金 日 成

8.15解放1周年平壌市慶祝大会でおこなった報告
−1946年8月15日−


 親愛な同胞のみなさん!

 きょうは、朝鮮民族が日本帝国主義者の抑圧から解放されてから1年になる歴史的な記念日であります。

 解放1周年を迎え、私は親愛な同胞のみなさんに熱烈な祝賀のあいさつを送ります。同時に、朝鮮の解放のために命をささげた革命烈士に栄誉をささげます。

 8月15日は、我が民族が、新しい歴史創造の第一歩を記した偉大な解放の日であります。この日、我々朝鮮人は長い暗黒生活のすえに光明を取り戻しました。朝鮮人民ははじめて、話す自由と長いあいだ待望してきた出版、集会、結社、信教の自由を獲得しました。我々朝鮮人もこれからは安心して生活をきずき、国家をたて、民族文化を発展させることができるようになりました。

 我々は、朝鮮人民のこれらの自由が、長年の敵とのたたかいで比類のない勇敢さと英雄主義を発揮した多くの革命烈士の血の代価として、人民のはかり知れない苦痛と不屈の闘争の代価として得られたものであることをよく知っています。

 解放後の1年間は短い期間ではありましたが、我が民族の歴史において画期的な転換の時期でありました。

 朝鮮人民は、北朝鮮で偉大な民主改革を実施して、我が民族が幾世紀のあいだ実現しえなかったことを、わずか1年のあいだに立派になし遂げました。




 朝鮮民族は、過去36年間日本帝国主義のあくどい政治的抑圧と経済的搾取、文化的蹂躙のもとで苦しみつづけました。

 日本帝国主義者は朝鮮を占領した後、あらゆる資源を独占し、朝鮮を完全な商品市場に変えるために、主に原料採取工業と貧弱な半製品工業だけを認め、近代的工業の土台である重工業の発展を極力阻み、軽工業の発展も抑えました。かれらは、朝鮮の資源を無制限に略奪し、朝鮮人民の膏血を搾り取るために我が国に資本を投下しました。その結果、朝鮮は、日本の原料産地に、販売市場に、軍需財閥の投資地になりました。日本帝国主義は、朝鮮経済の自立的発展を阻み、朝鮮人民を経済的破滅と飢餓、貧困に陥れ、朝鮮で安い労働力を搾取して得た莫大な利潤を日本にもち去りました。

 日本帝国主義者は、朝鮮の対外貿易を独占して朝鮮経済と世界市場との連係を断ち、朝鮮経済を日本帝国主義の完全な従属物に変えました。かれらは、日本独占資本の膨張のために朝鮮の民族資本の成長をあらゆる方法で妨げました。

 ソ連にたいする侵略戦争の準備のため1931年9月、満州を占領した日本帝国主義は、朝鮮に金属工業、化学工業など軍需工業の土台をきずき始め、戦略的目的と原料搬出のために鉄道、港湾など交通運輸施設を拡張しました。それらの工事のために、日本帝国主義は朝鮮人民の膏血をさらに過酷に搾り取りました。

 日本帝国主義のこうした略奪政策の結果、朝鮮の経済は日本独占資本に完全に掌握されるようになりました。これは、朝鮮の資本総額中日本人の資本が93%で、その他の外国人の資本が2%、朝鮮人資本はわずか5%にすぎないという日本人自身の統計によっても十分知ることができます。

 日本帝国主義者は、朝鮮の労働者、事務員に低賃金をおしつけ、特に、女性と少年労働者には一日30〜50銭のわずかな賃金を支払って12〜16時間、あるいはそれ以上の強制労働をさせて比類のない高率の植民地利潤を得ました。日本帝国主義は、工場、鉱山、企業所ごとに監獄を思わせる労働職場を設けて朝鮮の労働者を罪人のように酷使し、朝鮮人民に非人間的な奴隷生活を強要しました。

 また、日本帝国主義は、朝鮮の農業の発展を極度に阻みました。かれらは、朝鮮を占領した当初から朝鮮の土地を大々的に収奪する政策を実施し、封建的搾取の方法で農家経営を零落させ、農村の手工業さえ破壊し、高率の小作料と過酷な雑税、高利貸、強制夫役などで農民を飢餓線上にさまよわせました。日本帝国主義者は、朝鮮農民の勤労の実りである米を毎年千余万石も日本に運び去りました。その結果多くの朝鮮人は、草木の根や皮、満州から入ってくる粟で命をつなぎ、土地を失った多数の農民は都市に追われて路頭をさまよわざるをえなくなりました。

 さらに日本帝国主義は、世界史に前例を見ない暴虐な中世的恐怖政治を実施しました。日本帝国主義は、朝鮮民族のあらゆる権利と自由を奪い、言論、出版、集会、結社、信教にいたってはそのひとかけらの自由さえも許そうとしませんでした。かれらは植民地支配を維持するために、朝鮮全土に2500余の警察、憲兵機関を配置し、3個師団以上の兵力を常駐させ、武力による暴圧と虐殺をほしいままにしました。

 日本帝国主義は、文化分野でも悪辣な政策を実施しました。朝鮮における日本帝国主義の文化政策は、帝国主義と封建的抑圧に反対する朝鮮人民の闘志と愛国精神を抹殺し、朝鮮人を永久に奴隷化する目的を追求しました。日本帝国主義者は、すべての科学・教育・文化機関を独占し、それを利用して朝鮮人民の民族的伝統と民族語、民族的自覚と誇りを抹殺しようとはかりました。かれらは、科学と技術を普及するのではなく、蒙昧と迷信をはびこらせ、独立精神を抑圧し強引に奴隷思想を植えつけて朝鮮民族の貴重な文化遺産を葬り、五千年の悠久な文化伝統をもつ朝鮮人を無知で未開な民族につくろうとしました。そしてかれらは、我が民族のすぐれた科学者、作家、芸術家を手当たりしだいに投獄し虐殺しました。

 日本帝国主義の植民地政策の凶暴性は、1931年の9.18事変以後、特に1941年太平洋戦争開戦以後の時期に、その頂点に達しました。この時期に、日本帝国主義は、強制徴兵、強制徴用、強制供出などを通じて朝鮮人民を過酷に抑圧し搾取しました。

 しかし、日本帝国主義のこうした政治的・経済的・文化的暴圧にもかかわらず、朝鮮民族は生きつづけ、祖国の解放と栄光のためにねばりづよくたたかいました。

 朝鮮民族を抑圧し搾取した日本帝国主義とその社会的基盤であった封建勢力を打倒し、植民地的半封建制皮を転覆し、民主主義的朝鮮独立国家を創建しようという朝鮮人民の民族的指向と革命的闘志は日増しに盛り上がりました。日本帝国主義の銃剣と監獄、拷問と虐殺も、朝鮮の広範な労働者、農民、進歩的インテリなどすべての愛国者の祖国解放と民族の独立をめざす英雄的な闘争を阻むことはできませんでした。

 1910年の亡国の時期を前後して10年近くつづいた反日義兵運動は、強盗日本帝国主義に大きな打撃を与えました。敵の野蛮な弾圧によって義兵運動は挫折しましたが、朝鮮民族の反日闘争はつづき、後には、満州で独立軍運動として戦われました。亡国後10年間に、国内では日本帝国主義の虐政のもとで秘密結社や愛国文化運動などの形で、国外では革命団体の組織あるいは反日闘争の形で民族解放運動はたえず展開されました。

 十月社会主義大革命の勝利は、東方被抑圧民族の新たな覚醒の時代、革命の嵐の高揚の時代を開きました。

 朝鮮でも三千里山河をゆるがした全民族的反日蜂起としての3.1運動が起こり、この日を契機として、朝鮮民族は朝鮮の独立と自由のために英雄的にたたかいました。朝鮮人民の民族解放闘争で大きな意義をもつ3.1蜂起は、日本帝国主義の野蛮を弾圧と我々の主体的勢力の不足のために失敗に帰しましたが、日本帝国主義の植民地支配に打撃を与え、朝鮮人民の民族的自覚を著しく高めました。

 3.1運動後、資産家階級出身の民族運動指導者は、政治的動揺と日本帝国主義の買収政策によって、とくには勤労大衆の革命的進出に恐れをなして、そのほとんどが敵に投降し変節しました。かれらは、「愛国志士」から朝鮮民族を支配する敵の忠実な手先になりさがりました。

 3.1運動以後、朝鮮人民の民族解放闘争は主に労働者階級をはじめ、勤労大衆の息子、娘によって継承されました。

 1926年の6.10万歳運動、1920年代末から1930年代初頭にかけてあいついで起こった咸鏡(ハムギョン)道各地の農民暴動、1929年の元山(ウォンサン)労働者のゼネスト、同年、光州(コンジュ)学生事件を口火にして起きた全朝鮮学生の反日闘争など多くの英雄的反日抗争がつづきました。「満州事変」以後、日本帝国主義の弾圧がさらに厳しくなるにつれ、国内の民族解放闘争は、しだいに地下運動の形をとらざるをえなくなりました。

しかし、反日闘争は寸時も中断されませんでした。

 特に朝鮮の共産主義者と愛国者は、満州一帯と国内で武器をとって日本帝国主義に抗して遊撃闘争をつづけました。かれらは朝鮮の解放を確信し、民族の運命を双肩に担って日本帝国主義との長期にわたる血みどろの闘争をくりひろげました。

 朝鮮の愛国者と全人民が渇望し、そのために英雄的にたたかってきた祖国の解放は、ついに実現しました。




 朝鮮人民は興奮と感激のるつぼのなかで8.15解放を迎え、新しい民主朝鮮建設に踏み出しました。

 朝鮮人民は全国各地で、行政権を掌握し、治安を維持し、公共機関や産業・運輸施設を守り運営するための自治機関として人民委員会を組織しました。このように人民の手で、人民自身の発議によって創設された各級人民委員会は、昨年11月末現在北朝鮮の6道にその組織をととのえ、民主的な新しい生活の建設に着手しました。

 各地方の人民委員会は、徹頭徹尾、人民大衆の利益を擁護し、初歩的な民主的課題の遂行に広範な人民大衆を決起させました。こうして、日本帝国主義支配当時には社会・政治生活に参加する権利のなかった労働者、農民、女性が人民委員会の活動に積極的に参加するようになり、その代表を人民委員会の幹部に選出しました。

 人民委員会は、内部に潜入した親日派、民族反逆者、反動分子を一掃し、人民大衆のあいだに強固な基盤をきずく一方、日本帝国主義が敗走するとき破壊した産業・運輸・逓信施設を復旧運営し、教育・文化機関を再建して人民に正常な民主的生活を営ませるために全力をつくしました。

 長いあいだ日本帝国主義の抑圧のもとで言論・出版・集会・結社の自由を奪われ、無残に踏みにじられていた朝鮮の人民大衆は、解放とともに急速にもたらされた自由な環境のもとで、各階層の切実な要求をかかげて政治舞台に進出し、民主的政党と大衆・文化団体を結成しました。北朝鮮共産党、朝鮮新民党、朝鮮民主党、天道教育友党が組織され、労働者、事務員は職業同盟に、農民は農民同盟に、青年は民主青年同盟に、女性は女性同盟に、文化人、芸術家は芸術連盟にそれぞれ加盟して人民委員会を中心に広範な愛国的民主勢力が結集しました。

 親日派、民族反逆者、反動派を除き、労働者、農民、インテリ、手工業者、企業家、商人など全人民大衆がこぞって人民の政権を支持、擁護し、人民委員会の活動に積極的に参加しました。

 こうして、解放後からこんにちにいたるまで各地で治安と秩序は整然と維持され、人民の政治・経済・文化生活は全面的に活気をおびるようになりました。

 こうした時期に開かれたモスクワ三国外相会議は、解放された朝鮮の民主的発展の正しい決定を採択しました。最初アメリカ側が提出した提案は、朝鮮人民に独立国家建設の自由を与えず、10年以上朝鮮に軍政を実施し、我が国をアメリカの植民地に変えることを狙ったものでした。しかし、ソ連の強硬な主張によってこの提案は否決され、朝鮮人民に主権を委譲し、民主主義臨時政府を樹立し、日本帝国主義支配の残りかすを一掃し、朝鮮の民主的発展を保障する決定が通過しました。これは朝鮮民族の利益にかない、朝鮮人民の宿望と指向を正しく反映し、朝鮮にたいする帝国主義のいかなる侵略も許さない正当かつ公正な決定でありました。

 したがって、朝鮮にかんするモスクワ三国外相会議の決定が発表されると、自由と民主主義を渇望する南北朝鮮の全人民は諸手をあげてそれを歓迎しました。この決定にたいする態度は、朝鮮のすべての政治勢力の立場を判別する試金石でありました。朝鮮の政局は、モスクワ三国外相会議の決定に予見された、祖国の民主主義的自主独立を望む全人民的な愛国的民主勢力と、この決定に反対し祖国をアメリカ帝国主義に売り渡そうとするごく少数の売国的反動勢力とにはっきり分かれるようになりました。

 今年の2月8日、朝鮮人民は北朝鮮に全人民の正しい意思と利益を代表する中央政権機関である北朝鮮臨時人民委員会を組織しました。北朝鮮臨時人民委員会は、朝鮮にかんするモスクワ三国外相会議の決定にもとづいて、新しい民主朝鮮建設の基礎をきずき、朝鮮の統一的民主政府の樹立を促すとともに、北朝鮮の当面の行政活動を統一的に指導するために組織されました。

 北朝鮮臨時人民委員会は、偉大な民主改革の最初の課題として今年の3月に土地改革を実施しました。土地改革によって、日本国家、日本人、親日派、朝鮮人地主の所有していた100万余ヘクタールの土地が没収され、72万余戸の土地のない農民や土地の少ない農民に分与されました。土地が耕作する農民の所有に帰して、朝鮮農民の長年の宿望は実現し、農業生産力は長いあいだの封建的くびきから解放され急速に発展し始めました。

 朝鮮人民の生活で歴史的意義をもつこの偉大な改革は、各級人民委員会を中心に、各政党、大衆団体と全人民大衆の積極的な参加のもとに実施されました。

 人民委員会の指導のもとに、土地改革の実施を担当する1万1500余の農村委員会が組織され、9万余名の委員が選出されましたが、これには貧農、雇農出身が絶対多数をしめました。労働者階級の指導のもとに、農民大衆は、土地改革に反対する反動分子の陰謀と策動をことごとく暴露、粉砕し、土地改革を短期間に徹底的に実施しました。

 土地改革が遂行されたことは、人民の利益を擁護し人民に奉仕する人民委員会のまわりに人民をさらにかたく団結させ、各政党、大衆団体の強化と民主勢力のいっそうの成長をもたらしました。

 土地改革によって土地の主人となった農民の喜びは頂点に達し、かれらの生産意欲は著しく高まりました。かれらは、「わずかの土地も残らず耕そう!」というスローガンのもとに175万余ヘクタールの面積に春の種まきを完了し、田植えと除草作業も順調におこないました。今年の穀物予想収穫高は1450余万石で、これは1945年に比べて340余万石の増収を意味します。

 北朝鮮臨時人民委員会が制定した農業現物税制は、農民が、労働者、事務員の食糧を保障するために収穫の25%を現物税として納入し、残りは任意に処分できるようにしました。その結果、過去には小作料、供出その他の過酷な雑税のために農産物の大部分を収奪された農民が、いまでは全収穫の75%を所有するようになり、かれらの生活向上に極めて有利な条件がもたらされました。これは土地改革の成果を強固にし、農業生産を増大させ、都市と農村の商品交流を促進し、労働者階級と農民の同盟を強化するうえに大きな影響を及ぼしました。

 農村に深く根をおろしていた古い封建的関係を一掃した北朝鮮臨時人民委員会は、帝国主義的強制労働の残りかすを一掃し、労働者、事務員の労働条件と物質生活を改善するために労働法令を制定しました。これは、労働者、事務員のための8時間労働制の実施、14歳未満の少年労働の禁止、母親と未成年労働者にたいする特別の保護、社会保険制などを予定した民主的な法令であります。

 労働者、事務員は、人民政権のこのような配慮と恩恵にこたえるために、労働規律を強化し労働生産性を高め、産業を速やかに復興するための増産突撃運動を力強く展開しています。

 北朝鮮臨時人民委員会はまた、男女平等権にかんする法令を公布しました。長いあいだの封建的遺習と日本帝国主義の植民地政策のために非人間的で屈辱的な待遇と二重三重の抑圧に苦しんできた朝鮮の女性は、この法令によって男子と同等の権利をもち、社会の政治・経済・文化生活に参加することができるようになりました。

 さる8月10日には、産業国有化にかんする法令が発布されました。日本帝国主義が朝鮮人民を植民地奴隷として搾取し、朝鮮を足がかりにしてアジア諸国を侵略する目的で建設した朝鮮の産業・運輸・逓信・銀行・文化施設と、民族反逆者の所有していた産業施設は、この法令によって全朝鮮人民の所有となりました。

 産業国有化は、植民地的従属の経済的基盤を一掃し、自主的民族経済建設の基礎をきずく重要な改革であります。産業を国有化しなくては、経済的独立を達成することも、富強な民主朝鮮を建設することもできません。この法令の実施にともなって、民主改革は決定的な勝利の段階にいたり、独立国家建設の強固な土台がきずかれました。

 かつて、日本帝国主義は、朝鮮語の使用を禁止し、朝鮮の民族文化を抹殺し、植民地的奴隷教育をおこなってすべての朝鮮人を日本人化しようとはかりました。しかし、すぐれた伝統をもつ朝鮮の民族文化は、ひきつづき生き残って解放後新しい発展の道を歩んでいます。

 北朝鮮では、わずか1年間に日本帝国主義の奴隷教育制度が一掃され、民主的な人民教育制度が確立されました。現在、我々は、文盲の一掃を目的とする成人学校8061校を設けて41万3000余名の文盲を啓蒙しており、今年の末までには成人学校を1万7200校に拡張して、ここで53万5000余名を教える準備を進めています。総合大学をはじめ、医科大学と教員大学が9月から開校し、19校の中等技術専門学校が設立され、技術者の養成が大々的におこなわれるはずです。

 現在文化機関としては83の劇場と映画館、35の図書館、8つの放送局、83の劇団、91の文化クラブがあり、幼稚園は日本帝国主義支配当時の二倍にあたる64個に増えています。このような文化機関は、いまではすべて人民のために、新しい民主主義的民族文化の発展のために奉仕しています。

 解放と民主改革の感激にわき立っている人民は、土地改良工事、河川整理、道路修理工事などに熱心に参加しています。民主首都平壌を水害から守る普通江改修工事に動員された平壌市民は、突貫工事をおこなって堤防の長さ5キロメートル、総土量42万余立方メートルに及ぶ大工事を55日間で完成しました。日本帝国主義者は10年をついやしてもできませんでしたが、解放された朝鮮人民はわずか2か月間で工事を完工しました。このほかにも鴨緑(アムノク)江堤防工事、龍興(リョムフン)江改修工事、海州(ヘジュ)築港工事、端川(タンチョン)港修築工事、平壌−慶興(キョンフン)間鉄道線路改良工事などに人民が自発的に参加して多くの成果をあげています。

 偉大な民主改革と建設の過程で民主的な各政党、大衆団体は、民主主義民族統一戦線の旗のもとにさらにかたく団結し、実践闘争を通じてその組織はいっそう拡大されました。現在、各大衆団体の加入人員は、職業同盟36万名、農民同盟180余万名、民主青年同盟100余万名、女性同盟60万名、芸術連盟1万余名に達し、その他の団体の構成員まで合わせれば600余万の大衆が統一戦線に結集しています。

 民主勢力のこのような急激な成長は、北朝鮮の民主政党、大衆団体による民主主義民族統一戦線各級委員会の結成をもたらしました。北朝鮮における民主的な各政党、大衆団体の緊密な協力と各階層人民の統一と団結の強化は、南朝鮮の民主主義民族戦線を強化し、反動派の陰謀を粉砕し、朝鮮の民主的完全独立をかちとる偉大な力となるでありましょう。




 親愛な同胞のみなさん!

 北朝鮮が健全に民主主義の方向に発展しているとき、南朝鮮は再び帝国主義の植民地に転落する重大な危険にさらされています。

 8.15解放1周年を迎えたこんにち、南朝鮮人民はいまなおその念願を成就していないばかりでなく、言論、出版、集会、結社の自由などの初歩的な民主的権利さえもっていません。

 南朝鮮では日本帝国主義の残存勢力が一掃されておらず、アメリカ帝国主義の衣装に衣替えした日本帝国主義の手先が、政治、経済、文化の各分野に公然と浸透して反動勢力を糾合しています。こうした状況のもとでは、農民の土地問題の解決は想像すらできないことであり、この1年間に一つの民主改革も実施されず、日本帝国主義支配当時の制度がそのまま維持されています。

 約半世紀に及ぶ日本帝国主義の野蛮な虐政のもとで自由を奪われ奴隷の生活を強いられてきた朝鮮人民は、祖国の解放とともに南朝鮮各地にも人民委員会を組織しました。しかし、祖国の南半部を占領したアメリカ軍は南朝鮮に上陸すると直ちに軍政を実施し、人民の主権機関である人民委員会をすべて解散させ、成長する人民の民主勢力を残酷に弾圧し始めました。

 アメリカ軍政庁のこうした態度は、民主主義独立国家の建設をめざす朝鮮人民の指向を踏みにじり、朝鮮を再び植民地にし朝鮮人民を奴隷化しようとする帝国主義的野望のあらわれであります。この野望を実現するためにアメリカ帝国主義者は、日本帝国主義者と同じように、解放された朝鮮人民が憎悪している親日派、民族反逆者、反動分子を糾合して手先にし、日本総督の支配機構を受け継いでそこにかれらを登用しました。はては、祖国の解放をめざしてたたかった愛国的な革命闘士を逮捕、投獄、虐殺したかつての日本帝国主義高等警察官や特務までアメリカ軍政庁警察の幹部に登用しており、かれらに南朝鮮の民主政党、大衆団体の指導者や進歩的な知識人を監視させ、検挙させています。

 アメリカ帝国主義は、親日派、民族反逆者、封建地主、買弁資本家に反動的な政党、大衆団体を組織させ李承晩を飛行機で呼び寄せて親米反動勢力の指導者として君臨させました。周知のように李承晩は、数十年間アメリカで投機業をおこなってぜいたくな生活をし、久しい以前からアメリカの財閥に買収されて朝鮮の鉱山権と資源を売り渡した者です。かれは朝鮮に帰った後、ラジオ放送や講演を通じて狂気じみた反ソ、反民主主義宣伝をおこない、アメリカ軍政庁の保護のもとで専制君主になることを夢みています。アメリカ帝国主義者の笛に踊らされている李承晩一味は、日本帝国主義の残存勢力と封建勢力を足がかりにしてファッショ的野望を実現し、朝鮮の完全自主独立と民主的発展を妨げようとあらゆる陰謀と術策をこらしています。

 こうして、南朝鮮は文字どおり暗黒の地となり、愛国的民主人士にたいするテロと虐殺が白昼公然とおこなわれています。

 こんにち、南朝鮮の主人は人民でなく、アメリカ軍政庁であります。アメリカ軍政庁はあらゆる権力を掌握し、いっさいの民主改革を阻んでいるばかりか、朝鮮人民が所有すべき日本帝国主義と民族反逆者の産業施設を独占するか、かれらの忠実な手先である親日派、反動分子に払い下げています。

 実例として「東洋拓殖会社」は、朝鮮人の脳裏に炊きつけられた凶悪な日本帝国主義の搾取機関でした。朝鮮の多くの農耕地、林野、重要な工場、鉱山、水利施設などが、この「東拓」に属していました。アメリカ帝国主義者は、「東拓」所有の土地や施設を朝鮮人民に返還せずに直接掌握し、それを「新韓公社」と看板を塗り変えました。そのうえ旧日本人所有の企業所、土地、家屋まで接収してその管理下においたため、現在「新韓公社」の権益は大きく増大し、これにたいする南朝鮮人民の怨嗟の声は日増しに高まっています。

 南朝鮮農民はいまなお封建的搾取にしぼられ、初歩的な闘争目標であった小作料の3・7制さえ、その実施直前にアメリカ軍政庁の妨害によって実現にいたりませんでした。こうして、民主的発展のくびきである封建的土地所有制度はさらに強く根を張っています。

 南朝鮮の労働者は、親日派、民族反逆者、反動分子の経営する企業所で日本帝国主義支配当時と変わりない奴隷労働を強要されています。民主的権利と生活保障をかちとるための労働者の闘争は、アメリカ軍政庁と反動派によって無残に弾圧され、多数の労働者が検挙、投獄されています。

 長い歴史的根源をもつ朝鮮女性の屈辱的な境涯は改善はおろか悪化しており、蓄妾・人身売買・公娼・私娼・キーセン制度が、アメリカ軍政庁の奨励によって昔以上にはびこっている有様です。

 こうした泥沼と暗黒のなかにあっても、南朝鮮の人民大衆は民主主義統一政府を樹立し、完全自主独立をかちとる熱望を捨てず、反動的アメリカ軍政庁とその手先李承晩一味の策動に反対して強くたたかっており、民主勢力の団結とその強化のために最大の努力を傾けています。南朝鮮の人民は、北朝鮮で建設している自由で幸福な新生活を心から憧憬し、民主改革の勝利に大きな力と勇気を得ています。

 北朝鮮の人民大衆は、南朝鮮のすべての民主勢力とかたく団結してアメリカ帝国主義とその手先の反動的陰謀を粉砕し、南朝鮮でも権力を人民委員会に移管させ、人民自身が国の政治、経済、文化の主人になるようにするためにたたかうべきであります。それとともに、南朝鮮でも土地は耕作する農民に分与し、日本帝国主義者と民族反逆者が所有していた産業・運輸・逓信施設と銀行を人民の所有に移管することを強く要求すべきであります。我々は、北朝鮮の民主建設を土台にして民主的統一政府を樹立し、祖国の完全自主独立をかちとる道を進むべきであります。


*   *   *

 同胞のみなさん!

 人民の力、進歩と民主主義の力は、敵と反動の策動を粉砕し必ず勝利するでありましょう。アメリカ帝国主義者とその手先のいかなる陰謀も全朝鮮人民の力によって進められている朝鮮の民主的発展を阻むことはできません。

 しかし、勝利はひとりでにもたらされるものではなく、たたかいとるべきものであります。朝鮮の完全な民主主義的自主独立も南朝鮮に居座ったアメリカ帝国主義者とその手先である売国奴李承晩一味との頑強な闘争を通じてのみ達成することができます。

 我々は、北朝鮮で完全な独立国家の建設に必要な民主改革を実施しました。こうして、北朝鮮に新しい民主朝鮮創建の基礎がきずかれたことは、朝鮮人民の最も貴重な獲得物であります。

 しかし、朝鮮問題は南北を分離して考えることはできません。南朝鮮でも北朝鮮と同様人民が主人になって徹底した民主改革を実施することなしには、朝鮮人民の基本的要求である民主主義的自主独立国家の創建を実現することができません。

 反動勢力は、南朝鮮で帝国主義支配機構を復活し、我が国を植民地にしようと策動していますが、敵がいかに悪辣に策動しても、その犯罪的企図は決して成功しないでしょう。民主主義の旗のもとにかたく団結し、二度と植民地奴隷にならないために最後までたたかう決意にみちている朝鮮人民は、敵の陰謀を粉砕し、必ずや祖国の民主主義的独立を達成するでありましょう。

 こんにち朝鮮人民には、北朝鮮に創設された民主基地を強化し、全朝鮮の民主化を促進すべき重大かつ緊急な課題が提起されています。

 我々はなによりも、人民の政権機関である人民委員会を強化し、全国的にすべての権力を人民委員会に移管させるために、民主主義人民共和国の創建のためにたたかうべきであります。

 北朝鮮における土地改革の成果を拡大し、朝鮮全域で土地改革を実施するためにたたかうべきであります。農民は収量を高め、農業現物税を適時に完納するために全力をつくすべきであります。

 これとともに、労働法令の実施によって達成された成果をさらに発展させ、朝鮮全域で労働問題を進歩的に解決し、男女平等権にかんする法令を全国的に実施して政治、経済、文化の各分野で女性の当然の権利を保障するようたたかうべきであります。北朝鮮でさきごろ実施された重要産業の国有化を全国的に実現して帝国主義的搾取の基盤を一掃し、国の経済的自立の土台をきずかなければなりません。国有化された産業施設を速やかに復興し、労働者を完全に生産に引き入れ労働生産性の向上のためにたたかうべきであります。

 民族文化、科学、芸術の発展にさらに力を注ぎ、人民の文化水準を高めるために努力しなければなりません。人民教育において日本帝国主義の残りかすを一掃し、民族幹部の養成を強力に進めなければなりません。

 アメリカ帝国主義の手先である売国奴李承晩一味を孤立させ、我が民族の正義の大業を成就するために、民主政党、大衆団体の団結と協力を強化し、ひきつづき民主主義民族統一戦線を拡大すべきであります。

 我々は、解放された朝鮮人民の民主国家の建設を援助しているソ連人民との友好を深め、日増しに発展しつつある世界の民主勢力にしっかり依拠して平和と自由と明るい明日に向けて確信をもって前進しなければなりません。

 朝鮮民主主義人民共和国樹立万歳!

 人民の政権───北朝鮮臨時人民委員会万歳!

 朝鮮民族の解放万歳!
出典:「金日成著作集」2巻


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