金 日 成

遊撃区を解散して広大な地域に進出することについて
腰営口で開かれた朝鮮人民革命軍軍事・政治幹部会議でおこなった演説
−1935年3月27日−


 みなさん!

 我々は数日間にわたって、反「民生団」闘争にあらわれた極左的偏向を克服する問題と遊撃区を解散して広大な地域に進出する問題を討議しました。

 このたびの会議で討議された諸問題は、革命隊列の統一と団結を強化し、抗日武装闘争をさらに発展させるうえで非常に大きな意義をもちます。

 それゆえ、この問題にたいする私の意見を述べようと思います。


 1 反「民生団」闘争にあらわれた極左的偏向を克服することについて

 私は既に、大荒崴会議をはじめ、種々の機会に反「民生団」闘争にあらわれた極左的偏向について批判をおこない、それを是正するための原則的な問題についても指摘しました。

 しかし、いまなお一部の人々はその誤った主張を捨てず、反「民生団」闘争を極左的に進めることによって革命に大きな損失を与えています。かれらは、ひきつづき強圧の方法と「自首」運動によって「民生団」ならぬ「民生団」を多くつくりだしており、「粛反工作」の成績を誇りながら真の革命家と罪のない大衆に「民生団」のぬれぎぬをきせ、殺害したり迫害を加えたりしています。その結果、革命隊列内に恐怖の雰囲気と不信がつくりだされ、遊撃隊と大衆とのあいだにへだたりが生まれ、朝中人民の団結に亀裂が生ずるようになりました。こうした事態は極めて重大であり、これを正さないことには革命を前進させることができないばかりか、数年間の困難な闘争を通じて達成した革命の成果までも失いかねません。

 それゆえ、私はきょう、反「民生団」闘争で得た経験と教訓にもとづいて、今後反「民生団」闘争で留意すべきいくつかの問題について強調したいと思います。

 我々は革命にたずさわる人である以上、当然隊列内に潜入した反革命分子、「民生団」分子を摘発し一掃する闘争を進めなければなりません。百人の外敵より一人の内部の敵の方がより危険であるという言葉のとおり、一握りの「民生団」分子が革命に大きな害悪を及ぼしかねません。したがって我々は、「民生団」分子の破壊・謀略策動に警戒心を高め、かれらとの闘争を強化しなければなりません。

 しかし、反「民生団」闘争を間違った方向に進めることによって、日本帝国主義の策略に陥るような愚かな行動に走ってはなりません。

 日本帝国主義者は、既に数年のあいだ、革命勢力を抹殺するために遊撃根拠地にたいする軍事的攻勢と経済封鎖政策を強化する一方、革命隊列を内部から切り崩す離間戦術を用いています。「民生団」とその変種である「協助会」などは、すべて日本帝国主義者が革命隊列を内部から破壊するためにつくりだした反革命的スパイ・手先団体であります。日本帝国主義は、なん人かの「民生団」分子を革命隊列のなかに潜入させ、巧妙な手口で革命同志相互間に不信の念をいだかせ、朝中人民を離間させ、また朝鮮人同士たたかわせようとしています。このような状況のもとで、反「民生団」闘争を原則的に、慎重におこなわないならば、敵味方を明確に識別することができず、敵の離間戦術に乗せられる恐れがあります。

 反「民生団」闘争は、敵を徹底的に孤立させ、革命隊列の統一と団結を強化し、広範な大衆を革命の側にかたく結集する方向でおこなわなければなりません。これは、我々が反「民生団」闘争で一貫して堅持している根本原則であります。

 我々は、まず反「民生団」闘争を徹底して革命隊列の統一と団結を強化する方向で進めなければなりません。そうすれば、日本帝国主義の術策に陥ることなく、より多くの大衆を革命隊列に結束し、正義の反日戦に奮起させることができます。我々は、「民生団」の嫌疑をかけられた人々を軽率に処理するのではなく、十分な根拠と確実な資料にもとづいて処理することによって、革命隊列内に不信と不安をつくりだし、革命隊列の思想、意志の統一の実現に障害をつくりだすようなことがないようにしなければなりません。「民生団」の嫌疑をかけられた人のなかには強圧にたえきれず、してもいないことをしたと言い、罪を犯してもいないのに犯したと言うような人が少なくありません。このような実情において、十分な根拠と確実な資料にもとづかないならば、無実の人に「民生団」のぬれぎぬを着せることにもなりかねません。北満州遠征を終え遊撃根拠地に帰って実態を調べてみたところによれば、数多くの人が「民生団」のぬれぎぬを着せられて死に追いやられたり、そのような嫌疑を受けていましたが、かれらから「民生団」と認めるに足るなんらの証拠も見つけだすことはできませんでした。かれらがいたるところで害悪行為をはたらいたということで騒ぎが起こっていますが、毒薬一包、悪性の宣伝ビラ一枚みつけることができませんでした。かれらはすべて、日本帝国主義と地主、資本家の搾取と抑圧を受けて、革命の道に入った人たちであり、「民生団」のぬれぎぬを着せられ犠牲になるその瞬間にも「朝鮮独立万歳!」「朝中人民の革命勝利万歳!」を叫びながら最期を遂げました。このような人々をどうして「民生団」だと言えるでしょうか。これは、かれらが「民生団」ではなく、真の革命家であることを物語っています。我々はここから当然、深刻な教訓をくみとらなければなりません。

 また反「民生団」闘争は、反日的な要素をもつ人はすべて結集し、革命勢力を拡大強化する方向で進めなければなりません。そのためには、絶対に先入観をもって人々を取り扱ってはなりません。

 人々の現在の思想動向を見ずに、過去少々過ちをおかした人であるからといって現在もよくないだろうと考え「民生団」と結びつけるのは、共産主義者の活動態度ではありません。かつて、民族主義運動や共産主義運動に参加した人々にたいして先入観をもってはなりません。いま一部の人びとは、「民生団」の発生原因を、かつて民族主義運動や共産主義運動に参加した人々と結びつけ、かれらに「民生団」のレッテルをはりつけています。これは主観主義にとらわれた誤った行為であります。

 かつて、民族主義運動に参加した人を一律に悪くみるべきではありません。もちろん、民族主義運動に参加した人のなかには日本帝国主義の手先に転落した者もいますが、多くの人は日本帝国主義に反対し朝鮮の独立のために闘争しました。ましてこんにち、かれらの一部は抗日武装隊列に加わって共産主義者とともに勇敢に戦っています。にもかかわらず、どうしてかれらを一律に問題視しようとするのでしょうか。

 1920年代の共産主義運動に参加した人々もやはり一律に分派分子とみてはなりません。共産主義者は、問題を客観的に正確にとらえるべきであり、革命のために立ち上がった人であれば、過去を問わず革命隊列に結集し、ともにたたかっていかなければなりません。

 「民生団」に加担した者も一律に処理すべきではありません。

 もちろん、革命隊列の統一と団結に反対し、悪辣な策動をおこなったごく少数の悪質な「民生団」分子は当然処分しなければなりません。しかし、自覚が足りないため、まどわされて「民生団」にひきずりこまれはしたが、悪質な行為に加担しなかった人にたいしては教育し、民族的・階級的にめざめさせ、革命の側に立たせなければなりません。そうすれば、悪質な「民生団」分子を徹底的に孤立させて、その内部を瓦解させ、闘争の主なほこ先を日本帝国主義に向けることができます。

 我々は反「民生団」闘争をおこなうからといって、人々を理由もなく疑ってはならず、実際の活動を通じて点検しなければなりません。

 人々にたいして先入観をもって疑ったりあら探しをするのが、決して警戒心をもって活動することにはなりません。我々が接する人をすべて疑い、あら探しをするならば、しまいには自分自身まで疑う事態に陥りかねません。あらゆるものが恐ろしく、信ずることができず、すべて危険に見えるなら、革命はおろか、息もまともにつけなくなるでしょう。疑いが多くなれば、しまいには革命隊列の分裂を狙う日本帝国主義の策略に陥り、革命に重大な損失を与えることになりかねません。共産主義者は人々を疑ってかかるのではなく、大きい度量と包容力をもって接しなければなりません。

 「民生団」の嫌疑をかけられた人であっても、確実な証拠がない以上、かれらを大胆に信じ、実践闘争を通じて点検しなければなりません。銃をとって日本帝国主義と戦う戦場は、人々を点検する最適の場であります。我々は、「民生団」の嫌疑を受けている人々にもためらうことなく銃を与え、日本帝国主義と戦わせなければなりません。そうすることによって、生死を分ける戦場でかれらを点検することができ、かれらが「民生団」であるか否かを明白に判別することができるはずであります。

 私は、「民生団」の嫌疑をかけられた遊撃隊員を実際の闘争を通じて点検したことがあります。私は「民生団」の嫌疑をかけられたある隊員に、敵の支配区域に行って日本帝国主義の手先を捕えてくる任務を与え、銃まで持たせてやりました。もし、かれが「民生団」であったならば、我々を殺害して敵の側にねがえることもできるはずでした。しかし、かれは敵の側にねがえらなかったばかりか、与えられた任務を立派に遂行して戻ってきました。その隊員を戦闘にも参加させてみましたが、かれは敵と勇敢に戦い重傷まで負ったが、戦場から決して退こうとはしませんでした。我々は戦闘過程を通じて、かれが「民生団」ではないことを確信することができました。このように反「民生団」闘争は、あくまでも実践闘争と密接に結びつけて進めなければなりません。

 反「民生団」闘争を正しくおこなうためには、「民生団」事件を何人かの独断によってではなく、広範な大衆の意思に従って処理しなければなりません。

 広範な大衆に依拠すれば、反「民生団」闘争を正しく進めることができ、「民生団」分子のいかに狡猾な策動も徹底的に粉砕することができます。それゆえ、我々は「民生団」事件の処理において大衆の意見を十分に聞き、大衆にたいする思想・政治活動を強化し、広範な大衆が反「民生団」闘争に積極的に立ち上がるようにしなければなりません。

 日本帝国主義の「民生団」謀略策動を粉砕するためには、排外主義を徹底的に克服しなければなりません。排外主義に毒された一部の人は、「東満州にいる朝鮮革命家の80〜90%は『民生団』であるか、その関係者である」というとんでもない暴言をはいて、反「民生団」闘争を極端な方向へひきずりこもうとしています。これは朝中人民の団結に支障を与えており、革命闘争に大きな危険をもたらしています。

 日本帝国主義に反対する共同闘争において、朝中人民間のかたい団結は勝利の重要な裏付けであります。そのために朝鮮共産主義者は、反日武装闘争をくりひろげるうえで中国人民との団結を極めて重視してきたし、今後とも中国人民とかたく手を握って反日闘争を展開していかなければなりません。

 我々はまた、分派分子の反革命的策動にたいしても警戒心を高めなければなりません。かつて、朝鮮共産主義運動に大きな害悪を及ぼした分派分子の一部は、いまも革命隊列内に潜入して大きな損失を及ぼしています。かれらは、反「民生団」闘争を口実に、分派的目的を達成しようと策動しています。こんにち、反「民生団」闘争が重大な事態にたちいたったのは分派分子の策動と直接結びついています。それゆえ、我々は、反「民生団」闘争にあらわれた極左的偏向を是正するたたかいをセクト主義に反対するたたかいと密接に結びつけておこなわなければなりません。我々は今後、分派分子と妥協することなくたたかうことによって、革命隊列内にいかなる分派行動や敵対思想もつけいるすきを与えないようにしなければなりません。

 我々は反「民生団」闘争にあらわれた極左的偏向を克服し、革命隊列の統一と団結を強め、すべての反日勢力を結集することによって日本帝国主義にたいする武装闘争をいっそう力強くくりひろげなければなりません。


 2 遊撃区を解散して広大な地域に進出することについて

 きょう我々の革命闘争は新しい発展段階に入りました。

 1932年に反日人民遊撃隊を結成した当時、我々の戦略的課題は、遊撃根拠地を創設し、それに依拠して革命勢力を保存し育成する一方、武装闘争をいっそう発展させる準備を徹底的にととのえることでありました。これは、我々の武装隊列が生まれたばかりであり、革命大衆にたいする日本帝国主義侵略軍の虐殺蛮行が甚だしかった当時の状況のもとで必然的に提起される課題でありました。

 我々はこれまで、この戦略的課題を遂行するために豆満江沿岸一帯に解放地区形態の遊撃根拠地を創設し、それに依拠して4、5年のあいだ血みどろの武装闘争を展開してきました。反日人民遊撃隊は、苦難の闘争のなかで政治的、思想的にいっそう鍛えられ、大規模な根拠地防衛戦と城市攻撃作戦まで展開できる威力ある武装力に成長し、豊富な戦闘経験をつみあげました。そして、実践闘争のなかで青年共産主義者が数多く育成され、セクト主義と左右の日和見主義に反対する闘争を通じて革命隊列の統一と団結がさらに強まりました。各階層の広範な大衆を革命の側に結集することによって、武装闘争と党創立の大衆的基盤も確固ときずかれています。また我々は、日本帝国主義の民族離間策動を粉砕し、中国人民との反日共同戦線を成功裏に実現し、世界の被抑圧人民との連帯も強めました。

 実に解放地区形態の遊撃根拠地は、これまで武装闘争の戦略的基地としての使命を立派に遂行しました。

 こんにち我々には、既に得た貴重な成果と経験にもとづいて革命闘争をさらに発展させるべき緊急な任務が提起されています。この任務は我々に、制限された地域の遊撃区を離れてより広大な地域へと進出し、大規模な遊撃戦を展開することを求めています。我々の闘争をより積極的な段階に発展させてこそ、広範な朝中人民の支援に依拠して、敵に大きな政治的・軍事的打撃を与えることができ、党創立活動と統一戦線活動をねばりづよくおし進めることができます。

 遊撃区を解散し、広大な地域へと進出することは、当面の情勢の要請でもあります。

 最近、日本帝国主義者は、遊撃根拠地にたいする攻撃をいつにもまして強化しています。日本帝国主義は、数万の精鋭武力を動員して遊撃根拠地を二重、三重に包囲し、連日「討伐」を強行しており、集団部落を設置して中世的な「保甲制度」を実施しています。また日本帝国主義は、遊撃隊と共産主義にたいする各種の悪宣伝を強化する一方、遊撃根拠地の大衆にたいする「帰順工作」を企んでいます。

 このような情勢のもとで、我々が固定した遊撃根拠地の防衛にのみ没頭するならば、多年にわたって育成した革命勢力を保存することができなくなり、戦闘で守勢に立たされるようになります。それゆえ、我々は狭い遊撃根拠地を離れ、広大な地域に進出して遊撃戦を展開しなければなりません。

 現在、一部の人は「遊撃区死守」を固執していますが、これは一種の軍事冒険主義であり、革命に大きな損失をもたらしかねません。軍事冒険主義の危険性については、既に1933−34年の遊撃根拠地防御戦のときにはっきりと体験しました。そのとき一部の人は、遊撃根拠地の前面防御と敵の背後にたいする攪乱作戦を組み合わせるという方針に反対し、遊撃根拠地の前面防御だけを固執しました。もしあのとき、遊撃隊が数量の上で数十倍に達する敵と対峙して長期にわたって前面防御だけをおこなっていたならば、遊撃根拠地を守りぬくことはできず、革命は大きな損失をこうむっていたことでしょう。しかし、我々はそのとき、前面防御と背後攪乱作戦を正しく組み合わせて積極的な攻勢をとったので、敵の手足を縛りつけて敵を守勢に陥れ、日本帝国主義の「討伐」攻勢を粉砕して、遊撃根拠地を立派に防衛することができました。

 我々が広大な地域に進出して積極的な軍事作戦をくりひろげるようになれば、日本帝国主義は広い地域にその「討伐」力量を分散せざるをえなくなり、結局敵は守勢に陥り、主導権は我々が握ることになるでしょう。こんにちの新しい情勢のもとで「遊撃区死守」を主張するのは、一見革命的なようであるが、実際には座して死を待つような無謀な行動であり、革命の要求を無視した誤った見解であります。

 我々はいささかも動揺することなく、新しい情勢と革命の任務に即して遊撃区を解散し、広大な地域へ進出する新たな戦略的任務を遂行しなければなりません。

 今後、朝鮮人民革命軍の各部隊は、満州の広範な地域と北部朝鮮一帯に進出して、大規模かつ機動的な遊撃活動をくりひろげ、敵に大きな政治的・軍事的打撃を加える一方、強化された朝鮮人民革命軍の威力を示さなければなりません。

 これとともに、朝鮮人民革命軍の各部隊は、いたるところで広範な大衆にたいする組織・政治活動を力強く展開しなければなりません。

 我々は、遊撃区の解散を実務的な活動としてではなく、政治活動として、新たな戦略的任務を遂行するための革命活動としておし進めなければなりません。

 我々はまず、遊撃根拠地の人民にたいする宣伝活動を広く展開し、かれらに遊撃区の解散にたいする正しい認識を与え、これに積極的に参加するようにしなければなりません。

 遊撃根拠地の大衆のうち、赤衛隊、反日自衛隊、突撃隊、少年先鋒隊などの半軍事組織をはじめ、革命組織で教育され訓練された青少年たちは朝鮮人民革命軍に入隊させるべきです。こうして、広大な地域に進出する朝鮮人民革命軍の力量をいっそう拡大しなければなりません。

 我々はまた、遊撃根拠地でめざめ、教育された革命的な大衆を敵の支配区域に派遣しなければなりません。こうして、かれらが敵の支配区域内の人民に革命的な影響を与え、その地域内の人民を各種の反日闘争へ力強く立ち上がらせなければなりません。

 ともに当面の難関と試練を乗り越えて、朝鮮革命の新たな高揚のために力強くたたかっていきましょう。

出典:「金日成著作集」1巻


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