金日成『北朝鮮労働党第2回大会でおこなった中央委員会の活動報告 』

3 党


 同志のみなさん!

 民主改革の遂行と経済建設で朝鮮人民が達成した偉大な勝利と成果は、我が党の路線と政策の正しさを確証し、我が党が富強な祖国建設の任務を十分に果たしうる強力な組織的勢力に成長したことを実証するものであります。

 祖国の統一独立と民主主義をめざす闘争で、我が党がこんにちのように自己にゆだねられた偉大な使命を担うことができるようになったのは、実に党の組織的統一と思想、意志の統一が保たれ、全党が中央委員会のまわりに団結しているからであり、党が広範な大衆を自己のまわりにかたく結集させたからであります。いま、我が党は、朝鮮勤労大衆の利益を守る信頼すべき大衆的政党となり、民主主義的祖国創建の歴史的大業を勝利のうちに遂行しています。


 1 党強化のための闘争

 解放直後、我が党は、北朝鮮で徹底した民主改革をおこない、民主建設を促進することによって、将来、朝鮮民族を完全に解放し、朝鮮を富強な自主独立国家につくりあげるための強固な民主基地を北朝鮮に創設することを基本的な政治路線と規定しました。北朝鮮に民主主義の根拠地を創設し、それをかためるうえで決定的な意義をもつのは、我が党を強力な大衆的政党として発展させ、広範な人民大衆を党のまわりに結集させることでありました。

 そこで我が党は、北朝鮮各地に分散的に組織された地方の党組織を結集し、北朝鮮の有利な諸条件と環境に応じて、党の政治路線を立派に実現しうる強力な中央指導機関を北朝鮮に創設することが必要であると認め、1945年10月10日、北朝鮮共産党中央組織委員会を結成することになりました。

 当時、中央組織委員会を創設する必要性は、誰の目にも極めて明らかなことでした。それにもかかわらず、党内の一部の人たちは、過去になんの党生活の経験もなく、党組織と上級機関に服従するという初歩的な規律さえ知らずに、偏狭な地方分派のなかで“井の中の蛙”のように、天上天下唯我独尊式の分派の頭目としてふるまってきた古くからのセクト主義的習性と個人英雄主義にとらわれて、朝鮮の政治情勢を正しく把握することができず、「中央を支持する」という口実のもとに、北朝鮮共産党中央組織委員会の結成に反対しました。このような人々は、我が党をかつての地方分派のように四分五裂させ、それぞれの地方に割拠して陳腐なセクト的分派活動をつづけようとはかりました。

 そのとき、分派分子や個人英雄主義者はこうしたかれらの意図を隠すため、「もし、北朝鮮に中央組織委員会を結成するならば、党を分裂させることになる」と、あたかもかれらが党の統一を守っているかのように言いふらしましたが、実際にはかれら自身が中央に服従せず、個人英雄主義的・分派的行動をつづけ、各地方で勝手にふるまおうとしていたのであります。

 分派分子は、アメリカ帝国主義の弾圧下にある「ソウルの中央」がかれらを十分監督できないものと判断し、その機会に乗じて分派活動をつづけようとしたため、近くにあって日常的に指導と監督を十分おこなうことのできる北朝鮮共産党中央組織委員会の創設に反対したのであります。あのとき、もし、ソウルの「中央」が平壌にあったとしたら、かれらはきっと「中央を支持する」というスローガンではなく、別のスローガンをもちだして「中央」に反対したに違いありません。

 もしあの当時、我々が分派分子の主張通り中央組織委員会を創設せず、ソウルだけに目を向けて各地方に分散している党組織を統一的に指導しなかったならば、北朝鮮の状態がどのようになり、祖国の運命はどうなっていたでしょうか。疑いもなく、我が党は、こんにちのような大衆的政党に発展することはおろか、分派分子に翻弄されて四分五裂し、北朝鮮での民主改革の勝利を保障することも、北朝鮮に祖国の完全な自主独立のための強力な民主主義の根拠地を創設することもできなかったでありましょう。

 北朝鮮共産党中央組織委員会が創設された初期には、自由主義的、個人英雄主義的な傾向やセクト主義に毒された分子が、各級党組織と党指導機関に多く入り込んで党の統一を妨げ、党内の地位争いや地方割拠主義を助長し、分派的な行動をつづけていました。これらの分子が指導機関に居座っていた党組織では、甚だしい場合は、多くの親日分子が党の隊列に入り込んで大衆の利益をおかし、党を大衆から浮き上がらせる害悪行為までおこなう始末でした。

 党の指導機関に潜入した一部の分派分子は、党の統一戦線政策を混乱させ、いっそう広範な大衆を党のまわりに結集することを妨げるため、共青を民主主義青年同盟に改組することに反対し、それを故意に失敗させようと企みました。この連中は、党の統一戦線政策を全く理解しておらず、またこれを理解しようともしなかったので、「党を後退させる」「党を右翼化させる」などといって我々を非難しました。誰が本当に党を後退させ、右傾化させようと企んだかについては、多くを語る必要もありません。

 もし、かれらの主張に従って共青を民青に改組しなかったならば、祖国建設の重要な担い手である幾百万の青年をこんにちのように党のまわりに結集することができなかったであろうことは明らかです。

 その当時は、党の組織路線も党生活の初歩的規範もわきまえない連中が、知ったかぶりをして党の指導機関に地位をしめ、党組織をととのえる能力のある人々を登用しようともせず、勝手気ままに党をもてあそびました。したがって、党内には組織上の規律が立たず、党の組織体系が確立されず、党の統計の作成や文書の整理などすべての活動に規律と秩序が欠けており、甚だしくは入党についての党規約上の原則さえ遵守されませんでした。

 セクト主義的な地方意識を濃厚にもっている分子が指導的な地位をしめていた少なからぬ党組織では、労働者階級出身のすぐれた幹部やまじめな将来性のある幹部を登用せず、親戚関係や同郷関係によって幹部を登用したので、ある機関などは全部が洪原(ホンウォン)の人、またはソウルの人だけでしめられるようになりました。こうして、能力もない者が幹部の地位を全部しめてしまったので、地方の有能で立派な人々は登用されませんでした。分派分子は、党勢の拡大でも、民主祖国建設の主力部隊である労働者階級と、その最も信頼すべき同盟者である貧農のなかからすぐれた先進分子を入党させるのではなく、都市の怠け者や小ブルジョア層を軽率に入党させ、なんの基盤もないこれらの階層のなかに党の細胞を組織しました。

 このようなゆゆしい状態から我が党を救い出すため、我々は1945年12月に、北朝鮮共産党中央組織委員会第3回拡大執行委員会を招集して、党内の正しくない組織的・政治的・思想的傾向を克服するための断固たる措置をとりました。第3回拡大執行委員会は、我が党創立以来はじめて、党活動と党生活に一大革新を起こし、このときから、初めて我が党は、真に健全で強力な党として発展するようになりました。

 我々は、党中央と各級党委員会に新たにすぐれた幹部を登用し、地方意識、親戚意識にとらわれている者やセクト主義、地方割拠主義、個人英雄主義および自由主義的な傾向をもった分子と決定的なたたかいをおこないました。そして、中央から細胞にいたるまで整然たる党の組織体系を確立し、党の組織的・思想的統一をかちとるための活動を力強くくりひろげました。こうして党内には、分派活動を許さず、上級党機関の決定や指示に無条件服従する組織規律が確立しはじめました。

 それと同時に、我々は、全党を通じて党の隊列を点検し、党員証を交付し、党組織を組織的に強化する活動を進めました。その結果、党内にひそんで大衆の利益を損ね、党と大衆をひきはなすような行動をとっていた親日分子や異分子があばきだされて、党から追い出され、党隊列の純潔を保つうえで大きな前進がもたらされました。

 空中楼閣のように宙に浮いていた我が党組織は、最も信頼すべき堅実な労働者階級と貧農のなかに根をおろし、かれらのなかに我が党の細胞を組織し拡大するようになりました。

 党の機関紙と出版物を通じて党の路線と政策を党内外に広く宣伝し、優秀な党員を選抜して、党学校で系統的に教育し、党建設で重要な役割を果たすべき多くの幹部を養成する仕事にとりかかりました。また、一人ひとりの党員が党の主張や政策を理解し、党員の任務がなんであり、党員は組織生活をどのようにすべきかについて正しい認識をもつようにするために、党内の政治教育活動を強力におし進め、また、党員が広範な大衆に党政策を解説し、かれらを党のまわりに結集させる活動も活発におこなわれるようになりました。

 このように第3回拡大執行委員会以後、党活動と党生活は軌道に乗り、このときから我が党は、祖国を民主化する偉大な事業を担当し、民主改革と経済建設に広範な人民大衆を巧みに動員できる強力な党として発展するようになりました。

 党組織が強固になり、勤労大衆が党を熱烈に支持するようになるにしたがって、我々には、社会の進歩と国家政治生活の急激な変化に応じて、我が党をいっそう広範な土台をもつ大衆的政党に発展させるべき任務が提起されました。つまり、民主改革を通じてかたく結ばれた労働者階級と農民、勤労インテリの同盟をさらに強め、広範な勤労大衆を国家政治生活にいっそう積極的に参加させるためには、労働者、農民、勤労インテリの共通の利益を代表する大衆的政党が必要となりました。

 こうして、1946年8月、共産党、新民党の両党合同大会が開かれ、祖国建設の主導的勢力をなす光栄ある北朝鮮労働党が創立されました。

 このように、我が党はその前身党のときから党組織を強化する闘争のなかで成長し、また、その基礎に立ってこんにちのような強力な大衆的政党に発展したのであります。


 2 党勢拡大と組織指導活動

 党の合同以後、我が党の隊列は量的に急速に成長しました。合同当時、党員は36万6千余名でしたが、1948年1月1日現在、70万8千余名に、すなわち1.9倍に増加しました。

 このように、党隊列は急速に成長しましたが、この過程で一部の党組織は、少なからず左右の誤りをおかしました。ある党組織では、党員をあたかも組合員のように募集して、多数の異分子が党内にもぐり込むすきを与え、また一部の党組織では、党員を厳選するという口実のもとに党の門をかたく閉ざし、我が党の大衆的政党としての発展に支障を与えていました。

 党中央委員会はこのような偏向を克服するために、合同直後、全党的に唯一党員証の交付をおこない、党勢拡大活動を全面的に指導し点検しました。そして、各地方の党組織にあらわれた誤りをいち早くただすとともに、党を量的にばかりでなく、質的にも成長させる対策を講じ、党の階級構成を著しく改善しました。合同当時は、党員総数のうち労働者出身が7万3千余名でしたが、いまでは14万3千余名にふえ、貧農出身は同じ期間に18万5千余名から37万4千名に増加しました。

 党が急激に拡大し強化されるにつれて、党の組織原則と組織体系を確立する問題がいっそう切実に提起されました。そこで党中央委員会は、中央から細胞にいたるまで、各級の党指導機関をかため、党内に鉄のような規律を確立し、すべての党員の党生活を強化する対策を講じました。

 特に、党細胞の強化に主力を注ぎました。細胞は我が党の基礎組織であり、これを強化してこそ、全党を強め、党の戦闘力を強めることができます。党中央委員会が細胞を整理し、細胞生活を強化する重要な措置をとった結果、工場と農村の細胞は著しく発展するようになり、党員は、細胞総会で当面の政治的・経済的課題を真剣に討議し、党中央をはじめ、各級党委員会の指示や党細胞の決定を実行するために全力をつくす気風を確立するようになりました。

 合同当時、党の細胞数は1万2千余りであったが、1947年末には2万8千以上にふえ、工場、企業所、機関、農村ごとに党の細胞が組織されました。合同当時は、わずか400余りの面に面党委員会があったにすぎなかったが、いまではどの面にも面党委員会の組織されていないところはありません。

 こうしてこんにち我が党は、もし祖国が我が党に非常動員を求めれば、いつでも、いささかの混乱もなく全党を動員できる強力な唯一の党組織体系をもつようになりました。

 しかし、我々の党建設と党の組織指導活動には、速やかに改めなければならない欠陥があります。

 それは第1に、我が党の基礎組織である細胞がまだそれほど健全ではなく、党細胞の活動が高い水準に達していないことであります。党細胞は、日常的に党員を教育し訓練して党隊列の思想的一致と組織的統一を保ち、党の路線と政策を実生活に具現する基本組織であります。細胞の強化は全党を強化するうえで基本となります。

 それにもかかわらず、多くの党組織では、いまだに細胞活動をしかるべき水準に高めていません。そして、細胞会議を計画的に十分な準備のもとにおこなわず形式的におこなっており、細胞が、それぞれの工場、職場、農村の具体的な実情に即した活動をおこなわず、各党員に綿密な任務の分担をおこなっていないため、自分のなすべきことも知らずにいる党員が、少なからずあらわれています。任務分担が明確でなく任務を与えたあとでも点検や総括をおこなわず、党員が党の任務を正しく遂行するように援助する活動もほとんどおこなっていません。

 このような欠点を克服し、党細胞を強化するためには、個々の細胞が党の中核育成に力を注ぎ、仕事の分担を正しく決め、党員の党生活とその活動状況を日常的に綿密に指導、点検し、細胞会議を計画的に効果的におこない、細胞のおかれている具体的な環境に即して活動方向と方針を討議、決定し、細胞内でのすべての否定的な傾向に反対する思想闘争と党的批判を活発におこなわなければなりません。こうして、我が党のすべての細胞を、生き生きとした戦闘的で活動力のある組織につくりあげなければなりません。

 第2に、我が党の組織指導活動上の重大な欠陥は、党組織が党の政策と決定をどのように実行しているかについての点検をおろそかにしていることであります。

 党組織の活動状況を正しくつかみ、党員や幹部を理解するためには、下級党組織にたいする綿密な指導と点検が必要であり、これを立派に組織することがなによりも重要です。点検を正確におこなうことは、党組織の活動状況を照らしだす探照燈のようなものであり、党活動における官僚主義と形式主義のあらわれを暴露し、是正する強力な手段となります。これまで、我々の一部の党組織の活動に重大な欠陥が存続しているのは、たいていの場合、党機関が下級党組織の活動を具体的に綿密に指導し点検しなかったところにその原因があります。

 党組織にたいする指導と点検をよくおこなうためには第1に、これを突発的にではなく、日常不断に、系統的におこなうべきであり、第2には、点検を下の幹部にまかすのではなく、責任ある幹部が直接おこなわなければなりません。

 それにもかかわらず、一部の党組織は、下級の党組織にたいする指導と点検を正常におこなっておらず、かりに点検をするにしても下の幹部だけにまかせて形式的におこなっています。また多くの場合、点検が下級の党組織の活動を助け、欠陥を改めさせるためのものではなく、しかったり、どなりつけたり、決定書などをつくるために下部の活動家を上級党機関に呼びつけておこなう点検となっています。

 党の政策と決定が下級党組織でどのように実行されているかを常に点検する気風をうち立て、点検にたいするあらゆる形式的な態度を克服して、党の点検活動の水準を決定的に高めなければなりません。そのために、今後は、点検に派遣される党員に点検の目的と方法を明白に教え、どなりつけたり、処分したりすることで点検をすますのではなく、下級の党組織に出向いて実際に仕事を助け、欠陥を是正させる方向で、そして、党組織の活動家と党員を深く理解し、教育し、訓練する方向で点検をおこなうようにしなければなりません。

 第3に、党の組織指導活動の面で、必ず解決しなければならない重要な問題は、活動家の活動作風を改善することであります。

 我が党内には、いまだに官僚主義的・形式主義的活動作風がかなり残っています。一部の党幹部は、大衆のなかに入って大衆と呼吸をともにし、大衆と一体となって大衆を導いていくのではなく、大衆のうえにあぐらをかいて大衆に命令し、おどかすやりかたで活動しています。また、下部の活動家の仕事を助け、かれらに党的な忠告を与え、かれらを辛抱強く教育し訓練するのではなく、些細な活動上の誤りや欠点を理由に党の処分を適用したり、解任するといった官僚主義的な活動作風を捨てていません。

 また、党の一部の幹部は、すべての問題を深く研究し分析せずに、機械的に処理してしまい、その問題が下部でどのように取り扱われているかについては知ろうともせず、多くの決定書や指導書を下部におろすだけでうわべをかざり、形式だけをととのえる形式主義的な活動作風を捨てていません。このような活動家は、勝利をかちとるための実際の闘争を組織しなくても、決定書や指導書を採択して下部におろせば、それで万事うまくいくものと考えているようです。

 このような官僚主義的、形式主義的な活動作風は、我が党の活動を弱め、大衆から党をひきはなす最も有害な活動作風であります。それゆえ我々は、このような活動作風を徹底的に克服し、党内に真の人民的な活動作風を確立するため、ねばりづよくたたかわなければなりません。

 我々は、大衆に命令すべきでなく、かれらに解説し、大衆のなかに入ってかれらの心情を知り、かれらに教え、かつ学び、大衆の友となり、大衆と一体になってかれらを目的達成の道へ導く活動方法を身につけなければなりません。

 また、すべての問題を処理するときは、その内容を詳しく分析し、それにもとづいて実情にあう正しい解決策を講じてから問題の解決にとりかかり、いったん取り組んだ仕事は、それを最後まで徹底的になし遂げる活動作風を確立しなければなりません。あらゆる問題の解決にあたって、うわべや形式に重きをおくべきでなく、本質を深くきわめ、実質的な成果をあげるよう努力しなければなりません。

 党の組織指導活動で非常に重要な位置をしめるのは、勤労者の大衆団体を正しく指導することであります。

 我が党がその隊列をかためるのも結局は広範な大衆を党のまわりに結集し、かれらの力を引き出して革命の任務を勝利のうちに完遂するためであります。広範な大衆を獲得できず、大衆から浮き上がった党が勝利をおさめたためしのないことは国際労働運動の歴史が証明しています。したがって、我が党は創立当初から広範な大衆をいろいろな大衆団体に加入させ、かれらを我が党のまわりに結集する活動に大きな関心を払ってきました。

 我が党は、職業同盟、農民同盟、民主青年同盟、民主女性同盟、文学・芸術連盟など各種の大衆団体を組織して、幾百万の組織された大衆を自己のまわりに結集しました。このような大衆団体は、それぞれの整然たる組織体系を確立し、都市や農村、工場、企業所、機関などあらゆる地域とすべての生産単位にその下級組織をもっており、ここに参加している大衆は、すべて党と大衆団体の組織的な指導を受けています。我が党は、これらすべての大衆団体を指導して広範な大衆の力を民主改革と経済建設に動員し、既に大きな成果をおさめました。

 しかし、大衆団体にたいする党の指導には、いまなお少なからぬ欠陥があります。これまで大衆団体は量的に急激に成長しましたが、我が党の影響力はこれらの団体に深く浸透しておらず、その同盟員を我が党の大衆として完全に獲得していません。大衆団体に加入している同盟員の一部には、我が党の影響からはなれて、宗教団体とのつながりをもっていたり、自分の出身階級にふさわしくない他の党の影響を受けている者もいます。

 これは、大衆団体の幹部として活動している党員や大衆団体内のその他の党員が、非党員大衆を思想的に、政治的に我が党のまわりに結集させる活動を十分におこなっていないためです。いまだに大衆団体で活動している党員は、非党員の同盟員と一体となっておらず、階級的利益の共通性について十分かれらに解説していません。

 それゆえ、大衆団体を我が党のまわりにさらにかたく結集することは、いま、我が党の当面する中心課題の一つであります。このために、大衆団体に有能な幹部を派遣し、定期的に大衆団体の幹部を教育すべきであります。また、大衆団体の活動家は、大衆のなかに入って大衆と呼吸をともにし、大衆の利益を尊重し、大衆が実生活のなかで提起するいろいろな問題を適時に解決して、大衆のなかで威信があり信望のあつい活動家となるようにしなければなりません。大衆団体の幹部は、大衆に命令し、大衆の声を聞こうともせず、大衆から浮き上がるようないっさいの正しくない活動作風を徹底的に改めなければなりません。

 同時に、労働党員は大衆のあとをついていくべきではなく、常に党員としての独自性と進歩性を堅持しなければなりません。大衆団体に参加しているすべての党員は、常に党的な立場を守り、祖国と人民のために献身的に働く模範を示すことによって、大衆団体内の非党員の同盟員に、労働党こそかれらの階級的利益を徹底的に守る党であり、労働党のみが朝鮮人民を自由と幸福と民族の繁栄へ導く党であり、労働党員こそかれらの真の友人であることを明確に認識させるようにしなければなりません。

 長年にわたる日本帝国主義の植民地支配が残した最も大きな災いの一つは、民族幹部がなかったということです。祖国創建の道を歩みだした我が党は、政治、経済、文化の各分野にわたって幹部の不足を痛感しています。これは、我々の前進運動に大きな難関をもたらしています。

 そこで我が党は、人民のなかから新しい幹部を登用し、実際の活動を通じて教育し訓練する活動を進めるとともに、他方では、常設の教育機関を通じて党および国家機関の幹部を養成しはじめました。総括期間に、我々は中央党学校や各道党学校を通じて、既に4千名余りの党幹部を養成し、各種の短期講習体系を通じて多数の幹部を再教育しました。

 幹部を養成し、正しく選抜し配置することは、あらゆる活動において決定的な意義をもつ問題であり、特に幹部が不足し、その構成が複雑である我々の場合はなおさらそうであります。

 我が党の幹部政策の重要な原則の一つは、人民のなかから生まれ、人民に奉仕する新しい幹部を登用して、たえずかれらを教育し訓練することであり、支配階級出身で支配階級に奉仕していた古い幹部を改造し、祖国と人民のために奉仕するようにすることであります。

 幹部を選抜し配置するということは、幹部を登用して事務室をあてがい、そこでさまざまな指令書をつくらせることでもなければ、多くの人をむやみにあちこちに異動をさせて、たえずひっぱりまわすことを意味するものでもありません。スターリン同志が言っているように、幹部を正しく選抜し配置するということは、幹部を党と国家の最も貴重な宝として大事にし、尊重することを意味し、幹部を十分に理解して、かれらの政治的水準と実務能力、長所や短所などを詳しく、よく知ることを意味し、幹部を教育し、実際の活動を通じて訓練し、かれらの思想・意識と実務能力を高めるために辛抱強く努力することを意味し、将来性のある新しい若い幹部を適時に大胆に登用することを意味し、幹部の配置にあたっては、かれらが自分の才能と素質を最大限に発揮できる適切な部署に配置することを意味します。

 だが、党の幹部政策を実行するうえで、我々にはまだ多くの欠陥があります。幹部にたいする活動、特に古い幹部を包容し、教育改造する活動が不十分であり、若い幹部の登用を必要以上にためらったり、党と祖国と人民に忠実で実務能力のある幹部を選抜するのではなく、情実や親友関係で、甚だしくは分派的なつながりで選抜するなど重大な欠陥が少なくありません。このような党的原則をはなれた幹部事業の偏向は、結局、国家機関に異分子がもぐり込むすきを与え、忠実でなく、能力のない者が重要な地位をしめて、国家の仕事をサボタージュしたり、あるいは仕事を失敗に終わらせる結果をまねくことになります。

 それゆえ、各級党組織は、幹部の選抜と配置にあたって、党的原則と政治的警戒心を欠くどんなに些細なことも許してはならず、そのような行為にたいしては仮借なく闘争しなければなりません。各級党組織は、党の幹部政策を正しく実行することに第一義的な関心を払うべきであります。そうして、労働者階級をはじめとする勤労人民のなかから、優秀な新しい幹部を見つけだしてためらうことなく登用し、経験の浅い若い幹部を実践活動を通じてたゆみなく教育し、政治的に訓練しなければならず、古い幹部を新しい社会の進歩的な思想で再教育する仕事を立派になし遂げなければなりません。党の幹部政策を貫くため、党の幹部部の仕事をさらに改善し、活動のなかで点検ずみの有能な新しい幹部で党の幹部をおぎなう必要があります。


 3 党の宣伝および思想教育活動

 党の合同以後、我が党が大衆的な政党となり、その隊列が急激に成長した状況のもとで、党の宣伝活動をひろく展開し、党員と幹部をマルクス・レーニン主義の思想で武装させる教育活動を強めることは、いっそう切実な問題となっています。

 党の宣伝活動とマルクス・レーニン主義的教育活動は、我が党を組織的に強化し、一つの思想、一つの意志で結束させる強力な武器であります。我々が党隊列の純潔を保ち、党の組織原則を確立し、幹部を正しく配置したとしても、もし、党の宣伝活動と思想活動がうまくいかないならば、不可避的に誤りと偏向が生まれ、党の路線と政策を正しく実現することはできなくなるでしょう。党の宣伝活動と思想活動が弱まれば、幹部と党員は、我々の偉業の正しさと勝利にたいする確信を失い、はっきりした政治的見解ももてず、上部の指示を盲目的に実行するようになります。こうした状況のもとでは、幹部の創意性と党員の自発的な熱意は期待できず、党活動を強力に進めることもできないことは明白であります。これに反して、党の宣伝活動とマルクス・レーニン主義の思想教育が立派におこなわれる場合は、疑いなく党活動に革新がおこり、祖国建設の大業は勝利のうちに促進されるでありましょう。

 それゆえ我が党は、党の合同以後こんにちにいたるまで、党の宣伝活動と思想教育活動を改善し強化するために最も深い関心を払い、既に大きな成果をおさめました。

 現在我が党は、党の出版物をはじめ、少なからぬ宣伝手段と広範な党教育網をもっています。党中央委員会は、党の合同以後、党の学習教材と宣伝資料および多くのマルクス・レーニン主義の書籍を出版しました。この期間に党中央委員会宣伝扇動部が出版した書籍だけでも、およそ3百万部に達します。我が党は、中央機関紙『労働新聞(ロドンシンムン)』と理論雑誌『勤労者(クンロジャ)』をもっており、各道にも道党委員会の機関紙があります。

 しかし、党の宣伝活動と教育活動の面でも、我々には多くの欠陥があります。一部の党組織は、この活動を極めて形式的におこなっており、党の政策を宣伝し、党員の思想・理論水準を高めるために当然払うべき注意を払っていません。

 各道党委員会の講師は、政治・時事問題の講演やマルクス・レーニン主義理論の講義を十分な準備にもとづいて高い水準でおこなうことができず、党の宣伝活動以外の仕事に動員されることがしばしばあります。党中央委員会の決定によって、各道・市・郡党委員会に党の図書室が設置されましたが、この図書室は、党の宣伝活動と教育活動に十分利用されておらず、たいていの場合扉を閉ざしているのが現状です。これらの事実は、党の幹部が、口先では党員と大衆のなかに党の政策を解説し浸透させ、かれらをマルクス・レーニン主義の思想で武装させる必要性を強調していますが、実際にはこの仕事に力を集中していないことを物語っています。これは、我が党の思想活動の発展を阻むものであります。

 それゆえ、党の宣伝活動と思想教育活動を一日も早く改善し強化することは、各級の党組織に提起されているさし迫った課題であります。

 我々は、党機関紙と党出版物の質をいちだんと高め、すべての宣伝手段の利用と党教育網の運営を改善して、我が党の立場と政策を人民大衆に宣伝し、幹部と全党員を百戦百勝のマルクス・レーニン主義思想で武装させる活動を決定的に強めなければなりません。それと同時に、常設の党教育機関である中央党学校や道党学校の水準を高め、授業期間を長くし、政治的、思想的によく準備された有能な党幹部をより多く養成しなければなりません。また、道・市・郡党委員会の講演課と講師の役割を高め、講師に理論水準を高めることのできる条件をつくってやり、党の図書室の活動を強化しなければなりません。

 思想活動の弱いところには、必ず我が党と勤労人民に敵対するブルジョア思想が頭をもたげるということを常に銘記し、各分野でいっさいの反動思想の侵入に反対する思想闘争を強力におし進めるべきであります。党の宣伝・思想活動をおろそかにしたり、マルクス・レーニン主義の理論学習をおこたる傾向にたいしては、厳しい党的批判を加えなければなりません。

 党の思想活動で最も重要な問題の一つは、労働者階級をはじめとする勤労人民に、我が国の過去および現在の状況と社会的階級関係を正しく認識させて階級意識を高め、階級の敵にたいする政治的な警戒心を強めることであります。

 それでは、こんにち我が党の政策に反対しているのはどのような階級、または階層でしょうか。

 それは第1に、アメリカ帝国主義のドルに買収された親日派、親米派、民族反逆者であります。なぜなら、我が党が、かれらの政治的野望と反人民的な正体を徹底的に暴露し、祖国と民族を売り渡そうとするかれらの陰謀を粉砕するためにたたかっているからです。

 第2に、我が党の政策に反対しているのは、反動的な地主とごく少数の悪質な企業家および悪徳商人であります。なぜなら、我が党が地主から土地を没収し、民主改革をおこない、民族経済を発展させて、悪質な企業家、悪徳商人が人民を搾取し、暴利をむさぼる基盤をなくしてしまったからです。

 第3に、アメリカ帝国主義者に買収された一部の悪質な長老や牧師が我々に反対しています。我々は、信教の自由を宣言し、宗教を許しています。それにもかかわらず、なぜかれらは我々に反対しているのでしょうか。それは、我が党が民主改革を実施し、人民の政治・思想意識と文化水準を急激に高めた結果、悪質な長老や牧師が宗教の名に隠れて人民大衆をあざむくことが、ますますむずかしくなったからです。

 我々の勝利が大きくなればなるほど、あらゆる売国的な反動分子のあがきがいっそう激しくなるということを、片時も忘れてはなりません。

 反動分子のさまざまな狂気じみた陰謀を粉砕し、激しい階級闘争で勝利するためには、全力をつくして党の宣伝活動と思想教育活動を強化し、全党をマルクス・レーニン主義の思想で武装させ、人民大衆の階級意識と自覚にもとづく熱意を大いに高めなければなりません。

 同志のみなさん!

 この一年半のあいだに、我が党が歩んできた道は、おおむね以上のとおりであります。

 我々には勝利と成果がありましたが、欠陥や誤りもありました。党中央委員会は、我が党組織の欠陥と党の一部の幹部がおかした誤りをそのつど暴露して是正し、各時期ごとに正しい政策と闘争方針を示して、その徹底的な実現を保障しました。

 こうして、我が党は総括期間に、祖国と人民のために偉大な業績をつみあげました。

 我が党は、祖国の複雑な情勢に照らして、北朝鮮で人民政権を強化し、民主改革の勝利をかため、民族経済の復興発展を促進して、北朝鮮を祖国の統一独立と民主的な発展のための鉄のような砦に変えました。これは、解放後、我が党と朝鮮の民主勢力がおさめた偉大な勝利であり、朝鮮を再び植民地に変えようとするアメリカ帝国主義にたいする最も大きな打撃であります。

 総括期間に、我々がおさめた巨大な成果は、我が党と人民に、勝利にたいする確固たる信念と自信を与えました。我が党が歩んできた道は、我が党がおこなおうとしてできなかったことはなく、党と人民が一体となれば克服できない難関はなかったことを明示しています。したがってこんにち、我が党員と全人民は、祖国の自由と独立を侵すいかなる敵にも、我々の前進を阻むいかなる難関にも、立派にうちかって勝利をおさめることができるという確信をもつようになりました。

 我が党が歩んできた道と北朝鮮の現実は、「朝鮮人民は、劣等民族であるから国家を統治することができないし、朝鮮人民には強力な政党はつくれない」と言っていた帝国主義者の誹謗を完全にうちくだきました。こんにち我々は、朝鮮民族が世界の先進民族と同列に並んで国家を立派に管理しており、祖国と人民の運命を切り開くことのできる偉大な政党をもっていることを堂々と誇ることができます。

 このように、我が党と人民は大きな勝利をおさめました。しかし、我々はいまなお、全朝鮮人民が一日千秋の思いで渇望している統一的な民主主義人民共和国を樹立していません。アメリカ帝国主義者は、祖国と民族を分裂させ、朝鮮を植民地にするための侵略政策を実施し、我が党と朝鮮人民に反対する悪辣な策動をおこなっています。だが、我が党と人民は、敵の凶悪な企みを絶対に許さないでありましょう。

 こんにち、祖国と人民は、我が党に偉大な歴史的使命を託しています。我が党は、全朝鮮の民主勢力とともに、全朝鮮の人民とともに不撓不屈の闘争を展開して、必ず祖国の完全な自主・独立を達成し、祖国と民族を勝利と幸福へ導くでありましょう。

 私は、我が党中央委員会を代表してすべての党組織と党員に、我が党が創立以来一年半のあいだにおさめた輝かしい勝利をかため、発展させ、祖国の自由と独立と民族の栄誉を守るために、党を組織的にも、思想的にもいっそう強化するよう訴えます。

 私は、我が党中央委員会を代表してすべての党組織と党員に、いつにもまして民主主義民族統一戦線を強化し、緊張した動員態勢をひきつづき堅持し、全党と全人民を富強な祖国建設のために、そして1948年度人民経済計画を超過完遂するための闘争に力強く立ち上がらせるよう訴えます。

 我が党中央委員会を代表して私は、すべての党組織と党員に、これまでの闘争で得た貴重な経験と教訓を生かし、敵の動きにたいして革命的警戒心を大いに高め、我が党と人民政権のまわりに広範な人民大衆をかたく結集し、全党と全人民の力を祖国統一のための闘争へ、アメリカ帝国主義者の民族分裂政策に反対する全民族的な闘争へ立ち上がらせるよう訴えます。

 我が党中央委員会と党大会を代表して、私は、祖国と人民のために反動派との激しい血みどろの闘争をくりひろげている南朝鮮労働党と英雄的な南朝鮮同胞に、あつい戦闘的なあいさつと兄弟の声援を送ります。

出典:「金日成著作集」4巻


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