重要性を痛感し、党中央委員を指揮官とする遊撃隊を組織して敵の背後に派遣しました。しかし、遊撃隊の一部の指揮官は、敵の背後でよく戦いませんでした。

 第7に、前線への給養活動が正しくおこなわれませんでした。給養機関に害悪分子が潜入し前線への給養活動を妨げました。そのため、前線部隊では多くの場合、補給物資の供給を適時に受けることができませんでした。

 第8に、軍隊内の政治活動が高い水準でおこなわれず、軍人にたいする革命的な愛国主義思想の教育が不十分でした。抗日遊撃隊員が敵の武器を奪って武装をととのえるため、いかに多くの血を流したかについて、軍人に徹底した教育を与えることができませんでした。

 軍隊内に、航空機がなくては敵と戦えないという敗北主義的傾向があらわれました。しかし、軍隊内ではこのような危険な傾向と強くたたかいませんでした。

 戦争過程で軍事上多くの欠陥があらわれたにもかかわらず、我が党はこれらの欠陥を改め、人民軍をさらに強化することができました。また後退の際、人民軍部隊は少なからぬ損失をこうむりましたが、後退してきた部隊を収拾整理してひきつづき戦闘に参加させ、パルチザン活動を積極的におこなう措置を講じました。

 こんにち人民軍は、中国人民志願軍部隊とともに前線で連日勝利を重ねており、多くの部隊は敵を追撃し38度線を越えて前進しています。




 同志のみなさん!

 我が党は、国内の軍事・政治情勢にてらして、祖国解放戦争の最終的勝利をめざす大事業を進めました。

 我が党は、民主主義的独立国家の建設をめざすたたかいで全人民を導き重なる困難と試練を勇敢に乗り越えたように、祖国の存亡と朝鮮民族の将来の命運を決するこの重大な時期にも、戦争の重荷を双肩に担い、すべての愛国的な政党、大衆団体と全人民の先頭に立って戦争の勝利をめざす組織者として大事業を進め、全党員と全人民をアメリカ帝国主義武力侵略者とその手先、売国奴李承晩一味に反対する祖国解放戦争に立ち上がらせました。

 アメリカ帝国主義者の指示に従って、売国奴李承晩一味が共和国北半部地域にたいする奇襲攻撃を開始したとき、党中央委員会政治委員会は敵にたいする反撃に移ることを決定し、国内の力を総動員して戦争に服従させ、いっさいの活動を戦時体制に改編し、戦争の最終的勝利のため国内のいっさいの権力を統一的に掌接する軍事委員会を組織しました。

 党は、戦争の勝利をもたらすため党の規律と軍事規律を強化し、卑怯者、憂うつ分子、デマを飛ばす者などいろいろな害悪分子との闘争を強化して、党の思想的統一と行動の一致を確保しました。

 党は、強盗アメリカ帝国主義者が公然と武力侵略を開始することにより戦争の性格が変わり、戦争が拡大され長期戦に移るに従って、直ちに多くの師団を編成し、数千数万の軍事幹部を養成し、全人民を武装させ、予備部隊を準備する大事業を進めたし、いまも進めています。

 党は、拡大された人民軍を強化するため多くのすぐれた党員を軍隊に送るとともに、鉄の軍規を確立し、戦闘力を高め、党の指導的役割を強め、すべての軍人を崇高な愛国主義思想と革命精神で教育する政治活動をさらに強化するため、人民軍内の党組織の設置に着手しました。

 党は、平和的建設期に国内のすべての愛国的な政党、大衆団体とかたく手を握ってたたかったばかりでなく、戦時にも各党、各派との統一戦線を強化する活動を進めました。

 同志のみなさん! アメリカ帝国主義者とその手先、売国奴李承晩一味が起こした戦争に対処し、我が党がとった路線と対策はすべて正確なものでありました。

 我が党は、この6か月間の戦争過程で戦闘力と機能を十分に発揮しました。敵との戦いにおける党の指導的役割と党員の前衛的・犠牲的活動によって、我が党は全朝鮮人民から尊敬され愛されるようになりました。

 こうして、我が党は、全人民をそのまわりにさらにかたく結集させ、あらゆる難関と障害を克服しながら、祖国解放戦争の最終的勝利をかちとる大事業を成功裏に進めました。

 戦争の第1段階に、共和国北半部では人民軍の進撃に合わせて後方を強化し前線を支援し、前線に軍需品と給養物資を供給する活動が全人民的運動として展開されました。

 アメリカ帝国主義武力侵略者の野蛮な空襲と艦砲射撃を受けながらも、労働者は英雄的に戦って戦時輸送を保障し、破壊された工場と製造所を復旧して戦時生産をつづけました。兵器工場をはじめ、多くの軍需工場では、平時に比べ生産を数倍にも高め、生産計画をはるかに超過遂行しました。農民は農産物増産運動をおこない、前線と後方の食糧を保障しました。すべての勤労者が立ち上がって破壊された道路と橋梁を早急に復旧し、洛東江の線まで遠くのびた前線に弾薬と食糧を補給しました。

 科学・文化・芸術部門の働き手と大学、専門学校の学生は、全国各地の人民のなかで共和国の正しい施策について宣伝し、必勝の信念を植えつけました。

 戦争の第1段階に、党機関と人民政権機関は、組織者、動員者としての役割を立派に果たしました。

人民軍の反撃の時期に、共和国南半部では大きな社会的・経済的変革がなし遂げられ、人民の愛国的運動はかつてなく高揚しました。

 アメリカ帝国主義者と売国奴李承晩一味の野蛮な警察テロ支配から解放された南半部人民は、共和国政府の施策を熱烈に支持し、進撃する人民軍を積極的に援護しました。南半部人民が臨津(リムジン)江から洛東江の線までの道路と橋梁の復旧および弾薬輸送などの前線援護に大衆的に参加した事実は、かれらがどのような制度のもとで生きることを望んでいるかを明白に示しました。

 我が党と共和国政府は、解放された南半部人民に民主的な権利と自由を保障し、物質・文化生活を急速に向上させるため民主改革を実施し、売国奴李承晩一味の警察支配機構を一掃して人民政権機関を復活させました。解放された南半部各地では郡・面・里人民委員会の選挙がおこなわれ、これには全有権者の97〜98%が参加しました。このことは、南半部人民が人民政権機関である人民委員会をどれほど待ち望み、共和国をどれほど支持しているかを示すものであります。これとともに、我が党は解放された南半部地域で党組織を再建し、幹部養成事業を進めました。また、解放された南半部地域では、売国奴李承晩一味の支配下で抑圧されていた民主的な政党、大衆団体も再建され活動を開始しました。

 南半部人民は、実際の生活を通じて我が党の路線の正しさを認識し、我が党こそ祖国と人民の利益をあくまで擁護する唯一の政党であることを確信するようになりました。したがって、かれらは我が党を限りなく信頼し尊敬し、我が党にその命運を託したのであります。

 このように祖国解放戦争の第1段階で、我が党は実に大きな事業をなし遂げました。

 祖国解放戦争の過程では、我々に重大な欠陥もありました。

 少なからぬ幹部は、アメリカ帝国主義の武力侵略が開始された後、戦争が拡大され、それにともなって困難が増大することも予測できず、その克服対策を講じませんでした。

 かれらは、戦争の過程には進撃する時もあれば後退する時もあることを考慮に入れませんでした。特に、アメリカ帝国主義の直接的な武力侵略と関連して彼我の力関係に差が生じ、人民軍の一時的な後退もありうることを認識できず、後方で後退準備に万全を期することができませんでした。党機関と幹部は、後退の際に組織的に後退できるようあらかじめ対策を講じ、遭遇する難関を克服するよう人民と軍人にたいする教育を日ごろからおこないませんでした。こうして、アメリカ帝国主義侵略軍の新兵力が前線背後の仁川に上陸し、人民軍が戦略的な後退をおこなうようになった戦争の第2段階で、少なからぬ党機関と幹部は無秩序と混乱に陥ったのであります。

 一部の党機関と党幹部は、敵の進攻にあわて党組織と下部機関にたいする指揮能力を喪失し、用意周到に後退を組織することができませんでした。一部の道の党および政権機関の幹部にいたっては、道内の党組織と国家機関の後退を計画的に組織せず、道内に侵入した敵にたいする防御戦に人民を動員せず、敵の進攻にあわて下部機関と党員と人民を置き去りにして逃走しました。また、一部の省機関では、後退を組織的におこなわず、無秩序な状態を放任したため、莫大な国家財産を失いました。

 内務機関の一部の者は、党機関と政権機関を助けて後退を周到に組織し、人民の財産を保護し、党機関と政権機関をあくまで守ろうとするのではなく、党および政権機関と人民をすてて先に逃げました。

 一時的に敵に占領された地域では、党機関が地下に潜入して遊撃戦を指導し、侵略者との戦いに人民を奮い立たせるよう党中央からの指示があったにもかかわらず、一部の党活動家はそれを実行しませんでした。

 後退の時期に、我々には組織性が足りませんでした。これは、特に前線の状況が不利となり、困難に出あったとき顕著となりました。もし、我が党組織と党員の組織性が強かったなら、後退の混乱はいち早く収拾されたはずであり、いかに危急な場合にも多くの軍需物資と国家の財産に損失を与えなかったはずです。

 党内の規律も乱れていました。これは、このたびの後退時に一部の党幹部と党員が無秩序に後退したことに明白にあらわれました。党内の規律の弱化は、政権機関と軍隊内の規律の弱化をもたらしました。

 政権機関の働き手、特に交通省、文化宣伝省、教育省などの各省および地方人民委員会の少なからぬ幹部は、後退の時に管下機関を組織的に後退させようとせず、われ先に生きのびようと逃走したのです。

 少なからぬ責任幹部は、政府の指示に従わず、あちこち渡り歩きながら大切な時間を無駄に費やしました。規律の乱れは、幹部が上級の指示に服従し、それを責任をもって断固と実行する気風の乏しかったことにもあらわれました。一部の地方党の責任幹部と政権機関の働き手は、防衛地区を死守し、やむを得ずその地方が敵の手中に陥るときは、地下党工作をせよとの上級の指示を忠実に実行しませんでした。

 次に、大衆のなかで党の宣伝活動と政治教育を十分におこないませんでした。多くの党組織は、大衆にたいする活動を官僚主義的におこない、大衆に難関を克服する精神を植えつけることができませんでした。党の宣伝活動と政治教育が、大衆のなかに深く入らず形式的におこなわれました。その結果、後退の時に多くの人が敵にまどわされ、一部の蒙昧な人は反動分子に利用されました。

 最後に、党組織の活動では、欠陥にたいする批判と自己批判が極めて不活発でした。批判と自己批判は発展の推進力であります。批判と自己批判がおこなわれないところには停滞があるのみです。しかし、党生活では、批判と自己批判がまだ非常に不十分です。

 一部の党機関と党員が後退の時に多くの誤りをおかしたにもかかわらず、党と人民は屈することなく戦争の最終的勝利をめざして頑強に戦い、また戦っています。

 一時的な敵占領地域の党組織と党員は、敵の野蛮な弾圧にも屈することなく地下活動をつづけ、パルチザン闘争を激しく展開しました。被占領地域で数万の党員が、党と祖国と人民のため英雄的に戦って生命をささげました。かれらの偉勲は、我が党と祖国の歴史に永久に残るでありましょう。

 アメリカ帝国主義武力侵略者は、我が国の領土の多くの部分を一時的に占領し、人民軍を清川江以北まで後退せざるをえなくしましたが、我が党の鉄の意志と戦闘力をくじくことはできず、祖国の独立と自由のために立ち上がった朝鮮人民の不屈の闘志をくじくことはできませんでした。

 朝鮮人民は、最も困難な時期にも失望することなく、党と政府を信頼し最後の勝利を確信したのであります。




 同志のみなさん!

 朝鮮は、戦争勃発の当初から世界の世論の焦点となりました。ソ連人民は、終始変わらず朝鮮人民の自主権を尊重し、自由と独立をめざす朝鮮人民の闘争を支持しました。ソ連は、常にアメリカの朝鮮侵略政策に反対し、朝鮮問題の平和的解決を主張しました。平和愛好国であるソ連は、朝鮮戦争の拡大を防ぎ、戦争を終わらせるためあらゆる努力を払いました。

 しかし、アメリカは朝鮮を植民地にし、ひいては中国をはじめ、アジア諸国への侵略の足がかりにするため、常に朝鮮にたいする侵略政策をとってきました。

 祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民のすべての努力を破綻させ、武力侵略を強行したアメリカ帝国主義者は、その侵略行動をおおい隠し従属国の雇い兵を朝鮮戦争に引き入れる目的のもとに、国連の看板を盗用しました。

 アメリカ帝国主義者は、李承晩一味が共和国北半部にたいする武力侵攻を始めた当初から、自国の航空隊で李承晩かいらい軍を援護しました。アメリカ帝国主義者の朝鮮にたいする武力干渉は、かれらの圧力のもとに、いわゆる朝鮮問題にかんする国連安全保障理事会の不法な決定が採択される前から開始されたのであります。しかし、アメリカ帝国主義者は恥知らずにも、朝鮮にたいする武力侵略を国連の決定による行動であるかのように偽ろうとしています。

 これにたいし、ソ連政府の外務次官は、その声明で「アメリカ政府が1950年6月27日の安全保障理事会招集以前に、理事会でどのような決定が採択されるかをも考慮せず、朝鮮にたいする武力干渉を開始したことは周知の事実である。こうして、アメリカ政府は、平和を踏みにじって強行した既定事実に国連を服従させた」と述べました。これは、侵略行動を国連の名でおおい隠そうとするアメリカ帝国主義者の陰謀を明白に示すものです。

 また、1950年6月27日の国連安全保障理事会の「決定」は、常任理事国であるソ連と中華人民共和国の参加なしに採択された不法な決定であります。アメリカ帝国主義者は、このような国連安全保障理事会の不法な決定をたてに、朝鮮で「警察機能」を果たしていると主張しています。

 しかし、アメリカ帝国主義侵略者のこのような愚かな行動は三つ子さえだますことはできません。かれらは、戦争の初めから優勢な空軍をもって38度線以北にたいする無差別爆撃をおこなったばかりでなく、大兵力を投入して仁川に上陸し、38度線を越え北半部に侵入しました。

 このような事実は、アメリカ帝国主義の目的と計画が38度線の南を支配している李承晩かいらい政権を保護するための「警察機能」を果たすためではなく、初めから全朝鮮を侵略すると同時に、朝鮮を中国とアジア侵略の足がかりとするためであることを明示するものであります。

 したがって、中華人民共和国政府と中国人民は、アメリカ帝国主義者が朝鮮の領土を侵略し始めた当初から、アメリカ帝国主義の一挙一動を強い警戒心をもって注視しました。中華人民共和国外相は、アメリカ帝国主義の侵略行動にたいし、「中国人民は、朝鮮がアメリカの侵略を受けた後の情勢に深い関心を寄せている。(略)中国人民は、外国の侵略を絶対に許すことはできず、また、帝国主義者が自己の隣人に侵略をおこなうのを袖手傍観することはできない」と警告しました。

 しかし、アメリカ帝国主義武力侵略者は、朝鮮を中国と他のアジア諸国侵略の足がかりにする目的を達成するため、朝鮮にたいする武力侵略をひきつづき拡大しました。

 アメリカ帝国主義侵略者は、38度線以南の地域を占領するのに止まらず、38度線を越え鴨緑江の線まで進出し、中国を直接おどかしたのであります。そればかりか、アメリカ帝国主義者は、中国領土の一部である台湾を占領し、中国の領海と領空を侵犯し始めました。このような情勢のもとで、中国人民は、朝鮮にたいするアメリカの武力侵略を放任することはできませんでした。

 こうして、中国人民は、朝鮮戦線に志願軍を送って朝鮮人民を援助するだけでなく、アメリカ帝国主義者の侵略の脅威から中華人民共和国を守る積極的な措置を講じました。中国共産党と中国の民主的な政党、大衆団体の声明に指摘されたとおり、朝鮮と中国は唇歯の間柄にあります。中国人民が、アメリカの朝鮮侵略を阻止し、自分の家と自国を守るため、志願軍部隊を朝鮮に送ったのは最も正当なことであります。

 世界制覇の野望をいだくアメリカ帝国主義者が、こんにちは朝鮮を占領し、明日は中国を侵し、明後日は全アジアの征服を企図しないと誰が保証できるでしょうか。アメリカ侵略者の野望には限りがありません。

 中国人民と朝鮮人民のあいだには、帝国主義に反対する長期の革命闘争を通じて戦闘的友誼と兄弟的友好関係が結ばれています。祖国解放戦争の過程で中国人民と朝鮮人民の伝統的な友好関係はさらに強化されました。いかなる力も共通の敵、アメリカ帝国主義武力侵略者との戦いで血で結ばれた朝中両国人民の友好関係をうち破ることはできません。

 戦争の過程で共和国の国際的権威はさらに高まり、ソ連をはじめ、すべての人民民主主義国の人民と朝鮮人民との友好関係はいっそう強化されました。

 朝鮮人民は、アメリカ帝国主義者をかしらとする16カ国の武力干渉者に反対し英雄的に戦うことにより、全世界の自由愛好諸国人民から絶大な尊敬と支持と同情を受けています。これは、アメリカ帝国主義武力干渉者にたいする朝鮮人民の戦いが、新たな戦争に反対し平和と民族独立をめざす世界各国人民のたたかいの一環であり、その旗印であるからであります。




 同志のみなさん!

 戦争の局面に大きな転換が起こり、38度線以北の地域から敵が完全に駆逐され、共和国の国際的な地位と権威が向上したからといって、祖国に迫った危険が完全に解消されたとは言えません。

 アメリカ帝国主義者は朝鮮侵略戦争を速戦即決の方法で終結させようとはかりましたが、その思惑に反し、長期戦の深淵におちこみつつあります。かれらは、敗北を挽回するため新たな世界大戦を引き起こそうとしています。現在、戦争はさらに長期化の様相を示しています。

 我々には、多くの難関がよこたわっています。すでにかちえた勝利に陶酔することなく、あらゆる困難を克服し、ひきつづき勇敢に前進しなければなりません。

 目下の新たな情勢のもとで党に課された任務を立派に遂行し、戦争の最終的勝利を達成するため、さらに頑強に戦わなければなりません。

 第1に、人民軍部隊は、38度線を越えて敗走する敵にたいする攻撃を強化すべきです。敵に防御線を構築し、兵力を再び収拾整備する余裕を与えないため、積極的な追撃戦を展開すべきであります。

 人民軍部隊は、中国人民志願軍部隊との共同作戦を強化しなければなりません。こうして、敵の兵員をさらに多く掃滅し、火力機材をろ獲するための包囲せん滅戦をおこなうべきです。

 空軍がまだ劣勢である状況のもとで、技術的に勝っている敵と戦う方法を知らなければなりません。山地戦と夜間戦に熟練し、敵の機動性を弱めるため地雷の使用に習熟すべきです。

 これまでの6か月間の戦争過程における我が軍の大きな弱点の一つは、各級の指揮部の指揮能力を十分に発揮できなかったことであります。各部隊が勝手に戦闘をおこなうことは絶対に許されません。各級指揮部の指揮能力を高めるうえで、通信連絡を円滑に保つことが非常に大切です。各部隊が、その位置と敵情を随時指揮部に報告して、上級指揮部がいち早く敵情と部隊の状況を正確に判断し正しい決心をくだせるようにし、指揮部の決心を直ちに実行に移せるよう、通信を円滑に保障すべきであります。

 指揮官は、各種の兵器に精通し、火力機材を十分に利用し、特に砲兵との協同行動を巧みに組織すべきです。

 予備部隊と技術兵種部隊の訓練を速やかにおこない、必要な時に前線に投入できるようにしなくてはなりません。予備部隊の訓棟においては既存の戦闘規定にのみとらわれることなく、今度の戦争で得た生きた経験に依拠すべきです。各種の軍官学校では、訓練を強化し所定の期間内にすぐれた航空兵、戦車兵、砲兵を養成するとともに、指揮に熟達した勇敢な将校を養成すべきであります。

 敵の背後で活動する人民軍部隊とパルチザンは、被占領地城に深く入り、各地でパルチザン闘争を積極的に展開しなければなりません。敵背後の鉄道、道路、橋梁、通信網を破壊し敵の背後を遮断してその機動力を麻痺させるとともに、敵の指揮部と司令部にたいする襲撃戦をおこなうべきです。農村だけでなく都市も大胆に攻めて解放すべきであります。

 パルチザンには重要な任務が2つあります。軍事的には、アメリカ帝国主義侵略軍をできるだけ多く撃滅することです。パルチザンは、平和的な住民を野蛮に爆撃し虐殺する仇敵アメリカ侵略者を徹底的に掃滅すべきです。政治的には、人民を励まして地方の政権機関と党組織を再建し、全人民を反米闘争へ立ち上がらせなければなりません。

 人民軍の規律を強めるため、軍隊内の党活動を強化しなければなりません。人民軍を鉄の規律をもった革命軍に育成すべきです。規律のない軍隊は敗北を免れません。規律のある軍隊は少数をもって多数の敵に打ち勝ち、劣った武器ですぐれた武器をもつ敵を撃破することができます。規律は軍隊の生命であり、戦闘力の源泉であります。それゆえ、人民軍の規律を強化するため積極的にたたかうべきであります。

 人民軍の政治的・思想的水準を高めることがなによりも大切です。人民軍の各部隊では、早急に党の政治教育を強化しなければなりません。人民軍が資本主義国家の軍隊より勝っている点は、崇高な愛国主義と国際主義精神を身につけ、必勝の信念で武装しているところにあります。人民軍が、誰の軍隊であり、なんのために戦うのかをすべての将兵に十分に認識させるべきであります。

 第2に、アメリカ帝国主義者が、朝鮮侵略戦争で犯したすべての罪悪を全世界に暴露すべきです。史上、比類のない野獣のごとき蛮行を人類のまえにことごとく暴露して、アメリカ帝国主義者を徹底的に孤立させるべきであります。

 強盗アメリカは、こんにち朝鮮で侵略的目的を達成することができなくなると、原爆を投下するといって我々を威嚇しています。かれらのこのような威嚇は、全世界平和愛好諸国人民の怒りをさらに激しくさせているばかりでなく、帝国主義陣営の内部でもアメリカ帝国主義にたいする非難が高まっています。

 反動の元凶アメリカ帝国主義侵略者は、政治的、道徳的に甚大な打撃をこうむり、軍事的に失敗を重ねています。

 我々は、ソ連、中華人民共和国その他人民民主主義諸国との友好関係をさらに強化するため、全力を尽くすべきであります。これは、我々の最終的勝利の重要な保証の一つであります。

 第3に、解放された地域で秩序を確立し、経済を復興し、人民生活の安定をはかるべきであります。

 人民軍とパルチザンと中国人民志願軍部隊は、38度線以北の全地域と南半部の一部の地域をすでに解放しました。解放地域では、人民政権機関と党組織を速やかに復旧し、民主的な政党、大衆団体の正常な活動を保障し、破壊された経済を復興するのが最も重要な課題となっています。

 各省と政権機関は、戦争による被害を調べ、人民経済計画作成の準備を進めなければなりません。復旧して直ちに操業できる工場や企業所はすべて復旧し、動員できる物資と生産手段をすべて利用して前線への補給を保障するとともに、戦後直ちに人民経済復興建設に着手できるよう必要な準備をととのえるべきです。そのために、科学者や技術者をこの仕事に動員すべきであります。

 交通運輸機関の復旧と来年度の営農準備に全力を傾けなければなりません。

 国家の収支計画を正確に作成し、地下資源を開発し、軍需品生産を正常に保障すべきです。

 食糧と主な生活必需品の合理的な配給制を確立し、特に戦災民の救護対策と越冬対策を早急に立てるべきです。

 人民委員会内のすべての党員は、いかなる困難があっても人民軍と中国人民志願軍部隊にたいする食糧供給と輸送を保障し、すべての力を前線への補給に服従させるべきであります。

 第4に、党の規律を強化すべきであります。

 党規律の強化は、現在党活動の最も重要な問題の一つです。敵を撃滅し勝利をかちとるための基本的条件の一つは、我が党がいつにもまして規律を強化し、党中央委員会のまわりに全党をかたく結集させることであります。

 党の命令であれば、水火をいとわずそれを実践する強い規律が全党にみなぎるようにしなければなりません。党の規律を弱めるいっさいの傾向と仮借なくたたかい、誰を問わず党規律に違反する者は厳しく処分すべきです。このたびの戦争を通じて誰が真の党員であり、誰がにせの党員であるかが明らかになりました。戦争は、党内の不純分子、卑怯者、異分子を余すところなく暴露しました。これらの分子を党から放逐し、党を強化しなければなりません。

 次に、党の宣伝・扇動活動を強化すべきであります。

 後退の時期に、党の宣伝教育の水準が非常に低下しました。特に新聞、出版活動は、その内容と形式において水準が落ちました。いかなる国難と障害があっても、出版報道活動を以前の水準に早く引き上げるべきです。ラジオ放送もすべての困難を克服し正常におこなうようにすべきであります。

 宣伝・扇動活動は、形式に流れてはならず、大衆の生活、大衆の利益と緊密に結びつかなければなりません。

 各級党組織は、党員がマルクス・レーニン主義の偉大な学説を深く研究し、それを自己の活動に創造的に適用し、マルクス・レーニン主義の理論と方法に依拠して実際に提起される問題を解決するため努力するようにたえず指導すべきです。また、党員に党政策を徹底的に認識させ、実際の活動を通して党員を教え援助すべきであります。

 党組織は、すべての部門で党と政府の決定や指示が適時に実行されるかを系統的に点検しなければなりません。点検なしには、決定の実行を保障し、活動を改善することができません。特に人民軍総政治局の活動を随時点検、指導し、その活動を強化すべきであります。

 そして、まだ広い地域がアメリカ帝国主義侵略者と反逆者李承晩一味に蹂躙されているだけに、未解放地域で党活動を強化することは極めて重要な意義があります。

 未解放地域の党組織は、地下に潜入して、その組織をひきつづき保存するとともに、人民大衆に切実な利害関係のある実生活上の問題と祖国の解放および独立をめざす戦いとを結びつけ、広範な大衆を党のまわりに結集する活動を積極的におこなわなければなりません。未解放地域の党組織は、常に大衆のなかに党組織をつくり、パルチザン部隊と連係をとって人民を暴動へ決起させることにより、人民がその地方の政権を握るようにすべきであります。

 党組織は、発展の力強い武器である批判と自己批判を強めなければなりません。上級から下部、幹部から一般党員にいたるまで、批判と自己批判を強めることを最も重要な課題とみなすべきです。党隊列を強化する問題や規律を強化する問題も、実際においては批判と自己批判を強めることと密接なつながりがあります。

 民青などの大衆団体を指導する活動と、祖国統一民主主義戦線に参加した愛国的な政党、大衆団体との協力を強める活動にたえず注意を払うべきです。友党の党員が、正しい方向に進むよう援助するとともに、先進的な思想で教育すべきであります。

 一部の党幹部と党員は、青友党と民主党にたいし偏見をもっています。もちろん、少なからぬ青友党員と民主党員が、後退の時期に敵に合流して、「治安隊」や「滅共団」などの反動団体に加わり、労働党員や積極分子を冒涜、弾圧、虐殺した事実があります。しかし、それは青友党や民主党の基本的な政策から出たものではなく、それらの党に潜入した反動分子の所業であります。

 労働党員は、青友党や民主党に潜入した反動分子の所業のため、友党との統一戦線を弱めてはなりません。友党との統一戦線をさらに強め、友党内の愛国的な活動分子党員との連係を緊密にし、影響を与え、援助し、かれら、みずからが友党内に潜む反動分子を摘発暴露し孤立させるようにすべきです。

 最後に指摘すべきことは、敵の一時的な占領地域での反動団体加担者の問題であります。敵は人民を欺瞞しおどして、占領地城に多くの反動団体を組織しました。反動団体に加わった悪質分子は、敵とともにさまざまな蛮行を働きました。解放地域の人民が、これらの反動分子に報復しようとするのは当然のことであります。

 しかし、この問題を慎重に扱わなければ重大な誤りを犯す恐れがあります。

 反動団体に加わったからといって、法律上の手続きや調査もせずに処分してはなりません。我々は、人民を愛し大切にしなければなりません。敵の脅迫にかてずに反動団体に加わっても、悪質な行為を働かなかった者は寛大に許し再教育すべきです。悪質分子であっても、正当な法律上の手順をへて処理し、人民の意見と世論にもとづき人民みずからが、かれらを審判するようにすべきであります。

 同志のみなさん! 党員のなかには、腕をこまぬいて勝利を期待する人たちがいます。目前で展開されていることを知ろうともせず、山奥に避難して安逸に月日を送っている人が少なくありません。このような人は、熟柿が落ちるのを待っている人と変わるところがありません。ソ連人民が援助し、中国人民志願軍が来て助けてくれるので、我々は必ず勝利すると考え、なにもせずに他人のお陰で生きようとするのは甚だ危険な傾向であります。誰がどのように助けてくれようと、我々の問題は我々自身が解決すべきです。主人は、我々朝鮮人であります。主人がもっと努力すべきです。人民の中核であり前衛部隊である労働党員が主動的に仕事をしなければなりません。

 朝鮮民族が自力更生するか否かは、朝鮮人民の組織者であり励まし手である我が党の活動と人民軍の戦いにかかっています。したがって、従前の正しくない習性と傾向を一掃し、祖国と人民が党に課した栄えある任務を遂行するため積極的にたたかうべきであります。

 朝鮮人民と人民軍は、必ず最後の勝利をかちとるでしょう。しかし、これは勝利がかんたんに、自然にもたらされることを意味するものではありません。勝利は、我々の闘争によってかちとるべきです。難関を克服する道がすなわち勝利の道であります。

 すべての党組織と党員は、難関とのたたかいで人民大衆の模範とならなければなりません。

 朝鮮人民は、祖国の独立と自由をめざす崇高な戦争に立ち上がりました。犠牲なくして、この偉大な戦争で勝利者となることはできません。

 私は、我が党組織と党員が厳しいこの時期に、不屈の闘志と犠牲的精神を発揮し全人民の先頭に立って、あらゆる難関と障害を勇敢に乗り越え、党に提起された当面の革命課題を立派に遂行し、栄えある祖国解放戦争の最終的勝利をさらに早めるものと確信します。
出典:『金日成著作集』6巻


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