金 日 成

朝鮮革命のためにたたかうのは、
朝鮮共産主義者の自主的権利である
 
汪清県大荒崴での党および共青幹部会議でおこなった演説 
1935228

 我々は数日間にわたり、反「民生団」闘争の問題をはじめ、朝鮮革命の運命にかかわり、朝中人民の共同闘争の勝敗と関連する重要な問題を論議しています。

 会議では、東満州の朝鮮人の大半は「民生団」かその嫌疑者であり、朝鮮人は幹部にもなれず、民族解放のスローガンを掲げてもならないという問題が提起されました。

 私はきょう、これらの問題についての私の所見を述べたいと思います。

 まず、東満州にいる朝鮮人の大半が「民生団」かその嫌疑者であるとみなすのが正しいかということです。

 会議で一部の人は、東満州にいる朝鮮人の70%、朝鮮革命家の8090%が「民生団」かその嫌疑者であるという途方もない主張を持ち出しました。

 東満州に住む朝鮮人の10分の7が「民生団」かその嫌疑者であるならば、遊撃区内の朝鮮人のほとんど全部が「民生団」かその嫌疑者ということになります。これが事実であるなら、この大荒崴の場合も各所帯で平均2、3名は「民生団」とみなし、子どものなかにも「民生団」がいるとみなすべきでしょう。

 東満州にいる数多くの朝鮮人を「民生団」とみなす根拠は事実何もありません。

 人を反革命分子か否か判別するためには、科学的な根拠がなければなりません。科学的な根拠もなしに他人の言葉だけ聞いて人をみだりに革命の反逆者と決めつけるならば、本人は言うまでもなく、その子孫までいわれもないぬれぎぬを着せられることになります。人民の自由と権利のためにたたかう我々共産主義者は、人間の問題については慎重を期して扱い、特に、人間の政治的運命にかかわる問題は、極めて慎重に処理しなければなりません。

 私は「民生団」扱いにされている多くの人に会って見ましたが、誰からも「民生団」とみなせる根拠を見いだす見いだすことはできませんでした。

 我々が2年前、図們付近のある村落に行ったとき、ある子どもが遊撃隊員たちを害するために井戸に毒薬をまいたと言って、その子は「民生団」だと騒ぎを起こしていました。そのとき、私はその子を連れてきてもらって話をして見ると、その子は自分の兄と従兄が遊撃隊でたたかっているのに、彼らを殺そうと井戸に毒薬をまくはずはない、自分は「民生団」が何であり、毒薬がどんなものであるかも知らないと言いました。その子は、村の女性たちがその日に井戸に行ったのはお前しかいないと激しく責め立てるので、仕方なく毒薬をまいたと言ったということでした。

 これに類似した例は、たくさんあります。

 「民生団」にされた人が書いたという「自白書」を重要な根拠とみなす人がいますが、これについて述べて見ましょう。

 もちろん、反革命分子を扱う場合には、必要であれば自白書を書かせることもあります。ところが、問題は、その自白書をどのような方法で書かせるかということです。共産主義者には、批判と自己批判というよい武器があるのに、何のために強制的な方法で自白書を書かせるのでしょうか。

 自分が「民生団」だと「自白書」に書いたという張竜山(チャンリョンサン)中隊長の問題も同じです。彼は、幼年時代から下男暮しをし、遊撃隊に入隊して以来、名射手として勇敢にたたかっている人です。ところが、一部の人が根拠もなしに彼を「民生団」だとして監禁し、自白しなければ「民生団」の嫌疑をかけられている他の人たちまで拘束すると脅かしながら恐ろしい拷問を加えるので、彼はやむを得ず偽りの自白をしたのでした。それで私は、本人が書いたという「自白書」そのものを認めなかったし、彼らの良心と現在の言行を信じ、「民生団」にされた人たちを連れ戻してきたりしました。

 偽りの「自白書」を書いた人は、張竜山中隊長だけではありません。こうした偽りの「自白書」を書き、「民生団」にされて生命を失ったり、現在も捕われている人がどれほどでしょうか。ある人は、強圧と拷問に負けて「民生団」だと偽りの自白をし、いわれもなく犠牲になった人は処刑された人の30%になると語っていますが、私の考えでは30%ではなく、99.99%がそのような人だと思います。現在、「民生団」ということで多くの人が監禁されて苦しんでいますが、そのうちに本物の「民生団」が何人いるのか疑わしいものです。これまで多くの人が「民生団」にされましたが、それを認めた人は一人もなく、死に際にも「朝鮮独立万歳!」「朝中人民の革命勝利万歳!」を唱えました。この会議には反「民生団」闘争を直接指導していた人たちが参加していますが、「民生団」にされた人たちが死ぬ間際でも自分は「民生団」でないと主張したのを目撃したはずです。

 いま、多くの朝鮮人が「民生団」の嫌疑をかけられているのは、一部の人が朝鮮人のあいだに派閥争いによって「民生団」が生まれたかのように考えていることとも関係しています。もちろん、かつて民族主義運動家や共産主義運動家のなかには派閥主義者がいましたが、彼らのなかに過ちを悔い改め、祖国解放の偉業に献身し、犠牲になった人もいることについては、この会議に参加した人々がよく知っていることです。したがって、「民生団」が生まれるようになったことを、かつて民族主義運動か共産主義運動に参加した人たちと関連づけて見る必要はありません。「民生団」が生まれたのは、我々の革命組織を内部から切り崩すために狂奔している日本帝国主義者とその手先の謀略的策動と関係しています。

 日本帝国主義者は、我々の革命隊伍を内部から瓦解させるため、間島に住む朝鮮人が民生苦にあえいでいるときに、「民生」のためだという聞こえのよいスローガンのもとに「民生団」をつくり上げ、これに反共団体である「延辺自治促進会」まで引き入れ、あらゆる陰険な策動を強行しました。

 しかし、日本帝国主義者の悪巧みをよく知っている朝鮮人民と朝鮮共産主義者は、「民生団」が組織されると直ちに彼らの奸計を見抜き、「日帝の手先『民生団』を打倒せよ!」「『延辺自治促進会』を打倒せよ!」のスローガンを掲げて反「民生団」闘争を展開しました。こうして、日本帝国主義者の奸計に惑わされて「民生団」に参加した人たちは 「民生団」から脱退し、いくらも残っていない「民生団」員もその後に摘発されました。

 だとすれば、「民生団」の嫌疑をかけられて犠牲になった数多くの人は、誰が潜り込ませた「民生団」であり、いま捕えられている「民生団」の嫌疑者はまた、誰が浸透させ た「民生団」だと言うのでしょうか。彼らが、ほかならぬ拷問と脅迫に負け、民生団ならぬ「民生団」のぬれぎぬを着せられた人たちであることは明白です。

 一部の人は、東満州で活動している朝鮮共産主義者の8090%が「民生団」だと言っていますが、これもやはり理屈に合わないことです。もしも、彼らが「民生団」だとするなら、何のために3、4年もの間、遊撃根拠地で厳しい冬のさなかに家もなく、着るものもなく、食べるものも満足に食べられずに、敵と血戦を交えてきたと言うのでしょうか。彼らが「民生団」でないことは三尺の童子もよく知っていることです。もし、東満州で活動している朝鮮革命家の8090%が「民生団」だとするなら、我々はどうしてここで安心して会議を開くことができるでしょうか。ここ大荒崴を防衛している部隊の8090%はおろか、その10分の1である8~9%が「民生団」だとしても、我々はここで安心して会議を開くことはできないはずです。どんな物質であれ、本来の構成要素とは異なる要素が80%以上占めるようになれば、その物質はもはや他の物質に変わってしまいます。これはあまりにも明白な事実です。

 諸般の事実は、東満州遊撃区にいる朝鮮人と東満州で活動している朝鮮革命家の大半が「民生団」でないことを実証しています。

 私は「民生団」の嫌疑者を実践を通じて観察しましたが、彼らは決して「民生団」でないことを、さらに確信するようになりました。

 私が昨年2月に小汪清遊撃区防衛戦闘を終え、馬村に帰ってくると、大荒崴遊撃区域を守っていた第1中隊の全員が「民生団」の嫌疑をかけられていました。そこで私は、そこにとどまって彼らを調べなおす一方、戦闘を通じて観察しました。

 もともと、戦闘力の強いこの中隊は、戦闘ごとにいつも大きな勝利をおさめ、その過程で模範中隊となりました。それで、昨年5月初めに、この中隊の一部の兵力を中核に一つの中隊を新しく編制しました。いま、この会議場を警護している中隊がほかならぬその中隊です。日本軍との決戦を通じて観察して見ても、この中隊全員を「民生団」とみなす根拠は何一つありません。

 このように、実践を通じて観察した結果によっても、東満州に住む朝鮮人の大半が「民生団」だということは全く理屈に合わないことです。

 極左的に進められた反「民生団」闘争は、朝鮮革命に取り返しのつかない大きな損失をもたらしました。

 一部の人が、極左的なスローガンを掲げ、拷問と脅迫の方法で朝鮮共産主義者に「民生団」のぬれぎぬを着せて処刑したことで、和竜、延吉、安図、琿春、汪清の各県では、多数の朝鮮人幹部を失いました。このような大きな損失は何をもって補うことができるでしょうか。

 革命の中核である幹部と党員を数多く失ったため、党組織と大衆団体、人民革命政府機関は弱体化し、武装隊伍を拡大、強化し、人民を抗日武装闘争へと奮起させる活動にも大きな弊害がもたらされました。我々の革命隊伍内には、深い不安と不信が生じ、互いに嫉視反目する傾向があらわれ、少なからぬ人が革命勝利の信念を失って遊撃区を離れるようになり、敵の支配区域の人民を反日闘争へと立ち上がらせるうえでも重大な支障をきたしました。それのみか、朝中人民間の関係は悪化し、朝中人民の反日共同戦線路線を貫くうえでも障害となりました。

 こうしたことは、まさに日本帝国主義者が「民生団」をつくり上げたときに目論んだ目的です。

 反「民生団」闘争がこのように誤っておこなわれるようになったのは、排外主義的傾向の一部の人と分派・事大主義者の間違った策動と、指導的地位を占めている一部の人が日本帝国主義者の奸計に惑わされたこととも関係しています。

 日本帝国主義者は、「民生団」が事実上、有名無実になった後も、あたかも遊撃区に「民生団」員を多く送り込んでいるかのようなうわさを広めたり、道端ににせ手紙を落としたりするなど、さまざまな狡猾な方法で謀略的な策動を強行しました。

 ところが、一部の人は、日本帝国主義者のこのような奸計を見破ることができず、それにはまり、革命隊伍の純潔を保障する闘争を公明正大におこなうどころか、反「民生団」闘争を狭隘な排外主義的目的と不純な分派的野望の達成に利用しようとしました。

 我々はこのことから、重大な教訓をくみ取り、すべての勢力を日本帝国主義に抗する闘争に集中させ、我々の隊列内ですべての排外主義的でセクト主義的な傾向を克服し、革命隊伍の原則的かつ強固な統一・団結を実現しなければなりません。

 次に、幹部の問題について述べたいと思います。

 会議で一部の人は、東満州に住む朝鮮人は重要な幹部になれず、中国人のみが幹部になるのは当然だというように主張しています。彼らはその論拠として、朝鮮人は少数民族であるから多数民族を指導できない、朝鮮革命家は分派的習癖と動揺性があり、反動化しやすいということを挙げています。

 プロレタリア国際主義者である我々は、幹部の問題をこのように扱ってはなりません。我々、朝中両国の共産主義者は、共通の敵、日本帝国主義に抗する血みどろの闘争で勝利する日までともにたたかうべき崇高な義務を負っています。したがって、我々は朝中人民の戦闘的団結と反日共同闘争の強化に資するよう幹部の問題を解決すべきであり、マルクス・レーニン主義的な立場に立って、革命に対する忠実さと能力を基本にして幹部を抜擢する原則を堅持すべきです。

 まさにこれが、朝中両国人民の共通の利益から出発した原則であることは論ずるまでもありません。

 周知のとおり、東満州における共産主義運動史を見ても朝鮮人が先に革命を切り開き、党員と革命組織構成員の圧倒的多数が朝鮮人であったことから、幹部の構成において朝鮮人が多数を占めるようになったのです。これは、東満州地方の共産主義運動史で否定できない厳然たる事実です。

 にもかかわらず、このような事実を無視し、幹部の構成において朝鮮族出身がなぜ多数を占めるのかと異を唱えるのも問題ですが、民族別の幹部構成をめぐって少数民族による多数民族の指導だの何だのというのはどうにも理解できません。

 私は、共産主義者が自国で革命をしようと、他国に行って革命をしようと、幹部の資質を備えていれば幹部になるものであり、民族の数の多少によって幹部になったり、ならなかったり、といった問題ではないと思います。

 一部の人は、朝鮮人革命家の大半が、かつて民族主義運動か分派と関わりのあった人たちだから幹部になれないと言っていますが、現在、東満州で活動している朝鮮人革命家の実態について正しく理解する必要があります。我々は、革命闘争を始めた当初から、いかなる分派とも関わりをもったことのない清新な新しい世代の共産主義者を育て上げました。こうして、勤労者階級出身の若い共産主義者が、現在、人民革命軍の主力をなし、人民革命政府と党および大衆団体組織の幹部として活躍しています。

 我々、新しい世代の共産主義者は、日本帝国主義とのたたかいに一人でも多くの大衆を引き入れるために、かつて民族主義運動に参加したり、派閥に属していた人も包容して教育しました。そのため、革命隊列内には、かつて民族主義運動に参加して共産主義運動へと方向転換した人や、派閥に属していたが改造され、反日闘争隊伍で勇敢にたたかっている人もいます。

 一部の人は、派閥争いが朝鮮民族の持ち前の気質であるかのように主張し、朝鮮の共産主義者といえば当然、分派と何らかの関係があるかのようにみなしています。そういう人たちは、「『民生団』の親は分派分子であり、分派の親は民族主義者であり、民族主義者の親は日本帝国主義者だ」とまではばかることなく口にしています。何と荒唐無稽な主張でしょうか。

 率直に言って、分派は朝鮮共産主義運動の隊列だけにあったのではありません。分派は、マルクスやレーニンが活動したドイツやソ連にもあったし、また中国にもあったし、大なり小なり各国のすべての共産主義運動隊列内にありました。コミンテルン内にも分派分子がおり、第2インターナショナルは分派分子の策動によって日和見主義党に転落しました。にもかかわらず、なぜ、ひとり朝鮮人だけが分派的な習癖を気質としてもっている民族とみなされ、なぜ、朝鮮共産主義者という名が分派の代名詞のように呼ばれなければならないのでしょうか。

 一部の人は、朝鮮民族はかつての独立運動と共産主義運動で失敗した少数民族であり、「独立運動と共産主義運動での成功は不可能である」とか、「革命闘争で動揺することが多く、反動化しやすい民族」だとか言って、朝鮮人は幹部として採用できない論拠を挙げていますが、これもやはり、他民族を侮る誤った観点から出たとてつもない主張です。

 これらの主張は、すべて、朝鮮人の幹部を排除するためにつくり上げた「論拠」にすぎません。

 我々は、幹部問題に対するこのような非科学的で誤った見解と観点を正し、この問題をマルクス・レーニン主義的観点と立場に立って正しく解決することで、朝中両国共産主義者の戦闘的団結と朝中人民の反日共同闘争をさらに強化していかなければなりません。

 次に、東満州でたたかっている朝鮮の共産主義者は、民族解放のスローガンを掲げるべきかどうかという問題について述べたいと思います。

 会議に参加した一部の人は、東満州に住む朝鮮共産主義者と朝鮮人は民族解放のスローガンを掲げるべきでないと主張しています。彼らは、その論拠の一つとして、朝鮮共産主義者が唱える民族解放のスローガンは「民生団」の「朝鮮人による間島自治」の反動的スローガンと同じであると言っています。

 「朝鮮人による間島自治」のスローガンは、日本帝国主義者が朝中人民を離間させ、共産主義運動の隊列の内部分裂を図り、彼らの植民地支配に有利な条件を整える目的で「民生団」に唱えさせたスローガンです。これは、日本帝国主義の植民地支配下で間島の朝鮮人に自治をさせることを意味するものであるために、朝鮮共産主義者の掲げている民族解放のスローガンとは縁もゆかりもないことは論議するまでもありません。

 朝鮮共産主義者の民族解放のスローガンは、日本帝国主義の植民地支配を覆して祖国を解放し、朝鮮人民が搾取と抑圧のない自主的な新しい社会で真の自由と権利を享有できるようにする目的で示したものです。このように、朝鮮共産主義者が掲げているスローガンと「民生団」の反動的スローガンは根本的に違ったものであるにもかかわらず、民族解放をめざす朝鮮共産主義者の聖なる闘争スローガンを「民生団」の反動的スローガンと同じであるとみなすのは理解できないことです。

 東満州でたたかっている朝鮮共産主義者は民族解放のスローガンを掲げるべきでないといういま一つの論拠は、コミンテルンの1国1党制の原則です。

 周知のように、コミンテルンの1国1党制の原則は、一つの国に2つ以上の共産党中央が組織されてはならないというものです。これは、共産主義者相互間の不必要な摩擦と分裂を防ぐためにコミンテルンが示したものであって、決して他国に行って活動する共産主義者が自国の革命のためにたたかってはならないと規定したものではありません。にもかかわらず、コミンテルンの1国1党制の原則を論拠にして、朝鮮共産主義者は民族解放のスローガンを掲げるべきでないと主張するのは、実際には、他国の共産主義者に自国の革命から手を引かせようとする極めて不当な見解としか言いようがありません。朝鮮革命の勝利、朝鮮民族解放の偉業の達成をめざしてたたかうことは、誰も阻むことができず、代行することもできない朝鮮共産主義者と朝鮮人民の自主的な権利であり、神聖な義務です。

 強盗・日本帝国主義に奪われた国土と塗炭の苦しみをなめている民族の運命を救う崇高な使命を負っている朝鮮の共産主義者は、いつ、どこでたたかおうと、絶対に朝鮮民族解放のスローガンを捨てることはできません。事大と分派の悪弊が骨の髄までしみ込んだ一部の運動家の反民族的売国行為から苦い教訓をかみしめた朝鮮共産主義者は、これまで民族の尊厳と国の独立をめざして艱難辛苦をものともせず、血を流してたたかってきたし、これからもこの道を揺らぐことなく進んでいくでしょう。

 世界の革命運動は、民族国家を単位として進められているため、世界革命の勝利は、あくまでも個々の国での革命の勝利を通じて実現されます。個々の国の革命の勝利を抜きにした世界革命の勝利はあり得ません。したがって、各国の共産主義者が世界革命に忠実であるには、何よりも自国の革命に忠実であり、他国の革命を心から支持し支援しなければなりません。

 このようにたたかう人であってこそ、真の共産主義者であり、プロレタリア国際主義者です。

 中国革命を立派に進めて世界革命の勝利に貢献することが歴史に対して担った中国共産主義者の重大な使命であるように、朝鮮革命を立派に進めて世界革命に寄与することが、我々、朝鮮共産主義者に与えられた国際主義的義務なのです。

 我々は、常に、マルクス・レーニン主義の原則にしっかりと立脚してすべての問題を考察、処理すべきであり、これ以上、理不尽な口実を設けて、朝鮮共産主義者が自主的な民族解放の旗を掲げることに反対することがあってはなりません。

 我々がこの会議で論議している問題は、革命闘争において共産主義者が守るべき原則的立場にかかわる極めて重大な問題です。それゆえ、提起された問題を共産主義者の立場に立って冷静に検討、批判し、マルクス・レーニン主義の原則にしっかりと立脚して、犯した過ちを大胆に正す対策を講ずるべきであると思います。

 出典:『金日成全集』1巻


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