金 日 成

北朝鮮臨時人民委員会の活動総括について
北朝鮮人民会議第1回会議でおこなった報告 
1947年2月21日

 1 北朝鮮臨時人民委員会の創立

 朝鮮人民は1945年8月15日、日本帝国主義の植民地支配をくつがえし、祖国の解放をなし遂げました。このときから朝鮮民族の長い歴史で最も光輝あるページが開かれました。

 朝鮮人民は、祖国が解放され、民族独立と新しい民主朝鮮の建設を保障する有利な条件がもたらされたことを心から歓迎しました。朝鮮人民が、解放を迎え都市や農村で盛大を慶祝集会をもったのはその明白な証拠であります。

 我々の民主主義自主独立国家建設の偉大な目的は、実生活において人民大衆に高度の政治的熱意を発揮させました。都市と農村に、民主的政党と大衆団体の広範な統一戦線を土台にして、新しい人民政権機関である人民委員会が創立され、中央には人民経済各部門を指導する各行政局が組織されました。

 全朝鮮的な民主主義臨時政府の樹立が遅れている実情にあって、日本帝国主義者が、破壊した人民経済を復旧し、民主改革を集中的におこなう中央政権機関を北朝鮮に創設すべき緊急を課題が提起されました。こうして、1946年2月8日、北朝鮮の民主政党、大衆団体、行政局、人民委員会の代表が平壌で会議を開き、国家の政治・経済・文化生活を統一的に指導する北朝鮮臨時人民委員会を創立しました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、土地改革をはじめ、民主諸改革を実施し、産業と運輸を復興し、教育制度を改革し、親日派を一掃し、有能でまじめな働き手を指導機関に登用して、人民の自治機関である各級人民委員会を強化する当面の課題を示しました。北朝鮮臨時人民委員会は、この課題を遂行する歴史的使命を担って活動をおこないました。

 2 北朝鮮臨時人民委員会の活動

 北朝鮮臨時人民委員会が実施した民主諸改革のうち、最も重要をものは土地改革であります。土地改革によって、人口の絶対多数を占める農民の生活で最も重要な問題が解決されました。

 日本帝国主義侵略者は、朝鮮の農村を世界で最も貧困で立ち後れた農村に転落させました。日本帝国主義者は、朝鮮に対する植民地支配を強化し、農民を過酷に搾取するため、農村で封建制度を維持しました。日本帝国主義者と地主が農民の膏血をしぼるために課した過重な小作料と雑税、そして、高利貸業者の搾取によって、朝鮮農民は貧困にあえぎ、農業は完全に破壊されました。

 土地改革は、人民の生活にとって極めて緊切を問題でした。土地改革をおこなわずには人民生活の向上も、社会と経済の民主化も望めませんでした。そこで、1946年3月5日、土地改革に関する法令を発布したのであります。

 この法令によって、北朝鮮では日本帝国主義者と朝鮮人地主の土地所有権が廃止され、農民大衆を抑圧、搾取した中世的な封建的小作制度が撤廃されました。

 土地改革によって、雇農や土地を全く持たないか少ししか持たない72万4522戸の農民に、土地が無償で分与されました。現在、北朝鮮では、みずから耕作する人だけが土地を所有しています。こうして、土地改革は、農村における封建的関係を一掃し、農民の長年の宿望をかなえさせ、農業発展の物質的土台をきずき、農民の愛国主義思想を呼び起こしました。

 これとならんで北朝鮮臨時人民委員会は、租税制度を根本的に改革し、農民が収穫の25%を現物税として国家に納めることに定めました。農業現物税制の実施によって、農民は国家への納付義務を果たした後は、生産した穀物を任意に処理できるようになりました。農民は、租税制度の改革を熱烈に支持し、1946年の農業現物税を100%完納しました。

 1946年8月10日、北朝鮮臨時人民委員会が発布した産業国有化法令によって、過去、日本国家、日本人、民族反逆者の所有していた工場、炭鉱、鉱山、鉄道、水上運輸、逓信、商業、銀行および財政機関、文化機関などが人民の管理に移されました。この法令によって千余の企業所が人民の所有になりました。基本的な生産手段が人民の手に掌握され、北朝鮮経済における反動勢力の基本的拠点の一つが完全になくなりました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、経済的指揮権を握り、日本帝国主義者が破壊した産業の復興専業をおし進めました。こうして1947年1月1日現在、822の企業所が操業を開始しました。これには、朝鮮最大の化学工場、製鉄工場、非鉄金属工場、鉱山をはじめ、多くの企業所と、その他、日用品を生産する594の企業所が含まれています。

 北朝鮮臨時人民委員会はまた、労働者、事務員に対する労働法令を発布しました。この法令は、労働者を過酷な植民地的搾取から解放しました。労働法令によって、北朝鮮では先進的な民主的労働法が制定されました。朝鮮人民の歴史上はじめて8時間労働制が法的に規定され、かつて日本人の工場、企業所で広く採用していた少年労働が禁止され、男女労働者に同一労働の同一賃金制と社会保険制、有給休暇制が制定され、労働者、事務員の健康保護が法的に規定されました。現在、社会保険の恩恵を受ける労働者、事務員の数は43万名に達します。労働法令は、労働者の物質・文化生活を向上させるすべての条件を保障しています。

 北朝鮮で実施された偉大な民主諸改革のうち、男女平等権法令に対しても言及しないわにはいきません。

 朝鮮の女性は、数千年にわたって人間としての初歩的な権利すら奪われ、過酷な抑圧と蔑視に苦しめられてきました。しかし、北朝鮮臨時人民委員会が実施した男女平等権法令によって、政治的、経済的に男子と同等の権利を有するようになりました。北朝鮮では一夫多妻制や人身売買が禁止され、女性は社会・文化生活に広く参加しています。現在、100余万の女性が、民主女性同盟と民主青年同盟に加盟しています。また、道・市・郡人民委員会委員の13%以上を女性がしめています。男女平等権法令は、女性に対する封建的関係を一掃し、国家活動と民主建設に自由に参加しうる道を開きました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、人民教育部門の改革もおこないました。

 過去、日本帝国主義者は、朝鮮人民を暗黒と抑圧のなかに縛りつけておきました。日本帝国主義者は、野蛮な植民地警察支配を実施して朝鮮人民の民族意識と固有な文化を抹殺し、朝鮮民族を「日本化」しようと策動をこらしました。日本帝国主義支配期に朝鮮人児童の半数以上が小学校にさえ通うことができませんでした。特に、彼らは朝鮮人民に母国語すら使えないようにしました。学校では朝鮮語の使用を禁じ、朝鮮語の出版物は発行できませんでした。彼らはまた、朝鮮の芸術からも民族性を抹殺しようとはかりました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、教育部門でこの1年間に、1110の人民学校を増設し、173の中学校と27の中等技術学校を開校しました。こうして、学校数はおよそ2倍に増え、生徒数は130万名以上に達しました。特に、農村の人民教育網が急速に、大幅に拡張されました。現在北朝鮮の農村には、2274の人民学校と103の中学校があります。北朝鮮のすべての学校で、朝鮮語による授業がおこなわれています。また1万6000以上の成人学校が設立され、ここですでに50万の文盲が退治されました。高等教育も成功裏におこなわれています。1946年、北朝鮮にはじめての総合大学と単科大学が創立され現在3100名の大学生が学んでいます。また医学専門学校と8つの師範学校、2つの師範専門学校が開校しました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、文化啓蒙機関の大々的な建設に着手しました。解放前、北朝鮮には、クラブは1つもなく、図書室も日本人の経営したものが7つあったにすぎませんでしたが、今日では91のクラブと35の図書館、717の図書室があります。

 出版物の種類も多く増えましたが、今後さらに増加するでしょう。現在、北朝鮮では、22種の新聞、20種の雑誌が発行されています。

 民族芸術も復興しました。中央芸術工作団と中央交響楽団の結成は、芸術部門の大きな出来事であります。83の映画館と劇場が開設され映画、演劇が上映、上演され、過去、日本帝国主義者によって禁じられていた朝鮮民族の固有を民族劇が復活しました。

 文学・芸術総同盟と人民教育文化後援会、朝ソ文化協会は、順調に活動を進めています。朝鮮人民にとって、民族文化建設におけるこのような発展は以前には想像すらできなかったことです。

 北朝鮮臨時人民委員会は、人民保健医療事業も改革しました。

 日本帝国主義支配当時、開業医や日本人の病院が保健医療施設を独占していたため、人民大衆はそれを利用することができませんでした。

 1946年に、北朝鮮では47の公営病院と8つの衛生細菌試験所、その他、結核施療院、救急所などの医療機関を設立しました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、裁判部門でも各種の改革を実施しました。そのうち最も重要なのは、日本帝国主義支配期の裁判制度を撤廃し、裁判機関の選挙制度を樹立したことです。朝鮮人民の歴史において、はじめて裁判機関が人民の抑圧機関から人民の利益の保護機関に、真の民主的機関になりました。

 これらの歴史的な諸改革は、北朝鮮臨時人民委員会が地方人民委員会とともに、広範な人民大衆の根本的利益を代表する真の民主的政権機関であることを立証しています。

 人民がいかに人民委員会を深く信頼し、人民政権機関の役割と意義を高く評価しているかは、昨年11月3日の道・市・郡人民委員会委員選挙の結果がはっきり示しています。この民主的選挙は、朝鮮人民の生活に大きな変化をもたらしました。

 選挙は、一般、平等、直接の原則と秘密投票の方法でおこなわれ、民主主義民族統一戦線に結集した政党、大衆団体が選挙で輝かしい勝利をおさめました。有権者総数451万6120名のうち、450万1813名、すなわち有権者の99.6%が選挙に参加しました。選挙人たちは、民主主義民族統一戦線の推薦した道人民委員会委員候補者に97%、市人民委員会委員候補者に95.4%、郡人民委員会委員候補者に96.9%が賛成投票しました。

 道・市・郡人民委員会委員に連出された3459名のうち、労働者が14.7%、農民36.4%、事務員30.5%、商人4.2%、企業家2.1%、文化人9%、宗教家が2.7%をそれぞれ占めています。

 このように人民委員会には、各階層の人民と民主政党、大衆団体の代表が参加しています。全人民の総意にもとづいて組織された人民委員会は、広範な人民大衆の全面的な支持を受けています。

 北朝鮮臨時人民委員会は、おり重なる難関を克服して経済復興の基礎をきずき、民主諸改革を実施しました。直面した難関は、日本帝国主義者が破壊した産業、運輸を復興し、朝鮮人民にとってはじめての民主建設をおこなう途上の難関であり、幹部の不足と親日派、民族反逆者の反動的策動に起因するものであります。

 こうした難関を克服して達成した諸成果は、朝鮮人民に統一的民主主義政府樹立の歴史的課題を立派に遂行する能力があることを示しています。

 人民委員会が人民政権機関としての使命を果たしたこと、各階層の人民が人民委員会の政策を支持し民主諸改革を承認し、600余万を結集した民主主義民族統一戦線の政綱に賛同していることは、我々の成果の明白を証拠であります。

 北朝鮮臨時人民委員会は、基本課題を正確に遂行したと言えます。

 全人民の総意にもとづいて組織された北朝鮮人民会議は、きょうから最高主権機関であります。それゆえ、北朝鮮臨時人民委員会は、政権を北朝鮮人民会議に委譲するものです。
                                                
出典:『金日成著作集』3巻


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