金 日 成

政権委譲に関する声明
―朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第1回会議で発表― 
1948年9月8日 

 代議員の皆さん!

 36年の間、日本帝国主義の植民地奴隷として苦しめられてきた朝鮮民族は、8.15の解放を迎えました。

 日本帝国主義の長い植民地支配から解放された朝鮮民族は、一日も早く統一的な民主主義中央政府を樹立して自主独立国家を建設し、自由で幸福な民主的生活を創造するためにあらゆる努力を尽くしてきました。朝鮮民族はこの偉大な目的を達成し、みずからの手で自己の運命を切り開くため、朝鮮全域にわたって人民政権機関である人民委員会を組織しました。

 しかし、米軍の南朝鮮上陸に伴って、祖国には複雑な政治情勢が生まれるようになりました。

 アメリカ帝国主義者と南朝鮮の親日派、民族反逆者は、南朝鮮で人民の創意によって組織された人民委員会を弾圧し解散させ、人民政権機関の幹部を逮捕、拘禁するなど数々の暴挙をあえてしました。こうして、南朝鮮では人民委員会が解散され、人民の幸福のためにたたかっていた活動家は、地下に潜行して非合法闘争をおこなわざるを得なくなりました。

 南朝鮮の反動分子は、南朝鮮をアメリカ帝国主義の完全な植民地に変える策動をますます強化しました。アメリカ帝国主義者と民族反逆者のこのような策動によって、わが国の政治情勢は複雑かつ重大な局面を迎え、人民があれほど期待していた、統一された民主主義的中央政府と自主独立国家は樹立されず、こんにちまで持ち越されています。

 このような情勢のもとで、北朝鮮の人民は北朝鮮につくられた有利な条件を利用して統一された民主主義的中央政府の樹立を促進し、自主独立国家建設の基礎を築くため、また北朝鮮でだけでも、日本帝国主義者に破壊された産業、運輸を急速に復興させて人民の生活を向上させるために、人民の創意によって、すでに組織された地方人民政権機関を統一的に指導する中央政権機関を樹立すべき必要性を切実に感じるようになりました。そして1946年2月8日に、平壌で北朝鮮の各道・市・郡人民委員会の代表と民主的な各政党、社会団体の代表が一堂に会して、北朝鮮臨時人民委員会を創設しました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、北朝鮮人民政権の暫定的な中央機関として、人民の生活安定と自主独立国家建設の基礎を築く対策を講じ、解放直後の混乱した秩序を立て直し、産業、運輸、農業など人民経済各部門の復旧発展にとりかかりました。北朝鮮臨時人民委員会は、全人民の積極的な参加と各政党、社会団体の積極的な支持のもとに、土地改革、産業国有化、労働法令、男女平等権法令、農業現物税制の実施、民主的な教育制度の確立、人民保健医療事業の改善、民族文化の発展など、各種の施策を実行しました。こうして、北朝鮮臨時人民委員会は、北朝鮮の政治・経済・文化発展の基礎を築く事業で偉大な成果をおさめました。

 暫定的な中央政権機関である北朝鮮臨時人民委員会は、1947年2月に北朝鮮人民会議の創設に伴って北朝鮮人民委員会に発展しました。

 北朝鮮人民委員会は、人民の生活を向上させ、民主改革で達成した成果を固め、自主独立国家建設の物質的基盤をいっそう強化するため、1947年と1948年に人民経済計画を作成し、その遂行のためにあらゆる努力を払いました。人民経済計画は、全人民の積極的な勤労闘争と北朝鮮民主主義民族統一戦線傘下の各政党、社会団体の協力によって成功裏に遂行され、国の経済はこの2年間に長足の発展を遂げました。

 北朝鮮人民委員会は、全人民から負わされた使命を忠実に遂行したと言えます。

 解放後の3年間、北朝鮮で実施された民主改革と政治、経済、文化の各分野で進められた壮大な建設は、そのいずれを問わず祖国の完全な自主独立と朝鮮人民の福祉向上を目的とするものでした。

 北朝鮮人民委員会の指導のもとに、朝鮮人民は英雄的な闘争と献身的な努力によって、北朝鮮を祖国の強力な民主基地にかえました。北朝鮮人民委員会の指導のもとに、朝鮮人民が新しい祖国の創建をめざす闘争でなし遂げた業績は、朝鮮民族の建国史に長く光を放つでしょう。

 今日、北朝鮮人民委員会は、全朝鮮人民が一日千秋の思いで待望してきた全朝鮮の統一的な最高立法機関である朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議が、南北朝鮮全人民の総意によって創設された状況のもとで、自己の使命と権限をすべて果たしたものと認めます。

 したがって、私は北朝鮮人民委員会を代表して、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議に、北朝鮮人民委員会の政権と権限を委譲するものです。
出典:サイト「わが民族同士」 参照:『金日成著作集』4巻 

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