金日成『北朝鮮労働党第2回大会でおこなった中央委員会の活動報告 』

2 国内情勢

 1 朝鮮の政治情勢と祖国統一のための闘争

 同志のみなさん!

 戦後の国際情勢における深刻な変化は、我が国の政治情勢に最もするどく反映されています。こんにち朝鮮問題は、たんに我が国だけの問題ではなく、国際舞台における民主と反民主との闘争の一環をなしている問題であります。

 解放直後からこんにちまでの、我が国の政治情勢は、愛国的な民主勢力と売国的な反民主勢力との激しい闘争によって特徴づけられます。国内のあらゆる政治勢力は、大きく2つに分かれています。すなわち、祖国の自由と独立をめざしてたたかうすべての愛国的人士と朝鮮人民は強力な民主勢力を形成しており、偏狭な政治的利得や個人の利益を祖国と民族の利益よりも大切に考える一切の売国奴や親日派は、反人民的な反動勢力を形成しています。

 我が国におけるこの2つの勢力間の闘争は、もし、アメリカの反動的な干渉さえなければ、極めてたやすくなんらの複雑さもなしに、朝鮮人民の望むとおりに解決されたことでしょう。なぜなら、解放後、全人民から憎悪され排撃されているごく少数の親日派と民族反逆者によって形成された朝鮮の反動勢力は、人民大衆のあいだになんの地盤ももっておらず、かれらの力は解放された朝鮮民族の強大な民主勢力に比べれば、とるにたらぬものであったからであります。

 しかし、こんにちにいたるまで、我が国でのこの2つの勢力間の闘争は解決されず、朝鮮問題は日を追って、さらに複雑さをましています。それは親日派、民族反逆者からなる一握りの反動勢力が、国際反動のかしらであるアメリカ帝国主義者にあやつられ、かれらの積極的な庇護と支援を受けているからであります。こうして、解放後、著しく成長した朝鮮の民主勢力は、一方では国内の反動勢力とたたかい、他方ではアメリカ帝国主義をかしらとする国際反動勢力とたたかうようになりました。

 どのような事態が、我が国にこうした複雑な情勢をつくりだし、朝鮮問題の解決をこのように困難にし、先鋭化させたのでしょうか。

 日本帝国主義が撃滅され朝鮮が解放されるや、我が国には、38度線を境にソ米両国の軍隊が進駐しました。

 アメリカ軍が南朝鮮に上陸するまえには、南朝鮮でも親日派、民族反逆者は、強力な民主勢力におされて息を殺しているありさまでした。解放を迎えた民族の限りない歓喜と愛国的情熱で全国がわきかえり、我が国は人民の望む民族的再生と独立への道を進んでいました。ところが1945年9月8日、アメリカ軍が南朝鮮に上陸するや、再び我が国には暗雲がただよいはじめました。

 私はこんにち、朝鮮の南半部と北半部に全くあい異なる情勢が生じ、南北朝鮮が互いに正反対の方向へ進んでいるのが偶然でないことを証明するために、ソ米両国の軍隊が朝鮮に進駐したその日に、それぞれ朝鮮人民に布告した歴史的な文書をこの場でもう一度想起したいと思います。

 弱小民族の独立と自由を尊重し擁護する偉大なボルシェビキ党によって指導されるソ連軍は、我が国に進駐した当日、朝鮮人民に向かって次のように宣言しました。

 「朝鮮人民よ、(略)朝鮮は自由な国となった。しかし、これは、まだ新しい朝鮮の歴史の第一歩にすぎない。美しい果樹園が人間の勤労と丹精のたまものであるように、朝鮮の幸福も朝鮮人民の英雄的なたたかいと不断の努力によってのみ達成されよう。朝鮮人民よ、記憶せよ。幸福は諸君の手中にある。諸君は自由と解放をとりもどした。いまやすべてが諸君たちのものとなった。ソ連軍は、朝鮮人民が自由に創造的労働ができるよう、あらゆる条件をつくるであろう。朝鮮人民自身が、自分の幸福を創造しなければならない」

 これがまさに、ソ連軍が、我が国に進駐した当日の宣言文であります。ソ連軍が、この宣言の約束をいかに正しく実行したかについては、朝鮮人民がその手に権力を握り、完全に自分の意思に従って、祖国の民主建設を進めているこんにちの北朝鮮の現実が明確に示しているので、ここでことさら説明を加える必要もありません。

 ところがアメリカ軍は、南朝鮮に上陸したその日から朝鮮人民にたいしてどんな布告をだしたでしょうか。私は、アメリカ軍が南朝鮮に足を踏み入れた当初に発表した布告文のなかから、いくつか引用したいと思います。

 「(略)本官は、本官に付与せられたる太平洋米国陸軍最高指揮官の権限をもって、ここに朝鮮の北緯38度以南の地域および同地の住民にたいして軍政を施行する。よって占領にかんする条件を左のごとく布告する。

 朝鮮の北緯38度以南の地域および同住民にたいするすべての行政権は、当分のあいだ本官の権限のもとに施行する。住民は、本官および本官の権限をもって発せられたる命令に直ちに服従すること。占領軍にたいする反抗行動、または秩序保安を攪乱する行為をせし者はこれを厳罰に処す。軍政期間中は、英語をもってすべての目的に使用する公用語となす(略)」

 これがまさに、ウォール街の主人たちの支配下にあるアメリカ軍が、我が国土に進駐したときの布告文であり、その後、すべてがこの布告文どおりに実施されていることは、悲惨な南朝鮮の現実が明白に証明しています。

 このようにソ米両軍の進駐の日から、我が国の2つの部分には完全にあい異なる政治情勢がつくりだされ、我が国は、民主・自由・建設の北朝鮮と、反動、虐殺、破壊の南朝鮮とに分かれるようになりました。

 アメリカ軍は、南朝鮮に進駐するや否や、植民地従属化政策を実施しはじめ、その目的を達成するために、まず2つの根本的な方針をとりました。政治的には、植民地奴隷化政策に抵抗する、解放された民族の民主的な創意をことごとく抑えつけ、いっさいの民主勢力を弾圧するとともに、朝鮮民族を分裂に導き、朝鮮を自己の植民地にするための侵略政策に手をかす反動勢力を糾合し助長しました。また経済的には、朝鮮の民族工業と民族経済の発展を阻み、それをアメリカ経済に従属させる政策を実施しました。

 アメリカ軍は、南朝鮮を占領した当初からすべての愛国的、民主的な人々を迫害し、解放直後人民の創意によって樹立された人民委員会を解散させ、アメリカ軍政をしきました。そして、アメリカや中国からつれてきた売国奴や国内にいた親日派、民族反逆者をかきあつめて、南朝鮮の反動勢力を形成しはじめたのです。

 アメリカ帝国主義者は、南朝鮮を完全に自己の植民地につくりあげ、ひきつづき南朝鮮の米穀、金、銀、銅、タングステンなどあらゆる貴重な資源を略奪し、南朝鮮にかれらの余剰商品を売り込み、全朝鮮を完全に占領して東方侵略の前哨基地に変えようと企んでいます。

 アメリカ帝国主義者の朝鮮にたいするこのような政策は、朝鮮人民の強力な反抗を呼びおこさずにはいませんでした。アメリカ軍政下の南朝鮮で起こった一連の人民抗争は、アメリカ帝国主義者の軍事的支配と植民地従属化政策にたいする南朝鮮人民の当然の回答でありました。

 しかしアメリカ帝国主義者は、朝鮮にたいする凶悪な植民地従属化政策を実現するため、ソ米両軍は、朝鮮から同時に撤退し、朝鮮問題の解決を朝鮮人氏自身にゆだねるべきだというソ連側の主張を真向から拒否しました。そして、不法にも朝鮮問題を国連にもち込み、「国連臨時朝鮮委員団」をでっちあげるにいたりました。国連総会で、各国代表の正当な主張があったにもかかわらず、アメリカは朝鮮問題の討議に朝鮮人民の代表が参加することを拒みました。こうして、国連の朝鮮問題にかんする「決定」は、朝鮮人民の代表の参加なしに、アメリカとその追随諸国によって、勝手に強引に採択されたのであります。これは、朝鮮民族にたいする侮辱であり蔑視であります。

 アメリカはなぜ、朝鮮問題の討議に朝鮮人民の代表が参加するのを拒否したのでしょうか。それは、アメリカ帝国主義者が、朝鮮人民の代表の主張を恐れ、世界の世論を恐れたからであります。アメリカ帝国主義者は、もし、朝鮮人民の代表が国連での朝鮮問題の討議に参加すれば、アメリカ軍政の支配下にある南朝鮮の真相が全世界に暴露されることを知っており、それをなによりも恐れたのです。ウクライナ、チェコスロバキア、ポーランド、その他の民主諸国の代表が、朝鮮からの外国軍隊の撤退にかんするソ連代表団の提案を全面的に支持し、朝鮮問題の解決を朝鮮人民自身にゆだねることを強く主張したにもかかわらず、アメリカは朝鮮代表の参加もなしに、かれらの投票機械をあやつって、国連に朝鮮問題にかんする不法を「決定」を強引に採択させました。

 朝鮮人民は、早くからアメリカのこのような策動について知っていました。モスクワ3国外相会議のときから2回にわたるソ米共同委員会にいたるまで、アメリカがとってきた態度は、こんにち、「国連臨時朝鮮委員団」をつくりあげたアメリカ帝国主義者の狙いがどこにあったかをはっきりと示しています。

 「国連臨時朝鮮委員団」の「使命」は明白であります。それは、朝鮮にたいするアメリカの植民地化政策を「選挙」の名のもとに正当化し、そのような謀略「選挙」を通じて、民族の利益より自己の利益を重んじ、祖国と人民を外国に売り渡す、親日派や民族反逆者たちでアメリカ帝国主義者の気にいる「政府」をでっちあげ、南朝鮮を我が国から永久にきりはなして、アメリカの植民地に変えようとするものであります。したがって、南北朝鮮の全人民とすべての良心的で愛国的な人々は、政見、信教、財産のいかんをとわず、はじめから「国連臨時朝鮮委員団」に反対して立ち上がっており、さらに最近では、右翼陣営のなかでさえも「国連臨時朝鮮委員団」に反対する声がしだいに高まっています。

 「国連臨時朝鮮委員団」を支持し民族分裂政策に賛成しているのは、ただ「慶尚(キョンサン)道一道にだけでも政府をつくらねばならない」と騒ぎたてている李承晩、金性洙(キムソンス)など反動的な売国奴一味だけであります。

 このように、我が国には、極めて明白にあい対立した2つの路線があらわれています。その一つは、一日も早く朝鮮人民の真の統一政府をうち立て、朝鮮の完全な自由と独立を実現しようとする民主主義の路線であり、もう一つは、朝鮮を人為的に分裂させ、国連の名のもとにアメリカのかいらい政府をつくりあげ、南朝鮮を完全な植民地にしようとする反動的な路線であります。

 全朝鮮人民は、民族の利益に反する反動的な路線と朝鮮問題にかんする「国連小総会」の「決定」に断固反対し、「国連臨時朝鮮委員団」の庇護のもとにでっちあげる売国的な反動かいらい政府を、いかなる状況、いかなる条件のもとでも断じて認めないでしょう。

 長いあいだ日本帝国主義の支配のもとで、植民地的抑圧と屈辱的な奴隷生活を体験した朝鮮人民は、二度とどの帝国主義者の奴隷にもなることを欲しないし、アメリカ人のこのような侵略の陰謀に絶対にだまされないでしょう。朝鮮人民は、かつての朝鮮人民ではなく、既に祖国の半分の地域で偉大な民主改革をおこない、真の民主的権利と自由を享受しており、ひきつづき、より明るい未来をきりひらいて進んでいる自覚し団結した人民であります。飢えに苦しみ、虐げられ、抑圧されている南朝鮮の同胞も、アメリカ帝国主義者の正体を見ぬき、かれらの政策の本質を知るようになり、幸福な新しい生活を創造している北朝鮮の兄弟たちと力を合わせて断固たたかっていけば、必ず勝利をおさめることができるという信念をいだくようになりました。いかなる力も、祖国の民主主義的統一と独立のために立ち上がった朝鮮人民を屈服させ、従属させることはできません。

 同志のみなさん! 祖国に生じたこのような緊迫した情勢に照らし、我が党は北朝鮮の民主的な諸政党、大衆団体とともに、朝鮮人民の進むべき道をもう一度明らかにするため、人民の要求と完全に一致する臨時憲法草案を作成し、全人民の討議にかけました。いま、我々は南北全朝鮮人民の熱烈な支持のもとに、憲法草案の討議をおこなっています。憲法草案は、北朝鮮人民がみずからの手に政権を握り、解放後の2年間に社会の民主的改革を実施する過程でかちとった獲得物を法的に確認し、固定させ、全朝鮮人民に祖国の進むべき道をさし示す歴史的な文献であります。

 統一的な民主政府を樹立するという我が党の主張は以前と変わりありません。我が党は、一般、平等、直接の選挙原則と秘密投票の方法によって、全朝鮮にわたる最高立法機関の選挙を主張します。このようにして選挙された人民の最高立法機関は、民主的な憲法を制定し、朝鮮人民を民族的繁栄と幸福へ導く真の民主主義的人民政府を組織すべきであります。朝鮮人民みずからが、このような方法によって統一政府を樹立することは、外国軍隊が撤退した条件のもとでのみ可能であります。

 我々は、全朝鮮人民の要求にかなった我が党のこのような主張を実現するため、南北朝鮮の愛国的な民主勢力と、祖国の自由と独立をめざす良心的なすべての人々との団結をいっそう強め、アメリカ帝国主義者の狡猾な植民地奴隷化政策に反対してあくまでたたかわなければなりません。

 そのため我が党は、北朝鮮の民主的な政党や大衆団体とともに、南朝鮮単独政府の樹立に反対している南朝鮮の各政党、大衆団体にたいし、今年の4月14日平壌市で、南北朝鮮の民主的諸政党、大衆団体の代表者達席会議を開くことを提案しました。

 この連席会議で、国内情勢を審議し、国土を分断しようとする反動派のあらゆる企みを粉砕して祖国の統一を促進し、世界の自由愛好諸国と対等な一員となるべき朝鮮の民主主義的統一国家の樹立を促進する具体的な計画と方策を採択することになるでしょう。

 我々は、祖国の栄誉と民族の自由と独立をめざす愛国的な諸政党、大衆団体と良心的で愛国的なすべての人々が、この提案に全面的に賛成し、支持するものと確信します。

 北朝鮮労働党と南朝鮮労働党は、南北朝鮮のすべての愛国的民主勢力と全人民を自己のまわりにかたく結集し、ひきつづき、ねばりづよい闘争をくりひろげて、我が国を分裂させ植民地化しようとするアメリカ帝国主義者の野望を粉砕し、祖国の統一と完全な自主独立を必ず達成するでありましょう。


 2 新しい形態の人民政権の樹立と民主改革の実施

 同志のみなさん!

 我が党は、解放直後直ちに、民主主義的人民共和国をうち立てて、我が国を、人民の幸福と自由と権利を保障し、国際的には民主主義諸国の対等な一員となるべき富強な自主・独立国家に発展させることを、基本的な政治課題としてうち出しました。この基本課題を実現するために、党は当面の課題を次のように規定しました。

 1 愛国的、民主的な各政党、各派が参加する民主主義的民族続一戦線を結成して、広範な愛国的民主勢力を結集し、朝鮮民族の完全な自主・独立を保障する民主主義人民共和国を樹立するために努力すること。

 2 民主主義的建国事業の最も大きな妨げとなっている日本帝国主義の残存勢力と国際反動の手先、その他いっさいの反動分子を一掃し、朝鮮民族の順調な民主主義的発展をはかること。

 3 統一的な全朝鮮の民主主義臨時政府を樹立するため、まず各地方に真の人民の政権である人民委員会を組織し、民主改革をおこない、日本帝国主義者が破壊した工場、企業所および人民経済全般を復興し、人民の物質・文化生活水準を向上させ、民主主義的独立国家建設の基本的土台をきずきあげること。

 4 これらすべての課題を達成するために、党を拡大強化し、各階層の大衆を組織し、かれらを党のまわりに結集させるための大衆団体の活動を強力におし進めること。

 我が党は、このような任務を遂行する手はじめとして、まず新しい形態の人民政権機関の樹立にとりかかったのであります。

 我々は、日本帝国主義支配の古い国家機構を存続させるとか、それを多少改良した国家機構をつくるのではなく、解放された朝鮮人民の要請と全く一致し、我が国の民主主義的な発展に最もよく適応し、人民の各階層、とりわけ広範な勤労大衆の利益を代表する新しい形態の政権機関をうち立てなければなりませんでした。

 我が党は、外国の干渉を受けず朝鮮人民の創意によって樹立された人民委員会を、このような新しい形態の政権機関として規定しました。それは人民委員会こそ、人民の創意によって人民みずからの手でうち立てられた政権であり、そして、朝鮮人民の敵である親日派、民族反逆者、地主および買弁資本家に反対し、労働者階級を中核とする勤労大衆と全人民の利益を代表する政権であり、広範な大衆のなかに深く根をおろし、人民の要請に最も機敏にこたえ、人民から支持され、かれらと血縁的にむすびついた政権機関であり、また、それは古いブルジョア社会の「議会制民主主義」的政権形態ではなく、悪辣な日本帝国主義支配の抑圧的国家機構が一掃されたところに発生した、全く新しい民主主義的政権の形態であり、今後、朝鮮人民を、自由で、幸福で、豊かないっそう高度の民主主義社会へ導くことのできる新しい形態の政権であるからです。

 このような形態の政権機関であってこそ、我が国の完全な自主・独立を保障し、広範な人民大衆を自己のまわりに結集することができ、かれらの政治的熱意と愛国心を高度に発揮させ、すべての力を富強な祖国の建設に奮い立たせることができます。したがって、我が党は、このような新しい形態の政権をつくり、その強化のために、全党と全人民の力を動員しました。

 各地方に新しい政権機関がつくられ、その発展にともない、各地方人民委員会を統一的に指導する中央機関を創設する課題が提起されました。このような中央の国家機構を創設してこそ、人民政権機関の分散性と地方割拠主義的傾向をなくし、祖国と人民の当面した緊急な政治的・経済的課題をいっそう円滑に、統一的に実現することが可能でした。そこで我が党は、北朝鮮の民主的政党、大衆団体とともに、1946年2月、北朝鮮臨時人民委員会を樹立しました。

 人民政権機関を樹立し強化するのは、容易なことではありませんでした。それは第1に、国家を管理し政権を運営する民族幹部の不足、第2に、外部または内部から人民政権機関の威信と権威をそこねようとする親日派、民族反逆者および反動分子の策動、第3に、偏狭なセクト主義的傾向に陥った一部の党幹部の人民政権にたいする認識不足など、さまざまな難関を克服する過程でのみ、人民政権の樹立とその強化が可能であったからであります。

 しかし我が党は、広範な人民大衆の革命勢力を動員して、これらの難関と反動の策動を断固しりぞけ、数回にわたる民主的な選挙を通じて、上部から下部末端にいたるまで人民政権機関を強化しました。人民政権機関を強化する闘争は、祖国を民主化する偉大な社会的・経済的改革と並行して進められました。

 我が党は、北朝鮮臨時人民委員会に提起した11か条の当面の課題と、朝鮮臨時政府の樹立をひかえて1946年3月に発表した20か条の政綱を実現する民主改革に着手しました。

 民主改革をおこない、社会生活の各分野から植民地的・封建的束縛を一掃することなしには、長いあいだの日本帝国主義の支配によって破壊された産業と農業を急速に復興させ、極度の貧困と飢えに悩む広範な人民大衆の物質生活を改善することはできませんでした。解放された朝鮮人民は、古い方法ではなく、新しい方法で祖国を再建することを求め、二度と植民地の奴隷として、また封建的な従属のもとで暮らすことを望まず、真に民主的な新しい生活の道にそって自己の運命を切り開くことを求めたのであります。

 こうして我が党と人民政権には、農民の長いあいだの念願である土地問題をはじめ、民族経済の基礎をなす産業間題、労働者階級の切実な要求である労働保護の問題、婦人の社会的権利保障の問題など、必ず解決しなければならない重要な課題が提起されました。我が党はこれらの課題をなし遂げるため、民主的諸政党、大衆団体とともに北朝鮮臨時人民委員会を支持して、土地改革、産業国有化、労働法令、男女平等権法令など偉大な民主改革を実施するようにしました。

 我が党は、なによりもまず民主改革で最も重要な位置をしめる土地改革を成功裏になし遂げるため、全力を尽くしました。党は、地主と小作農および雇農とのするどい階級闘争で勤労農民の勝利を保障するため、最もすぐれた党員や祖国建設の主導的部隊である労働者を農村に派遣し、雇農と貧農を中核とする1万1500余りの農村委員会を組織して、勤労農民の利益にそうよう土地改革法令を正しく実行させ、また地主の反抗を粉砕し、立ち後れた農民層に与えるかれらの反動的な影響を取り除くため、悪質な地主を移住させるなど、大きな事業をくりひろげました。それと同時に、党のすぐれた宣伝員を全国各地に派遣して、土地改革の歴史的意義を広範な農民大衆に解説し、浸透させて、かれらの階級的自覚を高め、地主その他の反動分子の反動的なデマや悪宣伝をそのつど暴露し粉砕しました。

 土地改革の実施にひきつづいて、産業国有化、労働法令、男女平等権法令など、民主改革のすべての課題を成功裏に遂行しました。

 我が党の主導的役割と大規模な組織動員活動によって、北朝鮮で実施された偉大な民主改革は、解放後わずか2年半のあいだに北朝鮮の社会・政治・経済・文化生活を一新させ、広範な人民大衆の切実な要請を解決しました。

 まず土地改革は、農村での停滞と立ち後れと貧困の深い根源を取り除き、農業の発展と国の全般的な社会的・経済的発展のひろびろとした道を開く一大革命でありました。

 それは第1に、農村での封建的土地所有関係を一掃し、耕作する農民自身を土地の主人とすることによって、農業生産力を長いあいだの封建的な束縛から解放し、朝鮮農村の営農方法と文化、風習、その他のあらゆる分野で中世的な立ち後れをなくすための強固な土台をきずきあげました。

 第2に、土地にたいする朝鮮農民の長いあいだの念願を実現し、封建的な抑圧と搾取から農民を解放して、農民の愛国的・政治的熱意と生産意欲を著しく高め、かれらの物質・文化生活を向上させる有利な条件をつくりました。

 第3に、土地改革の実施は、反動の主な社会的基盤であった地主階級を一掃し、労働者階級の援助のもとに勤労農民を農村の主人とすることによって、農村の民主主義の陣地を決定的に強め、労働者階級と農民の同盟をいちだんと強化しました。

 第4に、土地改革の結果は、急速に復興しつつある工業に原料を供給し、住民の食糧を保障しうる条件をつくって、我が国の民族工業の正常な発展を促進する力となり、都市と農村の経済的な結びつきを強めました。

 最後に、土地改革の結果は、国際的にも大きな意義をもっています。東方諸国のなかで最初に実施された北朝鮮での土地改革は、植民地的・封建的抑圧と搾取に苦しむ東方諸国の人民と農民を限りなく励まし、かれらの進むべき道をてらす燈台となっています。

 労働法令により、朝鮮人民の歴史と朝鮮労働運動史上はじめての8時間労働制と社会保険制が実施され、労働者は過酷な植民地的労働条件から解放されました。これによって、労働者階級は、国家建設の中核部隊として、いっそう積極的に創造的活動をおこなうようになり、かれらの物質・文化生活を急速に向上させることができるようになりました。

 男女平等権法令は、朝鮮の人口の半分をしめる婦人を封建的な抑圧と屈辱から解放し、婦人に男子と同等の権利をもって国家の政治・経済・文化生活に参加できる条件を保障しました。

 次に、日本帝国主義者と買弁資本家の所有に属していた工場、製造所、鉱山、鉄道運輸、逓信、銀行などの国有化は、朝鮮人民の新しい社会の建設で大きな意義をもつ民主的改革でありました。

 産業国有化は、第1に、外国独占資本と買弁資本を収奪し、人民経済の基本的命脈を国家が直接握るようにしました。これによって、我が国における帝国主義的搾取と従属の経済的基盤は一掃され、国の重要な生産手段が、民族経済の自主的発展と全人民の福祉増進のために利用できる基本的条件がつくられました。

 第2に、産業国有化の結果、人民経済における国家的部門の指導的地位が保障され、国の経済を計画的に発展させる条件がつくられました。

 第3に、産業国有化は、我が国の労働者階級を搾取と抑圧から解放し、重要な工場、企業所の主人、産業の主人に変えることによって、その政治的・生産的熱意をこのうえなく高め、民主祖国建設における労働者階級の、主導的役割をさらに高めました。

 最後に、北朝鮮における産業国有化は、東方諸国の人民と労働者階級をしばりつけている帝国主義のくさりの一環をはじめてたちきった誇らしい出来事であり、東方の被抑圧人民に、植民地略奪者の経済的地盤を粉砕して民族経済の自主的発展を保障する道を明示しました。

 北朝鮮での民主改革の勝利は、我が国の完全な自主独立を保障する強固な政治的・経済的基礎をきずくとともに、我が国の現情勢のもとで北朝鮮を祖国の民主的発展のための強固な基地とし、アメリカ帝国主義者の植民地従属化政策から国と民族を救う強力な民主勢力の根拠地に変えました。

 北朝鮮における民主改革の勝利は、我が国が自由と独立と民主主義の道にそって、全朝鮮人民が一日千秋の思いで待ちこがれている朝鮮民主主義人民共和国の樹立をめざして力強く前進していることを示しています。


 3 我が党の経済政策と経済建設

 人民政権の樹立と民主改革の実施は、祖国建設の第一歩にすぎません。問題は、我が党が民主改革の勝利を踏まえて、全人民をいかに民族経済の復興発展のための闘争へ決起させ、富強な祖国建設の道へ導いていくかにあります。

 そこで、我が党と人民は、民主的な社会的・経済的改革でおさめた成果をかため、それにもとづいて民族経済を復興発展させる経済建設の道に入りました。ここで重要なことは、破壊された経済をたんに復興するだけではなく、工業とその他各部門で長いあいだの日本帝国主義支配の悪結果を一掃し、国営部門が支配的な地位をしめる方向で、民族経済を復興発展させることでありました。

 我が党の経済政策の基礎は、重要な工業部門と鉄道運輸、逓信、貿易および金融機関にたいする国家の直接的・計画的管理を保障し、人民経済の発展でたえず国営部門の指導的役割を強め、それにもとづいて国営部門と協同組合部門と私営部門を正しく結合することにありました。

 このような党の経済政策を実行する過程で、我々は多くの難関につきあたりました。

 第1に、長いあいだの日本帝国主義の支配の結果、我が国の経済は全般的に著しく立ち後れ、工業は植民地的跛行性と奇形性をおび、それさえも日本帝国主義者によってひどく破壊されていました。

 第2に、人民経済を管理運営する民族技術者がおらず、労働者階級のなかにも熟練労働者が極めて少なく、原料、資材、資金なども甚だしい欠乏をきたしている状況のもとで、経済建設にとりかかりました。

 第3に、我々の経済建設は、祖国が南北に分断され、また内外の反動勢力が朝鮮人民の新しい生活の創造に反対してあらゆる悪辣な破壊行動をおこなっている状況のもとで進められました。

 しかし、このような障害と難関も、富強な民主祖国の建設に奮い立った朝鮮人民の前進を阻むことはできず、強固な民族経済の基礎をきずきあげようとする朝鮮人民の意志をくじくことはできませんでした。党は、これらの重大な難関にうちかつための闘争へ全人民を奮い立たせ、我が国で初めての1947年度人民経済計画を立派に完遂するようあらゆる力を動員しました。

 我が党は、この時期に全党をあげて広範な人民大衆のなかで愛国的な建国思想運動を力強くくりひろげ、物資の節約、機械愛護、労働規律の強化、労働生産性の向上、原価引下げ、技術修得のための大衆的な闘争を展開しました。こうして、1947年度の人民経済計画は、各部門にわたって全般的に超過完遂されました。

 我々が、はじめて人民経済計画を作成して公表したとき、動揺分子や反動分子は、「でたらめな計画」だの「絶対に実現不可能だ」などといって、その計画をけなしました。だが、北朝鮮の工場、鉱山、炭鉱、農村、漁村で、労働党員を先頭にくりひろげられた勤労大衆の力強い増産競争運動と、かれらのなかから起こった生産の大高揚によって、動揺分子や反動分子のさまざまなデマは徹底的に粉砕され、計画は勝利のうちに完遂されました。

 総括期間に、党の経済政策を実行し、民族経済を復興発展させるうえで達成した大きな成果にもとづいて、我々は次のように結論づけることができます。

 第1に、我が党の主導的な役割のもとに達成された民主改革と経済建設の成果によって、北朝鮮は新しい人民的民主主義の道をしっかりした足どりで前進するようになりました。

 1947年の工業総生産額のうち、国営工業のしめる比重は80.2%、民営工業の比重は19.8%であり、そのうち鉱業部門では国営が100%をしめました。これは人民経済の指導的部門である工業で、国営経済が圧倒的に優勢であることを示しています。このほか、鉄道運輸、逓信、貿易、銀行なども国家の手に握られています。これらの条件は、国営経済の指導的役割のもとに、個人経営を統制、調節し、人民経済を計画的に運営し、たえず広範な人民大衆の福祉増進をはかる方向へ国の経済を発展させる強固な裏付けとなります。

 第2に、経済建設の実践をとおして、労働者、農民は、自己の偉大な力と創造的才能を自覚し、どのような難関にも十分うちかって建国の大業を達成することができるという自信をもつようになりました。1947年度の人民経済計画を遂行した経験によって、労働党員と全人民は、朝鮮民族も他の民族におとらず、みずからの手で祖国を立派に建設することができるという信念と民族的な自尊心をもつようになりました。

 最後に、昨年度の経済建設を通じて、我が党自体が少なからぬ経験をつみ、教訓を得たといわなければなりません。我が党は、初めての経済計画を実現する大衆的な闘争を展開する過程で、いっそう鍛えられ、経済建設を指導することのできる党になりました。

 我が党が経済建設で大きな勝利をかちとったからといって、我々の活動になんの欠陥もなかった、ということではありません。我々にはまだ、経済の指導を手際よくおこなえないところから、当然できることも十分にできなかったことが多いのであります。

 経済建設での我が党組織の第1の欠陥は、経済建設の知識と企業の管理運営の経験に乏しいことであります。

 いま我が国の情勢は、我が党が大衆を組織し、政治的に指導しうる党となるばかりでなく、経済を建設し、企業を管理運営することができ、経済知識と技術を身につけた建設者の党となることを求めています。

 したがって、我が党に提起された重要な課題は、経済建設の知識を修得し、経済運営の方法を学び、生産技術を身につけ、優秀な党員をためらうことなく経済指導幹部として登用し、党組織の活動を生産と直結させ、すべての党員が経済建設の先頭に立ってたたかうようにすることであります。

 経済建設での我が党組織の第2の欠陥は、企業運営の厳格な秩序と規律を確立するための闘争が弱いことであります。そのために、一部の産業企業所では、労働規律がゆるみ、労働者の流動が激しく、非生産的な支出や物資の浪費が見過ごされ、甚だしくは、国家の財産をかすめとる不正行為があとをたちません。

 我が党組織の当面の課題は、工場、企業所に厳格な革命的秩序と規律をうち立て、新しい人民的な企業管理体系を確立し、労働者を定着させてかれらの技術・技能水準を向上させ、労働生産性をいちだんと高め、生産物の原価を系統的に引き下げ、各国営企業所がそれぞれ収益性を高めるようにすることであります。これと同時に、党組織は、国家の財産や社会的な財産をかすめとる行為を反人民的な犯罪行為とみなして、これと妥協のない闘争を展開し、広範な勤労者と活動家のなかで国家財産を愛護し、節約する気風をつちかうための活動をねばりづよく進めなければなりません。

 第3の主な欠陥は、一部の党活動家と経済部門の幹部が、人民経済の発展において国営部門の指導的役割をたえず高めるという党の経済政策を深く認識せず、これを正しく実行していないことであります。いま、地方産業、水産業、商業などの部門では、国営経済の比率をさらに高める可能性があるにもかかわらず、それが極めて低い水準にあります。1947年に、民営は地方産業で93%以上を、水産業ではおよそ85%をしめ、小売商品の流通面では、私営商業が84.5%、国営および消費組合商業が15.5%をしめていました。これは、この部門を担当している一部の幹部が、国家と人民の利益を守る立場に立って仕事に取り組まず、企業家と結託し、安易な方法で仕事を処理しようとした結果だといえます。こんにち、国営工業で生産される貴重な物資や良質の商品の組織的な割り当てと供給がなされず、かなりの量が悪徳商人の手に渡り、よい漁場や漁船が国家ではなく個人業者の手に握られ利用されているのは偶然ではありません。

 地方産業、水産業および商業部門の指導に責任をもっている我が党の活動家は、このたびの党大会で当然、自分のおかした重大な誤りについて、党的な立場から自己批判すべきであります。これらの部門で活動している党組織と党活動家は、その誤りを改め、厳密に党の経済政策にもとづいて活動を進めるべきです。

 各級党組織は、党の経済政策にもとづいて人民経済における国営部門の比率を高め、その指導的役割をたえず強めて、国家の経済が全人民の幸福を保障する人民民主主義の道にそって発展するようにしなければなりません。

 民主改革の勝利をかため、民族経済を成功裏に復興発展させるためには、人民政権機関をいちだんと強化しなければなりません。

 人類の歴史が示しているように、いかなる階級や人民も、強力な自己の政権をもたずには、新しい社会の建設で勝利をおさめることも、民族の独立を守ることもできません。特に、我が国がまだ統一されず、南朝鮮がアメリカ帝国主義者の植民地に変わりつつある状況のもとで、祖国の完全な自主・独立を達成し、民族の統一を促進するためには、全力をあげて人民政権機関を強化しなければなりません。

 ところがいま、人民政権機関に勤める一部の党員は、人民からまかされた重大な使命を十分果たすことができず、人民大衆との結びつきが弱く、人民大衆のために献身的に奉仕する忠実さと熱意にかけており、党政策の実行にあたっても偏向をおかす場合が少なくありません。

 党活動家はなによりもまず、国家を管理し、政権を運営する方法と知識を学ぶことが重要です。そのためには、人民政権機関で働く党員や幹部にたいする特別な行政教育をおこない、党が日常的にこれを統制し指導しなければなりません。

 上部から下部末端にいたるまで、各級政権機関の職能を明確に規定し、下級機関は上級機関の施策や決定をそのつど速やかに実行するようにしなければなりません。また、人民政権機関の活動家のなかに、人民のためにすべてをささげ、大衆の要求や声に敏感にこたえる人民的な活動作風をうち立てるべきであります。こうして、人民政権機関と人民大衆との血縁的な結びつきを強め、人民政権機関の活動が人民大衆のなかに深く浸透するようにしなければなりません。

 人民政権の権威を高め、人民政権機関を強化発展させ、その活動を改善するためには、人民のなかから祖国と革命に忠実で有能な幹部をためらうことなく登用して政権機関に配置し、各級人民委員会の活動で厳格な民主主義的秩序と強い国家的規律を確立しなければなりません。

 人民政権を強化し、民族経済の復興と発展を促すことは、我々の当面する重要な課題であります。これを立派に解決することは、祖国の統一と独立を達成する決定的な裏付けとなります。

 我が党は、自立的民族経済の基盤をきずき、人民の物質、文化生活の向上で新たな前進をもたらす、1948年度の人民経済計画を超過完遂するたたかいに人民大衆の創造力を力強く発揮させ、祖国の自主・独立と民主主義的統一大業の勝利をめざし、全人民を導いていかなければなりません。



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